「おいしさ」と「恥じらい」と
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「おいしさ」と「恥じらい」と
- グルメルールからの逸脱 -
新潮社の雑誌「波」2025年4月号

に
料理人の稲田俊輔さんが
逸脱から始まるルネッサンス
なる題で
マキタスポーツ著『グルメ外道』
について書いている。
(以下水色部、本文からの引用)
カレーも餃子も焼肉も寿司も、
だいたいあらゆる食べ物は、
「こういうものが
うまいとされているのだ」的な、
暗黙の了解の上に成り立っているのが
グルメの世界と言えるでしょう。
それは本来、おいしいものに
効率よく出会うためのヒント集のような
ものだったはずです。
しかしそれはいつしか、
逸脱を許さない経典の如きものに
なっていきました。
と、まずはグルメの世界には、
暗黙の前提が多すぎると嘆いている。
ラーメンを例に挙げているが、
「うまいラーメン」と
認定してもらうためには
麺にはコシがないといけないし、
スープはあっさりだろうと
こってりだろうと、
コクがあって複雑な旨味を
たたえていないといけないし、
チャーシューは
ジューシーでなければならない。
そんなグルメの世界に対して、
誰もが美食にたどり着くための
実用的なヒント満載の本が
『グルメ外道』らしいが、
著者マキタスポーツさんの姿勢は
ちょっとおもしろそうだ。
一般的なグルメとは大きく異なります。
すっかり経典化しつつある
現代のグルメルールから、
ひたすら逸脱し続けているのです。
その要因を稲田さんはこう書いている。
グルメルールから
逸脱してしまうことを恐れ、
恥じます。
だからこそグルメルールは
経典化したのです。
しかし著者は逆です。
意識的にせよ無意識的にせよ、
グルメルールに
沿ってしまいそうになると
途端に恥ずかしくなってしまう。
それどころか、
食べることについて考えること、
語ること自体が
恥ずかしいとまで言い切ります。
この繊細さこそが、
本のしなやかな背骨になっていると。
「うまい、おいしい」と「恥ずかしい」の
二単語を見ると、12年前に聞きに行った
脚本家 山田太一さんの講演会を思い出す。
そのときのメモは、
山田太一講演会 2013
(以下薄緑部、記事からの引用)
で記事にしている。
そこにこんな言葉がある。
渥美清さんの話。
おいしいものがあると
飛行機ででも食べに行く、
という人がいるって聞いて
渥美さんは、『なんだか悲しいね』と
つぶやいたという。
「僕(山田さんご自身)はね、
この気持ち、ちょっとわかるンです」
「今は、おいしい、って言うことに
恥じらいがないですよね」
『グルメ外道』は読んでいないので
マキタスポーツさんの「恥ずかしい」が
どんなニュアンスを伴うものなのかは
よくわからないが、
おいしいものの話をしようとすると、
山田太一さんが言う
「恥じらいがないですよね」が
いまでも、おだやかな口調とともに
ふっと頭をよぎる。
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