科学

2025年11月30日 (日)

トポロジカルな研究分野

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トポロジカルな研究分野

- あらゆる進化理論は「仮説」 -

 

武村 政春 (著)
DNAとはなんだろう
 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする
 巧妙なからくり
ブルーバックス 講談社

Dnatohanandarou

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
を読みながら、
* DNAは生物の設計図にすぎないのか?
* 遺伝の常識からの逸脱
* 動く遺伝因子「トランスポゾン」
* 細胞外DNA・環境DNA
* DNAの「行動力」
について書いてきた。

DNAの「行動力」をさまざまな視点から
見せてくれる点が本書の大きな特徴だ。

最後に2点、
どうしても残しておきたい記述があったので、
その部分を紹介したい。

(1) トポロジカルな研究分野

直径0.2ミリメートルの細い糸が
東京から静岡あたりまで、
200キロメートルほど
延びている
としよう。

そのとき、その細長い糸を
バスケットボール程度の大きさの
球体の中にこんがらがらないように
収められるだろうか?

ヒトの細胞核一個に、
直径2ナノメートルのDNAが
2メートルも収められていることを、
このようなたとえで表現しているが、
もちろん、グチャグチャに
押し込められているわけではない。

「染色体(DNA)は
 きちんとした法則に従って、
 決まった空間配置をとって
 規則正しく細胞核の中に
 収まっている、ということが
 わかってきた

つまり、細胞核の外側に位置する部分と
内側に位置する部分は決まっている、
ということだ。

突然変異のもとになる
DNAの損傷などが、じつは
「ほんとうはランダムではなく、
 ある特定の空間配置にあるDNAに
 集中して生じる

といった可能性は、
決して否定できないのである

紫外線や放射線、発がん物質との接触等
空間上の配置の違いがある以上
突然変異がランダムに起きる、は
かなりあやしい。

DNAの格納だけでなく、
タンパク質の形状等、
化学式だけでは表現しにくかった
トポロジカルな面での
解析や研究

これから大きな発見が続く分野の
ひとつという気がする。

(2) あらゆる進化理論は「仮説」
生物の進化は、基本的には
「過去に起こった現象」である。

過去に起こったことは
もはや観察することができないので、
たとえ「再現性が高い」と
考えられる実験結果を得たとしても、
それがほんとうに
「現実に起こった進化」を
再現しているのかどうかを検証する
術がない


だから、
ほとんどすべての生物学者が
そうだろうと考えるような
完璧な進化理論であっても、
「仮説」の域から抜け出ることは
できないという実情
がある。

100%再現できる実験だとしても
それが実際に起こったことだとは
検証できない。

有力な仮説の域をでない、ということだ。

強い仮説を目にすると
現実もそうであったと思ってしまう傾向が
明らかにあるような気がする。
わかりたい、というか
わかった気になりたい、という欲求が
あるからだろうか。

「確かにそうなる。
 でも現実に起こったことは
 違ったかもしれない」
を常に忘れてはならない。

「過去に起こった現象」を
「仮説」と「想像力」で楽しめるから
研究とその成果はおもしろい。

 

 

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2025年11月23日 (日)

DNAの「行動力」

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DNAの「行動力」

- DNAのほとんどは体の外にある? -

 

武村 政春 (著)
DNAとはなんだろう
 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする
 巧妙なからくり
ブルーバックス 講談社

Dnatohanandarou

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
にある、
「細胞の中にあってこそのDNA」という
従来の常識をまさに覆す
「細胞外DNA」「環境DNA」という視点。

前回 から引き続き、その視点で
もう少しこの世界を覗いてみたい。

 

たとえば、バクテリアが暮らす
バイオフィルム。

バイオフィルムとは、
微生物が分泌する粘液状の物質でできた
「微生物の集合体」のこと。
台所の排水口のぬめりや、
歯垢(プラーク)など、
身の回りの様々な場所に形成されている。

この細胞外DNAを<足場>とする
バクテリアのコミュニティ
「バイオフィルム」は、
微生物と細胞外DNAがつくり出す
一つの生態系
とも言えるらしい。

そこで、細胞外DNAは、
バクテリアの吸着や
バクテリアどうしの相互作用にも
重要な役割を果たしていることが
明らかになってきている。

細胞の外でも、
遺伝子としてのはたらきとは異なる、
思いもよらない役割を担っているのだ。

この細胞外DNAは、
広島大学の丸山史人教授の試算によると
水圏では、棲息する
すべての生物がもっているDNA量の
ゆうに25倍にも達するらしい。

ただ、細胞膜のように
それを保護するものが存在しなければ、
比較的早くに分解されるか、
他の生物に再利用されることになる。

だが、そのDNAが細胞膜以外の
「なにか」に包まれ、
保護されていたとしたらどうだろう。

そうすれば
DNAはそれほど分解されずに
環境中にとどまり、
そこに遺伝子が含まれていたとしたら、
その細胞外DNAは
遺伝子としての意味を持ち続ける。
まさに
「タンパク質をつくることができる
 機会を得る」という可能性を
保持し続けることになる。

そのようを可能性を体現している存在が、
私たちのまわりに無数にいる「ウイルス」
だというのだ。

ウイルスが先か、生物が先かは
明確にはなっていないものの
DNAも、
生物ではなくウイルスが開発したものかも?
と考えるのもおもしろい。

親から子へのDNAの流れを「垂直移動」
と呼ぶ一方で、
全く関係のない生物へのDNAの移動を
「水平移動」と呼ぶらしいが、

最近の研究成果では、
カマキリを宿主とする
寄生虫・ハリガネムシのゲノムに、
カマキリの遺伝子が
大量に水平移動
していることが
発見されている。

この水平移動にも、
宿主のDNAを盗み取る能力のあるウイルスが
大きく関係しているようだ。

DNAの「行動力」をさまざまな視点から
見せてくれる本書は、
DNAを
「細胞の中にある遺伝子の本体」
と思っているこれまでの概念を
大きく揺さぶってくる。

 

 

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2025年11月16日 (日)

細胞外DNA・環境DNA

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細胞外DNA・環境DNA

- 自らのDNAを細胞外に動かす -

 

武村 政春 (著)
DNAとはなんだろう
 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする
 巧妙なからくり
ブルーバックス 講談社

Dnatohanandarou

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
は、前半、
「遺伝子の本体はDNAである」とか
二重らせん構造からの
巧妙な複製のしくみとか、
基礎知識としての
教科書的説明をしてくれている本だが、
後半、
話は意外な方向に話が広がっていく。

トランスポゾンをキーワードにして
静的でもなく、細胞内に閉じたものでもない
DNAのすがたを
前回 見てきたが、
こうなるともう
「遺伝」に閉じたものでもないことも
当然のような気がしてくる。

改めて、日常の風景を見てみよう。

ツバや痰に限らず、汗や涙、
呼気中の水分やその他の排泄物など、
人間はつねに、なんらかの液状成分を
体外に放出している

また、皮膚の表面からは
古くなった表皮細胞が
つねにはがれつづけており、
それらの中にはほぼ確実に、
その人の細胞とDNAが含まれている

いまや犯罪捜査にも使われるDNAだが、

僕たちが今いるこの環境中には、
細胞の中にあるDNA以外のDNAが、
じつに大量に存在している

事実は確かにそうかもしれないが

細胞外のDNAは(仕方なく)
そこに存在しているようにも思えるが、
果たしてほんとうにそうなのか。

なんて、考えたこともなかった。
生命や細胞から離れたDNAは、
大量に存在はしていても、
もはや「遺伝」のためには
機能しようがないわけだから。

 

放り出されたDNAの代表例
「ミトコンドリアDNA」を見てみよう。
ミトコンドリアは、
高校の生物教科書にも掲載されている、
「細胞内共生説」の主役として有名な
真核生物の細胞小器官である。

今のミトコンドリアは、
たとえば真核生物の中から
取り出して培養しても、
もはや自立して増えることは
できない状態になっている。

なぜなら、ミトコンドリアのDNAは
すでに、いくつかの重要な遺伝子を
<失ってしまっている> からだ

ならば、この重要な遺伝子は、
いったい <どこに消えた> のだろうか? 

答えは細胞核である。

ミトコンドリアが
かつて好気性バクテリアだった時代に、
彼らのゲノムにコードされていた
遺伝子のほとんどは、
じつは共生先の細胞の、
今でいう細胞核のDNAに<引っ越し>て
しまい、見捨てられた残りのDNAが
ミトコンドリアとして存在している形だ


細胞核とミトコンドリアのように
共存・共栄関係を築くことに成功したものが
真核生物として繁栄しているのもおもしろい。

自らのDNAを細胞外に動かす

「細胞外DNA」「環境DNA」という概念や
言葉が登場するのにはこういった
背景がある。

細胞とは見なされないウイルスのDNAも
「細胞外DNA」であり、
「環境DNA」とも言えるようだ。

また、

DNAが細胞の外で 
(一休みしている)
場合も
往々にしてあるらしい、ということも
最近になってわかってきた。

とのこと。

細胞内だけでなく、
細胞外にも存在しているDNA。
この視点を携えて、
再度世の中を見てみたい。

(次回に続く)

 

 

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2025年11月 9日 (日)

動く遺伝因子「トランスポゾン」

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動く遺伝因子「トランスポゾン」

- 静的でもcloseでもないDNA -

 

武村 政春 (著)
DNAとはなんだろう
 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする
 巧妙なからくり
ブルーバックス 講談社

Dnatohanandarou

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
は、前半、
「遺伝子の本体はDNAである」とか
二重らせん構造からの
巧妙な複製のしくみとか、
基礎知識としての
教科書的説明をしてくれている本だが、
後半、
話は意外な方向に話が広がっていく。

単なる複製、遺伝の仕組みの解説から
大きく一歩を踏み出す説明になっている
「意外な方向」への話の展開に向けて
キーとなる言葉と視点を紹介したい。

 

1992年に亡くなった女性研究者の
マクリントックは

栽培している
トウモロコシの実に見出される斑点が、
メンデルの遺伝の法則によっては
理解できない多様性を
もたらすことを見つけ、
トウモロコシの実の色に関する
遺伝子が減数分裂の際に
「動く(位置を変える)」のではないか

という、新たな仮説を提唱した

当初、周囲の科学者たちの反応は
「なにいうとんねん、アホちゃうか」
的なものだったようだが、結果的に、
初めて「動く遺伝因子」を発見した
彼女の研究は
1983年にノーベル賞を受賞した。

マクリントックが発見した
動く遺伝因子」は、
現在では「トランスポゾン」と
よばれている。

トランスポゾンは大きく2種類に
分けられる。
「DNAトランスポゾン」と
「レトロトランスポゾン」

詳しい説明は本に譲るが、
「DNAトランスポゾン」は
『カット&ペースト』でゲノム内を移動
「レトロトランスポゾン」は
『コピー&ペースト』で移動する。
(「コピーを増やす」といったほうが正確)

大事な設計図と思われるゲノムのその一部は
『カット&ペースト』や
『コピー&ペースト』されて
なんとゲノム内で動くらしい。

その速度は、DNAトランスポゾンの場合、
トウモロコシの実の斑点のパターンが
世代が変わるごとに変化するという
現象から発見できたことからもわかる通り、
私たちの目で
認知できる時間内で起こる場合もあるし、
数万年に一度というゆっくりしたものも
あるようで、その幅は大きいようだ。

ただ、驚くべきはその量で、

ヒトゲノムの場合、
四割以上がトランスポゾン

(DNAトランスポゾンと
 レトロトランスポゾン)
であると考えられている

らしい。

ゲノム内でのコピーや移動が
ゲノムの修復や進化と大きく関係している
ではあろうことは、
素人でも容易に想像できるが、
その起源にまで迫ると、
なんとそれは「ゲノム内」だけの話では
ないようだ


「レトロトランスポゾン」の話を
もう少し引用しよう。
生物学における「レトロ」とは

「逆転写」という意味だ。
RNAからDNAを逆転写することによって
つくる現象であり、
それを司る逆転写酵素は、
「レトロウイルス」とよばれる
ウイルスの研究から
見つかったものである。

レトロウイルスは

宿主の細胞に感染すると、
そのRNAからDNAを「逆転写」し、
DNAトランスポゾンが
トランスポザーゼを使って
そうするように、
そのDNAを宿主のゲノムに
挿入してしまう
のである。

レトロウイルスは、
宿主の細胞に感染した後、
そのゲノムの中で『一休み』して、
休憩後にあらためて細胞から飛び出す
ものと、『永遠の眠り』に
ついてしまうものがある。

一旦『永遠の眠り』についてしまうと

宿主細胞のほうは、自身の内部で
ウイルス粒子の生産が
おこなわれずにすむので、
元気なまま、
生を謳歌することができる。

ゲノムに留まり、
逆転写機能だけを保持したまま
綿々と生物から生物へと
引き継がれるようになったDNA、
これこそが
「レトロトランスポゾン」の正体だと
考えられているらしい。

ゲノム内で
『コピー&ペースト』を繰り返す
レトロトランスポゾンが

見ようによっては、
生物のゲノムの中に巣食う寄生虫、
いや「ウイルス」のような存在に
見えなくもない

のも、起源を知るともっともだ。

いずれにせよ、
大事な設計図と思われるゲノムのその一部は
『カット&ペースト』や
『コピー&ペースト』されて
ゲノム内で動くこと。

そしてその起源は
ウイルスの感染と深く関わっており
しかも、宿主のゲノムの一部として
引き継がれるようになっていること。

静的でもなく、閉じたものでもない
DNAのイメージが大きく変わっていく。

 

 

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2025年11月 2日 (日)

遺伝の常識からの逸脱

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遺伝の常識からの逸脱

- 塩基配列の変化なしに遺伝するもの -

 

武村 政春 (著)
DNAとはなんだろう
 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする
 巧妙なからくり
ブルーバックス 講談社

Dnatohanandarou

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
は、前回書いた通り、
前半、
「遺伝子の本体はDNAである」とか
二重らせん構造からの
巧妙な複製のしくみとか、
基礎知識としての
教科書的説明をしてくれている本だが、
後半、
話は意外な方向に話が広がっていく。

なので、本ブログでは
この「意外な方向」の話を
紹介したいと思っているのだが、
その前に、
どうしてもコレには触れておきたい。

2022年1月の記事
エピジェネティクス - 世代をこえて
でも記事ネタにした
エピジェネティクス」についてだ。

本書においても
エピジェネティクス 
 -「遺伝の常識」からの逸脱

なる題のコラムで取り上げられている。

最近の研究では、細胞から細胞へ、
そして親から子へと遺伝するのは
DNAの塩基配列だけではなく、
DNAという物質に生じる
〝ある化学的変化〞
もまた引き継がれる
、ということが
わかってきている。

細胞のDNAに、メチル化やアセチル化という
化学修飾が起こる。すると、
数ある遺伝子のなかであるものは発現し、
あるものは発現しないという選択が起こる。
その化学修飾のパターンがそのまま
子孫の細胞へと引き継がれることにより
たとえば、肝細胞は分裂しても
肝細胞のままでいられるわけだ。

DNAの塩基配列以外の要素
(ここでいう化学修飾のパターン)が、
細胞が分裂してもそのまま
次の細胞に引き継がれるような
現象のことを、あるいは、
この現象を研究する学問分野を
「エピジェネティクス(後成的遺伝学)」
という

従来、ある個体が、
外部からなんらかの作用を受けて
ある形質を獲得したとしても、
その形質が生殖細胞の遺伝子に
塩基配列の変化として伝わらない限り、
「獲得形質の遺伝」はありえない、
とされてきた

しかし、化学修飾のパターンが
そうした「形質」の
もとになるとするならば、
獲得形質の遺伝という現象も、
エピジェネティクスの側面から見れば
「ありうる」
ということになる。

いわば
「遺伝の常識からの逸脱」である
ともいえる。

たとえば、現在では、細胞のがん化にも
エピジェネティクスが関わっていると
考えられるようになってきたようだ。

がん遺伝子やがん抑制遺伝子の
塩基配列そのものは変化しなくても

これらの遺伝子発現を調節するための
化学修飾が異常をきたすことで、
通常は発現しないはずの遺伝子が
発現してしまったり、
ふつうは発現するはずの
がん抑制遺伝子が発現しなくなって
しまったりすることが
発がんの原因になる、
ということも知られるようになってきた。


* DNAの塩基配列は
  タンパク質の設計図ではあるけれど、
  それに基づいて何が作られ
  どう振る舞うようになるのか、
  については、
  塩基配列の情報だけが
  すべてを握っているわけではない

ということ。
* その発現に深く関わる
  化学修飾自体が、
  子孫の細胞へも引き継がれると
  考えられている

ということ。
遺伝まわりはまだまだワクワクするような
謎ばかりだ。

エピジェネティクスは、
現在の分子生物学のなかでも
特に活発に研究がおこなわれている分野

らしい。

当初は、
「常識からの逸脱」だったかもしれないが、
その研究には、今は大きな期待しかない。

 

 

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2025年10月26日 (日)

DNAは生物の設計図にすぎないのか?

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DNAは生物の設計図にすぎないのか?

- 遺伝を離れた価値の提供も? -

 

武村 政春 (著)
DNAとはなんだろう
 「ほぼ正確」に遺伝情報をコピーする
 巧妙なからくり
ブルーバックス 講談社

Dnatohanandarou

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
は、
2020年の初頭から全世界を揺るがした
コロナ禍をきっかけに
まさに、多くの人が知ることになった
「PCR」「メッセンジャーRNA」
という言葉をスタート地点にして、
DNAを中心に
生物のしくみを論じている本だが、
学校の教科書で学ぶような内容を
わかりやすく解説したブルーバックス、
というわけではない。

前半は、
「遺伝子の本体はDNAである」とか
二重らせん構造からの
巧妙な複製のしくみとか、
基礎知識としての
教科書的説明になっているのだが、
後半、
話は意外な方向に広がっていく。

その導入は、誰もが知りたくなるような
こんな話題からだ。

PCRはいったい、
新型コロナウイルスの
「なにを」検査するのか

メッセンジャーRNA
「メッセンジャー」とは
いったいどういうもので、
なぜそれがワクチンとなったのか

コロナ禍の記憶がまだ鮮明な今、
読者を導くテーマとしては
まさにタイムリーな用語を選んでいる。

DNAとは、生物や一部のウイルス
(DNAウイルス)に特有の、いわゆる
生物の <設計図> の一つであり、
通常は
タンパク質をつくるための情報、
そしてRNAをつくるための情報を
担う物質である。

こうしたタンパク質や
RNAをつくるための情報は
「遺伝子」とよばれ、
DNAはその「本体である」といわれる。

生物の教科書的に言えば
まさにそういうことだろうが、
コロナ禍のPCR検査は、
次のようなことを多くの人に
知らしめた面もある。

DNAは、生物の体をつくるのに
重要なだけでなく、
その生物(そしてウイルス)が
そこにいるかどうか、あるいは
それがかつてそこにいたかどうか
を、
人間たちがPCRによって「検出」する
ターゲットにもなる。

その意味で、DNAはもはや、
生物学的な存在を通り越して、
社会的な存在になっているともいえる。

「そこにいるかどうか、あるいは
 それがかつてそこにいたかどうか」
は、遺伝とは直接関係がない。
でも実際に
そこで存在価値を発揮しているのは、
DNAだ。

ほんとうにDNAは、
生物の <設計図> にすぎず、
ほかになんの役割も
もたないものなのだろうか。

の視点が急浮上してくる。

物質としてのDNAがもつ
さまざまな「情報」の謎や
複製の仕組みを
詳細に解説することのみを目的とせず、
まさに書名の通り
「DNAとはなんだろう」を
根本から見つめ直そうという
独特な意欲が、最初から強く感じられる。

そもそも、DNAとはいったい、
どういう物質であって、
いかにして生物たちの
<設計図> たりえたのか。

そしてDNAは、
僕たちの知らないところで、
どのような <行動> をとっているのか。

そんな視点で語ってくれるDNAの本は
初めてだ。

そうした観点であらためて
DNAを見つめなおすことには、
<常識にとらわれない見方>
想起する意味があると、
僕はそう思っている。

どんな
「常識にとらわれない見方」が
想起されることになるのか?

それは
ほんとうにびっくりするような視点だった。
次回以降、
数回に分けて紹介していきたいと思う。

 

 

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2025年10月12日 (日)

『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』

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『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』

- もしライオンが話せたとしても -

 

数多(あまた)ある本の中から何を手にするか。
もちろんそのきっかけはいろいろある。
テーマであったり、著者であったり、
書評であったり、知人の推薦であったり、
書店での偶然の出合いであったり。
そんな中のひとつが書名・タイトルだ。

『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』

この書名には、ひと目でやられた。
気がついたらもう読み始めていた、
そんな感じ。

英文タイトルも
Are We Smart Enough to Know
How Smart Animals Are ?
となっているのでまぁ直訳だがそれにしても
なんと秀逸なタイトルをつけたことだろう。

まさに
「タイトルを見ただけで読みたくなった本」
の代表選手。

フランス・ドゥ・ヴァール (著)
松沢哲郎 (監訳), 柴田裕之 (翻訳)
動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

紀伊國屋書店
Doubutsunokashikosa

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

監訳者の松沢哲郎さんは、
本書について巻末の「解説」に
次のように書いている。

フランス・ドゥ・ヴァール氏の提唱する
「進化認知学」の本である。

この学問は、人間とそれ以外の動物の
心の働きを科学によって解明する
きわめて新しい研究分野
であり、
本書はその格好の入門書となる。

人間とは何か。動物に心はあるのか。
それを研究するにはどうしたらよいか。
そうした問いへの
明確な答えが用意されている。

400ページを超える本文には、
動物を対象にした
これまでの様々な実験・研究成果が
数多く紹介されているだけでなく、
ある種の偏見や主義に対する
著者の愚痴っぽい記述もあったりして、
話を聞いているような感じで
スラスラと読み進めることができる。

一方で、繰り返し登場するネタもあり
講演ならともかく、本にするなら
エピソードの記述の仕方と
その構成については、再整理したほうが
よりわかりやすくなったのではないか、
というのが正直な読後感。

日本語版は2017年に出版されているが、
著者のドゥ・ヴァールさんは
2024年に75歳で亡くなっている。

動物を対象にした実験と研究の成果自体
興味深いものが多いが、
その内容の詳細については
ぜひ本文をお読みいただきたい。

本ブログでは、
本を読みながら思わずメモった
3つの「言葉」を紹介したい。

(1) 「変だぞ」

SF作家のアイザック・アシモフは
かつてこう述べたという。
「科学において
 耳にすると最も心躍る言葉、
 つまり新しい発見の先触れといえば、
『わかった!(ユリイカ)』ではなくて
『変だぞ』
である」。

最も心踊る言葉は『変だぞ』。
質問、疑問こそが最大の発見、と
言われることもあるが、
探求への「入口の発見」には
確かに心踊るものがある。

 

(2) ありのままではなく
  探求方法に対して
  あらわになる自然

私たちが目にしているのは
ありのままの自然ではなく、
私たちの探究方法に対して
あらわになっている自然にすぎない

ウェルナー・ハイゼンベルク

本では、動物を相手にする
実験の数々が紹介されているが、
研究者が
最も気をつけなければならないことが、
まさにこの点であることを、
著者も最初に強調している。

具体的な事例でみてみよう。

道具への応用度をみる
「棒を拾い上げてバナナを引き寄せる」
テストにおいて、
多くのサルはそれができたのに
テナガザルにはできなかった。
すると、それは
テナガザルの知能が劣っているせいだ、と
思ってしまいがちだ。

ところがそうではなかった。

多くの霊長類にとって、
手は掴んだり触ったりするための
万能の器官だが、
地表面で生活をしないテナガザルの場合は、
むしろフックに近い働きをしており
その手では、
「平らな面から物を拾い上げられない」

棒を地面におくのではなく
つかみ易い位置にすれば
他のサルと同じような成績を示すらしい。

知能が劣っていたわけではなく、
テストのやり方が悪かったわけだ。

ありのままの自然ではなく、
探究方法に対して
あらわになっている自然にすぎない

この感覚は動物相手だけでなく、
科学全般において大事な視点だろう。

 

(3) もしライオンが話せたとしても
「人間がコウモリになったら
 どのように感じるか」ではなく
「コウモリが、コウモリであることを
 どう感じるか」を
人間は理解できるのだろうか?

オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・
ヴィトゲンシュタインも気づき、
もしライオンが話せたとしても、
 私たちには理解できない
だろう」
と言いきったことはよく知られている。

大きくて難しいテーマだ。
コウモリもライオンも
どうしても人間視点での理解になりがちだ。
でも、光ではなく音で位置を確認する
コウモリの反響定位(物体に音波を当て、
その反響によって位置を知ること)を
発見できたのは、人間視点に縛られずに
コウモリを観察し続けた
まさに科学者の想像力の賜物だ。

ライオンになることはできない。
しかし、人間の豊かな想像力で
その世界を覗き、検証することは
可能だ。それは、
探究方法に対してあらわになっている
自然の観測に過ぎないかもしれないが、
少しずつでも理解を深めていく
その一歩であることに間違いはない。

 

 

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2025年9月21日 (日)

知能検査で調べられるもの

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知能検査で調べられるもの

- 知能だけでは解決できない -

 

東京大学出版会の雑誌「UP」2025年6月号
2506upchinou

臨床心理学、心理士の
高岡佑壮(ゆうしょう)さんが、
 知能検査で「能力」は調べられない
なる記事を寄せている。

「知能(=頭の使い方の特徴)」は
心の不調(強い不安や怒りなど)と
関係してくる場合がよくあるため、
心理士の仕事において
知能検査を行う機会は多いらしい。

一方で、知能検査を通して
自分や自分の子どもの「能力」を知りたい
という相談もよく受けるようだ。
ところが、この要望に対しては
「弱腰」になってしまう高岡さん。

その理由をこうコメントしている。

「仕事や勉強などの、
 『生活の中でのいろいろな課題』を
 こなす能力の高さは、
 知能検査ではあまり正確に
 調べられない
から」です。

知能を調べる検査で
なぜ「課題をこなす能力」を
正確に調べられないのか。

大まかなイメージの話ですが、
知能検査は「クイズ番組」と
少し似ています。

そこには、仕事や勉強のような
「生活の中での課題」とは
かなり違う特徴がある。

それは、
「やるべきことを、一つひとつ、
 はっきりと指示される」
という特徴です。

それに対して、
仕事や勉強の課題においては
何を解決すればいいのか、
どう解決すればいいのか、
どういう手順で解決すればいいのか、
それ自体が
明確に指示されていない場合も多い。

そのことを高岡さんは
「自由度が高い」という言葉で
表現している。

「やるべきことを細かく
 指示してもらえる検査の問題」に
正確に答えられる人
(=知能が高い人)が、
自由度が高い状況でも同じように
優れたパフォーマンスを発揮できるとは
限りません。

思い当たることは多い。

自由度が高いということは、
「その課題をこなすために
 どのような要素を活用するべきか」
が、あまりキッチリと
決まっていない
ということです。

なので、人は、
状況に合わせた多くの要素を活用して
まずは問題を分析するところから
取組むことになる。

活用できる要素にはどんなものがあるか。
「知識」「経験」「人間関係」
「経済的な安定」「身体の健康」
などのキーワードを挙げている。

このようなたくさんの要素が 
「総動員」されることで発生するのが、
いわゆる能力なのです。

もちろん、知能だって
総動員されるべき能力のひとつではあるが、
それはその一部にすぎない。

(a) 個別に分解された問題に答える能力

(b) 要素を総動員して
  課題を分析し、問題解決のための
  手順と手段を明確にする能力
は、ずいぶんタイプの違う能力だ。

知能検査の対象というだけでなく、
日本の学校教育では(a)重視が続いている。
入試問題での成績もあくまで(a)に対する
能力判定だ。
問題には必ず正解があり、課題も解き方も
細かく指示されている。

一方で、
社会に出ると(b)を要求されることが多い。
(a)が好成績だからと言って、
(b)の能力が高いとは限らない。

知能検査で測れるような「知能」と
「問題解決能力」がどう違うのかを
たいへんわかりやすい言葉で
シンプルに表現してくれているので、
ここにメモとして残しておきたい。

 

 

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2025年8月31日 (日)

貴重な古い標本を前にして

(全体の目次はこちら


貴重な古い標本を前にして

- 「解剖すべき」の発想 -

 

養老 孟司, 久石 譲 (著)
脳は耳で感動する

実業之日本社
Nouhamimide

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
は、
養老さんと久石さんの対談本だが、
その中から

映画における「音の同期」
感覚器は必ず二つ存在している
アルファベットと漢字の違い

について紹介した。

今日は、
養老さんの貴重な体験談を紹介したい。

虫好きな養老さんは、
ロンドン自然史博物館に行って
よく虫の研究をしているらしいが、
ある虫のことを調べていたとき、
こんな経験をする。

日本の虫なんですが、
日本の専門家も外国の専門家も、
それは19世紀の終わりに、
あるロシア人が名前をつけたものと
同じ種類だ
、という見解だった。

ところが、僕はそれと
非常によく似た標本を
パリの博物館で見せてもらった。

そちらは1920年にフランスの専門家が
名前をつけていた


そこで、こいつは
ちょっとおかしいなと思った。

同じ種に正式な学名が複数ついてしまった
いわゆる「シノニム」と呼ばれるものなのか

あるいは別の種類なのか?
もし同じであれば、先につけられた方が
学名としては優先されることになる。

さてさて同じ種類なのだろうか?

その時、古い虫の標本を前にして、
僕はどうしようかとちょっと悩んだ。

「なんだ?」と
博物館の若い研究者の人が言うから、
「こういうわけで
 これを確認したいんだけど、
 確認するにはこの標本を
 解剖しなきゃいけない

と言ったんだ。

博物館の標本で、
古い大事なもの
でしょう?
僕がバラしてしまっていいのかな、
という気持ちがあったわけですよ。

こんな養老さんに博物館の人は即答した。

そうしたら、即座になんと言ったか。

「解剖しろ」と。

しかも、ただ解剖していいと
言うんじゃないんですよ。
"You should"
「しなきゃいかん」と言うんだ。

これにはさすがの養老さんも
「びっくりしたというか、教えられた」
と言っている。

仕事として考えれば、
大事な標本がチャラです。

だけど、これを調べれば
はっきりした事実が一つわかる。
だから
「しなきゃいかん」と言うんです。

(中略)

日本人はそういう時に、
別のことをいろいろ考えます。
貴重な標本なんだから、
残しておくことが大事だろう

とかね。

確かに、古い標本を前に
「解剖すべきだ」はなかなか言えない。

久石さんも「残しておくことが大事」の
気持ちはよくわかる、とコメントし
次のように続けている。

それを解剖して得られる知識の方が
大事に取っておいて、
長く保(も)たせるよりも
価値があるという発想は、
日本人にはないですね。

こういう、イギリスの経験論的発想が
行動や実践を重視し、理論や信念よりも
結果や有用性を基準に物事を判断する
米国のプラグマティズムに
つながって行くことになるようだが、
いずれにせよ、
その判断には考えさせられることが多い。

そういうところが
あの文化は奥深いんですよ。

そうせざるを得ないことを、
きちんとやらなきゃタメだよと、
そこのところは
非常に冷めた目を持っている

養老さんは、
「日本は基本的に、
 わけのわからないモヤモヤの方が
 大事なんだという思いが強い

とまさに養老節で節を締めている。

 

 

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2025年8月17日 (日)

感覚器は必ず二つ存在している

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感覚器は必ず二つ存在している

- 耳からのほうが感動しやすい? -

 

養老 孟司, 久石 譲 (著)
脳は耳で感動する

実業之日本社
Nouhamimide

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
は、
養老さんと久石さんの対談本だ。
その中からいくつか印象的な言葉と
エピソードを紹介したい。

前回は、久石さんの疑問
映画における「音の同期」から
話が広がっていった様子をお伝えした。

今日は、養老さん自身が、

こういうこと言うのは
僕だけなんだけど。

と前置きして話を始めている
「感覚器は必ず二つ存在している」
についての部分を紹介したい。

久石さんも

目が二つ、耳も二つ、鼻の穴も二つ
ということではなさそうですね。

と言っているが、
そういう二つのことではないようだ。
感覚器別に要点のみピックアップしながら
読んでみたい。

◆ 「視覚」

目という器官があって
網膜にものが映し出されて
いろいろなものが
見えているわけですが、
そういった
外の世界を捉えているのとは別に、
自分のからだにとって必要な目
あるんです。

それが第二の目です。

「自分の体にとって必要な目」?
もう少し具体的な例を聞いてみよう。

たとえば 「日周活動」。
朝になると、明るくなって目が覚めて、
夜になると眠くなる。
これをコントロールしている目がある。
それを「松果体」というんですが

と松果体の説明が始まっている。
この松果体、
哺乳類は光を採っていないが、
鳥も爬虫類も光を感じ
目として機能しているらしい。

朝と晩の違いがわからなかったら、
活動に影響するでしょう。つまり
「自分のからだに関する目」は
別にあるんです。

「自分の体にとって必要な目」が
少しイメージできるようになってきた。

松果体はもう一つ、
性的成熟といったことにも
関係します。

それも環境に対して
必要なわけではなくて、
自分の内部の問題です。

では、他の感覚器はどうだろう?

◆ 「聴覚」
耳はちょっと特別なようだ。

耳の元は体の運動をつかさどる平衡器官で、
そこに音を聴くものがついて
耳になったらしい。

それがよくわかるのが「めまい」。
三半規管の働きで起きるものだ。

音とか音楽を
耳で聴いていると思っていますが、
振動をからだのいろいろなところで
聴いているので、
必ずしも耳だけで
聴いているわけではありません。


◆ 「触覚」
麻雀の摸牌(モーパイ)や点字、
硬いとか柔らかいとかの生地の感触
などは、外部の感覚だ。

ところが、

痛いとか温かい、冷たいといった
温痛覚というのは完全に内部の感覚。
あるいは
筋肉の関節の動きを感じでいる運動覚、
そういうのは非常に古いもので、
脊髄の中の通路が違うんです

触覚も二重構造になっている。


◆ 「嗅覚」
「よくわかってなかったのは、
 匂いなんですが」
と説明が始まっているが、

匂いも実はどういう匂いだという
捉え方をする以外にもある。
フェロモンってあるでしょう。

妊娠して二、三日目ぐらいのネズミの
カゴの中に新しいオスを入れると、
なんと前のオスの子どもを
全部流産してしまうらしい。

人間の新生児にも
ヤコプソン器官という部分があり、
そこでフェロモンを感じているようだ。
大人になると退化する
とも言われているようだが、
お母さんのお乳の匂いや
お母さんを認識するのに
使われている可能性も高いらしい。

母親との接点、外部環境と内部環境の
ギリギリのところだ。

 

と、ここまで見てきたように
養老さん視点に基づくと
感覚器は二重構造になっている。

ところが、人間においては
松果体もヤコプソン器官も退化傾向にある。
一方、
身体の運動に直接つながっている耳だけは
退化できない。

◆ 耳の信号は脳の古い部分に直接届く
しかも、耳の信号は脳の古い部分
「爬虫類の脳」といわれている
「大脳辺縁系」に直接届いているため
情動に強く影響するようだ。
それが一番遠いのが目。

目は非常に客観的。
だから、見て感動するより、
聴いて感動する方が
よっぽど多いんです

耳からの信号は
脳の古い部分に直接働きかけるが、
目からの信号はそこから遠い。

体の構造や進化の過程といった
生物学的な視点から見ても
耳からのほうが感動しやすい、
ということはreasonableなことのようだ。

 

 

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