日本の温泉 - はだか、混浴、内湯について
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日本の温泉 - はだか、混浴、内湯について
- 入浴の功徳を説く経典? -
吉川弘文館のPR誌
本郷 2025年9月号

に
温泉評論家 石川理夫(いしかわみちお)
いま見直される日本の温泉文化
という記事があった。
日本の温泉文化について
コンパクトにまとめられているだけでなく、
私個人の思い込みによる誤解を
訂正してくれる内容も含んでいたので、
記事を参考に、改めて
日本の温泉文化について学んでみたい。
(以下、水色部記事からの引用)
まず規模から。
環境省の統計では、日本は
宿泊施設のある温泉地数が約2900ヵ所、
源泉(湯元)総数は約27,900、
と世界トップレベルの温泉大国。
単純に都道府県の数47で割ってみると
平均して一都道府県あたり
宿泊施設のある温泉が約60、
源泉が約590、ということになる。
文献では「古事記」に記される
「伊余湯(いよのゆ)」(道後温泉)が初出。
5世紀半ば頃のこと。
三人の天皇の有馬・道後・白浜温泉への
二ヵ月から最大四ヵ月に及ぶ
行幸と滞在が『日本書紀』に記録され、
733年に完成した『出雲国風土記』には
初めて「溫(温)泉」という言葉が
用いられ、
玉造温泉に集う老若男女が
「燕楽(うたげ)」を催す様も記している。
温泉が入浴だけでなく、
滞在や交流の場として
機能していた歴史は長いようだ。
そんな日本の温泉文化に奈良時代以降
多大な影響を及ぼしたのは仏教らしい。
どんな影響を与えたのか。
それは、【入浴作法】と【温泉信仰】。
『仏説温室洗浴衆僧経』
(うんしつせんよくしゆそうきょう)
という入浴・温浴の功徳を説く経典が
示す入浴作法は、
寺院の温室・浴堂にとどまらず、
温泉を含む入浴規範となって
その後の入浴文化を規定づけた。
同経典は入浴の際用いる「七物」に
「内衣」(ないえ 湯帷子 ゆかたびら。
後の浴衣)を挙げ、
はだか入浴を戒めた。
入浴・温浴の功徳を説く経典があって
そこで
はだか入浴は戒められていた!?
男性は湯ふんどし、
女性は腰巻着用での入浴となり、
文化の爛熟で規範も緩む
江戸時代後期に至るまで入浴作法の
スタンダードとなる。
「昔ははだかで混浴があたりまえ」は
どうも正しくないようだ。
実際、
西日本の主要温泉地では、
江戸時代に入浴の主な場となる
共同浴場を男女別浴とした所が多かった
らしい。
また、温泉信仰は、
超常現象への畏怖心にはじまり、
飲泉や入浴を試みるうち
喜びと何らかの治癒効果を体感し、
天与の恵みとして温泉への
感謝と畏敬の念を育むことから
芽生えた。
とのことだが、
畏怖心、感謝、畏敬の念、ともに
ムリのない自然な発想という気がする。
仏教で医薬の仏とされる
薬師如来信仰が参入し、
神仏習合が進む。
温泉地に薬師神社が見られるのは
典型である。
もうひとつ、メモしておきたいのは
内湯の歴史が浅いこと。
温泉掘削が始まる明治以降、さらに
道後や城崎、有馬温泉といった
多くの著名温泉地では
戦後にかけてのことで、
それ以前は外湯すなわち
共同浴場が主役であった。
有限な地域資源を
地域住民で共同管理する方法は、
合理的であり
サステイナブルの観点からも
有効な運営方法といえるだろう。
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