『逝きし世の面影』から
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『逝きし世の面影』から
- 外国人が見た昔の日本の子ども -
内田樹さんの著作
「図書館には人がいないほうがいい」
から
幕末に日本を訪れた外国人たちが、
日本で子どもたちが
大切にされているのを見て驚いたという
記述がありました。
を引用し、前回の記事で紹介した。
この部分、ちょっと気になったので、
今日は引用の原典
渡辺京二 (著)
逝きし世の面影
平凡社

(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
を読んでみたい。
幕末から明治にかけて
日本を訪問した外国人たちが、
日本を見て何を書き残したのか。
この本は、それらの文献を広く読みながら
当時の日本人の生活様式、習慣、
教育などを浮かび上がらせる
独特な歴史書になっている。
とは言え、外国人の体験の多くは、
個人的・限定的なもので
日本社会を広く調査した報告書
というわけではない。
なので、それだけを根拠に
「当時の日本は」と
一般論を語ることはできないが、
たとえ個人的なものであっても
「実体験・実感想」として尊重し、
多くの体験・感想を丁寧に扱い
重ねていくことで
当時を多角的に蘇らせようとしている。
子どもの様子がメインとなっている
「第十章 子どもの楽園」から
印象的な記述を紹介したい。
「子どもの楽園」という表現を
最初に用いたのはオールコックである。
彼は初めて長崎に上陸したとき、
「いたるところで、半身または
全身はだかの子供の群れが、
つまらぬことで
わいわい騒いでいるのに出くわ」して
そう感じたのだが、
この表現はこののち欧米人訪日者の
愛用するところとなった。
1889年に来日して、
娘とともに麻布に家を借り、
1年2カ月滞在したエドウィン・アーノルドは
子どもたちのものだ」と感じた。
街路の真っただ中で
はしゃぎ回っていたからだ。
ネットーによれば
「大人からだいじにされることに
慣れている」からである。
彼は言う。
「日本ほど子供が、
下層社会の子供さえ、
注意深く取り扱われている国は少なく
ここでは小さな、ませた、
小髷をつけた子供たちが
結構家族全体の暴君になっている」
「下層社会の子ども」という表現には
まさに外国人を感じるが、
「家族の暴君」には笑ってしまう。
よくそこまで見たものだ。
子育てをしていると、確かに
暴君と思える瞬間がある。
1878年、
日光を訪問したイザベラ・バード。
日本人の子どもへの愛は
ほとんど「子ども崇拝」の域に
達しているように見えた。
子どもに面白いものを見せようとする
日本ではごくありふれた光景も
外国人には印象に残ったようだ。
「何か面白いことがあると、
それが見えるように、
肩の上に高くさし上げる」光景を、
珍らしげに書きとめている。
子どもへの体罰についても
こんな記述がある。
何とも思わないのに、
「子供たちを罰することは
残酷だと言う」。
フロイスは
鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことは
滅多におこなわれない。
ただ言葉によって
譴責するだけである」。
ポルトガルでは、
鞭(ムチ)が子の懲罰に
使われていたのであろうか。
(章の最後では
当時の児童虐待にも触れているが)
「子どもの楽園」という表現を
初めて使ったオールコックは、
子供から奪われつつある
ひとつの美点を、
日本の子供たちはもっている」
と感じた。
「すなわち日本の子供たちは
自然の子であり、
かれらの年齢にふさわしい娯楽を
十分に楽しみ、
大人ぶることがない」。
この「自然の子」が
象徴的な言葉なのかもしれない。
まさに
「異界」とつながる「聖なる存在」 が
背景にあるからだろう。
「世界中で、両親を敬愛し
老年者を尊敬すること、
日本の子供に如くものはない」
と言っている
先のバードは、
こんな小さなエピソードも記録している。
彼女はいつも菓子を用意していて
子どもたちに与えたが
許しを得てからでないと、
受け取るものは一人もいな」かった。
バードは、子どもたちが遊びの際に
自分たちだけでやるように教えられている
そのやり方にも感心した。
自分たちだけの独立した世界をもち、
大人はそれに
干渉しなかったのである。
モースは、
「他のいずれの国の子供達より
多くの自由を持」っていると
感じたのだ。
大人とは異なる文法をもつ子どもの世界を、
自立したものとして認める文明のありかた。
他にも、
大人の祭礼に参加する子どものことや、
大人の服装をただ小型にしただけの
子どもの服装のことや、
母親の背から降りるようになって
第一にする仕事は、
弟や妹の子守りだった。
といった子どもも参加しての
子育ての様子、なども
驚きとともに綴られている。
明治9年に横浜に上陸したギメは、
老若の婦人も若い娘も、
背中に子供をおぶっていること」に
おどろかされた。
他にも
おもちゃ屋や縁日の多い国はない」
とグリフィスは言う。
フォーチュンも
こんなに繁昌していることから、
日本人がどんなに子どもを好いて
いるかがわかる」
と、おもちゃ屋が目に留まった人もいる。
一方で、
子ども教育への賞讃ばかりではない。
カッテンディーケは、
「彼らの教育は余りに早く終りすぎる」
と書き、チェンバレンも
少し経つと彼らの質が
悪くなりがちなことである。
日本の若い男は、
彼の八歳か十歳の弟よりも
魅力的でなく、
自意識が強くなり、
いばりだし、
ときにはずうずうしくなる」
と書き残している。
それにしてもどの外国人も、
言葉の壁だけではない
さまざまな制約のなか、
ほんとうによく日本を見ていて
その観察眼には驚かされる。
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