育児

2025年7月27日 (日)

『逝きし世の面影』から

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『逝きし世の面影』から

- 外国人が見た昔の日本の子ども -

 

内田樹さんの著作
「図書館には人がいないほうがいい」
から

渡辺京二さんの『逝きし世の面影』には
幕末に日本を訪れた外国人たちが、
日本で子どもたちが
大切にされているのを見て驚いたという
記述がありました。

を引用し、前回の記事で紹介した。
この部分、ちょっと気になったので、
今日は引用の原典

渡辺京二 (著)
逝きし世の面影

平凡社
Yukishiyonos

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)
を読んでみたい。

幕末から明治にかけて
日本を訪問した外国人たちが、
日本を見て何を書き残したのか。

この本は、それらの文献を広く読みながら
当時の日本人の生活様式、習慣、
教育などを浮かび上がらせる
独特な歴史書になっている。

とは言え、外国人の体験の多くは、
個人的・限定的なもので
日本社会を広く調査した報告書
というわけではない。

なので、それだけを根拠に
「当時の日本は」と
一般論を語ることはできないが、
たとえ個人的なものであっても
「実体験・実感想」として尊重し、
多くの体験・感想を丁寧に扱い
重ねていくことで
当時を多角的に蘇らせようとしている。

子どもの様子がメインとなっている
「第十章 子どもの楽園」から
印象的な記述を紹介したい。


日本について
子どもの楽園」という表現を
最初に用いたのはオールコックである。

彼は初めて長崎に上陸したとき、
「いたるところで、半身または
 全身はだかの子供の群れが、
 つまらぬことで
 わいわい騒いでいるのに出くわ」して
そう感じたのだが、
この表現はこののち欧米人訪日者の
愛用するところとなった

1889年に来日して、
娘とともに麻布に家を借り、
1年2カ月滞在したエドウィン・アーノルドは

「街はほぼ完全に
 子どもたちのものだ」と感じた。

街路の真っただ中で
はしゃぎ回っていたからだ。

子どもが馬や乗物をよけないのは、
ネットーによれば
「大人からだいじにされることに
 慣れている」からである。

彼は言う。
「日本ほど子供が、
 下層社会の子供さえ
 注意深く取り扱われている国は少なく
 ここでは小さな、ませた、
 小髷をつけた子供たちが
 結構家族全体の暴君になっている」

「下層社会の子ども」という表現には
まさに外国人を感じるが、
「家族の暴君」には笑ってしまう。
よくそこまで見たものだ。
子育てをしていると、確かに
暴君と思える瞬間がある。

1878年、
日光を訪問したイザベラ・バード。

彼女の眼には、
日本人の子どもへの愛は
ほとんど「子ども崇拝」の域に
達している
ように見えた。

子どもに面白いものを見せようとする
日本ではごくありふれた光景も
外国人には印象に残ったようだ。

モースも父親が子どもと手をつなぎ、
「何か面白いことがあると、
 それが見えるように、
 肩の上に高くさし上げる
」光景を、
珍らしげに書きとめている。

子どもへの体罰についても
こんな記述がある。

日本人は刀で人の首をはねるのは
何とも思わないのに

「子供たちを罰することは
 残酷だと言う」。

フロイスは

「われわれの間では普通
 鞭で打って息子を懲罰する
 日本ではそういうことは
 滅多におこなわれない。
 ただ言葉によって
 譴責するだけ
である」。

ポルトガルでは、
鞭(ムチ)が子の懲罰に
使われていたのであろうか。
(章の最後では
 当時の児童虐待にも触れているが)

「子どもの楽園」という表現を
初めて使ったオールコックは、

「イギリスでは近代教育のために
 子供から奪われつつある
 ひとつの美点
を、
 日本の子供たちはもっている」
 と感じた。

「すなわち日本の子供たちは
 自然の子であり

 かれらの年齢にふさわしい娯楽を
 十分に楽しみ、
 大人ぶることがない」。

この「自然の子」が
象徴的な言葉なのかもしれない。
まさに
「異界」とつながる「聖なる存在」
背景にあるからだろう。

モースは
「世界中で、両親を敬愛し
 老年者を尊敬すること、
 日本の子供に如くものはない」
と言っている

先のバードは、
こんな小さなエピソードも記録している。
彼女はいつも菓子を用意していて
子どもたちに与えたが

「彼らは、まず父か母の
 許しを得てからでないと

 受け取るものは一人もいな」かった。

バードは、子どもたちが遊びの際に
自分たちだけでやるように教えられている
そのやり方にも感心した。

日本の子どもは
自分たちだけの独立した世界をもち
大人はそれに
干渉しなかったのである。

モースは、

日本の子どもが
他のいずれの国の子供達より
 多くの自由を持」っている

感じたのだ。

大人とは異なる文法をもつ子どもの世界を、
自立したものとして認める文明のありかた。

他にも、
大人の祭礼に参加する子どものことや、
大人の服装をただ小型にしただけの
子どもの服装のことや、

ネットーによれば、子どもが
母親の背から降りるようになって
第一にする仕事は、
弟や妹の子守りだった。

といった子どもも参加しての
子育ての様子、なども
驚きとともに綴られている。

明治9年に横浜に上陸したギメは、

「出会う女性がすべて、
 老若の婦人も若い娘も、
 背中に子供をおぶっていること」に
おどろかされた。

他にも

「日本ほど子供の喜ぶ物を売る
 おもちゃ屋や縁日の多い国はない

とグリフィスは言う。

フォーチュンも

おもちゃの商売が
 こんなに繁昌
していることから、
 日本人がどんなに子どもを好いて
 いるかがわかる」

と、おもちゃ屋が目に留まった人もいる。

一方で、
子ども教育への賞讃ばかりではない。
カッテンディーケは、

一方
「彼らの教育は余りに早く終りすぎる」

と書き、チェンバレンも

「残念なことは、
 少し経つと彼らの質が
 悪くなりがちなことである。

 日本の若い男は、
 彼の八歳か十歳の弟よりも
 魅力的でなく、
 自意識が強くなり、
 いばりだし、
 ときにはずうずうしくなる」

と書き残している。

それにしてもどの外国人も、
言葉の壁だけではない
さまざまな制約のなか、
ほんとうによく日本を見ていて
その観察眼には驚かされる。

 

 

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2024年12月 8日 (日)

「生きてみると、とっても大きい」

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「生きてみると、とっても大きい」

- 4歳の言葉から -

 

先日、5歳から7歳くらいの
年齢の子どもたちと遊んでいたら、
公園や木々の間を走り回りながら発せられる
子どもならではの世界観に
おおいに笑い、驚かされた。
と同時に、以前読んだ
この新聞記事のことを思い出した。

2009年2月14日 朝日新聞
090214_okinawas

明治政府が琉球国を併合した「琉球処分」や
沖縄戦、基地問題等を考えてきた
知念(ちにん)ウシ(うしぃ)さんが、
沖縄での自身の子育てを書いたもの。

「歴史の積み重ね伝えたい」
との見出しがついている。
(以下水色部、記事からの引用)

 

私は大学入学以来
10年余りを過ごした東京から
9年前に、生まれ育った場所に戻り、
世帯を構え、
8歳と6歳の子を育てている。

そこで、知念さんが気づいたのは

地域という空間には、
今、目に見える一時だけでなく、
人々の思いをのせたさまざまな時間が
折り重なって同時に流れている

ということだ。

知念さんは、
そのことを子どもたちに教えたいと
強く思いながら子育てしている。

自分のいる場所には歴史があること。
過去は今とつながり、
その中で人は自分の今を生き、
未来ができること。

この地で連綿と生きてきた人々の
喜びや悲しみや怒りが、
自分を守り育むのだと

そんな知念さんに育てられた子どもたち。
こんなエピソードが最後に紹介されている。

夫の故郷のアメリカを訪ねた、
ある夏のこと。

親類と出かけたレストランに
世界地図がかかっていた。
私は子どもたちに、
これがアメリカだよ、と教えた。

6歳だった息子が聞く。
「沖縄はどこ?」。
私が指さしたのは、
印刷ミスにも見える小さな黒い点。

息子が叫ぶ。
「えー、こんなに小さいの、
 沖縄って。あんなに大きいのに」。

すると4歳の娘がすまして言った。

沖縄はね、地図で見ると小さいけど、
 生きてみると、とっても大きい

以前であれば、
「そうそう、子どもにとっては
 あの小さい沖縄がとっても大きく
 感じられるンだよね」
と読み飛ばしてしまっていたかもしれない。


しかし、今は少し違った感覚で捉えている。
沖縄以外も知っている大人は
「沖縄は小さい」と言う。
「世界は広い」と言う。

でも、沖縄だけをとっても
「歴史の積み重ね」を感じ、
「この地で連綿と生きてきた人々の
 喜びや悲しみや怒りが、
 自分を守り育むのだ」と
丁寧に感じながら生活すれば、
大人にとっても沖縄は広いはずだ。

雑に世界を捉えると
物理的な広さを求めて
「世界は広い」と言ってしまうけれど、
細かいことに気づき、
詳細に世界を感じる感性をもっていれば、
沖縄の中にだけでも
無限の世界が広がっている。

大人は雑だから広さを求めるが
子どもは繊細だから「とっても大きい」と
感じられる。

大人になってからだって
「とっても大きい」と感じられる感性を
持つことは可能なはずだし、
そこから見えてくる
無限の世界もあるはずだ。

 

 

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2022年11月13日 (日)

舌はノドの奥にはえた腕!?

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舌はノドの奥にはえた腕!?

- 音色、音の色に違和感はなく -

 

実際の講演は
今から40年以上も前の話になるが、
解剖学者の三木成夫さんが、
保育園で講演した内容をまとめた

三木成夫 (著)
内臓とこころ

河出文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

は、たいへんユニークな視点で語られた
「こころ」の本だ。

独特な口調で
幼児の発育過程を語りながら、
内臓とこころを結びつけ、
話は、宇宙のリズムや
4億年の進化の過程にまで
広がっていく。

一方で、

ただ、舌の筋肉だけは、
さすがに鰓(えら)の筋肉、
すなわち内臓系ではなくて、
体壁系の筋肉です。
(中略)

舌の筋肉だけは
手足と相同の筋肉
です。

われわれはよく
「ノドから手が出る」
というでしょう。

舌といえば、ノドの奥にはえた腕
だと思えばいい。

のような、
ユーモアあふれる大胆な表現もあって
あっと言う間に「三木ワールド」に
とりこまれてしまう。

舌はノドの奥にはえた腕!?
強烈すぎるフレーズだ。

講演を原稿化したものゆえ、
読みやすくはあるものの、
論理的には話が飛ぶ部分もあり、
「えっ?」と思うところもあるが、
それも含めてひとつの味だ。

簡単にはまとめられない、
三木さんの「こころ」論は本に譲るとして、
印象的なフレーズを2つ紹介したい。

(1) 原初の姿 (指差しこそ人類!)

ルートヴィヒ・クラーゲスという、
ドイツの哲学者は、
幼児が「アー」と声を出しながら、
遠くのものを指差す---この動作こそ
人間を動物から区別する、
最初の標識
だといっています。

どんなに馴れた猫でも、ソレそこだ!と
指差すのがわからない。
鼻づらをその指の先に持ってきて、
ペロペロなめる……

指差しが認識できず、
指先を舐める猫か、なるほど。

赤ちゃんも、
「なめ廻し」の時期を過ぎたころから
「指差し」を始めるようになる。

クラーゲスは、
この呼称音を伴う指差し動作のなかに、
じつは、原初の人類の”思考”の姿
あるのだといっています。
スゴい眼力ですね

この感じは、
しかし現代でも充分にわかります。

たとえば私たち、ビルの屋上から
真っ赤な夕焼け雲を見たりした時、
思わず「アー」と声を出しながら、
指差しの
少なくとも促迫は覚えるでしょう。

この瞬間、私たちはもう
好むと好まざるとにかかわらず、
原初の姿に立ち還っているのです。

圧倒的な大自然を前にした、
その時の思考状態ですね・・・。

頭の中はけっして空っぽではない

圧倒的な大自然を前にしたとき、
言葉にできない根源的な幸福感に
包まれることは確かにある。

あれは原始の姿に立ち還った
そのリラックス感から
来るものなのだろうか?

ミケランジェロ作の
システィーナ礼拝堂の天井画の
アダムの人差し指に対して

アダムの人差し指に
魂が注入される瞬間。
人類誕生の曙が
指差しの未然形として描かれている

こんな表現ができる人は
他にいないだろう。

私どもの”あたま”は
”こころ”で感じたものを、
いわば切り取って固定する

作用を持っている。

あの印象と把握の関係です。

そしてやがて、この切り取りと固定が、
あの一点の「照準」という
高度の機能に発展してゆくのですが、
「指差し」は、この照準の”ハシリ”
ということでしょう。

つまり、この段階で
もう”あたま”の働きの
微かな萌(きざ)しが
出ているのです。

 

(2) 「音色」(音の色?)

私たちの目で見るものも、
耳で聞くものも、
すべて大脳皮質の段階では
融通無礙に交流し合っております

フォルマリンで固定した人間の
大脳皮質下の「髄質」を見ますと、
ここでは、
ちょうどキノコの柄を割ぐ感じで、
無数の線維の集団を
割いでゆくことができる。

視覚領と聴覚領の間でも、
この両者の橋わたしは豊富です


連合線維と呼ばれる。

視覚と聴覚の交流?
以下の言葉の例で考えると
わかりやすい。

「香りを聞く」「味を見る」
「感触を味わう」
などなど、

皆さん、
あとでゆっくり数えてください。

どんな感覚も四通八達で、
たがいに自由自在に
結び付くことができる。

大脳皮質は
こうした連合線維の巨大な固まりです。

<中略>

私ども人間は、
こうした、感覚のいわば「互換」が、
とくに視覚と聴覚の間、
それも視覚から聴覚に向かって
発達しているのでしょう。

「音」は聴覚、「色」は視覚、
でも「音色」という言葉は
違和感なく溶け込んでいる。

解剖学の知識が全くない遠い昔から
私たちはその交流に
気づいていたに違いない。

 

 

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2020年9月13日 (日)

「主因」「素因」「誘因」

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「主因」「素因」「誘因」

- 「全体的に見る目」を失っていないか -

 

久松農園代表の久松達央さんが
「スーパーで売っている
 きゅうりの皮はなぜ硬い?」
という記事の中で、
現在の農作物の流通とその栽培について
語ってくれている内容は、
農業という範囲を超えて
いろいろ考えさせられるものがあった。
記事全文はこちら
(下記水色部は記事からの引用)
忘れないうちに重要なキーワードを
メモっておきたい。

市場流通向け栽培のゴールは
「値が付きやすい規格のものを、
 いかにたくさん安定して採るか」
に尽きるわけです。

具体的には「耐病性」とか
「曲がりの少なさ」といった要素が
大切になります。

と、具体的に
優先順位の指標を示してくれている。

久松さん自身は「おいしい」きゅうりを
目指しているわけだが、
安定供給をミッションとする農家を
まったく責めたりはしていない。
「その目的のために
 最適な行動をとっている」と。

実際にうちだって、
おいしさの一点だけを
追求しているわけではなく、
「おいしさ」と
「栽培のしやすさ」の間で
ウロウロとしているんです。

「安定供給」であれ
「おいしさ」であれ
優先順位や目的を決めたからといって
農作物を相手にすると
簡単にはいかないことが
よく伝わってくる。

そんな中、有機栽培について語った
次の部分は特に印象深かった。

まずは農作物の病害について学ぼう。

病害発生のメカニズムには
「主因」「素因」「誘因」
3つがあるとされています。

例えば「べと病」という病気が
あるんですが、

主因としてはカビがそれにあたります。

素因は品種だったり、
その植物自体の話です。

そして誘因
土壌や風通しなどの環境です。

寡聞にして
「主因」「素因」「誘因」
という見方を初めて知った。
なるほど、これらの組合せによって
はじめて病気になるわけだ。

病気を避けるには、その3つ
すべてに目を向ける必要があります


けれども、
農薬を使うことを前提にすると、
どうしてもその主因のカビを
取り除くことばかりに
目が向いてしまって

その個体はどうなのかという素因や、
土作りは適切なのかという誘因への
意識がおろそかになりがちです。

カビなんてどこにでもいるものなので、
それを取り除くことに意識が集中すると、
他が見えなくなってしまいます。

逆に有機栽培は
それらを全体的に見る目が
強く鍛えられる
わけです。

「主因のカビを
 取り除くことばかりに
 目が向いてしまって」
は示唆に富む指摘だ。

「全体的に見る目が
 強く鍛えられるわけです」
有機栽培実践によるメリットを
こんな角度から耳にしたのは初めてだ。
実践者自身の言葉ゆえ説得力がある。

 

振り返って、現在のコロナ禍。
手当り次第の無差別な消毒は
「主因のウイルスを
 取り除くことばかりに
 目が向いてしまって」
いるからだろう。

病気には「主因」のほかに
「素因」も「誘因」もある。

盲目的な「マスク絶対」が
世間的には大手を振っている中
「息子が通う幼稚園では、
 園の中では先生たちも
 マスクをはずすことになった」
というつぶやきを目にした。

幼い子どもたちは
大人の表情と、発する言葉から
社会性や情操を育んでいく。
その表情をマスクで覆っていてはよくない、
と園長が判断したとのこと。

先生がマスクをすることで
表情が読み取れず
戸惑っている子どもたちを目にして、
子ども自身が持つ「育つ力」や
生き生きと生活することによる免疫力を
総合的に判断しての決断らしい。

そもそも気をつけないといけない病気は
コロナだけではない。

まさに主因のみに囚われていない
好例だと思う。

「主因」「素因」「誘因」、
「全体的に見る目」を失っていないか、は
忘れてはいけない問いかけだ。

 

 

 

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2015年3月 1日 (日)

みんなで守り育てるもの

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みんなで守り育てるもの

- 人間の赤ちゃんはよく泣き、よく笑う -

 

ゴリラの社会から人間の社会を見つめる
京都大学学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんの、
NHKカルチャーラジオでの講義。これまで

(1) 「円くなって穏やかに同じものを食べる」
(2) 言葉は新しい道具
(3) 「勝つ論理と負けない論理」

について紹介した。

今日は、「人間の子育て」について。
(以下水色部、2014年12月7日の放送から)

 

【共感力と人間の子育て】

人間はですね、
ゴリラよりよっぽど高い共感能力を持っています。

それはなぜ、ということになるんですが、
実はですね、
結論を先取りして言えば、

それは人間が熱帯雨林を離れて、サバンナに進出してから、
子どもの育て方を変えて、
みんなで一緒に子どもを育てるという方法をあみだし
そこで共食を高めながら、
つまり食物の分配を、さらに共食に高めながら、
共同意識を持った集団を
作り上げてきた結果なんだろうと思います。

「みんなで一緒に子どもを育てる」ということは
どういうことか。
なぜ、そんな方法をあみだす必要があったのか。
その理由について考えてみよう。

 

ゴリラの子育てと人間の子育てを比べてみると、
とっても面白いことがわかります。
人間てなんてこんな不思議な子育てをしてるんだろう、
ってことなんです。

ゴリラというのはですね、
小さく生んで大きく育つ、ということをやります。

ゴリラのオスの体重は200キロを越えます。
メスも100キロを越えることがあるんですね。
人間なかなか越えませんよね。

でもゴリラは生まれるときの体重は1.8Kgくらいです。
非常に小さい。だから小さく生んで大きく育つんです。

で、3年くらいお乳を吸います。
4年くらいお乳を吸うこともあります。

人間の子どもって、
すぐお乳を吸うのをやめちゃいますよね。

お母さんは1年間赤ん坊を腕の中から離しません。片時も。
赤ちゃんは泣きません。泣く必要がないからです。

 

* 赤ちゃんが大きいこと
* 赤ちゃんの離乳が早いこと
* お母さんが赤ちゃんを抱き続けないこと
人間のこれらの特徴が、
共同保育とどういう関係があるのだろうか。

 

最初に「離乳が早いこと」から。

引用した、ゴリラの子育てとの比較にもある通り
ヒト科の生物の中では、人間の離乳は早い。

オラウータンは7年、
チンパンジーは5年、
ゴリラは3年から4年もお乳を吸っている。

大きく生まれて、そのうえ離乳も早いのに、
人間の赤ちゃんは長い間「ひ弱」だ

ひとりでお母さんにつかまることすらできない。
なのでお母さんも、ゴリラのように、
片時も離さずに抱き続けることはできない。

しかも、
離乳しても大人と同じものが食べられない。

現代社会ならともかく、
自然界の中で「離乳食」に相当するものを調達するのは、
たいへんだったはずだ。

 

「赤ちゃんが大きいこと」についてはどうだろう。

人間の赤ちゃんが「大きい」のは、と言うか「重い」のは
体脂肪が多いせいだ。
この体脂肪、実は脳の成長のために使われている。

成人の場合、脳の重さは体重のたった2%なのに、
驚くべきことに摂取エネルギーの20%以上は
脳の維持に使われている


成長期の赤ちゃんにおいては、
この数字がさらに大きい。

摂取エネルギーの40%から85%を
脳の成長に回している。

赤ちゃんのころはもちろん、
12歳から16歳ころまで、この脳優先が続く。
その結果、体の成長はいつも
脳をあとから追いかける、ということになる。

脳と体の成長がアンバランスなこのころが
まさに「思春期」と呼ばれる時期だ。

 

大人と同じ物が食べられない離乳期、
脳と体がアンバランスな思春期、
親だけでケアすることが難しい時期が
人間にはある。

 

そのために実は人間の社会は、
ある工夫をめぐらしたのです。

人間の子どもは「早い離乳」と「遅い成長」に
特徴付けられます。
この離乳期と思春期というふたつの大事な時期を
みんなで守り育てるために共同保育が必要になりました。

 

ところで、人間の赤ちゃんが
「ひ弱」なまま離乳してしまうのは
どうしてなのだろう。

離乳が早い理由は、子どもをたくさん生むため、
と考えられている。
二足歩行で熱帯雨林を飛び出した人間は、
肉食動物の脅威にさらされていた。

イノシシのように、
一度に多くの子どもを産めない以上、
子どもの数を増やすためには、
妊娠のサイクルを短くするしかない。

お母さんは、授乳していると
排卵が抑制されて次の妊娠をしない。
より短いサイクルで妊娠できるようにするためには、
より早く離乳させる必要があったわけだ。

 

人間の二足歩行は
脳が大きくなるよりも前に完成してしまった。
それゆえ、骨盤がお皿状になり、
産道を大きくすることはむつかしくなった。

なのに、脂肪をたっぷりもった大きな赤ちゃんを
産む必要が生じてきた。
脳の成長のために脂肪が必要だからだ。

その結果、自分では子どもが産めなくなってきた。
産婆さんが必要。

難産になり、出産に時間がかかる。
その間、肉食獣に狙われやすい。

 

このように、
出産時期から、乳児期、離乳期、思春期と
人間の出産、発育課程には、
共同保育が必要な理由がたくさん存在していた。

 

そこに人間の赤ちゃんがよく泣き笑うという
特徴が出てくるわけです。

実は人間の赤ちゃんは
こういった共同保育が
ずっと昔に起ったという証拠を
示してくれているわけですね。

 

誰にでも自己主張する「泣き」、
誰にでもケアしてもらうための「笑顔」、
一年間、片時もお母さんから離れない
ゴリラの赤ちゃんには必要のないアクションを、
皆に育ててもらうために
人間の赤ちゃんは身につけていった。

しかも、人間は肉食獣と違って、
毎日毎日食事をしなければならない。
子育てと食事のケア、
まさに広い意味での助けが親にとっては必要となる。

そこに、家族を越えた共同体が登場することになる。

人間はサルや類人猿の仲間なんです。
だからさっきも言ったように
毎日毎日食事をしなくちゃいけない。

そのケアをしなくちゃいけない。
そういうケアをしながら
夫婦で子どもを育てるということは
ありえないことなんです。

だから、人間も夫婦だけで子どもを育てていません

家族というのが複数集まって
上位の共同体を作るということをやっているわけです。

じつはコレが難しいんです。

 

共同保育のための家族と共同体。
「じつはコレが難しいんです」って、
どういう点が難しいのだろう。
この説明は次回に。

 

ともあれ、
人間の赤ちゃんは、
もともとみんなで守り育てるものなのだ。
だから、あんなに泣いて、あんなに笑う。


そもそもの姿のまま、
共同体全体で育てようではないか。

それが生物としての人間の
自然な姿なのだから。

 

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