日記・コラム・つぶやき

2025年12月21日 (日)

石川県立図書館の空間

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石川県立図書館の空間

- 「ゆっくり居たい」と思わせるもの -

 

この秋(2025年秋)、夫婦で
石川県金沢市に旅行に行った際、
一度訪問したかった
石川県立図書館に行ってきた。

今の石川県立図書館は、
2022年7月に移転・開館したもので、
建築家:仙田満
建物設計:環境デザイン研究所
によるもの。

兼六園等、市内の観光中心地からは
少し離れているが、路線バスで
簡単に行くことができる。

まずは一枚、館内の写真をご覧下さい。
Pb265573s

館内は4階まで吹き抜けの円形空間。
約180度のパノラマ写真で撮るとこんな感じ。
Ishikawalibrarys
書棚が美しいだけでなく、
閲覧用の椅子が
書棚間も含め計500も用意されているらしく
書棚間のスペースもゆったりとられている。

写真では伝わりにくいかもしれないので、
もっと詳しく動画で見たい、という方は
下記公式YouTube動画をどうぞ。
石川県立図書館

Pb265568s
公立図書館ではあるものの、
私たちのような観光客・見学者が
つぎつぎと訪れている。
写真を撮っているので、
見学者はすぐにわかるが、
みなマナーを守って静かに動いているので
図書館の静寂は保たれている。

なお、見学者が多いことは
図書館も想定済みのようで、
「見学者用ガイド」といった
パンフレットまで用意されている。
Ishikawalibraryguide
ここには
「読書等で図書館を利用されている方の
 ご迷惑にならないように
 見学してください。
 個人的に利用される写真の撮影は
 申し出を不要としていますが、
 他の利用者の顔を写さない・
 フラッシュを利用しないなどの
 マナーをお守りください。」
と明記されており、
写真撮影も容認している。

Pb265575s
しかもこのパンフレットには
見学おすすめコースとして
「30分」「60分」のモデルコースまで
地図付きででている。

一周160mの円形回廊だけでなく、
中央を貫くブリッジや
Pb265579s
窓辺の席など、
ゆっくり本が読める空間としての
見どころが多い。

円形閲覧空間の外側では、
一般的な図書館の分類順に
本が並べられているが、
円形閲覧空間には、
身近で馴染み深い12のテーマによる
選ばれた7万冊が配架されている。
Pb265571s
12のテーマとは、
  1. 子どもを育てる
  2. 仕事を考える
  3. 暮らしを広げる
  4. 文学にふれる
  5. 自分を表現する
  6. 身体を動かす
  7. 好奇心を抱く
  8. 世界に飛び出す
  9. 日本を知る
 10. 生き方に学ぶ
 11. 本の歴史を巡る
 12. 里の恵み・文化の香り
    ~石川コレクション~

もちろん本の検索端末もあちこちにあるが、
従来の分類順と開架による出合いを
なんとか融合させようと
工夫しているのがよくわかる。

図書スペース以外にも
「だんだん広場」と呼ばれる
イベントスペースや
Pb265588s
「食文化体験スペース」として
キッチン設備のある部屋まであるようで
まさに文化的行事の拠点となる機能も
十分に有している。

とにかく、
「ゆっくり居たい」
と思わせる空気感を作り出していることが
図書館としては最高にいい。

こういう図書館が増えることを
切に願っている。

 

 

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2025年10月19日 (日)

音だけで温度がわかる?

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音だけで温度がわかる?

- 「うるさい所」は「暗闇」 -

 

集英社の雑誌「青春と読書」2025年6月号
2506seisyuntodokusyo
に掲載されている
三宮麻由子
  奇跡の食卓
  13 お茶目にお茶を

からのエピソードを紹介したい。

三宮さんは、4歳の時、
病気で失明してしまったが
今はエッセイストとしてご活躍だ。

この回では、紅茶を中心に
お茶との思い出を書いている。

その中にこんな記述があった。

テレビ朝日のドラマ「相棒」は

主人公の杉下右京警部が
英国仕込みの紅茶通で、
美しいティーカップに
高みから巧みに紅茶を注ぐ場面が
名物である。

高い位置からカップに紅茶を注ぐシーンは、
事件とは関係ないものの確かに印象的だ。

このドラマに夢中だった三宮さんは、
このシーンにある違和感を持つ。

「相棒」では紅茶を注ぐ音に
お湯特有の
ふくよかな湯気の音が混じらず、
どうしても冷水の音にしか
聞こえなかった

このシーンを見た記憶はあるが
ボーっと見ていたせいか
そんなこと考えたこともなかった。

音だけで温度がわかるものだろうか?

その後、三宮さんは、
なんとドラマの効果音の担当者さんに
本件に関し取材する機会を得る。

すると、撮影で使われたのは麦茶など、
色の付いた冷たい液体だったことが
分かった。右京さん役の水谷豊さんが
やけどしないためなのだとか。

三宮さんの違和感は正解だったわけだ。
目の不自由さを耳の敏感さがカバーし、
見える人以上のものが見えている


この話を読んでいて、以前、
目の不自由な方から直接聞いた
こんな話を思い出した。

目が見えないと、音が頼りゆえ、
道を歩くときは、
特に危険を回避するためにも
音に敏感になっているという。

車の行き来や、人の往来、
その他身のまわりの危険度は
まず音で予測・判断する。

ところが、工事現場のような
音がうるさいところに近づくと、
大きな音にかき消されて
それ以外の音が聞こえなくなってしまう。
聞こえないということは
つまり見えないことと同じ。

目の見える人の言葉で言うと、
 『急に暗闇になったような感じ』

 なんです」

なるほど。
「うるさい所」は「暗闇」か。

耳は「音」を感じるものだけれど
その耳からの情報で、
温度を感じたり、暗闇を感じたりしている。

同じ状況にいても、
見える人には見えない世界を
感じたり、見えたりしている人たちがいる。

 

 

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2025年8月 3日 (日)

望ましいほどにはないが、十分にはある

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望ましいほどにはないが、十分にはある

- ブルース・スプリングスティーンのスピーチ -

 

1949年生まれ、
ロック界のスーパースター
ブルース・スプリングスティーン
(Bruce Springsteen)

2025年5月14日、ツアー初日の
マンチェスター公演で、
今のアメリカの現状について
「3つの声明」を発表した。

その内容は、現トランプ大統領を
痛烈に批判したものだったので、
ライブとともに
大きな話題となっていた。

75歳になっても、
「ロックは声を上げることだ」の
精神は全く衰えていない。

その後、公演の様子は、
『Land of Hope and Dreams EP』
としてすぐにデジタル配信されたが、
そこには、
「Land of Hope and Dreams」、
「My City of Ruins」の
イントロでの声明も収録されている。

どんなことをどんなふうに語ったのか?
SONYミュージックのページ

2505springsteens

を見ていただければ、そこには
公式動画サイトへのリンクと
スピーチの日本語訳があるので、
彼のその時の口調と、その内容を
日本語で詳しく知ることができる。

現状の問題点を簡潔な言葉で羅列している
胸に迫るスピーチだが、
その中には、ぜひ残しておきたい
印象的なフレーズがあった。
記録を兼ねて、その部分を紹介したい。
(以下水色部は、上記
 SONYミュージックのページからの引用)

「My City of Ruins」イントロダクション
から。

さて、今世の中は非常に異様で、
奇妙で、危険なことになっている


アメリカでは
言論の自由という権利を行使して
異議の声を上げたものたちが
迫害されている。

そんなことが今起こっているんだ。

アメリカでは、
この上ない金持ちたちが
世界で最も貧しい子供たちを
見殺しにしている。

そんなことが今起こっているんだ。

で始まり、現状のアメリカで起こっている
「非常に異様で、奇妙で、危険なこと」
の例が簡潔に並べられていく。

そして、最後はこう締められている。

俺が50年間
みなさんに歌って来たアメリカは
本物であり、欠点があるにせよ、
素晴らしい人々のいる素晴らしい国だ


だから俺たちはこの時期を
乗り切っていくだろう。

そう、俺には希望がある。

それは偉大なアメリカ人作家の
ジェームズ・ボールドウィンが
言っていた真実を信じているからだ。
彼はこう言っていた。

この世には望ましいほど
 多くの思いやりは存在しない。
 だが、十分な量はある
」。

この最後の、ボールドウィンの言葉が
ほんとうにいい。
「望ましいほどにはないが、十分にはある」

そうなのだ。
思いやりに限らず、すでに十分にあるのに
もっと、もっとと
欲しがってしまっているものが
ありはしないだろうか。

もっともっとが「望ましい」と
思い込んでしまうことで、その欠乏感が
自らを苦しめてしまったり、
しなくてもいい苦労を
呼び込んでしまったり。

もっともっとの誘惑が芽生えたら
立ち止まって見つめ直してみよう。

「すでに十分にはある」
を見落としてしまっているだけ
かもしれないのだ。

 

 

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2025年5月18日 (日)

SNSコメントの不快感と「いい話」のある所

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SNSコメントの不快感と「いい話」のある所

- 武田砂鉄さんの言葉 -

 

集英社の雑誌「青春と読書」2025年3月号
2503seisyuntodokusyos

ライターの武田砂鉄さんが
 感動の招待 第3回
 涙が出るほど

というエッセイを寄せている。

この中で、日常、よく体験するのに
うまく言葉で表現できないモヤモヤを、
上手に言葉にしてくれていた部分が
2箇所あったので、備忘録として
記事にしておきたい。

(1) 「そうは思わない人も」の不快感
ひとつ目は、
SNSで頓(とみ)に目にするようになった
あるコメントについて。

「私はこう思いました」と伝えるのが
難しい時代となり、
どんな発信・伝達にも、
「私はそうは思いません」が返ってくる。
それ自体は別にいい。
会話の発生として無難だ。

でも、
そうは思わない人も
 いるんじゃないでしょうか
」が
頻繁に用いられると、
これはもう何も言えなくなってしまう。
あなたの意見でさえないのは困る

「私はそうは思いません」には感じなかった
気持ち悪さというかモヤモヤを
「そうは思わない人も
 いるんじゃないでしょうか」に
強く感じるのは、なるほど、
発言者の意見ですらないからか。

攻撃を巧みに避けながら
批判だけはしたい、という
イヤラシさを感じるからだろう。

共感できない、または
反対意見は当然あるだろう。
でも発言する以上、
自分の意見であってほしい。
そうでなければ会話は続かない。

(2) 「いい話」はどこにある?
ふたつ目は、「いい話」について。
武田さんは、奥さんから
新宿御苑で見たホームレスとの
ある些細なエピソードを聞いて、

ああ、とてもいいな、

と思う。この件をきっかけに
「いい話」に興味をもった武田さんは、
「『小さな親切』運動本部」が編者
となっている
文庫化された「涙が出るほどいい話」を
第1集から第4集まで通読する。
その中から、いくつかのエピソードを
紹介したうえで、
その特徴をこう書いている。

そう簡単にはできない自己犠牲、
誰でも受け入れる無償の愛、
大切にしている支えとなる言葉、
たまたま目にしなければそのまま
流されていたであろう小さな優しさ、
といったところだろうか。

第1集時点で、

読んでみると、病気を患った話、
大切な人を亡くした話が圧倒的に多い。
自分が失意の底にあった時に
こうやって擾しくしてくれた人がいた、
世の中捨てたものではない、
といった展開が続く。

すぐに食傷気味になる

と書いている通り、
紹介されるエピソードは確かにどれも
いい話ではあるものの
食傷気味というかまさに飽きてしまう。

それは、その手の投稿が、

涙ぐましい努力を重ねて、
今、どれがいい話になりうるのかを
選別している

投稿者の行為ゆえではないか、
と思い至る。

武田さんは、「涙が出るほどいい話」を
第4集まで読んだあと、
妻の話を聞いて「いい話」だなと感じた
最初のきっかけ・体験を思い返す。

とても「いい話」だなと感じたのは、
そこに「いい話にしよう」という策略も
期待もなかった
からなのだろう。
ただそう思っただけ、
それを聞いただけなのだ。
(中略)
自分にまでバトンが
わたってきたわけだが、
「気持ち良さそう」と言った話を
「いい話」に
調理してしまいそうなのは、
実際に言った彼女でも、
聞いていた妻でもなく、
伝えられた私である。

まさにそう。
「いい話」は、伝える側にではなく、
伝えられた側にあるものなのだ。

 

 

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2025年4月20日 (日)

本を再読するということ

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本を再読するということ

- 読んだ自分を覚えている -

 

今年(2025年)になってから
志村ふくみさんの美しい染色作品
裂(きれ)が表紙を飾るようになった
岩波書店の雑誌
「図書」2025年2月号
Tosyo2502s
の中から、

森本あんり (神学、宗教学)
幸せになる能力(たぶん)
『魂の教育』を書き終えて


にある言葉を紹介したい。
(以下、水色部は雑誌からの引用)

森本さんは、岩波のある担当者さんから

若い読者向けに、
授業で語るような調子で、
わたしの読書歴を通して
半生をふりかえるような本

書いてもらいたい。

との依頼を受け、
月刊誌の連載を始める。
それを一冊の本『魂の教育』に
まとめたらしい。

刷り上がったばかりの『魂の教育』を
読み返してみると、
再読本が多いことに気づく。

過去に読んだ本を後になって
もう一度読むと、
昔の読書体験がふわりとふくらんで
浮かび上がってくる。

この、『再読』を
次のような印象的な言葉で綴っている。

何十年も前に読んだ本のことを
覚えているということは、
本の内容もさることながら、
その本を読んだ
自分のことを覚えている

ということだ。

自分がその時
どんな人生の段階を生きていて、
どんな思いでその本を読んだのか、
そのことを覚えているのである。

だから、読み直すという作業は、
過去の自分が追体験していたことを
現在の自分がさらに追体験する

ということだ。

確かに、本の内容よりも、
その本を読んだ時の
自分のことを覚えていて、
それが理由で再読したくなるときがある。

追体験したいのは、本ではなくて自分?
おもしろい視点だ。


20世紀初頭に解釈学という学問を
発進させたディルタイによると、
人間の幸福の大部分は、
 他人の心境を感じ取ることに
 起因する
」。

ちょっと補足してもらおう。

われわれの幸福は、
たしかに他人の心を
どう解釈するかにかかっている。

自分の愛しい人が
口元をほころばせている。
あるいは眉根を寄せている。
手紙やメールで
こんなことを書いてきた。

それらがいったいどのような心境を
あらわしているのか。
その解釈に必要なのは
「追体験」である。
そして、追体験の能力を養うには
読書がいちばんである。

『幸福』で思い出すのは、
映画『INTO THE WILD』にある
幸福が現実となるのは、
 それを誰かと分かち合ったときだ

というセリフだが、
分かち合えたと感じられるのは
「他人の心境を感じ取る」ことが
できたからこそだ。

最後、こんな言葉で締めている。

人は読書を通して
他人の世界を擬似的に体験し、
そこに自己を移入して
解釈の領野を拡げる。

だから本を読むと、
人は幸せになる能力が高くなるのだ。
たぶん

 

 

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2025年3月30日 (日)

平戸 (4) 全278巻の随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』

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平戸 (4) 全278巻の随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』

- 藩主松浦静山による著作 -

 

前回に引き続き、平戸観光を続けたい。

平戸は、GoogleMapに赤丸で書くと
九州のこのあたり。
Hirado1a

今日も、平戸市中心部を観光したい。
Hirado2a

【オランダ塀】
石段に沿って続く漆喰で塗り固められた
(塗り固められていた?)塀は、
通称オランダ塀と言う。
1609年から1641年までの間、この塀の東側に
オランダ商館が置かれていた。
商館の目隠しと延焼防止が主な目的。
Pb254142s


【松浦史料博物館】
平戸の港を見下ろす高台に
松浦史料博物館がある。
(写真中央の建物)
Pb254150s
鎌倉時代から続き、
平戸をはじめ壱岐をふくむ
長崎県北を治めた
平戸藩主松浦家に伝来した
資料を保存・公開する博物館。

建物は、
明治26年(1893)に
松浦家の私邸として建てられた
「鶴ヶ峯邸」を利用している。

豪華な装飾が施された籠や
Pb254154s
大名婚礼調度品、
キリシタン禁制定書、
日蘭貿易で得た貴重な品々、
などが並んでいるが
個人的に一番惹かれたのはコレ。

【甲子夜話 (かっし やわ)】
甲子夜話は、藩主松浦静山(1760-1841)が、
師の勧めにより、1841年に死去するまでの
20年間にわたり書き綴った
合計278巻におよぶ膨大な著作
長崎県指定文化財
Pb254156s
しかもその対象となった分野は当時の
自然現象、社会風俗、人物、法制、宗教、
外国関係、狐狸妖怪など
まさに広範囲におよんでおり

江戸時代を代表する情報誌、随筆集として
賞賛されている。
写真の通り、文章だけなく挿絵も多い。

大塩平八郎の乱、シーボルト事件、
鼠小僧の活動の様子なども
詳細に記されているという。

学問を奨励し、
学芸大名とも呼ばれた静山。彼は、
「藩校維新館」を開いて
家臣の教育につとめる一方、
「楽歳堂(らくさいどう)文庫」という
博物館も開設。
そこには海外からの
地球儀などの収集品のほか
1万7千冊以上もの本を集め、
収蔵していたという。

教育やコレクションに尽力するだけなく
全278巻におよぶ著作がある藩主松浦静山。

ちなみに、明治天皇とも
こんな間柄になるらしい。
Pb254157s

【平戸ザビエル記念協会】
1931年築。左側にだけ小塔があり、
正面が非対称な外観。
モスグリーンの色にも特徴がある。
Pb254175s

【瑞雲寺】
平戸ザビエル記念教会のすぐ下、
くるっと回って下りてくると
長い塀で囲まれた瑞雲寺がある。
Pb254185s

【寺院と教会の見える風景】
瑞雲寺横から平戸ザビエル記念教会の方を
振り返ると、間にある光明寺も挟んで
こんな景色が。
Pb254188s
平戸市はこれを
「寺院と教会の見える風景」と名付けて
観光標識まで立てて
観光客にアピールしている。

ちなみに、教会とお寺の
実際の位置関係はこんな感じ。
Pb254149s
中央右上が教会で、中央左下がお寺。
左下からお寺を通して教会を見上げることで
「寺院と教会の見える風景」が
成立している。

観光最終日は平戸大橋を渡り
Pb254201s
九州側の平戸瀬戸市場で、
おいしい海鮮丼を食べて、
平戸に別れを告げた。

九州側の平戸瀬戸市場から
平戸方面を臨むと
Pb254204s
左手、山の上に平戸城、
右手に白いオランダ商館
が見える。

最後にオマケとして、
現地で入手した観光ガイドにあった
「平戸ことはじめ」
紹介して平戸の観光記を
終わりにしたいと思う。

新しい文化の入口として栄えた平戸には、
日本初のモノやコトがたくさんある。

例を挙げると
「お茶」「パン」「ビール」
「さつまいも」「ペンキ」「葉タバコ」
「西洋医学」「禅宗」


海外からもたらされたこれらは皆、
平戸から日本中に広がっていった。

 

 

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2025年3月23日 (日)

平戸 (3) オランダ商館の目まぐるしい歴史

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平戸 (3) オランダ商館の目まぐるしい歴史

- 西暦表示があるという理由だけで -

 

前回に引き続き、平戸観光を続けたい。

平戸は、GoogleMapに赤丸で書くと
九州のこのあたり。
Hirado1a

今日は平戸市中心部を観光したい。
Hirado2a

【平戸市 城下町】
江戸時代、松浦(まつら)氏の城下町として
栄えた平戸は、オランダをはじめ、
欧州の国々との交流が盛んに行われた
港町だ。
Pb254200s
今も通りには江戸の街道を思わせる
その風情が残っている。
Pb254108s

うなぎの寝床的と言うのか
町家的と言うのか、
間口が狭く奥行きが深い建物が
通り沿いに並んでいる。
Pb254109s

平戸城と市街地を結ぶ幸橋は
「オランダ橋」とも呼ばれている。
オランダ商館の石造り建築に従事した
石工の技法がいかされたもので
1702年に完成。巨石による半月弧が美しい。
できて300年以上。
今は、国指定の重要文化財になっている。
Pb254193s

ここで名前が登場した「オランダ商館」、
2011年にその一部が復元されている。
オランダ橋から歩ける距離。
ちょっと寄ってみよう。

【オランダ商館】
白い建物が印象的だが、
正確にはこれは商館そのものではなく
「オランダ商館の倉庫」だ。
Pb254139s
今は中が資料館となっており
平戸の歴史を学ぶことができる。
公式のホームページ(HP)はこちら。
平戸オランダ商館

詳しい説明はHPを参照いただくとして
キーとなる歴史上のできごとと
資料館で見た印象的なものを一部
紹介したい。

まずは、関連する歴史を年号とともに
おさえておきたい。

1609年:江戸幕府から貿易を許可された
    東インド会社が平戸に商館を設置
1616年:キリスト教禁教令
1639年:石造り倉庫の建設(現在の復元倉庫)

1640年:倉庫にキリスト生誕にちなむ
    西暦の年号が示されているとして
    全ての建物の破壊が命じられる。
1641年:商館は長崎出島へ移転。
33年間の平戸オランダ商館の歴史に幕】

2011年:1639年築造倉庫の復元工事完成


復元された「オランダ商館の倉庫」は
日本最初の洋風建築物でありながら、
瓦葺の屋根など
随所に日本建築の特徴を見せている。

壁は漆喰になっているのでわかりにくいが
商館の外壁はすべて石積み造り
重さ60kgの石材が2万個以上も使われている。
石積み後に、漆喰が塗られたため
石積みは隠れている。
まさに石造り耐火倉庫だ。

屋根には平瓦や丸瓦など
約2万5千枚が使われている。総重量約50t。

屋台骨となる巨大な柱は約50cm四方。
1階に11本、2階に10本 立ち並んでいる。
樹齢約700年相当
これは館内で確認できる。
ほんとうに立派な柱だ。
Pb254134s

展示物から印象的なものを紹介すると・・・

【ファルク世界地図】
オランダのファルク親子が
1700年に作った世界地図。
オランダから見ての極東が怪しいとはいえ、
ここまで正確に世界を把握していたなんて。
Pb254118s

【外国人之図】
松浦家に伝来した極彩色の絵巻。
イギリス人、ポルトガル人、
スペイン人のほか、アジア諸国の
成人男女及び子供が計43名も
描かれている。
服装含め特徴の捉え方が秀逸。
Pb254120s

【新刻世界地図】
1700年頃に出版された地図帳。
九州の北部には平戸島が確認できる。
漢字で書き込まれた部分は、
長崎のオランダ通詞によるものと
考えられている。
Pb254127s

【こしょろジャガタラ文】
1639年、平戸を出港したブレダ号には
同年発令された外国人取締に関係し
日本から追放された在留オランダ人や
その妻子32人が乗船していた。

この追放された人々から、
日本に送られた手紙をジャガタラ文と
言うらしい。
下の写真は、更紗に記されたもので
「こしょろ」という女性のもの。
Pb254130s

【外科全書】
1627年、フランス外科学の父といわれる
パレが記した外科全書の蘭訳版。
挿図も細かく丁寧に描かれている。
Pb254133s


上に書いた通り、商館としての歴史は
長崎に移るまでの33年しかないし、
復元された1639年築造倉庫に至っては
禁教期、(キリスト生誕にちなむ)
西暦表示があるという理由だけで、
築の翌年1640年に破壊されてしまっている


海外交易とキリスト教の
まさに激動の時代に
重要な役目を演じてきた平戸。

その歴史を知るのに最適な、
大きくはないが、中身の濃い資料館だ。
とにかく展示がどれも見やすいうえに、
説明が簡潔でわかりやすいのがいい。

平戸観光、次回も続けたい。

 

 

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2025年3月16日 (日)

平戸 (2) 松浦(まつら)党と益冨(ますとみ)組

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平戸 (2) 松浦(まつら)党と益冨(ますとみ)組

- 江戸時代最大規模の鯨組 -

 

前回 に引き続き、長崎・平戸観光を続けたい。

平戸は、GoogleMapに赤丸で書くと
九州のこのあたり。
Hirado1a

平戸島から
水色に塗られた生月(いきつき)大橋
Pb244069s
を渡って、お隣の生月島まで来た。
Hirado2b

生月島では、ここに寄った。
【平戸市生月町博物館 島の館】
いわゆる町の博物館で、
「捕鯨」と「かくれキリシタン」が
展示が2大テーマ。
日曜日なのに入場者が数名しかいなかったが、
その展示内容は、期待以上のものだった。

博物館のホームページ(HP)はこちら。
平戸市生月町博物館 島の館

「かくれキリシタン」については、
前回 触れたので、
現地でもらったチラシやメモ、
HPでの解説を参照しながら
今日は、主に「捕鯨」について学びたい。

キーワードは
【松浦(まつら)党】と【益冨(ますとみ)組】


【松浦(まつら)党】
平戸は、日本の対外航路「大洋路」の
中継地として古くから機能していた。
 8世紀初頭:遣唐使船の航路
 9世紀以降:唐や宋の商船が寄港
と長い歴史がある。

陸上交通が発達していなかったころ
海上交通を制することは
特に重要だったわけだが、
そこで活躍していたのが松浦(まつら)党だ。

松浦(まつら)党は、
平安時代から戦国時代に肥前松浦地方で
組織された「海の武士団」。

源平合戦の壇ノ浦の戦い
平家方の水軍の主力となった記録もある。

鎌倉時代の元寇にも応戦。

室町時代には、勘合船貿易の船団を
護衛する水軍として
幕府から認められる存在にもなっている。

その後、戦国時代を経て、波多氏のように
滅亡へと進む一派がある一方、
傍系の平戸松浦氏は、戦国大名として成長。
江戸時代、平戸藩藩主として
存続、活躍を続けることになる。


長い歴史で鍛えられた船造りと操船技術は
のちに登場する、江戸時代の鯨組にも
大きな影響を与えている。

【益冨(ますとみ)組】
江戸時代、ここ生月を中心に、
突取捕鯨により大きな成長を遂げたのが、
益冨(ますとみ)組。

最盛期には3千人以上が働いており、
江戸時代最大規模の鯨組だった。
その利益はものすごく、
江戸の長者番付の上位に記載される
ほどだったという。

享保10(1725)年から明治6(1873)年の
中断期を含む142年間で捕鯨した鯨の数は
2万1千頭。一年あたり150頭を越えている。

捕鯨、そして解体の様子は、
模型を使って詳しく展示されている。
Pb244076s

江戸時代、鯨の利用はおもに鯨油。
灯油として需要だ。
1716年以降、農薬としての利用価値が増大。
稲の豊凶(ほうきょう)は
藩の存亡にも関わるため
九州各藩では、鯨油の備蓄や配布が
行われていた。

鯨肉を食べる習慣は、
旧捕鯨地や大阪を中心とした西日本から。

髭(ひげ)は細工用のバネ
油をとったあとの煎粕(いりかす)や骨粉も
肥料に、など
まさに鯨は余すところなく利用されていた

鯨油を田に散布する様子とそのための道具
Pb244075s

江戸時代最大規模の鯨組がここ生月で
活躍していたなんて、全く知らなかった。
テーマを絞った展示は、
メッセージが伝わりやすくていい。
特に地方の小さい博物館では、
「広く浅く」よりも
「狭く深く」を狙ったほうが、
味のある展示になる。
この博物館は、それに成功している例の
ひとつと言えるのではないだろうか。

ほとんど何も知らなかった
「捕鯨」と「かくれキリシタン」の情報で
頭が溢れてしまったので、
島の館を出たあとは、
生月島の北部まで
のんびりドライブを楽しんだ。

【生月島 塩俵断崖の柱状節理】
溶岩台地の上に玄武岩が重なり、
垂直方向に亀裂が入って
5~7角形の断面を作ることにより、
まさに柱がいくつも立っているような
形に見える柱状節理
南北500m、海面から20mの規模で
続いている。
Pb244099s

ここ塩俵から、
生月大橋付近までの島西側の道は、
「サンセットウェイ」と呼ばれ、
東シナ海に沈む美しい夕陽を眺めながら
ドライブができる絶景ロードとして
知られている。

まさに日没時にドライブしたが、
ほんとうに海と山が美しかった。
多くのCM撮影にも使われたらしいが、
「なるほど」と思えるお薦めロードだ。
が、それを伝えられる
写真の腕がないのがもどかしい。
Pb244102s

長崎・平戸観光、次回も続けたい。

 

 

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2025年3月 9日 (日)

平戸 (1) 潜伏キリシタンとかくれキリシタン

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平戸 (1) 潜伏キリシタンとかくれキリシタン

- 宣教師なしで200年以上の継承 -

 

九州の訪問については、これまでも

【長崎・佐世保】
 九州・佐世保 一日観光

【佐賀・唐津】
 唐津城とまちに残る石垣
 大島小太郎と竹内明太郎
 高橋是清の少年時代 (1)
 高橋是清の少年時代 (2)
 高橋是清の少年時代 (3)
 辰野金吾と曽禰達蔵

などの記事を書いてきた。

今回は、
【長崎・平戸】
を訪問したので記録として残しておきたい。
GoogleMapに赤丸で書くと
九州のこのあたり。
Hirado1a

平戸は、2018年7月
「長崎と天草地方の
 潜伏キリシタン関連遺産」

の構成資産として世界遺産に登録されている。

なお、この世界遺産については
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
にたいへん詳しい説明がある。
リンク先トップページにある
「構成資産から知る」のリンクを含めると
資産ごとの歴史的な側面についても
詳細を学ぶことができる。

なので、それらのページを参考に
現地でのメモも交えながら
訪問地を紹介したい。

まず、平戸を訪問する前に、
絶対におさえておくべき用語を
再確認しておきたい。それは
「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」。

「潜伏キリシタン」
キリスト教禁教期
17~19世紀の日本において、
社会的には普通に生活しながら
ひそかにキリスト教由来の信仰を
続けようとしたキリシタンのこと。

「かくれキリシタン」
キリスト教が解禁となった
19世紀後半以降も引き続き
潜伏キリシタン以来の信仰を
続けた人々のこと。

「禁教期」「解禁」とでてきたので、
年号で振り返ってみよう。

1549 キリスト教が日本に伝来
  【伝来直後の布教期
1614 幕府が全国にキリスト教禁教令を発布
  【禁教期 :潜伏キリシタン
1873 禁教高札撤廃
  【解禁以降:かくれキリシタン

時間幅で捉えると、
伝来直後の布教期が   65年
禁教期が       約260年
そして解禁以降現在まで約150年。

これを基礎知識として、訪問を始めたい。

最初に訪問したのは、平戸島のこのあたり。
Hirado2b

【春日集落】
春日集落の案内所「かたりな」
Pb244052s
に寄って、地元の人たちから
集落の歴史と魅力を聞く。

春日集落は、潜伏キリシタン集落のひとつだ。

禁教期、
「仏壇や神棚にほかに、納戸に
 潜伏キリシタンの信心具(しんじんぐ)
 『納戸神』を隠していたこと」
などが展示されていたり、
関連資料や書籍の展示もあるが、
ここは単なる観光案内所ではない。

地元のお年寄りが
訪問者ひとりひとりに
お茶と地元のお茶請けをだし、
話し相手となって
丁寧にもてなして下さるのだ。

お茶を呑みながら
「おばあちゃんに話を聞く」
といった感じの
ほっこりした時間を過ごすことができる。

独特な別時間が流れている
なんとも不思議な案内所だ。


「かたりな」で教えてもらったルートに従い
棚田を見に「丸尾山」に行く。

「丸尾山」に登ると
美しい棚田が一気に目の前に広がる。
Pb244058s

山頂には、キリシタン墓地の遺構がある。
元は十字架が立てられていたが
キリスト教への弾圧が厳しくなっていった
1599年以降に取り壊された、
との説明が横にある。
先人も
景色のいいところに葬りたかったのだろう。
Pb244065s

それにしても、美しい棚田を見るためには
近くまで行って、丸尾山に登るしかない。
ところが、
丸尾山に登るために車を置くための駐車場が
用意されていない。
「かたりな」でも、
「駐車場がないので道路脇に停めて下さい」
と言われたが、
道路脇に停められるのはせいぜい3台だ。
Pb244053s
私が訪問したとき(11月の日曜日)は
運良く停められたが、道幅も狭いままだし、
観光客が増えることは
現段階では全く想定していないようだ。

棚田を見たあとは平戸島から生月島に渡る。
ふたつの島を結んでいるのは青い生月大橋。
この生月、「いきつき」と読む。
Pb244069s

生月島の東側海岸沿いを走ると
沖には「中江ノ島」が見える。(写真左)
Pb244072s
長さ400m、幅50m程度の無人島だが、
この島では、
禁教初期にキリシタンの処刑が行われた。

春日集落の潜伏キリシタンは、
中江ノ島を殉教地として拝み、
聖水を汲む「お水取り」の行事を行う
聖地として守ってきている。


潜伏キリシタンとかくれキリシタンの
関連遺産とその解説を
この後も平戸市内では
何度も目にすることになるが、
ひと通り見たあと、歴史素人である私に
特に強く印象に残ったのは次の2点だ。

(1) 宣教師なしで200年以上の継承
上に書いた通り、
1614 幕府が全国にキリスト教禁教令を発布
のあと、
1644 最後の宣教師が殉教し、国内不在に
で、
1873 禁教高札撤廃(事実上キリスト教解禁)

禁教期、1644年から200年以上もの間、
国内にはキリスト教の宣教師は
公的にはひとりもいなかったのだ。
にもかかわらず、その間、潜伏キリシタンは
密かに信仰を繋いできている。

しかも、勝手に土着的な信仰と
混ぜ合わせてしまったりも
していないらしい。

この後訪問する「島の館」にあった
信仰の変容に関しての解説を
2点目としてそのまま引用したい。

(2) 信仰の変容なし
   (引用ここから)
かくれキリシタン信仰は、
従来言われてきたように、
宣教師がいなかった潜伏キリシタンが
勝手に土着的な信仰を
キリシタン信仰と混ぜ合わせて
変容させたものではありません


潜伏キリシタン·かくれキリシタン信者は、
かくれキリシタン信仰と、仏教、神道を、
別個に信仰しながら並存させる
「多信仰」の形を取っていますが、
そのなかのかくれキリシタン信仰は、
宣教師がいた頃のキリシタンの信仰形態を
殆ど変えずに継承していました

   (引用ここまで)

宣教師なくして200年以上!
しかも世の中は弾圧の厳しい禁教時代!
なのにその内容に変容なし。
歴史には驚かされることがいっぱいだ。

平戸観光、次回も続けたい。

 

 

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2025年3月 2日 (日)

落合川 (2) 遡行

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落合川 (2) 遡行

- 上流端に水源は見当たらず -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の機能をフル活用し、
低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりに注目し
Kuromegawakousei
に見られる大きく削られた二本のノの右側、
黒目川を川に沿って歩き、
その様子を
ここ から6回に分けて
書いてきたが、
黒目川には、「落合川」という支流がある。

下図、GoogleMap上に示すと
長い青い線 約17kmが 黒目川で
短い黄色い線 約4kmが、落合川となる。
Kuromeochiaij_20250302095401

前回、黒目川との合流地点(紫矢印)から
落合川に沿って遡行、深緑矢印まで来たので
今日はそこから上流端(赤紫矢印)までを
歩いてみたい。
Ochiaiall1s_20250302112301

「立野ニの橋」の上流、
ここもかなりの急角度。
Pc084414s

「老松橋」の近くには、
東久留米市指定文化財の
「常夜灯」と「庚申塔」がある。
Pc084417s
丁寧な説明が添えてある。

右側の庚申塔は、宝暦7年(1757)の造立で
「南保谷村、田無村道、西前沢道、東清戸道」
の銘文があり、道標をかねていたらしい。

左側の常夜灯は、文化元年(1804)造立。
どちらも200年以上も前のものだ。

落合川いこいの水辺、と言われるあたり。
Pc084420s
コンクリートで固められていない
緑豊かな川辺で、
飲食を楽しんでいる人達もいる。
Pc084422s

南沢水辺公園(写真左)まで来た。
Pc084425s

南沢氷川神社の奥、
南沢緑地保全地域あたりまで行くと、
森の中に豊かな湧水を
見ることができる。
Pc084434s
ほんとうに、黒目川、落合川流域には
湧水ポイントが多い。

落合川のもう少し上流には、
GoogleMapで見ると、元の流れとの関係か
川中島(中洲)的エリアもある。
Ochiaisu1
上の赤丸、大黒橋付近の合流点は
こんな様子。護岸壁面の高さが
増水時の危険度を感じさせる。
Pc084440s

水の流れがかなり細くなってきた。
Pc084444s

GoogleMapの赤丸
Ochiaisu2
ここも
「元流路」(左口)と「現流路」(右)の
合流点と思われるところ。
Pc084447s

いよいよ水の流れはごくごく一部に。
Pc084451s
川幅は確保されているものの、
緑に覆われていて川というより
緑地帯といった感じ。
Pc084455s

そしてついにこれとご対面。
Pc084466s
「落合川 上流端」
川下方向に写真と撮ると
Pc084461s

水は流れていないが、その先
もう少し歩いてみよう。
100mも歩かないうちに
完全に川は消えてしまって、かつ
行き止まり。
Pc084462s

水源とは言いにくいので、
落合川の始点とでも呼ばせてもらおう。
Pc084463s

始点から下流側を見るとこんな感じ。
Pc084464s

約4kmと短いものの、
黒目川との合流点から上流端(始点)まで、
落合川を遡行することができた。

帰りは、ビールで乾杯すべく、
のんびり東久留米の駅を目指した。

途中、こんな掲示板が。
Pc084467s
「黒目川雨水幹線」と
「落合川雨水幹線」
地下6mに、太さ3mの下水道管が埋まっていて
大雨が降った時に備えているらしい。

逆に言うと、下水対策がないと
水浸しになる地域ということなのだろう。

あれだけの豊かな湧水に加えて、
これだけの広いエリア(水色部)の雨水が
一気に黒目川と落合川に流れ込むのだから、
あちこちで見た嵩上げも理解できる。

日没時刻に迫ったころ
富士山のシルエットが飛び込んできた。

六仙公園から見えた富士山。
Pc084473s
東久留米駅から
「まろにえ富士見通り」の真正面に見えた
夕日の富士山。
Pc084482s
いつでも、どこでも、見えると
思わず立ち止まってしまう
不思議な山だ。

黒目川 6回、
落合川 2回になった川歩き記。
今回で了。
長いおつきあいありがとうございました。

 

 

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