ヒップホップ文化における評価軸
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ヒップホップ文化における評価軸
- 誰と何を争っているのか -
雑誌「世界思想」の2025年春号
に掲載されている
「ヒップホップ文化は、争いつつ争わない」
は、文筆家のつやちゃんが
ヒップホップ文化における「争い」を
論じたものだが、
いくつか印象に残るキーワードがあったので、
メモとして残しておきたい。
ラッパーがスキルを競う
MCバトルについてこう書いている。
最も重要な要因は、
どれだけ観客が
「このラッパーの勝ちを見たい」と
思うかなのだ。
社会からはじかれた者たちが
マイク1本で成り上がっていく競争の中で
という夢にベットする(=賭ける)のが
このカルチャーに住むオーディエンスの
無自覚的な欲求
らしい。
夢にベットする(=賭ける)とは
まさに夢のある表現だ。
著者のつやちゃんは、
MCバトルを含むヒップホップ文化における
戦いには「三層の戦いがある」と
解説を続けている。
これはいわゆる「Battle」であろう。
また、
ラッパーはルーツや価値観を見つめ直し
ラップする過程で
自分自身と戦いもするが、
これは「Struggle」と表現される。
そして、
そのようなラッパーたちを見て
ベットしたオーディエンス同士が
派閥としてぶつかり合う戦いは
「Conflict」が近いだろうか。
これら中心部から波状に広がる
Struggle → Battle → Conflict
という三層の戦いがヒップホップに
息づいている。
この中で、
Struggleにのみ他者性の介在が弱いことが
注目点だ。
ヒップホップという
カルチャーにおいては、
オーディエンスからの
リスペクトの蓄積と
未来にベットする欲望が
絡み合うことでの合意形成が
評価軸を決定づけている。
戦いというと、通常、
他者とのBattleが注目されがちだが、
それのみが評価対象ではない、
ということらしい。
「自分自身との」Struggleであり、
それをジャッジするオーディエンスも、
Struggleの観察を通して
ラッパーやダンサーの未来に
夢を託しているからなのだ。
誰と争っているのか、
何を争っているのか、
Battleのみに注目することなく
争いの質にも目を遣りたい。
もがき這い上がる
Struggleの精神さえあれば、
醜い争いには堕さない。
オリンピック種目となった「ブレイキン」は
スポーツの競技として
それ自体が目的となってしまったが、
カルチャーとしてのブレイキンは手段で、
そもそもは
リスペクトに価値が置かれているものらしい。
ヒップホップ文化を見るとき、
まさに題名にある
「争いつつ争わない」の価値を、美学を
Struggle → Battle → Conflict
の3層を思い出しながら考えてみたい。
でもそれは、ヒップホップでの「争い」に
限らない視点でもある。
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