黒目川 (5) 下行

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黒目川 (5) 下行

- 「くるめ」は元「来梅」? -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の機能をフル活用し、
低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりに注目すると
Kuromegawakousei
大きく削られた二本のノの字が見える。
左側が柳瀬川で、右側が黒目川によるもの。

黒目川の方を
新河岸川との合流地点から
遡行してみよう、と
Kuromeday4abj
その様子を
(1) 赤矢印から茶矢印
(2) 茶矢印から紫矢印
(3) 紫矢印から深緑矢印
(4) 深緑矢印から赤紫矢印
と書いて来た。

赤紫矢印地点で一日目終了と
なってしまったので、
黄矢印 <=> 赤紫矢印 間が
未踏(?)部分として残ってしまっている。
というわけで残りの部分を踏破すべく
日を改めてトライした。
(ちなみに、黒目川全体の始点終点を示すと
 最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
 最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印
 となり、全長で約17kmとなる)

今回は、水源となる黄矢印から
流れに沿って歩くことにした。
つまり、遡行ではなく下行

まずは、西武新宿線「小平駅」から
小平霊園を目指す。

大きな霊園の手前には、墓石を中心に
歴史を感じさせる石材店が並んでいる。
Pc084229s

小平霊園は
小平市、東村山市、東久留米市、三市に
またがる面積約65ヘクタールという
まさに広大な霊園だ。
お墓の近くまで
車で移動することを前提としているのか
園内の道路が整備されている一方、
霊園としてのまとまった駐車場はない。
Pc084232s

小平霊園の一角に
黒目川の水源と呼ばれる「さいかち窪」が
ある。
入口には、
「樹木や草類、園路等の管理について
 必要以上の手を加えておりません。
 散策される際には、
 足元や頭上に注意の上、
 お歩き下さい」
の注意書きがある。

その中には
サバイバルゲームはお止め下さい
なる文言まである。
Pc084234s

いかにも水源といった感じの雰囲気に
包まれ、湧き出した水の流れるルートが
落ち葉に覆われながらも確保されている
「さいかち窪」だが、
2024年12月8日時点では
残念ながら乾いており、
水を確認することはできなかった。
Pc084240s

北側の新青梅街道から眺める
「さいかち窪」エリアの豊かな緑。
12月上旬ゆえ色づいてはいるが。
Pc084244s

新青梅街道の下をくぐって
黒目川が始まる。
Pc084245s
湧水があるのか、一部
水たまりのようになっている部分もあるが、
まとまった流れにはなっていない。
Pc084252s
落ち葉に覆われた、
細い水路が続く。

200mほど歩くと
いつのまにか水がまとまってきた。
Pc084256s
近くには小さな天神社があり、
お参りもできる。
Pc084271s

ここには
「東京の名湧水57選」の掲示も。
57選とは。ずいぶん中途半端な数字だが
なにか特別に意味があるのだろうか?
Pc084272s
ちなみにこの少し手前には
越処橋」という名前の橋がある。
さてなんと読むのだろう?
こいちょばし」が正解のようだ。

いつのまにか水が増え
だんだん川らしくなってきた。
整備された遊歩道が続く。
Pc084283s

Pc084292s
第十小学校そば、の「来梅橋」。
くるめばし」と読む。
途中の天神社に
「柳窪(やなぎくぼ)梅林の碑」があるが
そこに「来梅(くるめ)川」という名が
記されているらしい。

東久留米市教育委員会は
「現在の地形を考えるうえで
 貴重な資料となっています」
なる説明掲示板を碑に添えていた。

「くるめ」は元「来梅」?

Pc084295s
写真は2024年12月8日のものだが、
24年は猛暑だったせいか?
紅葉もずいぶん遅かった気がする。
Pc084306s
イチョウもまだ葉が落ちていない。

Pc084323s
それでも、赤や黄の葉は、
冬の柔らかい陽射しと重なって
ほんとうに美しい。

Kuromeday6j
水源部である黄矢印から
緑矢印部まで黒目川を下行して来た。

次回は黒目川最終回。
緑矢印から赤紫矢印までを歩き
黒目川完全踏破としたい。

 

 

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2025年2月 2日 (日)

黒目川 (4) 遡行

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黒目川 (4) 遡行

- 妙音沢のネーミングの妙 -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の機能をフル活用し、
低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりに注目すると
Kuromegawakousei
大きく削られた二本のノの字が見える。
左側が柳瀬川で、右側が黒目川によるもの。

黒目川の方を
新河岸川との合流地点から
遡行してみよう、と
Kuromeday3abj
その様子を
(1) 赤矢印から茶矢印
(2) 茶矢印から紫矢印
(3) 紫矢印から深緑矢印
に書いて来た。

4回目の今日は、深緑矢印
埼玉県新座市馬場あたりから始めたい。
(ちなみに、黒目川全体の始点終点を示すと
 最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
 最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印
 となり、全長で約17kmとなる)

【市場坂橋】
斜張橋(しゃちょうきょう)
言っていいのだろうか、
主塔から斜めに張られた複数のケーブルが
見える。
黒目川では初めて見るタイプの橋だ。
Pa273955s

【妙音沢】
市場坂橋を越えたすぐのところには
「妙音沢」と呼ばれる
斜面林が広がっている。
下の写真のような木道が整備されているので
林の中にも簡単にアクセスできる。

奥には水量豊かな「湧水源」があり、
大沢、小沢と呼ばれる流れを
作り出している。
Pa273964s
水源に寄って見るとその湧水量に驚く。
湧水のみで、この小川だ。
Pa273965s
環境省が所管する「平成の名水百選」にも
選定されている。

「妙音沢(みょうおんさわ)」という
ネーミングは、江戸時代の
「ここで弁天様が
 琵琶の秘曲を授けた」という伝説が
関係していると思われるが、
豊かな湧水が作り出す小川のせせらぎを
聞いていると、
なんともうまい名前をつけたものだ、と
感心する。

妙音沢の湧水と黒目川の合流地点。
湧水は、手前から奥に流れ、
左から右に流れる黒目川に注ぎ込んでいる。
Pa273972s

湧水の合流地点から
市場坂橋を振り返るとこんな感じ。
Pa273971s

妙音沢から先も
緑豊かな岸が続く。
Pa273976s

写真ではわかりにくいが、
向こう岸のまさに側面(そくめん)からも
水が湧き出て、川に流れ落ちている。
黒目川、いったいどれほどの湧水に
囲まれているのだろう。
Pa273989s

緩やかなカーブが美しい。
Pa273992s

落合川との合流地点まで来た。
左側が落合川、右側が黒目川。
奥から手前に流れている。
Pa274001s
黒目川に沿って歩くと、
落合川との合流地点のやや上流に
こんな大きな流水口が広がっていた。
黒目橋調節池の越流堤だ。
99mもあるらしい。
Pa274006s
この地下箱式の調節池は、
黒目川と落合川の合流点という
立地条件を生かし、両河川からの
洪水を取り込めるようになっている。

調節池の上部は、
東久留米市スポーツセンターや
公園として利用されている。


黒目川の遡行、一日目は
東久留米の神山大橋(赤紫矢印)までで、
日没タイムアウトとなった。
Kuromeday4abj
記事は4回に分けて書いたが、
一日で赤矢印から赤紫矢印までを
旧川越街道への寄り道も含め、
ぶらぶらと歩いたことになる。

丸一日歩いた心地よい疲労感が
ビールを呼んでいる。
店を探しながら
神山大橋から浄牧院通りを
西武池袋線東久留米駅のほうに向かって
歩いていると、
古い公務員住宅が見えた。
耐震補強工事をしたようだが、
こんな感じ。
Pa274007s
構造計算に基づくものだろうが、
補強部分がこんなに非対称になることも
ある、ということなのだろうか。

少し先には、浄牧院の山門がある。
Pa274008s
通りに対する門の角度がヘンなのだが
この写真ではわかりにくいので、
GoogleMapに助けてもらおう。

山門は黄色の◎の位置。
赤い線が大通り(浄牧院通り)になっており
青い線が門からの参道。
Higashikurumejoubokuinj
参道と大通りの交わりが
レの字になってしまっているのは、
大通りが参道を横切る形で
あとから造られたものだからか? と
思われるが、参道を延長してみても
参道だったと思われる道は
いまやごくわずかしか発見できない。

さてさて、黒目川
赤矢印から赤紫矢印までは歩いたが、
その先、水源の黄矢印まで
(赤紫矢印 <=> 黄矢印 間) は
未踏(?)のまま。
Kuromeday4abj
なんとも中途半端な感じで気持ち悪いので
日を改めて完全踏破を目指すことにした。

 

 

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2025年1月26日 (日)

黒目川 (3) 遡行

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黒目川 (3) 遡行

- 旧川越街道と市境 -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の機能をフル活用し、
低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりに注目すると
Kuromegawakousei
大きく削られた二本のノの字が見える。
左側が柳瀬川で、右側が黒目川によるもの。

黒目川の方を
新河岸川との合流地点から
遡行してみよう、と
Kuromeday2j
その様子を
(1) 赤矢印から茶矢印
(2) 茶矢印から紫矢印
に書いて来た。

3回目の今日は、紫矢印
埼玉県 朝霞市 膝折(ひざおり)町
あたりから始めたい。
(ちなみに、黒目川全体の始点終点を示すと
 最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
 最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印
 となり、全長で約17kmとなる)

これまで、
まさに黒目川に沿って遡行してきたわけだが、
ここでちょっと黒目川を離れ
旧川越街道沿いを歩いてみよう、と
いうことになった。

川沿いから旧街道沿いに、の
浮気(?) のきっかけはこの本。

昭文社 旅行ガイドブック
 編集部 (編集), 吉村 忠 (監修)
埼玉スリバチの達人

(高低差散策を楽しむバイブル)
昭文社

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

NHKの番組「ブラタモリ」の影響か
本屋では高低差をネタにした本を
よく見かけるようになった。
これもその一冊。

まずはこの膝折(ひざおり)という
名前の由来から教えてもらおう。

奇妙な地名の由来は
「小栗小次郎なる者が
 名馬鬼鹿毛で逃げてきたが、
 この地で膝を折って死んだ」
という話による。

膝が折れたのは人でなく馬だ。
東武東上線の朝霞駅は
かつて膝折駅だったが
1932年に改称されている。

14世紀、南北朝時代の戦乱で
高麗から来た5人の家臣が落人として
この地にたどりつき、原野を切り開いた、
との伝承が近くの一乗院にはあるらしい。

室町時代には記録もあるとのことだが、
いずれにせよ、江戸時代よりも
ずっと前から開けた場所
だったようだ。

【高麗家(こまけ)住宅 膝折宿 脇本陣】
Pa273931s
旅寵の建築様式を残す建物は
18世紀末のものと考えられているが、
内部は公開されていない。

【膝折宿 本陣牛山家があった場所】
Pa273929s
江戸時代に幕府が整備した宿場町は、
大名や天皇の勅使などが宿泊する
本陣と脇本陣がある。
本陣は土地の名主が務め、
膝折宿は牛山家

明治以降は政府に協力して建物が
郵便局になっているケースが多い

写真を撮ったのは2024年10月27日。
確かに郵便局の面影はあるが、
「局舎の老朽化に伴い
 2024年10月26日から閉鎖」
の張り紙があり、まさに閉鎖された直後。
元・膝折郵便局と呼ぶのが正確か。
ちなみに、左隣の門の表札には
しっかり「牛山」とある。

ところで上記の本の他に、
立教大学と武蔵野銀行が
産学連携により制作した
「ぶらって朝霞 朝霞の坂」まち歩きMAP
という小冊子も2024年10月に完成している。
Asakanosakas
表紙には
「本紙の情報は
 学生の取材や主観に基づくもので、
 必ずしも正確ではありません」
とあるが、
学生さんの主観も一緒に楽しみながら
いくつか坂を見てみよう。
(以下緑色部は冊子からの引用)

【かせぎ坂】
Pa273934s
車の後ろ押し専門の人夫がいて
駄賃を稼いだといわれるほどの急坂。

現在は急勾配がわかるのは
坂の上あたりのみになっている。

傾斜を
横から見ることができる坂はレア!
分度器で測ってみてはいかが?

この部分だけでも確かに急坂で
荷車の後ろを押して駄賃を稼いだ、は
容易に想像できる。

坂の上には
「膝折不動尊」が祀られている。
Pa273935s

【卵塔(ラントゥ) 坂】
Pa273940s
卵塔とは台座上に卵型の塔身をのせた、
禅僧に多く用いられた墓石のこと

路地裏に潜む坂、通学する中高生・・・
よみがえる青春の記憶と
この先にある青春の予感。
みんなの青春を重ねていこう!

確かに青春と坂道はなぜか絵になる。
坂の下には一乗院という寺院と墓所がある。

 

さてさて、坂道も堪能できたので、
旧川越街道への寄り道から
黒目川の遡行に戻ろう。

国道254号線と交わるあたりから、
上流を見るとこんな感じ。
Pa273941s

蛇籠による護岸部分もある。
Pa273943s

相変わらず流れは速く、
サギの仲間か白い鳥もいる。
Pa273945s

樋管も多く、
あちこちから流れ込んでいる。
水門がないと逆流も心配だが。
Pa273946s

【複雑な市の境界線】
ところで、このあたりは、
新座市と朝霞市の市境となる。
Mapionの地図で境界線を見てみよう。
Niizaasakasakaikurome
中央縦の緑帯が黒目川。
赤い線が市の境界線。
(左が新座市、右が朝霞市)

いったいどうしてこんな複雑な曲線と
なってしまったのだろう。

Pa273948s

川越街道やら坂道やらに寄り道しながら
紫矢印から深緑矢印まで歩いてきた3回目。
Kuromeday3j
黒目川歩きの見どころのひとつ、
妙音沢までもう少しだ。

黒目川遡行、次回も続けたい。

 

 

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2025年1月19日 (日)

黒目川 (2) 遡行

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黒目川 (2) 遡行

- 崖線と急流 -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の機能をフル活用し、
低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりに注目すると
Kuromegawakousei
大きく削られた二本のノの字が見える。
左側が柳瀬川で、右側が黒目川によるもの。

右側の黒目川の側を
新河岸川との合流地点から
遡行を始めたのが 前回
赤矢印から茶矢印まで来たので、
Kuromeday2j
第2回目の今日は、
茶矢印から紫矢印までの遡行について
記録しておきたい。

ちなみに、黒目川全体の始点終点を示すと
最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印
となり、全長で約17kmとなる。

というわけで、
前回の続き、茶矢印の位置、
黒目川が東武東上線と交わる直前、
浜崎黒目橋あたりから始めたい。
Pa273898s

東武東上線をくぐると
並木に沿った道が続く。
桜の季節には賑わうことだろう。
Pa273901s

【崖線】
ところで、本ページ最初の高低図を
少し拡大して、
現黒目川の流域を赤の線で描くと、
こんな感じ。
Kuromegawakoutei1j
今は赤線の部分を流れているが、
過去、川が大きく暴れていたことが
削られた幅を見るとよくわかる。
川から見ると、崖が左側に現れたり、
場所によっては右側に現れたり、
今の流域からは少し離れていたり、
ほんとうに変化に富んでいる。

こんな感じで
Pa273913s
西側の川岸が続いているが、
よく見ると、崖線として
川から少し離れた部分が
かなり高くなっていることがよくわかる。
Pa273915s

下の写真、ちょっと見にくいが
正面中央の真っ直ぐに伸びる
長い階段がまさにその高さを物語っている。
Pa273914s

川岸から少し離れた建物が
どこから建っているのか、
つまり一階部分がどの高さにあるのか、に
注目しながらの川歩きが続く。
Pa273910s
崖線見学、といった感じの川歩きだ。
Pa273919s

【急流】
崖線と共に、歩いていて目に付くのは
「音を立てて流れる」急な流れだ。
それだけ急勾配ということなのだろう。

白く波を立てて流れている部分もある。
Pa273903s
Pa273918s
これらの音、どんな日本語で表現するのが
適切なのだろう?
語彙が貧弱で、いい言葉が浮かばない。
「せせらぐ」「せせらぎ」は
どうもfitしない気がするのだが。
Pa273920s
Pa273922s

【新高橋】
「Shintaka Brdg.」との表記がある新高橋。
高橋姓がポピュラーなせいか
「新=高橋」が最初に浮かんでしまうが、
もちろん正しくは「新高=橋」。
この橋、車道の両側に歩道用の橋が2本、
計3本の独立した橋が、
同じ位置に掛かっている。
(加えて水道橋も)

地上からの写真ではわかりにくいので、
Googleマップの航空写真に
助けてもらおう。
Shintakahashi
左から歩道、車道、水道、歩道。

地上から写真を撮るとこんな感じ。
Pa273909s
Pa273908s
なぜこんな贅沢な構成になったのだろう?

【アユを増やそう】
「年ねん減少する天然アユの増殖のため、
 アユが産卵した卵が、
 ふ化しやすいしやすい環境づくりです」
なる説明があり、アユを増やすための活動が
予告されているが、
最終的には 「無料アユの塩焼き 200尾」が
振る舞われるようだ。

ブラックジョークか、とツッコみたくなる。
Pa273917s

【河川敷占用許可標識】
川歩きをしているとよくみかける
河川敷占用許可標識だが、
Pa273905s
よく見ると「許可の目的」が
垂れ桜2本・藤4本・つつじ・・・」
になっている。
2本、4本と、なんとも細かい。
形式の堅苦しさと中身のアンバランスが
妙におもしろい。

茶矢印から歩いて、
紫矢印まで来た。
Kuromeday2j

黒目川遡行、次回も続けたい。

 

 

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2025年1月12日 (日)

黒目川 (1) 遡行

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黒目川 (1) 遡行

- 古墳に寄り道してからのスタート -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の案内に従うと、標高を色分けした地図を
誰でも簡単に作ることができる。

色ごとに標高値の細かい設定が
自由にできるので、設定を変えるたびに
地形の様々な姿が色で浮かび上がり、
何時間でも遊べてしまう。

低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりを
中心に見てみると、
大きく削られている二筋がはっきりわかる。

武蔵野台地の東端になるが、
まさに河岸段丘による崖線だ。
Kuromegawakousei
二本見えるノの字、
左側が柳瀬川によるもの、そして
右側が黒目川によるものだ。

というわけで、今回はこの黒目川の方を
歩いてみよう、ということになった。

黒目川は、東京都の
小平霊園内「さいかち窪」を水源とし、
埼玉県朝霞市で新河岸川に合流する
約17kmの川。
Kuromeday1j
最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印

第1回目の今日は、
赤矢印から茶矢印の遡行について
記録しておきたい。

まずは最下流、
新河岸川との合流地点を目指す。

いつもの川歩きメンバで集まり、
JR武蔵野線 北朝霞駅より、
朝霞市コミュニティバスわくわく号に乗った。

今回は、合流地点に行く前に、
ちょっと寄り道をすることにした。
バス停「第二小学校」で下車。

【一夜塚古墳】
現在の朝霞第二小学校の
敷地内に位置するため
校内までは入れないが、
「一夜塚古跡保存会」による掲示板が
校外からも読める位置に立っている。

「朝霞第二小学校児童の皆さん、
 この小学校は今から1500年程前に
 この地方を治めていた
 豪族のお墓だったといわれる
 一夜塚古墳跡に建っています
・・・」

「この小学校は元お墓」、小学生なら
それだけでかなり盛り上がれそうだ。

そこから歩いて2分ほどのところには、
こんな案内図があり
Pa273847s
【柊塚(ひいらぎづか)古墳】
がある。
案内図の左下丸くなっている緑の部分は、
前方後円墳の円墳の部分だ。

後円部の径48m。
この円墳部分を含め今は整備された
歴史広場という公園になっている。
Pa273849s
中には、古墳の復元模型とともに
朝霞市教育委員会による
Pa273851s
「柊塚古墳は、黒目川を臨む
 武蔵野台地の東端に位置し、
 今から約1500年前に造られた
 有力者の墓
です。

 古墳の形は前方後円墳で、
 前方部の墳丘は
 後世の耕作などにより削られていますが、
 後円部の墳丘は、
 よく保存されています」

という丁寧な説明もある。

かつては、周辺に一夜塚古墳をはじめ、
多くの古墳が造られ、柊塚古墳を中心に
根岸古墳群を形成していたらしい。

まさに武蔵野台地の東端、
ここから川に向かって一気に下るが
古墳は高台にあり、
埼玉の大宮、浦和方面を臨むと
さいたま新都心の高層ビル群も小さく見える。
Pa273854s

古墳への寄り道はここまで。

そこから黒目川と新河岸川の
合流地点までは歩いて10分ほどだ。

途中、川岸を見ると、
二ヶ領用水の時も見た
蛇籠が護岸に使われている。
Pa273861s

川沿いの一部は、2024年10月27日時点で、
キバナコスモスをはじめコスモス満開で
ほんとうに美しい。
Pa273870s

合流点までやってきた。
Pa273874s
左側が新河岸川で、右側が黒目川。
手前から奥に流れている。
ちょっとわかりにくいので、
Googleマップの衛星写真に助けてもらおう。
Kuromegoryuu
川は左から右(⇒)に流れており、
上が新河岸川、下が黒目川、
合流点の写真は、Y字の股の先端から
下流方向を撮ったものだ。
上流方向にV字に見える細い道と
黒目川を見ると
Pa273873s
こんな感じだし、
まさにV字の道をセンターから見ると
Pa273872s
こんな感じ。
ここを黒目川最下流のスタート地点として、
ゆっくり遡行することにした。

黒目川の最も下流、
最初に出合う橋が東(あずま)橋
Pa273878s
ここには大きな水道管(水色)が
並行して走っており、
水道橋にもなっている。
これは荒川で取水した水を
都内の浄水場に送る導水管らしく、
そう聞くと、立ったまま人が歩けるほどの
巨大とも思える太さも頷ける。
Pa273880s
帰ってから調べてみると
(1) 埼玉県朝霞市にある
  東京都水道局の朝霞浄水場 から
(2) 東京都板橋区にある
  東京都水道局の三園浄水場 まで
の導水管らしい。

試しに(1)と(2)の浄水場間を
直線で結んでみると
まさに東橋の部分を通過している。
Kuromejousuis
水道橋以外の管の敷設位置はわからないが、
最短経路の一部であることは
間違いなさそうだ。
それにしても(1)、
東京都水道局の浄水場が埼玉にあるなんて。

途中、コサギかダイサギか
白い鳥をよく目にする。
Pa273886s

黒目川には付近の多くの水が流れ込むのか
こういった樋管(ひかん)
両側の土手に数多くある。
Pa273889s
よく見ると、
「きけん・ひなん」
「ちゅうい」「たいき」と
水位を測るゲージまでついている。

もちろん、黒目川の水位上昇時
逆流しないよう樋管として仕組みも
ガッチリ万全だ。
Pa273890s

水位のゲージはあちこちにある。
Pa273887s

下の地図、赤矢印から茶矢印まで、
Kuromeday1j
まだ河口から2km程度しか来ていないが、
黒目川遡行、次回も続けたい。

 

 

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2025年1月 5日 (日)

どんな読み方も黙って受け入れる

(全体の目次はこちら


どんな読み方も黙って受け入れる

- 読み手を否定しない -

 

いまや貴重な存在になってしまった
「大きな書店」のカウンタ横にあった
小冊子
100demeichotekefrees
の中から、最後にもうひとつ、

小川洋子(小説家)
人生の豊かさを示す秤


にある言葉を紹介したい。
(以下、水色部は小冊子からの引用)

本の再読に関して、
小川さんはこう書いている。

本そのものは一字も変わっていない
同じ姿でそこにあり続ける。
にもかかわらず、
読み手の心持ちの違いによって、
いかようにも変化してゆく。

見えなかった風景が浮かび上がり、
記憶から消えていた登場人物に
親愛の情がわき、
小さなシーンが持つ特別な意味に
気づかされる。

本当に同じ本だろうか、
と信じられない思いにとらわれる。
神秘的な体験ですらある。

ほんとうに神秘的で不思議な体験だ。
中身はよくわかっているつもりだし、
相手(本)は何一つ変わっていないのに
好きな本を読み返すと
いつも新しい発見があり、
新鮮な気持ちになる。  

読み方の変化は、自分自身の
人間性の変化につながっている。

自分の人生がどういう場所に
向かおうとしているのか、
本が教えてくれる。

そして本は決して、
読み手を否定しない。

どんな読み方をされても、
黙って受けとめる


移り変わってゆく読み手に、
辛抱強く寄り添ってくれる。

「一文字も変わっていない」
「決して否定しない」
「黙って受け止める」
うまい表現だし、本が人なら
これこそがまさに圧倒的な性格と
言えると思うが、
いい本に出会うと、なぜかその本と
対話できるような気がするのはなぜだろう。

こちらの問いかけに、実際には
本は何も返してくれてはいないのに。

 

 

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2024年12月29日 (日)

付箋を貼りながらの読書

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付箋を貼りながらの読書

- どうして貼ったの? -

 

いまや貴重な存在になってしまった
「大きな書店」のカウンタ横にあった
小冊子
100demeichotekefrees
を読んでいたら、

武田砂鉄(ライター)
名著化するかもしれない


で、思わず手が止まった。
(以下、水色部は小冊子からの引用)

どんな本でも付箋を用意して
あちこちに貼りながら読んでいる。

とあったからだ。

私もまさに同じ方法で読んでいる。
線を引いたり、ページを折ったり、
後で気になった箇所を読み返す方法は
ほんとうにいろいろ試してみたが、
最終的に今はこの方法に落ち着いている。

百均で買った付箋をさらに細く切って
ちょっとでも引っかかった行があれば
あまり考えずにサクサクと貼っていく。

なので、並べるとこんな感じだ。

S__2875406s 

「こんなに貼ったら探せないでしょ」
と友人は半ば呆れ顔で笑っているが
本人はぜんぜん気にしていない。
栞の紙に、小付箋をまとめて貼ってあるので
読みながらそこから剥がして貼ると、
読むペースを大きく乱さないですむ。

本棚を眺め、
久しぶりに引っこ抜いた本にも
付箋がついている。

フレーズが刺さったのかもしれないし、
論理展開に領いたのかもしれない。

付箋をつけた箇所を開いてみると、
その半数近くで、
つけた意味が読み取れない


このフレーズ、そんなに響かないし、
論理展開だって平凡だ。
でも、その時は、
間違いなくその箇所に心が動いた
のだ。

まったくそう。
読んだ直後はともかく、時間が経つと
「どうして貼ったのか」が
思い出せない行がほんとうに多い。

でも、まさに
「その時は、間違いなくその箇所に
 心が動いたのだ」

人間の考えは変わる。
ならば、
名著が名著じゃなくなるかも
しれないし、
逆に名著になって
戻ってくるかもしれない。

時代がその本を
名著にするかもしれないし、
むしろ、この時代にこれはどうかな、と
遠ざけるかもしれない。

本、音楽、映画、全てに共通するが、
名作には流動性がある
だって、こっちが変わるから。

変わったこっちが読めば、
味わい方だって変わるはずなのだ。

確かに自分にとっての本の価値は
「その時の自分」との組合せにおいて
決まっていくし、
それは流動的ではあるけれど、
自分が貼ったのに
自分で理解できない付箋を見ていると、
「読んだ時の自分」が
そこに貼り付いているようで、
理解できないながらも
「不思議な過去との再会」を
果たしたような気分になる。

 

2024年もいよいよ年の瀬。
気ままに続けているブログですが、
来年もマイペースでぼちぼち書いていこうと
思っています。
引き続きどうぞよろしくお願いします。

よいお年をお迎え下さい。

 

 

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2024年12月22日 (日)

後日に書き換えられたかも?

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後日に書き換えられたかも?

- 記憶が鮮明なればこそ -

 

いまや貴重な存在になってしまった
「大きな書店」のカウンタ横にあった
小冊子
100demeichotekefrees
から、印象的な言葉を
前回に引き続き紹介したい。
(以下、水色部は小冊子からの引用)

今日は、

安田登(能楽師)
古典の不思議に出会った瞬間


から。

安田さんは、中学時代の思い出を書いている。
読書家で物知りな彼女がいた安田さん。
彼女の話を理解するために本を読み始めた。

彼女との書店デートで見つけたのが
本書、『詩経』だった。

何気なく手にした本書の中に
一日見ざれは三月の如し
という句を見つけて驚いた。

思春期の男子である。

毎日でも彼女に会いたい。触れていたい。
一緒にいたい。
そんな自分と同じことを
数千年前の人間が思い、
しかもそれを書き、
さらにそれをいま読むことができる。

中国の古典、五経のひとつ『詩経』に載る
恋人とたった一日会わないだけで、
三か月も会っていないような気持ちになる、
という意味の詩句のその内容と
千年単位という時間スケール
圧倒される安田少年。


その日の書店の景色は
いまでも覚えている。
天気も覚えている。
匂いも覚えている。
隣にいた彼女のことも覚えている。

むろん、それは後日に
書き換えられた部分もあるだろうが

それでもその場の情景が、
そっくりそのまま、
自分の脳裏に
焼き付いたほどの衝撃だった。

「それは後日に書き換えられた部分も
 あるだろうが」
が読んでいて妙に印象に残った。
そう、そこまで鮮明な記憶であっても、
というか鮮明な記憶であるからこそ
後日書き換えられることは
確かにあるような気がする。

記憶って過去のことではあるが、
思い出すのはいつでも今なのだから、
今の気持ちがどうしても影響してしまう。

なので鮮明なればこそ
その強い印象によって書き換えられる機会が
多いのかもしれない。
個人の記憶ってその程度のものだ。
そこに正しい、間違っているを持ち出しても
あまり意味はないだろう。

書き換えられたかも?
そう思う心の余裕があれば十分だ


あの読書家の安田さんに

さまざまな名著に出会えたのは
ひとえに彼女のおかげである。

とまで言われた彼女さん。
今、どこでどうして
いらっしゃることだろう。

 

 

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2024年12月15日 (日)

内発性を引き出してこそ

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内発性を引き出してこそ

- 感動的なものができるとき -

 

いわゆる街の本屋さんはまさに減る一方だが
けっこう大きな書店でも
縮小したり閉店したりするところが多く
いまや「大きな書店」は
貴重な存在になってしまった。

そんな書店のひとつに立ち寄ったところ
カウンタのそばに
Take Free (ご自由にどうぞ) と
こんな小冊子が置いてあった。
さすがにこれはAmazonでは入手できない。
100demeichotekefrees
NHK Eテレの番組「100分de名著」に
指南役で登場した各専門家による
名著にまつわるエッセイをまとめたもの。

その中から、いくつか印象的な言葉を
紹介したい。
(以下、水色部は小冊子からの引用)

最初は、

秋満吉彦
 (NHK100分de名著プロデューサー)
いつも原点を思い出させてくれる名著


から。

考えもしなかった
感動的なものができるのは、
メンバーそれぞれの内発的なものが
引き出されたとき
ではないか……
ということに深く気づかされた本が、
レヴィ=ストロース
『構造・神話・労働』
だ。

「人間にとって労働とは何なのか」を
研究していたレヴィ=ストロースは、
世界中をフィールドワーク。
日本も訪問し、
日本の職人の働き方を
徹底的に観察した、という。

その時、彼が気づいたのは、
西洋人の「鋤く」と日本人の「働く」は
違うということ。
さて、どう違うというのだろう。

西洋人の労鋤というのは、
自分の頭にあるブランを
対象とか自然にあてはめる


たとえばコンクリートで
何かをつくるとしたら、
材料をペースト状にして、
自分が想像した設計図に
完璧にあてはめてつくる。

一方、日本人はどう映ったのか。

たとえば石垣。
自然の石をどう組み合わせたら
石垣になるかを考える。

陶器をつくる人は
「この土がなりたがっている形を
 引き出す」と言ったりもする。

日本の職人は何かを
支配しようとするのではなくで、
素材そのものが持っている素晴らしさ、
潜在力を引き出そうとする

そういえば、以前
編集者松岡正剛さんも花伝書を引いて
「才能とか能力とは、アタマやカラダや
 知能にそなわっているものではなく、
 素材や道具にそなわっているものを
 引き出せる仕業
のこと」
と言っていた。

あらゆるものを開発して
消費しつくしてしまう
先がないような
文明の作り方ではなくて、
日本人の、受動的に何かを
引き出そうさする働き方こそが、
労勘に豊かさを取り戻す方法だ
というのだ。

この本に出合って、秋満さん、
プロデューサーとしての
仕事のやり方が激変したという。

支配せずに受け身になり、
一緒に働いている人の豊かな能力、
内発性を引き出すやり方

「土がなりたがっている形を引き出す」は、
土や石といった素材だけでなく、
それは働いている「人」に対してだって
あてはまる考え方だ。

 

 

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2024年12月 8日 (日)

「生きてみると、とっても大きい」

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「生きてみると、とっても大きい」

- 4歳の言葉から -

 

先日、5歳から7歳くらいの
年齢の子どもたちと遊んでいたら、
公園や木々の間を走り回りながら発せられる
子どもならではの世界観に
おおいに笑い、驚かされた。
と同時に、以前読んだ
この新聞記事のことを思い出した。

2009年2月14日 朝日新聞
090214_okinawas

明治政府が琉球国を併合した「琉球処分」や
沖縄戦、基地問題等を考えてきた
知念(ちにん)ウシ(うしぃ)さんが、
沖縄での自身の子育てを書いたもの。

「歴史の積み重ね伝えたい」
との見出しがついている。
(以下水色部、記事からの引用)

 

私は大学入学以来
10年余りを過ごした東京から
9年前に、生まれ育った場所に戻り、
世帯を構え、
8歳と6歳の子を育てている。

そこで、知念さんが気づいたのは

地域という空間には、
今、目に見える一時だけでなく、
人々の思いをのせたさまざまな時間が
折り重なって同時に流れている

ということだ。

知念さんは、
そのことを子どもたちに教えたいと
強く思いながら子育てしている。

自分のいる場所には歴史があること。
過去は今とつながり、
その中で人は自分の今を生き、
未来ができること。

この地で連綿と生きてきた人々の
喜びや悲しみや怒りが、
自分を守り育むのだと

そんな知念さんに育てられた子どもたち。
こんなエピソードが最後に紹介されている。

夫の故郷のアメリカを訪ねた、
ある夏のこと。

親類と出かけたレストランに
世界地図がかかっていた。
私は子どもたちに、
これがアメリカだよ、と教えた。

6歳だった息子が聞く。
「沖縄はどこ?」。
私が指さしたのは、
印刷ミスにも見える小さな黒い点。

息子が叫ぶ。
「えー、こんなに小さいの、
 沖縄って。あんなに大きいのに」。

すると4歳の娘がすまして言った。

沖縄はね、地図で見ると小さいけど、
 生きてみると、とっても大きい

以前であれば、
「そうそう、子どもにとっては
 あの小さい沖縄がとっても大きく
 感じられるンだよね」
と読み飛ばしてしまっていたかもしれない。


しかし、今は少し違った感覚で捉えている。
沖縄以外も知っている大人は
「沖縄は小さい」と言う。
「世界は広い」と言う。

でも、沖縄だけをとっても
「歴史の積み重ね」を感じ、
「この地で連綿と生きてきた人々の
 喜びや悲しみや怒りが、
 自分を守り育むのだ」と
丁寧に感じながら生活すれば、
大人にとっても沖縄は広いはずだ。

雑に世界を捉えると
物理的な広さを求めて
「世界は広い」と言ってしまうけれど、
細かいことに気づき、
詳細に世界を感じる感性をもっていれば、
沖縄の中にだけでも
無限の世界が広がっている。

大人は雑だから広さを求めるが
子どもは繊細だから「とっても大きい」と
感じられる。

大人になってからだって
「とっても大きい」と感じられる感性を
持つことは可能なはずだし、
そこから見えてくる
無限の世界もあるはずだ。

 

 

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