「科学的介護」の落とし穴 (3)
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「科学的介護」の落とし穴 (3)
- 将来のため今を犠牲にする? -
前回に引き続き、
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さんへの
インタビュー記事から
印象的な言葉を紹介したい。
話しているのはもちろん介護についてだが、
介護に留まらない
考えさせられる鋭い指摘満載だ。
2023年2月7日 朝日新聞
オピニオン&フォーラム
「科学的介護」の落とし穴
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さん
へのインタビュー記事だ。
(以下水色部、記事からの引用)
前回の記事の最後、
「集められたデータで
効率が上がるほど、
唯一無二の人生を生きた老体は
単純ではありません」
と言っていた村瀬さん。
では、介護担当者はどうすべきなのだろう。
今ここで求めることに
応じられる仕組みに
シフトする必要を感じます。
今、食べたい。
今、うんこしたい。
今、眠りたい・・・。
そうした求めには今、対応しないと、
取り返しのつかない傷を
心身に残しかねない」
「そうした事態を避けるなら、
今の生活を計画で縛るのではなく、
今ここで必要なことに対応するため
計画を手放すことができる
現場の裁量が大切になります」
計画に縛られない現場の裁量で、
「今」に対応する。
将来の目標を達成するために逆算し、
いつ何をべきか
計画することで成り立っています。
正月のおせち料理を初秋に
予約販売するのが一例で、
未来を先取りするほどに
もうけが出る。
将来のため今を犠牲にすることを
いとわない。
今ここの対応から出発するケアとは、
成り立つロジックが正反対なんです」
理想はあっても、施設長としては
実際に直面している問題への対応も
もちろん必要だ。
職員数が少ないと、
働く側の生身の限界を
超えてしまう。
職員が疲弊するのを
避けるためには、
センサーなどの最先端技術で
人の限界を補完せざるを得ない
現実はあります」
「ただ、人間の能力の限界を
文明の利器で補完し
拡張し続けることで、
本当に幸せが得られたのか。
立ち止まって
考える時ではないでしょうか。
人間の不完全さや弱さを排除せず、
許容する力が
失われていると思います」
これに対して
インタビュアーの浜田陽太郎さんは
「社会を維持し、経済を回すためには
仕方がないのでは」
と投げかけている。
生産性がないとみなされた
お年寄りを効率よく介護するために
施設を用意しているように見えます。
『認知症』であれば、
抑制し隔離されても仕方ないという
暗黙の了解がある」
「全体の利益のために、
一人の人間の存在を犠牲にしても
仕方ないという考えが、
私たちの骨の髄まで
染みてはいないでしょうか」
「足手まといな者のリストの
1番目にいる人を犠牲にすれば、
2番目の人が繰り上がって
次の犠牲となります。
それを繰り返すだけの社会は、
ほどなく弱体化する。
日本社会は
その状態にあると思います。
それが私たちの望む経済でしょうか」
* 今ここで必要なことに対応するため
計画を手放すことができる現場の裁量
* 将来のため今を犠牲にすることを
いとわない、ではなく
今ここの対応から出発する
* 人間の不完全さや弱さを排除せず、
許容する力が失われている
* 1番目にいる人を犠牲にすれば、
2番目の人が繰り上がって
次の犠牲となります
村瀬さんの言葉は介護の世界を越えて
深く響いてくる。
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