「ある時点での適切な断面図」
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「ある時点での適切な断面図」
- 先人たちの精緻な思考 -
フレーゲ、ラッセル、
そしてウィトゲンシュタインという
3人の天才哲学者が、
言葉についてどう考えてきたのか。
その過程を丁寧にたどりながら、
ふだん何気なく使っている
言葉の根本に迫ろうという
野矢茂樹 (著)
言語哲学がはじまる
岩波新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
著者本人が、「はじめに」で
みんなが試行錯誤していて、
これが正解ですってのが
見えてこないけれども、
どうやら前に進んでいるみたいだぞ
という手ごたえがある。
読者にもこの感触を
味わってもらいたい。
と書き、「おわりに」で
もちろん必要不可欠の条件ですが、
しかし、私が目指したのは、
そこではありません。
私は言語哲学入門の参考書として
この本を書いたのではないのです。
ほら、自分が面白かった話って、
他の人に話したくなりませんか?
私の動機はほぼそれに尽きています。
と書いている通り、
全体に文体もやわらかいし、
例文もやさしいものが選ばれていて
解説も参考書的なものには
なっていないのだが、
著者と一緒に「面白がる」には
かなりの集中力が必要だ。
そんな中、
最終段で語られた言葉は
印象的なものだった。
ウィトゲンシュタインの
『論理哲学論考』と『哲学探究』について
コメントした部分だ。
『論理哲学論考』を完成させた後、
ウィトゲンシュタインは哲学から
一旦離れる。
沈黙せねばならない」と稿を閉じて、
本当に哲学的には沈黙するのです。
それからおよそ十年後に哲学を再開し、
『論考』を自ら批判して、
新たな言語観へと
進んでいくことになります。
そして1936年から1946年にかけて
後期ウィトゲンシュタインの主著である
『哲学探究』を執筆します。
思考可能な世界を「論理空間」とし、
その外部を思考不可能としたことで、
論理空間自体の変化を考えることが
できなかった『論考』。
言語を固定された体系として
捉えています。
そこが根本的にまちがっていたと、
『探究』のウィトゲンシュタインは
言いたいのです。
言語変化を視野に入れた言語観へと
移っていくウィトゲンシュタイン。
まさに言語を空間的に捉えていることを
表わしています。
『論考』は言語を一望のもとに
捉えたかったのです。
しかし、言語使用は時間の内にあります。
私は、
『論考』から『探究』への
変化の核心は、
空間的な言語観から
時間的な言語観への転換だと
考えています。
では、
「まちがっていた」と本人が言う
過去の言語観に価値はないのだろうか?
捨て去られねばならないのでしょうか。
いや、そんなことはありません。
動的に推移していく言語の、
いわば時間的な断面図
- ある時点における言語使用の
あり方を捉えた議論 -
として十分な有効性をもっています。
言語実践を理論的に捉えようとしたら、
どうしたって
ある時点での断面図を
描くしかありません。
そして
適切な断面図を描くことによって、
私たちの言語実践に対する理解も
深まるのです。
フレーゲも、ラッセルも、そして
前期ウィトゲンシュタインも、
言語を理論的に捉えようと
試行錯誤の日々を過ごした。
言語哲学に限らないが、
先人たちが各時代、各時代で
精緻に考え抜いたものからは、
たとえそれが、のちの時代から見れば、
間違っていたり、
不完全であったりしたとしても
いつも豊かな洞察を得ることができる。
「ある時点での適切な断面図」
とはいい言葉だ。
断面図をいくつも持つことで、
初めて全体が立体的に見えてくる。
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