「そこにフローしているもの」
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「そこにフローしているもの」
- 話す、放す、離す -
加藤 典洋 (著)
言葉の降る日
岩波書店
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
に、加藤さんが、
河合隼雄 著
「こころの読書教室」
新潮文庫
に書いた「解説」が掲載されている。
タイトルは
「そこにフローしているもの」
加藤さんは
解剖学者の三木成夫(しげお)さんの
考え方を紹介したあと、
こう続けている。
(三木成夫さんについては本ブログでも
舌はノドの奥にはえた腕!?
にて少し触れている)
似ていると思うのは、次の点だ。
三木さんは、
動物は溜め込む、ストックするが、
植物の生の基本は、
「溜め込みをおこなわない」こと、
フローだという。
人間の本質、生き物の本質、
そして心の本質は、
「ストック」ではなくて、
「フロー」にある、というのだ。
「フロー」をキーワードに
少し先を読んでみよう。
「ストック」されたものではなく
「フロー」しているものなのだ。
それが河合さんのいおうとしている
ことなのだと、私は受けとった。
「フロー」しているから、
それは、私の内部、
奥底にあると同時に、
外ともつながっている。
ユングの集合的無意識というものが
そもそも、
無意識はフローだということである。
だからそれは、物語につながる。
また絵本に親しむことにもつながる。
「フロー」だからこそ
外とつながり、物語につながる。
それがとても残念、が
この本の河合さんの最初の言葉である。
そのために、
「読まな、損やでぇ」といいたくて
この本を書いた、と
河合さんはいっている。
ところどころに関西弁がまじるのは、
関西弁が河合さんにとって
ハナシ言葉、フローの言葉だからだ。
話す、放す、離す。
きっともとは同じ意味、
フローさせる、ということなのだ。
その視点で「読書」を見直すと
新しい発見がある。
「ストック」(知識とか情報とか)を
手に入れるために
読む人がふえたけれど、
読書というのは、ほんらい、
本に流れているもの -
「フロー」にふれることなんだ、
ということである。
ついついストックに目がいってしまうが、
そうそう
「良書と出会えた」と思えたときは
文系理系の本を問わず
明らかに「フロー」を楽しめたときだ。
それは、「自分の心の扉を開いて」、
自分のなかから、
「自分の心の深いところ」に
出ていくことである。
私たちは、本を読むことで、
相手の話を聞くだけではない。
じつは本を読みながら、
自分の思い、ひとりごとに、
誰かが耳を傾けてくれていたことにも、
後になって、気づくのた。
読書とは
自分のなかから出ていくこと、
誰かが自分の思いやひとりごとに
耳を傾けてくれていたことに
後になって気づくこと。
すばらしい経験じゃないか。
こりゃぁ、本、
「読まな、損やでぇ」
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