« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »

2023年7月

2023年7月30日 (日)

エルピス 希望は悪か

(全体の目次はこちら


エルピス 希望は悪か

- 異常【アノマリー】の世界 -

 

小説を読んでいて
思わず声が出てしまったのは
何年ぶりだろう。

エルヴェ ル・テリエ (著)
加藤 かおり (翻訳)
異常【アノマリー】
早川書房

(以下水色部、本からの引用)

どこかしっくりしないまま
登場人物が次々と紹介される、
そんな導入となっている第1部の最後で、
しっくりしなかった理由とともに
明かされる事実には、
思わず声がでるほどびっくりさせられた。

なので、これから読もう、という方には、
いわゆるスジに関する事前情報なしで
読み始めることをお薦めしたい。

もちろん謎解きミステリーではないので
「それ」自体が
この小説の魅力ではないし、
「それ」から始まる第2部以降は
さらに豊かな想像力で
支えられているのだけれど、
驚き、という意味での要素は
まさに第1部の最後にある。

というわけで、
「それ」には触れないが、
第2部以降、
まさに本筋とは関係ないところで、
書き残したいような
印象的な表現が多かったので、
一部紹介したい。

 

まずは、軽くコレから。

(1) 私自身が技術者で、
理系人間が苦労させられる、に
敏感なせいかもしれないが。

「なぜって、なぜ科学者だけが
 いつも夜なべ仕事

 しなきゃならないんです?」


(2) こんな露骨な表現もでてくる。
どこぞの元大統領の顔が浮かんで
ニヤけてしまう。

大統領はあんぐりと口を開けている。
その姿は、金髪のかつらを被った
肥えたハタのようだ。


(3) 小説の中とはいえ、
あの人気キャラクタを実名(!?)で
「サタンの創造物」と
言ってしまうある種の勇気も。

しかし、あんた方の神学者、
ムハンマド・アル・ムナジッドは
ミッキーマウスを〝サタンの創造物〞と
呼んだ気がするんだが


(4) 宗教や哲学者についても
さらには
フランスでのトークショーについても
皮肉たっぷり。 

宗教が教義にもとづく
偽りの回答を人びとに授け、
哲学が抽象的で誤謬に満ちた答えを
提示する
からだ。

世界中でトークショーが
頻繁に開催されるが、
とりわけ盛況なのはフランスだ。
フランスでは
メディアに露出する哲学者の数が
ずば抜けて多い。


(5) 今後「運命」という言葉を使うときは
思わず思い出してしまいそうなひと言も。

わたしは〝運命〞という言葉が
あまり好きではありません。
それは矢が突き刺さった場所に、
あとから的を
描き足すようなもの
ですよ


言葉という意味では、
次の部分もはずせない。

(6) 古代ギリシャ神話に登場する
「パンドラの箱」について。

神ゼウスから
開けることを禁じられた
「パンドラの箱」。
ところが、パンドラは
好奇心に負けて
ゼウスの言いつけに背き
箱を開けてしまう。

すると

箱のなかから
人類にとっての悪が
一斉に飛び出してきた


老い、病気、戦争、飢餓、狂気、
貧困…。

そのなかにひとつ、
逃げ出すにはのろますぎたのか、
はたまたゼウスの意思に従ったのか、
箱のなかにとどまった悪があります
それの名前を憶えていますか?

昨年(2022年)、カンテレの
ドラマのタイトルにもなっていた
アレだ。

〝エルピス〞- 希望ですよ。
これこそ悪のなかでも
もっとも始末の悪いもの
です。
希望がわたしたちに
行動を起こすことを禁じ、
希望が人間の不幸を
長引かせる
のです。

だってわたしたちは
反証がそろっているにもかかわらず、
〝なんとかなるさ〞と
考えてしまうのですからね。
〝あらざるべきこと、起こり得ず〞の
論法ですよ。

ある見解を採用する際に
わたしたちが真に自問すべきは、
〝この見解に立つのは
単に自分にとって
都合がいいからではないか、
これを採用すれば
自分にどんなメリットがあるのか?〞
という問いです」

ちなみに、2022年のドラマのタイトルは
「エルピス —希望、あるいは災い—」

それにしても
「希望が人間の不幸を長引かせる」とは。
でも、
「反証がそろっているにもかかわらず」
やってしまうことは確かにある。

それは「悪」の仕業なのだろうか?

 

この本、読み終わってから
Amazonへのリンクにも使われている
装画(ブックカバーの表紙の写真)を
改めて見るとちょっとドキッとする。

まさに本の内容を象徴するような
ほんとうによくできた写真だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年7月23日 (日)

「そこにフローしているもの」

(全体の目次はこちら


「そこにフローしているもの」

- 話す、放す、離す -

 

加藤 典洋 (著)
言葉の降る日

岩波書店

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

に、加藤さんが、

河合隼雄 著
「こころの読書教室」
新潮文庫


に書いた「解説」が掲載されている。

タイトルは
「そこにフローしているもの」

加藤さんは
解剖学者の三木成夫(しげお)さんの
考え方を紹介したあと、
こう続けている。
(三木成夫さんについては本ブログでも
 舌はノドの奥にはえた腕!?
 にて少し触れている)

私が特に三木さんと河合さんは
似ていると思うのは、次の点だ。

三木さんは、
動物は溜め込む、ストックするが、
植物の生の基本は、
「溜め込みをおこなわない」こと、
フローだという。

人間の本質、生き物の本質、
そして心の本質は、
「ストック」ではなくて、
「フロー」にある、というのだ。

「フロー」をキーワードに
少し先を読んでみよう。 

ほんとうは、無意識というのは、
「ストック」されたものではなく
「フロー」しているものなのだ。

それが河合さんのいおうとしている
ことなのだと、私は受けとった。

「フロー」しているから、
それは、私の内部、
奥底にあると同時に、
外ともつながっている


ユングの集合的無意識というものが
そもそも、
無意識はフローだということである。
だからそれは、物語につながる
また絵本に親しむことにもつながる。

「フロー」だからこそ
外とつながり、物語につながる。

本を読む人が少なくなった、
それがとても残念、が
この本の河合さんの最初の言葉である。
そのために、
「読まな、損やでぇ」といいたくて
この本を書いた、と
河合さんはいっている。

ところどころに関西弁がまじるのは、
関西弁が河合さんにとって
ハナシ言葉、フローの言葉だからだ。

話す、放す、離す。
きっともとは同じ意味、
フローさせる、ということなのだ

その視点で「読書」を見直すと
新しい発見がある。

河合さんがいっているのは、本を
「ストック」(知識とか情報とか)を
手に入れるために
読む人がふえたけれど、

読書というのは、ほんらい、
本に流れているもの -
「フロー」にふれることなんだ

ということである。

ついついストックに目がいってしまうが、
そうそう
「良書と出会えた」と思えたときは
文系理系の本を問わず
明らかに「フロー」を楽しめたときだ。

本を読むというのは、何か。

それは、「自分の心の扉を開いて」、
自分のなかから、
「自分の心の深いところ」に
出ていくことである。

私たちは、本を読むことで、
相手の話を聞くだけではない。

じつは本を読みながら、
自分の思い、ひとりごとに、
誰かが耳を傾けてくれていたことにも、
後になって、気づくのた。

読書とは
自分のなかから出ていくこと、
誰かが自分の思いやひとりごとに
耳を傾けてくれていたことに
後になって気づくこと。

すばらしい経験じゃないか。

こりゃぁ、本、
「読まな、損やでぇ」

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年7月16日 (日)

たった一度の相談ごとへの返信

(全体の目次はこちら


たった一度の相談ごとへの返信

- 鶴見俊輔さんの回答 -

 

加藤 典洋 (著)
言葉の降る日

岩波書店

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

において、著者加藤さんが
鶴見俊輔さんについて語っている言葉は、
ほんとうに印象的だ。

前回の
座礁した船を救う方法」でも触れたが、
おふたりの年齢差を再度紹介してから
引用を始めたい。

加藤典洋さん (1948-2019)
鶴見俊輔さん (1922-2015)

鶴見さんが26歳年上ということになる。

 

加藤さん、
「苦しさに堪えられず」
一度だけ鶴見さんに
相談ごとをしたことがある。

私はけっして人に
自分の一身上のことを
相談するような人間ではないのだが、

たった一度だけ、
苦しさに堪えられずに
そうしたことがある


一身上のことを記し、
いま、自分は苦しいのだと
鶴見さんに書いた。

いただいたお手紙に、ひと言、

自分には何もできません

という言葉が入っていて、
私は、自分の苦しみが
この人に受けとめられたと思った。
そしてそのときも救われた

「何もできない」という返信に
「救われた」という加藤さん。 

どうすればよいのかが
聞きたいのではなかった
(どうすることもできないことは
 よくわかっていた)、

ただ、苦しみを誰かに
わかってもらいたかった
のだが、
その返事から、そうであったことに
はじめて気づかされ
助けられたのである。

「何もできない」という返信を読んで初めて
自分のほんとうの気持ちに気づいた
加藤さん。
そしてそれに「助けられた」という。

「何もできない」は
ちゃんと読んだというメッセージとしても
加藤さんに伝わっている。

信頼感に支えられた関係においては、
言葉がその意味を飛び越えて
大きな力となって相手に届くことがある。

小さなエピソードだが、
これはそんなすてきな例だと思う。

埋もれてしまわぬよう
ここに書き留めておきたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年7月 9日 (日)

座礁した船を救う方法

(全体の目次はこちら


座礁した船を救う方法

- 無理に引っ張れば壊れてしまう -

 

加藤 典洋 (著)
言葉の降る日

岩波書店

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

において、
著者加藤さんが鶴見俊輔さんについて
語っている言葉を、今日は紹介したい。

おふたりの経歴や業績については
ここでは触れない。
年齢差だけを記すと、

加藤典洋さん (1948-2019)
鶴見俊輔さん (1922-2015)

鶴見さんが26歳年上ということになる。

ふたりは1979年の秋、
カナダのモントリオールで出会う。
加藤さん31歳、鶴見さん57歳のころだ。
その後、鶴見さんから
大きな影響を受けることになる加藤さんだが

ほぼ35年間おつきあいしたが、
二人きりでいたことは
数えるほどしかない。
そのときも、一度を除いては、
ほぼ黙り合っていた

しかしそれで十分だった。

と書いている通り、
俗に言う「べったり」という関係では
なかったようだ。

加藤さんは、大学卒業後の自分を
「座礁した難破船」のようだった
と言っている。

さて、座礁した船は
どうやったら救えるだろう。

私は大学も出ても、変わらず、
そんなふうに海辺を遠く見る岩礁で
難破したままの船だったのだが、
鶴見さんが私のいる世界の海の水位を
グンと5メートルもあげてくれた
ので、
社会に出てから8年ほどたっていたが、
世界に復帰することができた。

「世界の海の水位をあげてくれた」
こんな表現ができるなんて。

難破した船は手を貸しても動かない。
無理に引っ張ろうとしたら、
船底が破れ、沈んでしまう。

世界中の海が、
すべて5メートル水位をあげないと、
水位はあがらず、
そうでないと、
離礁はかなわないのだが、
鶴見さんと会ったら、
そういうことが起こったのだった

大きく心を動かされる体験は
人生のさまざまな場面にある。

でも、少し時間が経ってから振り返ると
「そのときだけ」であったり
「そのことについてだけ」であったり
することも意外に多い。

もちろん、仮にそうであったとしても
「いい思い出」や「いい経験」は
人生を支えてくれる貴重なものだけれど。

一方で、まさに
世界の見え方が変わるような体験もある。
思いもしなかった
「価値観」との遭遇、「視点」の発見。

それはまさに「そのときだけ」でなく、
それ以降の人生
すべてに影響を与えてしまうほどの
力をもつことになる。

それがきっかけで、
閉ざされていた世界が
開放されたように感じたり、
急に体が軽くなって
自由に飛び回れるように感じたり。

そのことを、
「世界の海の水位を上げてくれた」
と表現することのなんと的確なことよ。

水位が上がったからこそ、
船底を壊すことなく離礁できるのだ。
新たな航海に旅立てるのだ。

世の中には、ともすると
「世界の水位を下げる」ような
「視点」や「価値観」もあるので、
要注意ではあるけれど。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年7月 2日 (日)

野川遡行(2) 人工地盤の上の公園

(全体の目次はこちら


野川遡行(2) 人工地盤の上の公園

- 2日かけて野川制覇 -

 

前回に引き続き、
多摩川との合流点から、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」までを
ぶらぶらと歩きながら目指す
(下記Google Map上の赤矢印)
「野川」遡行記を続けたい。

Nogawaa2


前回の最後、
次大夫(じだゆう)堀公園の寄り道は、
係の方の説明も丁寧でわかりやすく
収穫の多い楽しい時間だった。
さて、川沿いに戻って先に進もう。

次太夫堀公演から1kmほど上流に進むと
小田急線が見えてきた。
喜多見駅と成城学園前駅の間。
下から見上げて、成城学園方面を見ると、
少し先で線路が崖に突き刺さっている感じ。
まさに国分寺崖線。

P4162528s

川で遊ぶ子どもたちもいる。

P4162532s


「きたみふれあい広場」にちょっと寄る。

P4162534s

川沿いの道から階段をあがると、
緑豊かな公園が広がっている。

なにも知らずに見れば、
ごくごく普通の公園だが、
上の地図を見ると分かる通り
実はこの公園、
小田急線の電車車庫の上にある。

P4162536s

つまり人工地盤の上に
これらの植物が生えているわけだ。

階段を降りて、なんとか「電車車庫」が
見られないものかと思ったが、
残念ながらコンクリートの箱、
にまでしか到達できなかった。

P4162538s

それにしても、大きな木々を始め
あの緑が人工地盤の上なんて
再度説明を読んでも信じられない。

しばらく緑豊かな川沿いを進む。

P4162540s
P4162545s

調布市神代団地のあたりに来ると
河床整備工事が行われていた。

P4162556s

川は堰き止められ、
水は工事期間中、迂回ホースによって
流されているようだった。

近くにあった工事の説明を読むと
河床への「不透水層」の設置
法面の侵食を防ぐための
「自然石固着金網」の設置など、
耳慣れない単語が並んでいる。

近くには、入間川分水路工事による
合流地点もある。

P4162564s


河原に降りて歩ける部分もある。
緑が目にも足にもやさしい。

P4162567s


「潺湲亭」なる表札のある
不思議な小さな建物に遭遇。
全く読めない。
調べると「せんかんてい」と読むようだ。
これは一体なに?

P4162578s


この日は一時的に雨に降られたが、
おかげでぼんやりと、ではあるものの、
久しぶりに虹を見ることができた。

P4162580s


三鷹通りの橋には

P4162585s

「NOGAWA 14 GRIDGES」の文字が。

P4162584s

歩きながらも、また帰ってきてからも
ネットで検索してみたのだが、
この「NOGAWA 14 GRIDGES」については
正確なところはわからなかった。

一緒に歩いた友人からは
「野川にかかる調布市内の橋を数えたら、
 だいたい14でした」との情報も。
おそらくこのことで間違いないだろう。

京王線をくぐり、
中央自動車道をくぐると、
ゴール地点となる御塔坂(おとざか)橋は
もうすぐだ。

P4162592s


無事、御塔坂(おとざか)橋に到着。

ここからの行程と合わせて
2日かけて野川を制覇したことになる。
距離も長すぎず、
川沿いの道も整備されているので
実に歩きやすい。

景色を楽しみながらのんびり歩いて、
肺の中の空気がすっかり入れ替わる、
そんなリフレッシュのできるコースだった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »

最近のトラックバック

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ