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2022年11月27日 (日)

「コミュニケーションはスキル」か?

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「コミュニケーションはスキル」か?

- 「英語はツール」か? -

 

日本の英語教育について
積極的に発信を続けている
鳥飼玖美子さん。

同時通訳の草分け的な存在として、
若い頃から
アポロ11号の月面着陸の中継や、
大阪万博といった大舞台でも
活躍していたとのことだが、

以前、Eテレの英語番組
「世界へ発信!SNS英語術」
で、1969年の月面着陸の中継を
通訳した話を突っ込まれると、
「あの時は中学生が同時通訳した・・」
と即答していた。
とっさにユーモアで返す機転もさすがだ。

そんな鳥飼さんのこの本

鳥飼玖美子 (著)
国際共通語としての英語

講談社現代新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

にはコミュニケーションの本質を
考えるうえでの、
大事な言葉が溢れていた。
新しい指摘、というわけではないが
ノウハウや成果ばかりにつられて
ついつい忘れがちになる視点でもあるので、
ここで改めて一部紹介しておきたい。


「コミュニケーション」とは、
つまるところ
「他者との関係性」です。
自分と、自分とは異なる存在とが、
共に関係を構築するのが、
「コミュニケーション」です。

単なる伝達の手段ではないし、
日常会話の域にとどまるものでも
ありません

コミュニケーションの一部を支える言葉。
そこには「沈黙」さえも含まれている。

いずれにせよ、
「他者はすべて異質な存在」なのだから
コミュニケーションを成立させるためには
言葉だけではない努力や配慮や工夫が
必要となってくる。
それでも、もちろん失敗する場合もある。

「異文化コミュニケーション」
というのは、
異なる文化で生きてきた者同士が
関係を構築しようとすることを指します。

異文化コミュニケーションとは
英会話のことだと勘違いしている人

日本に多いのは誠に残念です。

「異文化コミュニケーション」とは
言語を問わず、異質な文化が邂逅し
接触する際に必然的に起こる事象です。

「異なる文化」は、
外国ばかりとは限りません

世代の違い、ジェンダーの違い、
障碍のある人とない人の違い、
人間と動物、人間と自然、
どれも「異文化」です。

外国に限らず「異文化」との
コミュニケーションには、
背景の文化を理解しようという
姿勢が不可欠だ。

どの言語にもそれぞれの文化があり、
コミュニケーション・スタイルがあり、
言語使用の習慣
があります。

外国語を使うとは、
異質な他者を相手に
異質な言語を精一杯使って
果敢に関係構築を試みるのだから、
簡単なわけがない、と
腹をくくるべきでしょう。

そして何度も繰り返すように
次の言葉を送り出している。

コミュニケーションは
単なるスキルではありません。
英語は単なる道具ではありません


国際コミュニケーションの共通語として
英語を使う場合でも、
これは同じだと思います。

英語をツールとして、
コミュニケーションをスキルとして、
軽く考えるから、
こんなに勉強しているのに上手くならない、
と腹が立つのです。

コミュニケーションは
単なるスキルではない。
英語は
単なる道具ではない。

そもそも
「単なる道具」だと言っている人は
道具以上に使えるようにはならない。

たとえ世界中の人々が
使用するようになったとしても、
英語には英語の歴史と文化があり、
独自の世界を有した
一つの言語であることは
間違いないのです。

そこを何とか折り合いをつけ、
世界の誰もが使えるように、
使い勝手の良いようにしよう、
とあれこれ工夫をし始めているのが現状で、
本書もそれを提言しているわけですが、
一つの生きた言語である
という事実も認識するべきでしょう。

 

鳥飼さんは本書で主張したかったことを
2つに集約して最後にこう書いている。

一つは、「英語はツール」
「コミュニケーションはスキル」
という言説を疑って欲しい

ということ。

コミュニケーションは
人間が特定の状況で起こす
多層的な行動であるわけですから、
それを私たちにとっては
外国語である英語で行う、
ということの重みを
忘れてはならないと思うからです。

英語はたかが道具だ、
と軽視する人ほど、
日本語は微妙なニュアンスがあって
特別に難しい、などと言います


しかし、特殊に難しい言語など
存在しません
。これは現在では
当然として認められている
言語相対主義の知見です。

そしてふたつ目の主張はこれ。

日本人にとって
外国語である英語を学ぶのは
容易ではないのですが、
だからと言ってあきらめることは
ないのです。

国際共通語として習得する
という方向を見定め、
英語学習の目的と内容を
見直したらどうか

というのが第二の主張です。

異なる文化で生きてきた者同士が
関係を構築しようとすることは
まさに多層的なアクションだ。
言葉ができれば成功する
というものでもない。

国際共通語としての英語を
どう考えるかの詳細は本書に譲るが、
歴史と文化に対する配慮と敬意を
忘れることさえなければ、みちは拓け、
関係はさらに深まっていくことだろう。

 

 

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