サハラ岩壁画の年代は測定できない
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サハラ岩壁画の年代は測定できない
- 「愛の館」から線刻画まで -
前回に引き続き
「サハラに眠る先史岩壁画」
英隆行写真展
目黒区美術館 区民ギャラリー
2022年10月5日-10日
の内容を紹介したい。
本展、壁画はどれも興味深いのだが、
各画に対する年代の説明がほとんどない。
前回書いた通り、
5000年から1万年ほど前のもの、
というざっくりとした幅だけはあるが、
正確にはわからないらしい。
それはどうしてか?
ガイドツアーのときの説明によると
サハラ岩壁画の
壁画自体の年代を直接測る技術は
現時点ではまだ存在しないらしい。
理由は、
絵具に木炭や接着剤などの
有機物が含まれていないため
放射性炭素年代測定ができないから。
また、洞窟壁画のように
水が滲みだして絵の上に
炭酸カルシウムの被膜が
形成されることがないため
ウラン系列年代測定もできない。
直接的な測定ができないため、
描かれた動物との関係、
発見された古墳との関係、
などから相対的、間接的に
制作年代を区分しているようだ。
というわけで、細かいことは気にせず
気持ちのほうもざっくりのまま
ほかも見てみよう。
*アルジェリア タッシリ・ナジェールの
「食肉解体」
ブーメラン状の道具(ナイフ?)を使って
食肉を解体している。
男性は腰みのだけだが、
女性は長いスカートに肩掛けのようなものを
羽織っている。
右には野ウサギやキリンなども見える。
*チャド ティベスティの
「愛の館」
館の外には牛がいる。右は乳搾りの様子。
「愛の館」の中はこんな感じ。
入口の縄暖簾をくぐると、
部屋の中には裸の男女が集っている。
女性は足を白く塗っているようだ。
右端の男は
楽器を奏でているように見える。
部屋には大きな壷があるが、
中には酒が入っているのだろうか。
重なり合っている男女もいる。
女や男を奪い合っているようにも見える
場面もある。
*チャド エネディの
「整列する戦士たち」
繊細な筆遣いで細かく描写された岩壁画。
戦士たちは槍を手に持ち、
頭には羽飾りを付けている。
戦士の隊列から外れた場所には
長いスカートをはいた女性もいる。
槍の穂先が石で加工するには
難しい長さであることから、
鉄製の穂先と推測されている。
だとするとこれは他と比べると
ずいぶん新しいものかもしれない。
*スーダン ウェイナットの
「行進する人々」
川岸で垂直に削られた砂岩の表面に
10メートル以上にわたって夥しい数の絵が
描かれている。
別の場面では、狩りをする人々、
牛の群れなども。
この地域では、牛の牧畜は
7000年前頃に始まったが、
5000年前には乾燥化によって
牛が飼えない気候になった。
制作年代を直接調べられないため
描かれたものから
間接的に絞り込んでいくのも
ひとつの手法。
*モロッコ ハイ・アトラスの
太陽の円盤 青銅器時代
古代ベルベル人が信じたアニミズムでは、
「太陽、土地、水」が
人間に不可欠なものとされていた。
太陽の内側には、
山並みに囲まれた大地と川。
下の小さな円盤は月のようにも見える。
*チャド エネディの
「牛飼い」
サハラ岩壁画ではあまり多くない
線刻画。
彩画にはほとんど見られない
幾何学模様が多いのが特徴。
寄って見ると
杖を肩に担ぐポーズは牧童特有のもので、
現代でもよく見かける。
お尻の大きな体形は、
現在この地に暮らすほっそりとした
トゥブー族とは異なるらしい。
体形といえば、以前アメリカ人に
「日本人でお相撲さんのような
体形の人はほとんど見かけないのに
どうしてあれが国技なの?」
と質問されて答えに窮したことがある。
1万年後、日本で相撲絵が発見されると
対トゥブー族と同じようなコメントを
されるかもしれない。
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