「言葉づかい」と「身体づかい」
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「言葉づかい」と「身体づかい」
- 美しい立ち居振る舞い -
前回、
最初にまず交換したかった
なるタイトルで、
三浦雅士 (著)
考える身体
NTT出版
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
の本の一節を紹介したが、
もう少し別な言葉も紹介したい。
三浦さんは、
「言葉づかい」の教育と同様に
「身体づかい」の教育が必要だ、
と言っている。
表現としての身体は、
まさに表裏一体なのだ。
それは、
他人に自分を伝える手段として
表裏一体であるのみならず、
自分が自分自身であることを
知る手段としても
表裏一体なのである。
対自分と対他人、
表現と同時にそれを知るという点において
言葉だけでなく身体も重要なのは
まさにその通り。
やたらに髪をいじったり、
ひそかに化粧し始めたりする時期は、
一致している。
少女が化粧し始めるのは
他人に向かってだけではない。
自分に向かってでもあるのだ。
同じことは、少女のみならず
少年にも当てはまる。
髪を染めたり、
ピアスをしたりするのは、
昔でいえば、
詩や日記を書き始めるのと
ほとんど同じことだ。
そんな時期の「身体づかい」の教育を
三浦さんは体育に期待しているようだが、
実際にはそれはなかなか難しいだろう。
(中略)
陸上競技や球技、スポーツが
うまくなることだと考えられている。
その結果、
ひたすら図体だけが大きくなって、
その図体を
自分でももてあましているような
中学生や高校生が
巷に溢れるということに
なってしまったのである。
いずれによせ、家庭でも学校でも
美しい立ち居振る舞いへの教育が
近年おろそかになっているのは
間違いない。
身体もまたひとつの体系である。
この二つの体系が文化の基軸を
形成しているものなのだ。
美しい「言葉づかい」への敬意とあこがれ、
美しい「身体づかい」への敬意とあこがれ、
それを抱かせることは大人の責任でもある。
どちらも
「いいなぁ」「かっこいいなぁ」が
根底にないと、
ほんとうには身につかないものだから。
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