「こだわる」にこだわりたくはないけれど
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「こだわる」にこだわりたくはないけれど
- 「つまらないこと」だけに使いたい -
ずいぶん前からとはいえ、
最近ますます気になっている言葉に
「こだわる」がある。
この言葉、もともとは
「気にしなくてもいいような
些細なことにとらわれる」
といったような
かなりnegativeな意味だったはずだ。
それが近年は、別な意味で使われることが
圧倒的に多くなってしまった。
昭和のオヤジとしては
それが気持ち悪くてしかたがない。
そういえば同じ昭和のオヤジ
タレントの松尾貴史さんも
本件に同じ不快感を示していたなぁ、
とスクラップブックをめくってみたら
あった、あった。
2007年1月18日の
朝日新聞夕刊。
松尾貴史さんが
「こだわり」にこだわる理由
というコラムを掲載している。
(以下水色部、記事からの引用)
「こだわり」と言う言葉が嫌いだ。
「こだわりの料理店」
「職人のこだわり」
「こだわりの逸品」などなど、
言葉自体というより、
その使われ方がみっともない。
松尾さんは「みっともない」
という言葉を使っている。
丁寧に辞書を追ってくれているので
まずは見てみよう。
「さわる。さしさわる。
さまたげとなる」
「気にしなくてもよいような
些細なことにとらわれる。
拘泥する」
「故障を言い立てる。
なんくせをつける」
など、
およそいい意味の言葉ではない
解説が並んでいる。
そぉ、まさに私のイメージもこれ。
「つまらないことにこだわるなぁ」
みたいな使い方が一番しっくりくる。
第五版(1998年改訂)では、
「些細な点にまで気を配る。
思い入れする」という、
時流に媚びた表現が加わっている。
「媚びた」と感じるのは
私の主観だけれども、この言葉が
褒め言葉として跋扈している風潮が、
どうにも不快なのだ。
私自身は言葉の専門家ではないので
ほんとうのところはわからないが、
「つまらない、どーでもいいこと」に対して
細かく気にしてあれやこれや言う
「つまらないことにこだわる」
の対象が、
「つまらない、どーでもいいこと」から
「それ以外のもの」
さらには正反対の「重要なもの」にまで
拡大してきた、ということなのだろうか?
「食材にこだわるシェフ」
などと聞くと、食材は
「つまらない、どーでもいいこと」なのか
とツッコミたくなってしまい
逆にいいシェフに思えないのだ。
まぁ、私個人の私的な認識との
ギャップに文句を言ったところで
もはやこの風潮というか使い方を
変えることはできないだろう。
でも少なくとも私自身は、
「つまらない、どーでもいいこと」に対して
「こだわる」ときにしか
使わないようにしようと思っている。
食材もそうだが、対象を詳細に理解し、
ほんとうに細かい点にまで気を配れる人は、
拘泥とはむしろ逆、
そこから自由にはばたける発想を
持っている気がするからだ。
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