« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月

2018年10月28日 (日)

オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

- ベートーヴェンの散歩道もいっしょに -

 

Heurige(ホイリゲ)とは、
今年の」という意味。
今年できた新しいワインを指すと同時に
ホイリゲを飲ませる酒場
ホイリゲと呼ばれているようだ。

ウィーン郊外の
Grinzing(グリツィング)
Heiligenstadt(ハイリゲンシュタット)
とよばれるエリアに
ホイリゲが多いというので
路面電車でグリツィングに行ってみた。

ウィーン市街から30分弱。
バスのように細かく停車しながら行くので
決して速くはないし、
移動距離自体もたいしたことはないと
思うのだが、それでも車窓の景色は、
どんどん変化していく。

P7169467s

終点となっているグリツィングは
落ち着いた静かな街だった。

居酒屋が並ぶ賑やかな通り、
といった雰囲気は全くない。
ウィーン市街地の喧騒から
そう遠くない位置にいるのが
ウソのよう。

P7169470s

石畳の小さな脇道も
ちょっと物語を感じさせる。

P7169468s

 

ホイリゲつまり
「新酒ワイン居酒屋」の
一軒に入ってみた。
バッハヘングル(Bach-Hengl)

P7169474s

外が気持ちよさそうだったので
緑の多い屋外席に。

子連れの家族もいる。

P7169475s

頼んだのはいろいろ味わえる
「肉料理の組合せプレート」。
例によってすごいボリュームだ。

P7169484s

酒のほうは、
ホイリゲの名前の通り
今年の(?)白ワイン。
飲んでみると
確かに味が「若い」。

P7169476s

ガイドブック等には、
「ジョッキで出てくる」と
書かれていることが多いのだが、
注文の仕方が間違っていたのか、
ここのお店がそうなのか
ワイングラスで出てきた。

なお、ホイリゲでは、
Gespritzter(ゲシュプリツター)と呼ばれる
なんとワインを炭酸水で、
しかも1対1の割合で割った飲み方

あるというので頼んでみた。

すると
ワインと一緒にこんな炭酸水がでてきた。

P7169477s

沸騰しているお湯でも
見たことがないほどの泡、泡、泡。
いったいどうすればこんな強烈な
炭酸水を作ることができるのだろう。

それでなくても「若い」ワインを
炭酸水で割ってしまうので、
まさにガブガブ飲めてしまう。

 

しばらくすると、
バイオリンとアコーディオンの
陽気な生演奏が始まった。

P7169478s

ホイリゲで奏でられる昔ながらの曲は、
「シュランメル」と呼ばれている。
19世紀末にシュランメル兄弟が演奏して
ウィーン中に広まった大衆音楽。

民謡風であったり、
ワルツ(舞曲)風であったり、
ハンガリー風であったり、と
酒場に合う曲が多いが、
ちょっとメランコリックな部分もあって
そこに独特な味がある。

P7169480s

演奏は各テーブルを回り
リクエストにも応えている。

雰囲気だけ貼っておこう。

 

大人の会話(?)で盛り上がっている
テーブルもある。
なんともいい雰囲気だ。

P7169485s

なお、このお店、
有名店なのか
各国著名人が訪問した際の写真で
店内の壁一面が埋め尽くされていた。

P7169488s

ブッシュやらプーチンやら
大統領級もゴロゴロいる。

P7169490s

 

食事のあとは、
お屋敷と呼びたくなるような

P7169495s

大きな家が並んでいる
高級住宅地(?)を通りを抜けて

P7169496s

「ベートーヴェンがよく散歩した」
という道まで行ってみた。

道に沿って
今は小さな公園もあり
緑豊かな中、子どもたちは
バスケットボールを楽しんでいた。
「ベートーヴェンパーク」!?

P7169500s

公園内には銅像もある。

P7169501s

付近には、
ベートーヴェンが第九を書いたり
遺書を書いたことで知られる家まであり
ベートーヴェンゆかりの地として
小さな案内板も出ている。

P7169503s

この道を散歩しながら
交響曲第6番「田園」を書いたと聞くと
後ろに手を回して、うつむき加減に
ゆっくり歩いてみたくなる。

P7169504s

訪問した時間が遅かったため
暗くなってきてしまい
「日没タイムアウト」という
感じになってしまったが、
緑豊かな雰囲気だけは
十分感じ取ることができた。

楽しい居酒屋と豊かな緑、
そういう空気の中で、
「田園」が生まれ、
「合唱付き」が生まれたのだ。

 

十月革命から逃れるために
家族とともに米国に亡命した
ロシアの作曲家ラフマニノフは
その後5年以上にもわたって
作曲することができなかった。

その理由を聞かれて
こう言ったという。

「どうやって作曲するのですか?
 私はもう何年ものあいだ、
 (懐かしい故国ロシアの)
 ライ麦畑のささやきも
 白樺のざわめきも
 聞いていないのですから…」

(詳しくはここを参照下さい)
作曲には「環境」が必要なのだ。

ベートーヴェンが感じた風と緑が
そのままここにある。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年10月21日 (日)

オーストリア旅行記 (61) ウィーン美術史博物館(3)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (61) ウィーン美術史博物館(3)

- ブリューゲル「バベルの塔」 -

 

美術史博物館の目玉のひとつが
ブリューゲルの「バベルの塔」だ。

ただ、日本を出発する少し前、
首都圏の電車では、
この吊り広告をよく目にしていた。

Babel2017s

なので、
「バベルの塔は、今、日本にあって、
 ここウィーンにはないンだよな」と
運の悪さに残念な気持ちでいた。

ところがところが、
展示室に入ってみたら、
正面のこれが目に飛び込んできた。

P7169405s

「ない」と思っていたものが
眼の前にある!

どうして!?

その場で疑問は解決しなかったのだが、
日本に帰ってきて、
改めてポスターを観て納得。

はっきりと「ボイマンス美術館所蔵」の
と書いてあるじゃないか。

「ウィーン美術史博物館」の
「バベルの塔」ではなかったのだ。
日本に行っていたのは。

ブリューゲルの「バベルの塔」は
何作かあると聞いていたので、
そのうちの一作なのだろう。

改めて並べて見てみよう。
上がボイマンス美術館のもので
下がウィーン美術史博物館のもの。

Bruegelp2s

Bruegelb2

ただ、そう思ってみると
中学だったかの美術の教科書に
載っていたのは、
「美術史博物館」のものだった気がする。
この左下の部分、教科書で見た記憶がある。

 

この「バベルの塔」についても

中野孝次 著
ブリューゲルへの旅
文春文庫

(以下水色部、本からの引用)

で触れられている。
前回の「雪中の狩人」に続いて
中野さんにはどんなふうに見えていたのか
ちょっと覗いてみよう。

 

 ウィーンの美術館に一点だけ、
いくら見ていても納得できず、
なにかわけのわからぬ
奇怪なグロテスクなものを見たという、
ほとんど不快な印象を
残したままになっている絵
があった。

P7169422s

彼は身構えて絵の前に立った。

画面中央に巨大な
赤茶けた無気味な姿を
でんと据えているバベルの塔は、
現代人の生半可な感情移入なぞ
にべもなく拒んで、
依然としてただそこに立っていた。

まったくこれは現代人の感性を
嘲笑するために
描かれたような絵である。

まるで地殻の底からふき出た
奇怪なできものだな、と
わたしは思う。

画面中央に居据った
この化物さえなければ、
これは実にすはらしい
海浜都市の描写なのに、と。

「奇怪なできもの」とは
すいぶんな言われようだ。

「できもの」以外の
都市俯瞰図とも言える部分については
「すばらしい海浜都市」の描写とまで
言っているのに。

 

Bruegelb1

われわれは純技術的に見て、
画家が当時の土木建築術の各工程、
道具、建造物の外観、材料、
労働形態、運搬器具、石工、大工、
煉瓦工、船の各態、等々に、
いかに広く正確な知識を持っていたかに、
驚嘆するほかはない。

ブリューゲルは彼がこの途方もない
建造物の総監督
ででもあるかのように、
それらの全部を
認知していたに違いないのである。

では彼はここに、ルネサンスとともに始った
近代科学の進歩のすはらしさを顕賞しようと
したのだろうか?

「まったくなんという途方もない
 巨人的な絶望的な企てだろう」
と嘆きながらも
「わたしは細部の驚くべき緻密さ正確さに
 感心するのをやめ、また退いて」
絵を全体として捉えようとする。

それでも、

わたしはこの十年間に、
さまざまな研究者の解説を読み、
知識はそれなりにあったが、
実際に絵をまた前にしてみれば、
知識は
知覚の養いになってくれなかったこと

あらためてわかるだけである。

 

そしてこの絵の不気味な感じを
こんな言葉で表現している。

悪夢。
たしかにそうだ、とわたしは思った、
あの天に聳立(ショウリツ)する
巨大な建造物が、
人間の理性と労働の勝利という
はればれしい印象よりは、
むしろ無気味な、悪魔的な企て、
あるべからざるなにかのように
印象されるのは、

すでにそれが建造の過程において
崩壊の予感を孕んでいる


感じられるからに違いない。

「すでにそれが建造の過程において
崩壊の予感を孕んでいる」とは
なんとも絶望的な言葉だ。

 

悪夢、と言いながら
丁寧に鑑賞を続ける中野さん。
最後はこんな言葉で結んでいる。
お気に入りの「雪中の狩人」に比べると
同じ画家ながら
ずいぶん対照的な印象を残したようだ。

しかし結局
本当のところはまだわからないな、と
わたしはふたたび呟くしかなかった。

赤茶けた塔のイメージが
また浮かんで、消えた。

それは「雪中の狩人」のような
幸福な印象を残さなかった

実際に絵を目の前にすると、
全体のバランス以上に、
細部の書き込みのすごさに
引き込まれてしまう。

人もモノも動いており止まっていない。

絵はある瞬間を凍らせて
焼き付けてしまうものではない。
ブリューゲルに限らず「いい絵」は、
前後の時間をちゃんと感じさせてくれる

 

P7169413s

 

おまけ:
美術館の展示物の目玉のひとつに
コレがある。いったいこれは何か?

P7169383s

なんとこれは
食卓用塩入れ(イタリア語でサリエラ)。
16世紀のイタリアの金細工師であり
彫刻家でもあった
ベンヴェヌート・チェッリーニの作品。

驚くべきことに、一枚の金板から
型なしで打ち出されたもの
らしい。
まさにルネサンス期の傑作。

これを模して美術館の外にはコレがある。

P7169437s

流行りの「インスタ映え」という言葉が
ふさわしいのかどうかよくわからないが、
美術品の一部になりきって
写真を撮りたくなる気持ちが
よくわかる。

次々と順番を待つようにして、
皆、楽しそうにポーズをとっていた。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年10月14日 (日)

オーストリア旅行記 (60) ウィーン美術史博物館(2)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (60) ウィーン美術史博物館(2)

- ブリューゲル「雪中の狩人」 -

 

前回はこの本

中野孝次 著
ブリューゲルへの旅
文春文庫

(以下水色部、本からの引用)

を紹介したところで終わってしまったので、
続きを書きたい。

ウィーンで
「憂鬱をもてあましていた」中野さんは、
こんな言葉でこの街を描写していた。

思い出すために一部繰り返すと・・・

だが、威圧すべき異民族を失って、
1918年以来
空しく過去の壮麗さのなかに
まどろんでいる
このあまりに伝説的な都市の外観は、

わたしには
若い日の栄華のままに正装し
厚化粧した老婆を白昼に見るような
印象を与えた


それは途方もなく空しく、
無用な装飾にみちすぎていた。

死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市
だった。

「厚化粧した老婆」
「死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市」とは。

そんな中野さんが、
ウィーン美術史博物館で、
ブリューゲルに出会う。

 そんなときに
なぜフリューゲルが
あのように親しく語りかけてきたのか
わからない。

わたしは痛む足をかばうためもあり、
毎日のように
近くの美術史美術館に通い、
その一室にいると幸福だった


どの絵も
いくら見ていてもあきなかった。
ふしぎにしんと静謐な世界へ
誘うものがそこにはあって

静かな声で、
ここがお前の帰っていくべき場所だと
語りかけてくるようであった。

なかでも「雪中の狩人」
深い色合いの世界がとくにわたしを
ひきつけた。

ブリューゲルの「雪中の狩人」
美術の教科書にも出ているコレだ。

P7169420s

製作年1565年。
450年も前の作品だ。
ちなみにブリューゲルは
1525年-1530年頃生
1569年没。

音楽の父とも言われるバッハが
1685年生まれだから、
バッハよりもさらに100年以上も前の人
ということになる。

日本では戦国時代、
種子島に鉄砲が伝わり(1543年)
桶狭間の戦い(1560年)が
あったころの人だ。

 

この絵に、中野さんは
どんなふうに魅了されたのか。

Bruegelv1

 そこにあるのは
きびしい冬の自然のなかの
生の営みである。

重い鉛色の雲に覆われた地上は
一面に深い雪に埋れている。

池も河も重い空を映して、
かすかな緑青色をおびた
鉛色に氷結し、そこに
着ぶくれした子供たちが遊び、
人びとが背をまるめて道を急ぐ。

だがすべては遠く小さく、
かれらの叫びも歓声もきこえず、
世界はしんと寒気のなかに
静まりかえっている

遠景にはまさに様々な人達が
描かれている。でも、確かに
遠いこともあり音は聞こえてこない。

 

Bruegelv2

その世界へいま
三人の屈強な猟師
乏しい建物を背に、
疲れ切った犬を連れ、
とぼとぼと帰っていく。

絵の前面には、
ほとんど画面全体を切るように、
左から右へ対角線がつづき
近景の高い斜面を形作っている。

猟師はいま深い雪のなかの
空しい労働を終え、
ようやく村を俯瞰する
この丘まで辿りついた。

見る者は、
全体のなかで図抜けて大きく描かれた
かれらの、疲労で重い後姿と、
左から右へ一列に黙りこくって
歩を運ぶ存在感にひきつけられ、
まだこれから三人が
歩かねばならぬ距離を一緒に感じる


くろぐろと直立する裸の木々が、
この一団を囲み、
まるで世界から孤立したように
自分の力だけで歩む姿を強調する。

 

Bruegelv3

左手の丘の端に立つ宿屋の
冬仕度にいそがしい人びとさえ
かれらには目をくれないのだ。

宿の人びとは、かれらはかれらで
自分の営みで手一杯で、
なにかを焼く焚火の火は、
寒気のきびしさを伝えるように、
一直線に炎をあげているのである。

 

静寂さ、人々の営み、
風の強さまでを感じたあと
中野さんはこう書いている。

 これが人間の生だ、と
絵は語りかけているように見える。

 

もう一度全体を眺めてみよう。

Bruegelv5

 そこにいるのは、
例えばミケランジェロの
悩ましいまで異常に拡大された
人間性でも、
超自然的な理性の勝利でも、
英雄でも賢者でも、
レンブラントの優れて個性的な
市民でもなかった。

ただのどこにでもいる人であり、
狩人は後向きで
顔さえ見えないのである。

にもかかわらず、
このきびしく支配する
白と緑青と濃褐色の自然のなかで、
かれらの一人ひとりは
なんというずっしりした存在感を
もっている
ことだろう。

かれらはその後姿や
遠い小さな輪郭だけで
たしかにそこにかけがえなく
存在していると感じられるのである。

 わたしはそれまで
こんな絵を見たことがなかった

中野さん、ずいぶん気に入ったようだ。
フェルメールやラファエロの絵も並ぶ
この美術館にあって、
私自身には、そこまで特別な絵として
響いたわけではなかったが、
中野さんのおかげで
ずいぶん細部にまで
注意を払って見ることができた。

 

で、その際気づいたこと。

この部分

Bruegelv4

よく見ると、
近年、冬季オリンピックでよく話題となる
「カーリング」をやっているように
見えるのだが、あの競技
450年も前からあったのだろうか?

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年10月 7日 (日)

オーストリア旅行記 (59) ウィーン美術史博物館(1)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (59) ウィーン美術史博物館(1)

- ウィーンは厚化粧した老婆? -

 

ここに書いた通り、
マリア・テレジア広場を挟んで
向かい合って建っている双子博物館。

自然史博物館 と
美術史博物館。

ウィーン自然史博物館がこれで

P7169438s

P7148748s

 

ウィーン美術史博物館がこれ。

P7148747s

外観では区別がつかない。

 

【ウィーン美術史博物館】
美術品のコレクションも
もちろんすばらしいが、
自然史博物館と同様、
建物自体も見応え充分。

P7169360s

館内で撮った美術品の写真は、
旅行記 (47)(48)(49)(50)(51)
でも、すでに挿絵代わりに使っているが、
自然史博物館では禁止されていた写真撮影が
なぜか(?)こちらでは許可されていた。
撮影OK/NGの基準は
いったいどんなところにあるのだろう?

階段回りもこの雰囲気。

P7169361s

休憩時に軽食のとれるカフェテリアも。

P7169366s

大理石の床と柱の模様が美しい。

P7169362s

大天蓋もこの迫力。

P7169363s

大きいだけでなく、
細部まで美しい。

P7169373s

 

そのうえ、展示室ではなく
階段の壁面上部に
世紀末の画家「グスタフ・クリムト」の
作品を観ることができる。

P7169376s

『エジプト』
『古代ギリシャ』
『16世紀のフィレンツェ』など、
芸術の発展過程をテーマに描いている。

P7169375s

 

この博物館、
「美術史」とついているが、
美術史全体を系統的に網羅したような
そんな展示にはなっていない。

そもそものコレクションに、
ハブスブルク家支配領域の変遷や、
一族の伝統となった
芸術的嗜好などによる偏りが、
明らかに存在している。

P7169379s

 

長らく対抗関係にあった
フランスの作品はほとんどないし、
また16世紀ヴェネツィア絵画の
充実ぶりと比較すると、
それ以前のイタリアの作品は乏しい。

それでも、そういった偏りを
事前に知って観たとしても、
壮大なコレクションは
圧倒的なパワーをもって
観るものに迫ってくる。

P7169416s

 

そもそも偏りのない美術館なんて
どこにもないのだから、
「美術史」という名前につられて
網羅性を期待すること自体
間違っているのかもしれない。

 

工芸品も多いが絵画だけを見ても、
フェルメール、ラファエロ、クラーナハ、
ルーベンス
などの傑作がめじろ押し。

P7169418s

 

特に有名なのは世界最多の点数を誇る
ブリューゲルのコレクション。

ブリューゲルと言えば、
この本が思い出される。

中野孝次 著
ブリューゲルへの旅
文春文庫

(以下水色部、本からの引用)

ブリューゲル絵画の解説本ではなく、
あくまでも中野さんの体験にもとづく
エッセーなのだが、独特な文体は
不思議な空気感を運んでくる。

そもそも、これまで
美しいだの、すばらしいだの、
旅行記の中で
さんざん褒めまくってきた
ウィーンの街を、
中野さんは、こんな言葉で
描写している。

1966年春、わたしはウィーンにいて
憂鬱をもてあましていた


パリの軽快な放射線的構成とも、
ベルリンの雄大な
幾何学的直線とも違う、
宮殿や教会や国立オペラ劇場や
公園を中心に
それぞれ魅惑的な閉鎖空間を
つくっている、

活気のない、古く壮麗な
このバロック都市
にきて以来、
なぜ憂鬱にとりつかれたのか
自分でもわからなかった。

ともかく憂鬱はつねに胸にあり、
それは胸を噛んだ。

それはまるで、
この町を歩けば必ず目に入る
装飾過剰の建築物、
曲線や渦状線や
人柱像で構成された柱列や、
複雑な円や方形の
組合せからなるファッサード
が、
かれら自身の憂鬱を
わたしのなかに注入して、
ここに留まるかぎりその毒から
逃れられないかのようだった。

その壮麗を
否定することはできない。

だが、威圧すべき異民族を失って、
1918年以来
空しく過去の壮麗さのなかに
まどろんでいる
このあまりに伝説的な都市の外観は、
わたしには
若い日の栄華のままに正装し
厚化粧した老婆を白昼に見るような
印象を与えた


それは途方もなく空しく、
無用な装飾にみちすぎていた。

死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市だった。

いくら自分の気分が憂鬱だからと言って、
「若い日の栄華のままに正装し
 厚化粧した老婆を白昼に見るような
 印象を与えた」って
この記述はないンじゃないか、と
個人的には思うが、
街の印象とは、
もちろん見る人の気分との組合せで
存在するものだから、
自分とは違ったウィーンが
見えている人がいると思えば
かえって興味深い。

そんな中野さんに、美術史博物館の
ブリューゲルの絵画は
どんなふうに映ったのだろうか?

 

ちょっと長くなってきたので、
続きは次回に。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

最近のトラックバック

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ