« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »

2018年6月

2018年6月24日 (日)

オーストリア旅行記 (44) ハプスブルク帝国の歴史を

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (44) ハプスブルク帝国の歴史を

- 参考図書の選択 -

 

前回書いた通り、旧王宮の中、

* 「宮廷銀器コレクション」
* 「シシィ博物館」
* 「皇帝の部屋」&「皇妃シシィの住居」

の3つのエリアは
見学順路として繋がっている。

つまり、銀器コレクションを見た後は、
王宮外へ出ることなく、続けて
皇妃シシィ関連の展示を見ることができる。

なので、
写真撮影は禁止されていたものの、
見学メモと
ミュージアムショップで買った
日本語の

Ginnki1

を参考資料に、
皇妃シシィについて
書いてみようか、と考えていた。

ただ、ご存知の通り
ハプスブルク王朝は、
皇妃エリーザベト(愛称シシィ)の死の
20年後には、終わりを迎えている。

夫フランツ・ヨーゼフ1世は
事実上最後の皇帝だ。

つまり、このふたりは、
650年という類をみない
長い王朝の、まさに最後に登場した
主要人物ということになる。

「いきなり最終ランナーかい?」
というわけのわからない声が
どこからか聞こえてきた。


というわけで、これを機会に
ハプスブルク帝国全体の歴史を
何人かの主要人物を軸に
しばし振り返ってみたいと思う。

なお、記事が
文章のみになってしまうことは
避けたいので
ウィーンで撮った写真を
挿絵代わりに挿入しながら
話を進めていきたいと思う。

今日使うのは、旧王宮の中にある
「宝物館」での写真。

P7158997s


ここ
に書いた通り、
私は、世界史については
サボることしか考えていないような、
まるでやる気のない学生だった。
なので、世界史を学ぶうえでの
ベースとなるような基礎知識が
ほとんど身についていない。

今回、旅行を機に
オーストリアの歴史を
学び直してみようと
数冊の本を手にしてみたのだが、
基礎力のなさからか
「学び直した」と言うよりも、
「初めて学んだ」というのが
正直な感想だ。

ただ、「初めて学ぶ」過程には
「へぇ」と驚くようなことが
たくさんあった。

そういった
「初心者ならでは驚き」を中心に
メモを見ながら書き進めたいと思う。

P7158995s

まずは参考図書を紹介したい。

ハプスブルク家関連の本は
まさに山のように出版されているが、
何冊か読んだ中では、
姿勢もトーンもぜんぜん違う
次の二冊がたいへん参考になった。

[1] 岩崎周一 (著)
  ハプスブルク帝国

  講談社現代新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

この本、基本的には
以下のスタンスで書かれている。

本書はこうした動向を踏まえ、
近時の研究成果に基づき、
ハプスブルク君主国の勃興から消滅、
そしてその受容史までを
等身大の姿で扱うことをめざす、
俯瞰的な通史の試み
である。

 執筆にあたっては、
政治・社会・文化を
相互に関連づけながら、
バランスよく
叙述することを目標とした。

意識したのは、
学術性と読みやすさを
両立させることである

400ページ超の厚めとは言え、
新書一冊でバランスよく
通史を俯瞰できるのだからお得感大。

しかも、
最新の研究成果も反映させながら、
ちゃんと
「学術性」と「読みやすさ」の
両立に成功している。

なにより、著者が意識している読者が
さまに私そのものなのだ。

ハプスブルク帝国に関心があるが、
詳しいことは何も知らない

- そうした人たちが無理なく、
そして興味深く読めるような
本が書ければ、と考えた。

 また通史であることを意識して、
特定の時代やテーマに深入りし過ぎず、
各時代にそれぞれ十分
紙幅を割くよう心掛けた。

そのうえ、
私自身は全くの歴史ド素人なのに、
下記をハッキリ言い切ってしまう
著者の姿勢に
妙に好感を持ってしまった。

なおハプスブルクというと、
英傑たちが華やかに躍動する、
王朝ロマン調の叙述を
期待する向きも多いだろう。

しかし私の考えでは、
歴史学の役割と面白さは、
そうした小説的な面白さとは
別のところにあるように思う


創作・潤色・憶測を排し、
検証と考究を実直におこなうことを
旨とする

「学問としての歴史」

がもつ独自の魅力
が、
本書から少しでも伝わることがあれば、
望外の幸せである。

「潤色に満ちた歴史物語」は
歴史素人には読みやすいうえ、
わかりやすいので面白い。

でも、ほんとうの魅力は、
歴史そのものにあるのだ
、という
強いメッセージ。

潤色・憶測を排した歴史の魅力
この本を読んでいると
この点を伝えるための
並々ならぬ意志の強さを
いたるところで感じる。

というわけで、これがまず一冊目。


P7159006s


そして二冊目はこれ。

[2] 中野京子 (著)
  名画で読み解く
  ハプスブルク家12の物語

  光文社新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、薄緑部は本からの引用)

「怖い絵」で知られる
中野京子さんの本。

この本、[1]とは対照的に
「小説的な面白さ」の魅力も
視野に入れている。

数多(あまた)のハプスブルク関連書が
読まれ続けているのは、

こうした歴史と人間の織りなす
華やかで血みどろの錯綜した世界が、
あるときは限りないロマンをかきたて、

あるときは身の毛もよだつ恐怖を与え


さらには現代のヨーロッパ統合とも
二重写しになるからだろう。

しかも、話の入り口に
「名画」を選んでいる点で
実にユニーク。
[1]とは違った角度から
歴史を見ることができる。

帝国はまた、
多くの芸術作品の背景ともなってきた。

オペラには
 ヴェルディ
 『ドン・カルロ』(原作はシラー)

伝記
 ツヴァイク
 『マリー・アントワネット』、

ミュージカル
 リーヴァイ『エリザベート』

といった傑作があるように、
絵画作品においても、
 デューラー、
 ティツィアーノ、
 ベラスケス、
 グレコ といった
天才たちが絵筆をふるっている。

本書は、
それらの名画を読み解きながら、
ハプスブルク帝国史の
一端をうかがう試み
である。

英国のクラシック音楽の
作曲家の少なさが
話題になることがときどきあるが、
「絵画」の視点から見ると、
ドイツ語文化圏について
次のようなことも言えるようだ。

 小さな試みだが、
大きな偏りが出るだろう。
なぜなら錚々たる画家を輩出し
引き寄せたスペイン
に対し、
あくまで
「耳の人」(=音楽の人)で
「眼の人」(=絵画の人)ではない
ドイツ語圏内
には、近・現代以前の
美術史に残る画家といえば、
 デューラー と
 クラナッハ くらいしか
いなかったからだ。

おかげで
オーストリア・ハプスブルク系統には
名画と呼べるものが少なく、
ハプスブルクを代表する
女傑マリア・テレジアでさえ、
全く残念なことに
価値ある肖像画を一枚も残していない。

 ともあれ、それはそれで
文化史的偏りと諦めるしかないだろう。

デューラーからマネに至る
12点の作品から、
画家の鋭い眼差しを通した
傑物たちの存在感を受けとめ、
画面で語られる歴史の驚きと不思議

味わっていただければ嬉しい。

[1]とはトーンが対照的な[2]。

[1]に比べると、
物語として楽しく読めるよう
人物像を描くエピソードを
厳選している感じだが、
筆者の豊富な知識に支えられているせいか、
決して「楽しいけれど薄い」
になっておらず、楽しみながらも
しっかり背景を感じとることができる。


P7159014s


いずれにせよ、
2冊のトーンが違うがゆえに、
両方に目を通すと
様々なエピソードがまさに立体的に
浮かび上がってくる。

「見方」の多彩さを楽しみながら、
ハプスブルク家の長い歴史に
しばし思いを馳せてみたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年6月17日 (日)

オーストリア旅行記 (43) 銀器コレクション

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (43) 銀器コレクション

- 33mのセンターピース -

 

旧王宮の中、

* 「宮廷銀器コレクション」
* 「シシィ博物館」
* 「皇帝の部屋」&「皇妃シシィの住居」

の3つのエリアは
見学順路として繋がっており、
続けてみることができる。

このうち、写真撮影OKなのは
「宮廷銀器コレクション」のみ。

【宮廷銀器コレクション】

P7158867s

行ってみて驚くのは、
新王宮内の「古楽器博物館
などと違って、こちらは人、人、人。
ツアーや団体客も含めて、
観光客の大メインルートとなっている。

チケットを購入すると、
日本語も選べるオーディオガイドを
全員に貸し出してくれるので、
時間に余裕があれば、
一点一点ガイドを聞きながら
丁寧に回ることができる。

もちろん「銀」だけではない。

P7158869s

そう言えば、
ここのオーディオガイドは
いわゆる受話器タイプ
本体を片手に持ち、
耳に当てながら音を聞く、
電話しているときのスタイル。

本体には首から下げて持ち歩けるよう
ネック・ストラップがついているが、
音を聞くときは、耳に当てるしかない。

ところが、このスタイルでは、
片耳、片手がふさがってしまうため、
メモを取ったり、
写真を撮ったりが
きわめてやりにくい。

なんとかならないものだろうか?

本体をよく見ると
3.5mmのイヤホンジャックがある。
思わず
いつも持ち歩いているWalkmanの
イヤホンを抜いて挿してみた。

完璧だ!
首からぶら下がっている本体から
イヤホンを通じて音が聞こえる。
このとき、両手は完全にフリー!

写真もメモも音を聞きながら
自由自在にできる。

ここでは、
Myイヤホンの機内持ち込みを推奨したが、
Myイヤホンは、
博物館のオーディオガイドでも役に立つ


見学の際は、お薦め。
写真を撮ったりメモを取ったりしたい方
ぜひお忘れなく。

 

P7158867s

さて、展示の内容。

ハプスブルク家歴代の銀器と
金器(?)の量はすさまじく
最初はその量に驚くものの
途中からある種の感覚が
完全に麻痺してくる。


P7158866s

銀器・金器だけでなく
陶磁器ももちろん大量にあり
ヨーロッパの名窯で作られたものが並ぶ。

銀器にも陶磁器にも
双頭の鷲の紋章が。

P7158865s

P7158873s

P7158865ss

クリスタルガラスは、
ロブマイヤーのものが多い。

P7158862s

P7158864s

数ある食器・調度品の中でも、
食卓を飾る豪華なセンターピースは
ひときわ目をひく。

【古いフランス風センターピース】

P7158876s

ブロンズに金メッキされている。
1838年くらいのもの。

P7158874s

いったいどれほどの金が
使われているのだろう。

P7158878s

帰るときに寄った
ミュージアムショップには
日本語のこんなガイドブックが
あったので購入してみた。

Ginnki1

この中に、
シェーンブルン宮殿大広間の祝宴で
センターピースが
実際に使われている時の絵がある。

Ginnki2

なるほど、これほど大きなテーブルを
飾る必要があるわけだ。

19世紀前半にミラノで作られた
センターピースは33mにもおよぶ。

P7158870s

そう言えば、
上のガイドブックに、
「磁器」と「貴金属食器」の関係について
こんな興味深い記述があった。
ちょっと引用したい。(水色部)

18世紀当時、
ウィーン磁器工房にとって
皇帝の宮廷は
決して重要な顧客ではなかった。

磁器はまだ装飾品であり、
高価なばかりでなく
壊れやすかったので、
皇帝家の食卓には
金、金メッキした銀、銀など、
貴金属の食器が使われていたからである。

磁器は主にデザート、スープ、
朝食セットに利用され、
あるいは神話のシーンなどを示す
群像としてテーブルに飾られた。

壊れやすいのは確かにそうだが、
18世紀ごろ、基本的に
磁器はまだ装飾品だったのだ。

メインは貴金属の食器。

 

ところが、
ハプスブルク家といえども
いつでも潤沢に
金銀を使えたわけではない。

戦費調達のために、宮廷の食器まで
貨幣鋳造に回されたこともあるのだ。

そのとき、磁器が活躍している。

ナポレオン戦争の戦費調達に、
窮余の策として食器類の金銀も
貨幣鋳造に転用された
ため、
宮廷における磁器の需要が
飛躍的に増大した。

宮廷の部局でも皇帝家の食卓にも、
ますます多くの磁器製品が
調達されるようになった。

1814年の春になって
戦後処理を論議する国際会議のため
ウィーンが候補地になった時、
ハブスブルク家の宮廷には貴金属の食器が
殆ど残っていなかった


再び窮余の策としてウィーン磁器工房に
公式のディナーに使う
金色のディナー・セットが注文された。

貴金属の食器が
ほとんど残っていなかったので、
「磁器工房」に「金色」の
ディナー・セットを注文、
そんなこともあったのだ。

 

磁器と言えば、
日本の伊万里コレクションもあった。

P7158882s

「宮廷銀器コレクション」の
エリアを抜けると、外に出ることなく
そのまま「シシィ博物館」へと
導かれていく。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年6月10日 (日)

オーストリア旅行記 (42) ベートーヴェンの家と譜面屋

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (42) ベートーヴェンの家と譜面屋

- 楽譜は共通語 -

 

ここに 書いた通り、
ウィーン市街を守っていた市壁は
約150年前に取り壊され、
新しい都市計画が動き出したのだが、
市内には、当時の市壁の一部が
残っているところがある。

P7169443s

このアパートの土台部分、
古い市壁がそのまま残っている。
稜堡(バスタイ)と呼ばれる、
突き出した角の部分にあたるところだ。

P7169445s

積み上げられたレンガを味わいながら
上ってみることにした。

P7169447s

実はこの上のアパートには、
ベートーヴェンが住んでいた家がある。

【ベートーヴェンの家】
今はこんなプレートが埋め込まれている。

P7169453s

ベートーヴェンは、
生涯に80回以上も引越をした

そのベートーヴェンが、
ここには約10年間(1804-1815)も
住んでいたという。

P7169454s

生涯でもっとも長く住んでいた家
このアパートの5階。

いまは記念館になっているが、
他の部屋には、普通に人が暮らしている。
なので、記念館の呼び鈴も
他の住人と同じもので特殊なものではない。
(左列、上から三番目のボタン)

P7169452s

「運命」の名で知られる交響曲第5番、
テレビドラマ「のだめカンタービレ」で
一躍知名度の上がった交響曲第7番、
大戦後の1955年、国立歌劇場の
修復完成記念の演目に選ばれた
オペラ「フィデリオ」、そのほか
ピアノソナタ「告別」、
ピアノ曲「エリーゼのために」、
など多くの曲がここの部屋で作曲された。

 

【Musikhaus DOBLINGER】
音楽の都ウィーン。
夫婦ともに多少なりとも楽器を嗜むので、
ウィーンの訪問記念に
楽譜を買って帰ることにした。

事前に楽器仲間に教えてもらっていた
「譜面屋:DOBLINGER」を訪問。
「MUSIKHAUS」の字面がなんとも誘惑的だ。

P7148771s

旧市街のど真ん中。

ドイツ語はぜんぜん読めないが、
五線譜はいい。
まさに言葉の壁がない。

P7179599s

品揃えといい、在庫の量といい、
さすがウィーン。
楽器を肩に掛けたお客さんも
何人かいる。
しかも店内、楽器、編成ごとに
譜面がよく整理されているので、
初めて訪問する外国人でも、
迷わずターゲットに辿り着くことができる。

そのうえ、各譜面がオープンで、
実に見やすい。
(日本で輸入譜面を買いに行くと、
 ひとつひとつが袋に入っており
 かなり選びにくいことが多い)

引き出しを開け
パラパラとページをめくり
次々に内容を見ることができる。

P7179602s

ただ、楽譜としては読めても
自分が演奏できない譜面が多いのは
なんとも悲しい。

まぁ、実力の低さをこの時点で
嘆いてみてもしかたがないので、
「これならできそう」の譜面を探す。

P7179603s

このお店、広い店内が
大きくふたつに分かれている。
ひとつは譜面エリアで
もう片方は音楽関連グッズエリア。

夫婦それぞれ小品の譜面と
譜面用クリップなどの小物を購入。

音楽の都ウィーンで買った音楽グッズ。
だれでもない自分自身への
いい土産になった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年6月 3日 (日)

オーストリア旅行記 (41) エフェソス博物館

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (41) エフェソス博物館

- 極私的興奮の時間 -

 

本旅行記は、観光名所の紹介を
目的としているわけではなく、
あくまでも私自身の
「私的」好奇心の記録として
書いているので、
改めて言うのもヘンな感じだが、
今日は特に「私的」に興奮してしまった
訪問先について書きたいと思う。

見どころの多いウィーンにあって
一般的には「ぜひ訪問すべき場所」、
というわけではないと思うが、
ご興味があればお付き合い下さい。

 

新王宮の中にある博物館のひとつに
これがある。

【エフェソス博物館】

P7159034s

エフェソスは
トルコにある古代ローマの壮大な遺跡。
そこで発掘された
出土品が並んでいる。

P7159037s

トルコの遺跡の出土品がなぜここに?
の疑問はさておき、
意外なところでの意外な出遭いに
驚くやら嬉しいやらで
すっかり気分は高まってしまった。

何がそんなに嬉しいのか。

P7159046s

 

本ブログ「はまのおと」を
始めたきっかけは、
2012年のトルコ旅行だった。
今回のオーストリア旅行と同様
夫婦ふたりでの個人旅行。

トルコは鉄道網が弱いので、
深夜バスも含め
主にバスを乗り継いでの
旅行だったのだが、
その訪問先のひとつ
「エフェソス」の遺跡は
私達に強烈な印象を残している。

ここ
そのときの訪問記を書いている。

いまや300を越えるエントリとなった
当ブログの、
生まれたばかり3つ目のエントリ。

写真の大きさもバラバラだし、
PCのブラウザで見ることしか
考えていない6年前の記事だが、
今読み返してみても、あのときの興奮を
ありありと思い出すことができる。

とにかく壮大。

その中に有名な
「ケルスス図書館」がある。

トルコ旅行時の
エフェソス遺跡の写真も
交えながら話を進めたい。

実際の図書館の遺跡はこんな感じ。

120709122220_img_2260s

ご覧の通り、
見事なファサードが残っている。

120709124903_img_2299s

注目すべきは一階部分。
彫刻が見えるだろうか。

120709125736_r0010051s

大きすぎて
一度に撮ることはできなかったが、
一階部分に4体の女性像が立っている。

120709125744_r0010052s

トルコ旅行記で私はこう書いた。
ちょっと引用したい(水色部)。

2世紀。エフェソスを代表する遺跡。
ケルススの息子が
父の墓の上に築いた図書館。

近くで見るとその壮麗さに圧倒される。

一階部分には、
英知、徳性、思慮、学術を意味する
4つの女性像が立っているが、
オリジナルはウィーンの博物館にあり
ここにあるのはコピー。

だからと言って
ウィーンに行って像だけを見ても、
それらが存在していた
ここの空気感を想像することは
できないだろう。

つまり、上の写真の図書館一階部にある
4体の女性像は実はレプリカ。

そして、ここに書いた
「オリジナルのあるウィーンの博物館」が
まさに今回訪問した
「エフェソス博物館」だったのだ。

「トルコ」と「オーストリア」
私的な旅行が
「エフェソス遺跡」を介して
目の前で繋がった。
この嬉しさ、
どう表現すればいいのだろう。

 

とはいえ、見事な遺跡の図書館も
この博物館では小さな小さな
模型のみの展示になってしまっている。

P7159033s

遺跡の実物を見ているだけに、
模型感が悲しい。

一方で、遺跡にはレプリカが置いてあった
英知、徳性、思慮、学術を意味する
4つの女性像のオリジナルは
確かにこちらにあった。

P7159032ss

P7159032s

あの壮麗なケルスス図書館の
ファサードを思い出すと
4体の像だけが
ポツンと並べられている様は
なんとも寂しい。

しかも、思ったよりも小さい。

「手に取るな
 やはり野に置け蓮華草」
とはよく言ったものだ。

 

なお、この博物館には出土品の他に、
エフェソス遺跡全体の模型がある。

図書館の模型は悲しかったが
この全体模型は出色だ。

P7159048s

たとえば、2万人収容の
こんな巨大な観客席を持つ円形劇場。

120709130449_img_2312s

規模感が伝わるだろうか。

右奥に広がる大きな観客席。

120709131032_img_2323s

それが模型の中では、
下の写真の左下のすり鉢部分。
全体の中ではこんなに小さい。
遺跡全体がどれほど大きいかが
よくわかる。

P7159035s

地形の起伏の再現も完璧で
エフェソス遺跡を歩いたことを
思い出しながら見ると、
いくら見ていても飽きない。

図書館は、下の写真の
左上の小さな箱。

P7159042s

 

右下から左上の図書館に
まっすぐ伸びている通りが、
クレテス通り。

右下の通り入り口に立って
実際に図書館方面を見ると
こんな景色を見ることができる。

120709120658_img_2237s

女性像をトルコから持ち込まず、
逆に、この模型を
エフェソス遺跡訪問者が
実物と見比べながら見られるように
トルコに置いておいてもらいたいくらい。

P7159038s

 

トルコの記事に書いた通り
「だからと言って
 ウィーンに行って像だけを見ても、
 それらが存在していた
 ここの空気感を想像することは
 できないだろう」
は、まさに当たっていた。

出土品だけを眺めて
想像力を働かせても、残念ながら、
あそこの「空気感」を思い描くことは
難しい。

でも、遺跡で一番重要なのは
あの空気感なのだ。

アレキサンダー大王、
クレオパトラとアントニウス、
そんな人たちが実際にここを
歩いていたかもしれない、
そう思いながら歩く時の高揚感は
やはり行ってみないとわからない。

それを引き起こす力が
あの遺跡の空気にはある。

P7159037ss

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »

最近のトラックバック

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ