オーストリア旅行記 (44) ハプスブルク帝国の歴史を
(全体の目次はこちら)
オーストリア旅行記 (44) ハプスブルク帝国の歴史を
- 参考図書の選択 -
前回書いた通り、旧王宮の中、
* 「宮廷銀器コレクション」
* 「シシィ博物館」
* 「皇帝の部屋」&「皇妃シシィの住居」
の3つのエリアは
見学順路として繋がっている。
つまり、銀器コレクションを見た後は、
王宮外へ出ることなく、続けて
皇妃シシィ関連の展示を見ることができる。
なので、
写真撮影は禁止されていたものの、
見学メモと
ミュージアムショップで買った
日本語の
を参考資料に、
皇妃シシィについて
書いてみようか、と考えていた。
ただ、ご存知の通り
ハプスブルク王朝は、
皇妃エリーザベト(愛称シシィ)の死の
20年後には、終わりを迎えている。
夫フランツ・ヨーゼフ1世は
事実上最後の皇帝だ。
つまり、このふたりは、
650年という類をみない
長い王朝の、まさに最後に登場した
主要人物ということになる。
「いきなり最終ランナーかい?」
というわけのわからない声が
どこからか聞こえてきた。
というわけで、これを機会に
ハプスブルク帝国全体の歴史を
何人かの主要人物を軸に
しばし振り返ってみたいと思う。
なお、記事が
文章のみになってしまうことは
避けたいので
ウィーンで撮った写真を
挿絵代わりに挿入しながら
話を進めていきたいと思う。
今日使うのは、旧王宮の中にある
「宝物館」での写真。
ここに書いた通り、
私は、世界史については
サボることしか考えていないような、
まるでやる気のない学生だった。
なので、世界史を学ぶうえでの
ベースとなるような基礎知識が
ほとんど身についていない。
今回、旅行を機に
オーストリアの歴史を
学び直してみようと
数冊の本を手にしてみたのだが、
基礎力のなさからか
「学び直した」と言うよりも、
「初めて学んだ」というのが
正直な感想だ。
ただ、「初めて学ぶ」過程には
「へぇ」と驚くようなことが
たくさんあった。
そういった
「初心者ならでは驚き」を中心に
メモを見ながら書き進めたいと思う。
まずは参考図書を紹介したい。
ハプスブルク家関連の本は
まさに山のように出版されているが、
何冊か読んだ中では、
姿勢もトーンもぜんぜん違う
次の二冊がたいへん参考になった。
[1] 岩崎周一 (著)
ハプスブルク帝国
講談社現代新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
この本、基本的には
以下のスタンスで書かれている。
近時の研究成果に基づき、
ハプスブルク君主国の勃興から消滅、
そしてその受容史までを
等身大の姿で扱うことをめざす、
俯瞰的な通史の試みである。
執筆にあたっては、
政治・社会・文化を
相互に関連づけながら、
バランスよく
叙述することを目標とした。
意識したのは、
学術性と読みやすさを
両立させることである。
400ページ超の厚めとは言え、
新書一冊でバランスよく
通史を俯瞰できるのだからお得感大。
しかも、
最新の研究成果も反映させながら、
ちゃんと
「学術性」と「読みやすさ」の
両立に成功している。
なにより、著者が意識している読者が
さまに私そのものなのだ。
詳しいことは何も知らない
- そうした人たちが無理なく、
そして興味深く読めるような
本が書ければ、と考えた。
また通史であることを意識して、
特定の時代やテーマに深入りし過ぎず、
各時代にそれぞれ十分
紙幅を割くよう心掛けた。
そのうえ、
私自身は全くの歴史ド素人なのに、
下記をハッキリ言い切ってしまう
著者の姿勢に
妙に好感を持ってしまった。
英傑たちが華やかに躍動する、
王朝ロマン調の叙述を
期待する向きも多いだろう。
しかし私の考えでは、
歴史学の役割と面白さは、
そうした小説的な面白さとは
別のところにあるように思う。
創作・潤色・憶測を排し、
検証と考究を実直におこなうことを
旨とする
「学問としての歴史」
がもつ独自の魅力が、
本書から少しでも伝わることがあれば、
望外の幸せである。
「潤色に満ちた歴史物語」は
歴史素人には読みやすいうえ、
わかりやすいので面白い。
でも、ほんとうの魅力は、
歴史そのものにあるのだ、という
強いメッセージ。
潤色・憶測を排した歴史の魅力、
この本を読んでいると
この点を伝えるための
並々ならぬ意志の強さを
いたるところで感じる。
というわけで、これがまず一冊目。
そして二冊目はこれ。
[2] 中野京子 (著)
名画で読み解く
ハプスブルク家12の物語
光文社新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、薄緑部は本からの引用)
「怖い絵」で知られる
中野京子さんの本。
この本、[1]とは対照的に
「小説的な面白さ」の魅力も
視野に入れている。
読まれ続けているのは、
こうした歴史と人間の織りなす
華やかで血みどろの錯綜した世界が、
あるときは限りないロマンをかきたて、
あるときは身の毛もよだつ恐怖を与え、
さらには現代のヨーロッパ統合とも
二重写しになるからだろう。
しかも、話の入り口に
「名画」を選んでいる点で
実にユニーク。
[1]とは違った角度から
歴史を見ることができる。
多くの芸術作品の背景ともなってきた。
オペラには
ヴェルディ
『ドン・カルロ』(原作はシラー)
伝記に
ツヴァイク
『マリー・アントワネット』、
ミュージカルに
リーヴァイ『エリザベート』
といった傑作があるように、
絵画作品においても、
デューラー、
ティツィアーノ、
ベラスケス、
グレコ といった
天才たちが絵筆をふるっている。
本書は、
それらの名画を読み解きながら、
ハプスブルク帝国史の
一端をうかがう試みである。
英国のクラシック音楽の
作曲家の少なさが
話題になることがときどきあるが、
「絵画」の視点から見ると、
ドイツ語文化圏について
次のようなことも言えるようだ。
大きな偏りが出るだろう。
なぜなら錚々たる画家を輩出し
引き寄せたスペインに対し、
あくまで
「耳の人」(=音楽の人)で
「眼の人」(=絵画の人)ではない
ドイツ語圏内には、近・現代以前の
美術史に残る画家といえば、
デューラー と
クラナッハ くらいしか
いなかったからだ。
おかげで
オーストリア・ハプスブルク系統には
名画と呼べるものが少なく、
ハプスブルクを代表する
女傑マリア・テレジアでさえ、
全く残念なことに
価値ある肖像画を一枚も残していない。
ともあれ、それはそれで
文化史的偏りと諦めるしかないだろう。
デューラーからマネに至る
12点の作品から、
画家の鋭い眼差しを通した
傑物たちの存在感を受けとめ、
画面で語られる歴史の驚きと不思議を
味わっていただければ嬉しい。
[1]とはトーンが対照的な[2]。
[1]に比べると、
物語として楽しく読めるよう
人物像を描くエピソードを
厳選している感じだが、
筆者の豊富な知識に支えられているせいか、
決して「楽しいけれど薄い」
になっておらず、楽しみながらも
しっかり背景を感じとることができる。
いずれにせよ、
2冊のトーンが違うがゆえに、
両方に目を通すと
様々なエピソードがまさに立体的に
浮かび上がってくる。
「見方」の多彩さを楽しみながら、
ハプスブルク家の長い歴史に
しばし思いを馳せてみたい。
(全体の目次はこちら)
最近のコメント