オーストリア旅行記 (15) ハルシュタット到着まで
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オーストリア旅行記 (15) ハルシュタット到着まで
- ホテルは築400年! -
ザルツブルクから次の目的地、
ハルシュタット(Hallstatt)に向かう。
ザルツブルク駅から、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅までは
ウィーンから来たのと逆方向
同じ特急railjetで約50分。
車内にはこんな喫茶室もある。
アットナング・プッハイム駅で
ローカル線に乗換える。
ハルシュタット駅までは、
乗換えてから約1時間15分。
乗換えもわかりやすいし、
時間も正確だし、
駅も電車も清潔でかつ安全な感じだし、
オーストリアの鉄道は
慣れない旅行者にもストレスが少ない。
ドイツ語が読めないことだけがつらいが
まぁ、路線図さえあればなんとかなる。
乗換えたローカル線も、
ローカル線とは言え車両も新しく、
車内もこんな感じできれいだった。
まもなく、
オーストリアで愛用されている陶器、
「グムンデン焼き」の生産地で有名な
グムンデンに。
妻は、ザルツブルクのショップで見た
シンプルな絵柄の食器が気に入り
すでに小柄なボウルを購入していたが、
まさに生産地を通過するなら
直売所もある陶器工場にも寄れないものかと
最後の最後まで迷っていた。
結果的に、駅から工場まで
ちょっと距離がありそうだったこともあり、
残念ながら時間の都合でパス。
次回のお楽しみ、ということになった。
グムンデンを通過すると、
左手にトラウン湖(Traunsee)が見えてきた。
これがまた美しい!
ちょっと雲が多くなって来ていたが、
湖も山も、そして家並みも緑も、
「帰りにもう一度通るので、
その時は降りてみようか」
と思わずにはいられない魅力がある。
トラウン湖を過ぎると、
バート・イシュル(Bad Ischl)に到着。
ここも結果的には停車しただけだったが、
降りたかった町のひとつだ。
温泉保養地として
よく知られている町ではあるが、
ここはシシィの愛称で知られる
皇妃エリザベートの
数奇な運命が始まった町でもある。
1853年、
皇帝フランツ・ヨーゼフは
バイエルン公女ヘレーナとの見合いのために
この町を訪れた。
ところが皇帝は、ヘレーナではなく
付き添ってきたヘレーナの妹
15歳のエリザベートのほうに
ひと目惚れしてしまい
彼女に結婚を申し込んでしまう。
その後・・・。
エリザベートのことは、
ウィーンに移動したあと、
少しまとめて書きたいと思っている。
皇帝は、エリザベート亡き後も
思い出の地であるこの町へ、
毎年訪れていた。
ハプスブルグ家の別荘だった
カイザービラもこの町にあり、
夫妻が過ごした部屋も
公開されているという。
バート・イシュル通過後、
しばらくすると、ついに
ハルシュタット湖(Hallstätter See)が
見えてきた。
ただ、ハルシュタットの町は
湖の対岸にあるため、
電車からではまだまだ小さい。
ハルシュタット駅に到着。
小さな駅舎はあるものの
無人駅だ。

ここから対岸の町ハルシュタットまでは、
小型の渡し船で約10分。
駅の周囲には何もないので、
電車から降りた乗客は
事実上全員、渡し船に向かう。
(電車から降りた後、
いきなり湖畔のトレッキングや
自転車持参でのサイクリングを始める人も
ゼロではないが、ごくごく少数)
対岸までひとり2.5ユーロ。
いよいよご対面が近いのに、
タイミング悪く
雲行きがかなり怪しくなってきている。
目指すは対岸の湖畔の町ハルシュタット。
途中、駅の方を振り返ってみた。
中央の小さな船着き場が、
渡し船の出発点。
そのすぐ上、
右側の白い横線が鉄道。
この位置からでは
緑の茂みの中で駅舎も見えないが、
ハルシュタット駅の回りには、
船着き場以外なにもないことがよくわかる。
流れる黒い雲が湖を覆い、
風が強くて湖面が波立っていたうえ、
雨もポツポツと始まってしまった、
という状況だったので、
ベストコンディションでの町との対面
というわけにはいかなかったが、無事
ハルシュタット側の船着き場に到着した。
船から降りると、
天気はイマイチながら、
町のオーラをヒシヒシと感じる。
散策へのはやる気持ちを抑えて、
荷物もあるので、まずは
ホテルのチェックインに急いだ。
案内された部屋はこの建物の3階。
ホテルの人の話によると、
400年ほど前の建物だとか。
そういえば、
2012年、トルコ旅行時に
昔のシルクロードの隊商隊が宿にしていた
キャラバンサライと呼ばれる所に
港町クシャダスで泊まったが、
そこも建物は400年級の古さだった。
建物の規模は全然違うが、
やはり石造りの建造物は
長持ちするということなのだろう。
建物自体はほんとうに古くて
もちろんエレベータもないが、
中は完全にリノベーションされており、
水回りも含めて実に快適。
掃除も行き届いていて、気持ちいい。
心配した天気の方も、
山の天気か、変化が速く
どんどん快方に向かっている。
よし、荷物を置いて
身軽になって散策だ!
ところで、以前書いた通り、
ザルツブルク(Salzburg)は、
salzが「塩」
burgが「城、要塞、砦」
つまり「塩の城」という意味だった。
ハルシュタット(Hallstatt)も、
ハルはケルト語で「塩」
シュタットはドイツ語で「町」
つまり「塩の町」を意味している。
どちらも「塩の町」。
なぜケルト語なのか?
なぜ塩なのか?
次回は、参考図書の助けも借りながら
「世界で一番美しい湖岸の町」
と呼ばれる世界遺産のこの町を、
ゆっくり散策してみたい。
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