「ひでえ書物を読了いたしました」?
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「ひでえ書物を読了いたしました」?
- 俗語が使えることが「できる」こと? -
英語ネタが続いてしまったが、
もうひとつ、
「忘れないようにしよう」
と思っている文章がある。
留学先での自身の奮闘を
藤原正彦さんが書いた
「若き数学者のアメリカ」新潮文庫
の一節。(以下水色部、本からの引用)
英語の習得に
積極的に取り組んでいた藤原さんは、
留学先のアメリカで、
「文章ごと覚えないと
どうにもならない決まり文句」を
現地の発音のまま、徹底的に勉強し
体得しようとしていた。
アパートに戻ってから忘れないうちに、
ノートに書き留めることにしていた。
また、覚えたら、
なるべく実地で使うよう心がけた。
そして発音する時には、
徹底的にアメリカ人の真似をした。
例えば右の
"You've got to be kidding." は
ユーガタビーキディンという具合に。
この"貪欲に覚え、臆せず真似をする"
という作戦は功を奏し、
他の人より速く会話に上達したようである。
「貪欲に覚え、
臆せずアメリカ人の真似をして
実地で使う」
その結果、人より速く会話も上達する。
すばらしい学習方法であり成果だ。
ただ、この上達を、
藤原さんは冷静に分析している。
気恥ずかしさを禁じ得ないのも事実だ。
当時の私の話し方は、きっと、
「私は昨夜、ひでえ書物を読了いたしました」
といったものだったに違いないからだ。
単語や句、文の選択が、
その言葉の意味だけでは決まらず、
会話の内容、雰囲気から
相手の教養、育ち、宗教などにまで
深く関わっている、という当然のことを
軽視していた。
だから、日本式に発音された
正統的イギリス英語の中に、
いきなり現代アメリカ俗語が
キザな発音で現われ出たりした。
そこには、
自分は外国人であるから許されるだろう、
という甘えもあった。
そして同時に、自分が外国人であることを
忘れていたとも言える。
外国人は、「ひでえ」「ズラカル」
「おちゃのこさいさい」などの言葉は、
知っていた方が便利としても、
自ら使う必要は全くないし、
むしろ使用しない方が
はるかに賢明なのである。
日本人は
アメリカ人と同じ英語を話す必要はない。
正確な英語さえ話せれば、
意思の疎通は、その深い意味においてでも、
完全に可能である。
しかしこの事実を理解したのは、
かなりの月日が経ってからだった。
俗語が使えるとツウっぽい感じがするけれど
それが「英語ができる」ということじゃない。
正確な英語をキッチリ話せれば、
意思の疎通はその範囲で完全に可能。
もちろん私自身は、とてもそのレベルではないが、
外国語を学ぶものにとっての名言だと思う。
そもそも正確でキッチリした英語は美しいし。
この本、個人的には
著者の大ベストセラー「国家の品格」なんかよりも
ずっとおもしろい傑作だと思っている。
アメリカという未知の世界に飛び込んだ著者の
劣等感、好奇心、疎外感、プライド、対抗心、挑戦心。
「異文化」との交流のおける自身の変化が
ほんとうに生き生きと描けている。
35年も前の本だが、いつ読み直しても楽しい。
「若いときならでは」の気持ちが蘇ってくる。
お薦めだ。
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hama さん こんにちは
いつも面白い本のご紹介有難うございます。
私も時々、必要に迫られ、かなり怪しい英語をしゃべっていますが、どこかに「外国人だから」という甘えがあり、特に冠詞や複数形、時制などはかなりいい加減になっている気がします。
流行の言い回しを使えるほどボキャブラリーはないですが、やはり英国式、米国式が混じったりして、この文書を読んで、反省しきりです。
やはり、正確な言葉を覚えるのが重要なんですね。
投稿: Khaaw | 2016年7月 9日 (土) 17時07分
Khaawさん、
コメントをありがとうございます。
私にはとても真似のできない
英語でのブログも書いていらっしゃるKhaawさんでも
そんなふうに思うことがあるのですね。
藤原さんと同様、私も若いときは、
俗語を取り入れたり、単語をくっつけて崩したり、
ヘンな間合いの言葉を入れたりを、
カッコいいというか、「できる」ことの一部のように
勘違いしていた面があるような気がします。
でも、あるころから、
たとえちょっと古臭くても、硬くても、
きっちり正確に話せるほうがカッコいいなぁと
思うようになりました。
とくに母語じゃない人が話をするとき。
もちろんそれさえも、
まだまだ全くの初心者レベルから
抜け出せてはいませんが。
投稿: はま | 2016年7月 9日 (土) 21時42分
カナダ、アメリカは移民の国ですので、外人だからこの程度の言葉の間違いは許される、なんて言う日本人的間隔は全く無いです。誰もがこの国には新人なのですから、
話せる事を言葉に出すと、自分の意見が纏まってくるのも確かです。間違ったていいんです。撤回すればいいんですから。日常会話をしていると、必ず政治の事、戦争の事など出てきます。皆、拘りがあるのです。身内の誰かが紛争で死んでいたり、国を出てきたり。皆それぞれの意見を持っていて、なおかつそれを機会ごとに言います。日本人も見習うべきですね。
いやー、英語力、耳が痛いですね。40年もいてなにやっているんだろうと思いますね。仕事をしている頃は、仕事の性質上かなりひどい言葉も使いましたが、(そうしないと部下と気持ちが通じないーと思っていた)今でも必要悪であったと思えます。とにかく、単語を2つ3つ発すると、そのうちの一つはたいていFのつく言葉です。困るのは最近妙齢の婦人までそんな言葉を使うのです。日本語に訳して考えて御覧なさい。赤くなったくらいでは済みません。
投稿: Dan Kurahashi | 2016年7月18日 (月) 16時49分
Kurahashiさん、
コメントをありがとうございます。
>必ず政治の事、戦争の事など出てきます。
こういうことに「自分の意見を言う」というのが
日本人は総じてほんとうに下手ですよね。
訓練が足りないというか。
そもそも日本語でもうまく言えないわけですから、
英語で言えるわけがありません。
薄っぺらなテレビのコメンテータの受け売りではない、
その人ならではの実感に基づく独自視点での意見を聞くと、
小さな意見でもずっしりと重みを感じます。
投稿: はま | 2016年7月23日 (土) 09時30分