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2016年1月

2016年1月31日 (日)

穴があったら

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穴があったら

- リアルな書店で -

 

書店が減っている。

ここのデータによると、
2015年5月時点で全国で1万3千店
1999年と比較するとその数 約6割、
つまりたった17年で
4割の書店がなくなってしまった


この数には外商のみの本屋も含まれているため、
実際に本を並べて売っている
「店売している書店」はさらに少なくなるらしい。

ここのデータによると、2011年時点で
実店舗数はすでに1万1千店ほど
になってしまっている。

ちなみに、ここのデータによると、
2015年のコンビニの数は5万4千店以上。

 

Amazonをはじめとするネット書店の台頭や、
購買層の人口減など
いろいろ理由はあるのだろうが、
作品としての「本」を実際に手にできる
書店でのワクワク感は、
ネットにはない魅力なので
なんとか活路を見つけ出して欲しいと、
願わずにはいられない。

 

とは言え、やはり状況は厳しい・・・か。

東京駅前の丸善の中に2009年にオープンした
松岡正剛さんプロデュースの
実験的な店舗「松丸本舗」
本との出逢いへの期待感という意味では、
私にとって最高にワクワクできる場所だったが、
残念ながら2012年にはクローズしてしまった。

2011年にオープンした「代官山 蔦屋書店」
書店の数が少なくなる中、
画期的な品揃えとレイアウトで、
目一杯ワクワクさせてくれたが、

2015年にオープンした「二子玉川 蔦屋家電」
本屋さんは、そこそこの規模ながら、
あまりに独創的な分類による陳列で、
私のような時代遅れのオジさんには、
目的の本に辿りつけない本屋さんになってしまった。

既存の分類にとらわれない
テーマ中心の本の選択と配列は、
「おもしろい!」とは思うものの、
眺めていて、
「意外な本と出逢えるかも」の期待値が
なぜか「松丸本舗」のように上がってこない。

「選んで並べる」ことの難しさと価値を、
松岡正剛さんの力を、
改めて感じることはできるのだが。

 

週末、リアルな書店をウロウロしていたら、
新刊のこの本を思わず手に取ってしまった。

映画監督の想田和弘著
「観察する男 
 映画を一本撮るときに、監督が考えること」
ミシマ社

なぜ、手に取ったのか。

上の写真ではわかりにくいが、
表紙右側の青く丸い部分、
実はこれ、表紙に丸い穴が開いていて
次のページの写真が穴から見えている状態なのだ。

平積みされていた本は、
偶然表紙がちょっと浮いたようになっていたので、
大きな穴が余計に目立っていた。

ネット書店だったら、
絶対に気がつかなかったであろう
装丁の工夫の一つだ。

手にとって改めて、表紙の穴から
次ページの瀬戸内海の写真を覗き込んでいたら、
同僚のある言葉が急に頭に浮かんできて、
思わずひとりで苦笑してしまった。

 

以前、エンジニア仲間で呑んでいたとき、
女性技術者のひとりが言った。

「男の人って、
 ほんとうに覗くのが好きよね。
 
 望遠鏡だって、洞穴(ほらあな)だって、
 カメラだって、顕微鏡だって、
 スカートの下だって、女風呂だって、
 覗いてきたのは男ばっかり」

 

ハイ、思わず手にとって、
穴から覗いてしまったのは、
男である私です。

 

 

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2016年1月24日 (日)

「もの食う人びと」

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「もの食う人びと」

- 「売り切れ」程度は我慢しよう -

 

産業廃棄物処理業者に
廃棄を委託したビーフカツが、
大量に横流しされ、販売されていた事件。
2016年1月16日の朝日新聞によると、
廃棄を委託したのは、
カツ60万枚を含む
 計6品目の冷凍食材」という。

カレーチェーン店のビーフカツから
発覚した今回の事件、
その後、スーパーやコンビニの廃棄食品も
転売ルートに乗っていたことが
明らかになったが、販売された総量は
まだわかっていないようだ。

それにしても、
カツ60万枚だけでも凄まじい量だ。

この記事を読んでいたら、

辺見庸 (著)
もの食う人びと

角川文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を思い出した。ちょっと紹介したい。

 

この本は、辺見さんが世界中を歩きまわって、
現地で現地のものを食べてみた、という
食のルポルタージュ。

ただ、食のルポではあるが、
訪問先は紛争地帯、飢餓地帯が多く
グルメとはほど遠い話ばかり。

その一つが、インドのお隣、
バングラデシュでのエピソード。
(以下水色部、本からの引用)

十数円で食事ができると喜び勇んで、
高いほうを私は頼んだ。

バングラデシュでの最初の食事である。
それにふさわしく、ここでの習慣に従い、
右手の指だけ使って食べてみよう。

慣れると、舌だけでなく
指もまた味を感じるという
ではないか。

そうなりたいものだと、
小皿のご飯におずおずと指を当てると、
おや、ひんやりと冷たい。
安いのだから文句は言えない。

親指、人さし指、中指、
それに薬指まで動員しても、
下手なものだから
ボロボロとみっともなく
ご飯粒をこぼしてしまう。

それでもなんとかご飯をほおばった。
希少動物の食事でも観察するように、
店の娘と野次馬が私の指と口の動きに
目を凝らしている。

インディカ米にしては腰がない。
チリリと舌先が酸っぱい。水っぽい。
それでも噛むほどに甘くなってきた。

お米文化はやっぱりいい、と
うなずきつつ、二口、三口。
次に骨つき肉を口に運ぼうとした。
すると突然「ストップ!」という叫び

どうして突然制止させられたのだろう?


それは、食べ残し、残飯なんだよ
たどたどしい英語が続いた。
よく見れば肉にはたしかに
他人の歯形もある。
ご飯もだれかの右手で
すでに押ししごかれたものらしい。
線香は、腐敗臭消しだったのだ。

うっとうなって、皿を私は放りだした。
途端、
ビーフジャーキーみたいに細い腕が
ニュッと横から伸びてきて、
皿を奪い取っていった。
十歳ほどの少年だ。

ふり向いた時には、クワッと開いた口が
骨つき肉に噛みついていて、
もう脇目もふらないのだった。

忠告の主は、モハメド・サムスと名乗る
タカのような目の男だった。

三十歳。ホテル従業員だったが、
いまは失業中だという。
歩きながらモハメドは言った。

ダッカには
 金持ちが残した食事の市場がある。
 残飯市場だ。
 卸売り、小売りもしている


口に酸っぱい液がどくどく湧いてきて、
私はしきりに唾(つば)を吐いた。

残飯市場があり、まさに正々堂々と
卸売りも小売りもしているらしい。


東京では日々、50万人分の
一日の食事量に匹敵する残飯が
無感動に
捨てられているというではないか


ダッカでは
残飯が人間の食料として売られていた

神をも恐れぬ贅沢の果てに、
彼我のありようが
いつか逆転しはしないか。
東京で残飯を食らう日……。

(中略)

金曜日の夜。私とモハメドは都心の
「ダッカ・レディーズ・クラブ」
という建物の
前の木立の陰に隠れていた。

なかから笑いさんざめきが聞こえる。
結婚披露宴なのだ。

喧噪(けんそう)が収まった。
やがて建物の裏手にウエーターが
食べ残しを載せたままの机を運んできた。

そこにビニール袋を手にした
サリーの女たち五人が
どこからか影のように近づいた。

そして膨れた袋を提げ、一列になり、
皆なぜか猫背にして、
しずしずと闇に消えていった。

モハメドがささやく。

木曜と金曜が、
 残飯の主な出荷日
なんだ。
 イスラム教徒がこの両日に
 結婚式をするのを好むからさ」

披露宴の食べ残しが
商品化する
わけである。

富者のハレ(祭礼、儀式)の日はまた、
貧者にとって
食の流通の時でもあるのだ。

残飯市場に、独特な拒否感というか、
違和感があるのはどうしてなのだろう。

衛生上の問題だけではないような気がする。
実際問題として、
食べても「健康上」問題のないものも
多いと思うのだが、何かが許せない。

越えてはいけないものを越えているような、
というべきか。
いったいそれは何なのだろう?


廃棄される食品が大量にある一方で、
食べられない人もいる。

廃棄物の転売は、もちろん問題で、
「廃棄物を砕くなどして
 転売できないようにする」
と委託した業者はコメントしたりしているが、
根本的に手を打たなければならないのは、
転売できないようにすることではなく
食品廃棄物自体を
もっと減らす工夫
の方だろう。

* 廃棄物を出さない適切な量の製造
* 作ったものが「ゴミ」にならない
 流通のしくみ
* 「売り切れ」程度はガマンする
 消費者の意識

工夫・改善の余地はまだまだある領域だ。

特に消費者の一人としては、
「他に食べるものがないわけじゃぁない。
 品切れ、売り切れ程度は我慢しようよ
の意識を広げられないものかなぁ、と
強く思っている。

「品切れ、売り切れは絶対にダメ」
の大前提に縛られたままだと、
いつまでたっても
「余分に作る」の発想から
脱却できないだろうから。

 

 

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2016年1月17日 (日)

「その街のこども」

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「その街のこども」

- 「忘れられないこと」が人を動かす -

 

1995年の阪神・淡路大震災から
今日1月17日で21年になった。

亡くなった方だけで6千人以上という大災害だったが、
震災関連では、そのちょうど15年後に作られた
「その街のこども」というドラマが忘れられない。

テレビでの放送後、ごく一部再編集されて
劇場版の映画としても公開されたので、
ご存知の方も多いことだろう。

 

元は、震災15年目の2010年1月17日の夜に
放送されたNHKのドラマ。

放送日の早朝に収録された
神戸「東遊園地」での追悼集会の映像を、
その日のうちに編集。
なんと当日放送のドラマの一シーンとして使った、
ということでも一部話題になっていた。

その後、少しだけ映像が追加されて
劇場版の映画として全国公開された。
劇場用に撮り直したものではない。
ほとんどテレビドラマのままだ。
「劇場版」のほうであれば、
今でもDVDで簡単に手に入る。

監督は井上剛さん、音楽大友良英さん、
そして脚本は渡辺あやさん。

脚本の渡辺あやさんの作品には、
「火の魚」というこれまた傑作があるが、
今日はDVDの紹介だけにしておきたい。

さて、「その街のこども」
監督、音楽の井上さん、大友さんは
のちにNHKの朝のドラマでも組んで、
名作「あまちゃん」を送り出している。

主演は、まさに神戸で実際に被災した
森山未來さんと佐藤江梨子さん。

劇中、二人はそれぞれ
小4と中1で震災を経験した役を演じているが、
二人の実年齢としても
ほぼ同じような年齢での被災だったはずだ。

ドラマは全編を通して、
ほとんど森山さんと佐藤さんとの会話だけで
進んでいく。

 

勇治(森山未來)と美夏(佐藤江梨子)は、
それぞれ小学校、中学校で震災を経験したものの、
今は東京で暮らしている。

そのふたりが、震災15年目の追悼集会の前日、
神戸で偶然に知り合い、
翌朝の追悼集会まで一緒に過ごすことになる。

初対面のふたりの、
たった一晩の小さな物語だ。

相場の10倍もの値段で壊れた屋根の修理を請負い、
父親は財をなすものの、
それによって壊れてしまった人間関係に
苦しみ続けている勇治。

親友(ゆっち)とその母を同時に亡くした美夏。
彼女は、一人残された親友の父親(おっちゃん)の
深い悲しみと苦しみを受けとめきれず、
東京に逃げてしまったことを今も悔いている。

境遇もキャラクタも全く異なる二人が、
震災の思い出をポツリポツリと話しながら、
真夜中の神戸を歩き続ける。
(以下水色部、ドラマのセリフから)

 

美夏「お父さんの仕事の関係で
   東京引越すって決まった時、
   正直ほっとした。
   やっとこの重すぎる謎から
   開放される、思って」

勇治「そりゃ、ちょっとわかるな」

美夏「東京行ったら地震のことなんて
   ぜんぜん思い出さんですんだし、
   高校も遊びまくって楽しかったし。

   よっしゃ、
   私はもうずっとこれから
   神戸のことなんか
   忘れたふりして生きていこう、
   そう思ってたんやけど」

勇治「じゃぁ、
   なんで今ここにおんねん


美夏「なあ。
 
   けどな、
   完全に忘れることなんて絶対無理やて。
   逆に、
   『もう前向きに生きていこう』とか
   思うときほど
   ゆっちとおっちゃんのこと思い出す


   真面目に一生懸命生きている人が、
   幸せになれるとか、
   そんな法則どこにもないのに」

勇治「いやいや、ごめん、その話やめようか」

美夏「なんでよ」

「じゃぁ、なんで今ここにおんねん」
このセリフはドラマの中に何度か登場する。

なぜ神戸に? なぜ追悼集会の前日に?

理屈ではない。
「忘れられないこと」がふたりを動かしている。

 

美夏「だって、そう思わへん?
   不幸って法則ないやん。
   地震だけやなくてさ。

   事故かて、病気かて、
   いつ回ってくるかわからへんやん。
   逃げられへんやん、だれも。

   けどな、
   忘れようとすればするほど、
   心が冷えていくからな、
   ガッツリ考えたほうがエエんかなぁって

言うまでもなく、6千人の死という
ひとつの大きな死があるわけではなく、
一人の死が6千あるのだ。

たった一人の死「だけ」を描くことで、
6千の死の重みを感じさせるすばらしい脚本。

 

震災を利用して儲けてしまった父親をもつ
勇治の心の傷だって、
相当深くて描きにくいものだ。

屋根を直した家の前を通りかかったときに
よみがえる当時のイヤな記憶に怯える勇治。

そんな彼に、
家の前に放置されている子どものおもちゃを見て
語りかける美夏の言葉にはやさしい救いがある。

 

つらい思い出を語り合っているのに、最後はなぜか、
あたたかい気持ちで見終えることができる作品だ。

何度も観ているのに、
今年もまた見直してしまった。
いいドラマには、何度見ても新しい発見がある。

 

 

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2016年1月10日 (日)

「歳をとった甲斐がないじゃないか」

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「歳をとった甲斐がないじゃないか」

- 合理的思想だけでいいのか -

 

少なくとも日本では
数えで歳を言うことは
日常生活ではほとんどなくなった。
(中国人に歳の数え方の話を聞くと
 今でもよく混乱してしまうが)

それでも新しい年になると、
「今年はいくつになるなぁ」を
考える機会が多い。

歳をとって考え方が
ジジ臭くなるのはヤだなぁ、
ババ臭くなるのはヤだなぁ、と考えている方、
気にすることはありません。

今日は、
小林秀雄さんのこの話を聞いてみましょう。

聞くのは、

現代思想について―講義・質疑応答
(新潮CD 講演 小林秀雄講演 第4巻)

(以下水色部はCDからの抜粋)

 

下記HTML5のaudioタグによるMP3 Player
(ブラウザによって表示形式は違うようです)

今日、歳をとるように物事を考えている人は
どのくらいありますかね。

みんなもう老人のクセにですな、
青年に媚びて物事を考える人がたいへん多い
ね。

私はそう思う。

青年のように考えないと時勢に遅れるとかな。

そういうふうに考えている成熟した大人を
僕はあんまり見過ぎています。

どうして歳をとったならば、
歳をとらなければわからないようなことを
考えないか

歳をとったひとが、
若者と同じように考えてどうする!
との強いメッセージ。

どうして歳をとったなり、の考え方が
軽視されているのか。
小林さんは次の一点を指摘している。

 

こういうふうな考えが今日
軽蔑されているのは、なんでしょうね。
これを「合理的思想」というンです。

合理的思想ってものに歳がありますか。
ないんだよ


子どもでも2に2を足せば4なんです。
老人でも4なんです。

だから
正しいことは老人にとっても正しいんです。
青年にとっても正しいんです。

これが真理なんです。
正しいことなんです。

だから年齢ってものを考えない

「合理的な考え方」は、現代社会において
たしかに威張りすぎている気がする。

合理的な考え方のみで物事を見ると、
若い人も老人も同じことを言うようになる。

年齢に依存しないロジック、
それが「合理的」ということだ。

 

じゃぁ、
歳をとった甲斐がないじゃないか

いつまでたっても
青年らいしいヤツなんていうのは。

甲斐がない。
何のために歳をとっているんですか。

歳をとればとるほど
立派な老人にどうしてならないんでしょうな。

いいセリフだなぁ。

「歳をとった甲斐がないじゃないか」
「いつまでたっても
 青年らいしいヤツなんていうのは」
「何のために歳をとっているんですか」

新しい年、
「歳をとった甲斐」を考えながら
ヘンに若ぶることなく、
その歳らしく過ごしていきたいものだ。


(どうでもいいことだが、
 小林さんの話し方を聞いていると、
 志ん生の落語を思い出してしかたがない。
 ちょっと意外なそっくりさん、を
 発見した気分)

 

 

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2016年1月 3日 (日)

噺家の顔が消える

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噺家の顔が消える

- 消えたあとに見えてきたもの -

 

関東地方は天気にも恵まれ、
おだやかな正月三が日になった。

「はまのおと」
本年もよろしくお願いします。

 

年末の夜は、大晦日と言えば、の定番「芝浜」を
志ん朝のCDで聴き直したりしていたが、
初笑にももちろん落語は欠かせない。

たったひとりの噺家による落語の世界。
志ん朝の名人芸に浸っていたら、
ふと、ある言葉を思い出した。

スクラップブックをめくって
正確に確認しておきたい。

「真打ち昇進を一度拒否した真打ち 
 柳家禽太夫(やなぎや きんだゆう)」

 以下水色部分は、
 2001年11月11日朝日新聞の記事から。

A011111s

二つ目時代、
お客さんを笑わせるぞ、と
奮闘していた禽太夫さん。

「二つ目時代の高座は汗だくでした。
 笑わしてやるぞと肩に力が入るばかりで、
 奇声を発したり、大げさな表情をしたり。
 お客さんは気を使って笑ってくれるんです。

 一生懸命、笑いを押しつけていました」

2008年
禽太夫さんは、真打ち昇進を
「下手だから」と自ら断っている。

「オレの力でおもしろくできるんだ」
のオレ流に悩みだしたころ、
師匠の柳家小三治さんはこんな言葉を
禽太夫さんにかける。

「お前が押しかけるんじゃなくて、
 お客さんに自分が話す世界を
 のぞき込んでもらうんだ

さすが師匠!
まさにそれこそが落語の、
いや、舞台芸術すべてに通じる
ほんとうの魅力だ。

記事は、その世界を
こんな言葉で表現している。

しゃべっている噺家の顔が高座から消える。

客の頭の中で八つぁん、熊さん、
ご隠居たちが自由に動き回り、
彼らの表情や、
周囲の状況が目に浮かぶ。

落語の世界はおもしろい。

最初はのぞき込んでいたはずなのに、
気がつくと、中に入り、
その先の広い世界に自分が遊んでいる。

登場人物には表情があり、
場合によっては
匂いや日差しや風まで感じられる。

描かれてもいないのに、振り返れば
その方向の景色さえ見える気がする。

最新の3DやARなんて
それに比べればずいぶん表面的なものだ。

うまい落語は噺家の顔が消える!

消えたあとに見えてきたものの魅力は
見たことのある人だけの、
ある意味「宝」だ。

芸には、それを与えうる力がある。

今年はどんな「宝」に出逢えることだろう。

 

 

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