言葉は新しい道具
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言葉は新しい道具
- 信頼関係を築くためには五感を -
前々回、
京都大学学長の山極寿一(やまぎわ・じゅいち)さんの、
NHKカルチャーラジオでの講義を紹介した。
「円くなって穏やかに同じものを食べる」という
なんということはない、ごく日常の人間の食事の光景が、
実はある条件が満たされたときだけに成立する
ちょっと特別なものだ、ということを
サルの食事と比較することで気づかせてくれる
興味深いものだった。
この講義、ほかにも考えさせられるネタ満載だったので、
もう少し続けたい。
(以下水色部、2014年12月7日の放送から)
今日は、言葉の登場について。
【言葉を使うために脳は大きくなった、は間違い!?】
今、人間世界どこへ行っても言葉というものがあります。
でも言葉というのは実はですね、
人類の進化の中では非常に新しい道具なんですね。
実は、言葉が発明されるのは、今から数万年前、
せいぜい遡っても十数万年前だろうと言われています。
でも、人間の脳が完成されるのは、
60万年前から40万年前なんです。
言葉が出てくるよりもずっと前です。
これって、面白いと思いません?
たぶん、皆さん誤解していると思いますよ。
言葉を使うために脳は大きくなった、と
思っていらっしゃる方が多いと思います。
そうじゃないんです。
逆なんですね。
脳が大きくなった結果、
言葉というものが生まれたんです。
現代人の脳が生物学的に完成してから、
数十万年も経ってから、ようやく言葉が現れた!?
ということらしい。
言葉と一緒に生まれたんだろうか、と思ったら、
そうじゃないですね。
逆に人間の心や社会や体というのは
言葉が発明されるよりもずっと前にできていたんです。
その上で、言葉というのが今、
私たちの世界にふって湧いてきたんです。
言葉が登場するよりもずっと前から
人間は共同生活を営み、社会を作ってきていたわけだ。
【信頼関係を作るのに、言葉は適さない?】
言葉というのは人間にとって新しい道具だから、
まだ使い慣れていない、
言うなればすごく安っぽい道具なんです。
信頼を作るには適していないです。
信頼を作るためには
ほかのコミュニケーションのツール、
ほかの五感を使う必要があるかもしれない。
視線ですとか、
あるいは嗅覚、触覚といったものを使った
コミュニケーション、抱擁とかね。
おんなじものを食べるとかね。
嗅覚や味覚を共有することのほうが、
信頼関係を作るのに役立っているかもしれない。
言葉よりも五感を使ったコミュニケーションのほうが、
より深い信頼関係を作るのに役立つ例は、
これまでの経験からもいくつも思い浮かぶ。
たとえば「同じ釜の飯を食う」だってそのひとつだ。
ここで、もう少し大きなスケールで
人間の進化を見てみよう。
まずは二足歩行。
700万年前から人間は立って二足で歩いていた。
「石器」の最初の証拠は260万年前。
200万年前にやっと脳が大きくなり始める。
二足歩行を始めてから、
脳が大きくなり始めるまでに500万年も掛かっている。
言葉じゃなかった。
じゃぁなんだろうか、って思うんですね。
で、80年代からいろんな人が調べました。
人間以外の人間に近い
これ霊長類って言うんですけれど、
サルや類人猿のいろんな行動と、脳、
特に脳が大きくなった理由っていうのは
大脳といいましてね、
脳の中に新皮質と呼ばれる部分があります。
この新皮質の部分が大きくなったせいなんです。
新皮質の割合と相関があるものはなにか。
「道具を使う能力」か、
「食べ物の取得の困難さ」か、などなど
いろいろ調べられたが、相関は見つからなかった。
【新皮質の割合と関係があったものとは?】
実は「群れの大きさ」だったんです。
平均的な群れのサイズというのが、
大きければ大きいほど、
脳に占める新皮質の割合が高いことがわかった。
これってすごく面白いですよね。
つまり、人間の脳も
社会脳として進化をした、と思われるわけです。
社会脳っていったい何だ、と言うと
集団の規模が大きくなるにつれて
付き合う人の数が増えてきますね。
それぞれの人に対して違う付き合いをしていれば、
それごとに記憶力や応用力が必要になります。
そのために脳は発達したと考えたほうが、
妥当だということになるわけですね。
では、人間の脳にふさわしい集団の大きさって、
いったいどの程度の数なのだろう。
160人という集団の規模に適当だということがわかります。
160人というのは、
実はマジックナンバーと言われてましてね。
農業に頼らない、あるいは家畜に頼らないで
生活をしている人たちのことを狩猟採集民と言います。
つまり、自然の恵をそのままに利用して生きている人たちです。
そういう生活が人類の進化の中で
ずーっと続いてきたと言われているわけですが、
その人たちの平均的な集団サイズが
だいたい150人ぐらいだと言われています。
ぴったりなんですね。
それは、人間が言葉を作り出す以前に出来上がった
社会の姿を表しているのではないかということなんですね。
講義の中では、
ラグビーやサッカーのチームなど、
言葉がなくても信頼関係を築いて
的確な行動がとれる集団の話も出てくるが、
いずれにせよ、
いまの私たちの脳が、言葉に頼らずに
集団を形成できるのはせいぜい160人程度。
では、それ以上の数の人と付き合うためには
どうすればいいのだろう。
石器を使い始めて二百数十万年が経過、
脳が現代人と同じ大きさになって数十万年が経過、
人類の世界にいよいよ言葉が登場する。
【いよいよ言葉の登場!】
150人、160人ぐらいのものしか持っていないんです。
じゃあ、言葉はどうしたんだ、と言ったら
それを越えた広がりの人間を覚えておくための手段ですね。
それにはシンボルが必要なんです。
あの会社の人、あるいは150人の中に入る人の友だち、
あるいはある地域、あそこで会った人、みたいな
何か補助シンボルが必要なんです。
つまり名札、タグが必要なんですね。
そういう人達を広げることによって
私たちは付き合う範囲を広げました。
でもそれは
無条件に信頼できる人たちの広がりではありません。
こう見てくると、
「信頼を築くために言葉は適していない」
ということの理由もわかるような気がする。
新しい道具はまだまだ頼りないのだ、きっと。
言葉が登場する前、
百万年単位での長きにわたって人類の社会を支えていた
五感によるコミュニケーションの力を、信頼度を、
もっともっと信じるべきなのかもしれない。
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