« ベーグルによるメビウスの輪 | トップページ | したの? されたの? »

2014年3月 1日 (土)

お茶はひとりでに入らない

(全体の目次はこちら


お茶はひとりでに入らない

- 「これって普通のことじゃないの?」 -

 

中国の伝統演劇「京劇」の専門家である
加藤徹さんの著書

加藤徹 (著)
貝と羊の中国人

新潮新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を読んでいたら、
日本語の自動詞的表現について
興味深い記述があったので、
今日はそれは紹介したい。

日本人は、恩義の貸借関係に敏感である。

語表現でも「してあげる」「してくれる」
「していただく」など、
「恩義の方向性」を示す言いかたが、
発達している。

恩義の貸借関係に敏感な日本人は、
心の負担を軽くするため、
ときに変わった言いかたをする。

「お茶が入りました」という日本語も、
そうである。

論理的に考えれば、
お茶がひとりでに入るわけはない。
正確には「私は、あなたのために、
お茶を入れました」である。
しかし日本人の感受性では、
そのような言いかたは
恩着せがましく、下品である


それゆえ、相手に
心理的な負担をかけまいという
やさしい思いやりをこめて、
あえて「お茶が入りました」と、
自動詞的な表現を使う。

「お風呂が沸きました」
「ご飯ができました」
などの日本語も、
同様の心理を反映している。

このあたり、
中国語ではどうなっているのだろう?

中国語には、このような発想はない。

「お茶が入りました」にあたる中国語は、

「我○倒好茶了
(ウオーゲイニーダオハオチヤーラ)」
ないし
「我○倒好茶了
(ウオーテイニーダオハオチヤーラ)」
である。
 :○はニンベンに尓に似た字

「給」は「あげる」、
「替」は「代わりに」の意である。
直訳すると
「私はあなたのために
 お茶を入れてあげました」
「私はあなたに代わって
 お茶を入れました」


となる。

中国語でも「茶倒好了
(チヤーダオハオラ:お茶を入れました)」
と言うことはできる。
しかし中国人の感覚では、これはあくまで
「我把茶倒好了
(ウオーバーチヤーダオハオラ
 :私はお茶を入れました)」の
「我把(私は……を)」を省略した形の、
他動詞的表現なのだ。

直訳ではなく、
「何が自然なのか」が重要だ。

中国人は、

「私は、あなたのために……してあげる」
「あなたは、わたしのために
 ……してくれる」など、

いちいち人間関係の「念押し表現」を好む。
それが、中国語では自然なのだ。


幼いときから
そういう言いかたに慣れてきた彼らは、
「してあげる」と言うほうも、
言われるほうも、
恩着せがましさや屈辱を感じない

感受性の違いは、
誤解を生むこともあるけれど...

日本人と中国人の
「恩義の貸借関係」に対する
感受性の違いは、
ときに誤解を生むことがある。

日本人の挨拶では、数ヶ月ぶりに
相手と再会したときも、
「この前は、お茶をおごっていただき、
 ありがとうございました」などと、
最後に会ったときの恩義の貸借関係を、
おさらいするのが普通である。


いっぽう中国人は、
世話になっても、
お礼はその場で一度しか言わない。

もし相手から
数ヶ月も前のことを感謝されると、

「この人はなぜ、そんな昔のことを
 蒸し返すのか。
 もう一度、お茶をおごってほしいのか」
と勘ぐってしまう。

 中国人も、「大恩」については、
これを忘れない。
しかし、お茶をおごってもらうとか、
おこづかいをもらった、などの
「小恩」については、
その場で一度「謝謝」と言って、
おしまいである。

日本人の目に、
中国人が傲慢な人種に見えがちな一因は、
ここにもある。

お礼を言っているのに、

もし相手から
数ヶ月も前のことを感謝されると、

「この人はなぜ、そんな昔のことを
 蒸し返すのか。
 もう一度、お茶をおごってほしいのか」

と思われているとは、
普通は夢にも思わない。

「何が普通か」「何が自然か」を
簡単に共有することはむつかしいけれど、
「これは相手にとって普通のことでは
 ないのかもしれない」
「自然なことではないのかもしれない」と
一呼吸入れて、ちょっと疑ってみるだけで
ダイレクトに「なんだよ」と
誤解してしまうことは
ずいぶん避けられる気がする。

「えっ? 
 これって普通のことじゃないの?」


眼の前に相手がいるなら、
ひと言聞いてみればいいだけだ。

感受性の違いは
誤解の原因になることも多いけれど、
そこでの小さな質問が、
逆に親睦を深めることに
繋がっていくこともよくある。

「ガイドブック」には書いていない
「普通」が一部でも共有できたときの
驚き喜び戸惑いこそが、
異文化交流がもつ
大きな楽しみのひとつなのだから。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

« ベーグルによるメビウスの輪 | トップページ | したの? されたの? »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: お茶はひとりでに入らない:

« ベーグルによるメビウスの輪 | トップページ | したの? されたの? »

最近のトラックバック

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ