ギスギスせずに生きるために
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ギスギスせずに生きるために
- 人生の底に流れ続けていく -
前回、NODA・MAPの最新作「MIWA」を観に行ったことを書いたら、
感想と呼べるような内容も盛り込めていない「メモレベル」のものなのに、
訪問者数が急に増えて、書いた本人がちょっと驚いている。
もちろん、どなたが見に来て下さっているのかは全く分からないが、
野田作品に関心を寄せる人がそれだけ多いということなのだろう。
検索エンジン(GoogleやYahoo!など)経由での訪問については、
検索ワードを知ることができるが、
「MIWA」「NODA・MAP」「感想」「芝居」「宮沢りえ」「古田新太」
などにまじって「井上真央」が多かったのも
井上さんと井上さんのファンの方々には甚だ失礼ながら、正直言うとちょっと意外だった。
井上真央さんの舞台はどうだったのだろう? と興味を持っている人が、
しかも感想や情報を検索している人がこんなに多いなんて。
井上さんへの感想を期待して、訪問して下さった方々、
期待を裏切ってしまい申し訳ありません。たった一行しか書いていなくて。
MIWAの母親役や繋一郎(瑛太)の妹役といったキーとなる重要な役を、
しかも複数、たいへん上手に演じておりました。
体もキレているし、声も張っていてじつに聞き取りやすい。
滑舌もいい。
それでいて赤ちゃんを抱いている姿はまさにマリアさまの優しさ美しさ。
全編を通して、若いエネルギーが舞台に注入されている感じがしました。
今回の演技を観ての新しいファンも増えたことでしょう。
次の舞台が楽しみな女優さんのひとりとなりました。
野田さんのお芝居にたいへん詳しい方から丁寧なコメントもいただき、
自分としてもいろいろな形で思い返している。
「あぁ、おもしろかった」で終わりではなく、
多くの謎を持ちながらも、その余韻をなんども反芻して味わえるのも
野田作品の大きな魅力のひとつだ。
「そう言えば、」とスクラップを見返してみたら、野田さんのこんな言葉がでてきた。
今日はそれを紹介したい。
(以下水色部、2009年10月4日、朝日新聞の切り抜きからの抜粋)
20代の頃、芝居を作り演じ終えると、
その瞬間からあり得ないほどの虚脱感に襲われていました。
それは演劇という芸術が持っている宿命なのですが、
「消えていくもの」なのですね。
どんなに必死になっても、素晴らしい出来であっても
二度と完全に同じ舞台は出来ない。
消えゆくものと再生文化。
ところが、僕らがいま育ってきているこの世の中で起きているのは再生文化です。
ある時レコードというものが出来て、
ライブではなくても同じ音楽が味わえると信じるようになった。
本当は決して同じではないが、それはテレビ、映画、あらゆる映像にわたり、
さらにインターネット上の再生へと広がっています。
「はかない一夜」の魅力
演劇もビデオ化されるようになりましたが、
やはりこれほど再生しにくいものはなく、
現場で味わったものはたとえ翌日でも再生できない、
非常に「はかない一夜」があるわけですね。
だから芝居を演じてその感覚を味わうと、親からいくら責められても、
人からつまらない芝居だと言われても戻れない(笑い)。
お金にはならない職業なのに、
ずっと演劇の世界で生きていく理由はその魅力にあるのかもしれません。
目の前で、生きた人間が汗を出し、声を出す姿は本当に強い。
この再生文化最盛期の時代に、演劇は影響を与えるかと言えば、
それは非常に小さいものでしょう。
生涯演劇にまったく関係なく死んでいく人のほうが膨大に多いわけですから。
ただ、送り手の思い込みとしては、
目の前で、生きた人間が汗を出し、声を出す姿は本当に強い。
だから長くその感覚が続いて、
後の人生のどこかでフラッシュバックするように出てきたり、
突然理解出来たりする瞬間が訪れると思っています。
観た時には完璧に理解できなくとも...
もちろん、感動して「ああ、よかった」と涙を流し
完結してしまう芝居がいいという人もいます。
カタルシスを与えて、泣かせるのも演劇の力の一つですよね。
でも、僕が信じている演劇の力はそうじゃない。
観(み)た時には完璧(かんぺき)に理解されず、
「あれはなんだったんだろう」ということがあっても、
それをため込んで持っていてくれればいい。
長く人間の中に蓄えられて人生の底に流れ続けていく。
おそらく文化や芸術というものは、演劇はもちろん、
美術や音楽も含めてそれに触れるたびに、
ずっと長く人間の中に蓄えられて人生の底に流れ続けていくのだと思う。
何かすぐに答えをくれるわけでもなく、能力が飛躍するわけでもない。
でもだからこそ、人生がギスギスしないように生きるには必要なのだと思います。
アメリカのラスベガスでショウをいくつか観たとき、
「これはすごい! なんてハイレベルなんだ」と
そのエンタテイメント性にはいたく興奮した。
でも、幕が下りた途端、最初に頭に浮かんだのは
「あぁ、おもしろかった。じゃ次は何を見よう」だった。
心から楽しんだことは間違いないけれど、
振り返って考えることはなく、人生の底には流れていない。
観た時には完璧に理解できなくても、長く人生の底に流れ続けていく、
そういうものを持っていることは、たとえそれが解決できないままであっても、
人生をゆたかにしてくれている面が確かにある。
もちろんそれは演劇に限らないけれど。
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