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2013年8月11日 (日)

「おかず」は食事、「料理」は行事

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「おかず」は食事、「料理」は行事

- 料理はイベントでありアトラクション -

 

漫画家・江戸風俗研究家の杉浦日向子さんの
「ぶらり江戸学」の講義から

  (1) 江戸の粋(イキ)と上方の粋(スイ)
  (2) 「愛」より「恋」、「恋」より「色」
  (3) 江戸は「情けねえ」土地

に続く第4回目。

大人の学校 卒業編
静山社文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を手に、
きょうは、江戸庶民の食生活を覗いてみよう。

一般の庶民、つまり長屋の
熊さん八っつぁんクラスの人たちですね。
この層が一番厚くて、
江戸に住んでる人間の八割方は、
長屋住まいの階層です


この人たちがふだん何を食べていたかと言いますと、
まずご飯です。
ほとんどご飯です。
一日の総カロリー摂取量の90パーセント以上を、
ご飯で補っていました。

その残りの一割が、
おかずであったりおやつであったりするわけで、
いかにご飯の量が多いかということが
実感できるかと思います。

大人の江戸っ子は、
一日平均五合(ごんごう)食べたと言います

一日に、です。

五合飯(ごんごうめし)。
当時は朝飯と夕飯、一日二食なんです。
江戸後期にやっと三食です。
つまり、一食二合半ですね。
二合半のご飯は、
どんぶりにてんこ盛りにして、二杯です。
すごい量です。

それが九割ですから、
おかずはほとんどないと考えてけっこうです。

ほとんどないとはいえ、
おかずは何だったのだろう?

一番ポピュラーなおかずは、たくあんです
江戸前のたくあんというのは、
非常に塩辛かったんだそうです。
上方の上品なたくあんとは比べものにもならず、
「江戸のたくあんは塩よりも辛い」
と言われていました。

江戸前のたくあんのしっぽ、
一番固くてしまった細いところをちょんと切って、
ねぼけた人の口の中にボンと入れると、
目がバチンと覚めたというくらい、辛い。

そんな塩より辛いたくあん二切れで、
二合半をかっ込む。
これが平均的な食生活です。

他には、佃煮とか煮豆 ― 
こちらも、しようゆより辛いというぐらい、
からーく煮しめたものですが、
それをチョコチョコッとおかずにする。

後は、嘗(なめ)味噌 ― 
これも金山寺味噌のような豪華なものではなくて、
ただほんとに味噌を焼いただけの、
さっぱりした、甘味のないものですが、
この焼き味噌で、ご飯をかっ込む。

結局、塩っ辛いもので
大量のメシをかっ込むというのが基本でした。

で、「おかず」は「料理」ではない、
の話に繋がっていく。

ふだんがこういう食生活で、
この食事は「菜(さい)」と言います


これに「お」がつくと、「お菜(かず)」と読みます。
この「お菜(かず)」は、
イコール「しょっぱいもの」なんですね。
・・・

これとは別に、たまに食べるごちそうで、
「料理」というものがあります。

いまは料理とお菜(かず)は同じことですけれど、
江戸のころは全然違うものでした。


お菜は塩っ辛い、ご飯を食べるための補助食品で、
料理は、ご飯を食べるためのもの、
食事とは切り離して考えていました。

江戸には、
「家庭料理」という言葉自体が、ないんです。
なぜかと言いますと、
料理屋で料理人が作るものが料理であって、
家でカカアが作るのは料理じゃないんです。

家で作る「お菜」の場合は食事ですけれども、
料理の場合はもはや食事ではなくて、
行事なんです。

「料理」という言葉は、
「あの件、うまく料理しておいてくれ」
と使ったりするように、
「うまく処理する」や「処置する、世話する」
などが元の意味らしく、
そもそもは「食べ物を作る」
という意味ではなかったらしい。

ところが、日本では8世紀ごろにはすでに
「食べ物を作る」の意味で使われ始めていた、
という話を別のところで聞いたことがある。

話が逸れてしまったが、いずれにせよ、
「おかず」は「料理」ではない。

お菜(かず)はお腹がすいたから食べるもの、
からだを保つために食べるものなんですが、
料理は楽しむために食べるものであって、
口と胃を使った遊び、つまり、
イベントであり、アトラクションである


楽しみたいから、じゃあ料理屋に行こうか、
料理を食おうかということになるんであって、
これは体感イベントなんですね。

食事とは、
まったく種類の違うものだと考えてください。

では、どんなものが
イベントとしての「料理」になるのだろうか。

江戸っ子の料理イベントの中で、
一番の嚆矢(こうし)と言いますか、
トップは「鰹」
なんと言っても鰹です。

「初鰹」に関して、講義では

* 湘南のあたりで獲れた初鰹を、
  船の両側に水夫がびっしり並んで、
  むかでのようにオールを出してこぐ、
  超高速艇で日本橋の魚河岸に運んだこと。

* 価格はべらぼうに高い。
  しかし、売りに行く魚屋は、
  金持ちの門前はすっ飛ばしてしまう。
  江戸の金持ちはケチンボで
  ムダ遣いをしないため、
  買ってくれないからだ。

* では、どういうところに売りに行くか。
  いわゆる職人。左官屋さんや大工さん。
  当時、火事による飛び込みの仕事もよくあり、
  アブク銭をもっていた。
  なので、特に腕のよさそうな職人衆の
  棟梁とか親方のところに売りに行った。

* 初鰹の場合、通常の初物の十倍、
  「750日長生きする」と言われ
  高くても珍重されていた。

などの話が続いており、「料理」についても、
「握り寿司」や「そば」に話が広がっていくが、
詳しく知りたい方は本
「大人の学校 卒業編」
の方を参照あれ。

今日紹介したかったのは、
「おかず」は食事、「料理」は行事、の感覚。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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