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2013年6月19日 (水)

ちょっとピントが外れている

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ちょっとピントが外れている

- 魅力はボケにあったりもする? -

 

前稿にて、建築家安藤忠雄さんが撮った
ピンボケ写真の話を書いた。
ピントがボケている、で
思い出した話があるのでもう少し書きたい。

清水義範 (著)
入試国語問題必勝法

講談社文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

受験生の一郎に、家庭教師の月坂が、
現代文の問題の解き方を教えるという物語。
学生に戻った気分で
一緒に「国語の問題」を解いてみよう。

現代文の選択肢で迷った経験のある方には、
きっと何か響くものがあるはずだ。

●次の文を読んで、
 あとの問いに答えよ。

英語の語源は日本語である。
私がここで
論証しようとしていることは
この短かい一文に要約できる。

しかし、内容の大きさが
文の短かさとは比例しないことは、
言を侯(ま)たない。
思えば、従来どの比較言語学者も、
日本語が何か他の言語の
語源であるというような発想を
持ち得なかったのである。

日本語の語源は何か。
彼らの固陋(ころう)な思考力では、
その疑問しか思いつけなかったのだ。
日本語の語源は朝鮮語だ、
アイヌ語だ、タミール語だ、
モンゴル語だ、云々(うんぬん)。

自虐的ないわゆる日本文化人の
ワクの中からしか思考できない彼らは、
当然のことのように、
日本はどこか他国から言葉さえも
貸し与えられたとのみ
発想するのである。

日本の文化はすべて
他国からの借りものである、というのが
彼らの隠された本心なのだ。
だからここに私が、
日本語が他国の言語の
語源になっているという説を
展開することは
学界への挑戦以外の
何ものでもないわけである。
(吉原源三郎
 『英語語源日本語説・序文』)

問1
この文章の内容に最も近いものを
次の中からひとつだけ選べ。

(1) 短かい言葉でも、
  それが曇りのない目で見て
  語られたものであるなら、
  大きな内容を持つことがある。

(2) 日本人文化人の思考法は
  自虐的である。

(3) 日本人は卑屈にならないで、
  自信をもって自国の文化を
  見るべきである。

(4) 私が立てた論は、
  学界に受け入れられないだろうが
  偉大なものである。

(5) 日本語が外国語の語源になるなどと
  誰も考えつかなかったのは、
  日本人が外国人ではないからである。

問題文の内容にもびっくりするが、
とにかく今回は
「問題を解く」に集中していこう。

さて、一郎の考え。
じっくり考えて、まず(5)を除外した。
その文章だけは、何が言いたいのか
よくわからなかったからである。

次に(4)を外した。
この文章だけは他と調子が違っていて、
内容がみみっちいと思えたのだ。
(1)から(3)までなら
どれも正しいような気がしたが、
考えて一郎は(3)を選んだ。

それが一番内容が立派で、
文の作者が主張したかったことのように
思えたからだ。
「答は(3)だと思います」

月坂先生は、
一郎の答えを待って説明を始めた。
「どうしてそう思うんだね」
・・・
一通りきいてから、月坂は
薄い笑いを顔に浮かべて言った。

「典型的な誤りのパターンだね。
 きみの考え方は、
 この問題の出題者の罠に
 まんまとはまっている」
「罠なんかがあるんですか」

「もちろんだよ。
 出題者の狙(ねら)いは、
 いかに多くの者をひっかけて
 誤った答をさせるか、
 というところにあるんだからね。
 まずそのことをよく
 認識しておかなきゃいけない。
 国語の問題というものは、
 間違えさせるために
 作られているんだ


「はあ」
これまでの体験に照らして、
ある意味では納得できる言葉だった。
「では、この種の問題を解くルールを
 説明しょう」
「お願いします」

まず、選択肢を
「大、小、展、外、誤」で分類する。
「まず、このことを知っておくんだ。
 こういう問題でたとえば
 選択肢が四つある場合は、
 大、小、展、外、の
 四つになっていることが多い。
 選択肢が五つの場合は普通これに、
 誤、というのが加わる


・・・

「大、というのは、
 書かれていることよりも
 話の内容を大きくしたものだ。
 この問題だと(1)がそれだよ。
 問題文の内容を整理して、
 より大きな
 一般論に拡大しているだろう。
 だからこれは、
 一般論としては正しい、
 というものになっている」
そう言われれば、そんな気もした。

「次に小。(2)がこれだよ。
 これは問題文の中の
 一部分だけを取り出したものだ。
 確かにその文章の中に
 そういうことは書いてあるんだが、
 書いてあることはそれだけじゃない、
 というパターンだね。
 初心者は普通この二つ、
 大か小にひっかかることが多い」

おれは(3)を選んだから
初心者じゃないのか、と
一郎はいい気分になった。

大と小にはひっかからないように。
次はいよいよ「展」だ。
「次は展だ。(3)がそうだ。
 きみが選んだ答でもある。
 多少考えた人間が
 ついひっかかってしまうのがこれだ」

やはり間違っていたらしい。

「これは、問題文の論旨を
 もう一歩展開させたものなのだよ。
 よく読めばわかることだが、
 ここに書いてあるようなことは、
 問題文には書いてないだろう。

 問題文のほうには、
 日本人文化人は外国に対して卑屈だ、
 ということが書いてあるわけだ。
 だけど、そうじゃなく、
 自信を持つべきだ、とは
 どこにも書いてない。

 つまりこれは、
 この文章から予想される結論とか、
 想像できる作者の主張、という
 性質のものなんだよ。
 そこで、内容をある程度理解した者は
 ついひっかかってしまう。

 だが、設問は、
 文章の内容に近いものを選べ、
 だからね。
 作者の頭の中の主張を選べ、
 ではないんだよ


「深読みしちゃ
 いけないってことですか」

「その通りだ。言いかえれば、
 その文章の作者をことさら立派に
 見ようとする必要はない
 ということでもある。
 書いてあることだけを見ろ、だよ。
 注意しなくちゃいけない。
 これが出題者のしかけた罠
 なんだからね」

「深読み」でひっかかっていたのは、
このパターンだったのか。
これまでずいぶん罠に
かかっていた気がする。

さて、軽く「誤」に触れた後は、
問題の「外」だ。
「・・・
 さて、次を説明しよう。
 ひとつ飛ばして誤、についてだ。
 (5)がこれだね。
 これはひっかかる者が
 少ない単純な間違いだよ。
 その文章自体が矛盾していたりして、
 内容がおかしいものだ。
 数合わせのための
 出鱈目(でたらめ)文章だね。
 これはいい。

 そこで問題は、外、
 ということになる。
 (4)の文章がこれだ。この場合だと、
 『私が立てた論は、
 学界に受け入れられないだろうが
 偉大なものである』というやつだね。

 これこそ、外、つまり、なんだか
 ちょっとピントが外れている、
 という感じの文章だよ。
 確かにそういうことが
 書いてあるんだが、
 少しズレてるだろう」

「あの、それもズレてるとすると、
 結局選ぶべき正解が
 なくなっちゃいますけど」

「なんだかちょっとピントが外れている、
 という感じの文章」、
いやぁーな記憶がぼんやりと蘇ってくる。
こういう気持ち悪い文章、
確かに選択肢でよく見かけた気がする。

でも、こうなるといったいどれを
選べばいいのだろう。
「・・・
 この種の問題の正解はこの、
 ちょっとピントが外れている、
 外、なんだ。
 つまりこの問題の正解は(4)

「え。ちょっとピントが
 外れているのが正解なんですか


「問題文をよく読みたまえ。
 内容に最も近いものを
 ひとつ選べとなってるだろう。
 内容を正しく要約したものを選べ、
 ではない。

 考えてみれば当然のことじゃないか。
 そんなに正しく要約した文章が
 この中にあれば、
 大多数の受験者が正解してしまう。
 それじゃあ試験にならないだろう」

一郎にとってその言葉は、
頭を殴(なぐ)りつけられたような
ショックであった。
ちょっとピントの外れているのが
正解だなんて、
これまで考えたこともなかった。
そうでなければ
正解者が多くなるからって、
そんなひどいトリックに
なっているとは。

「インチキみたいですね」

「それが国語の問題なんだよ。
 ・・・
 問題作成者の意図は、
 そうやって
 ちょっとピントを外して
 受験者の頭を
 混乱させることにあるんだよ」

一郎は考え込んでしまった。
これまで、この種の問題をやった時、
間違えて、しかも正解を見ても
ピンとこなかったのは
当然のことだったのだ。

最初から問題が、どれを選んでも
ピンとこないように作られていたのだ。

なんということか。
「ちょっとピントが外れている」
が正解!?


しかもこのあと月坂先生は、
「問題文を読まなくても解答できる秘技」
というスペシャルテクニックまで
公開してくれている。

選択肢だけを読んで回答しても
正解に辿り着ける確率は高いらしい。
「ただし、
 いかに秘技といっても
 さすがにこれは
 正解率百パーセントという
 わけにはいかない。
 国語問題の中には
 二流の教授が作った
 愚作もあるわけで、
 そういうのを含めて考えれば
 正解率80パーセント
 というところかな。

 だからこの手は、
 どうしても時間が足りない
 というような場合に
 用いるのがいいんだよ」


第一の法則:長短除外の法則
「では教えよう。
 これは二つの法則からなっているんだ。
 その、
 第一の法則は、長短除外の法則」

「はあ。長短除外の法則……」

「つまり、いくつかの選択肢のうち、
 文章の一番長いものと、
 一番短かいものは
 まず読むまでもなく除外してよい
 ということだ」

「へえ。
 その文章の長さでみるんですか」

「そうだ。つまり、
 受験者をひっかけようとして
 出している問題なのだから、
 文が異様に短かいとか、
 逆に長いとかいう、
 目立つところには
 正解を置きたくない、というのが
 むこうの心理なのだよ。

 たとえばこの問題ならば、
 選択肢のうち、
 (2)が一番短かい文章だ。
 そして、(1)と(5)が同じ長さで、
 最長だ。
 だから、(1)と(2)と(5)は
 読むまでもなく
 外してよいということになる」

「すると残るのは(3)と(4)ですね。
 これはほぼ同じ長さです。
 あ、そこまでは知っていても
 ぼく間違えるかも知れませんね。

 (3)は非常にいい意見が書いてあって、
 (4)は自分の自慢のような、
 みみっちい内容だから
 つい(3)のほうを
 選んでしまいそうです」


第二の法則:正論除外の法則
「そこで第二の法則が役に立つんだよ。
 それは、正論除外の法則だ」

「えっ、正論…」

「正論除外の法則。
 つまり、
 いかにも立派な正論めいたことの
 書いてあるほうを捨てよ、という
 法則だよ。

 その理由はもうわかるだろう。
 いかにも立派な内容のことを書いて、
 受験者をひっかけよう、というのが
 むこうの手なのだ」

「ぼく、今までずっとそれに
 ひっかかっていました」


「それは初心者がよく陥る誤りだよ。
 しかし、もうその心配はない。
 この二つの法則を知っていれば、
 問題文を読まなくても
 正解の(4)が選べるんだから」

以上、キーワードだけ並べると、

(AA) 選択肢を
  「大、小、展、外、誤」で分類。
  「外」が正解。

(BB) 選択肢に次の二つの法則を適用
   第一の法則:長短除外の法則
   第二の法則:正論除外の法則

の2つが
解法のテクニックということになる。

 

しかし、この小説、
どこまで真剣に読んでいいのだろう。

入試問題を解くテクニックを
紹介しながらも、
現代文の問題に対する
痛烈な風刺になっているところも
読み逃せないが、
やはり主役はこれらのテクニックだ。

このような視点で国語の問題を
分析したことはないので、
リアルでのお役立ち度は
もちろんわからないが、笑いながらも
「そうそう」とか「そうだったかも」と
十分思わせるところがある。

「ドンピシャではないが、かなりいいセン」
これがこれらのテクニックが
どこか魅力的に見える秘密なのかもしれない。

現代文の問題の選択肢における
「ちょっとピントが外れている」は、
正解かもしれないがつまらない。

しかし、入試問題といった狭い世界から、
外の広い世界に目を遣ると、
「ちょっとピントが外れている」
ということが、
それそのものの魅力になっていることは
けっこう多い。

写真に詳しい友人が、
すごい眼力を持つある先生の話をしていた。
その先生、生徒の作品を見て、
「撮影に使ったレンズを
 メーカと共に当てる」という。

次々とレンズを的中させて
驚く生徒を前に先生は言ったそうだ。
ピントがピッタリ合っているところは、
 どのレンズで撮っても同じ。
 レンズの個性は
 ボケているところに出る
」と。

ピントとボケから、
話が逸れすぎてしまった。
まさにボケすぎてしまったかもしれない。
しかし、「合う」ということが
いつも正解とは限らない。
魅力はボケにあったりもする。

 

 

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コメント

こんにちは、はまさん。
早速やってきました。
清水義範、私も大好きな作家さんです。
私は国語ってかなり得意で、5教科の中ではもっともいい点がとれたのですが、この問題は(2)で回答してしまいました~

BUBIさん、

コメントをありがとうございます。
私のほうはと言えば、国語は好きな科目だったのに点数はいつも一番ダメでした。
だから理系に進んだ、というわけではありませんが、
「どうして間違えちゃうンだろう」とは、ずーっと思っていました。
なので、よけいにこの話が印象に残ったのかもしれません。

清水義範さん、私も一部しか読んでいませんが、
もう少し評価されてもいいのに、とよく思います。
パロディとかパスティーシュって、
ちょっと低く思われているようなところがあって残念です。

笑わせることのすごさを、ニヤりとさせるすごさを、
もっと高く評価しないと、いい後輩も育っていかないし。

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