食・文化

2021年4月11日 (日)

人類が他の動物に食べられていたころ

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人類が他の動物に食べられていたころ

- 生得の武器がない -

 

今週は、2つの驚く記事を目にした。

(1) 人類は「肉を食べ尽くしたあと」雑食に移行したと判明
  人はもともと肉食動物だったが、
  過剰狩猟のため、その後、
  植物性の栄養源を取り入れるようになり
  次第に雑食化していったとのこと。

  詳しい内容は、
   American Journal of Physical Anthropology
  に。

(2) 素粒子物理学の根幹崩れた? 磁気の測定値に未知のずれ
  素粒子物理学の基礎である
  「標準理論」で説明できない現象
  捉えたと、
  米フェルミ国立加速器研究所が
  2021年4月7日、発表した。
  素粒子ミューオンの磁気的な性質が、
  理論で想定される値から
  大きくずれていたという。

  理論が想定していない力が働いていたり、
  未知の素粒子が影響
したりしている
  可能性がある。

  元となる発表はこちら。
   First results from Fermilab’s Muon g-2 experiment strengthen evidence of new physics

どちらもこれから精査が必要だろうが、
長く広く信じられていたことが
書き換えられるかもしれない発表には
ドキリとさせられる。

仮に100%の新発見でなかったとしても、
そこにはこれまで見落としていたような
大事な視点や事実が
含まれていることも多々あるし。

今後の検証報告等に気をつけていきたい。

 

これらのニュース、特に(1)を耳にして
思い出した本があるので、
今日はその本について触れたい。

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

は、

「いのちへの礼儀」という書名が
ある意味「救い」とも言える
実に重い本だった。

特に、畜産業(本では工業畜産とか
動物工場とかの言葉を使っているが)
における動物の扱いの実態は
読むことさえ辛い。

もちろん、肉も卵も食べているのだから
その恩恵は目一杯受けているし、
逆に、本来は知らなくてはいけないこと
なのかもしれないが、
やはり「残酷」と思える現実からは
どうしても目をそむけたくなる。

ただ、この本の価値は
そういった現実を
単に読者に知らせることにはない。

動物と人間との関係を
広く、冷静に見つめ直すことで
読者に「いのちへの礼儀」を
改めて真摯に考える
きっかけを与えてくれていることにある。

なので、客観的な事実がどうか、
という情報の問題だけでなく、
新たに気付かされることも多い。

450ページほどの内容豊かな本から、
そんな点に絞って
いくつか言葉を紹介したい。

最初はやはりこれ。

肉食しなくても生きていけるのに、
なぜわたしたちは
わざわざ動物を殺すのでしょうか

明確な解があるわけではないのだが、
まさに通奏低音のように
本を読んでいる間じゅう
静かに流れ続ける問いだ。

まずは歴史を振り返ってみよう。

ジャングルに住む
初期の人類は草食でしたが、
サバンナに進出した後、
250万年ほど前から
少量の肉を食べ始め、
200万年前には
肉食が定着したようです。

そんな古い食性がどうしてわかるのか?
化石骨から読み取れるようだ。

250万年前から200万年前の
オーストラロピテクスの
化石骨の分析では、
食性の70%が植物性、
30%以下が動物性となっています。

動物性は、昆虫や
トカゲなどの小型の脊椎動物を
食べていたことに由来するらしい。

そもそも、人類の
大きく平たい切歯と臼歯という特徴は、
「肉食」動物でも「草食」動物でも
「雑食」動物でもなく
「果実食」であることを示しています
(三浦慎悟(2018)
 『動物と人間 関係史の生物学』
 東京大学出版会)

 

さて、ここで話を次の段階の
「狩猟」に発展させようとすると
あることに気づく。

一般に、体重が150キログラムより
軽い動物は捕食されやすく

それ以上の体重の動物
(スイギュウ、サイ、カバなど)は
ほとんど捕食されないことが
知られています
(タンザニアの
 セレンゲティ国立公園での
 40年間の調査による)

そう、人間自体が
大きな動物の獲物だったのだ。

人類はほとんど生得の
武器のない生き物です。

ライオンやヒョウのように
時速70キロメートルで走れず、
鋭い牙もかぎ爪もありません。

チンパンジーは鋭い犬歯があり、
握力も約300キログラムあり、
ゴリラも150キログラムの体重で
握力は500キログラム程度ある
とされますが、それでも
現在の野生の霊長類は
年間「4匹中1匹」が
捕食されている
のですから
人類もそれに近い程度
食べられていたと考えられます
(事実、動物に食べられた
 跡の残るホモ・サピエンスの骨格

 各地で発掘されています)

まさに

人類は「狩人」であると同時に
他の動物たちの「食べもの」

だった時期があるわけだ。

ホモ・サピエンスが
「出アフリカ」を果たすのが
約6万年前、
船、弓矢、針などを発明するのが
約7万年前から3万年前、
狩猟具を身に着け
食物連鎖の頂点に立つようになるのには
かなり時間がかかったことになる。

「食べられていた」ころの記憶が
体のどこかに残っているのであれば
他の動物に対してもう少し
優しくなれるような気がするのだが。
残念ながらそこからも時間が経ちすぎた
ということなのだろうか。

 

 

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2021年1月17日 (日)

お酒は二十歳になってから?

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お酒は二十歳になってから?

- 13歳が酒6合! 問題は無銭飲食 -

 

五年前の2016年も1月17日は
日曜日だったようだ。

ちょうど5年前の
その日のブログに書いたのだが、
この季節になると必ず見返すドラマに
「その街のこども」
がある。
ご興味があればリンク先の記事を読んで、
というかDVDにもなっているので
ドラマ自体をぜひご覧になってみて下さい。

11年も前のドラマなのに、
今年は17日(16日深夜)に
NHK BSプレミアムで再放送してくれていた。

ドラマの設定と同じような年齢で
阪神淡路大震災を実体験している
森山未來さん、佐藤江梨子さんの
自然な演技にも引き込まれるが
なんと言っても渡辺あやさんの脚本が
すばらしい。

しつこいようだが名作ゆえ
再度お薦めしておきたい。

 

閑話休題(!?)
私は、「成人の日」と聞くと
いまだに1月15日が浮かんでしまう
昭和のおじさんだが、
朝日新聞が
明治・大正期紙面データベースを
整えていた10年ほど前、
未成年の酒とタバコに関して
こんな古い記事を紹介していた。
(以下水色部、2009年4月3日の
 朝日新聞の記事から引用)

 

1922(大正11)年4月1日付けの夕刊は
「明日からお酒を飲むな
 警視庁は不良少年退治」
という見出しで
未成年者飲酒禁止法のスタート
を伝える。

1922年、
ほぼ100年前ということになるが、
つまり、それまでは
子供でもお酒を飲んで
よかったわけだ。

実際

1889(明治22)年に
13歳の少年が
 浅草公園のそば屋で
 そば7杯、酒を6合飲食したが、
 金がないので警察に突き出された」
という記事がある。

問題になったのは
飲酒のほうではなく、
無銭飲食のほう。

それにしても
そば7杯と酒6合とはすごい量だ。

 

では、タバコのほうは
どうだったのだろう?

未成年者の喫煙禁止法ができたのは
飲酒禁止法より20年以上早い
1900(明治33)年だ。

タバコの規制のほうが
ずいぶん早かったようだ。

いずれによ、どちらも
最初から決まっていたわけではない。

わずか100年ほど前のことでさえそう。

歴史を読むときは、
当時のルールは?と
今のルールを当然と思わないで読む視点を
いつも忘れてはならない、と思っている。

 

 

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2020年10月18日 (日)

栗の皮むき

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栗の皮むき

- 冷凍したあと熱湯に入れて -

 

毎年秋になると知人が
地元で採れた栗を送ってくれる。

ほくほくとした秋の味覚は
まさにこの時期限定で、
いつも「栗ご飯」などにして
おいしくいただいている。

というわけで味のほうは申し分ないのだが、
ご存知の通り、栗は皮を剥(む)くのが
けっこうな手間だ。

夫婦でそれぞれ包丁をもち、
黙々と鬼皮、渋皮と格闘することになる。

専用のハサミもあるようだが、
年に何回かのことなので、
なかなか購入にまでは至っていない。

すると今年は、ちょうど栗の季節に
SNSにて、こんな情報を目にした。

「栗を一晩冷凍。
 冷凍した栗を熱湯に入れて
 5分ほど放置。
 その後、剥くと、
 渋皮も含めて簡単に栗の皮が剥ける」

ほんとうだろうか?
実際にやってみることにした。

 

まずはこれをご覧あれ。
この方法、
うまくいくとこんな感じで剥ける。

2010chestnut1

すばらしい!
渋皮も一緒にまさにツルッと剥ける。

剥きにくいうえ、ある厚さで渋皮を
剥かなければならなかったことを考えると
実が100%食べられることもうれしい。

2010chestnut2

 

とまぁ、完璧のように書いてしまったが
正直に結論だけ申し上げると
打率(!?)はそれほど高くなかった。
今回、合計で21個を剥いて
「渋皮が簡単に剥けた」のは
7個だけ。

2010chestnut3

ざっくり言って成功率三割、
という感じだろうか?

ほかは、これまで同様
包丁にて渋皮を剥く必要があった。

SNSを見ると
ほかにもトライしてみた方は多く、
成功率も人によって様々なようだ。

「熱湯を二度かけて
 熱いうちに剥くほうがいい」

など経験に基づくアドバイスを
してくれている人もいたので
一部試してみたりもしたが、
どうも決定的なものはないようだ。

まぁ、三割と言えども
やってみる価値は十分ある。

とにかく、剥き始めないとわからないので
「これは成功例かな?」
と期待しながら栗を手に取れるだけでも
退屈な皮むきの気分がずいぶん変わる。

 

そうそう、もうひとつ肝心なことを。
一旦冷凍することによる
味の劣化が気になっていたのだが、
そこはあまり心配しなくてもよさそうだ。

ホクホクとおいしくいただくことができた。

栗の皮むきで苦労している方、
成功率を気にしなければ
トライしてみる価値は大だ。

 

 

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2020年9月27日 (日)

高校生が著した「タネの未来」

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高校生が著した「タネの未来」

- 全国各地の伝統野菜のタネを求めて -

 

有機栽培
協生農法
と農業関連のネタが続いたが、
農業関連でもうひとつ
大事なトピックスを並べておきたい。

それは、種(たね)。

参考書は
現役高校生の小林宙(そら)さんが書いた
この本。

小林 宙(著)
タネの未来
僕が15歳でタネの会社を起業したわけ
家の光協会

(以下水色部は本からの引用)

まずは、
タネの問題を考えるうえでの
キーワードを教えてもらおう。

【固定種】

その木の中からまた、
とくに甘い実を選んで、
そのタネを植えつける -。

これを何度も繰り返すほど
純度が増していき、
やがてとれるタネのほぼすべてから
甘い実をつける木が育つようになる。

これが、タネが固定されていく過程だ。

つまり、ある特性を持つタネを
繰り返しとって植え、
その純度を高めていくことを、
「品種を固定する」といい、

そうして何世代もかけて作られたタネは、
一般的に「固定種」と呼ばれている。

起点となる「固定種」はわかりやすい。
「甘い実」等ほしい特性を強化したタネは
イメージしやすい。
で、それをベースにした「F1品種」がある。

【F1品種】

二つの異なる固定種を掛け合わせて作る、
F1品種というタネ
だ。

これはつまり、ものすごく簡単にいうと
「味のよいトマト」と
「耐病性のあるト」を掛け合わせて
「味がよく、病気にも強いトマト」を
作るというもの。

(中略)

日本では、稲や麦などの穀物を除き、
野菜のタネの9割をF1品種が
占めている
といわれている。

これも馴染みのある話だ。
ところが、このF1品種には
特徴となる大きな問題点がある。

【F1品種の問題点】

いいことずくめに思えるF1品種だけど、
そうとは言えない面もある。

この品種は、またの名を
「雑種第一代品種」ともいう。

説明したように、
異なる品種を掛け合わせることで、
顕性遺伝の法則によって、
「甘い」とか「病気に強い」とかの、
出したい性質を確実に
出すことができるのだけど、

それができるのは「第一世代」だけ
なのだ

「第一世代(F1品種)」の作物から
タネをとって植えた「第二世代」は、
これまた遺伝の法則で、
親の世代では顕性の性質に隠れていた
潜性のほうの性質がきっちり現れる。

「甘くて、病気に強い」親の性質を
受け継がない
のだ。

そんなF1品種が、
販売されているすべての野菜の
9割を占めるという。つまり
農家も、採れたタネ(第二世代)を
植えるわけではなく、

「農家でさえ、毎年新しいタネを
 よそから買っている」


ということを意味する。

一方、規制されながらも
一部で利用されるようになってきている
遺伝子組替え品種(GM品種)には、
この問題点がない。つまり
「F1品種と違って二代目のタネも
 一代目の性質を失わない」
という大きな特徴をもつ。

なので、
品種改良された部分を活かし
こんな販売方法も導入されている。

【農薬とのパッケージ販売】

販売戦略的な点からいえば、
もっとも主流なのがパッケージ販売だ。

この売り方はすでに、
世界中で多くの例がみられる。

これはどういうことかというと、
たとえば、
GM品種と農薬のセット販売だ。

自社製の除草剤Xと、
遺伝子組換えによって
除草剤Xに対する耐性をつけた作物Aとを
セットで販売する。

このGM作物Aを栽培する畑に
除草剤Xを全面的に散布すれば、
雑草はすべて枯れ、
作物Aだけが無事に生長する
というわけだ。

良し悪しは別な議論としても、
生産性や経済性が優先されていることは
農業の、そしてタネの世界もまた同じ、
ということのようだ。

 

続いて、タネに関する法律を
ふたつだけチェックしておこう。

【種子法と種苗(しゅびょう)法】

タネについて考えるとき、
押さえておきたい法律が二つある。

一つは
「種子法(主要農物種子法)」

二つめは、
「種苗法」
だ。

タネの開発に重視されるのは 
「公益性」なのか、
それとも「権利」なのかということを
先ほど述べたけど、
ものすごく大まかに言うと、
「公益性」を守るための法律が種子法で、
「権利」を守るのか種苗法だ

この法律、近年動きがあった。

【種子法の廃止、
 種苗(しゅびょう)法の強化】

種子法は、世間一般では
とくに大騒ぎになることもなく、
2018年4月1日をもって廃止された

これまで国が負ってきた
米、麦、大豆のタネの開発と管理を、
民間に開放したわけだ。

公益性を守る法律である
種子法が廃止され、

独占の権利を守る種苗法が
強化されつつあるというのが、
タネをめぐる現代の情勢

だということは、
知っておいてほしいと思う。

 

固定種、F1品種、GM品種
種子法、種苗法

本を読むと、タネに関する
基礎的かつ重要なワードを
駆け足で知ることができる。

 

著者の小林さんには
生後5ヶ月のころに発見された
食物アレルギーがある。

小林さんのお母さんが本の中で
「ありとあらゆる食べ物に
 アレルギー反応が出た」
と書いているが、発見当初は
小麦、卵、乳製品、ゴマ、ソバ、
お米、大豆、鶏肉、牛肉がダメという
かなり厳しい状況だったようだ。

「大丈夫だったのは野菜・魚・果物くらい」

親御さんもさぞや大変だったことだろう。

一方で、
そういった多くの制限があったからこそ、
小林さんの関心が食べ物、
そして野菜、野菜のタネに
向かっていったのかもしれない。

 

タネへの興味はぐんぐんと伸び
小林さんは、わずか15歳で伝統野菜の
タネの流通会社を起業してしまう。

全国各地に足を運び、
タネ情報を収集することが
楽しくてしかたがないことが
読者にも伝わってくる。

たとえば、山形県などでは、
昔から各家庭ごとに
固有のマメ(タネ)をとり続けていて、
娘が結婚するときには
嫁ぎ先に実家のマメを
少し持っていかせるというような
風習があり
、今も一部の地域では
残っている。

こんなふうにして、
各家庭レベルで、
品種が受け継がれているのだ。

ちなみに、甘くて
味噌の原料にするときに
麹が少なくて済むから「麹いらず」、
白黒の模様をしているから
「パンダささぎ」
(ささぎ=ササゲマメ)など、
マメの名前も各家庭ごとに
様々に呼ばれていて、おもしろい。

 

本の題名は「タネの未来」だが
「タネの未来」がわかるわけではない。

ただ、
未来に向けてどんな課題があるのか、
どんな点を見なければならないのか、は
タネのド素人が読んでもよくわかるように
書かれている。

なによりも本人のタネへの情熱が
清々しくて心から応援したくなる。

重要なわりに目立たないタネ。
農業問題を考えるとき、
ぜひ立ち戻って考えたい
視点のひとつを与えてくれる。

 

 

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2020年7月19日 (日)

国民生活センターの名回答

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国民生活センターの名回答

- 消費者も学べ -

 

国民生活センターのページに、

「米を購入後、
 しばらくして食べようと袋の中を見たら、
 虫がわいていた」

との相談が寄せられていた。

(全文はここに公開されています。
 詳細についてはそちらを参照下さい。
 以下水色部、センターのページから引用)

 

相談者は、

インターネット通販で10kg入りの米を購入。
棚の中に保管。
3カ月後に食べようと思って
ビニールの米袋を見たら、中に
全長3mmくらいの黒い虫がぞろぞろいた。
開封していないので、
外から入ったものではないことは明らか。
返品、交換してもらいたい。

と訴えている。

これに対するセンターの回答がすばらしい。
今日はそれを紹介したいと思う。

まずは冷静に虫について解説。

袋の中にいた虫は、
「コクゾウムシ」と思われます。
コクゾウムシの混入は、
完全に防ぐことはできない
と考えられます。

保管方法と保管期間などによっては、
卵から孵化(ふか)することがあります。

そのうえで、
大事な指摘に向けて
やわらかく舵を切っている。

最近は、
異物混入で問題になることを嫌う
販売店の方針や、
洗浄や精米といった技術の進歩、
流通の進歩等により
生鮮食品に害虫がついていることは
少なくなり、
それに伴い、私たちは、
米だけに限らず生鮮食品に
害虫や土などは
ついていなくて「当然」、
それが「普通」というような
感覚を持つようになってきています

いつのまにか
 害虫や土などは
 ついていなくて「当然」、
 それが「普通」
となってしまっている感覚に、
一旦立ち止まって考える機会を
与えてくれた意義は大きい。

「当然」「普通」を実現するために、
つまり、害虫や土を取り除くために
誰が何をやっているのか、
それらはほんとうに消費者のために
なっているのか、
考えてみる価値はある。

そういったことを丁寧に説明したうえで、

たしかに、米の袋の中に
黒い虫がぞろぞろいれば、
大変に気味が悪いだろうと
想像はできますが、高温多湿の日本で、
数カ月も米を放置していれば、
コクゾウムシの発生は
当然予想すべき事象の範ちゅうです

ときっぱり言い切っている。

自然の恵みである収穫物を
消費するにあたっては、
生産者や卸業者、販売業者だけが
知識を持つだけでなく、
最終的に消費する消費者自身も
食品に関する知識を有することは
自身にとって非常に大切なことです

生産者や販売業者だけでなく、
消費者自身も学ぶべきだ、
との指摘は、
もちろん生鮮食品に限ったことではない。

 

より豊かな消費活動は、
生産者、販売業者、消費者の
共同作業の結果として存在するのであって
それぞれの立場での知識は、
それぞれの立場での知識獲得の意欲は、
まさにその「豊かさ」に繋がってくる。

同時にそれは
それぞれの立場での「喜び」にも
繋がってくるわけで、
そういう共同作業によって
消費活動が成り立っている、という視点は
もっともっと広めるべきだと
強く思う。

「お客様は神様」ではない。

知識を得ようともせず一方的に
「カネを払ったのはこちらだから」と
威張ってみても
そこには喜びも豊かな消費活動もない。

 

 

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2019年9月29日 (日)

炭素14年代測定法の信頼性

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炭素14年代測定法の信頼性

- 「科学的分析」の儚(はかな)さ -

 

世界の富や権力は、
なぜ現在あるような形で
分配されてしまったのか?


なぜほかの形で分配されなかったのか?

たとえば、南北アメリカ大陸の先住民、
アフリカ大陸の人びと、そして
オーストラリア大陸のアポリジニが、
ヨーロッパ系やアジア系の人びとを
殺戮したり、征服したり、
絶滅させるようなことが、
なぜ起こらなかったのだろうか。

こんな壮大なテーマに
真正面からかつ
多角的に取り組んでいる

ジャレド・ダイアモンド(著)
倉骨彰(翻訳)
銃・病原菌・鉄
1万3000年にわたる人類史の謎
草思社文庫

(記事中、水色部は本からの引用)

 

前回
考察の対象となる「1万3000年」について
考えてみたが、
今日は、
歴史研究のまさにベースとなる
年代測定法のひとつ
「炭素14年代測定法」についての部分を
紹介したい。

本書で言及している
過去1万5000年にわたる期間は、
これまでの炭素14年代測定法ではなく、
新たに採用された
炭素14年代測定法
による
誤差を修正した数値を使用している。

と本文にも何度も出てくる通り、
従来のよく知られた炭素14年代測定法には
いろいろ問題があったようだ。

それはどんなもので、
どこに問題があったのか?
よく聞く年代測定法でもあるうえ、
そこで得られた数字は
歴史を考えるときの
根拠としてもよく使われるので
改めてその信頼性について学んでみたい。

まずは、測定法の原理から。

【炭素14年代測定法】

考古学では、
食料生産がおこなわれていた年代を
推定するのに炭素14年代測定法を
もちいている。

この測走法は、
あらゆる生命体を構成する
普遍的な原子のひとつである
炭素原子のなかの、
ほんの一部の放射性炭素14が、
生命体が死ぬと
一定の曲線を描いて減少し、
非放射性同位元素の窒素14に
変化することを利用して、
遺物に残存している
放射性炭素14の量を計算することで
年代を求める
というものである。

大気中には、
宇宙線の照射によって発生した
炭素14が常に存在している。

植物は大気中の炭素を取り入れるが、
そこには炭素12と炭素14が
一定の割合でふくまれている
(この割合は、炭素12が100万個に対して
 炭素14が1個である)。

植物の体内に取り込まれた炭素は、
その植物を食べる草食動物の
体内に取り込まれる。

さらに、その草食動物を食べる
肉食動物の体内に取り込まれる。

動植物が死ぬと、体内の炭素14は
5700年の半減期を経て炭素12に変化し、
死後4万年で大気中の濃度と
ほぼ同じレベルにまで減少して
測定不能になるか、
あるいは人工物の中にふくまれる
微量の炭素14との区別がむずかしくなる。

このように、遺跡の出土物は、
それに残っている
炭素14と炭素12の量を測定し、
その割合を算出することで、
年代を求めることができる

上記文章で理解できたであろうか?

簡単に言うと、
植物も動物も生きているときは
大気中と同じ比率で
体内に炭素14を含んでいるが、
死んでしまうと
大気からの炭素14の取り込みが
なくなるため
炭素14の半減期に従って
体内から炭素14が消えていく。

なので炭素14の比率を測れば
死んでから何年経ったのかがわかる、
そういう原理だ。

さて、長く使われていたこの方法の
どこに問題があったのだろうか。

本では2点、指摘されている。

【炭素14年代測定法の問題点1】

そのひとつは、
1980年代まで利用されていた技術が、
比較的多量(数グラム単位)の試料を
必要としていた
ことである。

数グラムという量は、
小さな種子や骨から
取りだせる量ではないので、
科学者たちは、
それらの遺物を直接測定するかわりに、
それらと
「かかわりがありそうなもの」
つまりそれらが出土した場所の
近くで出土し、
同時代のものと推定される遺物を
測定することが多かった。

「かかわりがありそうなもの」
として利用された典型的なものは、
炭化した燃えカス
である。

 しかし遺跡というものは、
そこから出土するすべてが
同時期に封印された
タイムカプセルであるとはかぎらない。

別々の時代に残されたものが、
たとえばミミズ、ネズミ、
その他の動物によってほじくり返されて、
混ざりあってしまうこともある。

したがって、ある時代の燃えカスが、
その時代より1000年も離れた時代に
死んだり食べられたりした動植物の
すぐそばから出土することも
ありうるのだ。

そこで、今日では、
試料に含まれる極微量の同位体
正確に数えて同位体比を測定する
「加速器質量分析法」
という方法を使って、
この問題を回避するようになりつつある。

 

【炭素14年代測定法の問題点2】

炭素14年代測定法の
もうひとつの問題は、
過去の大気中の
炭素14と炭素12の割合が一定でなく

年代とともにゆらいでいるため、
測定誤差が生じるということである。

しかしこの誤差の大きさは、
樹齢の長い木の年齢を数える
年齢年代測定法で求めることができる。

これによって木の年齢の
絶対的な年表(カレンダー)ができると、
その木の炭素の試料から、
ある年代の炭素14と炭素12の割合が
求められるので、
炭素14年代測走法で求められた年代は、
大気中の炭素14の割合のゆらぎを
考慮した正確な年代に
修正できるのである。

誤差無修正で、
ほぼ紀元前6000年から紀元前1000年の
あいだと測定された遺物に対して
誤差を修正してみると、
じつはそれより数世紀から数千年も前に
さかのぼるものだったりすることもある。

もうひとつは、なんと
炭素14の比率が
 年代とともにゆらいでいる

という事実。

年齢年代測定法によって
誤差の修正はできるようであるが
その範囲は限定的であろう。

 

【表記でわかる修正の有無】

最近では、いくぶん古い時代だと
思われる遺物に対しては、
炭素14年代測定法とは別の
放射性年代測定法
もちいられるようになった。

その結果、
これまで紀元前9000年頃のものと
されていた遺物が、
紀元前1万1000年頃のものであったと
結論づけられたことがある。

 考古学者は、

誤差を修正した年代を
「3000BC」というように
大文字で表記し、

修正されていない年代は
「3000bc」と
小文字で表記する


ことで、
両者を区別する傾向にある。

しかし、考古学の文献のなかには、
誤差を修正していない年代を
BCというように大文字で記述しながら、
その旨を明記しないものが多く、
混乱をまねくことがしばしばある。

この本では、過去1万5000年のあいだに
起こった出来事については
誤差を修正した年代をもちいている。

こうしてみると
「対象試料そのものの正確性」
「対象時代の大気の状態(炭素14比率)」
どちらもかなり
頼りない指標だということがわかる。

 

最近、過去の事件に関して、
最新のDNA判定結果が、
過去のDNA判定結果を覆えした例が、
ニュースになっていた。

当時としては「科学的に分析して」
同一人物のものと判断されたものが
最新の分析結果では別人のものであると。

「科学的な分析」は
絶対的な正しさではなく、
実際にはかなり「儚(はかな)い」ものだ。

「当時の知識や技術では
 それが正しかった」
という説明が通ってしまうという意味で。

客観的な証拠や分析は重要なものだが
「科学的な分析」という言葉には
常にそういった危うさが
含まれていることを
忘れてはならないと思う。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年8月11日 (日)

出雲大社

(全体の目次はこちら


出雲大社

- ぜんざいは神在(じんざい)? -

 

島根・鳥取方面への旅行、
最終日は、出雲大社にお参りした。

勢溜(せいだまり)の大鳥居から
松の参道と呼ばれる参道を
ゆるやかに上っていく。

Img_4306s

(写真はすべてiPadにて撮影)

ふと前方の鳥居を見ると、
そこから先、参道から人が消えている。
どうして?

Img_4308s

ここまで真ん中を歩いて来た人たちは
この鳥居から先、鳥居の両脇の道に
進路を変えているのだ。

神様の集まる出雲大社のこと、
「真ん中は神様の通る道で
 人はその両脇を歩く」
なる話も聞いたことがあったので、
「もしかしたら、このこと?」
と思いながら近づいていった。

鳥居の下まで来ると、
何か書いてある。
いったい、何が書いてあるのだろう?

Img_4309s

「松の根の保護のため
 参道左右をお進み下さい」

なんだ、松の養生のためか。
なぜかガッカリ。

脇の参道を歩くことになったが、
参道からちょっと右に目を遣ると
山の緑がほんとうに美しい。

Img_4311s

 

「ムスビの御神像」と呼ばれる像。

Img_4312s

立派な像ではあるが、
なぜか「気恥ずかしい」。

Img_4314s

 

「御自愛の御神像」

Img_4315s

因幡の白ウサギの話って、
子どものころ絵本で読んだ記憶しかない。

絵本で語られる物語というのは、
多くの子どもに知ってもらえるという
大きなメリットがある反面、
それだけで知った気になってしまう
そういう子どもを大量に生産してしまう
ある種の不幸を背負っている気がする。

「大人になってからちゃんと知ろう」
をサボっている自分の怠惰を棚に上げての
勝手な思い込みではあるが、
小学生のころ読んだ
「こども**全集」に入っていた話を
大人になってから「原作」で読んでみると、
その印象のあまりの落差に
驚くことはよくある。

絵本で知った、ならなおさらだ。

 

「拝殿」まで来た。

Img_4319s

出雲大社独特の
「2礼4拍手1礼」でお参りする。

左奥に本殿、右に拝殿

Img_4322s

 

境内を右回りに、大きく歩く。

左に八足門、右に観祭楼

Img_4324s

八足門

Img_4325s

右下の足元、赤い丸については
のちほど見学する歴史博物館で
驚きの事実を知ることになる。

 

御本殿西側

Img_4326s

西側から臨む御本殿

Img_4328s

 

素鵞社(そがのやしろ)
Img_4330s

境内の一番うしろ、
もっとも奥まったところにある。
大国主大神の父神とされる
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る社
御本殿を背後から見守るかのような
位置にある。

Img_4331s

 

真後ろから見る御本殿

Img_4333s

物理的な距離という意味では、
この真後ろが一番近いかもしれない。

東側から臨む、右が御本殿

Img_4338s

左から御本殿、御向社、天前社

Img_4342s

東十九社

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旧暦10月の神在月(かみありづき)の際
全国から訪れる神々の宿舎
西十九社として西側にもある。

御本殿を一周、拝殿に戻ってきた。

Img_4345s

 

お参りした後は、名物のコレを。

出雲割子そば

Img_4346s

蕎麦の実を皮つきのまま製粉するため
色は黒っぽくいが、香りもよく、
お参りで歩いて
ちょっとすいたお腹にピッタリ。

食事のあとはデザート代わりに
別なお店で「ぜんざい」を。

Img_4349s

このぜんざい、「縁結び」にからめて
なんと結んだ「蕎麦」が入っている。

Img_4352s

そもそも
「ぜんざい」の発祥はこの地だとか。

出雲では神在祭の時に
神在餅(じんざいもち)をふるまっていた。
「祇園物語」には
「赤豆を煮て汁を多くし、
 少し餅を入れ」とある。

この「じんざい」が
出雲弁でなまって「ぜんざい」となり、
京都に伝わったとのこと。

元は、神在(じんざい)か。

旅行最後に立ち寄った
島根県立古代出雲歴史博物館
の話は次回に。

 

 

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2019年6月16日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(1)

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鳥取県の民藝めぐり(1)

- 吉田璋也(しょうや)の功績 -

 

大山登山で嬉しい達成感を味わえたうえ、
皆生(かいけ)温泉の恩恵にも浴したものの、
登山ド素人の我々夫婦は、予想通り、
足の筋肉痛を避けることはできなかった。

というわけで、登山の翌日は
「あまり歩かなくてもいいコース」
で動くことにした。

今回の旅行では、大山登山のほかに
もうひとつ、
ぜひやりたいと思っていることがあった。
それは、
「民藝の焼き物を見て回ること」。

というわけで、登山の翌日は、
「鳥取県の民藝に触れる一日」
とすることにした。

 

鳥取県の民藝を語るうえで欠かせないのが
吉田璋也(1898-1972)」だ。
まずは、彼が作った
「民藝美術館」から話を始めたい。

なお、参考図書は、
 鞍田崇 他著
 私の好きな民藝
 NHK出版

(以下、水色部は本からの引用)

 

【鳥取民藝美術館】

Tottorimingei1

吉田璋也さん、
どんな人だったのだろう?

山陰の民芸の発展に
大きく貢献した吉田璋也(しょうや)


開業医だった璋也は、
「民芸のプロデューサー」を自任。
地元の手仕事の伝統をもとに、
職人たちを指導して、
新しいデザインの民芸品を作らせ、
また職人の集団「鳥取民藝協団」も
組織しました。

こうした「新作民芸運動」を背景に、
璋也は昭和24年(1949年)、
自分が蒐集した民芸品を展示する
鳥取民藝美術館を開設した。

JR鳥取駅からすぐのところにある。

Img_4092s

(写真はすべてiPadで撮影)

 

1階には、璋也がデザイン
もしくはプロデュースした民芸品を
メインに展示してある。

Img_4080s

焼き物に限らず、家具や障子の桟や

Img_4090s

コンセントカバーのような小物まで、

Img_4082s

吉田璋也のセンスが感じられる。

2階には、蒐集した民芸品。
コレクションは鳥取地方に
限定されたものではなく、
日本はもとより中国等海外からのものもある。

Img_4086s

この美術館の目的は

来館者に民芸品の美しさを
伝えることだけでなく、
職人たちに民芸の美の基準を
示すこと
にありました。

ここにあるものを手本に、
新しい民芸品を
作ってもらおうと考えたのです。

 

民藝美術館のとなりには、
昭和7年(1932年)に吉田璋也が開いた、
日本初の民芸店「たくみ工芸店」がある。

Img_4093s

この民芸店、開店の理由が感動的だ。

「すごいと思うことですが、
 璋也は職人たちの生活のため、
 自分が作らせたものを
 すべて買い取ったんです


 それを売るための場所が
 必要だったんですね」

と美術館の理事が語っている。

さらにその隣には、
昭和37年(1962年)
民芸の器で郷土料理を提供する、
「たくみ割烹(かっぽう)店」
オープンする。

こちらは実際に
民芸品を使っている姿を見せ、
その使い勝手を知ってもらう場所、
と位置づけられている。

写真左から
「美術館」「たくみ工芸店」「たくみ割烹」
の3棟が並んで建っている。

Img_4096s

今回訪問した時には、
割烹店の前(写真右下)には
入店のための行列ができていた。

 

ちなみに美術館の人の話によると、
通りを挟んだ反対側ある
吉田歯科医院は
吉田璋也のお孫さんがやっている
歯医者さんらしい。

Img_4091s

 

美の実例・基準を提示するだけでなく、
職人に作らせたものをすべて買い取って
それを売る場、使う場を設けながら
新しい作品を作る機会を与えていく。

「民芸のプロデューサー」として
なんという実行力だろう。
エピソードと共に話を聞くと
忘れられない名前になる、吉田璋也。

最後に、人柄を偲ぶため
民藝館の入館パンフレットの写真を
添えておきたい。

Yoshidasyoya

 

 

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2019年5月26日 (日)

世界遺産「石見銀山」大森地区

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世界遺産「石見銀山」大森地区

- 「おだやかな暮らしを守る」という合意 -

 

改元に合わせた連休を利用して、
夫婦で国内旅行を楽しんできた。

選んだのは島根と鳥取。
ふたりとも行ったことがない
初訪問の地だ。

旅行記として、
訪問地をいくつか紹介したい。

最初は、
世界遺産「石見(いわみ)銀山」。

江戸時代の町並みの雰囲気を残す
大森地区と呼ばれるエリアと、
坑道跡を残す銀山エリアとが
主な見学地となっているが、
環境保全のため
どちらも一般車の乗り入れが
制限されている。

なので、車で向かった観光客は
両エリアから少し離れた
「世界遺産センター」の駐車場に
車を停めて、そこからバスで
目的地に向かうことになる。

我々夫婦が「世界遺産センター」に
到着したのは11時半ごろ。
ところが、連休中のせいか
大きな駐車場はすでに「満車」。
入り口に車の列ができていた。

山の中で、他に駐車場の選択肢が
あるわけではないため
しかたなく並んで待つことにした。

道路左側に寄って並んでいると
その横を、
観光地との間を往復しているバスが
通り抜けていく。

当然ながら
バスは帰る客も運んでくるので、
バスが通過するたびに
待機している車の列が動く。

思ったよりも回転がはやく、
長く待たずに駐車することができた。

まずは「世界遺産センター」で
地区全体の説明を聞き、地図をもらって
バスで大森地区に向かった。

【大森地区】
江戸時代の武家屋敷や代官所跡、
銀山で栄えた豪商の住宅などが並ぶ通りを
ゆっくりと散策。

【石見銀山資料館(大森代官所跡)】

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この通りの雰囲気だけでも十分楽しめる。

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【西性寺】

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町並みも緑も美しい。

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観世音寺はちょっと高くなっているので、
登ると町を見下ろすことができる。

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石州瓦と呼ばれる赤瓦が印象的だ。

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【町並み交流センター(旧大森区裁判所)】

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「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」
という美味しいパン屋さんがある、
と聞いていたので、
そこのパンを楽しみにしていたのだが、
お店の前まで行ってみると運悪くお休み。

「残念だったね」と
夫婦で言い合っていたころ
かなり怪しかった雲から
ポツポツと雨が舞い始めた。

「ヒダカさんのパンも食べられないし、
 雨宿りを兼ねてお昼でも食べようか」と
近くのイタリアン「ぎんざん」に入った。

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メニューを見ると
ランチセットにはなんと
「ヒダカさんのバゲット」
が含まれているではないか。
まさに地元のお店の連携だ。

P5013063s

単なる偶然とはいえ、こちらの気持ちを
汲みとってもらえたようで、
妙に嬉しい。

チャンスは意外なところに
ころがっているものだ。
一切れだけではあったものの、
希望を叶えることができた。

ランチのパスタも、
ヒダカさんのバゲットも、
どちらも美味しく◎。

お店に入る前の気分は「江戸」だったのに
舌はイタリアンやバゲットを
楽しんでいるという
組合せのギャップもまた楽しい。

 

昼食をすませて外に出ても
残念ながら雨は上がっていなかった。
でも、ウィンドブレーカのフードで
しのげる程度なので散策続行。

【菓子屋:有馬光栄堂】

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雰囲気のある町並みが続く。

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取ってつけたような
ケバケバしい看板の土産物屋も
一軒もない。

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小雨が舞う天気だったとはいえ
「世界遺産センター」の駐車場が満車でも
通りの人出はこの程度。

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雰囲気をのんびり楽しむことを
邪魔しない「静かさ」がいい。

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飲み物の自動販売機にも
街の景観を意識した工夫が。

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懐かしいポストも現役だ。

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なんとも味のある看板に引き寄せられた。

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築170年の古民家を最大限に活かし、
およそ300坪の敷地を舞台に、
衣・食・住にまつわるライフスタイルを
おしゃれに提案している
「群言堂 石見銀山本店」だ。

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中庭を眺めるカフェのほか、

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魅力ある雑貨、衣類を並べた店舗は

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かなりゆっくり回っても飽きることはない。

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古いチーク材を大胆に使った
写真立てが妙に気に入ったので、
思わず購入。

 

二階は読書スペースとして開放されている。

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読書向けの空間ながら、
椅子にすわったり、寝転んだり、
自由なスタイルで本を読める
なんともゆるい空間だ。

P5013110s

 

この群言堂を展開しているのが、
「石見銀山生活文化研究所」という会社。

人口わずか400人の島根県大田市大森町に
根を張りながら、
アパレルの企画・製造・販売、
飲食店経営、古民家再生などを手掛け、
全国に30店舗を展開、
という規模にまでなっているという。

人口400人の町に日本の未来をみた。
「群言堂」で知られる
「石見銀山生活文化研究所」
との新連載がキックオフ!


という記事がグリーンズにあった。

この記事の中で、
石見銀山生活文化研究所の
広報担当・三浦類さんが、
たいへん興味深いことを言っている。
(以下水色部は上記記事からの引用)

ピークのときは、
年間80万人以上が訪れたんです。
何十台も観光バスが来て。

世界遺産登録直後、
自治会協議会が中心になって
住民憲章をつくりました。

その一文には
「私たちはこのまちでおだやかさと
 賑わいを両立していきます」
とありますが、

世界遺産になったからといって
これまでの暮らしを変えるのではなく、
おだやかな暮らしがある
ということこそをこの町の魅力として
お客様に発信していこうと
宣言
しています。

いま観光客数は半分以下になって
40万人を切っていますが、
暮らしている身としては
落ち着いていて、
休みの日も適度な賑わいで
暮らしやすい、いいまちです。

極端に観光地化されなかったのは、
このまちにとってよかった

思っています。

派手派手しい看板や
土産物屋さんもつくらず
有料駐車場もない


田畑や古民家をつぶして
駐車場にするのは簡単ですが、
誰もそうはしないというモラルが
共有されています


景観を守り、
暮らしが息づいているまち、
観光地としては珍しい形で
存続していると思います。

住民の合意で、派手派手しい看板や
土産物屋がつくられていないのならば
すばらしいではないか。

その合意には「まちのサイズ」も
意味があるようだ。

「400人というまちのサイズは
 どうですか?」

の質問に対して、三浦さんは、

人の顔が覚えられる、
お互いの顔が見える安心感が
ありますね。

意識の共有や合意形成が
しやすいとも言えます


(中略)

世界遺産登録されたタイミングのときに、
もし人口が1000人なら
合意形成できずに観光地化してしまう
可能性はあったのかもしれませんね

小さな町ゆえ、
景観と暮らしが守られている。

ほんとうに
キーホルダや饅頭を売っているような
土産物屋には一軒も出会わなかった。

世界遺産に認定された町ではあるけれど
ひとりでも多くの観光客が来ればいい、
土産物がたくさん売れればいい、
そんなことを目指してはいない
別の価値観が流れている、
静かな観光地だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年1月 6日 (日)

初めての中国・上海 (6)

(全体の目次はこちら


初めての中国・上海 (6)

- 見下ろす景色と豫園と -

 

すでに6日も経ってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。

=========
安倍首相、
新元号は「4月1日公表」と正式発表
=========
なる見出しが「産経ニュース」で流れ、
それに対して
「えっ! 新元号って
 『4月1日公表』っていう名前に
 なったっていうこと?」
と白々しい誤解のコメントで
ツイッターが盛り上がるのは
そんなにきらいじゃぁないのですが
その中に、
「読み方は、
 『わたぬききみひら』でしょ」
なるコメントがあって
さらに気に入りました。

四月一日になると
綿の入っている着物を脱いで
あわせの着物になる事から
四月一日(四月朔日)を
『わたぬき』と読むのだとか。

世界はいろいろなところから
広がるものです。

とまぁ、
自分自身への備忘録を兼ねた
ブログではありますが、
気ままに続けていきたいと
思っていますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆様にとって素敵な一年となりますよう。

***************

というわけで(?)
前回に引き続き、
2018年11月、出張で行った
中国・上海で印象に残ったことを
写真を添えて紹介したい。
今日はその最終回。

 

仕事が終わって日本に帰る土曜日。
飛行機の出発時間までの半日、
上海観光をしようと思っていた。

すると、私が「上海は初めて」、
と言っていたせいか、
訪問先の会社の方のおひとりが
気を遣って下さり、
休日にもかかわらず、
「案内しますよ」
と言って来て下さった。

初めての国であっても、
自分であれやこれや悩みながら
観光することはちっとも苦ではなかったし、
自分ペースで回れるほうが
気が楽だと思っていたし、
なにより相手のお休みの日を
私のために使わせてしまうのは
申し訳なかったので、
一旦は丁寧にお断りした。

ところが、金曜日
私の固辞を忘れたかのように
「明日はどこに行きたい?」
とかなり積極的。
熱意におされて
今回は厚意に甘えることにした。

現地中国人による英語のガイド付き
半日ツアー、贅沢な時間だ。
こうなれば、逆に任せてしまおう。

土曜日の朝、
ホテルまで来てくれた彼が
最初に「行こう!」と
連れて行ってくれたのは、
黄浦江という川の東側「浦東エリア」。

高層ビルが多い地域の中でも、
特に目立っているビルのひとつ。
ここに上って、まずは上から眺めよう、
ということになった。

Pb032369s

展望台があるような高い塔やビルは
他にいくつもあるのに、
「ここは日本の森ビルが作ったンですよ。
 エレベータも東芝のもので
 すごく静かで速いンです」
と日本人が少しでも喜びそうな
日本に関連の深いビルを選んでくれる
その心遣いがうれしい。

91階のレストランを目指す。

Pb032334s

「上海環球金融中心」
2008年に日本の森ビルが
15年の歳月をかけて完成させた。
高さは494mもある。
日本一の「あべのハルカス」でも300mだ。

91階からの眺め。
正面の赤い玉を持つ塔は、
上海のシンボルタワー
「東方明珠塔」高さ462m。

Pb032340s

下の写真右側の高層ビルは
「金茂大厦88層観光庁」
高さ420.5m、88階建ての高層ビル

Pb032348s

前夜、金曜日の夜
こんなふうにライトアップされていた

Pb022267ss

対岸のバンドエリアも
全景がよく見渡せる。

Pb032363s

川沿いのビルをライトアップすることは、
regulationで決まっているらしい。
照明の電気代も
税金で払われているのだとか。

79階から94階には5つ星のホテル
「パークハイアット上海」が入っている。
なんて高いところにあるホテルなんだ。
(値段も高いらしいけれど)

ここは、ホテルの朝食にも
使われているレストランゆえ
景色だけでなく雰囲気もいい。

Pb032364s

 

降りてくると、すぐとなりには
2016年に完成したばかりの
「上海中心(上海タワー)」。
高さはなんと632m!!
もう一度書く、
日本一の「あべのハルカス」でも300mだ。

Pb032367s

 

91階から頭部が見えていた
金茂大厦88層観光庁も
下から見るとこんな感じ。
竹をモチーフにした外観らしいが、
言われてみるとわからなくもない。

Pb032368s

 

近代的な超高層ビル群を
見たあとは、
川の対岸、
「豫園(よえん)」に向かった。

Pb032380s

豫園は
江南古典庭園の名園と称されるところだが、
まわりは豫園商城と呼ばれる
土産物屋が並ぶ
一大観光スポットとなっている。

Pb032384s

Pb032388s

 

まずはチケットを買って
豫園(よえん)見学。

Pb032395s

入り口の門は小さいが、
見上げると石の彫刻がすごい。

Pb032402s

Pb032396s

 

漸入佳境と呼ばれる遊廊。

Pb032409s

 

仰山堂からの庭の眺め。

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仰山堂は1866年に創建された。

Pb032413s

 

足元を見ると、
敷き詰められた石の模様が
エリアによって違っていておもしろい。

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くり抜き門が随所に見られる。

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石の配置に特徴のある庭園

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瓦にも細部まで手の込んだ施しが。

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屋根も独特な形状をしている。

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「龍壁」と呼ばれる塀。

Pb032448s

Pb032453s

思わず写真を撮りたくなるが、
同行の中国人によると
再建時に観光用に作られたもので
もともと古くからあったものではない、
とのこと。


ガジュマルで作られた家具や彫刻のある
建物もある。

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池や遊廊との組合せも絶妙。

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内園と呼ばれる
7m四方の舞台を囲む空間。

Pb032486s

 

窓の格子も細かくて美しい。

Pb032487s

 

豫園を出ると、
同じトーンで作られた
巨大な土産物屋が目の前に迫ってくる。

Pb032491s

 

豫園の外ながら、隣接して建つ
「上海緑波廊酒楼」。
中国十大レストランの1つに名を連ねる
上海料理の名店だ。

Pb032500s

ちょうど季節ということもあり、
ここで有名な「上海蟹」を
食べることにした。

昼食時は予約ができないらしく、
受付で名前を登録して順番を待つ。
もちろんお知らせはスマホに来る。
なので、入り口付近でじっと待たずに
近くの土産物店をウロウロしながら
待つことができるのだが、
土曜日の昼時、園周辺は観光客で大混雑。
呼ばれてもサクサクと移動できないので、
ついつい入口付近で待つ人が多くなる。

ここで待っているとき、同行の中国人が
おもしろいことを言った。

「このお店は、
 観光地のベストロケーションにあるので
 観光客でいつも溢れかえっている。

 レストランの名店としても
 よく知られていて、
 大統領や王様級のお客様も来る。

 つまり商売としては大繁盛なのだが、
 お店はgovernmentがやっている。
 なので、お客様で大賑わいなのに、
 店員にはお客への笑顔がないンだ。
 見ててみて。
 笑わないから」

思わずその視点で店員を見てしまう。
なるほど、キビキビと動き、
事務的に忙しそうに働いてはいるが、
愛想笑いも含めて笑顔がない。

忙しくて機嫌が悪い、
というわけではないようだ。

笑顔がなくても、
対応自体が悪いわけではない。

上海蟹を頼むと、調理前の
数杯の蟹をザルに入れて持ってきて
「選べ」と言う。

もちろん私には選べないので、
同行の中国人に頼んでしまった。

「どこを見て選ぶの?」

会話が弾む。
2杯決定!

Pb032505s

しばらく待つと、
この状態で目の前に再登場。

Pb032514s

食べ方(解体の仕方)を
教わりながら初上海蟹。

Pb032516s

蟹を食べると皆静かになってしまうのは
洋の東西、というか国を問わないようだ。
手も汚れてしまったので
以降写真なし。
独特な甘みもあって
ほんとうにおいしい蟹だった。

 

Pb032519s

半日ではあったが、
ガイド付きの贅沢な観光終了。

丁寧に礼を言い、空港に向かった。

もし、彼が日本に来た時は、
ぜひともこの御礼をしたいと思うのだが、
さて、半日あったとして、
東京ならどこに案内しよう?

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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