食・文化

2018年1月21日 (日)

オーストリア旅行記 (22) 鉄道を通しての深い関係

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オーストリア旅行記 (22) 鉄道を通しての深い関係

- 日本の鉄道の守護神? -

 

ウィーンへの電車の乗り換え時、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅で
特急列車railjetの車両を見ると、
妙にいろいろな数字が書かれている。

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意味を表すと思われる
簡単なアイコンや文字も添えてあるので、
こういう意味なのかなぁ、と
想像できるものもあるが
正確なところはわからない。

文字と数字の部分だけを切り取って
並べてみた。
ある「一両」に、これらの文字列が
ズラーっと一列に並んでいる。

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帰ってから検索すれば記述内容を
解説してくれているページくらいは
簡単に見つかるだろう、と
気軽に考えていたのだが、
そもそも鉄道マニアでもなんでもない
ズブの素人が、いざ探そうとすると
どういう言葉で検索すればいいのか、が
さっぱりわからない。

エイヤ、のいいかげんな検索では
全くヒットしない。

ドイツ語かつ
適切な単語で検索すれば、きっと
いいページはあると思うのだけれど。

R150mというのは最小曲線半径だろうか?
重量(t)であったり、長さ(m)であったり、
車両の仕様に関連する数字であることは
間違いないと思うのだが。

日本でも車両に
文字や数字を見かけることはある。
でも、「クハ」や「モハ」などの
短い文字列と数桁の数字、
重量(t:トン)や定員など、
簡単な記述しか見た覚えがない。
情報量がぜんぜん違う気がする。

 

上記数字の意味の回答ではないが、
そう言えば、
オーストリアの鉄道関連で
下記の本に、
ちょっと興味深いことが書いてあった。

あまり知られていない
オーストリアと日本の関係。

少し紹介したい。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

ここで、オーストリアから
日本が輸入している商品および
将来的に期待される
品目の具体例を述べる。

意外と知られていないが、
日本が長年輸入している
鉄道用保線車”がある。

日本の新幹線は、
1964(昭和39)年運転開始以来、
技術的欠陥による人身事故を
一度も引き起こさずに
走り続けているが、

その軌道や架線を監視する
保線車のほとんどが
オーストリア製である


JRのみならず、
日本の多くの私鉄にも
この保線車が納入されている。

この保線車は、
ドイツ・インターシティ、
フランス・TGV、
スペイン・AVEなど
世界的に有名な高速鉄道の
補修を引き受けているのである。

納入実績からみると、
ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで
日本は4番目であるが、
数億円もする保線車が
すでに約600台以上納入されている。


このオーストリアの保線車こそ、
乗客がいなくなった
真夜中にこっそりと、
翌日の来客の安全を守るために
線路をみてまわる、
まさに日本の鉄道の
守護神ともいえる存在

(略)

日本の鉄道を守る保線車が、
600台以上もオーストリアから
輸入されていたとは。

保線車を目にする機会はあまりないが、
車両を見れば
オーストリアから来たことは
簡単にわかるのだろうか?
今度目にする機会があれば、
ちょっと注意して見てみよう。

 

アットナング・プッハイム駅から
特急列車railjetに乗換えて一本、
ついにウィーン中央駅に到着した。

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正確には、旅行の初日、
空港からザルツブルクに行くときに
通過しているので、
4泊して戻ってきた、とも言える。

ここも、近代的できれいな駅だ。

軽くお昼を食べようと、
様々な種類のパンが並んでいる
ANKERというチェーン店のパン屋さんで
こんなサンドを食べてみた。

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パンもハムも野菜もチーズも
どれもおいしくて大満足。

ここでは、
「Detox Wasser」という
未経験の飲み物を目にしたので、
それにトライしてみることにした。
写真中央にあるボトル。
Detox水?「解毒水」ってこと?

「新鮮なキュウリとレモンと共に」
と書いてある。

味のほうは、見た目通り、
キュウリとレモンの入ったただの水。
甘くはない。
キュウリとレモンの香りがあるので、
さわやかで飲みやすいが、
それでDetoxとはちょっと大袈裟かも?

食後、
中央駅のインフォメーションセンタで
ウィーンの情報を得て、
その後、地下鉄に二駅だけ乗って、
予約していたホテルを目指した。

地下鉄にあった優先席表示はこんな感じ。

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妊婦、子連れ、体の不自由な人、老人
やはり絵はわかりやすい。
ドイツ語が読めなくても理解できる。

ホテルにチェックイン。
荷物を置いて身軽になって、
さぁて、
いよいよウィーン観光のスタートだ。

 

 

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2017年12月31日 (日)

オーストリア旅行記 (19) 集落を通り抜けてミニハイキング

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オーストリア旅行記 (19) 集落を通り抜けてミニハイキング

- 大量の薪の備蓄 -

 

遊覧船を降りた後は、
観光客で賑わう通りを
お店を見ながらブラブラ。

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世界遺産となっている湖畔の景色は
カメラの向け甲斐がある。

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町歩きをしている際、
某個人住宅のポストが目に留まった。

木目の美しい板で覆われた素敵な家で、
ポストにも
品のよいリースが飾ってあって、
ハルシュタットの町に
完全に溶け込んでいる。

ところが
ポストの僅かな隙間から、
見覚えのあるロゴが見えている。

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Amazonの箱だ。
世界遺産の町で、別世界へのトリップ感に
とっぷりと浸っていたのに、
ロゴをちらっと目にしただけで
なぜか急に現実に
引き戻されてしまったような残念な感覚。

もちろんAmazonには何の罪もないのだが。

 

最初に書いた通り、
町への車の乗り入れは規制されているので、
町の入り口には大きな駐車場がある。

大型バスも、観光客の乗用車も
皆そこに駐車。
その駐車場のそばに、観光客向けの
インフォメーションセンタがある。

湖畔の道をのんびりと歩きながら、
インフォメーションセンタを目指した。

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インフォメーションセンタでは、
広域な地図を入手すると同時に、
手頃なハイキングコースを教えてもらった。

 

どんな感じのコースなのだろう。
少し歩いてみることにした。
コース入口はこんな感じ。

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民家の集落の中を
通り抜ける感じでスタートする。

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塀のそばには山羊だろうか、
放し飼いにされて
のんびり草を食(は)んでいる動物がいる。

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観光客が集中している湖畔から、
まだ10分も歩いていないのに、
もうこのあたりまで来ると
観光客はひとりもいない。

しかも商店でもホテルでもない、
ごく普通の民家と思われる家が
こんなにきれいに花を飾っている。

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人気(ひとけ)がなく、
カメラを向けるのも民家だと思うと
ちょっと言い訳を考えてしまう。

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歩いていて目についたのは、
これらの薪(まき)のストック。

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家のすぐ横はもちろん、

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少し離れたところには
かなり広い集積場もある。

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新旧、木の乾燥具合も様々だが
数字やマークには
どんな意味があるのだろう?

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ビッチリ積み上げられた集積場の回りには、
自然の花々が咲き乱れている。

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歩いていてもうひとつ目に留まったのは、
キリスト教に関するこんな施設(?)。

大きな岩に
なぜ階段が掛けられているのか。
勝手には登れないようになっていたが、
上に登るとなにかあるのだろうか。

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別な場所にあったこれなど、日本で言う
まさにお地蔵さんのごとく
道の脇にポツンと立っていた。

花が添えられているところをみると
地元でちゃんとお世話しているのだろう。

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途中、流れの激しい川があったり、

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激しい風の流れを感じさせる
木々が立っていたり

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山も緑も美しく、
とにかく空気がうまい。

道が険しいわけでもなく、
まさに素人向けの
気軽なハイキングコース。

コースに不満はなかったのだが、
恐ろしいくらいに人に会わない。

特に危険を感じるようなことが
あったわけではないが、
放し飼いにされた山羊がのんびり過ごしている
この滝

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を見たあとは、湖のほうに戻ることにした。

戻ってきてみると
青空がかなり広がっており、
風も静かになっていて、
ますます景色に吸い込まれてしまった。

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近景も

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遠景も

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新たな色を見せてくれている。

まだ日没までには時間があったが、
屋外のテラス席で風に吹かれながら
早めの夕食をとった。
もちろん
ハルシュタットビールも。

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夕食後、
風はさらに静かになったようなので
もう一度ビューポイントに
行ってみることにした。

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ポスターやカレンダーで目にする
まさにそのままの景色。

 

いよいよ日も傾いてきた。
山頂付近が赤く染まり美しい。

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根っからの貧乏性からか、
駆け足が多い我々夫婦にしては、
わりとゆっくりのんびり過ごした
ハルシュタット2日目だった。

さて、
翌日はいよいよウィーンへの移動だ。

 

オーストリア旅行記も
今回、19回を終えたところで、
2017年も大晦日を迎えてしまった。

なんらかのご縁で
「はまのおと」を読んでくださった皆様、
ほんとうにありがとうございました。

ぼちぼちと更新を続けていきたいと
思っておりますので、
来年もどうぞよろしくお願いします。

新年も、オーストリア旅行記を
今日の続きからスタートしたいと
思っています。

皆様もどうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2017年12月17日 (日)

オーストリア旅行記 (17) 朝の小鳥の大合唱

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オーストリア旅行記 (17) 朝の小鳥の大合唱

- ビューポイントでは・・・ -

 

ハルシュタットは小さな町で、
「マルクト広場」と呼ばれる
町の中心の広場でさえも
この程度のかわいらしさ。

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広場を囲む店やレストランも
花できれいに飾られている。

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夕食は、湖畔のレストランで、
鱒(ます)の一種か?
魚料理にした。

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味は申し分なかったが、
この写真、サーブされたままを
席から写したもの。

日本人からするとかなり違和感あり。
やはり、尾頭付きの場合
頭は左でしょ。

もちろんそれを
オーストリア人に強いるつもりは
全くないけれど。


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小さな町の夜は早く、そして静かだ。
ハルシュタットでの一泊目は、
早めに床についた。

 

翌朝、ホテルの部屋の窓からの景色。

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雲は多いが、山の空気が気持ちいい。

いろいろな鳥の鳴き声が聞こえてくる。
まさに朝の大合唱。

思わず持っていたPCMレコーダで
録音してみた。
一般車両の入町が規制されているせいか、
早朝、車が一台も走っていないのも
録音にとってはありがたい。

近くに小さな滝があるので、
滝の音がバックに流れている。
朝の山の空気感が伝わるだろうか。

【朝の鳥の鳴き声】


録音していたら、
今度は教会の鐘の音まで。
小鳥の鳴き声と教会の鐘の音。
なんて気持ちのいい朝なんだ。

【鳥の鳴き声と教会の鐘の音】

 

鳥の声を聞きながら、
さわやかな気分で朝食に向かう。

朝食は、 シリアルの種類も

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チーズの種類も

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ヨーグルトやジャムの種類も

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(ドライ)フルーツ、ナッツの種類も

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パンの種類も

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さらに魚の種類も

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豊富で、何を取るか迷ってしまう。
味のほうもどれもおいしい。
「いっぱい歩くからいいか」
と誰に聞かれたわけでもないのに
言い訳しつつ、ついつい食べ過ぎてしまう。

 

朝食後の散歩は、
観光客が必ず向かうという
ハルシュタットで一番のビューポイントへ
行ってみることにした。

途中の道沿い、
斜面に建つ家々の様子もよくわかる。

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で、到着したのがここ。

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風があって、
湖面が波立ってしまっているが、
ポスターやカレンダーにもよく使われる
ハルシュタットの代表的なアングルだ。

「山」と「湖」と「教会」と
「湖畔の家並み」と
ほんとうにバランスが美しい。

ちなみにここ、
多くの人が集まるのに、
ビューポイントとして
特に広場になっているわけでもなく、
まさに狭い道路沿い。

しかも、民家もすぐ横に建ち並んでいる。

次々と来る観光客は、
歓声をあげたり、写真を撮ったり
かなり賑やかだ。

そのせいか、
こんな掲示まで。

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「Quiet Please!」
「お静かに」

 

急斜面に建つ家は
一軒一軒特徴があり

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日本建築でいう「懸魚(げぎょ)」の部分に、
湖にいる白鳥を彫り込んだ妻飾りを持つ
おしゃれな破風(はふ)の家もある。

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ほぼ木と同化してしまったこんな家も。

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各家の
花の手入れは手間がかかることだろう。

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でも、なんともやさしい気持ちになれる。

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朝のおいしい空気を
たっぷり吸い込みながらの散歩は、
肺の中までリフレッシュされる。

景色と空気だけで体が浄化されていく、
そんな快感がある。

 

 

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2017年11月19日 (日)

オーストリア旅行記 (13) 鉄細工の看板の賑やかさ

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オーストリア旅行記 (13) 鉄細工の看板の賑やかさ

- 「ボスナ」とビール -

 

今日は、歴史や年号を忘れて、
お店を眺めながら
気軽にザルツブルクの町を
散策してみたい。

【ゲトライデ通り】

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旧市街で最も賑やかな通り。


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狭い通りの両側に
商店がギッシリ並んでいる。

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ここの特徴は、何といっても
鉄細工の看板。

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アイデアと美しさを
競っているのかと思うほど、
看板だけを見ていても飽きない。

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大小さまざまなタイプがあるが

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右側に見えるような大型のものだけでなく、
左側に並ぶようなシンプルで
小型のものにすてきなものもある。

わずか数百メートルの短い通りなので、
さっさと歩けば
あっけないくらい簡単に通り抜けられるが、
ドイツ語が読めない分(?)
看板からどんな商店かを類推する
自己クイズをやりながら歩くと
逆にちっとも前に進めなくなる。

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突き当りにはブラジウス教会がある。

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この通りで、
ちょっとおもしろいものを見つけた。
さて、これは何でしょう?

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建物の入り口横、
写真の中央下に並んでいる。

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上に向かって伸びているワイヤーを
見ればわかる通り、どうも呼び鈴のようだ。

2階から5階まで、
各階にそれぞれのワイヤーが届いている。
見上げるとこんな感じ。

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「I」を引けば、「I階(日本での2階)」に
繋がっているワイヤーが動き、
物理的に「I階」の呼び鈴が鳴る。

ちなみにワイヤーを追って見上げると、
上の写真のように庇(ひさし)の下に、
[1407]と[1987]の数字が見える。
年号だと思うがどういう意味なのだろう?

 

【塩専門店】
にも書いた通り
ザルツブルク(Salzburg)は
salzが「塩」で
burgが「城、要塞、砦」、
つまり「塩の城」という意味。

そこにある、その名もズバリ[Salz]。

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ショーウィンドウも塩のみ。

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店内も塩のみ。

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食用はもちろん、
バスソルトやソープなど、
お風呂用や美容関連製品も並ぶ。

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色も多彩できれいだし、
パッケージングもおしゃれ。

でも、これらは全部「塩」!

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量も多種用意されているので
おみやげにも買いやすい。

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塩そのものの多彩さに圧倒されながら、
おしゃれなミルがないかと探したのだが、
残念ながらいいものが見つからなかった。

なので塩だけ少し購入。

「岩塩」のまま、というスタイルでも
様々な大きさのものが並んでいる。
さすがにこちらは
おみやげ、というわけにはいかないが。

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町を歩くと、通りだけでなく、
建物を通り抜ける路地が
あちこちにあって、
独特な雰囲気を醸し出している。

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路地幅は狭く、天井も低いが、
ショーウィンドウはおしゃれ。

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そんな狭い中、
行列のできているお店が。

【バルカングリル】

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「ボスナ」と呼ばれる
ホットドッグを売っている。

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いいにおいに釣られて、
並んで買ってみることにした。

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焼き色をつけたパリパリのパンに、
細めのグリルソーセージが2本
サンドしてある。
玉ねぎ、パセリの他
黄色い独特な香辛料が振ってある。

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ソーセージを焼いて、
出来立てを手渡してくれるので
ほんとうにおいしい。
お昼にちょっと食べるのにはピッタリ。
行列ができているのも頷ける。

辛いわけではないが、
「やっぱりコレがなきゃ」と
別なお店でDIE WEISSE HELLという
ビールを買ってしまった。

昼間っから、おいしいホットドッグと
ビールの組合せ。最高だ!

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ザルツブルク観光も
いよいよ終盤になってきた。

 

 

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2017年4月23日 (日)

謎のお店の異空間

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謎のお店の異空間

- 一見さんお断り -

 

知人の厚意により、「一見さんお断り」の
紹介制のお店に連れて行ってもらった。

このお店、
「料理の写真を撮ることも、
 店が特定できるような紹介を
 ネットですることも遠慮してほしい」
とのことで、「食べログ」等の
飲食店案内サイトにも出ていない。

 

都内の某駅で待合せた。
私のグループは紹介者を含めて5名。
時間通りに全員揃った。

「さぁ、行きましょうか」
「はい」

とは言うものの、
どちらに歩けばいいのかわからない。
私を始め、初めての人は店の場所さえ
事前に調べようがなかったもので。

紹介者の背中を追う。

良い噂しか耳に入ってこない
私にとっては、まさに幻のお店ゆえ、
期待値の方は相当に高かったのだが、
気持ちの方のワクワク感に反し、
足取りがどこか「おそるおそる」
といった感じになってしまうのは、
なぜなのだろう。

駅前の繁華街を抜けて、
ひと気のない静かな道を歩く。

場所くらいは覚えてしまおう、
と思いながら歩いていたのだが、
考えてみると、私自身は某条件により
基本的に「紹介者」にはなれない。

つまり今後も、ひとりで来たり、
誰かを連れてきたりすることはない。

だったら謎のままでもいいかな、
という気がしてくる。
「場所もよくわからない」
のままにしておこう。

 

【全員一斉入店】

しばらく歩くと、
全く人通りのない道に面した
民家のような家の前で列が止まった。

「ここ?」と改めて見ると
看板も表札もなにもない家の軒の下に
杉玉だけが下がっている。
それが唯一の目印、という感じ。
そう、この店は日本酒のお店なのだ。

開店は夜7時半。

10分ほど早く着いた私たちは
道の脇に並んで開店を待った。

少しすると、別に2名と3名の組が来て、
合計10名が建物の前に並んだ。
男性6名、女性4名。
年齢層も幅広い。

ぴったり7時半。
板戸が開いて、和服姿の女将が出てきた。

紹介制ゆえ各グループに
最低ひとりは知人がいるせいか、
アイコンタクトでの
静かな挨拶はあるものの、
いちいち名前を聞いたり、
客から名乗ったりはしない。

導かれるまま、
靴を脱いで薄暗い店に入った。

 

【着席】

店内は小さく、真ん中に、
正方形の大きなテーブルが
ひとつあるだけ。

そのテーブルの三辺に、3人、4人、3人と
テーブルを囲むように座るよう促された。
各席には正座補助椅子と
膝掛けが用意されている。

空いた一辺の真ん中に女将が立ち、
ぐるりと客を見回しながら、暗い中、
着席に戸惑っている客に声をかけている。

ようやく全員が席についた。

さて、なにがどう始まるのか?

全員が座ったのを見届けると、女将は
テーブル中央に下がっていた
照明のスイッチを入れた。
3つの小さなダウンライトが
テーブルを照らす。
まぶしくはないが、
一瞬で幕が上がったようになる。

テーブルからの反射光で、
客の顔もぼんやり浮かび上がっている。

客同士もお互いを
ちょっと横目で気にしているが、
全体の雰囲気はまだまだ硬い。

各自の目の前には
5種類のタイプの違う盃が並べられていた。
もちろんどれも中身はカラ。
「切子」から「うすはり」まで、
色も形も違っていて区別しやすい。

 

【店のコンセプト】

最初に女将の丁寧な挨拶があった。

* ここでは料理と日本酒の組合せを
 じっくり味わって、楽しんでもらいたい。

* 日本酒は選んだ「ひとつの蔵」からのみ
 提供する。
 同じ蔵でも米や製法が違うと、
 どんなふうに味や香りが変わってくるのかを
 ぜひ体験してもらいたい。

* 残念ながら戦後、日本では
 日本酒がどんどん飲まれなくなっている。
 仕事帰りにビールを買って帰るように
 「日本酒を買って帰る」
 そんな習慣が広まることに
 少しでも貢献できたら、と思っている。

* 感想や質問はいつでもどうぞ遠慮なく。
 お客様の中には
 料理やお酒にものすごく詳しい人もいるし、
 逆に初心者、という方もいる。
 私がなんでも知っているわけではないので、
 質問があるときは、全員に聞こえるような
 大きな声でしてほしい。
 質問をきっかけに、お客様間での意外な
 コミュニケーションが始まる場合もある。
 そういうやりとりも大事にしたい。

店のコンセプトも趣旨もきわめて明快。
ヘンに偉ぶっても、高級ぶってもおらず、
fairに日本酒の美味しさを共有しましょう、
の精神が溢れていて気持ちがいい。

お店側は
女将と隣の調理場にいる女性の二人のみで
切り盛りしているとのこと。

 

【最初の一杯】

いよいよ、最初の一杯が登場。

ガラスの徳利に入ったお酒を
指定された色の盃に入れるよう案内された。

女将は両脇の人の盃に酌。
注がれた客は隣の人に酌。
2本の徳利がゆっくり客の間を回る。

全員の用意ができたころ
「では、最初のお酒。きいてみて下さい」

(「きき酒」は「利き酒」と書いたりするので
 この場合は「利く」と書くのかもしれないが、
 どうもしっくりこないので「ひらがな」で
 失礼させていただく)

色を見て、香りをかいで、味を確かめる。
視覚、嗅覚、味覚は動員するものの
聴覚は使わない。なのに「きく」。
改めて考えてみるとおもしろい表現だ。

一口目。
香りも味も透明感があってうまい。
料理を口にする前のまさに乾杯の一杯。

「今から、お料理をお出ししますが、
 食べる前と食べた後で、お酒の味が
 どんなふうに変化するのかも
 ぜひお楽しみ下さい」

「ウド、熟成牛タンのスープ」から
料理が始まった。

 

【マリアージュ】

酒も、料理に合わせて違ったものが
順番に登場するが、三種類目までは、
その正体が一切明かされず、
付加情報なしで、ただ香りと味だけを頼りに
その違いを楽しんでいく。

名称は不明でも、
各自、同じ盃に同じ酒が入っているので、
会話で迷うことも混乱することもない。

「切子の盃の酒は、香りはあまりないけれど
 マイルドな柔らかさがあっておいしい」
などと感想が飛び交う。

料理も一皿づつにサプライズがある。
女将の演出もうまく、
「写真を撮りたい」
の思いが何度こみあげてきたことか。

ワインならまさに「マリアージュ」と
呼ぶべき組合せを、
日本酒との組合せとしてはちょっと意外な
肉料理で繋いでいく。

牛、馬、鹿と肉を変え、
バルサミコ酢、ポン酢と酸味を変えて、
組合せも千変万化。

料理や酒の細かい蘊蓄を伝えることが
本報告の趣旨ではないので、
その細かい内容は端折りたいが、
やはり「知る」ということはおもしろい。

蔵が展開している、蔵の地下水、
仕込み水の水脈までを考慮した
「同じ水で作られた田んぼの米」に
限定した酒造りの話。

水に貫かれた栽培、醸造、瓶詰。
ワインの「ドメーヌ」に倣って、
ドメーヌ化と呼んでいるようだが、
この徹底した一貫性を表現する
いい日本語はないものだろうか。

 

【会話も味のうち】

女将は、もちろん給仕もするものの、
料理の演出、酒の詳細な解説、
客の会話のコントロールで
テーブルにつきっきり。

選んだ蔵の歴史や方針、特徴を
細かいことまでよく掴んでいるし、
どんな質問にも
ポンポンと歯切れよく答えてくれる。

客のほうも、
自己紹介をしたわけでもないのに、
会話の端々から少しずつキャラクタが
滲みでてくる。
年齢も性別も全く違うふたりが
「えっ、私もそのお酒大好きです」
と意気投合したり、
「これについては
 あの方に決めてもらいましょう」と
自然に役割分担ができたり、と
客の間の空気もどんどん緩んでくる。

最後8皿目のデザート
「酒粕のムースとヨーグルト、 
 塩漬けの桜と一緒に...」
まで、ほんとうにあっという間だった。

すべてが終了したあと、
「お酒の写真だけはOKです」
とのことで、ゆっくり「きき比べた」
 栃木県さくら市
 株式会社せんきん
の5種の日本酒の写真を一枚。

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それにしても
「山田錦」や「雄町」ではなく
「亀ノ尾」の味が
あんなに印象的だったとは。
米の違いも新たな発見とともに
目一杯楽しめた夜だった。

2時間強、様々な情報を得たせいか、
いつのまにか「せんきん」は
私にとって、特別な蔵になってしまった。
こういうキッカケのある繋がりはいい。

夜10時前、名残惜しいもののお開きに。

女将に丁寧に見送られて、
一斉に入った客は、
一斉に帰ることになった。

最初に書いた通り、
外見は一切お店に見えないし、
営業時間中の人の出入りもゼロ。
これでは、断るまでもなく
「一見」では入りようがない。

日本酒のお店ながら
女将も言っていた通り、
お酒をガブガブと飲みたい人には
向いていない。

でも、
料理を、お酒を、
女将との会話を、客同士の会話を、
「へぇ」とか、「ほぉ」とか、
「ほんとだ!」とか、
「知らなかったなぁ」とか言いながら、
ゆっくり丁寧に楽しむ。

そういう時間や経験が
愛おしく思える方には最高のお店だ。

こういうお店が
もっともっと増えるといいのに、
と改めて思う。

もちろん料理も美味しかったけれど、
「料理の味」だけが
「料理店の価値」を決めるわけではない。

 

最後に記録を兼ねて
お酒と料理のメモだけ残しておきたい。

酒(蔵)
栃木県さくら市 株式会社せんきん

(n1) 仙禽一聲(せんきんいっせい)
    35%まで磨き上げた山田錦
(n2) モダン仙禽   無垢
(n3) モダン仙禽   雄町
(n4) モダン仙禽   亀ノ尾
(n5) クラシカル仙禽 亀ノ尾 

料理
(d1) ウド、熟成タンのスープ
(d2) 牛ホホ肉の日本酒煮込み
      里芋のマッシュポテト
      柚子胡椒ソース
(d3) 内モモ肉のローストビーフ
      桃ベースのソース
      わさび
(d4) 牛のハツ刺し ダシ醤油
   馬肉の漬け寿司
   ホルモン(ミノ)の軍艦
(d5) 鹿肉のロースト 
      バルサミコ酢ソース
(d6) 牛肩肉のホイル焼き 
      えのき茸とポン酢
(d7) 稲庭中華ソバ 
      鰹とコブの出汁
      肉味噌には生姜と豆板醤
(d8) 酒粕のムース 
   ヨーグルト 塩漬けの桜

 

誘ってくれたTさん、どうもありがとう。

 

 

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2017年1月 8日 (日)

「消化する」とは

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「消化する」とは

- 小学生男の子の質問 -

 

年末年始の新聞を読み返していたら、
こんな記事が目に留まった。

生物学者の福岡伸一さんが
書いていたコラム。

旧年からの記事で恐縮だが、
紹介させていただきたい。

 福岡伸一の動的平衡
 他の生物を「消化する」とは

A161229fukuoka

(以下水色部、2016年12月29日の
 朝日新聞の記事から引用)

 お正月のおせち料理やお雑煮は
しっかりかんで食べましょう。
消化がよくなるように。

消化とは、食べ物を細かくして栄養を
取り込みやすくする作業だと
思っていませんか。

実は、消化のほんとうの意味
もっと別のところにあるんです。

「消化のほんとうに意味」とは
いったい何だろう。

 食べ物は、動物性でも植物性でも
そもそもは他の生物の一部。

そこには元の持ち主の遺伝情報が
しっかりと書き込まれている。

遺伝情報はたんばく質の
アミノ酸配列として表現される。

アミノ酸はアルファベット、
たんばく質は文章にあたる


他人の文章が
いきなり私の身体に入ってくると、
情報が衝突し、干渉を起こす。
これがアレルギー反応や拒絶反応。

 それゆえ、
元の持ち主の文章をいったん
バラバラのアルファベットに分解
し、
意味を消すことが必要となる。

福岡さんらしい、
実にわかりやすいたとえだ。

 他人(他の生物)の
 文章(たんぱく質)は、
 アルファベット(アミノ酸)に
 分解する必要がある。

その上でアルファベットをつむぎ直して
自分の身体の文章を再構築
する。
これが生きているということ。

つまり消化の本質は
情報の解体
にある。

他人の文章をアルファベットに分解し、
そのアルファベットを使って、
自分の文章を作ることが、
生きるということ。

 

 食用のコラーゲンは魚や牛のたんばく質。
食べれば消化されてアミノ酸になる。

一方、体内で必要なコラーゲンは
どんな食材由来のアミノ酸からでも
合成できる


だからコラーゲンを食べれば、
お肌がつやつやになると思っている人は、
ちょっとご注意あれ。

それは、他人の毛を食べれば、
髪が増えると思うに等しい

どんなにいいたんぱく質でも
食物として摂取する限り
それがそのまま自分の体の一部、
つまり自分の体を構成するたんぱく質に
なるわけではない。

一度はアミノ酸にまで分解し、
それを原料に、
自分自身のたんぱく質を作らないと
自分の体の一部にはならないわけだ。

消化は「良く噛む」といった程度の
小ささではなく、
まさに食物をアミノ酸レベルにまで
「小さく小さくする分解作業」なのだ。

 

この記事を読んでいたら学生時代の
ある景色が急に甦ってきた。

私は、理系学部の学生だったこともあり、
学生時代、
数学や理科の家庭教師をよくしていた。
小学生から高校生まで、
ずいぶんいろいろな生徒さんに
巡り合った。

ある時期、
小学校高学年の男の子ばかり5人、
グループ学習という形で、
理科を教えていたことがある。

ちょうど「消化」について
教えている時だった。

福岡さんのような
上手なたとえはできなかったし、
小学生にアミノ酸についてまでは
教えなかったと思うが、
とにかく、「消化とは」
口から胃、腸に移動する過程における
食物を小さく小さくする分解作業
だということは強調した。

たしか「唾液」の作用くらいまでは、
教科書でも触れられていた気がする。

ひととおりの説明を終えたあと、
最後に「ハイ、質問は?」と聞くと、
ひとりが手を挙げた。

「先生! 食物は、
 小さくしないと体に吸収できない。

 だから、消化は
 小さく小さくする作業だ、は
 よくわかりました。

 でもぉ・・・

 だったら、最後はどうして
 あんなにデカいのですか?


小学生の男の子5人、
爆笑の渦はよく覚えているが、
どう回答したかは全く覚えていない。

 

 

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2017年1月 1日 (日)

「おいしいもののまわり」

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「おいしいもののまわり」

- 子どもの頃きちんと教えられたこと -

 

あけましておめでとうございます。

「はまのおと」
本年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて、新年
「新たな気持で」を思った時、
最初に浮かんだのはこの本だった。

土井善晴著
「おいしいもののまわり」
グラフィック社

(以下水色部、本からの引用)


レシピ集ではない。
テレビ朝日「おかずのクッキング」に
2007年から2012年まで連載されていた
土井さんのエッセイを
加筆・修正のうえ再編集したもの。

印象的な表紙のデザインは、
柿木原政広さん。

 「大気の青」
 「植物の緑」
 「黒い土」
 「命の水色」
 「火の赤」

による縞文。

 

料理そのもの、というよりも、
料理のまわり、まさに
「おいしいもののまわり」
に関するエッセイが並んでいる。

調理道具や調理方法など
取り上げている題材はさまざまだが、
土井さんの料理に対する姿勢、
(乱暴にひとことで言ってしまえば)
「丁寧に美しく」
がピシッと貫かれていて、
読んでいてなぜか背筋が伸びるというか、
姿勢を正したくなる


それは、家庭料理であっても
プロの料理人のしごとであっても同じ。

丁寧な、丁寧な仕事の中に、
楽しみを見出し、
美しさを見出している。

 

「はじめに」から
土井さんの思いがあふれている。

料理とは命をつくる仕事である

・・・

料理することはすでに愛している。
食べる人はすでに愛されている


・・・

おいしいものは、はかないものである。
音楽にたとえれば、
ロックコンサートのように
刺激の強い音ではない。

耳を澄ませなければ聞こえない、
鳥のさえずりや川のせせらぎのような
穏やかなるもの。

真のおいしさとは、
舌先で味わうのではない、
肉体が感じる心地良さ、
ひとつ一つの細胞が喜ぶものなのだ

 

「箸で盛ること」
の節では、和食の盛り付けに関して、
こんな話を披露している。

 和食では、料理を盛るときは、
箸を決して右手から離すことはない


和え物、酢の物なら、まず、
複数の食材をひとつのポールに入れて、
和え衣や合わせ酢を加え、
箸に左手を添えて和える。

左手で直接材料に触れて箸を添えて、
形を整えて、そのまま器に盛り込む。

料理する人の手は
清潔であることが前提であるが、
この左手は
「五本箸」と言われて直接料理に触れる。

このとき、和食のルールとして、
右手は箸から決して離してはいけない。

なるほど。
和食の料理人が盛り付けるときの
ある種の動きの美しさは、
こんなところから来ていたのかもしれない。

そして左手は料理以外に触れることはない。
もし両手で料理に触れてしまえば、
器にも、箸にも
触れられなくなってしまうからだ。

 汚れた手で、器や道具を触れれば、
器を汚し、道具を汚してしまうことになる。

両方の手でサラダを合えたり、
和え物をつくったりしているのを見ると、
あの手はいったいどうするのだろうか
と思ってしまう。

手を洗うにも、
水道のハンドルを汚してしまう。
手は洗ってきれいになっても、
再びハンドルに触れれば
また汚れると考えるのが
衛生管理である。

箸が清潔な和食をつくっている

こんな簡単なことでも、
ちょっと説明してもらえるだけで、
和食の盛り付けへの関心はグッと深まる。

しかもシンプルにしてreasonable。

 

そんな中、
妙に気に入ってしまった一節がある。
「おひつ」についての
土井さんの子どものころの思い出。

親子の会話の一場面だが、
なぜか言葉のトーンに愛があふれていて、
情景が優しい。

 おひつを見ていたら、
幼い頃に初めてご飯をよそった記憶が
甦ってきた。

それはちょうど
物心のつき始めた時期と重なる。

「ご飯は一度でよそったらあかんよ。
 二回に分けてよそいなさい」。

「よそった後、おひつの中に
 穴があいているようではあかんよ。
 ちょっとならしときなさい」。

子どもの頃きちんと教えられたことは、
いつまでも忘れないものだ。

「子どもの頃、きちんと教えられたこと」が
大人になってもごく自然にできる人は、
それだけで美しい。

 

 

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2016年3月 6日 (日)

ユーモアを忘れない

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ユーモアを忘れない

- 検索で見つからないけれど -

 

閏日2月29日は4年に一度。

4年に一度と言えば、以前
ここで、4年に一度の洗濯ですむ
「オリンピックパンツ」の紹介をした。

もうひとつ、2月29日で
思い出したことがある。

以前目にした某料理レシピサイトだ。

そのサイトは、
「今日の献立」が毎日更新される
人気サイトだった。

さて、問題。
某年2月29日。
そこにはどんな料理が紹介されていたでしょう?

 

2月29日、「今日の献立」には
料理の紹介がなく、
ひと言こう書いてあった。

「4年に一度くらいは外食しましょう」

 

うまい!
レシピの欄にこのコメント。
なんてユーモアのある
ウィットに富んだひと言だろう。

というわけで、4年に一度のチャンス、
今年はどんなコメントが載るのだろうと
密かに楽しみにしていた。

ところが、当日、掲載されたのは
いつも通りの料理の紹介記事だけだった。

 

あれ? 
期待していた私が間違い?
私が見て笑ったのは4年前? 8年前?

気になっていろいろ調べてみたのだが、
そういった記述に関しては、
なぜか全く検索に引っかからない。

老舗有名サイトゆえ、
サイト名自体を間違って覚えているとは
考えにくいのだが。

というわけで、
今回はどうしてもウラがとれなかったため、
サイト名の紹介は控えさせていただく。
おかしいなぁ?
私は幻(まぼろし)を見たのだろうか。

検索で見つからなかったからといって、
存在が否定されたわけではないのに、
なぜか自信が揺らいでしまっている。
どこで見たコメントだったのだろう?

 

「ユーモアのあるコメント」と言えば、
これも忘れられない。

こちらは、画像も残っている。

 

全米第二位の規模を誇っていたにもかかわらず、
2011年に倒産してしまった
米国の書店チェーンBorders。

経営不振には、もちろん、
オンライン書店「Amazon」の台頭が
大きく影響していたことは間違いない。

そのBordersが倒産の危機に瀕していたころ、
Borders実書店の入り口扉に貼ってあったという
貼り紙。

Borders_amazon

「NO RESTROOMS.
 TRY AMAZON」

あえて訳すと

「お手洗いはありません。
 使いたいならAmazonに聞いてみたら」

そんな感じか。
どんな状況でも、ユーモアを忘れていないのは
さすがだ。

 

 

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2016年1月24日 (日)

「もの食う人びと」

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「もの食う人びと」

- 「売り切れ」程度は我慢しよう -

 

産業廃棄物処理業者に
廃棄を委託したビーフカツが、
大量に横流しされ、販売されていた事件。
2016年1月16日の朝日新聞によると、
廃棄を委託したのは、
カツ60万枚を含む計6品目の冷凍食材」という。

カレーチェーン店のビーフカツから発覚した今回の事件、
その後、スーパーやコンビニの廃棄食品も
転売ルートに乗っていたことが明らかになったが、
販売された総量はまだわかっていないようだ。

それにしても、カツ60万枚だけでも凄まじい量だ。

この記事を読んでいたら、
辺見庸著「もの食う人びと」角川文庫
を思い出した。ちょっと紹介したい。

この本は、辺見さんが世界中を歩きまわって、
現地で現地のものを食べてみた、という
食のルポルタージュ。

ただ、食のルポではあるが、
訪問先は紛争地帯、飢餓地帯が多く
グルメとはほど遠い話ばかり。

その一つが、インドのお隣、
バングラデシュでのエピソード。
(以下水色部、本からの引用)

 

十数円で食事ができると喜び勇んで、
高いほうを私は頼んだ。

 バングラデシュでの最初の食事である。
 それにふさわしく、ここでの習慣に従い、
右手の指だけ使って食べてみよう。

慣れると、舌だけでなく
指もまた味を感じるという
ではないか。

 そうなりたいものだと、
小皿のご飯におずおずと指を当てると、
おや、ひんやりと冷たい。
 安いのだから文句は言えない。

親指、人さし指、中指、
それに薬指まで動員しても、
下手なものだからボロボロとみっともなく
ご飯粒をこぼしてしまう。

 それでもなんとかご飯をほおばった。
希少動物の食事でも観察するように、
店の娘と野次馬が私の指と口の動きに
目を凝らしている。

 インディカ米にしては腰がない。
チリリと舌先が酸っぱい。水っぽい。
それでも噛むほどに甘くなってきた。

 お米文化はやっぱりいい、とうなずきつつ、
二口、三口。
次に骨つき肉を口に運ぼうとした。
すると突然「ストップ!」という叫び

どうして突然制止させられたのだろう?

 

それは、食べ残し、残飯なんだよ
 たどたどしい英語が続いた。
よく見れば肉にはたしかに他人の歯形もある。
ご飯もだれかの右手で
すでに押ししごかれたものらしい。
線香は、腐敗臭消しだったのだ。

 うっとうなって、皿を私は放りだした。
途端、ビーフジャーキーみたいに細い腕が
ニュッと横から伸びてきて、皿を奪い取っていった。
十歳ほどの少年だ。

ふり向いた時には、クワッと開いた口が
骨つき肉に噛みついていて、
もう脇目もふらないのだった。

 忠告の主は、モハメド・サムスと名乗る
タカのような目の男だった。

三十歳。ホテル従業員だったが、
いまは失業中だという。
歩きながらモハメドは言った。

ダッカには金持ちが残した食事の市場がある。
 残飯市場だ。卸売り、小売りもしている


 口に酸っぱい液がどくどく湧いてきて、
私はしきりに唾(つば)を吐いた。

残飯市場があり、まさに正々堂々と
卸売りも小売りもしているらしい。

 

 東京では日々、
50万人分の一日の食事量に匹敵する残飯が
無感動に捨てられているというではないか


ダッカでは残飯が人間の食料として売られていた

神をも恐れぬ贅沢の果てに、
彼我のありようがいつか逆転しはしないか。
東京で残飯を食らう日……。

(中略)

 金曜日の夜。私とモハメドは都心の
「ダッカ・レディーズ・クラブ」という建物の
前の木立の陰に隠れていた。

なかから笑いさんざめきが聞こえる。
結婚披露宴なのだ。

 喧噪(けんそう)が収まった。
やがて建物の裏手にウエーターが
食べ残しを載せたままの机を運んできた。

そこにビニール袋を手にしたサリーの女たち五人が
どこからか影のように近づいた。

 そして膨れた袋を提げ、一列になり、
皆なぜか猫背にして、しずしずと闇に消えていった。

 モハメドがささやく。

木曜と金曜が、残飯の主な出荷日なんだ。
 イスラム教徒がこの両日に
 結婚式をするのを好むからさ」

 披露宴の食べ残しが商品化するわけである。

 富者のハレ(祭礼、儀式)の日はまた、
貧者にとって食の流通の時でもあるのだ。

残飯市場に、独特な拒否感というか、
違和感があるのはどうしてなのだろう。

衛生上の問題だけではないような気がする。
実際問題として、
食べても「健康上」問題のないものも
多いと思うのだが、何かが許せない。

越えてはいけないものを越えているような、
というべきか。
いったいそれは何なのだろう?

 

廃棄される食品が大量にある一方で、
食べられない人もいる。

廃棄物の転売は、もちろん問題で、
「廃棄物を砕くなどして
 転売できないようにする」
と委託した業者はコメントしたりしているが、
根本的に手を打たなければならないのは、
転売できないようにすることではなく
食品廃棄物自体をもっと減らす工夫
の方だろう。

* 廃棄物を出さない適切な量の製造
* 作ったものが「ゴミ」にならない流通のしくみ
* 「売り切れ」程度はガマンする消費者の意識

工夫・改善の余地はまだまだある領域だ。

特に消費者の一人としては、
「他に食べるものがないわけじゃぁない。
 品切れ、売り切れ程度は我慢しようよ
の意識を広げられないものかなぁ、と
強く思っている。

「品切れ、売り切れは絶対にダメ」
の大前提に縛られたままだと、いつまでたっても
「余分に作る」の発想から
脱却できないだろうから。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2015年6月 7日 (日)

おいしい料理とは

(全体の目次はこちら


おいしい料理とは

- 高橋忠之さんの言葉 -

 

昨日、2015年6月6日の朝日新聞朝刊一面には、
こんな記事があった。

A150606_s

伊勢志摩で2016年、主要国首脳会議(サミット)が
開かれることが決まったようだ。

会場となる予定のホテルは、
賢島にある「伊勢志摩観光ホテル」。

伊勢志摩観光ホテルと言えば、知る人ぞ知るの料理長
高橋忠之さんがいたところだ。

地元の食材を大事にする数々の名物料理だけでなく、
言葉においても多くの名言を残している高橋さん。
今日はそんな中から、
特に印象的だったインタビュー記事をひとつ紹介したい。

古いスクラップブックをめくって見つけた記事は、
なんと1988年4月28日の朝日新聞夕刊。
今から27年も前の記事だ。
日に焼けてまさに真っ黄色になってしまっている。
(以下水色部は記事からの引用)

聞き手は、2008年に亡くなってしまった筑紫哲也さん。
「筑紫哲也の気になるなんばあわん(NO.1)」

A880428_880428s

高橋さんは、中学卒業後、修行15年。
29歳の若さで料理長に就任した。

【徒弟制度的な修行について】

料理は修業でどうこうではなくて、
科学的に解体していって
もう一回積み重ねていって
組み立てられるものだと思います。

ものを正しく計る、
分量、時間、温度を計ることで99%出来る。
修業は一年あれば十分です

もちろんこれは「料理を作る」に限った話。
「料理法を考える人」「料理長」となれば、
別な目が必要になる。

まず素材を究明する。
それは自然を見つめることです。


アワビの場合だと太陽と土と海。
太陽の光が届くところに海草がある。
その海草の生育には川の水がどういう土壌を得て
海に流れ込むかを知る。

そしてプランクトン、海底の地形、黒潮の流れ。
それに水温、水質、塩分など、
データから問いかけていくとアワビの成長の姿が決まる。

それから素材の成分。
例えば、たんばく質、糖分、脂肪などを追いかけて
火の通し方、調味料などを考える。

脂っこい魚に
バターやクリームを加え過ぎるとまずくなる。

アワビについて意外な発見は
大根といっしょに炊くと、
やわらかさとおいしさが出てきたことです。

タコと大根を炊く料理法から
偶然ヒントを得たんですが。

 

【こちらから行かなくても、むこうからやってくる】

本場フランスでの修業が売り物のこの世界で、
旅を除いて志摩を動かない。

代わりにフランスから有名な料理人がやってくる

その一人、
「好きなだけ滞在して私の店で食べていいが、
 パリに店を出さないでくれ」。

別の一人、
「もう一回来る。
 その時は食べるのではなくて一緒に働きたい」

 

「ご飯とみそ汁にたくあんがあれば一番」
という声に対しても、それを否定することなく
自分の料理をひと言で表現している。

それは食べ慣れたおいしさです。

それと食べ慣れない非日常の
ごちそうのおいしさとは別の世界。
一緒にしちゃいけないんですね。

私が作っているのは非日常の料理。

 

無類の勉強家で、
休まない、眠らない(睡眠四時間)。
月百冊の本を読む読書家?
の質問に。

それはオーバーですが、年に450万円、
本を買ったことがあります。

(略)

「料理人の世界」には反発がありましたが、
字をひっくり返したもの「世界の料理人」になるんだ、と、

 

いろいろ考えさせられる言葉の数々だが、
いまでもこの記事を捨てられずにいるのは、特に
【おいしい料理とは】
の説明があまりにもすばらしかったからだ。

おいしい料理というのは、
物語というか神話に近いものを持たねば
だめだと思うんです。

食べておいしかったということと併せて、
食べてみたいという潜在的なお客さま
つくり出すことからスタートする。

日本料理は様式美の世界だと思うんですが、
フランス料理は絶対美の世界に
お客さまの気持ちをもっていかないと、
ドラマは成功しない。

おいしかっただけでなくて、
またいつか引き返して来たい

思わせるまでいかないと・・・。

食べたことのない人には、
「食べてみたい」と思わせる。

食べた人には、
「またいつか引き返してきて、
 もう一度食べたい」と思わせる。

「食べておいしかった」だけではダメなのだ。

これ、料理だけでなく、
「いい仕事」にはすべてあてはまる名言だ。

読んだことのない人には「読んでみたい」と思わせる。
読んだ人には「もう一度読みたい」と思わせる。
ほんとうにいい小説にはそういう魅力がある。

「読んでおもしろかった」だけの小説は、
「食べておいしかった」で終わりの料理と同じ。

仕事どころか人も同じかも。

「会ってみたい」「もう一度会いたい」
そう思わせる人こそが、
まさに魅力的な人物なのではないだろうか。

 

【オマケ1】
記事右上隅の広告にご注目あれ。
「5月17日創刊 AERA  全72ページ300円」
週刊アエラは1988年5月の創刊だったんだ。

 

【オマケ2】
2015年と1988年の記事を同時に見て、
その文字の大きさの違いにビックリ。
同じ朝日新聞だ。

同一解像度でスキャンしたものを並べてみた。
つまり実サイズ比そのまま。
上が2015年の記事、下が1988年の記事

A150606880428s

これを、情報量が減ったと考えるか、
読みやすくなったと考えるか。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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