社会

2024年8月18日 (日)

接続はそれと直交する方向に切断を生む

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接続はそれと直交する方向に切断を生む

- 『Barbed Wire(有刺鉄線)』から -

 

「パリ五輪の開会式が行われる予定の
 2024年7月26日、
 フランスで高速鉄道TGVを狙った
 同時多発的な放火事件が発生した」
なるニュースを聞いて、
思い出した話があるので
今日はそれについて書きたいと思う。

森田真生 (著)
数学の贈り物

ミシマ社

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

の中で紹介されていた、
スタンフォード大学の
リヴィエル・ネッツ(Reviel Netz, 1968-)
さんの著書『有刺鉄線』からの話。
鉄道への攻撃、が印象的に語られている。

この本、原題は"Barbed Wire"
未邦訳らしく日本語で読むことは
現時点ではできないようだ。

話は、
金鉱目当ての大英帝国とボーア人の間で、
南アフリカの植民地化をめぐって争われた
第二次ボーア戦争から始まる。

1899年10月12日の宣戦布告以降、
はじめこそはボーア人の攻撃に
苦しめられた英国軍だったが、
年明けから攻勢に転じ、
1900年6月にはボーア側の二つの首都が
占領された。

ところが、英国側の予想に反して、
戦争はここで終わらなかった。

ボーア軍が、
英国の鉄道、電信網を寸断する
ゲリラ戦を開始したからである。

ボーア人の主な移動手段は馬。

対する英国側にとっては、
鉄道が移動と物資輸送の命綱だ。

広大な草原に散らばる
馬の動きを阻止することは難しいが、
鉄道の機能を麻痺させることは簡単だ
線路を局所的に爆破するだけで
こと足りるからだ。

英国軍は鉄道をゲリラ攻撃から守り、
馬の動きをせき止める方法を
早急に考案する必要があった。

そこで目をつけられたのが
「有刺鉄線」である。

1870年代にアメリカで発明されて、
主に牛を中心とする家畜の動きを
制御するために利用された有刺鉄線を
英国軍はボーア人と
彼らの馬の動きを食い止めるために
使うことにした。

線路と電信のネットワークに
寄りそうように
有刺鉄線が張り巡らされ、
その破壊を試みるボーア人を
監視するために、
急ごしらえで
「ブロックハウス」と呼ばれる
簡易な要塞が、線路に沿って
等間隔に打ち立てられた。

この「ブロックハウスシステム」には、
予期せぬ効能があった。
南アフリカの大草原が
有刺鉄線の網の目で覆われることにより、
広大な土地が、境界の制御された
いくつもの小規模な領域に
分割されたのである。

接続」するための鉄道や電信が
有刺鉄線で守られることで、
領域を「分断」する機能を
帯びるようになったのだ。

分割された小領域ごとにボーア人を追い詰め、
英国側は勝利をおさめる。

「接続は、
 それと直交する方向に
 切断を生む」

これが、ネッツが
この事例から読み解く教訓だ。

その後、第一次世界大戦では
有刺鉄線が戦術として
本格的に用いられるようになる。

物資と情報が
高速で飛び交う方向と
直交するように、
塹壕(ざんごう)と有刺鉄線によって
人の移動がせき止められた。

接続はそれと直交する方向に切断を生む。

新しい接続が実現すると、
接続の価値ばかりが注目されがちだが、
同時に生まれる切断、分断にも
着目を促す、まさにいい教訓だ。

「直交する方向に」が印象的で
忘れられない。

 

 

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2024年7月28日 (日)

ついにこの日が来たか

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ついにこの日が来たか

- 全国紙の配送休止 -

 

昨年のことになるが、

2023年4月3日
『レコード芸術』休刊のお知らせ

クラシック・レコード評論の
専門誌として1952年3月に創刊し、
70年を超えてご愛顧いただきました
『レコード芸術』ですが、
近年の当該雑誌を取り巻く
大きな状況変化、用紙など原材料費の
高騰等の要因により、
誠に残念ではございますが
2023年7月号(6月20日発売)を
もちまして休刊
にいたすことと
なりました。

を見たとき、
ついにこの日が来たか」と
ひとりつぶやいてしまった。

そして、今年

2024年5月24日
【山野楽器 銀座本店】
CD/映像商品取り扱い終了のお知らせ

このたびCD/映像商品につきまして、
誠に勝手ながら
2024年7月31日(水)をもちまして、
銀座本店での取り扱いを終了
させて
いただくこととなりました。

が続き、レコード(CD)/DVDの時代が
終わりを迎えていることを
まざまざと突きつけられた。

 

終わりを迎えつつあるのは
CD/DVDだけではない。
新聞についても
NHKのNEW Webにこんな記事がUpされた。

2024年7月17日
『毎日新聞 富山県内への配送を
9月末で休止へ 全国初』

毎日新聞は、印刷や輸送費の増大や
富山県内での発行部数の減少により、
富山県内での新聞の配送を
ことし9月末で休止する

発表しました。

新聞にも、ついにこの日が来たか
ブツブツと文句を言いながらも
長年、新聞というメディアを愛読し、
捨てられないスクラップを
いまだに数多く持っている身としては、
その日付を記録しておきたく
ブログの記事にして残すことにした。

富山県のみとはいえ2024年9月末、
全国紙の配送がついに休止になる。
今後、同じ事態が他の地域、
他の新聞にも広がっていくことは
もはや時間の問題だろう。

雑誌 新潮 2023年08月号

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに)

に掲載されている

対談 鈴木健x森田真生
「加速する計算と、
 言葉の奔流のなかで」


という対談の中で、
SmartNewsの代表取締役会長である
鈴木健さんがこんなことを言っている。
約1年前の記事になるが引用したい。
(以下水色部、対談記事中の
 鈴木さんの発言から引用)

たとえば具体的な話でいうと、
いまアメリカでおよそ7000万人が
「ニュース砂漠(News Desert)」、
すなわち、「地元に新聞がない地域」で
暮らしています

2005年以降、すでに2500もの
日刊紙や週刊紙が廃刊になっています。
いまではアメリカ国内の地方紙の数は
6500を下回っている。

それでもまだ
6500もの地方紙があるというのは、
さすが地方紙のアメリカ、
という気がするが、いずれにせよ
新聞の急速な減少は続いている。

インターネットの台頭によって、
新聞のビジネスモデルが
成り立たなくなっていることの
必然的な帰結と言ってしまえば
それまでですが、
民主主義の持続性を考えたときに、
これは非常に深刻な問題
です。

実際、地域紙がなくなると、
投票率が下がり、汚職が加速し、
フェイクニュースが蔓延する、
というデータもあります。

新聞社などが担ってきた役割を
今後はどうしていくのか?

特に問題となってくるのが情報の質だ。

情報は脳の栄養である、と考えると、
質の低い情報は、
ジャンクフードに似ている
と思います。
短期的には
欲求を満たしてくれるけれど、
そればかりだと気持ちが沈んだり、
心の健康を損なったりしてしまう。

一方で、質の高い情報は、
栄養バランスの優れた食事

たとえることができるでしょう。

バランスのとれた情報を
摂取することで、
狭い関心のなかに
心を追い込んでいくのではなく、
新たな対象へと
関心を広げていくことができる。

ジャンクフードとはうまいたとえだ。

鈴木さんの会社
SmartNewsが作るニュースアプリ
「スマートニュース」は
全世界で5000万件のダウンロードを
突破しているという。

そこではどんな工夫をしているのか。

米国版のスマートニュースには、
「News From All Sides」という機能が
実装されています。
これはまさに、政治的な分断の問題を、
テクノロジーの力で解決したい
と考えて
作ったものです。

この機能を使うと、
画面を左右にスワイプするだけで、
リベラルな記事と保守的な記事の
あいだで表示を切り替えることが
できるようになります。

多くのアメリカの有権者が
2020年のアメリカ大統領選挙の前に
この機能を使いました。

さてさて今年(2024年)の大統領選挙では
どんな役目を果たすことになるだろう。

特に政治的なコンテンツに関しては
イデオロギーに応じて
解釈が大きく左右されやすいので、
エコー・チェンバーが強く働いて、
どうしても視点が狭くなりがち
です。

政治的なコンテンツに関して、
ユーザに多様な視点を提供することを
目指して
このような機能を開発しました。

ほかにも
「良質なコンテンツの提供者に
 収益を還元するシステムを採用」
したり、
民主主義を維持させるための
質の高いコンテンツを提供するために
さまざまな試行錯誤を続けている。

今後、新聞に代わるものは何になるのか?

情報の質、に注意しながら
その変化に注目していきたい。

 

 

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2024年3月10日 (日)

「科学的介護」の落とし穴 (3)

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「科学的介護」の落とし穴 (3)

- 将来のため今を犠牲にする? -

 

前回に引き続き、
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さんへの
インタビュー記事から
印象的な言葉を紹介したい。

話しているのはもちろん介護についてだが、
介護に留まらない
考えさせられる鋭い指摘満載だ。

2023年2月7日 朝日新聞
オピニオン&フォーラム
「科学的介護」の落とし穴
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さん
へのインタビュー記事
だ。
(以下水色部、記事からの引用)

230207


前回の記事の最後、
「集められたデータで
 効率が上がるほど、
 唯一無二の人生を生きた老体は
 単純ではありません」
と言っていた村瀬さん。
では、介護担当者はどうすべきなのだろう。

「生身の体が
 今ここで求めることに
 応じられる仕組みに
 シフトする必要
を感じます。

 今、食べたい。
 今、うんこしたい。
 今、眠りたい・・・。
 そうした求めには今、対応しないと、
 取り返しのつかない傷を
 心身に残しかねない」

「そうした事態を避けるなら、
 今の生活を計画で縛るのではなく
 今ここで必要なことに対応するため
 計画を手放すことができる
 現場の裁量
が大切になります」

計画に縛られない現場の裁量で、
「今」に対応する。

「一方で経済社会は、
 将来の目標を達成するために逆算し、
 いつ何をべきか
 計画することで成り立っています


 正月のおせち料理を初秋に
 予約販売するのが一例で、
 未来を先取りするほどに
 もうけが出る。

 将来のため今を犠牲にすることを
 いとわない


 今ここの対応から出発するケアとは、
 成り立つロジックが正反対なんです」

理想はあっても、施設長としては
実際に直面している問題への対応も
もちろん必要だ。

「入居者に対して
 職員数が少ないと、
 働く側の生身の限界を
 超えてしまう。

 職員が疲弊するのを
 避けるためには、
 センサーなどの最先端技術で
 人の限界を補完せざるを得ない

 現実はあります」

「ただ、人間の能力の限界を
 文明の利器で補完し
 拡張し続けることで、
 本当に幸せが得られたのか

 立ち止まって
 考える時ではないでしょうか。

 人間の不完全さや弱さを排除せず、
 許容する力が
 失われている
と思います」

これに対して
インタビュアーの浜田陽太郎さんは
「社会を維持し、経済を回すためには
 仕方がないのでは」
と投げかけている。

「この社会は経済発展と引き換えに、
 生産性がないとみなされた
 お年寄りを効率よく介護するために
 施設を用意しているように見えます。

 『認知症』であれば、
 抑制し隔離されても仕方ないという
 暗黙の了解がある」

全体の利益のために、
 一人の人間の存在を犠牲にしても
 仕方ないという考えが、
 私たちの骨の髄まで
 染みてはいないでしょうか


「足手まといな者のリストの
 1番目にいる人を犠牲にすれば、
 2番目の人が繰り上がって
 次の犠牲となります。

 それを繰り返すだけの社会は、
 ほどなく弱体化する。

 日本社会は
 その状態にあると思います。
 それが私たちの望む経済でしょうか」

* 今ここで必要なことに対応するため
 計画を手放すことができる現場の裁量

* 将来のため今を犠牲にすることを
 いとわない、ではなく
 今ここの対応から出発する

* 人間の不完全さや弱さを排除せず、
 許容する力が失われている

* 1番目にいる人を犠牲にすれば、
 2番目の人が繰り上がって
 次の犠牲となります

村瀬さんの言葉は介護の世界を越えて
深く響いてくる。

 

 

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2023年11月19日 (日)

読書を支える5つの健常性

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読書を支える5つの健常性

- 「本好き」たちの無知な傲慢さ -

 

みずからも重度障害者である
市川沙央さんが書いた
重度障害者(井沢釈華)を主人公にした
小説「ハンチバック」は2023年
第169回芥川賞を受賞している。

市川 沙央 (著)
ハンチバック
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

この小説から引用するなら
やはり本文27ページにある
この衝撃的な一節だろう。

私は紙の本を憎んでいた。

目が見えること、
本が持てること、
ページがめくれること、
読書姿勢が保てること、
書店へ自由に買いに行けること、
5つの健常性を満たすことを
要求する読書文化のマチズモを
憎んでいた。

その特権性に気づかない
「本好き」たちの無知な傲慢さ

憎んでいた。

まさに、その特権性に
まったく気づいていなかった
「本好き」のひとりである私は
ほんとうにドキリとさせられた。

ちなみに、マチズモとは、
デジタル大辞泉(小学館)によると

マチスモ【machismo】
《「マチズモ」とも。
ラテンアメリカで賛美される
「男らしい男」を意味する
スペイン語のmachoから》
男っぽさ。誇示された力。
男性優位主義。

を意味する言葉らしい。

このあたりの言葉の選び方と
出版後の反響について、
著者の市川さんが、
障害者文化論の学者である荒井裕樹さんと
往復書簡でやりとりしているようすが
雑誌「文學界」に載っている。

市川沙央⇔荒井裕樹 往復書簡
「世界にとっての異物になってやりたい」
雑誌 文學界 2023年8月号
文藝春秋

(以下緑色部、本からの引用)

まずは、市川さんの言葉。

ところで、健常者優位主義のルビは
本来ならエイブリズム
とするべきところを、
わざとマチズモとした私の底意は
想定以上の効果を発揮しながら
読者の皆様に
刺さりにいっているみたいで、
実のところ私は今うろたえています。
(「言葉が強い」
 とのご感想に触れるたび、
 そこまで刺すつもりはなかった、
 良心ある人々の心を
 脅かすつもりはなかったと、
 ひたすら申し訳ない気持ちに
 なっています。) 

うろたえつつも、
至らぬばかりの拙作において
唯一会心の出来と言える箇所
やはりそこなのだろうと思います。

エイブリズムではなく
マチズモというルビを振った時点で
私は小説家になったのかもしれません。

それに対して、
「本好き」のひとりであろう荒井さんも、
私が感じた「ドキリ」を
うまく言葉にしてくれている。

それにしても、<健常者優位主義>に
<マチズモ>とルビを振られたのには
驚きました。

紙の本に慣れ親しんでいること。
紙の本に愛着があること。

そんな素朴な感覚に
この言葉を投げつけられ、
私自身胸がしくしくと痛みました

自分は誰のことも傷つけていない。
問題なくスマートに振る舞えている。
そう信じて疑っていない感覚を
鋭く刺されたような思いです


<エイブリズム>より
<マチズモ>の方が
ダメージが大きいのは、
「良心的市民」を装う
私を含めた少なくない人が、
普段この言葉で他人のことを
責めることには慣れていても
(この言葉で誰かを責めることで
「良心的市民である自分」を
演じることには慣れていでも)、

自分自身が責められるなど
夢にも思ってないからでしょう

往復書簡は、荒井さんが

「生きる」ための
福祉制度が整えられる反面、
「生きる」という営みが 
「福祉」という枠の中に、
小さく、狭く、
閉じ込められている
のではないか。

と書き、市川さんが

障害者の読書権の問題をあくまでも
福祉領域のものごととして捉え
押しやろうとする考え方があった

本を読むという普遍的な行為すら、
努力して「獲得」しなければ
ならないこと


何気ない
日常のしぐさであるべき営みが、
「障害等級」や「算定単位数」や
「加算」という用語と時間の
制約に括られ、
福祉サービスとして評価されることで、
失われていく何か

と返信して続いていく。

読書権のことだけでなく
*「生きる」ことが
 「福祉サービス化」してしまった
 ことへの違和感や危機感
*そこで失われていくものへの言及
などなど、自分自身の
「無知な傲慢さ」に気付かされ
内容が続いており、
「ドキリ」だけでは言葉が足りない。

 

 

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2023年4月 2日 (日)

迷子が知性を駆動する

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迷子が知性を駆動する

- 「危機」か「新たな地図」の契機か -

 

雑誌 新潮 2021年7月号に
対談 藤原辰史+森田真生
「危機」の時代の新しい地図

(以下水色部、本からの引用)

が載っている。

農業史に詳しい藤原さんと
数学に詳しい森田さんという
めずらしい組合せによる対談だ。

その中で、題名にも含まれている
「地図」について
ちょっとおもしろいやり取りがあったので、
今日はその部分を紹介したい。

 

「ESP Cultural Magazine」という
日本で発行されていながら
全文英語のカルチャーマガジンに
アーティストの
オラファー・エリアソン
(Olafur Eliasson)

詩人で認知科学者の
プリーニ・サンダラリガム
(Pireeni Sundaralingam)
の対話が掲載されていて

その中で次のような
興味深い指摘がされていました。

すなわち、現代は誰もが
スマートフォンを
携帯するようになったことで、
「自分の現在地を見失う
 (ロストになる)」感覚を
忘れてしまった
のではないかと。

グーグルマップをはじめ
それらマップアプリを起動することで、
私たちはいつでも自分の現在位置を
正確に知ることができるようになった。

それが革命的な便利さを
もたらしてくれていることは認めつつも、
森田さんはこうコメントしている。

しかしその一方で、
「ロストになる可能性」が
無くなったことは、
人間の知性に大きなインパクトを
与える可能性があると
僕は考えています。

なぜならば、
生き物の知性は基本的に、
「自分の居場所がわからない」
状況でこそ働いてきた
からです。

古代の人類が
サバンナを彷律っていたときは、
感覚のセンサーをすべて開いて、
星々などの
自然現象を手がかりとしながら
「地図のなかの現在地」が
わからないまま旅をしていたでしょう。

「迷子の状態」であることは、
生き物にとっては知性が駆動する
条件ですらあるのではないか。

迷子が知性を駆動する、か。

ここでおもしろいのは、
「地図は確定したひとつのものではない」
ということ。 

先程藤原さんが例に挙げてくれた
「虚数」に関して言えば、
虚数と出会ったときの数学者は、
これを位置付ける「地図」を
持ち合せていませんでした。

虚数というものが何を意味し、
どういう広がりを持つ可能性があるか、
まったくわからなかった。

実は「数学が好き」と思う人と、
「苦手」と思う人の大きな分かれ目は、
「地図がないこと」を
ポジティブに捉えられるかどうか

にあるかもしれないと思うんです。

地図そのものを探す旅、
それを楽しむことだってできる。

よく「分数の割り算から
算数が嫌いになりました」という話を
聞くのですが、これも、
それまで数を理解するために
使っていた地図の上では、
分数を割ることの意味を
位置付けられないからかもしれません。

今回のようなパンデミックにおいても、
地図上で現在地がわからないことを
「危機」と考えるのか、
それとも「新たな地図」を
手に入れる契機
と思うかで、
捉え方が
まったく異なってくると感じます。

迷子になったとき、
「危機」と捉えるか、
「新たな地図」を手に入れる契機
と捉えるか。

このあと対談は、藤原さんの
地図というのは「支配者の道具」
という話に繋がっていくのだが、
本欄での紹介は
「迷子」と「新たな地図」の話までに
とどめておきたい。

ご興味があるようであれば、
本を手にとってみて下さい。

 

 

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2023年1月22日 (日)

「祈り・藤原新也」写真展

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「祈り・藤原新也」写真展

- 既に答えが書かれている今? -

 

東京の世田谷美術館で開催されている
「祈り・藤原新也」
という藤原新也さんの写真展を観てきた。

2301inori

藤原新也さんは、
1944年門司市(現北九州市)生まれ。
東京藝術大学在学中に
インドを皮切りにアジア各地を放浪。

その後、アメリカ、日本国内、
震災後の東北、コロナで無人となった街、
などを次々に撮影。

写真に自身の短いコメントを添えて
これまでの50年を振り返っている。

もちろん写真もいいのだが、
コメントがまたいい。

(以下水色部は、
 写真展の藤原さんのコメントを
 そのまま引用)

藤原さんは、写真展のタイトルを
「祈り」にした理由を
次のように書いている。

わたしが世界放浪の旅に出た
今から半世紀前 
世界はまだのどかだった。
自然と共生した
人間生活の息吹が残っていた


(中略)

ときには死の危険を冒してさえ
その世界に分け入ったのは
ひょっとすると目の前の世界が
やがて失われるのではないかという
危機感と予感が
あったからかもしれない。

その意味において
わたしにとって
目の前の世界を写真に撮り
言葉を表すことは
”祈り”に近いものでは
なかったかと思う。

世界は広く、生はもちろん
死をもまた豊かであることを
感じさせる写真が並ぶ。

たとえばインド。

死を想え(メメント・モリ)

インドの聖地パラナシ。
諸国行脚を終えたひとりの僧が、
自らの死を悟って、
河原に横たわる。

夕刻のある一瞬、
彼は両手を上げた。

そして両手指で陰陽合体の印を結び、
天に突き出す。

その直後、彼は逝った。
死が人を捉えるのではなく、
人が死を捉えた

そう思った。

 

人骨が散らばる写真にも
こんなコメントが付いていて
いろいろ考えさせられる。

2301inori_a

あの人骨を見たとき、
病院では死にたくないと思った。
なぜなら、
死は病ではないのですから。

 

台湾での

そんな町の安宿に泊まり、
自分が無名であることの
安堵感を味わう

には、
「無名」のもつ味わいがあふれているし、

アメリカでの

ポップコーンのように軽い
カリフォルニア

には、
的を射たコメントに笑えるし。

観光ガイドにはない写真ばかりだが、
現地に飛び込ンでいっての写真には
生が溢れ、死が溢れ、
土埃が舞っていても声が溢れ、
色が溢れている。
なので

大地と風は荒々しかった。
花と蝶は美しかった。

たくさんの生の視線は
わたしのエネルギーへと変る。

が強い説得力をもって迫ってくる。

藤原さんは、最後

頭上の月でさえ
着々と人類の足跡が
刻まれようとしている。

この自己拡張と欲望の果てに
何が待っているのか、
その回答用紙に
既に答えが書かれている今

いま一度沖ノ島の禁足の森の想念を
心に刻みたい。

と書いているが、

「その回答用紙に
 既に答えが書かれている今」
あなたはどうするの?
と強い投げかけをしているように
読める。

重い問いだが、
「世界がまだのどか」で、
「自然と共生した
人間生活の息吹が残っていた時代」の
写真の数々は
新たな解を見せてくれているようでもある。

 

 

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2022年12月25日 (日)

クリスマス、24日がメインのわけ

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クリスマス、24日がメインのわけ

- 「24日の晩」は「25日当日」 -

 

今年は12月24日,25日が
ちょうど土曜、日曜に重なったこともあり
クリスマスイブ、クリスマスを
思い思いの形で
楽しんだ方も多かったことであろう。

それにしてもクリスマスって
そもそもは25日なのに
クリスマスイブを含む24日が
メインのようになっているのは
なぜなのだろう?

これについては
2020年12月19日朝日新聞
「ことばサプリ」

校閲センターの町田和洋さんが
明確に答えてくれている。
(以下水色部記事からの引用)

キリスト教が生まれた地域で
使われていたユダヤ暦では、
日没が一日の区切りとする
考え方があります。

24日の日が沈んだら
25日が始まっているわけだ。

旧約聖書の創世記、
出エジプト記などに
一日を夕暮れから起算する表現があり、
紀元前5-6世紀ごろには
こうした習慣があったと考えられ、
キリスト教もこの考え方を
受け継いでいるそうです。

24日の日没から25日の日没までが
「クリスマス当日」

クリスマスの夜とは
24日のイブ(晩)しかない。

ヒジュラ暦も
日没で一日が終わり、
夜からは次の一日です。

月の満ち欠けを元にした
太陰暦をベースに月の形を見て
暮らしの指針にした習慣から
自然な流れだったと思います。

ラマダン(断食月)明けが
夜になるのも日没で一日が終わり、
新月を視認して
翌月に移る節目だからです。

なので、イスラム圏で
「○日の夜」という約束をすると
一日ずれてしまうことがあるので
注意が必要、という
中牧弘允国立民族学博物館名誉教授の
言葉も紹介している。

考えてみると
「これまでの慣習を一切無視して、
 『一日の始まり』を好きに決めて下さい」
と問われたら、どこを選ぶだろうか?
少なくとも
今の午前零時を選ぶ気はしない。

最後にひとつオマケ。
こども電話相談室でだったと思うが、
以前こんな詩的な質問が寄せられていた。

「世界は夜から始まったのですか、
 昼から始まったのですか?」

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2022年6月12日 (日)

大島小太郎と竹内明太郎

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大島小太郎と竹内明太郎

- 唐津への関心を一気に高めた一文 -

 

佐賀県・唐津市観光。
旧高取邸に続いて立ち寄ったのが
大島小太郎の旧宅、旧大島邸

P5011770s

案内板に次のような説明がある。

大島小太郎の旧宅

大島小太郎は、
唐津藩士、大島興義(おきよし)の
長男として唐津城内に生まれました。

唐津藩の英語学校、
耐恒寮(たいこうりょう)において、
東京駅を設計した
辰野金吾(たつのきんご)
同じく著名な建築家である
曽禰達蔵(そねたつぞう)らとともに、
後の蔵相、首相を務めた
高橋是清の薫陶を受け、
明治18年(1885)には
佐賀銀行の前進となる
唐津銀行を創立しました。

この一文を読んでから
私の唐津への関心は一気に高まった。
まさに知らなかった歴史との出会い。
これは調べねば。整理せねば。
というわけで、本件については
のちほど改めて書きたいと思う。

まずは大島邸をゆっくり見て回ろう。
建物は純和風で、
畳と襖(ふすま)が美しい。

P5011775s


華美ではないが、
さすが実業家の邸宅。
廊下にはこんな説明が。
「床は一本松で出来ています」
一枚板の長さに驚く。

P5011774s

大島小太郎は、
* 唐津銀行を創立したが、
その後も、
* 鉄道(現在のJR筑肥線)の敷設
* 道路の敷設
* 市街地の電化
* 唐津湾の整備
など、唐津の近代化に大きく貢献した。

P5011778s

 

この邸宅、実は移築されたもので、
現在、旧大島邸の建っている場所には 
(1886年-1922年の36年間)竹内明太郎
住んでいた。
つまり現旧大島邸は、
竹内明太郎邸跡とも言える。

この竹内明太郎も多くの業績を残している。
明太郎の父 綱(つな)は、前回書いた
高取伊好(これよし)とも関係が深い。

1885年:明太郎の父 綱(つな)は
    高取伊好とともに
    芳ノ谷炭鉱の経営権を取得。

1886年:経営を任された明太郎が
    (土佐藩宿毛領から)唐津に赴任。
    最新鋭の鉱山建設に着手。

1909年:唐津市妙見に
    「芳ノ谷炭鉱唐津鉄工所
     (現唐津プレシジョン)」新設
    我が国を代表する
    精密機械工場のひとつに。

P5011779s

他にも
* 早稲田大学理工学部 設立
* 私立高知工業高校(現高知県立工業高校)
  設立

* 小松鉄工所(現小松製作所)設立

* 田健治郎(九州炭鉱汽船社長)
  青山禄郎とともに、
  国産第一号自動車DAT自動車を開発した
  快進社(のちのダットサン、
  日産自動車の前進のひとつ)を支援。
  ダットサンのDATは
  田(でん)、青山、竹内のイニシャルから。

などなど唐津に留まらない広い範囲で
大きな足跡を残している。

 

次回からは、最初の案内文にあった
高橋是清、辰野金吾、曽禰達蔵の
3人について書いていきたいと思う。

 

 

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2022年5月15日 (日)

『違和感ワンダーランド』の読後感

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『違和感ワンダーランド』の読後感

- 意外なところに歴史書が -

 

毎日新聞「日曜くらぶ」に連載されていた
松尾貴史さんのコラムは、
2020年7月19日から2021年11月7日までの
掲載分が纏められて

 松尾貴史 (著)
 違和感ワンダーランド
 毎日新聞出版
(以下水色部、本からの引用)

という一冊の本になっている。

この本、松尾さんが日々のニュースに触れて

「何かおかしい」と感じたことを、
表明したり、可視化したり

した本だが、
単なる疑問点やグチやツッコミを
並べただけの本ではない。

かと言って、
専門的な知識や特別なウラ情報が
公開されている、というわけでもない。

そんな本が独特な読後感を生み出している。
それはいったいどこから来るのだろう?

 

例として東京五輪開催の件を
扱った記事を見てみたい。

下記、箇条書き(*)の項目の選択は
私の編集だが、(*)に続く各一文は、
松尾さんのセンテンスのままなので
引用の水色を使って書くと、

*東京オリンピック・パラリンピックの
 開会式で楽曲を担当することに
 なっていたミュージシャンが、
 小学生から高校生にかけての時代に
 障害を持つ同級生たちを
 虐待していたことが
 広く大きな反発を呼ぶことになり、
 7月19日に辞任した。

*安倍晋三前首相による
 「アンダーコントロール」という
 虚偽の招致演説。

*「復興五輪」という
 虚飾によるミスリード。

*「世界一カネのかからない五輪」
 (当時の猪瀬直樹・東京都知事)と
 言いながら一時は3兆円の声も
 上がったインチキな予算。

*故ザハ・ハディド氏による
 新国立競技場の
 設計変更に至るもめ事。
 設計者の変更もさらに予算が
 かかる結果に。

*長時間労働による作業員の過労自殺。
 その方も含め五輪の建設現場で
 作業員が4人死亡。

*エンブレムのデザイン盗作疑惑問題。

*招致活動での買収疑惑と
 フランス当局からの事情聴取。

*不正はないと言いながらの
 日本オリンピック委員会(JOC)会長
 退任表明。

*マラソンなどのコース変更

*トライアスロン会場の水質汚染問題。

*開幕まで半年を切ったタイミングでの
 大会組織委員会の森喜朗会長の
 女性蔑視発言とそれによる辞任。

*その不透明な後継者選びでの
 川淵三郎氏の辞退。

*野村萬斎氏ら7人の
 開会式・閉会式の演出チーム解散。

*募集した大会ボランティアの
 待遇の劣悪さ。

*開閉会式の総合統括を務める
 クリエーティブディレクターの
 女性タレントの容姿を侮辱するような
 演出案問題。

*一般人と分けるはずの
 動線が交わっているなど、
 ずさんなバブル方式の数々の問題点。

*自殺とみられるJOC経理部長の
 電車事故死。

*新型コロナウイルス感染拡大で
 開催地東京での4回もの
 緊急事態宣言発出。

*行動制限されていたはずの
 ウガンダの選手の失踪事件。

*緊急事態言下での迎賓館を使っての
 国際オリンピック委員会(IOC)
 バッハ会長をもてなす
 非公開パーティーの開催。

*コロナ禍で交通量が減っていて、
 さらに無観客なのに
 首都高速道路が料金上乗せで
 一般道大渋滞。

*茨城県の子供たちを
 サッカースタジアムに動員して
 観戦させようとする
 意味不明な対応に、
 「持ち込む飲み物は
 スポンサー企業のものにせよ」と
 通知する忖度。

*で挙げたものだけでも20項目以上。
どれも記憶に新しい今(2022年5月)時点で
読めば
「そうそう、そんなことあったよね」
というよく知られた案件ばかりだ。

でも、もし、数年後、または数十年後、
「東京五輪開催にあたって
 どんな問題があったのか?」
を調べたようとしたとき、
これらの問題をこうした簡潔な羅列で
知る方法がなにかあるだろうか?


もちろん、数年分の新聞を読み返せば、
または検索をかければ、
各項目自体をピックアップすることは
可能だろう。
しかし
「東京五輪」や「オリンピック」といった
検索ワードで見つかる記事の数は
膨大なはずで、その整理と全体像の把握は
容易ではないはずだ。

松尾さんの記事は、
ニュースとしての事実部分と
「何かおかしい」と思う松尾さんの
感情部分とを
ちゃんと分けて記述している。

そして、事実部分については、
簡潔にかつ正確に記そうという
松尾さんの気遣いがよく伝わってくる。

上はオリンピックに関する部分だが
たとえば、政治家が口にした言葉なども
印象ではなく、実際の発言にもとづいて
正確に記述、引用している。

ちょっと大げさに言えばニュースに関しては
2020年7月から2021年11月までの
歴史書的要素があるのだ。

独特な読後感は
どうもこのあたりに起因する気がする。

期せずして現代史のテキストを
発見したような不思議な気分だ。

 

 

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2022年5月 8日 (日)

「私はきれいなゴミを作っている」

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「私はきれいなゴミを作っている」

- 生産者も消費者も双方が変わることで -

 

スクラップブックをめくっていたら

朝日新聞の2021年12月3日「ひと」欄
で紹介されていた
エチオピアで人と環境にやさしい
 バッグをつくる起業家
 鮫島弘子さん

の記事が目に留まった。
(以下水色部、記事からの引用)

鮫島さんは、
羊の革を使ったバッグブランド
「anduamet(アンドゥ・アメット)」
を設立し、
代表兼デザイナーとして
活躍しているという。

使うのは食肉の副産物で、
環境対策をした工場でなめされた皮だけ。

元ストリートチルドレンや
読み書きできない人を雇い、
忍耐強く20人の職人を育ててきた。

原点は、
デザイナーとして働いた
化粧品会社で感じた疑問だという。

美術専門学校を出たばかりで
仕事は面白かったが、
新製品を出すたびに
大量の商品が廃棄された。

私はきれいなゴミを作っている

そう思った鮫島さんは、
化粧品会社を3年で辞め、
青年海外協力隊に応募。
派遣先のエチオピアで羊革と
出会い、その後、エチオピアに渡って
起業することになったという。

「私はきれいなゴミを作っている」
なんとも悲しい、虚しい言葉ではないか。

化粧品に限らない。
衣料品も食料品も
大量廃棄の問題はほんとうによく耳にする。

もちろん、たとえば
新商品ブランドの確立と
拡販を目的にした旧商品の廃棄と
食料品の廃棄は
そもそもその理由が全く違うものだが
結果として
「きれいなゴミ」を
大量に発生させていることは同じだ。

どんな理由であれ
「私はきれいなゴミを作っている」では
働く側のモチベーションが
上がるはずはない。

以前「売り切れ」程度は我慢しようなる副題で
食料品廃棄の話を書いたが、
ゴミを出さないためには
生産者側もそして消費者側も
大きく意識を変えていく必要がある。

価値観の変換と同時に
双方ちょっとの「我慢」が
キーワードだろう。

誰だって、あるときは生産者であり、
またあるときは消費者なのだから。

作る人も使う人も
みんなが幸せになるブランド目指す。

ことは可能なはずだ。

 

 

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