社会

2018年1月28日 (日)

オーストリア旅行記 (23) ウィーン リンク通り

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オーストリア旅行記 (23) ウィーン リンク通り

- 道幅の広い環状線はむかし -

 

ウィーン観光を始めるにあたって、
一番最初に
「リンク通り」に触れておきたい。

ドイツ語で
リンクシュトラーセ(Ringstraße)と
呼ばれるこの通りは、その名の通り
一周約5kmの環状線となっており、
ウィーン旧市街を取り囲んでいる。

Google mapを借りて
黄色の線で書き込んでみた。

Rings1

この環状線、道幅が
たいへん広いことも特徴のひとつ。

P7179523s

自動車用の車線数が多いだけでなく、
トラムの線路や
広い歩道なども確保されている。

P7179630s

さらにこの道、
道沿いに並ぶ建築物がすごい!

P7179662s

何が並んでいて、どうすごいのかは、
この旅行記の中で
順次紹介して行きたいと思うが、
今お伝えしたいのは、
幅の広い広い道路が
旧市街をリング状に取り囲んでおり
その道路沿いに、見事な建築物が
数多く並んでいるという事実


どうしてそんな道路があるのか?
なぜ環状なのか?

ちょっと時代を遡(さかのぼ)って
話をスタートしたい。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

【堅固な市壁で守られていたウィーン】

中世の市壁はここで本格的な
稜堡(バスタイ)として整備され、
さらにその周囲には、
外部からの砲撃に備えて、
斜堤(グラシ)と呼ばれる
広大な空閑地が巡らされたのである。

 周囲を強固な防壁で固めた
このウィーンの都市形態は、
ハプスブルク帝国の
特殊な政治的・軍事的事情によって、
異民族侵入の危機が去った18世紀から、
さらに19世紀に入っても、
ほとんど変化をみなかった。

中世、
堅固な市壁に守られていたウィーン。

突き出した角(稜堡)を持つ市壁と、
その先に広がる広大な空閑地(斜堤)は、
この古い図を見るとよくわかる。

Ringsor

古い都市構造のままのウィーン。
近代化に向けて動き出した他の首都に
19世紀初頭、完全に遅れを取っていた。

【遅れていた都市改革】

ロンドンやパリなど、
他のヨーロッパ列強国の首都が、
19世紀初頭にはすでに都市近代化の
第一段階を通過していたのに対し、
ウィーンではいまだに
中世以来の都市構造が
保持されたのである。

外敵防備のための堅固な市壁は、
重火器の発達によって防壁としては
もはや役に立たなくなっていた。
なので、残ってはいたものの
18世紀には
すでに姿を変えていたようだ。

【公園となっていた市壁】

もはや
実際的な機能を果たさなくなっていた
稜堡(バスタイ)や斜堤(グラシ)は、
18世紀、ヨーゼフ2世によって
植樹が施され、
遊歩道や公園施設として開放された


こうして、
北イタリアからポーランドに至る
広大な領土を誇った帝国の首都は、
(中略)
19世紀前半には、緑地に囲まれた
のどかな田園牧歌的雰囲気で
人々を魅了していた。

しかし、この田園都市の
アナクロニズム(時代錯誤)は、
多くの弊害を生み出していた。

【都市の成長を妨害する市壁】

18世紀には市内の人口が25万から
30万人に達していたのに対し、
市壁と斜堤がこの人口増大に
見合った都市の面積拡大を妨げていた。

市壁内では
建蔽(けんぺい)率が90%を超え、
住環境が次第に悪化するなかで、
政府の指導で商工業者などを
防御施設の外側に移住させる施策が
とられたため、
都市は、幅約500メートルの斜堤を
ドーナツ状に残したまま
その外側に拡大する
という、
きわめて不自然な形態を
とるようになった。

たった8つの門のみで
外の世界と繋がっている
分厚い市壁に囲まれた
都市ウィーンは、しばしば、
石の衣をまとった女神の姿に
たとえられていた。

 

その女神が、
重く古めかしい装束を
一挙に脱ぎ捨てる時が
19世紀半ば、ようやく到来する。

【石の衣を脱ぎ捨てる女神】

1848年、3月革命を抑えて即位した皇帝、
フランツ・ヨーゼフは、
自由主義的な方向を打ち出す
若手官僚グループが取り上げた
都市拡張計画に対して、
深い理解と関心を示していた。

2度にわたるナポレオン軍の侵攻や
3月革命における都市騒乱の体験から
市壁撤去に猛反対する軍幹部を、
最後には減俸をもって脅しつけ、
皇帝は、1857年のクリスマスの朝、
新聞の官報欄に、
都市計画導入を命じる
親書の全文を掲載
させた。

25日付の「ウィーン新聞」の
一面に掲載された皇帝の言葉。
外壁を取り壊してそこを道路とし、
壁の内と外を融合していく
という
ウィーン市の拡張計画が公になった瞬間だ。

【1857年のクリスマス・プレセント】

都心部の住環境悪化に
悩んだ住民たちは、
これを、皇帝からの
「素晴らしい
 クリスマス・プレゼント」として、
狂喜したという。

 ここに開始された
都市拡張計画の概要は、
かつての斜堤の中央部に、
都市をぐるりと囲む形で
全長約4キロメートルの現状道路
(リンクシュトラーセ)を敷設
し、
その両側に構築される
新市街区によって、
旧市街と郊外部を
効果的に連結するというものであった。

18歳の若さで即位した皇帝が、
27歳の時にした決断。
今から約160年前のこと。

日本史で言うと明治維新の約10年前。
まさに幕末。

 

この日から、約半世紀にわたる
リンク通りの整備が本格的に開始される。

と言うわけで
道路が環状なのは市壁の跡地だから

その跡地に建設された道路と建築物は、
都市計画の観点からも、
見逃せない成果を生み出していく。

ルネッサンス様式、バロック様式、
ギリシャ様式、ネオゴシック様式
などの建築物が次々と登場。

市壁で分断されていた
旧市街部と郊外部が
道路と魅力的な新しい建築物によって
統合
されていく。

今のウィーンを見るときに、
ぜひ知っておきたい歴史のひとつだ。

 

 

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2018年1月21日 (日)

オーストリア旅行記 (22) 鉄道を通しての深い関係

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オーストリア旅行記 (22) 鉄道を通しての深い関係

- 日本の鉄道の守護神? -

 

ウィーンへの電車の乗り換え時、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅で
特急列車railjetの車両を見ると、
妙にいろいろな数字が書かれている。

P7148715s

意味を表すと思われる
簡単なアイコンや文字も添えてあるので、
こういう意味なのかなぁ、と
想像できるものもあるが
正確なところはわからない。

文字と数字の部分だけを切り取って
並べてみた。
ある「一両」に、これらの文字列が
ズラーっと一列に並んでいる。

P7148716_5all_s

帰ってから検索すれば記述内容を
解説してくれているページくらいは
簡単に見つかるだろう、と
気軽に考えていたのだが、
そもそも鉄道マニアでもなんでもない
ズブの素人が、いざ探そうとすると
どういう言葉で検索すればいいのか、が
さっぱりわからない。

エイヤ、のいいかげんな検索では
全くヒットしない。

ドイツ語かつ
適切な単語で検索すれば、きっと
いいページはあると思うのだけれど。

R150mというのは最小曲線半径だろうか?
重量(t)であったり、長さ(m)であったり、
車両の仕様に関連する数字であることは
間違いないと思うのだが。

日本でも車両に
文字や数字を見かけることはある。
でも、「クハ」や「モハ」などの
短い文字列と数桁の数字、
重量(t:トン)や定員など、
簡単な記述しか見た覚えがない。
情報量がぜんぜん違う気がする。

 

上記数字の意味の回答ではないが、
そう言えば、
オーストリアの鉄道関連で
下記の本に、
ちょっと興味深いことが書いてあった。

あまり知られていない
オーストリアと日本の関係。

少し紹介したい。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

ここで、オーストリアから
日本が輸入している商品および
将来的に期待される
品目の具体例を述べる。

意外と知られていないが、
日本が長年輸入している
鉄道用保線車”がある。

日本の新幹線は、
1964(昭和39)年運転開始以来、
技術的欠陥による人身事故を
一度も引き起こさずに
走り続けているが、

その軌道や架線を監視する
保線車のほとんどが
オーストリア製である


JRのみならず、
日本の多くの私鉄にも
この保線車が納入されている。

この保線車は、
ドイツ・インターシティ、
フランス・TGV、
スペイン・AVEなど
世界的に有名な高速鉄道の
補修を引き受けているのである。

納入実績からみると、
ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで
日本は4番目であるが、
数億円もする保線車が
すでに約600台以上納入されている。


このオーストリアの保線車こそ、
乗客がいなくなった
真夜中にこっそりと、
翌日の来客の安全を守るために
線路をみてまわる、
まさに日本の鉄道の
守護神ともいえる存在

(略)

日本の鉄道を守る保線車が、
600台以上もオーストリアから
輸入されていたとは。

保線車を目にする機会はあまりないが、
車両を見れば
オーストリアから来たことは
簡単にわかるのだろうか?
今度目にする機会があれば、
ちょっと注意して見てみよう。

 

アットナング・プッハイム駅から
特急列車railjetに乗換えて一本、
ついにウィーン中央駅に到着した。

P7148717s

正確には、旅行の初日、
空港からザルツブルクに行くときに
通過しているので、
4泊して戻ってきた、とも言える。

ここも、近代的できれいな駅だ。

軽くお昼を食べようと、
様々な種類のパンが並んでいる
ANKERというチェーン店のパン屋さんで
こんなサンドを食べてみた。

P7148719s

パンもハムも野菜もチーズも
どれもおいしくて大満足。

ここでは、
「Detox Wasser」という
未経験の飲み物を目にしたので、
それにトライしてみることにした。
写真中央にあるボトル。
Detox水?「解毒水」ってこと?

「新鮮なキュウリとレモンと共に」
と書いてある。

味のほうは、見た目通り、
キュウリとレモンの入ったただの水。
甘くはない。
キュウリとレモンの香りがあるので、
さわやかで飲みやすいが、
それでDetoxとはちょっと大袈裟かも?

食後、
中央駅のインフォメーションセンタで
ウィーンの情報を得て、
その後、地下鉄に二駅だけ乗って、
予約していたホテルを目指した。

地下鉄にあった優先席表示はこんな感じ。

P7148727s

妊婦、子連れ、体の不自由な人、老人
やはり絵はわかりやすい。
ドイツ語が読めなくても理解できる。

ホテルにチェックイン。
荷物を置いて身軽になって、
さぁて、
いよいよウィーン観光のスタートだ。

 

 

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2018年1月14日 (日)

オーストリア旅行記 (21) 森林先進国オーストリア

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オーストリア旅行記 (21) 森林先進国オーストリア

- 林業を「かっこいい仕事」にした秘密 -

 

ウィーン行の電車を待っていた
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅。

P7148713s

ホームからはこんな列車が見える。
日本では見ることが少なくなった、
貨物列車かつ裸の材木。

P7148714s

そう言えば、旅行の初日、
ウィーンからザルツブルクに
向かう電車の窓からも
こんな景色を見ていた。

P7107645s

ハルシュタットのハイキングで
偶然目にしたのも、住宅街の中に
大量にストックされた薪(まき)だった。

P7138499s

生の材木や薪を見て
思い出した本はコレ。

藻谷浩介、NHK広島取材班(著)
里山資本主義
角川oneテーマ21新書

(以下水色部は本からの引用)

 

オーストリアの林業について
興味深い記述があったのだ。

引用が長くなってしまいそうだが
文字ばかりではつまらないので
花の写真を挿入しながら書いていきたい。

写真はすべて、ハルシュタットで
ハイキングをしながら撮ったもの。

P7138533s


マネーの嵐が吹きすさぶ
ヨーロッパのど真ん中に、その影響を
最小限に食い止めている国がある。

それがオーストリアだ。

オーストリアと言われて
何を思い浮かべるだろうか。

モーツァルトやシューベルを生んだ
音楽の国?
ザッハトルテに代表される
チョコレートの国?

いやいや、実は
それだけではないのである。

経済の世界でも、オーストリアは
実に安定した健康優良国
なのだ。

それは数々の指標が物語っている。

ジェトロが公表している
データ(2011)によれば、

失業率は、EU加盟国中最低の4.2%、
一人当たりの名目GDP(国内総生産)は
4万9688米ドルで世界11位(日本は17位)

対内直接投資額は、2011年に
前年比3.2倍の101億6300万ユーロ、
対外直接投資額も
3.8倍の219億500万ユーロと、

対内・対外ともに
リーマンショック直前の水準まで回復した。

では、なぜ人口1000万に満たない
小さな国・オーストリアの経済が
これほどまでに安定しているのか?

その秘密こそ、里山資本主義なのだ。

オーストリアは、
前章にみた岡山県真庭市のように、
木を徹底活用して
経済の自立を目指す取り組みを、
国をあげて行っているのである

ひとりあたりの名目GDPは
オーストリアが世界11位で、
日本は17位。
日本の方が下位なのだ。

P7138535s


国土はちょうど北海道と
同じくらいの大きさで、
森林面積でいうと、
日本の約15%
にすぎないが、
日本全国で一年間に生産する量よりも
多少多いぐらいの丸太を生産している


知られざる森林先進国
オーストリアの秘密を探っていこう。

 オーストリアの人々は、
最も身近な資源である木を
大切にして暮らしている。

 

まずは、森林先進国の基盤をなす、
山林所有者への教育を見てみてよう。

P7138536s<


【山林所有者への教育】

山の中で行われる授業に同行した。

授業中、
先生たちが口を酸っぱくするのが、
林業は短期の利益を追求するのではなく、
持続可能な豊かさを
追求しなければならないという理念
だ。

この研修所では、
50年間手入れせず放置し続けた区画と、
そのすぐ隣に間伐などによって
人の手を入れ続けた区画を用意。

生徒たちに見比べさせ、
健康な森林がいかに美しく、
木もまっすぐ立派に育つのかを
実感させる。

そして、どの木を切っていいのか、
どの木はまだ切るべきでないのか、
先生と生徒が議論しながら学んでいく。

「森を持つなら、手入れを
 しっかり行わなければならない。
 手入れされることによって、
 森は健康であり続ける。

 それによって、
 これからもずっと守られるんだ。
 これがオーストリアの
 林業の哲学なんだ」

 日本では、
お金にならない多くの山林が、
間伐されることもなく
放置されている。

これに対し、オーストリアでは、
山林所有者に森を
すみずみまで管理することを
義務づけている。

P7138537s


【林業従事者は3K?】

 それにしても、
日本では林業従事者というと、
危険、きつい、汚いといった、
いわゆる3Kのイメージがあるが、
オーストリアではどうなのだろうか


 実はオーストリアでも、
20~30年前くらいまでは、
林業はきついのにお金にならないと
認識されていたらしい。

しかし今は、
この認識は大きく改善された
という。

その理由を、森林研修所の所長、
ヨハン・ツェッシャーさんは三点
挙げている。

P7138541s


【3K改善の理由 その1】

第一に、なにより林業従事者の
作業環境が安全になった。

林業に従事する者は
みんな教育を受けることが
義務づけられたため、
学ぶ機会が増え、安全に対する意識が
飛躍的に高まった

P7138544s


【3K改善の理由 その2】

二点目は、
山を所有する森林農家が、
森林および林業というものが、
ちゃんとお金になる産業である
認識するようになった。

そして、それは、
きちんとした林業教育を
受ければ受けるほど、
経済的に成功できるということも。

そうした状況を
後押ししているのが
バイオマス利用の爆発的な発展だ。

これによって、
森林に新たな経済的な
付加価値ができたのだ。

逆に言えば、森林所有者が
森林に関わる動機付けが、
大きくなった。

P7138546s


【3K改善の理由 その3】

三点目として、
「これはとても重要なことだが」と
前置きして所長が強調したのは、
林業という仕事の中身が
大きく変わった
ことだという。

”高度で専門的な知識が求められる
 かっこいい仕事”
になった。

今のご時世、
ただ山の木を切っていればいいという
時代ではない。
林業に従事する以上、
経済に関することも
知っていなければいけないし、
生態系に関する知識も
なければいけない。

さらには、
最新のテクノロジーも
知る必要がある。

その一方で、林業という仕事が
体系化されるにつれて、
同僚や会社と協力しながら
仕事をする必要も高まってきた。

社会的能力も
必要とされるようにもなったのだ。

そういう風に、高度な専門性を持つ
職業に対する金銭的な対価が、
昔に比べて上昇するのは当然だろう。

林業という職業は
とてもエキサイティングな
ものになった。

P7138551s


誤解を恐れずにまとめてしまうと
林業を
(1) 安全な作業環境に
(2) 経済的に成功できる産業に
(3) 社会的に「かっこいい仕事」に
変化させることを
教育で実現しているわけだ。

税金を投入し、経済的に援助することが
産業を「保護」することではない。
我が国の林業再生に向けても
学ぶところは多い。

P7148688s


完全に話が横道に逸れてしまった。
次回はまた、
旅行記の方に戻って続けていきたい。

 

 

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2018年1月 7日 (日)

オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

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オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

- 観光地は独英中韓の四言語 -

 

2018年も明けてもう一週間。
今年最初のアップです。
本年もよろしくお願いします。

前回の続きから始めたいと思います。

 

ハルシュタット、最後の朝。
気持ち良い朝日が
朝食のレストランに降り注いでいる。

P7148622s

湖の向こう岸には
赤い車両の電車が走っている。

渡し船も小さく見えるが、
湖面が静かで反射が美しい。

P7148635s

朝食を食べてチェックアウト。

いよいよ
ハルシュタットともお別れだ。

P7148653s

名残惜しさゆえ、最後に
世界遺産「ハルシュタット」で
撮った写真から二枚だけ選んで
もう一度貼っておきたい。
(次の2枚のみ、
 クリックすると通常よりも
 大きなサイズで表示されます)

P7128218as

PCからの方は、ぜひクリックしてご覧あれ。

P7148639as

 

ところでここに2泊する間、
出遭った日本人は
遊覧船での母娘ふたりだけだった。

ザルツブルクでも、
見かけるには見かけたが、
気がついた範囲では数人レベル。

サウンド・オブ・ミュージックツアーの
約60人のバスの中にも、
我々夫婦以外にはひとりもいなかった。

個人旅行で気ままに動いているせいか、
ツアーの団体さんとは出遭っていないし、
もちろん実数もわからないが、
それにしたって
ハルシュタットもザルツブルクも
どちらも世界遺産になっている
大観光地だ。

バブリーなころ
「どこに行っても必ずいる日本人」と
やや揶揄されるように言われていたことは
「今は昔」なのだろうか。

そう言えば、
ハルシュタットの町中にある掲示板も
ドイツ語、英語、中国語、韓国語
の4言語で書いてあり
そこに日本語はなかった。

P7148629s

今回、
「あっ、東洋系の人だ」と思っても
家族連れなら中国人、
若いカップルなら韓国人、
ということが圧倒的に多い。

観光地の掲示板は、
そのあたりの訪問者数を
敏感に反映しているのかもしれない。
(ごみ捨てに関する注意よりも前、
 一番最初に
 ドローンに関する注意書きがあるのも、
 反映の感度を表している気がする)

 

もうひとつ、
町で目にして気になったものを。

一般車両を規制しているほどの
狭い町中、
清掃車も実にコンパクトで、
小回りのきくものだった。

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閑話休題。

そう、ハルシュタットとのお別れだ。

来たときと同様、渡し船に乗って

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美しい景色との別れを惜しみながら

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対岸の駅下を目指した。

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船を下りてから、駅まではすぐ。
まさに直結

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本数が多いわけではないせいか、
無人駅にわりと多くの人が待つ。

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ほぼ定刻に電車がやってきた。

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乗車した直後、幸か不幸か天気が急転。
一気に雨になってしまった。

来る時には、帰りの途中下車も考えていた
バート・イシュルやトラウン湖は、
雨のためそのまま通過。
残念だが、次回のお楽しみとしよう。

ザルツブルクから来た時に乗換えた、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅に到着。

今度はウィーン方面に向けて乗換えだ。

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ウィーン行の電車を待っている際、
アットナング・プッハイム駅には
こんな列車が停まっていた。

P7148713s

日本では見かけることが少なくなった
貨物列車かつ裸の材木。

それを見ていたら
急に前に読んだ本のことが蘇ってきた。

次回は、その話から始めたい。

 

 

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2017年12月31日 (日)

オーストリア旅行記 (19) 集落を通り抜けてミニハイキング

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オーストリア旅行記 (19) 集落を通り抜けてミニハイキング

- 大量の薪の備蓄 -

 

遊覧船を降りた後は、
観光客で賑わう通りを
お店を見ながらブラブラ。

P7138483s


世界遺産となっている湖畔の景色は
カメラの向け甲斐がある。

P7138478s

町歩きをしている際、
某個人住宅のポストが目に留まった。

木目の美しい板で覆われた素敵な家で、
ポストにも
品のよいリースが飾ってあって、
ハルシュタットの町に
完全に溶け込んでいる。

ところが
ポストの僅かな隙間から、
見覚えのあるロゴが見えている。

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Amazonの箱だ。
世界遺産の町で、別世界へのトリップ感に
とっぷりと浸っていたのに、
ロゴをちらっと目にしただけで
なぜか急に現実に
引き戻されてしまったような残念な感覚。

もちろんAmazonには何の罪もないのだが。

 

最初に書いた通り、
町への車の乗り入れは規制されているので、
町の入り口には大きな駐車場がある。

大型バスも、観光客の乗用車も
皆そこに駐車。
その駐車場のそばに、観光客向けの
インフォメーションセンタがある。

湖畔の道をのんびりと歩きながら、
インフォメーションセンタを目指した。

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インフォメーションセンタでは、
広域な地図を入手すると同時に、
手頃なハイキングコースを教えてもらった。

 

どんな感じのコースなのだろう。
少し歩いてみることにした。
コース入口はこんな感じ。

P7138495s

民家の集落の中を
通り抜ける感じでスタートする。

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塀のそばには山羊だろうか、
放し飼いにされて
のんびり草を食(は)んでいる動物がいる。

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観光客が集中している湖畔から、
まだ10分も歩いていないのに、
もうこのあたりまで来ると
観光客はひとりもいない。

しかも商店でもホテルでもない、
ごく普通の民家と思われる家が
こんなにきれいに花を飾っている。

P7138498s

人気(ひとけ)がなく、
カメラを向けるのも民家だと思うと
ちょっと言い訳を考えてしまう。

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歩いていて目についたのは、
これらの薪(まき)のストック。

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家のすぐ横はもちろん、

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少し離れたところには
かなり広い集積場もある。

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新旧、木の乾燥具合も様々だが
数字やマークには
どんな意味があるのだろう?

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ビッチリ積み上げられた集積場の回りには、
自然の花々が咲き乱れている。

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歩いていてもうひとつ目に留まったのは、
キリスト教に関するこんな施設(?)。

大きな岩に
なぜ階段が掛けられているのか。
勝手には登れないようになっていたが、
上に登るとなにかあるのだろうか。

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別な場所にあったこれなど、日本で言う
まさにお地蔵さんのごとく
道の脇にポツンと立っていた。

花が添えられているところをみると
地元でちゃんとお世話しているのだろう。

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途中、流れの激しい川があったり、

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激しい風の流れを感じさせる
木々が立っていたり

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山も緑も美しく、
とにかく空気がうまい。

道が険しいわけでもなく、
まさに素人向けの
気軽なハイキングコース。

コースに不満はなかったのだが、
恐ろしいくらいに人に会わない。

特に危険を感じるようなことが
あったわけではないが、
放し飼いにされた山羊がのんびり過ごしている
この滝

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を見たあとは、湖のほうに戻ることにした。

戻ってきてみると
青空がかなり広がっており、
風も静かになっていて、
ますます景色に吸い込まれてしまった。

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近景も

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遠景も

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新たな色を見せてくれている。

まだ日没までには時間があったが、
屋外のテラス席で風に吹かれながら
早めの夕食をとった。
もちろん
ハルシュタットビールも。

P7138588s

夕食後、
風はさらに静かになったようなので
もう一度ビューポイントに
行ってみることにした。

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ポスターやカレンダーで目にする
まさにそのままの景色。

 

いよいよ日も傾いてきた。
山頂付近が赤く染まり美しい。

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根っからの貧乏性からか、
駆け足が多い我々夫婦にしては、
わりとゆっくりのんびり過ごした
ハルシュタット2日目だった。

さて、
翌日はいよいよウィーンへの移動だ。

 

オーストリア旅行記も
今回、19回を終えたところで、
2017年も大晦日を迎えてしまった。

なんらかのご縁で
「はまのおと」を読んでくださった皆様、
ほんとうにありがとうございました。

ぼちぼちと更新を続けていきたいと
思っておりますので、
来年もどうぞよろしくお願いします。

新年も、オーストリア旅行記を
今日の続きからスタートしたいと
思っています。

皆様もどうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2017年9月24日 (日)

オーストリア旅行記 (5) サウンド・オブ・ミュージック(その1)

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オーストリア旅行記 (5) サウンド・オブ・ミュージック(その1)

- 50年後の集客力 -

 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」は
1965年に公開された
ロバート・ワイズ監督、
ジュリー・アンドリュース主演の
ミュージカル映画だ。

第38回アカデミー賞で、
作品賞、監督賞、編集賞、編曲賞、録音賞の
5部門を獲得している。

映画を見たことがなくても、
「ドレミの歌」
「エーデルワイス」
「私のお気に入り」

などの曲は、一度は耳にしたことが
あるのではないだろうか。

これらの曲はすべて、
「サウンド・オブ・ミュージック」
からだ。

ブロードウェイに一時代を築いた
作曲:リチャード・ロジャース
作詞:オスカー・ハマースタイン2世
ロジャース&ハマースタインの最後の作品。

ブロードウェイ・ミュージカルと映画で
知られるようになった
これらの名曲の数々は、
いまやスタンダードになっている。

 

今日は、ザルツブルクで参加した
「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」
の様子を書きたいと思う。

「あぁ、あの映画ね。
 確かに観たことあるし、
 『ドレミの歌』も知っているけれど
 ストーリやシーンなんて
 大昔のことですっかり忘れているよ」

という方も多いと思うので、
思い出せる程度の簡単な説明は
できるだけ添えたいと思っているが、
いずれにせよ、
ゼロからの解説は難しいので
「観たことがある」という方を前提に
書き進めてしまう失礼はご容赦願いたい。

 

ここ で事前予約をした
「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」
は、簡単に言うと
映画のロケ地を巡るツアーだ。

ロケ地を巡ると言えば
最近は、アニメや漫画などの
舞台となった場所を訪問することを
「聖地巡礼」
などと言ったりしているようで、
マスコミの報道でも耳にすることが
めずらしくなくなったが、
本件、名付けるにしても、もう少し
言葉を選ぶべきではないだろうか。

さてさて、
「サウンド・オブ・ミュージック」、
ロケ地を巡る、と言っても
現在ヒット中の映画の、ではなく、
50年以上も前の映画の、だ。

いったい、どの程度の人が集まるのだろう?

少人数でのグループツアーをイメージして
集合場所に向かった我々夫婦は、
まず最初に、
集合場所に集まっている人の数に
驚いてしまった。

皆、時間にも正確で、
定刻よりちょっと早め揃っている。
ガイドさんの案内で、
映画のシーンがペイントしてある
大型バスの横に並んだ。

P7117743s

ガイドさんは
乗車時、チケットの確認とともに、
「何人のグループ?
 どこから来たの?」
を聞いている。

結局、60人近くが乗り込んだ。
大型バスがほぼ満席。
夏休みの季節とはいえ、
平日火曜日の朝に、だ。

P7117744s

 

いよいよ出発!

マイクを握ったガイドさんは
「私は英国出身で・・・」
と自己紹介を始めたが、
そのこと自体を疑いたくなるような
明るい空気を第一声から振りまいている。

イギリス的というよりも
アメリカ的なノリ。
世界中から集まってきた
映画のファンを
ジョークを交えながら
早口の英語でグイグイ引っ張っていく。

ただ、こちらの英語力では、
説明の英語が正確に
聞き取れなかった部分も多々あるので、

『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密
瀬川裕司 (著)
平凡社新書
(以降水色部は本からの引用)

と 映画のDVD/Blu-ray

で補足・確認しながら、
振り返ってみたい。

 

そもそもこの映画のストーリが
「実話」に基づくものであることは
よく知られているが、

トラップ一家の物語は、
まずマリア・アウグスタが
1949年に自伝として書き下ろし
(大佐は47年に死去していた)、

それを原作とするドイツ映画
『菩提樹』(1956)
『統・菩提樹』(1958)が撮られた。

そして、『菩提樹』に感銘を受けた
メアリー・マーティンと夫の
リチャード・ハリデイが
新たな脚本と音楽を書かせ、
ブロードウェイ・ミュージカル
『サウンド・オプ・ミュージック』
が誕生した。

公演は59年から63年まで続けられ、
その終了を待って、
映画化権を買っていた
20世紀フォックスが
64年に撮影をおこない、
翌年に公開した。

その後、義母の自伝の内容に
不満を抱いていた長女アガーテも
回想記を世に送っており
- そもそもマリアの自伝には
事実と異なる記述がかなりあったのだ -
世にはさまざまなヴァージョンの
<トラップ一家の物語>が
存在するわけである。

とあるように、

「トラップ一家の実話」
「書籍 マリアの自伝」
「ドイツ映画 菩提樹」
「舞台 ブロードウェイ・ミュージカル」
「米国映画 ミュージカル
    サウンド・オブ・ミュージック」
「長女の回想記」


と大きく分けて6つの
<トラップ一家の物語>がある


特にミュージカル映画は、

物価変動を考慮に入れて
2012年に集計された
歴代興行収入ランキングでは
『風と共に去りぬ』(1939)
『スター・ウォーズ』(1977)
に次いで第三位とされ、
VHS、DVD等の販売数やレンタル回数も
計算に含めると、
視聴した人の数だけでいえば
第一位であると考えられている。

と世界的に大ヒットしたわけだが、
地元オーストリアやドイツでは
日本や米国ほど
親しまれた映画ではないようだ。

そのあたりの説明からツアーは始まった。
地元では人気がないンだ。

その理由には、
オーストリアとナチの関係の描き方、
「エーデルワイス」の曲の扱い方、
実話やドイツ映画との相違点、などなど
いろいろあるようだが、
日本人の私には、
細かいニュアンスまではよくわからない。

ガイドさんは、
「英語のツアーには
 こんなにたくさんの人が集まるのに
 ドイツ語のツアーには
 人が集まらないのを見ても
 それはすぐにわかるでしょ」
と笑いを取ってまとめていた。

 

【レオポルツクローン宮殿】
「地元での不人気」という
ちょっと意外な話を聞いているうちに、
最初の訪問地、
レオポルツクローン宮殿付近に到着した。

バスを降りると、
60人でも驚いていたのに、
別のツアー会社のツアー客とも遭遇した。
いったいどれだけの集客力があるのだ、
この映画は!

そういえば本にはこんな記述もあった。

ザルツブルクのロケ地を訪ねる
バスツアーは、
世界各地から訪れたファンで
連日にぎわっている。

主催者の話では、
一日二回挙行されるツアーには
連日200人以上が参加し、
3分の2は製作当時に
生まれていなかった
年齢層の人々だという。

我々夫婦が参加したPANORAMA社の
ツアーだけで午前午後の毎日二回。
一度参加しただけなので
統計的なことは何も言えないが、
本の数字、大袈裟なものではない気がする。

バスを下りると、
一部雲がかかってしまっているものの
静かな湖の向こうに
ウンタースベルク(Untersberg)山が
こんなふうに見える。
緑も美しいが、山の形にご注目あれ。

P7117745s

ここは、トラップ一家の屋敷から
「湖方向の絵」を撮るときに使われた
ロケ地。

(以降、映画からのシーンは黄色枠で)

Sm10157

マリアと子どもたち全員が、ボートから
落ちてずぶ濡れになるこのシーンでも。

Sm10837


ウンタースベルク山を背にするように
湖畔を大きく回って歩くと
対岸にこの屋敷が見えてくる。
これがレオポルツクローン宮殿。

P7117752s

左後方には、ザルツブルクの
ホーエンザルツブルク城塞も
小さく見えている。

宮殿は現在ホテルとして使われているため、
ツアーが案内するのは、
「対岸からの眺め」のみ。

対岸から宮殿を眺めながら、
こんな感じでガイドさんの説明を聞く。

P7117756s

「宮殿を眺めながら」と書いたが、
実はこの宮殿、映画には登場していない。

映画に詳しい方は、
「トラップ一家の屋敷って、
 あんなに白かったかなぁ、
 黄色の印象があるのだけれど」
と思ったはずだ。

「屋敷の庭から湖方向の絵」は
上の映画のシーンからもわかる通り
確かにあの位置から撮影されたのだが、
逆向き、つまり屋敷が背景に映る
「湖から屋敷方向の絵」は
全く別のところで撮影され、
後から繋げて
会話が成立するようにしたらしい。

なんて面倒なことをしたのだろう。

帰ってきてから上の参考図書を読むと、
正確にはあの宮殿の庭そのものではなく、
そのすぐ横に作られたセットからの
撮影だったようだが、
いずれにせよ、
「湖方向の絵」は
あの宮殿の「あたり」から
撮影された、ということのようだ。

「屋敷方向の絵」は別なところで。

ガイドさんは、
A方向とB方向で会話になっているシーンを
撮影を真似て
A方向だけ、B方向だけに分けて演技し、
おおいに皆を笑わせていた。

初対面で、
最初はどことなくぎこちない感じだった
60人が、少しずつガイドさんのペースに
慣れていく、というか巻き込まれていく。

それを感じてか
さらに饒舌になるガイドさん。

ロケ地巡りは始まったばかりだ。

 

 

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2017年9月17日 (日)

オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

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オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

- ザルツは塩、ブルクは城 -

 

最初の夜から時差ボケと無縁の
熟睡ができたおかげで、
目覚めもさわやか。

ホテルの朝食はバッフェスタイル。

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チーズ、ハム・ソーセージ、
パン、シリアルなどなど
種類が豊富で
全部味見してみたくなる。

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はちみつは、
トルコのホテルで見たものと同様
巣から直接取るスタイル。
味というよりも
見た目にインパクトがある。

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レストランの入り口には、
ややピンク色を帯びた
きれいな色の大きな岩塩が。

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そう、ここはザルツブルクなのだ。

ザルツブルク(Salzburg)

salzが「塩」
burgが「城、要塞、砦」
つまり、「塩の城」という
意味の名を持つこの町は、
周囲の岩塩鉱から産出される
塩の取引で繁栄を続けてきた。

ザルツブルクの旅行記を始めるにあたって、
まずは、その起源に関わる
古い歴史的な施設・建造物から
話を始めたいと思う。

どれもその起源は8世紀。

現在の建物は当時のものではないが、
その名は、創立時より絶えることなく
ザルツブルクの歴史を支えている。

 

【ザンクト・ペーター教会】
696年に聖ルペルトが
この地方の布教活動の拠点として
僧院を創設した。
今日、ドイツ語圏に現存する
最古の修道院のひとつとなっている。

付属のザンクト・ペーター教会は、
現在はこんな感じ。

P7118000s

12世紀半ばにゴシック様式で改築された。

この教会には、
岸壁をくり抜いて作った共同墓地、
祈祷のための
洞窟「カタコンベ(Katakomben)」がある。

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岩山に張り付くような構造が印象的だ。

隣接するザンクト・ペーター墓地は、
鉄細工の墓碑と花が美しい。

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鉄柵で区切られた墓地も特徴のひとつ。
鉄柵の文様も区画ごとに違っている。
鉄細工の墓碑といい、
いい鉄工の職人がいたのだろう。

P7117996s

映画
「サウンド・オブ・ミュージック」の最後、
墓地に逃げ込むシーンの
モデルになっているのもこの墓地だ。

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左上後方には
ホーエンザルツブルク城塞が見える。

 

訪問時、タイミングよく
独特な形状の鐘塔からは
町中に鐘の音が鳴り響いていた。

P7118009s


今回は、カメラの他にコンパクトな
ICレコーダ

も携帯していたので
その時の鐘の音を思わず録音。

「カセットデンスケ」や「生録」
なんていう言葉が躍るカタログを
ある種の夢とともに集めていた、
そんな時代の思い出もある
オジサン世代の私からすると、
この手軽さでこの音はないだろう、
というのが正直な感想だ。

30秒ほど貼っておきたい。
小さな町の過去へと誘(いざな)う
音の雰囲気が少しでも伝わるだろうか。

 

そのまま教会にも立ち寄ってみた。
静かに扉をあけた瞬間、
その空気感に足が止まった。

P7118016s

あの外見から
この身廊が想像できるだろうか。
思っていたよりもずっと大きく、
美しいだけでなく
荘厳な雰囲気に包まれている。

しかも、運がいいことに
オルガンの演奏が始まった。

この空間で聞く、この音楽。
やさしく包み込まれるような幸福感。

神聖な響きは、宗教を越えて
心にやすらぎを運んできてくれるようだ。

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696年のザンクト・ペーター教会に続いて、
714年にはノンベルク尼僧院が創設される。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」で
最初に主人公マリアがいた尼僧院だ。

 

【大聖堂】
起源の古いもののもうひとつは大聖堂。
創建は774年。
12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、
17世紀にバロック様式で建て直された。

訪問時は、ザルツブルク音楽祭のための
大掛かりな準備が進行中で、

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正面のドーム広場には入れなかったため
横からの写真になってしまうが

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こちらの方は、上に書いた
ザンクト・ペーター教会と違って、
その高さ、大きさから
ある程度内部を見る覚悟(!?)ができる。

P7117962s


さぁ、内部に入ってみよう。

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身廊は長さ101m。

主祭壇のまわりに配置された
パイプオルガンに目にゆく。

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柱部に分散された配置。

モーツァルトはここで洗礼を受け、
1779年からは
オルガン奏者も務めていたという。

最後部にはオルガンの
大きなパイプが並んでいる。

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数々の壁画や

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華麗な漆喰装飾の天井も見逃せない。

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第二次世界大戦で大きく痛み
その後、修復されたものだが、
主祭壇上の丸天井も美しい。

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大理石で覆われた大ホールには、
約1万人を収容できるという。

ザルツブルク生まれの
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
葬儀もここで執り行われた。

P7117957s

 

* ザンクト・ペーター教会
* ノンベルク尼僧院
* 大聖堂
起源はすべて8世紀。

その8世紀、当時の司教が、
バイエルン公から献上された
「塩泉からの収入」を財源にしていたことが
「塩の城」
ザルツブルクの名前の由来という。

755年
「ボニファティウスの生涯」の中に
ザルツブルクという名前が初めて登場する

その後も、塩との縁は深く、
15km南にあるバート・デュルンベルクで
採れる岩塩は「白い金」と呼ばれ、
外地に送る際の通行税が、
継続的に富をもたらし
町の繁栄を支えてきた。

ザルツブルクは長い間、
大司教を領主と仰ぐ
神聖ローマ帝国内の一独立国だった。
編入前に短期間バイエルン王国に
併合されていた歴史はあるものの、
ハプスブルクの
オーストリア支配下に入るのは、
ウィーン会議のあとの1816年、
つまり19世紀に入ってから
だ。

1000年以上もの間、
大司教が治めた国であり、
オーストリア支配下に入ったのは19世紀。
この点は頭に留めて町を眺めたい。

歴史ある旧市街と歴史的建造物は、
1996年、
「ザルツブルク市街の歴史地区」として
ユネスコ世界遺産に登録
されている。

 

 

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2017年9月10日 (日)

オーストリア旅行記 (3) ザルツブルクでの最初の夜

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オーストリア旅行記 (3) ザルツブルクでの最初の夜

- 問題は傘がない -

 

インフォメーションセンタで
必要な情報を得て歩き出した我々夫婦は、
ザルツブルク中央駅から

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こんな街並みを楽しみながら、
ザンクト・アンドレー教会の前まで来た。

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2両連結のトロリーバスが走っている。
ここからミラベル宮殿の
庭園を抜けることにした。

 

美しい庭園の向こうに
ホーエンザルツブルク城塞が見える
ミラベル庭園を抜けて、

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と、この写真にピンと来た方は
かなりの
「サウンド・オブ・ミュージック」通だ。

50年以上も前の映画
「サウンド・オブ・ミュージック」
については、前回書いた通り
翌日4時間のツアーに
参加することにしたので、
その報告の時に、
まとめて書きたいと思う。

旧市街と新市街を分ける
ザルツァッハ川まで来た。

Img_9946s

橋の向こうが旧市街。
旧市街に向かいながら、
ミュルナー小橋から左側を見ると
この景色。

P7117686s

ホーエンザルツブルク城塞と旧市街は、
ほんとうに絵になる。

川を越えて、
お目当てのレストランを目指す。

レストランに行く前に、
そのすぐ近くにある
アウグスティーナ・ブロイ
を覗いてみることにした。

P7117693s

ガイドブックに
オーストリアで最大規模のビアホール
と書いてあったからだ。

ドイツのビアホールは
何箇所かで経験があるが、
オーストリアはどんな感じなのだろう?
ちょっと雰囲気に触れてみたかった。

「アウグスティーナ・ブロイ」は
1621年、アウグスティーナ派の
修道院の僧侶たちが創設した醸造所、
とのことで、
入り口はきわめてわかりにくいというか、
地味。

P7117701s

看板はあるものの、この扉がほんとうに
「オーストリアで最大規模のビアホール」
の入り口なのだろうか?

半信半疑で階段を下りていく、

P7117694s

が、ここまで来ても、
下が大きなビアホールに
なっているとは思えない。

階段を下りるにしたがって
賑やかな声が一歩一歩近づいてくる。

 

下まで下りると、
大きなホールが広がっていた。

屋内のテーブル席はこんな感じ。

P7117696s

200人収容のホールが4つもある。

しかも建物は斜面に立っていたのか、
階段をずーっと下りてきたのに、
そのまま屋外にでることができる。

その屋外になんと1500席!
季節がいいせいか、月曜日の夜に
こんなに混み合っている。

P7117698s


料理は、並んだ店に好きなものを
各自で買いに行くセルフサービス形式。

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肉屋に人気があるようだ。

P7117700s


肝心のビールは
サイズを指定してまずチケットを買う。
その後、
ビアマグを自分で棚から手に取り、
なぜか各自、水で洗ってから、
チケットと一緒に
ビールカウンタに差し出す。
すると目の前で、
そのジョッキに注いでくれる、という
こちらも料理同様セルフサービス。

サイズは500mlと1リットルの2種類のみ。

P7117699s

見て回るだけでも楽しい。

もちろんここで飲んでもよかったのだが、
目的のお店がすぐ近くにあったので
雰囲気だけを味わってから、
そちらの店を目指した。

ビアホールから出ると、
空は黒い雲に覆われていた。
ポツポツと大粒の雨が落ち始めている。

目的のレストランは
そこから歩いて3分程度。
「雨が降ってきたから急ごう」

1663年開業の老舗レストラン
熊のサインが目印の
ベーレンヴィルト」を目指した。

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店に到着すると
「予約はありますか?」
「いいえ」

月曜日の夜でもあり、
特に高級店というわけでもないので、
予約のことは全く気にしていなかった。

でも、席はありそうじゃないか。

ところが、タイミング悪く、
降り出した雨を避けて、
テラス席の客が
店内に移ってきている。
そのために席がないという。

しかたがない。
周りにいろいろな店が
並んでいるわけでもないので、
先程のビアホールに戻ることにした。

すでに夕立の雨脚は
強くなり始めており、
雷鳴も響いている。

濡れながら駆け足でビアホールに戻ると
事情は当然のことながらこちらも同じ。
屋外にいた客が
次々に中のホールに移ってきているので、
さきほどまでは空いていた広い室内も
大混雑。

なんとか席を確保し、
ここで夕食をとりながら、
夕立が止むのを待つことにした。


定番のソーセージや

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ラタトゥイユや塩パン

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人気店の肉

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などなど、
典型的なビアホールめし。

特徴あるちょっと甘口のビールも、
名前がよくわからないので
エィヤで思い切って買ってみた食べ物も、
どれもすごくおいしくて、
味になんの不満もなかったのだが、
食べ終わっても
雨音、雷鳴ともにまだまだ元気で、
雨のやむ気配が全くないので
どうも落ち着かない。

レストランならタクシーを
呼んでもらうことも頼めそうだが、
セルフサービスのこのホールでは
そんなことを頼めそうな人もいない。

傘も小バッグがすっぽり入るビニール袋も
日本から持ってきているのに、
ふたりともホテルに置いてきてしまっていて
肝心なときに手元にない。

コンビニや売店もないので傘も買えない。

さて、雨の中、どうやってホテルに戻ろう。
歩けば30分ほどだろうか?
ずぶ濡れになって歩いて帰るか。
とにかく初日。
できれば早く帰って
ホテルのベッドで休みたい。

最短ルートを探そうと
インフォメーションセンタでもらった
観光地図を広げてみたが、
極端に短いルートがあるわけでもない。

「困ったねぇ」

 

妻も地図を眺めている。
しばらくすると、
やおら顔をあげてこう言った。

「この21番のバスに乗れば
 帰れるンじゃない?」

「ほんと?」

ふたりで小さな文字と細い線を追った。
路線別のルートが
わかりにくい地図であったが、
確かに店の近くを通り、
ホテルのそばまで行っている。

「よし、これにトライしよう!」

バス停の位置も、運転間隔も
もちろんぜんぜんわからなかったが、
もう夜も9時を過ぎているので、
少しでも早いほうがいいだろう。

雨は上がっていなかったが、
まずはバス停を探そうと
店を飛び出し、
ルート沿いに歩き始めた。

バス停はすぐに見つかった。
時刻表を見ると9時台に2本。
時間通りならあと十数分で来る。

やった!

なんとか雨を避けるために
近くの建物に寄ったが、
石造りの建造物には
いわゆる軒下というものがない。
扉部分の「へこみ」に
ふたり寄り添うように隠れて
なんとか時間が来るのを待った。

ほぼ定刻、21番のバスが来た。

念のため乗る時に地図を見せて
「ここに行くか?」
とドライバーに確認。

ドライバーの返事が
うれしかったこと、うれしかったこと。

運転席横の
妙に大きなタッチパネルのついた
発券機でチケットを発行してくれた。

P7117708s


二人で5.2ユーロ。
日本円で700円くらいになるので、
日本のバスと比べると高いが、
今回のように、
困っているときに助けてもらえると
こんな安いものはない、という気がする。
チケットを見ると
夜9時38分のことだったようだ。

170710bus


バスはホテルのすぐそばにまで行ったため、
結果的にほとんど濡れずに
帰ってくることができた。

ホテル到着が夜10時過ぎ。
日本を出発してから
もう29時間くらいは経過している。
羽田発の深夜便だったので、
ベッドで寝られるのは45時間ぶりくらいか。

ようやくベッドに潜り込んだ。

時差ボケを微塵も感じることなく
翌朝まで爆睡の第一泊目。

本格的な観光は明日からだ。

 

 

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2017年9月 3日 (日)

オーストリア旅行記 (2) ザルツブルク到着

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オーストリア旅行記 (2) ザルツブルク到着

- ホームは番線だけでなく -

 

ウィーン国際空港(VIE)に到着。

ドバイからウィーンへの路線には、
ムスリムの女性も数多く搭乗していた。

ヒジャブと呼ばれる黒い布で
頭を覆うだけでなく、
ニカーブと呼ばれる布で顔も隠して
目だけを出している女性も多い。

こうなると、身体のうち
人の目に触れるのは、
わずかに目の周り数cmだけ、
ということになる。

そのせいか、目の周りだけ
かなり凝った化粧をしている人もいる。
さすがに「写真を撮らせて下さい」とは
とても頼めないが。

何かを食べるときは、ニカーブの下に
食べ物を差し入れてモグモグしている。
あれでは味も
よくわからないのではないだろうか?

ちなみにオーストリア入国の際、
パスポートコントロールでは
いったいどうするのだろう?と
ちょっと興味を持って見ていた。

目だけでは
顔の照合もなにもできないではないか。

見ていると、検査官に向けては、
ニカーブをはずして顔を見せていた。

ニカーブ部分を
片開きのドアのように開けることは
けっこう簡単にできる構造に
なっているようだ。

 

ドバイからの(総2階建て)エアバスA380は、
ほぼ満席だったので、
全部で600人くらいは
乗っていたのではないだろうか。

パスポートコントロール通過後の
荷物を受け取るターンテーブルの周りは
何重にも人が取り囲み
大集団となっていた。

前回書いた通り、
ちょっと無理はしたものの、我々夫婦は
全荷物を機内持込みにしていたので、
ターンテーブルの前で
荷物を待つ必要は一切ない。

まだ、テーブルが回りだしてさえいない
大集団の横を「するり」と通り抜け、
あっという間に
到着口に出てきた。

さぁ、まずは駅を目指そう。

 

最初の宿泊地ザルツブルクまでは
オーストリア連邦鉄道ÖBBの
「レイルジェット」という
高速長距離特急列車で約3時間。

今回は、乗り降り自由の
ユーレイルパスを買っていたので、
まずは使えるように
有効化(validation)
してもらうために、
ÖBBのチケットオフィスに寄った。

P7107628sa

 

ある程度は並ぶことを覚悟していたのに、
行ってみたら
タイミングがよかったのかガラガラ。

レイルパス購入時の手引には、
切符のカバーの所定欄に、
事前に乗る区間を書き込むように
書かれていたが、
validationするときに聞いてみたら、
「日付さえちゃんと書いてあればOK」
とのこと。

指定日乗り降り自由の切符なのに、
いちいち区間を書くのは面倒、
というよりナンセンスだ、
と思っていたので、
この回答には妙にスッキリ。

パスポート番号を記入してもらい、
日付を記入して、スタンプをもらい
いよいよ切符として使えることになった。

「ザルツブルクに行きたいのだけれど」
と時間を聞いたら、
「14:03には乗れるよ」とのこと。

事前に調べたときは、
飛行機到着が13:00頃なので、入国や
チケットのvalildationの手続きを考えると
15:03発の電車に乗れたらいいほうかも、
と思っていたのだが、
それよりも1時間も早い電車に
乗れることになった。

ずいぶん得した気分。

ホームを確認すると「1D-F」とある。
1番線?

P7107634s

駅の表示を注意してみると
「1」は番線で、
「D-F」はホームでの区画、
つまり前の方とか、真ん中あたりとか、
ホームで電車が停まる位置を
示しているようだ。
(首都圏の鉄道で言う、
 乗車口番号のXX番からYY番に
 相当する感じか)

P7107631s

場所まで丁寧に教える必要があるのか?
という気がするが、
コレを見てある失敗を思い出していた。

もし、あのとき、この指定があれば、
あの失敗は避けられたはずだ。

 

場所はイタリア北部、Chivassoという駅。
仕事で出張中だった私は、
同行者とふたりで
(「荒川静香さんが金メダル」の
2006年冬季オリンピックが開催された)
トリノ(Trino)を目指していた。

電車の時刻表を見ると2番線。
定刻の少し前にホームに行くと
電車がちょうど停まっていた。
迷わず乗車、まもなく電車は
時刻表通りの時間に発車した。

「うまく乗換えられたね」と
ホッとしたのもつかの間、
窓から見える夕日の向きを考えると
どうも走っている方向が
180度違う気がする。

そんなバカな。
「これからループ状に
 大きく回ってから行くんだよ。きっと」
などと呑気に構えていたのだが、
もちろんそんな大きな方向転換はない。

イヤな予感は的中しており、実際には
完全に逆方向の電車に乗ってしまっていた。

やむをえず途中で再乗換えしてUターン。
仕事のほうは事なきを得たが、
ふたりともこの間違いについては
どうしても納得がいかない。

なぜ違う電車に乗ってしまったのか?

偶然にも翌日またChivasso駅で
乗換えることになった。
我々は前日の謎を解明すべく、
ふたりで再度時刻表を見に行った。

そして、ある事実を知ってビックリした。

同じ番線に、短い電車が2本停まっており、
全く同じ時刻に、同じ番線から
東西両方向に向けて
2本の電車が発車する
のだ。
西方向がTrino行きで、
東方向がNovara行き。

つまり、同じ2番線の電車でも、
西側に停まっている電車に乗れば
西向きに出発し、
東側に停まっている電車に乗れば
東向きに出発する。

こんなにわかりにくいことがあるだろうか。
西に行きたかったのに、
同じ番線の東側の電車に乗って
発車を待っていたということなのだろう。

みんな間違えないの?

この経験以来、番線だけを信じちゃダメ、
と思うようになったので、
今回のウィーンのような
ホームのエリア表示は
丁寧だな、とは思いこそすれ
余計なお世話、という感じはしない。

 

閑話休題

空港下の駅はホームもきれいで気持ちいい。

P7107630s


待っていた電車が来た。

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いわゆる二等自由席だが、
天井からの液晶パネルで
行き先と到着時刻の確認ができる。

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発車。
車両の構造のせいだろうか
びっくりするくらい音が静かで、
滑るよう動きだした。揺れも少ない。

車両の清潔感といい、案内表示といい、
ガイドブックが広げやすい
コンパクトなテーブルといい、
車内はじつに快適。

WiFi(ネット)も面倒なユーザ登録等なしで、
サクサクと繋がる。

それにしてもオーストリア連邦鉄道ÖBBを
代表する高速長距離特急列車の名前が
レイルジェット」。
速い感じは伝わるが、
遊園地の子どもの乗り物名みたいで
個人的な言葉感覚ながら
どうも実際のイメージと合わない。

 

出発後、
大都市ウィーンの南側をかすめたあとは、
あっという間に、
豊かでゆったりとした田園風景となった。

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黄色いところは「麦」で、
緑の部分は「とうもろこし」
と思われる車窓の景色が延々と続く。

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小さな集落にも
雰囲気のある教会が真ん中にあったりして
初めての国の景色はちっとも飽きない。

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予定通り3時間ほどでザルツブルクに到着。

P7107652s

あとで名前を知ることになる
ザルツブルクから見える代表的な山、
ウンタースベルク(Untersberg)山や
自転車でそのまま乗車しようとする客など
特徴的なものが後方に写っているが、
この時は全く気づいていない。

P7107653s


「ザルツブルク」と聞いて
理由(わけ)もなく古めかしい駅を
想像していたのだが、
これまた近代的できれいな駅だった。

Img_9939s

駅から歩いて7,8分のところにある
予約していたホテルにチェックイン。
まだ、午後5時半。
荷物を置いて身軽になったので、
早速下調べに出かけることにした。

まず出かけたのは、
駅構内にある観光客向けの
インフォメーションセンタ

目的は4つ。
(1) 観光地図をもらう。
(2) 映画
  「サウンド・オブ・ミュージック」の
  ツアー内容を確認する。
(3) 滞在中に予定されている
  コンサート情報を得る。
(4) ザルツブルクカードを購入する。
  
(2)と(3)については
希望に合う内容であれば予約する。

行ってみると、
駅構内にあるせいか、混乱しないよう
「電車の情報はないよ」
「電車のチケットはないよ」
との注書きあり。
「観光情報」だけの案内所だ。

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まずは、観光地図をもらう。
観光スポットだけでなく、
細かなバス路線の記載もある。

世界中どの街に行っても、
地元の地図を見るのは大好きだ。

記載するものの優先順位、
記載方法の違い、配色の違い、
地図に描き込むための
様々な工夫を見ているだけで楽しい。

ところで、もらった地図にあった
この細かなバスの路線情報が
数時間後の予想外の事態に対して、
大きく役立つことになるのだが、
この時点では、もちろん
そんなことになるとは夢にも思っていない。

 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の
ツアー
は、
ふたりともこの映画が大好きだったので、
以前から少し興味があった。
いわゆるロケ地巡りだ。

ただ、市内の歩ける範囲に
多くのロケ地があることは
わかっていたので、
それらを回るだけなら
自力で回ればいいと思っていた。

ところが聞いてみると
郊外のロケ地がメインになっているようだ。

もちろんそれらだって、
バスを乗り継いで行けないことはないが、
点在しているため、
自力で回るときわめて効率が悪い。

というわけで、
訪問内容が希望に叶っていたこともあって
ツアーに申込むことにした。

その場でツアー会社に電話し、
予約してくれたうえ、
チケットも発券してくれた。
翌朝9時出発の4時間のツアー。
どんな時間になるのか、
たのしみ、たのしみ。

 

コンサート情報もいくつか得られた。
ちょうどザルツブルク音楽祭という
大きな音楽祭の直前で、
シーズンでないことはよくわかっていたが、
せっかくモーツァルト生誕の地に
2泊することだし、この乾いた空気の中で、
音の響きをたのしみたいと思っていた。

まだ、
街の規模も様子も全くわからないので、
コンサートについては
場所と時間と内容だけを教えてもらい、
もう少し検討することにした。

「予約やチケットの発行も
 ここでできるから、
 決めたらまた来て」

 

ザルツブルクカードは、一度購入すれば
市内の主な観光スポットと交通機関が
有効な時間内、
無料になる観光客向けのカード。

Salzcard

日付指定ではなく、
最初に使った瞬間からの時間数。
なので上記サウンド・オブ・ミュージックの
ツアーの後、
つまり翌日午後から使い始めれば
めいっぱいフル活用できそうなので
24時間有効なカードを27ユーロで購入した。

 

インフォメーションセンタでは
ずいぶん丁寧に対応してもらえた。
十分な基礎情報が得られたうえ、
準備もできたので、いよいよ観光開始だ。

 

ちなみに、
インフォメーションセンタもある
ザルツブルク中央駅の
駅舎正面はこんな感じ。

P7117663s

市内を走るトロリーバスの架線が
ごちゃごちゃとしている。

 

駅の裏側は対照的にこんな感じ。
屋根の曲線が美しい。
屋根の下にビッシリ並んだ自転車にご注目。

P7117661s

今後よくみかけることになるが、
オーストリアでは、
自転車の利用、活用が
社会インフラの一部として
ほんとうによく考慮されている。
ここは駅直結の自転車置場。
整然と置かれている。

P7117662s

 

飛行機の中で寝たとは言え、
日本を出発してからすでに25時間くらい
経っている。

「今日はもう夕方だし、
 長時間フライトで疲れているし、
 サクッと街の規模と様子を掴んだら、
 夕食だけ食べてホテルに戻ろう」

そんなことを言い合いながら、
まさに軽装で歩き出した。

「夕食を食べてホテルに帰る」
そんな簡単なことなのに
まぁ、旅にはいろいろなことがある。

なかなか思った通りにはいかない。

 

 

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2017年8月27日 (日)

オーストリア旅行記 (1) ウィーン到着まで

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オーストリア旅行記 (1) ウィーン到着まで

- ドバイ空港内の祈祷室 -

 

本ブログを始めるきっかけとなった
トルコ旅行から早いものでもう5年。

5年毎に利用できる
「リフレッシュ休暇」なる名前の
会社の特別休暇をフル活用して、
今年2017年は、オーストリアに行ってきた。

 

旅行の予定がはっきりしたころ、
仕事で親しい米国人と
一緒に昼食をとる機会があった。

「今年はリフレッシュ休暇が取れるので、
 ヨーロッパに行くことにしたンだ」

「どこに行くの?」

「ウィーンと・・・」

と言いかけたところで、
相手の顔が一瞬曇った。
アレ? 私の英語、通じてない?

「ウィーンだよ。オーストリアの首都の」

「あぁ、Viennaのことね」

ウィーンって英語では
「ヴィエナ」って言うんだ。

そんなことすら知らない程度なのに
ガイドブックやハプスブルク家関連の本を
駆け足で読みながら、
初めての国への準備だけは
ワクワクしながら進めていた。

 

パックツアーも
念のためチェックしてみたが、
内容的に希望に添うものがなく、
結果的に
トルコの時と同様、
夫婦ふたりでの個人旅行に決めた。

計画時、そこまで行くなら
チェスキークルムロフやプラハもぜひ、と
近隣の街を強く薦めてくれた知人もいたが、
あれもこれもと盛り込むと
すべてが駆け足になってしまうため、
現地7泊という限られた旅行期間を考慮し
泣く泣く3つの街に絞ることにした。

ザルツブルクに2泊、
ハルシュタットに2泊、
ウィーンに3泊。

気ままな旅の様子を、写真を交えながら
少しずつ綴っていきたい。

 

というわけで、
東京・羽田空港からスタートだ。

 

(1) 手荷物
今回は、初めてエミレーツ航空を利用した。
羽田発の深夜便でドバイへ。
ドバイで乗り換えてウィーンへ、の
乗換え一回のルート。

荷物は機動性を優先させて、
機内持ち込みサイズの
スポーツバッグのみ。

夏なので着替えの容量も少ないうえ、
連泊があって洗濯もできるので、
無理をせずともなんとかなる。

荷物を預けないと
空港でのチェックイン後、
「身軽になれない」というつらさはあるが、
(荷物が同じ便で着かない場合がある)
ロストバゲッジのリスクもなくなるし、
なにより、到着後ターンテーブルの前で
出て来る荷物を延々と待たずにすむので、
すぐに空港から動けることが嬉しい。

特に今回は、ウィーンの空港到着後
ザルツブルクまで
長距離電車に乗る予定なので、
一本でも早い電車に乗れるなら、
そのメリットはかなり大きい。

妻もその意図に合意。
バッグひとつのパッキングに
協力してくれた。

というわけで、
「全てを機内持込み」にするつもりで
羽田空港到着後、
チェックインの手続きに進んだ。

すると、旅立ちのウキウキ感の
まさに出端をくじくように、
いきなりここで引っかかってしまった。

機内に持込める手荷物は
「1個、7kgまで」
と、このルールの適用に妙に厳しい。

貴重品の入った小バッグと
荷物のバッグで2個になるというのだ。

仕事の出張も含めて、
これまで国際線だけでも
100便以上の飛行機に乗ってきたと思うが、
この理由で引っかかったのは初めてだ。

持込みたいのでこのサイズにした、
と説明したため、その意図自体は
最大限尊重する方向で対応してくれたが、
「1個」の部分は
どうしても譲ってくれない。

「大きなバッグの中に、
 小バッグを入れて1個になりませんか?」

結局、この方法で無理やり1個にして
持込みの許可をもらった。
重さのほうは
どう考えても7kg以上はあったが、
その部分は目をつぶってくれたようだ。

やれ、やれ。

「帰りは預けないとダメかもね」
と妻と話しながら出発を待った。

いよいよ搭乗、出発だ。

 

(2) カップフォルダ
利用したクラスはエコノミーだが、
見ると席のテーブルの下には、
カップを水平に保つこんなフォルダが
ついていた。

P7107601s

単純ながらよくできた機構で、
多少の揺れであれば
カップの水平を保ってくれる。

P7107600s

ところが実際にカップを入れてみると、
設置位置が低いため、
常に気をつけていないと
自分の膝がカップに当たってしまう。

当たった際には、逆に簡単に揺れるので
かえってこぼれやすい。
私は、実際、それでこぼしてしまった。

いい機構も
適切な設置場所との組合せで
初めてその威力を
発揮することができる。

これはその組合せに
失敗している例のひとつと
言えるのではないだろうか。

 

(3) ヘッドフォン
機内で楽しめる映画や音楽等、最近の
機内エンタテイメントのコンテンツは、
かなり充実している。

数百のチャンネルから選べるのだから
それはそれで
機上での楽しみのひとつなのだが、
残念ながら飛行機、
特にエコノミークラスの
ヘッドフォンの質は
どの航空会社でもかなり低い。

音そのものももちろんだが、
それ以上に、
耳あてまわりの作りが悪く
長時間当てていると
耳が痛くなってきてしまう。

なので、私は飛行機に乗る際には、
自分のヘッドフォンを持ち込んでいる。
耳栓(カナル)型だと、
荷物にもならないうえ、
ノイズキャンセリング機能がなくても、
かなりエンジン音を遮断できる。

小さなセリフであっても
ボリュームを大きくせずに聞き取れるので、
耳にも優しい。

ただ、ご存知の通り、飛行機では
イヤホンジャックが
二股になっているものが多く、
多くの場合、3.5mmのステレオミニ端子が
そのままでは挿せない。
(以前乗った787で、そのまま挿せる
 ジャックだったことがあるが、
 その機会はまだまだ少ない)

そんなときのために、
こんな便利な変換プラグがある。

私が購入したのは秋葉原で
まだネットがないころの大昔の話だが、
調べてみると、
今でもAmazonなどで簡単に手に入る。

これと、使い慣れている
いつものヘッドフォンさえ持ち込めば
音周りはかなり快適になる。

数百円の投資で済むし、
荷物にもならない。

機内で映画や音楽を楽しみたいけれど
まだ持っていない、という人には
強くお薦めしたい。

 

(4) お手洗いの表示
エミレーツ航空の機内のお手洗いには
こんな表記があった。

P7107598s

Flushつまり水を流すボタンの上、
英語表記すらないので意味はわからないが、
御丁寧にも6種の文字を使って
記述してある。
いったい何が書いてあるのだろう?

P7107599sas

意味はわからないが、
こんなことにも興味があるため、
まさに生きている(!?)アラビア文字や
ペルシャ文字が見られるだけでもうれしい。

 

(5) 砂の街
ドバイ国際空港が近くなり、
高度が下がってきた。

P7107602s

初めてみるアラブ首長国連邦の景色。

P7107605s

まさに黄色い砂に覆われている。

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(6) ドバイ国際空港(DXB)
広い、広いとは聞いていたが、
この空港、こんなに広かったとは。
乗換えのためにゲートを探していると
こんな案内が出ていた。
ターミナル間の移動時間の目安。

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我々は
ターミナルBからCへの移動だったので、
幸いなことに「歩いて20分」(?!)
ですんだが
ターミナルBからFへの移動なら
「バスで40-60分」!!
ほんと?

 

(7) 空港内の祈祷室
ドバイの空港内には、こんな部屋があった。

P7107611s

男女別の祈祷室。

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さすがイスラムの国だ。

 

(8) ドバイ版ウォシュレット
空港の男性手洗いの個室。

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これはかなりストレート。
手元でON/OFFできるスイッチのついた
ふつうの大きさのシャワーヘッドが
そのまま便器の横についている。
もちろんきれいにはなるだろうが、
周りを濡らさずに使えるものなのだろうか?

 

(9) 総2階建てのA380
ドバイからウィーンの路線には、
エアバスのA380が使われていた。
総2階建ての大型機だ。

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席はエコノミーなので下の階だったが、
特に天井が低かった等の印象は全くない。

なお、ブルジュ・ハリファ等
ドバイの超高層ビル群が
ターミナルから見えないものかと
キョロキョロしたが、
遠い視界は黄色い砂埃に霞んでいる。

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(10) 欧州上空
黒海を越えたあたりから、
同じような方向に飛ぶ別な飛行機を
窓から見かけることが多くなってきた。

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写真が撮れるレベルでも
この程度。

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やはり、欧州上空は混んでいる、
ということなのだろうか。

 

(11) オーストリア上空
いよいよウィーンが近くなり、
高度がずいぶん下がってきた。
畑の区割りがおもしろい、 と同時に美しい。

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ウィーンのリングの真上。
まだ一度も行ったことがないのに、
何度もガイドブックを見ていたせいか、
アレが見える、コレが見える、と
妙に興奮してしまった。

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予定通り無事、
ウィーン国際空港(VIE)に到着。

さぁ、夫婦ともに初めてのオーストリアだ。

 

 

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