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2017年9月24日 (日)

オーストリア旅行記 (5) サウンド・オブ・ミュージック(その1)

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オーストリア旅行記 (5) サウンド・オブ・ミュージック(その1)

- 50年後の集客力 -

 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」は
1965年に公開された
ロバート・ワイズ監督、
ジュリー・アンドリュース主演の
ミュージカル映画だ。

第38回アカデミー賞で、
作品賞、監督賞、編集賞、編曲賞、録音賞の
5部門を獲得している。

映画を見たことがなくても、
「ドレミの歌」
「エーデルワイス」
「私のお気に入り」

などの曲は、一度は耳にしたことが
あるのではないだろうか。

これらの曲はすべて、
「サウンド・オブ・ミュージック」
からだ。

ブロードウェイに一時代を築いた
作曲:リチャード・ロジャース
作詞:オスカー・ハマースタイン2世
ロジャース&ハマースタインの最後の作品。

ブロードウェイ・ミュージカルと映画で
知られるようになった
これらの名曲の数々は、
いまやスタンダードになっている。

 

今日は、ザルツブルクで参加した
「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」
の様子を書きたいと思う。

「あぁ、あの映画ね。
 確かに観たことあるし、
 『ドレミの歌』も知っているけれど
 ストーリやシーンなんて
 大昔のことですっかり忘れているよ」

という方も多いと思うので、
思い出せる程度の簡単な説明は
できるだけ添えたいと思っているが、
いずれにせよ、
ゼロからの解説は難しいので
「観たことがある」という方を前提に
書き進めてしまう失礼はご容赦願いたい。

 

ここ で事前予約をした
「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」
は、簡単に言うと
映画のロケ地を巡るツアーだ。

ロケ地を巡ると言えば
最近は、アニメや漫画などの
舞台となった場所を訪問することを
「聖地巡礼」
などと言ったりしているようで、
マスコミの報道でも耳にすることが
めずらしくなくなったが、
本件、名付けるにしても、もう少し
言葉を選ぶべきではないだろうか。

さてさて、
「サウンド・オブ・ミュージック」、
ロケ地を巡る、と言っても
現在ヒット中の映画の、ではなく、
50年以上も前の映画の、だ。

いったい、どの程度の人が集まるのだろう?

少人数でのグループツアーをイメージして
集合場所に向かった我々夫婦は、
まず最初に、
集合場所に集まっている人の数に
驚いてしまった。

皆、時間にも正確で、
定刻よりちょっと早め揃っている。
ガイドさんの案内で、
映画のシーンがペイントしてある
大型バスの横に並んだ。

P7117743s

ガイドさんは
乗車時、チケットの確認とともに、
「何人のグループ?
 どこから来たの?」
を聞いている。

結局、60人近くが乗り込んだ。
大型バスがほぼ満席。
夏休みの季節とはいえ、
平日火曜日の朝に、だ。

P7117744s

 

いよいよ出発!

マイクを握ったガイドさんは
「私は英国出身で・・・」
と自己紹介を始めたが、
そのこと自体を疑いたくなるような
明るい空気を第一声から振りまいている。

イギリス的というよりも
アメリカ的なノリ。
世界中から集まってきた
映画のファンを
ジョークを交えながら
早口の英語でグイグイ引っ張っていく。

ただ、こちらの英語力では、
説明の英語が正確に
聞き取れなかった部分も多々あるので、

『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密
瀬川裕司 (著)
平凡社新書
(以降水色部は本からの引用)

と 映画のDVD/Blu-ray

で補足・確認しながら、
振り返ってみたい。

 

そもそもこの映画のストーリが
「実話」に基づくものであることは
よく知られているが、

トラップ一家の物語は、
まずマリア・アウグスタが
1949年に自伝として書き下ろし
(大佐は47年に死去していた)、

それを原作とするドイツ映画
『菩提樹』(1956)
『統・菩提樹』(1958)が撮られた。

そして、『菩提樹』に感銘を受けた
メアリー・マーティンと夫の
リチャード・ハリデイが
新たな脚本と音楽を書かせ、
ブロードウェイ・ミュージカル
『サウンド・オプ・ミュージック』
が誕生した。

公演は59年から63年まで続けられ、
その終了を待って、
映画化権を買っていた
20世紀フォックスが
64年に撮影をおこない、
翌年に公開した。

その後、義母の自伝の内容に
不満を抱いていた長女アガーテも
回想記を世に送っており
- そもそもマリアの自伝には
事実と異なる記述がかなりあったのだ -
世にはさまざまなヴァージョンの
<トラップ一家の物語>が
存在するわけである。

とあるように、

「トラップ一家の実話」
「書籍 マリアの自伝」
「ドイツ映画 菩提樹」
「舞台 ブロードウェイ・ミュージカル」
「米国映画 ミュージカル
    サウンド・オブ・ミュージック」
「長女の回想記」


と大きく分けて6つの
<トラップ一家の物語>がある


特にミュージカル映画は、

物価変動を考慮に入れて
2012年に集計された
歴代興行収入ランキングでは
『風と共に去りぬ』(1939)
『スター・ウォーズ』(1977)
に次いで第三位とされ、
VHS、DVD等の販売数やレンタル回数も
計算に含めると、
視聴した人の数だけでいえば
第一位であると考えられている。

と世界的に大ヒットしたわけだが、
地元オーストリアやドイツでは
日本や米国ほど
親しまれた映画ではないようだ。

そのあたりの説明からツアーは始まった。
地元では人気がないンだ。

その理由には、
オーストリアとナチの関係の描き方、
「エーデルワイス」の曲の扱い方、
実話やドイツ映画との相違点、などなど
いろいろあるようだが、
日本人の私には、
細かいニュアンスまではよくわからない。

ガイドさんは、
「英語のツアーには
 こんなにたくさんの人が集まるのに
 ドイツ語のツアーには
 人が集まらないのを見ても
 それはすぐにわかるでしょ」
と笑いを取ってまとめていた。

 

【レオポルツクローン宮殿】
「地元での不人気」という
ちょっと意外な話を聞いているうちに、
最初の訪問地、
レオポルツクローン宮殿付近に到着した。

バスを降りると、
60人でも驚いていたのに、
別のツアー会社のツアー客とも遭遇した。
いったいどれだけの集客力があるのだ、
この映画は!

そういえば本にはこんな記述もあった。

ザルツブルクのロケ地を訪ねる
バスツアーは、
世界各地から訪れたファンで
連日にぎわっている。

主催者の話では、
一日二回挙行されるツアーには
連日200人以上が参加し、
3分の2は製作当時に
生まれていなかった
年齢層の人々だという。

我々夫婦が参加したPANORAMA社の
ツアーだけで午前午後の毎日二回。
一度参加しただけなので
統計的なことは何も言えないが、
本の数字、大袈裟なものではない気がする。

バスを下りると、
一部雲がかかってしまっているものの
静かな湖の向こうに
ウンタースベルク(Untersberg)山が
こんなふうに見える。
緑も美しいが、山の形にご注目あれ。

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ここは、トラップ一家の屋敷から
「湖方向の絵」を撮るときに使われた
ロケ地。

(以降、映画からのシーンは黄色枠で)

Sm10157

マリアと子どもたち全員が、ボートから
落ちてずぶ濡れになるこのシーンでも。

Sm10837


ウンタースベルク山を背にするように
湖畔を大きく回って歩くと
対岸にこの屋敷が見えてくる。
これがレオポルツクローン宮殿。

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左後方には、ザルツブルクの
ホーエンザルツブルク城塞も
小さく見えている。

宮殿は現在ホテルとして使われているため、
ツアーが案内するのは、
「対岸からの眺め」のみ。

対岸から宮殿を眺めながら、
こんな感じでガイドさんの説明を聞く。

P7117756s

「宮殿を眺めながら」と書いたが、
実はこの宮殿、映画には登場していない。

映画に詳しい方は、
「トラップ一家の屋敷って、
 あんなに白かったかなぁ、
 黄色の印象があるのだけれど」
と思ったはずだ。

「屋敷の庭から湖方向の絵」は
上の映画のシーンからもわかる通り
確かにあの位置から撮影されたのだが、
逆向き、つまり屋敷が背景に映る
「湖から屋敷方向の絵」は
全く別のところで撮影され、
後から繋げて
会話が成立するようにしたらしい。

なんて面倒なことをしたのだろう。

帰ってきてから上の参考図書を読むと、
正確にはあの宮殿の庭そのものではなく、
そのすぐ横に作られたセットからの
撮影だったようだが、
いずれにせよ、
「湖方向の絵」は
あの宮殿の「あたり」から
撮影された、ということのようだ。

「屋敷方向の絵」は別なところで。

ガイドさんは、
A方向とB方向で会話になっているシーンを
撮影を真似て
A方向だけ、B方向だけに分けて演技し、
おおいに皆を笑わせていた。

初対面で、
最初はどことなくぎこちない感じだった
60人が、少しずつガイドさんのペースに
慣れていく、というか巻き込まれていく。

それを感じてか
さらに饒舌になるガイドさん。

ロケ地巡りは始まったばかりだ。

 

 

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2017年9月17日 (日)

オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

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オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

- ザルツは塩、ブルクは城 -

 

最初の夜から時差ボケと無縁の
熟睡ができたおかげで、
目覚めもさわやか。

ホテルの朝食はバッフェスタイル。

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チーズ、ハム・ソーセージ、
パン、シリアルなどなど
種類が豊富で
全部味見してみたくなる。

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はちみつは、
トルコのホテルで見たものと同様
巣から直接取るスタイル。
味というよりも
見た目にインパクトがある。

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レストランの入り口には、
ややピンク色を帯びた
きれいな色の大きな岩塩が。

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そう、ここはザルツブルクなのだ。

ザルツブルク(Salzburg)

salzが「塩」
burgが「城、要塞、砦」
つまり、「塩の城」という
意味の名を持つこの町は、
周囲の岩塩鉱から産出される
塩の取引で繁栄を続けてきた。

ザルツブルクの旅行記を始めるにあたって、
まずは、その起源に関わる
古い歴史的な施設・建造物から
話を始めたいと思う。

どれもその起源は8世紀。

現在の建物は当時のものではないが、
その名は、創立時より絶えることなく
ザルツブルクの歴史を支えている。

 

【ザンクト・ペーター教会】
696年に聖ルペルトが
この地方の布教活動の拠点として
僧院を創設した。
今日、ドイツ語圏に現存する
最古の修道院のひとつとなっている。

付属のザンクト・ペーター教会は、
現在はこんな感じ。

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12世紀半ばにゴシック様式で改築された。

この教会には、
岸壁をくり抜いて作った共同墓地、
祈祷のための
洞窟「カタコンベ(Katakomben)」がある。

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岩山に張り付くような構造が印象的だ。

隣接するザンクト・ペーター墓地は、
鉄細工の墓碑と花が美しい。

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鉄柵で区切られた墓地も特徴のひとつ。
鉄柵の文様も区画ごとに違っている。
鉄細工の墓碑といい、
いい鉄工の職人がいたのだろう。

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映画
「サウンド・オブ・ミュージック」の最後、
墓地に逃げ込むシーンの
モデルになっているのもこの墓地だ。

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左上後方には
ホーエンザルツブルク城塞が見える。

 

訪問時、タイミングよく
独特な形状の鐘塔からは
町中に鐘の音が鳴り響いていた。

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今回は、カメラの他にコンパクトな
ICレコーダ

も携帯していたので
その時の鐘の音を思わず録音。

「カセットデンスケ」や「生録」
なんていう言葉が躍るカタログを
ある種の夢とともに集めていた、
そんな時代の思い出もある
オジサン世代の私からすると、
この手軽さでこの音はないだろう、
というのが正直な感想だ。

30秒ほど貼っておきたい。
小さな町の過去へと誘(いざな)う
音の雰囲気が少しでも伝わるだろうか。

 

そのまま教会にも立ち寄ってみた。
静かに扉をあけた瞬間、
その空気感に足が止まった。

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あの外見から
この身廊が想像できるだろうか。
思っていたよりもずっと大きく、
美しいだけでなく
荘厳な雰囲気に包まれている。

しかも、運がいいことに
オルガンの演奏が始まった。

この空間で聞く、この音楽。
やさしく包み込まれるような幸福感。

神聖な響きは、宗教を越えて
心にやすらぎを運んできてくれるようだ。

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696年のザンクト・ペーター教会に続いて、
714年にはノンベルク尼僧院が創設される。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」で
最初に主人公マリアがいた尼僧院だ。

 

【大聖堂】
起源の古いもののもうひとつは大聖堂。
創建は774年。
12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、
17世紀にバロック様式で建て直された。

訪問時は、ザルツブルク音楽祭のための
大掛かりな準備が進行中で、

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正面のドーム広場には入れなかったため
横からの写真になってしまうが

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こちらの方は、上に書いた
ザンクト・ペーター教会と違って、
その高さ、大きさから
ある程度内部を見る覚悟(!?)ができる。

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さぁ、内部に入ってみよう。

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身廊は長さ101m。

主祭壇のまわりに配置された
パイプオルガンに目にゆく。

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柱部に分散された配置。

モーツァルトはここで洗礼を受け、
1779年からは
オルガン奏者も務めていたという。

最後部にはオルガンの
大きなパイプが並んでいる。

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数々の壁画や

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華麗な漆喰装飾の天井も見逃せない。

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第二次世界大戦で大きく痛み
その後、修復されたものだが、
主祭壇上の丸天井も美しい。

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大理石で覆われた大ホールには、
約1万人を収容できるという。

ザルツブルク生まれの
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
葬儀もここで執り行われた。

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* ザンクト・ペーター教会
* ノンベルク尼僧院
* 大聖堂
起源はすべて8世紀。

その8世紀、当時の司教が、
バイエルン公から献上された
「塩泉からの収入」を財源にしていたことが
「塩の城」
ザルツブルクの名前の由来という。

755年
「ボニファティウスの生涯」の中に
ザルツブルクという名前が初めて登場する

その後も、塩との縁は深く、
15km南にあるバート・デュルンベルクで
採れる岩塩は「白い金」と呼ばれ、
外地に送る際の通行税が、
継続的に富をもたらし
町の繁栄を支えてきた。

ザルツブルクは長い間、
大司教を領主と仰ぐ
神聖ローマ帝国内の一独立国だった。
編入前に短期間バイエルン王国に
併合されていた歴史はあるものの、
ハプスブルクの
オーストリア支配下に入るのは、
1816年のウィーン会議のあと、
つまり19世紀に入ってから
だ。

1000年以上もの間、
大司教が治めた国であり、
オーストリア支配下に入ったのは19世紀。
この点は頭に留めて町を眺めたい。

歴史ある旧市街と歴史的建造物は、
1996年、
「ザルツブルク市街の歴史地区」として
ユネスコ世界遺産に登録
されている。

 

 

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2017年9月10日 (日)

オーストリア旅行記 (3) ザルツブルクでの最初の夜

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オーストリア旅行記 (3) ザルツブルクでの最初の夜

- 問題は傘がない -

 

インフォメーションセンタで
必要な情報を得て歩き出した我々夫婦は、
ザルツブルク中央駅から

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こんな街並みを楽しみながら、
ザンクト・アンドレー教会の前まで来た。

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2両連結のトロリーバスが走っている。
ここからミラベル宮殿の
庭園を抜けることにした。

 

美しい庭園の向こうに
ホーエンザルツブルク城塞が見える
ミラベル庭園を抜けて、

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と、この写真にピンと来た方は
かなりの
「サウンド・オブ・ミュージック」通だ。

50年以上も前の映画
「サウンド・オブ・ミュージック」
については、前回書いた通り
翌日4時間のツアーに
参加することにしたので、
その報告の時に、
まとめて書きたいと思う。

旧市街と新市街を分ける
ザルツァッハ川まで来た。

Img_9946s

橋の向こうが旧市街。
旧市街に向かいながら、
ミュルナー小橋から左側を見ると
この景色。

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ホーエンザルツブルク城塞と旧市街は、
ほんとうに絵になる。

川を越えて、
お目当てのレストランを目指す。

レストランに行く前に、
そのすぐ近くにある
アウグスティーナ・ブロイ
を覗いてみることにした。

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ガイドブックに
オーストリアで最大規模のビアホール
と書いてあったからだ。

ドイツのビアホールは
何箇所かで経験があるが、
オーストリアはどんな感じなのだろう?
ちょっと雰囲気に触れてみたかった。

「アウグスティーナ・ブロイ」は
1621年、アウグスティーナ派の
修道院の僧侶たちが創設した醸造所、
とのことで、
入り口はきわめてわかりにくいというか、
地味。

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看板はあるものの、この扉がほんとうに
「オーストリアで最大規模のビアホール」
の入り口なのだろうか?

半信半疑で階段を下りていく、

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が、ここまで来ても、
下が大きなビアホールに
なっているとは思えない。

階段を下りるにしたがって
賑やかな声が一歩一歩近づいてくる。

 

下まで下りると、
大きなホールが広がっていた。

屋内のテーブル席はこんな感じ。

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200人収容のホールが4つもある。

しかも建物は斜面に立っていたのか、
階段をずーっと下りてきたのに、
そのまま屋外にでることができる。

その屋外になんと1500席!
季節がいいせいか、月曜日の夜に
こんなに混み合っている。

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料理は、並んだ店に好きなものを
各自で買いに行くセルフサービス形式。

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肉屋に人気があるようだ。

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肝心のビールは
サイズを指定してまずチケットを買う。
その後、
ビアマグを自分で棚から手に取り、
なぜか各自、水で洗ってから、
チケットと一緒に
ビールカウンタに差し出す。
すると目の前で、
そのジョッキに注いでくれる、という
こちらも料理同様セルフサービス。

サイズは500mlと1リットルの2種類のみ。

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見て回るだけでも楽しい。

もちろんここで飲んでもよかったのだが、
目的のお店がすぐ近くにあったので
雰囲気だけを味わってから、
そちらの店を目指した。

ビアホールから出ると、
空は黒い雲に覆われていた。
ポツポツと大粒の雨が落ち始めている。

目的のレストランは
そこから歩いて3分程度。
「雨が降ってきたから急ごう」

1663年開業の老舗レストラン
熊のサインが目印の
ベーレンヴィルト」を目指した。

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店に到着すると
「予約はありますか?」
「いいえ」

月曜日の夜でもあり、
特に高級店というわけでもないので、
予約のことは全く気にしていなかった。

でも、席はありそうじゃないか。

ところが、タイミング悪く、
降り出した雨を避けて、
テラス席の客が
店内に移ってきている。
そのために席がないという。

しかたがない。
周りにいろいろな店が
並んでいるわけでもないので、
先程のビアホールに戻ることにした。

すでに夕立の雨脚は
強くなり始めており、
雷鳴も響いている。

濡れながら駆け足でビアホールに戻ると
事情は当然のことながらこちらも同じ。
屋外にいた客が
次々に中のホールに移ってきているので、
さきほどまでは空いていた広い室内も
大混雑。

なんとか席を確保し、
ここで夕食をとりながら、
夕立が止むのを待つことにした。


定番のソーセージや

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ラタトゥイユや塩パン

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人気店の肉

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などなど、
典型的なビアホールめし。

特徴あるちょっと甘口のビールも、
名前がよくわからないので
エィヤで思い切って買ってみた食べ物も、
どれもすごくおいしくて、
味になんの不満もなかったのだが、
食べ終わっても
雨音、雷鳴ともにまだまだ元気で、
雨のやむ気配が全くないので
どうも落ち着かない。

レストランならタクシーを
呼んでもらうことも頼めそうだが、
セルフサービスのこのホールでは
そんなことを頼めそうな人もいない。

傘も小バッグがすっぽり入るビニール袋も
日本から持ってきているのに、
ふたりともホテルに置いてきてしまっていて
肝心なときに手元にない。

コンビニや売店もないので傘も買えない。

さて、雨の中、どうやってホテルに戻ろう。
歩けば30分ほどだろうか?
ずぶ濡れになって歩いて帰るか。
とにかく初日。
できれば早く帰って
ホテルのベッドで休みたい。

最短ルートを探そうと
インフォメーションセンタでもらった
観光地図を広げてみたが、
極端に短いルートがあるわけでもない。

「困ったねぇ」

 

妻も地図を眺めている。
しばらくすると、
やおら顔をあげてこう言った。

「この21番のバスに乗れば
 帰れるンじゃない?」

「ほんと?」

ふたりで小さな文字と細い線を追った。
路線別のルートが
わかりにくい地図であったが、
確かに店の近くを通り、
ホテルのそばまで行っている。

「よし、これにトライしよう!」

バス停の位置も、運転間隔も
もちろんぜんぜんわからなかったが、
もう夜も9時を過ぎているので、
少しでも早いほうがいいだろう。

雨は上がっていなかったが、
まずはバス停を探そうと
店を飛び出し、
ルート沿いに歩き始めた。

バス停はすぐに見つかった。
時刻表を見ると9時台に2本。
時間通りならあと十数分で来る。

やった!

なんとか雨を避けるために
近くの建物に寄ったが、
石造りの建造物には
いわゆる軒下というものがない。
扉部分の「へこみ」に
ふたり寄り添うように隠れて
なんとか時間が来るのを待った。

ほぼ定刻、21番のバスが来た。

念のため乗る時に地図を見せて
「ここに行くか?」
とドライバーに確認。

ドライバーの返事が
うれしかったこと、うれしかったこと。

運転席横の
妙に大きなタッチパネルのついた
発券機でチケットを発行してくれた。

P7117708s


二人で5.2ユーロ。
日本円で700円くらいになるので、
日本のバスと比べると高いが、
今回のように、
困っているときに助けてもらえると
こんな安いものはない、という気がする。
チケットを見ると
夜9時38分のことだったようだ。

170710bus


バスはホテルのすぐそばにまで行ったため、
結果的にほとんど濡れずに
帰ってくることができた。

ホテル到着が夜10時過ぎ。
日本を出発してから
もう29時間くらいは経過している。
羽田発の深夜便だったので、
ベッドで寝られるのは45時間ぶりくらいか。

ようやくベッドに潜り込んだ。

時差ボケを微塵も感じることなく
翌朝まで爆睡の第一泊目。

本格的な観光は明日からだ。

 

 

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2017年9月 3日 (日)

オーストリア旅行記 (2) ザルツブルク到着

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オーストリア旅行記 (2) ザルツブルク到着

- ホームは番線だけでなく -

 

ウィーン国際空港(VIE)に到着。

ドバイからウィーンへの路線には、
ムスリムの女性も数多く搭乗していた。

ヒジャブと呼ばれる黒い布で
頭を覆うだけでなく、
ニカーブと呼ばれる布で顔も隠して
目だけを出している女性も多い。

こうなると、身体のうち
人の目に触れるのは、
わずかに目の周り数cmだけ、
ということになる。

そのせいか、目の周りだけ
かなり凝った化粧をしている人もいる。
さすがに「写真を撮らせて下さい」とは
とても頼めないが。

何かを食べるときは、ニカーブの下に
食べ物を差し入れてモグモグしている。
あれでは味も
よくわからないのではないだろうか?

ちなみにオーストリア入国の際、
パスポートコントロールでは
いったいどうするのだろう?と
ちょっと興味を持って見ていた。

目だけでは
顔の照合もなにもできないではないか。

見ていると、検査官に向けては、
ニカーブをはずして顔を見せていた。

ニカーブ部分を
片開きのドアのように開けることは
けっこう簡単にできる構造に
なっているようだ。

 

ドバイからの(総2階建て)エアバスA380は、
ほぼ満席だったので、
全部で600人くらいは
乗っていたのではないだろうか。

パスポートコントロール通過後の
荷物を受け取るターンテーブルの周りは
何重にも人が取り囲み
大集団となっていた。

前回書いた通り、
ちょっと無理はしたものの、我々夫婦は
全荷物を機内持込みにしていたので、
ターンテーブルの前で
荷物を待つ必要は一切ない。

まだ、テーブルが回りだしてさえいない
大集団の横を「するり」と通り抜け、
あっという間に
到着口に出てきた。

さぁ、まずは駅を目指そう。

 

最初の宿泊地ザルツブルクまでは
オーストリア連邦鉄道ÖBBの
「レイルジェット」という
高速長距離特急列車で約3時間。

今回は、乗り降り自由の
ユーレイルパスを買っていたので、
まずは使えるように
有効化(validation)
してもらうために、
ÖBBのチケットオフィスに寄った。

P7107628sa

 

ある程度は並ぶことを覚悟していたのに、
行ってみたら
タイミングがよかったのかガラガラ。

レイルパス購入時の手引には、
切符のカバーの所定欄に、
事前に乗る区間を書き込むように
書かれていたが、
validationするときに聞いてみたら、
「日付さえちゃんと書いてあればOK」
とのこと。

指定日乗り降り自由の切符なのに、
いちいち区間を書くのは面倒、
というよりナンセンスだ、
と思っていたので、
この回答には妙にスッキリ。

パスポート番号を記入してもらい、
日付を記入して、スタンプをもらい
いよいよ切符として使えることになった。

「ザルツブルクに行きたいのだけれど」
と時間を聞いたら、
「14:03には乗れるよ」とのこと。

事前に調べたときは、
飛行機到着が13:00頃なので、入国や
チケットのvalildationの手続きを考えると
15:03発の電車に乗れたらいいほうかも、
と思っていたのだが、
それよりも1時間も早い電車に
乗れることになった。

ずいぶん得した気分。

ホームを確認すると「1D-F」とある。
1番線?

P7107634s

駅の表示を注意してみると
「1」は番線で、
「D-F」はホームでの区画、
つまり前の方とか、真ん中あたりとか、
ホームで電車が停まる位置を
示しているようだ。
(首都圏の鉄道で言う、
 乗車口番号のXX番からYY番に
 相当する感じか)

P7107631s

場所まで丁寧に教える必要があるのか?
という気がするが、
コレを見てある失敗を思い出していた。

もし、あのとき、この指定があれば、
あの失敗は避けられたはずだ。

 

場所はイタリア北部、Chivassoという駅。
仕事で出張中だった私は、
同行者とふたりで
(「荒川静香さんが金メダル」の
2006年冬季オリンピックが開催された)
トリノ(Trino)を目指していた。

電車の時刻表を見ると2番線。
定刻の少し前にホームに行くと
電車がちょうど停まっていた。
迷わず乗車、まもなく電車は
時刻表通りの時間に発車した。

「うまく乗換えられたね」と
ホッとしたのもつかの間、
窓から見える夕日の向きを考えると
どうも走っている方向が
180度違う気がする。

そんなバカな。
「これからループ状に
 大きく回ってから行くんだよ。きっと」
などと呑気に構えていたのだが、
もちろんそんな大きな方向転換はない。

イヤな予感は的中しており、実際には
完全に逆方向の電車に乗ってしまっていた。

やむをえず途中で再乗換えしてUターン。
仕事のほうは事なきを得たが、
ふたりともこの間違いについては
どうしても納得がいかない。

なぜ違う電車に乗ってしまったのか?

偶然にも翌日またChivasso駅で
乗換えることになった。
我々は前日の謎を解明すべく、
ふたりで再度時刻表を見に行った。

そして、ある事実を知ってビックリした。

同じ番線に、短い電車が2本停まっており、
全く同じ時刻に、同じ番線から
東西両方向に向けて
2本の電車が発車する
のだ。
西方向がTrino行きで、
東方向がNovara行き。

つまり、同じ2番線の電車でも、
西側に停まっている電車に乗れば
西向きに出発し、
東側に停まっている電車に乗れば
東向きに出発する。

こんなにわかりにくいことがあるだろうか。
西に行きたかったのに、
同じ番線の東側の電車に乗って
発車を待っていたということなのだろう。

みんな間違えないの?

この経験以来、番線だけを信じちゃダメ、
と思うようになったので、
今回のウィーンのような
ホームのエリア表示は
丁寧だな、とは思いこそすれ
余計なお世話、という感じはしない。

 

閑話休題

空港下の駅はホームもきれいで気持ちいい。

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待っていた電車が来た。

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いわゆる二等自由席だが、
天井からの液晶パネルで
行き先と到着時刻の確認ができる。

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発車。
車両の構造のせいだろうか
びっくりするくらい音が静かで、
滑るよう動きだした。揺れも少ない。

車両の清潔感といい、案内表示といい、
ガイドブックが広げやすい
コンパクトなテーブルといい、
車内はじつに快適。

WiFi(ネット)も面倒なユーザ登録等なしで、
サクサクと繋がる。

それにしてもオーストリア連邦鉄道ÖBBを
代表する高速長距離特急列車の名前が
レイルジェット」。
速い感じは伝わるが、
遊園地の子どもの乗り物名みたいで
個人的な言葉感覚ながら
どうも実際のイメージと合わない。

 

出発後、
大都市ウィーンの南側をかすめたあとは、
あっという間に、
豊かでゆったりとした田園風景となった。

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黄色いところは「麦」で、
緑の部分は「とうもろこし」
と思われる車窓の景色が延々と続く。

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小さな集落にも
雰囲気のある教会が真ん中にあったりして
初めての国の景色はちっとも飽きない。

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予定通り3時間ほどでザルツブルクに到着。

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あとで名前を知ることになる
ザルツブルクから見える代表的な山、
ウンタースベルク(Untersberg)山や
自転車でそのまま乗車しようとする客など
特徴的なものが後方に写っているが、
この時は全く気づいていない。

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「ザルツブルク」と聞いて
理由(わけ)もなく古めかしい駅を
想像していたのだが、
これまた近代的できれいな駅だった。

Img_9939s

駅から歩いて7,8分のところにある
予約していたホテルにチェックイン。
まだ、午後5時半。
荷物を置いて身軽になったので、
早速下調べに出かけることにした。

まず出かけたのは、
駅構内にある観光客向けの
インフォメーションセンタ

目的は4つ。
(1) 観光地図をもらう。
(2) 映画
  「サウンド・オブ・ミュージック」の
  ツアー内容を確認する。
(3) 滞在中に予定されている
  コンサート情報を得る。
(4) ザルツブルクカードを購入する。
  
(2)と(3)については
希望に合う内容であれば予約する。

行ってみると、
駅構内にあるせいか、混乱しないよう
「電車の情報はないよ」
「電車のチケットはないよ」
との注書きあり。
「観光情報」だけの案内所だ。

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まずは、観光地図をもらう。
観光スポットだけでなく、
細かなバス路線の記載もある。

世界中どの街に行っても、
地元の地図を見るのは大好きだ。

記載するものの優先順位、
記載方法の違い、配色の違い、
地図に描き込むための
様々な工夫を見ているだけで楽しい。

ところで、もらった地図にあった
この細かなバスの路線情報が
数時間後の予想外の事態に対して、
大きく役立つことになるのだが、
この時点では、もちろん
そんなことになるとは夢にも思っていない。

 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の
ツアー
は、
ふたりともこの映画が大好きだったので、
以前から少し興味があった。
いわゆるロケ地巡りだ。

ただ、市内の歩ける範囲に
多くのロケ地があることは
わかっていたので、
それらを回るだけなら
自力で回ればいいと思っていた。

ところが聞いてみると
郊外のロケ地がメインになっているようだ。

もちろんそれらだって、
バスを乗り継いで行けないことはないが、
点在しているため、
自力で回るときわめて効率が悪い。

というわけで、
訪問内容が希望に叶っていたこともあって
ツアーに申込むことにした。

その場でツアー会社に電話し、
予約してくれたうえ、
チケットも発券してくれた。
翌朝9時出発の4時間のツアー。
どんな時間になるのか、
たのしみ、たのしみ。

 

コンサート情報もいくつか得られた。
ちょうどザルツブルク音楽祭という
大きな音楽祭の直前で、
シーズンでないことはよくわかっていたが、
せっかくモーツァルト生誕の地に
2泊することだし、この乾いた空気の中で、
音の響きをたのしみたいと思っていた。

まだ、
街の規模も様子も全くわからないので、
コンサートについては
場所と時間と内容だけを教えてもらい、
もう少し検討することにした。

「予約やチケットの発行も
 ここでできるから、
 決めたらまた来て」

 

ザルツブルクカードは、一度購入すれば
市内の主な観光スポットと交通機関が
有効な時間内、
無料になる観光客向けのカード。

Salzcard

日付指定ではなく、
最初に使った瞬間からの時間数。
なので上記サウンド・オブ・ミュージックの
ツアーの後、
つまり翌日午後から使い始めれば
めいっぱいフル活用できそうなので
24時間有効なカードを27ユーロで購入した。

 

インフォメーションセンタでは
ずいぶん丁寧に対応してもらえた。
十分な基礎情報が得られたうえ、
準備もできたので、いよいよ観光開始だ。

 

ちなみに、
インフォメーションセンタもある
ザルツブルク中央駅の
駅舎正面はこんな感じ。

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市内を走るトロリーバスの架線が
ごちゃごちゃとしている。

 

駅の裏側は対照的にこんな感じ。
屋根の曲線が美しい。
屋根の下にビッシリ並んだ自転車にご注目。

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今後よくみかけることになるが、
オーストリアでは、
自転車の利用、活用が
社会インフラの一部として
ほんとうによく考慮されている。
ここは駅直結の自転車置場。
整然と置かれている。

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飛行機の中で寝たとは言え、
日本を出発してからすでに25時間くらい
経っている。

「今日はもう夕方だし、
 長時間フライトで疲れているし、
 サクッと街の規模と様子を掴んだら、
 夕食だけ食べてホテルに戻ろう」

そんなことを言い合いながら、
まさに軽装で歩き出した。

「夕食を食べてホテルに帰る」
そんな簡単なことなのに
まぁ、旅にはいろいろなことがある。

なかなか思った通りにはいかない。

 

 

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2017年8月27日 (日)

オーストリア旅行記 (1) ウィーン到着まで

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オーストリア旅行記 (1) ウィーン到着まで

- ドバイ空港内の祈祷室 -

 

本ブログを始めるきっかけとなった
トルコ旅行から早いものでもう5年。

5年毎に利用できる
「リフレッシュ休暇」なる名前の
会社の特別休暇をフル活用して、
今年2017年は、オーストリアに行ってきた。

 

旅行の予定がはっきりしたころ、
仕事で親しい米国人と
一緒に昼食をとる機会があった。

「今年はリフレッシュ休暇が取れるので、
 ヨーロッパに行くことにしたンだ」

「どこに行くの?」

「ウィーンと・・・」

と言いかけたところで、
相手の顔が一瞬曇った。
アレ? 私の英語、通じてない?

「ウィーンだよ。オーストリアの首都の」

「あぁ、Viennaのことね」

ウィーンって英語では
「ヴィエナ」って言うんだ。

そんなことすら知らない程度なのに
ガイドブックやハプスブルク家関連の本を
駆け足で読みながら、
初めての国への準備だけは
ワクワクしながら進めていた。

 

パックツアーも
念のためチェックしてみたが、
内容的に希望に添うものがなく、
結果的に
トルコの時と同様、
夫婦ふたりでの個人旅行に決めた。

計画時、そこまで行くなら
チェスキークルムロフやプラハもぜひ、と
近隣の街を強く薦めてくれた知人もいたが、
あれもこれもと盛り込むと
すべてが駆け足になってしまうため、
現地7泊という限られた旅行期間を考慮し
泣く泣く3つの街に絞ることにした。

ザルツブルクに2泊、
ハルシュタットに2泊、
ウィーンに3泊。

気ままな旅の様子を、写真を交えながら
少しずつ綴っていきたい。

 

というわけで、
東京・羽田空港からスタートだ。

 

(1) 手荷物
今回は、初めてエミレーツ航空を利用した。
羽田発の深夜便でドバイへ。
ドバイで乗り換えてウィーンへ、の
乗換え一回のルート。

荷物は機動性を優先させて、
機内持ち込みサイズの
スポーツバッグのみ。

夏なので着替えの容量も少ないうえ、
連泊があって洗濯もできるので、
無理をせずともなんとかなる。

荷物を預けないと
空港でのチェックイン後、
「身軽になれない」というつらさはあるが、
(荷物が同じ便で着かない場合がある)
ロストバゲッジのリスクもなくなるし、
なにより、到着後ターンテーブルの前で
出て来る荷物を延々と待たずにすむので、
すぐに空港から動けることが嬉しい。

特に今回は、ウィーンの空港到着後
ザルツブルクまで
長距離電車に乗る予定なので、
一本でも早い電車に乗れるなら、
そのメリットはかなり大きい。

妻もその意図に合意。
バッグひとつのパッキングに
協力してくれた。

というわけで、
「全てを機内持込み」にするつもりで
羽田空港到着後、
チェックインの手続きに進んだ。

すると、旅立ちのウキウキ感の
まさに出端をくじくように、
いきなりここで引っかかってしまった。

機内に持込める手荷物は
「1個、7kgまで」
と、このルールの適用に妙に厳しい。

貴重品の入った小バッグと
荷物のバッグで2個になるというのだ。

仕事の出張も含めて、
これまで国際線だけでも
100便以上の飛行機に乗ってきたと思うが、
この理由で引っかかったのは初めてだ。

持込みたいのでこのサイズにした、
と説明したため、その意図自体は
最大限尊重する方向で対応してくれたが、
「1個」の部分は
どうしても譲ってくれない。

「大きなバッグの中に、
 小バッグを入れて1個になりませんか?」

結局、この方法で無理やり1個にして
持込みの許可をもらった。
重さのほうは
どう考えても7kg以上はあったが、
その部分は目をつぶってくれたようだ。

やれ、やれ。

「帰りは預けないとダメかもね」
と妻と話しながら出発を待った。

いよいよ搭乗、出発だ。

 

(2) カップフォルダ
利用したクラスはエコノミーだが、
見ると席のテーブルの下には、
カップを水平に保つこんなフォルダが
ついていた。

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単純ながらよくできた機構で、
多少の揺れであれば
カップの水平を保ってくれる。

P7107600s

ところが実際にカップを入れてみると、
設置位置が低いため、
常に気をつけていないと
自分の膝がカップに当たってしまう。

当たった際には、逆に簡単に揺れるので
かえってこぼれやすい。
私は、実際、それでこぼしてしまった。

いい機構も
適切な設置場所との組合せで
初めてその威力を
発揮することができる。

これはその組合せに
失敗している例のひとつと
言えるのではないだろうか。

 

(3) ヘッドフォン
機内で楽しめる映画や音楽等、最近の
機内エンタテイメントのコンテンツは、
かなり充実している。

数百のチャンネルから選べるのだから
それはそれで
機上での楽しみのひとつなのだが、
残念ながら飛行機、
特にエコノミークラスの
ヘッドフォンの質は
どの航空会社でもかなり低い。

音そのものももちろんだが、
それ以上に、
耳あてまわりの作りが悪く
長時間当てていると
耳が痛くなってきてしまう。

なので、私は飛行機に乗る際には、
自分のヘッドフォンを持ち込んでいる。
耳栓(カナル)型だと、
荷物にもならないうえ、
ノイズキャンセリング機能がなくても、
かなりエンジン音を遮断できる。

小さなセリフであっても
ボリュームを大きくせずに聞き取れるので、
耳にも優しい。

ただ、ご存知の通り、飛行機では
イヤホンジャックが
二股になっているものが多く、
多くの場合、3.5mmのステレオミニ端子が
そのままでは挿せない。
(以前乗った787で、そのまま挿せる
 ジャックだったことがあるが、
 その機会はまだまだ少ない)

そんなときのために、
こんな便利な変換プラグがある。

私が購入したのは秋葉原で
まだネットがないころの大昔の話だが、
調べてみると、
今でもAmazonなどで簡単に手に入る。

これと、使い慣れている
いつものヘッドフォンさえ持ち込めば
音周りはかなり快適になる。

数百円の投資で済むし、
荷物にもならない。

機内で映画や音楽を楽しみたいけれど
まだ持っていない、という人には
強くお薦めしたい。

 

(4) お手洗いの表示
エミレーツ航空の機内のお手洗いには
こんな表記があった。

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Flushつまり水を流すボタンの上、
英語表記すらないので意味はわからないが、
御丁寧にも6種の文字を使って
記述してある。
いったい何が書いてあるのだろう?

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意味はわからないが、
こんなことにも興味があるため、
まさに生きている(!?)アラビア文字や
ペルシャ文字が見られるだけでもうれしい。

 

(5) 砂の街
ドバイ国際空港が近くなり、
高度が下がってきた。

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初めてみるアラブ首長国連邦の景色。

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まさに黄色い砂に覆われている。

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(6) ドバイ国際空港(DXB)
広い、広いとは聞いていたが、
この空港、こんなに広かったとは。
乗換えのためにゲートを探していると
こんな案内が出ていた。
ターミナル間の移動時間の目安。

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我々は
ターミナルBからCへの移動だったので、
幸いなことに「歩いて20分」(?!)
ですんだが
ターミナルBからFへの移動なら
「バスで40-60分」!!
ほんと?

 

(7) 空港内の祈祷室
ドバイの空港内には、こんな部屋があった。

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男女別の祈祷室。

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さすがイスラムの国だ。

 

(8) ドバイ版ウォシュレット
空港の男性手洗いの個室。

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これはかなりストレート。
手元でON/OFFできるスイッチのついた
ふつうの大きさのシャワーヘッドが
そのまま便器の横についている。
もちろんきれいにはなるだろうが、
周りを濡らさずに使えるものなのだろうか?

 

(9) 総2階建てのA380
ドバイからウィーンの路線には、
エアバスのA380が使われていた。
総2階建ての大型機だ。

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席はエコノミーなので下の階だったが、
特に天井が低かった等の印象は全くない。

なお、ブルジュ・ハリファ等
ドバイの超高層ビル群が
ターミナルから見えないものかと
キョロキョロしたが、
遠い視界は黄色い砂埃に霞んでいる。

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(10) 欧州上空
黒海を越えたあたりから、
同じような方向に飛ぶ別な飛行機を
窓から見かけることが多くなってきた。

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写真が撮れるレベルでも
この程度。

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やはり、欧州上空は混んでいる、
ということなのだろうか。

 

(11) オーストリア上空
いよいよウィーンが近くなり、
高度がずいぶん下がってきた。
畑の区割りがおもしろい、 と同時に美しい。

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ウィーンのリングの真上。
まだ一度も行ったことがないのに、
何度もガイドブックを見ていたせいか、
アレが見える、コレが見える、と
妙に興奮してしまった。

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予定通り無事、
ウィーン国際空港(VIE)に到着。

さぁ、夫婦ともに初めてのオーストリアだ。

 

 

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2017年7月 9日 (日)

駅馬車の御者の一生

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駅馬車の御者の一生

- 埋葬しようとして -

 

新聞を整理していたら、
ある本にあったエピソードを思い出した。

新聞記事の前に、
エピソードの方から紹介したい。

本は、
アイザック アシモフ (著)
星 新一 (訳)
「アシモフの雑学コレクション」 
    新潮文庫

(以下水色部本からの引用)

(アシモフが書いて
 星新一が訳している。
 もうそれだけでなにかありそうな
 予感がするが、残念ながら
 今日の話はそれとは関係ない)

さて、この本、
今で言うトリビアネタ満載。
出版は今から30年以上も前なので
今読むと、
更新の確認が必要なネタも
あったりするけれど・・・

その中の一節。

カリフォルニアの
ゴールドラッシュのころ、
チャーリー・パークハーストという
駅馬車の御者がいた。

危険のひそむ道を、
乗客や金をのせて運んだ。

葉巻を吸い、かみタバコも好み、
トランプも強く、酒も飲む。
馬車を襲った強盗を二人うち殺した。

やがて引退し、
サンタクルーズで牧場を持った。

まぁ、ここまでは
ゴールドラッシュ時代の
ひとりの成功者の話と読めば
特に驚くようなことはなにもない。

ところが最後はこう結ばれている。

1879年の大みそか、チャーリーが
自宅で死んでいるのが発見された。

埋葬しようとして、
女性だったことを、
人びとははじめて知った。

 

話は最初に戻るが、
このエピソードを思い出したのは、
この記事を目にしたから。

2017年6月19日朝日新聞一面

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「性同一性障害」の方の
女子大への入学について
議論されるところまで来た、とのこと。

「性同一性障害」や
LGBT(性的マイノリティ)への
社会的な理解は、ここ20年ほどで
ずいぶん大きく進んだ。

それでも
まだまだ不十分な点は多いのだろうが、
各国のニュースを見ていると
理解に対する追い風が吹いていることは
間違いない。

数のうえでは少数派であっても、
各人のあり方が、
そのままの形で受容される社会、
そういった多様性を認める社会が、
ほんとうの意味での
豊かさと強さを持つことになる。

金子みすゞさんの詩ではないが、
「みんなちがって、みんないい」
のだし。

ただ、社会的な認知度と
実際の存在数は、独立した事象だ。

もちろん、
「認知度」が高まれば
「カミングアウトしやすくなる」
といった点はあると思うが、
認知されたからと言って、
急に対象者が増えるような性質の
事象ではない。

同様に
社会的には全く認知されていなくても
その時代、その時代で
おそらくある一定数はいたはずだ

今から140年前。
チャーリーは、
どんな思いで一生を過ごしたのだろう?

 

 

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2017年6月25日 (日)

大岡川遡行 (4)

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大岡川遡行 (4)

- 大岡川源流域 -

 

横浜市の大岡川、河口から
(1) 中区日ノ出町まで
(2) 南区弘明寺町まで
(3) 磯子区栗木まで
と進んできた遡行も
今回で4回目。いよいよゴールだ。

 

途中、大岡川に
沿うように延びていた古道
「かねさわ道」に関する案内もあった。

「かねさわ」と書くと
どうもピンと来ないが、
漢字で書くなら「金沢八景」の
「金沢」なのだろう。

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一部引用したい。

・・・東海道から別れ
横浜南部の丘や
大岡川、笹下川流域経由で
氷取沢・能見台・六浦に通じている
古道「かねさわ道」

・・・(中略)

江戸時代には峰護念寺のお灸、
杉田妙法寺一体の梅林、
富岡のほうそう(天然痘)に
霊験あらたかとされた芋神さまや、
鎌倉・江ノ島の名所を遊覧する人々で
この道が賑いました。

また黒船来航で騒然としたころは
江戸と三浦半島との間で
飛脚や沿岸防備の武士が
頻繁に往来
しました。

江戸と三浦半島を結ぶ幹線だったようだ。

 

それにしても、
今回ブログを書くにあたって、
各所で撮影した
案内板や石碑等の文章を
改めて読み返してみたのだが、
大いに気になることがひとつある。

上大岡の「青木神社」、
大岡川水門の所にあった「かわじまの碑」、
そして今回の「かねさわ道」、
この3箇所の説明書きには、
歴史的な事実はともかく、
日本語の文章として
明らかにおかしな部分がある。

「関東、奥州一帯に大水害」が
「関東、奥州一体に大水害」と
漢字が間違っているものもある。

原案作成時点でヘンな文章だったり、
漢字を間違えてしまったりは
ウッカリも含めてあるかもしれない。
しかし、最終的に碑になるまでには、
ナン人もの人がチェックしたのでは
ないのだろうか?

どうしてそれらすべてをスリ抜けて、
ヘンな日本語が石や鉄板に
刻まれてしまったのだろう。

発行はどれも「横浜市」。
難しいことが書いてあるわけでない。
簡単な記述だからこそ、
もう少し気を遣ってもらいたかったと思う。

 

根岸線を越えたあたりからは
さらに川沿いを歩けなくなる。

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県立氷取沢(ひとりざわ)高校の
付近まで来た。

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氷取沢(ひとりざわ)
難読地名のひとつとして
取り上げられることもよくあるが、
なんとも味のある地名だ。

「氷取沢神社」という神社もある。

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源流のある円海山方面に
向きを変えたあたりから
一気に景色が変わってきた。

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「ここは横浜?」
と言いたくなるような豊かな緑。

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市民農園としても
開放されているようだが、

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丁寧な農作業のあとが
あちこちに見られる。

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横浜横須賀道路の高架の先には
「氷取沢市民の森」が広がっている。
いよいよ源流が近づいてきた。

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大岡川はもうこんな感じだ。

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森の奥へ入っていく。

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途中、「マムシに注意」も。

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流れとして追うのはそろそろ限界か、
と思ったころ

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突然、こんなものが目の前に。
大岡川源流域

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極私的イベントのゴールを
明示してくれているのもうれしいが、
それにしても、「源流域」の
「域」という文字がやさしい

実際に行って目を凝らすと、
地面から水がしみだしている箇所が
ところどころにあり、
小さな流れを作っている。

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「最初の一滴はここだ!」という
「一点」があるわけではない。

「このあたりですよ」の「域」。
気分的には大満足。

しみだしている水を目に焼きつけた後は、
最後、森林の中を歩いて、
「いっしんどう広場」を目指した。

P5147522s

 

目的地にまで到達できたので、
今回の遡行全行程を
大きく地図で振り返ってみたい。
青い点線。
実際に歩いたのは15km程度だろうか。
北から南方向に歩いて来たことになる。
(地図はGoogle Mapから)

Map2s

 

終点にあたる円海山は名の通り
山になっているうえ、
三浦半島の背にあたるので、
横浜市方面と、鎌倉市方面を
同じ場所から見下ろすことができる。

Map1


西に相模湾・鎌倉(黄色矢印)方面

P5147527s

東に東京湾・横浜(青色矢印)方面

P5147531s

遠く横浜ランドマークタワーを見ると
「あそこから歩いて来たンだなぁ」と
感慨もひとしお。

夜は一緒に歩いた仲間と
居酒屋で乾杯。
まる一日体を動かしたあとの
ビールがうまかったことは、
言うまでもない。

 

 

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2017年6月18日 (日)

大岡川遡行 (3)

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大岡川遡行 (3)

- 大岡川分水路の驚き -

 

ここから始めて
ここまで来た
横浜市の大岡川遡行の3回目。

南太田駅の手前で別れた
京急本線と上大岡駅手前で再会。
今回は交差している。

P5147369s

ちょうどいい時間となっていたので
上大岡駅前で昼食をとることにした。

歩き通しだったので、
「食事+休憩」ですっかりリフレッシュ。
体力の方は回復して元気になったのだが、
このころからカメラの調子が
怪しくなる。

写真は撮れるが露出がヘン。
強制的に露出補正しながら
騙し騙し使っていく。

 

【青木神社】

P5147375s

社殿前には、掲示があり

かつて
"九十九曲り"の異名をとったように
激しく蛇行する大岡川は、
しばしば洪水氾濫を繰り返した

とある。

内容を読むと、

* 宝永4年(1707年)
  富士山噴火による降灰は、
  大岡川流域でも60cmにも達し、
  それが雨で押し流され
  川筋を埋めて
  甚大な被害をもたらした、

* 享保16年(1731年)
  蛇行の修正や河道の拡幅、

* 天明6年(1786年)
  大洪水により大岡川の流れが変り
  社地が川の両側に分断、

* 昭和30年以降もしばしば洪水に、

などなど、
洪水関連の記録が並んでいる。

小さいながらも、
ずいぶん暴れん坊の川だったようだ。

 

【大岡川と日野川の合流点】

P5147387s

左側から大岡川、右側から日野川
手前に向かって流れ合流している。

これまで通り大岡川の方を追うが、
この先、だんだん川幅も狭くなり、
同時に川沿いが歩きにくくなってくる。

P5147394s

川沿いの道がない部分は、
できるだけ川から離れないルートで。

突然ですが、ここで【問題】です。
下の写真、左手の長い長い高い塀
さてナンでしょう?

P5147396s

正解は「横浜刑務所」。

 

橋から見下ろすと
鯉をよく目にするようになる。
住宅街の中を行く。

P5147401s

河口から歩きだして初めて、
水門が見えてきた。
【大岡川水門】だ。

P5147402s

水門の向こうには取水庭が見える。

P5147405s

「大きいのは大きいけれど
 この程度の大きさで、
 洪水が迫っているとき、
 どの程度役に立つものかねぇ」

などと言いながら、
取水庭側に回ってみて驚いた。

 

「おぉ、これは!」

P5147406s


なんと直径10mにもなる
大きな穴が見える。

近くにあった
「大岡川分水路建設之碑」を見ると

P5147412

そこで、
神奈川県と横浜市は、
このような災害を防止するため、
日野川と大岡川の洪水を
直接根岸湾に放流する
大岡川分水路計画
を樹立し、
昭和44年に着工いたしました。

以来、
家屋の移転、用地の提供など
多くの市民の方々の
絶大なるご協力のもとに、
12年の歳月と
166億円余の事業費
を投じ
昭和56年3月
ここに完成したものであります。

大きな穴はトンネルとして、
そのまま根岸湾、つまり
海にまで通じているという。

これはすごい。

P5147414s

日野川の水も
大岡川の水も
大トンネルを通って、
海に注ぎ込む仕組みがあるなんて。

「大岡川分水路建設之碑」は
立派なものだったが、近くにある
地図の方は劣化がひどく
ちょっと悲しい。

P5147415s

横に走る赤いラインが分水路。

トンネルなので
詳しいルートはよくわからないが、
地図上の直線距離で見てみると、
日野川から大岡川まで約1.4km
大岡川から海まで約2.1km
合計約3.5kmの分水路ルート
(上の地図の赤いラインの総延長)のうち
約2.7km程度は
トンネルになっているようだ。

取水庭を振り返りながら先に進む。
奥に水門。大きなトンネルは
この写真の右手になる。

P5147410s

左手には、このあたりの土地が
室町時代から代々続く
北見家の居住地「川嶋」(かわじま)
であったこと、などが書かれている
石碑(かわじまの碑)もある。

 

屏風浦バイパスをくぐったあたりから
川に寄ったり離れたりの道になる。
基本的には
「笹下釜利谷道路」に沿う方向。

橋も時代を感じさせる短いものが多い。

P5147426s

橋には、
「事故や安全を考慮して、
 あとから追加でつけました」
といった感じの
まさにとってつけたような
補強された柵や手すりが
目立っている。

P5147429s_3

 

河口から10.2kmの表示があった。
もう10km以上は
歩いてきたということになる。

P5147434s

川幅がいよいよ狭くなってきた。

P5147435s

次回は、いよいよ最終回。
源流はいったいどんなところに?


 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年6月11日 (日)

大岡川遡行 (2)

(全体の目次はこちら


大岡川遡行 (2)

- 建物に面影だけを残して -

 

ここから始めた
横浜市の大岡川遡行。

今日は2回目、続きを書きたい。

日ノ出町あたりまで来ると、
湧き水が。

P5147263s

簡単な説明書きもある。
要点のみ書くと・・・

野毛山の裾野に位置する日ノ出町周辺は、
自然の湧き水に恵まれた地域で、
明治の初めごろから、
横浜港に寄港する船舶に
飲用水を提供していた
と言われています。

近年は飲むことはできない。

船舶への飲料水の提供か。
燃料、食料、飲料水、などなど
港で補給されるものは
どれほど多岐にわたっていたことだろう。

ちょっと気をつけて見てみると、
川に沿って走る
京浜急行線の高架の向こうには、
山が迫っているのがよくわかる。

P5147293s

川のほうは、ほんとうに静かで、
流れを感じさせない。

P5147269s_2

 

黄金町まで来て、
ふと交番を見上げると、
なぜか屋根の上に猛禽類が。

イセタカ君」という
マスコットキャラクターらしい。
モデルは「ハイタカ」という鷹の一種とか。

P5147274s

付近は、
現在は風俗店ではなくなっているものの、
その間取りから
かつての「ちょんの間」の面影を
強く残している。

P5147275s

ネットで検索すると、
「最盛期には250軒もあった」
という記述もある。

それこそカメラを持って、
というわけにはいかないだろうが、
その頃の夜、
このあたりはいったい
どんな雰囲気だったのだろう。

P5147278s

「バイバイ作戦」と呼ばれる
かなり過激な
風俗店一掃作戦が開始されたのは
2005年のこと。

JR福知山線の脱線事故があり、
つくばエクスプレス線が開通し、
愛知県で「愛・地球博」が開催され、
「ごくせん」「電車男」「女王の教室」
といったテレビドラマが
ヒットしていたのが2005年だ。
そのころまで、このあたりは
一大風俗街だったということになる。
ついこの間の話だ。

今は、桜の名所
「大岡川プロムナード」の一部として
整備され、
誰でもが歩きやすくなっている。

P5147281s

交番の「イセタカ君」も
地域の治安に目を光らせている、
ということか。

「大岡川プロムナード」の整備の一部か
このあたりから橋名の案内表示も
よく目にするようになる。
ここは「太田橋」。

P5147279s

相変わらず水面は静かだ。

P5147284s

道慶(どうけい)橋まで来ると、
りっぱな道慶地蔵尊が。

P5147287s

川向うに見える材木店には、
こんな看板がでていた。

さて、これらの漢字、
いくつ読めるだろうか? 
全問正解は・・・難しい。

P5147290s_2

楢(なら)、椛(もみじ)
栓(せん)、椈(ひのき)
朴(ほお)、楠(くすのき)
杉(すぎ)

一番左は、木偏に仏?
木偏に佛で「しきみ(樒)」という
植物名が出てくるので
おそらくそれを指しているのだろう。

 

京急・南太田駅の手前、
並行して走っていた
赤が印象的な京急本線とも
このあたりで一旦離れてしまう。

P5147295s

後方のランドマークタワーとも
お別れだ。

P5147300s

振り返って見ると、湧き水を提供する
野毛山方面の土地(写真左手)が
高くなっていることがよくわかる。

 

京急本線から離れると、川は
首都高速神奈川3号狩場線の下に
もぐりこむような、と言うか、
首都高が覆いかぶさるように迫ってくる。

P5147307s_2

蒔田公園の横、首都高の下が
支流中村川との分岐点になる。

P5147312s

上に大きく覆いかぶさっている
ゴッツイ構造物が、
首都高速神奈川3号狩場線。

写真左手が本流で、
右手が支流中村川
写真奥に向かって流れている。

中村川は、この先、横浜の大繁華街
元町と中華街の間を流れる堀川となって
横浜港に注ぐ。

 

高速出口は川に沿った
緩やかな曲線になっていた。

P5147313s

 

通称Y校、横浜商業高校脇には、
なぞの構造が。

明らかに川へのアクセスを
意識したものだが、
これはいったいナンなのだろう。

ボートの出し入れでもするのだろうか?

P5147318s

P5147319s

 

川沿いの桜はかなり大きく茂っている。
桜の季節は
それはそれはみごとなことだろう。

P5147327s

環状1号線の鶴巻橋あたりまで来ると、
川に鯉をみかけるようになる。

P5147332s

となりの大井橋、
親柱横のお地蔵様に
地域の方々の心遣いを感じながら、

P5147333s

さらに遡って行くと、
だんだん川の様子が変わってきた。

P5147336s

弘明寺駅付近では、
「水辺の遊歩道」ということで、
川まで下りて歩くことができる。

P5147349s

川辺を歩くので
弘明寺商店街のアーケード、
観音橋も同時にくぐる。

P5147354s

遊歩道も整備されており、
釣りを楽しんでいる人もいる。
聞くと釣れるのは
「ハゼ」や「ボラ」とか。

汽水域というべきなのか、
まだこのあたりでも海の魚が
釣れるらしい。

P5147359s

「出世魚でね、
 成長に合わせて名前がね・・・」と
ごっつい指を折りながら
丁寧に名前の変化を教えてくれたのだが、
今、書こうとしても
ひとつも思い出せない。

そのうえ、
まだまだ詳しい話をしたそうだったのに、
「友人が先に行ってしまったので」と
半ば強引に、親切な説明を
途中で振り払ってしまった。

知識豊富で柔和な太公望には
ずいぶん失礼してしまった。

 

京急・上大岡駅の手前、
離れていた京急本線との
再会も近い。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年6月 4日 (日)

大岡川遡行 (1)

(全体の目次はこちら


大岡川遡行 (1)

- 新田は江戸時代前期から -

 

2年前、
ここで、妙正寺川歩きをしたメンバで、
今回は、横浜市の
「大岡川」を歩こうということになった。

河口(かこう)から歩きはじめて
源流、できることなら
最初の一滴に辿り着くまで。

まさに大岡川遡行。

全行程でも、15km程度のルートなので、
カメラ片手に、
のんびり一日かけて歩くのには
ぴったりのうれしいコースだ。
いいコースを選んでくれた友人に感謝。

今回も写真の整理を兼ねて
再度行程を思い返してみたい。

 

5月の日曜日の朝、
「河口から」と言うなら
やっぱり海からでしょ」ということで
「みなとみらい」の海にメンバが集まった。

P5147198s

雲は多いが、
長距離歩くことを考えると、
これくらい曇ってくれているほうが
かえって助かる。
強い日差しは、日焼け対策だけでも
面倒なことが多いので。

休日の、朝の風が気持ちいい。

P5147199s_2

時間も早いので、まだ観光客は少ないが、
ジョギングしているランナーには
数多くすれ違った。
海沿いのいいコースだ。

ちょっと歩き始めたところで、
こんなものが目に留まった。

P5147209s

「ドック用排水ポンプ・カバー」

横浜船渠(せんきょ)株式会社
第一号、第二号
ドック用排水ポンプ・カバー

1896年アレン社製(イギリス)。
修理を重ねながら
約85年間にわたってドックの
排水機能を担ってきた

2000年に国の重要文化財に指定。

との説明書きが添えてある。

船渠(せんきょ)とは
 船舶を建造または修繕するために
 入れる構造物、ドック。
のこと。

「渠」という字は、「暗渠(あんきょ)」
での利用くらいしか思い浮かばないが、
改めて調べてみると、
「人工の水路。掘り割り。みぞ」を
意味する漢字らしい。そのままだ。

それにしても修理を重ねながらとはいえ
85年も使われていたとは。

ポンプに限らず、
昔のものはほんとうに長生きだ。

以前、80年以上も使われている
電車車両の話も聞いたことがある。
あれほど消耗の激しそうなものでも、だ。
最近見る、あのいかにも軽そうな
アルミの車両はいったい何年くらい
使えるのだろう。

 

ポンプカバーの近くには、
大きなスクリューのようなものが
横たわっていた。

これはいったい何だろう?

P5147212s

螺旋杭(らせんぐい:スクリューパイル)
というらしい。

近くの説明書きから要点のみを
ピックアップすると・・・。

現在の大桟橋の前身である鉄桟橋は
横浜港の第一期築港工事で
1894年に完成

鉄桟橋は海底にねじり込まれた
505本の鋳鉄製の杭で支えられていた。

イギリス製で直径は約30cm、
長さは約16-20m
耐荷力を増すために
先端にスクリュー(螺旋沓(くつ))
がつけられていた


1899年から始まった第二期工事では、
鋼製194本(直径17cm,長さ20m)が、
関東大震災後、復旧工事のなかでは
鋼製579本(直径18cm,長さ20m)が
新たに使われている。

説明書きにあった図の一部も
添えよう。下図の黄色い部分、
桟橋の杭として
使われていたもので、
先端が螺旋(らせん)状になっている。

P5147211bsss

鉄桟橋は
1923年、関東大震災で大きな被害。
螺旋杭は
1994年に海中から掘り出された

23年も前に
海中から掘り出されたものらしい。

 

ここ30年ほどで
大きく変わった「みなとみらい地区」。

旧施設の再利用も
新施設の内容も
人の動線を考慮した全体の配置も
どれもよく考えられており、
特徴ある景観を作り出している。

P5147222s

 

北仲橋に到着。
ここが事実上大岡川の河口。

P5147220s

親柱部には「大岡川」と
大きく刻まれている。

P5147224s

すぐ横には、
「二級河川大岡川」の
詳しい周辺地図もある。

P5147227s

いよいよ川に沿っての遡行開始だ。

ふと見ると川沿いではなく
川のど真ん中を立ったままの姿勢で
気持ちよさそうに遡っていく
小集団があった。

P5147230s

スタンドアップパドル(SUP)と呼ばれる
立ち漕ぎボート。

P5147232s

静かな川面を行くのにはいいが、
波のような起伏には、いったいどの程度
耐えられるものなのだろう?

 

振り返って見るとみなとみらい地区の
全景が見える。
このあたりからこの景色ともお別れだ。

P5147231s

前方には、国道16号の大江橋と、
JR根岸線の鉄橋が重なって見える。

P5147235s

JRの鉄橋をくぐると、上流に向かって
右手に野毛、左手に吉田町
夜は賑やかな
繁華街の中を抜けて流れている。

P5147240s

それにしても野毛側の川沿い、
小さなスナックの密集度がすごい。

P5147241s_2

夜、カメラを持ってもう一度来たい感じ。
お店のサインに灯がともると
それなりに雰囲気はありそうだけれど。

P5147246s

 

もう少し進むと
左手は、福富町、長者町
呼ばれるあたりになるが、
こちらのほうは、
風俗店の密集度が高い。

P5147247s

歩いていて驚いたのは、日曜日の朝、
まだ9時頃なのに営業しているお店が
結構あること。
開店のサインもキラキラと光っているし、
店の前を掃除したり、
水を撒いたりしている人もいる。

日曜日の朝、
いったいどんな客を狙っての開店なのだろう?

 

長者橋まで来た。

P5147250s

長者橋のすぐ横には
こんな宝くじ売り場が。

P5147253s

「長者橋」
確かにここに作らないテはない。

ただ、地名はバッチリだとしても、
この外観では、どうも
あまり当たるような気がしない。

 

近くには、
吉田新田関連案内図」があった。

P5147249s

現在の関内駅から南側にあった入海を、
江戸の材木商人吉田勘兵衛
(よしだかんべえ)<1611-1686>
中心となって埋め立て、
吉田新田と呼ばれるようになりました。

年代を見れば分かる通り、
江戸時代といっても、
明治が迫った幕末ではなく、前期だ。

勘兵衛の功績を称えて新田名を
吉田新田と改称し、
吉田に苗字帯刀を許したのは
徳川家綱だったという。
第4代将軍だ。

私の浅い歴史感では、横浜と聞くと、
すぐに「幕末・開国後」を
イメージしてしまうのだが、
言うまでもなくその前にも
長い長い歴史があるわけだ。

 

河口では水色の根岸線と交わったが、
このあたりでは、
赤色の京浜急行線と並行して流れている。

P5147254s

途中、「川の駅」があった。
「道の駅」ならよく知っているが、
「川の駅」は初めてだ。
「川の駅 大岡川桜桟橋」

P5147257s

河口で追い抜かれた立ち漕ぎボード
スタンドアップパドル(SUP)の方々は
どうもこの駅まで来たようだ。

P5147260s

 

まだ河口から2km程度しか来ていない。
次回からはもう少しスピードアップして
書いていくこととしよう。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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