社会

2019年10月13日 (日)

ポケベルのサービス終了

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ポケベルのサービス終了

- 携帯電話の普及と比較して -

 

前回
1995年のラグビーワールドカップ
南アフリカ大会での
日本対ニュージーランドの試合について
古い新聞記事を参照したが、
その日の新聞を見てみると、
ポケットベル(ポケベル)の
大きな広告が目につく。

たとえば、NZ戦を報じた
1995年6月5日の朝日新聞にある広告。

A9506051s

 

ちょっと大きくしてみると
機能をかなり無理やり拡張して
差別化を図っていることがよくわかる。

A9506052s

数字だけではなく、文字だったり
イラストメッセージだったり、
カタカナ定型伝言分だったり、
バイオリズムが見られる、
なんていうのまである。

 

実は、この1995年
(正確には1995年度)は
ポケベルの契約件数が
ピークを迎えた年だった。
ちょっと確認してみよう。

無線呼出し(ポケットベル)の
 加入契約数の推移


のタイトルで、総務省のここから
データを簡単にダウンロードできる。

ただ数値だけではわかりにくいので
グラフにしてみた。
1995年度の棒には目印のため
黄色い線を入れている。

   ポケベルの加入契約数の推移

Pbell1

ご覧の通り統計値のある1988年から
グングン契約台数は伸びており、
1995年度末の契約台数1061万台で
ピークを迎えている。

興味深いのはそのあと。

急速に契約数は減っていき、
2006年度末には
なんと16万台にまで減ってしまう。
1995年度末のわずか1.5%、
たった11年で98.5%減ということになる。

理由はもちろん携帯電話の普及だろう。

同じ総務省のページ

携帯・PHSの加入契約数の推移

のデータも公開されている。

 

年度末 ポケベル 携帯・PHS
1994年 935万台 433万台
1995年  1,061万台  1,171万台
1996年 1,007万台 2,691万台

 

1995年は、ものすごい勢いで
「携帯・PHS」の契約台数が
「ポケベル」の契約台数を抜き去る
時期でもあったわけだ。

1988年から2000年までで
ポケベル=青、携帯・PHS=茶
両方の動きを
一枚のグラフにしてみよう。

   「ポケベル」と「携帯・PHS」の加入契約数の推移

Pbell2

 

携帯の契約数の伸びが
いかに早いかがよくわかる。

期間を2018年まで拡張するとこんな感じ。

「ポケベル」と「携帯・PHS」の加入契約数の推移 2018年度末まで

Pbell3

契約数が1億8千万台にまで伸びた
携帯と並べると、
最高でも1000万台程度のポケベルは、
グラフの左下に小さく、
の存在になってしまう。

それにしても、契約数が1億8千万台とは。
利用年齢層を考慮すると
ざっくり平均してすでにひとり2台!

実際には「1台しか持っていない」
という人がかなりいることを考えると、
(会社携帯等も含むとはいえ)
3台以上持っているひとも、
珍しくないということになる。

 

今回、ポケベルの広告に目がいったのは、
日本がアイルランドに勝った翌々日
2019年9月30日、
「ポケベルのサービス停止」のニュースが
流れたからだ。

「ポケットベル」の愛称で親しまれ、
1990年代にブームとなった
無線呼び出しサービスを、
全国で唯一展開していた
東京テレメッセージ(東京)が
9月30日にサービスを終了する

半世紀にわたり続いたが、
携帯電話に取って代わられ、
通信手段としての役目を終えた

東京テレメッセージは
9月30日深夜から10月1日にかけて
ポケベル用の電波を順次止める。

 

折り返しのための電話番号を伝える
「数字表示エリア」を
無理やりとも言える語呂合わせや創意工夫で
「メッセージエリア」として使い、
コミュニケーションツールとして
ブームを作り出していたのは
主に当時の女子高生たちだった。

4649  よろしく
889  はやく
8181  バイバイ
3470  さよなら

くらいならなんとか意味が伝わりそうだが、

0906  おくれる
14106  あいしてる
5731  ごめんなさい
1871  会えない

にいたっては、おじさんはほぼギブアップ。
当時、無理やりの数字メッセージを
牽引していた女子高生の柔軟な発想には
感心するばかりだ。
でももう、それらも完全に役目を終えた。

 

1995年:
ポケベル全盛、1000万台超の契約。
NZに惨敗。

24年後、

2019年:
ポケベルのサービス終了。
強豪アイルランドに勝利。
台風19号による甚大な被害が
次々と明らかになっていく10月13日、
スコットランドにも勝って
ラグビーW杯で初のベスト8進出。

並べることにナンの意味もないけれど、
ごちゃごちゃとすべてを乗せて
時代は流れている。

 

 

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2019年9月15日 (日)

伊勢神宮 外宮と内宮

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伊勢神宮 外宮と内宮

- なにごとのおはしますかは知らねども -

 

以前
2019年5月にお参りした
出雲大社のことをブログに書いたが、
それからわずか2ヶ月半後の7月、
縁あって伊勢神宮のほうにも
お参りに行ってきた。

同じ年に、出雲大社と伊勢神宮。

今年は最強の年(!?)になるかもしれない。

 

2013年、
60年に一度の大遷宮を迎えた出雲大社。
同じ2013年に
20年に一度の式年遷宮を迎えた伊勢神宮。

伊勢神宮の20年毎の式年遷宮は
62回、1300年も続いているという。

宮地(みやどころ)を改め、
社殿や神宝をはじめ全てを新しくして、
大御神に新宮(にいみや)へ
お遷(うつ)りいただく
式年遷宮を6年前に終えた外宮と内宮、
その両方に参拝してきた。

なお、通称「伊勢神宮」と呼ばれる
「神宮」は、正確に言うと
外宮、内宮を中心とした
14所の別宮(べつぐう)
43所の摂社(せっしゃ)
24所の末社(まっしゃ)
42所の所管社(しょかんしゃ)
これら125の宮社の総称らしい。

今回お参りしたのは外宮と内宮。
様子を少しお伝えしたい。

まずは外宮から。

【外宮(げくう)】

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豊受大神宮(とようけだいじんぐう)

天照大神(あまてらすおおみかみ)の
食事を司る神
豊受大神(とようけのおおかみ)を
祀っている。

内宮創建から500年後に
山田原(やまだのはら)に迎えられた。
衣食住をはじめ
あらゆる産業の守り神

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これからお参りに行く人も、
お参りして出てくる人も、
多くの人が各鳥居で立ち止まり
丁寧に頭を下げて通過していく。

そういう些細な所作が、
境内の、つまり神宮の内と外とを
分ける空気を作り出している。

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外宮に入ると、と言うか
外宮の森に包まれると、
ちょっと不思議な
あえて言葉で言うと「気」みたいなものを
明らかに感じる。

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それは神宮のパワーというよりも
神宮によって守られた
森が持つパワーと言う方が
個人的にはぴったりする。

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とにかく森が豊かだ。

神宮の社殿は、それぞれ東と西に
同じ広さの御敷地(みしきち)を持ち
式年遷宮に備えている。

正宮(しょうぐう)は写真が撮れないので、
式年遷宮後の
となりの古殿地(こでんち)のみ。

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パワースポットとして
知られている「三ツ石」

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正式には
「川原祓所」(かわらはらいしょ)
と呼ばれる場所。

しめ縄が張られていて
直接触れることはできないが、
しめ縄の外から、
ストーブにあたるがごとく
みな手をかざしている。

「温かくなる気がする」
とか
「パワーを感じる」
とか
皆いろいろ言い合っていたが、
私自身は、最初に書いた通り
外宮全体の森の気みたいなものを
すでに強く感じていたので、
小さな石のパワーには
あまり興味が持てなかった。

 

正宮だけでなく、各社殿それぞれに、
式年遷宮のための御敷地(みしきち)が
隣に並んで確保されているのは
興味深い。

風宮(かぜのみや)と御敷地

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土宮(つちのみや)と御敷地

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多賀宮(たがのみや)と御敷地

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多賀宮(たがのみや)へ上る階段も
緑豊かだ。

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森の気(!?)に引き込まれるように
少しゆっくり奥へと歩いたが、
観光のメインコースから外れると、
人もまばらになり、
さらに深く森を楽しむことができる。

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奥の小さなお社にも、遷宮用の御敷地は
ちゃんと確保されている。
空いている側は、東西というか左右で
揃っているわけでなく、
お社によりバラバラだ。

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外宮の参拝を終え、内宮に向かった。
路線バスで20分強の移動。

 

【内宮(ないくう)】
皇大神宮(こうたいじんぐう)
皇室のご祖神
天照大神(あまてらすおおみかみ)を
おまつりしている。

五十鈴川(いすずがわ)に架かる
宇治橋(うじばし:長さ102m)を渡り
内宮に向かう。
両端の鳥居は、両正宮の旧正殿
棟持柱(むなもちばしら)を
リサイクルしているという。

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神苑(しんえん)を歩く。

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手水舎(てみずしゃ)にて
参拝前に心身を清め、
正宮(しょうぐう)に向かう。

こちらも写真が撮れるのはこの位置まで。

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平安末期の歌人・西行は
伊勢神宮にお参りして、

 なにごとのおはしますかは知らねども
 かたじけなさに涙こぼるる


と詠んだという。

何度も書いた通り、外宮も内宮も
とにかくお社を包む森がすばらしい。

華美な部分はないが、
繰り返される日々の営みに支えられた
圧倒的とも言える時の流れ、歴史、
それらを静かに包み込んでいる
深い深い森の生命力、
そういうものを
「なにごと」かはわからなくても
まさに全身で感じることできるのが、
お伊勢参りの魅力なのかもしれない。

 

 

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2019年5月26日 (日)

世界遺産「石見銀山」大森地区

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世界遺産「石見銀山」大森地区

- 「おだやかな暮らしを守る」という合意 -

 

改元に合わせた連休を利用して、
夫婦で国内旅行を楽しんできた。

選んだのは島根と鳥取。
ふたりとも行ったことがない
初訪問の地だ。

旅行記として、
訪問地をいくつか紹介したい。

最初は、
世界遺産「石見(いわみ)銀山」。

江戸時代の町並みの雰囲気を残す
大森地区と呼ばれるエリアと、
坑道跡を残す銀山エリアとが
主な見学地となっているが、
環境保全のため
どちらも一般車の乗り入れが
制限されている。

なので、車で向かった観光客は
両エリアから少し離れた
「世界遺産センター」の駐車場に
車を停めて、そこからバスで
目的地に向かうことになる。

我々夫婦が「世界遺産センター」に
到着したのは11時半ごろ。
ところが、連休中のせいか
大きな駐車場はすでに「満車」。
入り口に車の列ができていた。

山の中で、他に駐車場の選択肢が
あるわけではないため
しかたなく並んで待つことにした。

道路左側に寄って並んでいると
その横を、
観光地との間を往復しているバスが
通り抜けていく。

当然ながら
バスは帰る客も運んでくるので、
バスが通過するたびに
待機している車の列が動く。

思ったよりも回転がはやく、
長く待たずに駐車することができた。

まずは「世界遺産センター」で
地区全体の説明を聞き、地図をもらって
バスで大森地区に向かった。

【大森地区】
江戸時代の武家屋敷や代官所跡、
銀山で栄えた豪商の住宅などが並ぶ通りを
ゆっくりと散策。

【石見銀山資料館(大森代官所跡)】

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この通りの雰囲気だけでも十分楽しめる。

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【西性寺】

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町並みも緑も美しい。

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観世音寺はちょっと高くなっているので、
登ると町を見下ろすことができる。

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石州瓦と呼ばれる赤瓦が印象的だ。

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【町並み交流センター(旧大森区裁判所)】

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「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」
という美味しいパン屋さんがある、
と聞いていたので、
そこのパンを楽しみにしていたのだが、
お店の前まで行ってみると運悪くお休み。

「残念だったね」と
夫婦で言い合っていたころ
かなり怪しかった雲から
ポツポツと雨が舞い始めた。

「ヒダカさんのパンも食べられないし、
 雨宿りを兼ねてお昼でも食べようか」と
近くのイタリアン「ぎんざん」に入った。

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メニューを見ると
ランチセットにはなんと
「ヒダカさんのバゲット」
が含まれているではないか。
まさに地元のお店の連携だ。

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単なる偶然とはいえ、こちらの気持ちを
汲みとってもらえたようで、
妙に嬉しい。

チャンスは意外なところに
ころがっているものだ。
一切れだけではあったものの、
希望を叶えることができた。

ランチのパスタも、
ヒダカさんのバゲットも、
どちらも美味しく◎。

お店に入る前の気分は「江戸」だったのに
舌はイタリアンやバゲットを
楽しんでいるという
組合せのギャップもまた楽しい。

 

昼食をすませて外に出ても
残念ながら雨は上がっていなかった。
でも、ウィンドブレーカのフードで
しのげる程度なので散策続行。

【菓子屋:有馬光栄堂】

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雰囲気のある町並みが続く。

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取ってつけたような
ケバケバしい看板の土産物屋も
一軒もない。

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小雨が舞う天気だったとはいえ
「世界遺産センター」の駐車場が満車でも
通りの人出はこの程度。

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雰囲気をのんびり楽しむことを
邪魔しない「静かさ」がいい。

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飲み物の自動販売機にも
街の景観を意識した工夫が。

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懐かしいポストも現役だ。

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なんとも味のある看板に引き寄せられた。

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築170年の古民家を最大限に活かし、
およそ300坪の敷地を舞台に、
衣・食・住にまつわるライフスタイルを
おしゃれに提案している
「群言堂 石見銀山本店」だ。

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中庭を眺めるカフェのほか、

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魅力ある雑貨、衣類を並べた店舗は

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かなりゆっくり回っても飽きることはない。

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古いチーク材を大胆に使った
写真立てが妙に気に入ったので、
思わず購入。

 

二階は読書スペースとして開放されている。

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読書向けの空間ながら、
椅子にすわったり、寝転んだり、
自由なスタイルで本を読める
なんともゆるい空間だ。

P5013110s

 

この群言堂を展開しているのが、
「石見銀山生活文化研究所」という会社。

人口わずか400人の島根県大田市大森町に
根を張りながら、
アパレルの企画・製造・販売、
飲食店経営、古民家再生などを手掛け、
全国に30店舗を展開、
という規模にまでなっているという。

人口400人の町に日本の未来をみた。
「群言堂」で知られる
「石見銀山生活文化研究所」
との新連載がキックオフ!


という記事がグリーンズにあった。

この記事の中で、
石見銀山生活文化研究所の
広報担当・三浦類さんが、
たいへん興味深いことを言っている。
(以下水色部は上記記事からの引用)

ピークのときは、
年間80万人以上が訪れたんです。
何十台も観光バスが来て。

世界遺産登録直後、
自治会協議会が中心になって
住民憲章をつくりました。

その一文には
「私たちはこのまちでおだやかさと
 賑わいを両立していきます」
とありますが、

世界遺産になったからといって
これまでの暮らしを変えるのではなく、
おだやかな暮らしがある
ということこそをこの町の魅力として
お客様に発信していこうと
宣言
しています。

いま観光客数は半分以下になって
40万人を切っていますが、
暮らしている身としては
落ち着いていて、
休みの日も適度な賑わいで
暮らしやすい、いいまちです。

極端に観光地化されなかったのは、
このまちにとってよかった

思っています。

派手派手しい看板や
土産物屋さんもつくらず
有料駐車場もない


田畑や古民家をつぶして
駐車場にするのは簡単ですが、
誰もそうはしないというモラルが
共有されています


景観を守り、
暮らしが息づいているまち、
観光地としては珍しい形で
存続していると思います。

住民の合意で、派手派手しい看板や
土産物屋がつくられていないのならば
すばらしいではないか。

その合意には「まちのサイズ」も
意味があるようだ。

「400人というまちのサイズは
 どうですか?」

の質問に対して、三浦さんは、

人の顔が覚えられる、
お互いの顔が見える安心感が
ありますね。

意識の共有や合意形成が
しやすいとも言えます


(中略)

世界遺産登録されたタイミングのときに、
もし人口が1000人なら
合意形成できずに観光地化してしまう
可能性はあったのかもしれませんね

小さな町ゆえ、
景観と暮らしが守られている。

ほんとうに
キーホルダや饅頭を売っているような
土産物屋には一軒も出会わなかった。

世界遺産に認定された町ではあるけれど
ひとりでも多くの観光客が来ればいい、
土産物がたくさん売れればいい、
そんなことを目指してはいない
別の価値観が流れている、
静かな観光地だ。

 

 

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2019年5月12日 (日)

算術から崩れた身分制度

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算術から崩れた身分制度

- 数学的能力がもつ力 -

 

幕末から明治にかけての
金沢藩猪山家の家計簿を読み解く、
この本

磯田道史(著)
武士の家計簿 ―
「加賀藩御算用者」の幕末維新
新潮新書

(以後、水色部は本からの引用)

は、映画の原作にもなった
おもしろい本だが、
家計の詳細に入る前に
「算術」と「身分制度」の関係について
たいへん興味深い話を
提供してくれている。

今日は、その部分を紹介したい。

 

 猪山家に転機が訪れたのは、
五代目の猪山市進のときである。

享保16(1731)年に、はじめて
前田家の直参に加わったのである。

「御算用者」
としての採用
であった。
栄転といってよい。
御算用者になるには
「筆算」の才が要る。

つまり、筆とソロバン
優れていなければならない。

猪山家は菊池家の家政を担うなかで、
ソロバンをはじき帳簿をつける
「およそ武士らしからぬ技術」
を磨いており、
これが栄転につながったのである。

猪山家は「算術」ができたために
「栄転」できた。

ところが江戸時代、
武士社会で「算術」は
次のように考えられていたらしい。

武士とくに上級武士は、
算術を賤しいものと
考える傾向があり

算術に熱心ではなかった。

熱心でないどころか
「学ばないほうがよい」
とさえ考えていた。

上級武士の子弟には
藩校で算術を学ばせないように
していた藩がかなりある。

鳥取藩などは、その例であり、
下級武士にだけ算術が教えられた

ソロバン勘定などは
「徳」を失わせる小人の技
であると
考えられていたからである。

「徳」を失わせる小人の技、か。
それでは熱も入らなかったであろう。

また、必要な技能ながら、
当時の世襲制度になじまない面もあった。

加賀藩は数学の盛んな藩であったが、
それでも算術の人材は不足していた。

近世武士の世界は世襲の世界である。

算術は世襲に向かない
個人の出来・不出来が如実に
あらわれるからである。

親は算術が得意でも、
その子が得意とは限らない。

したがって、藩の行政機関は、
どこもかしこも厳しい身分制と
世襲制であったが、
ソロバンがかかわる職種だけは
例外になっており、
御算用者は比較的身分にとらわれない
人材登用がなされていた

なるほど。

親が得意でも子が得意とは限らない。
身分にとらわれない登用を
せざるを得なくなっていくわけだ。

このことは、もちろん
藩だけではなく幕府においても
同じ状況だったようだ。

幕府の勘定方も同様であったことは、
笠谷和比古氏
(国際日本文化研究センター教授) 
の指摘するところである。

御算用者も世襲ではあったが、
家中の内外から
たえず人材をリクルートしていたし、
算術に優れた者が
「養子」のかたちで入ってきていた。

そうしなければ
役所が機能しない
からである。

ちょうどソロバン関係職が
「身分制の風穴」になっており、
猪山家はうまく
その風穴に入りこんだといえる。

ソロバン関係職が「身分制の風穴」に
なっていたとは。

 

この流れ、日本だけでなく、
18世紀における
世界的な流れでもあったようだ。

実は
「算術から身分制度がくずれる」
という現象は、
18世紀における
世界史的な流れであった。

それまで、ヨーロッパでも日本でも、
国家や軍隊をつくる原理は
「身分による世襲」であった。

ところが、
近世社会が成熟するにつれて、
この身分制はくずれはじめ、
国家や軍隊に新しいシステムが
導入されてくる。

近代官僚制というものである。

官吏や軍人は
「生まれによる世襲」ではなく
「個人能力による試験選抜」によって
任用
されるようになる。

とは言え、いきなり
すべてを変えられるわけではない。

 最初に、この変化がおきたのは、
ヨーロッパ・日本ともに
「算術」がかかわる職種であった


18世紀には、数学が、
国家と軍隊を
管理統御するための技術として、
かつてなく重要な意味をもつように
なっており、まずそこから
「貴族の世襲」がくずれた
軍隊でいえば、
「大砲と地図」がかかわる部署である。

フランスでもドイツでも、
軍の将校といえば
貴族出身と相場がきまっていたが、
砲兵将校や工兵、
地図作成の幕僚に関しては、
そうではなかったという。

弾道計算や測量で
数学的能力が必要なこれらの部署は
身分にかかわらず、
平民出身者も登用
されたのである。

このあたりは『文明の衝突』で有名な
S・ハンチントンの著作
『軍人と国家』や

中村好寿
『二十一世紀への軍隊と社会』
に詳しい。

「大砲と地図」がかかわる部署には
平民出身者も登用
か。

確かに、武力における数学的能力の価値が
近代になって
飛躍的に高くなっていたことは間違いない。

 

 日本でも、同じことがいえる。
十八世紀後半以降、幕府や藩は、
もともと百姓町人であった人々を登用し、
彼らの実務手腕に依存して
行政をすすめるようになる


百姓や町人の出身者に
扶持・苗字帯刀・袴着用などの
特権をあたえて、
武士の格好をさせ、
行政をゆだねる傾向が強まった。

武士と百姓町人の中間身分の存在が
政治に大きな影響を
あたえるようになったのである。

 京都大学名誉教授朝尾直弘氏
によって提唱されたこの学説を、
歴史学界では「身分的中間層論
とよんでいる。

江戸時代は士農工商の
厳しい身分制社会のように言われるが、
文字通りそうであったら、
社会はまわっていかない。

近世も終わりに近づくにつれ、
元来、百姓であったはずの庄屋は
幕府や藩の役人のようになっていく


彼らはソロバンも帳簿付けも
得意であり実務にたけていた。

猪山家のような陪臣身分や
上層農民が実務能力を武器にして
藩の行政機構に入り込み、
間接的ながら、
次第に政策決定にまで
影響をおよぼすようになるのである。

猪山家は、
その典型例であったといってよい。

さらにいえば、
明治国家になってからも、
このような実務系の下士が、
官僚・軍人として重要な
役割を果たすことになるのである。

算術から崩れた身分制度。

そう言えば、
近年インドで技術者熱が高まって、
優秀な技術者が多く輩出されているのも、
背景に
技術には身分制度を超える力があったから、
と聞いたことがある。
コンピュータエンジニアなんて
ちょっと前までなかった職業なのだから。

「数学的能力」が歴史や社会制度の中で、
どんな力を持っていたのか。
単なる計算や解法のノウハウに留まらない
「社会的側面における価値」
が見えてきておもしろい。

 

 

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2019年4月28日 (日)

元号とエ列音

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元号とエ列音

- エ列音は格が低い? -

 

「平成」もいよいよあと2日。

ここ数か月の
マスコミをはじめとした
「平成最後の」の連発からも
ようやく開放されることになる。

なにせNHKは、4月19日
「平成最後の満月です」とまで言っていた。
もう救いようがない。

このままでは4月30日には
紅白歌合戦をやってしまうかもしれない。


さて、この4月1日に
次の元号「令和」の発表を聞いたとき、
最初に思い出したのは

丸谷才一さんが、
「元号そして改元」と題して
2004年5月4日の朝日新聞
に寄せていた文章
だ。

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丸谷さんは残念ながら
2012年に亡くなってしまったので
もちろん「令和」のことは
何もご存知ないわけだが、
「れいわ」という音を聞いて、
きっとどこかで苦笑いしていることだろう。

丸谷さんらしく
言いたい放題書いている文章だが、
すこし紹介したい。
(以下水色部、記事からの引用)

まず、丸谷さん、
「平成」という元号が
ずいぶん気に入らなかったようだ。

 しかしこの数十年間で
最悪の名づけは平成という年号だった。

不景気、大地震、戦争と
ろくなことがないのはこのせいかも、
と思いたくなる。

とまで書いている。
その理由を「音」から説明している。

日本語ではエ列音は格が低い

八世紀をさかのぼる
原始日本語の母音体系は、
a, i, u, öという
四つの母音から
成っていたと推定される
(大野普『日本語の形成』)。

このため後来のエ列音には、
概して、侮蔑(ぶべつ)的な、
悪意のこもった、
マイナス方向の言葉
はいることになった。

いくつか例を並べている。

アハハと笑うのは朗らかである。
イヒヒとは普通は笑わない。
ウフフは明るいし、
オホホは色っぽい。

しかしエヘヘは追従笑いだ。

エセとかケチとかセコイとか、
例はいくらでも。

なかんずくひどいのがで、
例のガスを筆頭に、
押されてくぼむのはヘコム
疲れるのはヘコタレル
言いなりになるのはヘーコラ
上手の反対はヘタ
御機嫌(ごきげん)とりはヘツラウ
力がないのはヘナヘナ
厭らしい動物はヘビ
と切りがない。

ヘビが厭(いや)らしい動物とは
いったいどういう意味か?
の疑問はさておき、
そして、いよいよ「平成」だ。

ヘイセイ(実際の発音はへエセエ)は
このエ列音が四つ並ぶ

明るく開く趣ではなく、
狭苦しくて気が晴れない。

で、「平成」の次は
「令和(れいわ)」だ。「れ(re)」、
またまたエ列(エ段)になってしまった。

存命であれば
どんなコメントをしたことだろう。

それにしても、
「エ列音は格が低い」なんて
初めて聞いた。
まじめに聞いていいのだろうか?
だからこそ、
心のどこかに引っかかっていて
「れいわ」を聞いた瞬間、
15年も前の記事なのに
ふと蘇ってきてしまったわけだが。

で、最後にひとつオマケ。

 本当のことを言えば、
これを機会に年号を廃止し、
西暦でゆくのが一番いい。

尺貫法からメートル法に
移ったと同じように、
普遍的な制度にするのだ。

たとえば
岩波書店、講談社、新潮社などの
本の奥付はみな西暦で書いてあって、
まことに機能的である。     

ほぉ、と思って
手元の本で確かめてみると、
ちょっとおもしろいことに気がついた。

挙げられたどの出版社も
単行本の奥付は確かに西暦なのだが、
文庫本については
ちょっと事情が違っていた。

岩波と講談社は西暦、
新潮社は和暦。

新潮社が単行本の奥付には西暦、
文庫本の奥付には和暦と
使い分けているのには
なにかわけがあるのだろうか?

どうでもいいことなのに
またまた心のどこかに
小さく引っかかってしまった。

 

 

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2019年4月 7日 (日)

恒温動物とは恒時間動物

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恒温動物とは恒時間動物

- 右と左の同期、人間と社会の同期 -

 

東京地方は、桜が咲いたあと
肌寒い気温が続いたせいか
満開をいつもよりながく楽しめる
4月第一週となった。

4月、新社会人の皆さんはどんな思いで
スタートをきったことだろう。

「ビジネスにはスピードが求められる」的な
新社会人へのメッセージを
耳にする機会が多い年度始め、
「スピード」で思い出した話があるので
今日はそれを紹介したい。

 

参考図書はコレ。

本川達雄 (著)
生物学的文明論
新潮新書

(以下水色部、本からの引用)

 車とコンピュータ。
20世紀前半の
技術を代表するのが車で、
後半から今を代表しているのが
コンピュータでしょう。

そのどちらもが、エネルギーを使って
時間を速めるものなのです。

 これらだけではありません。
身のまわりのほとんどの機械が、
エネルギーを使って
時間を速めるものばかりです。

飛行機、携帯、工場の生産ライン、
家庭内では全自動洗濯機や電子レンジ。
これら文明の利器と言われるものは、
便利なものです。

「便利」とは速くできること
言い替えられますから、
結局、エネルギーを使って
時間を速めるのが
文明の利器なのですね。

一見、速度には影響がないような
クーラーやコンビニエンスストアも
言うまでもなく
間接的には速度向上に役立っている。

 

あらゆる面で高速化が進む我々の社会。

ここで、ちょっと我々自身の体のことを
生物の視点で考えてみよう。

動物には、外部の温度に応じて
体温が変化する変温動物
外部の温度の影響を受けず
自らの体温を維持できる恒温動物がいる。

 変温動物は体温が下がっている時には
動けません。
動くためには、まず体を温めて、
それから、やおら動く。

車にたとえれば、
普段はエンジンを切っておいて、
走るときにスイッチを入れ、
エンジンを暖めて、
そうしてはじめて走り出せるのです。

一方、恒温動物は...

それに対し恒温動物は、
エンジンをかけっぱなしにしておき、
いつでもダッシュできるよう
準備しています。

「いつでもどこでもすぐに」
を目指しているのが恒温動物なのです。

 

言うまでもなく、人間は恒温動物。
体温が一定になると、
どんな良い点があるだろう?

 

筋肉の収縮も、
もちろん化学反応が
基礎になっていますから、
温度が高ければ速く縮むし
遅ければゆっくりと縮みます。

つまり体温が下がっていれば、
さっきと同じタイミングで
餌を捕まえようとしても
体の動きはゆっくりになり、
餌を逃してしまうおそれも
出てくるのです。

それに対して体温が一定ならば、
すべての事象が
いつも同じ速度で繰り返せるので、
予測もたてやすくなりますし、
体内の統制もとりやすくなるでしょう。

(中略)

結局、恒温動物とは
恒時間動物
なのですね。

体温を一定にして、
時間の速度を
常に一定に保っているのが
恒温動物です。

しかも人間の場合、
体温は約37度もあるので、
外気温との比較で考えると
高温動物であるとも言える。

高温は「体内の反応が速い」
ことにも繋がるが、
この「速い」を活かすためには
もうひとつ重要な要素がある。

高い体温にして、
体の中のさまざまな反応が
速くなればなるほど、
各反応間のタイミングを合わせるには、
時間がぴったりそろう必要があります。

つまり、各反応がぴったり揃って初めて
「速い」動きが実現されることになる。
単純な例だが、速く走れることだって
左右の足の動きの同期があってこそだ。

足をいくら速く動かせても
左右がバラバラでは、
速く走ることはできない。

各反応が速いだけでは速くならない

この同期の問題は、
体内だけでなく、社会においても同じ。

現代人は社会の時間を
超高速度にしています。

超高速だからこそ、
少しでも遅い部分があると、
たちどころに渋滞が起こる

だから皆、時間をキッチリと守る
必要があるのですね。

社会も恒環境にして、
高速化とその同期が進んでいる、と
本川さんは言う。

気温という環境は、
クーラーと暖房で、
いつも快適な温度に一定。

冬でも
ハウス栽培の果物が食べられる。

 いつも働けるように
夜も明々とライトで照らす。
明るさという環境も一定。

このように環境そのものを一定にして
何でも即座にできるようにして、
時間の速度を速めています。

さて、こうなると
人間と社会の同期が問題になってくる。

「少しでも遅い部分があると、
 たちどころに渋滞が起こ」って
しまうからだ。

ところが、
社会の高速性が先行してしまい、
その同期のために、
「人間の速度」が
無理を強いられるようになってしまった。

結局、夜もおちおち寝ていられない
社会になってしまったのです。

安眠できない世界など、
地獄以外の何ものでもないと
私は思うのですけれど。

社会・環境のスピードと
人間(つまり体)のスピード。

「体」が幸せと感じられる環境
自ら破壊して、
いったい何を目指そうというのだろう。

 

 

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2019年1月 6日 (日)

初めての中国・上海 (6)

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初めての中国・上海 (6)

- 見下ろす景色と豫園と -

 

すでに6日も経ってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。

=========
安倍首相、
新元号は「4月1日公表」と正式発表
=========
なる見出しが「産経ニュース」で流れ、
それに対して
「えっ! 新元号って
 『4月1日公表』っていう名前に
 なったっていうこと?」
と白々しい誤解のコメントで
ツイッターが盛り上がるのは
そんなにきらいじゃぁないのですが
その中に、
「読み方は、
 『わたぬききみひら』でしょ」
なるコメントがあって
さらに気に入りました。

四月一日になると
綿の入っている着物を脱いで
あわせの着物になる事から
四月一日(四月朔日)を
『わたぬき』と読むのだとか。

世界はいろいろなところから
広がるものです。

とまぁ、
自分自身への備忘録を兼ねた
ブログではありますが、
気ままに続けていきたいと
思っていますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆様にとって素敵な一年となりますよう。

***************

というわけで(?)
前回に引き続き、
2018年11月、出張で行った
中国・上海で印象に残ったことを
写真を添えて紹介したい。
今日はその最終回。

 

仕事が終わって日本に帰る土曜日。
飛行機の出発時間までの半日、
上海観光をしようと思っていた。

すると、私が「上海は初めて」、
と言っていたせいか、
訪問先の会社の方のおひとりが
気を遣って下さり、
休日にもかかわらず、
「案内しますよ」
と言って来て下さった。

初めての国であっても、
自分であれやこれや悩みながら
観光することはちっとも苦ではなかったし、
自分ペースで回れるほうが
気が楽だと思っていたし、
なにより相手のお休みの日を
私のために使わせてしまうのは
申し訳なかったので、
一旦は丁寧にお断りした。

ところが、金曜日
私の固辞を忘れたかのように
「明日はどこに行きたい?」
とかなり積極的。
熱意におされて
今回は厚意に甘えることにした。

現地中国人による英語のガイド付き
半日ツアー、贅沢な時間だ。
こうなれば、逆に任せてしまおう。

土曜日の朝、
ホテルまで来てくれた彼が
最初に「行こう!」と
連れて行ってくれたのは、
黄浦江という川の東側「浦東エリア」。

高層ビルが多い地域の中でも、
特に目立っているビルのひとつ。
ここに上って、まずは上から眺めよう、
ということになった。

Pb032369s

展望台があるような高い塔やビルは
他にいくつもあるのに、
「ここは日本の森ビルが作ったンですよ。
 エレベータも東芝のもので
 すごく静かで速いンです」
と日本人が少しでも喜びそうな
日本に関連の深いビルを選んでくれる
その心遣いがうれしい。

91階のレストランを目指す。

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「上海環球金融中心」
2008年に日本の森ビルが
15年の歳月をかけて完成させた。
高さは494mもある。
日本一の「あべのハルカス」でも300mだ。

91階からの眺め。
正面の赤い玉を持つ塔は、
上海のシンボルタワー
「東方明珠塔」高さ462m。

Pb032340s

下の写真右側の高層ビルは
「金茂大厦88層観光庁」
高さ420.5m、88階建ての高層ビル

Pb032348s

前夜、金曜日の夜
こんなふうにライトアップされていた

Pb022267ss

対岸のバンドエリアも
全景がよく見渡せる。

Pb032363s

川沿いのビルをライトアップすることは、
regulationで決まっているらしい。
照明の電気代も
税金で払われているのだとか。

79階から94階には5つ星のホテル
「パークハイアット上海」が入っている。
なんて高いところにあるホテルなんだ。
(値段も高いらしいけれど)

ここは、ホテルの朝食にも
使われているレストランゆえ
景色だけでなく雰囲気もいい。

Pb032364s

 

降りてくると、すぐとなりには
2016年に完成したばかりの
「上海中心(上海タワー)」。
高さはなんと632m!!
もう一度書く、
日本一の「あべのハルカス」でも300mだ。

Pb032367s

 

91階から頭部が見えていた
金茂大厦88層観光庁も
下から見るとこんな感じ。
竹をモチーフにした外観らしいが、
言われてみるとわからなくもない。

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近代的な超高層ビル群を
見たあとは、
川の対岸、
「豫園(よえん)」に向かった。

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豫園は
江南古典庭園の名園と称されるところだが、
まわりは豫園商城と呼ばれる
土産物屋が並ぶ
一大観光スポットとなっている。

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Pb032388s

 

まずはチケットを買って
豫園(よえん)見学。

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入り口の門は小さいが、
見上げると石の彫刻がすごい。

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漸入佳境と呼ばれる遊廊。

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仰山堂からの庭の眺め。

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仰山堂は1866年に創建された。

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足元を見ると、
敷き詰められた石の模様が
エリアによって違っていておもしろい。

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くり抜き門が随所に見られる。

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石の配置に特徴のある庭園

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瓦にも細部まで手の込んだ施しが。

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屋根も独特な形状をしている。

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「龍壁」と呼ばれる塀。

Pb032448s

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思わず写真を撮りたくなるが、
同行の中国人によると
再建時に観光用に作られたもので
もともと古くからあったものではない、
とのこと。


ガジュマルで作られた家具や彫刻のある
建物もある。

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池や遊廊との組合せも絶妙。

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内園と呼ばれる
7m四方の舞台を囲む空間。

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窓の格子も細かくて美しい。

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豫園を出ると、
同じトーンで作られた
巨大な土産物屋が目の前に迫ってくる。

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豫園の外ながら、隣接して建つ
「上海緑波廊酒楼」。
中国十大レストランの1つに名を連ねる
上海料理の名店だ。

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ちょうど季節ということもあり、
ここで有名な「上海蟹」を
食べることにした。

昼食時は予約ができないらしく、
受付で名前を登録して順番を待つ。
もちろんお知らせはスマホに来る。
なので、入り口付近でじっと待たずに
近くの土産物店をウロウロしながら
待つことができるのだが、
土曜日の昼時、園周辺は観光客で大混雑。
呼ばれてもサクサクと移動できないので、
ついつい入口付近で待つ人が多くなる。

ここで待っているとき、同行の中国人が
おもしろいことを言った。

「このお店は、
 観光地のベストロケーションにあるので
 観光客でいつも溢れかえっている。

 レストランの名店としても
 よく知られていて、
 大統領や王様級のお客様も来る。

 つまり商売としては大繁盛なのだが、
 お店はgovernmentがやっている。
 なので、お客様で大賑わいなのに、
 店員にはお客への笑顔がないンだ。
 見ててみて。
 笑わないから」

思わずその視点で店員を見てしまう。
なるほど、キビキビと動き、
事務的に忙しそうに働いてはいるが、
愛想笑いも含めて笑顔がない。

忙しくて機嫌が悪い、
というわけではないようだ。

笑顔がなくても、
対応自体が悪いわけではない。

上海蟹を頼むと、調理前の
数杯の蟹をザルに入れて持ってきて
「選べ」と言う。

もちろん私には選べないので、
同行の中国人に頼んでしまった。

「どこを見て選ぶの?」

会話が弾む。
2杯決定!

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しばらく待つと、
この状態で目の前に再登場。

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食べ方(解体の仕方)を
教わりながら初上海蟹。

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蟹を食べると皆静かになってしまうのは
洋の東西、というか国を問わないようだ。
手も汚れてしまったので
以降写真なし。
独特な甘みもあって
ほんとうにおいしい蟹だった。

 

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半日ではあったが、
ガイド付きの贅沢な観光終了。

丁寧に礼を言い、空港に向かった。

もし、彼が日本に来た時は、
ぜひともこの御礼をしたいと思うのだが、
さて、半日あったとして、
東京ならどこに案内しよう?

 

 

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2018年12月30日 (日)

初めての中国・上海 (5)

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初めての中国・上海 (5)

- 川の両岸に広がるタイプの違う夜景 -

 

前回に引き続き、
2018年11月、出張で行った
中国・上海で印象に残ったことを
写真を添えて紹介したい。

【上海の夜景】
金曜日の夜、
外灘(バンド)と呼ばれるエリアの
夜景を見に行った。

地下鉄の駅を降りて、
「人波」に揉まれながら
ゆっくり歩くこと約10分。

この景色が飛び込んできた。
夜景だけでなく、
手前の人の数(の気配)にもご注目あれ。

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ニューヨークやサンフランシスコ、
パリやミラノやブリュッセルなど、
印象に残っている夜景は数多くあるが
それらとはちょっと違う意味で
インパクトのある夜景で、
おもわず「おぉ」と声が漏れてしまった。

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船が見える通り、
川向こうのビル群と同時に、
手前岸にはこれが連なっている。

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川沿いを歩くと、
ライトアップされた欧風建築物を
ひとつひとつつぶさに見ることができるが、
どれもラスベガスのように
ハリボテではないので
風格がある。

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1920-1930年代に建てられたものが多い。

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手前川岸の美しさに驚きつつも、

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川向こうに目を遣ると

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これが広がっている。

 

下の写真左側は、1910年の
外灘2号(旧シャンハイクラブ)

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左から
1897年 外灘6号(旧中国通商銀行)
1907年 バンコク銀行(旧大北電報公司)
1877年 招商局(旧輪船招商局)
1923年 外灘12号(旧香港上海銀行)

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中国通商銀行は、中国人による初の銀行。
大北電報公司は、1882年に
英国系の大東電報公司とともに
中国で最初の電話交換所を設置した会社。

下の写真中央は
1916年 外灘3号

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2004年にモダンなデザインに改装した
外灘リノベート複合ビルのトップバッター。
ジョルジオアルマーニの
フラグシップストアなどが入る。

左から
1923年 外灘12号(旧香港上海銀行)
1925年 上海海関(旧江海関)

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ドームのある外灘12号は、
イギリス人が
「スエズ運河からベーリング海峡の間にある
建造物で、最も美しくすばらしい建築物」
と賛美した建物。

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中央左から右へ
1922年 AIA
1923年 外灘(旧チャータード銀行)

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並べた写真は
連なる建築物のごくごく一部だ。

帰るとき名残り惜しくて振り返ると
正面にはまたこの夜景。

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川下方面を見てもライトアップは
続いている。

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出張最後の夜、
仕事からの開放感と
ひとりで気ままにぶらつける気軽さとで
迫力のあるライトアップを
心の底から満喫することができた。

 

***************

と気がつけば、今日はもう12月30日。
週末に書いて
日曜ごとに更新してきた本ブログも、
本日無事に、2018年の最終更新を
迎えることができました。

来年もぼちぼち続けて行こうと
思っていますので、
引き続きよろしくお願いします。

皆様、
どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

 

 

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2018年12月23日 (日)

初めての中国・上海 (4)

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初めての中国・上海 (4)

- ひとりで飲むな -

 

前回に引き続き、
2018年11月、出張で行った
中国・上海で印象に残ったことを
写真を添えて紹介したい。

 

【ひとりで飲むな】
日本からの訪問者は私ひとりだったが、
訪問先の会社の方が親睦会を兼ねた
夕食の機会を作ってくださった。

「中国の宴会は、
 白酒(パイチュウ)などで
 相当呑まされる」

と聞いていたので、
かなり覚悟していたのだが、
技術屋が中心のメンバだったせいか
お行儀のいい、なごやかな宴会だった。
営業の会だとこうはいかない、と
中国人自身が言っていたので、
業種によっては
雰囲気が大きく違うのかもしれない。


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「日本との違い」で目についたものを。

まず箸。
縦方向に二膳置いてある。
洋食のナイフ・フォークのように
外側から使うのだろうか?

聞いてみると、
外側の一膳が取り箸で、
内側の一膳は自分用、とのこと。

取り箸を大皿ごとにつけないという発想。
なるほど。

間違えないように、
見た目がかなり違ったトーンの
二組になっているが、
よく見ていると、ちゃんと守られていたのは
宴会の最初のころのみだった。
途中からはもう、中国人も皆
どっちがどっちだか、という感じ。

あまり神経質に
気にして使っているわけではないようだ。

ちなみに、
「日本では箸を置くとき
 横方向に置くのはどうしてか?」
と質問されたが、答えられなかった。

箸を置く角度が90度違うことは
中国と日本の違いのひとつと
認識されているようだ。

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グラスを合わせた
いわゆる「乾杯」を皆でしたあと、

食事をしていると、
「**さん、謝謝(シエシエ)」
とか言いながら、グラスをもった人が
次から次へとやってくる。

お互いグラスを持ち上げて、
顔を合わせてニコッ、
その後、酒を口に運ぶ。

この「グラスの挨拶」が、
中国人同士の間でも
あちこちで行われている。

「これってどういう習慣?」
と聞くと
「Don't drink alone.」だって。
つまり
「ひとりで飲むな」
が基本型らしい。

たとえ自分のグラスの酒を飲むときでも、
勝手にグラスを取ってひとりで飲まず、
必ず誰かにひと言「グラスの挨拶」をし、
誘って飲むようにせよ、
ということのようだ。

また、「乾杯」と言うと
まさに飲み干さなければならないらしく、
お行儀のいいこの宴会では
あまり「乾杯」の声は聞かれなかった。

ちょっと面倒なようだが、
「**さん、謝謝(シエシエ)」は
気軽に声をかけるきっかけになるし
まさにひとりで飲むことはなくなるし
悪くない。

 

【ビル全体ディスプレイ】
日本で見たことはないが、
ビル全体がディプレイとなっているビルを
いくつも見た。

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表示が常に動いているので
写真で美しい瞬間をとらえるのは難しいが
文字表示だけでなく
かなり遊び心もある演出になっている。

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いずれにせよ、夜のみとはいえ
インパクトはかなり大きい。

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動画でもお見せしたいと
YouTubeをちょっと探していたら
上海ではないものの
同じ中国・深センのビル全体ディスプレイの
すごい動画があったので、
参考までに貼っておきたい。

ビル全体どころか、
街中のビルがシンクロしている。

近未来映画のシーンを見ているよう。
「いゃいゃ、これはCGでしょ」
と言ってしまいそうな
オジさん感覚が情けない。

 

 

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2018年12月16日 (日)

初めての中国・上海 (3)

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初めての中国・上海 (3)

- バイクの防寒対策とエレベータの制御 -

 

前回に引き続き、
2018年11月、出張で行った
中国・上海で印象に残ったことを
写真を添えて紹介したい。

 

【女性比率】
「共働きが基本」の中国だからだろうが、
訪問した中国企業内を案内していただくと、
オフィス内の男女比がほぼ1対1。

私自身は、日本で
男性の多い職場で働いているせいか、
妙に女性が多く感じる。

「一緒に働いてみると
 女性は男性よりも仕事ができる人が多いし、
 事実、管理職の女性比率も高いンですよ」
とは、訪問した会社の人の弁。

 

ほぼ同数が働いているわけだから
朝の通勤の様子も当然ながらほぼ同数。
女性の年齢層も幅広い。
電車・バスだけでなく、
自転車やバイクも通勤によく使われている。
子供を乗せた二人乗り、三人乗りも
よく見かける。

 

【バイクの風よけ】
通勤時間帯のバイク。
すごい数だ。

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ほとんどが電動バイク。
排気ガスの出るエンジンではない。
「もう95%以上はモータだよ」
と現地の方。

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PM2.5を含め
大気汚染の浄化計画の一部として
電化が進んだらしい。

Pb022189s

バイクの電化だけが理由ではないだろうが、
一時期に比べ
空気は相当きれいになった、とのこと。

実際に街を歩いていても、
大気汚染は特に気にならない。

Pb022191s

で、このバイク、
風を切って寒いのはわかるが、
日本では見ない防寒対策をとっている。

どれもオシャレとはほど遠いものの
効果はありそうだ。

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ダウンのものは軽そうだが、
日本の「どてら」のような
ずっしりと重そうなものもある。

Pb022196s

空気がきれいになった一方で、
大量にゴミとして破棄される
バッテリーの処分が
大きな社会問題となっているらしく、
話を聞いた中国人の言葉を借りると
「電化によって、
 ここにあった問題が
 あっちに移っただけ

言い得て妙だ。

解決案って、解決しているようで実は
「あっちに移っただけ」ということが多い。
「あっち」を見ないようにさえすれば
「ここ」の問題は
解決したかのように見えるけれど、
「あっち」には新たな問題が発生している。

いろいろなところで使えそうな
深い言葉だったゆえ
思わずメモってしまった。

ただ、英語で聞いたコメントを
一旦日本語で解釈してしまうと、
意味はわかっても
もとの英語には戻せないことが多い。
悲しい、というか情けないのだけど。

 

電化されてモータになったせいで、
走行時ほとんど音がしない。

大量に「静かな」バイクが走っているが、
運転のお行儀はあまりよろしくない。

なので、街中で歩いていて
一番気をつけないといけないのは
バイクかもしれない。

ほんとうに静かなンで
何度もヒヤッとさせられた。

 

【エレベータの制御】
訪問した会社は
新しい大きなオフィスビルの15階。

ここのエレベータも初めてのタイプだった。

複数台のエレベータが並ぶ
エレベータホールの入り口付近に
操作パネルがあり、まず最初に
「行きたい階」を押す。
押した瞬間にエレベータの箱を示す
記号(例えば[D])が表示される。

あとは、[D]の前で待って、
来たエレベータに乗り込む。
乗り込むと
当然ながらすでに行き先階のボタンは
押してある。
あとは乗って到着を待つだけ。
箱内ではなにも操作する必要がない。

通常日本で繰り返している
(a) [上下のボタンを押して待つ]
(b) [乗り込む]
(c) [箱内で行き先階を押す]

の(a)と(c)2回押しのアクションが
「最初に行き先を押す」という
1回の操作だけで済む。

こうすれば、
乗る人の操作が減るだけでなく
同じ階に行く人を事前にまとめる等、
グルーピングも可能で、
各階にひとりずつ、という非効率な運行を
事前に避けることもできる。

実際にどんなロジックを使っているのか
もちろんそこまではわからなかったが、
ちょっと賢いロジック(AI)を使えば
エレベータの回転率を
かなり効率化できそうだし、
すでにそうなっているのかもしれない。

オフィスビルでのエレベータの乗り方、
こういったまさに「枯れた」操作系も
まだまだ改善の余地はある、ということか。
エンジニアとしては、
「ボーっと生きてんじゃねえよ!」
と言われた気がした。

 

 

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