科学

2023年3月12日 (日)

目に見えるものだけが多様性ではない

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目に見えるものだけが多様性ではない

- 生物の3つのグループ -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(4)
「生物とは何か(3)
 ミドリムシは動物か植物か」
 古生物学者・更科功
        2022年1月28日放送

を聞いていたら、「多様性」について
たいへん興味深い話ができてきたので、
今日はその部分を記録として
残しておきたい。

更科さんのお話はたいへんわかりやすく、
耳からの情報だけでも全くストレスがない。

 

今回は「アーキア」と呼ばれる
生物のグループについて。

現在の生物学では
生物は次の3つのグループに
分けられるらしい。

(1)細菌(英語でバクテリア)
(2)アーキア
(3)真核生物


(1)の例は大腸菌、乳酸菌など。
(2)の例はメタン菌、高度好塩菌など。
(3)の例は哺乳類、植物、きのこなど。

目に見える、つまり肉眼で確認できる生物は
ほとんどが(3)の真核生物のグループに
分類される。

(2)のアーキアは、
以前は細菌のグループだったが、
米国の生物学者カール・ウーズが
塩基配列を調べた結果
別グループを提唱。
1977年以降は細菌とは別のグループに
分けられている。

さて、アーキアが提唱されたころ
エルンスト・マイヤーという学者は
「アーキアを認めない」と主張した。

マイヤーが指摘したのは次の2点。
「多様性」と「種の数」

「多様性」
 真核生物:多様性が実に豊か。
      飛んだり泳いだり、歩いたり、
      光合成をしたり、
      単細胞も多細胞もある。
 アーキア:多様性がほとんど見られない。
      形はだいたい丸いか細長いか。
      大きさもだいたい 
      1マイクロメートル程度。

「種の数」
 真核生物:学名のあるものだけでも
      200万種。
 細菌  :8000-9000種
 アーキア:たった200種のみ。

種の数だけを見ても、200万種と200種を
対等のグループとして扱うことに
抵抗があることは自然な気もする。

それに対して、更科さんは、
こう投げかけている。

「見た目が似ていれば、
 種の数が少なければ
 多様性がないと
 言っていいのだろうか」


生物が生きて行くのに必要な
有機物を作る方法を見てみたい。

我々動物は
植物や他の動物を食べることによって
有機物を取り込み体を作っている。
根本となる有機物を生物が作るには、
次の2つの方法がある。

生物が有機物を作る方法
A 光合成 :太陽の光のエネルギー
       を使って有機物を作る。
B 化学合成:物質を分解して
       分子のエネルギーを使って
       有機物を作る。
       光のない深海などでは
       化学合成

Aの光合成には
よく知られた植物の光合成のように
「酸素発生型」もあるが、
「非酸素発生型」(PS1, PS2, その他)
もある。

おもしろいのは
真核生物が有機物を作る方法は
「酸素発生型の光合成のみ」

なのに、細菌やアーキアには
「酸素発生型」「非酸素発生型」の光合成も
化学合成もある。

つまり、
真核生物は「基本的な特徴は共通で
その範囲の中でいろいろな種類がいる」

一方
細菌やアーキアには、
「根本的な違いのあるもの」

が含まれている。

さぁ、どちらが多様なのだろう。

種の数についても、
上に書いた通り、細菌やアーキアは
目に見えないほど小さい。
しかも形が似ているため、
培養したりDNAを調べたりしないと
新種の発見には至らない。

つまり、もともと「ない」わけではなく
発見が難しいがゆえに現時点では
数が少ない可能性も高いのだ。

多様性というのは
目に見えるものだけではないのですね。

目に見えないところにも、
たとえば有機物の作り方とかにも
根本的な多様性がある。

それを考えれば、
アーキアには多様性もあるし
種数も多い可能性が高い。
 
ですから
細菌、アーキア、真核生物という
3つのグループを作ること、
細菌、アーキア、真核生物を
対等に並べることは
適切であると考えられます。

 

 

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2023年2月 5日 (日)

「大好きだよ」で名前を間違えると・・・

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「大好きだよ」で名前を間違えると・・・

- 一夫一妻が人類になった? -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(12)
「人類の進化(3)牙のない平和な生物」
 古生物学者・更科功
        2022年3月25日放送

から、「人類に牙(きば)がない」ことの
理由について学ぶ2回目。

前回紹介した
新しい説を簡単に復習してから始めよう。

(b) 新しい説
チンパンジーは植物食なのに牙がある。
肉食獣のように
獲物を襲うための牙ではない。

チンパンジーは同種同士で殺し合いをする。
メスを巡るオスの戦いが多い。

人類は、
牙を使わなくなったから小さくなった。
つまり「仲間を殺さなくなった」のだ。

どうして殺さなくなったのか?
なぜ穏やかになったのか?

ライオンや狼の牙は獲物を捕まえるため。
チンパンジーの牙はオス同士で争うため。

仲間同士の争いが激しいかどうかは
婚姻形態が影響している


一夫多妻(たとえばゾウアザラシ)、
多夫多妻の婚姻形態の動物は
オス同士の争いが
激しくなることが知られている。

一夫一妻の場合オス同士の争いが
おだやかになることが
多くの動物の観察からわかっている。

類人猿についてみると、
(はっきりとは決まっていないが)
ゴリラは一夫一妻、
チンパンジーは多夫多妻、
が多い。

現在の人類は一夫一妻が多い。

一夫一妻の傾向を持つグループが
人類になっていったのではないか、
と考えられている


その結果、牙がなくなっていった。

えっ!、順番はそっち?
婚姻形態って単なる制度の問題であって
本質的なものではないでしょ?

驚きながら聞いていたら、
そんな疑問に対して、
こんな例を添えてくれていた。
エピソードとしてはよく聞く話だが、
まさに先入観を捨てて考えてみてほしい。

若い男女の会話。
男「愛しているのはこれから先も
  ずっと君だけだよ」
女「うれしい」
男「大好きだよ、みか子」

女「みか子ってだれ!!」

男は女の名前を間違えた。
でも間違えたのはそれだけ。
なのに、なぜ女は怒るのか。
そして、
怒る女に読者はなぜ共感できるのか?

更科さんは、
もし言葉が理解できたとしても
チンパンジーなら女の怒る理由が
理解できないはずだ、と言っている。

「怒る理由が理解できる」
それは「本質的な」一夫一妻の血が
人類には流れているからかもしれない

にしても、そのことと
牙が関連しているなんて。

世界は不思議と驚きに溢れている。

 

 

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2023年1月29日 (日)

牙(きば)は生物最強の武器

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牙(きば)は生物最強の武器

- 刑事ドラマではなぜ凶器を探すのか? -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(12)
「人類の進化(3)牙のない平和な生物」
 古生物学者・更科功
        2022年3月25日放送

を聞いていたら、
「人類に牙(きば)がない」ことの説明が
たいへんおもしろかったので、
今日はその部分について紹介したい。

 

人類と類人猿(ゴリラやチンパンジーなど)を
分けている特徴はニ点。
人類は、
(1) 直立二足歩行をする。
(2) 牙(きば)がない(犬歯が小さい)。

この大きな特徴のひとつ、
「牙」が衰えたのは
どうしてなのだろうか?

これには古い説と新しい説がある。
古い説は、学術的にはすでに
否定されているものだが、
本や映画の影響で、社会的に広く
認知されるようになった説ゆえ、
更科さんはそれについても
丁寧に紹介してくれている。

(a) 古い説
レイモンド・ダートという
人類学者の発言から始まる。
ダートは、アウストラロピテクスの化石を
発見したことで知られている。

彼は、ヒヒやアウストラロピテクスの
頭の骨が凹んでいるのを見つけた。

それは、アウストラロピテクスが
(武器として)骨で殴ったからだろう、と
考えた。

が、一学者のこの考えは、
簡単には社会に広まらなかった。

その後、このダートの説に基づいて、
劇作家ロバート・アードレイが本を書く。
書名は
アフリカ創世記 - 殺戮と闘争の人類史
1962年に出版。

牙がない人類は、
獲物を取るための武器を
仲間への攻撃にも使うようになった。
武器を持たなければ草原で
生き延びることができなかったのだ、
とアードレイは書いた。

「アフリカ創世記」はベストセラーとなり、
映画「2001年宇宙への旅」の冒頭でも
この説が利用されたため
社会的に広く認知されるようになる。

ところが、レイモンド・ダートの説は
事実としては間違っていた。

その後の調査で、頭の骨が凹んでいたのは
* ヒョウの歯型
* 洞窟が崩れたから
であることがわかってきたのだ。
さらに
アウストラロピテクスは植物食で
狩りをする必要がなかったことも判明。

よって学会では
ダートの説は完全に否定された
ところが社会には
この否定情報は広まらなかった。
なので、
武器を使うようになった人類は
残酷な生物、の印象がそのまま残った。

いずれにせよ、牙の衰えに伴って
獲物だけでなく仲間に対してさえ
武器を使うようになったので
牙の必要性がさらに落ちてきた、
というのが古い説の要のようだ。

(b) 新しい説
チンパンジーには牙がある
チンパンジーは植物食なので、
肉食獣のように
獲物を襲うための牙ではない。

チンパンジーは同種同士で殺し合いをする。
メスを巡るオスの戦いが多い。
(少ない見積もりでも
 1割のチンパンジーが
 仲間の殺害に関与している)

トラに会っても、サメに会っても
怖いのは「噛まれる」こと。
牙は生物最強の武器なのだ。
牙がないとなかなか他の動物を殺せない。

殺人事件があると警察は凶器を探す。
なぜ凶器を探すのか?

人間は凶器がないと
なかなか人を殺せない。

牙を使わなくなったから小さくなった、
とは、つまり
「仲間を殺さなくなった」のだ。

では、どうして殺さなくなったのだろう?
この話、次回に続けたい。

それにしても、
* 牙は生物最強の武器
* 殺人というと反射的に
  「凶器の捜索」を
  思い浮かべてしまうのは
  「人間は凶器がないと
   人を殺せない生き物」だから
という言葉を、古生物学者の話から
改めて考えてみるようになるなんて。

学ぶことはおもしろい。

 

 

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2022年12月18日 (日)

「ノアの大洪水説」を覆す

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「ノアの大洪水説」を覆す

- ダ・ヴィンチの豊かな発想 -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(2)
「生物とは何か(1)
 昔は地球も生物だった?」
 古生物学者・更科功
        2022年1月14日放送

の回を、
次の3つのキーワードに絞って紹介したい。

<Keyword_1:地球が生きている証拠>
<Keyword_2:ノアの大洪水説を覆す>
<Keyword_3:ボウフラがわく、の意>


内容は番組のメモをまとめたものだ。

 

名画「モナ・リザ」の作者として知られる
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は
今から500年以上も前の
フィレンツェに生きた芸術家だ。

芸術だけでなく科学全般あらゆる分野で
多くの業績を残している。

さて、ダ・ヴィンチ。
彼は当時「地球は生物だ」と考えていた。
これは、特別な考え方ではなく、
当時のフィレンツェの知識層では
そう考えていた人は多かったという。

 

<Keyword_1:地球が生きている証拠>
ダ・ヴィンチは単に
「地球は生物だ」と考えるだけでなく
「生きている証拠」を掴もうとしていた。

「生きているとは何だろう?」

人間の体は
心臓よりも上部をケガしても血が出る。
つまり液体(血液)が下から上に行っている。
このことが、
生物の特徴のひとつなのではないか、
と考えたわけだ。

名画「モナ・リザ」は
手前に女性と背景に大地が描かれている。

「人間の血液の循環と
 地球の水の循環を対比させて
 モナ・リザを描いた」

ダ・ヴィンチ自身が、
手稿に残しているらしい。

当時、
地球の山脈は人間の骨、
地球の水は人間の血液にあたる
と考えられていた。

なので、地球の中には
血管のような水路があるのではないか、
そこでは水が下から上に
上っているのではないか、と
ダ・ヴィンチは考え探した。

ところが、残念ながら地球にそのような
水路を発見することはできなかった

それでもダ・ヴィンチはあきらめない。

当時、万物は次の4つの元素でできていると
考えられていた。
  土、  水、  空気、  火
重さもこの順
  土 > 水 > 空気 > 火

「水」が下から上に行く水路を
見つけられなかったダ・ヴィンチだが、
「水」より重い「土」が
下から上に行く例があれば、
より軽い「水」が下から上に行く
証拠になるのではないか、と考えた。

これは、すぐに見つかった。
山の上で、海に住んでいた貝の化石が
見つかったからだ。

まさに海の底にあった土が
山の上にまで上がってきた証拠だ。

ところが、周りの人は納得しなかった。

当時、貝殻の化石が
山で見つかることについては
別の説明があったからだ


それは「ノアの大洪水」
ノアの洪水によって、山の上まで
貝が流されたからだ、と。

 

<Keyword_2:ノアの大洪水説を覆す>
ダ・ヴィンチは、
この「ノアの大洪水説」を否定する
すばらしいアイデアを提示する。

注目したのは二枚貝。
貝殻は丈夫で簡単には壊れないが、
二枚貝の蝶番部は有機物でできているため
死ぬとたいへんに壊れやすい。
つまり、貝が死んだ状態で流されると
2枚の貝が離れてしまう。
貝がバラバラになってしまうわけだ。

ところが山の上で発見される
二枚貝の化石は、バラバラになっておらず
そのままの状態でみつかるものも多い。

これは、それまで貝が
そこで生きていた証拠。
洪水で流されて来たら
そういう状態では発見されない。

この説明により
「ノアの洪水説」を覆したのだ。

この考え方は、現在の古生物学でも
いまだに使われているという。

 

<Keyword_3:ボウフラがわく、の意>
現在では、
生物は次の3つの条件を満たすもの
 1.仕切りがあること。
 2.代謝を行うこと。
 3.複製すること。
と一般には言われている。

 1は細胞膜、
 2は物質とエネルギーの流れ、
 3は子孫を残す、
で具体的にイメージしやすいが、
実は昔は「子孫を残す」は
生物の要件として
あまり重要視されていなかったようだ。

それは
「ウジがわく」
「ボウフラがわく」
という言葉を見てもわかる。
親がなくても発生する、
の認識だったということだ。

こんな何気ない言葉からも
当時の生命観を
読み取ることができるなんて。

 

 

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2022年12月 4日 (日)

自然は何を使うかを気にしない

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自然は何を使うかを気にしない

- 生命体の中か外かさえ -

 

"Being There"は1998年に発表された
Andy Clarkによる
認知科学の記念碑的名著。

その邦訳が、文庫になって復刊した。
約100ページの付録を含めて
総ページ数630ページ強。
文庫とはいえ、持ち歩くにはちょっと重い。

アンディ・クラーク 著
池上高志、森本元太郎 監訳
現れる存在: 脳と身体と世界の再統合
ハヤカワ文庫NF

(以下水色部、本からの引用)

名著と言われるだけあって、
本文はもちろんおもしろいのだが、
この本に関しては「付録」も見逃せない。

クラーク先生を囲んでの
セミナーの様子が収録されているのだ。
開催は2011年3月8日 東京大学駒場。

そこで紹介されている「人工進化」の話は
森田真生さんの本でも引用されており
以前ここでも紹介した。

簡単に復習したい。
90年代後半、
「異なる音程の二つのブザーを
 聞き分けるチップ」の設計を
人間の手を介さずに、人工進化の方法だけで
やろうとした研究がある。

結論だけを書くと、
およそ4000世代の「進化」の後に、
無事タスクをこなすチップが得られた。

ところがそこで生成されたチップは
100ある論理ブロックのうち、
37個しか使っていなかった。
これは人間が設計した場合に
最低限必要とされる論理ブロックの数を
下回る数で、普通に考えると
機能するはずがない。

さらに不思議なことに、たった37個しか
使われていない論理ブロックのうち、
5つは他の論理ブロックと
繋がってさえいなかった


なのにこの5つのどれかを取り除くと
回路として機能しなくなってしまう。

調べてみるとこの回路は電磁的な漏出や
磁束を巧みに利用していたのである。

普通はノイズとして、
慎重に排除されるそうした漏出
が、
回路基板を通じて
チップからチップへと伝わり、
タスクをこなすための
機能的な役割を果たしていたのだ。

なんて興味深い結果だろう。

「ハードウェアの細かな物理的性質の
 すべてが、問題解決に一斉に
 駆り出されているように思われた。
 時間遅れ、寄生静電容量、混信、
 メタスタビリティによる拘束など
 低レベルの特性のすべてが
 進化したふるまいの生成に
 使われているのであろう」。

ここに表れている考え方は、
自然は何を使うかを気にしない
ということです。

その後、2002年の実験では、
「振動性の信号を生成する回路」を
進化させている。

彼らが発見したのは、回路それ自体
クロックをもっていないものの、
近くにある
デスクトップコンピュータから
クロックの情報を盗み取る
無線受信機を進化させている
ということでした。

環境にはすでに
完璧に良くできたクロックがあって、
もっとも簡単な解決は
自分自身でクロックを
進化させることではなく、
それを盗み出すことだった

というわけです。

なるほど。今度は近くの
コンピュータにあるクロックを
盗んで使っちゃおうというわけだ。

このことが教えてくれるのは、
自然は本当にこだわりがない
ということです。

自然はそれによって
問題を解決できるとみなしたことなら
何でも利用するでしょう。

まさに、リソースとノイズに
はっきりした境界はない
のだ。

それは

何が生命体の中にあって、
何が外にあるか
などということにも縛られません。

使えるものは何でも使う。
それが生命体の中か外かすら
全く気にしない。

自然が採用している進化の
おもしろさ、不思議さ。

本を手にした際は、
この「付録」を読むことも
お忘れなく。

 

 

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2022年7月17日 (日)

ストレートのほうが変化球

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ストレートのほうが変化球

- 1秒間に40回転!のバックスピン -

 

道尾秀介さんの小説に
「N」という作品がある。

道尾秀介 (著)
N
集英社

(以下水色部、本からの引用)

この本、「本書の読み方」として
次のような始まり方をしている。

本書は六つの章で構成されていますが、
読む順番は自由です。
どの章から読み始めるのか。
次にどの章を読み進めるのか。
最後はどの章で終わらせるのか。

(中略)

読む人によって色が変わる物語を
つくりたいと思いました。

読者の皆様に、自分だけの物語を
体験していただければ幸いです。

なお本書は、章と章の
物理的なつながりをなくすため、
一章おきに上下逆転させた状態で
印刷されています

6章で構成されているため、
読む順番の組合せ数は
6P6 = 6! = 6x5x4x3x2x1 = 720
物理的には
720通りの物語が隠れていることになる。

「一章おきに上下逆転印刷」
というのもかなり大胆な決断で
実際にそうやって読んでみると
確かに本のどこを読んでいるのかが
全くわからなくなる。
紙の本でのみ体験できる不思議な感覚だ。

装幀も逆転して読むことを前提に
上下のない表紙デザインとなっている。

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と、他に例のない独特な企画部分の説明が
長くなってしまったが、
この本に
野球の投手が投げる球種について
こんなセリフがでてくる。

打者の前で落ちると言われている
フォークボールについて。

あれは自然落下に近いのだという。
もちろん少しは落ちているけれど、
その軌跡はごく普通の放物線に近い。

いっぽうでストレートは
強い上向きの回転がかかっているから、
なかなか落ちずに球が伸びる。

それと比べてしまうので、
逆にフォークボールのほうが、
すごく落ちてるように見えてしまう。

要するに、どちらかというと
 ストレートのほうが
 変化球らしいです!

これ、おもしろい視点だ。

自然落下となる放物線に近いのは
フォークボール


強力なバックスピンと球速により
ボールの上側と下側に気圧の差が生じ、
その結果、
ボールを上に持ち上げるような
「揚力」が発生、
ボールが浮き上がったように見えるのが
ストレート。
つまり、自然に落ちる軌道から見ると
上方向に「変化」させている


でも、まっすぐで落ちないボール、
つまりストレートを見慣れた目から見ると
フォークボールはすごく落ちている、
つまり変化しているように見える。

「変化」を考えるときは
基準が何か、を忘れてはいけないことを
改めて考えさせてくれる。

特に、何が「自然」か、は
意外と見誤りがちだ。
目にする機会が多いことが
自然とは限らない。

 

ちなみに、
「ストレートの回転数って
 実際にはどのくらい?」
と思って調べてみたら驚いた。

こちらに具体的な数字があるが、
2400rpm以上の選手が何人もいる。

つまりボールは
1秒間に40回転以上もの
バックスピンがかかった状態で
飛んでいっていることになる。
1秒間に40回転!
コマ以上に速く回転するボールを
時速150km以上で投げられるなんて。

ほんとうにプロの世界とは
想像を超えた世界だ。

 

 

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2022年4月10日 (日)

AI・ビッグデータの罠 (3)

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AI・ビッグデータの罠 (3)

- 「規模拡大が格差拡大を助長」 -

 

キャシー・オニール (著)
 久保尚子 (翻訳)
あなたを支配し、社会を破壊する、
AI・ビッグデータの罠
インターシフト

(以下水色部、本からの引用)

を読んで、
現在社会で使われている
AI・ビッグデータを利用した
システムが持つ問題点を学ぶ3回目。

 * 「エラーフィードバックがない」
 * 「類は友を呼ぶ、のか」

に続くキーワードは、

keyword_3「規模拡大が格差拡大を助長」

 

これまでの記事でも書いた通り、本には
数学破壊兵器による破壊の状況が
いくつも並べられている。

効率性と公平性を謳いながら、
その陰で、高等教育を歪め、
人々を借金に駆り立て、
大量投獄に拍車をかけ、
人生の節目ごとに貧しい人々を苦しめ、
民主主義の土台を蝕んでいる

この現状を変えるには、
数学破壊兵器の一つひとつに対処し、
順に武装解除していくしかないように
思われる。

仮に各システムに問題があったとしても、
なぜ「民主主義の土台を蝕んでいる」
とまで表現されるほど、絶望的な状況に
なってしまうのであろう。


一般に、
特権階級の人ほど対面で評価され、
庶民は機械的に評価される

という面があることも関係している。

この「機械的に」に
数学破壊兵器が利用されることが
多くなっているからだ。

そのうえ、デジタルであったり
ネットワーク環境であったりという
システムの基盤自体が
より問題を大きくしている。

問題は、これらの数学破壊兵器が
互いに絡み合い、
補強し合っていること
だ。

貧しい人々ほど、
クレジットの状況は悪く、
犯罪の多い区域で
自分と同じように貧しい人々に
囲まれて暮していることが多い。

その事実を示すデータが
数学破壊兵器の暗黒世界に
一度でも流れれば

低所得層向けサブプライムローンや
営利大学の略奪型広告に
追い回されるようになる。

システム間の補強が、つまり
システム間でのデータの流用や共用が
どうしてそんなに簡単に
許されてしまっているのか、の疑問は
本文を読んでも解決されないのだが、
元データがデジタル化されている以上
どんな理由であれ
管理面での制限がはずれてしまえば
システム間での流用や共用は
技術的には簡単だ。

警官による警備が強化され、
すきあらば逮捕されるようになる。

有罪判決を受けることになれば、
刑期は通常より長くなる。

これらの情報は、さらに
別の数学破壊兵器へと引き渡される。

1つ目の数学破壊兵器で
不利な状況に追いやられた人々は、
別の数学破壊兵器でも
高リスクと評価され、
標的にされやすくなり、
就職の機会を奪われるようになる


こうなると、
住宅ローンや自動車ローンなど、
あらゆる種類の保険で
金利が跳ね上がる。

すると、
クレジットの格付けは一層低下し、
モデリングによる
死のスパイラルから抜け出せなくなる。

つまり、数学破壊兵器の世界では、
人々は貧困であるがゆえに、
ますます危険で
お金のかかる生活に
追いやられていくようになる。

システムの「規模拡大」が
格差をさらに拡大する
「死のスパイラル」を生み出してしまう。

 

ビッグデータは過去を成文化する。
ビッグデータから未来は生まれない。
未来を創るには、
モラルのある想像力が必要であり、
そのような力をもつのは
人間だけだ


私たちはアルゴリズムに、
より良い価値観を明確に組み込み、
私たちの倫理的な導きに従う
ビッグデータモデルを
作り上げなければならない。

それは、場合によっては
利益よりも公平性を優先させる
ということでもある。

* データを使って
  何をしようとしているのか?
* 使おうとしているデータは
  対象を正しく表現したものなのか?
* システムのアウトプットは
  間違っていなかったのか?
* 安易に他のシステムのデータを
  使おうとはしていないか?

極めて初歩的な内容への
フィードバックでさえ
暴走を始めたシステムでは、
「効率・利益」という名のもとに
どれも機能しなくなっているようだ。

それを修正できるのは技術ではない。

 

おまけ:
本書は米国社会をベースに書かれているが、
本文に何度も登場する「営利大学」の話、
妙に気になってしまった。
「教育の機会」という大義名分を隠れ蓑に
(AI・ビッグデータを使った
 「システムの問題」とは別に)
「学資ローン」と「大学」の間には
大きな大きな問題があるようだ。

 

 

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2022年4月 3日 (日)

AI・ビッグデータの罠 (2)

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AI・ビッグデータの罠 (2)

- 「類は友を呼ぶ、のか」 -

 

キャシー・オニール (著)
 久保尚子 (翻訳)
あなたを支配し、社会を破壊する、
AI・ビッグデータの罠
インターシフト

(以下水色部、本からの引用)

を読みながら、
今、社会で使われている
AI・ビッグデータを利用した
システムが持つ問題点を学ぶ2回目。

前回書いた、
 * 「エラーフィードバックがない」
に続くキーワードは、

keyword_2「類は友を呼ぶ、のか」

 

システムが導入される前から、
たとえば銀行家は、
借金を申し込みにきた人物を評価する際に、
住宅ローンを背負う能力とほとんど、
あるいはまったく関係のない
さまざまなデータポイントを検討していた。

人種による有利・不利の他、
父親に犯罪歴があれば不利になり、
毎週日曜日に教会に行く習慣があれば
有利になった。

このようなデータポイントは、
すべて代理データである。

財務責任能力を調べようと思ったら、
数字を冷静に検討すればいい
(まともな銀行家は
 必ずそうしていた)。

それなのにそうせず、
人種、信仰、家族関係と
財務責任能力とのあいだにある
相関を見ていた


そうすることで、銀行家は相手を
「個人」として精査するのを避け、
「集団」の一員として見ていた 
- 統計学用語では
  これを「バケット」と呼ぶ。

「あなたとよく似た人々」が
どんな人たちなのかを考えたうえで、
その人々が信用できるかどうかを
判断した。

このバケットの考え方は
システム作成時にも導入された。

つまり、eスコアのモデル作成者は、
「あなたは、過去に
 どのような行動を取りましたか?」 

と質問すべき時に、質問をすり替えて、

「あなたと似た人々は、過去に
 どのような行動を取りましたか?」

という質問の答えを探し出して
ごまかそうとしていたのだ。

この質問の差はどんな問題を
生むことになるだろう?

この2つの質問の違いは大きい。

たとえば、
移住してきたばかりで
質素な生活をしているが
非常に意欲的で責任感の強い人物が、
起業準備をしていて、
初期投資のために資金を借りようと
していたとする。

さて、
この人物に賭けてみようという人は
現れるだろうか? 

おそらく、移民という属性と
質素な生活行動をデータとして
取り込んだモデルでは、
この人物の有望さに気づけないだろう。

もちろん、代理データだから悪い
というわけではない。

念のために言っておくが、
統計学の世界では、
代理データは役に立つ存在
だ。

類は友を呼ぶもので、確かに、
似た者同士は
同じような行動を取ることが多い。

(中略)

このような統計モデルは、
見かけ上は有用であることが多く、
うまく活用すれば、効率も収益も上向く。

だからこそ投資家は、
大勢の人をそれらしい「バケット」に
分類する科学的なシステム

倍賭けする。ビッグデータの勝利だ。

問題は、起こりうる間違いに対して
前回も書いた通り
「適切なるフィードバックが
 かからない」
という点にある。

しかし、誤解され、誤ったバケットに
分類された人物はどうなるのか? 

そういうことは必ず起きる。

しかし、その間違いを正す
フィードバックは存在しない。

統計データを
高速処理するエンジンには、
学習する術がない

選ばれた代理データは正しいのか?
「類は友を呼ぶ」と言えるものなのか?
他に適切なデータはないのか?
そして
バケットへの分類は
適正に行われているのか?

そういったフィードバックや
学習ステップがなくても
システムは数字を吐き出しながら
正常(!!)に動き続け、
正しさの確認すらできないような結果を
出し続けている


恐ろしい話ながらも
思い当たる事例はいくつもある。
大きな問題の背景が
かなりはっきりしてきた。

(次回に続く)

 

 

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2022年3月27日 (日)

AI・ビッグデータの罠 (1)

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AI・ビッグデータの罠 (1)

- 「エラーフィードバックがない」 -

 

最近頓(とみ)に目にすることが多い
「AI」と「ビッグデータ」
技術面からではなく、
運用面からその問題を考えてみたい。

参考図書はこれ。

キャシー・オニール (著)
 久保尚子 (翻訳)
あなたを支配し、社会を破壊する、
AI・ビッグデータの罠
インターシフト

(以下水色部、本からの引用)

本書には、
教育、広告、雇用、政治など
さまざまな分野で利用された、
または今も利用されているシステムが
いくつも登場する。

そういったシステムが
どんな問題を持っているのか、
どんな問題を引き起こしているのか、
具体的な例とともに
詳しく述べられている。

オニールさんは、問題のあるシステムを
大量破壊兵器のMassに数学のMathをかけて
数学破壊兵器
(Weapons of Math Destruction:WMD)

と名付けて連呼しているが、
当然のことながら、それらのシステムも
最初から兵器になるべく
開発されたわけではない。

最初はどれも有益なシステムを目指して
作られたものだし、
有益な部分が評価されているからこそ、
実際に利用されているわけだ。

なのに、いまやそれらが
単なる一システムの問題を越えて、
様々な社会問題の
基盤になってしまっている。

どうしてそうなってしまうのか、
そこがこの本の肝となっている。

詳細はもちろん330ページ強の
本書を参照いただきたいが、
いくつかキーワードを
ピックアップしながら、
この大きな問題の側面を学んでみたい。

私の視点で選んだキーワードは3つ。

keyword_1「エラーフィードバックがない」
keyword_2「類は友を呼ぶ、のか」
keyword_3「規模拡大が格差拡大を助長」

 

今日は、
keyword_1「エラーフィードバックがない」
について。

「解雇対象者」を選別するシステムを例に。

システムは、
貢献度が低そうに見える者
「解雇対象者」として同定する。

こうして、相当な数の従業員が
不景気の最中に職を失った。

本文でも「見える」に傍点がついて、
強調されている。
「低い者」ではなく「低そうに見える者」
というのがキーだ。

業務への貢献度は
簡単な指標で定義することはできず
どう定義したところで
「低そうに見える者」としての
システム上の定義にすぎない。

ところが、
それに基づいて実際に解雇してしまう。

解雇対象者として同定され、
解雇された人が、次の職を見つけ、
いくつもの特許を生んだとしても、
通常、そのようなデータは
収集されない。

解雇すべきでない従業員を1人、
あるいは1000人解雇してしまっても、
システムはその過ちに気づけないのだ。

つまり、
「低そうに見える者」として
システムが選びだした候補者が、
 * 対象者としてふさわしかったか?
 * 解雇してはいけない人を
   選んでいなかったか?
というフィードバックがかからないまま、
使い続けられてしまう。

これは問題である。なぜなら、
エラーフィードバックがなければ、
サイエンティストはフォンレジック
(科学捜査的)解析を行うことが
できないからだ。

今回で言えば、誤った判別が
存在するという情報がなければ、
どこに間違いがあり、
どこを読み間違え、
どんなデータを見落としたのかを
解明できない。

判断に使うデータ自体も
また
判断の結果の正誤判断も
どちらもかなりあやふやなまま
運用されているシステムは多い。

システムというのは、
そういう学習を重ねながら
賢くなっていく
ものだ。

しかし、これまで見てきたとおり、
再犯予測モデルから
教師評価モデルに至るまで、
数多くの数学破壊兵器が、
実に軽率に、独りよがりな現実を
生み出している


マネジャーは、モデルによって
算出されたスコアを真に受ける。

アルゴリズムのおかげで、
難しいはずの判断が
手軽に行えるようになる。

そうやって従業員を解雇し、
経費を削減し、
その決定の責任を客観的数字の
せいにすることができる


- その数字が
  正確かどうかにかかわらず

どうして
「独りよがりな現実を生み出す」システムを
ここまで広めてきてしまったのだろう。

決定の責任を客観的数字の
せいにしながら、
運用しているのは人間だが、
そこに正しいフィードバックを
かけられなければ、
システム自体を
正しく成長させることはできない。

 

 

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2022年2月20日 (日)

『傷はぜったい消毒するな』

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『傷はぜったい消毒するな』

- 13年後に出版された本の内容 -

 

「傷はぜったい消毒するな」
という挑発的な題名の本が出版されたのは
いまから13年前の2009年。

夏井 睦 (著)
傷はぜったい消毒するな
生態系としての皮膚の科学
光文社新書

(以下緑色部、本からの引用)

傷治療の常識だった「消毒して乾かす」
という治療方法を真っ向から否定する
夏井さん提唱の
「傷の湿潤(しつじゅん)治療」

「傷を消毒しない、傷を乾かさない」
という二つの原則を守る
だけで、
驚くほど早く、しかも痛くなく
傷が治ってしまうのである。

治療を受けた患者さんも驚くが、
一番驚いているのは
治療をしている当の医師、
という治療である。

夏井さんは、

さまざまな面で
発達を続ける現代医学の中で、
傷の治療の分野だけが
19世紀の治療のままであり、
そのことに誰も気がついて
いなかったのである。

と、盲目的に繰り返されてきた
「消毒して乾かす」という治療方法の
問題点を様々な角度から検証。

消毒に始まり消毒に終わる、
といえるくらい、
何をするにも消毒が当たり前だった
医療現場に、

消毒薬には
人間の細胞膜タンパクと
細菌の細胞膜タンパクの
区別がつかない

ため、消毒薬が
人間の細胞膜を破壊してしまう
という視点を導入。

そして、傷口の

ジュクジュクと出てくる
滲出(しんしゅつ)液は
細胞成長因子と呼ばれる物質を含み
その物質は傷を治すための成分

という研究結果を尊重。
「ジュクジュク」のまま、の
有効性を説いた。

その結果、到達したのが
「傷を消毒しない、傷を乾かさない」という
湿潤(しつじゅん)治療。
提唱している夏井さん自身、本書のことを

医学界に
一方的に喧嘩を売りまくる本
書かせていただいた

と、あとがきに記している。

それから12年、
2021年に出版された

山本 健人 (著)
すばらしい人体
あなたの体をめぐる知的冒険
ダイヤモンド社

(以下水色部、本からの引用)

には、傷治療について
こう書いてある。

近年は、消毒液が
傷の治りを悪くすることがわかり、
よほどのケースを除いて
傷は消毒しないのが
当たり前になった

なんということだろう。
医学界に喧嘩を売った内容が、
わずか12年で、
いまや「当たり前」になっているようだ。

長年の習慣から「傷は消毒するもの」と
考える人は多いので、
「せっかく病院に行ったのに
消毒をしてもらえなかった」と
不満を抱く人はいるかもしれないが、
軽い傷なら「消毒しない」ほうが正解だ。

幸運にも、
私自身は病院とは縁遠い生活ゆえ
実際問題としていつごろから
「消毒しない」が
「当たり前」になったのかは
よくわからないが、
夏井さんも喜んでいることだろう。

消毒液「赤チン」のあった
昭和の小学校の保健室がなつかしい。

 

 

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