歴史

2021年7月18日 (日)

ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

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ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

- キャンベルさんの言語感覚 -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない
 * 女帝エカテリーナの偉業

を紹介したが、
目に留まったトピックスの紹介
もう少し続けたい。

 

アルタイ諸語、アルタイ語族についての
詳しい説明はここでは省略するが、これらは
トルコ、中央アジア、モンゴル、
そしてロシアの一部と、
まさにユーラシア大陸を広く横断し、
そこには日本語や朝鮮語も含まれることが
提案されてきた重要な言語群だ。

田中さんも日本語について

単純にアルタイ諸語だとは言いきれない

と慎重に書く一方で

私などは、日本語の中には
いつくものアルタイ的特徴が
濃厚に認められるから
基本的にアルタイ語だと考えている。

とも書いており、基本的に
アルタイ諸語にグルーピングされて
話は進んでいる。

そんなアルタイ諸語の特徴について
こんな特徴の記述があった。

たとえばアルタイ語には
「ラ」行(r-)ではじまる単語がない

子どものころ、しりとりをすると
いつもラ行で苦戦していたことが
急にありありと思い出される。

そうか、もともと単語がなかったのか。

ラ行ではじまる単語は、
日本人は自分では作れず、
ほとんどが外国語からの借用である。

なので

ラ行ではじまるオトを
無理して発音すれば、
その前にどうしても母音が入って、
たとえばロシアはオロシアとなる。

幕末から明治を舞台にしたドラマに
よく登場するあの国の名前が
いつもオロシアとなっているのは
こんな理由があってのことのようだ。

ハンガリー語では
いまでもロシアをオロス(Orosz)と言い、
これはモンゴル語も同様
である。

「ラ」行(r-)ではじまる単語がない
こんな共通点があるなんて。

この件に関して、
こんなエピソードまで添えている。

「令和」という
新しい元号が発表されたとき、
私は、こんなラ音ではじまる
本来の日本語にはなかった発音様式は、
「国粋的」ではない、
困った名づけだと思った。

するとあるとき、深夜のラジオで
ロバート・キャンベルという
アメリカ人の日本文学の研究者が、
レイワは、外国人が
発音するには問題がないけれど、
日本人にはどうでしょうか

話していた。

(中略)

キャンベルさんは明らかに、
古代日本語の音韻体系を
念頭に入れて話していた
のだ。

こういった日本語の
歴史を含めた言語感覚までをも
身につけてしまう才能、
表面的ではない深い学習内容。

以前、本ブログでも
キャンベルさんと井上陽水さんとの
対談を
ただあなたにGood-Bye
と題した記事で取り上げたりもしたが
キャンペルさんの日本語の知識と
その言語感覚には驚かされるばかりだ。

 

 

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2021年7月11日 (日)

女帝エカテリーナの偉業

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女帝エカテリーナの偉業

- 200言語の比較語彙集を -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない

を紹介したが、今日はそれに続く3回目。
スケールの大きな話を紹介したい。

 

現実にある言語の多様性に、
つきることのない好奇心を抱き、
それをロシアの所有になった
シベリアの諸民族のもとに、
実際に調査させようと企てた

のは、
ドイツの数学者、
ライプニッツ(1646-1716)

だった。

ライプニッツは

ことばにはさまざまなものがある
(リクツから言えば、
 いくつものことばがあるのは
 人類にとってムダなことなのに)
ことに深い関心を寄せ、

(中略)

ロシアのピョートル大帝(1672-1725)に、
征服したシベリア一帯の言語を
調べるよう促していた

が、それは、ロシアを治めた女帝
エカテリーナ二世の時代に
実現する
ことになる。

シベリアの諸言語の
調査をひきうけたのは、
ベルリン生まれの
P・S・パラスというドイツ人であった。

1787年と1789年に刊行された
全世界言語比較語彙
(Linguarum ToriusOrbis
 Vocabularia comparativa)

200の言語だの方言だの
単語の比較語彙集であった。

ロシアの女帝になったドイツの女が、
言語学に全く新しいページを開く、
歴史的な大事業を達成したのである。

200の言語の調査!

女帝エカテリーナとは、
どんな人物だったのだろう?

工カテリーナ女帝自身は、
ドイツの田舎貴族の出身であったが、
結婚させられた夫のピョートルが
大人になっても、おもちゃの兵隊の
人形遊びをしているような
頼りない夫だったので、

こんな男に
ロシアをまかせてはおけない


自分こそが
ロシアの母にならなければならない
と考えて
ロシア語を身につけ、
ロシアの学問を統合推進するための
科学アカデミーを作ったりして、
ロシアを世界の一流国にするために
大いに尽力した
のである。

アンリ・トロワイヤの
『女帝エカテリーナ』
(上・下、工藤庸子訳、中公文庫)

が紹介されているので、
今度読んでみたい。

どこかハプスブルク家の
女帝マリア・テレジアを髣髴させる。

ちなみに生没年は
 エカテリーナ(1729-1796)
 マリア・テレジア(1717-1780)
偶然にも同時代に生きていたことになる。

大きなアウトプットは
続く時代にも
大きな影響を与えることになる。

こうしてできたパラスの
『語彙集』が刺激となって、
さまざまな未知の言語を集めた
博言集が現れることになった。

有名なものに、
ドイツ人のヨーハン・クリストフ・
アーデルンクが 
『ミトリダーテス』に、
約500の言語、方言の見本を集めて、
1806-17年にかけて
刊行した
ことが知られている。

ミトリダーテスとは
古代ギリシアの王様の名前で、
この人は征服した22の民族のことばを
話すことができた
と伝えられ、
この語彙集の名は、その多言語に通じた
人の才にたとえたものであろう。

500言語の博言集、
22の民族のことばを話す王、
寡聞ゆえとはいえ驚かされるばかりだ。

 

 

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2021年6月20日 (日)

誕生ホヤホヤ合衆国の使節団

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誕生ホヤホヤ合衆国の使節団

- ヴェネツィア大使の先見の明 -

 

前回
22歳のウィトゲンシュタインと
63歳のフレーゲとの対面について書いたが、

「年齢差のある対面」で
思い出した話があるので
今日はそれについて書きたいと思う。

参考図書はコレ。

塩野七生 (著)
イタリア遺聞
新潮文庫

の中の一篇
「ベンジャミン・フランクリンの手紙」
(以下水色部、本からの引用)

時は1783年。当時のアメリカ合衆国は、
8年も続いた独立戦争が終結し、
ヴェルサイユで調印された「パリ条約」で
独立を承認されたばかりの
まさに誕生ホヤホヤの国だった。

独立宣言もあったし、
国号をアメリカ合衆国とすることも
決まってはいたが、
議会も連邦政府もなく、
もちろん大統領も
まだ存在していなかった。

ワシントンが
初代大統領に就任するのは、
この6年後
の1789年に
なってからである。

このとき、
「パリ条約」調印のために
フランスに来ていた合衆国使節団が
パリに派遣されていた
ヴェネツィア共和国の大使に
送った文書が紹介されている。

ベンジャミン・フランクリンの筆になる
この外交文書は、
次のようにはじまっている。

大使閣下、大陸会議に参集した
アメリカの各州の代表は、
ヴェネツィア共和国と
アメリカ合衆国との間に、
平等と相互理解と友好に基づいた関係が
成り立つことは、
両国いずれにとっても
利益になるであろうとの
結論に達しました。

(中略)

閣下には、本国政府の意向を
ただされることを願うばかりです。

アメリカ合衆国使節
  ジョン・アダムス
  ベンジャミン・フランクリン
  トーマス・ジェファーソン

すごい文書だ。

合衆国の
* 第2代大統領になる
  ジョン・アダムス

* 避雷針の発明者としても有名な
  ベンジャミン・フランクリン

* 第3代大統領になる
  トーマス・ジェファーソン

の3名が名を連ねている。

さて、ここで問題。

「新興国家合衆国の使節団と
 歴史ある国家ヴェネツィアの大使、
 どんな年齢関係だったでしょう?」

新興国からは元気な若者集団、
ヴェネツィアからは風格のある老大使
をついついイメージしてしまう。

著者塩野さんもこう書いている。

新興国家アメリカ合衆国を
代表するのだから、
現代から想像すると、
なんとなく、
血気盛んな若い世代に属する
人々ばかりであったように思え、

それに反して、
歴史の舞台から去りつつあった
老国を代表する人物となると、
保守的でがんこな老人で
あったにちがいないと思うが、
実際はまったく逆なのである。

合衆国使節団
 ジョン・アダムス:48歳
 トーマス・ジェファーソン:40歳
 ベンジャミン・フランクリン:70歳代

駐仏大使
 ダニエル・ドルフィン:35歳

平均寿命が40代だった時代における
 [35歳] 対 [48,40,70代]
を正確にイメージすることはできないが、
別格のフランクリンも含めて
合衆国使節団は十分老人と呼ばれる
年齢だったようだ。

いずれによせ、予想ははずれたものの
想像するとなぜかうれしくなる図だ。
老国の方が若いなんて。

このダニエル・ドルフィン、
友好通商条約を結びたいと申し入れてきた
この合衆国の文書を本国に送る際、
外交官としての自分の意見
書き添えているという。

その内容は以下の通り。

アメリカ合衆国は、将来、
 世界で最も怖るべき力を持つ
 国家になるでありましょう

さすが大使、若いだけではない。
もう一度書く。

ワシントンが
合衆国初代大統領に就任する
6年前のコメントだ。

 

 

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2021年5月 9日 (日)

あの政権の画期的な動物・自然保護政策

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あの政権の画期的な動物・自然保護政策

- なぜ両立するのか、という問い -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、
 * 人類が他の動物に食べられていたころ
 * トキの「復活」?
 * 侵略的外来種「ネコ」
 * 称賛されるペットの特徴は、
について紹介したが、今日は
寡聞にして全く知らなかった
ある驚きの事実について
紹介したい。

ナチス政権の動物保護、
自然保護についてだ。

ヒトラーは
1933年1月に政権を獲得しますが、
その年の8月、ナチスのナンバー2の
ヘルマン・ゲーリングが
ラジオでこのような演説をしています。

「現在まで動物は法律において
 生命のない物であると
 考えられてきた。
 (…) 
 このことは
 ドイツの精神に適合しないし、
 何にもまして、ナチズムの理念とは
 完全にかけ離れている
」。

ヒトラー政権は同年11月に
「動物保護法」を制定します。

そこでは、動物は人間のためではなく
「それ自体のために」保護される
とし、
「動物を不必要にさいなみ、
 または、粗暴に虐待すること」を
禁じました。

先入観がじゃまをしてか、
ナチスと動物保護の法律というのが
どうも結びつかないが、
法律では動物実験にも
厳しいい制限を課していたようだ。

さらに、動物実験も

「これまで証明されていない
 特定の結果が
 予想される場合に限られること」

「動物を事前に気絶させること」など、

現在の日本より厳しい制限を課しました

ヒトラー自身は
動物実験の全面的禁止を考えており、
動物実験と動物虐待の禁止が
「動物保護法」の重要な目的

と主張していました 

しかも単に法律を定めるだけでなく

1934年、科学・訓練・公共教育省は
すべての学生は動物保護法について
 学ばなければならない

と通達し、
1938年には
 獣医の認可に動物保護の項目が必須要件
とされます。

と、その精神の普及にも施策を打っている。

もちろんそのこと自体は
他の国からも評価されている。

こうしたナチスの動物保護法は
世界で高く評価され、
ヒトラーは
ドイツ民族に
 動物保護のために有効な法律を授けた
 人類と動物の友

と評され、アメリカの基金は
「動物保護法」の功績を称えて
ヒトラーに金メダルを贈っています。

しかも、
保護したのは動物ばかりではない。
自然保護にも実に積極的なのだ。

ナチス政権は自然保護にも積極的で、
「帝国森林荒廃防止法」
「森林の種に関する法律」
(1934年)、

そして
「景観に大きな変更を及ぼすような
 計画の許認可は、
 事前に所轄の自然保護監督機関に
 意見を求めなければならない」とし、

行政が自然保護区を指定するさいに
土地所有者が
金銭的な保障を請求することを禁ずる
「帝国自然保護法」(1935年)
などを制定し、
それらは自然保護活動家から
「革命的な法律」と絶賛されました。

画期的とも言える
動物保護運動や自然保護活動が
ナチス・ドイツにおける
人種差別や障がい者差別と
なぜ両立するのだろうか?

そのあたりを考えると
「保護とはなにか?」
「その背景の思想とはなにか?」
にじっくり向き合わざるを得なくなる。

歴史は、
「保護の本質」に迫る重要な問いを
投げかけてくれる。

 

 

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2021年4月25日 (日)

侵略的外来種「ネコ」

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侵略的外来種「ネコ」

- 生態系にとっての悪の枢軸!? -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、
 * 人類が他の動物に食べられていたころ
 * トキの「復活」?
について紹介したが、今日は
「ネコ」についての
ちょっと意外な数字を紹介したい。

まずは侵略的外来種の説明から。

人間による環境破壊の一つに
「外来種問題」があります。

外来種とは、
もともとその地域にいなかったのに、
特に人間によって
他の地域から移入させられた生物で、

その中でも、
地域の自然環境や生物多様性を
脅かすおそれのあるものを
「侵略的外来種」(侵略的外来生物)
と呼んでいます。

現在の生物多様性減少の最大の原因は
生息地の減少・破壊
(特に熱帯林の破壊)ですが、

外来種問題は二番目の原因とも言われ、
過去400年間の種の絶滅の半分は
外来種によるとされています

(Courchamp, Franck.(2006)
 「世界の島嶼地域における
  侵略的外来種問題」
 『哺乳類科学』vol.46(1)85-88.)

では、侵略的外来種と言えば
具体的にはどんな生物だろう。

なんと
代表的な侵略的外来種の一つはネコ
だという。

ネコという動物の問題は、
たとえ飼い猫のように
食べ物が充分にあっても
「おやつ」や
「娯楽」のために狩りをし

多くの動物を殺すことです。
(「過剰捕食」[hyperpredation]と
 呼ばれます)。
この点、ネコはわたしたち
ホモ・サピエンスとよく似ています。

 

仮に過剰捕食があったにせよ、
ネコと「侵略的」という言葉が
どうも結びつかない。

オーストラリアを例に
少し具体的な数字で見てみよう。

オーストラリアには現在
2000万匹とされる野良猫がいますが、
このネコたちは今までに
 100種以上の鳥類、
  50種以上の哺乳類、
  50種の爬虫類、
 多くの両生類や無脊椎動物を
絶滅させました
(Courchamp, Franck.(2006)
 「世界の島嶼地域における
  侵略的外来種問題」
 『哺乳類科学』vol.46(1)85-88)。

過去だけではない。今後も...

オーストラリア環境省によれば、
ネコは一日に
 7500万の固有種の動物を殺し、
  35種の鳥類、
  36種の哺乳類、
   7種の爬虫類、
   3種の両生類を
絶滅させようとしています

にわかには信じられないような数字だが、
ネコのことを

オーストラリア環境大臣はネコを
「暴力と死の津波」

オーストラリア野生動物
管理委員会委員長は
「生態系にとっての悪の枢軸」

と呼んでいる関係者の言葉は
まさに数字を裏付けるようだ。

なのでこの現実に対して

2006年にオーストラリア政府は
1800万匹の野良猫の根絶」を宣言し、
金属製のトンネルに猫をおびき寄せて
毒ガスを噴射するわなや
毒入りのソーセージなどを開発して
駆除を進めてきました。

2015年には、環境大臣があらためて
「2020年までに200万匹の
 野良猫を殺処分する」計画を
発表しています。

 

もちろんネコの問題は
オーストラリアだけではない。

* ニュージーランドのラウル島で
  数十万羽いたセグロアジサシが絶滅、

* 亜南極のケルゲレン諸島で
  年間約125万羽の海鳥が殺される、

などなど

ネコは世界のほとんどの島に
持ち込まれており、
島の動物相を破壊するスピードでは、
 ネコの右に出るものはいない

(ソウルゼンバーグ ウィリアム.(2010)
『捕食者なき世界』野中香方子訳,
 文藝春秋)

と言われる例を並べている。

「個としての動物」たちの
命や苦しみよりも
「生態系」の保護が優先されるという
大義名分のもと、
外来種を駆除してしまっていいのか、は
簡単な問題ではないが、

ネコに対して
かわいいペットのイメージしか
なかったせいか
上記「破壊力」の数字には
ほんとうに驚いてしまった。

備忘録代わりにメモっておきたい。

 

 

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2021年4月18日 (日)

トキの「復活」?

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トキの「復活」?

- 対象だけでなく環境も含めて -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、その一節を紹介する2回目。

今日は、
トキの「復活」について触れたい。

日本を象徴する鳥と言われるトキ
学名ニッポニア・ニッポン)は、
明治末以降、食用や羽根を取る乱獲で
1930年代までに
数十羽にまで減りました。

1952(昭和27)年にトキは
特別天然記念物に指定され、
佐渡や石川県で
禁猟区が設定されましたが、

おそらくは農薬散布による餌の減少、
開発による水田の減少などのため、
2003(平成15)年に絶滅しました。

学名が
Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)
というのは初めて知った。

すごい学名だ。
国鳥のキジの立場はどうなるのだろう?
は、よけいな心配か。

それはともかく、
日本種の絶滅に瀕して
中国からの輸入が始まっていた。

1999年以降、
中国から贈られたトキ5羽を元に
人工繁殖させる試みが始まり、
2008年から佐渡で放鳥が始まり、
2019年には350羽が生息しています

なお、中国のトキと日本のトキは
遺伝子の違いがごく僅かな同一種で、
「例えて言うなら、
 日本人と中国人の違いみたいなもの」
(石居進『早稲田ウィークリー』919号)
とされています。
いわば、日本人が絶滅したので、
「同一種」である中国人を連れてきて
「復活」させたようなものです。

これを「復活」と
言っていいかどうかはともかく、
トキが生息するようになったのは
事実だ。

トキの場合は、その絶滅が
生態系の破壊を引き起こしたというより、
「日本には美しいトキがいてほしい」
という日本人の「願望」で
計画されたと言えます。

しかし、トキは1952年に
特別天然記念物に指定されて以来、
50年間保護されたにもかかわらず
絶滅しているので、
日本ではトキが生息しにくい環境が
広がっていると考えられます

この指摘は、
すごく大事なことを含んでいると思う。

トキの保護政策や技術については
何も知らないので、
トキのことに関して
その是非を論じる力は一切ない。

ただ、

「50年も保護してきたのに
 絶滅したということは
 すでに環境のほうが
 合わなくなっているのではないか


の視点は、
トキの場合に限らず、
また生物の場合に限らず、
あるものの生存戦略を考える上で
大事な視点のひとつだろう。

特に、「願望」で無理やり
存続させようとするとき
って、
存続のために「対象への対応」ばかりに
議論が偏る傾向が強い気がする。
対象をどう保護するか、とか
対象をどう強くするか、とか。

 

地元では、かつての
トキが生息していたころの環境を
復活させる取り組みも
行われているらしいが、

そうでなければ、
そのような環境に無理やり
導入させられた中国産のトキは
「いい迷惑」かもしれません。

 

 

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2021年4月11日 (日)

人類が他の動物に食べられていたころ

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人類が他の動物に食べられていたころ

- 生得の武器がない -

 

今週は、2つの驚く記事を目にした。

(1) 人類は「肉を食べ尽くしたあと」雑食に移行したと判明
  人はもともと肉食動物だったが、
  過剰狩猟のため、その後、
  植物性の栄養源を取り入れるようになり
  次第に雑食化していったとのこと。

  詳しい内容は、
   American Journal of Physical Anthropology
  に。

(2) 素粒子物理学の根幹崩れた? 磁気の測定値に未知のずれ
  素粒子物理学の基礎である
  「標準理論」で説明できない現象
  捉えたと、
  米フェルミ国立加速器研究所が
  2021年4月7日、発表した。
  素粒子ミューオンの磁気的な性質が、
  理論で想定される値から
  大きくずれていたという。

  理論が想定していない力が働いていたり、
  未知の素粒子が影響
したりしている
  可能性がある。

  元となる発表はこちら。
   First results from Fermilab’s Muon g-2 experiment strengthen evidence of new physics

どちらもこれから精査が必要だろうが、
長く広く信じられていたことが
書き換えられるかもしれない発表には
ドキリとさせられる。

仮に100%の新発見でなかったとしても、
そこにはこれまで見落としていたような
大事な視点や事実が
含まれていることも多々あるし。

今後の検証報告等に気をつけていきたい。

 

これらのニュース、特に(1)を耳にして
思い出した本があるので、
今日はその本について触れたい。

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

は、

「いのちへの礼儀」という書名が
ある意味「救い」とも言える
実に重い本だった。

特に、畜産業(本では工業畜産とか
動物工場とかの言葉を使っているが)
における動物の扱いの実態は
読むことさえ辛い。

もちろん、肉も卵も食べているのだから
その恩恵は目一杯受けているし、
逆に、本来は知らなくてはいけないこと
なのかもしれないが、
やはり「残酷」と思える現実からは
どうしても目をそむけたくなる。

ただ、この本の価値は
そういった現実を
単に読者に知らせることにはない。

動物と人間との関係を
広く、冷静に見つめ直すことで
読者に「いのちへの礼儀」を
改めて真摯に考える
きっかけを与えてくれていることにある。

なので、客観的な事実がどうか、
という情報の問題だけでなく、
新たに気付かされることも多い。

450ページほどの内容豊かな本から、
そんな点に絞って
いくつか言葉を紹介したい。

最初はやはりこれ。

肉食しなくても生きていけるのに、
なぜわたしたちは
わざわざ動物を殺すのでしょうか

明確な解があるわけではないのだが、
まさに通奏低音のように
本を読んでいる間じゅう
静かに流れ続ける問いだ。

まずは歴史を振り返ってみよう。

ジャングルに住む
初期の人類は草食でしたが、
サバンナに進出した後、
250万年ほど前から
少量の肉を食べ始め、
200万年前には
肉食が定着したようです。

そんな古い食性がどうしてわかるのか?
化石骨から読み取れるようだ。

250万年前から200万年前の
オーストラロピテクスの
化石骨の分析では、
食性の70%が植物性、
30%以下が動物性となっています。

動物性は、昆虫や
トカゲなどの小型の脊椎動物を
食べていたことに由来するらしい。

そもそも、人類の
大きく平たい切歯と臼歯という特徴は、
「肉食」動物でも「草食」動物でも
「雑食」動物でもなく
「果実食」であることを示しています
(三浦慎悟(2018)
 『動物と人間 関係史の生物学』
 東京大学出版会)

 

さて、ここで話を次の段階の
「狩猟」に発展させようとすると
あることに気づく。

一般に、体重が150キログラムより
軽い動物は捕食されやすく

それ以上の体重の動物
(スイギュウ、サイ、カバなど)は
ほとんど捕食されないことが
知られています
(タンザニアの
 セレンゲティ国立公園での
 40年間の調査による)

そう、人間自体が
大きな動物の獲物だったのだ。

人類はほとんど生得の
武器のない生き物です。

ライオンやヒョウのように
時速70キロメートルで走れず、
鋭い牙もかぎ爪もありません。

チンパンジーは鋭い犬歯があり、
握力も約300キログラムあり、
ゴリラも150キログラムの体重で
握力は500キログラム程度ある
とされますが、それでも
現在の野生の霊長類は
年間「4匹中1匹」が
捕食されている
のですから
人類もそれに近い程度
食べられていたと考えられます
(事実、動物に食べられた
 跡の残るホモ・サピエンスの骨格

 各地で発掘されています)

まさに

人類は「狩人」であると同時に
他の動物たちの「食べもの」

だった時期があるわけだ。

ホモ・サピエンスが
「出アフリカ」を果たすのが
約6万年前、
船、弓矢、針などを発明するのが
約7万年前から3万年前、
狩猟具を身に着け
食物連鎖の頂点に立つようになるのには
かなり時間がかかったことになる。

「食べられていた」ころの記憶が
体のどこかに残っているのであれば
他の動物に対してもう少し
優しくなれるような気がするのだが。
残念ながらそこからも時間が経ちすぎた
ということなのだろうか。

 

 

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2021年3月14日 (日)

最初にまず交換したかった

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最初にまず交換したかった

- 猿に労働はない -

 

昨年2020年4月の緊急事態宣言以降
「不要不急」と「経済活動」の関係について
いろいろな議論を耳にする機会が増えたが、
それらを聞きながら
「三浦雅士さんは
 もっとおもしろいことを
 言っていたのに」
と三浦さんの古い著書を思い出すことが
多かった。

今日はその部分を紹介したい。

本はこれ。

三浦雅士 (著)
考える身体
NTT出版

(以下水色部、本からの引用)

初版は1999年の年末。
書き下ろしではなく
新聞や雑誌に発表した記事を
改めてまとめた一冊だ。

 

この本の中に、こんな記述がある。

人間は必要に応じて物を交換すると
普通は思われている

だが、ネアンデルタール人から
クロマニヨン人への決定的な飛躍は、
むしろ逆に、交換が欲望を生み、
必要を生んだ
ことを教えている。

必要だから交換したのではなく、
交換したいから必要になった!

 

ここからは経済人類学の領分である。
そして、事実、多くの学者が、
共同体間の接触が欲望を生み、
その欲望が
労働をもたらしたと考えている。

すなわち、農産物に余剰が生じたから
交換したのではない。

交換したかったから
余剰を作るように
努力したのだ
というのである。

どこでどう学んだのか
「余ったものを交換したのが商業の始まり」
のように思い込んでしまっていたのは
いったいどうしてなのだろう。

 

最初にまず交換があったのだ

それから
その交換の場として集落が成立する。

さらに、そこで交換するための物を
生産するために、農業が始められ、
漁業が始められるようになった。

つまり、農村が発展して
都市になったのではない、
逆に都市が農村を生んだのだ。

「余ったから交換した」のではなく、
「交換したいから余らせるようになった」

なぜそんなことがわかるのか?
実は本を丁寧に読んでも、
この本だけでは
そう言えるようになったことの根拠は
よくわからない。

それでも、
この視点を提供してくれた価値は大きい。

交換の起源はおそらく再分配にある。

たとえば人類学者の山極寿一は、
類人猿と人間との違いは
狩猟採集したものを巣に持ち帰って
再分配するか否かにあると言う。

その場で食べたいという欲望を抑え
他者が獲得したものと合わせて、
それらを分配し直すこと
するか否かにあるというのだ。

山極さんの話は、以前
「円くなって穏やかに同じものを食べる」
という題で本ブログでも紹介した。
独占しないことと、分配、交換は
もちろん深い関係があると思うが、
生物の進化や生物社会の変化の中で
それらはどんな役割を演じたのであろう。

「交換したかった」を前提として
以下の文と読むと、まさに「労働」が
これまでとは全く違う響きをもって
見えてくる。

猿に労働はない

ただ人間だけが苦しんででも
何かを獲得しようとする、
すなわち労働するのである。

 

 

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2021年2月14日 (日)

リアリズムって?

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リアリズムって?

- リアルな博物画は幻想絵画? -

 

「日本資本主義の父」とも称される
渋沢栄一をモデルにした
NHKの大河ドラマ「青天を衝け」が
今日2021年2月14日から始まった。

渋沢の出身地である
埼玉県深谷市を訪問した話は
深谷の煉瓦(レンガ)なる題で
このブログでも以前簡単に書いた。

深谷に行くと、渋沢家の旧宅
通称「中の家(なかんち)」のほか
誠之堂(せいしどう)、
清風亭(せいふうてい)といった
移築した建物も
近くで見学できるのだが、
建物以上に
中の家の「血洗島(ちあらいじま)」という
なんとも恐ろしい響きの住所が
いまでも忘れられない。

さて今日は、渋沢栄一で思い出した
(と言ってもご本人ではなくお孫さん)
小さなエッセイを紹介したい。

荒俣宏さんが
雑誌「文藝春秋」の1989年8月号の
巻頭随筆として寄せていた
「新巻鮭とルナールに始まる」
というエッセイ。
(以下水色部、エッセイからの引用)

 

渋沢栄一から
孫の敬三が受け継いだ渋沢財閥は
近代日本の経済をリードしたが、
日本の魚類学をもリードした

渋沢栄一の孫敬三さんは、
「祭魚洞文庫」という名で
漁業史関係の文献を残したらしい。

荒俣さんは、この「祭魚洞文庫」を
調査するのだが、
そこですごいものを発見してしまう。

世界最初の太平洋産魚類図譜、
 ルイ・ルナール刊
 『モルッカ諸島魚類彩色図譜』
 (1718-19)

である。

発見時の衝撃をこんな言葉で書いている。

これを見た瞬間、思わず手がふるえ、
目がかすみ、口ら泡を吹き、
髪の毛が立ち、肌がニワトリになった。
そのくらい驚いても、
ぜんぜん不思議はない珍本なのだ。

なぜなら、この本は
初版以来三版を閲(けみ)しているが、
出版総数三百冊を超えないと思われ、
現存するもの二十点にすぎない、という
魚類図鑑史上
もっとも貴重な書物
だったからである。

そこには、シュールな魚類彩色図があった。

この絵を描いたサムエル・ファロアーズは、
序文で
「この絵は実につましい模写にすぎない。
 現物はこれよりもっと信じがたい
 体色と形をしている」と述べている。

ルナール図譜の最大の特徴は、
生きた魚を現地で精写したところで
魚屋に並ぶような死んだ魚を
描いていない点。

普通の魚類図鑑は
だいだいこの死んだ姿を
あたかも生時の姿のように描くのが
普通なのである。

ところがファロアーズは、
熱帯の魚の生きた姿を
突然リアルに描いて、西洋人に示した。

そこに成立した絵は、
魚屋の店頭の認識を出ない西洋人の
リアリズム感覚から大きく逸(そ)れた、
まさにシュールで
幻想的なファンタジー絵画に
ならざるをえなかった。

換言すれば、
博物画はリアルに描けば描くほど、
幻想絵画になってしまうという
皮肉な運命
をたどる。

博物学に詳しい、
まさに荒俣さんらしい指摘だ。

近代日本の油絵にリアリズムを
獲得しようとした高橋由一が、
生きた鮭でなく新巻鮭を描いたのは、
まこと、理にかなっていた。

なぜなら魚の死体画こそが、
陸上にいるわれわれに
陸上の魚(魚屋の魚)のリアリズムを
保証するからである。

そうなると、リアリズムなんて
じつにいいかげんな概念にすぎない

さてさて、実際はどんな絵なのだろう。

ここで簡単に紹介されている。
ポストカードでも購入できるようだ。

それにしても形だけでなく
色に驚く。
300年前のものだなんて。

 

 

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2021年1月17日 (日)

お酒は二十歳になってから?

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お酒は二十歳になってから?

- 13歳が酒6合! 問題は無銭飲食 -

 

五年前の2016年も1月17日は
日曜日だったようだ。

ちょうど5年前の
その日のブログに書いたのだが、
この季節になると必ず見返すドラマに
「その街のこども」
がある。
ご興味があればリンク先の記事を読んで、
というかDVDにもなっているので
ドラマ自体をぜひご覧になってみて下さい。

11年も前のドラマなのに、
今年は17日(16日深夜)に
NHK BSプレミアムで再放送してくれていた。

ドラマの設定と同じような年齢で
阪神淡路大震災を実体験している
森山未來さん、佐藤江梨子さんの
自然な演技にも引き込まれるが
なんと言っても渡辺あやさんの脚本が
すばらしい。

しつこいようだが名作ゆえ
再度お薦めしておきたい。

 

閑話休題(!?)
私は、「成人の日」と聞くと
いまだに1月15日が浮かんでしまう
昭和のおじさんだが、
朝日新聞が
明治・大正期紙面データベースを
整えていた10年ほど前、
未成年の酒とタバコに関して
こんな古い記事を紹介していた。
(以下水色部、2009年4月3日の
 朝日新聞の記事から引用)

 

1922(大正11)年4月1日付けの夕刊は
「明日からお酒を飲むな
 警視庁は不良少年退治」
という見出しで
未成年者飲酒禁止法のスタート
を伝える。

1922年、
ほぼ100年前ということになるが、
つまり、それまでは
子供でもお酒を飲んで
よかったわけだ。

実際

1889(明治22)年に
13歳の少年が
 浅草公園のそば屋で
 そば7杯、酒を6合飲食したが、
 金がないので警察に突き出された」
という記事がある。

問題になったのは
飲酒のほうではなく、
無銭飲食のほう。

それにしても
そば7杯と酒6合とはすごい量だ。

 

では、タバコのほうは
どうだったのだろう?

未成年者の喫煙禁止法ができたのは
飲酒禁止法より20年以上早い
1900(明治33)年だ。

タバコの規制のほうが
ずいぶん早かったようだ。

いずれによ、どちらも
最初から決まっていたわけではない。

わずか100年ほど前のことでさえそう。

歴史を読むときは、
当時のルールは?と
今のルールを当然と思わないで読む視点を
いつも忘れてはならない、と思っている。

 

 

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