歴史

2019年9月15日 (日)

伊勢神宮 外宮と内宮

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伊勢神宮 外宮と内宮

- なにごとのおはしますかは知らねども -

 

以前
2019年5月にお参りした
出雲大社のことをブログに書いたが、
それからわずか2ヶ月半後の7月、
縁あって伊勢神宮のほうにも
お参りに行ってきた。

同じ年に、出雲大社と伊勢神宮。

今年は最強の年(!?)になるかもしれない。

 

2013年、
60年に一度の大遷宮を迎えた出雲大社。
同じ2013年に
20年に一度の式年遷宮を迎えた伊勢神宮。

伊勢神宮の20年毎の式年遷宮は
62回、1300年も続いているという。

宮地(みやどころ)を改め、
社殿や神宝をはじめ全てを新しくして、
大御神に新宮(にいみや)へ
お遷(うつ)りいただく
式年遷宮を6年前に終えた外宮と内宮、
その両方に参拝してきた。

なお、通称「伊勢神宮」と呼ばれる
「神宮」は、正確に言うと
外宮、内宮を中心とした
14所の別宮(べつぐう)
43所の摂社(せっしゃ)
24所の末社(まっしゃ)
42所の所管社(しょかんしゃ)
これら125の宮社の総称らしい。

今回お参りしたのは外宮と内宮。
様子を少しお伝えしたい。

まずは外宮から。

【外宮(げくう)】

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豊受大神宮(とようけだいじんぐう)

天照大神(あまてらすおおみかみ)の
食事を司る神
豊受大神(とようけのおおかみ)を
祀っている。

内宮創建から500年後に
山田原(やまだのはら)に迎えられた。
衣食住をはじめ
あらゆる産業の守り神

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これからお参りに行く人も、
お参りして出てくる人も、
多くの人が各鳥居で立ち止まり
丁寧に頭を下げて通過していく。

そういう些細な所作が、
境内の、つまり神宮の内と外とを
分ける空気を作り出している。

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外宮に入ると、と言うか
外宮の森に包まれると、
ちょっと不思議な
あえて言葉で言うと「気」みたいなものを
明らかに感じる。

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それは神宮のパワーというよりも
神宮によって守られた
森が持つパワーと言う方が
個人的にはぴったりする。

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とにかく森が豊かだ。

神宮の社殿は、それぞれ東と西に
同じ広さの御敷地(みしきち)を持ち
式年遷宮に備えている。

正宮(しょうぐう)は写真が撮れないので、
式年遷宮後の
となりの古殿地(こでんち)のみ。

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パワースポットとして
知られている「三ツ石」

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正式には
「川原祓所」(かわらはらいしょ)
と呼ばれる場所。

しめ縄が張られていて
直接触れることはできないが、
しめ縄の外から、
ストーブにあたるがごとく
みな手をかざしている。

「温かくなる気がする」
とか
「パワーを感じる」
とか
皆いろいろ言い合っていたが、
私自身は、最初に書いた通り
外宮全体の森の気みたいなものを
すでに強く感じていたので、
小さな石のパワーには
あまり興味が持てなかった。

 

正宮だけでなく、各社殿それぞれに、
式年遷宮のための御敷地(みしきち)が
隣に並んで確保されているのは
興味深い。

風宮(かぜのみや)と御敷地

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土宮(つちのみや)と御敷地

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多賀宮(たがのみや)と御敷地

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多賀宮(たがのみや)へ上る階段も
緑豊かだ。

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森の気(!?)に引き込まれるように
少しゆっくり奥へと歩いたが、
観光のメインコースから外れると、
人もまばらになり、
さらに深く森を楽しむことができる。

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奥の小さなお社にも、遷宮用の御敷地は
ちゃんと確保されている。
空いている側は、東西というか左右で
揃っているわけでなく、
お社によりバラバラだ。

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外宮の参拝を終え、内宮に向かった。
路線バスで20分強の移動。

 

【内宮(ないくう)】
皇大神宮(こうたいじんぐう)
皇室のご祖神
天照大神(あまてらすおおみかみ)を
おまつりしている。

五十鈴川(いすずがわ)に架かる
宇治橋(うじばし:長さ102m)を渡り
内宮に向かう。
両端の鳥居は、両正宮の旧正殿
棟持柱(むなもちばしら)を
リサイクルしているという。

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神苑(しんえん)を歩く。

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手水舎(てみずしゃ)にて
参拝前に心身を清め、
正宮(しょうぐう)に向かう。

こちらも写真が撮れるのはこの位置まで。

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平安末期の歌人・西行は
伊勢神宮にお参りして、

 なにごとのおはしますかは知らねども
 かたじけなさに涙こぼるる


と詠んだという。

何度も書いた通り、外宮も内宮も
とにかくお社を包む森がすばらしい。

華美な部分はないが、
繰り返される日々の営みに支えられた
圧倒的とも言える時の流れ、歴史、
それらを静かに包み込んでいる
深い深い森の生命力、
そういうものを
「なにごと」かはわからなくても
まさに全身で感じることできるのが、
お伊勢参りの魅力なのかもしれない。

 

 

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2019年9月 8日 (日)

「ウィーン・モダン」展

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「ウィーン・モダン」展

- 作品とその時代を同時に体験 -

 

日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン
クリムト、シーレ 世紀末への道


という企画展が、
東京六本木の国立新美術館で
開催されていた。
(2019年4月24日~8月5日)

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工夫を凝らしたいい企画展だったため
本ブログで紹介できれば、
と思っていたのだが、
モタモタしているうちに気がつくと
閉幕日を過ぎてしまっていた。

ありゃ、ありゃ、これから書いても
単なる日記にしかならないか。

そう思っていたら、偶然
ラジオから
「8月末から大阪にて公開中」
なる情報が流れてきた。

慌てて調べてみると、東京に続いて

【大阪展】
2019年8月27日~12月8日 
国立国際美術館


が開催されているらしい。

だったら、日記のようなメモでも
「これから行こうか?」と
迷っている人に
多少は参考になるかもしれない。

 

本企画展、
会場を事実上一方通行にすることで
18世紀から20世紀までのウィーンを
時間順に、文化とともに歩めるような
演出になっている。

単に絵画を並べた展覧会ではなく、
作品をその時代の社会的背景とともに
体験できる点に大きな特徴がある。

なお、大阪展は、
若干出展数が減ってしまっているようで、
「東京展と全く同じ」
というわけではないようだ。
本記事は、あくまでも
東京展を観ての感想なので、
その点はご承知おき下さい。

 

まず、全体構成。
(1)「啓蒙主義時代のウィーン」
(2)「ビーダーマイアー時代のウィーン」

(3)「リンク通りとウィーン」
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」
の4部構成となっており、
時代の流れに沿って
各文化を楽しめるようになっている。


18世紀の女帝マリア・テレジアの
肖像画から展示は始まっているが、
マリア・テレジアの時代に始まった
啓蒙思想が
 フランス革命 (1789-1799)
 ウィーン会議 (1814-1815)
を通して
ビーダーマイアー時代へと
繋がっていく様子が前半。

(3)「リンク通りとウィーン」
のセクションでは、
ここに書いた話を
ショートフィルムも交えて
写真と絵画で
より詳しく知ることができる。

1857年に長い間ウィーンを囲っていた
市壁の取り壊しが決定。
その跡地がリンク通りとなり
沿道には国会議事堂、歌劇場など
特徴ある建物が次々と造られていく。
一気に都市部が広がり始めるウィーン。

 ウィーン万国博覧会 (1873)
 皇帝の銀婚式祝賀パレード (1879)

といった大きなイベントを
ハンス・マカルトをはじめ
多くの画家が作品に残している。

そういった、歴史の流れを
十分実感させた上で、
最後のセクション
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」へと
繋がっていく。

19世紀末から20世紀にかけて、
都市機能がさらに充実していくウィーン。

鉄道を始め、都市デザインに貢献した
建築家オットー・ヴァーグナーの業績も
いくつもの模型を交えて展示してある。
ウィーン旅行記で記事にした
カールスプラッツ駅舎も彼の作品だ。

芸術の分野では、
画家グスタフ・クリムトらが中心となって
ウィーン分離派」が結成される。

多くの絵画の展示がある中、
どういう理由かよくわからないが
クリムトが最愛の女性を描いたとされる
1902年の作品
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
のみ写真撮影が許可されていた。

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フレーゲの姉とクリムトの弟が
結婚したこと、
つまり義理の兄妹の関係になったことが
ふたりが知り合った
きっかけだったようだが、
ふたりは結婚はしなかったものの、
まさに死ぬまで生涯のパートナーとして
すごしたらしい。

とにかく色が美しく、
まさに本物を観る価値がある。

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展覧会パンフレットの
裏表紙に使われている
エゴン・シーレ の「自画像」

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は、ほぼ等身大の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
とは対照的に、30cm四方程度の
思ったより小さな作品だった。
エロティックなデッサンも含め、
多くの分離派の作品を堪能できる。

 

魅力的な絵画が並ぶ中
個人的に特に強く印象に残ったのは
ウィーン分離派が
分離派の展覧会のために作った
ポスター群だった。

展覧会ごとに
作家が順番に担当したらしいが、
どれも全体のデザインはもちろん
文字、つまり字体も美しく
一枚、一枚、実にユニーク。

新しいものを生み出していこうという
ある種の勢いみたいなものが
ヒシヒシと伝わってくる。

残念ながら写真は撮れなかったので
パンフレットの中の写真を
2枚だけ貼っておきたい。

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ポスターなので
素材はもちろん紙なのだが、
どれも保存状態がよく
ほとんどシミがないのにも驚いた。
どうやって保存していたのだろう?

 

ここから42回にも渡って
旅行記を書き続けたように、
ウィーンは2年前の旅行で
個人的に満喫した都市のひとつだ。

なので、「行ったからこそ」、
「その後、詳しく調べたからこそ」、
楽しめた部分は確かにある。
一緒に行った妻も同意見だ。

しかし、仮にウィーンに
一度も行ったことがなかったとしても、
時代の流れを感じながら
作品を楽しむことは十分にできたと思う。

作品とその背景となる歴史や社会を
じょうずに結びつけた
工夫に満ちた展覧会だった。

 

 

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2019年8月18日 (日)

古代出雲 歴史博物館

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古代出雲 歴史博物館

- 高さ48mの本殿は? -

 

出雲大社にお参りしたあとは
島根県立 古代出雲 歴史博物館
に寄ってみた。

入って最初に出迎えてくれたのは、
直径1mを越える巨大なスギが
3本一組となったコレ。
宇豆柱(うずばしら)

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これは出雲大社の八足門前、
下記写真の右下足元、赤丸の位置から
平成12年(2000年)に発掘された
巨大な柱の一部だ。
鎌倉時代のものと推定されている。

Img_4325s

 

出雲大社の本殿の高さは、
現在8丈(24m)だが、
「古代は16丈(48m)あった」という
言い伝えが残されている。

しかし、そんな巨大な建物を
当時の技術で建てることができたのか、
疑問の声も多かった。

そんな中、こんな巨大な柱の跡が
3箇所でみつかった。
しかもそれは古い平面図に描かれていた
位置通りの場所だったのだ。

この柱の発見により、
高さ48mの本殿の現実味
が一気に高まった。
巨大柱が支えた
鎌倉時代前半(1248年造営)の神殿は
どのような姿だったのだろうか?

博物館には、6種類の
復元案に基づく模型が展示してある。

本殿 復元案1

Img_4358s_1

一番インパクトがある巨大模型。
階段を歩く二人(白い点)にご注目。

高さ16丈の言い伝えは古くからあるため、
出雲大社本殿建築の復元研究と
その高さをめぐる論争は
すでに100年にもおよぶという。

復元案2, 復元案3, 復元案4

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発掘成果をもとに
限られた文献や絵画史料を駆使し、
上屋(うわや)構造を推定したもの。

学者によって
ずいぶん違う案が提示されていて
おもしろい。

復元案5, 復元案6

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図面や文書ではなく、
こうして模型で展示してくれると
だれにでもわかりやすいうえ
あれやこれや勝手な想像も
スケール感を伴ってしやすいので
形にする意味は大きい。

6つの案の中にほんとうの姿が
あるかどうかはわからないが、
柱の跡と現存の資料から考える範囲では
どの可能性も否定はできない。

 

館内では出雲大社のほか、
「出雲国風土記の世界」と
「青銅器」
がテーマ別の常設展になっていた。

【出雲国風土記の世界】
風土記は奈良時代に
全国六十余国で作成されたが
現在残っているものは5つのみ

そのうち
「常陸国風土記」「播磨国風土記」
は一部が欠落。
「豊後国風土記」「肥前国風土記」
は元の形から文章が省略されている、と
考えられているらしい。

つまり、現存する5つの風土記の中で、
ほぼ完全な形で伝わっているのは
「出雲国風土記」だけ


その風土記に基づいて
古代の地域の様子を
「くらし」の様子を
様々な角度から展示している。

 

【青銅器と大刀】
荒神谷(こうじんだに)遺跡から
358本の銅剣、
16本の銅矛、
6個の銅鐸が出土。

加茂岩倉遺跡から
39個の銅鐸が出土。

大量に出土した弥生時代の青銅器、
古墳時代の金銀の大刀
などが見やすく展示してある。

特に銅鐸。
こんなに多くの銅鐸は初めて見た。

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整然と並べられた銅剣、銅矛も圧巻だ。

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他にも
島根の歴史と文化を特徴づける
「四隅突出型墳丘墓」
「出雲の玉作」
「石見銀山」
「たたら製鉄」
を中心に、古代から現代に至る
島根の人々の生活と交流の歴史を
紹介している総合展示室もある。
どの展示・説明もわかりやすく、
見やすく、見どころ満載。

出雲大社にお参りした折には、
ぜひ立ち寄ってみてほしい。
お薦めだ。

 

 

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2019年8月11日 (日)

出雲大社

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出雲大社

- ぜんざいは神在(じんざい)? -

 

島根・鳥取方面への旅行、
最終日は、出雲大社にお参りした。

勢溜(せいだまり)の大鳥居から
松の参道と呼ばれる参道を
ゆるやかに上っていく。

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(写真はすべてiPadにて撮影)

ふと前方の鳥居を見ると、
そこから先、参道から人が消えている。
どうして?

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ここまで真ん中を歩いて来た人たちは
この鳥居から先、鳥居の両脇の道に
進路を変えているのだ。

神様の集まる出雲大社のこと、
「真ん中は神様の通る道で
 人はその両脇を歩く」
なる話も聞いたことがあったので、
「もしかしたら、このこと?」
と思いながら近づいていった。

鳥居の下まで来ると、
何か書いてある。
いったい、何が書いてあるのだろう?

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「松の根の保護のため
 参道左右をお進み下さい」

なんだ、松の養生のためか。
なぜかガッカリ。

脇の参道を歩くことになったが、
参道からちょっと右に目を遣ると
山の緑がほんとうに美しい。

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「ムスビの御神像」と呼ばれる像。

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立派な像ではあるが、
なぜか「気恥ずかしい」。

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「御自愛の御神像」

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因幡の白ウサギの話って、
子どものころ絵本で読んだ記憶しかない。

絵本で語られる物語というのは、
多くの子どもに知ってもらえるという
大きなメリットがある反面、
それだけで知った気になってしまう
そういう子どもを大量に生産してしまう
ある種の不幸を背負っている気がする。

「大人になってからちゃんと知ろう」
をサボっている自分の怠惰を棚に上げての
勝手な思い込みではあるが、
小学生のころ読んだ
「こども**全集」に入っていた話を
大人になってから「原作」で読んでみると、
その印象のあまりの落差に
驚くことはよくある。

絵本で知った、ならなおさらだ。

 

「拝殿」まで来た。

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出雲大社独特の
「2礼4拍手1礼」でお参りする。

左奥に本殿、右に拝殿

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境内を右回りに、大きく歩く。

左に八足門、右に観祭楼

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八足門

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右下の足元、赤い丸については
のちほど見学する歴史博物館で
驚きの事実を知ることになる。

 

御本殿西側

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西側から臨む御本殿

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素鵞社(そがのやしろ)
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境内の一番うしろ、
もっとも奥まったところにある。
大国主大神の父神とされる
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る社
御本殿を背後から見守るかのような
位置にある。

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真後ろから見る御本殿

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物理的な距離という意味では、
この真後ろが一番近いかもしれない。

東側から臨む、右が御本殿

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左から御本殿、御向社、天前社

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東十九社

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旧暦10月の神在月(かみありづき)の際
全国から訪れる神々の宿舎
西十九社として西側にもある。

御本殿を一周、拝殿に戻ってきた。

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お参りした後は、名物のコレを。

出雲割子そば

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蕎麦の実を皮つきのまま製粉するため
色は黒っぽくいが、香りもよく、
お参りで歩いて
ちょっとすいたお腹にピッタリ。

食事のあとはデザート代わりに
別なお店で「ぜんざい」を。

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このぜんざい、「縁結び」にからめて
なんと結んだ「蕎麦」が入っている。

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そもそも
「ぜんざい」の発祥はこの地だとか。

出雲では神在祭の時に
神在餅(じんざいもち)をふるまっていた。
「祇園物語」には
「赤豆を煮て汁を多くし、
 少し餅を入れ」とある。

この「じんざい」が
出雲弁でなまって「ぜんざい」となり、
京都に伝わったとのこと。

元は、神在(じんざい)か。

旅行最後に立ち寄った
島根県立古代出雲歴史博物館
の話は次回に。

 

 

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2019年8月 4日 (日)

国宝「松江城」

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国宝「松江城」

- 2階ごとの通し柱と包板(つつみいた) -

 

前回に引き続き、
松江旅行記を続けたい。

「カラコロ広場乗船場」から
堀川めぐりの船に乗り込んだ我々は
橋や石垣を船から楽しみながら、
「大手前広場乗船場」まで来た。

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(写真はすべてiPadで撮影)

ここで降りて、
松江城を見学することにする。
松江城は、現存する12天守のひとつ。
1935年に国宝に指定されたものの
1950年に重要文化財に。
2015年に国宝に再指定
というちょっとかわった経歴を持つ。

【松江城】
入るとまず、
大手門跡からの石垣に圧倒される。

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子どもではあるが
人と一緒に写真を撮ると、
石垣の高さがよく分かる。

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石垣積は、築城工事にあたって、
全体の半分以上の労力を要した大事業。

築成には遠く大津市坂本町穴太の
穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる
優れた技能を持った
石垣築成集団が招かれて
その任にあたったという。

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自然石や割石を積む「野面積」や
石切り場で切り出した石の、
平坦な面の角を加工し、
合わせやすくした「打ち込み接(はぎ)
といった様々な積み方を
実際に目にすることができる。

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訪問は5月4日、城内ではちょうど
ヒトツバタゴ(一つ葉田子)
通称ナンジャモンジャの木の花が満開で
多くの人がカメラを向けていた。

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ナンジャモンジャという名前には
きっとおもしろい由来があるに違いない、と
ちょっとググってみたのだが、
諸説出てくるものの
改めてここに書くようなネタは
見つからなかった。残念。

 

城の前まで来ると、
鎧を纏った武士の格好をした人が。

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城を背景に、
武士を囲んで写真撮影をする観光客、
特に外国人の方が多く、
各グループにひっぱりダコ。
忙しくても笑顔を絶やさない
にこやかな対応はさすが。

それにしても、この城、
堂々たる風格だ。

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さっそく中に入ってみることにした。

入って最初に目に飛び込んできたのは
「井戸」。
まさに城の中に井戸。
深さは24mもあるらしいが、
城から出ずに飲料水が得られたことは
籠城対策としても有効だったことだろう。

他にも、2015年の
国宝再指定を決定づけた「釘のあと」
木造では国内最大の鯱鉾(しゃちほこ)など
見どころはいろいろあるが、
一通り見学して、素人ながら
特に強く印象に残ったのは次の二点だった。

(1) 2階ごとの通し柱
松江城には、下から最上階までを貫く
「通し柱」がない。
1階と2階、2階と3階、というように、
「2階ごとの通し柱」を組合せて
天守を構成している。

iPadは暗いところに弱いので
写真ではちょっとわかりにくいが
写真を撮ったので貼っておきたい。

柱は、通常、こんなふうに
下の階から上の階に貫かれているのが
ふつうだ。(写真中央の柱)

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ところが、松江城では、
2階分の通し柱が使われているので
こんな部分がある。
中央の柱は、上の階にだけあって
下に伸びていない。

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ちょっと不思議な感じ。
全体の構造図で示すとこうなっている。

Toshihashira2

(登閣券を買ったときにもらった
 松江城のパンフレット掲載図。
 より詳細な資料は、松江市が
 通し柱配置図として公開している)

ちなみに、姫路城の天守には
地階から6階までを貫く柱が2本あり、
それらがまさに中心となって、
全体を支えているらしい。

なお、これら
各階の階段に「桐」の板
使っていることも、
松江城ならではの特徴のひとつ。

防火・防腐に効果があるだけでなく、
緊急時に
防衛のために階段を引き上げるとき、
軽くて引き上げやすい、
というメリットもあるのだとか。

 

(2) 包板(つつみいた)
天守を支える柱には、一面だけ、
あるいは二面、三面、四面に板を張って、
鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で
留められているものがある。

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これは「包板(つつみいた)」と呼ばれ、
天守にある総数308本の柱のうち
103本に施してあるという。
割れ隠しなど不良材の体裁を
整えることを目的としながらも、
補強効果も期待したものと考えられる、
との説明が出ている。

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現存天守では
松江城だけに見られる技法
らしいが、
数本ならともかく100本以上、
30%以上の柱が不良材ベースとは。

権威や体裁を気にする天守において
良材が調達できなかったこと、
そしてその不良材を工夫はしたにせよ
実際に使ってしまったこと、
それらにはどんな意味があるのだろうか?

 

天守閣からの眺めは抜群。
遠く、登山した大山も見える。

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南側には宍道湖が広がっている。

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明治の初め、全国の城はほとんど
取り壊される運命にあった。
ところが、松江城天守は
地元の豪農 勝部本右衛門、
旧松江藩士 高城権八ら
有志の奔走によって
山陰で唯一保存され、守られた。

今後も継続的なメンテナンスが
必須であることは間違いないが、
なんとかその姿を後世に残してもらいたい、
そう思える見応え十分の天守だった。

 

 

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2019年7月28日 (日)

松江城「堀川めぐり」

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松江城「堀川めぐり」

- 堀から見る、橋、石垣、そして町並み -

 

島根県訪問時には松江市内に
宿をとった。

今日は、松江城の堀川めぐりを
楽しみたい。

【堀川めぐり】
松江城を囲む堀は、
一部築城(1611年)と同時に造られ、
今もそのままの姿を残している。

400年もの歴史がある。

その堀を小舟でめぐるのが
「堀川めぐり」。
一周「約3.7km」のコースを
約50分で一回りする。

途中3箇所、乗船場があるが、
一日券1500円を購入すると
丸一日、3箇所での乗り降りが自由。
まさに乗り放題で楽しめる。

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(写真はすべてiPadで撮影)

船は全長約8m、幅約2mの小さなもので
乗客は全員、靴を脱いで乗りこむ。

屋根の下に屈(かが)みながら進んで
直接床に座るスタイルだが、
全員が腰を下ろすと、船頭さんから
さらなる説明があった。

「堀川めぐりは、一周する間に
 17の橋をくぐります
 ところが、その内4つの橋は、
 橋げたが低く
 そのままでは、船の屋根が
 ぶつかってしまい通れない
のです。

 なので、そういった低い橋をくぐる時は、
 船の屋根を下げて通過します。

 ちょっとやってみましょう」

船頭さんがスイッチを入れると
屋根がゆっくり下がってきた。

「これでもまだ半分ですよ、
 もうひと息、頑張って下さい」

予行演習を和やかに進める
話術も巧みだ。

予習を済ませると、船は加速しながら
堀の真ん中に出ていった。

 

「カラコロ広場乗船場」を出発してから
ほどなくすると、
実際に低い橋が迫ってきた。

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「はい、屋根を下げますよぉ。
 気をつけて下さい」
の船頭さんの声のもと
まさに全員前屈体勢に。

Img_4200s

ごらんの通り、かなり屈(かが)む。

無事通過すると、
「困難を乗り越えた」というほど
大袈裟なことでもないのに、
乗客間にちょっとした一体感というか
なごやかな空気が
流れるような感じがするから
不思議なものだ。

ちなみに、屋根を上下に動かす
油圧シリンダーはこんな感じのもの。

Img_4204s

忘れがちだが、
屋根を下げて通過するということは、
「適正な水位が維持されている」
ということが前提になっている。

水位が上がりすぎると屋根がぶつかって
通り抜けられなくなるし、
逆に、水位が下がりすぎると
船底をこすってしまうことになるからだ。

この細かいコントロールは、
宍道湖のほとりにあるポンプ場
「松江堀川浄化ポンプ場」にて
実施されているらしい。

ポンプによる制御があってこそ、
安心して船を運航できるわけだ。

 

天守閣に一番近い、
「大手前広場乗船場」まで来た。

Img_4211s

城の石垣も
堀から眺められるのはいい。

このあと、松江城の見学に出かけたのが、
その話は次回、
回を分けて書きたいと思う。

城見学の後、残りのコースに乗るために
「大手前広場乗船場」から再度乗船。

城の北側
【塩見縄手(しおみなわて)】
と呼ばれるエリアの前をゆく。
Img_4238s

江戸の町並みが残っている。

Img_4241s

船からの眺めもいいが、
降りてちょっと歩いてみることにした。
3番目の乗船場「ふれあい広場乗船場」
で降りて塩見縄手の方へ向かう。

Img_4242s

 

小泉八雲記念館

Img_4244s

 

小泉八雲旧居

Img_4247s

八雲が家のたたずまいを
どんな言葉で書いたのかが、
掲示してある。

「自分の今度の家は
 或る高位のサムライの昔の住宅で、
 カチュウヤシキ(家中屋敷)である。

 城のお濠の縁にある街路、
 いなむしろ道路とは、上を瓦が蔽うて居る
 長い高い壁で仕切られている」

 

武家屋敷

Img_4248s

 

堀にかかる松も
長い時間を感じさせる。

Img_4250s

 

長い塀も絵になる。

Img_4251s

 

堀を挟んで右側が城内。
このあたりは石垣がない。

Img_4252s

 

「ふれあい広場乗船場」の前には、
観光客が自分で記念撮影ができるよう
写真撮影用のカメラスタンドがあった。

Img_4254s

「カメラを置く」
だけでなく、
「スマホを挟んで立てる」
ためのブロックが
台の左側に設置してある。

いつのまにか、
セルフタイマーによる記念撮影も
スマホが主流になっているのだろうか?

 

「ふれあい広場乗船場」から
「カラコロ広場乗船場」までは
外堀に相当するので
城からは離れることになるが、

Img_4255s

京橋川を通り、
また違った景色を楽しむことができる。
私が乗った船では
船頭さんが歌まで歌ってくれた。

冬には「こたつ船」になるらしいが
この堀川めぐり、石垣はもちろん
景色も船頭さんの話も、
そして場合によっては歌までも楽しめる。

松江観光の際はぜひ。お薦めだ。

 

 

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2019年6月30日 (日)

島根県の民藝めぐり(1)

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島根県の民藝めぐり(1)

- 出雲民藝館 -

 

鳥取県の民藝めぐりに続いて、
お隣、島根県の民藝も見てみたい。

今日も参考図書は

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出雲民藝館】

Img_4286s

(写真はすべてiPadで撮影)

なんとも立派な門が出迎えてくれる。

昭和49年(1974年)に開館した
出雲民藝館の建物は、
出雲地方きっての豪農だった
山本家の寄付によるものだという。

民芸運動に賛同したのは
職人たちだけではなかったのだ。
民芸の趣旨に感銘を受けて、
さまざまな形で協力した人々がいた。

Img_4288s

民藝館入り口の長屋門は
まさに堂々たる構え。
江戸時代、延享3年(1746年)の建造で、
出雲大社造営の棟梁が手がけたという。

入場料を払うと、
正面の母屋には
 今も人が住んでいます
ので
 公開されている
 本館と西館だけを
 見学するようにして下さい」
と注意された。

Izumomingei1

まずは本館を見学。

本館は、3千俵もの米俵を収蔵していた
米蔵を改修したもの。

入ると最初にこんな額が。

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「民芸の性質」とある。

民芸の性質
 * 庶民的なもの
 * 実用的なもの
 * 数多く作られるもの
 * 安価を旨とするもの
 * 健康なもの
 * 簡素なもの
 * 協力的なもの
 * 伝統に立つもの

もちろん「民芸」に
かっちりとした定義があるわけではないが、
個人的にはこれに
 * 自分の暮しにフィットするもの
 * その土地の素材を大事にしたもの
などを勝手に足しながら
楽しんでいるかもしれない。

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壁にかかっているのは、
出雲地方で婚礼の際に使われた
嫁入り風呂敷
筒描染という伝統技法で、
家紋や吉祥文を染め抜いている。

風呂敷の下に並んでいる大きな壺は、
石見焼の大野壺。

「石見焼の巨大な野壺は、
 廃棄されそうになっていたものを
 協力者が見つけて、わざわざここに
 運んできてくれたそうです。
 その情熱に頭が下がります」
と事務局の方。

江戸末期から昭和初期にかけての
ものを中心に、布志名焼、石見焼
はじめとする陶磁器や、
かつてこの地方で盛んだった藍染、
木綿絣(もめんかすり)、
木工品などが展示されている。

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出雲民藝館事務局の方によると、

「展示品は、
 出雲民藝協会の会員や、
 県内外の協力者が寄付してくれた
 コレクションがもとになっています。

 すべて暮らしの中で
 使われてきたもの
で、
 その健康的な美しさとともに、
 そのような品を使う
 暮らしの美しさをも
 伝えたいというのが、
 この民藝館の趣旨です」。

 

西館は材木蔵を展示館として改修。
山陰の作り手による民芸品のほか、
農耕具なども並ぶ。

藍染の絵柄のデザインがすばらしい。

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昔の農工具なども
そのまま保存・展示されている。

私自身、農家が多い地域で育ったせいか、
子どものころに、近所の農家で
見た記憶のあるものもある。

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入り口となっていた長屋門の一角に
小さな売店もある。

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靴を脱いで上がる畳敷きの部屋で、
大きくはないが、
出西窯、湯町窯、森山窯、
袖師(そでし)窯、白磁工房

といった地元の陶磁器や、
木工品、和紙、染織など、
島根の手仕事を幅広く集めている。

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訪問日は2019年5月5日。
連休中の一日にもかかわらず
我々夫婦が訪問したとき、
他の訪問者はゼロ。

館内をゆっくり静かに見られたし、
売店では
他のお客様に気兼ねすることなく
事務局の方と
自由に話をすることができたが、
完全な貸し切り状態というのは
それはそれで寂しいものだ。

多くの民芸品を見た中では、
藍染の様々な絵柄が
妙に強く印象に残った民藝館だった。

 

 

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2019年6月 2日 (日)

世界遺産「石見銀山」銀山地区

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世界遺産「石見銀山」銀山地区

- ノミの跡と鉱脈枯渇のタイミング -

 

世界遺産「石見(いわみ)銀山」のうち
古い町並みが残る大森地区の話を
前回書いたが、
今日は銀山地区について。

まさにメイン、鉱山と坑道部分だ。

 

まずは銀山について
その概要を簡単にまとめておきたい。

石見(いわみ)銀山は、
1526年に九州博多の豪商
神屋寿禎(かみやじゅてい)によって
発見されて以来、
1923年の休山まで、
約400年にわたって採掘が続いた
世界有数の鉱山遺跡だ


1595年のヨーロッパで作られた
日本図(ティセラ日本図)にも記述があり、
大航海時代の16世紀、
ヨーロッパ人に知られた
唯一の日本の銀鉱山だった。

16世紀半ばから17世紀はじめ
日本の銀は
世界の産銀量の約1/3を占めていた
が、
そのかなりの分は石見銀山のものと
考えられている。

高品質で信用が高かった石見の銀は、
アジア諸国とヨーロッパ諸国を
交易で繋ぐ重要な役割を果たした。

2007年、
環境に配慮し、
自然と共生した鉱山運営
行っていたことが特に評価され
「石見銀山遺跡とその文化的景観」
として、世界遺産に登録
された。

 

さて、観光に戻ろう。

予約なしでも入れる
龍源寺間歩(りゅうげんじ まぶ)
と呼ばれる坑道は、
大森地区から約2km緩やかな坂を
上っていった先にある。

間歩(まぶ)というのは、
寡聞にして初めて知った言葉だったが、
銀鉱石を採掘するための坑道のことらしい。

さて、龍源寺間歩の入り口まで来ると
訪問時、新元号「令和」の
まさに記念すべき初日だったこともあり、
こんな特別企画をやっていた。

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「平」「成」「令」「和」の漢字が
名前に含まれる人はタダでどうぞ、と。

我々夫婦には
どの文字も含まれていなかったので
通常通りの入場料を払って
入り口に向かった。

 

入り口周辺は、シダに覆われている。

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この鉱山周辺に見られるシダは、
ヘビノネゴザというオシダ科のシダで、
貴金属を好む性質を持ち

金銀山発見の手がかりになったと
言われている。
ちなみに、ヘビノネゴザは
漢字で書くと「蛇の寝御座」だとか。

いよいよ中に入る。

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狭い。
人ひとりがやっと通れる大きさ。

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壁面には、
ノミのあとが粗々しく残る

 

途中には、
岩石の隙間に板のように固まっている
鉱物の層(鉱脈)を追って掘り進んだ
「ひおい坑(こう)」と呼ばれる
さらに小さな坑道がある。

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もちろん
水対策も重要で、
「竪坑(たてこう)」と呼ばれる
垂直に掘られた排水用の
坑道もある。

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なんと、さらに約100mも下にある
別の坑道へ排水していたらしい。

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とにかく狭く、閉所恐怖症でなくても
独特な恐怖感が背中についてくるのを
振り払えない。

トルコで見た
デリンクユ地下都市でもそうだったが、
もしここで閉じ込められたらどうしよう、
の思いが一瞬でもよぎると、
地下が持つ、
まさに逃げ場のない岩の壁の圧迫感が
胸に迫ってくる。

もちろん実際に掘り進んでいた鉱夫は
単なる「狭さ」だけでなく、
「息もできないほどの粉塵」や
「わずかな明かり」や
「送風により確保される空気(酸素)」や
「いつ襲われるかもしれない水」や
「崩れるかもしれない岩盤」などなど
そういった不安や恐怖とも
常に戦っていたわけで
整備された観光用の坑道を歩いて
「追体験した」とはとても言えないけれど
それでもそれらを想像するうえでの
「息苦しさ」は十分に感じられる。

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龍源寺間歩は、江戸時代前期からのもので、
昭和18年(1943年)まで稼働していた。

「横幅2尺高さ4尺を、1日5交代で、
 10日で10尺掘ったと伝えられている」

尺貫法をメートル法に変換して書くと、

「横幅60cm高さ120cmを、
 1日5交代で、10日で3m掘った
 と伝えられている」

ここの間歩は全体で約600mあるが、
その約1/4、157mのところから
新しく坑道が設けられ
平成元年に観光用に公開された。

新坑道には、
「石見銀山絵巻二巻」が
十数枚の電照板で展示されている。

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伝統技術による銀生産は
江戸時代から綿々と続けられていたが、
明治維新を迎えた19世紀後半から、
ヨーロッパの産業革命で発展を遂げた
新技術が導入されるようになる。

ところが、ちょうどそのころから
銀鉱石が枯渇。
鉱山活動は停止に向かっていく。

そのことが、伝統技術による銀生産の跡を
良好に残すことに貢献
した。

銀鉱石が枯渇していなければ
ノミの跡が残る坑道も、
拡張のために大きく削り取られて
何も残らなかったかもしれない。

そうなれば、「遺跡」としても
保存されることはなかったであろう。

「枯渇のタイミング」も
「遺跡」となるためには重要だ

という点もおもしろい。

 

ようやく間歩から出てきた。
まさに、ホッとする。

 

間歩の出口から少し歩いたところの
小さな小屋で「匂い袋」を売っていた。

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前回も書いた通り、
石見の世界遺産エリアには、
土産物屋がぜんぜんなく、
「**饅頭」やら「**キーホルダ」やらを
目にしないで済むのは実に気分がいい。

この小屋では「匂い袋」が
土産物として売られていたものの、
工場で作られるような量産品ではない。
作った「香木師」の署名付きで売っている。

中身は、付近に自生しているクロモジ

爪楊枝としてよく使われる素材だ。

このクロモジ、
木(枝)のままではほとんど香りはしない。

ところが木槌や瓶のようなもので
叩いて潰すと、独特な香りがでてくる。
実演付きで、その場で香りを
確認させてもらったのだが、
まさに自然のままの素朴で実にいい香り。

ナン年たっても叩けば香る、とのこと。

素朴な香りが気に入ったのでひとつ購入。
誰かへの土産にするか、
クローゼット等にかけておくか、
用途は決まっていないけれど、
人工的でない香りはどこか落ち着く。

そう言えば、シロモジのほうは
山梨県の山中湖畔で見たなぁ、と
ぼんやりと思い出す。

 

間歩出口からゆっくり歩く。

振り返っても山は豊かな緑で覆われており、
その岩の下に間歩が蟻の巣のように
広く広がっていることは
まったく想像できない。

 

 

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2019年5月26日 (日)

世界遺産「石見銀山」大森地区

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世界遺産「石見銀山」大森地区

- 「おだやかな暮らしを守る」という合意 -

 

改元に合わせた連休を利用して、
夫婦で国内旅行を楽しんできた。

選んだのは島根と鳥取。
ふたりとも行ったことがない
初訪問の地だ。

旅行記として、
訪問地をいくつか紹介したい。

最初は、
世界遺産「石見(いわみ)銀山」。

江戸時代の町並みの雰囲気を残す
大森地区と呼ばれるエリアと、
坑道跡を残す銀山エリアとが
主な見学地となっているが、
環境保全のため
どちらも一般車の乗り入れが
制限されている。

なので、車で向かった観光客は
両エリアから少し離れた
「世界遺産センター」の駐車場に
車を停めて、そこからバスで
目的地に向かうことになる。

我々夫婦が「世界遺産センター」に
到着したのは11時半ごろ。
ところが、連休中のせいか
大きな駐車場はすでに「満車」。
入り口に車の列ができていた。

山の中で、他に駐車場の選択肢が
あるわけではないため
しかたなく並んで待つことにした。

道路左側に寄って並んでいると
その横を、
観光地との間を往復しているバスが
通り抜けていく。

当然ながら
バスは帰る客も運んでくるので、
バスが通過するたびに
待機している車の列が動く。

思ったよりも回転がはやく、
長く待たずに駐車することができた。

まずは「世界遺産センター」で
地区全体の説明を聞き、地図をもらって
バスで大森地区に向かった。

【大森地区】
江戸時代の武家屋敷や代官所跡、
銀山で栄えた豪商の住宅などが並ぶ通りを
ゆっくりと散策。

【石見銀山資料館(大森代官所跡)】

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この通りの雰囲気だけでも十分楽しめる。

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【西性寺】

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町並みも緑も美しい。

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観世音寺はちょっと高くなっているので、
登ると町を見下ろすことができる。

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石州瓦と呼ばれる赤瓦が印象的だ。

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【町並み交流センター(旧大森区裁判所)】

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「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」
という美味しいパン屋さんがある、
と聞いていたので、
そこのパンを楽しみにしていたのだが、
お店の前まで行ってみると運悪くお休み。

「残念だったね」と
夫婦で言い合っていたころ
かなり怪しかった雲から
ポツポツと雨が舞い始めた。

「ヒダカさんのパンも食べられないし、
 雨宿りを兼ねてお昼でも食べようか」と
近くのイタリアン「ぎんざん」に入った。

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メニューを見ると
ランチセットにはなんと
「ヒダカさんのバゲット」
が含まれているではないか。
まさに地元のお店の連携だ。

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単なる偶然とはいえ、こちらの気持ちを
汲みとってもらえたようで、
妙に嬉しい。

チャンスは意外なところに
ころがっているものだ。
一切れだけではあったものの、
希望を叶えることができた。

ランチのパスタも、
ヒダカさんのバゲットも、
どちらも美味しく◎。

お店に入る前の気分は「江戸」だったのに
舌はイタリアンやバゲットを
楽しんでいるという
組合せのギャップもまた楽しい。

 

昼食をすませて外に出ても
残念ながら雨は上がっていなかった。
でも、ウィンドブレーカのフードで
しのげる程度なので散策続行。

【菓子屋:有馬光栄堂】

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雰囲気のある町並みが続く。

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取ってつけたような
ケバケバしい看板の土産物屋も
一軒もない。

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小雨が舞う天気だったとはいえ
「世界遺産センター」の駐車場が満車でも
通りの人出はこの程度。

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雰囲気をのんびり楽しむことを
邪魔しない「静かさ」がいい。

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飲み物の自動販売機にも
街の景観を意識した工夫が。

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懐かしいポストも現役だ。

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なんとも味のある看板に引き寄せられた。

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築170年の古民家を最大限に活かし、
およそ300坪の敷地を舞台に、
衣・食・住にまつわるライフスタイルを
おしゃれに提案している
「群言堂 石見銀山本店」だ。

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中庭を眺めるカフェのほか、

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魅力ある雑貨、衣類を並べた店舗は

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かなりゆっくり回っても飽きることはない。

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古いチーク材を大胆に使った
写真立てが妙に気に入ったので、
思わず購入。

 

二階は読書スペースとして開放されている。

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読書向けの空間ながら、
椅子にすわったり、寝転んだり、
自由なスタイルで本を読める
なんともゆるい空間だ。

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この群言堂を展開しているのが、
「石見銀山生活文化研究所」という会社。

人口わずか400人の島根県大田市大森町に
根を張りながら、
アパレルの企画・製造・販売、
飲食店経営、古民家再生などを手掛け、
全国に30店舗を展開、
という規模にまでなっているという。

人口400人の町に日本の未来をみた。
「群言堂」で知られる
「石見銀山生活文化研究所」
との新連載がキックオフ!


という記事がグリーンズにあった。

この記事の中で、
石見銀山生活文化研究所の
広報担当・三浦類さんが、
たいへん興味深いことを言っている。
(以下水色部は上記記事からの引用)

ピークのときは、
年間80万人以上が訪れたんです。
何十台も観光バスが来て。

世界遺産登録直後、
自治会協議会が中心になって
住民憲章をつくりました。

その一文には
「私たちはこのまちでおだやかさと
 賑わいを両立していきます」
とありますが、

世界遺産になったからといって
これまでの暮らしを変えるのではなく、
おだやかな暮らしがある
ということこそをこの町の魅力として
お客様に発信していこうと
宣言
しています。

いま観光客数は半分以下になって
40万人を切っていますが、
暮らしている身としては
落ち着いていて、
休みの日も適度な賑わいで
暮らしやすい、いいまちです。

極端に観光地化されなかったのは、
このまちにとってよかった

思っています。

派手派手しい看板や
土産物屋さんもつくらず
有料駐車場もない


田畑や古民家をつぶして
駐車場にするのは簡単ですが、
誰もそうはしないというモラルが
共有されています


景観を守り、
暮らしが息づいているまち、
観光地としては珍しい形で
存続していると思います。

住民の合意で、派手派手しい看板や
土産物屋がつくられていないのならば
すばらしいではないか。

その合意には「まちのサイズ」も
意味があるようだ。

「400人というまちのサイズは
 どうですか?」

の質問に対して、三浦さんは、

人の顔が覚えられる、
お互いの顔が見える安心感が
ありますね。

意識の共有や合意形成が
しやすいとも言えます


(中略)

世界遺産登録されたタイミングのときに、
もし人口が1000人なら
合意形成できずに観光地化してしまう
可能性はあったのかもしれませんね

小さな町ゆえ、
景観と暮らしが守られている。

ほんとうに
キーホルダや饅頭を売っているような
土産物屋には一軒も出会わなかった。

世界遺産に認定された町ではあるけれど
ひとりでも多くの観光客が来ればいい、
土産物がたくさん売れればいい、
そんなことを目指してはいない
別の価値観が流れている、
静かな観光地だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年5月19日 (日)

サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

(全体の目次はこちら


サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

- 異文化への興味と理解 -

 

以前、川端康成の小説「雪国」の
英語への翻訳について
ここに書いたが、
そこに登場した
サイデンステッカーさんについて
雑誌「文藝春秋」から
ふたつの記事を紹介したい。

ひとつ目は、
昭和25年、東大の
麻生磯次教授『おくのほそ道』の講義で
彼に出会って以来
50年以上に渡って交流を続けていた
作家の髙橋治さんが寄せたもの。

高橋さんは、
エドワード・ジョージ・
サイデンステッカーの名前から
彼を「エド」と呼んでいた。

昭和20年代、出会ったころのこと。
(2007年11月号 雑誌「文藝春秋」
 「エドと吉原」
 以降、水色部記事からの引用)

私がシナリオ集をテキストにして
エドから英語を習い、
エドが私から落語を教材にして
江戸時代以降の口語を
勉強し始めたからである。

エドは落語を教材にして
日本語を学んでいった。

落語を通じて「日本語」だけでなく
「吉原」を知ったエド。
「人間への興味」はどんどん広がっていく。

なん時頃に吉原名物の馬肉の鍋、
いわゆる蹴飛ばし屋に行って
お銚子を四、五本並べれば、
町は盛りにさしかかって、
女性たちの気分も盛り上がっているか。

(中略)

 だから、エドにとって
吉原が盛りになる時間は、
やり手婆が多弁になる時間であり、
女どもが陽気さを
隠さなくなる時間だったのだ。

エドはそんな時間の吉原が
来るまで待っていて、
人間と人間の触れ合いを求める。

落語に、吉原に、日本文化に
積極的に飛び込んでいったエドは
2007年8月、
永住を決意して移り住んだ東京の地で、
86歳の生涯を終えている。

没後、
コロンビア大学教授のハルオ・シラネさんが
「サイデンステッカーと
 『源氏物語』の自然観」

なる題で、同じ「文藝春秋」に
記事を寄せている。
(2008年5月号 雑誌「文藝春秋」
 以降、緑色部記事からの引用)
これが今日、ふたつ目の記事。

 サイデンステッカーといえば
『源氏物語』の優れた英訳で
その名を知らない人はいない。

一歳のとき日本人の両親と
アメリカに移住した私は、
コロンビア大学の大学院生として
氏に師事して以来、
親交を深めてきた。

現在はその後任として教鞭をとっているが、
源氏の世界をあれほど深く理解し、
英語の世界に蘇らせた
サイヂンステッカーの翻訳には
感動を覚えざるを得ない。

氏の翻訳は、
日米間の文化的および言語的な相違への、
興味深い洞察に満ちている

サイデンステッカーさんは、
『源氏物語』における
自然や季節の果たす役割に
深く心を配りながら翻訳を進めたようだ。

光源氏に愛される
薄幸の女性「夕顔」の名を訳す際には、
white-flowered gourdまたは
moonflowerという
植物学的翻訳をあてはめず、
Evening Facesと
字義を活かした名前を付けた。

夕顔が夕方(evening)に
息絶えることとの
関連性を示唆したのである。

他にも、
神道の儀式に使われる榊を
sacred tree(神聖な木)と
訳すことによって、
漢字が示す宗教的含意を伝えることに
成功した例もある。

(中略)

たとえば、
日本語では春に「霞」とよばれる現象が、
秋には「霧」とよばれる。

だが、英語にはmist, haze, fogといった、
特定の季節とは無関係の単語しかない。

また日本語には、雨を表すのに、
春雨、五月雨、時雨など、
季節によって複数の言葉があり、
それぞれが静寂、憂鬱、無常など、
特定の文化的含意を持つ
のに対して、
英語にはrainやshowerなど、
季節的、文化的な
意味のない言葉しかないのである。

『源氏物語』における時間は、
早朝、夕暮れ、黄昏に
焦点が置かれるところに特徴があり、
そして、
季節の焦点も、
春の訪れ、春の終わり、
夏の訪れなど
過渡的な時節に置かれる傾向がある。

天象と深く関わるなかで
言葉が意味を持つ。

そのうえ

季節の移り変わりへの興味は、
日本人の生と死のサイクルへの注視と
密接な関係があるだろう。

という面もある。

そういった背景を理解したうえで
英語に訳せるなんて。

ここに書いたことの
繰り返しになってしまうが、
Wikipediaにこんな記述まであることも
ふたつの記事を読むと妙に納得できる。

『雪国』の英訳では、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に貢献した。

実際、川端康成自身、
ノーベル賞の半分は、
 サイデンステッカー教授のものだ」
と言い、賞金も半分渡している

 

 

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