歴史

2023年6月25日 (日)

野川遡行(1) 次大夫堀公園まで

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野川遡行(1) 次大夫堀公園まで

- 58歳から73歳までの大工事 -

 

東京都国分寺市に水源があり、
東京都世田谷区の二子玉川で
多摩川に合流する
全長約20kmの「野川」を、
水源近くの西国分寺あたりから、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」まで、
友人たちとのんびりと歩いた様子を、
ここから5回に分けて書いたが、
出発地と御塔坂橋を
Google Map上、直線で結ぶと
下記地図の青い矢印になる。

野川全体で見ると半分弱、
上流側のみを歩いたことになる。

Nogawaa2

というわけで(?)、
歩けなかった残り半分を
今度は合流地点の多摩川側から
遡行してみようということになった。

野川・多摩川合流地点(二子玉川)から
御塔坂橋までを直線で結ぶと
上記地図の赤い矢印になる。

2日分の行程を合わせて
野川制覇(!?)ということになる。

 

歩いたのは2023年4月。東急田園都市線
二子玉川駅で友人と待ち合わせて出発。

川に出ようと歩き始めると、
さっそくコレが。

P4162413s

ちょっと見にくいが左側、
「玉川西陸閘」とある。

陸閘(りっこう)とは
通常時は生活のために通行出来るよう
途切れているが、増水時には塞いで
住宅地への水の侵入を防ごうというもの。

多摩川の河口近くでも
古く小さなものを目にしたが、
ここのものは高さも大人の身長以上あり
かなり大きい。

P4162415s

河原に出た。
東急田園都市線の鉄橋が見える。
さぁ、合流地点をさがそう。

P4162416s

と歩き始めたのだが、
野川、多摩川の合流地点では
ちょうど大規模な工事が行われていた。

P4162417s

工事の看板の中には
「週休2日実施中」の文字が。
工事作業者の労働環境が
改善されるのはいいことだが、
それをあえて看板で
アピールしなければならない事情には
複雑なものがある気がする。

工事の作業現場に「野川」を探すと
ここ。

P4162421s

パイプの中を通った水が、
右から左に流れ出ており、
多摩川に合流している。

パイプに流れ込むところはこんな感じ。
手前から奥に向かって流れている。

P4162429s

上に見えるのは、
田園都市線「二子玉川駅」。
橋の上にホームがはみ出している。

 

多摩川と野川に囲まれた
ハの字(左を上にしてのハ)の部分は
「兵庫島公園」と呼ばれている。

P4162428s

兵庫とは?と思うが、
公園内にあった説明によると
新田義貞の子義興(よしおき)の従者
由良兵庫助に由来するらしい。

1358年 多摩川稲城矢口の渡しでの戦いで、
と紹介されているから
660年以上も前のこと。
当時はこの付近、
どんな様子だったのだろう?

P4162430s


上に貼った公演案内図にもある通り、
兵庫島公園内には池や水路(川)もある。

P4162437s

「多摩川の河原の中に、わざわざ
 人工の川が作られている」感じで
どうも落ち着かない。

少し歩くと、多摩川から離れ、野川が
川らしい姿を見せてくれるようになった。

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4月のみどりが美しい。

P4162445s

多摩川の河原には、
天然芝のサッカー場が何面も広がっている。

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日曜日だったこともあり、
子どもたちの元気な声が響いている。

野川の河原には
「セイヨウアブラナ」と思われる
黄色い花が沢山咲いている。

P4162451s


途中、ちょっと寄り道をして、
「砧本村」のバス停留所に寄ってみた。

P4162465s

ここは玉川電気鉄道(通称「玉電」)
東急砧(きぬた)線
「砧本村(きぬたほんむら)」駅の跡地で、
1969年の東急砧線廃止後に
東急バスのバス折り返し所および
「砧本村」バス停になった。

バスが折り返せるよう
ちょっと広場になっており、
赤い「ON DEMAND BUS」も停まっていた。

P4162467s

予約によって運行が決まる
オンデマンドバスは、
公共交通不便地域の解消を目的に、
地方だけでなく
都市部でも導入が進んでいるようだ。

 

「砧本村」駅跡地のすぐ横には、
東京都水道局砧下浄水所がある。
多摩川で取水した水を浄化し、
東京に送り込むために1923年に竣工。

そこから渋谷方面への水道管が、
野川の上を跨いでいた時期がある。
1960年から2006年までの46年間。

水道管を支えていた「野川水道橋」は
今はレリーフで残されている。

P4162473s

現在の橋には水道管は通っていない。
2006年以降、
水道本管は川底を通るようになったようだ。

 

途中、「仙川」が「野川」に流れ込む
合流地点も通る。
仙川遡行も魅力的だが、誘惑を振り払って
今日は野川沿いを進む。

東名高速道路の下を流れるところまで来た。

工事用の大きな柵で覆われていて
中や地下までは見えないが、このあたり、
かなり大規模な工事が行われている。

P4162480s

地下工事が原因で調布市の住宅街が陥没、
で話題になった東京外郭環状道路(外環)を、
将来的にはここで
東名高速につなげる計画になっている。

2023年現在、
関越道の大泉JCTまでが開通している外環。
大泉JCTからここまで約16km、
地下がメインとはいえ、
工事は着々と進んでいるようだ。

 

外環合流地点の少し上流、
川沿いからそのまま緑道を歩いて、
世田谷区立次大夫堀公園」に
寄ってみることにした。
「じだゆうぼり」とふりがながある。

P4162496s

次大夫堀とは、六郷用水の別名で、
江戸時代に多摩川から引水した農業用水路
徳川家康の命により、
小泉次大夫の指揮によって開削された。

公園内のパンフレットによると、
今の東京都側だけでなく、
神奈川県側も合わせた
稲毛・川崎、世田谷・六郷 計四ヶ領で
開削された用水は、
1597年から作業が始まり、
測量から小堀の開削終了まで
実に15年の歳月がかけられたという。

驚くのは、指揮をした小泉次大夫の年齢。
「58歳から73歳までの晩年の大工事」

とのこと。

伊能忠敬が
「大日本沿海輿地全図」製作のために
歩き出したのが1800年、55歳のときで、
それから17年かけて全国を歩いた。
の話を知ったときの驚きを思い出す。

どちらも「平均寿命が40歳以下」
と言われている時代の話だ。

園内には、
昭和4年の地図が掲示されていた。
多摩川とその周辺の川と用水。
なんだか川が、のびのびというか
いきいきしている。
窮屈な感じがしないのはなぜだろう。

P4162499s

公園全体としては、
名主屋敷、民家2棟などが移築されており、
次大夫堀や水田とあわせて、
江戸時代後期から明治時代初期にかけての
農村風景に触れることが
できるようになっている。

P4162510s


野川の遡行、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」を目指して
次回も続けたい。

 

 

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2023年6月 4日 (日)

旧穴守稲荷神社大鳥居

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旧穴守稲荷神社大鳥居

- 浄化海水プールと強制立ち退き -

 

下流は、
東京都と神奈川県の都県境を流れる
多摩川。

その河口部北側には、現在、東京国際空港
通称「羽田空港」が広がっているが、
位置的にその東隅にあたる
下記地図の赤い星印のところに行ってみると、
大きな鳥居を目にすることになる。
(地図はGoogle Mapから。
 以下、写真はすべて2023年5月に撮影)

Ootoriimap


旧穴守稲荷神社大鳥居

P5212632s


元あった場所から移設されて
今は川のすぐ横にある。

P5212648s


そばには小さな掲示板があり
鳥居とその近辺の歴史について
知ることができる。

P5212630s

この掲示板、
読んでみたら知らなかったことばかりで
たいへん面白かった。

特に2つのトピックスについて
掲示板情報を要約しながら紹介したい。
(資料写真も掲示板にあったものから)

(1) 海水浴場と浄化海水プール

1902年 京浜電鉄が京浜蒲田駅から
    穴守稲荷神社へ向けて
    支線を延ばす。穴守線開業。

1909年 干潟を埋め立てて羽田運動場を開設

1911年 羽田海水浴場開設

大桟橋に海の家をもつ海水浴場の賑わいは
こんなにすごかったようだ。

P5212634s

その後、

1913年 干潮満潮に関係なく泳げる遊泳池を
    羽田運動場の中につくる。

この羽田運動場に隣接して
社団法人日本運動倶楽部が、
野球場のほか、テニスコートや遊園地、
自転車競技場なども開場。

穴守稲荷神社一帯は、
明治時代後半から大正時代にかけて
一大行楽地となる


1932年 東洋一の浄化海水プール開設

その大きさといい、人の数といい、
プールの写真には驚かされる。

P5212633s


(2) 住民の立ち退きと鳥居の移設

第二次世界大戦終戦後

1945(昭和20)年9月13日付「朝日新聞」
 マッカーサー司令部が
 羽田飛行場の引き渡しと同時に、
 滑走路拡張のため
 海岸線埋立ての設備の提供と、
 飛行場付近の一部の住民に対して
 立ち退きが
 命ぜられることになった

 と伝えている。

1945(昭和20)年9月21日
 海老取川から東側に居住する
 全住民(羽田鈴木町、羽田穴守町、
 羽田江戸見町)に対し、
 12時間以内に立ち退くようにとの
 緊急命令が出された


「12時間以内」とは!
対象は約1200世帯3000人超

その後、GHQとの交渉により
48時間以内という譲歩をとりつけたが、
それ以降、立ち入ったものに対しては
生命の保障はしないという、
厳しい条件もつけられた 。

住民たちは近隣の親戚・知人を頼りに、
リヤカー、車力、または多摩川からの船で、
身の回りのものを運び出した。

空港の拡張工事にあたっては、
穴守稲荷神社の社殿も壊された。

その際、鳥居を倒そうとしたところ、
ロープが切れ
作業員が怪我をするという事故が発生。
いったん作業は中止された。

ところが、再開すると、
今度は工事責任者が病死。

「これは、穴守さまのたたりだ」
という噂を
稲荷信仰などあるはずもないGHQは、
どう聞いていたことだろう。

結局、何回やっても撤去できないため、
そのままそこに残すことになった。

以降、50年近く、羽田空港の駐車場内に
ぼつりと取り残された大鳥居。

P5212636s


1999年2月、空港の拡張工事に合わせて
2日かけて移転工事が行われた。

赤い鳥居は、
いま弁天橋のたもとに移設され、
羽田空港(元の穴守稲荷神社)を
見守っている。

P5212621s

 

 

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2023年4月30日 (日)

研究者から見た「次世代シークエンサ」

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研究者から見た「次世代シークエンサ」

- 古代DNA研究の活況の背景に -

 

篠田 謙一 (著)
人類の起源 - 古代DNAが語る
ホモ・サピエンスの「大いなる旅」
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

を読みながら
「ミトコンドリア」「Y染色体」「SNP」
学術論文に「人種」は使えない
ゲノム解析が歴史解釈に与える影響
などについて書いてきたが
最後はこんな指摘をメモしておきたい。


スペイン語の
Bonanza(ボナンザ)という単語は、
「豊富な鉱脈」や「繁栄」を
意味する言葉です。

英語では
「思いがけない幸運」、
「大当たり」という意味も
持っています。
一見なじみのないこの言葉ですが、
ここ数年、古代DNA研究の
活況を表す言葉
として
盛んに使われるようになっていることを
ご存じでしょうか。

で始まる本書。
その背景には
「次世代シークエンサの実用化」
大いに関係しているという。

今世紀の初めごろまで、
技術的な制約から古人骨は
細胞内に数多く存在する
ミトコンドリアDNAしか
分析できなかった。

しかし2006年に
次世代シークエンサが実用化
すると、
大量の情報を持つ
核のDNAの解析が可能になります。

その後、
2010年にネアンデルタール人の持つ
すべてのDNAの解読に
初めて成功する
など、
古代DNA解析にもとづいた
人類集団の成り立ちに関する研究が
非常に活発になり、
現在では世界各地の一流科学誌に
毎週のように論文が掲載されています。
古代DNA研究はまさに「ボナンザ」
の時代を迎えている
のです。

この「ボナンザ」の時代を迎えている
古代DNA研究の最新の成果を
わかりやすくまとめて
解説してくれているのが本書だ。

骨子をなす成果は、
主として次世代シークエンサの
実用化(2006年)以降に得られたデータを
もとにしているらしいので、
まさにここ15年ほどの
比較的新しい情報が満載、
活況という言葉は大げさではないようだ。

なので、肝心な成果のほうが気になる方は
書籍を手にとって、
本文をじっくりお読みいただきたい。

本欄では、強力な武器になっている
「次世代シークエンサ」についての注意点・
問題点・課題を冷静にコメントしている
「おわりに」の一部を紹介したい。

まさに研究者でないと
わからない部分
でもあるので、
単に成果だけでなく、
こういった内容の発信の価値は
たいへん大きいと思う。

(1) データの精度

人骨にわずかに残るDNAを
解析している以上、
実際にはデータの精度に
ばらつきがあることも事実
です。

当然ながら、得られる結論の信憑性は
ゲノムデータの質に
依拠することになり、
その点が危うい論文も
少なくありません


本書では、信頼性の高いデータに
照準を絞った
ため、
あえて取り上げなかった
研究もあります。

まずは基本となるデータの精度。
古いうえに量もわずかとなれば
安定しているとは言えないのだろう。

(2) 研究体制

それまでの
ミトコンドリアDNAベースの研究だと、
研究組織はせいぜい数名で、
一人でサンプリングからDNA分析、
論文の作成までのすべてのプロセスを
行うことも珍しくはありませんでした。

しかし、
次世代シークエンサを用いた研究は、
数十名、時には百名を超える
研究者による共同作業でなければ
実施できません


生化学やバイオインフォマティクスの
高度な知識も必要です。

DNA試料の調整プロセスも
従来の方法よりずっと複雑になり、
大量のゲノムデータを処理するための
大型コンピュータが欠かせません

数十名から百名規模の共同作業とは。
各人の作業内容まではわからないが
もはや、大学の一研究室で対応できる
レベルのものではなくなっているようだ。

(3) 巨額の資金

研究のためには
巨額の資金が必要になります。

実際、本書で取り上げた研究の
大部分は、
世界の十指に満たない研究施設
いわゆるビッグラボから
生み出されたものとなっています。

古代DNA研究を百名規模で、
となれば、そりゃぁ人にも設備にも
かなりの資金が必要になることだろう。
にしても、
「世界の十指に満たない研究施設」
に集中してしまっているとは。

(4) 現地の言葉

特に、自国では
古代ゲノム解析ができない国々
研究者からサンプルの提供を
受ける場合は要注意です。

報告書には人骨の持つ
考古学的なバックボーンが
現地の言葉で書かれていることも多く

それを考慮しないまま
ゲノムデータの解釈が行われたり、
考古学や形質人類学などの
他の研究で得られたデータと
照合して検証する作業が
抜け落ちてしまったりする危険性

あります。

前項「世界の十指に満たない研究施設」
と共に、
ぜひ書き残したかったのがこの項目。

ゲノム解析は
有力なひとつの手法ではあるが、
それですべてがわかるわけではない

現地の情報や
他の調査や学問からの成果を
組み合わせることで
初めてより正確な古代の姿が
見えてくる。

解析を頼む方と頼まれる方、
fairな情報交換と
双方のrespectがあってこそ
より正確な成果に結びつくのであり、
それでこその
「活況」であるべきだろう。

言葉はやさしいが、
見落としてはいけない
鋭く厳しい指摘だと思う。

 

 

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2023年4月23日 (日)

ゲノム解析が歴史解釈に与える影響

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ゲノム解析が歴史解釈に与える影響

- 遺伝子研究と政治形態の関係 -

 

篠田 謙一 (著)
人類の起源 - 古代DNAが語る
ホモ・サピエンスの「大いなる旅」
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

を読みながら
「ミトコンドリア」「Y染色体」「SNP」
学術論文に「人種」は使えない
などについて書いてきたが、
本には、ゲノム研究が
歴史の解釈に影響を与えた例について
たいへん興味深い話があったので、
今日はその部分を紹介したい。


世界史でも日本史でも、
私たちが学校で習うのは、
文化や政治形態の変遷です。

他方で、ヒトの遺伝子が
どのよう変わっていったのかについては
考えることはありませんでした。

政治形態の変遷と遺伝子研究、
いったいどんな関係があると言うのだろう。

次の例で見てみよう。

「弥生時代になって
 古代のク二が誕生した」
という言い方をします。

このように表現すると、
日本列島に居住していた人びとが、
弥生時代になって自発的にク二を
つくり始めた
と考えがちです。

「自発的」かどうかはともかく
基本的には確かにそう考えることが
自然な気がする。

と言うか、
ほかにどんな可能性があるというのだろう。

けれども、
これまでのゲノム研究の結果からは、
おそらくその時代に大陸から
ク二という体制を持った集団が
渡来してきたと考えるほうが
正確だ
ということがわかっています。

古代ゲノム解析は、
これまで顧みられることが
あまりなかった文化や政治体制の変遷と
集団の遺伝的な移り変わりについて、
新たに考える材料を
提供してくれているのです。

なるほど。
大きな変化の前後で、主役であるヒトが
入れ替わっている可能性
もあるわけだ。

文化と集団(ヒト)の関係性ついて、
ちょっと整理しながら引用すると

(1) 文化だけを受け入れて
  集団を構成するヒトは変わらない
  というパターン

(2) 集団間で混血が行われるパターン

(3) 完全な集団の置換

の3パターンがある。

つまり、今回の例で言えば、
「クニ」の発生前後で、
別の集団の渡来を裏付ける
ゲノムデータが収集できたのであろう。

その文化を成立させているヒトは
同じ集団の子孫とは限らないわけだ。

こうした分析について、
文字史料がない地域や時代では、
ゲノムの解析だけが頼りです。

まだまだ実例は多くないようだが

それでも、
これまでまったく考慮されなかった
両者の関係が明らかになっていけば、
文化の変遷に関して
新たな解釈が生まれ、
考古学や歴史学、言語学にも
大きな影響を与えることが
予想されます。

文化の変遷において
主役であるヒトが、ヒトの集団が
たとえ同じ土地であっても
入れ替わっている可能性がある。
そのことを確認できるゲノム解析。

考古学との組合せで
新しい発見につながるかもしれない。
たのしみだ。

 

 

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2023年4月16日 (日)

学術論文に「人種」は使えない

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学術論文に「人種」は使えない

- 定義も境界もない -

 

篠田 謙一 (著)
人類の起源 - 古代DNAが語る
ホモ・サピエンスの「大いなる旅」
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

は、近年のDNA分析でわかってきた
人類の進化や地域集団成立のシナリオを
丁寧に解説している本だが、
そういった遺伝学研究の見地から
「人種」について
非常にクリアな発信をしている。

今日はその部分を紹介したい。

19世紀前半には、
ヨーロッパ人が認識する世界は
地球規模に広がりました。
そして自分たちと異なる
人類集団の存在が明らかとなると、
人間の持つ生物学的な側面に注目して
集団を区分する研究が
始まることになりました。

そこから「人種」という概念が
提唱されたのです。

ところが、
20世紀後半の遺伝学研究の進展は、
この「人種」に対する概念を
大きく変えることになる。

ホモ・サピエンスは
実際には生物学的にひとつの種であり、
集団による違いは認められるものの、
全体としては連続しており、
区分することができない
ということが明確になったのです。

そもそも種という概念自体も、
それほど生物学的に厳密な定義が
できるわけではないようだ。

よく用いられる種の定義として、
「自由に交配し、
 生殖能力のある子孫を残す集団」
という考え方
があります。

これにしたがえば、
人類学者が別種と考えている
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人、
デニソワ人のいずれも、自由に交配して
子孫を残している
ことから
同じ種の生物ということになり、
別種として扱うことはできなくなります。

おそらく他の原人も
すべて私たちと同じ種として
考えなければならなくなるでしょう。

種の定義というのは、
現生の生物に当てはめているものなので、
時間軸を入れると定義があやふやに
なってしまうようだ。

「種」という概念さえ
厳密に定義できないのですから、
その下位の分類である「人種」は、
さらに生物学的な
実体のないものになるのは当然です。

前回の用語解説にあった
SNP解析の結果においても、
ヨーロッパから東アジアにかけて
現代人の地域集団は
連続していてどこにも境界がない

人種を区分する形質として
よく用いられる肌の色にしても
連続的に変化しており、
どこかに人為的な基準を設けないかぎり
区分することはできません。

人種区分は、
科学的・客観的なものではなく、
恣意的なものだということを
知っておく必要があります。

「恣意的」という言葉を
篠田さんは使っている。
確かにそれでは科学的な議論はできない。

もともとは
ヒトの生物学的な研究から
導かれた区分である「人種」ですが、
現在では
自然科学の学術論文で
用いられることはありません


もし使っている研究があるとすれば、
それは科学的な価値の低いもの
判断できます。

「人種」という言葉を使った
自然科学の学術論文があれば
それは科学的な価値の低いものだ、
とまで言い切っている。

ゲノムデータから
集団同士の違いを見ていく際には、

同じ集団の中に見られる
遺伝子の変異のほうが
他の集団との
あいだの違いよりも大きい


ということも
知っておく必要があります。

同じもの、つまり共通性を調べるのか、
違いを調べるのか。

人の優劣を決める要因が
「違っている」ものの中にある、
と考えることは妥当なのか。

単なる研究成果の解説ではなく、
多くの視点・問題点を提供してくれる
終章となっている。

 

 

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2023年4月 9日 (日)

解析のキーは「ミトコンドリア」「Y染色体」「SNP」

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解析のキーは「ミトコンドリア」「Y染色体」「SNP」

- DNA分析関連用語を学ぶ -

 

篠田 謙一 (著)
人類の起源 - 古代DNAが語る
ホモ・サピエンスの「大いなる旅」
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

は、近年のDNA分析でわかってきた
人類の進化や、地域集団成立のシナリオを
広く解説している本だが、
それらの根拠となる分子生物学や遺伝学、
及びそこで使われる用語については
コラムとして本文から独立させ
簡潔に説明してくれている。

特に、いつくかのキーワードは
本書に限らず、類書で近年
よく見かける用語でもあるので、
今日はそれらについて学びたい。

「遺伝子」

私たちの体を構成している
さまざまなタンパク質の構造や、
それがつくられるタイミングを
記述している設計図です。

ヒトは2万2000種類ほどの遺伝子を持つ。

「DNA」
*この設計図を書いている
 「文字」に当たるのがDNA。
*DNAと塩基はほぼ同義語
*GATCと4種ある塩基は
 GとC, AとTが
 それぞれペアになって存在するので、
 「塩基対(つい)」と呼ばれる。
*ヒトのもつDNAは全部で約60億塩基対
*設計図が実際に
 タンパク質を記述している部分は
 2パーセント程度しかない

私たちの体をつくる設計図は、
大部分が意味のない
言葉の羅列でできていて

そのところどころに
思い出したように
意味のめる文章を含んでいる、
というずいぶん奇妙なものなのです。

以前紹介した
石浦章一著
「サルの小指はなぜヒトより長いのか」
(新潮文庫)

にも
「私たちの体を作っているDNAの部分は
 全体の2%と、非常に少ないんです」
と同じ2%が登場している。
ほんとうに奇妙だ。

「ゲノム」

ヒトを構成する遺伝子の
最小限のセットを指す名称です。

したがってゲノムは
人ひとりをつくるための
遺伝子全体のセットで、
その遺伝子を記述しているのが
DNAという関係になります。

遺伝子は、もちろん
両親から受け継がれたものだ。

私たちは、自分が持っている
この二人分の遺伝子を
シャッフル(組み換え)して
一セットのゲノムをつくり、
配偶者のゲノムとあわせて
子孫に伝えています。

つまり子どもは、
両親から半分ずつの
遺伝子を貰うことになります

しかし、そこには
「半分ずつ」ではない例外が2つある。

「例外その1:ミトコンドリア」

ひとつは細胞質にある
ミトコンドリアのDNAで、
これは母親のものが
そのまま子どもに
受け渡されます。

「例外その2:Y染色体」

もうひとつは男性をつくる
遺伝子の存在するY染色体で、
これは父親から息子に
受け継がれる
ことになるのです。

「系統解析」

ミトコンドリアとY染色体のDNAは、
それぞれ母から子どもへ、
父から息子へと
直線的に受け継がれていきます


したがってその多様性は、
もともとはひとつのDNA配列から
生まれたものなので、
その変化を逆にたどると
祖先を一本道で
さかのぼることができます

この方法を「系統解析」と呼ぶ。
「祖先を一本道で
 さかのぼることができる」
そんなルートがあるなんて。

「ハプロタイプ」

各個人が持つミトコンドリアDNAや
Y染色体の配列を
ハプロタイプと呼びます。

(中略)

集団の起源などを考える際には、
ある程度さかのぼると
祖先が同じになる
ハプロタイプをまとめて、
ハプログループとして
取り扱うことにしています。

母系をさがのぼることが、
ミトコンドリアDNAの系統解析で可能なので
まさに一本道で
共通祖先にたどり着けることになる。
アジア集団の祖先がアフリカ集団にいた、
といったことが明確に示せるわけだ。

加えて、もうひとつのキーワードが
「突然変異:一塩基多型(SNP)」

両親から受け継ぐ核のDNAにも
突然変異が起こります。

ヒトのDNAの配列には、
およそ1000文字にひとつの割合で
変異があることが知られており、
この変異を
一塩基多型(SNP)と呼びます。

SNPは交配によって
子孫に受け継がれていきます
から、
新たに
突然変異によって誕生したSNPは
婚姻集団の中に
広がっていくことになります

SNPを共有している集団かどうかを
調べることで、
集団同士の近縁性を知ることができる

「ミトコンドリア」「Y染色体」
そして「突然変異:SNP」。
これらに関する遺伝における
基本的なしくみを知るだけでも
系統解析やSNP解析の意味が
よりよく理解できるようになる。

 

 

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2023年2月 5日 (日)

「大好きだよ」で名前を間違えると・・・

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「大好きだよ」で名前を間違えると・・・

- 一夫一妻が人類になった? -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(12)
「人類の進化(3)牙のない平和な生物」
 古生物学者・更科功
        2022年3月25日放送

から、「人類に牙(きば)がない」ことの
理由について学ぶ2回目。

前回紹介した
新しい説を簡単に復習してから始めよう。

(b) 新しい説
チンパンジーは植物食なのに牙がある。
肉食獣のように
獲物を襲うための牙ではない。

チンパンジーは同種同士で殺し合いをする。
メスを巡るオスの戦いが多い。

人類は、
牙を使わなくなったから小さくなった。
つまり「仲間を殺さなくなった」のだ。

どうして殺さなくなったのか?
なぜ穏やかになったのか?

ライオンや狼の牙は獲物を捕まえるため。
チンパンジーの牙はオス同士で争うため。

仲間同士の争いが激しいかどうかは
婚姻形態が影響している


一夫多妻(たとえばゾウアザラシ)、
多夫多妻の婚姻形態の動物は
オス同士の争いが
激しくなることが知られている。

一夫一妻の場合オス同士の争いが
おだやかになることが
多くの動物の観察からわかっている。

類人猿についてみると、
(はっきりとは決まっていないが)
ゴリラは一夫一妻、
チンパンジーは多夫多妻、
が多い。

現在の人類は一夫一妻が多い。

一夫一妻の傾向を持つグループが
人類になっていったのではないか、
と考えられている


その結果、牙がなくなっていった。

えっ!、順番はそっち?
婚姻形態って単なる制度の問題であって
本質的なものではないでしょ?

驚きながら聞いていたら、
そんな疑問に対して、
こんな例を添えてくれていた。
エピソードとしてはよく聞く話だが、
まさに先入観を捨てて考えてみてほしい。

若い男女の会話。
男「愛しているのはこれから先も
  ずっと君だけだよ」
女「うれしい」
男「大好きだよ、みか子」

女「みか子ってだれ!!」

男は女の名前を間違えた。
でも間違えたのはそれだけ。
なのに、なぜ女は怒るのか。
そして、
怒る女に読者はなぜ共感できるのか?

更科さんは、
もし言葉が理解できたとしても
チンパンジーなら女の怒る理由が
理解できないはずだ、と言っている。

「怒る理由が理解できる」
それは「本質的な」一夫一妻の血が
人類には流れているからかもしれない

にしても、そのことと
牙が関連しているなんて。

世界は不思議と驚きに溢れている。

 

 

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2023年1月29日 (日)

牙(きば)は生物最強の武器

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牙(きば)は生物最強の武器

- 刑事ドラマではなぜ凶器を探すのか? -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(12)
「人類の進化(3)牙のない平和な生物」
 古生物学者・更科功
        2022年3月25日放送

を聞いていたら、
「人類に牙(きば)がない」ことの説明が
たいへんおもしろかったので、
今日はその部分について紹介したい。

 

人類と類人猿(ゴリラやチンパンジーなど)を
分けている特徴はニ点。
人類は、
(1) 直立二足歩行をする。
(2) 牙(きば)がない(犬歯が小さい)。

この大きな特徴のひとつ、
「牙」が衰えたのは
どうしてなのだろうか?

これには古い説と新しい説がある。
古い説は、学術的にはすでに
否定されているものだが、
本や映画の影響で、社会的に広く
認知されるようになった説ゆえ、
更科さんはそれについても
丁寧に紹介してくれている。

(a) 古い説
レイモンド・ダートという
人類学者の発言から始まる。
ダートは、アウストラロピテクスの化石を
発見したことで知られている。

彼は、ヒヒやアウストラロピテクスの
頭の骨が凹んでいるのを見つけた。

それは、アウストラロピテクスが
(武器として)骨で殴ったからだろう、と
考えた。

が、一学者のこの考えは、
簡単には社会に広まらなかった。

その後、このダートの説に基づいて、
劇作家ロバート・アードレイが本を書く。
書名は
アフリカ創世記 - 殺戮と闘争の人類史
1962年に出版。

牙がない人類は、
獲物を取るための武器を
仲間への攻撃にも使うようになった。
武器を持たなければ草原で
生き延びることができなかったのだ、
とアードレイは書いた。

「アフリカ創世記」はベストセラーとなり、
映画「2001年宇宙への旅」の冒頭でも
この説が利用されたため
社会的に広く認知されるようになる。

ところが、レイモンド・ダートの説は
事実としては間違っていた。

その後の調査で、頭の骨が凹んでいたのは
* ヒョウの歯型
* 洞窟が崩れたから
であることがわかってきたのだ。
さらに
アウストラロピテクスは植物食で
狩りをする必要がなかったことも判明。

よって学会では
ダートの説は完全に否定された
ところが社会には
この否定情報は広まらなかった。
なので、
武器を使うようになった人類は
残酷な生物、の印象がそのまま残った。

いずれにせよ、牙の衰えに伴って
獲物だけでなく仲間に対してさえ
武器を使うようになったので
牙の必要性がさらに落ちてきた、
というのが古い説の要のようだ。

(b) 新しい説
チンパンジーには牙がある
チンパンジーは植物食なので、
肉食獣のように
獲物を襲うための牙ではない。

チンパンジーは同種同士で殺し合いをする。
メスを巡るオスの戦いが多い。
(少ない見積もりでも
 1割のチンパンジーが
 仲間の殺害に関与している)

トラに会っても、サメに会っても
怖いのは「噛まれる」こと。
牙は生物最強の武器なのだ。
牙がないとなかなか他の動物を殺せない。

殺人事件があると警察は凶器を探す。
なぜ凶器を探すのか?

人間は凶器がないと
なかなか人を殺せない。

牙を使わなくなったから小さくなった、
とは、つまり
「仲間を殺さなくなった」のだ。

では、どうして殺さなくなったのだろう?
この話、次回に続けたい。

それにしても、
* 牙は生物最強の武器
* 殺人というと反射的に
  「凶器の捜索」を
  思い浮かべてしまうのは
  「人間は凶器がないと
   人を殺せない生き物」だから
という言葉を、古生物学者の話から
改めて考えてみるようになるなんて。

学ぶことはおもしろい。

 

 

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2022年12月25日 (日)

クリスマス、24日がメインのわけ

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クリスマス、24日がメインのわけ

- 「24日の晩」は「25日当日」 -

 

今年は12月24日,25日が
ちょうど土曜、日曜に重なったこともあり
クリスマスイブ、クリスマスを
思い思いの形で
楽しんだ方も多かったことであろう。

それにしてもクリスマスって
そもそもは25日なのに
クリスマスイブを含む24日が
メインのようになっているのは
なぜなのだろう?

これについては
2020年12月19日朝日新聞
「ことばサプリ」

校閲センターの町田和洋さんが
明確に答えてくれている。
(以下水色部記事からの引用)

キリスト教が生まれた地域で
使われていたユダヤ暦では、
日没が一日の区切りとする
考え方があります。

24日の日が沈んだら
25日が始まっているわけだ。

旧約聖書の創世記、
出エジプト記などに
一日を夕暮れから起算する表現があり、
紀元前5-6世紀ごろには
こうした習慣があったと考えられ、
キリスト教もこの考え方を
受け継いでいるそうです。

24日の日没から25日の日没までが
「クリスマス当日」

クリスマスの夜とは
24日のイブ(晩)しかない。

ヒジュラ暦も
日没で一日が終わり、
夜からは次の一日です。

月の満ち欠けを元にした
太陰暦をベースに月の形を見て
暮らしの指針にした習慣から
自然な流れだったと思います。

ラマダン(断食月)明けが
夜になるのも日没で一日が終わり、
新月を視認して
翌月に移る節目だからです。

なので、イスラム圏で
「○日の夜」という約束をすると
一日ずれてしまうことがあるので
注意が必要、という
中牧弘允国立民族学博物館名誉教授の
言葉も紹介している。

考えてみると
「これまでの慣習を一切無視して、
 『一日の始まり』を好きに決めて下さい」
と問われたら、どこを選ぶだろうか?
少なくとも
今の午前零時を選ぶ気はしない。

最後にひとつオマケ。
こども電話相談室でだったと思うが、
以前こんな詩的な質問が寄せられていた。

「世界は夜から始まったのですか、
 昼から始まったのですか?」

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2022年12月18日 (日)

「ノアの大洪水説」を覆す

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「ノアの大洪水説」を覆す

- ダ・ヴィンチの豊かな発想 -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(2)
「生物とは何か(1)
 昔は地球も生物だった?」
 古生物学者・更科功
        2022年1月14日放送

の回を、
次の3つのキーワードに絞って紹介したい。

<Keyword_1:地球が生きている証拠>
<Keyword_2:ノアの大洪水説を覆す>
<Keyword_3:ボウフラがわく、の意>


内容は番組のメモをまとめたものだ。

 

名画「モナ・リザ」の作者として知られる
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は
今から500年以上も前の
フィレンツェに生きた芸術家だ。

芸術だけでなく科学全般あらゆる分野で
多くの業績を残している。

さて、ダ・ヴィンチ。
彼は当時「地球は生物だ」と考えていた。
これは、特別な考え方ではなく、
当時のフィレンツェの知識層では
そう考えていた人は多かったという。

 

<Keyword_1:地球が生きている証拠>
ダ・ヴィンチは単に
「地球は生物だ」と考えるだけでなく
「生きている証拠」を掴もうとしていた。

「生きているとは何だろう?」

人間の体は
心臓よりも上部をケガしても血が出る。
つまり液体(血液)が下から上に行っている。
このことが、
生物の特徴のひとつなのではないか、
と考えたわけだ。

名画「モナ・リザ」は
手前に女性と背景に大地が描かれている。

「人間の血液の循環と
 地球の水の循環を対比させて
 モナ・リザを描いた」

ダ・ヴィンチ自身が、
手稿に残しているらしい。

当時、
地球の山脈は人間の骨、
地球の水は人間の血液にあたる
と考えられていた。

なので、地球の中には
血管のような水路があるのではないか、
そこでは水が下から上に
上っているのではないか、と
ダ・ヴィンチは考え探した。

ところが、残念ながら地球にそのような
水路を発見することはできなかった

それでもダ・ヴィンチはあきらめない。

当時、万物は次の4つの元素でできていると
考えられていた。
  土、  水、  空気、  火
重さもこの順
  土 > 水 > 空気 > 火

「水」が下から上に行く水路を
見つけられなかったダ・ヴィンチだが、
「水」より重い「土」が
下から上に行く例があれば、
より軽い「水」が下から上に行く
証拠になるのではないか、と考えた。

これは、すぐに見つかった。
山の上で、海に住んでいた貝の化石が
見つかったからだ。

まさに海の底にあった土が
山の上にまで上がってきた証拠だ。

ところが、周りの人は納得しなかった。

当時、貝殻の化石が
山で見つかることについては
別の説明があったからだ


それは「ノアの大洪水」
ノアの洪水によって、山の上まで
貝が流されたからだ、と。

 

<Keyword_2:ノアの大洪水説を覆す>
ダ・ヴィンチは、
この「ノアの大洪水説」を否定する
すばらしいアイデアを提示する。

注目したのは二枚貝。
貝殻は丈夫で簡単には壊れないが、
二枚貝の蝶番部は有機物でできているため
死ぬとたいへんに壊れやすい。
つまり、貝が死んだ状態で流されると
2枚の貝が離れてしまう。
貝がバラバラになってしまうわけだ。

ところが山の上で発見される
二枚貝の化石は、バラバラになっておらず
そのままの状態でみつかるものも多い。

これは、それまで貝が
そこで生きていた証拠。
洪水で流されて来たら
そういう状態では発見されない。

この説明により
「ノアの洪水説」を覆したのだ。

この考え方は、現在の古生物学でも
いまだに使われているという。

 

<Keyword_3:ボウフラがわく、の意>
現在では、
生物は次の3つの条件を満たすもの
 1.仕切りがあること。
 2.代謝を行うこと。
 3.複製すること。
と一般には言われている。

 1は細胞膜、
 2は物質とエネルギーの流れ、
 3は子孫を残す、
で具体的にイメージしやすいが、
実は昔は「子孫を残す」は
生物の要件として
あまり重要視されていなかったようだ。

それは
「ウジがわく」
「ボウフラがわく」
という言葉を見てもわかる。
親がなくても発生する、
の認識だったということだ。

こんな何気ない言葉からも
当時の生命観を
読み取ることができるなんて。

 

 

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