言葉

2017年3月 5日 (日)

「怒(おこ)りんぼう」と「互い」

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「怒(おこ)りんぼう」と「互い」

- 同じところがあるからこそ -

 

前々回前回 に引続き

高橋こうじ 著
「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版


から、もういくつか
言葉ネタを紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「怒(おこ)りんぼう」

最近はパリの女性たちの間でも
キティちゃんが人気だそうです。

このような
「子どもっぽいかわいさ」
に注目し称賛する文化は、
いまやわが国が
世界に売り込む目玉商品ですが、
私は一群の日本語に
そうした文化の源流を感じます。

それは、
甘えんぼう」「裸んぼ」のように、
語尾に「ぼう」や「ぼ」をつけることで
「かわいさ」を表現する言葉です。

本文では、もちろん
語源についても説明している。

* 僧侶が住む建物「坊」
* 僧侶も「お坊さん」に
* 男の子の刈り上げ頭が僧侶のよう
  例:「〇〇坊」
* 「ぼう」の語感が「子どものかわいさ」に

そして、
赤んぼう」 「裸んぼ
聞かんぼう」「食いしんぼう

大人にも使うことがある
怒りんぼう」「甘えんぼう

さらには、
 猪の子の「瓜ぼう
 果物の 「桜んぼ

まで挙げてある。

この「子どもっぽさ」を添える、は
最近よく見る他の言葉にも
生きている気がする。

私が気になっているのは
たとえばこれら。

女子力」「女子会」「弁当男子

などの「

山ガール」「肉ガール

などの「ガール

女子とは言わんだろう、
ガールとは言わんだろう、の年齢の女性に
女子会も、山ガールも
あまり抵抗なく使われている。
子どもっぱいからイヤだ、
の声があってもいいと思うのだが。

 

「互い」

辞書で「互い」を引くと、
動詞「たがう」の名詞形とあります。

たがう」は「順序をたがえる」
「約束をたがえる」などと言うときの
「たがえる」の古い形で、その意味は
不一致の状態になる」こと。

いまでも不和を
仲たがい」と言いますね。

本来は「不一致」という意味の言葉を、
私たちはこんな時にも使っている。

「お互いさま」
互いに頑張ろう」

どう考えても「不一致」ではない。
むしろそこには
「同じようなふたり」が浮かぶ。
いったいどういうことなのだろう?

AさんとBさんが
並んで腕立て伏せをしながら、
その回数を「1、2、3……」と
読み上げている様子を
思ってみてください。

はじめは声がそろっていたのに、
途中から少しずれる、
というのはよくあること。

こうした状態を私たちは
「互い違い」と言います。

「違い」も「不一致」を意味しますから、
これは不一致であることを
強調する言葉です。

実は、二人は同じことをやっていて、
不一致なのはタイミングだけなのですが、
だからこそ、そこが気になる。

「違っている」とは
「同じところがある」に支えられている。

私たちは、二つのものを見比べるとき、
まず不一致の要素に目をとめます。

自分と他者を見比べるときは特にそう。

でも、そもそも「不一致」が
目にとまるというのは、
そのほとんどが「同じ」だから
、なのです。

「不一致」を表す言葉が、
「同じように」も使われるようになる。

「違い」が気になったときは、
「そのほとんどが『同じ』だから」
を思い出してみたい。

不思議な鎮静効果があるような気がする。

 

 

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2017年2月26日 (日)

「むら」と「まち」

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「むら」と「まち」

- 語源から見る違い -

 

前回に引続き、

高橋こうじ 著
「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版


から、読んでいて
思わず付箋を貼ってしまった部分を
もう少し紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「むら」

「むら」はもともと、
さまざまなものが
「自然に集まる様子」を指す言葉で、
それを表す動詞が「むらがる」です。

むらがって湧きあがる雲は「むら雲」で、
欲望や怒りなどが心の中で
むらがっている状態は「むらむら」。

そして「人家がむらがるところ」も
むら」と呼ばれるようになった
と考えられます。

動物の集まりを指す「むれ」も
兄弟のような言葉。

すべての核にあるのは
集まる」ことです。

ただ、雲も、落ち葉も、
自然に集まるときは
「整列して集まる」
なんていうことは決してない。
自然界での「集り」は、
けっこう不均質なものだ。

物理の授業のような言葉を使うなら、
空間における散らばり方に偏りが生じて
「密」な部分と「粗」の部分が
生まれるだけです。

昔の人が「むら」と呼んだのは、
そういう集まり方なのです。

したがって「むら」という言葉は、
濃さなどが「均一でない」
という意味も持ちます。

むらっ気」「仕事にむらがある
などというときの「むら」です。

なるほど、「むらがる」にも
「均質」な感じはない。

 

では、「むら」と対になる
「まち」のほうは
どんなことに由来する言葉なのだろう?

「まち」

「まち」という言葉は、もともと
「区切られた一区画」を意味しました。

区切るのは人間であり、そこには、
土地を均等に分ける、あるいは、
使いやすい形状にする、
という意思が働くので、
多くの場合、区画の形は四角形。

その結果「四角く区分された場所」が
「まち」
と呼ばれるようになりました。

最近はあまり耳にしませんが、
区画した田んぼも「まち」であり、
全国に「まちだ」や「たまち」
という地名があるのはこのためです。

「まち田」「田まち」か。

 人の住居に目を向けるなら、
大昔の人家は自然に集まって
「むら」を作っていたけれど、
やがて有力な支配者が現れると、
人々を自分の館の周りに集め、
区画した土地に住まわせるようになって、
ここから現在の
「まち」が生まれたわけです。

ちなみに、一つ一つの区画の違いに
注目する言葉が「まちまち」。

衣服やバッグなどの「まち」も、
四角い当て布のことで、
語源は同じらしい。

最初の「むら」と「まち」を
並べてみるとおもしろい。

つまり、
むら」は自然の一部である
人間が作る自然な「密」の状態であり、

まち」は理性を持つ人間だけが
作ることのできる合理的な「区画」です。

「村」と「町」。
自治体としての「村」や「町」しか知らず、
人口の差くらいしか
イメージできなかったころに比べると、
ずいぶん違った角度から
その違いが見えてくる気がする。

 

 

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2017年2月19日 (日)

言葉の由来を愛おしむ

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言葉の由来を愛おしむ

- 道の「み」はいったい何? -

 

ベストセラー
「日本の大和言葉を美しく話す」
東邦出版


の著者、高橋こうじさんの新刊

「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版

が書店に並んでいる。

副題には
「語源が伝える日本人の心」
とあるが、
「語源」を中心とした学術書ではない。

もちろん語源に関する蘊蓄は満載だが、
そういった情報自体がメインではなく、
言葉の由来を考えながら、
言葉を生み、語り継いできた日本人の心に
思いを馳せてみようという、
ある意味言葉に関する
エッセイ集とも言える内容になっている。

「へぇ」と同時に
「この言葉って、
 もしかしたら**かも?」といった
疑問や関心が心に浮かぶようになれば、
それまでなにげなく使っていた言葉が
急に「愛おしく」なってくるものだ。

そんな中から、いくつか紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「しおり」

 しおりとは、
読みかけの本をいったん閉じるときに
「ここまで読んだ」
という目印として、はさむ紙片

でも、遠足などで主催者が皆に配る、
日程や注意事項などを記した
数ページの冊子もしおりと呼びます。

たしかにどちらも「しおり」だし
どちらもよく使う言葉だ。

指しているものは全く違うのに、
同じ言葉
。さてどうしてだろう?

辞書で「しおり」を引くと、
まず書いてあったのが

「山や森を進む際に、
 迷わぬための目印として
 通った道の木の枝などを
 折っておくこと」

という説明です。古くは、
そうやって自分で道しるべを作ることを

枝(し)折(お)る

と言い、
その名詞形が「しおり」なのです。

なるほど、
「迷わぬための目印」
が「枝折る」だったわけだ。

このキーワードがあれば、
一見関係なさそうな
最初の二者が結びつく。

 だから、大昔の人にとって
「しおり」とは何だったかを説明せよ、
という課題を出されたならば、

あとで迷わぬよう自分でつける印

という答えも正解であり、

山などを歩く際に手引きとなるもの

という答えも正解。

前者が本のしおりで、
後者が冊子のしおりになったようだ。

 

「日なた」

 日本語には「なた」という
接尾語があります。

 突然「なた」と言われても
困惑なさるでしょうが、
たとえば「かなた」。

漢字で書くなら「彼方」で、
「か」は「遠く」、
「なた」は「方向」という意味です。

同じ「なた」の前に
「そ」がつくと「そなた」、
「あ」がつくと「あなた」、
「ど」がつくと「どなた」。

私たちにとっては
どれも人についての代名詞ですが、
もともとは
「そちらのほう」
「あちらのほう」
「どちらのほう」という意味で、
時代が下るとともに、
人を指す代名詞に変化したと言われています。

時代劇では、
「こちらにいる人」を指す
こなた」という言葉も耳にする。

そんなふうに「なた」という語は、
私たちが情報をやりとりする際の
最も基本的な要素である
方向」や「人間」を指す代名詞を作る、
重要な接尾語です。

 ところが、
方向でも人間でもないのに、
この「なた」を
お尻にくっつけている言葉が一つ。

それが「日なた」です。

「日のあるほう」だから「日なた」。

理屈はその通りですが、
「かなた」や「どなた」のような
代名詞とはまったく性質の異なる、
具体的な状況についての言葉です。

こんな単語はほかにありません。

 なぜ、「日」だけに
こんな特別待遇が与えられたのでしょう。

むつかしいことはわからないが、
今の季節に聞かれれば、
自然に答えられる気がする。

本文ではこんな言葉を使っていた。

 電燈も暖房器具もなかった時代の
「日なた」は、
私たちが思う以上に幸せな場所、
天の恵みを感じる場所
だったのでしょう。

 

「道」

 大きな辞書で「道」を引くと、
意外な説明が記されています。

もともとは
 『ち』のみで道という意味
」。

そして「家路」「山路」といった言葉が
証拠として挙げられています。

これらの単語は、道を意味する「ち」と
「家」「山」という語が合わさったもの、
というのです。

では、「みち」の「み」は
いったいナンなのだろう?


下を読まず、しばしお考えあれ。

 

では、「みち」の「み」は何かというと
「敬意を表す接頭語」です。

すなわち、尊い人や神仏の心を
みこころ」、
その象徴である旗を
みはた」と呼ぶように、
「ち」に「み」をつけて「みち」。

つまり、大昔の人々にとって、
自分たちが歩く筋状の土地は
「ち」だったけれど、
敬意を払って「みち」と呼んでいた
というのです。

私たちの祖先が、
道に敬意を払う理由?

詳しい説明は本文にゆずるが、
でも、そこにある道に、
そこに存在している道に
思わず敬意を払いたくなるような、
ありがたみに感謝を禁じ得ない情景は
大昔の日本に思いを巡らせなくても、
つい最近のニュース映像ででも
何度も目にしている気がする。


私たちも大事な人や神仏との
「縁」を話題にするときは、
必ず「ご」をつけて
「ありがたいご縁
「嬉しいご縁
などと言いますが、
昔の人々にとって「みち」は
そういう言葉だったのです。

「ようやく物資が
 届けられるようになりました」
のコメントと共に映るときの道。

通るものは時代と共に変わっても、
道が果たす役割への敬意は、
よぉく考えると今でも生きている。

 

 

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2017年2月12日 (日)

NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」

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NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」

- 肉体の芸術ってつらいね -

 

NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」
~時代錯誤冬幽霊~
(じだいあやまってふゆのゆうれい)
を観てきた。

1702_ashiato

主演は、同じNODA・MAPの作品
「透明人間の蒸気」の演技を観て以来、
私の中では別格扱いになっている
一番楽しみな女優・宮沢りえさん。

他にも、妻夫木聡さん、古田新太さん、
鈴木杏さん、池谷のぶえさん、
佐藤隆太さん、中村扇雀さんら、
ワクワクする役者さんがいっぱい。

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」
でも書いた通り、
事前情報の流出に
いつもは厳しい野田さんが、
今回の公演については、自ら自筆の文章で、
こんなメッセージを発信している。
(以下水色部、公演パンフレットの
 野田さん自筆部分からの引用)

舞台は江戸時代です。
作品は、中村勘三郎へのオマージュです。

彼から、最後の病床で
「俺が治ったら、この姿
 (医療器具でかんじからめの彼の姿)を
 舞台にしてよ」と言われた。

それを、彼の遺言とも思っていないし、
彼は冗談半分のつもりだったように
思うのだけれども、ずっと気になっていた。

今年の十二月五日で、
彼が逝ってから、四年になります。

「あの姿」を書こうとは思わないけれども、
彼の葬式の時に、
坂東三津五郎が弔事で語ったコトバ、

「肉体の芸術ってつらいね、
 死んだら何も残らないんだものな」


が私の脳裏に残り続けています。

同じ歌舞伎の世界で生きる
三津五郎さんのコトバだからこそ
力がある。

その三津五郎も、
後を追うように他界してしまいました。
あれから

肉体を使う芸術、
 残ることのない形態の芸術


について、いつか書いてみたいと
思い続けていました。

もちろん作品の中に、
勘三郎や三津五郎が
出てくるわけではありませんが、

「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、
わずかな間ですが、
いることができた人間として、
その「思い」を
作品にしてみようと思っています。

劇場の情報誌
「芸劇BUZZ」vol.18 2017にも
インタビュー記事が出ていて
三津五郎さんのコトバについて聞かれ
野田さんは、
以下のようなコメントをしている。

「なるほど、上手いこと言うな」と。
自分は書くという仕事があるから
まだ残るけれど、
彼らはそういう仕事なんだなあと
改めて感じました。

 今は(舞台も)映像で残せますが、
それが余計にいやなんです


映像に上手く残せる人と
本当に上手い人はまったく違うんですよ。
そして、上手く残せることに
長けている人が上手いふうに
残るじゃないですか。

こっちがいくら

「そんなんじゃないよ、
 ビデオでは良く残っていないけど、
 この人のほうが全然すごいんだよ

と言っても、
当のすごい人が死んでしまっていたら、
そのままになってしまう。

「基本的に、映像は別物」
とよく言っている野田さんの映像感だ。

勘三郎の、こういう言い方は
誤解を生むかもしれないけれど、
下品なアドリブをビデオで撮っても
つまらないと思うんですよ。

落語家の先代の林家三平さんが
持っていたようなサービス精神に近い、
目の前にいる人たちの
空気を温めさえすれば、
まずはいいんだという迫力


芸術家ではなく
芸能人(げいのうびと)の精神を持っていて、
そこから発せられる言葉ですよね。

あれをビデオに撮って残してねと言っても、
その場に生まれた温かみ
-ばかばかしさも含めて-や
客席とのやり取りの空気は
映るはずがない


そういうことをはじめとして、
不満なんです。

その人たちが生でやったものが
映っていない映像が
本物だと思われることは・・・


「足跡姫」は
そういう話ではありませんけど、
舞台をやり続ける限りは
そのことは常に
言っていきたい
と思っています。

NODA・MAP 第18回公演「MIWA」にも書いたが、
野田さんの舞台を観ると、
「生」でこそ、の魅力が溢れていて、
「映像では残せない」を
ほんとうに実感できる。

なので、直接舞台を観た人には
野田さんの思いは
通じていると思うのだが。

 

で、「足跡姫」。
三、四代目出雲阿国が宮沢りえ。
彼女とその弟サルワカ(妻夫木聡)を
中心とする女歌舞伎一座の顛末と
由井正雪をからめた
江戸時代を舞台にした物語。

大岡越前戯の守忠相兵衛
(おおおかえっちぜんぎのかみ
 ただすけべえ)
なんていう
ふざけた名前の登場人物がいたり、

 あの一座は脱いでいるのではなくて、
 偶々(たまたま)はだけている、
 裸じゃない、ハダケです。

とか、

 そう思うと、あたし近頃、
 股に、手で、ブルーになっちゃう。
 『股に手でブルー!』

とか、例によって
台詞の言葉遊びも健在だ。

一方で、

 三、四代目出雲阿国:
  でも、声がなくなってからも、
  病の床で母さんは唇を動かした。

  母のコトバは、
  やがて母の音になった。

  母音という母の音
  おえあええ、あえっえいあ。
  それだけで喋っていた。

 サルワカ:
  母の音は、最後になんて言った?

 三、四代目出雲阿国:
  い、い、あ、い。

 サルワカ:
  い、い、あ、い?

 三、四代目出雲阿国:
  その母の音は子供の耳に入ると、
  子供の音、子音になって聞こえた


 サルワカ:
  姉さんの耳には、母の音は、
  どんな子供の音になって
  聞こえたんだ?

 三、四代目出雲阿国:
  い、い、あ、いは、
  『死、に、た、い』
  そう聞こえた。

それが弟のサルワカには
『生きたい』に聞こえた、
というエピソードなど、
深みのあるネタには
姉弟を実にうまく使っている。

最後、
芝居と幕、肉体と筋を絡めて、
サルワカの長台詞がみごとに
混乱した物語を締めている。

「その場に生まれた温かみ
 -ばかばかしさも含めて-」
を、ぜひ、生の舞台で。
お薦め。

 

 

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2017年2月 5日 (日)

オランダ政府からのメッセージ

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オランダ政府からのメッセージ

- America Firstなら -

 

すでに1700万回も再生されているから、
ご存知の方も多いと思うが、
オランダが作った
「歓迎、米トランプ大統領」のビデオが
あまりにもよくできているので、
記録も兼ねて、ここに紹介しておきたい。

オランダ語の最初のコメントも含めて
全編英語字幕付き。
<再生>したらそのまま読めるよう
サイズをちょっと大きめに。

字幕があっても英語はちょっと、
という方も心配ご無用。
映像だけでもぜひ一度ご覧あれ。
作りがいいので、日本語訳はなくても
メッセージは伝わるはず。

 

このビデオ、タイトルにも

 The Netherlands welcomes Trump
 in his own words

とあるように、まさに「自分の言葉」で
歓迎の意を表している3分半の作品だが、
自慢あり、皮肉あり、批判あり、で
ほんとうに楽しめる。

まずはともあれ作品をどうぞ。

最初から大袈裟かつ大まじめ。

 This is a message from
 the government of the Netherlands.

 これはオランダ政府からのメッセージです。

でもそのまじめさが、
すでにおかしさを予感させる。
いきなりトランプ口調だし。

(1) William of Orange
オランダ建国の歴史から話が始まるのは
いかにも欧州の国らしい。
80年も争った戦争相手のスペイン人のことを
さんざんひどく言っておきながら、

 They're all dead now by the way.

 今は全員死んでいるけれどね。

とサラリとかわしている。

(2) オランダ語
「オランダ語は欧州で最高の言語だ」を
オランダ自身が言うのはいいとしても、
total disaster(大失敗)だとか、
fake(偽物)だとか、
トランプ氏が使った言葉を、
デンマーク語やドイツ語に向けて
もう言いたい放題。

欧州内では互いの言語を
この程度のジョークでなら
言い合うことがあるのだろうか。

(3) Pony Park
最後の部分

 you can grab 'em by the pony

で笑い声が入っているのは、
この文そのものの意味ではなく、
大統領選挙期間中に暴露された
トランプ氏の超下品な会話

 Grab them by the p***y

をイメージさせるからだろう。

(4) Afsluitdijk(アフシュライトダイク)
  締め切り大堤防

オランダが世界に誇る世界最大の堤防を
メキシコとの壁にたとえてのこの話。

「月からも見える」大西洋を挟みながらも、

 from all the water from Mexico.

 メキシコからの
 すべての水から我々を守るために、

と、奔放なセリフのスケール感に
頭がついていかない。
実際、長さ32km、幅90m、もある
堤防としては本当に巨大なもののようだが。

(5) Lee Towers
「トランプ・タワー」と「リー・タワー」
Leeさんのほうは
1946年生まれのオランダの歌手。
YouTubeでちょっと聞いてみよう。

確かにいい声だ。

(6) ミニチュア・タウン
Madurodamという
ミニチュアタウンを紹介しておいて、

 The squares are so small

 広場はとっても狭いので

それを埋めるのに
たくさんの人は必要ないよ、と。

(7) Black Pete
12月、聖二コラウスの日に行われる
伝統行事らしい。

伝統行事ながら、
英語版のWikipediaによると、
ニコラウスの仲間Black Peteについての
黒い顔に赤い口紅といった化粧は、
近年オランダでも人種差別的な側面から
論争の対象にもなっているようだ。

(8) 足が不自由な政治家
これまた、
大統領選挙期間中に問題となった
トランプ氏の障碍者の真似を
皮肉ったもの。

選挙期間中に報道されていた
見るに堪えない
トランプ氏の真似映像を思い出すと、
Klijnsma氏の、穏やかな笑顔と
議場での毅然とした姿が、
対照的に気高く、美しく見える。

(9) 脱税システム
脱税の仕組みがあるよ、と言ったうえで、

 You should tell your sons
 to put all your...
 sorry, their businesses here.

 あなたの息子さんたちにあなたの
 失礼、彼らのビジネスをここに

とのわざとらしい言い間違いで、
「あなたの」を強く印象付けている。

(10) そして最後はコレ!
America Firstなら

 The Netherlands second?

やられた!という決め台詞。
噴出さずにはいられない。

 

それにしても、全編
It's great. It's true.
を繰り返しながら
トランプ氏の口調自体を
完全におちょくっている。

オランダのことを
ちゃんと紹介しながらも
笑いあり、批判ありで
メッセージ性もバッチリ。

しかも、
全体が安っぽい作りになっておらず、
仕上がりは極めて上質。


くやしいけれど、残念だけれど、
日本がほんとうに不得意な分野だと思う。

 

 

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2017年1月22日 (日)

偶然五七五

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偶然五七五

- 大阪府/四條畷市/北出町 -

 

2017年1月15日に行われた
大阪府四條畷市の市長選で
28歳の新人東修平氏が当選し、
全国最年少市長が誕生した、
とのニュースがあった。

四條畷市(しじょうなわてし)
の名前を見たらあることを思い出した。

(1) 住所篇
四條畷市には、
北出町(きたでちょう)という町がある。

住所をそのまま音読してみよう。

大阪府 / 四條畷市 / 北出町
(おおさかふ 
 しじょうなわてし きたでちょう)


そう、俳句とは言えないが
五七五のリズムになっている。

しかもおもしろいことに
この住所の郵便番号
現在は「575-0043」だが
1998年に7桁になる前までは、
これまた偶然にも
575」だったのだ。

私が読み難いこの市の名前を覚えたのは、
この五七五がきっかけだった。

 

「偶然五七五」のリズムを刻む日本語は
気をつけて探すとあちこちにある。

(2) 法律条文篇
法律の条文関連では、

日本国憲法第23条
学問の/自由は、これを/保障する

民法882条
相続は/死亡によって/開始する

軽犯罪法第1条22号
こじきをし、/又はこじきを/させた者

などがよく知られている。

 

(3) 駅名篇
数年前、
「連続した駅名で五七五七七」
つまり短歌調になる区間が
ネットで話題になっていた。

次々と挙がってくる作品(?)に
「みんなよく探しだすなぁ」と
当時は感心させられるばかりだった。
単なる駅名の組合せではなく、
「連続した駅名で」だ。

JR京浜東北線(8駅)
浜松町 = 田町 = 品川 = 大井町 =
大森 = 蒲田 = 川崎 = 鶴見(つるみ)


西武新宿線(6駅)
本川越 = 南大塚 = 新狭山 =
狭山市 = 入曽(いりそ) = 新所沢


富山地方鉄道本線(5駅)
新魚津 = 電鉄魚津 = 西魚津 =
越中中村 = 早月加積(はやつきかづみ)


JR飯田線(7駅)
上市場(かみいちば) =  
浦川 = 早瀬 = 下川合(しもかわい)
中部天竜 = 佐久間 = 相月(あいづき)

 

(4) Wikipedia日本語版篇
この五七五七七探し、
もともとは「偶然の発見」を
楽しんだものだったと思うが、
五七五七七検索プログラムを作り
フリーのオンライン百科事典
Wikipediaの本文をまるまる
検索にかけてしまった人がいる。

しかも、その結果は
こんな本にまでなっている。

いなにわ, せきしろ著
「偶然短歌」飛鳥新社

本からいくつか紹介したい。
(以下水色部、本からの引用
 五七五七七のあとの「」は、
 Wikipedia日本語版の見出し語)

 

アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、
中央アジア、およびシベリア
     「モロカン派」

柔道部・バレーボール部・卓球部
ハンドボール部・吹奏楽部
     「一宮市立北部中学校」

文学部・経済学部・法学部
経営学部・医療健康
     「日東駒専」

単なる名詞の羅列なのに、
音やリズムに特徴があって、
思わず声に出して読みたくなる。

 

空洞になっているため、大きさを
支えきれずに壊れてしまう
     「マリモ」

研究で、ネコが砂糖に関心を
持たないことは示されていた
     「ネコ」

たいていは家屋の中で日当たりの
よい場所にあり、窓が大きく
     「居間」

説明臭いものは、
リズム的にはあてはまっても
おもしろさには欠ける。

 

「立ち乗り」を行っている最中に
車のドアが閉まってしまい
     「ペター・ソルベルグ」

楽団の首席指揮者の就任も
決まっていたが、果たせなかった
     「イシュトヴァン・ケルテス」

大好きで毎日苺成分を
摂取しないと生きていけない
     「鈴木まりえ」

同じ説明調でも、
なぜか背景の物語を感じさせる。

 

艦長が自分好みの制服を
艦の資金で誂(あつら)えていた
     「セーラー服」

そんな中、白いくじらが出現し、
歓喜の声を上げる船長
     「白いくじら」

こうなると物語のほうが
前面に出てくる感じ。

 

泣き言や空想ばかりを書いている
ジャーナリストの連中が何
     「リシャルト・カプシチンスキ」

念仏で救済される喜びに
衣服もはだけ激しく踊り
     「盆踊り」

照らされて雨露(うろ)が輝く半分の
クモの巣だけが残されていた
     「くもとちゅうりっぷ」

このくらいになると、
説明文の一部、ということを忘れてしまう。

 

言葉遊びはいつでもどこでも楽しめる。

 

 

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2017年1月 1日 (日)

「おいしいもののまわり」

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「おいしいもののまわり」

- 子どもの頃きちんと教えられたこと -

 

あけましておめでとうございます。

「はまのおと」
本年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて、新年
「新たな気持で」を思った時、
最初に浮かんだのはこの本だった。

土井善晴著
「おいしいもののまわり」
グラフィック社

(以下水色部、本からの引用)


レシピ集ではない。
テレビ朝日「おかずのクッキング」に
2007年から2012年まで連載されていた
土井さんのエッセイを
加筆・修正のうえ再編集したもの。

印象的な表紙のデザインは、
柿木原政広さん。

 「大気の青」
 「植物の緑」
 「黒い土」
 「命の水色」
 「火の赤」

による縞文。

 

料理そのもの、というよりも、
料理のまわり、まさに
「おいしいもののまわり」
に関するエッセイが並んでいる。

調理道具や調理方法など
取り上げている題材はさまざまだが、
土井さんの料理に対する姿勢、
(乱暴にひとことで言ってしまえば)
「丁寧に美しく」
がピシッと貫かれていて、
読んでいてなぜか背筋が伸びるというか、
姿勢を正したくなる


それは、家庭料理であっても
プロの料理人のしごとであっても同じ。

丁寧な、丁寧な仕事の中に、
楽しみを見出し、
美しさを見出している。

 

「はじめに」から
土井さんの思いがあふれている。

料理とは命をつくる仕事である

・・・

料理することはすでに愛している。
食べる人はすでに愛されている


・・・

おいしいものは、はかないものである。
音楽にたとえれば、
ロックコンサートのように
刺激の強い音ではない。

耳を澄ませなければ聞こえない、
鳥のさえずりや川のせせらぎのような
穏やかなるもの。

真のおいしさとは、
舌先で味わうのではない、
肉体が感じる心地良さ、
ひとつ一つの細胞が喜ぶものなのだ

 

「箸で盛ること」
の節では、和食の盛り付けに関して、
こんな話を披露している。

 和食では、料理を盛るときは、
箸を決して右手から離すことはない


和え物、酢の物なら、まず、
複数の食材をひとつのポールに入れて、
和え衣や合わせ酢を加え、
箸に左手を添えて和える。

左手で直接材料に触れて箸を添えて、
形を整えて、そのまま器に盛り込む。

料理する人の手は
清潔であることが前提であるが、
この左手は
「五本箸」と言われて直接料理に触れる。

このとき、和食のルールとして、
右手は箸から決して離してはいけない。

なるほど。
和食の料理人が盛り付けるときの
ある種の動きの美しさは、
こんなところから来ていたのかもしれない。

そして左手は料理以外に触れることはない。
もし両手で料理に触れてしまえば、
器にも、箸にも
触れられなくなってしまうからだ。

 汚れた手で、器や道具を触れれば、
器を汚し、道具を汚してしまうことになる。

両方の手でサラダを合えたり、
和え物をつくったりしているのを見ると、
あの手はいったいどうするのだろうか
と思ってしまう。

手を洗うにも、
水道のハンドルを汚してしまう。
手は洗ってきれいになっても、
再びハンドルに触れれば
また汚れると考えるのが
衛生管理である。

箸が清潔な和食をつくっている

こんな簡単なことでも、
ちょっと説明してもらえるだけで、
和食の盛り付けへの関心はグッと深まる。

しかもシンプルにしてreasonable。

 

そんな中、
妙に気に入ってしまった一節がある。
「おひつ」についての
土井さんの子どものころの思い出。

親子の会話の一場面だが、
なぜか言葉のトーンに愛があふれていて、
情景が優しい。

 おひつを見ていたら、
幼い頃に初めてご飯をよそった記憶が
甦ってきた。

それはちょうど
物心のつき始めた時期と重なる。

「ご飯は一度でよそったらあかんよ。
 二回に分けてよそいなさい」。

「よそった後、おひつの中に
 穴があいているようではあかんよ。
 ちょっとならしときなさい」。

子どもの頃きちんと教えられたことは、
いつまでも忘れないものだ。

「子どもの頃、きちんと教えられたこと」が
大人になってもごく自然にできる人は、
それだけで美しい。

 

 

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2016年12月11日 (日)

読書の3R

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読書の3R

- きよはる、あきみ、きんのすけ -

 

本屋の立ち読みでの記憶なので、
雑誌名もコメントした方の名前も
思い出せないのだが、
雑誌の「読書」特集の記事の中で、

「読む本はどうやって選ぶのですか?」

の質問に、

「読書は3Rです」


と答えていた方がいた。

3Rとは、
 Recommend (推薦)
 Respect (敬意)
 Risk (リスク)


自分にとって信頼できる、ウマが合う、
そういう方の「推薦」図書を素直に聞く。

どんな本であれ、著者には
本を書きたいほどの衝動、熱意があったはず。
その思いに対しては常に「敬意」を払って読む。

どんなに人がおもしろい、すばらしい、と言っても
自分にとっては全く響かない本もある。
ハズレはあってあたりまえ。
「当たり」とは限らない「リスク」を
いちいち気にしない。

うまいことを言うなぁ、と感心したので、
3Rだけは今でも忘れずにいる。

なぜ、こんなことを急に書いているのか。

ここここ
井上陽水さん自身の言葉を続けて書いたが、
陽水さんで、もうひとつ思い出したのが、
この本だったからだ。

小林聡美著「読まされ図書室」
宝島社文庫


すごい題名。「読まされ」って。

著名人の推薦図書を小林さんに無理やり読ませ、
感想を聞いちゃおう、
というちょっと変わった本。
3RのRecommendだけで突っ走っている。

まぁ、でも、確かに小林さんなら何を読んでも、
ちょっとおもしろい感想を言ってくれそうではある。
不得意な分野であってもRespectを忘れていないし。

で、この本に、推薦者として井上陽水さんが登場する。
陽水さんは
松本清張の短編時代小説「白梅の香」を推薦。

さて、小林さんはどう読むか?

不得意領域への警戒感いっぱいに感想は始まる。
(以下水色部本からの引用)

井上陽水さんが懸念するように、
私のこれまでの人生において、
松本清張はあまりにもなじみのない世界だ。

そもそも、
ごくごく一般的なイメージの松本清張の世界は、
私が一番苦手とする領域である。
推理小説。サスペンス。

ただでさえ心配事や不安の多い日常の生活の中で、
なぜにわざわざまた違った不安や緊張感を
味わいたいのか、まずその心理が理解できない

なるべく頭を悩まさずに、ぼーっと、
ひたすらぼーっと暮らしたい私には、
そういう趣味はまったく理解できないのである。

「なぜにわざわざまた・・」
なんとも小林さんらしいコメントだ。

『白梅の香』は推理小説やサスペンスではなく
時代小説なのだが、そちらも苦手だったようだ。

それでも、ある方法により楽しんでしまうあたり、
さすが小林さん。

 と、いままで休止状態だった脳の部分を
フル活動させて、初めて読んだ松本清張
偉そうなことは何ひとつ言えないが、
時代小説を楽しめたのは大いなる進歩である。

どんな方法をとったのかは本に譲るが、
最後、こんな小ネタが披露される。

 北九州が誇る松本清張と井上陽水
二人に共通することは、
作品におけるそのクールなテンションと
本名が訓読み(きよはる・あきみ)であることも
興味深い発見
であった。

松本清張の本も、
井上陽水の音楽も、どちらも好きで
かなり読んだり聴いたりして来たが、
本名のことはどちらも知らなかった。

ただ、「きよはる」「あきみ」では、
あの小説も、あの音楽も、
書けなかったような気がしてしまうのは
なぜなのだろう?

そういえば、夏目漱石の本名
夏目金之助(きんのすけ)を知った時も
同じような感覚に襲われた。

「せいちょう」「ようすい」「そうせき」
これらの音は、それくらい強く、
彼らの作品のテイストの一部になっている気がする。

 

 

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2016年12月 4日 (日)

ただあなたにGood-Bye

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ただあなたにGood-Bye

- ラジオは言葉を探す間(ま)も -

 

前回に引き続き、

2016年11月23日放送の
井上陽水の歌の世界を読み解く特別番組

『ミュージック ドキュメント 
 井上陽水×ロバート キャンベル
 「言の葉の海に漕ぎ出して」』


というTOKYO FMのラジオ番組から
陽水さんの言葉を紹介したい。

 

まずは、テレビのニュース番組の
エンディングでも使われていた
「最後のニュース」を。

最後の、
 ♪ただあなたにGood-Bye
の歌詞を意識してお聞きあれ。

最後のニュース
   作詞・作曲 井上陽水


闇に沈む月の裏の顔をあばき
青い砂や石をどこへ運び去ったの
忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ
みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの

飛行船が赤く空に燃え上がって
のどかだった空はあれが最後だったの
地球上に人があふれだして
海の先の先へこぼれ落ちてしまうの

今 あなたにGood-Night
ただあなたにGood-Bye

ある映画の最後にこの曲が使われ、
その部分の英語字幕を頼まれたキャンベルさん。
一度訳して、陽水さんに送るのだが、
最後の♪ただあなたにGood-Bye
の部分で、ダメ出しを食らってしまう。


キャンベル:
 ぼくはね、無意識にですね
 ただあなたにgood-bye
 というのは、
 あなたに向けてgood-bye
 というふうに思って、
 just for you good-bye
 just for you だと。

陽水:
 あなた、そうか
 あなただけに。

キャンベル:
 あなたに向けて。

陽水:
 じゃないんじゃない
 ていうこと言ったのかな。

キャンベル:
 うん、そういうふうに言われて
 ハッとしたんですね。
 ぜんぜんそのことに気がつかなかった。

陽水:
 ただ、あなたに、
 ちょっと違うかもね。

さて、陽水さん、
「just for you」が、
どう違うと言いたかったのだろう?

キャンベルさんが
「どんなふうに?」と再度問う。

ラジオは、
言葉を探す、迷う間(ま)も伝わる
からいい。

キャンベル:
 えっと、どんなふうに?

陽水:
 うーん、
 たくさんいるけれど、
 ただあなたに、ではなくて、
 なんかいろいろかける言葉も
 いろいろあるかもしれないけど、
 まぁ、good-bye 
 ただこの言葉ぐらいかな

 みたいなニュアンスですかね。

キャンベル:
 そうか、そうか。

多くの人の中の「あなた」ではなく、
多くの言葉の中の「good-bye」。


キャンベル:
 just for you good-bye
 ではなくて
 ぼくはそれを書き換えて
 また送り返したのですけれども
 simply to you good-bye
 というふうにさせてもらったんですね。

 たぶんそれはそのまま映画のエンドロールの
 字幕になってたと思うんですけれど

 simplyですね。

 いろんな人がいる中でひとりじゃなくて
 いろんなことが、ここでほんとは言えるし、
 言わないといけないかもしれないンだけど、
 でも、いまそっとgood-bye
 そっちだな、という。

陽水:
 まぁ、いろいろ言葉もあるけれど

キャンベル:
 すごく、
 今日のニュースにもいろいろなことがあり、
 この歌の中に歌われている
 いろんな環境の問題であったり、
 暴力、戦争、いろんなことがあるけれど、
 あなたにGood-ByeというGood-Night

いろいろ言葉もあるけれど、
ただgood-bye。

どこをどう切っても、
陽水さんらしさが溢れている。

 

 

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2016年11月27日 (日)

44年目の「傘がない」

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44年目の「傘がない」

- 君に逢いたい切なさではなく -

 

2016年11月23日、
井上陽水の歌の世界を読み解く特別番組

『ミュージック ドキュメント 
 井上陽水×ロバート キャンベル
 「言の葉の海に漕ぎ出して」』


というラジオ番組をTOKYO FMで聴いた。

 

名曲「少年時代」の冒頭の歌詞

少年時代 
     作詞 井上陽水

夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された私の心は夏模様
・・・

陽水さんは

「『風あざみ』ってあるのかなぁ、と思ったけれど、
 『オニアザミ』があるから
 『風あざみ』くらいあるだろう、と。

 まぁ、でも、もし なくたっていいや

そんな自覚まではあって、
この詩を作ったことを告白。

ところが、キャンベルさんがこの詩で指摘したのは

あざみは
 秋の季語ではなく、春の季語

の部分だったとか。

そんな二人のやりとりで番組は始まった。

 

療養期間がきっかけで、キャンベルさんは、
昔から聞いていた陽水さんの詩の英訳にトライ。
その際、気になった部分を
ご本人に確認してみようという、
訳者からすると贅沢な番組だ。

とは言え、
陽水さんの曲をご存知の方はよくわかると思うが、
彼の詩は、日本語でも意味不明な部分が多い。
簡単に英語にできるとは思えない。

しかも、英語にしようとすると、
主語や人称や時制がずいぶん気になるようだ。

質問するほうも、答えるほうも
「無粋(ぶすい)」という言葉を繰り返していたし、
明言を避けていたのはさすがだと思うが、
不明な部分は不明のまま、
たとえ間違っていても勝手に味わえばいい気がする。

 

そんな中、言葉の問題ではなく、
歌う際の感情移入に関して、陽水さんが
ちょっと興味深いことを言っていたので、
その部分だけ紹介したい。

まずは、1972年、今から44年前のヒット曲
「傘がない」をちょっと聴いてみよう。

傘がない 
     作詞・作曲 井上陽水


都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ君に逢いにいかなくちゃ
君の町に行かなくちゃ雨にぬれ
・・・

(声が若い! はともかく)
このあと曲の中では、
「行かなくちゃ君に逢いにいかなくちゃ」が
何度も何度も繰り返される。

さて、ご本人、この曲を
どんな思いで歌っているのだろう。

「逢いたい」ことへの強烈な思い。そして
それがすぐには実現できないことのもどかしさ?

ちょっと違うようだ。

 

いちばんね、歌ってて
自分で感情移入しやすい感じっていうのは、
その「傘がない」で言えば、
君に逢いたいンだ、逢いたいンだ、っていう
切なさよりも、
もうちょっとこう、そういう具体的な
「恋い焦がれて」
とかいうようなことではなくて

もうちょっと、
「いやぁ、人間として生まれるとこうなの?」
っていう大きな感じのほうが
感情移入しやすいンですよね。

うーーん、さすが陽水さん。
そんな思いを「傘がない」で表現していたなんて。
でも、言われてみるとわかる気もする。

「何を言いたいのかはわからないけれど、
 伝えたいことは伝わってくる」

古くから繰り返し聞いている曲と共に
そんな不思議な感じに包まれた瞬間だった。

 

 

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