言葉

2018年11月25日 (日)

川端康成の小説『雪国』の冒頭

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川端康成の小説『雪国』の冒頭

- 日本語での視点、英語での視点 -

 

2018年11月16日の朝日新聞に
多和田葉子さんが「全米図書賞」を
受賞したという記事があった。

その記事のなかに、
「日本の現代文学では、
 71年に翻訳部門(当時)で
 ノーベル文学賞受賞者の
 川端康成「山の音」が
 サイデンステッカー訳で選ばれて以来」
との記述が。

A181116seidensticker

「サイデンステッカー」で
思い出したエピソードがあるので
今日はその話を書きたいと思う。

サイデンステッカーさん、ご存知だろうか?
Wikipediaにはこんな記述まである。

『雪国』の英訳では、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に貢献した。

実際、川端康成自身、
ノーベル賞の半分は、
 サイデンステッカー教授のもの
だ」
と言い、賞金も半分渡している

つまり、非常に信頼の篤い翻訳者だ。

そのうえで、この本を覗いてみよう。

金谷武洋(著)
英語にも主語はなかった
-日本語文法から言語千年史へ-
講談社選書メチエ

(以下水色部は本からの引用)

 

まず、川端康成の小説『雪国』の冒頭と、
それを訳した
サイデンステッカーの訳とを並べてみよう。

(1)
 国境の長いトンネルを抜けると
 雪国であった。

(2)
 The train came out of the log tunnel
 into the snow country.

 

小説を読んだことがない人でも知っている
有名なフレーズだ。

「国境の長いトンネルを抜けると
 雪国であった」

では、この情景を絵に描いてみよう
もちろんどんな絵になるかは
人によって様々だろうし、
「正解」があるわけでもない。

でも私にはこんな情景が浮かぶ。

主人公と自分が同化するかのように、
汽車に乗っている情景
トンネルは暗く、長く、続いている。
やがてすこし明るくなってくる。
トンネルの出口まであとわずかか。
そう思った次の瞬間、
真っ暗だった車窓が一変。
一面の銀世界が広がっている。

そんな感じだ。

 

続いて英語の方を見てみよう。

The train came out of the log tunnel
  into the snow country.

直訳すると
「汽車は長いトンネルを抜けて
 雪国へと出てきた」
これで絵を描こうとすると、
視点は山の上、トンネルの出口あたり
見下ろしながら、雪景色の中に
汽車がでてくる絵になってしまう。
少なくとも「私」は
汽車には乗っていない。

 

このお絵描き、本によると、
「シリーズ日本語」というNHKの番組内で、
実際にやっていたらしい。

数人の英語話者をスタジオに招いて,
この文から思い浮かぶ情景を
絵に描かせていた。

さて、どんな絵が描かれただろう。

全員が上方から見下ろしたアングルで
トンネルを描いている


明らかに話者の視点は
「汽車の外」にある。
トンネルからは列車が頭を出しており,
列車内に主人公らしい人物を
配した者もいた。

私は英語話者ではないが、
思い描いた絵は
まさに同じだったことになる。

金谷さんは、この違いをとらえて、

英語(欧米語)
  不動の「神の視点」で物事をとらえ、

日本語
  常に移動する「虫の視点」
  物事をとらえる、

と解説しているが、
私自身はこの解説にあまり興味はない。
(もし、ご興味があるようであれば、
 上記本を参照下さい)

 

私が興味をもったのは、この対比を通して
「国境の長いトンネルを抜けると
 雪国であった」
を読んだ瞬間に、
自分の視点が「汽車に乗っている」ことに
改めて気がついた点だ。

「乗っている」を決定付ける記述は
どこにもない。
なのにどうしてそう思うのだろう?

短い一文で、その情緒的な気分が
まだ登場さえしていない人物と
一瞬で共有できるなんて。

そして、ご存知の通り
日本語のほうは
「夜の底が白くなった」と続く。

もはや英文がどうなっているか
覗いてみよう、という気にすらならない。

 

 

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2018年11月11日 (日)

オーストリア旅行記 (64) 同じ時代を生きて

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オーストリア旅行記 (64) 同じ時代を生きて

- 棒年表と6言語 -

 

2017年8月27日から1年3か月にわたって
続けてきた「オーストリア旅行記」も
今日で64回目。

ソフトウェアエンジニアとしても
区切りのいい数字(!?)となったので
前回の予告通り、旅行記としては
本記事にて最終回としたい。

ザルツブルクでの
サウンド・オブ・ミュージック・ツアーの
ことを書いた日々が妙に懐かしい。

 

(1) 同じ時代を生きた人々
言うまでもなくウィーンは音楽の都。
これまでこの旅行記本文に登場した
ウィーンゆかりの音楽家を
棒年表で並べてみた。
(数字は生年と享年。
 色は60歳までは20年区切り)

Musician_a

音楽家の名前は赤で。
音楽家以外でウィーンにゆかりのある人々も
黒字で一緒に並べている。
各人の棒の重なり具合を見てみると
どのくらい同時代を生きたのかが
よくわかる。

ちなみに生年の差、
つまり[何歳違い]かを入れて
並べてみると

   ハイドン
[24]
   モーツァルト
[24]
   ベートーヴェン
[27]
   シューベルト
[14]
   リスト
[14]
   ヨハン・シュトラウス2世
[ 8]
   ブラームス
[27]
   マーラー
[14]
   シェーンベルク

みごとに30年以下の間隔で
大作曲家が繋がっている。

 

(2) エミレーツ航空の
  お手洗いに貼ってあったステッカー


第1回の記事の中で、
エミレーツ航空のお手洗いに貼ってあった
赤いステッカーに触れた。

P7107598s


このステッカーだ。

P7107599sas

6言語が並んでいながら
その中に英語がない。
なので、
いったいどんなことが書いてあるのか
さっぱりわからない。

英語がないということは
英語が読める人に対しては
「必要ないメッセージ」
ということなのだろうか?

だとしたら、
どんなことが考えられるだろう?

たとえば、イスラム教の人たちに
「ここではお祈りをしないで下さい」
とか。

 

本旅行記、
個人の小さなブログながら
書いたものを制限なく一般公開しているので
いろいろな方を
読者として迎えることになる。

そんな中、
このステッカーに興味を持ち
「何が書いてあるの?」と
ご自身のFacebookで問いかけて下さった
ありがたい方が現れた。

なんとうれしいことだろう。

すると、わずか数日の間に
70を越えるコメントがついた。

「インドの諸言語の文字かとおもいます。
 お力になれずごめんなさい」

というものももちろんあるが、

「一番上は5回くらい習得に失敗して諦めた
 アラビア語だと思います。
 語頭に定冠詞のalがついてるので」
などから始まり

「Alがあればあきらかにアラビア語ですね!」
と、どんどん展開。

「テキストデータに変換で一苦労。
‎يرحى الصعط علبى الزر لعسل داحل المرحاص بالماء
 」
と言いながら変換してくれる人まで登場。

「でもってGoogle翻訳」に。

 

結果はコレ!

Etrans_s

英語に翻訳された文の
ハニー(honey)が笑えるが、
意味のほうは、大きな(!?)期待に反して
「ボタンを押して水を流して下さい」
という超シンプルなものだった。

それでも、コメントは続いてゆく。

「ボタンを押して
 (トイレを)流してください。
 クラスメートのシリア人に聞きました」

スリランカ語で下記の意味
 『トイレ終わった後に
  以下のボタン押してください』」

「パキスタンからも返事がきました
 ウルドゥー(語)は、
 『(トイレを)使用後は
  ボタンを押してください、
  ありがとうございます』
 だそうです」

ヒンディー(語)
 「ほぼ同じ」だそうです」

ヒンディー語を英訳すると
「Press button for cleaning toilet」

結局まとめると、

 1 アラビア語
 2 ヒンディー語
 3 タミル語
 4 ベンガル語
 5 スィンハラ語(スリランカの言葉)
 6 ウルドゥー語

での記述と思われ、
こまかいニュアンスの違いまでは
もちろんわからないが、
大意はどれも同じようだ。

その後、コメント欄は
各国のお手洗い事情で盛り上がる。

「各国トイレ事情はけっこう面白いです。
 10年くらい前に都内で勤めていた
 日本語教育機関では、
 大量の使用済みトイレットペーパーが
 汚物カンから
 溢れ出ていたことがありました。

 また、洋式便器の使い方がわからずに
 便座の上に立って用を足してしまう女性
 珍しくなかったようです
 (よく靴の跡がついていたのでw)」

「15年前に勤めていた某国某大学では、
 旧校舎のトイレは
 一日一回まとめて流されていましたw


 日中うっかり下を見てしまうと、
 それはそれは
 色々なものが落ちていました(^_^;」

「ロンドンの学生寮(トイレ共同)では、
 インドパキスタン系の学生が使った後は
 便座がびしょびしょだったり
 トイレの床が水浸しになっていたりで
 (彼らはペットボトルを持ち込んで
  お尻を水で洗わないといけないので)、
 その問題で寮会議にまでなった事もw」

「マレーシアでちょくちょく見かけたのは、
 おそらく用を足してビデで洗ったときに
 ズボンがびしょびしょになり、
 そのまま歩いている人
です。
 いかにも、という部分が
 びしょびしょなのですw

 でも30分もすれば日光で乾くので、
 周りも特に凝視している人は
 いませんでした。」

「ドイツは硬水のため
 ウォッシュレットが
 普及していないそうです
 (壊れてしまうそうです)。

 日本も日本食も恋しくならないけれど
 ウォッシュレットはほしい
 今日この頃です」

 

これだけ実のあるコメントが
わずか数日で集まってくる
Facebookで問いかけて下さった方の
「人脈」に
感謝とともに驚きを禁じ得ない。

賢明なる読者に助けられ、
旅行記での宿題のひとつが
意外な形で片付いてスッキリ!
結果自体はシンプルなものだったが、
その過程は実にエキサイティングで
ワクワク感をおおいに楽しむことができた。
まさに同時代に、今この世界のどこかで
共に生きている人々の声は
ネットを通しても「生きている」。

 

そう言えば、コメントの中に
こんな言葉があった。

赤いステッカーについての
活気あるやりとりを
眺めていた人からのコメントだったが、
オーストリア個人旅行という
たったひとつのネタで
64回も書いてしまったこの旅行記
全体へのコメントのようにも
思えてしまったので、
「最後の言葉」として
そのまま引用させていただきたい。
(下記緑色部が引用)

長い間、
お付き合いありがとうございました。
旅行記は一旦終わりにしますが、
ブログの方は「はまめも」から
再開したいと思っています。

 

「がははー!!
 このネタ一つで、
 こんなに熱くなれるとは、素晴らしい!
 日常の小さな幸せとは、
 こんなものですかねぇ 笑」

 

オーストリア旅行記 完

 

 

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2018年10月28日 (日)

オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

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オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

- ベートーヴェンの散歩道もいっしょに -

 

Heurige(ホイリゲ)とは、
今年の」という意味。
今年できた新しいワインを指すと同時に
ホイリゲを飲ませる酒場
ホイリゲと呼ばれているようだ。

ウィーン郊外の
Grinzing(グリツィング)
Heiligenstadt(ハイリゲンシュタット)
とよばれるエリアに
ホイリゲが多いというので
路面電車でグリツィングに行ってみた。

ウィーン市街から30分弱。
バスのように細かく停車しながら行くので
決して速くはないし、
移動距離自体もたいしたことはないと
思うのだが、それでも車窓の景色は、
どんどん変化していく。

P7169467s

終点となっているグリツィングは
落ち着いた静かな街だった。

居酒屋が並ぶ賑やかな通り、
といった雰囲気は全くない。
ウィーン市街地の喧騒から
そう遠くない位置にいるのが
ウソのよう。

P7169470s

石畳の小さな脇道も
ちょっと物語を感じさせる。

P7169468s

 

ホイリゲつまり
「新酒ワイン居酒屋」の
一軒に入ってみた。
バッハヘングル(Bach-Hengl)

P7169474s

外が気持ちよさそうだったので
緑の多い屋外席に。

子連れの家族もいる。

P7169475s

頼んだのはいろいろ味わえる
「肉料理の組合せプレート」。
例によってすごいボリュームだ。

P7169484s

酒のほうは、
ホイリゲの名前の通り
今年の(?)白ワイン。
飲んでみると
確かに味が「若い」。

P7169476s

ガイドブック等には、
「ジョッキで出てくる」と
書かれていることが多いのだが、
注文の仕方が間違っていたのか、
ここのお店がそうなのか
ワイングラスで出てきた。

なお、ホイリゲでは、
Gespritzter(ゲシュプリツター)と呼ばれる
なんとワインを炭酸水で、
しかも1対1の割合で割った飲み方

あるというので頼んでみた。

すると
ワインと一緒にこんな炭酸水がでてきた。

P7169477s

沸騰しているお湯でも
見たことがないほどの泡、泡、泡。
いったいどうすればこんな強烈な
炭酸水を作ることができるのだろう。

それでなくても「若い」ワインを
炭酸水で割ってしまうので、
まさにガブガブ飲めてしまう。

 

しばらくすると、
バイオリンとアコーディオンの
陽気な生演奏が始まった。

P7169478s

ホイリゲで奏でられる昔ながらの曲は、
「シュランメル」と呼ばれている。
19世紀末にシュランメル兄弟が演奏して
ウィーン中に広まった大衆音楽。

民謡風であったり、
ワルツ(舞曲)風であったり、
ハンガリー風であったり、と
酒場に合う曲が多いが、
ちょっとメランコリックな部分もあって
そこに独特な味がある。

P7169480s

演奏は各テーブルを回り
リクエストにも応えている。

雰囲気だけ貼っておこう。

 

大人の会話(?)で盛り上がっている
テーブルもある。
なんともいい雰囲気だ。

P7169485s

なお、このお店、
有名店なのか
各国著名人が訪問した際の写真で
店内の壁一面が埋め尽くされていた。

P7169488s

ブッシュやらプーチンやら
大統領級もゴロゴロいる。

P7169490s

 

食事のあとは、
お屋敷と呼びたくなるような

P7169495s

大きな家が並んでいる
高級住宅地(?)を通りを抜けて

P7169496s

「ベートーヴェンがよく散歩した」
という道まで行ってみた。

道に沿って
今は小さな公園もあり
緑豊かな中、子どもたちは
バスケットボールを楽しんでいた。
「ベートーヴェンパーク」!?

P7169500s

公園内には銅像もある。

P7169501s

付近には、
ベートーヴェンが第九を書いたり
遺書を書いたことで知られる家まであり
ベートーヴェンゆかりの地として
小さな案内板も出ている。

P7169503s

この道を散歩しながら
交響曲第6番「田園」を書いたと聞くと
後ろに手を回して、うつむき加減に
ゆっくり歩いてみたくなる。

P7169504s

訪問した時間が遅かったため
暗くなってきてしまい
「日没タイムアウト」という
感じになってしまったが、
緑豊かな雰囲気だけは
十分感じ取ることができた。

楽しい居酒屋と豊かな緑、
そういう空気の中で、
「田園」が生まれ、
「合唱付き」が生まれたのだ。

 

十月革命から逃れるために
家族とともに米国に亡命した
ロシアの作曲家ラフマニノフは
その後5年以上にもわたって
作曲することができなかった。

その理由を聞かれて
こう言ったという。

「どうやって作曲するのですか?
 私はもう何年ものあいだ、
 (懐かしい故国ロシアの)
 ライ麦畑のささやきも
 白樺のざわめきも
 聞いていないのですから…」

(詳しくはここを参照下さい)
作曲には「環境」が必要なのだ。

ベートーヴェンが感じた風と緑が
そのままここにある。

 

 

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2018年3月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (28) ウィーン国立歌劇場(3)

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オーストリア旅行記 (28) ウィーン国立歌劇場(3)

- 驚きの奥行きと建築家の悲しい運命 -

 

ウィーン国立歌劇場の
ガイドツアーの3回目。

いよいよ舞台裏だ。

P7158902s

今は公演がないので、
ガランとしている。

P7158903s

ここで一番驚いたが、
奥行きの説明。

幅が25mに対して
奥行きは、
本舞台と奥舞台合わせて
なんと50m!


客席の奥行きよりも、
舞台の奥行きの方が大きい。

そのうえ脇舞台まであるという。
上下動とスライドを組合せて
舞台が入れ替わる様子を
ぜひ見てみたいものだ。

P7158907s

しかも、最初の説明にあった通り、
ここの公演プログラムは日替わり。
つまり舞台装置も毎日変わる。

リハーサルと本番と入替えを考えると、
スタッフの皆さんの忙しさは
相当なものだろう。

 

舞台裏の次に案内されたのは正面階段。
空襲による破壊を免れた貴重なエリアだ。

P7158911s

劇場の階段とは思えない贅沢な空間。

P7158932s

階段の左右の壁には
二枚の顔のレリーフがある。

この劇場を設計した二名の建築家、
ファン・デア・ニュルと
アウグスト・シカート・
フォン・ジカルツブルク。

P7158914s

P7158915s

いやま世界を代表する歌劇場なので、
建築家のふたりもレリーフとなって
自らの作品を
さぞや誇り高く眺めていることだろう、と
思いがちだが、
現実は正反対だったようだ。

なんとも悲しい物語。

ガイドツアーでも簡単に触れていたが、
下記の本を参考に
少し詳しくみてみたい。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

コンペを勝ち抜いたこの壮大な建築物が
ウィーン市民の前に
初めてその姿を現したころ・・・

当初は
「ギリシャとゴシックと
 ルネッサンスの様式が入り乱れた、
 節操に欠けたデザイン」
と酷評されたのである


それに加え、
建築工事開始後になってから
劇場正面の大通りの地表面が
1メートルもかさ上げされることになり、
その結果この劇場は

「沈没した箱」
「建築文化の敗北」
「食べ過ぎて横たわっている
 象のように重い」

などとこきおろされた。

道路工事の不運があったにせよ、
その評判は散々だったようだ。

「沈没した箱」と評したのは
ときの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。

多くの酷評に
ふたりは最悪の事態を迎えてしまう。

これらフランツ・ヨーゼフ1世
(1830~1916年)はじめ、
建設省、新聞、建築家や
一般市民の非難の声に耐えきれず、
ファン・デア・ニュルは
1868年4月3日に56歳で自殺


同年6月11日には
ジカルツブルクも54歳にして
失意のどん底に力尽き、
両人とも建物の完成を待たずして
世を去ってしまった。

なんということだろう。

建築家のふたりは自殺と憤死。
建物の完成も、こけら落としの公演も
見ていない
のだ。

ふたりの死は、
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にも
影響を与えた。

この事件以来、
国王は何事に対しても
個人的な見解を発言するのは
控えるようになった
という。

外観の意匠が市民に理解され、
受け入れられるには長い時間が
必要だったようだ。

 

次に案内されたのは、

【大理石の間】

P7158916s

名前の通り
床もテーブルも壁の一部も大理石。

P7158921s

この空間に重厚な雰囲気はなく、
モダンで明るい。

幕間をシャンパン片手に寛ぐのに
ピッタリ。

P7158919s

壁には色違いの石を上手に組合せて
舞台裏やら楽器やら
歌劇場の日常が
じつにオシャレに描かれている。

P7158918s

今はがらんとした空間だが、
オペラの幕間で人が溢れている時、
ここはいったいどんな空気で
満たされていることだろう。

 

舞台の奥行きに驚き、
建築家の悲しい運命にしんみりし、
と感情の起伏が思いのほか大きい
歌劇場のガイドツアーだが、
ガイドさんの案内はまだまだ続く。

 

 

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2018年2月11日 (日)

オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

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オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

- 高校世界史の授業の思い出 -

 

【ウィーン自然史博物館】

P7148731s

で、見たかったもののひとつが、
ヴィレンドルフのヴィーナス」。

写真は撮れなかったので、
ミュージアムショップで買った
絵葉書の写真を添えておきたい。

Venus_s

名前は知らなくても、
教科書等どこかで目にしたことが
あるのではないだろうか。

なんと2万4千年も前のものと
推定されているらしいが、
実物は11cm程度しかなく、
目の当たりにすると
その小ささに驚いてしまう。
片手に収まってしまうサイズだ。

今このブログをiPhoneで
ご覧になっているとすれば、
そのiPhoneよりも小さい。

発見は1908年。
こんな小さなものを壊さずに
よく見つけ出したものだ。

 

では、どうして
実物を見てみたかったのか。

それは、
高校の世界史の授業の
小さな記憶と繋がっているから。

寄り道が多くて
ちっとも前に進まない旅行記だが、
今回も観光を離れて
しばし私の高校時代の
世界史の授業の思い出話に
お付き合い願いたい。

 

工学部をめざしていた私は
世界史の授業がある高校3年時、
いわゆる理系クラスにいた。

主力の理系科目でもないうえに、
私も含めクラスメイトの多くは、
当時の共通一次試験、
今のセンター試験の社会に
「世界史」を選んでおらず、
まさに受験に関係ない、
ということもあって
世界史の授業には
全く熱が入っていなかった。
と言うか
サボることばかり考えていた。

そんなクラスの世界史を任されていたのは
大ベテランのK先生。

やりにくかったであろう空気の中、
じつに淡々と授業を進めていた。

私は、と言えば、そういうわけで
数学や物理の内職(?)を
コソコソしながら聞いていた
不誠実な生徒だったのだが、
あれからウン十年、
「ながら」で聞いていたK先生の言葉が
自分でも意外なほど記憶に残っている。

 

「ヴィレンドルフのヴィーナス」の
写真が教科書に出てきたとき、
先生はこうおっしゃった。

「君たちはこの写真をみてどう思う?
 君たちが期待している女性の体型とは
 全然違っているだろう」

男子校での授業、
「女性の体型」という言葉に
内職をしていた生徒も皆
おもわず顔をあげた。

「大きな乳房とお尻、
 太ったからだは、
 子孫繁栄と豊かさの象徴。

 人々の願いが込められた像は、
 そういった部分が強調され、
 女性の体型がデフォルメされている、
 そう説明されることが多い」

ここで一呼吸おいて、
先生はこう続けた。

でもね、それは違うンだ

 どう違うかって?

 今の、私の妻を見てみなさい。

 まさにこのままの体型だ。
 デフォルメもなにもない。

 若い時は細くて美しくても
 女性はみんな歳をとると
 こういう体型になるンだぞ、という
 覚悟をも教えてくれているンだ」

軽い冗談に笑いながらも、
「覚悟」という言葉が妙に印象に残った。

男子高校生に
「女性」への「覚悟」を
初めて意識させてくれたヴィーナス。
今回、ようやくその実物に
会うことができた。

こんな目で見ている人は
他にいないだろうけれど。

 

この世界史のK先生、
他にもいくつもの印象的な言葉を
私に残している。

「為政者を動かす力は4つある。
 権力、暴力、金(かね)、それに女だ。
 
 歴史はこれらの力で動いていく。
 この史実にはどの力が働いたのか?
 そう思いながら歴史を見ると面白い」

こんな乱暴な説を、
聞いた方の生徒は
一生忘れないのだから、
先生という職業は恐ろしい。

 

そんな中、
最も強く残っているのはコレ。

当時はまだ「世界遺産」という言葉は
たぶんなかったと思うが、ずいぶん昔、
NHKがかなり力を入れて
世界各国の遺産を紹介する
「未来への遺産」という番組を
放送していたことがあった。

その番組に言及したあと、
先生はこう投げかけた。

「数年前『未来への遺産』という
 NHKの番組があったけれど、
 あそこで紹介されていた遺産は、
 ピラミッドだって
 万里の長城だって
 すべて
 『過去から未来への遺産』だ。
 
 じゃぁ、
 『今から未来への遺産』は何だ?

 君たちは未来に何を残せるンだ?

強烈な問いだ。

先生の熱いメッセージとは裏腹に
悲しいかな最近は
「未来への負の遺産」という言葉さえ
耳にするようになってしまった。

高校の時に一度聞いたきりなのに
それから数十年消えることのない
『今から未来への遺産』は何だ?
の問い。

それを私に残してくれたK先生には
今でも感謝している。

 

 

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2018年1月 7日 (日)

オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

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オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

- 観光地は独英中韓の四言語 -

 

2018年も明けてもう一週間。
今年最初のアップです。
本年もよろしくお願いします。

前回の続きから始めたいと思います。

 

ハルシュタット、最後の朝。
気持ち良い朝日が
朝食のレストランに降り注いでいる。

P7148622s

湖の向こう岸には
赤い車両の電車が走っている。

渡し船も小さく見えるが、
湖面が静かで反射が美しい。

P7148635s

朝食を食べてチェックアウト。

いよいよ
ハルシュタットともお別れだ。

P7148653s

名残惜しさゆえ、最後に
世界遺産「ハルシュタット」で
撮った写真から二枚だけ選んで
もう一度貼っておきたい。
(次の2枚のみ、
 クリックすると通常よりも
 大きなサイズで表示されます)

P7128218as

PCからの方は、ぜひクリックしてご覧あれ。

P7148639as

 

ところでここに2泊する間、
出遭った日本人は
遊覧船での母娘ふたりだけだった。

ザルツブルクでも、
見かけるには見かけたが、
気がついた範囲では数人レベル。

サウンド・オブ・ミュージックツアーの
約60人のバスの中にも、
我々夫婦以外にはひとりもいなかった。

個人旅行で気ままに動いているせいか、
ツアーの団体さんとは出遭っていないし、
もちろん実数もわからないが、
それにしたって
ハルシュタットもザルツブルクも
どちらも世界遺産になっている
大観光地だ。

バブリーなころ
「どこに行っても必ずいる日本人」と
やや揶揄されるように言われていたことは
「今は昔」なのだろうか。

そう言えば、
ハルシュタットの町中にある掲示板も
ドイツ語、英語、中国語、韓国語
の4言語で書いてあり
そこに日本語はなかった。

P7148629s

今回、
「あっ、東洋系の人だ」と思っても
家族連れなら中国人、
若いカップルなら韓国人、
ということが圧倒的に多い。

観光地の掲示板は、
そのあたりの訪問者数を
敏感に反映しているのかもしれない。
(ごみ捨てに関する注意よりも前、
 一番最初に
 ドローンに関する注意書きがあるのも、
 反映の感度を表している気がする)

 

もうひとつ、
町で目にして気になったものを。

一般車両を規制しているほどの
狭い町中、
清掃車も実にコンパクトで、
小回りのきくものだった。

P7148640s

 

閑話休題。

そう、ハルシュタットとのお別れだ。

来たときと同様、渡し船に乗って

P7148658s

美しい景色との別れを惜しみながら

P7148671s

対岸の駅下を目指した。

P7148685s

船を下りてから、駅まではすぐ。
まさに直結

P7148689s

本数が多いわけではないせいか、
無人駅にわりと多くの人が待つ。

P7148693s

ほぼ定刻に電車がやってきた。

P7148695s

乗車した直後、幸か不幸か天気が急転。
一気に雨になってしまった。

来る時には、帰りの途中下車も考えていた
バート・イシュルやトラウン湖は、
雨のためそのまま通過。
残念だが、次回のお楽しみとしよう。

ザルツブルクから来た時に乗換えた、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅に到着。

今度はウィーン方面に向けて乗換えだ。

P7148710s

ウィーン行の電車を待っている際、
アットナング・プッハイム駅には
こんな列車が停まっていた。

P7148713s

日本では見かけることが少なくなった
貨物列車かつ裸の材木。

それを見ていたら
急に前に読んだ本のことが蘇ってきた。

次回は、その話から始めたい。

 

 

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2017年8月20日 (日)

「数学する言葉」

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「数学する言葉」

- かむかう -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
独立研究者の森田真生さんが
寄せている
「数学する言葉」という
16ページほどの文章を読みながら、
「数学」と「言葉」について、
ちょっと考えてみたい。
(以下水色部
 「数学する言葉」からの引用)

 

・・・
紙の上に書かれた「3」は、
三そのものではない。

紙に書かれた「リンゴ」の文字が、
それ自体リンゴではないのと同じことだ。
紙に書かれた「リンゴ」を、
まさか食べようとする人はいまい。

本当のリンゴは、どこか別の所にある。
そんなことは百も承知で、
人は文字を読む。

 区別をはっきりさせるために、
記号としての「3」や「三」のことを
「数字」と呼び、
数字が指し示している対象の方を
「数」と呼ぶことにする。

「3」という数字に対応する数については、
<三>と書くことにしよう。

 このとき<三>が、食べたり、掴んだり、
香りを嗅いだりできるような、
知覚の対象でないことは明らかである。

<三>には、大きさもなければ色もなく、
形もなければ味わいもない。
数について、
人はただ純粋に考えることができるのみだ。

「図形」もそうである。

(中略)

数学とは徹頭徹尾このように、
考えることしかできない事物についての
探究
なのだ。

五感で感じられないものを
言葉で考えるのは
数学に限ったことではないでしょ、
そう思った方、
ハイ、まさにその通り。

その通りではあるが、
実は数学を支える言葉には、
ほかにはない大きな特徴がある。

もちろん、
その場にない物事について考えるのは、
数学者だけではない。

言葉を知る者ならば、
誰でも過去について、
可能性について、
死者や地球の裏側について、
考えることができる。

現にそこにあるわけではないものを、
その場に立ち上げてしまうのが
言葉の魔力である


知覚できない数や
図形を現出させる数字や図もまた、
この魔力を継承する「言葉」なのだ。

 だが、数字や図、数式など、
数学を支える言葉には、
自然言語にはない機能
もある。

両者の間には、
無視することのできない差異がある。

いったい、どんな差異があるのだろう?

<五十七>を意味するために「57」と書く。
このとき、
記号に過ぎないはずの「57」を、
人はじかに割ったり掛けたりできる

このあと詳しく見ていくが、
これは自然言語ではできないことである。

「リンゴ」という言葉で
リンゴの存在を喚起し、
「六本足の馬」という言葉で、
不可能な馬の存在を
立ち上げることはできても、
「リンゴ」という言葉を齧ったり、
「六本足の馬」という言葉の上に
跨ったりすることはできない。

そう考えると、
「57」という言葉の上で、
掛けたり割ったり、数学的に可能な
あらゆる行為を実行できることが、
あらためて不思議に
思えてきはしないだろうか。

数学の言葉は、
数や図形の存在を呼び起こすだけでなく、
そうして存在を喚起された
数や図形について、
言葉の上でじかに計算したり、
推論したりすることを可能にする
のだ。

数学の言葉は数学者にとって
「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する
のである。

 自然言語もまた
推論の足場ではないか、と
反論する人がいるかもしれない。

確かに人は、自然言語の力を借りて、
様々な推論をする。
しかし、
ある言葉を用いて推論することは、
ある言葉において推論することと
同じではない。

このあと、本文では
アメリカの哲学者ダニエル・マクベスの
「数字を用いて(on numbers)」
計算するのではなく
「数字において(in numbers)」
計算できるようになった、という

インド・アラビア式の
「算用数字」の登場についての
言葉を紹介しながら、
「数字において」
計算できるようになったことの意味を
詳しく説明していくが、

今日は、この
言葉のうえでじかに計算できる
という指摘の紹介に留めておきたい。

我々は小さなころから
あまりにも現在の算用数字に
慣れ親しんでしまっているために、
どんなに大きな数でも
「0」から「9」の組み合わせだけで
書けてしまうことに、
その革新性を感じることは難しい。

本文では算用数字が登場するよりも
前の時代の例を挙げながら、
対比によって今の算用数字の
すばらしさを説いているが、
ポイントは、もちろん単に表記できる、
という点だけではない。

どんなに大きな数も、
算用数字で書いてしまえば、
それを割ったり掛けたりできる。

そうして、
巨大な数に「触れる」ことができる。
たとえば、その数が23で割り切れること、
あるいは約数を複数持つことなどを
「体感」することができる

こうして、
割ったり掛けたりする行為を通じて、
数字に固有の「意味」が
浮かび上がってくるのだ。

 このとき、数字の意味する内容は、
もはや外部の世界を
参照することによってではなく、
数字とのダイレタトな接触によって、
数字の世界において作り出される

「図」も数学の言葉だ。

ユークリッドの『原論』
(紀元前300年頃)
を例に、
古代ギリシアの幾何学者たちが、
必ず図を描きながら推論した事実を示し、
数学者たちの言葉が、
作図行為とともに
発せられた
ことを説明している。

・・・・・
かくして直線AB上に
正三角形が作図できることの証明は、
図において遂行される。

図を描いていくうちに、
そこに正三角形が生じるのであって、
幾何学者が
「頭の中」で見出した正三角形を、
記述したり
描写したりしているのではない。

 本居宣長の説によれば、
「かんがふ」という言葉は
「かむかふ」の音便で、
もともと、
むかえるという意味の言葉だそうだ。

小林秀雄は、
この「むかふ」を
「身交(むか)う」と読んで、
考えるとは、
 物と親身に交わる事だ
」と
エッセイ「考えるという事」の中に
記している。

古代ギリシア人にとって、
図形について「考える」とは、
まさしく
図と親しく交わることであった。

図は、
脳内で思考したことの表現ではなく、
図を描く行為が即ち
「かむかふ」ことだったのである。

「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する数学の言葉。

先人は、数や図形と「かむか」って、
様々な意味を見出して来たが、
世界はいまなお至るところで、
考えることをやめていない。

 

 

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2017年8月 6日 (日)

独自言語で会話を始めた人工知能

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独自言語で会話を始めた人工知能

- 今、必要なものは? -

 

最初に知ったのは
通勤途中のラジオだったのだが、
先週、衝撃的なニュースがあった。

帰って来て調べてみると、
関連記事がネットにある。
ただ、現在公開されている記事が
いつまで読めるのかわからないので、
個人的な記録のために
その一部をここで取り上げておきたい。

代表で選んだ元の記事は
2017年8月2日付のこちら
人工知能(AI)についてのニュースだ。
記事のタイトルは、
「終わりの始まり…?
 独自言語で話しはじめた人工知能、
 Facebookが強制終了させる」

(以下水色部は記事からの引用)

Facebook(フェイスブック)が行なう
人工知能の研究開発において、
近未来SF映画のような
事態が起きていました。

会話をさせていた
2つの人工知能ボブとアリスが、
独自の言語を生み出し、
話し始めたのです。

人間には理解しがたい言葉を話す
2体のAI。

Facebookの開発チームは、
これを受けて人工知能の
マシンラーニングプログラムを
強制終了させました。

人工知能(AI)が人間の能力を超える
技術的特異点、
シンギュラリティ(Singularity)なる言葉を
耳にすることも多くなっているが、
それにしてもこの記事の恐ろしさは、
表現のしようがない。

人間には理解できない独自の言語で
AI同士が会話を開始した、というのだ。
ついに、ここまで来てしまったのか。

 

私自身は、門外漢の素人ながら
一エンジニアとして
AIの進歩を楽観的かつ好意的に
見つめている。
どんどん進歩すればおもしろい、
と思っている。

それなのに、このニュースには
どこか別な部分が反応してしまった。
それはいったどこなのだろう?

個人的には、身体を持たない
知能だけのシンギュラリティの議論は
ナンセンスだと思っているので、
単純な
「もしそうなったら人類の終焉だ」
「終わりの始まりだ」
みたいな極論には全く与(くみ)しないが、
次々と新しいネタが飛び出してくる
AI関連のニュースからは目が離せない。

 

松尾 豊 (著)
人工知能は人間を超えるか
ディープラーニングの先にあるもの

(角川EPUB選書)
(以下緑色部は本からの引用)

にこんな記述がある。

言語の果たす役割とも関係があるが、
社会が概念獲得の「頑健性」を
担保している可能性がある。

複数の人間に共通して現れる概念は、
本質をとらえている可能性が高い。

つまり「ノイズを加えても」
出てくる概念と同じで、
「生きている場所や環境が
 異なるのに共通に出てくる概念」は
何らかの普遍性を持っている
可能性が高いのだ。

言語は、こうした頑健性を
高めることに
役立っているのかもしれない。

人間の社会がやっていることは、
現実世界のものごとの特徴量や
概念をとらえる作業を、
社会の中で生きる人たち全員が、
お互いにコミュニケーションを
とることによって、
共同して行っている

考えることもできる。

身体だけでなく、
社会やコミュニケーションが
裏にあってこその概念獲得。

ロジックやデータだけに基づく進化に
直感的な危うさ、怖さを感じるのは、
そういった裏の支えがないことが
原因なのかもしれない。


著者の松尾さんはこうも書いている。

いずれにしても、
まず議論すべきは、
「人工知能が将来持つべき倫理」
ではなく、
「人工知能を使う人間の倫理」や
「人工知能を
 つくる人に対する倫理」である。

最初の記事に戻ると、実際、
AI同士が意味のわからない言葉で
会話を続けることに直面したエンジニアも

米メディアの多くが
この件を報じており、
パニックでプラグを引っこ抜いたとか、
システムをシャットダウンした
などと言われています。

なる行動をとってしまったようだ。

エンジニアとしては乱暴なその行為を
反射的にとってしまった
今のFacebookのエンジニアには、
ちょっとホッとするところがある。

今、「作る人」に必要なものは
ナンなのだろう。

恐ろしくなって、
「プラグを引っこ抜いたり」、
「シャットダウンしてしまったり」、
そういう『恐ろしさ』を感じる気持ちは
持っていてもらいたいと思う。
それが倫理や論理に
基づくものかどうかはともかく。

 

 

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2017年7月 2日 (日)

5年前はホームレス

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5年前はホームレス

- 女性歌人の「住む場所」 -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
歌人の鳥居さんという方が書いた
「住む場所」という
2ページの短いエッセイが載っていた。
(以下水色部「新潮」からの引用)

 

私は二十代の女性だけれど、
 5年前はホームレスだった


というちょっと驚くような内容から
話は始まっている。

何も持たない私は、
一人で誕生日も成人式も過ごした。
一人は寂しいなあと思う。
誰かと親しくなろうと試みる。
そのたびに
「どこの馬の骨とも知れない人を
 信用できない」と疎まれる。

学歴もなく、人脈もなく、
履歴書に書ける
住所も緊急連絡先もない。

そんな私が今、
立派な文芸誌から寄稿依頼をもらい
エッセイを書いているなんて、
生きていると思わぬ未来に
辿り着くものだなあと思う。

不思議だ。

ひとりぼっちの5年前も心配だけれど、
いったい、この5年間に
鳥居さんには何があったのだろう。

いろいろなことが
あったであろうことは
想像に難くないが、意外にも
彼女自身はこのひと言で言い切っている。

ホームレスだった、あの頃と今。

たった五年の間に
私の身に何が起こったのだろうか。
そのじつ、たぶん、何もない。

きっと住む場所が
変わっただけ
なんだと思う。

題名の「住む場所」は、
ここから来ているのだろう。

「場所」とは「所」ではなく、
「世界」のこと。

世界が変わると価値観も変わる。
「本を読むこと」という
わかりやすい例で
世界の違いを述べている。

昔、住んでいた場所
(孤児院や里親家庭)では、
人とつきあわず
黙って文字ばかりの本を
読んでいることは
「あの子、何考えてるかわかんない」
「気色悪い」と言われる、
可愛げのない人物の象徴的行動だった。

今いる場所(文芸的世界)で、
私が本を読んでいても
「気色悪い」とは言われない。
それどころか、褒めてもらえる(!)。

もうひとつ、
別な例が添えてあるのだが、
こちらは対照的に過激だ。

しかし、ピストルの弾が、
どこでどのように取引されているのか、
相場価格がいくらか。
もし、そんな話を、
ここで精確に話せたとしても、
今ではもう、
誰も私を褒めてはくれない

(以前の場所なら、
 すこしは評価してもらえた
 話題だった。)

二十代の女性が
こんな例を挙げられること自体、
経験の凄まじさを感じさせる。

鳥居さんの歌は
「キリンの子 鳥居歌集」
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

という形で歌集として出版されている。

出版元のホームページを見ると、
鳥居さんについて、
以下のように紹介されている。
(以下緑色部HPからの引用)

三重県出身。年齢非公表。
2歳の時に両親が離婚、
小学5年の時には目の前で母に自殺され、
その後は養護施設での虐待、
ホームレス生活などを体験した女性歌人。

タイプすることすら、つらい。

それでも近年の
2012年 全国短歌大会 入選
2013年 路上文学賞 受賞

などがホームレス脱却の
契機になったようだ。

小中学校に
通えなかった自分と同じように、
何らかの事情で
学校に行けなかった人たちが、
再教育を受けられる社会になるように、
という願いをこめて、
セーラー服を着て活動している。

どんな歌を詠むのだろう。

上の歌集(受賞文学賞作品も含まれる)を
読んでみた。


 爪のない指を庇って耐える夜
  「私に眠りを、絵本の夢を」

凄絶ないじめの体験を詠んだ歌は
やはりつらい。

そんな中、
こんな目も持ち合わせている。

 サインペンきゅっと鳴らして母さんが
  私のなまえを書き込む四月

 目を伏せて空へのびゆくキリンの子
  月の光はかあさんのいろ

優しい、温かい歌もある。

でも、義務教育ですら
ちゃんと受けられなかった
過去の境遇を知って読むと、
やはり次のような歌が、
深く深く心に響く。

 慰めに「勉強など」と人は言う
  その勉強がしたかったのです

 

 

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2017年5月 7日 (日)

どちらがウラか

(全体の目次はこちら


どちらがウラか

- 紙が貴重品だったから -

 

前回に引続き、

 大隅和雄 著
 中世の声と文字
 親鸞の手紙と『平家物語』
 シリーズ <本と日本史> 3
   集英社新書

から、もうふたつ興味深い
エピソードを紹介したい。

 

【仮名文字の始めの頃】

平安時代中期以降、文字に親しむ人々は、
心に思うことを伝えるために、
手紙を書くようになった

『源氏物語』の中に、
京に上った明石の君が母の尼とともに、
明石に残った父の入道に
近況を知らせる手紙を送る場面がある。

入道は明石の君への返事の中に、

 仮字文(かなぶみ)見たまふるは
 日の暇(いとま)いりて、
 念仏も懈怠(けだい)するやうに
 益(やく)なうてなん、
 御消息(せうそこ)も奉らぬを。
          (若菜 上)

(仮名の手紙を拝見するのは、
 時間がかかって、そのために
 念仏も怠るようになるので、
 御消息もさし上げませんよ)

と記したとある。
女性の手紙は
仮名文字で綴られているので、
読むのに時間がかかり、
念仏の行の妨げになる
という。

漢字で書かれていれば、
一見すれば何が書かれているかわかるが、
当時は仮名文字だけの文章には
句読点も濁点もなく、
音便の表記もまちまちだったので、
日々仏典に接している入道にとっては、
仮名文を読むのは大変だったに違いない。

仮名文字は読むのに時間がかかる。
漢文の方が
読みやすかった時代があった
わけだ。

 

【紙が貴重品だったから】

 平安・鎌倉時代、
公的な文書は漢文で書かれた。

太政官や摂関家から出される
さまざまな文書、
寺院の経営に関する文書、
田畑の譲渡や売買の書類など、
権利の証文として必要なものは
大切に保管され、代々受け継がれたが、
私的なこと、
日常生活のことを書いた手紙が
永く保存されることはなかった


貴族の女性は仮名文字で、
数多くの手紙を書いたと思われるが、
公的なことに関わりのない女性の手紙が
後世に伝えられることはなかった

ところが、藤原為房の妻の手紙は
43通も残っている。

それは、なぜか。

紙をめぐる時代的背景が
大きく関わっている。

ただ、当時は紙が貴重であったから、
保存の必要のない手紙を集めて、
裏に本を写すことがしばしば行われた


そのため、藤原為房の妻の手紙43通も、
比叡山の僧房で、
仏典を書写する料紙として用いられ、
青蓮院に残ったのである。

紙が貴重だったので、
手紙のウラが
仏典を書写するために使われた。

その仏典が残ったために、
偶然、
ウラの手紙が一緒に残ることになり
仏典と一緒に発見された。

こうなるとどちらがウラか
わからなくなってしまうが、
何が幸い(?)するかわからない。

紙というブツ(物)があればこその
エピソードだ。
デジタルデータではこうはいかない。

オモテがウラになり、
ウラがオモテになる。
ブツの価値はその瞬間には定まらない。

いろいろな面に光を当てて見せてくれたのは、
ブツが残った、その長い長い時間だ。

 

 

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