言葉

2023年3月26日 (日)

「折々のことば」との偶然

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「折々のことば」との偶然

- 民話は複数の声 -

 

『50年にわたり東北の村々を訪ね、
 民話を乞うてきた民話採訪者・小野和子が、
 採訪の旅日記を軸に、
 聞かせてもらった民話、手紙、文献など
 さまざまな性質のテキストを、
 旅で得た実感とともに編んだ全18話を収録』
と紹介されている

小野和子(著)
あいたくてききたくて旅にでる
PUMPQUAKES

(以下水色部、本からの引用)

は、単なる民話集ではない。
とにかく、民話に対する小野さんの姿勢に
胸を打たれる。

と始めて本書最後にある
映画監督 濱口竜介さんの言葉を
紹介したのが前回の記事で、
公開したのは2023年3月19日。

そのわずか数日後、
朝日新聞一面に連載されている
鷲田清一さんの「折々のことば」で
同じ本からの引用が続いた。

「折々のことば」

2023年3月23日
 生きるために「息を抜く」ことが
 許される場が、
 そこにあったのである。
      小野和子

2023年3月24日
 聞くことが声をつくる
      濱口竜介

こんな偶然があるだろうか。
濱口竜介さんについては
まさに同じ一行を引用している。

世の中に数多くある本の中の
全く同じ一行
ふたりの人間がほんの数日違いで
発信するなんて。

話題の新刊ならともかく、
3年以上も前に出版された本だ。

でも、
スピードを競っているわけでもないのに、
鷲田さんよりも先に紹介できたことは
悪い気はしない。
ほんとに不思議な偶然だ。

というわけで(?)
今日は、小野さん自身の言葉から
その「姿勢」の魅力を感じてみたい。
鷲田さんとは違う言葉のセレクションで。

小野さんは最初にこう書いている。

民話を語ってくださる方を
訪ねて聞くという営みを、
民話の「採集」や「採話」と
言ったりする場合があります。

ただ、わたしは、
「語ってくださった方」と
「語ってもらった民話」は、
切り離せないもの
と考えています。

だから、「採集」や「採話」という
言葉は使いません


そのかわりに「採訪」と言っています。
この「採訪」という言葉には、
「《聞く》ということは、
 全身で語ってくださる方のもとへ
 《訪(おとな)う》こと」
という思いが込められています。
そこで語ってくださる方と聞く者が、
ときには火花を散らしながら、
もう一つの物語の世界へ
入ってゆく
ことにより、
深くつながってゆくのです。

「民話」を単独の独立した話としてではなく
訪問先の人や土地、歴史のなかで
捉えようとしている。

民話を語る人は、必ずそれを
語ってくれた人「死者」を語る


死者への思いがあるから、
「言葉」は命を持ち、
「むかし」と「いま」をつないで
無限の未来を
生きる
のではないだろうか。

「死者への思いがあるから、
 無限の未来を生きる」とは
小野さんらしい言葉だ。 


…語りとは個人ではなく、
背後に一種共同体のような、
いや、人と人が集まった
複声のようなものが、
語る〈私〉を差し出しているのである。
語りとは単声ではない

複声が、語る私を差し出している、
繋がりの中にこそ民話の力があるのだ。

民話を語ってもらうとき、
わたしはいつもその人の背後に、
それを語った先祖の面影を見るし、
その声を聞く。

わたしのところまで、いま、
語り手を通して
きてくれている「物語」は、
語る人の「単声」としては
聞こえてこない。

時代を経た無数の先祖の声であり、
それは共同体とでも言うべきものの
複数の声として聞こえるのである

小野さんは、語る方に対してはもちろん、
先祖や土地に対する心からの敬意を
どんなときも大事にしている。

単に「お話を記録する」ではない
民話採訪者小野和子さんの魅力は、
まさにこの複数の声に耳を澄ましている
その姿勢にこそある。

 

 

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2023年3月19日 (日)

「畏れ」は 出会う「よろこび」

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「畏れ」は 出会う「よろこび」

- 小野和子さんの「たずねる」声 -

 

『50年にわたり東北の村々を訪ね、
 民話を乞うてきた民話採訪者・小野和子が、
 採訪の旅日記を軸に、
 聞かせてもらった民話、手紙、文献など
 さまざまな性質のテキストを、
 旅で得た実感とともに編んだ全18話を収録』
と紹介されている

小野和子(著)
あいたくてききたくて旅にでる
PUMPQUAKES

(以下水色部、本からの引用)

は、単なる民話集ではない。
とにかく、民話に対する小野さんの姿勢に
胸を打たれる。

というわけで本文を紹介したかったのだが、
本書最後に収められた

 映画監督 濱口竜介
「聞くことが声をつくる」


という濱口監督の文章が
これまたすばらしい。
本の魅力の根幹に触れる
解説にもなっているので
まずはこちらから紹介したい。

濱口監督は
「民話の語りと同時に、
 聞き手としての小野和子さんも
 記録させて欲しい」

単に語りの記録ではなく、
語り-聞く営みそのものの
ドキュメンタリーとして『うたうひと』
という映画を完成させている。

いくら強調しても足らないのは、
とても単純な事実です。

語り手たちは、聞き手がなければ、
そもそも民話を語り出すことができない

でも、誰でもが簡単に民話の
「聞き手」になれるわけではない。

しかも、小野さんが関心をしめしたのは
単に民話に対してだけではありません。

家族についての思い出や
暮らしにまつわる苦楽、
言うなればその人の歴史や、
存在そのものを受け止めるように
聞いていました。

"ask"も"visit"も
日本語ではともに「たずねる」ですが、
小野さんはずっと自らの足で
語り手のところにからだを運び、
全身でたずねていたのではないか、
小野さんが自分自身を
相手に捧げるようにして
「聞く」ことによって、
語り手の底に眠っていた民話は
あんなにも生命力を持って
語り-聞きの場に
あらわれた
のではないか、
と想像します。

その結果、
「聞き手」であった小野さんの話を聞いて、
濱口さんはこんな感想を抱く。 

それは語る声ですが、
やはり私たちに「たずねる」声として
響きました。

「聞くことが声をつくる」
と考えた濱口さんは、
小野さんに問いかける。

小野さんに「聞く」とはなにか、
と漠然とした問いを
投げかけたことがあります。

小野さんは、田中正造の言葉を
引かれました。

田中は「学ぶ」ことを指して
「自己を新たにすること、すなわち
 旧情旧我を誠実に
 自己の内に滅ぼし尽くす事業」
と言ったのだと。

「聞く」とは
古い自分を打ち捨てていくこと、
自分自身を変革することなのだと
小野さんは言っている。

そんな小野さんの記録を
「ページをめくることで
 どこか採訪の旅、
 自己吟味の旅の道連れとして
 招かれている思いがする」
と言う濱口さん。

目の前の一個の人間が
自分には計り知れない存在である、
という事実に行き当たるときに生じる
「畏れ」は、
その人の果てしなさと出会う
「よろこび」と常に一対です

人との出会いを語ったこの一文は
ほんとうに味わい深い名文だ。

 

 

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2023年3月12日 (日)

目に見えるものだけが多様性ではない

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目に見えるものだけが多様性ではない

- 生物の3つのグループ -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(4)
「生物とは何か(3)
 ミドリムシは動物か植物か」
 古生物学者・更科功
        2022年1月28日放送

を聞いていたら、「多様性」について
たいへん興味深い話ができてきたので、
今日はその部分を記録として
残しておきたい。

更科さんのお話はたいへんわかりやすく、
耳からの情報だけでも全くストレスがない。

 

今回は「アーキア」と呼ばれる
生物のグループについて。

現在の生物学では
生物は次の3つのグループに
分けられるらしい。

(1)細菌(英語でバクテリア)
(2)アーキア
(3)真核生物


(1)の例は大腸菌、乳酸菌など。
(2)の例はメタン菌、高度好塩菌など。
(3)の例は哺乳類、植物、きのこなど。

目に見える、つまり肉眼で確認できる生物は
ほとんどが(3)の真核生物のグループに
分類される。

(2)のアーキアは、
以前は細菌のグループだったが、
米国の生物学者カール・ウーズが
塩基配列を調べた結果
別グループを提唱。
1977年以降は細菌とは別のグループに
分けられている。

さて、アーキアが提唱されたころ
エルンスト・マイヤーという学者は
「アーキアを認めない」と主張した。

マイヤーが指摘したのは次の2点。
「多様性」と「種の数」

「多様性」
 真核生物:多様性が実に豊か。
      飛んだり泳いだり、歩いたり、
      光合成をしたり、
      単細胞も多細胞もある。
 アーキア:多様性がほとんど見られない。
      形はだいたい丸いか細長いか。
      大きさもだいたい 
      1マイクロメートル程度。

「種の数」
 真核生物:学名のあるものだけでも
      200万種。
 細菌  :8000-9000種
 アーキア:たった200種のみ。

種の数だけを見ても、200万種と200種を
対等のグループとして扱うことに
抵抗があることは自然な気もする。

それに対して、更科さんは、
こう投げかけている。

「見た目が似ていれば、
 種の数が少なければ
 多様性がないと
 言っていいのだろうか」


生物が生きて行くのに必要な
有機物を作る方法を見てみたい。

我々動物は
植物や他の動物を食べることによって
有機物を取り込み体を作っている。
根本となる有機物を生物が作るには、
次の2つの方法がある。

生物が有機物を作る方法
A 光合成 :太陽の光のエネルギー
       を使って有機物を作る。
B 化学合成:物質を分解して
       分子のエネルギーを使って
       有機物を作る。
       光のない深海などでは
       化学合成

Aの光合成には
よく知られた植物の光合成のように
「酸素発生型」もあるが、
「非酸素発生型」(PS1, PS2, その他)
もある。

おもしろいのは
真核生物が有機物を作る方法は
「酸素発生型の光合成のみ」

なのに、細菌やアーキアには
「酸素発生型」「非酸素発生型」の光合成も
化学合成もある。

つまり、
真核生物は「基本的な特徴は共通で
その範囲の中でいろいろな種類がいる」

一方
細菌やアーキアには、
「根本的な違いのあるもの」

が含まれている。

さぁ、どちらが多様なのだろう。

種の数についても、
上に書いた通り、細菌やアーキアは
目に見えないほど小さい。
しかも形が似ているため、
培養したりDNAを調べたりしないと
新種の発見には至らない。

つまり、もともと「ない」わけではなく
発見が難しいがゆえに現時点では
数が少ない可能性も高いのだ。

多様性というのは
目に見えるものだけではないのですね。

目に見えないところにも、
たとえば有機物の作り方とかにも
根本的な多様性がある。

それを考えれば、
アーキアには多様性もあるし
種数も多い可能性が高い。
 
ですから
細菌、アーキア、真核生物という
3つのグループを作ること、
細菌、アーキア、真核生物を
対等に並べることは
適切であると考えられます。

 

 

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2023年3月 5日 (日)

微笑むような火加減で

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微笑むような火加減で

- 「レシピ」と「おいしいもの」の間 -

 

題名の通り、
「もっとおいしく」の視点で
料理を見直している

樋口直哉 (著)
もっとおいしく作れたら
マガジンハウス新書

(以下水色部、本からの引用)

は、料理のレシピも含まれているとはいえ
樋口さんの料理への思いが伝わってきて
読み物としてもおもしろい。

基本姿勢は

料理にプロもアマも関係なく、
あるのは素材を生かすための
方法だけだ。

であり、

「家庭料理とレストランの料理は別」
という意見があるが、
僕は同意しない。

ではあるが

40mlの生クリームを加える。
生クリームの分量が中途半端なので、
わざわざ買うのはちょっと……
という人は

のような家庭料理ならではの
小さな戸惑いへの配慮も忘れていない。

特に興味深かったのは、
レシピを書く際に、
「どんなふうに料理を伝えるか」
に悩んでいる部分の記述だ。

例えば骨付きの鶏肉から
ブイヨンをつくるのであれば、
温度でいうと95℃くらいで
煮出すのがいい。

しかし、毎回温度を
計るわけにもいかないので 
伝え方が重要になってくる。

温度記述だけして
突き放そうとしていない。

水の温度ひとつをとっても

水の温度を決める要素は
大きく二つ。

一つはもちろん
熱源から鍋に伝わる熱で 
火を強くすれば温度が高くなる。

でも、水の沸点は、
台風による気圧の変化や
高地のような高度によって
変わってくる。

もう一つ。
忘れがちな要素に煮汁が
蒸発することで生じる
気化熱がある。

(中略)

鍋の水温は
この気化熱によって失われる温度と、
下から加えられる
熱のバランスで決まる

さらに、そこには
鍋の口径や、蓋の有無も
関係してくるので

単純に「弱火で煮る」と
レシピに書いてあっても、
じつは関係する要素が意外に多い。

 

スープを例にこんな表現を紹介している。

どのスープも真髄はたった一つ。
フランス語で(ミジョテ)と表現される
強すぎない火加減である。
ミジョテはとろ火で煮込む、と
よく訳されるけれど、
フランス人はよく
スープの表面が
 微笑んでいるような火加減

という。

とろ火や弱火といった
鍋の大きさや熱源との距離
などによって違う火加減を使わず、
料理の状態を使った表現。

樋口さんも

そう考えると
「微笑むように」という表現は
レシピに従うよりも
料理の状態を観察することの
重要性を示唆していて、
つくづく素晴らしいと思う。

とコメントしている。

そうそう、ほんとうは手順ではなく、
「状態を観察すること」が
料理の肝のはずなのに
手順が優先してしまっている傾向があるのは
どうしたことか。

「レシピ」と「おいしいもの」の間が
なかなか埋まらない
理由のひとつかもしれない。

 

 

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2023年2月26日 (日)

「ベルサイユのばら」の時代と想像力

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「ベルサイユのばら」の時代と想像力

- 新聞記事から2件 -

 

「ベルサイユのばら」に関する新聞記事を
記録を兼ねてふたつ紹介したい。

通称「ベルばら」と呼ばれる
「ベルサイユのばら」は、
フランス革命期のベルサイユを舞台にした
池田理代子さんの漫画作品だが、
作品自体とその影響力についての話は
今日は省略させていただく。

(1) 2023年1月8日 読売新聞 
  本よみうり堂 「証言x現代文芸50」
  「ベルサイユのばら」(1972年)

  (以下水色部記事からの引用)

作者の池田理代子さん(75)によると、
構想時には

「女こどもに
 歴史ものなど分かるわけがない」


言われたこともあったという。
「必ず当ててみせます」
と言い返し、
「読み捨てられない作品を」
との意気込みで臨んだ結果、
1972年の連載開始直後から、
まず少女を中心に人気が拡大。
74年に宝塚歌劇団で初上演されると、
大人の女性をも巻き込んだ
全国的なブームとなり、
女性の社会進出が進む時代の
象徴的な作品となった。

約50年前、ということになるのだろうが、
「女こどもに」のセリフは
分野を問わず昭和の話にはよく登場する。
にしても、
以下の原稿料の話は無茶苦茶だ。

実は池田さん自身、
"自分の人生"を求め、
時代や家庭環境にあらがってきた。
「女に学問は必要ない」
という風潮が残る中、
父親の反対を押し切って
東京教育大(現・筑波大)に進学。

学生運動に身を投じ、
「親のすねをかじりながら
 社会や大人を批判するのはおかしい」
と18歳で自立した。

生計を立てるため
にマンガ家になったが、
当初の池田さんの原稿料は
男性マンガ家の半分。
理由を尋ねると、
「女性はいずれ結婚して
 男性に養ってもらうんだから、
 当たり前」
と説明されたという

そういえば以前、映画やTV番組に
日本語字幕をつける仕事をしている
女性の翻訳家と話をしたとき、
「翻訳家って
 女性が多く活躍していますよね」
と思っていることを軽く口にしたら

「女性比率が高い、それはですね、
 妻と子ども二人を養うほどの
 収入が得られない、
 だから男性がやろうとしない、
 そんな事情の裏返しでもあるんですよ」

とコメントされてドキッとした記憶がある。
女性比率が高い、には
そんな側面もあるのか、と。
今から20年ほど前の話だ。

(2) 2005年9月24日 朝日新聞
  (以下緑色部記事からの引用)

どこまでも広い庭園、高い天井、
太い柱…「スケールが違う!」。
1年半の連載を終えて、
パリ郊外のベルサイユ宮殿を
初めて訪れた池田さん
は、
ぼうぜんとした。

精緻な筆致と
的確な時代考証に支えられた
「ベルサイユのばら」は、
少女時代に培った想像力と、
膨大な資料を読みこなす力が
生み出した
ものだった。

連載当時、24歳。
東京教育大生だった池田さんは、
飛行機に乗ったこともなかった。

連載を終えて、初めてベルサイユ宮殿を
訪問した池田さん、

すべては資料と想像力で
書かれたものだったなんて。

女性が今よりはずっと働きにくかった時代に
資料とそれを読み解く力、
そして
それをベースに広がっていく想像力で
「読み捨てられない作品を」
後世に残した池田さん。

初めて訪問したベルサイユ宮殿が
どんなふうに見えたのか、
想像するだけでなぜか胸が熱くなる。

 

 

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2023年2月19日 (日)

英語のplayには「ハンドルの遊び」の意も

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英語のplayには「ハンドルの遊び」の意も

- 限定の中の遊びから -

 

雑誌 すばる 2022年11月号に
森田真生「遊びをめぐる断章」

という論考が載っている。
(以下水色部、論考からの引用)

英語で、
「His car's steering wheel has
 very little play.」
と言えば、
「彼の車のハンドルには
 遊びがほとんどない」
という意味になる。
ハンドルの「遊び」とは、
ハンドルがタイヤを
動かすことのないまま、
自由に動ける余地のことである。

英語のplayにはそんな意味もあるらしい。
日本語でごく普通に言う
「ハンドルの遊び」だ。

でも、おもしろいことに、
車からハンドルを外してしまって
ハンドルだけをそれこそ自由に
なんの制限もなく動かしたとしても
その自由を「遊び」とは言わない。

遊びとはあくまで、
自動車の設計によって
あらかじめ決められた
「厳密な構造」のなかで、
限られた範囲で可能な運動の自由
のことである。

プレイという語が持つ
この独特のニュアンスが、
日本語の「遊び」の持つ意味とも
共通しているのは面白い。

「限られた範囲」という限定。
そこに遊びがある。 

「遊び」と呼びならわされている
多様な現象について、
広範にわたる思考をくり広げる
日本の美学者、
西村清和の『遊の現象学』によれば、
漢語の「游」ないし「遊」にもまた、
「あるかぎられた範囲内での運動の自由
という合意があるのだという。

でも、だからといって、
「限られた範囲」や「厳密な構造」と
「遊び」との関係は
主従が固定したものではない。

遊びの背景にある
「厳密な構造」が不動のまま、
遊びがあくまでその内部にとどまって
展開していくこともあれば、逆に、
遊びの動きが背景の構造にまで浸潤し、
遊びの前提となるルールそのものが
書き換えられていくこともある

前者の例が、将棋やチェス。
後者の例が、数学。

先の西村さんの著書によれば

古高ドイツ語のSpilanは、
「かろやかで、
 あてどなくゆれうごく運動、
 それ自身の内部で、
 ゆきつもどりつする運動

という意味を持つ言葉だったという。

英語、日本語、漢語、ドイツ語、
様々な言語が、

多様で雑多な現象のなかに、
「軽快に動揺し、
 あてどなくゆきつもどりつする
 自在な往還運動
」としての
「遊び」に着目してきたのだ。


限定と自由、
その中での「遊び」を通して
新しい世界が展開されていく。

 

 

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2023年2月12日 (日)

平野啓一郎さんの言葉

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平野啓一郎さんの言葉

- 小説の映画化について -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを残しておきたい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2022年11月6日放送
平野啓一郎:妻夫木聡:窪田正孝

(以下水色部は放送からの文字起こし)

「映画の原作者」としての思いを
妻夫木さんが平野さんに質問する。

原作のものが映像化するということは
多々あると思うンですよ。

平野さんの立場から見て、
自分が生み出した
子どもみたいなものが
映像化する
っていうのは
どういう思いがあるンですか?

このあたり原作者によって
きっと感じていることは様々だろう。

僕はね、やっぱり同時代の
映画とか音楽とか
いろいろなジャンルのものから
影響を受けているンですけど、

自分の小説もそれと同じように
同時代のミュージシャンとか
映画監督とか
ものを作っている人が
僕の作品に反応してくれるってことは
やっぱりすごく嬉しいンですよね


だから
監督さんとかキャスティングとか
いろんなことには
口出しをしないことに
してるンですよね

映像化にあたっては、基本的に
「口出しをしない」タイプのようだ。

クリエイターに任せる。
そこには次のような思いが
ベースにあるようだ。

平野さん自身の声で聞いてみたい。

映画は
映画の作る人たちの作品なんで

僕はこうだと思って
映画もその通りなってたら
原作者としては
満足かもしれないけれど


ちょっとやっぱりなんか
映画としてはそれはうまくいってない
ってことなんじゃないかな、
って気もするンですよね。

関わった人たちの
クリエイティブなものが
反映される余地が
あんまりないってことなんで。

「原作者としては満足かもしれないけれど、
 映画としてはうまくいっていないのでは」
こう言える原作者って
どのくらいいるのだろう?

映画による新たな表現を、
クリエイターを信じて期待している原作者、
それは、映画を観る側にも要求される
ひとつの価値観だ。

クリエイティブなものに接するとき
ちょっと思い返したい言葉だ。

 

 

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2023年1月22日 (日)

「祈り・藤原新也」写真展

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「祈り・藤原新也」写真展

- 既に答えが書かれている今? -

 

東京の世田谷美術館で開催されている
「祈り・藤原新也」
という藤原新也さんの写真展を観てきた。

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藤原新也さんは、
1944年門司市(現北九州市)生まれ。
東京藝術大学在学中に
インドを皮切りにアジア各地を放浪。

その後、アメリカ、日本国内、
震災後の東北、コロナで無人となった街、
などを次々に撮影。

写真に自身の短いコメントを添えて
これまでの50年を振り返っている。

もちろん写真もいいのだが、
コメントがまたいい。

(以下水色部は、
 写真展の藤原さんのコメントを
 そのまま引用)

藤原さんは、写真展のタイトルを
「祈り」にした理由を
次のように書いている。

わたしが世界放浪の旅に出た
今から半世紀前 
世界はまだのどかだった。
自然と共生した
人間生活の息吹が残っていた


(中略)

ときには死の危険を冒してさえ
その世界に分け入ったのは
ひょっとすると目の前の世界が
やがて失われるのではないかという
危機感と予感が
あったからかもしれない。

その意味において
わたしにとって
目の前の世界を写真に撮り
言葉を表すことは
”祈り”に近いものでは
なかったかと思う。

世界は広く、生はもちろん
死をもまた豊かであることを
感じさせる写真が並ぶ。

たとえばインド。

死を想え(メメント・モリ)

インドの聖地パラナシ。
諸国行脚を終えたひとりの僧が、
自らの死を悟って、
河原に横たわる。

夕刻のある一瞬、
彼は両手を上げた。

そして両手指で陰陽合体の印を結び、
天に突き出す。

その直後、彼は逝った。
死が人を捉えるのではなく、
人が死を捉えた

そう思った。

 

人骨が散らばる写真にも
こんなコメントが付いていて
いろいろ考えさせられる。

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あの人骨を見たとき、
病院では死にたくないと思った。
なぜなら、
死は病ではないのですから。

 

台湾での

そんな町の安宿に泊まり、
自分が無名であることの
安堵感を味わう

には、
「無名」のもつ味わいがあふれているし、

アメリカでの

ポップコーンのように軽い
カリフォルニア

には、
的を射たコメントに笑えるし。

観光ガイドにはない写真ばかりだが、
現地に飛び込ンでいっての写真には
生が溢れ、死が溢れ、
土埃が舞っていても声が溢れ、
色が溢れている。
なので

大地と風は荒々しかった。
花と蝶は美しかった。

たくさんの生の視線は
わたしのエネルギーへと変る。

が強い説得力をもって迫ってくる。

藤原さんは、最後

頭上の月でさえ
着々と人類の足跡が
刻まれようとしている。

この自己拡張と欲望の果てに
何が待っているのか、
その回答用紙に
既に答えが書かれている今

いま一度沖ノ島の禁足の森の想念を
心に刻みたい。

と書いているが、

「その回答用紙に
 既に答えが書かれている今」
あなたはどうするの?
と強い投げかけをしているように
読める。

重い問いだが、
「世界がまだのどか」で、
「自然と共生した
人間生活の息吹が残っていた時代」の
写真の数々は
新たな解を見せてくれているようでもある。

 

 

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2023年1月15日 (日)

「作らす人」「育てる人」吉田璋也

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「作らす人」「育てる人」吉田璋也

- 民芸は事から生まれなければならない -

 

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

では、
柳宗悦、浜田庄司、棟方志功
バーナード・リーチといった人たちと
河井さんとのまさに「生きた」交流が
描かれている。

当たり前と言えば当たり前なのだが、
昭和初期、皆さんご存命だったわけだ。

もちろん民藝についても触れられている。

「吉田璋也さん」
と題された一節を読んでみたい。
昭和13年10月に書かれたものだ。

吉田璋也さんに関しては、このブログでも
「鳥取民藝美術館」の訪問記として
その業績について触れている。

日本初の民芸店「たくみ工芸店」を
昭和7年に開いた吉田さん。

吉田さんの「物の美」についての
関心の強い事は今更言うまでもなく、
これあればこそ吉田さんが立ち上って
来られたのだと思うが、

その後に頭をもたげた
「物の社会性」についての開眼は、
美についての関心の基礎の上に
更に大きな問題を建てることになり、
これが強く深く吉田さんを
動かして来たように思う。

この社会的任務の自覚が
吉田さんをいよいよ堅め
特徴づけて来たように思う。

美と社会性、
どういうことを言っているのだろう。
もう少し読んでみたい。 

この事は民芸がややもすると
美術の穴に落ち込もうとする
危険を防ぐ大きな力になっている事に
気が附いてよいと思う。

物で吉田さんは止っていられない。
物が美しいならば
それだけその物は
吉田さんに喰い入って
何かの仕事へ推進さす
打撃に変形する。

受取った物で止っていられない。

受けたならば何かの形にして
投げ返さずにはいられない。

吉田さんは誰によりも
それを社会に投げ返そうとされる

「社会に投げ返す」
吉田さんはまさにそれを
実行できる人だったわけだ。 

これはこれからの民芸にとって
非常に仕合せな事だと思う。

美術は物から出発し、民芸は事から
生れなければならないからだ


事実民芸は物よりも事に
重きを置かなければ育たない。

だから吉田さんは作る人のように
物が最後的ではない。

流布しない、
また流布させられない物は
民芸にならないからだ。

「美術は物から、民芸は事から」か。
なるほど。おもしろい表現だ。

吉田さんは作る人のように
物を慴(おそ)れられない。

物の上での少々の間違いは
気に懸けられない。

是正は民芸の道だからだ。

作り損ったら作り直さす。

出来そうもないと思っても
作らして見る。

作って見たい物は
一刻も猶予しない。

こういう冒険家であり、
実行家であり、企画者
なのである。

これが民芸の母としての
吉田さんを体格づけている
骨組なのである。

ここに「作らす人」としての
吉田さんの面目がある

ここに書いた通り、
鳥取民藝美術館の理事は
「すごいと思うことですが、
 璋也は職人たちの生活のため、
 自分が作らせたものを
 すべて買い取ったんです


 それを売るための場所が
 必要だったんですね」
とたくみ工芸店のことを語っている。

吉田さん位堅固に
自分を仕立てていられる人は珍しい。

たくみ工芸店は
その意志を代表している。

今時利益を立前としないで
店を作るなどといったなら
笑われるであろう。

それを作って到頭今日迄
育て上げて来られたのが
吉田さんである。

これは全く生優しい事ではない。
ここに「育てる人」としての
吉田さんの面目がある

「作らす人」であり
「育てる人」であった吉田璋也。
たくみ工芸店は、
90年を越えて今も生き続けている。

 

 

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2023年1月 8日 (日)

「陶器が見たピカソの陶器」

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「陶器が見たピカソの陶器」

- 未だ招かれざる客なのか -

 

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

には、
「陶器が見たピカソの陶器」
というたいへん興味深い文章がある。
昭和25年1月に書かれたものだ。

河井さんは、ピカソが焼いた
「楕円皿の色写真十幾枚ばかり」
を見て、その印象を語っている。

何れも見応えのあるものばかり、
そのあるものは
何という絵の生ま生ましさだ。
確かさだ。自由さだ

やはり絵の力を大きく感じている。

ある皿に対しては、

何という素晴らしい
これは新鮮な生命
なのであろう。
よくも使いこなせた
あの不自由な土や釉薬。

と賛辞を送っている。

でも、別なある皿に対しては、

だがピカソが性格を持っているように、
楕円皿もまた性格を持っていることを
誰も見逃さないであろう。

そうだ、陶器だって一つの生物なのだ

一見誰もピカソがいきなり皿の中に
踏み込んでいる素晴らしさに驚く


そうだ、ピカソ程全身をあげて
陶器へ踏み込んだ画人を
自分は知らない。

と書き出して

しかしよく見ると
皿は彼を許してはいない

ピカソは歌ってはいるが
皿は和してはいない

この協和しない性格の二重奏は
どうしたことなのであろう。
陶器の方からすればピカソは明らかに
未だ招かれざる客なのは遺憾である。

と続いている。
「彼を許してはいない」
「皿は和してはいない」
「招かれざる客」
と厳しい言葉が並ぶ。

陶器は
彼が陶器の中に待たれている自分を
はっきり見付けてくれるのを
待っている。

ピカソは権利を行使はしているが、
当然負うべき義務を
忘れている
ようである。

一見彼に征服されたように見えても、
よく見ると陶器は服従はしていない

なんとも表現がおもしろい。
どんな皿なのか。
想像してみるだけで楽しくなる。

別な皿の感想も見てみよう。

輝く釉薬の微光の中に
呼吸しているあの静物 -

知っていながら
形を無視したあの意気込。
その意気込はよく解る。-

しかしこれは
形を無視したこと自体のために
皿もまた絵をはね返すより
他に仕方がない


いって見れば皿もまた
絵を無視しているのだ。

これはこれ皿の敗北であると同時に
絵の敗北でなくて何であろう


こういう皿は
未だ他にも沢山あった。
二つが一つになりきれない
相互の失望。

「皿の敗北であると同時に絵の敗北」
こちらにもまた厳しい言葉が並ぶ。

そもそも陶器に絵を描くこと自体、
「陥し穴」とまで言っている。

大体陶器に絵を描くなどということは、
絵を殺しこそすれ
決して生かしはしない


これは陥し穴なのだ。

流石にピカソは落ち込んでも
生きている
。が、それも
紙やカンバスの上以上に
生かされてはいない。

と感想を率直に綴ってきた河井さんだが、
ピカソのこれから、にも
思いを馳せている。

ピカソはしかし今に
形を借りなくなるであろう。

それと新しく形を生み出すであろう。
少くとも陶器はそれを待っている。

具体的には
「形という性格を持たない陶板」

「彼の生命を焼き付けておくのに
 これ以上の相手はない」
と提案している。

厳しい言葉が並びながらも
陶芸に挑戦している作家への目は
ほんとうにあたたかい。 

 

 

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