言葉

2018年3月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (28) ウィーン国立歌劇場(3)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (28) ウィーン国立歌劇場(3)

- 驚きの奥行きと建築家の悲しい運命 -

 

ウィーン国立歌劇場の
ガイドツアーの3回目。

いよいよ舞台裏だ。

P7158902s

今は公演がないので、
ガランとしている。

P7158903s

ここで一番驚いたが、
奥行きの説明。

幅が25mに対して
奥行きは、
本舞台と奥舞台合わせて
なんと50m!


客席の奥行きよりも、
舞台の奥行きの方が大きい。

そのうえ脇舞台まであるという。
上下動とスライドを組合せて
舞台が入れ替わる様子を
ぜひ見てみたいものだ。

P7158907s

しかも、最初の説明にあった通り、
ここの公演プログラムは日替わり。
つまり舞台装置も毎日変わる。

リハーサルと本番と入替えを考えると、
スタッフの皆さんの忙しさは
相当なものだろう。

 

舞台裏の次に案内されたのは正面階段。
空襲による破壊を免れた貴重なエリアだ。

P7158911s

劇場の階段とは思えない贅沢な空間。

P7158932s

階段の左右の壁には
二枚の顔のレリーフがある。

この劇場を設計した二名の建築家、
ファン・デア・ニュルと
アウグスト・シカート・
フォン・ジカルツブルク。

P7158914s

P7158915s

いやま世界を代表する歌劇場なので、
建築家のふたりもレリーフとなって
自らの作品を
さぞや誇り高く眺めていることだろう、と
思いがちだが、
現実は正反対だったようだ。

なんとも悲しい物語。

ガイドツアーでも簡単に触れていたが、
下記の本を参考に
少し詳しくみてみたい。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

コンペを勝ち抜いたこの壮大な建築物が
ウィーン市民の前に
初めてその姿を現したころ・・・

当初は
「ギリシャとゴシックと
 ルネッサンスの様式が入り乱れた、
 節操に欠けたデザイン」
と酷評されたのである


それに加え、
建築工事開始後になってから
劇場正面の大通りの地表面が
1メートルもかさ上げされることになり、
その結果この劇場は

「沈没した箱」
「建築文化の敗北」
「食べ過ぎて横たわっている
 象のように重い」

などとこきおろされた。

道路工事の不運があったにせよ、
その評判は散々だったようだ。

「沈没した箱」と評したのは
ときの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。

多くの酷評に
ふたりは最悪の事態を迎えてしまう。

これらフランツ・ヨーゼフ1世
(1830~1916年)はじめ、
建設省、新聞、建築家や
一般市民の非難の声に耐えきれず、
ファン・デア・ニュルは
1868年4月3日に56歳で自殺


同年6月11日には
ジカルツブルクも54歳にして
失意のどん底に力尽き、
両人とも建物の完成を待たずして
世を去ってしまった。

なんということだろう。

建築家のふたりは自殺と憤死。
建物の完成も、こけら落としの公演も
見ていない
のだ。

ふたりの死は、
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にも
影響を与えた。

この事件以来、
国王は何事に対しても
個人的な見解を発言するのは
控えるようになった
という。

外観の意匠が市民に理解され、
受け入れられるには長い時間が
必要だったようだ。

 

次に案内されたのは、

【大理石の間】

P7158916s

名前の通り
床もテーブルも壁の一部も大理石。

P7158921s

この空間に重厚な雰囲気はなく、
モダンで明るい。

幕間をシャンパン片手に寛ぐのに
ピッタリ。

P7158919s

壁には色違いの石を上手に組合せて
舞台裏やら楽器やら
歌劇場の日常が
じつにオシャレに描かれている。

P7158918s

今はがらんとした空間だが、
オペラの幕間で人が溢れている時、
ここはいったいどんな空気で
満たされていることだろう。

 

舞台の奥行きに驚き、
建築家の悲しい運命にしんみりし、
と感情の起伏が思いのほか大きい
歌劇場のガイドツアーだが、
ガイドさんの案内はまだまだ続く。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年2月11日 (日)

オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

- 高校世界史の授業の思い出 -

 

【ウィーン自然史博物館】

P7148731s

で、見たかったもののひとつが、
ヴィレンドルフのヴィーナス」。

写真は撮れなかったので、
ミュージアムショップで買った
絵葉書の写真を添えておきたい。

Venus_s

名前は知らなくても、
教科書等どこかで目にしたことが
あるのではないだろうか。

なんと2万4千年も前のものと
推定されているらしいが、
実物は11cm程度しかなく、
目の当たりにすると
その小ささに驚いてしまう。
片手に収まってしまうサイズだ。

今このブログをiPhoneで
ご覧になっているとすれば、
そのiPhoneよりも小さい。

発見は1908年。
こんな小さなものを壊さずに
よく見つけ出したものだ。

 

では、どうして
実物を見てみたかったのか。

それは、
高校の世界史の授業の
小さな記憶と繋がっているから。

寄り道が多くて
ちっとも前に進まない旅行記だが、
今回も観光を離れて
しばし私の高校時代の
世界史の授業の思い出話に
お付き合い願いたい。

 

工学部をめざしていた私は
世界史の授業がある高校3年時、
いわゆる理系クラスにいた。

主力の理系科目でもないうえに、
私も含めクラスメイトの多くは、
当時の共通一次試験、
今のセンター試験の社会に
「世界史」を選んでおらず、
まさに受験に関係ない、
ということもあって
世界史の授業には
全く熱が入っていなかった。
と言うか
サボることばかり考えていた。

そんなクラスの世界史を任されていたのは
大ベテランのK先生。

やりにくかったであろう空気の中、
じつに淡々と授業を進めていた。

私は、と言えば、そういうわけで
数学や物理の内職(?)を
コソコソしながら聞いていた
不誠実な生徒だったのだが、
あれからウン十年、
「ながら」で聞いていたK先生の言葉が
自分でも意外なほど記憶に残っている。

 

「ヴィレンドルフのヴィーナス」の
写真が教科書に出てきたとき、
先生はこうおっしゃった。

「君たちはこの写真をみてどう思う?
 君たちが期待している女性の体型とは
 全然違っているだろう」

男子校での授業、
「女性の体型」という言葉に
内職をしていた生徒も皆
おもわず顔をあげた。

「大きな乳房とお尻、
 太ったからだは、
 子孫繁栄と豊かさの象徴。

 人々の願いが込められた像は、
 そういった部分が強調され、
 女性の体型がデフォルメされている、
 そう説明されることが多い」

ここで一呼吸おいて、
先生はこう続けた。

でもね、それは違うンだ

 どう違うかって?

 今の、私の妻を見てみなさい。

 まさにこのままの体型だ。
 デフォルメもなにもない。

 若い時は細くて美しくても
 女性はみんな歳をとると
 こういう体型になるンだぞ、という
 覚悟をも教えてくれているンだ」

軽い冗談に笑いながらも、
「覚悟」という言葉が妙に印象に残った。

男子高校生に
「女性」への「覚悟」を
初めて意識させてくれたヴィーナス。
今回、ようやくその実物に
会うことができた。

こんな目で見ている人は
他にいないだろうけれど。

 

この世界史のK先生、
他にもいくつもの印象的な言葉を
私に残している。

「為政者を動かす力は4つある。
 権力、暴力、金(かね)、それに女だ。
 
 歴史はこれらの力で動いていく。
 この史実にはどの力が働いたのか?
 そう思いながら歴史を見ると面白い」

こんな乱暴な説を、
聞いた方の生徒は
一生忘れないのだから、
先生という職業は恐ろしい。

 

そんな中、
最も強く残っているのはコレ。

当時はまだ「世界遺産」という言葉は
たぶんなかったと思うが、ずいぶん昔、
NHKがかなり力を入れて
世界各国の遺産を紹介する
「未来への遺産」という番組を
放送していたことがあった。

その番組に言及したあと、
先生はこう投げかけた。

「数年前『未来への遺産』という
 NHKの番組があったけれど、
 あそこで紹介されていた遺産は、
 ピラミッドだって
 万里の長城だって
 すべて
 『過去から未来への遺産』だ。
 
 じゃぁ、
 『今から未来への遺産』は何だ?

 君たちは未来に何を残せるンだ?

強烈な問いだ。

先生の熱いメッセージとは裏腹に
悲しいかな最近は
「未来への負の遺産」という言葉さえ
耳にするようになってしまった。

高校の時に一度聞いたきりなのに
それから数十年消えることのない
『今から未来への遺産』は何だ?
の問い。

それを私に残してくれたK先生には
今でも感謝している。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年1月 7日 (日)

オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

- 観光地は独英中韓の四言語 -

 

2018年も明けてもう一週間。
今年最初のアップです。
本年もよろしくお願いします。

前回の続きから始めたいと思います。

 

ハルシュタット、最後の朝。
気持ち良い朝日が
朝食のレストランに降り注いでいる。

P7148622s

湖の向こう岸には
赤い車両の電車が走っている。

渡し船も小さく見えるが、
湖面が静かで反射が美しい。

P7148635s

朝食を食べてチェックアウト。

いよいよ
ハルシュタットともお別れだ。

P7148653s

名残惜しさゆえ、最後に
世界遺産「ハルシュタット」で
撮った写真から二枚だけ選んで
もう一度貼っておきたい。
(次の2枚のみ、
 クリックすると通常よりも
 大きなサイズで表示されます)

P7128218as

PCからの方は、ぜひクリックしてご覧あれ。

P7148639as

 

ところでここに2泊する間、
出遭った日本人は
遊覧船での母娘ふたりだけだった。

ザルツブルクでも、
見かけるには見かけたが、
気がついた範囲では数人レベル。

サウンド・オブ・ミュージックツアーの
約60人のバスの中にも、
我々夫婦以外にはひとりもいなかった。

個人旅行で気ままに動いているせいか、
ツアーの団体さんとは出遭っていないし、
もちろん実数もわからないが、
それにしたって
ハルシュタットもザルツブルクも
どちらも世界遺産になっている
大観光地だ。

バブリーなころ
「どこに行っても必ずいる日本人」と
やや揶揄されるように言われていたことは
「今は昔」なのだろうか。

そう言えば、
ハルシュタットの町中にある掲示板も
ドイツ語、英語、中国語、韓国語
の4言語で書いてあり
そこに日本語はなかった。

P7148629s

今回、
「あっ、東洋系の人だ」と思っても
家族連れなら中国人、
若いカップルなら韓国人、
ということが圧倒的に多い。

観光地の掲示板は、
そのあたりの訪問者数を
敏感に反映しているのかもしれない。
(ごみ捨てに関する注意よりも前、
 一番最初に
 ドローンに関する注意書きがあるのも、
 反映の感度を表している気がする)

 

もうひとつ、
町で目にして気になったものを。

一般車両を規制しているほどの
狭い町中、
清掃車も実にコンパクトで、
小回りのきくものだった。

P7148640s

 

閑話休題。

そう、ハルシュタットとのお別れだ。

来たときと同様、渡し船に乗って

P7148658s

美しい景色との別れを惜しみながら

P7148671s

対岸の駅下を目指した。

P7148685s

船を下りてから、駅まではすぐ。
まさに直結

P7148689s

本数が多いわけではないせいか、
無人駅にわりと多くの人が待つ。

P7148693s

ほぼ定刻に電車がやってきた。

P7148695s

乗車した直後、幸か不幸か天気が急転。
一気に雨になってしまった。

来る時には、帰りの途中下車も考えていた
バート・イシュルやトラウン湖は、
雨のためそのまま通過。
残念だが、次回のお楽しみとしよう。

ザルツブルクから来た時に乗換えた、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅に到着。

今度はウィーン方面に向けて乗換えだ。

P7148710s

ウィーン行の電車を待っている際、
アットナング・プッハイム駅には
こんな列車が停まっていた。

P7148713s

日本では見かけることが少なくなった
貨物列車かつ裸の材木。

それを見ていたら
急に前に読んだ本のことが蘇ってきた。

次回は、その話から始めたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年8月20日 (日)

「数学する言葉」

(全体の目次はこちら


「数学する言葉」

- かむかう -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
独立研究者の森田真生さんが
寄せている
「数学する言葉」という
16ページほどの文章を読みながら、
「数学」と「言葉」について、
ちょっと考えてみたい。
(以下水色部
 「数学する言葉」からの引用)

 

・・・
紙の上に書かれた「3」は、
三そのものではない。

紙に書かれた「リンゴ」の文字が、
それ自体リンゴではないのと同じことだ。
紙に書かれた「リンゴ」を、
まさか食べようとする人はいまい。

本当のリンゴは、どこか別の所にある。
そんなことは百も承知で、
人は文字を読む。

 区別をはっきりさせるために、
記号としての「3」や「三」のことを
「数字」と呼び、
数字が指し示している対象の方を
「数」と呼ぶことにする。

「3」という数字に対応する数については、
<三>と書くことにしよう。

 このとき<三>が、食べたり、掴んだり、
香りを嗅いだりできるような、
知覚の対象でないことは明らかである。

<三>には、大きさもなければ色もなく、
形もなければ味わいもない。
数について、
人はただ純粋に考えることができるのみだ。

「図形」もそうである。

(中略)

数学とは徹頭徹尾このように、
考えることしかできない事物についての
探究
なのだ。

五感で感じられないものを
言葉で考えるのは
数学に限ったことではないでしょ、
そう思った方、
ハイ、まさにその通り。

その通りではあるが、
実は数学を支える言葉には、
ほかにはない大きな特徴がある。

もちろん、
その場にない物事について考えるのは、
数学者だけではない。

言葉を知る者ならば、
誰でも過去について、
可能性について、
死者や地球の裏側について、
考えることができる。

現にそこにあるわけではないものを、
その場に立ち上げてしまうのが
言葉の魔力である


知覚できない数や
図形を現出させる数字や図もまた、
この魔力を継承する「言葉」なのだ。

 だが、数字や図、数式など、
数学を支える言葉には、
自然言語にはない機能
もある。

両者の間には、
無視することのできない差異がある。

いったい、どんな差異があるのだろう?

<五十七>を意味するために「57」と書く。
このとき、
記号に過ぎないはずの「57」を、
人はじかに割ったり掛けたりできる

このあと詳しく見ていくが、
これは自然言語ではできないことである。

「リンゴ」という言葉で
リンゴの存在を喚起し、
「六本足の馬」という言葉で、
不可能な馬の存在を
立ち上げることはできても、
「リンゴ」という言葉を齧ったり、
「六本足の馬」という言葉の上に
跨ったりすることはできない。

そう考えると、
「57」という言葉の上で、
掛けたり割ったり、数学的に可能な
あらゆる行為を実行できることが、
あらためて不思議に
思えてきはしないだろうか。

数学の言葉は、
数や図形の存在を呼び起こすだけでなく、
そうして存在を喚起された
数や図形について、
言葉の上でじかに計算したり、
推論したりすることを可能にする
のだ。

数学の言葉は数学者にとって
「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する
のである。

 自然言語もまた
推論の足場ではないか、と
反論する人がいるかもしれない。

確かに人は、自然言語の力を借りて、
様々な推論をする。
しかし、
ある言葉を用いて推論することは、
ある言葉において推論することと
同じではない。

このあと、本文では
アメリカの哲学者ダニエル・マクベスの
「数字を用いて(on numbers)」
計算するのではなく
「数字において(in numbers)」
計算できるようになった、という

インド・アラビア式の
「算用数字」の登場についての
言葉を紹介しながら、
「数字において」
計算できるようになったことの意味を
詳しく説明していくが、

今日は、この
言葉のうえでじかに計算できる
という指摘の紹介に留めておきたい。

我々は小さなころから
あまりにも現在の算用数字に
慣れ親しんでしまっているために、
どんなに大きな数でも
「0」から「9」の組み合わせだけで
書けてしまうことに、
その革新性を感じることは難しい。

本文では算用数字が登場するよりも
前の時代の例を挙げながら、
対比によって今の算用数字の
すばらしさを説いているが、
ポイントは、もちろん単に表記できる、
という点だけではない。

どんなに大きな数も、
算用数字で書いてしまえば、
それを割ったり掛けたりできる。

そうして、
巨大な数に「触れる」ことができる。
たとえば、その数が23で割り切れること、
あるいは約数を複数持つことなどを
「体感」することができる

こうして、
割ったり掛けたりする行為を通じて、
数字に固有の「意味」が
浮かび上がってくるのだ。

 このとき、数字の意味する内容は、
もはや外部の世界を
参照することによってではなく、
数字とのダイレタトな接触によって、
数字の世界において作り出される

「図」も数学の言葉だ。

ユークリッドの『原論』
(紀元前300年頃)
を例に、
古代ギリシアの幾何学者たちが、
必ず図を描きながら推論した事実を示し、
数学者たちの言葉が、
作図行為とともに
発せられた
ことを説明している。

・・・・・
かくして直線AB上に
正三角形が作図できることの証明は、
図において遂行される。

図を描いていくうちに、
そこに正三角形が生じるのであって、
幾何学者が
「頭の中」で見出した正三角形を、
記述したり
描写したりしているのではない。

 本居宣長の説によれば、
「かんがふ」という言葉は
「かむかふ」の音便で、
もともと、
むかえるという意味の言葉だそうだ。

小林秀雄は、
この「むかふ」を
「身交(むか)う」と読んで、
考えるとは、
 物と親身に交わる事だ
」と
エッセイ「考えるという事」の中に
記している。

古代ギリシア人にとって、
図形について「考える」とは、
まさしく
図と親しく交わることであった。

図は、
脳内で思考したことの表現ではなく、
図を描く行為が即ち
「かむかふ」ことだったのである。

「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する数学の言葉。

先人は、数や図形と「かむか」って、
様々な意味を見出して来たが、
世界はいまなお至るところで、
考えることをやめていない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年8月 6日 (日)

独自言語で会話を始めた人工知能

(全体の目次はこちら


独自言語で会話を始めた人工知能

- 今、必要なものは? -

 

最初に知ったのは
通勤途中のラジオだったのだが、
先週、衝撃的なニュースがあった。

帰って来て調べてみると、
関連記事がネットにある。
ただ、現在公開されている記事が
いつまで読めるのかわからないので、
個人的な記録のために
その一部をここで取り上げておきたい。

代表で選んだ元の記事は
2017年8月2日付のこちら
人工知能(AI)についてのニュースだ。
記事のタイトルは、
「終わりの始まり…?
 独自言語で話しはじめた人工知能、
 Facebookが強制終了させる」

(以下水色部は記事からの引用)

Facebook(フェイスブック)が行なう
人工知能の研究開発において、
近未来SF映画のような
事態が起きていました。

会話をさせていた
2つの人工知能ボブとアリスが、
独自の言語を生み出し、
話し始めたのです。

人間には理解しがたい言葉を話す
2体のAI。

Facebookの開発チームは、
これを受けて人工知能の
マシンラーニングプログラムを
強制終了させました。

人工知能(AI)が人間の能力を超える
技術的特異点、
シンギュラリティ(Singularity)なる言葉を
耳にすることも多くなっているが、
それにしてもこの記事の恐ろしさは、
表現のしようがない。

人間には理解できない独自の言語で
AI同士が会話を開始した、というのだ。
ついに、ここまで来てしまったのか。

 

私自身は、門外漢の素人ながら
一エンジニアとして
AIの進歩を楽観的かつ好意的に
見つめている。
どんどん進歩すればおもしろい、
と思っている。

それなのに、このニュースには
どこか別な部分が反応してしまった。
それはいったどこなのだろう?

個人的には、身体を持たない
知能だけのシンギュラリティの議論は
ナンセンスだと思っているので、
単純な
「もしそうなったら人類の終焉だ」
「終わりの始まりだ」
みたいな極論には全く与(くみ)しないが、
次々と新しいネタが飛び出してくる
AI関連のニュースからは目が離せない。

 

松尾 豊 (著)
人工知能は人間を超えるか
ディープラーニングの先にあるもの

(角川EPUB選書)
(以下緑色部は本からの引用)

にこんな記述がある。

言語の果たす役割とも関係があるが、
社会が概念獲得の「頑健性」を
担保している可能性がある。

複数の人間に共通して現れる概念は、
本質をとらえている可能性が高い。

つまり「ノイズを加えても」
出てくる概念と同じで、
「生きている場所や環境が
 異なるのに共通に出てくる概念」は
何らかの普遍性を持っている
可能性が高いのだ。

言語は、こうした頑健性を
高めることに
役立っているのかもしれない。

人間の社会がやっていることは、
現実世界のものごとの特徴量や
概念をとらえる作業を、
社会の中で生きる人たち全員が、
お互いにコミュニケーションを
とることによって、
共同して行っている

考えることもできる。

身体だけでなく、
社会やコミュニケーションが
裏にあってこその概念獲得。

ロジックやデータだけに基づく進化に
直感的な危うさ、怖さを感じるのは、
そういった裏の支えがないことが
原因なのかもしれない。


著者の松尾さんはこうも書いている。

いずれにしても、
まず議論すべきは、
「人工知能が将来持つべき倫理」
ではなく、
「人工知能を使う人間の倫理」や
「人工知能を
 つくる人に対する倫理」である。

最初の記事に戻ると、実際、
AI同士が意味のわからない言葉で
会話を続けることに直面したエンジニアも

米メディアの多くが
この件を報じており、
パニックでプラグを引っこ抜いたとか、
システムをシャットダウンした
などと言われています。

なる行動をとってしまったようだ。

エンジニアとしては乱暴なその行為を
反射的にとってしまった
今のFacebookのエンジニアには、
ちょっとホッとするところがある。

今、「作る人」に必要なものは
ナンなのだろう。

恐ろしくなって、
「プラグを引っこ抜いたり」、
「シャットダウンしてしまったり」、
そういう『恐ろしさ』を感じる気持ちは
持っていてもらいたいと思う。
それが倫理や論理に
基づくものかどうかはともかく。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年7月 2日 (日)

5年前はホームレス

(全体の目次はこちら


5年前はホームレス

- 女性歌人の「住む場所」 -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
歌人の鳥居さんという方が書いた
「住む場所」という
2ページの短いエッセイが載っていた。
(以下水色部「新潮」からの引用)

 

私は二十代の女性だけれど、
 5年前はホームレスだった


というちょっと驚くような内容から
話は始まっている。

何も持たない私は、
一人で誕生日も成人式も過ごした。
一人は寂しいなあと思う。
誰かと親しくなろうと試みる。
そのたびに
「どこの馬の骨とも知れない人を
 信用できない」と疎まれる。

学歴もなく、人脈もなく、
履歴書に書ける
住所も緊急連絡先もない。

そんな私が今、
立派な文芸誌から寄稿依頼をもらい
エッセイを書いているなんて、
生きていると思わぬ未来に
辿り着くものだなあと思う。

不思議だ。

ひとりぼっちの5年前も心配だけれど、
いったい、この5年間に
鳥居さんには何があったのだろう。

いろいろなことが
あったであろうことは
想像に難くないが、意外にも
彼女自身はこのひと言で言い切っている。

ホームレスだった、あの頃と今。

たった五年の間に
私の身に何が起こったのだろうか。
そのじつ、たぶん、何もない。

きっと住む場所が
変わっただけ
なんだと思う。

題名の「住む場所」は、
ここから来ているのだろう。

「場所」とは「所」ではなく、
「世界」のこと。

世界が変わると価値観も変わる。
「本を読むこと」という
わかりやすい例で
世界の違いを述べている。

昔、住んでいた場所
(孤児院や里親家庭)では、
人とつきあわず
黙って文字ばかりの本を
読んでいることは
「あの子、何考えてるかわかんない」
「気色悪い」と言われる、
可愛げのない人物の象徴的行動だった。

今いる場所(文芸的世界)で、
私が本を読んでいても
「気色悪い」とは言われない。
それどころか、褒めてもらえる(!)。

もうひとつ、
別な例が添えてあるのだが、
こちらは対照的に過激だ。

しかし、ピストルの弾が、
どこでどのように取引されているのか、
相場価格がいくらか。
もし、そんな話を、
ここで精確に話せたとしても、
今ではもう、
誰も私を褒めてはくれない

(以前の場所なら、
 すこしは評価してもらえた
 話題だった。)

二十代の女性が
こんな例を挙げられること自体、
経験の凄まじさを感じさせる。

鳥居さんの歌は
「キリンの子 鳥居歌集」
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

という形で歌集として出版されている。

出版元のホームページを見ると、
鳥居さんについて、
以下のように紹介されている。
(以下緑色部HPからの引用)

三重県出身。年齢非公表。
2歳の時に両親が離婚、
小学5年の時には目の前で母に自殺され、
その後は養護施設での虐待、
ホームレス生活などを体験した女性歌人。

タイプすることすら、つらい。

それでも近年の
2012年 全国短歌大会 入選
2013年 路上文学賞 受賞

などがホームレス脱却の
契機になったようだ。

小中学校に
通えなかった自分と同じように、
何らかの事情で
学校に行けなかった人たちが、
再教育を受けられる社会になるように、
という願いをこめて、
セーラー服を着て活動している。

どんな歌を詠むのだろう。

上の歌集(受賞文学賞作品も含まれる)を
読んでみた。


 爪のない指を庇って耐える夜
  「私に眠りを、絵本の夢を」

凄絶ないじめの体験を詠んだ歌は
やはりつらい。

そんな中、
こんな目も持ち合わせている。

 サインペンきゅっと鳴らして母さんが
  私のなまえを書き込む四月

 目を伏せて空へのびゆくキリンの子
  月の光はかあさんのいろ

優しい、温かい歌もある。

でも、義務教育ですら
ちゃんと受けられなかった
過去の境遇を知って読むと、
やはり次のような歌が、
深く深く心に響く。

 慰めに「勉強など」と人は言う
  その勉強がしたかったのです

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年5月 7日 (日)

どちらがウラか

(全体の目次はこちら


どちらがウラか

- 紙が貴重品だったから -

 

前回に引続き、

 大隅和雄 著
 中世の声と文字
 親鸞の手紙と『平家物語』
 シリーズ <本と日本史> 3
   集英社新書

から、もうふたつ興味深い
エピソードを紹介したい。

 

【仮名文字の始めの頃】

平安時代中期以降、文字に親しむ人々は、
心に思うことを伝えるために、
手紙を書くようになった

『源氏物語』の中に、
京に上った明石の君が母の尼とともに、
明石に残った父の入道に
近況を知らせる手紙を送る場面がある。

入道は明石の君への返事の中に、

 仮字文(かなぶみ)見たまふるは
 日の暇(いとま)いりて、
 念仏も懈怠(けだい)するやうに
 益(やく)なうてなん、
 御消息(せうそこ)も奉らぬを。
          (若菜 上)

(仮名の手紙を拝見するのは、
 時間がかかって、そのために
 念仏も怠るようになるので、
 御消息もさし上げませんよ)

と記したとある。
女性の手紙は
仮名文字で綴られているので、
読むのに時間がかかり、
念仏の行の妨げになる
という。

漢字で書かれていれば、
一見すれば何が書かれているかわかるが、
当時は仮名文字だけの文章には
句読点も濁点もなく、
音便の表記もまちまちだったので、
日々仏典に接している入道にとっては、
仮名文を読むのは大変だったに違いない。

仮名文字は読むのに時間がかかる。
漢文の方が
読みやすかった時代があった
わけだ。

 

【紙が貴重品だったから】

 平安・鎌倉時代、
公的な文書は漢文で書かれた。

太政官や摂関家から出される
さまざまな文書、
寺院の経営に関する文書、
田畑の譲渡や売買の書類など、
権利の証文として必要なものは
大切に保管され、代々受け継がれたが、
私的なこと、
日常生活のことを書いた手紙が
永く保存されることはなかった


貴族の女性は仮名文字で、
数多くの手紙を書いたと思われるが、
公的なことに関わりのない女性の手紙が
後世に伝えられることはなかった

ところが、藤原為房の妻の手紙は
43通も残っている。

それは、なぜか。

紙をめぐる時代的背景が
大きく関わっている。

ただ、当時は紙が貴重であったから、
保存の必要のない手紙を集めて、
裏に本を写すことがしばしば行われた


そのため、藤原為房の妻の手紙43通も、
比叡山の僧房で、
仏典を書写する料紙として用いられ、
青蓮院に残ったのである。

紙が貴重だったので、
手紙のウラが
仏典を書写するために使われた。

その仏典が残ったために、
偶然、
ウラの手紙が一緒に残ることになり
仏典と一緒に発見された。

こうなるとどちらがウラか
わからなくなってしまうが、
何が幸い(?)するかわからない。

紙というブツ(物)があればこその
エピソードだ。
デジタルデータではこうはいかない。

オモテがウラになり、
ウラがオモテになる。
ブツの価値はその瞬間には定まらない。

いろいろな面に光を当てて見せてくれたのは、
ブツが残った、その長い長い時間だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年4月30日 (日)

「中世の声と文字」

(全体の目次はこちら


「中世の声と文字」

- 学問から宗教へ -

 

遺跡や書物は、歴史を考えるときの
大事な資料や証拠となるが、
残念ながらそこに「音」は残っていない。

文字や楽譜は残っていても音はない。

 吉松隆 著
 調性で読み解くクラシック
   ヤマハミュージックメディア

にもこんな記述があった。

世界中のあらゆる時代あらゆる地域で、
「音楽」はそれぞれの形で
豊饒な文化を築いている。

ただし、残念ながら音楽は
化石や古文書のように
発掘されることはない
ので、
音そのものは想像するしかない。

それはもちろん
「声」についても同じこと。

 

その、当時の「声」を
親鸞の手紙と
琵琶法師によって語り継がれた
「平家物語」を題材に
考えてみようという

 大隅和雄 著
 中世の声と文字
 親鸞の手紙と『平家物語』
 シリーズ <本と日本史> 3
   集英社新書

を読んだ。
(以下水色部本からの引用)

もともと親鸞についても
平家物語についても、
中高の教科書以上の知識がないので
知らないこと満載で、その内容は
興味深い話の連続だったのだが、
途中から

なお、『平家物語』の引用には、
注をつけることにして、
敢(あ)えて現代語訳は省いた
中世の人々が
琵琶法師の声で聞いた文章の律動を、
そのままのかたちで味わって頂きたい。

という著者の意図のもと、
現代語訳がなくなってしまったのは、
古文オンチの私にとっては辛かった。

「文章の律動」を味わう余裕がない。

そういう意味では、読み終えても
本の趣旨というか、
肝心な部分が味わえていない
後(うしろ)めたさが残る。

とはいえ、浅い読者は浅いなりに
発見や考えさせられることもあったので、
きょうは、その一部を紹介したい。

 

まずは親鸞との語り合いと手紙の話から。

親鸞が東国にいて、門前たちと語り合い、
念仏道場でともに
念仏を唱えていたときには、
親鸞の信心と数えは、
親鸞の立ち居振る舞いを通じても、
自然に伝わっていった


しかし、その親鸞が東国を去った後、
残された人々は、
念仏を唱えて語り合うだけでは心もとなく、
心に浮かんでくる疑問に、
決着を付けることが
できないと思うようになった。

 そこで、門弟たちは、
手紙を書いて教えを乞う
ようになった。

距離が手紙を生んだわけだが、
手紙には距離を埋める以外の
大きな作用があった。

親鸞の返信を受け取った門弟は、
その手紙を道場の人々に見せ、
声を上げて読み聞かせ、
字のかける門弟の中には、
書写して
信心の拠り所とする
者も少なくなかった。

親鸞の手紙は現在43通が知られていて、
その中で11通は、真蹟とされている。

750年前の手紙が、
もとのまま11通も残っている
というのは
驚くべきことであるが、
それらの手紙は、親鸞の最晩年のもので、
京都に帰った60代前半にも
文通はあったに違いないが、
手紙は残っていない。

750年も前の手紙が11通も残っている、
という事実には確かに驚くが、
ここでの印象的なシーンは、
「声を上げて読み聞かせ」と
「書写して信心の拠り所」の部分。

手紙が、
個人対個人のやり取りに留まっていない。

東国の門弟たちは、
親鸞の手紙を大切にして、
写本を作って回読し、道場で
読み上げることもあったと思われる。

そうした中で、
手紙を集めた本が教典として
用いられることになった。

信心に関する質問に対して、
親しみ深く語りかけるような親鸞の返事は、
質問を的確に、深く理解した上で、
易しいことばで綴(つづ)られていたから、
消息集は門弟たちにとって、
かけがえのない教典となった


門弟たちは消息集を読んで、
師の面影を偲(しの)び、
師の声を聞くかのようなことばを
反芻するようになったのである。

親鸞との手紙が、
親鸞の教えの広がりに
独特な力をもっていく。

手紙を中心にした変化、だ。

 消息集が教典になったことは、
先進的な外来文化として伝来した仏教が
「漢訳仏典の学問」から、
信心を中核とする「宗教」に変じた
ことを、
何よりも的確に表わしていると思われる。

 突飛な比較と考えられるかも知れないが、
『新約聖書』は
27の資料からなっているが、
四部の福音書と
「使徒行伝」「ヨハネの黙示録」
の六篇の他は、
21通の手紙が収められており、
資料の数からいえば、
全体の4分の3は手紙である

キリスト教の教義の中核もまた、
手紙で述べられている
ということになる。

なるほど。
教典における「手紙」は
単なる表現の一形式として
採用されたものではなく、
「実績」に基づく
採用だったのかもしれない。

人々の心に届く、実手段として
大きな影響力を持ったという「実績」に。

特に識字率が高くなかった時代には、
「声を上げて読み聞かせ」るという
共有方法がその背景にあったことも
見逃せない。

「学問」から「宗教」に。

具体的な音は聞こえないけれど
確実に存在した「声」の存在が
「教典」に命を吹き込んでいるような
そんな気さえしてくる。

この本の話、もう少し続けたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年4月16日 (日)

宮ザワザワ賢治

(全体の目次はこちら


宮ザワザワ賢治

- 擬態語の音とイメージ -

 

ロジャー・パルバース著
「英語で読み解く賢治の世界」
岩波ジュニア新書

を読んでいたら、
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節
「オロオロアルキ」の英訳の解説に
こんな部分があった。
(以下、水色部、本からの引用)

オロオロアルキ(he plods about)

オロオロ,ドシドシ,
ザワザワというように,
日本の「擬音語・擬態語」(オノマトピア)は,
音を繰り返すものが多い
です.

「オロオロ」のようなオノマトピアを使って
この詩を見事に書き上げた賢治を,
ぼくは「宮ザワザワ賢治」と名づけたいです.

 もちろん英語にも,
ticktock
   ([時計などの]カチカチという音])
hanky-panky
   (いんちき,ごまかし,
    いかがわしいこと)
namby-pamby
   (男らしくない,なよなよした)
dilly-dally
   ([決心がつかず]ぐずぐずする,
    心がぐらぐらする)
といった音を繰り返すオノマトピアが
少なからずあります.

しかし,英語においては,
ラテン語源の多音節の単語ではなく,
アングロサクソン語源の1音節の単語が
オノマトピアとして使われることが
はるかに多い
のです.

 plodはまさにそんな単語の1つです.

この語は,
「慎重に.苦労して,ゆっくり前に進む」
(to go forward slowly
 with effort or difficulty)
という意味があります.

plodderは,
「こつこつ働く人 地味な努力家」

(someone who persists, little by little,
 through effort and will power)です.
「がんばり屋」がいちばん近いと思います

「オロオロ」を直訳すれば,
to be flustered
  (このflusterもオノマトピアです)か,
to be at a loss for what to do
  (ぼうっとする,茫然自失する)
ぐらいになるかもしれません.

ここでは,to plodにaboutを付けて.
「目的もなく(aimlessly),オロオロ歩く」
という感じを出しました。

plod、
意味を知ったうえで
イメージしようと思っても、
音だけで「オロオロ」をイメージするのは
やはり私の英語力のレベルではむずかしい。

そういえば、パルバースさんご自身が
ラジオで宮沢賢治の詩と擬態語について
話をしていた記憶がある。
ちょっとPCの中を探してみよう。

発見! 2009年の録音だ。

関連するところをちょっと聞いてみたい。

(以下、薄緑色部
 2009年5月17日
 NHK「ラジオ深夜便」
の録音から。
 文字は要点のみ)

(擬態語は)
むしろ英語の方が多いのではないかと。

ただね、その同じような形をとらない。
つまり、ザワザワとかね、
音が繰り返されるような単語って
たくさんありますけれど英語にも、
もちろん日本語ほどの、百分の一くらいです。

ただ、
ひとつの単語の中に入っているのが多いンです。
それが全く擬態語だということです
ね。

たとえば

「とぼとぼと」 hobble
「よろよろと」 wobble

hobble,
wobble,
plodよりも擬態語っぽいが、
それでもまだまだむずかしい。

 

もう少し見てみよう。

賢治の「注文の多い料理店」の一節、
一文に擬態語が四つも出てくる箇所がある。

日本語はこれ。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、
 木の葉はかさかさ、
 木はごとんごとんと鳴りました


パルバースさんは以下のように訳している。
どれも一単語による擬態語とのこと。

「どうと」「ざわざわ」「かさかさ」
「ごとんごとんと」に注目して、
ご本人の英語による朗読を聞いてみてほしい。

The wind bellowed
The grass swished
The leaves rustled
And the trees rumbled low.

繰り返し聞くと、少し見えてきた...かな?

もちろん日本語の擬態語だって、
「かさかさ」のように
繰り返すものばかりではない。

「ぽっかり」とか
「ふんわり」とか
「こっそり」とか
「きょとんと」とか。

でも、どれも聞いた瞬間
「ふわっと」イメージが浮かぶ。

いったい、いつ、
どうやって身につけた感覚なのだろう。

どう考えても
「rustle」よりも「かさかさ」のほうが
木の葉の音をうまく表現しているように
思えてしまうのだが。

言葉が身につく、というのは
不思議なことだ。

逆に言うと、英語の音による感覚が
いかに身についていないか、を痛感する
エピソードのひとつでもあるけれど。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年4月 2日 (日)

生きることは「出会うこと」

(全体の目次はこちら


生きることは「出会うこと」

- 寺山修司さんの言葉 -

 

4月、
進学、就職を始め門出の季節だ。

 

以前、米国ボストンで
ステューディオ(Studio)と呼ばれる
ワンルームタイプの部屋を借りて、
6月から10月までを過ごしたことがある。

ハーバード大学や
マサチューセッツ工科大学(MIT)など
多くの名門校をかかえる
学園都市ボストンだけでなく、
9月が新学年となる米国では、
8月後半になると
Back to School Saleと呼ばれる
新学期前のセールを
町のあちこちで見かけるようになる。

そして9月、
長い夏休みも終わり、
一斉に新学年が始まる。

一斉に始まるのだが、ボストンでは
新学年が始まった途端に
ドンドン寒くなっていく。
10月になると息が白くなる日もある。

新しいことが始まったのに
ドンドン寒くなっていく。
これはどうもよくない。
「寒かったり」
「雲が多くて暗かったり」の日々が続くと
どうも気分が上向きにならない。

逆に、日本では、新学年開始以降
ドンドン暖かくなっていく。
日本の「4月始まり」っていいものだなぁ、
と改めて思った記憶がある。

地域によって時期の前後があるとは言え、
4月5月は、満開の桜が
始まりの季節を祝ってくれる所も多いし。

 

さて4月、
「若い人に送る」と言うとジジくさいが、
歳をとっても、
なぜかこの季節になると思い出す
ある言葉がある。

寺山修司さんが
「ぼくが狼だった頃」に書いていた言葉。

生きることは「出会うこと」です。
それをおそれて一体何が
はじまるというのでしょう、


旅をしてみる、
新しい歌をおぼえてみる、
ちょっと風変わりなドレスを着てみる、
気に入った男の子とキスしてみる、
寝てみる、失恋もしてみる、
詩を書いてみる-

一つ一つを大げさに考えすぎず、
しかし一つ一つを
粗末にしすぎないことです

若い人に出会いを推奨する言葉は
いろいろな形で耳にするが、
この言葉が特に気に入っているのは、
最後の一行。

「一つ一つを大げさに考えすぎず、
 しかし一つ一つを
 粗末にしすぎないことです」

春、
「人」でも「モノ」でも「コト」でも
いろいろな出会いがあることだろう。
「大げさに考えすぎず」
でも、どれも「粗末にしすぎない」、
そんな姿勢で臨みたい。

生きることは出会うこと。
新年度、
いい出会いがありますように。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ