言葉

2022年5月 8日 (日)

「私はきれいなゴミを作っている」

(全体の目次はこちら



「私はきれいなゴミを作っている」

- 生産者も消費者も双方が変わることで -

 

スクラップブックをめくっていたら

朝日新聞の2021年12月3日「ひと」欄
で紹介されていた
エチオピアで人と環境にやさしい
 バッグをつくる起業家
 鮫島弘子さん

の記事が目に留まった。
(以下水色部、記事からの引用)

鮫島さんは、
羊の革を使ったバッグブランド
「anduamet(アンドゥ・アメット)」
を設立し、
代表兼デザイナーとして
活躍しているという。

使うのは食肉の副産物で、
環境対策をした工場でなめされた皮だけ。

元ストリートチルドレンや
読み書きできない人を雇い、
忍耐強く20人の職人を育ててきた。

原点は、
デザイナーとして働いた
化粧品会社で感じた疑問だという。

美術専門学校を出たばかりで
仕事は面白かったが、
新製品を出すたびに
大量の商品が廃棄された。

私はきれいなゴミを作っている

そう思った鮫島さんは、
化粧品会社を3年で辞め、
青年海外協力隊に応募。
派遣先のエチオピアで羊革と
出会い、その後、エチオピアに渡って
起業することになったという。

「私はきれいなゴミを作っている」
なんとも悲しい、虚しい言葉ではないか。

化粧品に限らない。
衣料品も食料品も
大量廃棄の問題はほんとうによく耳にする。

もちろん、たとえば
新商品ブランドの確立と
拡販を目的にした旧商品の廃棄と
食料品の廃棄は
そもそもその理由が全く違うものだが
結果として
「きれいなゴミ」を
大量に発生させていることは同じだ。

どんな理由であれ
「私はきれいなゴミを作っている」では
働く側のモチベーションが
上がるはずはない。

以前「売り切れ」程度は我慢しようなる副題で
食料品廃棄の話を書いたが、
ゴミを出さないためには
生産者側もそして消費者側も
大きく意識を変えていく必要がある。

価値観の変換と同時に
双方ちょっとの「我慢」が
キーワードだろう。

誰だって、あるときは生産者であり、
またあるときは消費者なのだから。

作る人も使う人も
みんなが幸せになるブランド目指す。

ことは可能なはずだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年11月28日 (日)

近づいてみれば誰一人まともな人はいない

(全体の目次はこちら



近づいてみれば誰一人まともな人はいない

- ひとりの「生」に耳を傾ける -

 

前回
その書名プシコ ナウティカ
(psico-nautica:魂の航海)
についてのみ紹介したが、

イタリアでの精神病院廃絶の物語から
精神医療だけでなく
 正常と病(やまい)、
 精神と身体、
 地域と社会、
 抑圧と自由
などについて深く考察している

松嶋 健 (著)
 プシコ ナウティカ
 ―イタリア精神医療の人類学
世界思想社

(以下水色部、本からの引用)

から、いくつかのキーワードを
ピックアップしながら
人間の「生」や「社会」について
改めて見つめ直してみたい。

 

最初に紹介したいのは、
本文に何回も出てくる
イタリア精神保健のモットーのひとつ。

「近づいてみれば
 誰一人まともな人はいない

 (Da vicino nessuno è normale)」

思わずクスッと笑ってしまいそうになるが
なんとも味のある言葉だ。

それはどんなに
「まとも/普通/正常(normale)」
に見える人でも、
近くからよく見てみると、
「正常さ」は雲散霧消し、
その人が人生のなかで身につけてきた
一連の特異性が
その人独特の「味」になっている
ということを示している。

まさに「個性」とは
そう捉えることもできる。
「近づいてみれば」という言葉に
ある種のやさしさがある。

こういった本質的な「個性」を
ユーモアを交えて語れる
言葉があるのはいい。

 

精神病院廃絶という大きな改革を
丁寧に追っている本書だが、
その中心にはバザーリアという
精神科医がいた。

改革の運動を牽引したのは、
いろいろな町の
多彩な人々だったのだが、
なかでも中心的かつ象徴的な
役割を担ったのが、
ヴェネツィア生まれの精神科医
フランコ・バザーリア
(Franco Basaglia)
である。

バザーリアは、広い視野で
精神病院廃絶に向けて
さまざまな取組みを展開、
大きな成果を上げることになるが、
それらをすべて把握したうえで、
著者の松嶋さんは彼が成したことの根幹を
次のひと言で言い切っている。

臨床家として
バザーリアが行なったことは、
結局のところ、
「狂人」たちの話に、
彼らが生きてきた生の物語に、
ちゃんと耳を傾けた、ということに
尽きるのではないかと思う。

精神病院廃絶は、単に病院を
開放すればいいわけではない。
法律、地域社会、サポート体制などなど
大きな課題は多い。
でも、そこでの肝心要の主役は、
精神病と診断されていた人たちである。
そういった人たちの「生」に
敬意をもって「近づいてみれば」の人が
いたからこそ、
制度の改革や整備が前進したのであろう。

「近づいてみれば
 誰一人まともな人はいない
 (Da vicino nessuno è normale)」
のだ。

次回に続く。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年11月21日 (日)

『プシコ ナウティカ(魂の航海)』

(全体の目次はこちら



『プシコ ナウティカ(魂の航海)』

- イタリアでの精神病院廃絶の物語から -

 

寡聞にして全く知らなかったのだが、
イタリアでは、1999年に
イアリア全土の公立精神病院が
すべて閉鎖されたという。

1978年に成立した
180号という法律が契機となって
精神病院を廃絶。

その過程と背景を丁寧に追いながら
単なる制度の改革だけでなく、
 正常と病(やまい)、
 精神と身体、
 地域と社会、
 抑圧と自由
などについて深く考察している

松嶋 健 (著)
 プシコ ナウティカ
 ―イタリア精神医療の人類学
世界思想社

(以下水色部、本からの引用)

は、読み応えのある良書だった。

その中から、
印象的な言葉をいくつか紹介したい。

 

まず最初に書名。
「プシコ ナウティカ」って何?

書名に限らず、本書はその内容が
イタリアでの話ゆえ、当然ながら
すべてがイタリア語ベースになっている。

松嶋さんはその都度
丁寧に説明してくれているが
日本語、英語とは違った
言葉のグルーピングや
背景を感じることも多く、
それだけでも新しい発見がある。

もちろん医療そのものが言語、
つまりイタリア語に
依存しているわけではないが、
医療制度の整備もその変革も
イタリア語が持つ発想に支えられて
進められてきたわけで、
松嶋さんは
そういった言語が持つある種の価値観にも
細かく神経を配っている


で、最初の疑問に戻るが
プシコ ナウティカ(psico-nautica)は
イタリア語で「魂の航海」を意味する

らしい。

生きていくことそのものが、
目的地も知らないまま
人々のあいだで続いていく
航海である
といえるだろう。

そうした、
人間の「生」そのものとしての
航海のアンソロジーであり、
同時に航海術でもありうるような
ものとして本書は書かれている。

最終的に精神病院の全閉鎖に繋がる物語は、
「社会」中心から「人間」中心への
転換の物語として捉えることもできる。

「人々のあいだで続いていく」
という言葉が、全編を読み終わった後、
改めて深く響いてくる。

そう、生きていくって
目的地も知らない航海なのだ。

イタリアでの出来事を通じて、
航海とそこから見える景色に
新たな角度から光があたる驚きを、
発見を、新鮮さを、
しばし楽しんでみたい。

次回に続く。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年11月14日 (日)

検索の落とし穴

(全体の目次はこちら


検索の落とし穴

- 言葉が変われば見えなくなる情報がある -

 

「検索すればなんでもすぐに見つかる時代」
そんな言葉を聞くようになって久しいが、
実際には「なんでも」と言うにはほど遠く、
広い視野から眺めれば
検索できるものはかなり限定されている。

もちろん
検索対象も広がってきてはいるが、
一方で
検索の行為自体に「落とし穴」も多い。

そんな「落とし穴」の中でも
特に気をつけないといけないのが
「言葉」だ。

本人は「正しく」検索したつもりでも
場合によっては、思ってもみない誤解に
結びついてしまう場合がある。

陥りやすい
典型的な事例が新聞にあったので
忘れないようメモっておきたい。

朝日新聞 2021年8月28日
「メディア空間考」
というコラムに
津田塾大学で非常勤講師もしている
原田朱美さんが書いていた記事。
(以下水色部、記事からの引用)


ある大学生のリポートを読んでいて、
手が止まった。
「2000年ごろ、LGBTのために
 動こうという動きは日本になかった
とあった。

原田さんは、大学で
情報リテラシーの授業を持っており、
さまざまなテーマで調べ物をするのを
課題としてだしているらしい。

人気ドラマで性同一性障害が
話題になったのが2001年だった、
ということを取り上げるまでもなく、
LGBTの支援・啓発活動は、
もちろんもっと前から日本にあった。

なのに、なぜ「なかった」という
結論になってしまったのか。

しばらく考えて合点がいった。
言葉だ。

文字通り「LGBT」で、
過去の記事をネット検索したのだ。

LGBTという言葉が
広く使われ始めたのは15年ごろのこと。
だから、それ以前については
過去記事がない=社会に動きがない
と誤解したようだ。

これは検索の落とし穴の
ほんとうにわかりやすい例だ。

LGBTが広く使われる前は
たとえば「性的マイノリティー」などの
言葉を使って活動は記事になっていた。

そういう関連付けや、
関連ワードに関する知識が
検索対象に対して絶対に必要なのだ。

でも、20歳前後の学生にとって
LGBT以前の呼び方はなじみがない。

時代が変われば言葉は変わる。
言葉が変われば、見えなくなる情報がある
両方の言葉を知り、検索しなければ、
その事実にも気づけない。

対象世界に関わる単語の
時代的な変遷と
それらがどうつながっているのかの
多層的な理解。

それらが検索する側に構築されていないと
ググっただけの結果を並べても
「へぇ」だけで、なにも見えてこない。

でも逆に、見えてきたとき、
それは多層的な理解を持ったものだけの
発見の大きな喜びになる。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年10月10日 (日)

「今何が起きているのか」を見つめる感性

(全体の目次はこちら


「今何が起きているのか」を見つめる感性

- 子どもたちから学べること -

 

雑誌「中央公論」2021年9月号に
掲載されていた
独立研究者 森田真生さんと
大阪市立大学准教授 斎藤幸平さん
との対談
 豊かな未来のための
 「脱成長」戦略

(以下水色部、記事からの引用)

から、先週に引き続き
もう一箇所紹介したい。

様々な活動を通じて
子どもたちとよく接している
森田さんらしい指摘だ。

森田:
僕は、危機において
主体を強くしていこうとする発想には
懐疑的です。

たとえば
大人と子供が一緒にいる場面
想像してみてください。

子供たちはテーブルの下で
かくれんぼをしたり、
本棚に上ってジャンプしたりして
遊び始める。

それを見ると、
大人はつい自分たちが知っている
"意味"を振りかざそうと
してしまう


「テーブルは食事をする場所だから、
 上がらないで」
「本棚は本を収めるところ」と。

確かにそんな時、
「意味を振りかざして」しまいそうだ。

森田:
この場合、
強い主体であろうとしているのが
大人の方です。

でも結局は、大人は
生き生きと遊ぶ子供たちの
主体の弱さに翻弄されてしまう。

子供たちは、
大人が設定した世界に
反旗を翻しているわけではありません

みずからの正しさを
主張しているわけでもない


彼らは大人が生きている世界の中で、
その世界の配置のまま
世界のあらゆる構成要素を、
それまでとはまったく違う意味で
使い始める。

斎藤:
なるほど。面白いですね。

「その世界の配置のまま」が
キーワードだろう。

振りかざしてしまう「意味」を
どの世界にでも
押し付けようとしてしまうのが、
押し付けて考えてしまうのが大人だ。

「その世界の配置のまま」
テーブルや本棚を捉えるとどうなるのか、
子どもから気付かされることは多い。

森田:
強い主体として
意味をコントロールしようとしている
大人よりも、既存の世界を
別の意味で遊び始める子供たちの方が
その場を支配してしまう。

これはいろいろな意味で
示唆的な構図だと思います。

問題を一方的に特定し、
これをとにかく解決するのだ

という考えそのものが
孕んでいる暴力性があります。

それよりも、
今何が起きているのかに、
まずはしっかり感性を
開いてみることが必要
ではないでしょうか

斎藤さんは、
「マルクス研究者としては、
 ソ連がまさにそうした"暴力"に加担し、
 失敗したという反省があります」
と述べている。

日本で、世界で、
「今何が起きているのか」を見つめる感性。
意味や固定観念で
ついつい見てしまいがちな大人たちは
子どもから学べることも多い。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年9月26日 (日)

内に向かっていく無限もある

(全体の目次はこちら


内に向かっていく無限もある

- 植物観察家からのメッセージ -

 

「植物観察家」を名のる鈴木純さんの

鈴木純 (著)
 そんなふうに生きていたのね
 まちの植物のせかい
雷鳥社

(以下水色部、本からの引用)

は、たいへんおもしろい本だ。

この本は図鑑でも専門書でもなく、
植物に対する〝私の視線〞を
表現するという、
全く新しいつくりの本
です。

まちなかで
植物を見つけるところから始まり、
私がなにを
どのように面白そうと思ったか、
あるいは疑問に感じたかをご紹介し、
そのあとに植物を拡大して見たり、
触れたり、嗅いだりしながら
驚きの発見をしていく、
植物観察のアイデア集のような本です。

と最初にある通り、
まちでよく目にする植物を
とにかくよぉーく見て、
徹底的に楽しんでしまおうという
ユニークな視点で構成されている。

アスファルトの隙間でよく目にする
「ツメクサ」のような
身近で簡単に見つけられる植物が
数多く登場するが、私などは、
普段いかに何も見ていないかを
痛感させられる。

* 葉柄内芽(ようへいないが)
* 花外蜜腺(かがいみつせん)
* 托葉(たくよう)
* 雌雄異熟(しゆういじゅく)
* 唇弁(しんべん)
* 花粉塊(かふんかい)
といった植物の生態や生存戦略に関わる
専門用語の解説も含まれてはいるが
本の中心にあるのは
とにかく植物をよぉーく見ること。

中のコラムにこんな一節があった。

母校である東京農業大学の造園科には、
”葉っぱテスト”という試験があった。

キャンパス内で見られる樹木180種を、
葉の特徴だけで
見分けられるようにする
という
ものなのだが、

これが1年次の前期の課題で
行われるのだからさぁ大変。

農大というと、
さも自然好きな人間が集まる
学校のようなイメージがあるが、
現代の農大生はいたって平凡。
これまでに植物の名前を知ろうなんて
考えたこともない生徒が大半だ。

180種の樹木を葉の特徴だけで見分ける、
いい試験だ、というよりも
これができたらなんてステキだろう。

まずは先生陣が総がかりで、
新入生に木の名前を教え込んでいく。

らしい。その過程で、鈴木さんは
植物観察のおもしろさに目覚めていく。
 
植物の不思議な生態の詳細は本書に譲るが
この本の魅力は、
図鑑的な植物に対する知識ではなく、
「観察」自体がもつ楽しさや発見の
ワクワク感がどのページからも
伝わってくることだ。

私の最大の強みは
植物に対する驚きや感動の気持ちが、
まだ自分の中に瑞々しく
残っていること
だと思っています。

今だから書ける、いえ、
今しか書けない植物観察本である
という意味では、自信を持って
楽しく書かせていただきました。

鈴木さんは、
「内に向かっていく無限もある」
という言葉を使っているが、
ごくごく身近にも
無限の世界が広がっていることは、
植物観察という窓を通じても
こんなふうに気軽に味わうことができるよ、
と語りかけてくれているようだ。

遠くに行くから世界が広がるわけではない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年9月19日 (日)

三浦綾子「続 氷点」からの一文

(全体の目次はこちら


三浦綾子「続 氷点」からの一文

- 残るのは「与えたもの」 -

 

朝日新聞の夕刊(2021年8月4日)
「時代の栞」というページで
1965年に刊行された
三浦綾子さんの小説「氷点」
のことが取り上げられていた。
(以下緑色部、記事からの引用)

A210804ekyouten

1963年元日、朝日新聞の一面に
「新聞小説募集 入選作に一千万円」
という見出しが躍った。
・・・
大学卒の国家公務員の初任給が
1万7千円前後だった時代の話だ。

すごい賞金を用意したものだ。
2021年の大卒国家公務員の初任給は
23万円強だから、
今なら「賞金 1億3千万円」
ということになる。

当選後、1964年12月に新聞で連載開始。
小説は大ヒット。
原作をもとに制作されたTVドラマは
関東でのテレビ占拠率が66.6%に
のぼったという。

1970年「続 氷点」連載開始。

57年も前のことゆえ、
さすがにリアルタイムで
連載小説を読んだわけではないが
のちに本で読んだ小説は
強く印象に残っている。

そのあらすじや宗教的な背景について
本ブログで触れるつもりはないが、
この小説に関しては、
どうしても紹介したい言葉があるので
今日はその部分のみ
ピックアップしておきたい。

言葉は「続 氷点」から。

三浦綾子 (著)
 続 氷点
角川文庫
(以下水色部、本からの引用)

紹介したいのは次の一文。

一生を終えてのちに残るのは、
われわれが集めたものではなくて、
われわれが与えたものである

なんとも深い言葉ではないか。

ついつい集めてしまいがちだ。
所有しようとしてしまいがちだ。
でも、集めたものは
その時、本人にとって価値はあっても
最終的にはどこにも残らない。

一方で、与えたものはどうだろう。
それはもちろん金品に限らない。
与えたものは、
形を変えながらも
いろいろな形で残り続ける。

以前、本ブログ、
バーンスタインの指揮
と題した記事の中で
 If you love something, give it away.
「何かを愛しているなら
 それを与えること
という言葉も紹介した。

「与える」ことで
生涯を越えて永く残り続ける。

だからこそ、愛しているものほど
「与える」ことに意味があるのだ。

何度でも振り返りたい言葉のひとつだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年8月 8日 (日)

「相寄る魂」が作った一冊

(全体の目次はこちら



「相寄る魂」が作った一冊

- 立花隆さん、18年後の出版 -

 

ジャーナリスト、ノンフィクション作家の
立花隆さんが、今年(2021年)
4月30日に亡くなっていたことが
6月になってから明らかとなり、7月には
様々な分野からの追悼記事を
目にすることになった。

立花さんは、
政治、宇宙、生命、サル学、臨死体験等々、
多くのテーマに取り組んで
作品を発表してきたが、
徹底した下調べをベースに展開される
内容の濃い本は、どれも
「知の巨人」と呼ばれることが
決して大げさではないことを
痛感させられる、すばらしいものだった。

立花さんの人柄や偉業については
交流のあった方々からの追悼記事で
詳しく紹介されているので、
今日は、少し違った角度からの
エピソードを紹介したい。

以前、本ブログで、
千枚のラブレターと題して、
若かりし立花さんの
ラブレターエピソードを
紹介したことがある。
センセーショナルな著作
「田中角栄研究」の
「まえがき」
にあった
ちょっと意外な(?)思い出話だ。

今日の話は、
立花さん76歳のときの著書
「武満徹・音楽創造への旅」
の「おわりに」
からの
エピソードだ。
(以下水色部、本からの引用)

「武満徹-」は、雑誌「文學界」で
約6年わたって続いていた連載を
まとめたものだが、
連載は1992年-1998年なのに、
出版は2016年。

18年もの隔たりののち、
二段組で780ページにおよぶ大著が
なぜ形になったのか。

そのきっかけになったのは
私が生涯の友と思って
長い間付き合ってきた
O・Mなる女性の死である。

 

O・Mさんは、
あらゆるがんのうちで
最強最悪のがんと言われる
甲状腺の未分化がんだった。

彼女とは長い付き合いがあったので、
最期の二週間ほぼフルに付き添った

 

立花さんと彼女は
8年に渡るがん友だったという。

ほぼ同時にがんになり、がんのこと、
その他もろもろを
しょっちゅう語りあってきた。

しかし今回は側にいても
何もしてやれなかった。

できることは「好きだよ」といって
毎日手を握るだけだった


「治ったらあそこに行こう、
 ここに行こう」と
できもしない夢を一方的に
語るだけだった。

できもしない夢にもニッコリ笑って
うなずいていた。

 

O・Mさんは武満徹さん作曲の名曲
「ノヴェンパー・ステップス」の
尺八奏者・横山勝也さんの高弟子の一人
だった。

本職は箏のお師匠さんで、
尺八は吹かないが、
三味線、胡弓をよくし二胡も弾いた。

箏は華麗で美しく、
地唄、小唄、端唄、
清元の江戸歌謡にも見事な色香があって
男を魅了した。

天はこの人に二物も三物も与えていた

らしい。
邦楽に詳しいO・Mさんには、
連載時、多くの助言解説で
助けてもらっていた。

 

「相寄る魂」という言葉があるが、
彼女との仲はまさにそれだった。

激情をもって愛しあう男と女の間の、
ホレタハレタ的な動きは何もなかったし、
口説き口説かれ的な言葉のやりとりも
全くなかったが、いつのまにか、
二人はごく自然にくっつき、
ただくっついているだけで幸せだった

死の直前、声を失ったO・Mさんの
「あの本お願いね」のくちびるの動き
立花さんは見逃さなかった。

「あの本お願いね」
この言葉が立花さんの心に火を点けた。

この本を完成させないうちは、
向うに行って武満さんに会っても
O・Mに会っても顔向けできないと
思っていたが、
O・Mの没後わずか数週間で
本書を一気完成させることができた。

彼女にはほらちゃんと持ってきたよと、
早く言いたかったのだ

76歳でのこの集中力、このパワー!

立花さん、O・Mさん、
そして武満徹さん、
今頃は分厚い本を囲んで
談笑していることだろう。

立花隆さん、享年80。
お三方のご冥福を改めてお祈りいたします。
合掌。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年7月25日 (日)

片足と一本足は大きく違う

(全体の目次はこちら



片足と一本足は大きく違う

- そして、生まれかわって行く思索 -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない
 * 女帝エカテリーナの偉業
 * ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

を紹介してきたが、
長くなってしまったので
今日で一区切りとしたい。

 

これまで紹介した内容以外にも

外面的な文法形式を
持つことが少なければ少ないほど、
逆にそれだけ、
内的な文法形式は豊かである

といった、
書き手(話し手)だけでなく
読み手(聞き手)との関係も含めて
言語とその変遷を捉えるような
大きな問題提起から

 「片目」のことを
 印欧語では一つの目というが
 ハンガリー語では半分の目と表現する。

 日本語の片目や片足も同じ発想


といった
具体的な単語を通して、
言語の共通性を考えてみるような話題まで
いくつもの視点を提供してくれている。

ふたつで全部と捉えているから片目、
ふたつで全部と捉えているから片足。
背景にあるものの捉え方がにじみ出ている。
無意識に使い分けてしまっているが、
片目と一つ目、
片足と一本足、
は大きく違うのだ。

そんな中、最後の言葉は特に印象的だ。

 

本書では
言語学の基盤に「民族」をおいた
ロシアの
ニコライ・トルベツコーイ(1890-1938)に
多く触れている。

また最終段では、
ジュネーヴという環境で、
ドイツ語を母語とする学生が
フランス語で論文を書くときに出会う
困難について
学生からの相談にのったのがきっかけで
『一般言語学とフランス言語学』
(初版1932年)という書を著した
シャルル・バイイという言語学者も
登場している。

そして、バイイがトルベツコーイに
与えた影響についても。

寡聞にして私は二人の名前を
本書で初めて知ったレベルなので
その業績の偉大さは全くわかっていないが、
田中さんは、ふたりを紹介したうえで
こんな言葉で締めくくっている。

そしでこの二人の巨匠の協働は
かならずや「比較民族文体論」
とでも呼ぶべき新しい領域の開拓に
向かったのではないかと
期待の夢はひろがって行くのである。

すでにこの世に居ないこの二人に、
私はあえて「期待する」と言いたい


その期待の夢を実現するのは、
もちろん、
現代に生きている私たちである。

私たちは二百年、三百年前の
著作を読んで胸をうたれ、
夢をふくらませる。

このようにしてことばの思索は
絶え間なく新しい生命を得て
生まれかわって行く
のである。

亡くなった方に期待している。

それは、
亡くなった方の著作が、思索が
その影響を受けた
のちの世の人たちによって
生れかわって行くことになるから。

そういう世代を越えた
発展と生まれかわりこそが
学問であり、うれしい「期待」だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2021年7月18日 (日)

ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

(全体の目次はこちら



ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

- キャンベルさんの言語感覚 -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない
 * 女帝エカテリーナの偉業

を紹介したが、
目に留まったトピックスの紹介
もう少し続けたい。

 

アルタイ諸語、アルタイ語族についての
詳しい説明はここでは省略するが、これらは
トルコ、中央アジア、モンゴル、
そしてロシアの一部と、
まさにユーラシア大陸を広く横断し、
そこには日本語や朝鮮語も含まれることが
提案されてきた重要な言語群だ。

田中さんも日本語について

単純にアルタイ諸語だとは言いきれない

と慎重に書く一方で

私などは、日本語の中には
いつくものアルタイ的特徴が
濃厚に認められるから
基本的にアルタイ語だと考えている。

とも書いており、基本的に
アルタイ諸語にグルーピングされて
話は進んでいる。

そんなアルタイ諸語の特徴について
こんな特徴の記述があった。

たとえばアルタイ語には
「ラ」行(r-)ではじまる単語がない

子どものころ、しりとりをすると
いつもラ行で苦戦していたことが
急にありありと思い出される。

そうか、もともと単語がなかったのか。

ラ行ではじまる単語は、
日本人は自分では作れず、
ほとんどが外国語からの借用である。

なので

ラ行ではじまるオトを
無理して発音すれば、
その前にどうしても母音が入って、
たとえばロシアはオロシアとなる。

幕末から明治を舞台にしたドラマに
よく登場するあの国の名前が
いつもオロシアとなっているのは
こんな理由があってのことのようだ。

ハンガリー語では
いまでもロシアをオロス(Orosz)と言い、
これはモンゴル語も同様
である。

「ラ」行(r-)ではじまる単語がない
こんな共通点があるなんて。

この件に関して、
こんなエピソードまで添えている。

「令和」という
新しい元号が発表されたとき、
私は、こんなラ音ではじまる
本来の日本語にはなかった発音様式は、
「国粋的」ではない、
困った名づけだと思った。

するとあるとき、深夜のラジオで
ロバート・キャンベルという
アメリカ人の日本文学の研究者が、
レイワは、外国人が
発音するには問題がないけれど、
日本人にはどうでしょうか

話していた。

(中略)

キャンベルさんは明らかに、
古代日本語の音韻体系を
念頭に入れて話していた
のだ。

こういった日本語の
歴史を含めた言語感覚までをも
身につけてしまう才能、
表面的ではない深い学習内容。

以前、本ブログでも
キャンベルさんと井上陽水さんとの
対談を
ただあなたにGood-Bye
と題した記事で取り上げたりもしたが
キャンペルさんの日本語の知識と
その言語感覚には驚かされるばかりだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2022年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ