言葉

2019年8月11日 (日)

出雲大社

(全体の目次はこちら


出雲大社

- ぜんざいは神在(じんざい)? -

 

島根・鳥取方面への旅行、
最終日は、出雲大社にお参りした。

勢溜(せいだまり)の大鳥居から
松の参道と呼ばれる参道を
ゆるやかに上っていく。

Img_4306s

(写真はすべてiPadにて撮影)

ふと前方の鳥居を見ると、
そこから先、参道から人が消えている。
どうして?

Img_4308s

ここまで真ん中を歩いて来た人たちは
この鳥居から先、鳥居の両脇の道に
進路を変えているのだ。

神様の集まる出雲大社のこと、
「真ん中は神様の通る道で
 人はその両脇を歩く」
なる話も聞いたことがあったので、
「もしかしたら、このこと?」
と思いながら近づいていった。

鳥居の下まで来ると、
何か書いてある。
いったい、何が書いてあるのだろう?

Img_4309s

「松の根の保護のため
 参道左右をお進み下さい」

なんだ、松の養生のためか。
なぜかガッカリ。

脇の参道を歩くことになったが、
参道からちょっと右に目を遣ると
山の緑がほんとうに美しい。

Img_4311s

 

「ムスビの御神像」と呼ばれる像。

Img_4312s

立派な像ではあるが、
なぜか「気恥ずかしい」。

Img_4314s

 

「御自愛の御神像」

Img_4315s

因幡の白ウサギの話って、
子どものころ絵本で読んだ記憶しかない。

絵本で語られる物語というのは、
多くの子どもに知ってもらえるという
大きなメリットがある反面、
それだけで知った気になってしまう
そういう子どもを大量に生産してしまう
ある種の不幸を背負っている気がする。

「大人になってからちゃんと知ろう」
をサボっている自分の怠惰を棚に上げての
勝手な思い込みではあるが、
小学生のころ読んだ
「こども**全集」に入っていた話を
大人になってから「原作」で読んでみると、
その印象のあまりの落差に
驚くことはよくある。

絵本で知った、ならなおさらだ。

 

「拝殿」まで来た。

Img_4319s

出雲大社独特の
「2礼4拍手1礼」でお参りする。

左奥に本殿、右に拝殿

Img_4322s

 

境内を右回りに、大きく歩く。

左に八足門、右に観祭楼

Img_4324s

八足門

Img_4325s

右下の足元、赤い丸については
のちほど見学する歴史博物館で
驚きの事実を知ることになる。

 

御本殿西側

Img_4326s

西側から臨む御本殿

Img_4328s

 

素鵞社(そがのやしろ)
Img_4330s

境内の一番うしろ、
もっとも奥まったところにある。
大国主大神の父神とされる
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る社
御本殿を背後から見守るかのような
位置にある。

Img_4331s

 

真後ろから見る御本殿

Img_4333s

物理的な距離という意味では、
この真後ろが一番近いかもしれない。

東側から臨む、右が御本殿

Img_4338s

左から御本殿、御向社、天前社

Img_4342s

東十九社

Img_4344s

旧暦10月の神在月(かみありづき)の際
全国から訪れる神々の宿舎
西十九社として西側にもある。

御本殿を一周、拝殿に戻ってきた。

Img_4345s

 

お参りした後は、名物のコレを。

出雲割子そば

Img_4346s

蕎麦の実を皮つきのまま製粉するため
色は黒っぽくいが、香りもよく、
お参りで歩いて
ちょっとすいたお腹にピッタリ。

食事のあとはデザート代わりに
別なお店で「ぜんざい」を。

Img_4349s

このぜんざい、「縁結び」にからめて
なんと結んだ「蕎麦」が入っている。

Img_4352s

そもそも
「ぜんざい」の発祥はこの地だとか。

出雲では神在祭の時に
神在餅(じんざいもち)をふるまっていた。
「祇園物語」には
「赤豆を煮て汁を多くし、
 少し餅を入れ」とある。

この「じんざい」が
出雲弁でなまって「ぜんざい」となり、
京都に伝わったとのこと。

元は、神在(じんざい)か。

旅行最後に立ち寄った
島根県立古代出雲歴史博物館
の話は次回に。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

2019年6月23日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(2)

(全体の目次はこちら


鳥取県の民藝めぐり(2)

- 陶芸家・山本教行さんの言葉 -

 

前回、山陰の民芸における
吉田璋也の貢献について書いたが、
彼の影響を受けた人の作品も含めて
鳥取県内でもう二箇所、
民芸関連の場所を訪問したので
今日はそこを紹介したい。

 

【岩井窯】
鳥取市内から車で30分ほど離れた
緑豊かな山の中にある。

Img_4076s

(写真はすべてiPadで撮影)

作品展示室のほか、
岩井窯の器や土鍋で
お茶や食事ができる喫茶室、
創作資料のために自ら蒐集した
国内外の手工芸品を展示する
参考館も併設されている。

Img_4072s

作品展示室のものは
購入もできる。

Img_4070s

気に入ったものがあったので
「サイズ」や「枚数」等、
在庫についていくつか聞いてみたが、
残念ながら連休の前半で
ずいぶん売れてしまったようだ。

象嵌(ぞうがん)技法の結び模様や、
人気の高い掻き落としの牡丹柄等、
特徴のある作品が並ぶ。

Img_4071s

この窯の当主、山本教行さんと
吉田璋也との出会いについては
この本から一部引用したい。

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

クラフト館岩井窯と名づけられた
この工房の当主、山本教行さんも、
吉田璋也の薫陶を受けた一人。

16歳のときに璋也に出会い、
よく自宅に遊びに行ったり、
美術館の展示替えを
手伝ったりしたそうです。

「そこでもの作りに対する以上に、
 吉田先生の
 生活スタイルに憧れました

と山本さん。

璋也自身のデザインによる
家具や器に囲まれた
美しい暮らしに感動、

陶芸家になりたいというより前に、
 こういう暮らしがしたいと
 強く思わされました
」。

そのときの思いの延長線上にあるのが、
こちらの工房です。

 

工房が紹介された多くの本や雑誌、
作品展のちらし等も並んでいたが、
窯紹介のパンフレットを見ていたら
山本教行さんが、
こんな素敵な言葉を載せていた。

日常生活の中であたりまえすぎて
それほど気にならないのに
それでいて
常に大切に思えるものがある。
そういう物が焼けないかと思う。

私が作ったというより
生まれてきたと思えるものが
焼けないか
と念じてやまない。

「生まれてきたと思えるもの」か。

そんな精神が反映されたような
素敵な皿に出会えたので
2枚購入。

お手洗いの
「手洗い器」にも作品を使っている
気の遣いよう。おしゃれだ。

Img_4074s

外には大量の薪が積んである。
その前で眠っている犬も
じつに気持ちよさそうで
なんとも穏やかな空気感がいい。

Img_4073s

 

【倉吉】
鳥取市内から車で約1時間。
国の重要伝統的建造物群保存地区
に選定された
玉川周辺の白壁土蔵群が有名な倉吉。

Img_4098s

多くの観光客が訪れている。

江戸後期から昭和初期の建物が多い街並みも

Img_4112s

歩いていて楽しいが、
地図好きの私は、
街のど真ん中でこんなものを見つけて
ちょっと興奮してしまった。

Img_4099s

一等水準点。
一等水準点自体が珍しいわけではないが
街中でここまで大きく明示してあるものは
見た記憶がない。水準点は
国土地理院の地図には明記してあるので
場所はすぐにわかるのだが、行ってみると
忘れ去られたような標石が
寂しくしていることが多い。
ここの標石は幸せ者(?)だ。

Img_4101s

 

さて、この街並みの中にある
【COCOROSTORE】
民芸品を集めた素敵な店だ。

福光(ふくみつ)焼
国造(こくぞう)焼
上神(かづわ)焼といった
地元・倉吉の陶器のほか、
大塚刃物鍛冶(かじ)の包丁など
鳥取の手仕事を揃えている。

Img_4107s

古い建物をリノベーション

Img_4109s

目立つ看板は出ていないが
立ち寄る人は絶えない。

Img_4110s

自然栽培のごまや、
無農薬大豆で作るみそなど、
地元産の食材も扱っている。

ここでは、無地茶色の
国造(こくぞう)焼の皿を1枚購入した。

今回、時間的に町の散策は
ほとんどできなかったのだが、
ちょっと時間をとってぶらぶらしてみたい
そう思わせる小さな、素敵な町だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年5月19日 (日)

サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

(全体の目次はこちら


サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

- 異文化への興味と理解 -

 

以前、川端康成の小説「雪国」の
英語への翻訳について
ここに書いたが、
そこに登場した
サイデンステッカーさんについて
雑誌「文藝春秋」から
ふたつの記事を紹介したい。

ひとつ目は、
昭和25年、東大の
麻生磯次教授『おくのほそ道』の講義で
彼に出会って以来
50年以上に渡って交流を続けていた
作家の髙橋治さんが寄せたもの。

高橋さんは、
エドワード・ジョージ・
サイデンステッカーの名前から
彼を「エド」と呼んでいた。

昭和20年代、出会ったころのこと。
(2007年11月号 雑誌「文藝春秋」
 「エドと吉原」
 以降、水色部記事からの引用)

私がシナリオ集をテキストにして
エドから英語を習い、
エドが私から落語を教材にして
江戸時代以降の口語を
勉強し始めたからである。

エドは落語を教材にして
日本語を学んでいった。

落語を通じて「日本語」だけでなく
「吉原」を知ったエド。
「人間への興味」はどんどん広がっていく。

なん時頃に吉原名物の馬肉の鍋、
いわゆる蹴飛ばし屋に行って
お銚子を四、五本並べれば、
町は盛りにさしかかって、
女性たちの気分も盛り上がっているか。

(中略)

 だから、エドにとって
吉原が盛りになる時間は、
やり手婆が多弁になる時間であり、
女どもが陽気さを
隠さなくなる時間だったのだ。

エドはそんな時間の吉原が
来るまで待っていて、
人間と人間の触れ合いを求める。

落語に、吉原に、日本文化に
積極的に飛び込んでいったエドは
2007年8月、
永住を決意して移り住んだ東京の地で、
86歳の生涯を終えている。

没後、
コロンビア大学教授のハルオ・シラネさんが
「サイデンステッカーと
 『源氏物語』の自然観」

なる題で、同じ「文藝春秋」に
記事を寄せている。
(2008年5月号 雑誌「文藝春秋」
 以降、緑色部記事からの引用)
これが今日、ふたつ目の記事。

 サイデンステッカーといえば
『源氏物語』の優れた英訳で
その名を知らない人はいない。

一歳のとき日本人の両親と
アメリカに移住した私は、
コロンビア大学の大学院生として
氏に師事して以来、
親交を深めてきた。

現在はその後任として教鞭をとっているが、
源氏の世界をあれほど深く理解し、
英語の世界に蘇らせた
サイヂンステッカーの翻訳には
感動を覚えざるを得ない。

氏の翻訳は、
日米間の文化的および言語的な相違への、
興味深い洞察に満ちている

サイデンステッカーさんは、
『源氏物語』における
自然や季節の果たす役割に
深く心を配りながら翻訳を進めたようだ。

光源氏に愛される
薄幸の女性「夕顔」の名を訳す際には、
white-flowered gourdまたは
moonflowerという
植物学的翻訳をあてはめず、
Evening Facesと
字義を活かした名前を付けた。

夕顔が夕方(evening)に
息絶えることとの
関連性を示唆したのである。

他にも、
神道の儀式に使われる榊を
sacred tree(神聖な木)と
訳すことによって、
漢字が示す宗教的含意を伝えることに
成功した例もある。

(中略)

たとえば、
日本語では春に「霞」とよばれる現象が、
秋には「霧」とよばれる。

だが、英語にはmist, haze, fogといった、
特定の季節とは無関係の単語しかない。

また日本語には、雨を表すのに、
春雨、五月雨、時雨など、
季節によって複数の言葉があり、
それぞれが静寂、憂鬱、無常など、
特定の文化的含意を持つ
のに対して、
英語にはrainやshowerなど、
季節的、文化的な
意味のない言葉しかないのである。

『源氏物語』における時間は、
早朝、夕暮れ、黄昏に
焦点が置かれるところに特徴があり、
そして、
季節の焦点も、
春の訪れ、春の終わり、
夏の訪れなど
過渡的な時節に置かれる傾向がある。

天象と深く関わるなかで
言葉が意味を持つ。

そのうえ

季節の移り変わりへの興味は、
日本人の生と死のサイクルへの注視と
密接な関係があるだろう。

という面もある。

そういった背景を理解したうえで
英語に訳せるなんて。

ここに書いたことの
繰り返しになってしまうが、
Wikipediaにこんな記述まであることも
ふたつの記事を読むと妙に納得できる。

『雪国』の英訳では、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に貢献した。

実際、川端康成自身、
ノーベル賞の半分は、
 サイデンステッカー教授のものだ」
と言い、賞金も半分渡している

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年4月28日 (日)

元号とエ列音

(全体の目次はこちら


元号とエ列音

- エ列音は格が低い? -

 

「平成」もいよいよあと2日。

ここ数か月の
マスコミをはじめとした
「平成最後の」の連発からも
ようやく開放されることになる。

なにせNHKは、4月19日
「平成最後の満月です」とまで言っていた。
もう救いようがない。

このままでは4月30日には
紅白歌合戦をやってしまうかもしれない。


さて、この4月1日に
次の元号「令和」の発表を聞いたとき、
最初に思い出したのは

丸谷才一さんが、
「元号そして改元」と題して
2004年5月4日の朝日新聞
に寄せていた文章
だ。

A040504maruya_1

丸谷さんは残念ながら
2012年に亡くなってしまったので
もちろん「令和」のことは
何もご存知ないわけだが、
「れいわ」という音を聞いて、
きっとどこかで苦笑いしていることだろう。

丸谷さんらしく
言いたい放題書いている文章だが、
すこし紹介したい。
(以下水色部、記事からの引用)

まず、丸谷さん、
「平成」という元号が
ずいぶん気に入らなかったようだ。

 しかしこの数十年間で
最悪の名づけは平成という年号だった。

不景気、大地震、戦争と
ろくなことがないのはこのせいかも、
と思いたくなる。

とまで書いている。
その理由を「音」から説明している。

日本語ではエ列音は格が低い

八世紀をさかのぼる
原始日本語の母音体系は、
a, i, u, öという
四つの母音から
成っていたと推定される
(大野普『日本語の形成』)。

このため後来のエ列音には、
概して、侮蔑(ぶべつ)的な、
悪意のこもった、
マイナス方向の言葉
はいることになった。

いくつか例を並べている。

アハハと笑うのは朗らかである。
イヒヒとは普通は笑わない。
ウフフは明るいし、
オホホは色っぽい。

しかしエヘヘは追従笑いだ。

エセとかケチとかセコイとか、
例はいくらでも。

なかんずくひどいのがで、
例のガスを筆頭に、
押されてくぼむのはヘコム
疲れるのはヘコタレル
言いなりになるのはヘーコラ
上手の反対はヘタ
御機嫌(ごきげん)とりはヘツラウ
力がないのはヘナヘナ
厭らしい動物はヘビ
と切りがない。

ヘビが厭(いや)らしい動物とは
いったいどういう意味か?
の疑問はさておき、
そして、いよいよ「平成」だ。

ヘイセイ(実際の発音はへエセエ)は
このエ列音が四つ並ぶ

明るく開く趣ではなく、
狭苦しくて気が晴れない。

で、「平成」の次は
「令和(れいわ)」だ。「れ(re)」、
またまたエ列(エ段)になってしまった。

存命であれば
どんなコメントをしたことだろう。

それにしても、
「エ列音は格が低い」なんて
初めて聞いた。
まじめに聞いていいのだろうか?
だからこそ、
心のどこかに引っかかっていて
「れいわ」を聞いた瞬間、
15年も前の記事なのに
ふと蘇ってきてしまったわけだが。

で、最後にひとつオマケ。

 本当のことを言えば、
これを機会に年号を廃止し、
西暦でゆくのが一番いい。

尺貫法からメートル法に
移ったと同じように、
普遍的な制度にするのだ。

たとえば
岩波書店、講談社、新潮社などの
本の奥付はみな西暦で書いてあって、
まことに機能的である。     

ほぉ、と思って
手元の本で確かめてみると、
ちょっとおもしろいことに気がついた。

挙げられたどの出版社も
単行本の奥付は確かに西暦なのだが、
文庫本については
ちょっと事情が違っていた。

岩波と講談社は西暦、
新潮社は和暦。

新潮社が単行本の奥付には西暦、
文庫本の奥付には和暦と
使い分けているのには
なにかわけがあるのだろうか?

どうでもいいことなのに
またまた心のどこかに
小さく引っかかってしまった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年4月21日 (日)

言霊思想と大山古墳

(全体の目次はこちら


言霊思想と大山古墳

- 文字で記録することの意味 -

 

先日、同僚と話をしている際、
我々中年世代が学生時代、
「仁徳天皇陵」として覚えたその名前が
今や教科書から消えている、
ということが話題になった。

今は、
「大山/大仙(だいせん)古墳」
と呼ばれているようだ。
大阪府堺市堺区大仙町という
地名からの呼称のようだが、
それは、被葬者が不明であることの
証でもある。

そう言えば、昨年(2018年)
宮内庁が地元自治体と
初の共同調査を始めることが
ニュースになっていた。
ついに発掘が許されるのであろうか。

「あんなに巨大な墓なのに、
 誰の墓かわからないなんてね」
の言葉を聞いて、以前読んだ
この本のことを思い出した。

加藤徹 (著)
漢文の素養
誰が日本文化をつくったのか?
光文社新書

(以下、水色部本からの引用)

 

この本、
新書ながら内容の濃い本で、
「なぜ被葬者がわからないのか」
に関する話は、導入部の
エピソードのひとつに過ぎないのだが
今日は、その部分にのみ
焦点をあてて話を進めたい。

 

「被葬者がわからない」ということは
「被葬者の名前がどこにも書かれていない」
または
「名前が書かれたものが見つからない」
という意味だ。

それには「言霊(ことだま)思想」が
深く関係しているのではないか、
というのが加藤さんの見解だ。

 そもそも、和語では、
「言(こと)」と「事(こと)」を
区別せず、ともにコトと言った。

すべての言葉には霊力があり、
ある言葉を口にすると、
実際にそういう事件が起きる、と
古代人は信じた。

例えば
「死ぬ」という言葉を口にすると
本当に「死」という事実が起きるし、
自分の本名を他人に知られると
霊的に支配されてしまう、
と恐れられていた。

こういった言葉の霊力を信じる気持ちが
言霊思想だ。

 そんな言霊思想をもつ
古代ヤマト民族にとって、
異国から伝来した文字は、
まるで、言霊を封じ込める
魔法のように見えたにちがいない。

幕末に
西洋から写真技術が入ってきたときも、
「写真に撮られると魂を抜かれる」
という迷信を信じた日本人は、
多かった。

何千里も遠く離れた人や、
数百年も前に死んだ人のメッセージも
正確に伝える文字
というものに対して、
古代ヤマト民族が
警戒心を懐(いだ)いたとしても、
不思議はない。

文字に対する警戒心は、
ほかの民族にもあったようだ。

 文字記録に対する抑制、
という現象は、どの民族にもあった。

 例えば、古代インドでも、
崇高(すうこう)な教えは
文字として記録してはいけない、という
社会的習慣があった。

釈迦の教えも、
弟子たちはこれを文字に記録せず、
口から口へと伝えた。

釈迦の教えを文字にした
成文経典ができあがるのは、
釈迦の入滅後、
数百年もたってからのことである。

現存する仏教の経典の多くが、
梵語(ぼんご)で
「エーヴァム・マヤー・シュルタム」
(このように私は聞いた。
 漢訳仏典では
 「如是我聞(にょぜがもん)」
という言葉で始まるのは、
こういうわけである。

「如是我聞」つまり
「このように私は聞いた」と
始まっているわけだ。

 西洋でも、
崇高なものは文字に写してはいけない、
という発想があった。

例えば、『旧約聖書』の神の名前も、
その正確な発音を
文字に写すことを禁じられたため、

YHWHという「聖四文字」
(ラテン語でテトラグラマトン)の
子音しか伝わらず、
どう母音をつけて読むか、
不明になってしまった。

13世紀以降、キリスト教では
「エホバ」と読む習慣ができたが、
現在ではヤハウェと読む学説が
有力である。

加藤さんは、
中島敦の短編小説『文字禍』を引用し、
古代ヤマト民族も、
「文字の精霊にこき使われる
 下僕(しもべ)」になる危険性

本能的に嗅ぎとり、
漢字文化の摂取を
躊躇したのかもしれない、
と言っている。

この思想は墓誌銘の扱いにも
影響を与えていたはずだ。

古代ヤマト民族は、墓誌銘を嫌った。
弥生時代の甕棺から
漢字を鋳込んだ鏡は出土しても、
被葬者の名前を漢字で書いた甕棺は
出てこない。

3世紀半ばから
古墳が造営されるようになったが、
古墳の墓室内に被葬者の名前や事跡を
文字で書き記すことはなかった

 

文字そのものが全く入ってきていなかった、
というわけではない。

 5世紀の日本
(当時はまだ「倭国」と呼ばれていた)
には、すでに
高度な漢文を書く能力をもつ書記官が
存在していた。

例えば、いわゆる「倭の五王」が
中国の南朝に派遣した使者は、
中国の皇帝に、堂々たる純正漢文の
上奏文を渡している


5世紀当時の倭国の大王は、
その気になれば、
古墳の被葬者の名前を、
墓誌銘なり石碑なりで
明示することは簡単だった
はずだ。

古代の天皇陵の大半は
過去に盗掘に遭い、
副葬品がもち出されたが、
墓誌銘が見つかったという記録は
残っていない。

 日本では、
たった1500年前の古墳でさえ、
その被葬者を確定できない

 

日本の古墳よりもさらに2000年以上も古い
エジプトのピラミッドはどうだろう。

対照的に、エジプトでは、
4000年前の陵でも、
ちゃんと被葬者の名前がわかる


墓のなかにびっしりと、
ヒエログリフ(エジプトの象形文字)で
文字が書いてあるからである。

 

もちろんその影響は、
墓誌銘に留まらない。
加藤さんはこうまで言い切っている。

 3世紀の邪馬台国の所在が
今日も不明なのも、
その場所が示されていないからだ。

すでにその候補地となる遺跡は
いくつも発見されているのだが、
「ここが邪馬台国です」とか
「ここが卑弥呼の墓です」と
文字で書いた遺物なり碑文が
出土する可能性は、
今後も期待できない

 

漢字が日本に入ってきて、受容され、
そして一般的に使われるようになるまで
時間がかかっているのには、
背景にこういった言霊思想が
あったこともひとつの理由なのだろう。

 もし、単に漢字の字形を
まねることをもって漢字の受容と
見なすのであれば、日本人は、
弥生時代から文字時代に入った、
と言うことができる。

ただ、日本人自身が、
自分たちの事跡を
漢字で記録することはなかった。

その意味で、真の漢字文化は、
4世紀ごろまでの日本には
存在しなかった。

文字がまだ威信材だったころ
「事跡(ことと)を文字で記録する」
ことの意味は、
今とは全く違っていた。

言霊や文字の力を
改めて想像してみるのはおもしろい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年3月31日 (日)

仕事のほうがリクエストしてくる

(全体の目次はこちら


仕事のほうがリクエストしてくる

- 与えられた条件のもとで -

 

今日は3月31日。明日から、新学年、
新社会人という方も多いことだろう。

新しい環境での活躍を考えたとき、
いつも思い出すエピソードがあるので、
今日はそれを紹介したい。

参照する本はコレ。

内田樹(著)
街場のメディア論
光文社新書

(以下水色部、本からの引用)

 

内田さんはこんな
「入れ歯」の話から始めている。

これは歯科医の人に
聞いた話ですけれど、
世の中には
「入れ歯が合う人」と
「合わない人」がいる。

合う人は作った入れ歯が一発で合う。

合わない人は
いくら作り直しても合わない。
別に口蓋(こうがい)の形状に
違いがあるからではないんです。

マインドセットの問題なんです。

入れ歯が合う・合わないが
「マインドセットの問題」とは
いったいどういうことだろう。

 

自分のもともとの歯が
あったときの感覚が「自然」で、
それと違うのは全部「不自然」だから
厭だと思っている人と、

歯が抜けちゃった以上、
歯があったときのことは忘れて、
とりあえずご飯を食べられれば、
多少の違和感は許容範囲内、
という人の違いです。

自分の口に合うように
入れ歯を作り替えようとする人間は
たぶん永遠に
「ジャストフィットする入れ歯」に
会うことができないで、
歯科医を転々とする。

それに対して、
「与えられた入れ歯」を
とりあえずの与件として受け容れ、
与えられた条件のもとで
最高のパフォーマンスを発揮するように

自分の口腔中の筋肉や
関節の使い方を工夫する人は、
そこそこの入れ歯を入れてもらったら、
「ああ、これでいいです。
 あとは自分でなんとかしますから」
ということになる。

そして、ほんとうにそれで
なんとかなっちゃうんです。

示唆に富む話だが、
内田さんは、このことは
結婚でも、就職でも、
どんな場合でも同じだと言う。

 このマインドセットは
結婚でも、就職でも、どんな場合でも
同じだと僕は思います。

最高のパートナーを求めて
終わりなき「愛の狩人」になる人と、

天職を求めて
「自分探しの旅人」になる人と、

装着感ゼロの理想の入れ歯を求めて
歯科医をさまよう人は、
実は同類なんです。

能力を発揮するための
「100点の条件を探す」に走ったら
能力を開発するチャンス自体を
自ら失っていることになるのだ。

与えられた条件のもとで
最高のパフォーマンスを
発揮するように、
自分自身の潜在能力を
選択的に開花させる
こと。

それがキャリア教育のめざす目標だと
僕は考えています。

この「選択的」というところが
味噌なんです。

「あなたの中に眠っている
 これこれの能力を掘り起こして、
 開発してください」

というふうに仕事のほうが
リクエストしてくる
んです。

自分のほうから
「私にはこれこれができます」
とアピールするんじゃない。

今しなければならない仕事に合わせて、
自分の能力を選択的に開発するんです。

「仕事のほうがリクエストしてくる」とは
まさに傾聴に値する指摘だ。

与えられた環境、条件からのリクエストに
自分がどう応えながら前に進んでいくのか。
条件と自分自身との共同作業。

「仕事のほうがリクエストしてくる」ことを
聞き逃さない感性と対応力、
そこにこそ、
自分でも意識したことがなかったような
能力開花のチャンスが潜んでいる。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年3月24日 (日)

卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

(全体の目次はこちら


卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

- 時代がみずからを表現するときの<器>として -

 

3月も終盤、
今年も全国各地の卒業式では、
さまざまな言葉が送られたことだろう。

ちょうど一年前になるが、
美術系と音楽系の卒業生、修了生を
送り出している
京都市立芸術大学の卒業式時
学長の鷲田清一さんが
卒業生に送った言葉は
興味深い指摘に富んでいる。

大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に全文が公開されているが、
今年の卒業式以降、
万が一消えてしまうと
あまりにももったいないので
公開されている間に、
印象的な部分だけでも
紹介させていただきたい。
(以降水色部、式辞からの引用)

 

鷲田さんは
美術系の卒業制作、
音楽系の演奏への賛辞のあと
こう繋いでいる。

 ただ,その才能は,あなたがた
一人ひとりのものではありません。

才能(talent)という語には
よくgifted
(「恵まれた」とか「天賦の」)という
形容がなされるように,
それはあなたがたに
贈られたものでもある
のです。

「原石」は,それを磨いてくれる人,
磨かせてくれる環境,
さらにはそれを磨くことに
専念させてくれる人びとの支えが
あってはじめて輝きを得ます。
そういう意味で,
贈られたものなのです。

そして、「贈られた」ということには
もう一つ,別の意味も 含まれていると言う。

贈られたものは
贈り返されねばならない
という,
言ってみれば
「義務」ないしは「責任」のことです。

「義務」や「責任」というと,
日本語では
とても堅苦しい感じがしますが,
「義務」は英語ではobligation。
興味深いことにこの語には
「恩義」や「感謝」という意味も
あります。

(中略)

そして次に「責任」。
日本語では責めを負うといった
厳しい意味でありますが,
英語ではこれはresponsibilityです。

この語を分解すると
respondとability。

つまり誰かの訴えや促しに
応じることができる,

あるいは応える用意がある
ということです。

もういちど言いますが,
才能を贈られた人には,
この贈り返すということが
「義務」ないしは「責任」としてある

ということです。

 

そして、「私」とは
決して独立しているものではなく、
時代や歴史と深く繋がりながら
存在していることを
改めて指摘している。

じぶんの個人的な傷や不安も,
表現行為も,
このようにことごとく
時代のなかにあるということを,
しかと見つめてほしいのです。

 「わたし」というのは,
銘々がそう思っているほど
確固としたものではありません。

「わたし」の表現とは,じつは
「わたし」の存在が負っているもの
すべての表現でもあります。

その意味で
いかにプライベートに見える表現も,
同時に「時代」の表現
なのです。

 そう考えると,
制作する「わたし」,
演奏する「わたし」とは,
じつは時代が
みずからを表現するときの
<器>
のようなものだ
ということになります。

そういう<器>として
「わたし」に何ができるのか

みなさんにはそういう視点を,
いつも持っていてほしいと思います。

 

<器>に繋がる話として、
鷲田さんは、
歴史社会学者の山内明美さんの
エピソードを続けている。
山内さんは
『こども東北学』という本のなかに
こう書いているという。

放射能汚染の不安が
日本社会を覆いはじめたとき,
わたしがいちばんはじめに
感じた違和感
は,
いま起きている土と海の汚染が,
自分のからだの一部で
起こっている
ということを
誰も語らないことだった。

遠くの災いみたいに話をしている。

なぜなら、山内さんは、
震災をきっかけに東北の歴史を
あらためて辿り、
「衝撃をもって」
以下のことに気づいていたから。

かつて冷害や干ばつで
たえず飢饉の不安に苛まれてきた
この地方にあって,
土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと感じる,

そうした土や海と人とのつながりを,
魚や野菜や穀物と人とのつらなりを,
この地の人びとがもっていた

ということです。

そういう人たちであれば,
土や海の汚染も「遠くの災い」ではなく,
わが身の痛みとして感じたはずだ
というのです。

かつてはあった、雨を、
じぶんの体が「福々しく」
膨らむことと感じる
「感受性」。

それもまた重要な<器>だ。

 ここから,
<器>という考え方の持つ,
さらにもう一つの重要な意味が
浮かび上がってきます。

<器>はつねに
何かによって充たされるのを
待っているということです。

芸術についていえば,
先ほども少しふれましたが,
絵画であれ,彫刻であれ,
デザインであれ,演奏であれ,
つねに「表現」ということが
問題にされます。

「表現」とはexpression,
この語を分解すれば,
内にある何かを「外へ」と
「押し出す」ということです。

「表現」行為に
取り組んできたみなさんは,
だから何を「表現」というかたちで
外へ押し出すかを
ずっと考えてこられた
ことと思います。

けれども<器>という考え方は,
これとは違います。
<器>は何か別のものに
充たされるのを待つからこそ,
<器>なのです

先の山内さんは

土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと
感じられるような感受性を
なんとか回復したい
と言っていました。

鷲田さんは強調する。

芸術的な資質とは,
まさにそうしたものでは
ないでしょうか。

詩人がしばしば,
言葉を探すのではなく,
言葉が降りてくるのを待つ
という言い方をするのも,
きっと同じことを
さしているのだと思います。

「外へ押し出す」expressionこそが、
まさに芸術であり、表現だ、
と考えて、悩んできた学生は多いであろう。

その学生への最後のメッセージに、
「充たされるのを待つ<器>」を
説く学長。

問題提起の価値は大きいと思う。

でも,みなさんにはどうか,
芸術を人生の軸として生きるとは,
独創的な表現の
<主体>になることではなくて,
社会の<器>になることだ
ということを
心に留めておいてほしいと思い,
あえて長々しい話をしました。

繰り返しになるが、
鷲田さんの式辞全文は
大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に公開されている。

詳しく読んでみたい方は、
全文を参照下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年11月25日 (日)

川端康成の小説『雪国』の冒頭

(全体の目次はこちら


川端康成の小説『雪国』の冒頭

- 日本語での視点、英語での視点 -

 

2018年11月16日の朝日新聞に
多和田葉子さんが「全米図書賞」を
受賞したという記事があった。

その記事のなかに、
「日本の現代文学では、
 71年に翻訳部門(当時)で
 ノーベル文学賞受賞者の
 川端康成「山の音」が
 サイデンステッカー訳で選ばれて以来」
との記述が。

A181116seidensticker

「サイデンステッカー」で
思い出したエピソードがあるので
今日はその話を書きたいと思う。

サイデンステッカーさん、ご存知だろうか?
Wikipediaにはこんな記述まである。

『雪国』の英訳では、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に貢献した。

実際、川端康成自身、
ノーベル賞の半分は、
 サイデンステッカー教授のもの
だ」
と言い、賞金も半分渡している

つまり、非常に信頼の篤い翻訳者だ。

そのうえで、この本を覗いてみよう。

金谷武洋(著)
英語にも主語はなかった
-日本語文法から言語千年史へ-
講談社選書メチエ

(以下水色部は本からの引用)

 

まず、川端康成の小説『雪国』の冒頭と、
それを訳した
サイデンステッカーの訳とを並べてみよう。

(1)
 国境の長いトンネルを抜けると
 雪国であった。

(2)
 The train came out of the log tunnel
 into the snow country.

 

小説を読んだことがない人でも知っている
有名なフレーズだ。

「国境の長いトンネルを抜けると
 雪国であった」

では、この情景を絵に描いてみよう
もちろんどんな絵になるかは
人によって様々だろうし、
「正解」があるわけでもない。

でも私にはこんな情景が浮かぶ。

主人公と自分が同化するかのように、
汽車に乗っている情景
トンネルは暗く、長く、続いている。
やがてすこし明るくなってくる。
トンネルの出口まであとわずかか。
そう思った次の瞬間、
真っ暗だった車窓が一変。
一面の銀世界が広がっている。

そんな感じだ。

 

続いて英語の方を見てみよう。

The train came out of the log tunnel
  into the snow country.

直訳すると
「汽車は長いトンネルを抜けて
 雪国へと出てきた」
これで絵を描こうとすると、
視点は山の上、トンネルの出口あたり
見下ろしながら、雪景色の中に
汽車がでてくる絵になってしまう。
少なくとも「私」は
汽車には乗っていない。

 

このお絵描き、本によると、
「シリーズ日本語」というNHKの番組内で、
実際にやっていたらしい。

数人の英語話者をスタジオに招いて,
この文から思い浮かぶ情景を
絵に描かせていた。

さて、どんな絵が描かれただろう。

全員が上方から見下ろしたアングルで
トンネルを描いている


明らかに話者の視点は
「汽車の外」にある。
トンネルからは列車が頭を出しており,
列車内に主人公らしい人物を
配した者もいた。

私は英語話者ではないが、
思い描いた絵は
まさに同じだったことになる。

金谷さんは、この違いをとらえて、

英語(欧米語)
  不動の「神の視点」で物事をとらえ、

日本語
  常に移動する「虫の視点」
  物事をとらえる、

と解説しているが、
私自身はこの解説にあまり興味はない。
(もし、ご興味があるようであれば、
 上記本を参照下さい)

 

私が興味をもったのは、この対比を通して
「国境の長いトンネルを抜けると
 雪国であった」
を読んだ瞬間に、
自分の視点が「汽車に乗っている」ことに
改めて気がついた点だ。

「乗っている」を決定付ける記述は
どこにもない。
なのにどうしてそう思うのだろう?

短い一文で、その情緒的な気分が
まだ登場さえしていない人物と
一瞬で共有できるなんて。

そして、ご存知の通り
日本語のほうは
「夜の底が白くなった」と続く。

もはや英文がどうなっているか
覗いてみよう、という気にすらならない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年11月11日 (日)

オーストリア旅行記 (64) 同じ時代を生きて

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (64) 同じ時代を生きて

- 棒年表と6言語 -

 

2017年8月27日から1年3か月にわたって
続けてきた「オーストリア旅行記」も
今日で64回目。

ソフトウェアエンジニアとしても
区切りのいい数字(!?)となったので
前回の予告通り、旅行記としては
本記事にて最終回としたい。

ザルツブルクでの
サウンド・オブ・ミュージック・ツアーの
ことを書いた日々が妙に懐かしい。

 

(1) 同じ時代を生きた人々
言うまでもなくウィーンは音楽の都。
これまでこの旅行記本文に登場した
ウィーンゆかりの音楽家を
棒年表で並べてみた。
(数字は生年と享年。
 色は60歳までは20年区切り)

Musician_a

音楽家の名前は赤で。
音楽家以外でウィーンにゆかりのある人々も
黒字で一緒に並べている。
各人の棒の重なり具合を見てみると
どのくらい同時代を生きたのかが
よくわかる。

ちなみに生年の差、
つまり[何歳違い]かを入れて
並べてみると

   ハイドン
[24]
   モーツァルト
[24]
   ベートーヴェン
[27]
   シューベルト
[14]
   リスト
[14]
   ヨハン・シュトラウス2世
[ 8]
   ブラームス
[27]
   マーラー
[14]
   シェーンベルク

みごとに30年以下の間隔で
大作曲家が繋がっている。

 

(2) エミレーツ航空の
  お手洗いに貼ってあったステッカー


第1回の記事の中で、
エミレーツ航空のお手洗いに貼ってあった
赤いステッカーに触れた。

P7107598s


このステッカーだ。

P7107599sas

6言語が並んでいながら
その中に英語がない。
なので、
いったいどんなことが書いてあるのか
さっぱりわからない。

英語がないということは
英語が読める人に対しては
「必要ないメッセージ」
ということなのだろうか?

だとしたら、
どんなことが考えられるだろう?

たとえば、イスラム教の人たちに
「ここではお祈りをしないで下さい」
とか。

 

本旅行記、
個人の小さなブログながら
書いたものを制限なく一般公開しているので
いろいろな方を
読者として迎えることになる。

そんな中、
このステッカーに興味を持ち
「何が書いてあるの?」と
ご自身のFacebookで問いかけて下さった
ありがたい方が現れた。

なんとうれしいことだろう。

すると、わずか数日の間に
70を越えるコメントがついた。

「インドの諸言語の文字かとおもいます。
 お力になれずごめんなさい」

というものももちろんあるが、

「一番上は5回くらい習得に失敗して諦めた
 アラビア語だと思います。
 語頭に定冠詞のalがついてるので」
などから始まり

「Alがあればあきらかにアラビア語ですね!」
と、どんどん展開。

「テキストデータに変換で一苦労。
‎يرحى الصعط علبى الزر لعسل داحل المرحاص بالماء
 」
と言いながら変換してくれる人まで登場。

「でもってGoogle翻訳」に。

 

結果はコレ!

Etrans_s

英語に翻訳された文の
ハニー(honey)が笑えるが、
意味のほうは、大きな(!?)期待に反して
「ボタンを押して水を流して下さい」
という超シンプルなものだった。

それでも、コメントは続いてゆく。

「ボタンを押して
 (トイレを)流してください。
 クラスメートのシリア人に聞きました」

スリランカ語で下記の意味
 『トイレ終わった後に
  以下のボタン押してください』」

「パキスタンからも返事がきました
 ウルドゥー(語)は、
 『(トイレを)使用後は
  ボタンを押してください、
  ありがとうございます』
 だそうです」

ヒンディー(語)
 「ほぼ同じ」だそうです」

ヒンディー語を英訳すると
「Press button for cleaning toilet」

結局まとめると、

 1 アラビア語
 2 ヒンディー語
 3 タミル語
 4 ベンガル語
 5 スィンハラ語(スリランカの言葉)
 6 ウルドゥー語

での記述と思われ、
こまかいニュアンスの違いまでは
もちろんわからないが、
大意はどれも同じようだ。

その後、コメント欄は
各国のお手洗い事情で盛り上がる。

「各国トイレ事情はけっこう面白いです。
 10年くらい前に都内で勤めていた
 日本語教育機関では、
 大量の使用済みトイレットペーパーが
 汚物カンから
 溢れ出ていたことがありました。

 また、洋式便器の使い方がわからずに
 便座の上に立って用を足してしまう女性
 珍しくなかったようです
 (よく靴の跡がついていたのでw)」

「15年前に勤めていた某国某大学では、
 旧校舎のトイレは
 一日一回まとめて流されていましたw


 日中うっかり下を見てしまうと、
 それはそれは
 色々なものが落ちていました(^_^;」

「ロンドンの学生寮(トイレ共同)では、
 インドパキスタン系の学生が使った後は
 便座がびしょびしょだったり
 トイレの床が水浸しになっていたりで
 (彼らはペットボトルを持ち込んで
  お尻を水で洗わないといけないので)、
 その問題で寮会議にまでなった事もw」

「マレーシアでちょくちょく見かけたのは、
 おそらく用を足してビデで洗ったときに
 ズボンがびしょびしょになり、
 そのまま歩いている人
です。
 いかにも、という部分が
 びしょびしょなのですw

 でも30分もすれば日光で乾くので、
 周りも特に凝視している人は
 いませんでした。」

「ドイツは硬水のため
 ウォッシュレットが
 普及していないそうです
 (壊れてしまうそうです)。

 日本も日本食も恋しくならないけれど
 ウォッシュレットはほしい
 今日この頃です」

 

これだけ実のあるコメントが
わずか数日で集まってくる
Facebookで問いかけて下さった方の
「人脈」に
感謝とともに驚きを禁じ得ない。

賢明なる読者に助けられ、
旅行記での宿題のひとつが
意外な形で片付いてスッキリ!
結果自体はシンプルなものだったが、
その過程は実にエキサイティングで
ワクワク感をおおいに楽しむことができた。
まさに同時代に、今この世界のどこかで
共に生きている人々の声は
ネットを通しても「生きている」。

 

そう言えば、コメントの中に
こんな言葉があった。

赤いステッカーについての
活気あるやりとりを
眺めていた人からのコメントだったが、
オーストリア個人旅行という
たったひとつのネタで
64回も書いてしまったこの旅行記
全体へのコメントのようにも
思えてしまったので、
「最後の言葉」として
そのまま引用させていただきたい。
(下記緑色部が引用)

長い間、
お付き合いありがとうございました。
旅行記は一旦終わりにしますが、
ブログの方は「はまめも」から
再開したいと思っています。

 

「がははー!!
 このネタ一つで、
 こんなに熱くなれるとは、素晴らしい!
 日常の小さな幸せとは、
 こんなものですかねぇ 笑」

 

オーストリア旅行記 完

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年10月28日 (日)

オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

- ベートーヴェンの散歩道もいっしょに -

 

Heurige(ホイリゲ)とは、
今年の」という意味。
今年できた新しいワインを指すと同時に
ホイリゲを飲ませる酒場
ホイリゲと呼ばれているようだ。

ウィーン郊外の
Grinzing(グリツィング)
Heiligenstadt(ハイリゲンシュタット)
とよばれるエリアに
ホイリゲが多いというので
路面電車でグリツィングに行ってみた。

ウィーン市街から30分弱。
バスのように細かく停車しながら行くので
決して速くはないし、
移動距離自体もたいしたことはないと
思うのだが、それでも車窓の景色は、
どんどん変化していく。

P7169467s

終点となっているグリツィングは
落ち着いた静かな街だった。

居酒屋が並ぶ賑やかな通り、
といった雰囲気は全くない。
ウィーン市街地の喧騒から
そう遠くない位置にいるのが
ウソのよう。

P7169470s

石畳の小さな脇道も
ちょっと物語を感じさせる。

P7169468s

 

ホイリゲつまり
「新酒ワイン居酒屋」の
一軒に入ってみた。
バッハヘングル(Bach-Hengl)

P7169474s

外が気持ちよさそうだったので
緑の多い屋外席に。

子連れの家族もいる。

P7169475s

頼んだのはいろいろ味わえる
「肉料理の組合せプレート」。
例によってすごいボリュームだ。

P7169484s

酒のほうは、
ホイリゲの名前の通り
今年の(?)白ワイン。
飲んでみると
確かに味が「若い」。

P7169476s

ガイドブック等には、
「ジョッキで出てくる」と
書かれていることが多いのだが、
注文の仕方が間違っていたのか、
ここのお店がそうなのか
ワイングラスで出てきた。

なお、ホイリゲでは、
Gespritzter(ゲシュプリツター)と呼ばれる
なんとワインを炭酸水で、
しかも1対1の割合で割った飲み方

あるというので頼んでみた。

すると
ワインと一緒にこんな炭酸水がでてきた。

P7169477s

沸騰しているお湯でも
見たことがないほどの泡、泡、泡。
いったいどうすればこんな強烈な
炭酸水を作ることができるのだろう。

それでなくても「若い」ワインを
炭酸水で割ってしまうので、
まさにガブガブ飲めてしまう。

 

しばらくすると、
バイオリンとアコーディオンの
陽気な生演奏が始まった。

P7169478s

ホイリゲで奏でられる昔ながらの曲は、
「シュランメル」と呼ばれている。
19世紀末にシュランメル兄弟が演奏して
ウィーン中に広まった大衆音楽。

民謡風であったり、
ワルツ(舞曲)風であったり、
ハンガリー風であったり、と
酒場に合う曲が多いが、
ちょっとメランコリックな部分もあって
そこに独特な味がある。

P7169480s

演奏は各テーブルを回り
リクエストにも応えている。

雰囲気だけ貼っておこう。

 

大人の会話(?)で盛り上がっている
テーブルもある。
なんともいい雰囲気だ。

P7169485s

なお、このお店、
有名店なのか
各国著名人が訪問した際の写真で
店内の壁一面が埋め尽くされていた。

P7169488s

ブッシュやらプーチンやら
大統領級もゴロゴロいる。

P7169490s

 

食事のあとは、
お屋敷と呼びたくなるような

P7169495s

大きな家が並んでいる
高級住宅地(?)を通りを抜けて

P7169496s

「ベートーヴェンがよく散歩した」
という道まで行ってみた。

道に沿って
今は小さな公園もあり
緑豊かな中、子どもたちは
バスケットボールを楽しんでいた。
「ベートーヴェンパーク」!?

P7169500s

公園内には銅像もある。

P7169501s

付近には、
ベートーヴェンが第九を書いたり
遺書を書いたことで知られる家まであり
ベートーヴェンゆかりの地として
小さな案内板も出ている。

P7169503s

この道を散歩しながら
交響曲第6番「田園」を書いたと聞くと
後ろに手を回して、うつむき加減に
ゆっくり歩いてみたくなる。

P7169504s

訪問した時間が遅かったため
暗くなってきてしまい
「日没タイムアウト」という
感じになってしまったが、
緑豊かな雰囲気だけは
十分感じ取ることができた。

楽しい居酒屋と豊かな緑、
そういう空気の中で、
「田園」が生まれ、
「合唱付き」が生まれたのだ。

 

十月革命から逃れるために
家族とともに米国に亡命した
ロシアの作曲家ラフマニノフは
その後5年以上にもわたって
作曲することができなかった。

その理由を聞かれて
こう言ったという。

「どうやって作曲するのですか?
 私はもう何年ものあいだ、
 (懐かしい故国ロシアの)
 ライ麦畑のささやきも
 白樺のざわめきも
 聞いていないのですから…」

(詳しくはここを参照下さい)
作曲には「環境」が必要なのだ。

ベートーヴェンが感じた風と緑が
そのままここにある。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ