言葉

2021年9月19日 (日)

三浦綾子「続 氷点」からの一文

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三浦綾子「続 氷点」からの一文

- 残るのは「与えたもの」 -

 

朝日新聞の夕刊(2021年8月4日)
「時代の栞」というページで
1965年に刊行された
三浦綾子さんの小説「氷点」
のことが取り上げられていた。
(以下緑色部、記事からの引用)

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1963年元日、朝日新聞の一面に
「新聞小説募集 入選作に一千万円」
という見出しが躍った。
・・・
大学卒の国家公務員の初任給が
1万7千円前後だった時代の話だ。

すごい賞金を用意したものだ。
2021年の大卒国家公務員の初任給は
23万円強だから、
今なら「賞金 1億3千万円」
ということになる。

当選後、1964年12月に新聞で連載開始。
小説は大ヒット。
原作をもとに制作されたTVドラマは
関東でのテレビ占拠率が66.6%に
のぼったという。

1970年「続 氷点」連載開始。

57年も前のことゆえ、
さすがにリアルタイムで
連載小説を読んだわけではないが
のちに本で読んだ小説は
強く印象に残っている。

そのあらすじや宗教的な背景について
本ブログで触れるつもりはないが、
この小説に関しては、
どうしても紹介したい言葉があるので
今日はその部分のみ
ピックアップしておきたい。

言葉は「続 氷点」から。

三浦綾子 (著)
 続 氷点
角川文庫
(以下水色部、本からの引用)

紹介したいのは次の一文。

一生を終えてのちに残るのは、
われわれが集めたものではなくて、
われわれが与えたものである

なんとも深い言葉ではないか。

ついつい集めてしまいがちだ。
所有しようとしてしまいがちだ。
でも、集めたものは
その時、本人にとって価値はあっても
最終的にはどこにも残らない。

一方で、与えたものはどうだろう。
それはもちろん金品に限らない。
与えたものは、
形を変えながらも
いろいろな形で残り続ける。

以前、本ブログ、
バーンスタインの指揮
と題した記事の中で
 If you love something, give it away.
「何かを愛しているなら
 それを与えること
という言葉も紹介した。

「与える」ことで
生涯を越えて永く残り続ける。

だからこそ、愛しているものほど
「与える」ことに意味があるのだ。

何度でも振り返りたい言葉のひとつだ。

 

 

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2021年8月 8日 (日)

「相寄る魂」が作った一冊

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「相寄る魂」が作った一冊

- 立花隆さん、18年後の出版 -

 

ジャーナリスト、ノンフィクション作家の
立花隆さんが、今年(2021年)
4月30日に亡くなっていたことが
6月になってから明らかとなり、7月には
様々な分野からの追悼記事を
目にすることになった。

立花さんは、
政治、宇宙、生命、サル学、臨死体験等々、
多くのテーマに取り組んで
作品を発表してきたが、
徹底した下調べをベースに展開される
内容の濃い本は、どれも
「知の巨人」と呼ばれることが
決して大げさではないことを
痛感させられる、すばらしいものだった。

立花さんの人柄や偉業については
交流のあった方々からの追悼記事で
詳しく紹介されているので、
今日は、少し違った角度からの
エピソードを紹介したい。

以前、本ブログで、
千枚のラブレターと題して、
若かりし立花さんの
ラブレターエピソードを
紹介したことがある。
センセーショナルな著作
「田中角栄研究」の
「まえがき」
にあった
ちょっと意外な(?)思い出話だ。

今日の話は、
立花さん76歳のときの著書
「武満徹・音楽創造への旅」
の「おわりに」
からの
エピソードだ。
(以下水色部、本からの引用)

「武満徹-」は、雑誌「文學界」で
約6年わたって続いていた連載を
まとめたものだが、
連載は1992年-1998年なのに、
出版は2016年。

18年もの隔たりののち、
二段組で780ページにおよぶ大著が
なぜ形になったのか。

そのきっかけになったのは
私が生涯の友と思って
長い間付き合ってきた
O・Mなる女性の死である。

 

O・Mさんは、
あらゆるがんのうちで
最強最悪のがんと言われる
甲状腺の未分化がんだった。

彼女とは長い付き合いがあったので、
最期の二週間ほぼフルに付き添った

 

立花さんと彼女は
8年に渡るがん友だったという。

ほぼ同時にがんになり、がんのこと、
その他もろもろを
しょっちゅう語りあってきた。

しかし今回は側にいても
何もしてやれなかった。

できることは「好きだよ」といって
毎日手を握るだけだった


「治ったらあそこに行こう、
 ここに行こう」と
できもしない夢を一方的に
語るだけだった。

できもしない夢にもニッコリ笑って
うなずいていた。

 

O・Mさんは武満徹さん作曲の名曲
「ノヴェンパー・ステップス」の
尺八奏者・横山勝也さんの高弟子の一人
だった。

本職は箏のお師匠さんで、
尺八は吹かないが、
三味線、胡弓をよくし二胡も弾いた。

箏は華麗で美しく、
地唄、小唄、端唄、
清元の江戸歌謡にも見事な色香があって
男を魅了した。

天はこの人に二物も三物も与えていた

らしい。
邦楽に詳しいO・Mさんには、
連載時、多くの助言解説で
助けてもらっていた。

 

「相寄る魂」という言葉があるが、
彼女との仲はまさにそれだった。

激情をもって愛しあう男と女の間の、
ホレタハレタ的な動きは何もなかったし、
口説き口説かれ的な言葉のやりとりも
全くなかったが、いつのまにか、
二人はごく自然にくっつき、
ただくっついているだけで幸せだった

死の直前、声を失ったO・Mさんの
「あの本お願いね」のくちびるの動き
立花さんは見逃さなかった。

「あの本お願いね」
この言葉が立花さんの心に火を点けた。

この本を完成させないうちは、
向うに行って武満さんに会っても
O・Mに会っても顔向けできないと
思っていたが、
O・Mの没後わずか数週間で
本書を一気完成させることができた。

彼女にはほらちゃんと持ってきたよと、
早く言いたかったのだ

76歳でのこの集中力、このパワー!

立花さん、O・Mさん、
そして武満徹さん、
今頃は分厚い本を囲んで
談笑していることだろう。

立花隆さん、享年80。
お三方のご冥福を改めてお祈りいたします。
合掌。

 

 

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2021年7月25日 (日)

片足と一本足は大きく違う

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片足と一本足は大きく違う

- そして、生まれかわって行く思索 -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない
 * 女帝エカテリーナの偉業
 * ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

を紹介してきたが、
長くなってしまったので
今日で一区切りとしたい。

 

これまで紹介した内容以外にも

外面的な文法形式を
持つことが少なければ少ないほど、
逆にそれだけ、
内的な文法形式は豊かである

といった、
書き手(話し手)だけでなく
読み手(聞き手)との関係も含めて
言語とその変遷を捉えるような
大きな問題提起から

 「片目」のことを
 印欧語では一つの目というが
 ハンガリー語では半分の目と表現する。

 日本語の片目や片足も同じ発想


といった
具体的な単語を通して、
言語の共通性を考えてみるような話題まで
いくつもの視点を提供してくれている。

ふたつで全部と捉えているから片目、
ふたつで全部と捉えているから片足。
背景にあるものの捉え方がにじみ出ている。
無意識に使い分けてしまっているが、
片目と一つ目、
片足と一本足、
は大きく違うのだ。

そんな中、最後の言葉は特に印象的だ。

 

本書では
言語学の基盤に「民族」をおいた
ロシアの
ニコライ・トルベツコーイ(1890-1938)に
多く触れている。

また最終段では、
ジュネーヴという環境で、
ドイツ語を母語とする学生が
フランス語で論文を書くときに出会う
困難について
学生からの相談にのったのがきっかけで
『一般言語学とフランス言語学』
(初版1932年)という書を著した
シャルル・バイイという言語学者も
登場している。

そして、バイイがトルベツコーイに
与えた影響についても。

寡聞にして私は二人の名前を
本書で初めて知ったレベルなので
その業績の偉大さは全くわかっていないが、
田中さんは、ふたりを紹介したうえで
こんな言葉で締めくくっている。

そしでこの二人の巨匠の協働は
かならずや「比較民族文体論」
とでも呼ぶべき新しい領域の開拓に
向かったのではないかと
期待の夢はひろがって行くのである。

すでにこの世に居ないこの二人に、
私はあえて「期待する」と言いたい


その期待の夢を実現するのは、
もちろん、
現代に生きている私たちである。

私たちは二百年、三百年前の
著作を読んで胸をうたれ、
夢をふくらませる。

このようにしてことばの思索は
絶え間なく新しい生命を得て
生まれかわって行く
のである。

亡くなった方に期待している。

それは、
亡くなった方の著作が、思索が
その影響を受けた
のちの世の人たちによって
生れかわって行くことになるから。

そういう世代を越えた
発展と生まれかわりこそが
学問であり、うれしい「期待」だ。

 

 

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2021年7月18日 (日)

ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

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ラ行で始まる単語がない。ロシアはオロシアに。

- キャンベルさんの言語感覚 -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない
 * 女帝エカテリーナの偉業

を紹介したが、
目に留まったトピックスの紹介
もう少し続けたい。

 

アルタイ諸語、アルタイ語族についての
詳しい説明はここでは省略するが、これらは
トルコ、中央アジア、モンゴル、
そしてロシアの一部と、
まさにユーラシア大陸を広く横断し、
そこには日本語や朝鮮語も含まれることが
提案されてきた重要な言語群だ。

田中さんも日本語について

単純にアルタイ諸語だとは言いきれない

と慎重に書く一方で

私などは、日本語の中には
いつくものアルタイ的特徴が
濃厚に認められるから
基本的にアルタイ語だと考えている。

とも書いており、基本的に
アルタイ諸語にグルーピングされて
話は進んでいる。

そんなアルタイ諸語の特徴について
こんな特徴の記述があった。

たとえばアルタイ語には
「ラ」行(r-)ではじまる単語がない

子どものころ、しりとりをすると
いつもラ行で苦戦していたことが
急にありありと思い出される。

そうか、もともと単語がなかったのか。

ラ行ではじまる単語は、
日本人は自分では作れず、
ほとんどが外国語からの借用である。

なので

ラ行ではじまるオトを
無理して発音すれば、
その前にどうしても母音が入って、
たとえばロシアはオロシアとなる。

幕末から明治を舞台にしたドラマに
よく登場するあの国の名前が
いつもオロシアとなっているのは
こんな理由があってのことのようだ。

ハンガリー語では
いまでもロシアをオロス(Orosz)と言い、
これはモンゴル語も同様
である。

「ラ」行(r-)ではじまる単語がない
こんな共通点があるなんて。

この件に関して、
こんなエピソードまで添えている。

「令和」という
新しい元号が発表されたとき、
私は、こんなラ音ではじまる
本来の日本語にはなかった発音様式は、
「国粋的」ではない、
困った名づけだと思った。

するとあるとき、深夜のラジオで
ロバート・キャンベルという
アメリカ人の日本文学の研究者が、
レイワは、外国人が
発音するには問題がないけれど、
日本人にはどうでしょうか

話していた。

(中略)

キャンベルさんは明らかに、
古代日本語の音韻体系を
念頭に入れて話していた
のだ。

こういった日本語の
歴史を含めた言語感覚までをも
身につけてしまう才能、
表面的ではない深い学習内容。

以前、本ブログでも
キャンベルさんと井上陽水さんとの
対談を
ただあなたにGood-Bye
と題した記事で取り上げたりもしたが
キャンペルさんの日本語の知識と
その言語感覚には驚かされるばかりだ。

 

 

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2021年7月11日 (日)

女帝エカテリーナの偉業

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女帝エカテリーナの偉業

- 200言語の比較語彙集を -

 

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から

 * フロマージは元フォルマージ
 * ロシア語には「熊」がない

を紹介したが、今日はそれに続く3回目。
スケールの大きな話を紹介したい。

 

現実にある言語の多様性に、
つきることのない好奇心を抱き、
それをロシアの所有になった
シベリアの諸民族のもとに、
実際に調査させようと企てた

のは、
ドイツの数学者、
ライプニッツ(1646-1716)

だった。

ライプニッツは

ことばにはさまざまなものがある
(リクツから言えば、
 いくつものことばがあるのは
 人類にとってムダなことなのに)
ことに深い関心を寄せ、

(中略)

ロシアのピョートル大帝(1672-1725)に、
征服したシベリア一帯の言語を
調べるよう促していた

が、それは、ロシアを治めた女帝
エカテリーナ二世の時代に
実現する
ことになる。

シベリアの諸言語の
調査をひきうけたのは、
ベルリン生まれの
P・S・パラスというドイツ人であった。

1787年と1789年に刊行された
全世界言語比較語彙
(Linguarum ToriusOrbis
 Vocabularia comparativa)

200の言語だの方言だの
単語の比較語彙集であった。

ロシアの女帝になったドイツの女が、
言語学に全く新しいページを開く、
歴史的な大事業を達成したのである。

200の言語の調査!

女帝エカテリーナとは、
どんな人物だったのだろう?

工カテリーナ女帝自身は、
ドイツの田舎貴族の出身であったが、
結婚させられた夫のピョートルが
大人になっても、おもちゃの兵隊の
人形遊びをしているような
頼りない夫だったので、

こんな男に
ロシアをまかせてはおけない


自分こそが
ロシアの母にならなければならない
と考えて
ロシア語を身につけ、
ロシアの学問を統合推進するための
科学アカデミーを作ったりして、
ロシアを世界の一流国にするために
大いに尽力した
のである。

アンリ・トロワイヤの
『女帝エカテリーナ』
(上・下、工藤庸子訳、中公文庫)

が紹介されているので、
今度読んでみたい。

どこかハプスブルク家の
女帝マリア・テレジアを髣髴させる。

ちなみに生没年は
 エカテリーナ(1729-1796)
 マリア・テレジア(1717-1780)
偶然にも同時代に生きていたことになる。

大きなアウトプットは
続く時代にも
大きな影響を与えることになる。

こうしてできたパラスの
『語彙集』が刺激となって、
さまざまな未知の言語を集めた
博言集が現れることになった。

有名なものに、
ドイツ人のヨーハン・クリストフ・
アーデルンクが 
『ミトリダーテス』に、
約500の言語、方言の見本を集めて、
1806-17年にかけて
刊行した
ことが知られている。

ミトリダーテスとは
古代ギリシアの王様の名前で、
この人は征服した22の民族のことばを
話すことができた
と伝えられ、
この語彙集の名は、その多言語に通じた
人の才にたとえたものであろう。

500言語の博言集、
22の民族のことばを話す王、
寡聞ゆえとはいえ驚かされるばかりだ。

 

 

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2021年7月 4日 (日)

ロシア語には「熊」がない

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ロシア語には「熊」がない

- 元の言葉が忘れられてしまう -

 

前回の、
 * フロマージは元フォルマージ
に続いて、

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

から興味深いトピックスを。
今日は、
簡単なひとつの単語をきっかけに
奥の深い世界を感じてみたい。

 

言語学でよく話題になるのは、
クマと
あれだけなじみの深いロシア語に、
元来あったはずのクマを表す単語が
実証されてない
ことだ。

えっ、どういうこと!?
クマを表す単語がないの?
一文で引き込まれてしまう。

 

ロシア語でクマを表す単語は
メドヴェーチという
(ロシアのえらい人の名に
 メドヴェーデフという名が
 よく登場するが、
 これはクマさんという意味だ)。

メドが蜂蜜で
ヴェーチは「食うやつ」であり
今では本来のクマにあたる単語は
あとかたもなく消え去り、
この「蜂蜜を食うやつ」という
言い方しか残っていない

田中さんは、
こんなを思い出話を添えている。

私の子ども時代でも、
夜になってネズミということばを
言ってならない

祖母にたしなめられた。

とりわけ「夜、ネズミの悪口を
言ってはならない」と。

ネズミどもが聞いてて、
夜のうちに現れて
米を食い荒らしてしまうからと。

実際に着物がずたずたに噛まれて、
破れていたことがあった。

こういうのを言語学では
「タブー語」ということになっている。

タブーにしている間に、
もとのことばが
忘れられてしまう
というのである。

クマについても
もともとそれを指す単語があったはずだ。

ところが、人々が

クマに話を聞かれるのを
人間がおそれて口にしなくなった

ため、婉曲に呼んでいた
「蜂蜜を食うやつ」
だけが残って、元の単語が
忘れ去られてしまった、
と考えられているようだ。

スラブ人は
よほど迷信深かったのだろう。

ゲルマン語世界には、
ベルリン(Berline)とか
ベルン(Bern)とか、
都市の名前にもber-(クマ)が起源と
考えられる名前が残っているのに
と思ったが、
ふと、次のようにも考えてみた。

このゲルマン語のベアも、
もとは茶色を指すこの語で
本来のクマ(ラテン語ではursus)を
かくしてしまった
のかも知れないと。

 

タブー語について、
集めてある本もあるようだ。

フレイザーの『金枝篇』には
こういう話がたくさん集めてある。

たとえばバナナを食べたあと、
むいた皮を
道端などに捨ててはならない。

その皮を拾って呪いをかけると、
バナナを腹におさめた人間のからだに
大きな害となって現われるからだと

以前、
このブログでも
言霊思想と大山古墳
という記事で、
「言霊思想」に触れたことがある。

まさに、

ことば、単語を
単にモノを指すだけのものとして、
単なる物質のように
軽々しく扱ってはならない

のだ。

 

 

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2021年6月27日 (日)

フロマージは元フォルマージ

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フロマージは元フォルマージ

- 文字があるから変化が残る -

 

言語学者、田中克彦さんの
人文学と学問への熱い言葉は、
本ブログでも
大学が学生に与えるべきもの
で以前紹介させていただいた。

「ことばと国家」岩波新書

を始め、
言語に関する名著の多い田中さんだが、
この4月(2021年)

田中克彦 (著)
ことばは国家を超える
―日本語、ウラル・アルタイ語、
 ツラン主義

(以下水色部、本からの引用)

という本を出版したというので
早速読んでみた。

他の著作同様、
広くて深い知識に支えられた内容は
たいへんおもしろいものだが、
一番驚いたのは、その書きっぷり。

田中さんも80代後半となり、
本が書ける時間もそう長くは残っていない
とでも思っているのか、
批判というか、皮肉というか、悪口まで
とにかく書きたい放題書いている。

「ことばと国家」などのトーンとは
全く違う世界。
いい意味で
「変化を楽しめる一冊」となっている。

 

そんな中から、
いくつか興味深い話題を紹介したい。

まずは小さなネタから。

 

デンマークの言語学者
オットー・イェスペルセンは、
言語変化は子どもが起こす
という説を出した

子どもを育てていると、たしかに
「こども」を「コモド」
という種類の言い間違いを
よく耳にする。

こういう例は、たとえば
フランス語にもあるらしい。

今日、チーズのことを
フロマージというが、
昔はフォルマージと言った


木の枠のような型(フォルム)に入れて
固めるからこう言っのだが、
オトの位置が入れ替わったために
フォル-(for-) が フロ-(fro-)に
なったのだ


日本語で古くはアラタだったのが、
アタラ-シイになったのも
同様なりくつだ。

「for」と「fro」、
「あらた」と「あたら」、
1文字目と2文字目が
ひっくり返るところが同じ、
というのがおもしろい。

こういうネタは、
「言い間違い」として、
「音」が語られているわけだが、
音が記録できるようになったのは
つい最近のことだ。

こういういうことがわかるのは
文字の記録が
残っていたおかげ
であって、
文字のない社会だったら、
いつどのようにして
このような変化が起きたのか、
たしかめようかない。

「音」は残っていない以上、
まさに「文字」が記録として、
重要なのだ。

文字が持つ
「変化の記録」という側面

改めて気付かされる。

 

私はことばの研究者は
なるべく子どもをもって、
人間がことばを獲得していく
あの黄金のような時代を
観察する機会をもつように
すすめたい。

と言っているのは、
田中さんがよく言う
「現場」感覚が大切
という気持ちに基づくもの
だと思うが、

しかし子どもたちの「改新」作業は
学校に入ったとたん
教師たちによって消毒され、
退治されてしまう
のである。

学校教育の功罪は
いろいろな言葉で語られるが、
子どもたちの自然な変化が
「消毒」され「退治」されてしまう
と表現しているのは初めて目にした。

おもしろい表現だ。
メモっておきたい。

 

 

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2021年4月 4日 (日)

「名著」ではなく「名書」の視点から

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「名著」ではなく「名書」の視点から

- 書物が内容を光り輝かせる -

 

自治体の公共図書館のうち、
「電子書籍貸出サービス」を実施している
図書館は、
電子図書館(電子書籍貸出サービス)実施図書館
で簡単に調べることができる。

2021年01月01日現在
 ・実施自治体 143自治体
 ・電子図書館 139館
で電子図書を利用できる。

驚くべきはその増加数。
3ヶ月前の2020年10月01日との比較で
 ・実施自治体 +29
 ・電子図書館 +28
とまさに発展途上。

もちろん、書籍の電子化には
多くのメリットがあるが、
電子書籍の話がでるたびに
ずいぶん前に
作家の荒俣宏さんが言っていた
「名書」(名著ではない)
の話を思い出す。

古いエッセイだが、
ちょっと振り返ってみたい。

以下、水色部
 荒俣宏
 「もしも書物の海があれば」

 雑誌「太陽」1989年6月号
からの引用。

エッセイは、国会図書館の貸出し窓口での
荒俣さんのこんな体験談から始まっている。

たとえば19世紀初頭に刊行された
クルーゼンシュテルンの
「世界周航図録」や、
18世紀の名作
「ラ・ペールズ世界航海記」
などを借りだそうとする。

だが、最近の本ならば専用昇降機で
上まで運ばれてくるのに、
これら200年前の巨大書物は、
わざわざ人間の乗るエレベーターを
使って運ばれてくる
のだ。

係員が
大汗かいて貸出し台へ持ってきて、
私をジロリと睨む。

人間の乗るエレベータでなければ
運べない本とは!

(今日の主題である「本」そのものとは
 直接関係ないが、ここに出てきた
 「ラ・ペールズ世界航海記」については、
 本ブログでも4年前に
 「日本海、浅い海峡と小さな遭遇」
 なるタイトルでその「内容」に関する
 驚くべきエピソードを紹介した。
 ご興味があればこちらもどうぞ。)

ナポレオンの東方遠征が生んだ
学術的成果の傑作といわれる
26冊にもなる「エジプト誌」についても

ちなみに、この「エジプト誌」は
冊数だけでなくサイズまでが
人並はずれた大きさで、
ちょっとした団地用カーペットのように
幅をとる。

この本を
ひらけるだけの広さがある机なぞ、
最近の事務機器店では
お目にかかれない

と、さすが荒俣さん、すごい本が並ぶ。

そういった驚くような本を紹介したうえで、
こう話を続けている。

われわれは名著を数多く知っている。

しかし、<名書>というべきか、
fine booksと呼べる書物の代表作を、
ふしぎにもまったく思い浮かべられない

わずかに、洋書に通じた人であれば、
ウィリアム・モリスの刊行した
ケルムスコット・プレスの印行本ほか、
いくつかの世紀末私家本か、
あるいはグーテンベルク時代の
初期印刷本を
挙げることができるかもしれない。

また、日本の
たおやかな書物に範をとるとすれば、
奈良絵本や江戸期の木版多色刷り本を
考えることができる。

改めて言うまでもないが、
巨大な本がいいと
言っているのではない。

書物が内容を
光り輝かせるのである。

と言っている通り、
書物そのものの価値に
目を向けているのだ。

本は書いてある「内容」に
目が行きがちだが、
「書物」そのものを
見ようではないかと。

以降、

第一に名書は
読む者を呑みこむ吸引力を
持たなければならない。

などなど、荒俣さんの
名書についての持論が
展開されているが、
本エッセイが
いつまでも記憶に残っているのは、

 「名著」ではなく
 「名書」の視点から
 本を考えてみよう、

という機会を与えてくれたことの
意義が大きかったからだろう。

電子書籍の登場で
「名書」の存在は
ますます遠くなってしまっているけれど。

 

 

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2021年3月28日 (日)

「若さ」は発明?

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「若さ」は発明?

- 「老い」は負い目ではない -

 

前回、前々回と
(1) 最初にまず交換したかった
(2) 「言葉づかい」と「身体づかい」
なるタイトルで、

三浦雅士 (著)
考える身体
NTT出版

(以下水色部、本からの引用)

の本の一節を紹介したが、
もうひとつ紹介したい節がある。

それは「若さ」について。

若さとは
ヨーロッパの発明である

と述べたのは吉田健一だが、
そのとおりだろう。

いまやあまりにも常識化していて
なかなか発明とは思いづらいが
なるほど、実体がない
どこかの時点で発明された概念と
捉えることもできるということか。

 

ヨーロッパ近代においては、
老いはまさに負の要素であり、
負い目そのものだった。

若さを美徳とするこの考え方の背後に、
生産第一義が潜んでいることは
疑いない。
効率よく生産するには
青年のほうが適している。

生産性や勝ち負けに目がいくと
やはり若さにはかなわない。

でも、ものを見る視点は
そういったものだけではもちろんない。

事実、かつての日本においては、
若く見られることのほうが
恥ずかしいこと
だったのだ。
 (中略)
たとえば能狂言においては、
若さは必ずしも美徳ではない。
日本舞踊においてもそうだ。

いや、剣道や柔道といった
武術においてさえ、
老いは決して負の要素ではなかった

剣道だって柔道だって
そもそもは勝ち負けを決める
「スポーツ」ではない。 

数年前、井上八千代の舞いを見て
その呼吸に驚嘆したことがある。
時を経るにしたがって印象がかえって
鮮明になってくるのが不思議だが、
まるで幼子のようだった。
実際は、米寿を越えていたのである。

こういうことは
バレエにおいてはまずありえない。
ヨーロッパと日本では、
身体についての考え方が
根本的に違うと言うべきだろう。
身体観、
さらに言えば自然観が違うのである。

三浦さんはその違いを
こんな言葉で表現している。 

老いは身体の自然である。
自然を操作し支配しようとする姿勢と、
逆に、おのずから生成消滅する
自然の声に謙虚に耳を傾ける姿勢
との違いが、
老いをめぐる考え方にも
そのまま反映しているように思われる。

最初に書いた通り、
生産性や勝ち負けばかりに目がいくと
ものの見方が狭くなってしまう。

以前、紹介した小林秀雄さんの
こんな言葉を再度載せておきたい。

じゃぁ、
歳をとった甲斐がないじゃないか。

いつまでたっても
青年らいしいヤツなんていうのは。

甲斐がない。
何のために歳をとっているんですか。

小林さんの声のトーンで
直接聞いてみたいという方は、
こちら「歳をとった甲斐がないじゃないか」
をどうぞ。

若さには、
生産性や勝ち負けを超越した
美しさや魅力があることは確かだけれど、
時間の経過は
誰でも等しく受け入れるしかない以上
「歳をとった甲斐のある」
日々を過ごしていきたいものだ。

 

 

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2021年3月21日 (日)

「言葉づかい」と「身体づかい」

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「言葉づかい」と「身体づかい」

- 美しい立ち居振る舞い -

 

前回、
最初にまず交換したかった
なるタイトルで、

三浦雅士 (著)
考える身体
NTT出版

(以下水色部、本からの引用)

の本の一節を紹介したが、
もう少し別な言葉も紹介したい。

三浦さんは、
「言葉づかい」の教育と同様に
「身体づかい」の教育が必要だ、
と言っている。

 

表現としての言葉と、
表現としての身体
は、
まさに表裏一体なのだ。

それは、
他人に自分を伝える手段として
表裏一体であるのみならず、
自分が自分自身であることを
知る手段としても
表裏一体なのである。

対自分と対他人、
表現と同時にそれを知るという点において
言葉だけでなく身体も重要なのは
まさにその通り。

詩とか日記とかを書き始める時期と、
やたらに髪をいじったり、
ひそかに化粧し始めたりする時期は、
一致している。

少女が化粧し始めるのは
他人に向かってだけではない。

自分に向かってでもあるのだ


同じことは、少女のみならず
少年にも当てはまる。
髪を染めたり、
ピアスをしたりするのは、
昔でいえば、
詩や日記を書き始めるのと
ほとんど同じことだ。

そんな時期の「身体づかい」の教育を
三浦さんは体育に期待しているようだが、
実際にはそれはなかなか難しいだろう。

だが、現実には、体育といえば、
 (中略)
陸上競技や球技、スポーツが
うまくなることだと考えられている。

その結果、
ひたすら図体だけが大きくなって、
その図体を
自分でももてあましている
ような
中学生や高校生が
巷に溢れるということに
なってしまったのである。

いずれによせ、家庭でも学校でも
美しい立ち居振る舞いへの教育が
近年おろそかになっているのは
間違いない。

言葉がひとつの体系であるように、
身体もまたひとつの体系である

この二つの体系が文化の基軸を
形成しているものなのだ。

美しい「言葉づかい」への敬意とあこがれ、
美しい「身体づかい」への敬意とあこがれ、
それを抱かせることは大人の責任でもある。

どちらも
「いいなぁ」「かっこいいなぁ」が
根底にないと、
ほんとうには身につかないものだから。

 

 

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