音楽

2022年1月 9日 (日)

新たな3つの音楽メディア

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新たな3つの音楽メディア

- 増えているのはネット配信だけではない -

 

前回

 烏賀陽弘道 (著)
 「Jポップ」は死んだ
 扶桑社新書

(以下水色部および表とグラフの
 元となる数値・用語は本からの引用)

から「著作権使用料徴収額」の総額を
1998年と2016年の比較で見てみた。

  <表A 著作権使用料徴収額>

Jpop2a
Jpop2ga

CDを中心とした
オーディオレコードの著作権使用料は
ほぼ1/3に減っているが
成長している分野もある。

表Aにおいて増えている
「通信カラオケ」と「ビデオグラム」
にはどんな背景があるのだろう?

 

そこに詳しく触れる前に、
著作権使用料を稼ぎ出している曲、
上位には具体的にどんな曲があるのか
見てみよう。

JASRACは毎年度、
著作権使用料の分配金額ベスト3
JASRAC賞の金・銀・銅賞として
発表・表彰している。

著作権使用料の多寡を元にした
「ヒットチャート」だともいえる。

そのランキングを見て
「ほんと!?」と目を疑ってしまった。
2015年-2017年の上位3曲は・・・

2015年
①「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)
②「進撃の巨人BGM」(アニメ映画の背景音楽)
③「ルパン三世のテーマ'78」(アニメのテーマ曲)

2016年
①「R.Y.U.S.E.I.」(三代目J Soul Brothers)
②「恋するフォーチュンクッキー」(AKB48)
③「糸」(中島みゆき)

2017年
①「糸」(中島みゆき)
②「名探偵コナンBGM」
③「ドラゴンクエスト序曲」

この記事を書くきっかけになった前回
大野雄二作曲「ルパン三世のテーマ」は
ここに登場している。

「ルパン三世のテーマ」は1977年、
「糸」は1992年に発表された曲。
どちらも名曲とはいえ、
38年前、24年前の曲が
ベスト3に入っているということは
いったいどういうことだろう?

 

まずは「ルパン三世のテーマ」。
これがまさに「ビデオグラム」の代表選手で、
「ビデオグラム」とは、
「大半がパチンコ・スロットマシン」

のことらしい。
アニメや歌手の動画や音楽を
再生する機能をもったパチンコ機
(スロット機を含む)を、パチンコ業界では
「版権もの」「タイアップもの」と呼ぶが、
これらが著作権使用料をもたらしている。

いまやパチンコ機は
「音楽再生機」
として、
日本人にとって重要なマスメディアに
なったということだ。

長引く不況に苦しんでいるとはいえ
パチンコ業界(貸玉料基準売上)
1995年 30.5兆円
2015年 23.2兆円

パチンコ産業はコンサート産業の
75倍という巨大な国民的娯楽
なのだ。

そして著作権使用料額でいえば、
パチンコは通信カラオケの約2倍の金額を
著作権者にもたらしている。

「なんだ、パチンコか」と
軽視してはならない。

「巨大な音楽マスメディア」。
それが現在のパチンコの姿である

 

「糸」のほうはどうだろう。

結婚式での音楽の使用から発生する
著作権使用料を専門に扱う
「ISUM」(アイサム)
という団体がある

ロシア人のアブラモフさんが
2013年に立ち上げた一般社団法人だ。

「新郎新婦が安心して人生の
 スタートの記録を残せるよう、
 権利処理の代行をする。
 それがISUMです」

結婚式で使われる音楽についても
記録として残されるビデオも含めて
著作権使用料が回収される仕組みが
今はしっかり機能している。

ちなみにどの程度の費用がかかるかと言うと

披露宴のBGMやプロフィールスライドに
5分未満の曲を使うと、
一曲あたり著作権料200円+
著作隣接権料(複製、演奏・歌唱など)2000円
=2200円である。
ISUMは手数料として
その10%=220円を取る。

最終的には一曲2420円を払う計算

 

もうひとつカラオケ関連で
見逃せないトピックスがある。

カラオケボックス等の施設は
2005年 22万施設
2015年 17万施設
と減っているが、

「老人ホーム」「高齢者住宅」
「デイケア施設」などの
「高齢者介護施設」は増えているのだ。

カラオケは、
誤嚥の改善にも効果があると
「娯楽産業」から「医療・福祉分野」に
進出しているとも言える。

 

上記見てきた通り

新たな音楽メディアとして
姿を現したのが
 「パチンコ」
 「結婚式」
 「高齢者用カラオケ」

だった

増えているのはネット配信だけではない。
著作権料から見ていくと
音楽メディアの変化が
意外な角度から見えてきて
新たな発見、驚きがある。

 

 

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2022年1月 2日 (日)

CD売上げ1/3でも著作権料総額は増加

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CD売上げ1/3でも著作権料総額は増加

- 音楽需要の変化はどこに -

 

明けましておめでとうございます。

備忘録を兼ねた
まさに気ままなブログではありますが、
今年もボチボチ続けていこうと
思っていますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

昨年末2021年12月18日の朝日新聞beに
「進化続けるルパンサウンド」
の見出しで、
アニメ「ルパン三世」の音楽を
作曲、編曲している大野雄二さんの
話が出ていた。

記事ではその件には触れられていないが
大野さんの名前を見て
あるトピックスを思い出したので
今年はその話から始めたい。

驚きのトピックスが載っていたのは

 烏賀陽弘道 (著)
 「Jポップ」は死んだ
 扶桑社新書

(以下水色部、本からの引用)

この本の中に、
日本音楽著作権協会(JASRAC)が
毎年度発表している
著作権使用料の分配金額ベスト3
の話が出てくる。

著作権使用料を稼ぎ出している曲
というわけだ。

実は大野さんが作曲した
「ルパン三世のテーマ'78」は
2015年のなんと3位に位置している

77年に作曲された曲が
38年後の2015年に
著作権使用料で第3位とは!

もちろん曲は
アニメを見ないような人でも知っている
よく知られた名曲だが、
それにしても数ある曲の中で第3位とは。
ちなみに2015年の第1位はAKB48の
「恋するフォーチュンクッキー」だ。

著作権使用料、
どうも単なるヒットチャートだけでは
説明できないようだ。

というわけで、
まずは、前提となる音楽市場の動向から
見ていきたい。

 

CDを中心としたディスク市場は
ここ20年で大きく変化した。

日本のオーディオレコード
(CDなど音楽を記録したディスク、
 テープなどの総称)市場の縮小は
深刻である。

過去最高を記録した
1998年には6075億円あった。

それがほほ毎年減り続け、
2016年には3分の1を切る1777億円である
(日本レコード協会)。

20年足らずで
市場の3分の2が消えてしまった

上記引用を含め、
本には数字がいくつも出てくるので、
本の数字を元に簡単な表とグラフを作成、
それらを挟みながら話を進めたい。
(元となる数字も用語も本からの引用)

  <表1 オーディオレコード市場>

Jpop1a

グラフにすると

Jpop1ga

1/3以下になってしまった
CD関連の減り具合はたしかに凄まじいが、
ネット配信等は増えているので
当然ながらこの数字の変化が、
直接音楽産業の衰退を
意味しているわけではない。

こういうとき、私が調べるのは
日本音楽著作権協会(JASRAC)の
統計
である。

同協会はテレビやCM、コンサート、
カラオケ、細かいところでは、
カフェや美容室のBGMで音楽を流せば、
その著作権使用料を徴収する。

そしてそのお金を著作権保持者
(作詞・作曲家だけではなく企業が
 著作権を持っていることもある)
に支払う。

そのための組織である。
その執行が厳格なことで知られる。

その「著作権使用料徴収額」の総額を
同じ1998年と2016年の比較で見てみよう。

  <表2 著作権使用料徴収額>

Jpop2a
Jpop2ga

グラフを見るとわかる通り
オーディオレコード市場に連動して
オーディオレコードの著作権使用料も
ほぼ1/3に減っている。

ところが、総額はむしろ増えているのだ。

何が増えているのだろう?

1998年当時はなかった
インタラクティブ配信、
つまりインターネット配信による
著作権使用料の約100億円は
もちろん今後も伸びるであろうが、
全体の伸びはこれだけでは説明できない。

JASRACの統計から、
1998年-2016年の期間に
2~3倍の伸びを示している項目を
書き出してみた。

テレビ、ラジオなど「放送等」やCATV、
「有線放送」あるいは「映画上映」などは
2.5~2.9倍の増加を示しているが、
これは需要が伸びたからというより
「料率を値上げしたから」というのが
同協会の説明である。

需要の伸び、で気になるのは
表2にある
「通信カラオケ」と「ビデオグラム」
である。

カラオケって増えているの?
ビデオグラムって何?

どちらについても
私の全く知らない事実が背景にあった。

到達できなかった大野さんの
「ルパン三世のテーマ'78」の話も含めて
次回、そのあたりについて紹介したい。

 

 

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2021年9月12日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」琵琶師 鶴田錦史

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「ノヴェンバー・ステップス」琵琶師 鶴田錦史

- 琵琶が軸にある波乱万丈の人生 -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言
「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿
「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と

と名曲「ノヴェンバー・ステップス」
に関する話を続けてきたが、
今回で最後としたい。

最後にどうしても触れておきたかったのは
琵琶を担当した鶴田錦史さんについてだ。

鶴田錦史さんって?、という方は
ここにリンクを貼った
動画を見ていただき、
その演奏と容姿を確認いただければ、と思う。

そのうえで紹介を始めたい。

 

実をいうと、
「ノヴェンバー・ステップス」は、
鶴田錦史を「頭において」どころか、
「すぐそばにおいて」
作曲されたのである。

「ノヴェンバー・ステップス」は
武満が長野県小諸近くの
御代田に持つ山荘に
3ヵ月間閉じこもって作曲されたのだが、
その間鶴田は、
そのすぐ隣りに別荘を買って、移り住み

武満の求めに応じて、
琵琶のあらゆる奏法を解説し、
武満の考案した独特の記譜法で
書かれた譜に従って
音を出してみせるという形で、
作曲を助けたのである。

「別荘を買って移り住み」??
もうこの一行で
興味を抱かないわけにはいかない。

その鶴田さんのことを
武満さん自身も次のように書いている。

鶴田さんは、私が、
真に精神的な師匠と呼べるひとだ

音楽家として傑れているばかりではなく、
人生の達人でもあられるし、
その人格は無垢で、
これは大先達に対して礼を失することに
なりかねないが、時に、
まるで幼児のように無邪気で、
その豊かな人間的な滋味は量りしれない

いったいどんな方なのだろう?

実はちょっと変わった経歴をお持ちだ。

鶴田錦史は、1911年
北海道滝川市生まれで、
本名をキクエといった
(1964年に戸籍を変更し、
 芸名の錦史を本名とした)。 

「本名 キクエ」
えっ!?と思った方。
はい、私も思わず読み返してしまいました。

そうなんです。

鶴田錦史の
舞台や写真を見たことがある人は
ご存知の通り、
鶴田はいつも男装である。

洋装のときは背広にネクタイだし、
和装のときは紋付き羽織袴である。

顔付きも男だし、声も男である。

おまけに名前も男性風だから、
たいていの人は
鶴田を男だと思ってしまう

演奏動画は何度も見ているし
CDまで持っているのに
女性ということは
この本で初めて知った。

鶴田さんは

7歳の頃から琵琶を学んだ。
驚くほど上達が早く、
早くも12歳で演奏活動を開始する
とともに、弟子も取り、
13歳でレコードを吹き込み
(「白虎隊」三枚組)、
16歳でNHKに出演するなど、
天才児の名をほしいままにした。

その後、お弟子さんも増えていき
まさに順風満帆だったのだが、
ある日突然琵琶をやめて、
実業界に乗り出してしまう。

その理由をこう語っている。

「あの世界の裏側には、いろいろ
 きたないものがありましてね、
 それがいやになってしまったんです


 結局、お金なんですね。
 弟子がふえると、
 演奏会をやるでしょう。

 わたしのところは、
 最盛期500人くらいいたわけですから、
 結構な会をやるわけです。

そんなとき、
実力主義でやりたいと思っても、
流派を盛りたてて、
琵琶の世界で食っていこうとする限り、
金持ちの弟子をチヤホヤし、
いい場所に出してやる、みたいなことを
しなくちゃいけない事情から
逃げることができなかったのだ。

 それがいやになったんですね。

 要するに琵琶で食べようとするから
 こうなるのだ。
 いやなものはやめちゃえばいい。
 稼ぐのはよそで稼いで、
 琵琶はその稼いだ金で、
 好きなようにやればいいのじゃないか


 どんな手段でも金が儲かればいい。
 とにかくまず稼ぐことだと考えて、
 商売をはじめたわけです」

で、水商売を始めるのだが
こちらも大成功!

江東区の亀戸駅前で、東京でも
有数の巨大なナイトクラブを経営し、
喫茶店、レストラン、飲み屋などを
何軒も持ち、
貸しピル、マンションなども
複数所有して
不動産業も営んでいたから、
一時期は、江東区の
高額所得者ランキングの常連
だった
のである。

「稼ぐのはよそで稼いで」を
実現させてしまった鶴田さん。

 商売が成功してからは、
 実力はあるけれど
 お金がない弟子たちを、
 ナイトクラブの社員という形にして、
 月給を与えて
 養成したりもしていました

そんな中、芸術祭参加公演にて
武満さんとの運命的な出会いを
果たすこととなる。

その後、

武満との
「怪談」での仕事をきっかけに、
鶴田は再び琵琶の世界にのめりこみ、
それまでの実業家としての成功を
すべて投げ捨ててしまう
ことになる

そして、それまでの成功で蓄えた
巨額の資産も
ほとんど使い尽くしてしまう。

「いまは琵琶だけの生活です。
 琵琶の世界に戻ってから、
 まず、水商売を
 全部やめてしまいました。

 そのあとしばらくは、
 貸しビルやマンションを
 やっていたんですが、だんだん、
 そういうものも
 全部売り払ってしまいました

 琵琶なんて、
 お金が儲かるわけじゃなくて、
 持ち出しですから

 お金はどんどんなくなっていくんです。

 でも、もともと、
 あたしの資産は、
 いずれ琵琶の世界に戻ることを
 目ざして蓄えていたものですから、
 これでいいんです。

 みんな自分の才覚で
 貯めたものですから、
 全部使いつくして
 死ねればいいと思ってるんです

1995年4月4日没 享年83。
もう一度演奏を聞きながら
合掌したい。

 

 

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2021年9月 5日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と

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「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と

- 新しい試みのうらにある交友関係 -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言
「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

と名曲「ノヴェンバー・ステップス」
初演にむけて様々なエピソードを
紹介してきたが、
曲そのものは専門家の眼から見て
どううつっていたのだろう。

ここにリンクを貼った
演奏を聞いていただければわかる通り、
その特徴はなんと言っても、
尺八と琵琶が作りだす独特な世界だ。

小澤さんもこう語っている。

特にあの深い精神性に打たれました。
精神と音楽が
くっついているという感じだった。

そして、つくづく思うんですが
あの曲は二人の合奏というより、
二人の決闘みたいなものですね


西洋人にもそれがわかるんです。

二人の闘いが
火花を散らせば散らすほど、
聴衆が沸く。

ぼくなんかいってみれば、
決闘の介添人みたいなものです。

どうしても強烈なソロの2楽器に
目を奪われてしまうが、注意して聴くと
オーケストラも新しい響きに溢れている。

やっぱり、尺八や琵琶と
対話させるというので、
オーケストラの側にも
新しい音を出させたい
ということ
だったんじゃないかな。

(中略)

ブラスの強い持続音なんかも、
明らかに尺八を意識してるんですね。
西洋のオーケストラ楽器の持っている
いろんな機能とか、コードとか、
リズムとか、持続音とか、
あらゆる要素を駆使して、
武満さんは新しいオーケストラの音を
作っているんです

 

一方で、作曲した武満さんにとっては、
音楽における「時間構造の探求」という
流れの中に位置づけられる作品でもあり、
武満さん自身

小澤君は、
『これは対話だね』
と言っていたけれども、
そういう意味じゃないんだ、
対話なんかできっこないんだ。
まったく違うものを、
二つ同時にやるんだ

とかなり刺激的なコメントをしている。

演奏時『縦が合わなくてもいい』
と言うような作品を発表したり、
一つの曲の内部に複数の時の流れを
持ち込もうとしたり、武満さんは
まさにさまざまな試みに挑戦している
ころだった。

一つの作品の中に
異質の時間の流れを
持ち込んでみたら
どうなるか
というのが、武満の問題意識だった。

 

ところで、武満さん、
こういった演奏会用の作品だけを
自分が思うままに
自由に作っていたわけではない。

なぜなら、ご本人曰く

作曲家というのは、
 自分の音楽作品だけでは
 絶対食えません


 どうしても、食うためには、
 映画やテレビの
 いわゆる劇伴の仕事を
 やらざるをえないんです」

だからだ。

「ノヴェンバー・ステップス」発表前の数年
じつに精力的に映画音楽の仕事をしている。

「食べるために
 やりたくない仕事までやる
 という意味なら、それはありませんが、
 結果的に
 自分が満足できない作品に終る
 ということは、映画の場合ありますよ。

 映画は台本の段階で
 やるかやらないか決めるわけです。

 すると、台本はよかったけど、
 できたものはどうしようもない
 ということがあります。

 それから、
 監督と意見が合わない場合
 どうするかという問題もあります」

担当した映画の監督には、
大島渚、市川崑、勅使河原宏
小林正樹
といった名前が並ぶ。

そのひとり、篠田正浩さんは
こんな思い出話を披露している。

-そうやって次々に仕事を
 いっしょにするようになると、
 日常生活でもよく会ってたわけですか。

「ええ、武満が
 赤坂に住んでいたころなんか、
 ほとんど毎日のように
 会ってましたよ。

 よく篠田桃紅とか、寺山修司が
 いっしょでした。

 武満と一柳(慧)と湯浅譲二と
 四人でマージャンをしたり、
 なんだか毎日
 不思議な取り合わせの人間で、
 しょっちゅう会ってました

篠田正浩、篠田桃紅、寺山修司
一柳慧、湯浅譲二、武満徹

なんともすごいメンツだ。

いったいどんな話をしながら
卓を囲んでいたのだろう。
お互い、新しい試みに向けて
刺激しあっていたに違いない。

 

 

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2021年8月29日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

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「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

- ギフトショップのチョウチンではないからこそ -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

と新しい音楽がニューヨークで
産声をあげる瞬間を
簡単に紹介させていただいた。

上記記事に引用した通り、
ニューヨーク・フィルとの間では
和楽器との共演に向けて
緊張した時間が流れたわけだが
実は小澤さん、
「ノヴェンバー・ステップス」 
の初演を成功させるべく
事前に周到な準備をしていた。

ニューヨークの連中は
やっぱりプライドが高くて、
異質のものに対する包容力に
欠けているところがありますから
『ノヴェンバー・ステップス』を
受け入れてくれるかどうか、
ぼくは不安だったんです。

ニューヨークの場合、新曲でも、
2、3日しか練習時間がとれません
から、
あんな難しい曲を
仕上げられるわけがない。

は、小澤さんの弁。

武満さん作曲の
琵琶と尺八の二重奏「エクリプス」を
聞いて感激した小澤さんが
それをバーンスタインに聞かせたことが
「ニューヨーク・フィルから
 武満さんへの作曲依頼」
につながったのだが、
当時の小澤さんはまだ32歳。

ご本人曰く
「ニューヨークじゃまだ
 チンピラ扱いされてるみたい」
だった小澤さんは、
その2年前から音楽監督になっていた
カナダのトロント交響楽団の協力を
仰いだのだ。

「トロント交響楽団にすれば
 ニューヨーク・フィル公演のための
 練習台にされるわけで、
 そこまでぼくに付き合う必要は
 ないわけですが、
 大協力してくれたんです。
 ほんとに感動的でした。

トロント交響楽団の協力が
得られることになったため
ニューヨークに行く前に、
なんと2週間も
カナダのトロントで
ビッチリ練習に打ち込んだのだ。

 きっとぼくたちが
 あまりにも真剣になっていたからだと
 思いますよ。

 なにしろ日本から、
 作曲家と二人のソリストがやってきて、
 2週間も泊り込みで、
 毎日毎日練習に明け暮れた

 わけですからね。

 あの頃、日本なんて貧乏国で、
 1ドル360円の時代です。
 その費用だって大変なわけですよ。

 あの連中を助けてやろうという
 気特ちになったんだと思いますね」

今回の作品が、
和楽器との融合という新しい世界を
ハイレベルで実現できていることへの
確信みたないものが
「あまりにも真剣」を
生み出していたのだろう。

日本の音楽との融合が、ときに
安っぽくなってしまう場合がある
ことについて、小澤さんは
「棒ふり一人旅」(週刊朝日)
の中で、
実にうまい表現を使っている。

これまで、多くの作曲家が
われわれ自身の音楽、現代の
日本の音楽を書こうとこころみた。

あるときは日本の民謡を取入れ、
日本のリズムを取入れ、
お寺の鐘の音を書入れたり、
雅楽の響きを
オーケストラでまねてみたりした。

むろんうまくいく場合もあるが、
下手をすると、
ニューヨークの町角でみられる安っぽい、
いわゆる
『オリエント・ギフト・ショップ』
『東京ギフト・ショップ』の、
チョウチン、日ガザ、ゆかたがけ的な
日本ムードに堕する恐れがある

『東京ギフト・ショップ』のチョウチンか。
思わず笑ってしまうほど表現が的確だ。

初演の成功は、
そんな安っぽいものではない、
深い精神性を伴う日本発の新しい音楽を
ぜひ聞いてもらいたい、の
強い動機に支えられた
周到な準備の成果だったのだ。

 

 

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2021年8月22日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

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「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

- ようやく迎えられた初演本番 -

 

前回、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
と題して

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から武満徹さん作曲の名曲
「ノヴェンバー・ステップス」
初演前のリハーサルの様子をお伝えした。

作曲者の武満さんにも
尺八の横山さんにも
琵琶の鶴田さんにも

「こんなに不真面目なやつらと
 やれるかと思いました」

「うまいけれど、
 音楽やるのはメシの種という感じで、
 真剣みが
 あんまり感じられなかった」

「自分のやり番のときだけ
 指示された音を忠実に出す。
 それが終ると
 また勝手なことをしている。
 ああいうのは
 いやだなと思いました」

という思いを抱かせてしまった
ニューヨーク・フィルの面々。
指揮者の小澤さんはこういった状況に、
さてどう対応したのだろう。

武満さんはこう語っている。

そしたら小澤さんが、
『まあいいや、みんな
 きょうは練習やらなくてもいいから、
 鶴田さんと横山さんに
 日本の伝統的な曲をやってもらおう

といって、まず、
『ノヴェンバー・ステップス』の
ソロ・パートを
二人に弾いてもらったんです。

さすが指揮者、さすが小澤さん。
あの曲のソロパート、
初めて聞いたらそりゃぁ驚いたことだろう。

(演奏へのリンクは
 前回の記事に貼りましたので
 ご興味のある方は
 そちらから聞いてみて下さい)

さて、ニューヨーク・フィルの反応は?

そしたら
やっぱり向こうも音楽家ですから、
わからないにしろこれはいい音楽だ。
素晴らしい演奏だと感じるところが
あったんですね

みんな『ブラボー!』といって、
それからはうまくいったんです。

もちろん、全員の賛同が
得られたわけではなかったようで、
リハーサルが終わってから

『しょうがないから吹くけど、
 おれはお前のこんな音楽は
 大っ嫌いだ』

と言ってきたオーボエ吹きもいたようだ。

指揮の小澤征爾さんも、
当時はまだ32歳。

 

そうして迎えた初演本番。
小澤さんは「棒ふり一人旅」に
こう書いている。

演奏が始まると、はじめ好奇心で
なんとなくざわついていた会場が、
音楽の真実さ、強さ、
美しさにひっぱられて、
みなシーンとしちまうのが感じられる

会場には大物作曲家も聴きに来ていた。

聴きに来ていた作曲家の
ペンデレツキ(ポーランド)や
コープランド(アメリカ)は
真赤な顔をして、感激、興奮していた。

二日目に来たバーンスタイン
『まあ、なんという強い音楽だ。
 人間の生命の音楽だ』
と涙を流していた。

感激したバーンスタインは、
武満さん、小澤さん、
鶴田さん、横山さんの4人を
自宅に招待して、さらに
尺八や琵琶の演奏に触れることなる。

ニューヨーク・タイムズや
サン・フランシスコ・クロニクルなどの
批評も上々で、
結果的に初演は大成功をおさめた。

小澤さん自身にも

この音楽は、
ぼくの血の中で、肉の中で、心の中で、
またぼくがこれまでに得た
音楽教養の中で、
いちばんしゃべりたかったことを
しゃべっている

と響いていたようだ。

小澤さんのリハーサル時のひと言が
団員の心を動かす
大きなきっかけであったことは
間違いないが、
実は小澤さん、
「ノヴェンバー・ステップス」
成功のためにもっともっと
周到な準備をしていたのだ。

(次回に続く)

 

 

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2021年8月15日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル

(全体の目次はこちら



「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル

- 絶望的な雰囲気の中で -

 

前回、
「相寄る魂」が作った一冊 と題して

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

の「おわりに」からのエピソードを
紹介させていただいた。
「おわりに」は、著者立花さん自身の
ことについての話だったが、
本文のほうは書名の通り、
作曲家・武満徹さんを立花さんらしく
ガッツリ取材した内容になっている。

約百時間にも及んだ
インタビューに支えられた内容は、
様々な角度から武満さんご自身と
武満さんの交友関係、
武満さんの作品(音楽)に
光をあてている。

特に武満さんの代表作のひとつ
「ノヴェンバー・ステップス」
に関する記述は多く、
なにも知らずに聞くだけでも
衝撃的な作品なのに、
本を読むことで、さらなる陰影を伴って
より立体的に聞こえてくるようになる。

「ノヴェンバー・ステップス」って何?
という方も
もちろんいらっしゃることだろう。

もしご興味があれば
ぜひ下記をご覧になって見て下さい。
尺八、琵琶とオーケストラのための作品。
約23分。

指揮:岩城宏之
   NHK交響楽団
尺八:横山勝也
琵琶:鶴田錦史
録音:1984年6月13日、東京文化会館

音声にノイズはあるもの
尺八の横山さん、琵琶の鶴田さんをはじめ
演奏の様子がわかる動画は貴重だ。

 

CDで聴くなら

指揮:小澤征爾
   サイトウ・キネン・オーケストラ
尺八:横山勝也
琵琶:鶴田錦史
録音:1989年9月15日、ベルリン

がお薦め。
動画はないがYouTubeでも
その録音を聴くことができる。
約19分。
こちらは音もかなり鮮明だ。

 

「ノヴェンバー・ステップス」は、
ニューヨーク・フィルの創立125周年を
記念しての委嘱作品だった。

1967年初演。
作品としても高く評価され
のちに世界中で演奏されることになる
この曲も、初演前の
リハーサルの様子は読むのも辛い。

作曲者、武満さんの言葉。

いやもう最初はひどかったです。
まず尺八が出てきたとたんに、
舞台の上にいた人の半分ぐらいが
笑い出しちゃって、
舞台から飛びおりて客席のほうにまで
ころげまわっていったのがいた。
 (中略)
とてもじゃないけど、
こんなに不真面目なやつらと
やれるかと思いました


それで小澤征爾に、
ぼくはもうイヤだ、
作曲料も何もらない、
キャンセルしたいと・・・

 

尺八、横山さんの言葉も

なんか心が通いあうという感じに
なれなかったですね。
みんな演奏はうまいですよ。
それこそどんな曲でも鼻歌まじりで
弾いてしまうくらいうまい。
うまいけれど、
音楽やるのはメシの種という感じで、
真剣みが
あんまり感じられなかった
ですね

 

琵琶、鶴田さんの言葉も

リハーサル中に、
なんかおしゃべりしたり、
ちがうことをやったりしていて、
自分のやり番のときだけ指示された音を
忠実に出す。

それが終ると
また勝手なことをしている。

人がやっているときでも
その音を真剣に聞こうとする態度に
欠けてるんですね。

ああいうのは
いやだなと思いました


だから、
日本人の演奏はあんたがたと
ちがうんだという気持ちで、
いつもピシッとしていました

三人が三人ともこう思うような
ある意味絶望的な雰囲気の中で
あんな難曲のリハーサルが
よくできたものだ。

三人をガッカリさせてしまった
オーケストラを前に、
指揮者の小澤征爾さんは
いったいどんな態度をとったのか?

この話、次回に続けたい。

 

 

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2020年9月 6日 (日)

2020年 夏の小語録

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2020年 夏の小語録

- わかりやすさの過剰摂取で -

 

コロナウイルスにより
かつて経験したことのない
夏を過ごすことになった2020年。

いわゆる三密を意識的に避けた生活も
すでに半年にも及んでいるせいか、
夏祭りや花火、繁華街や旅先での
人があふれかえっている過去の映像を見ると
妙に遠い世界のことのように感じてしまう。

というわけで、
実際にはあんなに暑かったのに
なぜか夏を実感しないまま
9月に入ってしまった、という感じだ。

涼しくなる前に、この夏に目にした言葉から
印象に残ったものを
いくつかここに留めておきたい。


(1) わかりやすさの過剰摂取
ドイツ在住の雨宮紫苑さんこの記事

「わかりやすい表現で
 わたしを納得させてみろ」という
 尊大なクレーム精神は、現代人の病。

というタイトルに
みごとに内容が集約されているが、

「わかりやすさの過剰摂取で、
 わたしたちは考える努力をしなくなった」

は、グサリと突き刺さる言葉だ。

わかりやすい説明を人に求めるのではなく
「自分で考えることの楽しさ、おもしろさ」
を、もう少し広められないものだろうか?

ここにも書いた通り、
我々は無痛(わかりやすさ)を求めるがあまり
「欲望」が「よろこび」を奪っている
面があることを
すっかり忘れてしまっている。
目を覚ます路はありやなしや。

 

(2) 蓋(ふた)をする
2020年8月24日に、佐藤栄作氏が持つ
連続在職日数の2798日を超え、
最長政権の記録を更新した安倍首相は
その4日後の8月28日
持病が悪化したことを理由に
総理大臣を辞任する意向を明らかにした。

さまざまな問題が表面化しながらも
長期化した政権の奇妙さについては
「朝日川柳」に掲載されていた
井原研吾さんの川柳が、
たった17文字で表現しきっている。

蓋(ふた)をする ただそれだけでこうも持ち

 

(3) 症状でググるな
この歌詞、
誰でも思い当たるフシがあるだろう。

決して症状をググるな!!
「咳」と「病気」でググれば
お前はすでに結核だ。

少しでも安心できるネタを探して
検索しているのに、病気関連の場合、
それをやると
なぜか心配ネタが増えるばかりだ。

 

(4) 生きがいって、
大好きなアイリッシュバンド
Dé Domhnaigh(ジェ・ドゥーナ)で
フィドルを演奏している大谷舞さんの言葉。

生きがいって、
生きた心地がしない時ほど強く感じる。

「生きた心地がしない」ほどの時間を
過ごせれば、おそらくそこに
生きがいは必要ない気がするが、
いずれにせよ、
何ものにも代えがたい時間を
体験できた人のみが口にできる言葉だ。

そういう経験は、
簡単に手に入るものではないけれど
だからこそそれは貴重で愛おしい。

そんな心豊かな奏者による
素晴らしい演奏を1セットどうぞ。
リンクをひとつだけ貼っておきます。
 polka set 
(クリックするとYouTubeに移って
 再生されます)

 

(5) 浜松の日本歴代最高気温
2020年8月17日、静岡県浜松市で
41.1度が記録された。
これは2018年に埼玉県熊谷市で記録された
日本歴代最高気温に並ぶ。

その翌日のTwitterでみかけたつぶやき。
リツイートの繰り返しで原作者不明。
浜松、熊谷の関係者限定ネタではあるけれど。

日本歴代最高気温を記録した
浜松市民が騒いでいるようだが、
君たちには「うなぎ」も「餃子」も
「YAMAHA」もあるじゃないか。

熊谷から日本歴代最高気温を奪ったら
何が残るか考えてやったほうがいい。

 

 

 

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2020年4月 5日 (日)

音楽ライブラリ管理ソフト「MusicBee」

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音楽ライブラリ管理ソフト「MusicBee」

- その気にさせるソフトの魅力 -

 

ここに書いた通り、私は
携帯音楽プレーヤ「ウォークマン」を
カセットテープの時代から愛用している
長年のウォークマンユーザだ。

時代とともにカセットテープ、CD、MD、
そしてメモリタイプへと
音楽を聴くメディアも変化してきた。

考えてみると
カセットテープやCDの時代には、
メディアそのものが
まさにライブラリだったわけだが、
MP3フォーマットに代表される
電子ファイルで
音楽を聴くようになってからは、
媒体としての「モノ」は
見えなくなってしまった。

同時に、音楽データの管理、
つまりライブラリの管理は
専用のアプリケーションに
頼らざるを得なくなった。

もちろんそこには音楽を再生する
プレーヤとしての機能も必須だが、
今日はライブラリの管理機能をメインに
話を進めたい。

iPodが登場したときの
Apple「iTunes」のVer.1も
SONY「SonicStage」のVer.1も
どちらも同じ2001年に登場している。

以降、Appleは一貫してiTunesの
バージョンアップを繰り返しており、
2019年に「ミュージック」
発表してはいるが、
Windows版iTunesの方は
まだしばらく続く予定らしい。

一方、SONYの方は
いったい何を考えているのか、
この20年間に
単なるバージョンアップではなく、
アプリケーション自体を次々と変更してきた。

そのため、私がウォークマンのために
PCにインストールしたものだけでも
 (1) SonicStage
 (2) x-アプリ
 (3) Media Go
 (4) Music Center for PC

と4種もある。

加えて、主にpodcastを聴くために
 (5) iTunes
も一時使っていたので、
計5種類のライブラリソフトが
混在していたことになる。

 

これだけいろいろなアプリケーションが
ありながら、

SONYの方は、
名前も含めて大規模な変更を
何度も繰り返してきているのに、
肝心な操作性がUIを含めて
ちっともよくならないし、

iTunesの方は、
バージョンアップが繰り返されるたびに
どんどん重くなってしまっているし、

と、どちらに対しても
ストレスが溜まっていた。

そのうえ、

どの曲とどの曲がまとまって
一つのアルバムとなるか、の
「アルバムの管理」
アルバムのアートワーク、つまり
「ジャケット写真」の扱い
テーマに沿って曲を集めた
「プレイリスト」の管理
等に統一した指針がなく、

ライブラリを維持・管理しようとすると
メインとなるアプリケーションを
変更するたびに組み替えたり、
作り直したりする作業が必要になっていた。

特に、複数のアーティストが混在している
コンピレーションアルバムに関しては、
意図しない動きになることも多く、
整理の意欲そのものを
削(そ)がれている面があった。

そんな折、「MusicBee」の存在を知った。

少し調べてみると実にいい。

というわけで、
ハードウェアとしては
SONY ウォークマン NW-A16のままだが、
ライブラリ管理アプリケーションのほうは
過去の資産も含めて
MusicBeeに完全移行することに決めた。

まだまだ初心者だが、これまでのところ
移行してほんとうによかったと
思っている。

【MusicBee のお薦めポイント】

(a1) フリーソフト
  無料はありがたい。
  最初のリリースは2008年。
  11年以上も更新を続けている。

(a2) 軽快
  起動も検索もはやく、
  動きがキビキビしていて気持ちいい。
  
(a3) CDからのRippingがより正確
  lameが同梱されているが、
  エンコーダを選ぶことも可能。
  AccurateRipを使った確認もできる。

(a4) パネルレイアウト等、変更が容易
  どこに何を表示させるか、
  変更が簡単にできる。

(a5) MP3タグ編集が簡単
  コンピレーションアルバムはもちろん、
  2枚組やフォーマット別の
  アルバム定義も簡単にできる。
  フォルダごとにファイルが
  まとまっているようであれば
  フリーソフト「Mp3tag」を使って、
  事前整理をしておくとさらに効率的に
  作業が進められる。

(a6) アートワークの設定が容易
  自動検索もできるうえに、
  Amazonその他からの埋め込みも
  簡単な操作で可能。

(a7) プレイリストが柔軟
  プレイリストの保存形式を
  「M3U(#EXT)」にすると
  SONYウォークマンへの転送も
  再生も全く問題なし。
  追加・削除・変更の自由度も高く軽快。

(a8) ファイルの再整理が簡単
  「メディアファイルを自動的に整理」
  という機能を使うと、
  インポートしたファイルや
  フォルダの名前を
  事前に定義しておいた統一形式に
  再整理して保存することができる。

  たとえば形式を
   アルバムアーティスト\アルバム
   \ディスク-トラック番号 タイトル
  と定義すれば、
  過去にRippingしたファイルも含めて
  統一ルールによる再整理が可能。

とまぁ、お薦めポイントはたくさんある。

しかも
「MusicBee 使い方」あたりで検索すると
詳しい使い方を
丁寧に説明してくれているページも
たくさんあるので、
疑問があっても多くの場合
すぐに解決できる。

とにかく
「音楽・音声ファイルも
 PCにいっぱい溜まっているし
 すっきり整理したいな」
と思ったとき、まさに
「よし! やろう!」
とのやる気にさせる、
その点が特にすばらしい。

「iTunes」も「Media Go」も
「Music Center for PC」も
仕方なしに「アプリに合わせて」
使ってはいたが、
納得できない奇妙な動きが散見され
「よし! やろう!」
とのやる気にはどうしてもなれなかった。

MusicBeeのおかげで
今はずいぶん整理が進んだ。

軽快かつ明快に作業が進められるので
作業ストレスが小さいことも魅力。

現状お使いの音楽アプリの
ライブラリ管理機能に不満を感じている方、
ぜひ、お試しあれ。

最新版はこちらからダウンロードできる。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

2019年12月29日 (日)

CDの収録時間はどう決めた?

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CDの収録時間はどう決めた?

- ソニー大賀氏へのインタビュー -

 

令和元年もいよいよ年の瀬。

年末の風物詩
ベートーヴェン「第九」の演奏会は
今年もあちこちで開催されていたようだが、
「第九」で思い出した記事があるので
今日はその記事のことを紹介したい。

雑誌「レコード芸術」の
2017年12月号
に、
日本経済新聞社・文化事業担当の
小松潔さんが書いていた

伝説の検証
カラヤン《第九》説を
大賀氏は2度否定した
CDの収録時間は誰が決めたのか


という記事。

いわゆる「俗説」を検証した記事だが、
信頼できる相手に取材しているので
雑誌の一記事として埋もれてしまう前に
「記録」としてここに残しておきたい。
(以下水色部、記事からの引用)

「今から10年前」
で本文が始まっている通り、
まずは2007年のインタビューから
記事は始まっている。

 今から10年前、
ソニーのトップを長年務めた
大賀典雄さん(1930~2011)に
カラヤンの思い出話を開いた。

マエストロ生誕100年(2008年)を前に
『カラヤンと日本人』
(日経プレミアシリーズ)と題した本を
書こうと思い立ったからだった。

当時、コンパクトディスク(CD)の
規格として直径12センチとなったのは、
カラヤンがCD開発で先行していた
ソニー、フィリップスの2社に対し
「ベートーヴェンの《第九》が
 1枚に入るように」
と発言したことが
決定的な影響を与えた
という説が
一般に伝わっており、
その真偽を確かめたい
という思いもあった。

 カラヤンと大賀さんの交友関係は
すでに有名で、
カラヤンの最期(1989年7月16日)を
ザルツブルク郊外アニフの
マエストロ自宅で看取ったことは
クラシック・ファンならずとも
知っている。

 めったにメディアと
会わなくなっていた大賀さんだが、
カラヤンのこととなると、
すぐに時間を作ってくれ、
品川・御殿山のオフィスにあった
大賀さん専用の応接室で
懐かしそうにエピソードを語った。

さて、巷で広く語られていた
「カラヤン-第九」説に
大賀さんはどう答えたのだろう。

ほほ期待通りの内容だったが、
CD開発について、
カラヤンがその長さを
決める役割を果たしたのか
という質問だけは否定


予想外の返事だっただけに
そのバリトンの低い声は
鮮明に覚えている。


小松さんは、
「ソニー社史」も参照しながら
検証を進める。

 ネットで公開している
「ソニー社史」によると、
1978年6月、
大賀さんはオランダの
アイントホーフェンにある
フィリップス本社を訪ね、
オーディオ専用の
光ディスクを見せられた。

1982年に発売となるCDの原型である。
当時、
ソニーの副社長だった大賀さんは
フィリップスとの交渉の
先頭に立っていた。

新方式であるデジタル録音の媒体として、
ソニーは「まずはテープという形」
での普及を考えており、
フィリップスは
「光ディスクの実用化」を進めていた。

大賀さんも大量生産などを考えると
光ディスクのほうがいいと判断。

フィリップス側が想定するディスクは
11.5センチで
1時間の音楽が入ると説明を受けた。

 この11.5センチは
カセットテープの
対角線の長さと同じであり、
フィリップスは
持ち運びを考慮し
この大きさを提案したという。

これに対し、大賀さんは
「カセットの対角線に
 こだわる必要があるのか、
 そんなことに何の意味もない。
 中に入れる音楽が問題
と主張した。

1時間収録できれば
当時のLPレコードの代替にはなる。
しかし、一部のクラシックファンは
LPレコードに大きな不満を感じていた。

クラシック・ファンが
LPで不便に感じているのは《第九》や
長大なワーグナーのオペラなど
1幕の途中で盤面を
ひっくり返さなくてはいけないこと。

筆者が
「有名な話でカラヤンが
 《第九》が入るようにと
 言ったそうですが」
と水を向けると、
《第九》もそうだが、
オペラも1幕が入ることが大事
と強調
した。

カラヤン《第九》説を
否定する
とともに、
歌手出身の経営者らしく、
オペラのことが
強く念頭にあったという印象だ。

結果的に第九だけでなく、
オペラも考慮にいれた
大賀さんの提案が通る。

「直径12センチにすれば
 (収録時間は74分)、
 ワーグナー(のオペラの1幕)でも
 大概1枚に入る。

 フィリップスの会議室で
 白板を使い
 それを説明したわけです」

 インタビューで感じたのは、
ユーザー本位の発想だ。

音楽ファンがどうすれば
長大な交響曲やオペラを
最高の状態で楽しめるかを
第一に考える姿勢が、
大賀さんには備わっているようだった。


 結局、ソニー側の言い分が通り、
CDの直径は12センチと決まった


大賀さんはそのプロセスを語るなかで
カラヤンの名前には一切触れなかった。

 

その後、
「もう一度確かめたいという気持ちが
 強くなった」小松さんは、
大賀さんへの二度目のインタビューも
実現している。

そこでもう一度、
カラヤン《第九》説を聞くと、
以下の返事だった。

「フィリップスとの会議で、
 (CD親格の)いよいよ仕上げ段階で、
 だれにも
 ケチをつけられないようにするには、
 77、78分は必要と主張した。

 カラヤンは長さについて
 一切口出ししなかった。

 まあ、カラヤンが関与した方が
 話がおもしろいでしょう。

 でも、(カラヤンは)そんな
 長さを気にするような人ではなかった」

 大賀さんは終始一貫、
カラヤン《第九》説を否定した

「カラヤン-第九」説は、
やはり単なる噂だったようだ。

 カラヤンのCDに対する思い入れは
尋常ではなかった。

レコード産業の大勢が
CD開発に反発するなか、
ソニー・フィリップスの
記者会見に自ら出たり、
故郷ザルツブルクにCD工場を誘致したりした。

そういうマエストロとCDとの
強い結びつきが
「CDカラヤン《第九》主張説」を
生んだのかもしれない。

私自身はなぜか、同じ第九でも
伝説的名盤、1951年の
フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団の演奏
が基準になった、という説(? 噂)を
ずーっと信じていた。
演奏がちょうど74分ぐらいだったし。

どこで最初に聞いたのか
全く覚えていないのだけれど。

 

CD誕生の背景をまとめると、
《第九》の存在がその大きさを決め、
20世紀を代表する指揮者が
開発や普及を後押しした


筆者はそれで十分と感じる。
決定的な役割は
ソニーとフィリップス技術陣、
それに何より技術と音楽を知る
大賀さんが果たした。

 

小松さんはこんな言葉で
記事を結んでいる。

 インタビューでは
カラヤンに対する敬愛の念とともに、
ライバル心もしばしば感じた


飛行機操縦など共通の趣味のほか、
2011年4月、カラヤンと同じ
81歳でこの世を去った
ことも
二人の共通点として引き合いに出される。

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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