音楽

2021年9月12日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」琵琶師 鶴田錦史

(全体の目次はこちら


「ノヴェンバー・ステップス」琵琶師 鶴田錦史

- 琵琶が軸にある波乱万丈の人生 -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言
「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿
「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と

と名曲「ノヴェンバー・ステップス」
に関する話を続けてきたが、
今回で最後としたい。

最後にどうしても触れておきたかったのは
琵琶を担当した鶴田錦史さんについてだ。

鶴田錦史さんって?、という方は
ここにリンクを貼った
動画を見ていただき、
その演奏と容姿を確認いただければ、と思う。

そのうえで紹介を始めたい。

 

実をいうと、
「ノヴェンバー・ステップス」は、
鶴田錦史を「頭において」どころか、
「すぐそばにおいて」
作曲されたのである。

「ノヴェンバー・ステップス」は
武満が長野県小諸近くの
御代田に持つ山荘に
3ヵ月間閉じこもって作曲されたのだが、
その間鶴田は、
そのすぐ隣りに別荘を買って、移り住み

武満の求めに応じて、
琵琶のあらゆる奏法を解説し、
武満の考案した独特の記譜法で
書かれた譜に従って
音を出してみせるという形で、
作曲を助けたのである。

「別荘を買って移り住み」??
もうこの一行で
興味を抱かないわけにはいかない。

その鶴田さんのことを
武満さん自身も次のように書いている。

鶴田さんは、私が、
真に精神的な師匠と呼べるひとだ

音楽家として傑れているばかりではなく、
人生の達人でもあられるし、
その人格は無垢で、
これは大先達に対して礼を失することに
なりかねないが、時に、
まるで幼児のように無邪気で、
その豊かな人間的な滋味は量りしれない

いったいどんな方なのだろう?

実はちょっと変わった経歴をお持ちだ。

鶴田錦史は、1911年
北海道滝川市生まれで、
本名をキクエといった
(1964年に戸籍を変更し、
 芸名の錦史を本名とした)。 

「本名 キクエ」
えっ!?と思った方。
はい、私も思わず読み返してしまいました。

そうなんです。

鶴田錦史の
舞台や写真を見たことがある人は
ご存知の通り、
鶴田はいつも男装である。

洋装のときは背広にネクタイだし、
和装のときは紋付き羽織袴である。

顔付きも男だし、声も男である。

おまけに名前も男性風だから、
たいていの人は
鶴田を男だと思ってしまう

演奏動画は何度も見ているし
CDまで持っているのに
女性ということは
この本で初めて知った。

鶴田さんは

7歳の頃から琵琶を学んだ。
驚くほど上達が早く、
早くも12歳で演奏活動を開始する
とともに、弟子も取り、
13歳でレコードを吹き込み
(「白虎隊」三枚組)、
16歳でNHKに出演するなど、
天才児の名をほしいままにした。

その後、お弟子さんも増えていき
まさに順風満帆だったのだが、
ある日突然琵琶をやめて、
実業界に乗り出してしまう。

その理由をこう語っている。

「あの世界の裏側には、いろいろ
 きたないものがありましてね、
 それがいやになってしまったんです


 結局、お金なんですね。
 弟子がふえると、
 演奏会をやるでしょう。

 わたしのところは、
 最盛期500人くらいいたわけですから、
 結構な会をやるわけです。

そんなとき、
実力主義でやりたいと思っても、
流派を盛りたてて、
琵琶の世界で食っていこうとする限り、
金持ちの弟子をチヤホヤし、
いい場所に出してやる、みたいなことを
しなくちゃいけない事情から
逃げることができなかったのだ。

 それがいやになったんですね。

 要するに琵琶で食べようとするから
 こうなるのだ。
 いやなものはやめちゃえばいい。
 稼ぐのはよそで稼いで、
 琵琶はその稼いだ金で、
 好きなようにやればいいのじゃないか


 どんな手段でも金が儲かればいい。
 とにかくまず稼ぐことだと考えて、
 商売をはじめたわけです」

で、水商売を始めるのだが
こちらも大成功!

江東区の亀戸駅前で、東京でも
有数の巨大なナイトクラブを経営し、
喫茶店、レストラン、飲み屋などを
何軒も持ち、
貸しピル、マンションなども
複数所有して
不動産業も営んでいたから、
一時期は、江東区の
高額所得者ランキングの常連
だった
のである。

「稼ぐのはよそで稼いで」を
実現させてしまった鶴田さん。

 商売が成功してからは、
 実力はあるけれど
 お金がない弟子たちを、
 ナイトクラブの社員という形にして、
 月給を与えて
 養成したりもしていました

そんな中、芸術祭参加公演にて
武満さんとの運命的な出会いを
果たすこととなる。

その後、

武満との
「怪談」での仕事をきっかけに、
鶴田は再び琵琶の世界にのめりこみ、
それまでの実業家としての成功を
すべて投げ捨ててしまう
ことになる

そして、それまでの成功で蓄えた
巨額の資産も
ほとんど使い尽くしてしまう。

「いまは琵琶だけの生活です。
 琵琶の世界に戻ってから、
 まず、水商売を
 全部やめてしまいました。

 そのあとしばらくは、
 貸しビルやマンションを
 やっていたんですが、だんだん、
 そういうものも
 全部売り払ってしまいました

 琵琶なんて、
 お金が儲かるわけじゃなくて、
 持ち出しですから

 お金はどんどんなくなっていくんです。

 でも、もともと、
 あたしの資産は、
 いずれ琵琶の世界に戻ることを
 目ざして蓄えていたものですから、
 これでいいんです。

 みんな自分の才覚で
 貯めたものですから、
 全部使いつくして
 死ねればいいと思ってるんです

1995年4月4日没 享年83。
もう一度演奏を聞きながら
合掌したい。

 

 

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2021年9月 5日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と

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「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と

- 新しい試みのうらにある交友関係 -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言
「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

と名曲「ノヴェンバー・ステップス」
初演にむけて様々なエピソードを
紹介してきたが、
曲そのものは専門家の眼から見て
どううつっていたのだろう。

ここにリンクを貼った
演奏を聞いていただければわかる通り、
その特徴はなんと言っても、
尺八と琵琶が作りだす独特な世界だ。

小澤さんもこう語っている。

特にあの深い精神性に打たれました。
精神と音楽が
くっついているという感じだった。

そして、つくづく思うんですが
あの曲は二人の合奏というより、
二人の決闘みたいなものですね


西洋人にもそれがわかるんです。

二人の闘いが
火花を散らせば散らすほど、
聴衆が沸く。

ぼくなんかいってみれば、
決闘の介添人みたいなものです。

どうしても強烈なソロの2楽器に
目を奪われてしまうが、注意して聴くと
オーケストラも新しい響きに溢れている。

やっぱり、尺八や琵琶と
対話させるというので、
オーケストラの側にも
新しい音を出させたい
ということ
だったんじゃないかな。

(中略)

ブラスの強い持続音なんかも、
明らかに尺八を意識してるんですね。
西洋のオーケストラ楽器の持っている
いろんな機能とか、コードとか、
リズムとか、持続音とか、
あらゆる要素を駆使して、
武満さんは新しいオーケストラの音を
作っているんです

 

一方で、作曲した武満さんにとっては、
音楽における「時間構造の探求」という
流れの中に位置づけられる作品でもあり、
武満さん自身

小澤君は、
『これは対話だね』
と言っていたけれども、
そういう意味じゃないんだ、
対話なんかできっこないんだ。
まったく違うものを、
二つ同時にやるんだ

とかなり刺激的なコメントをしている。

演奏時『縦が合わなくてもいい』
と言うような作品を発表したり、
一つの曲の内部に複数の時の流れを
持ち込もうとしたり、武満さんは
まさにさまざまな試みに挑戦している
ころだった。

一つの作品の中に
異質の時間の流れを
持ち込んでみたら
どうなるか
というのが、武満の問題意識だった。

 

ところで、武満さん、
こういった演奏会用の作品だけを
自分が思うままに
自由に作っていたわけではない。

なぜなら、ご本人曰く

作曲家というのは、
 自分の音楽作品だけでは
 絶対食えません


 どうしても、食うためには、
 映画やテレビの
 いわゆる劇伴の仕事を
 やらざるをえないんです」

だからだ。

「ノヴェンバー・ステップス」発表前の数年
じつに精力的に映画音楽の仕事をしている。

「食べるために
 やりたくない仕事までやる
 という意味なら、それはありませんが、
 結果的に
 自分が満足できない作品に終る
 ということは、映画の場合ありますよ。

 映画は台本の段階で
 やるかやらないか決めるわけです。

 すると、台本はよかったけど、
 できたものはどうしようもない
 ということがあります。

 それから、
 監督と意見が合わない場合
 どうするかという問題もあります」

担当した映画の監督には、
大島渚、市川崑、勅使河原宏
小林正樹
といった名前が並ぶ。

そのひとり、篠田正浩さんは
こんな思い出話を披露している。

-そうやって次々に仕事を
 いっしょにするようになると、
 日常生活でもよく会ってたわけですか。

「ええ、武満が
 赤坂に住んでいたころなんか、
 ほとんど毎日のように
 会ってましたよ。

 よく篠田桃紅とか、寺山修司が
 いっしょでした。

 武満と一柳(慧)と湯浅譲二と
 四人でマージャンをしたり、
 なんだか毎日
 不思議な取り合わせの人間で、
 しょっちゅう会ってました

篠田正浩、篠田桃紅、寺山修司
一柳慧、湯浅譲二、武満徹

なんともすごいメンツだ。

いったいどんな話をしながら
卓を囲んでいたのだろう。
お互い、新しい試みに向けて
刺激しあっていたに違いない。

 

 

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2021年8月29日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

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「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

- ギフトショップのチョウチンではないからこそ -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

と新しい音楽がニューヨークで
産声をあげる瞬間を
簡単に紹介させていただいた。

上記記事に引用した通り、
ニューヨーク・フィルとの間では
和楽器との共演に向けて
緊張した時間が流れたわけだが
実は小澤さん、
「ノヴェンバー・ステップス」 
の初演を成功させるべく
事前に周到な準備をしていた。

ニューヨークの連中は
やっぱりプライドが高くて、
異質のものに対する包容力に
欠けているところがありますから
『ノヴェンバー・ステップス』を
受け入れてくれるかどうか、
ぼくは不安だったんです。

ニューヨークの場合、新曲でも、
2、3日しか練習時間がとれません
から、
あんな難しい曲を
仕上げられるわけがない。

は、小澤さんの弁。

武満さん作曲の
琵琶と尺八の二重奏「エクリプス」を
聞いて感激した小澤さんが
それをバーンスタインに聞かせたことが
「ニューヨーク・フィルから
 武満さんへの作曲依頼」
につながったのだが、
当時の小澤さんはまだ32歳。

ご本人曰く
「ニューヨークじゃまだ
 チンピラ扱いされてるみたい」
だった小澤さんは、
その2年前から音楽監督になっていた
カナダのトロント交響楽団の協力を
仰いだのだ。

「トロント交響楽団にすれば
 ニューヨーク・フィル公演のための
 練習台にされるわけで、
 そこまでぼくに付き合う必要は
 ないわけですが、
 大協力してくれたんです。
 ほんとに感動的でした。

トロント交響楽団の協力が
得られることになったため
ニューヨークに行く前に、
なんと2週間も
カナダのトロントで
ビッチリ練習に打ち込んだのだ。

 きっとぼくたちが
 あまりにも真剣になっていたからだと
 思いますよ。

 なにしろ日本から、
 作曲家と二人のソリストがやってきて、
 2週間も泊り込みで、
 毎日毎日練習に明け暮れた

 わけですからね。

 あの頃、日本なんて貧乏国で、
 1ドル360円の時代です。
 その費用だって大変なわけですよ。

 あの連中を助けてやろうという
 気特ちになったんだと思いますね」

今回の作品が、
和楽器との融合という新しい世界を
ハイレベルで実現できていることへの
確信みたないものが
「あまりにも真剣」を
生み出していたのだろう。

日本の音楽との融合が、ときに
安っぽくなってしまう場合がある
ことについて、小澤さんは
「棒ふり一人旅」(週刊朝日)
の中で、
実にうまい表現を使っている。

これまで、多くの作曲家が
われわれ自身の音楽、現代の
日本の音楽を書こうとこころみた。

あるときは日本の民謡を取入れ、
日本のリズムを取入れ、
お寺の鐘の音を書入れたり、
雅楽の響きを
オーケストラでまねてみたりした。

むろんうまくいく場合もあるが、
下手をすると、
ニューヨークの町角でみられる安っぽい、
いわゆる
『オリエント・ギフト・ショップ』
『東京ギフト・ショップ』の、
チョウチン、日ガザ、ゆかたがけ的な
日本ムードに堕する恐れがある

『東京ギフト・ショップ』のチョウチンか。
思わず笑ってしまうほど表現が的確だ。

初演の成功は、
そんな安っぽいものではない、
深い精神性を伴う日本発の新しい音楽を
ぜひ聞いてもらいたい、の
強い動機に支えられた
周到な準備の成果だったのだ。

 

 

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2021年8月22日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

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「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

- ようやく迎えられた初演本番 -

 

前回、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
と題して

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から武満徹さん作曲の名曲
「ノヴェンバー・ステップス」
初演前のリハーサルの様子をお伝えした。

作曲者の武満さんにも
尺八の横山さんにも
琵琶の鶴田さんにも

「こんなに不真面目なやつらと
 やれるかと思いました」

「うまいけれど、
 音楽やるのはメシの種という感じで、
 真剣みが
 あんまり感じられなかった」

「自分のやり番のときだけ
 指示された音を忠実に出す。
 それが終ると
 また勝手なことをしている。
 ああいうのは
 いやだなと思いました」

という思いを抱かせてしまった
ニューヨーク・フィルの面々。
指揮者の小澤さんはこういった状況に、
さてどう対応したのだろう。

武満さんはこう語っている。

そしたら小澤さんが、
『まあいいや、みんな
 きょうは練習やらなくてもいいから、
 鶴田さんと横山さんに
 日本の伝統的な曲をやってもらおう

といって、まず、
『ノヴェンバー・ステップス』の
ソロ・パートを
二人に弾いてもらったんです。

さすが指揮者、さすが小澤さん。
あの曲のソロパート、
初めて聞いたらそりゃぁ驚いたことだろう。

(演奏へのリンクは
 前回の記事に貼りましたので
 ご興味のある方は
 そちらから聞いてみて下さい)

さて、ニューヨーク・フィルの反応は?

そしたら
やっぱり向こうも音楽家ですから、
わからないにしろこれはいい音楽だ。
素晴らしい演奏だと感じるところが
あったんですね

みんな『ブラボー!』といって、
それからはうまくいったんです。

もちろん、全員の賛同が
得られたわけではなかったようで、
リハーサルが終わってから

『しょうがないから吹くけど、
 おれはお前のこんな音楽は
 大っ嫌いだ』

と言ってきたオーボエ吹きもいたようだ。

指揮の小澤征爾さんも、
当時はまだ32歳。

 

そうして迎えた初演本番。
小澤さんは「棒ふり一人旅」に
こう書いている。

演奏が始まると、はじめ好奇心で
なんとなくざわついていた会場が、
音楽の真実さ、強さ、
美しさにひっぱられて、
みなシーンとしちまうのが感じられる

会場には大物作曲家も聴きに来ていた。

聴きに来ていた作曲家の
ペンデレツキ(ポーランド)や
コープランド(アメリカ)は
真赤な顔をして、感激、興奮していた。

二日目に来たバーンスタイン
『まあ、なんという強い音楽だ。
 人間の生命の音楽だ』
と涙を流していた。

感激したバーンスタインは、
武満さん、小澤さん、
鶴田さん、横山さんの4人を
自宅に招待して、さらに
尺八や琵琶の演奏に触れることなる。

ニューヨーク・タイムズや
サン・フランシスコ・クロニクルなどの
批評も上々で、
結果的に初演は大成功をおさめた。

小澤さん自身にも

この音楽は、
ぼくの血の中で、肉の中で、心の中で、
またぼくがこれまでに得た
音楽教養の中で、
いちばんしゃべりたかったことを
しゃべっている

と響いていたようだ。

小澤さんのリハーサル時のひと言が
団員の心を動かす
大きなきっかけであったことは
間違いないが、
実は小澤さん、
「ノヴェンバー・ステップス」
成功のためにもっともっと
周到な準備をしていたのだ。

(次回に続く)

 

 

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2021年8月15日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル

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「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル

- 絶望的な雰囲気の中で -

 

前回、
「相寄る魂」が作った一冊 と題して

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

の「おわりに」からのエピソードを
紹介させていただいた。
「おわりに」は、著者立花さん自身の
ことについての話だったが、
本文のほうは書名の通り、
作曲家・武満徹さんを立花さんらしく
ガッツリ取材した内容になっている。

約百時間にも及んだ
インタビューに支えられた内容は、
様々な角度から武満さんご自身と
武満さんの交友関係、
武満さんの作品(音楽)に
光をあてている。

特に武満さんの代表作のひとつ
「ノヴェンバー・ステップス」
に関する記述は多く、
なにも知らずに聞くだけでも
衝撃的な作品なのに、
本を読むことで、さらなる陰影を伴って
より立体的に聞こえてくるようになる。

「ノヴェンバー・ステップス」って何?
という方も
もちろんいらっしゃることだろう。

もしご興味があれば
ぜひ下記をご覧になって見て下さい。
尺八、琵琶とオーケストラのための作品。
約23分。

指揮:岩城宏之
   NHK交響楽団
尺八:横山勝也
琵琶:鶴田錦史
録音:1984年6月13日、東京文化会館

音声にノイズはあるもの
尺八の横山さん、琵琶の鶴田さんをはじめ
演奏の様子がわかる動画は貴重だ。

 

CDで聴くなら

指揮:小澤征爾
   サイトウ・キネン・オーケストラ
尺八:横山勝也
琵琶:鶴田錦史
録音:1989年9月15日、ベルリン

がお薦め。
動画はないがYouTubeでも
その録音を聴くことができる。
約19分。
こちらは音もかなり鮮明だ。

 

「ノヴェンバー・ステップス」は、
ニューヨーク・フィルの創立125周年を
記念しての委嘱作品だった。

1967年初演。
作品としても高く評価され
のちに世界中で演奏されることになる
この曲も、初演前の
リハーサルの様子は読むのも辛い。

作曲者、武満さんの言葉。

いやもう最初はひどかったです。
まず尺八が出てきたとたんに、
舞台の上にいた人の半分ぐらいが
笑い出しちゃって、
舞台から飛びおりて客席のほうにまで
ころげまわっていったのがいた。
 (中略)
とてもじゃないけど、
こんなに不真面目なやつらと
やれるかと思いました


それで小澤征爾に、
ぼくはもうイヤだ、
作曲料も何もらない、
キャンセルしたいと・・・

 

尺八、横山さんの言葉も

なんか心が通いあうという感じに
なれなかったですね。
みんな演奏はうまいですよ。
それこそどんな曲でも鼻歌まじりで
弾いてしまうくらいうまい。
うまいけれど、
音楽やるのはメシの種という感じで、
真剣みが
あんまり感じられなかった
ですね

 

琵琶、鶴田さんの言葉も

リハーサル中に、
なんかおしゃべりしたり、
ちがうことをやったりしていて、
自分のやり番のときだけ指示された音を
忠実に出す。

それが終ると
また勝手なことをしている。

人がやっているときでも
その音を真剣に聞こうとする態度に
欠けてるんですね。

ああいうのは
いやだなと思いました


だから、
日本人の演奏はあんたがたと
ちがうんだという気持ちで、
いつもピシッとしていました

三人が三人ともこう思うような
ある意味絶望的な雰囲気の中で
あんな難曲のリハーサルが
よくできたものだ。

三人をガッカリさせてしまった
オーケストラを前に、
指揮者の小澤征爾さんは
いったいどんな態度をとったのか?

この話、次回に続けたい。

 

 

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2020年9月 6日 (日)

2020年 夏の小語録

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2020年 夏の小語録

- わかりやすさの過剰摂取で -

 

コロナウイルスにより
かつて経験したことのない
夏を過ごすことになった2020年。

いわゆる三密を意識的に避けた生活も
すでに半年にも及んでいるせいか、
夏祭りや花火、繁華街や旅先での
人があふれかえっている過去の映像を見ると
妙に遠い世界のことのように感じてしまう。

というわけで、
実際にはあんなに暑かったのに
なぜか夏を実感しないまま
9月に入ってしまった、という感じだ。

涼しくなる前に、この夏に目にした言葉から
印象に残ったものを
いくつかここに留めておきたい。


(1) わかりやすさの過剰摂取
ドイツ在住の雨宮紫苑さんこの記事

「わかりやすい表現で
 わたしを納得させてみろ」という
 尊大なクレーム精神は、現代人の病。

というタイトルに
みごとに内容が集約されているが、

「わかりやすさの過剰摂取で、
 わたしたちは考える努力をしなくなった」

は、グサリと突き刺さる言葉だ。

わかりやすい説明を人に求めるのではなく
「自分で考えることの楽しさ、おもしろさ」
を、もう少し広められないものだろうか?

ここにも書いた通り、
我々は無痛(わかりやすさ)を求めるがあまり
「欲望」が「よろこび」を奪っている
面があることを
すっかり忘れてしまっている。
目を覚ます路はありやなしや。

 

(2) 蓋(ふた)をする
2020年8月24日に、佐藤栄作氏が持つ
連続在職日数の2798日を超え、
最長政権の記録を更新した安倍首相は
その4日後の8月28日
持病が悪化したことを理由に
総理大臣を辞任する意向を明らかにした。

さまざまな問題が表面化しながらも
長期化した政権の奇妙さについては
「朝日川柳」に掲載されていた
井原研吾さんの川柳が、
たった17文字で表現しきっている。

蓋(ふた)をする ただそれだけでこうも持ち

 

(3) 症状でググるな
この歌詞、
誰でも思い当たるフシがあるだろう。

決して症状をググるな!!
「咳」と「病気」でググれば
お前はすでに結核だ。

少しでも安心できるネタを探して
検索しているのに、病気関連の場合、
それをやると
なぜか心配ネタが増えるばかりだ。

 

(4) 生きがいって、
大好きなアイリッシュバンド
Dé Domhnaigh(ジェ・ドゥーナ)で
フィドルを演奏している大谷舞さんの言葉。

生きがいって、
生きた心地がしない時ほど強く感じる。

「生きた心地がしない」ほどの時間を
過ごせれば、おそらくそこに
生きがいは必要ない気がするが、
いずれにせよ、
何ものにも代えがたい時間を
体験できた人のみが口にできる言葉だ。

そういう経験は、
簡単に手に入るものではないけれど
だからこそそれは貴重で愛おしい。

そんな心豊かな奏者による
素晴らしい演奏を1セットどうぞ。
リンクをひとつだけ貼っておきます。
 polka set 
(クリックするとYouTubeに移って
 再生されます)

 

(5) 浜松の日本歴代最高気温
2020年8月17日、静岡県浜松市で
41.1度が記録された。
これは2018年に埼玉県熊谷市で記録された
日本歴代最高気温に並ぶ。

その翌日のTwitterでみかけたつぶやき。
リツイートの繰り返しで原作者不明。
浜松、熊谷の関係者限定ネタではあるけれど。

日本歴代最高気温を記録した
浜松市民が騒いでいるようだが、
君たちには「うなぎ」も「餃子」も
「YAMAHA」もあるじゃないか。

熊谷から日本歴代最高気温を奪ったら
何が残るか考えてやったほうがいい。

 

 

 

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2020年4月 5日 (日)

音楽ライブラリ管理ソフト「MusicBee」

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音楽ライブラリ管理ソフト「MusicBee」

- その気にさせるソフトの魅力 -

 

ここに書いた通り、私は
携帯音楽プレーヤ「ウォークマン」を
カセットテープの時代から愛用している
長年のウォークマンユーザだ。

時代とともにカセットテープ、CD、MD、
そしてメモリタイプへと
音楽を聴くメディアも変化してきた。

考えてみると
カセットテープやCDの時代には、
メディアそのものが
まさにライブラリだったわけだが、
MP3フォーマットに代表される
電子ファイルで
音楽を聴くようになってからは、
媒体としての「モノ」は
見えなくなってしまった。

同時に、音楽データの管理、
つまりライブラリの管理は
専用のアプリケーションに
頼らざるを得なくなった。

もちろんそこには音楽を再生する
プレーヤとしての機能も必須だが、
今日はライブラリの管理機能をメインに
話を進めたい。

iPodが登場したときの
Apple「iTunes」のVer.1も
SONY「SonicStage」のVer.1も
どちらも同じ2001年に登場している。

以降、Appleは一貫してiTunesの
バージョンアップを繰り返しており、
2019年に「ミュージック」
発表してはいるが、
Windows版iTunesの方は
まだしばらく続く予定らしい。

一方、SONYの方は
いったい何を考えているのか、
この20年間に
単なるバージョンアップではなく、
アプリケーション自体を次々と変更してきた。

そのため、私がウォークマンのために
PCにインストールしたものだけでも
 (1) SonicStage
 (2) x-アプリ
 (3) Media Go
 (4) Music Center for PC

と4種もある。

加えて、主にpodcastを聴くために
 (5) iTunes
も一時使っていたので、
計5種類のライブラリソフトが
混在していたことになる。

 

これだけいろいろなアプリケーションが
ありながら、

SONYの方は、
名前も含めて大規模な変更を
何度も繰り返してきているのに、
肝心な操作性がUIを含めて
ちっともよくならないし、

iTunesの方は、
バージョンアップが繰り返されるたびに
どんどん重くなってしまっているし、

と、どちらに対しても
ストレスが溜まっていた。

そのうえ、

どの曲とどの曲がまとまって
一つのアルバムとなるか、の
「アルバムの管理」
アルバムのアートワーク、つまり
「ジャケット写真」の扱い
テーマに沿って曲を集めた
「プレイリスト」の管理
等に統一した指針がなく、

ライブラリを維持・管理しようとすると
メインとなるアプリケーションを
変更するたびに組み替えたり、
作り直したりする作業が必要になっていた。

特に、複数のアーティストが混在している
コンピレーションアルバムに関しては、
意図しない動きになることも多く、
整理の意欲そのものを
削(そ)がれている面があった。

そんな折、「MusicBee」の存在を知った。

少し調べてみると実にいい。

というわけで、
ハードウェアとしては
SONY ウォークマン NW-A16のままだが、
ライブラリ管理アプリケーションのほうは
過去の資産も含めて
MusicBeeに完全移行することに決めた。

まだまだ初心者だが、これまでのところ
移行してほんとうによかったと
思っている。

【MusicBee のお薦めポイント】

(a1) フリーソフト
  無料はありがたい。
  最初のリリースは2008年。
  11年以上も更新を続けている。

(a2) 軽快
  起動も検索もはやく、
  動きがキビキビしていて気持ちいい。
  
(a3) CDからのRippingがより正確
  lameが同梱されているが、
  エンコーダを選ぶことも可能。
  AccurateRipを使った確認もできる。

(a4) パネルレイアウト等、変更が容易
  どこに何を表示させるか、
  変更が簡単にできる。

(a5) MP3タグ編集が簡単
  コンピレーションアルバムはもちろん、
  2枚組やフォーマット別の
  アルバム定義も簡単にできる。
  フォルダごとにファイルが
  まとまっているようであれば
  フリーソフト「Mp3tag」を使って、
  事前整理をしておくとさらに効率的に
  作業が進められる。

(a6) アートワークの設定が容易
  自動検索もできるうえに、
  Amazonその他からの埋め込みも
  簡単な操作で可能。

(a7) プレイリストが柔軟
  プレイリストの保存形式を
  「M3U(#EXT)」にすると
  SONYウォークマンへの転送も
  再生も全く問題なし。
  追加・削除・変更の自由度も高く軽快。

(a8) ファイルの再整理が簡単
  「メディアファイルを自動的に整理」
  という機能を使うと、
  インポートしたファイルや
  フォルダの名前を
  事前に定義しておいた統一形式に
  再整理して保存することができる。

  たとえば形式を
   アルバムアーティスト\アルバム
   \ディスク-トラック番号 タイトル
  と定義すれば、
  過去にRippingしたファイルも含めて
  統一ルールによる再整理が可能。

とまぁ、お薦めポイントはたくさんある。

しかも
「MusicBee 使い方」あたりで検索すると
詳しい使い方を
丁寧に説明してくれているページも
たくさんあるので、
疑問があっても多くの場合
すぐに解決できる。

とにかく
「音楽・音声ファイルも
 PCにいっぱい溜まっているし
 すっきり整理したいな」
と思ったとき、まさに
「よし! やろう!」
とのやる気にさせる、
その点が特にすばらしい。

「iTunes」も「Media Go」も
「Music Center for PC」も
仕方なしに「アプリに合わせて」
使ってはいたが、
納得できない奇妙な動きが散見され
「よし! やろう!」
とのやる気にはどうしてもなれなかった。

MusicBeeのおかげで
今はずいぶん整理が進んだ。

軽快かつ明快に作業が進められるので
作業ストレスが小さいことも魅力。

現状お使いの音楽アプリの
ライブラリ管理機能に不満を感じている方、
ぜひ、お試しあれ。

最新版はこちらからダウンロードできる。

 

 

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2019年12月29日 (日)

CDの収録時間はどう決めた?

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CDの収録時間はどう決めた?

- ソニー大賀氏へのインタビュー -

 

令和元年もいよいよ年の瀬。

年末の風物詩
ベートーヴェン「第九」の演奏会は
今年もあちこちで開催されていたようだが、
「第九」で思い出した記事があるので
今日はその記事のことを紹介したい。

雑誌「レコード芸術」の
2017年12月号
に、
日本経済新聞社・文化事業担当の
小松潔さんが書いていた

伝説の検証
カラヤン《第九》説を
大賀氏は2度否定した
CDの収録時間は誰が決めたのか


という記事。

いわゆる「俗説」を検証した記事だが、
信頼できる相手に取材しているので
雑誌の一記事として埋もれてしまう前に
「記録」としてここに残しておきたい。
(以下水色部、記事からの引用)

「今から10年前」
で本文が始まっている通り、
まずは2007年のインタビューから
記事は始まっている。

 今から10年前、
ソニーのトップを長年務めた
大賀典雄さん(1930~2011)に
カラヤンの思い出話を開いた。

マエストロ生誕100年(2008年)を前に
『カラヤンと日本人』
(日経プレミアシリーズ)と題した本を
書こうと思い立ったからだった。

当時、コンパクトディスク(CD)の
規格として直径12センチとなったのは、
カラヤンがCD開発で先行していた
ソニー、フィリップスの2社に対し
「ベートーヴェンの《第九》が
 1枚に入るように」
と発言したことが
決定的な影響を与えた
という説が
一般に伝わっており、
その真偽を確かめたい
という思いもあった。

 カラヤンと大賀さんの交友関係は
すでに有名で、
カラヤンの最期(1989年7月16日)を
ザルツブルク郊外アニフの
マエストロ自宅で看取ったことは
クラシック・ファンならずとも
知っている。

 めったにメディアと
会わなくなっていた大賀さんだが、
カラヤンのこととなると、
すぐに時間を作ってくれ、
品川・御殿山のオフィスにあった
大賀さん専用の応接室で
懐かしそうにエピソードを語った。

さて、巷で広く語られていた
「カラヤン-第九」説に
大賀さんはどう答えたのだろう。

ほほ期待通りの内容だったが、
CD開発について、
カラヤンがその長さを
決める役割を果たしたのか
という質問だけは否定


予想外の返事だっただけに
そのバリトンの低い声は
鮮明に覚えている。


小松さんは、
「ソニー社史」も参照しながら
検証を進める。

 ネットで公開している
「ソニー社史」によると、
1978年6月、
大賀さんはオランダの
アイントホーフェンにある
フィリップス本社を訪ね、
オーディオ専用の
光ディスクを見せられた。

1982年に発売となるCDの原型である。
当時、
ソニーの副社長だった大賀さんは
フィリップスとの交渉の
先頭に立っていた。

新方式であるデジタル録音の媒体として、
ソニーは「まずはテープという形」
での普及を考えており、
フィリップスは
「光ディスクの実用化」を進めていた。

大賀さんも大量生産などを考えると
光ディスクのほうがいいと判断。

フィリップス側が想定するディスクは
11.5センチで
1時間の音楽が入ると説明を受けた。

 この11.5センチは
カセットテープの
対角線の長さと同じであり、
フィリップスは
持ち運びを考慮し
この大きさを提案したという。

これに対し、大賀さんは
「カセットの対角線に
 こだわる必要があるのか、
 そんなことに何の意味もない。
 中に入れる音楽が問題
と主張した。

1時間収録できれば
当時のLPレコードの代替にはなる。
しかし、一部のクラシックファンは
LPレコードに大きな不満を感じていた。

クラシック・ファンが
LPで不便に感じているのは《第九》や
長大なワーグナーのオペラなど
1幕の途中で盤面を
ひっくり返さなくてはいけないこと。

筆者が
「有名な話でカラヤンが
 《第九》が入るようにと
 言ったそうですが」
と水を向けると、
《第九》もそうだが、
オペラも1幕が入ることが大事
と強調
した。

カラヤン《第九》説を
否定する
とともに、
歌手出身の経営者らしく、
オペラのことが
強く念頭にあったという印象だ。

結果的に第九だけでなく、
オペラも考慮にいれた
大賀さんの提案が通る。

「直径12センチにすれば
 (収録時間は74分)、
 ワーグナー(のオペラの1幕)でも
 大概1枚に入る。

 フィリップスの会議室で
 白板を使い
 それを説明したわけです」

 インタビューで感じたのは、
ユーザー本位の発想だ。

音楽ファンがどうすれば
長大な交響曲やオペラを
最高の状態で楽しめるかを
第一に考える姿勢が、
大賀さんには備わっているようだった。


 結局、ソニー側の言い分が通り、
CDの直径は12センチと決まった


大賀さんはそのプロセスを語るなかで
カラヤンの名前には一切触れなかった。

 

その後、
「もう一度確かめたいという気持ちが
 強くなった」小松さんは、
大賀さんへの二度目のインタビューも
実現している。

そこでもう一度、
カラヤン《第九》説を聞くと、
以下の返事だった。

「フィリップスとの会議で、
 (CD親格の)いよいよ仕上げ段階で、
 だれにも
 ケチをつけられないようにするには、
 77、78分は必要と主張した。

 カラヤンは長さについて
 一切口出ししなかった。

 まあ、カラヤンが関与した方が
 話がおもしろいでしょう。

 でも、(カラヤンは)そんな
 長さを気にするような人ではなかった」

 大賀さんは終始一貫、
カラヤン《第九》説を否定した

「カラヤン-第九」説は、
やはり単なる噂だったようだ。

 カラヤンのCDに対する思い入れは
尋常ではなかった。

レコード産業の大勢が
CD開発に反発するなか、
ソニー・フィリップスの
記者会見に自ら出たり、
故郷ザルツブルクにCD工場を誘致したりした。

そういうマエストロとCDとの
強い結びつきが
「CDカラヤン《第九》主張説」を
生んだのかもしれない。

私自身はなぜか、同じ第九でも
伝説的名盤、1951年の
フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団の演奏
が基準になった、という説(? 噂)を
ずーっと信じていた。
演奏がちょうど74分ぐらいだったし。

どこで最初に聞いたのか
全く覚えていないのだけれど。

 

CD誕生の背景をまとめると、
《第九》の存在がその大きさを決め、
20世紀を代表する指揮者が
開発や普及を後押しした


筆者はそれで十分と感じる。
決定的な役割は
ソニーとフィリップス技術陣、
それに何より技術と音楽を知る
大賀さんが果たした。

 

小松さんはこんな言葉で
記事を結んでいる。

 インタビューでは
カラヤンに対する敬愛の念とともに、
ライバル心もしばしば感じた


飛行機操縦など共通の趣味のほか、
2011年4月、カラヤンと同じ
81歳でこの世を去った
ことも
二人の共通点として引き合いに出される。

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2019年11月17日 (日)

ブリュッセル・レクイエム

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ブリュッセル・レクイエム

- 壁をつくってかぎをかけなければ -

 

初めてベスト8にまで進出した
日本代表の活躍もあって
ラグビーワールドカップ2019が
おおいに盛り上がっていた
ちょうどそのころ、
第67回全日本吹奏楽コンクール
全国大会も開催されていた。

 中学校   2019年10月19日
 高等学校  2019年10月20日
 大学    2019年10月26日
 職場・一般 2019年10月27日

全国大会の出場校と結果、
自由曲のリストはここにある。

全国大会 中学の部
全国大会 高校の部

このリストでの注目すべきは自由曲。
コンクールの自由曲なんて
それこそ数多(あまた)ある中から
自由に選べるのに、
中学の30校中なんと7校がこの曲。

B.アッペルモント作曲
「ブリュッセル・レクイエム」


全国大会は、
吹奏楽の甲子園、とも呼ばれるように
支部の予選を勝ち抜いた
強豪校ばかりによる戦いの場だが、
そこまで勝ち上がってきた学校が
選んでいたのが
なぜか7校も揃ってこの曲、
ということになる。

 

結果を報じる新聞も「自由曲で大人気」
の見出しをつけて
以下のような記事を掲載していた。

2019年10月20日の朝日新聞の記事。
(以下水色部は記事からの引用)

A1910202bs

「ブリュッセル・レクイエム」が、
一大旋風を巻き起こしている。

初出場3団体を含む、
中学校から大学までの計11団体が選択。

自由曲としては過去最高だ。
なかでも中学校の部では
7校がこの曲を選び、
19日の晴れ舞台への切符を勝ち取った。

 

この曲、1973年生まれのベルギーの作曲家
ベルト・アッペルモント(Bert Appermont)
によって2016年に作曲された
新しい楽曲らしい。

曲は、
ベルギーの作曲家アッペルモントが、
2016年に母国で発生したテロを題材に、
犠牲者の鎮魂歌として作曲した。

フランス民謡の美しい旋律が象徴する
穏やかな日常を、テロが切り裂く。
逃げ惑う人々。
愛する人を奪われた慟哭(どうこく)。
再び平和を目指して歩き出す人々-。
そんな場面が昔でつづられる。

 

そんな新しい曲が、2018年
一気にブレークするきっかけは、
まさに吹奏楽コンクール全国大会だった。

全国大会では
昨年「初演」されたばかり。
北斗市立上磯中(北海道)や
精華女子高(福岡)など
演奏した3団体すべてが金賞という
鮮烈デビューを飾り、
一気にブレークした。

 

そもそもどんな曲なのだろう?
昨年の演奏がYouTubeにあったので
ちょっと聴いてみたい。

イチオシはこれ!
(吹奏楽に興味のある方はもちろん
 興味のない方も約8分半、
 全国大会レベルの演奏に
 ぜひ耳を傾けてみて下さい)

【演奏:精華女子高校吹奏楽部(2018年)】

正直言って、
ほんとうにびっくりしてしまった。
「ナンなんだ、この曲!」
「ナンなんだ、この演奏!」
進化しているのはラグビーだけではない。

コンクールでは演奏時間の制約があるため、
制限時間内に入るよう
各校原曲を編曲のうえ参加してきている。
なので、学校によって曲のつなぎ方と
演奏部分がすこし違う。
中学生の演奏でも聴いてみよう。

【演奏:北斗市立上磯中学吹奏楽部(2018年)】

中学校でこのレベルの演奏をされたら
いったいどんな学校が
ここに勝てるというのだろう?

「難所」の練習の回数は4桁に達した。と
記事にもあるが、どちらの演奏も、
このレベルになるまでの
練習過程を想像すると
まさに気が遠くなる。

もちろん達成できたときの
到達感も一入(ひとしお)だろうけれど。

 

曲や演奏に驚くと同時に、
この新聞記事には
すごくいい言葉がふたつあったので、
ここに残しておきたい。

ひとつ目は、北上市立上野中(岩手)教諭の
柿沢香織さんの言葉。

こちらが限界という
 壁をつくってかぎをかけなければ、
 今の中学生は
 どこまでも伸びていきます

中学生だからこの程度、
と勝手に壁を作ってしまうのは
まさに大人のほう。
チャンスと動機さえ与えれば
そしてその可能性を信じて
グングン引き上げてくれる
すぐれた指導者に恵まれれば
実は「どこまでも伸びる」のだ。

 

ふたつ目は、高岡市立芳野中(富山)教諭の
大門尚(なお)さんの言葉。

この曲を好きだからこそ
 よく練習したし、
 吹けたのだと思います。
 曲に育てていただきました

今回記事を書くために、
多くの演奏を繰り返し聴いてみたが、
知れば知るほど
単に難曲、というだけでなく
「好き」になるような
魅力に溢れている作品であることが
よくわかる。

そもそも「好き」になれなければ、
4桁回もの練習には耐えられない。

一方で「好き」になれば
まさに世界はどんどん広がっていく。
「好き」はまさに「育てて」くれるのだ。

 

最後に「ブリュッセル・レクイエム」の
ノーカット版、原曲演奏を貼っておきたい。
この曲、
原曲は金管バンドのための曲らしい。
英国の名門「The Cory Band」の演奏。

コンクール自由曲の
演奏時間内に収めるために、
曲の魅力を失うことなく
各校いかに上手にカットしているか、も
よくわかる。

ここのところ、個人的に
ヘビーローテーションとなっている
各演奏だ。
何度聴いてもそれぞれに新しい発見があり、
飽きることがない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年9月 1日 (日)

ウォークマン 再び

(全体の目次はこちら



ウォークマン 再び

- 雑誌の特集記事を読みながら -

 

前回
ウォークマン発売40周年を記念して、
東京・銀座ソニーパークで開催されていた
 #009 WALKMAN IN THE PARK
 「音楽が歩き出した日」から40年

のことを書いたが、
ちょうどそのころ書店を覗いたら
こんな雑誌が平積みされており
表紙のウォークマン2の写真に、
またまた引き寄せられてしまった。
雑誌の発売日は2019年8月20日。

俺たちをときめかせた音楽モノ大全
2019年10月号 : 昭和40年男増刊 総集編
クレタパブリッシング

雑誌は
「ウォークマン」「ラジカセ」
「ステレオコンポ」「楽器」
の4カテゴリについて
「音楽モノ」が元気だった時代を
多くの資料とともに振り返っている。

上記ソニーパークで開催されている
ウォークマン展でも得られなかったような
興味深いデータも載っていたので
それらを参考に
再度ウォークマンを振り返ってみたい。

なお実機の写真があったほうが
イメージしやすいので
ウォークマン展で撮影したものを
前回と同じものになってしまうが
再度添えておきたい。
どれもちゃんとテープを再生できる状態で
展示されていたのには
ほんとうに驚いた。
壊れずに動き続けていますように。

 

まずは、やはりコレから。

(1) ウォークマン1号機TPS-L2

P7033511s

ソニーの創業33周年に
3万3000円で売り出された記念すべき1号機。

録音もできないし、スピーカもない、
でも持ち歩きながら「ステレオ」で聴ける
カセットプレーヤ、
そんな1号機TPS-L2が
どんな経緯で誕生したのか。

ソニー創業者のひとり
井深大さんの言葉を始め
詳しい経緯は雑誌に譲るが、
改めてカタログを見ると
一番興味深いのは
当時の開発者の「熱い思い」が
感じられる「仕様」そのものだ。

(1-1) 2つのヘッドフォンジャック
ヘッドフォンジャックに印刷された
「GUY & DOLLS」については
前回、写真を添えて書いたが、
「ふたりで一緒に聴く」というコンセプトは
雑誌の表紙にもなっている
250万台を売ったという大ヒット作
2号機となるWM-2

P7033514s

にも引き継がれている。
「歩きながら聴く」ステレオは
「ふたりで聴く」ステレオでも
あったわけだ。

 

(1-2) HOT LINEボタン
これこそまさに初代TPS-L2のみの機能。
「ふたりで聴く」を考えたとき、
ふたりがヘッドフォンをしていたら
どうやって会話をすればいいのか?

なんとその答えを
「機能」として提供してくれている。
それがオレンジ色の「HOT LINE」ボタン。

P7033510s

このボタンを押すと、
再生中のテープの音が、
本体内蔵マイクの音に切り替わる。
つまり、マイクを通じて
ヘッドフォンをしたまま
ふたりが会話できる、というもの。

録音もできない機械が
マイクを実装している。

 

(1-3) 左右独立のボリュームコントール
TPS-L2にはスライド式の
ボリュームがついているのだが、
その設定は左右独立。
つまり右耳用と左耳用
それぞれにボリュームがついている。

空間に配置されるスピーカを持つ
ステレオセットでもなく、
もちろんミキサーでもないのに、
左右独立。
どんな状況を考えての機能なのだろう?
「ステレオ」という機能を強調するため、
ならわからなくはないが。


これらがすばらしい仕様だ、
と言いたいわけではない。
結果としてみれば、
どれも後継機に引き継がれて
長く残ることはなかったことを考えると
むしろマーケティング的には
フィットしなかった機能と
言えるかもしれない。

それでも、
電機メーカのエンジニアとして、
これらの仕様を決めるときの
商品企画会議の様子を想像すると、
もうそれだけで興奮してしまう。
どんな「思い」の
ぶつけ合いがあったのだろう。
新しいものが生まれる瞬間は
いつでも魅力的だ。

 

(2) 音楽メディアの変遷
カセットテープから始まったウォークマンは
その後、様々な音楽メディアに
対応していく。

上記ウォークマン展の
スタンプラリーの景品としてもらった
ブックレットの写真を一部拝借
して、
メディアごとのモデルを振り返ってみたい。
ブックレット入手の顛末はここ


1979 カセットテープ    :TPS-L2

Walkman21

 

1984 CD         :D-50

Walkman22

 

1990 DAT          :TCD-D3

Walkman23

 

1992 MD         :MZ-1

Walkman24

 

1999 メモリースティック  :NW-MS7

Walkman25

 

2004 HDD(20GB)      :NW-HD1

Walkman26

 

メディア対応だけでなく、機能のほうも
録音、オートリバース、防水、
ソーラーバッテリー、Wカセット、
FMチューナー、ワイヤレスリモコン、
ワイヤレスヘッドフォン、
果ては
カメラ、ワンセグテレビ、
まで、
あの小さな小さな筐体に
さまざまな夢が次々と実装されては
消えて行っている。

 

(3) 連続再生時間への挑戦
ウォークマンの歴史と言うと、
極限にまで最小化された
「サイズへの挑戦」に
フォーカスがあたりがちだが、
今回の雑誌の特集では、
連続再生時間についても
詳しく記録を残してくれている。
一部をピックアップしても・・・

1979 単三x2本:8時間
1981 単三x2本:9時間
1983 単三x1本:5時間
1985 単三x1本:4時間  Ni-Cdガム:2時間
1987 単三x1本:7.5時間 Ni-Cdガム:4時間
1989 単三x1本&Ni-Cdガム:11時間 併用
1991 単三x1本&Ni-Cdガム:12.5時間 併用
1992 単三x1本&Ni-MHガム:22時間 併用
1994 単三x1本&Ni-MHガム:36時間 併用
1996 単三x1本&Ni-MHガム:62時間 併用
1998 単三x1本&Ni-MHガム:100時間 併用

Ni-Cdガム:
  ニッケル・カドミウム・ガム型充電池
Ni-MHガム:
  ニッケル・水素・ガム型充電池

単三x1本のモデルを作るときは、
1.5Vで動作するICがなかったため、
そこからの開発だったという。
最初(1983年)の単三電池1本で5時間だって
十分驚きに値する消費電力だが、
そこからここまでの成長を見せるとは!

単三x1本とニッケル水素ガム型充電池との
併用で
連続再生時間100時間を達成した
WM-EX9はこれ。

Walkman27

カセットテープ機では、言うまでもなく
音楽再生の電子回路の他、
モータでテープを送り、
それを巻き取るというメカを
再生中、常に動かさなければならない。
そういった「メカを動作させること」も
含めての100時間!

まさに「到達点」と呼ばれるにふさわしい
信じられない技術の結晶だ。

コンセプトでもデザインでも技術でも
我々昭和世代に衝撃を与えた
カセットテープ対応のウォークマンは
2010年をもって
国内向けの出荷を終了したという。

ほんとうにお世話になりました。合掌。

 

 

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