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911その時カナダ、イエローナイフで
- どうやったら学べる、この危機管理 -
アメリカ同時多発テロ事件から
今年2015年9月11日で14年が経った。
衝撃的な映像の数々、3千人以上の犠牲者、
その後のアフガニスタン紛争、イラク戦争。
昨夜食べた夕食ですら思い出せないような人でも
「911のニュースを最初に知った時、
あなたは何をしていましたか」
の質問にはなぜか必ず答えられる。
ほんとうの「衝撃」には、
記憶を鮮明に固定化する不思議なチカラがある。
14年前、
マスコミとネットのニュースが、
連日この件で埋め尽くされていたころ、
米国に住む知人から一通のメールが転送されてきた。
今日はそのメールを紹介したい。
事件発生の瞬間、
米国シアトルに向って飛んでいた
一個人の体験記。
彼が乗っていた飛行機は、
米国の空港が突然封鎖されたため
着陸できなくなってしまう。
その後、どうなってしまったのか。
まわりへの感謝の気持ちを忘れることなく
事実を冷静に、かつ詳細に記述してくれた筆者、
そして(ワガママな日本人を除いた)
そこに登場するすべての方々に、
深い深い敬意を表して、
まさに「記録」として
ここに残しておきたいと思う。
ほんとうの危機管理とはどういうことか、
いろいろなことを考えさせられる。
長文ですが、最初からぜひ。
(以下、水色部は転送メールからの転載。
日付も原文のまま)
9月12日:事件発生
成田からアメリカのシアトルに向かうUA便の中で
最初に異変に気が付いたのは機内のモニターである。
飛行機の高度や速度、そして到着時間を示す表示が
映らなくなったのだ。
少し前までは映っていたはずなのだが、、、
「どうしたのだろう」一瞬嫌な予感がしたが
「直ぐに映るだろう」と思い直して
毛布をかぶり再び眠ろうとした。
その時、機内に機長からのアナウンスが流れた。
「アメリカで非常事態が発生しました。
現在アメリカの全ての空港が
閉鎖されており、
当機は着陸を拒否されています」
「従いまして当機は航路を変更しカナダへ向かいます。
詳細はまた後ほどアナウンスします」
一瞬、耳を疑った「英語の聞き間違いだろうか、、」
その後、直ぐに
日本語で同じ意味のアナウンスが聞こえてきた。
薄暗い機内の中は飛行機のエンジン音が響くだけで、
誰一人話そうとしない。
誰もがアナウンスの意味を
どのように理解して良いのか分らないのだろう。
不思議なほどの沈黙である。
私も頭の中でいろいろな考えが交錯する。
「アメリカの全ての空港が閉鎖される非常事態とは
第三次世界大戦が始まったのか!」
「いや世界大戦ならカナダに着陸できるはずがない。
アメリカに何が起こったのか?」
「ひょっとしてサイバーテロでアメリカの空港の機能が
全てダウンさせられたのでは?」
「サイバーテロなら回復まで時間が掛からないから、
ひょっとして直ぐに空港は再開するのではないか?」
まとまりのない考えが頭の中を駆け巡る。
近くの乗客がたまりかねて
パーサーに質問をぶつけていた。
「いったい何が起こったのですか?」
「私にも分らないのです。
いまは連絡を待つしかありません」
機内は騒ぎ出す人など一人もおらず、
薄気味悪いほど沈黙である。
映画ではこのようなシーンでは大騒ぎになるのだが、
現実は違うのだなあ、と妙に感心してしまった。
機長からのアナウンスは何もなく、
何も分らないままである。
人間とは不思議なもので、非常時には
自分に良い方向に考えてしまうものである。
私は
「アナウンスがない所を見ると
きっと空港は再開したのだろう。
アメリカに向かっているに違いない」
と自分勝手に納得してしまった。
ようやく機長からアナウンスが入った。
「当機はこれより着陸体勢に入ります。
着陸先の空港名、場所は
お伝えすることは出来ません」
着陸することができるようにはなったものの、
そこがどこなのかは乗客に知らされないまま
飛行機は下降していく。
いったいどこに着陸するのだろう?
窓を空けて外を見ると、
朝日の中に茶色ににじんだ大地に
低い針葉樹の森が目に入った。
アメリカでないことは確かである。
いったいどこなのか?
着陸したあとどうなるのか?
何もない広々とした滑走路に無事着陸した。
機体が停止するとアナウンスが入った。
「アメリカの全ての空港が閉鎖されたため、
当機はカナダのイエローナイフに着陸致しました」
「アメリカの非常事態ですがハイジャック及び
ニューヨークとワシントンで
爆弾テロがあった模様です。
大統領は無事との連絡が入っております」
「これよりカナダでの入国手続きを行いますが、
今しばらくお待ち下さい」
この時点ではハイジャック機が
ビルや国防総省に突っ込んだことを知らず
「ハイジャックで空港が閉鎖になるのか?」
と不思議な気になった。
着陸してから1時間以上が経過したが、
依然として待機しているだけ。
機内は沈黙とイライラが
募っているような雰囲気なのだが、
中国人のグループだけは
陽気に仲間とトランプで遊んでいる。
機内の不安を紛らわせようとパーサ-が
「この状況に対して何か質問はないか」
と乗客に聞いて周っている。
「いったい何が起こっているのか」
「分らない」
「我々はいつまで、ここにいるのか」
「分らない」
この二つの質問の答えを聞いた後は、
誰もパーサーに質問しなくなった。
実際、この二つの答えを聞けば十分である。
私は正直に言ってこのような非常事態に直面すると
不安より、ワクワクしてきてしまう性格である。
「面白いことになってきたな!」
再びアナウンス
「これよりカナダの警察の方が事情説明及び
機内のセキュリティのチェックを行います。
座席にてお待ち下さい」
警官が数人入ってきて、
そのうちの一人がマイクを取った
「みなさんカナダへようこそ。
ここはカナダのイエローナイフという
カナダ最北の地です」
「先ほどアメリカで重大事件が発生しました。
詳細は私にも分りません。
空港内でCNNのテレビを見れるように
手配しますのでそれを見てください」
「みなさんはこれより10人づつグループづつ、
機外に降りて頂きます。
そして当局のセキュリティ・チェックを
受けて頂きます。
その後、入国手続きを行います」
「セキュリティ・チェックは厳重に行うため、
かなりの時間が掛かることが予想されますが
ご協力をお願いします」
「皆さんにお願いですが、
携帯電話は絶対に使用しないで下さい」
ファーストクラスから順番に
10人づつのグループになって機外に降り始めた。
UAのアメリカ人スチュワーデスは
「孫がいるのでは?」と思うほどの年配の方が多い。
通常のサービス時は
「若い女性の方が良いのになあ」と思うのだが、
今回のような非常時はこの年齢がものを言う。
肝が据わっているというか全く動揺がない。
完全に乗客を仕切っており、凄く安心感がある。
スチュワーデスは年齢で判断してはいけないと思った。
ようやく機外に出られることになった。
私の番が来て機外に降りる。
周りは地平線が見えるほど何もない。
太陽光線はきついが、
かなり肌寒く緯度が高い場所だと直ぐに分る。
指定のバスに乗り込むと女性の警官が同乗する。
「ようこそカナダへ」
誰も返事をしない
「みなさんが来たくて、ここに来たのではないことは
理解しています。
今からセキュリティ・チェックの場所に移動します」
この女性警官からはじめてハイジャック機が突入したこと、
死傷者が一万人近くの可能性があることを聞かされた。
空港の片隅にある格納庫の前でバスが止まった。
兵士の数が多く、軍用の空港であることが分かる。
折りたたみの机を並べて兵士が荷物検査を行っている。
乗客一人に付き、一人の兵士が付いて案内をしてくれる。
態度はにこやかだが、乗客の顔をビデオやカメラで
撮っている兵士もおり、ここで初めて
乗客の中にテロリストがいる可能性があると
疑われていることが分った。
機内のアナウンスで情報を制限していたこと、
携帯電話使用禁止の指示もこれなら納得できる。
セキュリティ・チェックを待っている間、
カメラを取り出して
「この場面をカメラで撮って良いのかなあ」
と迷っていると兵士が近づいてきて
「記念撮影をしたいのかい?
俺がおまえを撮ってやるからそこに立てよ」
と簡単に撮ってくれた。
荷物検査が終わると兵士が
「荷物を持ってあげるよ」
と気楽に持ってくれた。
次のステップである
パスポート・コントロールの机に向かう。
検査官である兵士にパスポートを渡すと
「名前と生年月日は」と聞かれた。
いきなり聞かれると直ぐには出てこず、
戸惑ってしまった自分自身にビックリした。
やはり緊張しているだろう。
次のステップの入管に向かう。
この机では若い女性が笑顔で迎えてくれ、
質問もほとんどなく入国のスタンプを押してくれた。
仮設の入国申請所のため税関がないのだが、
ほとんど乗客は機内で書いた
アメリカの税関申告書を渡している。
私もカナダでアメリカの申告書を出しても意味がない
と思いながら差し出した。
入国が終わると兵士が
格納庫の隅にテープで仕切られている場所に案内した。
「みなさんを宿舎に運ぶバスが来るので
ここで待っていてくれ。
トイレはあそこにある。水はそこで飲める」
「宿舎とはどこに行くのか」
「これだけの乗客を収容できる施設は
この町にはないんだ。たぶん学校じゃないかな」
学校に収容されるのかよ!と思っていたら、
ほんとに黄色い通学用のボンネットバスが来た。
一緒にいたアメリカ人が
「やれやれ、カナダに来て
小学校に入りなおすとは思わなかったよ」と
軽いジョークで周りを笑わせた。
黄色いスクールバスはどこに向かうのか。
バスに乗って街に出るのかと思ったら、
3分くらいでフェンスに囲まれた施設に入った。
長方形のプレハブのような建物である。
建物の前には大型のテントがあり、
ここで簡単な説明を受けた。
「ここはカナダの軍の施設です。
みなさんはここに滞在してもらうことになります。
今から名前の登録を行います。
その後、登録票を渡しますので
無くさないようにして下さい。
また登録時に部屋番号を教えますので、
その部屋を使って下さい」
説明時に驚いたことは
日本人の通訳が配置されていたことだ。
乗客144人のうち約40人程度が日本人なのだが
凄い段取りの良さである。
施設内には数多くのボランティアの人たちがおり、
いろいろ動き回っている。
指定された部屋に入ると
8畳くらいの大きさにロッカーが2つ、
担架に台を付けた仮設ベッドが3つ置いてあった。
他には窓しかないシンプルな部屋である。
荷物を置き、食堂に行くと
テレビでCNNが流れており、
初めて飛行機がビルに突っ込む映像を見た。
しばらくすると食堂で次のような説明があった。
カナダ警察より
「街には乗客を宿泊させる施設がないこと。
また安全上の理由からこの施設に留まってもらう」
機長より
「アメリカとカナダの全ての空港が閉鎖されており、
いつ再開されるか不明」
宿泊所の担当者より
「仮設電話を引いたので国際電話が掛けられる。
不便があったら遠慮なく言って欲しい。
乗客の方が外出できるようにアレンジ中である。
夕方には外出用のバスの手配が完了する」
最後に機長から
「アメリカの多くの犠牲者のために
黙祷を捧げましょう」
と言われ全員で黙祷を行った。
軍の施設には驚くべきものが用意されていた。
食堂には大型の冷蔵庫にジュースや果物、
サンドイッチが入っており、
無料で自由に食べることが出来る。
机の上にはコーヒー、紅茶のポットの他、
パンやおかずが並んでおり、
これもいつでも自由に食べることが出来た。
驚いたのはおにぎりが並んでいたことである。
食べてみると中には鮭や沢庵が入ってた。
しかも味噌汁まである。
さらに手際良く
イエローナイフの日本語の観光案内の
パンフレットも置いてあるので読んでみる。
「イエローナイフは
カナダのノースウエスト準州の準州都で、
人口は一万八千人の小さな田舎町である。
北極に近く冬はマイナス50度にもなる。
日本ではオーロラが見える街として
ツアーが組まれている」
施設の入り口に貼り出してある地図を見ると
イエローナイフは北極点より
500キロ程度しかない。
アラスカよりも北極に近いのである。
ボランティアの人たちによる
毛布、石鹸、枕の配給があり、室内を整えたり、
食堂でテレビを見たりして過ごす。
夕方4時頃に街に出るバスの連絡があり、
バスの運行時間、待ち合わせ場所などが
英語と日本語で貼り出された。
施設はフェンスで囲まれており、
入り口には警官が待機している。
バスは入り口の外に止まっており、
バスに乗る際には警官に登録書を見せてから乗り込む。
バスの座席に座ると、ボランティアの人が入ってきて、
イエローナイフの見所を説明してくれた。
バスは15分ほど走って市役所の前に停車した。
ここからは自由行動である。
すでに夜の7時になっており、外気はとても寒い。
イエローナイフは小さな街で
特に見るべきものもない。
店も夕方6時には閉まっており、
早々にバスに乗り施設に戻った。
街から施設に戻ってきて説明会を聞く。
夜9時より説明会が始まる。
説明会は日本人とその他の人のグループに分かれ、
日本人グループにはボランティアの通訳が付く。
内容は
「アメリカ政府が空港をいつ再開するか不明である。
従っていつまでここに滞在するかも分らない」
とのことであった。
アメリカ人は「仕方がないな」と納得するのだが、
日本人グループの年配の方はそうではない。
文句が多く通訳に怒っている人がいる。
「私は明後日
ニューヨークに行かなければならないのだ!
どうにかならないのか!」
私はビックリした!
アメリカを揺るがすテロが
ニューヨークで起こっている状況が
わからないのであろうか?
私たちの目的地であるシアトル空港ですら
再開していないのに、
事件が起きたニューヨークの空港など
当分閉鎖になるに決まっているではないか。
「私はここから日本に帰りたい。どうにかしてくれ」
と言い出す日本人もいた。
この発言には機長もさすがにムッと来たらしい。
「この田舎町からどうやって日本に行くつもりですか?
カナダの空港も全て閉鎖されているのですよ。
私はここにいる全員を
無事にシアトルに連れて行く義務がある。
今は非常事態ですから全員が一緒に行動するのです」
「しかしどうしても帰りたいのならば、
我々のシアトル行きの飛行機をキャンセルして
ご自身の力で帰って頂くしかありません。
その場合は陸路しかありませんが、
この田舎町では列車や車の手配が大変です。
それにイエローナイフで緊急入国したことを、
他の場所で出国の際にどのように説明されるのですか?
陸路で一人で帰るのには問題が多すぎます。
空港はいずれ再開されるのですから、
その時に全員で一緒に帰りましょう」
日本人は危機意識が薄いと良く言われるが、
このような質問を聞いて本当に驚いた。
いま世界で何が起こっており、
自分がどのような状況にいるか
全く理解できていないのだ。
台風で飛行機が飛ばなくなったのではないだ。
テロによりアメリカの空港が全て閉鎖していると言う、
最高度な非常事態が自分自身に起こっている現実を
なぜ理解できないのだろう。
欧米人はこのような危機的な状況でも
ユーモアを忘れない。
機長が説明のあと
「なにか質問がありますか」
と聞いたところ、
若いアメリカ人が手を上げた。
「機長、
私はシアトル行きのチケットを買ったのですが、
カナダの果てまで飛行機に余分に乗ってきました。
この余分のマイレージは
どこへ申請すれば良いのですか?」
これには爆笑となり、機長も苦笑いで
「その件なら個人的に私に後で電話してくれ」
と切り返していた。
このように説明会の時には
アメリカ人と日本人の危機意識の感覚の差が
明らかに現れた。
「私はここにいる全員を
無事にシアトルに連れて行く義務がある」
と言い切った機長のなんとかっこいいことか。
軍の施設で最初の夜を迎える。
夜中になっても食堂のテレビで
CNNを見ている人が多い。
寝つけない人もいるのだろう。
部屋に戻って簡易ベッドに横になる。
しばらくすると同室の日本人留学生が入ってきた。
「**さん。オーロラを見ましたか?
今外に出ていますよ」
外に出るとオーロラを見ている人が数人いる。
ボランティアの人が
「この季節にオーロラが見えるなんて、
あなたたち運が良いわよ」と
声を掛けてきた。
大空に広がる緑色のオーロラは幻想的だ。
横に立っていた若いアメリカ人と雑談をする。
彼の口から出た次の言葉が印象的だった。
「僕はアメリカに戻ったら直ぐに海軍に志願するんだ」
二日目も手厚い対応が続く。
9月13日:事件発生2日後
朝起きて食堂でテレビを見ながら
朝10時の説明会を待つ。
説明会での機長の話では空港再開の情報がないため、
いつ飛べるか分らない、
午後3時に再度、説明会を行うとのことである。
ボランティアにより街に出たい人たちのために
施設から街への特別バスの時刻表が貼り出されている。
また
「家族の方が心配しています。
自宅に連絡してください」
「今日の夕食はバーベキューです」
との日本語のポスターも貼り出されている。
入り口での警察の監視は無くなり、外出する人たちは
受付に申請するだけで良くなった。
ボランティアの人は街に出る人には
施設とタクシーの電話番号が書いてあるメモを
配っている。
本当に細かいところまで気が付くものだと感心する。
「市役所で無料でメールが送信できます」
との連絡あったので、市役所でバスを降りて中に入る。
受付のソファに腰掛けていると地元の若い女性が
横に座って話しかけてきた。
「あなたは観光できたのですか」
「ええ、そんなところです」
「ひょっとしてあの飛行機の人ですか?
新聞で見ましたよ」
イエローナイフの街ではすっかり有名人らしい。
雑談を交わしたあと、
「大変でしょうけど頑張ってください。
無事に帰ることを願っています」
と握手を求めてきた。
メールを送ったあと、博物館や街をぶらぶら回る。
人が少なく静かで気持ちの良い場所だ。
街を歩いていると
エスキモーのような顔をした人たちとも
数多くすれ違う。
バスで施設に戻り、午後3時の説明会を聞く。
「依然として空港再開の目処が立っていない。
残念ながら今日もここに泊まる事になる」
夕食は軍の主催で乗客ために
屋外でバーベキューを行ってくれた。
しかも街からプロのバンドを呼んで来て
サービスしてくれる。
しかし、外でバンドを聞きながら食べるのには
あまりにも寒すぎる。
ほとんどの人が食事を受け取ると
施設の中に入ってしまい、
バンドの人たちはさびしそうだった。
夜9時より説明会。
イエローナイフの市長が訪問、挨拶があった。
「イエローナイフでは
年に一度の産業博覧会を行っており、
ホテルが一杯であるため皆さんをこの施設に
収容していることは残念に感じます。
ただ市としては精一杯の対応をしているつもりです」
ここで大きな拍手が起こった。
確かに本当に良く対応してくれている。
ボランティアの人たちは
食事の準備、後片付け、トイレの清掃、
乗客からの要望の対応など本当に良く動いてくれている。
市も食料、水の手配を始め、ゴミの回収など
全ての面でバックアップしている。
実際カナダにはアメリカの国際線、国内線を合わせて
約250機が緊急着陸している。
そしてバンクーバーの空港にはなんと60機が着陸しており、
収容施設のセキュリティの問題により、
その多くはなんと飛行機の外に出してもらえず、
飛行機内で過ごしているのが現実なのだ。
イエローナイフは幸い私が乗ってきた飛行機が
一機だけだったため、
警察、軍、市が一体となった待遇を
受けることが出来ているのだ。
機長から
「明日シアトルの空港が一部、
稼動することになりました。
たぶん当機は明日の夕方ここを飛び立ち
シアトルに行くことが出来るでしょう」
との報告があった。
続いて警察から
「飛行機へ搭乗の際のセキュリティは
かなり厳しくなります。
わずかに危険を及ぼすものでも
機内へ持ち込むことは 出来ません」
との注意があった。
「持ち込めないものは明日、
仮設郵便局を開きますので、
そこで郵送してください」
明日は出発できると分り、
施設の中の雰囲気がなんとなく緩やかになる。
いよいよシアトルに向けて飛び立てることになる。
9月14日:事件発生3日後
朝起きて外に出ると飛行機の爆音が聞こえた。
「飛行機が飛んでいる!」
空港が再開されたのだ。
近くにいた日本人の女性が
「音が聞こえますよね。飛行機は飛んでいますよね」
と嬉しそうに尋ねてきた。
朝9時に説明会
「これからイエローナイフの空港に向かうが、
セキュリティの検査に時間が掛かるため、
30人づつに分けてバスに乗ってもらう。
全員が飛行機に乗るまでは出発しないから
慌ててバスに乗る必要はない。
セキュリティ・チェックの後に
ボーディングカードを発行する。
ボーディングカードを提示すれば
空港内の食堂では無料になる」
との知らせがあった。
最初のバスに乗ろうと、
気の早い人は荷物を外に引っ張り出している。
仮設郵便局の横には
フェデックスの出張所も設けられて、
荷物を送ろうとする人たちが並んでいる。
慌しい雰囲気の中でも安心感が漂っている。
3回目のバスに乗って空港に向かう。
空港の敷地内に止まると係員が乗ってきて
セキュリティ・チェックの段取りを説明する。
荷物の検査が終わると、
手書きのボーディングカードが渡された。
空港で長い時間、待たされていよいよ搭乗となった。
機内持ちこみの荷物の
セキュリティ・チェックを行ったが、
なにしろ小さな空港で係員が少ない上に
搭乗客が多すぎるため、
結局は通常の検査とほぼ同じ程度の検査となった。
滑走路を歩いて飛行機に向かう。
大型のジェット機が頼もしく見える。
タラップを上って機内に入ると3人のスチュワーデスが
「おめでとうございます」
と拍手をして迎えてくれた。
これは乗客全員に行っている即興のサービスだが
とても嬉しい気分になる。
イエローナイフの空港の滑走路はプロペラ機用で、
大型のジェット機では滑走路の距離は十分ではあるが、
余裕がないとの事で離陸の時には少し緊張した。
飛行機が滑走路から飛び立つと
機内で一斉に拍手が起きた。
まさに映画のシーン通りである。
しばらくすると機内食が出てきた。
ビスケットや果物が中心の機内食で
イエローナイフで手配したことが
良く分る機内食であった。
二時間半ほど飛んで
シアトルの国際空港に無事着陸した。
着陸後の機長のアナウンスがしゃれていた。
「当機はシアトルに夜7時半着の予定でしたが、
2,3分遅れてしまいました」
「いや訂正します。2、3日遅れてしまったのですね」
受け入れ準備に、
わずか数時間しか与えられない状況の中、
ここまでの対応ができる地方都市が
日本にあるだろうか。
危機管理と援護・援助。
「おもてなし」などと言って、
無防備に歓待はできない。
最初の部分に書かれている通り、
突然やってくる受け入れるべき集団には、
テロリストが含まれているかもしれないのだ。
そんな中、
セキュリティの確保と同時に、
困っている人への援助をどう実現するのか。
プロフェッショナルな采配が必要とされる場面も
多いことだろう。
もちろん、ボランティアを含む人手の緊急手配も
並行して進めなければならない重要なことだし。
このあたり、私の知る限り
日本はほんとうに弱い気がする。
イエローナイフで実行された
ほんとうの危機管理と援護・援助。
心からの敬意を表したい。
今回の事件でカナダのイエローナイフの人々、
そしてUAの機長を始め乗務員に心から感謝したい。
私個人としては滞在中は全く不満は無かった。
今回の事件で強く感じたことは
アメリカ、カナダの強烈な危機管理の体制、
そして緻密なシステム思考である。
事件発生後、緊急着陸までの間に
軍用空港でのセキュリティ、入国のシステム作り上げ、
市役所が旅行代理店を始め多くの場所に電話を掛けて
日本人通訳やトラック、バスの手配、
さらには日本食のおにぎり、味噌汁まで
用意が完了していた手際の良さ。
必要な注意事項が適切なタイミングと方法で行われる
緻密なコミュニケーション能力。
徹底したシステムの詰めの鋭さ。
例えば市役所でEメールが送れるとの事で
市役所に行ったところ
「Eメールはこちら」
と矢印付きの表示が順番に沿って出ており、
それに従って歩いていったら、
迷わずパソコンを置いてある部屋まで入れてしまった。
Eメールを送れるとなったら、
その場所まで確実にたどり着けるように
考えて詰めて行く発想は凄い。
今回の事件は自分自身にとって
いろいろな意味で有意義な体験になった。
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