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2017年9月24日 (日)

オーストリア旅行記 (5) サウンド・オブ・ミュージック(その1)

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オーストリア旅行記 (5) サウンド・オブ・ミュージック(その1)

- 50年後の集客力 -

 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」は
1965年に公開された
ロバート・ワイズ監督、
ジュリー・アンドリュース主演の
ミュージカル映画だ。

第38回アカデミー賞で、
作品賞、監督賞、編集賞、編曲賞、録音賞の
5部門を獲得している。

映画を見たことがなくても、
「ドレミの歌」
「エーデルワイス」
「私のお気に入り」

などの曲は、一度は耳にしたことが
あるのではないだろうか。

これらの曲はすべて、
「サウンド・オブ・ミュージック」
からだ。

ブロードウェイに一時代を築いた
作曲:リチャード・ロジャース
作詞:オスカー・ハマースタイン2世
ロジャース&ハマースタインの最後の作品。

ブロードウェイ・ミュージカルと映画で
知られるようになった
これらの名曲の数々は、
いまやスタンダードになっている。

 

今日は、ザルツブルクで参加した
「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」
の様子を書きたいと思う。

「あぁ、あの映画ね。
 確かに観たことあるし、
 『ドレミの歌』も知っているけれど
 ストーリやシーンなんて
 大昔のことですっかり忘れているよ」

という方も多いと思うので、
思い出せる程度の簡単な説明は
できるだけ添えたいと思っているが、
いずれにせよ、
ゼロからの解説は難しいので
「観たことがある」という方を前提に
書き進めてしまう失礼はご容赦願いたい。

 

ここ で事前予約をした
「サウンド・オブ・ミュージック・ツアー」
は、簡単に言うと
映画のロケ地を巡るツアーだ。

ロケ地を巡ると言えば
最近は、アニメや漫画などの
舞台となった場所を訪問することを
「聖地巡礼」
などと言ったりしているようで、
マスコミの報道でも耳にすることが
めずらしくなくなったが、
本件、名付けるにしても、もう少し
言葉を選ぶべきではないだろうか。

さてさて、
「サウンド・オブ・ミュージック」、
ロケ地を巡る、と言っても
現在ヒット中の映画の、ではなく、
50年以上も前の映画の、だ。

いったい、どの程度の人が集まるのだろう?

少人数でのグループツアーをイメージして
集合場所に向かった我々夫婦は、
まず最初に、
集合場所に集まっている人の数に
驚いてしまった。

皆、時間にも正確で、
定刻よりちょっと早め揃っている。
ガイドさんの案内で、
映画のシーンがペイントしてある
大型バスの横に並んだ。

P7117743s

ガイドさんは
乗車時、チケットの確認とともに、
「何人のグループ?
 どこから来たの?」
を聞いている。

結局、60人近くが乗り込んだ。
大型バスがほぼ満席。
夏休みの季節とはいえ、
平日火曜日の朝に、だ。

P7117744s

 

いよいよ出発!

マイクを握ったガイドさんは
「私は英国出身で・・・」
と自己紹介を始めたが、
そのこと自体を疑いたくなるような
明るい空気を第一声から振りまいている。

イギリス的というよりも
アメリカ的なノリ。
世界中から集まってきた
映画のファンを
ジョークを交えながら
早口の英語でグイグイ引っ張っていく。

ただ、こちらの英語力では、
説明の英語が正確に
聞き取れなかった部分も多々あるので、

『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密
瀬川裕司 (著)
平凡社新書
(以降水色部は本からの引用)

と 映画のDVD/Blu-ray

で補足・確認しながら、
振り返ってみたい。

 

そもそもこの映画のストーリが
「実話」に基づくものであることは
よく知られているが、

トラップ一家の物語は、
まずマリア・アウグスタが
1949年に自伝として書き下ろし
(大佐は47年に死去していた)、

それを原作とするドイツ映画
『菩提樹』(1956)
『統・菩提樹』(1958)が撮られた。

そして、『菩提樹』に感銘を受けた
メアリー・マーティンと夫の
リチャード・ハリデイが
新たな脚本と音楽を書かせ、
ブロードウェイ・ミュージカル
『サウンド・オプ・ミュージック』
が誕生した。

公演は59年から63年まで続けられ、
その終了を待って、
映画化権を買っていた
20世紀フォックスが
64年に撮影をおこない、
翌年に公開した。

その後、義母の自伝の内容に
不満を抱いていた長女アガーテも
回想記を世に送っており
- そもそもマリアの自伝には
事実と異なる記述がかなりあったのだ -
世にはさまざまなヴァージョンの
<トラップ一家の物語>が
存在するわけである。

とあるように、

「トラップ一家の実話」
「書籍 マリアの自伝」
「ドイツ映画 菩提樹」
「舞台 ブロードウェイ・ミュージカル」
「米国映画 ミュージカル
    サウンド・オブ・ミュージック」
「長女の回想記」


と大きく分けて6つの
<トラップ一家の物語>がある


特にミュージカル映画は、

物価変動を考慮に入れて
2012年に集計された
歴代興行収入ランキングでは
『風と共に去りぬ』(1939)
『スター・ウォーズ』(1977)
に次いで第三位とされ、
VHS、DVD等の販売数やレンタル回数も
計算に含めると、
視聴した人の数だけでいえば
第一位であると考えられている。

と世界的に大ヒットしたわけだが、
地元オーストリアやドイツでは
日本や米国ほど
親しまれた映画ではないようだ。

そのあたりの説明からツアーは始まった。
地元では人気がないンだ。

その理由には、
オーストリアとナチの関係の描き方、
「エーデルワイス」の曲の扱い方、
実話やドイツ映画との相違点、などなど
いろいろあるようだが、
日本人の私には、
細かいニュアンスまではよくわからない。

ガイドさんは、
「英語のツアーには
 こんなにたくさんの人が集まるのに
 ドイツ語のツアーには
 人が集まらないのを見ても
 それはすぐにわかるでしょ」
と笑いを取ってまとめていた。

 

【レオポルツクローン宮殿】
「地元での不人気」という
ちょっと意外な話を聞いているうちに、
最初の訪問地、
レオポルツクローン宮殿付近に到着した。

バスを降りると、
60人でも驚いていたのに、
別のツアー会社のツアー客とも遭遇した。
いったいどれだけの集客力があるのだ、
この映画は!

そういえば本にはこんな記述もあった。

ザルツブルクのロケ地を訪ねる
バスツアーは、
世界各地から訪れたファンで
連日にぎわっている。

主催者の話では、
一日二回挙行されるツアーには
連日200人以上が参加し、
3分の2は製作当時に
生まれていなかった
年齢層の人々だという。

我々夫婦が参加したPANORAMA社の
ツアーだけで午前午後の毎日二回。
一度参加しただけなので
統計的なことは何も言えないが、
本の数字、大袈裟なものではない気がする。

バスを下りると、
一部雲がかかってしまっているものの
静かな湖の向こうに
ウンタースベルク(Untersberg)山が
こんなふうに見える。
緑も美しいが、山の形にご注目あれ。

P7117745s

ここは、トラップ一家の屋敷から
「湖方向の絵」を撮るときに使われた
ロケ地。

(以降、映画からのシーンは黄色枠で)

Sm10157

マリアと子どもたち全員が、ボートから
落ちてずぶ濡れになるこのシーンでも。

Sm10837


ウンタースベルク山を背にするように
湖畔を大きく回って歩くと
対岸にこの屋敷が見えてくる。
これがレオポルツクローン宮殿。

P7117752s

左後方には、ザルツブルクの
ホーエンザルツブルク城塞も
小さく見えている。

宮殿は現在ホテルとして使われているため、
ツアーが案内するのは、
「対岸からの眺め」のみ。

対岸から宮殿を眺めながら、
こんな感じでガイドさんの説明を聞く。

P7117756s

「宮殿を眺めながら」と書いたが、
実はこの宮殿、映画には登場していない。

映画に詳しい方は、
「トラップ一家の屋敷って、
 あんなに白かったかなぁ、
 黄色の印象があるのだけれど」
と思ったはずだ。

「屋敷の庭から湖方向の絵」は
上の映画のシーンからもわかる通り
確かにあの位置から撮影されたのだが、
逆向き、つまり屋敷が背景に映る
「湖から屋敷方向の絵」は
全く別のところで撮影され、
後から繋げて
会話が成立するようにしたらしい。

なんて面倒なことをしたのだろう。

帰ってきてから上の参考図書を読むと、
正確にはあの宮殿の庭そのものではなく、
そのすぐ横に作られたセットからの
撮影だったようだが、
いずれにせよ、
「湖方向の絵」は
あの宮殿の「あたり」から
撮影された、ということのようだ。

「屋敷方向の絵」は別なところで。

ガイドさんは、
A方向とB方向で会話になっているシーンを
撮影を真似て
A方向だけ、B方向だけに分けて演技し、
おおいに皆を笑わせていた。

初対面で、
最初はどことなくぎこちない感じだった
60人が、少しずつガイドさんのペースに
慣れていく、というか巻き込まれていく。

それを感じてか
さらに饒舌になるガイドさん。

ロケ地巡りは始まったばかりだ。

 

 

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2017年8月20日 (日)

「数学する言葉」

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「数学する言葉」

- かむかう -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
独立研究者の森田真生さんが
寄せている
「数学する言葉」という
16ページほどの文章を読みながら、
「数学」と「言葉」について、
ちょっと考えてみたい。
(以下水色部
 「数学する言葉」からの引用)

 

・・・
紙の上に書かれた「3」は、
三そのものではない。

紙に書かれた「リンゴ」の文字が、
それ自体リンゴではないのと同じことだ。
紙に書かれた「リンゴ」を、
まさか食べようとする人はいまい。

本当のリンゴは、どこか別の所にある。
そんなことは百も承知で、
人は文字を読む。

 区別をはっきりさせるために、
記号としての「3」や「三」のことを
「数字」と呼び、
数字が指し示している対象の方を
「数」と呼ぶことにする。

「3」という数字に対応する数については、
<三>と書くことにしよう。

 このとき<三>が、食べたり、掴んだり、
香りを嗅いだりできるような、
知覚の対象でないことは明らかである。

<三>には、大きさもなければ色もなく、
形もなければ味わいもない。
数について、
人はただ純粋に考えることができるのみだ。

「図形」もそうである。

(中略)

数学とは徹頭徹尾このように、
考えることしかできない事物についての
探究
なのだ。

五感で感じられないものを
言葉で考えるのは
数学に限ったことではないでしょ、
そう思った方、
ハイ、まさにその通り。

その通りではあるが、
実は数学を支える言葉には、
ほかにはない大きな特徴がある。

もちろん、
その場にない物事について考えるのは、
数学者だけではない。

言葉を知る者ならば、
誰でも過去について、
可能性について、
死者や地球の裏側について、
考えることができる。

現にそこにあるわけではないものを、
その場に立ち上げてしまうのが
言葉の魔力である


知覚できない数や
図形を現出させる数字や図もまた、
この魔力を継承する「言葉」なのだ。

 だが、数字や図、数式など、
数学を支える言葉には、
自然言語にはない機能
もある。

両者の間には、
無視することのできない差異がある。

いったい、どんな差異があるのだろう?

<五十七>を意味するために「57」と書く。
このとき、
記号に過ぎないはずの「57」を、
人はじかに割ったり掛けたりできる

このあと詳しく見ていくが、
これは自然言語ではできないことである。

「リンゴ」という言葉で
リンゴの存在を喚起し、
「六本足の馬」という言葉で、
不可能な馬の存在を
立ち上げることはできても、
「リンゴ」という言葉を齧ったり、
「六本足の馬」という言葉の上に
跨ったりすることはできない。

そう考えると、
「57」という言葉の上で、
掛けたり割ったり、数学的に可能な
あらゆる行為を実行できることが、
あらためて不思議に
思えてきはしないだろうか。

数学の言葉は、
数や図形の存在を呼び起こすだけでなく、
そうして存在を喚起された
数や図形について、
言葉の上でじかに計算したり、
推論したりすることを可能にする
のだ。

数学の言葉は数学者にとって
「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する
のである。

 自然言語もまた
推論の足場ではないか、と
反論する人がいるかもしれない。

確かに人は、自然言語の力を借りて、
様々な推論をする。
しかし、
ある言葉を用いて推論することは、
ある言葉において推論することと
同じではない。

このあと、本文では
アメリカの哲学者ダニエル・マクベスの
「数字を用いて(on numbers)」
計算するのではなく
「数字において(in numbers)」
計算できるようになった、という

インド・アラビア式の
「算用数字」の登場についての
言葉を紹介しながら、
「数字において」
計算できるようになったことの意味を
詳しく説明していくが、

今日は、この
言葉のうえでじかに計算できる
という指摘の紹介に留めておきたい。

我々は小さなころから
あまりにも現在の算用数字に
慣れ親しんでしまっているために、
どんなに大きな数でも
「0」から「9」の組み合わせだけで
書けてしまうことに、
その革新性を感じることは難しい。

本文では算用数字が登場するよりも
前の時代の例を挙げながら、
対比によって今の算用数字の
すばらしさを説いているが、
ポイントは、もちろん単に表記できる、
という点だけではない。

どんなに大きな数も、
算用数字で書いてしまえば、
それを割ったり掛けたりできる。

そうして、
巨大な数に「触れる」ことができる。
たとえば、その数が23で割り切れること、
あるいは約数を複数持つことなどを
「体感」することができる

こうして、
割ったり掛けたりする行為を通じて、
数字に固有の「意味」が
浮かび上がってくるのだ。

 このとき、数字の意味する内容は、
もはや外部の世界を
参照することによってではなく、
数字とのダイレタトな接触によって、
数字の世界において作り出される

「図」も数学の言葉だ。

ユークリッドの『原論』
(紀元前300年頃)
を例に、
古代ギリシアの幾何学者たちが、
必ず図を描きながら推論した事実を示し、
数学者たちの言葉が、
作図行為とともに
発せられた
ことを説明している。

・・・・・
かくして直線AB上に
正三角形が作図できることの証明は、
図において遂行される。

図を描いていくうちに、
そこに正三角形が生じるのであって、
幾何学者が
「頭の中」で見出した正三角形を、
記述したり
描写したりしているのではない。

 本居宣長の説によれば、
「かんがふ」という言葉は
「かむかふ」の音便で、
もともと、
むかえるという意味の言葉だそうだ。

小林秀雄は、
この「むかふ」を
「身交(むか)う」と読んで、
考えるとは、
 物と親身に交わる事だ
」と
エッセイ「考えるという事」の中に
記している。

古代ギリシア人にとって、
図形について「考える」とは、
まさしく
図と親しく交わることであった。

図は、
脳内で思考したことの表現ではなく、
図を描く行為が即ち
「かむかふ」ことだったのである。

「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する数学の言葉。

先人は、数や図形と「かむか」って、
様々な意味を見出して来たが、
世界はいまなお至るところで、
考えることをやめていない。

 

 

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2017年8月13日 (日)

鏡の中の不思議な立体

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鏡の中の不思議な立体

- 円が四角に -

 

ベーグルによるメビウスの輪でも書いた通り、
錯視・錯覚ネタは大好きだ。

錯覚を利用した世界大会
Best Illusion of the Year Contestで
2010年、世界第一位に輝いた
杉原厚吉さんのこの作品。

この作品をはじめとして、
杉原さんは実に様々な
錯覚作品の新作を発表している。

昨年(2016年)9月に
横浜で開催されていた
「エッシャー展」。

Pa105800s

その最後のコーナに展示されていた
杉原さんの作品も
新しい視点の驚くべきものだった。

そのコーナだけ
写真撮影可だったので、
その時の写真を2枚添えたい。

Pa105808s

静物を鏡で映しているだけ。

Pa105813s

でもご覧の通り、そこには
にわかには信じられないものが
映っている。

 

これらの立体オブジェを含む本(!?)が
この夏出版された。

鏡で変身!?
ふしぎ立体セット
驚きの錯覚 不可能立体の世界

監修 杉原厚吉
東京書籍

思わず購入してしまったので、
ちょっと中身をご紹介。

まずは箱の表紙にもなっている
この作品から。

Mirror1

エッシャー展では、
(壊れないように、というよりも)
展示物の位置や角度がずれないよう
ケースに入っての展示だったため、
手に取ることはできなかったが、
もちろん、今回は手に取って
いろいろな角度から
その変化を楽しむことができる。

Mirror2

鏡の前の物体は、左から
四角形、五角形、六角形なのに、
映ったもの(写真上部)はすべて円!

小さい作品だが、
これもインパクトが大きい。

Mirror3_2

矢印の向きが逆転。
しかも鋭角の矢印の先が、
鏡の中では丸いきれいな弧を描いている。

 

簡単なペーパクラフト作品も
入っている。

これは、鏡に映すと
「屋根」も「屋根のニワトリ」も
消えてしまうというもの。

Mirror4

これくらいになると、
もう写真ではとても伝えられない。

手に取って、オブジェを
違う角度から眺めてみて、
その発想に驚いてみてほしい。

仕組みを知って見ても、
何度でも楽しめる。

 

 

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2017年8月 6日 (日)

独自言語で会話を始めた人工知能

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独自言語で会話を始めた人工知能

- 今、必要なものは? -

 

最初に知ったのは
通勤途中のラジオだったのだが、
先週、衝撃的なニュースがあった。

帰って来て調べてみると、
関連記事がネットにある。
ただ、現在公開されている記事が
いつまで読めるのかわからないので、
個人的な記録のために
その一部をここで取り上げておきたい。

代表で選んだ元の記事は
2017年8月2日付のこちら
人工知能(AI)についてのニュースだ。
記事のタイトルは、
「終わりの始まり…?
 独自言語で話しはじめた人工知能、
 Facebookが強制終了させる」

(以下水色部は記事からの引用)

Facebook(フェイスブック)が行なう
人工知能の研究開発において、
近未来SF映画のような
事態が起きていました。

会話をさせていた
2つの人工知能ボブとアリスが、
独自の言語を生み出し、
話し始めたのです。

人間には理解しがたい言葉を話す
2体のAI。

Facebookの開発チームは、
これを受けて人工知能の
マシンラーニングプログラムを
強制終了させました。

人工知能(AI)が人間の能力を超える
技術的特異点、
シンギュラリティ(Singularity)なる言葉を
耳にすることも多くなっているが、
それにしてもこの記事の恐ろしさは、
表現のしようがない。

人間には理解できない独自の言語で
AI同士が会話を開始した、というのだ。
ついに、ここまで来てしまったのか。

 

私自身は、門外漢の素人ながら
一エンジニアとして
AIの進歩を楽観的かつ好意的に
見つめている。
どんどん進歩すればおもしろい、
と思っている。

それなのに、このニュースには
どこか別な部分が反応してしまった。
それはいったどこなのだろう?

個人的には、身体を持たない
知能だけのシンギュラリティの議論は
ナンセンスだと思っているので、
単純な
「もしそうなったら人類の終焉だ」
「終わりの始まりだ」
みたいな極論には全く与(くみ)しないが、
次々と新しいネタが飛び出してくる
AI関連のニュースからは目が離せない。

 

松尾 豊 (著)
人工知能は人間を超えるか
ディープラーニングの先にあるもの

(角川EPUB選書)
(以下緑色部は本からの引用)

にこんな記述がある。

言語の果たす役割とも関係があるが、
社会が概念獲得の「頑健性」を
担保している可能性がある。

複数の人間に共通して現れる概念は、
本質をとらえている可能性が高い。

つまり「ノイズを加えても」
出てくる概念と同じで、
「生きている場所や環境が
 異なるのに共通に出てくる概念」は
何らかの普遍性を持っている
可能性が高いのだ。

言語は、こうした頑健性を
高めることに
役立っているのかもしれない。

人間の社会がやっていることは、
現実世界のものごとの特徴量や
概念をとらえる作業を、
社会の中で生きる人たち全員が、
お互いにコミュニケーションを
とることによって、
共同して行っている

考えることもできる。

身体だけでなく、
社会やコミュニケーションが
裏にあってこその概念獲得。

ロジックやデータだけに基づく進化に
直感的な危うさ、怖さを感じるのは、
そういった裏の支えがないことが
原因なのかもしれない。


著者の松尾さんはこうも書いている。

いずれにしても、
まず議論すべきは、
「人工知能が将来持つべき倫理」
ではなく、
「人工知能を使う人間の倫理」や
「人工知能を
 つくる人に対する倫理」である。

最初の記事に戻ると、実際、
AI同士が意味のわからない言葉で
会話を続けることに直面したエンジニアも

米メディアの多くが
この件を報じており、
パニックでプラグを引っこ抜いたとか、
システムをシャットダウンした
などと言われています。

なる行動をとってしまったようだ。

エンジニアとしては乱暴なその行為を
反射的にとってしまった
今のFacebookのエンジニアには、
ちょっとホッとするところがある。

今、「作る人」に必要なものは
ナンなのだろう。

恐ろしくなって、
「プラグを引っこ抜いたり」、
「シャットダウンしてしまったり」、
そういう『恐ろしさ』を感じる気持ちは
持っていてもらいたいと思う。
それが倫理や論理に
基づくものかどうかはともかく。

 

 

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2017年7月30日 (日)

昭和初期の『小学生全集』

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昭和初期の『小学生全集』

- 児童図書を支えていた人たち -

 

前回に引続き、

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

から、
もう少しエピソードを紹介したい。

当時としては画期的な
ヴェーゲナーの「大陸移動説」が
学界ではまだ認められていなかったころ
ここ、日本ではどんな動きがあったのか。

一通の手紙で貴重な証言が寄せられた。

 大陸移動説は
大学や学界で消えていましたので、
もちろん世の中一般には
知られていないものと思っていましたが、
2006年に出版した拙著の書評として
いただいた手紙の中に、
次の一文があって驚きました。

「ヴェーゲナーについては、出会いは
 小学校の時代にさかのぼるのです。

 当時
 『小学生全集』と言うシリーズものが
 あって(昭和初期の刊行)、
 その中で、ヴェーゲナーと言う
 奇矯な学者が『大陸漂移説』を唱えた、
 と絵入りの説明がありました」

と書かれていたのです。

「その後、学校の教室でも、
 地理の時間に、世界地図を前にして
 "大陸を移動させると南米と
 アフリカ大陸の凸凹がぴったり合う、
 生息していた生物も見事に一致する"
 との話をききました」 

と続いていました。

昭和初期生まれの
著名な思想家(政治家)の手紙でした。

学界の外では
大陸移動説は消えていなかったのです。

学界でも認知されていないような説を
小学生相手に紹介してしまう
「小学生全集」とは
いったいどんな本だったのだろう?

しかも、昭和の初期の話だ。

 調べたところ、『小学生全集』は
菊池寛と芥川龍之介が指導と編集をして
文藝春秋社・興文社から、
昭和2年から昭和4年にかけて
刊行された児童図書で、
「世界の少年少女文学や童話」に加えて
「電気、動植物、物理化学、
 算数、生物学、生理衛生」など、
広い範囲の「子供にわかる本」、
88巻でした。

 少年少女文学の
菊池寛や芥川龍之介に加えて、
科学や工学は
当時の東京帝国大学の教授たちや
牧野富太郎、横山桐郎、鷹司信輔ら

植物、昆虫、鳥の権威者が
みずから筆を執っています。

大正デモクラシー当時の
学界指導者たちには、
少年少女教育を
国家百年の計とする見識
があり、
当時の世相も、
学者たちが論文や特許ではない
少年少女向けの文を書いている"ゆとり"を
むしろ好しと認めていたのです。

「小学生全集」の編集にこの面々!

そして、国家百年の計は
「少年少女教育」!!

この計は、この見識は
今、いったいどこに
行ってしまったのだろう。

 昭和4年(1929年)は、
ヴェーゲナーが遭難死する1年前ですから、
刊行されたのは論争の真っ最中です。
「大陸漂移説」は

小学生全集(上級用)
 第60巻、『海の科学・陸の科学』

 東通太郎・辻村太郎著」

にありました
(手紙の主の「70年以上も前」の記憶です)。

 辻村太郎は当時
東京帝国大学理学部地理学科の助教授で
その師の、優れた地理学者の山崎直方は、
世界のおおかたが空想として否定していた
「ヴェーゲナーの大陸漂移説」を
評価して普及に努めていましたので、
同説が記述されたものでした。

大陸移動説が世の一般には
知られていないと思っていたのは、
専門家の端にいる筆者の不見識でした。

一通の手紙をきっかけに、
ていねいな調査をしたうえで
筆者は自身の不見識を認めているが、
それにしても、
菊池寛、芥川龍之介、牧野富太郎などなど
錚々たるメンバが
児童図書に関わっていたなんて。

 

 いまだ評価の定まらない
論争中のドイツの学説が翻訳されて、
小学生でも知る機会があったのですから、
当時の日本の
少年少女教育の程度の高さは驚き
です。

そして読んだ
"少年少女たち"の知力も、です。

この小学生全集を読んだであろう
まさに知力のある少年に、
こんな人物もいた。

 調べてみると、
著名な漫画家の手塚治虫
手紙の主と同世代で、
少年時代に読んだ「大陸漂移説」を
覚えていた一人でした。

まだ"戦後"を引きずっていた
1950年から1954年にかけて連載された
『ジャングル大帝』は、
ロマンと平和と正義感にあふれる名作として
今や世界中に知られていますが、
その第1話は、
アフリカ大地溝帯の説明から始まります。

アフリカ大地溝帯は、
現在アフリカ大陸が
東西に分裂しつつある地域のことです。

 そして、大陸を分裂させる力のある
「月光石」(話の中の架空の石)を
探す学者が登場して、

「これはドイツの地質学者
 アルフレッド・ヴェーゲナー博士が
 いい出したことです」といいつつ、

大陸移動の図を示します。

最終話では、
「月光石」を探す学者に、

「大陸を分裂させた大きなカは何か? 
 最近ではマントル対流の
 せいだともいう…」といわせて、

大陸移動説の復活を暗示する
一コマもあります。

『ジャングル大帝』のストーリーの背景は
ヴェーゲナーの大陸移動説
そのものだったのです


 手塚治虫は
『ジャングル大帝』を描いた動機を

「(ヴェーゲナーの壮大な大陸移動説を)
 子どものときに読んで
 夢をふくらませ
」て描いたと、

NHK文化講演会(1982年)で述懐しています。

手塚治虫の「子どものとき」は、
手紙の主と同じ昭和初期ですから、
"読んだ"のは同じ
「小学生全集(上級用)第60巻」
だったのかもしれません。

 

著者の中沢さんは、
こんな言葉で「小学生全集」を
紹介した節を結んでいる。

 学界では消えていたにもかかわらず、
手塚治虫は「子どものときに読んだ」
ヴェーゲナーの大陸漂移説を
理解してふくらませて、
日本が世界に誇るストーリー漫画
『ジャングル大帝』に羽化させました。

しかも1950年、同説が日本はもとより
世界中の学界で
無視されて消えていたときに、です。

素直な少年期の”直観”で
納得していたのでしょう。

”大正デモクラシー”といわれる
太平洋戦争前の高い自由主義文化に
浴した少年少女たち
が、
戦争を生き延びて、戦後の
日本の新しい文化を創出したことを、
”消えなかった”大陸漂移説が
しめしているようです。

 

 

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2017年7月23日 (日)

巨大大陸「パンゲア」

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巨大大陸「パンゲア」

- 学界から消える大陸移動説 -

 

前回に引続き、

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

から、
もう少しエピソードを紹介したい。

ヴェーゲナーの「大陸移動説」
の話から始めよう。

20世紀中頃、
ナチスが台頭するまでは、
ドイツ科学の隆盛期でした。

その時代、
ドイツのマールブルク大学で
気象学を教えていた
アルフレート・ヴェーゲナー
(Alfred L. Wegener, 1880-1930)
は、

今離れている大陸は
 みんな もともと一つだった


という"おかしな"考えを、
1912年フランクフルトや
マールブルクで発表し、
1915年に
著書『大陸と海洋の起源』の第一版を
著しました。

「今、海洋で大きくへだてられている
 二つの大陸の両方に、
 同一種の生物の化石が発見される
のは、
 その生物が生きていた当時、
 両大陸は一体であって、
 その後二つに分裂したためである」 

というのです。

今からちょうど100年くらい前のこと。

ヴェーゲナー自身が
「世界地図を見て、
 大西洋の両岸の海岸線の凸凹が
 よく合致するのに気がついた」
と言うように、最初は
小学生でも気がつくような
小さな発見がスタート地点だった。

それを「気がついた」だけでなく、
ちゃんとした説として
発表できるところまで持っていくことは
誰にでもできることではない。

彼の専門は
地球物理学の中の気象学でしたが、
世界地図を見て思いついた
アイディアを証明するために、
生物学、古生物学、地質学、岩石学、
鉱物学、気象学、測地学などなど、
片端から
当時の最新の論文を読み漁って読破し、
証拠となる事実を探しました。

 そして、
南アメリカ大陸とアフリカ大陸のように、
現在は離れている両大陸間に、
海を渡ることのできない
カタツムリや淡水魚、
あるいは
植物などの同じ種がいる
ことや、
両大陸の凸凹が
ジグソーパズルのように嵌(は)まる両岸に
同じ化石や同じ岩石・鉱物が産出して、
かつて地層がつながっていたことを
見つけました。

 それらの事実を証拠として、
上記の『大陸と海洋の起源』を出版し、
現在の大陸は古生代終わりの
ペルム紀(約2.99億~2.52億年前頃)まで
みんな一つにまとまった
巨大大陸「パンゲア」であって、
中生代最初の三畳紀(約2.52億年前頃)から
徐々に分裂が進み、
白亜紀(約1.45億~0.66億年前)
に離れ離れになったと主張しました。

広い視野で研究できたものだけが
到達できた見解。
ところが、この発表は、学界では
ほとんど受け入れられなかった。

パンゲア大陸については
Wikipediaにある動画がわかりやすいので、
リンクを貼っておきたい。(こちら

ところで、「大陸は動かない」説を
支持している人たちは
離れた大陸にある共通の化石を
どう説明していたのだろう。

 しかし20世紀初頭の発表当時は、
あまりにも常識とかけ離れていたため、
学界ではほとんど理解されませんでした

「大陸が動くはずはない」とする
当時の″正当的″な考えでは、
二つの大陸に共通する化石の存在は、
かつて両大陸が細い″陸橋″で
つながっている時代があったから
であると
説明するのです。

陸橋は二つの大陸をつなぐ
細長い陸地や潮が引いて現れる
島伝いの道のことで、
それを伝って海を渡れない生物が
移動したと考えるのです。

ちなみに、この『大陸と海洋の起源』は
今読んでもおもしろい本らしい。
調べてみると、
岩波文庫にも講談社学芸文庫にもある。

まだ読んでいないが、下記を読むと
読んでみたくなる。

『大陸と海洋の起源』は
文字どおり地球科学全般にわたる
さまざまなデータを用いた、
ていねいな論理展開で、
出版から約100年も経った今読んでも
痛快な推理小説を読むようです。

もちろん、現在の知識からすれば
大陸の構造や移動の原因などの考察には
誤りもありますが、
大陸が移動したことをしめす証拠の論述は
合理的で感心するばかり
です。

専門性が進むことによって
細分化されていく学問がもつ問題点は、
彼の説に対する学界の反応を見ると、
(不幸なことではあるが)
じつにわかりやすい。

 気象学者のヴェーゲナーが
大陸移動説の根拠としたのは、
生物や化石や地質など専門の異なる
「巨大な量の文献を読破・
 渉猟(しょうりょう)した」
論文でした。

化石や生物の専門家は
個々の化石や動・植物については
通暁(つうぎょう)していても、
大陸を動かす力を論ずる
地球物理学の論文は読めません
し、
逆に、
地球物理学者は
地震・重力など全地球規模の現象を
理論的・定量的にあつかいますが、
化石や生物のしめす定性的な事実から
何億年もかかって移動する
大陸を推定する想像力に欠けていました。

 専門家は
それぞれの高い専門性のゆえに、
ヴェーゲナーの言を
どちらの側からも理解できなかったのです。

結局、彼の説は
一旦学界から消えてしまう。

常識を正面から否定したヴェーゲナーは、
米国を中心とする学者の反感を
一手に買って論争になりましたが、
むしろ
「圧倒的多数は彼の論拠を
 まじめに聞こうとしなかった」
といわれています。

論争になったのも彼の生存中だけで、
彼が大陸移動の原因を求めて
グリーンランドの探検で
1930年に遭難死すると、
大陸移動説は学界から
完全に消えてしまいました


 あれだけ物理・化学が発展して
原子や電子の「ミクロの世界」が
明らかにされた20世紀前半でも、
地球は
「海も大陸も動かない、
 冷えて固まった地球」
の見方のまま残されたわけです。

彼の説が
学界から消え去ってしまったころ、
ここ日本ではある意外な、
ほんとうに意外な分野で動きがあった。

その話は次回に。 

 

 

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2017年7月16日 (日)

「生命誕生」

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「生命誕生」

- 「海は生命の母」とは言えない? -

 

本棚にあるこの本

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

私が購入したときの本の帯には、
池谷裕二・東京大学教授の
こんなコメントが載っている

脳髄を金槌(かなづち)で
 殴られるほどの衝撃を受けた!


帯は広告・宣伝なので、
たいていの場合は大袈裟で
ミエミエの褒め言葉に
かえって冷めてしまう場合もあるが、
殊この本については
「金槌で殴られるほどの衝撃」
はまさに言葉通りだった。

ほんとうに衝撃がある。

生命はいつどこで発生したのか?

だれもが抱く疑問に、
独自の説を丁寧に展開していくのだが、
とにかく話の運び方がうまい。

最初の方のこんな書き方だけで
おもわず引き込まれてしまう。

生命の起源は海の中、
「太古の海は生命の母」と考えるのは
広く世界の常識になっています。

 確かに水がないと
生物の体は成り立ちませんし、
生きてもいられません。

化石に残る原始的な生物は
すべて海棲(かいせい)生物で、
約5・4億年前のカンブリア紀の海で
爆発的に増殖したことも確かです。

しかし、だからといって、
生物の誕生にいたる有機分子の発生と
進化の過程もすべて水の中、
海の中であったとする根拠は
何もありません

化石で見つかった古い生物が
すべて海棲生物だからと言って、
その起源となる最初の生命の誕生
「海の中」の証拠にはならない。

なるほど。

でも、いつのころからか
「アミノ酸が多く浮かぶ
 スープのような海」
が生命誕生の舞台だと
思い込んでしまっている
どうしてなのだろう?

事実、こんな記述もある。

アミノ酸に富む
”チキンスープ”のような太古の海で
生命が発生
したと、
ほとんどの人は考えて、
海を模した水溶液中の
化学反応の研究を中心にしてきました。

 

では、なぜ、
海での生命誕生が疑わしいのか?
詳しい説明の前に、
サクッとこう提示している。

 後で述べますが、化学的には
海の中でアミノ酸などの
生物有機分子どうしが結合して
大きくなると考えるのは不自然
なのです。

多量の水の中では一般に、
結合よりも大きな分子の
分解反応が卓越します。

比熱の大きな
多量の水の中はつねに温暖で、
分子が相互に反応しなければならない
環境圧力もありません


「太古の海は生命の母」と考えるのは、
世界の常識とはいえ、
化学的にはおかしな仮定なのです。

生命を構成する原子や分子が、
アミノ酸やタンパク質を構成する配列で
分子となるためには、
構成原子や分子が
そこにあるだけではもちろんダメで、
化学反応を起こし、結合させるための
ある種の「圧力」が必要になる。

その「圧力」が温暖な海にはない。
むしろ逆で、海には、
分子を分解させる方向の力がある。

との指摘も直感的にreasonable。

 

こんな導入で始まった話は、
この後、地球の歴史を大きく観ながら
本論に入っていく。

そこで提示される
生命誕生に関わる大胆な仮説については、
簡単には要約できなので
説明は本に譲りたいが、
仮説の詳細に入る前にも、
興味深いエピソードが
いくつも紹介されている。

というわけで、
この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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2017年7月 9日 (日)

駅馬車の御者の一生

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駅馬車の御者の一生

- 埋葬しようとして -

 

新聞を整理していたら、
ある本にあったエピソードを思い出した。

新聞記事の前に、
エピソードの方から紹介したい。

本は、
アイザック アシモフ (著)
星 新一 (訳)
「アシモフの雑学コレクション」 
    新潮文庫

(以下水色部本からの引用)

(アシモフが書いて
 星新一が訳している。
 もうそれだけでなにかありそうな
 予感がするが、残念ながら
 今日の話はそれとは関係ない)

さて、この本、
今で言うトリビアネタ満載。
出版は今から30年以上も前なので
今読むと、
更新の確認が必要なネタも
あったりするけれど・・・

その中の一節。

カリフォルニアの
ゴールドラッシュのころ、
チャーリー・パークハーストという
駅馬車の御者がいた。

危険のひそむ道を、
乗客や金をのせて運んだ。

葉巻を吸い、かみタバコも好み、
トランプも強く、酒も飲む。
馬車を襲った強盗を二人うち殺した。

やがて引退し、
サンタクルーズで牧場を持った。

まぁ、ここまでは
ゴールドラッシュ時代の
ひとりの成功者の話と読めば
特に驚くようなことはなにもない。

ところが最後はこう結ばれている。

1879年の大みそか、チャーリーが
自宅で死んでいるのが発見された。

埋葬しようとして、
女性だったことを、
人びとははじめて知った。

 

話は最初に戻るが、
このエピソードを思い出したのは、
この記事を目にしたから。

2017年6月19日朝日新聞一面

A170619_joshidai

「性同一性障害」の方の
女子大への入学について
議論されるところまで来た、とのこと。

「性同一性障害」や
LGBT(性的マイノリティ)への
社会的な理解は、ここ20年ほどで
ずいぶん大きく進んだ。

それでも
まだまだ不十分な点は多いのだろうが、
各国のニュースを見ていると
理解に対する追い風が吹いていることは
間違いない。

数のうえでは少数派であっても、
各人のあり方が、
そのままの形で受容される社会、
そういった多様性を認める社会が、
ほんとうの意味での
豊かさと強さを持つことになる。

金子みすゞさんの詩ではないが、
「みんなちがって、みんないい」
のだし。

ただ、社会的な認知度と
実際の存在数は、独立した事象だ。

もちろん、
「認知度」が高まれば
「カミングアウトしやすくなる」
といった点はあると思うが、
認知されたからと言って、
急に対象者が増えるような性質の
事象ではない。

同様に
社会的には全く認知されていなくても
その時代、その時代で
おそらくある一定数はいたはずだ

今から140年前。
チャーリーは、
どんな思いで一生を過ごしたのだろう?

 

 

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2017年7月 2日 (日)

5年前はホームレス

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5年前はホームレス

- 女性歌人の「住む場所」 -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
歌人の鳥居さんという方が書いた
「住む場所」という
2ページの短いエッセイが載っていた。
(以下水色部「新潮」からの引用)

 

私は二十代の女性だけれど、
 5年前はホームレスだった


というちょっと驚くような内容から
話は始まっている。

何も持たない私は、
一人で誕生日も成人式も過ごした。
一人は寂しいなあと思う。
誰かと親しくなろうと試みる。
そのたびに
「どこの馬の骨とも知れない人を
 信用できない」と疎まれる。

学歴もなく、人脈もなく、
履歴書に書ける
住所も緊急連絡先もない。

そんな私が今、
立派な文芸誌から寄稿依頼をもらい
エッセイを書いているなんて、
生きていると思わぬ未来に
辿り着くものだなあと思う。

不思議だ。

ひとりぼっちの5年前も心配だけれど、
いったい、この5年間に
鳥居さんには何があったのだろう。

いろいろなことが
あったであろうことは
想像に難くないが、意外にも
彼女自身はこのひと言で言い切っている。

ホームレスだった、あの頃と今。

たった五年の間に
私の身に何が起こったのだろうか。
そのじつ、たぶん、何もない。

きっと住む場所が
変わっただけ
なんだと思う。

題名の「住む場所」は、
ここから来ているのだろう。

「場所」とは「所」ではなく、
「世界」のこと。

世界が変わると価値観も変わる。
「本を読むこと」という
わかりやすい例で
世界の違いを述べている。

昔、住んでいた場所
(孤児院や里親家庭)では、
人とつきあわず
黙って文字ばかりの本を
読んでいることは
「あの子、何考えてるかわかんない」
「気色悪い」と言われる、
可愛げのない人物の象徴的行動だった。

今いる場所(文芸的世界)で、
私が本を読んでいても
「気色悪い」とは言われない。
それどころか、褒めてもらえる(!)。

もうひとつ、
別な例が添えてあるのだが、
こちらは対照的に過激だ。

しかし、ピストルの弾が、
どこでどのように取引されているのか、
相場価格がいくらか。
もし、そんな話を、
ここで精確に話せたとしても、
今ではもう、
誰も私を褒めてはくれない

(以前の場所なら、
 すこしは評価してもらえた
 話題だった。)

二十代の女性が
こんな例を挙げられること自体、
経験の凄まじさを感じさせる。

鳥居さんの歌は
「キリンの子 鳥居歌集」
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

という形で歌集として出版されている。

出版元のホームページを見ると、
鳥居さんについて、
以下のように紹介されている。
(以下緑色部HPからの引用)

三重県出身。年齢非公表。
2歳の時に両親が離婚、
小学5年の時には目の前で母に自殺され、
その後は養護施設での虐待、
ホームレス生活などを体験した女性歌人。

タイプすることすら、つらい。

それでも近年の
2012年 全国短歌大会 入選
2013年 路上文学賞 受賞

などがホームレス脱却の
契機になったようだ。

小中学校に
通えなかった自分と同じように、
何らかの事情で
学校に行けなかった人たちが、
再教育を受けられる社会になるように、
という願いをこめて、
セーラー服を着て活動している。

どんな歌を詠むのだろう。

上の歌集(受賞文学賞作品も含まれる)を
読んでみた。


 爪のない指を庇って耐える夜
  「私に眠りを、絵本の夢を」

凄絶ないじめの体験を詠んだ歌は
やはりつらい。

そんな中、
こんな目も持ち合わせている。

 サインペンきゅっと鳴らして母さんが
  私のなまえを書き込む四月

 目を伏せて空へのびゆくキリンの子
  月の光はかあさんのいろ

優しい、温かい歌もある。

でも、義務教育ですら
ちゃんと受けられなかった
過去の境遇を知って読むと、
やはり次のような歌が、
深く深く心に響く。

 慰めに「勉強など」と人は言う
  その勉強がしたかったのです

 

 

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2017年5月28日 (日)

能力の限界を決めるのは?

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能力の限界を決めるのは?

- 進化しすぎた脳と薬から見る体 -

 

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
(以下水色部は本からの引用)

から、
ここで「脳の柔軟性」について書き、
ここで「記憶」について書いたが、
本は、「心」や「言葉」など
幅広いテーマをカバーしながら
どんどん話題を展開していくので、
ちょっと厚めの400ページが
読んでいてもあっという間だ。

特に神経系の話は
分子レベルで語られているのに
たいへんわかりやすく、
アルツハイマー病に関する
最新の研究内容などは
かなりエキサイティングだ。
ただ、それらを短くまとめて
紹介するのは難しい。
興味のある方は、
是非本の方を読んでいただきたい。
お薦めだ。

というわけで、この本の紹介も
今日で最後にしようと思うが、
最後はこんな2つのトピックスを
選んでみた。

(1)進化しすぎた脳
雑誌「サイエンス」に載った
「水頭症」の人のレントゲン写真を
学生に見せて話を始めている。

上の写真は健常者の脳。
下は「水頭症」といって、
小さい時に脳に水がたまってしまって、
そのせいで脳の成長が
妨げられちゃっているんだ。

見ての通り、大脳が薄っぺらになってる。
ひどい場合だと、
大脳の体積は健常な人の
20分の1
にもなっちゃうんだ。

健常な人に比べて大幅に小さい脳。
そんな病気になってしまったら、
いったいどんな症状が
出てしまうのだろう?

その答は驚くべきものだった。

んで、「水頭症」の人は
どんな症状がでるかっていうと、
驚くべきことに
多くの患者はまったく正常なの


それどころか、中にはIQが126もあって、
大学の数学科で
首席を獲るほどの人もいた。

大人になった彼は
あるとき病院でたまたま検査を受けて、
そのときはじめて自分の脳が
健常な人の10%しかないことを
知った
んだよ。

そのくらい生活面では
周囲の人と差がなかった。

なんということか。

脳って、わずか10%の大きさでも
いいということなのだろうか?

もちろん、いつ欠損してもいい、
という話ではない。

ただ、現実的な話をすると、
大人になってから
脳を90%も削ってしまったら、
あきらかに障害が出てくるよ。

でも、この患者の場合は、はじめから
小さな脳として成長している
ので、
大きな脳と同じ機能を
発揮できているんだ。

とにかく、最初からの小さな脳は、
かなりのことをカバーできるように
なるようだ。

ある統計によると、
頭蓋骨の中の95%が空洞という
重症の水頭症でも、
ひどい障害が現れる人は
わずか10%に満たなくて

50%の人はIQが100を超えているという。

つまり、人間が人間らしくあるためには、
そんなにデカい脳なんか
持っている必要はないってわけだ。

著者池谷さんは、
人間の脳は「宝の持ち腐れ」とまで
言っているが、

何が重要かというと、
人が成長していくときに、
脳そのものよりも、
脳が乗る体の構造と
その周囲の環境が重要
なんだね。

日本人だって英語圏で育てば
英語を話せるわけで。

と脳の余力の価値を
捉えようとしている。

ということは、脳というのは
進化に最小限必要な程度の進化
を遂げたのではなく、
過剰に進化してしまった
と言えるのではないか。

進化の教科書を読むと、
環境に合わせて動物は進化してきた、
と書いてあるけど、
これはあくまでも体の話。

脳に関しては、環境に適応する以上に
進化してしまっていて、それゆえに、
全能カは使いこなされていない、
と僕は考えている。

能力のリミッターは
脳ではなく体
というわけだ。

能力の限界を決めるのは
脳ではないのだ。

 

(2)4000年前から薬はあった
講義の中で、
神経の仕組みを説明したあと
薬が効く仕組みの話をしているのだが、
その直後、池谷さんは、
「今のはウソ」と
自分の説明順序を否定している。

ここでは僕は、
神経の仕組みをまず説明してから、
薬がここに効いてるんだよ、
と言ってるけど、
そんなの本当はウソ。

なぜかというと、
神経の仕組みがわかったのは
ごく最近の話
でしょ。

だけど、それよりも前から
薬は使われていた。
そう考えてもわかるよね。

薬が神経に効くことが
わかるようになる前から、
薬はずっと存在していた
んだ。

神経がどんな仕組みで機能するのかが
わかる前から薬は存在していたのだ。

薬は世の中にすでにあった。
中国だったら漢方薬。
これは4000年くらい前から
あるわけだよね。

ああいう伝統薬が
なんで効くのかというのを
科学者が調べていった。
そしたら、何と行き着いたところが、
こういう仕組みだった、
というだけのこと。

 薬が効く、ということが
まず前提としてあって、
じゃあ、この薬は何をしているのか、
というふうに科学者は考えたんだ。

それを通じて体の仕組みが
理解されるようになった


それが正しい歴史的経緯で、
僕の講義とは逆の流れだね。

つまり、薬というのは
人体の解明に一役買ってきた、
一種の「科学のツール」
だったというわけ。

薬は、人体の仕組み自体を
解明するためにも役立ってきた
という事実。

こういう「薬を通して体を知る」
というのも
薬学部の大切な研究分野の一つだ。

薬と言うと、
病気に効くかどうかばかりに
目がいってしまうが、
なるほど、
こんな側面もあるわけだ。

 

人体という、
誰もが持っていながら、
その正体はまだまだわかっていない
謎の物体の解明。

脳から、薬から、
探検ルートはあちこちにある。

 

 

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