書籍・雑誌

2024年6月 9日 (日)

「言語の本質」(3)

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「言語の本質」(3)

- 英語のオノマトペはどこに? -

 

「げらげら」とか「もぐもぐ」といった
言語学の中では周辺的なテーマと
考えられてきたオノマトペをキーに
「言語の本質」を考えていこうという

今井むつみ, 秋田喜美 (著)
言語の本質

-ことばはどう生まれ、進化したか
中公新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

の中で、
「英語にオノマトペの体系がない理由」
をたいへん興味深く説明してくれていた。

言語には大きく分けて
動詞枠づけ言語
  verb-framed language」と
衛星枠づけ言語
  satellite-framed language」
という二つのタイプがある。


【動詞枠づけ言語】

動詞枠づけ言語では、
「プラブラと公園を横切る」のように
移動の方向をおもに述語動詞で表す

日本語のほかに、
ロマンス諸語(フランス語、スペイン語、
イタリア語、ポルトガル語など)、
アルタイ諸語(トルコ語、
モンゴル語など)などが該当する。

確かに、日本語では「降りる」「入る」
「横切る」「越える」など、
どれも方向が入っている
一方で、「トボトボ」「足早に」
「片足を引きずりながら」のように
様態は述語以外で行うことが多い

【衛星枠づけ言語】

衛星枠づけ言語では、
stroll across the park のように
方向をおもに述語以外で表す

ゲルマン諸語(英語、ドイツ語、
オランダ語、デンマーク語、
スェーデン語など)や
スラブ諸語(ロシア語、
チェコ語など)などが該当する。

なるほど。英語では、動きの方向性が
down, in, across, overといった
述語動詞以外の要素で表されている。

英語には
〈歩く〉や〈走る〉といった
様態を細かく区別した動詞が
140以上ある


これらを日本語に訳そうとすると、
 amble (のんびり歩く)、
 tiptoe (抜き足差し足で
      そろりそろりと歩く)、
 sashay (しゃなりしゃなり歩く)、
 stroll (ぶらぶら歩く)、
 swagger (ずんずん歩く)、
 toddle (よちよち歩く)のように、

「オノマトペ+歩く」
などとなることが多い。

他にも、
* 「ぺちゃくちゃ」と
 chatterの「チャ」も同種の音のように、
 日本語のオノマトペの音と
 動作の様態を表す英語の動詞には
 共通性があること

* 英語では
 擬音語「ピーッ」「ガラガラ」なども
 一般動詞となっている
などの話が紹介されている。

そう言えば、本ブログでも以前
英語のオノマトペについて
書いたことがあった。

宮ザワザワ賢治 - 擬態語の音とイメージ -

リンク先の記事の後半では、
米国出身のオーストラリアの作家
ロジャー・パルバースさんが、
オノマトペを多く含む
宮沢賢治の「注文の多い料理店」の一節、

「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、
 木の葉はかさかさ、
 木はごとんごとんと鳴りました」

を英語に訳して
英語で朗読してくれている。

ご興味があればぜひリンク先の
音声ファイルを聴いてみて下さい。

英語のオノマトペを知るためには
「音」で聞くことに大きな意味がある、
に気づかせてくれる朗読だ。

 

 

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2024年6月 2日 (日)

「言語の本質」(2)

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「言語の本質」(2)

- オノマトペ、多くの例を多角的に -

 

「げらげら」とか「もぐもぐ」といった
言語学の中では周辺的なテーマと
考えられてきたオノマトペをキーに
「言語の本質」を考えていこうという

今井むつみ, 秋田喜美 (著)
言語の本質

-ことばはどう生まれ、進化したか
中公新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

オノマトペの「アイコン性」と
「感覚イメージを写し取る」ことを
多角的に掘り下げた第2章は
例を見ているだけでも楽しいので
代表例を整理しながら並べてみたい。

<単語の形のアイコン性>
重複形:「ドキドキ」「グングン」
単一形:「ドキッ」 「ドキリ」

日本語オノマトペの代表的な辞典である
Dictionary of
Iconic Expressions in Japanese
を見てみると、
1620語の収録語のうち571語(35%)が

「ドキドキ」「グングン」といった重複形。
「ドキッ」「ドキリ」といった単一形は
547語(34%)。

<音のアイコン性>
== 清音:濁音 ==
「コロコロ」:「ゴロゴロ」
「サラサラ」:「ザラザラ」
「トントン」:「ドンドン」

gやzやdのような濁音の子音は
程度が大きいことを表し、
マイナスのニュアンスが伴いやすい

濁音のみで「大きく」なっている感が
共通に現れてくるというのはおもしろい。

Dictionary of
Iconic Expressions in Japanese
から抽出できる598個の語根のうち
311個(52%)が「コロ/ゴロ」のように
語頭の清濁についてペアをなす。

清濁は、日本語の音象徴の「軸」
と言ってよいほどの重要性を持つ

清濁によるニュアンスの差は、
オノマトペ以外でも同じように
現れることがあるようだ。

「子どもが遊ぶさま」の
さま」に対して、
「ひどいざま」の「ざま」は
軽蔑的な意味合いを持つ。

「疲れ果てる」の「はてる」に対する
ばてる」にも
ぞんざいなニュアンスが伴う。


== nから始まる ==
「のろのろ」「にょろにょろ」
「ぬるぬる」「ねばねば」

nから始まるこれらのオノマトペからは、
遅い動き、あるいは滑らかさや
粘り気のある手触りという意味

取り出せそう

動詞:「塗る」「練る」「舐める」
形容動詞:「滑らか」
にも共通する意味の傾向

== 母音「あ」:「い」 ==
「パン」:「ピン」
「パチャパチャ」:「ピチャピチャ」
「ガクガク」:「ギクギク」

「あ」は大きいイメージと、
「い」は小さいイメージと
結びつくようである。


== 二つめの子音がr ==
「コロコロ」「クルクル」「ポロポロ」
「ヒラヒラ」「チュルチュル」

回転、落下、吸引など
スムーズな動きを表すことが多い。


== 阻害音と共鳴音 ==
阻害音:「バクバク」「カサカサ」
    「ゴトゴト」「プチプチ」
共鳴音:「ムニャムニャ」「ユラユラ」
    「リンリン」「ワンワン」

子音には大きく分けて
「阻害音」と「共鳴音」の
二種類がある。

阻害音は角張っていて硬い響きの音、
共鳴音は丸っこい柔らかい響きの音
と考えるとよい。

阻害音としてはp,t,k,s,b,d,g,zなど、
共鳴音としてはm,n,y,r,wなどがある。

== ハ行、バ行、パ行 ==
「ハラハラ」「バラバラ」「パラパラ」
「ヘラヘラ」「ベラベラ」「ペラペラ」
「フラリ」 「ブラリ」 「プラリ」

目的のなさが強いのは「フラリ」、
のんびり楽しむ感じが強いのは
「ブラリ」、
ややいい加減な感じがするのは
「プラリ」。


筆者らは、これらの感覚が
聾者とも共有できるか、の実験まで
実施している。

驚くことに、聾者たちは
健聴者の大学生とほほ同じように
音象徴的な結びつけを
行うことができた


「マルマ」は丸っこい、
「タケテ」は尖っている
といった具合である。

補聴器や
人工内耳の使用による聴覚的な経験、
発音のシミュレーションの影響等を
考慮した実験も行われているようだが

発音のアイコン性によって
音から意味が取り出せることを示す
重要な結果

が得られているのも興味深い。

「オノマトペは、なぜ非母語話者には
 理解が難しいのか」
という第1章での疑問が
スッキリと解決されるわけではないが、
多くの例を多角的に見ることで
オノマトペには、

言語の差を越えて
感知できるアイコン性と、
各言語にチューニングされて、
その言語の話者だからこそ
強く感じられるアイコン性

共在する

ことがわかってくる。

「各言語にチューニング」こそが
母語話者と非母語話者の理解の差、
「しっくり感」の差を
生みだしているということなのだろう。

 

 

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2024年5月26日 (日)

「言語の本質」(1)

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「言語の本質」(1)

- オノマトペも母語依存? -

 

「げらげら」とか「もぐもぐ」といった
言語学の中では周辺的なテーマと
考えられてきたオノマトペをキーに
「言語の本質」を考えていこうという

今井むつみ, 秋田喜美 (著)
言語の本質

-ことばはどう生まれ、進化したか
中公新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

は、二人の筆者によるものだ。

複数の著者が共同執筆する本では、
章を分担して別々に書くことが多いが、
本書は、二人の筆者が
思考のキャッチボールをしながら、
言語という高い山に挑戦すべく、
すべての章をいっしょに執筆した

というスタイルで書かれたものらしい。

まずは具体的なイメージがわきやすいよう、
日本語のオノマトペの例を見てみよう。
本文に出てきた例を並べてみると

擬音語:
 「ニャー」「パリーン」「カチャカチャ」
 聴覚情報

擬態語:
 「ザラザラ」「ヌルッ」「チクリ」
 触覚借報

擬態語:
 「スラリ」「ウネウネ」「ピョン」
 視覚情報

擬情話:
 「ゾクッ」「ドキドキ」「ガッカリ」
 第六感とでもいうべき身体感覚や心的経験

どれも馴染みはあるが、何がオノマトペか、
を定義しようとすると難しい。

オランダの言語学者
マーク・ディンゲマンセは
オノマトペを

感覚イメージを写し取る
特徴的な形式を持ち、
新たに作り出せる語

と定義しており、これが広く
受け入れられているらしい。

「ニャー」「ザラザラ」「スラリ」など

一般に、オノマトペはその言語の
母語話者にはしっくりくる
まさに感覚経験を
写し取っているように感じられる。

 

ところが、本文には
中央アフリカのパヤ語
ゲンゲレンゲ」は何を表しているか?
といった外国語の例も挙げられており、

非母語話者には
必ずしもわかりやすいとは限らない。

ことが実感できる。ちなみに
「ゲンゲレンゲ」は「痩せこけた様子」
だとか。
確かに日本語を母語とする私には
イメージしにくい。

感覚を写し取っているはずなのに、
なぜ非母語話者には理解が難しいのか

この疑問に

音声で写すことができるのは、
基本的に物事の一部分

で、一度に複数の要素を
写し取ることができないため、
と解説し、

オノマトペは基本的に
物事の一部分を
「アイコン的」に写し取り、
残りの部分を換喩的な連想
補う点が、絵や絵文字などとは
根本的に異なる

と冒頭の第一章をまとめている。

換喩(メトニミー)とは、ある概念を、
それと近い関係にある
別の概念で捉えることで、
「鍋が食べたい」といえば、
料理を作るための器である鍋でもって、
その中味の料理を指す、を
例として挙げている。

アイコンと違うことも、
物事の一部分しか音声化できないことも
まさにその通りだと思うが、
そのことと
非母語話者には理解が難しいこととは
どう結びつくのだろうか。

疑問を抱えたまま
先のページに進むことになる。
この本の話、次回も続けたい。

 

 

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2024年2月18日 (日)

小澤征爾さんのリズム感

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小澤征爾さんのリズム感

- 文章のリズムと音楽のリズム -

 

指揮者の小澤征爾さんが、
2024年2月6日、88歳で亡くなった。

恩師の斎藤秀雄の名を冠する
サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)を
創設した指揮者の秋山和慶さん
「本当の兄のように」慕った
小澤さんとの日々を

2024年2月11日の朝日新聞

240211
の記事で語っているが、
その中に、こんな言葉がある。

小澤さんの音楽の特徴を一言でいえば、
やはりあのリズム感

そして瞬発力です。

どこをちょっと緩めようとか、
ぐっと持ち上げようとか、
そうしたペース配分が
すごく上手だった。

「小澤さんの音楽の特徴はリズム感」
この記事を読んで思い出した本がある。

小澤征爾, 村上春樹 (著)
小澤征爾さんと、音楽について話をする

新潮社

(書名たは表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

村上春樹さんとの対談を記録した
単行本で370ページを越える
ちょっと厚めの本だ。

その中に
リズムに関してこんなやりとりがある。

村上春樹さんが、文章を書く方法を
音楽から学んだ、と言うシーン。

で、
何から書き方を学んだかというと、
音楽から学んだんです。
それで、
いちばん何が大事かっていうと、
リズムですよね


リズムがないと、
そんなもの誰も読まないんです。

前に前にと読み手を送っていく
内在的な律動感というか……。

機械のマニュアルブックが
リズムのない文章の典型だ、
と例を挙げなら、
文章のリズムについて、
村上さんは丁寧に説明を続ける。

言葉の組み合わせ、
センテンスの組み合わせ、
パラグラフの組み合わせ、
硬軟・軽重の組み合わせ、
均衡と不均衡の組み合わせ、
句読点の組み合わせ、
トーンの組み合わせによって
リズムが出てきます。

ポリリズムと言って
いいかもしれない


音楽と同じです。
耳が良くないと、
これができないんです。

文章のリズムについての
一連の説明を聞いたあとの
小澤さんの言葉がコレ。

文章にリズムがあるというのは、
僕は知らなかったな。

どういうことなのか
まだよくわからない。

2度見、どころか3度見するくらい
びっくりしてしまった。

あれほど音楽のリズムに敏感な人が
文章にはそれを感じていないなんて。

逆に、小澤さんほどの人が
感じていないのだとすると、
私が文章に感じているものは単なる幻!?
と疑ってしまうほど。

村上さんの言う
「文章で大事なのはリズム」
にはいたく賛同できるものの、
小澤さんの言葉を聞いて以来、
音楽に感じるリズムとは
実は別なものなのかも、
とも思うようになっている。

 

 

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2024年2月11日 (日)

「空席日誌」という散文集

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「空席日誌」という散文集

- 詩人が見せてくれるパラレルワールド -

 

駅で、立ったまま、
ちくわを食べている女の人
がいた。

というちょっとびっくりするような
ホームでの描写で始まる
「つかのまのちくわ」
巻頭に持つ

蜂飼 耳 (著)
空席日誌
毎日新聞社

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 水色部は本からの引用)

は、蜂飼耳(はちかい・みみ)さんという
詩人の著作だ。
詩人のものではあるが、
見開き2ページの散文がメインで、
詩は含まれていない。

チョコレートなら構わず、
ちくわならば違和感が生じるのは、
なぜだろう。

と思いながら、
ホームで2本のちくわを食べきった
女性と一緒に少し遅れてきた電車に乗る。

紙を出して、
ちくわを食べた口元をぬぐう。
それから、蝶のかたちの
手鏡と口紅を取り出して、
塗りはじめた。

みるみるうちに、
ちくわとは無関係に見える
明るい唇が完成
した。

で掌篇を閉じている。

なんなのだろう。この不思議な読後感。

詩人ゆえの視点、感性、
言葉選びのせいなのか、
目の前の現実世界の記述を通して、
パラレルワールドというか、
並行した別世界が見えてくるような
ある種の独特な浮遊感がある。

 

「列から外れる」は、

どんな種類の木であっても、
並木はどこか学校に似ている。
整列しているからだ

と始まっている。そして、桜並木の中の
枯れてしまった一本の桜を中心に
話が進んでいく。

花が咲かない枯れてしまった木は、
しばらくして、
根元から伐(き)られてしまう。

やはり、枯れ木は
列から外されるのだ。
外れたくて咲くのを
やめたのかもしれない
木だった。

外されたくて、の思いもありうることを
さらりと提示する一方で、

なくなってみれば、それはそれで、
はじめからなかったかのように、
馴染んでいく。

そばの電柱は何食わぬ顔で
烏をとまらせる。

こんなに速やかに、と
心ぼそくなるほどの速度で
馴染んでいく
のだった。

とそれに馴染んでいくことの
速さを寂しがっている。

ついこないだまでそこに在った木。
伐られたのではなく
遠くへ飛び去ったのだ
と、
思いたくなる。

かたちをなくしながら、
どこか遠くへ。

桜並木の枯れてしまった一本から、
広がる想像の世界。

「こんなことがありました」
ただそれだけなのに、丁寧な描写からは
様々な世界を感じることができる。

主張があるわけではない。
発見があるわけでもない。
それでも、詩人の文章には
不思議な力が宿っている。

 

 

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2024年2月 4日 (日)

小惑星「仮面ライダー」

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小惑星「仮面ライダー」

- 星に名前がつけられたら -

 

野矢茂樹 (著)
言語哲学がはじまる

岩波新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

は、フレーゲ、ラッセル、
そしてウィトゲンシュタインという
3人の天才哲学者が、
言葉についてどう考えてきたのか、
その過程を丁寧にたどりながら、
ふだん何気なく使っている
言葉の根本に迫ろうという
言語哲学の本だが、
183ページにこんな一行がある。

1995年、中村彰正さんによって
小惑星が発見され、
「仮面ライダー」と命名された

現実世界で起こった事実の一例として
あがっているだけで、
もちろん言語哲学とは全く関係がない。

にしても、「仮面ライダー」という名の
小惑星があるなんてぜんぜん知らなかった。

で、中村彰正さんってどんな方?と
ちょっと調べてみてさらに驚いた。

詳しくはWikipediaの「中村彰正」
を御覧いただきたいが、
中村さんは、
愛媛県久万高原町にある
久万高原天体観測館の職員らしく、
1994年に「久万」を発見したのに始まり
2002年に通算100個目の小惑星を発見
とある。

国立天文台のこのページに、

新発見の小惑星の場合には、
新しく発見されてから
軌道何周分かの観測がされ、
軌道がはっきりすると、
まず番号がつけられます。

そして同時に、発見者に対して、
その小惑星に名前を提案する権利が
与えられます


名前は、
「16文字以内であること」や
「発音可能であること」
「主に軍事活動や政治活動で
 知られている人や事件の名前を
 つける場合には、
 本人が亡くなったり
 事件が起こってから
 100年が経過していること」
など、いくつかの制約はありますが、
その範囲内で
好きな名前をつけることができます

とある通り、小惑星に対しては
発見者に命名権がある。
つまり中村さんは、100個以上の小惑星の
名付け親というわけだ。

上記Wikipediaのページから
「仮面ライダー」以外も見てみたい。
一部引用すると・・・

名前 番号 由来
伊丹十三 7905 Juzoitami 高校時代に愛媛県に住んでいた
映画監督・伊丹十三
聖子 8306 Shoko 歌手・沢田聖子
しまなみ海道 9235
Shimanamikaido
しまなみ海道
デンソー 10850 Denso かつて勤務していたデンソー
仮面ライダー 12796 Kamenrider 仮面ライダー
カンチ 15370 Kanchi 『東京ラブストーリー』の登場人物
リカ 15415 Rika 『東京ラブストーリー』の登場人物
錦帯橋 15921 Kintaikyo 山口県の錦帯橋
紀洋 29737 Norihiro 野球選手・中村紀洋
俊輔 29986 Shunsuke サッカー選手・中村俊輔
カープ 44711 Carp プロ野球チーム・広島東洋カープ
やなせ 46643 Yanase 漫画家・やなせたかし
アンパンマン 46737 Anpanman アンパンマン
丹下健三 49440
Kenzotange
愛媛で少年期を過ごした
建築家・丹下健三
真鍋博 54237
Hiroshimanabe
愛媛県出身の
イラストレーター・真鍋博
山頭火 58466 Santoka 山口県出身の俳人・種田山頭火
虚子 58707 Kyoshi 愛媛県出身の俳人・高浜虚子
優作 79333 Yusaku 山口県出身の俳優・松田優作
坊っちゃん 91213 Botchan 夏目漱石の小説『坊っちゃん』
坂の上の雲 91395
Sakanouenokumo
司馬遼太郎の
小説『坂の上の雲』
金子みすゞ 100309
Misuzukaneko
山口県出身の童謡詩人
金子みすゞ
じゃこ天 202909 Jakoten 愛媛県南予地方の
特産品・じゃこ天
松下村塾 208499
Shokasonjuku
松下村塾

小惑星とは言え、「星の命名」と聞くと
やはり独特のロマンがある。

もし、自分にその権利が与えられたら
どんな名前をつけるだろう。

でも、それが嬉しいのは
一個、二個の時の話なのかもしれない。
100個以上となったらどうなるだろう。
一覧表からは苦労のあとが偲ばれる。

もちろん私個人の勝手な思い込みで、
100個以上もの星の名前を
どんなふうに考えて決めたのか、
ほんとうのところは
ご本人に聞いてみないとわからないが。

ちなみに
AstroArtsのこのページによると

太陽系天体のうち
惑星や衛星、彗星などを除くものは
「小惑星」と呼ばれます。

2023年3月14日現在で
1,264,630個の小惑星が
見つかっています。

発見された小惑星は126万個!?

*「仮面ライダー」「アンパンマン」
 という名前の小惑星が
 ほんとうにあるということ。
*たった一人で
 100個以上もの小惑星を発見し、
 正式に命名している人が
 日本にいるということ。
*小惑星は発見されたものだけで
 100万個以上もあるということ。

言語哲学の本を読みながら、
言語哲学とは全く関係ないネタで
3連発の大きな驚き。

読書は
どこで世界を広げてくれるかわからない。

 

 

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2024年1月28日 (日)

「ある時点での適切な断面図」

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「ある時点での適切な断面図」

- 先人たちの精緻な思考 -

 

フレーゲ、ラッセル、
そしてウィトゲンシュタインという
3人の天才哲学者が、
言葉についてどう考えてきたのか。
その過程を丁寧にたどりながら、
ふだん何気なく使っている
言葉の根本に迫ろうという

野矢茂樹 (著)
言語哲学がはじまる

岩波新書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

著者本人が、「はじめに」で

何が楽しいって、
みんなが試行錯誤していて、
これが正解ですってのが
見えてこないけれども

どうやら前に進んでいるみたいだぞ
という手ごたえがある。

読者にもこの感触を
味わってもらいたい。

と書き、「おわりに」で

正確な記述は
もちろん必要不可欠の条件ですが、
しかし、私が目指したのは、
そこではありません。

私は言語哲学入門の参考書として
この本を書いたのではない
のです。

ほら、自分が面白かった話って、
他の人に話したくなりませんか? 
私の動機はほぼそれに尽きています。

と書いている通り、
全体に文体もやわらかいし、
例文もやさしいものが選ばれていて
解説も参考書的なものには
なっていないのだが、
著者と一緒に「面白がる」には
かなりの集中力が必要だ。

そんな中、
最終段で語られた言葉は
印象的なものだった。

ウィトゲンシュタインの
『論理哲学論考』と『哲学探究』について
コメントした部分だ。

『論理哲学論考』を完成させた後、
ウィトゲンシュタインは哲学から
一旦離れる。

「語りえぬものについては、
 沈黙せねばならない」と稿を閉じて、
本当に哲学的には沈黙するのです。

それからおよそ十年後に哲学を再開し、
『論考』を自ら批判して、
新たな言語観
へと
進んでいくことになります。

そして1936年から1946年にかけて
後期ウィトゲンシュタインの主著である
『哲学探究』を執筆します。

思考可能な世界を「論理空間」とし、
その外部を思考不可能としたことで、
論理空間自体の変化を考えることが
できなかった『論考』。

『論考』は
言語を固定された体系として
捉えています

そこが根本的にまちがっていたと、
『探究』のウィトゲンシュタインは
言いたいのです。

言語変化を視野に入れた言語観へと
移っていくウィトゲンシュタイン。

「論理空間」という用語が、
まさに言語を空間的に捉えていることを
表わしています。
『論考』は言語を一望のもとに
捉えたかったのです。
しかし、言語使用は時間の内にあります。

私は、
『論考』から『探究』への
変化の核心は、
空間的な言語観から
時間的な言語観への転換
だと
考えています。

では、
「まちがっていた」と本人が言う
過去の言語観に価値はないのだろうか?

では、『論考』で為されていた議論は
捨て去られねばならないのでしょうか。

いや、そんなことはありません

動的に推移していく言語の、
いわば時間的な断面図
- ある時点における言語使用の
  あり方を捉えた議論 - 
として十分な有効性をもっています。

言語実践を理論的に捉えようとしたら、
どうしたって
ある時点での断面図を
描くしかありません。

そして
適切な断面図を描くことによって
私たちの言語実践に対する理解も
深まるのです。

フレーゲも、ラッセルも、そして
前期ウィトゲンシュタインも、
言語を理論的に捉えようと
試行錯誤の日々を過ごした。

言語哲学に限らないが、
先人たちが各時代、各時代で
精緻に考え抜いたものからは
たとえそれが、のちの時代から見れば、
間違っていたり、
不完全であったりしたとしても
いつも豊かな洞察を得ることができる。

「ある時点での適切な断面図」
とはいい言葉だ。
断面図をいくつも持つことで、
初めて全体が立体的に見えてくる。

 

 

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2024年1月21日 (日)

「て形」って何?

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「て形」って何?

- 日本語教育用語との出会い -

 

フランス語、中国語、英語、日本語と
複数言語をあやつりながら
日本語の教師として活躍している
山本冴里(さえり)さんの
言葉をめぐる旅の記録

山本冴里 (著)
世界中で言葉のかけらを
 ―日本語教師の旅と記憶

筑摩選書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を読んでいたら、
第二章にこんな一節があった。

たとえば、「て形」と呼ばれる、
「て」をつける動詞の活用。

これは、日本語学習の最初の山だ。

「見る」「寝る」「起きる」など
一段活用の動詞は「る」を外して
「て」をつけるだけ
(「見て」「寝て」「起きて」)だが、
五段活用の動詞はそうはいかない。

「待つ」は「待って」でも、
「読む」は「読んで」だし、
「話す」は「話して」となって複雑だ。

「て形」?

第三章には、
エトヴェシュ・ロラーンド大学で
教鞭をとっており、
ハンガリー語絵本の
日本語への翻訳出版にも携わっている
内川かずみさんの言葉として

「同じ形で日本語教育に入った人は
たぶんみんな思うことですけれども、
え? 日本語ってこういうシステムが
あったんだというのが衝撃で。

「て形」にしろ、
「と・ば・たら・なら」にしろ、
自分では使えていても
違いが説明できなかった、

あるいは
どうしてこうなるのか
気にしたこともなかった、
っていうようなことを
教えなければならなくて、
教科書を読んで
まずは「ああ、なるほど」って
自分が感心して、
それを学生に伝えるのが
楽しかったですね」

も載っている。

「て形」とか「と・ば・たら・なら」って
いったいナンなのだろう?

少なくとも日本の学校で
国語の時間に教わった記憶が全くない。
なのに「て形」は
日本語学習の最初の山だという。

日本語教育のための
専門用語ということなのだろうか?

 

「て形」についてちょっと見てみよう。
まずは「て形、日本語教育」などで
ググってみた。
すると、丁寧な解説ページが
いくつも出てくる。
ところが、それらを読み始めると
さらなる未知の
「日本語教育用語」に遭遇することになる。

「動詞の3グループ」

どうも日本語教育においては、
日本語の動詞を
次の3グループに分類して教える方法が
広く使われているようだ。

グループ1(五段活用)
  - る(ru)で終わっていない動詞
     買う・書く・急ぐ・飲む など
グループ2(上一段/下一段活用)
  - る(ru)で終わる動詞
     見る・食べる・入れる など
グループ3(カ行/サ行変格活用)
  - 「する」と「来る」の2つ

これらのグループ別に
「ます」が語尾になる「ます形」を教え、
そして「て形」を教える、のステップ。
しかも説明には順番まである。
グループ2-3-1の順。

*グループ2(上一段/下一段活用)
  見る  見ます  見
  食べる 食べます 食べ
  入れる 入れます 入れ
*グループ3(カ行/サ行変格活用)
  する  します  し
  来る  来ます  来

なるほど。グループ2と3については
カ変、サ変を含みながらも
「て形」の作り方がかなり規則的だ

「ます」がわかれば、
「ます」を「て」にするだけ。

ところがグループ1について並べ始めると
とんでもないことに気づく。

*グループ1(五段活用)
  買う  買います 買って
  書く  書きます 書いて
  急ぐ  急ぎます 急いで
  飲む  飲みます 飲んで

なんなんだこの不規則性は。
無理やり整理して書くと
下記(1)-(5)にまとめられるようだが
(3)の例外に「行く(行きます)」があって
(1)-(6)を覚える必要があるらしい。

「ます」の前の字が
(1)「い」「ち」「り」の動詞は「って」
(2)「み」「び」「に」の動詞は「んで」
(3)「き」      の動詞は「いて」
(4)「ぎ」      の動詞も「いて」
(5)「し」      の動詞は「して」
(6)「行きます」   は  「行って」

「いちりって みびにんで きいて 
 ぎいて しして いきます いって」
の内容を、歌や呪文で覚えるようだ。
英語を学び始めた中学1年のとき、
「I my me, you your you...」
と呪文のように繰り返したことを思い出す。

外国人が
「いちりって みびにんで ・・・」って
モグモグ繰り返していても
それが日本語学習のためだなんて
まったくわからない不思議な呪文だ。

それにしてもおもしろいのは、
私を含めた日本語を母語とする者は、
呪文はもちろん
動詞のグループ1-3も、(1)-(6)も
一度も意識したことはないのに
迷いなく
正しく「て形」を作れることだ。

たとえそれが
初めて目にした動詞だとしても。
本書最後の注にも

日本語母語話者は、日本語教師としての
トレーニングを受けていなければ、
この「て形」について
明示的に学習する機会はない


そのため、
たとえば「ごばつ」という
新しい動詞があったとして、
「ごばってください」
活用はできるが、なぜ
「ごばいてください」
「ごばんでください」
などではないのか、
ということの説明ができない。

と興味深い例がある。

「日本語を学ぶ」「日本語を教える」
当然のことながら、
そこには日本語を母語とする者には
想像もできないような
多くの困難があることだろう。

知らなかった日本語教育用語からは
そんな困難さをなんとか体系的に教えよう、
学ばせようという、先人の苦労と工夫が
滲み出ている。

 

 

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2024年1月 7日 (日)

面接想定問答集にある呪文

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面接想定問答集にある呪文

- 「言葉が届く」の認識 -

 

大地震、航空機衝突・炎上、大規模火災と、
2024年は、国内だけでも
元日から大きなニュースが続いている。

被災した方々、被害にあわれた方々には
心よりお見舞い申し上げます。

 

命が危険にさらされる、とは
全く別次元の話ではあるが、
次の土曜日(2024/1/13)から始まる
大学入学共通テストに備えている受験生は
それはそれで
緊張した日々を過ごしていることだろう。
実力がうまく発揮されることを
祈るばかりだ。

受験と聞くと思い出すエッセイがあるので
今日はそれを紹介したい。
引用は、以下の本の中の
面接想定問答集にある呪文」から。

内田 樹 (著)
街場の大学論
 ウチダ式教育再生

角川文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

ご存知の方も多いと思うが
大学の先生だった内田さん、
面接試験のことをこう書いている。

面接試験のときに、うっかり
「本学志望の動機は?」とか
「高校時代での印象的な出来事は?」
というような質問をすると
大変なことになる。

らしい。
どう大変になるのか。

たちまち、高校生諸君は
『大学案内』のコピーを
そのまま暗誦してきたような
ストックフレーズ

「呪文」のように唱え出すからである

(「高校時代の出来事」で、
「文化祭で、最初はばらばらだった
 クラスがやがてまとまり、
 最後はみんなと力を合わせて
 一体となったときの感動は
 忘れられません」というのも
これまで百回くらい聞かされた

たぷん、高校の進路指導室常備の
「面接想定問答集」の
一番先に出ている例文なのであろう)。

内田さん、
「恥ずかしげもなく
 できあいのストックフレーズを
 口にしておけば、世の中どうにか
 渡って行ける、というような
 世間を舐めた態度を
 私は評価することができない」
とお怒りだが、
「一体となったときの感動は・・」
と語る高校生の口調は
目に浮かぶようで妙におかしい。

私はそのストックフレーズの
「コンテンツ」に文句を
申し上げているのではない。

みなさんが、文化祭での
クラスの団結に感動したのも
本当なのだろうし、
本学の伝統ある校舎と
緑の多いキャンパスに
惹かれたのも真実なのであろう。

しかし、問題はそれが
「伝わる言葉」で
語られているかどうか

ということである。

お芝居の稽古での台詞のやりとりや、
太宰治の「如是我聞 四」を例にあげ、
「言葉は身体というフィルターを
 通過すると、
 深みと陰影と立体感を帯びる」
と語り、「伝わる言葉」について
考えるよう導いている。

まとまりのある、
つじつまのあったことを
しゃべるのが勧奨されるのは、
その方がそうでない場合より
相手に届く確率が高いからである。

ことの順逆を間違えてはいけない

よりたいせつなのは
「言葉が届く」ということであり、
「つじつまのあったことをしゃべる」
ことではない。

順逆を間違えてはいけない、か。

「つじつまのあったこと」
を言っているのだから伝わるはずだ、
と考えてしまいがちだが、
「伝わる言葉」は別物だ。

よく考えてみれば、それは確かに
誰にでも経験があることだろう。

最後、内田さんらしい言葉で
締めくくっている。

今日の初等中等教育では
「自分の意見をはっきり口にする」
ということは推奨されているし、
技術的な訓練も
なされているようだけれど、
残念ながら、「自分の意見」は
はっきりしているだけでは、
 聴き手に届かない
」という
もっとたいせつなことは
教えられていないようである。

 

 

 

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2023年12月24日 (日)

山頂はひとつだけ?

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山頂はひとつだけ?

- ヒマラヤ登山における大きな変化 -

 

標高8000mを超える山14座のうち
12座に登頂した写真家石川直樹さんが
雑誌新潮に書いていた

石川直樹
地上に星座をつくる
第121回 山頂はひとつだけ
雑誌新潮 2023年10月号

(以下水色部、本からの引用)

を読んで、2点メモを残しておきたい。

(1) 山頂はひとつだけ?

ヒマラヤ登山には近年、
ある変化が起きている。

空撮技術の発展や登山者が
SNSに頻繁に写真をアップすることで、
8000メートル峰の
頂上付近の様子が詳らかになり、
その山の最高点、
すなわち真の頂上というものが
ビジュアルとして
はっきりわかるようになった

えっ!? それまでは
頂上がよくわからなかったの?

鉛筆の先のように尖った頂は
間違えようがない一方、
ノコギリの刃のように
いくつか小さなピークがある頂は、
最高点がわかりにくい


8000メートル峰のなかでは、
特にダウラギリ(8161メートル)と
マナスル(8163メートル)という
二つの山で
「だいたいこのあたりを
 頂上としていいだろう」
いう地点があり、
そこで登山者が引き返してきた
歴史がある

「だいたいこのあたりを
 頂上としていいだろう」
で下山していたとは。

ものすごい困難に立ち向かっていながら、
肝心なゴールが「このあたり」というのが
なんだか不思議な感じだ。
だって、違っていたら
たとえすぐ近くまで行っていたとしても
登頂した山として
カウントできないのだろうから。

今では本当の頂に
立っていない登山者は
写真などによって検証されて、
登頂者のリストの修正が
迫られる
という事態にもなっている。

14座の登頂者はこれまで50人弱
いたことなっていたのだが、
真の頂に明確に立った人だけを
カウントしていくと、
たった8人になってしまう

登頂者リストの修正!?
なんと、50人弱が8人に!

もちろん「正確な」事実としては
そうなのかもしれないが、
今後の分について、というならともかく
過去分についての「検証」って
意味があるのだろうか?

 

(2) 登山のサポートとヘリの利用

ヒマラヤ登山、昔は準備に
*許可の取得
*ベースキャンプへのアプローチ
*高所順応
*上部のルート工作
等々、多くの苦労を伴っていた。
それが今はずいぶん
様変わりしているようだ。

14座に登る手順はシステム化され、
そうしたことに慣れた
ネパールの会社が
すべてお膳立てをしてくれる


登山者は自国の低酸素室などで
訓練を積み、人工的な環境で
(或いは別の高い山などで)
ある程度の高所順応をしてから
ヒマラヤに辿り着けば、
長い順応期間もなく、
すぐに登攀に入ることができる。

さらには
ヘリの使用が当たり前になり、
ベースキャンプまでの
長いキャラバンも
必要なくなりつつある。

昔はヘリは
費用の高い移動手段だったが、
特にネパールでは安価でヘリを
利用できるようになった。

その結果、
最短登頂記録争いなんてものまで
登場しているとのこと。

ヘリコプターを駆使した
その移動方法に賛否はあるものの、
3ヶ月ちょっとで14座全山を
登り終えてしまった、という記録まで
あるらしい。

そう言えば、11月の新聞記事でも
別な登山家が同じようなことを言っていた。

標高8000m超14座のうち
日本人女性として初めて
13座の頂に立った渡辺直子さん。

2023年11月4日
朝日新聞 be
登山家・看護師 渡辺直子さん

(以下緑色部、記事からの引用)

231104watanebesmall

の記事の中で、

19年くらいから、
登山経験がなくてもお金を積んで
手厚いサポートで
お膳立てをしてもらい、
次々と8千メートル峰を踏破する
リッチな登山者
が増えました。

それを悪いことだとは思いません。

ヒマラヤ登山も
多様性が増しているのです。

 

私は登山については
何も知らないド素人だが、
ヒマラヤ登山について
* 山頂/登頂の確認
* お膳立て業者とヘリの利用
に関する分野が、
過去とずいぶん変わってきていることは
間違いないようだ。

まさに命がけの挑戦の
何が魅力なのか、
何が苦しいのか、
何が達成感で、
何に駆り立てられているのか。

特に近年の登頂記を読む時は、その背景に
そんな変化が伴っていることを
頭のすみの置いておきたい。

 

 

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