書籍・雑誌

2017年4月16日 (日)

宮ザワザワ賢治

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宮ザワザワ賢治

- 擬態語の音とイメージ -

 

ロジャー・パルバース著
「英語で読み解く賢治の世界」
岩波ジュニア新書

を読んでいたら、
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節
「オロオロアルキ」の英訳の解説に
こんな部分があった。
(以下、水色部、本からの引用)

オロオロアルキ(he plods about)

オロオロ,ドシドシ,
ザワザワというように,
日本の「擬音語・擬態語」(オノマトピア)は,
音を繰り返すものが多い
です.

「オロオロ」のようなオノマトピアを使って
この詩を見事に書き上げた賢治を,
ぼくは「宮ザワザワ賢治」と名づけたいです.

 もちろん英語にも,
ticktock
   ([時計などの]カチカチという音])
hanky-panky
   (いんちき,ごまかし,
    いかがわしいこと)
namby-pamby
   (男らしくない,なよなよした)
dilly-dally
   ([決心がつかず]ぐずぐずする,
    心がぐらぐらする)
といった音を繰り返すオノマトピアが
少なからずあります.

しかし,英語においては,
ラテン語源の多音節の単語ではなく,
アングロサクソン語源の1音節の単語が
オノマトピアとして使われることが
はるかに多い
のです.

 plodはまさにそんな単語の1つです.

この語は,
「慎重に.苦労して,ゆっくり前に進む」
(to go forward slowly
 with effort or difficulty)
という意味があります.

plodderは,
「こつこつ働く人 地味な努力家」

(someone who persists, little by little,
 through effort and will power)です.
「がんばり屋」がいちばん近いと思います

「オロオロ」を直訳すれば,
to be flustered
  (このflusterもオノマトピアです)か,
to be at a loss for what to do
  (ぼうっとする,茫然自失する)
ぐらいになるかもしれません.

ここでは,to plodにaboutを付けて.
「目的もなく(aimlessly),オロオロ歩く」
という感じを出しました。

plod、
意味を知ったうえで
イメージしようと思っても、
音だけで「オロオロ」をイメージするのは
やはり私の英語力のレベルではむずかしい。

そういえば、パルバースさんご自身が
ラジオで宮沢賢治の詩と擬態語について
話をしていた記憶がある。
ちょっとPCの中を探してみよう。

発見! 2009年の録音だ。

関連するところをちょっと聞いてみたい。

(以下、薄緑色部
 2009年5月17日
 NHK「ラジオ深夜便」
の録音から。
 文字は要点のみ)

(擬態語は)
むしろ英語の方が多いのではないかと。

ただね、その同じような形をとらない。
つまり、ザワザワとかね、
音が繰り返されるような単語って
たくさんありますけれど英語にも、
もちろん日本語ほどの、百分の一くらいです。

ただ、
ひとつの単語の中に入っているのが多いンです。
それが全く擬態語だということです
ね。

たとえば

「とぼとぼと」 hobble
「よろよろと」 wobble

hobble,
wobble,
plodよりも擬態語っぽいが、
それでもまだまだむずかしい。

 

もう少し見てみよう。

賢治の「注文の多い料理店」の一節、
一文に擬態語が四つも出てくる箇所がある。

日本語はこれ。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、
 木の葉はかさかさ、
 木はごとんごとんと鳴りました


パルバースさんは以下のように訳している。
どれも一単語による擬態語とのこと。

「どうと」「ざわざわ」「かさかさ」
「ごとんごとんと」に注目して、
ご本人の英語による朗読を聞いてみてほしい。

The wind bellowed
The grass swished
The leaves rustled
And the trees rumbled low.

繰り返し聞くと、少し見えてきた...かな?

もちろん日本語の擬態語だって、
「かさかさ」のように
繰り返すものばかりではない。

「ぽっかり」とか
「ふんわり」とか
「こっそり」とか
「きょとんと」とか。

でも、どれも聞いた瞬間
「ふわっと」イメージが浮かぶ。

いったい、いつ、
どうやって身につけた感覚なのだろう。

どう考えても
「rustle」よりも「かさかさ」のほうが
木の葉の音をうまく表現しているように
思えてしまうのだが。

言葉が身につく、というのは
不思議なことだ。

逆に言うと、英語の音による感覚が
いかに身についていないか、を痛感する
エピソードのひとつでもあるけれど。

 

 

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2017年4月 2日 (日)

生きることは「出会うこと」

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生きることは「出会うこと」

- 寺山修司さんの言葉 -

 

4月、
進学、就職を始め門出の季節だ。

 

以前、米国ボストンで
ステューディオ(Studio)と呼ばれる
ワンルームタイプの部屋を借りて、
6月から10月までを過ごしたことがある。

ハーバード大学や
マサチューセッツ工科大学(MIT)など
多くの名門校をかかえる
学園都市ボストンだけでなく、
9月が新学年となる米国では、
8月後半になると
Back to School Saleと呼ばれる
新学期前のセールを
町のあちこちで見かけるようになる。

そして9月、
長い夏休みも終わり、
一斉に新学年が始まる。

一斉に始まるのだが、ボストンでは
新学年が始まった途端に
ドンドン寒くなっていく。
10月になると息が白くなる日もある。

新しいことが始まったのに
ドンドン寒くなっていく。
これはどうもよくない。
「寒かったり」
「雲が多くて暗かったり」の日々が続くと
どうも気分が上向きにならない。

逆に、日本では、新学年開始以降
ドンドン暖かくなっていく。
日本の「4月始まり」っていいものだなぁ、
と改めて思った記憶がある。

地域によって時期の前後があるとは言え、
4月5月は、満開の桜が
始まりの季節を祝ってくれる所も多いし。

 

さて4月、
「若い人に送る」と言うとジジくさいが、
歳をとっても、
なぜかこの季節になると思い出す
ある言葉がある。

寺山修司さんが
「ぼくが狼だった頃」に書いていた言葉。

生きることは「出会うこと」です。
それをおそれて一体何が
はじまるというのでしょう、


旅をしてみる、
新しい歌をおぼえてみる、
ちょっと風変わりなドレスを着てみる、
気に入った男の子とキスしてみる、
寝てみる、失恋もしてみる、
詩を書いてみる-

一つ一つを大げさに考えすぎず、
しかし一つ一つを
粗末にしすぎないことです

若い人に出会いを推奨する言葉は
いろいろな形で耳にするが、
この言葉で特に気に入っているのは、
最後の一行。

「一つ一つを大げさに考えすぎず、
 しかし一つ一つを
 粗末にしすぎないことです」

春、
「人」でも「モノ」でも「コト」でも
いろいろな出会いがあることだろう。
「大げさに考えすぎず」
でも、どれも「粗末にしすぎない」、
そんな姿勢で臨みたい。

生きることは出会うこと。
新年度、
いい出会いがありますように。

 

 

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2017年3月19日 (日)

2017 数字あそび

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2017 数字あそび

- 降順と昇順の傑作 -

 

唐突だが、下記の写真をご覧あれ。

よく見かける道路の案内図。
特に謎が隠れているわけではない。

この図に
なにか感じるものがあるだろうか?

Sosu

地理に詳しい方は
撮ったのは??あたりかな、と
場所が浮かんでいるかもしれない。

ほかに何か・・・


これを見て、あっ、と思った方は、
かなりの数学、というか数字好きだろう。
3月14日と聞いたとき、
「ホワイトデー」よりも
「Π(円周率パイ:3.1415...)の日」や
「数学の日」が
浮かぶような人かもしれない。


そう、並んでいる
国道「157」県道「193」は
どちらも3桁の素数なのだ。

素数とは中学で習った
「1とその数自身以外に
 約数をもたない1以上の整数」
つまり、
 1とその数以外では割り切れない数。

小さいところだと
 2, 3, 5, 7, 11 ...

(素数そのものは無限にあって、
 その証明は意外に簡単だが、
 今日は省略)

素数番の道が並んでいる。
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はないけれど。

 

そう言えば、

 森田真生 著
「数学する身体」
  新潮社

にもこんな記述があった。

数学科に入りたての頃、
飲み会に参加して居酒屋の下駄箱が
素数番から埋まっていく
のに
驚いたことがある。

素数に反応してしまうのは、
数学好きに共通の性質(?)
なのかもしれない。

 

前回、 ブルーバックス2000タイトルの
記念小冊子

について書いたが、
その中にはこんな記述があった。

同年11月には、日付に使われる
すべての数字が奇数
という、
数論好きにはたまらない一日が訪れている
(1999年11月19日)。

ちなみに、この次に
奇数だけで日付が構成されるのは、
実に32世紀のことで、
3111年1月1日まで待たねばならない。

そのとき、ブルーバックスはいったい、
通巻何番に到達していることだろう。

こんなことを書くのは、
ブルーバックスの読者を想定した
この小冊子くらいだろう。

西暦で書いて
全部の数字が奇数になる日付

1999年11月19日の次は、
3111年1月1日つまり、1112年後

こちらも
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はない。

でも今日は、ちょっと開き直って
もう少しタダの数字ネタを続けたい。

 

今年は西暦2017年で平成29年。
2017も29も素数

しかもどちらも
「2つの平方の和」で表現できる
ピタゴラス素数だ。

【2つの平方の和(ピタゴラス素数)】
 2017   = 92+442
 (平成) 29 = 22+ 52

【3つの立方の和でも】
 2017   = 73+73+113
 (平成) 29 = 13+13+ 33

 

以下は、今年(2017)の年明け
数学というか数字好きの人たちが
やりとりしていた
2017と29に関する数字遊びの中から、
これは面白い!とメモっていたものだ。

【異なる32の素数の和で】
 2017=
    2+   3+   5+   7+  11+  13+  17+
   19+  23+  29+  37+  41+  43+  47+
   53+  59+  61+  67+  71+  73+  83+
   89+  97+ 101+ 103+ 107+ 109+
   113+ 127+ 131+ 137+ 139

【2017を29で】
 2017 =
  29 x 29 x 2 + 9 x 2 x 9 x 2 + 9 + 2

【降順(・・4, 3, 2, 1・・)で】ではこれが見事。
 2017 =
  210+29+28+27+26+25+24-23-22-21-20

 2017 =
  (9! x 8! / 7! / 6! + 5! / 4! - 3! / 2!) / (1! + 0!)
     <補足:4!は階乗、4! = 4 x 3 x 2 x 1
      0!は0でなくて1。なぜ?は
      数学の教科書に譲ります>

 2017 = 74 - 73 - 72 + 71 + 70

【昇順(1, 2, 3, 4 ・・)で】の傑作はこの2つ。
 2017 = 122 - 342 - 562 + 782 + 92
     <一見、平方の組合せだが、底(abのa)に
      1から9が見事に並んでいる>

 2017+29 =
    21 + 22 + 23 + 24 + 25 +
    26 + 27 + 28 + 29 + 210

発見した方々に敬意を表して、
記録として留めておきたい。

もちろんこれらも全部
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はないのだけれど。

 

 

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2017年3月12日 (日)

ブルーバックス 通巻2000番記念

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ブルーバックス 通巻2000番記念

- 10年後を知りたければ -

 

講談社のブルーバックスが
2000タイトルを突破したことを機に
この2月、
記念の小冊子を書店で配布していた。

Bluebacks

無料なるも
新書サイズでしっかり160ページ。

表紙の名前を見ているだけで、
これらの方々が
どんな文章を寄せているのか、
期待が高まる。

個人的に、まさに数々の
思い出のあるブルーバックス。
寄稿されたエッセイだけでなく、
全体を楽しく読ませていただいた。
(以下水色部は小冊子からの引用)

 

「ブルーバックス」は

1963年9月、
「科学をあなたのポケットに」

を発刊のことばとして

創刊された。54年前だ。

有人手宙船ポストーク1号に搭乗し、
人類で初めて宇宙空間に飛んだ
ソ連の宇宙飛行士ガガーリンが
「地球は青かった」と言ったのが1961年。

その言葉が人々の記憶にまだ新しく、
ブルーは科学を表す
象徴的な色ということで、
シリーズ名称が決まった


現在も刊行している
新書レーベルとしては、
岩波新書(1938年創刊)、
中公新書(1962年創刊) 
についで日本で3番目に長い歴史
を持つ。

2000点のタイトルに対して、
歴代発行部数のベスト10が出ている。

Bluebacks3

特にベストセラーを選んで
読んでいたわけでもないのに、
見てみるとこのうち6冊は読んだことがある。

都築卓司さんの本によく描かれていた
永美ハルオさんの挿絵も、
何点かピックアップされていて
「マックスウェルの悪魔」の
この絵なんて今でも覚えている。

Bluebacks4

水の分子と酒の分子を
見分けられる悪魔の図。
ほんとうに懐かしい。

 

ベスト10で興味深いのは、
2001年以降に発行された
つまり21世紀の発行部数ベスト10も
発表されているところ。

Bluebacks2

こちらを見ると読んだことがあるのは、
わずか一冊だけ。

科学に対する
私自身の関心が薄れてしまったのか、
単に歳をとっただけなのか。

それにしても部数を最初の表と比べると
ざっくり言って1/3。

しかも、一位の、
「記憶力を強くする」は、
2001年1月に刊行された5冊のうちの一冊。
本文でも

今世紀最大のヒットが
今世紀最初の書目
であることは、
編集部にとって越えるべき
「宿題」といえるのかもしれないが-。

と書いている。

やはり、本は売れなくなっているのだろうか。

 

新書ではあるが、
のちのノーベル賞受賞者が
書いているものもある。

 81年、ブルーバックスの
名著のひとつといえる「クォーク」
(B480)が刊行される。

著者は、2008年に「自発的対称性の破れ」
の理論などで、小林誠、益川敏英とともに
ノーベル物理学賞を受賞することになる
南部陽一郎

「10年後の物理を知りたければ
 南部の論文を読め」


と言われるほど多くの素粒子理論の
おおもとになる業績を上げてきた著者が、
素粒子物理学の発展をたどりながら
そのエッセンスを解説している。

ノーベル賞受賞の27年前のこと。
それにしても
「10年後を知りたければ」
と言われるなんて、
なんともカッコいい。

「まえがき」から一部分を抜粋しよう。

「陽子や中間子はもはや素粒子ではなく、
 その代わりにクオークが登場しました。
 そればかりでなく、
 今まで関係のないものと見なされていた
 各種の力も統一される可能性が生まれました。

 さらにおどろくべきことは、
 極大の世界である宇宙全体の歴史が
 極小の世界の問題と
 切りはなせなくなったことです


 カの統一、宇宙の根源と素粒子
このテーマは、その後ブルーバックスの
物理分野の大きな柱となっていく。

 

最初に書いた通り、多くの方が
ブルーバックスの思い出や
ブルーバックスへの思いを語っている。

「こんな本もあるンだ」
「この本読んでみたいな」と
新しい本発見のきっかけにもなる。

私も「読みたい本リスト」が
かなり膨らんでしまった。

ブルーバックスの案内本としてもお薦め。

書店になければ、
電子書籍でもどうぞ。
こちらも無料で配布されている。

 

 

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2017年3月 5日 (日)

「怒(おこ)りんぼう」と「互い」

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「怒(おこ)りんぼう」と「互い」

- 同じところがあるからこそ -

 

前々回前回 に引続き

高橋こうじ 著
「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版


から、もういくつか
言葉ネタを紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「怒(おこ)りんぼう」

最近はパリの女性たちの間でも
キティちゃんが人気だそうです。

このような
「子どもっぽいかわいさ」
に注目し称賛する文化は、
いまやわが国が
世界に売り込む目玉商品ですが、
私は一群の日本語に
そうした文化の源流を感じます。

それは、
甘えんぼう」「裸んぼ」のように、
語尾に「ぼう」や「ぼ」をつけることで
「かわいさ」を表現する言葉です。

本文では、もちろん
語源についても説明している。

* 僧侶が住む建物「坊」
* 僧侶も「お坊さん」に
* 男の子の刈り上げ頭が僧侶のよう
  例:「〇〇坊」
* 「ぼう」の語感が「子どものかわいさ」に

そして、
赤んぼう」 「裸んぼ
聞かんぼう」「食いしんぼう

大人にも使うことがある
怒りんぼう」「甘えんぼう

さらには、
 猪の子の「瓜ぼう
 果物の 「桜んぼ

まで挙げてある。

この「子どもっぽさ」を添える、は
最近よく見る他の言葉にも
生きている気がする。

私が気になっているのは
たとえばこれら。

女子力」「女子会」「弁当男子

などの「

山ガール」「肉ガール

などの「ガール

女子とは言わんだろう、
ガールとは言わんだろう、の年齢の女性に
女子会も、山ガールも
あまり抵抗なく使われている。
子どもっぱいからイヤだ、
の声があってもいいと思うのだが。

 

「互い」

辞書で「互い」を引くと、
動詞「たがう」の名詞形とあります。

たがう」は「順序をたがえる」
「約束をたがえる」などと言うときの
「たがえる」の古い形で、その意味は
不一致の状態になる」こと。

いまでも不和を
仲たがい」と言いますね。

本来は「不一致」という意味の言葉を、
私たちはこんな時にも使っている。

「お互いさま」
互いに頑張ろう」

どう考えても「不一致」ではない。
むしろそこには
「同じようなふたり」が浮かぶ。
いったいどういうことなのだろう?

AさんとBさんが
並んで腕立て伏せをしながら、
その回数を「1、2、3……」と
読み上げている様子を
思ってみてください。

はじめは声がそろっていたのに、
途中から少しずれる、
というのはよくあること。

こうした状態を私たちは
「互い違い」と言います。

「違い」も「不一致」を意味しますから、
これは不一致であることを
強調する言葉です。

実は、二人は同じことをやっていて、
不一致なのはタイミングだけなのですが、
だからこそ、そこが気になる。

「違っている」とは
「同じところがある」に支えられている。

私たちは、二つのものを見比べるとき、
まず不一致の要素に目をとめます。

自分と他者を見比べるときは特にそう。

でも、そもそも「不一致」が
目にとまるというのは、
そのほとんどが「同じ」だから
、なのです。

「不一致」を表す言葉が、
「同じように」も使われるようになる。

「違い」が気になったときは、
「そのほとんどが『同じ』だから」
を思い出してみたい。

不思議な鎮静効果があるような気がする。

 

 

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2017年2月26日 (日)

「むら」と「まち」

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「むら」と「まち」

- 語源から見る違い -

 

前回に引続き、

高橋こうじ 著
「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版


から、読んでいて
思わず付箋を貼ってしまった部分を
もう少し紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「むら」

「むら」はもともと、
さまざまなものが
「自然に集まる様子」を指す言葉で、
それを表す動詞が「むらがる」です。

むらがって湧きあがる雲は「むら雲」で、
欲望や怒りなどが心の中で
むらがっている状態は「むらむら」。

そして「人家がむらがるところ」も
むら」と呼ばれるようになった
と考えられます。

動物の集まりを指す「むれ」も
兄弟のような言葉。

すべての核にあるのは
集まる」ことです。

ただ、雲も、落ち葉も、
自然に集まるときは
「整列して集まる」
なんていうことは決してない。
自然界での「集り」は、
けっこう不均質なものだ。

物理の授業のような言葉を使うなら、
空間における散らばり方に偏りが生じて
「密」な部分と「粗」の部分が
生まれるだけです。

昔の人が「むら」と呼んだのは、
そういう集まり方なのです。

したがって「むら」という言葉は、
濃さなどが「均一でない」
という意味も持ちます。

むらっ気」「仕事にむらがある
などというときの「むら」です。

なるほど、「むらがる」にも
「均質」な感じはない。

 

では、「むら」と対になる
「まち」のほうは
どんなことに由来する言葉なのだろう?

「まち」

「まち」という言葉は、もともと
「区切られた一区画」を意味しました。

区切るのは人間であり、そこには、
土地を均等に分ける、あるいは、
使いやすい形状にする、
という意思が働くので、
多くの場合、区画の形は四角形。

その結果「四角く区分された場所」が
「まち」
と呼ばれるようになりました。

最近はあまり耳にしませんが、
区画した田んぼも「まち」であり、
全国に「まちだ」や「たまち」
という地名があるのはこのためです。

「まち田」「田まち」か。

 人の住居に目を向けるなら、
大昔の人家は自然に集まって
「むら」を作っていたけれど、
やがて有力な支配者が現れると、
人々を自分の館の周りに集め、
区画した土地に住まわせるようになって、
ここから現在の
「まち」が生まれたわけです。

ちなみに、一つ一つの区画の違いに
注目する言葉が「まちまち」。

衣服やバッグなどの「まち」も、
四角い当て布のことで、
語源は同じらしい。

最初の「むら」と「まち」を
並べてみるとおもしろい。

つまり、
むら」は自然の一部である
人間が作る自然な「密」の状態であり、

まち」は理性を持つ人間だけが
作ることのできる合理的な「区画」です。

「村」と「町」。
自治体としての「村」や「町」しか知らず、
人口の差くらいしか
イメージできなかったころに比べると、
ずいぶん違った角度から
その違いが見えてくる気がする。

 

 

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2017年2月19日 (日)

言葉の由来を愛おしむ

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言葉の由来を愛おしむ

- 道の「み」はいったい何? -

 

ベストセラー
「日本の大和言葉を美しく話す」
東邦出版


の著者、高橋こうじさんの新刊

「日本の言葉の由来を愛おしむ」
東邦出版

が書店に並んでいる。

副題には
「語源が伝える日本人の心」
とあるが、
「語源」を中心とした学術書ではない。

もちろん語源に関する蘊蓄は満載だが、
そういった情報自体がメインではなく、
言葉の由来を考えながら、
言葉を生み、語り継いできた日本人の心に
思いを馳せてみようという、
ある意味言葉に関する
エッセイ集とも言える内容になっている。

「へぇ」と同時に
「この言葉って、
 もしかしたら**かも?」といった
疑問や関心が心に浮かぶようになれば、
それまでなにげなく使っていた言葉が
急に「愛おしく」なってくるものだ。

そんな中から、いくつか紹介したい。
(以下、水色部は本からの引用)

 

「しおり」

 しおりとは、
読みかけの本をいったん閉じるときに
「ここまで読んだ」
という目印として、はさむ紙片

でも、遠足などで主催者が皆に配る、
日程や注意事項などを記した
数ページの冊子もしおりと呼びます。

たしかにどちらも「しおり」だし
どちらもよく使う言葉だ。

指しているものは全く違うのに、
同じ言葉
。さてどうしてだろう?

辞書で「しおり」を引くと、
まず書いてあったのが

「山や森を進む際に、
 迷わぬための目印として
 通った道の木の枝などを
 折っておくこと」

という説明です。古くは、
そうやって自分で道しるべを作ることを

枝(し)折(お)る

と言い、
その名詞形が「しおり」なのです。

なるほど、
「迷わぬための目印」
が「枝折る」だったわけだ。

このキーワードがあれば、
一見関係なさそうな
最初の二者が結びつく。

 だから、大昔の人にとって
「しおり」とは何だったかを説明せよ、
という課題を出されたならば、

あとで迷わぬよう自分でつける印

という答えも正解であり、

山などを歩く際に手引きとなるもの

という答えも正解。

前者が本のしおりで、
後者が冊子のしおりになったようだ。

 

「日なた」

 日本語には「なた」という
接尾語があります。

 突然「なた」と言われても
困惑なさるでしょうが、
たとえば「かなた」。

漢字で書くなら「彼方」で、
「か」は「遠く」、
「なた」は「方向」という意味です。

同じ「なた」の前に
「そ」がつくと「そなた」、
「あ」がつくと「あなた」、
「ど」がつくと「どなた」。

私たちにとっては
どれも人についての代名詞ですが、
もともとは
「そちらのほう」
「あちらのほう」
「どちらのほう」という意味で、
時代が下るとともに、
人を指す代名詞に変化したと言われています。

時代劇では、
「こちらにいる人」を指す
こなた」という言葉も耳にする。

そんなふうに「なた」という語は、
私たちが情報をやりとりする際の
最も基本的な要素である
方向」や「人間」を指す代名詞を作る、
重要な接尾語です。

 ところが、
方向でも人間でもないのに、
この「なた」を
お尻にくっつけている言葉が一つ。

それが「日なた」です。

「日のあるほう」だから「日なた」。

理屈はその通りですが、
「かなた」や「どなた」のような
代名詞とはまったく性質の異なる、
具体的な状況についての言葉です。

こんな単語はほかにありません。

 なぜ、「日」だけに
こんな特別待遇が与えられたのでしょう。

むつかしいことはわからないが、
今の季節に聞かれれば、
自然に答えられる気がする。

本文ではこんな言葉を使っていた。

 電燈も暖房器具もなかった時代の
「日なた」は、
私たちが思う以上に幸せな場所、
天の恵みを感じる場所
だったのでしょう。

 

「道」

 大きな辞書で「道」を引くと、
意外な説明が記されています。

もともとは
 『ち』のみで道という意味
」。

そして「家路」「山路」といった言葉が
証拠として挙げられています。

これらの単語は、道を意味する「ち」と
「家」「山」という語が合わさったもの、
というのです。

では、「みち」の「み」は
いったいナンなのだろう?


下を読まず、しばしお考えあれ。

 

では、「みち」の「み」は何かというと
「敬意を表す接頭語」です。

すなわち、尊い人や神仏の心を
みこころ」、
その象徴である旗を
みはた」と呼ぶように、
「ち」に「み」をつけて「みち」。

つまり、大昔の人々にとって、
自分たちが歩く筋状の土地は
「ち」だったけれど、
敬意を払って「みち」と呼んでいた
というのです。

私たちの祖先が、
道に敬意を払う理由?

詳しい説明は本文にゆずるが、
でも、そこにある道に、
そこに存在している道に
思わず敬意を払いたくなるような、
ありがたみに感謝を禁じ得ない情景は
大昔の日本に思いを巡らせなくても、
つい最近のニュース映像ででも
何度も目にしている気がする。


私たちも大事な人や神仏との
「縁」を話題にするときは、
必ず「ご」をつけて
「ありがたいご縁
「嬉しいご縁
などと言いますが、
昔の人々にとって「みち」は
そういう言葉だったのです。

「ようやく物資が
 届けられるようになりました」
のコメントと共に映るときの道。

通るものは時代と共に変わっても、
道が果たす役割への敬意は、
よぉく考えると今でも生きている。

 

 

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2017年1月29日 (日)

インターネットの巨人

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インターネットの巨人

- アカマイは「賢い」 -

 

就任から一週間、合衆国では
トランプ大統領が本格的に動き出した。

就任演説では、集まった人の数が
話題になったりしていたが、
今回、この演説を
インターネット経由で見た人は全世界に
いったいどれくらいいたのだろうか。

8年前のオバマ大統領の
就任演説については、
こんな記述がある。

小川晃通 著
アカマイ
― 知られざるインターネットの巨人
角川EPUB選書

(以下水色部本からの引用)


 アカマイにとって象徴的だったのが、
オバマ大統領の就任演説の
インターネット中継
です。

初のアフリカ系大統領ということもあり、
世界中の人々がオバマ大統領の
就任演説映像をインターネット経由で
視聴しました。

 そのビデオをインターネットで
世界全体に配信していたのがアカマイ
です。

そのときのインターネットトラフィックは、
同社がそれまで行ったどの配信よりも
大きなトラフィックになりました。

最大で1分あたり850万人がビデオを閲覧し、
「当時としてはそれが世界記録である」
とアカマイは述べています。

この引用に急に登場した「アカマイ」。
「初めて聞く」という方も多いことだろう。

でも、もしスマホやPCで、
少しでもインターネットに触れているなら、
一度も意識したことはなくても
この会社のお世話になっているはずだ。

アカマイは、世界最大手の
コンテンツデリバリネットワーク(CDN)事業者。

本の帯には、

「インターネットを流れる情報の3分の1は
 この会社が運んでいる」


と書かれているが、本が出版されたのは2014年。
その影響力は現在さらに大きくなっている。

とにかく顧客リストがすごい。

* 米軍の全機関
* AmazonなどEコマースのトップ20サイト
* アメリカの主要スポーツリーグのすべて
* NHKを含め
 世界の代表的なニュースポータル150以上
* LINE、Apple、IBM、などなど

デリバリ、
つまり配信を専門にしている業者なので、
コンテンツを作っているわけではない。

本は、
マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授
トム・レイトンらが1998年に
会社を設立させるころの話から始まり、
「配信技術」や
「配信ビジネス」についても
解説している。

現在もiPhoneのAppleが使っているように、
スティーブ・ジョブズ自身が
「会社を買いたい」と電話をかけてきた
エピソードも紹介されている。

ちなみに「アカマイ」という
日本語のような響きの特徴ある社名は
こんな経緯で決まったらしい。

 非常に日本語っぽい響きですが、
決して「赤米」という日本語ではありません。
ハワイ語で「賢い」という意味の単語です。

 米国では、複数の社名が列挙されるときに
ABC順に掲載されることが多いため、
その順番で並んだときに最初にくることが
重要だとレイトンたちは考え、
「A」で始まる社名を探していました。

当時たまたまMIT内で起きていたのが
ハワイ語ブームです。

ハワイ語辞書が手元にあったので
それを見たところ、
「アカマイ」という単語を発見し、
それを採用しました。

いまや、スマホやPCと
コンテンツを配信しているサーバとが
瞬時に繋がることも、
そして、その間の通信が
滞りなく行われることも、
当然のように思ってしまっているが、
その裏では、
まさに賢い技術に支えらえた仕組みが、
休みなく動いている。

アカマイは、現在
世界120以上の国に、
21万台以上のサーバを設置
し、
いくつかのキー技術を駆使し、
快適な「配信」を提供している。

その「配信」は
どんな仕組みで実現されているのか。

本は、
アカマイの技術の説明をするために、
最初に、「インターネット」って
どんな仕組みで繋がっているのか?
を丁寧に説明している。

ネットに関する技術的な知識がなくても
読めるよう配慮された記述となっているが、
逆に多少知識のある方には
物足りないかもしれない。

こんなキーワードを軸に
説明を進めている。

AS(Autonomous System)
BGP(Border Gateway Protocol)
TCP(Transmission Control Protocol)
DNS(Domain Name System)

そして、次のような言葉あたりから
「アカマイの技術」に
深くかかわってくるようになる。

CNAME(Canonical NAME)
traceroute
SureRoute
Tiered Distribution

詳しい技術的な説明は本に譲るが、
高速化がどのように実現されているのか、
ケーブル切断などの障害を
どのように回避する仕組みがあるのか、
などなど、インターネット技術の
基本部分に触れることができる。

ネット社会を予見したビジネスで
急成長してきたアカマイ。
1998年に設立されてから
まだ20年も経っていない。

 ちなみにこの1998年、
同じアメリカで二つの会社が
産声をあげています。

現在、世界で最も利用されている
検索エンジンを提供しているグーグルと、

世界最大規模のデータセンター事業社である
エクイニクスです。

インターネットヘの影響力が
非常に強いこの3社が同じ年に設立された
のは、
偶然なのでしょうか、
それとも必然だったのでしょうか。

オマケ:
3社ではなく「3者が同じ年」と言えば、

第42代米大統領
ビル・クリントン:1946年8月19日生

第43代米大統領
ジョージ・W・ブッシュ:1946年7月6日生

第45代米大統領
ドナルド・トランプ:1946年6月14日生

 

 

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2017年1月22日 (日)

偶然五七五

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偶然五七五

- 大阪府/四條畷市/北出町 -

 

2017年1月15日に行われた
大阪府四條畷市の市長選で
28歳の新人東修平氏が当選し、
全国最年少市長が誕生した、
とのニュースがあった。

四條畷市(しじょうなわてし)
の名前を見たらあることを思い出した。

(1) 住所篇
四條畷市には、
北出町(きたでちょう)という町がある。

住所をそのまま音読してみよう。

大阪府 / 四條畷市 / 北出町
(おおさかふ 
 しじょうなわてし きたでちょう)


そう、俳句とは言えないが
五七五のリズムになっている。

しかもおもしろいことに
この住所の郵便番号
現在は「575-0043」だが
1998年に7桁になる前までは、
これまた偶然にも
575」だったのだ。

私が読み難いこの市の名前を覚えたのは、
この五七五がきっかけだった。

 

「偶然五七五」のリズムを刻む日本語は
気をつけて探すとあちこちにある。

(2) 法律条文篇
法律の条文関連では、

日本国憲法第23条
学問の/自由は、これを/保障する

民法882条
相続は/死亡によって/開始する

軽犯罪法第1条22号
こじきをし、/又はこじきを/させた者

などがよく知られている。

 

(3) 駅名篇
数年前、
「連続した駅名で五七五七七」
つまり短歌調になる区間が
ネットで話題になっていた。

次々と挙がってくる作品(?)に
「みんなよく探しだすなぁ」と
当時は感心させられるばかりだった。
単なる駅名の組合せではなく、
「連続した駅名で」だ。

JR京浜東北線(8駅)
浜松町 = 田町 = 品川 = 大井町 =
大森 = 蒲田 = 川崎 = 鶴見(つるみ)


西武新宿線(6駅)
本川越 = 南大塚 = 新狭山 =
狭山市 = 入曽(いりそ) = 新所沢


富山地方鉄道本線(5駅)
新魚津 = 電鉄魚津 = 西魚津 =
越中中村 = 早月加積(はやつきかづみ)


JR飯田線(7駅)
上市場(かみいちば) =  
浦川 = 早瀬 = 下川合(しもかわい)
中部天竜 = 佐久間 = 相月(あいづき)

 

(4) Wikipedia日本語版篇
この五七五七七探し、
もともとは「偶然の発見」を
楽しんだものだったと思うが、
五七五七七検索プログラムを作り
フリーのオンライン百科事典
Wikipediaの本文をまるまる
検索にかけてしまった人がいる。

しかも、その結果は
こんな本にまでなっている。

いなにわ, せきしろ著
「偶然短歌」飛鳥新社

本からいくつか紹介したい。
(以下水色部、本からの引用
 五七五七七のあとの「」は、
 Wikipedia日本語版の見出し語)

 

アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、
中央アジア、およびシベリア
     「モロカン派」

柔道部・バレーボール部・卓球部
ハンドボール部・吹奏楽部
     「一宮市立北部中学校」

文学部・経済学部・法学部
経営学部・医療健康
     「日東駒専」

単なる名詞の羅列なのに、
音やリズムに特徴があって、
思わず声に出して読みたくなる。

 

空洞になっているため、大きさを
支えきれずに壊れてしまう
     「マリモ」

研究で、ネコが砂糖に関心を
持たないことは示されていた
     「ネコ」

たいていは家屋の中で日当たりの
よい場所にあり、窓が大きく
     「居間」

説明臭いものは、
リズム的にはあてはまっても
おもしろさには欠ける。

 

「立ち乗り」を行っている最中に
車のドアが閉まってしまい
     「ペター・ソルベルグ」

楽団の首席指揮者の就任も
決まっていたが、果たせなかった
     「イシュトヴァン・ケルテス」

大好きで毎日苺成分を
摂取しないと生きていけない
     「鈴木まりえ」

同じ説明調でも、
なぜか背景の物語を感じさせる。

 

艦長が自分好みの制服を
艦の資金で誂(あつら)えていた
     「セーラー服」

そんな中、白いくじらが出現し、
歓喜の声を上げる船長
     「白いくじら」

こうなると物語のほうが
前面に出てくる感じ。

 

泣き言や空想ばかりを書いている
ジャーナリストの連中が何
     「リシャルト・カプシチンスキ」

念仏で救済される喜びに
衣服もはだけ激しく踊り
     「盆踊り」

照らされて雨露(うろ)が輝く半分の
クモの巣だけが残されていた
     「くもとちゅうりっぷ」

このくらいになると、
説明文の一部、ということを忘れてしまう。

 

言葉遊びはいつでもどこでも楽しめる。

 

 

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2017年1月15日 (日)

日本海、浅い海峡と小さな遭遇

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日本海、浅い海峡と小さな遭遇

- 230年前のスケッチ -

 

以前、ちょっと回転しただけなのに
日本列島が見慣れない形で現れるこの地図

Easia

(地図の購入はこちら
と、日本海について
この本を紹介した。

蒲生俊敬著
「日本海 その深層で起こっていること」
講談社ブルーバックス


(日本海についての過去の記事は
 こちらこちら

この本から、もう2点
興味深い話を紹介したい。
(以下水色部と図は本からの引用)

まずは1点目。
本では、日本海の特徴を
下記3点にまとめている。

① 外部の海とつながる海峡が浅く、
  地形的な閉鎖性が強い
こと。

② 対馬暖流がつねに流れ込んでいること。
③ 冬季に北西季節風が吹き抜けること。

この①について、
ちょっと驚く数字がある。

地図で見れば明らかなように、
日本海は、間宮、宗谷、津軽、対馬の
4つの海峡で外部の海と繋がっている。
この4つの海峡は、幅が狭いだけでなく、
とにかく浅い


どれほど浅いか。
本文から数字を集めて並べてみた。
(「約10メートル」の「約」は省略して引用)

  日本海の深さ
  平均水深 1,667メートル
  最大水深 3,800メートル

  4つの海峡の深さ
  間宮海峡   10メートル
  宗谷海峡   50メートル
  津軽海峡  130メートル
  対馬海峡  130メートル

もう少しイメージしやすくするため
日本海を
平均深さ50cmのバスタブとしてみよう。
海峡は、外部の海と繋がる
「縁の窪み」ということになる。

  間宮海峡   0.3cm
  宗谷海峡   1.5cm
  津軽海峡   3.9cm
  対馬海峡   3.9cm

一番深い対馬海峡でもわずか4cm
いかに「閉鎖性が強い」かがよくわかる。

このことが、②③との組合せで
海水の対流(熱塩対流)や付近の天候に
大きな特徴をもたらすのだが、
その詳細は本のほうにゆずりたい。

いずれにせよ、この閉鎖性が、

ある大潮の時期に、
同じ青森県でも
太平洋に面した八戸では干満の差が
130センチメートルもあるのに、
日本海に面した深浦では、
わずか20センチメートル程度しか
海面が変化しません。

の原因。

若狭湾に面する京都府与謝郡伊根町
 「舟屋」のような、
 1階が船のガレージ、
 2階が居間となった
海辺ぎりぎりの独特な建物が成立するのも、
日本海だからこそと言える。

 

日本海についての話、2点目は
歴史的エピソード。

フランスのJ・F・ラペルーズが、
1787年に日本海を探検したときのこと。

 ラペルーズ率いるフリゲート艦2隻は、
1787年5月25日に
対馬海峡から日本海に入ります。

1797年に出版された
「ラペルーズ世界周航記」の付図には、
日本海を東へ進んだあと、
能登半島沖で北西に向きを変えて、
ロシア沿岸を北上した航跡が
記されています。
Nihonkai1

 

このラペルーズ率いる2隻のフリゲート艦が、
日本海でふしぎな和船と遭遇しています。

遭遇場所は、

Nihonkai2

の、"MER DU JAPON"と表記されている
"MER"と"DU"の中間あたり。

1787年6月2日のこと。

対馬海峡から日本海に入った
ラペルーズ隊の前方から、
2隻の日本船(北前船)が近づいてきた。

 2隻のうち1隻は、通常の弁才船

Nihonkai3

だったが、もう1隻は
いっぷう変わった形状をしていた。

230年近くも前、フランスの軍艦が
日本海で偶然見かけた日本の船の形状、
なぜそんなことがわかるのか。

まだ写真のない時代でしたが、
ラペルーズ隊のブロンドラ海軍中尉が
これらの和船を巧みにスケッチしました。

その絵が現存しており、
『ラペルーズ世界周航記・日本近海編』
(小林忠雄編訳)に添付されています。

なんとその船のスケッチが残っているのだ!
しかも精緻で美しい。

Nihonkai4

 

 和船研究の権威である
石井謙治や安達裕之によれば、
この船は「三国丸(さんごくまる)」といい、
江戸幕府が1786年10月に
就航させたばかりの1500石積み廻船でした。

「三国」という名称は、
この船が
 和船、
 中国船、および
 西洋船(オランダ船)
の3種の船の長所を
組み合わせた折衷(せっちゅう)船
であることに由来しています。

 唐船づくりの船体に
和式の総矢倉を設け、
船体の中央には和式の本帆、
船首と船尾には洋式の補助帆(三角帆など)
を備え・・・、といったぐあいです。

しかも、三国丸のような和洋折衷船は、
当時の日本でこの一隻だけだったという。
なんという偶然。

『世界周航記』(小林忠雄編訳)には、
そのときのようすが
興味深く記載されています。

「我々は日本人の顔が
 観察できるほど近くを通過したが、
 その表情には恐怖も、驚きも
 表われていなかった」

「すれ違いながら呼びかけたが、
 我々の問いは彼らの理解をえられず、
 彼らの答弁も我々にはわからなかった。
 日本船は南方に航海をつづけた」

コミュニケーションは
取れなかったかもしれないが、
そこまで近づいてきた
異国の船(しかも軍艦)に
三国丸の人々は、
どれほど驚いたことだろう。

三国丸はその一年後、
1788年9月、暴風に見舞われ
出羽国赤石浜に漂着。
そこで破船。

 実働わずか2年たらず。
同型船が再建されることは
なかったという。

 

日本にわずか一隻、しかも
たった2年しか存在していなかった船が、
はるかフランスからやってきた軍艦と
230年前の日本海上でたまたま遭遇。
その時のフランス人の正確なスケッチが
ちゃんと残っているなんて。

貴重なスケッチは、
たった一枚でも物語を運んでくれる。

 

 

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