映画・テレビ

2024年5月12日 (日)

二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで

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二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで

- 五ヶ村堀との再会 -

 

二ヶ領用水歩き、
多摩川の上河原堰取水口から歩き始め、
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
と、
下の地図、左上からの青い線のルートで
小田急線向ヶ丘遊園駅付近
五反田川との合流地点(赤丸)まで来た。
Nikaryogmap12muko
その先も、二ヶ領用水は
地図上の黄色い線のように続いているが
五反田川との合流地点を見たあとは、
二ヶ領用水のもう一つの取水口、
宿河原堰取水口を目指すことにした。
(地図上の赤い点線矢印)

宿河原堰取水口に到着した。
上河原堰取水口の約3.5km下流に
位置することになる。

堰は、元は上流のここで見た
蛇籠(じゃかご)による築造だったらしいが、
1949年にコンクリート製に。現在の堰は、
1974年に堤防が決壊した狛江水害を機に
1999年に改築されたもの。
P3313125s
堤防が決壊した狛江水害時には、
宅地が濁流にえぐり取られ、
建っていた住宅19戸が流された。

そのときに家を失った被害者の声が、
昨年(2023年)11月に亡くなった
脚本家山田太一さんのTVドラマ
「岸辺のアルバム」(1977年)
構想の元となっている。
山田さんが43歳のときの作品だ。
ドラマでは実際の
堤防決壊の報道映像が使われていた。

写真左方向に二ヶ領用水が始まっている。
P3313124s

こちらも親水歩道が整備されており
P3313127s
我々同様、歩いている人も多い。
P3313129s
すぐにJR南武線の
登戸駅-宿河原駅間の下を
くぐることになるが、ここは、
腰をかがめないと通れないほど
高さがなく、
見上げたときの線路の近さに驚く。
こんな角度で、こんなに近くで、
線路を見ることはない。
P3313135s


一部桜も咲き始めているので、
花見気分で
遊歩道で飲食を楽しんでいる人も。
P3313136s

P3313137s


宿河原駅付近の北村橋の手前では
他の用水(左)との合流もある。
P3313141s


整備された散策路が続いており、
多くの人が水辺を楽しんでいる。
P3313145s


八幡下圦樋(はちまんした いりひ)付近
P3313146s

八幡下圦樋については
多摩区観光協会のページ
こんな解説がある。
P3313150s

八幡下圦樋(記念碑)
二ヶ領用水宿河原取水口からの
水量を調整し、
下流の洪水を防ぐための排水路として
明治43年(1910年)に設置された。

その排水は圦樋をつくって堰止め、
余った水を「堰の長池」に流し、
多摩川に放流した。

近年になって、
圦樋が逆に洪水発生要因となり、
昭和63年(1988年)に撤去、
記念碑建立。

【圦樋 (いりひ)】とは
 川の水を引き入れ、
 または川へ水を吐き出すための、
 水門に設けられた樋(とい)。

下流の洪水を防ぐために造ったものが、
逆に洪水発生要因になってしまったとは。
設置から撤去までの78年間に
どんな変化があったのだろう?

八幡下圦樋のすぐ下流、
五ヶ村(ごかそん)堀と二ヶ領用水、
つまり水路と水路の立体交差
P3313152s
上を流れるのが五ヶ村堀。
この五ヶ村堀、
小田急線向ヶ丘遊園駅の近くに
二ヶ領用水からの取水口があった
あの五ヶ村堀だ。
P3313153s

取水口から2km強流れて
ここまで来ている。
こんな形で再会(?)することになるとは。

その下流にも整備された親水遊歩道が続く。
P3313155s


と、ここまでの写真で気づいた方も
いらっしゃるかもしれないが、
宿河原堰取水口から八幡下圦樋の
すこし下流までは桜の名所でもある。

二ヶ領用水歩きをした日とは別の日
桜を見るためだけに歩いてみた。
満開の桜の時期はこんな感じになる。
P4073238s
P4073234s
P4073232s

上3枚の桜の写真だけ
撮影日は2024年4月7日

二ヶ領用水歩きに戻ろう。

大人がギリギリ通れるほど低い
小さな鳥居のある稲荷神社を抜けると
P3313160s

東名高速道路の高架が迫ってくる。

高速道路高架下に
【徒然草 第百十五段 石碑】
がある。
P3313163s

第百十五段が
宿河原(しゅくがはら)といふ
 ところにて、
 ぼろぼろ多く集まりて・・・」
と始まっているので、
宿河原と呼ばれる
この地に建っているようだが、
一説にはここの宿河原のこと」と
言われるレベルのものらしい。

その内容は、
宿河原のぼろぼろ(遁世者)が
自分の師の敵討ちをする話。
河原へ出て決闘し、
差し違えて死んだ話を伝え聞いた
兼好法師が、いさぎよく思えたので
「徒然草」に書き留めた、とのこと。

東名高速道路の下に、
鹿島田菅線と呼ばれる道路、
その下に二ヶ領用水という
3重構造を抜けて先に流れる。
P3313165s


JR南武線久地駅のそば、
下の地図の赤丸地点まで来た。
Nikaryogmap123kuji
向ヶ丘遊園の方から流れてきた
二ヶ領用水(上図黄色線:下写真左)と
歩いてきた二ヶ領用水(青線:下写真右)が
合流する。
P3313168s

合流した二ヶ領用水は
こんな大きな流れとなって
JR南武線久地駅から先、流れていく。
P3313169s
二ヶ領用水歩きの見所のひとつ
久地円筒分水まではもうすぐだ。

 

 

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2024年4月14日 (日)

映画 ARRIVAL 邦題『メッセージ』

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映画 ARRIVAL 邦題『メッセージ』

- ハンマーしか持っていなければ -

 

2016年の米国映画
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
ARRIVAL 邦題『メッセージ』

Amazon Prime Video

は、「言葉」と「時間」に関する
深い問題が、重なるエピソードの中に
丁寧に織り込まれている
観るたびに新たな発見のある映画だ。

地球外生命体と人間との
ファーストコンタクトを描いた映画、
とストーリーを中心に語ると
肝心な部分が伝えられない。

たとえば、「過去を思い出す」
といった時間感覚の固定概念が
気がつくと揺さぶられている。
「未来を思い出す」ことになったら…。

いずれにせよ、作品全体の魅力を語るのは
難しい映画なのだが、
「言葉」についてのシーンに
たいへん印象的なセリフがあったので、
今日はその部分を紹介したい。

 

地球にやってきた
地球外生命体の巨大宇宙船。
(上記パッケージ写真の
 中央の黒い物体)

彼らはなんのためにやってきたのか?
飛来の目的を探るコンタクトチームが
結成され、女性言語学者ルイーズが
そのメンバとして選出される。

 

(1) 「顔を見せるの」

宇宙船に乗り込み、
地球外生命体となんとか
コミュニケーションをとろうとする
コンタクトチーム。

彼らに言葉あるのか?
それは音なのか文字なのか、
あるいはそれ以外なのか?

文字があるならそれはどんなものなのか?
地球人が持つような
平面的な2次元の文字なのか?
立体的な3次元、
あるいはもっと高次元のものなのか?

言葉はもちろん、
彼らについて何もかもわからない状態から
「会話」に向けての試行錯誤が始まる。

巨大宇宙船に乗り込むルイーズらは、
当初、感染や被爆を恐れ
写真のような分厚い防護服を来て
コンタクトを開始する。

語りかけ、英語の文字を見せ、
なんとか相手とのコミュニケーションを
スタートさせようとするルイーズ。
Bougofuku1s

しかし、なかなか糸口がつかめない。

行き詰まっていたルイーズは、
毒ガス検知のために連れて行った
籠に入ったカナリアが元気な様子を見て
ある決心をする。

突然、防護服を脱ぎ始めたのだ

驚く同行の仲間たち。
リモート監視のスタッフは
「危険だ」と叫ぶ。

彼らに対し、彼女はこう言う。

「顔を見せるの」

防護服を脱ぎ始めた瞬間
ほんとうにハッとさせられた。
そう、コミュニケーションとは
つまりはこういうことじゃないだろうか。
相手とわかり合いたければ
まずは自分の顔を見せることからだ。
防護服越しに真のコミュニケーションが
成立するはずはない。
Bougofuku2s

防護服を脱いで
地球外生命体に近づくルイーズ。

同行した物理学者イアンも防護服を脱ぎ、
顔を出して相手に向き合う。
Bougofuku3s

防護服を着ていないルイーズの
「私はルイーズ」という自己紹介に
未知の生命体がついに反応を始める。

彼女の勇気ある行動がきっかけとなり、
たどたどしいながらも、
コミュニケーションが加速していく。

「顔を見せる」
相互理解はここから始まるのだ。

 

(2) ハンマーしか持っていなければ

実は宇宙船、
世界各地12箇所に同時に飛来しており、
それぞれの国で、未知の生命体との
コミュニケーションが試みられている。
言葉を教えることも含めて。

でも、なにも知らない人に
対戦型のゲームを教えたら
会話の基盤が[対立・勝利・敗北]に
なるように、習得した言葉や知識は
まさに思考に影響する。

これらのことを象徴して
次のようなセリフが登場する。

「ハンマーしか持っていなければ、
 すべてクギに見える」


なんと痛烈で、かつ意味の深い言葉だろう。

考えてみると言語習得だけでなく、
勉強も遊びも、人生でのあらゆる経験は
「クギだと思っていたものが実は…」に
気づかせてくれるもの
なのかもしれない。
すでにこんなにおもしろいものに
囲まれているよ、と。

「クギだと思っていたものが実は…」に
より多く遭遇できる人生でありたいものだ。

 

 

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2024年3月24日 (日)

交響曲「悲愴」の第4楽章、再び(1)

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交響曲「悲愴」の第4楽章、再び(1)

- 記事から広がっていった世界 -

 

チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章

の冒頭の旋律についてとりあげた、
Eテレのクラシック音楽の番組
「クラシックTV」での内容を
ここに書いたところ、
この記事をきっかけに、

* 同じような例ってほかにもあるの?
* 複数の旋律が重なって演奏されたとき
 何をメロディとして捉えるのか、
 理論的に説明できるの?
* 昔からよく知られていたことなの?
* チャイコフスキーは
 なぜそのような仕組みを採用したの?

などの疑問が、読んだ方や音楽仲間との間に
飛び交うようになり、
さらなる情報交換の輪が広がっていった。

広がったからといって
それぞれの疑問に明確な回答が得られた、
というわけではないが、ブログをきっかけに
話題が次々と展開されていくワクワク感は
ひとりでは得られないものなので、
読者や音楽仲間への感謝の思いも込めて
記録としてその内容を残しておきたい。

まずは先の記事を簡単に復習しておこう。

1stバイオリンと2ndバイオリンは
こう弾いているのに

Sym64as

聴衆は、なぜか(?)

Sym64bs

の黄色丸の音を繋げて
メロディとして認識してしまう。
まさにチャイコフスキーに
魔法をかけられたような第4楽章冒頭。
先の記事では
 演奏(音)付きで紹介している
ので、
 詳しくはそちらを参照いただきたい。
 なお、本記事の中ではこの部分を
 便宜的に「交叉奏法」と呼ぶことにする)

この記事の投稿後に得られた追加情報を
整理してみるとこんな感じ。

(1) スコアの解説欄に
  何らかの詳細説明はないのか?


(1-a) 1968年版の音楽之友社のスコア
   (以下水色部引用)

悲痛な,哀切な,嘆くような第1主題
(1から)が弦ででる。

注意すべき点は,
第1バイオリンと第2バイオリンとが
主旋律の一音符ずつを交互にひいて
(1,3)旋律からなめらかさを
奪い去っていることである

(この主題が後に90から再びでる時は,
 主旋律が第1バイオリンに
 でているから比較されたい)。

「90から再びでる時は」とあるので、
90小節目を見てみよう。

6490s

90小節で
第1バイオリンが弾いているのは、
楽章冒頭で黄色丸の音を繋げて
メロディとして認識した、
まさにそのままだ。(黄色矩形部)

それにしても
「一音符ずつを交互にひいて」
旋律からなめらかさを奪い去っている
なんて。

いずれにせよ、50年以上前のスコアに
すでにこの記述。交叉奏法は
古くから知られていた構造のようだ、
と思わず漏らしたところ
さらに古いスコアを提供してくれた方も。

奥付がなく、発行年が不明なのだが、
1957年に購入した、とのメモがある。

(1-b) 1957年以前に発行された
   日本楽譜出版社のスコア

   (以下薄緑部引用)

先づ、アダヂオ・ラメントーソ、
ロ短調四分の三拍子で、
ヴァイオリンで奏せられる
下降的な主題は、
深い思いに沈むが如き感じである。
第一と第二ヴァイオリンが
 旋律を交叉して奏する
から、
 實際の旋律は第90小節と同じになる)

Sym64s

(70年近くも前の印刷物ゆえ
 使われている漢字も含め
 時代を感じていただきたく画像も添付)

こちらにも
「第一と第二ヴァイオリンが
 旋律を交叉して奏する」
と交叉奏法の記述がある。

しかも
「實際の旋律は第90小節と同じ」
とも。

音楽之友社版、日本楽譜出版社版、
どちらのスコアの解説にも
「一音符ずつを交互にひいて」
「旋律を交叉して奏する」
との記述はあったし、
90小節目では第1バイオリンのみが主旋律、
との認識も共通だったが、
残念ながらそれ以上の解説はなかった。


(2) 交叉奏法採用の理由・効果

(2-a) 対向配置のときのステレオ効果
交叉奏法の効果について、
「ホルン吹き」の知人からは、
「当時の私のホルンの先生は、
 対向配置のときのステレオ効果を
 狙ったのかな?
 とかコメントしていました」
なるメールをもらった。
対向配置とは、
第1バイオリンと第2バイオリンが
両サイドで向き合うような配置のこと。
第1・第2バイオリン間を
一音ごとに
パタパタとメロディが動くのだから
確かにステレオ効果は期待できそうだ。

14ページからなる江田司さんの論文
(2-b) チャイコフスキー作曲
   《悲愴》交響曲をめぐる
   鑑賞指導の研究

(薄茶部は論文(2-b)からの引用)
にも

オーケストラの第1・第2バイオリンの
「対面配置」による
ステレオ音響的効果を得るため
とする考えも,2000年代に入り,
世界の著名なオーケストラが
作曲家の生きた時代の
伝統的なこの配置を採用する頃から
多く語られるようになっている

なる記述がある。

ところが、このステレオ効果、
実際には期待できないという
研究もあるようで、同じ論文内に

たとえ2つのバイオリン・パートが
対向配置であったとしても,
聴き手にはそれぞれの音進行を
ステレオ音響的には聴き取れないことを
実験結果から裏付けられている

との紹介もある。

そのうえで、江田さんは
第1楽章の出だしのファゴットの
H-Cis-D-Cis(動機X)が
曲全体を支配していて、

断定は避けなければならないが,
第2,3楽章の主題労作等から,
第4楽章のバイオリン・パートにおける
特異な書法は,
動機Xを敢えて目に付くよう配置したと
推察される
のである。

と結論づけている。

もちろん、
ほんとうの意図はチャイコフスキーに
聞いてみないとわからないが、
多くの人を惹きつける魅力が
「特異な書法」による交叉奏法にはある。

この話、もう少し続けたいが、
今日はここまで。
最後にひとつ番外のおまけを。

(XX) 番外のおまけ
記事、読みましたよ」という
知人に会った時のこと。
「交叉奏法の記事、読んでいたら
 これを思い出しちゃいました」と
おもむろにメモ用紙を取り出し、
「おわだまさこ かわしまきこ」を
二行に分けてひらがな書きをし始めた。

意味がわからずポカンとしている私に
「こうやって交叉奏法のメロディのごとく
 一文字ごとに丸をつけると・・」
Owadamasakos

赤丸でも、黄丸でも
両名の名前が成立する偶然。

チャイコフスキーから
こんな話に繋がるなんて。
思いもかけない飛躍にこそ
人との会話の醍醐味がある。

 

 

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2024年1月14日 (日)

チャイコフスキー:交響曲「悲愴」の第4楽章

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チャイコフスキー:交響曲「悲愴」の第4楽章

- 聞こえてくるメロディはどこに? -

 

Eテレのクラシック音楽の番組
「クラシックTV」
が番組初の公開収録として

クラシックTV
スペシャル 公開収録
「パワー・オブ・オーケストラ」


を昨年末に放送していた。
(初回放送日:2023年12月28日)
その中で、

チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章


を取り上げていたのだが、その内容が
たいへんおもしろかったので、
今日はその部分を紹介したい。
(なお、貼ってある演奏は番組から。
 東京フィルハーモニー交響楽団
 円光寺雅彦(指揮)によるもの)

まずは、チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章から
冒頭の2小節のみお聴き下さい。

(A) チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章
冒頭の2小節のみ
オーケストラ全体演奏

美しいメロディだ。

この部分、
1stバイオリンと2ndバイオリンの譜面は
こうなっている。

Sym64as

それぞれパート別に弾いてもらおう。
譜面を見ながらどうぞ。

(1) 1stバイオリンのみ


(2) 2ndバイオリンのみ


(1)と(2)を何度聞いても
(A)のメロディーが聞こえてこない。

では、(1)と(2)を同時に演奏してもらおう。

(3) 1st & 2ndバイオリン

公開収録ゆえ、会場のお客さんが
驚きでどよめいているのがわかる。

Sym64bs

どうしてそうなるのかよくわからないが、
聞いているほうが勝手に
譜面の黄色丸の音を繋げて
メロディとして認識しているのだ。

総譜(スコア)を見ると同じ構造が
ビオラとチェロの間にもある。

64cs

再度、スコアを見ながら
全体演奏をどうぞ。

(A) チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章
冒頭の2小節のみ
オーケストラ全体演奏


まさに、魔法をかけられたようだ。

 

 

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2023年11月12日 (日)

バコーンってビッグになる

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バコーンってビッグになる

- 菅原小春さんの言葉 -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを残しておきたい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2023年10月29日放送
菅原小春×森山未來×関口メンディー

(以下水色部は放送からの文字起こし)

ダンサーとして大活躍の3人。

私は普段、ダンスを積極的に
見る方ではないのだが、
ナン年か前、偶然TVで見かけた
たったひとりの踊りに、
思わず釘付けになってしまったことがある。

「えっ!いったい誰?この人」
その時、初めて知った名前が
「菅原小春」だった。

最初の衝撃が大きかったせいか、以降
自分の中ではちょっと特別な存在に。
その後も、世界的な活躍の話を聞く度に
「さすが、菅原小春さん」
と妙に嬉しい気分になっていた。

その菅原さんが、
ダンスなしにトークだけで登場。

芸能界デビューへのきっかけを
こんなふうに語っていた。

「小6の時に、
 それこそここら辺の原宿で
 スカウトとか
 いっぱいあったんですよ。
 今、どうなんですかね?」

「今もあると思う」

「そん時、当時、
 一回こうやって歩いたら
 7個くらいから・・・」

「すごい、私芸能人になれる!
 と思って。
 芸能人になれる!

 で、すっげぇ上からなんですけど、
 選ばせてもらって、
 スターダストさんに
 入ったんですよ」

「へぇ、えっ、はいったの?」

原宿でスカウトされ大手芸能事務所に。

小6で、歩いているだけで
7箇所から声をかけられるくらいだから
当時から独特なオーラがあったのだろう。

そんな菅原さん、
入った事務所の演技レッスンを
どんな気持ちで受けていたのか。
今日、書き残したかったのは
こんなかっこいい菅原さんの言葉だ。

「入って演技レッスンに行った時に、
 なんか子どもたちが頑張って
 なんか、
 これを覚えることによって、
 大人たちを喜ばせなきゃ

 っていうのが、感じちゃって。

 もし自分が
 バコーンってビッグになるなら
 この大人の人たちを
 ギャフンて言わせないと・・・

 でもそれは、私はこれを覚えて、
 じゃないんだな、って思って

 やめて・・・」

菅原さんにしか表現できない
独特な踊りの世界を切り拓き、
まさに大人たちをギャフンと言わせて、
バコーンってビッグになった菅原さん。

「私はこれを覚えてじゃないんだな」
って思えるなんて。
ビッグになる人は最初から違う。
まさに「さすが、菅原小春さん」。

 

 

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2023年8月27日 (日)

あそこに戻れば大丈夫

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あそこに戻れば大丈夫

- 財産とはまさにこういうもの -

 

二回続けて、2003年に放送された
テレビドラマ「すいか」について
書いてきたが、もう一回だけ書いて
一区切りとしたいと思う。

冒頭部、DVDと
書籍化された脚本の紹介部分は
前回と同じ。
繰り返しの掲載、ご容赦あれ。
(前記事との重複部分は読み飛ばしたい
 ということであれば
 ここをクリック下さい)

=+=+=+=+=+=+=+=+=

夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。

放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。

三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。

小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。

当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。2巻構成。

木皿 泉 (著)
すいか
河出文庫

(以下水色部、本からの引用)

Kindleでは「合本版」もある。

=+=+=+=+=+=+=+=+=

今日は、上の脚本本「すいか2」にある
「文庫版あとがき」を紹介したい。

前回も書いた通り、
「木皿泉」というのは実際にはご夫婦で、
共同執筆。
「二人」「私たち」
という言葉を使っているのは、
そのせいだ。

執筆時をこんな風に振り返っている。

けっして若くなく、
書く仕事だけでは食べてゆけず、
魚を売ったり
コーヒー豆を売ったりする
パートに出ていた。

いつもお金はなく、
名前も知られず、野望もなく、
二人でしょーむない話をしては
ゲラゲラ笑い
お金にならない話を考えては
二人で褒めあい
本をよく読み、ビデオを観て、
食べたい時に食べたい物を食べ、
眠りたい時に眠っていた。

経済的にはともかく
精神的に豊かな時間を
過ごしていたことはよくわかる。
だからこそ
あんな脚本が書けたのであろう。


私たちは、とっくに、
こうあらねばならない、
というものを捨てていた


フツーでないことに、
少し焦りもしていた。
でも、自分たちが
おもしろいと思うものは、
けっして手ばなさなかった。

「すいか」を読み返すと、
その時の私たちの生活や
考えていたことが立ち上ってくる。

こんな台本、もう書けないと思う

いまだに人に会うごとに
「『すいか』観ましたよ」と
声をかけてもらえるらしいが、
そういったヒットは
これまでにない制約を
課してくる面もある。

ケンカっぱやくて、
書くのが遅いのは昔のままだが、
今は木皿泉という名前が少し売れて、
売れればその期待を背負わねばならず、
「すいか」を書いていた時のように
全てのものから
解放されることはもうないだろう

それでも木皿さんは、
次のような素敵な言葉で
この作品を位置づけている。

52歳と46歳の私たちに、
コワイものなど何ひとつなかった。
これは私たちの財産だ。
何があっても、あそこに戻れば
大丈夫と今も思っている。

そう、創作に限らず、
人生における財産とは
つまりはこういうものなのでは
ないだろうか。

「あそこに戻れば大丈夫」
と思えるものがあることの
なんと心強いことよ。

 

 

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2023年8月20日 (日)

食べるものを恵んでもらおう、という決め事

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食べるものを恵んでもらおう、という決め事

- 木皿泉さんの脚本裏話 -

 

今回も、2003年に放送された
テレビドラマ「すいか」について
書きたいと思う。

冒頭部、DVDと
書籍化された脚本の紹介部分は
前回と同じ。
繰り返しの掲載、ご容赦あれ。
(前記事との重複部分は読み飛ばしたい
 ということであれば
 ここをクリック下さい)

=+=+=+=+=+=+=+=+=

夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。

放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。

三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。

小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。

当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。2巻構成。

木皿 泉 (著)
すいか
河出文庫

(以下水色部、本からの引用)

Kindleでは「合本版」もある。

=+=+=+=+=+=+=+=+=

今日は、上の脚本「すいか2」にある
「あとがき」を紹介したい。

ドラマのセリフにはなかった
脚本家「木皿泉」さんの声だ。

そうそう、「木皿泉」というのは
実際にはご夫婦で、共同執筆。
「私たち」という
一人称を使っているのは、そのせいだ。

「すいか」を書くにあたって、
私たちだけの密かな決め事があった。

それは、毎回、誰かに食べるものを
恵んでもらおう
という事である。

刺し身のトロに始まって、ケーキ、
豆腐、桃、メロン、米、松阪牛、
饅頭、松茸。

ハピネス三茶の住人は、
かくも様々な食べ物を
人様(ひとさま)から
分けていただいてきた。

 昔は、到来物があると、
近所に配ったり
配られたりしたものである。が、
いつの間にか、見ず知らずの人に
食べ物を分けてもらうのは、
どこか気の重い事に
なってしまったようだ。

なんておもしろい「決め事」だろう。
「食べ物を恵んでもらう」なんて。
改めて気をつけて見てみると
確かに、いろいろな食べ物が
うまく組み込まれている。

「すいか」は、ハピネス三茶という
下宿の中だけで繰り広げられる、
それこそ閉じられた世界のドラマだが、
だからこそ、
どこかで世間とつながっている事を
描いておきたかった。

ある時は、拾い物であったり、
おすそ分けであったり、
押しつけられたものであったり、
失敬してきたものであったり、と
様々な形ではあるが、
外から食べ物がやってきて、
それを住人たちは何のためらいもなく
口にする


そういうふうに、
世間とちゃんと
つながっている人たちを描こう。
これが二人で決めた約束事だった。

そもそも賄い付きの下宿を
舞台にしているため、ドラマでは
一緒に食べるシーンや料理、
大きなテーブルが
効果的に使われている。

それに加えて、到来物を
自己ルールとして設定していたなんて。

「もらう」、「皆で分ける」、
そこには金銭による交換や分配にはない
特別な人の繋がりがある。

ゴリラの生態を通して
「円くなって向き合いながら
一緒に同じものを食べる」ことの意味を
人類学者の山極壽一さんが
語っていたことを、以前
「円くなって穏やかに同じものを食べる」
に書いた。

その記事の最後の部分を引用したい。

そう言えば、
故郷の「」という字は、
ふたりが食物をはさんで
向かい合っている様子
」を
表している、と聞いたことがある。
確かによく見るとそんな形、
構成になっている。

そこにある「音」が「響」であり、
そういった
飲食のもてなしが「饗」であると。

「円くなって向き合いながら
 一緒に同じものを
 穏やかに食べられる場所」
それがまさに、ふるさと(故郷)。

食べるものを通じて
「ハピネス三茶」は
住人にとっての
まさに故郷になっていった。

 

 

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2023年8月13日 (日)

ドラマ「すいか」のセリフから

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ドラマ「すいか」のセリフから

- そんな大事なものをたった三億円で -

 

夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。

放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。

三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。

小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。

当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。2巻構成。

木皿 泉 (著)
すいか
河出文庫

(以下水色部、本からの引用)

Kindleでは「合本版」もある。

とにかくシナリオがすばらしいので
名セリフを紹介し始めると
キリがないのだが、
まさに独断と偏見で
3つのシーンだけ
特別にピックアップして紹介したい。

 

(1)
響一という22歳の男性が
モモちゃんという女性の誕生日に
大きなケーキを用意する。
ところが、あっさりフラれてしまう。

ケーキの処分に困った響一は、
女性が多い「ハピネス三茶」でなら
食べてもらえるのでは、と
ケーキを持って「ハピネス三茶」に
やってくる。

ケーキの行き先は決まったものの、
添えていたバースディカードの方は?

響一は「ハピネス三茶」の庭に
穴を掘って埋めることにする。

うずくまる響一の背中から
住人のひとり、大学教授の夏子が
そっとシャベルを差し出し
語りかける。

夏子「これ(使えば?)」
響一「あ(頭を下げて、受け取る)」
夏子「(埋めるのを見ている)
   もっと深い方がいいんじゃない」
響一「(掘る)あのー、
   こんな所に、こんなもの、
   埋めちゃっていいんでしょうか」

夏子「どうして?
   ここに住んでた人は、
   皆そうしてきたわよ」
響一「そうしてきたって?」
夏子「忘れたい物は、
   みんな埋めていいの

   伝ちゃんだって - 」

響一「伝ちゃんって、
   間々田さんですか?」
夏子「(頷く)伝ちゃんだって、
   泣きながら、土、
   掘ってた事あったわよ」

(中略)

夏子「(ニッと笑う)学生ン時から
   住んでるのよ、私。
   大人になって、皆、
   ここを出て行ったけど、
   私だけ、ずっと、ここに居るの。
   時間の止まった
   吸血鬼みたいでしょう?
   (埋めおわった所をトントン踏む)
   ハイ、終わり!
   ほら、アナタも踏んで」
響一「(も踏みつつ)
   -オレだけじゃないんだ。
    埋めたの」

夏子「みんな、
   何かしら埋めて生きてるもんです


響一「(少し笑う)」

夏子「安心して忘れなさい。
   私が覚えておいてあげるから

確かに皆、
「何かしら埋めて生きてるもん」だ。

でも、それに対して、
「安心して忘れなさい。
 私が覚えておいてあげるから」
と言ってくれる人がいることの
なんとあたたかいことよ。

 

(2)
信用金庫のOL基子 34歳 独身。
基子の同僚 馬場チャンは、
信用金庫から3億円を横領して逃亡中。

逃亡中ではあるが、基子が住む
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を
ちょっと覗いたあと、
川原で基子とこっそり会う。

馬場チャン
  「ハヤカワの下宿、行った時さ、
   梅干しの種見て、泣けた
基子「梅干しの種?」

馬場チャン
  「朝御飯、食べた後の食器にね、
   梅干しの種が、それぞれ、
   残ってて - 
   何か、それが、
   愛らしいって言うか
   つつましいって言うか - 
   あ、生活するって、
   こういうことなんだなって、
   そう思ったら、泣けてきた

基子「そんな、おおげさだよ」

馬場チャン
  「全然、おおげさじゃないよ」
基子「 - 」

馬楊チャン
  「掃除機の音、
   ものすごく久しぶりだった。
   お茶碗やお皿が触れ合う音とか、
   庭に水をまいたり、
   台所で何かこしらえたり、
   それ皆で食べたり -
   みんな、私にないものだよ」
基子「 - 」
馬場チャン
  「私、そんな大事なもの、
   たった三億円で
   手放しちゃったんだよね

基子「 - 」

逃亡生活を続ける馬場チャンが
目にした生活の風景、音。

なにげない日常の、
ごくこく普通の生活のその愛おしさを
こんなにうまく表現できるなんて。

そぉ、
「生活するって、こういうことなんだ」

 

(3)
馬場チャンのひと言に基子はこう返す。

馬場チャン
  「(ため息)また、
   似たような一日が始まるんだね」

  基子、振り返る。

基子「馬場チャン、
   似たような一日だけど、
   全然違う一日だよ

我々は、繰り返す日常を
どうして「似たような一日」と
思ってしまうのだろう。
同じ時間は、二度とないのに。

似ていたとしても、
実際には「全然違う一日」なのだ。

「全然違う」そう思いながら
新たな一日を、毎日を、
楽しみたいものだ。

 

 

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2023年6月18日 (日)

人生やらなかった事の方が

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人生やらなかった事の方が

- 深夜ドラマのセリフから -

 

少し前の話になるが、
5月の大型連休明けのころ
新聞のTV欄を見ていたら
こんな文字が目に飛び込んできた。

Kashimashi


「初のシュクメルリ」

シュクメルリとは、
ニンニクと鶏肉を使った
伝統的なジョージア料理の一つ。
実は、つい先日
「フメリスネリ」という本場の
ドライミックススパイスが手に入ったので
自分で作ってみたばかりだったのだ。
まさに私にとっての
「初のシュクメルリ」の直後。

おもわぬ偶然に
思わず「えっ!」と声をあげてしまった。

そもそも、日本ではめったに目にしない
ジョージア料理の名前が
深夜ドラマのタイトルになっているなんて!

これは何か
新情報・珍情報があるかもしれない。

初めて見るドラマだったが、
「目的はシュクメルリ」に絞って見てみた。

結果としては、残念ながら
シュクメルリに関する新情報は
得られなかったのだが、
シュクメルリとは全く関係ないシーンで、
印象深いセリフがあったので、
今日はその部分だけ紹介したい。

ドラマ「かしましめし」テレビ東京
2023年5月8日放送
第5話 脚本 今西祐子

(以下水色部は放送からの文字起こし)

相部屋に入院しているふたりの男の会話。
ふたりともベッドに横になっている。

ひとりは若い時に野球をやっていた。
高校にスカウトがくるほどの
実力だったらしい。
その男が隣のベッドの若い男に
思い出話をしている。

演じているのはベンガルさん。

スカウトが大勢いてさ、
そりゃ緊張するよな。

ミスが続いて
最後に俺にチャンスが回ってきてさ、
一発当てれば認めてもらえるって
いい球を打ちたくて
すごい慎重になったんだよな

2ストライクまで追い込まれて
絶対ヒット打たなきゃって。

で、結局、見送り三振。

それはそれは悔しかったことだろう。

ミットに吸い込まれたボールの音が
今でも頭の中でする時あんだよ。
あんとき
思いっきりバットを振ってたらって
今でも考えんだよ。

人生やらなかった事の方が
残んだよな

以前、
「やらなかったこと」が創り出すもの
なる記事を書いたことを思い出した。
天皇陛下においてさえも
「やらなかったこと」が
深く残っているのだ。

本人にとっての
「やったこと」の本当の意味は、
本当の価値は、
「やったこと」に貼り付いている
「やらなかったこと」に
支えられているのだ。

 

 

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2023年5月28日 (日)

プレイしている瞬間があればそれでいい

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プレイしている瞬間があればそれでいい

- ファーストサマーウイカさんの言葉 -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを紹介したい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2023年1月22日放送
ファーストサマーウイカ×
宮司愛海×高山一実

(以下水色部は放送からの文字起こし)

忙しく活躍中の若い女性3人のトーク。
仕事のストレスを何で発散するか、
といった話題になったとき、
ファーストサマーウイカさんは
「一人でゲーセン行くの最高に好き」
と即答。
「ひたすらクレーンゲームやっているの」

「渋谷、新宿、池袋、秋葉原、川崎、
 蒲田、とかゲームセンタが
 ギュッとなっているところを
 転々として」
「何時間でも居られる」らしい。

だから、いらないの。
物はいらないの。やりたいの。

プレイヤーだから、
コレクターじゃないから

私は。

プレイしている瞬間があれば
それでいいの


お菓子取るのよ。
お菓子取って、現場とかに
「差し入れでーす」って、
でかめの、でかい
なぞのチョコとかガンガン入れて。

もうだから流していく。
ほんとにそこでデトックス。

ファーストサマーウイカさんの
声、話しっぷりは
聞いているだけで気持ちいい。

そぉか、モノが欲しいわけじゃないンだ。

「プレイしている瞬間があれば
 それでいいの」

に妙に説得力がある。


でもね、お金かかるのよ。
何か観る映画鑑賞だとか
舞台鑑賞っていうのは
お金払っているけれど、
得るものしっかりあるわけ


けど、もうクレーンゲームは
お金も出ていくし、その瞬間の
アドレナリンの一瞬で消えるから、
持続力ゼロだから、
もっと欲して、欲して
みたいになって。

でも、
出てきたものはべつに欲しくない、
ってなるから、
満たされているようでべつに
満たされていないのアレは


瞬間の麻薬状態なので、
ハイになっているだけだから。

だからけっこう終わったあと、
ずーんって疲れて

でもこう目を閉じると
「チャーチャラララ」って
ゲーセンの音が聞こえ。

ギャンプルとかと
同じような状態だから、
まぁなんかまぁ
健康的かどうかわからないけれど。

「瞬間の麻薬状態」を
ここまで客観的に語れるなんて。

でも、考えてみると誰にとっても
心から「発散できるもの」には
趣味だろうと、仕事だろうと
同じ言葉が当てはまる気がする。

「プレイしている瞬間があれば
 それでいいの」
だし
「出てきたものはべつに欲しくない」
だし
「瞬間の麻薬状態」
だし
「目を閉じると**が聞こえ」
だし、しかも
「健康的かどうかわからない」
だし。

 

結果としてのアウトプットではなく
「プレイしている瞬間」にこそ
本質的な喜びがある。

ファーストサマーウイカさん、
スタッフ含め周りを笑わせながら
ふざけたようにしゃべっているが
すごい言葉だ。
個人的「残すべき名言」として、
ここに記録しておきたい。

 

 

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