日記・コラム・つぶやき

2019年2月17日 (日)

2050年の紅白歌合戦

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2050年の紅白歌合戦

- 初出場とトリ -

 

前回
季節外れの紅白歌合戦ネタを書いたが、
書きながら思い出したことがあるので、
もうひとつ紅白ネタで続けたい。
(歌手名は敬称略で失礼します)

更に振り返って、
去年ではなく、2015年末のこと。

その年、
2015年 第66回NHK紅白歌合戦
のプログラムは、

レベッカが初出場で「フレンズ」を歌い、
紅組のトリが
松田聖子「赤いスイートピー」
白組のトリが
近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」

というものだった。

3曲とも確かに大ヒットした曲だが、
流行っていた時代をリアルで知っている
昭和のオヤジとしては、
別な意味でかなりびっくりした。

発表年を2015年から見ても
「フレンズ」      1985年=30年前
「赤いスイートピー」  1982年=33年前
「ギンギラギンに・・・」1981年=34年前
ということになる。
初出場のレベッカは1984年(31年前)の
デビューだ。

1985年の年末に
30年後、つまり2015年の紅白はねぇ
 レベッカがようやく初出場となり、
 聖子ちゃんとマッチが
 それぞれトリをとるンだよ。
 しかも歌は、
 『赤いスイートピー』と
 『ギンギラギンにさりげなく』。

 レベッカのNOKKOは52歳、
 聖子ちゃんは53歳、
 マッチは51歳だけどね。」

なる予言をしても、
おそらく誰一人信じてくれなかったであろう。

当時、53歳で歌う松田聖子なんて
想像すらできなかったし。

なのに事実は想像の世界を超えてくる。

 

というわけで(?)
その不思議さを実感するため、
(2050年まで紅白が続いているとは
 思えないし、正確には31年後だが)
ここで大胆に予言してしまおう。

30年後、2050年の紅白はねぇ、
 家入レオがようやく初出場となり、
 AKB48とEXILE(エグザイル)が
 それぞれトリをとるンだよ。

 家入レオは56歳。
 ABK48には、
 59歳の前田敦子と62歳の大島優子も
 合流して、
 EXILEでは
 70歳のATSUSHIと66歳のTAKAHIRO
 がボーカルをとるらしいよ」

笑うがいい。
1985年の人も同じように笑ったはずだ。

 

 

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2019年2月10日 (日)

勝手にシンドバッド

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勝手にシンドバッド

- 『今何時?』の意味 -

 

もう2月も半ばになってしまったけれど、
今日は紅白歌合戦について少し書きたい。
(歌手名は敬称略で失礼します)

昨年の大晦日は
いろいろな条件が重なったこともあって、
ウン十年ぶりに
NHK紅白歌合戦を最初から最後まで観た。

世代や性別ごちゃまぜで
複数の人がテレビの前に集まって
あれやこれや
好き勝手なことを言いながら観る、
というのが、やはりあの番組の
一番の楽しみ方なんだなぁ、を
改めて再認識した夜だった。

最後、
「勝手にシンドバッド」で
桑田佳祐やユーミンが
北島三郎までを巻き込んで
大暴れしたのは、
昭和世代の私にとっては
おおいにお祭り気分に浸れた瞬間だったが、
考えてみると(好き嫌いはともかく)

 浜崎あゆみ  も
 安室奈美恵  も
 倖田來未   も
 Kinkikids   も
 SMAP      も
 モーニング娘。も

そこにはいなかった。

椎名林檎も米津玄師もよかったが、
平成最後の大晦日に
盛り上がって目立っていたのは
昭和の歌手ばかりだったのは、
なんとも感慨深い。

さて、
「勝手にシンドバッド」で
まさに勝手に思い出したものが
いくつかあるので、
今日はそれを紹介したい。

 

(AA) ドラマ
  「歌謡曲の王様伝説  阿久悠を殺す」

一色伸幸さん脚本の
「歌謡曲の王様伝説  阿久悠を殺す」
という刺激的なタイトルのドラマのことは
ここに少し書いた。
ドラマの中にこんなセリフがある。

青年:
  『勝手にしやがれ』と
  『渚のシンドバッド』、
  阿久悠の代表作だ。

  ふたつまとめて蹴飛ばしてる。
  『勝手にシンドバッド』!

なぜか忘れられないセリフのひとつだ。
リンク先にある通り
オリコンチャートの1位獲得曲
108曲目と109曲目には
沢田研二の『勝手にしやがれ』
ピンク・レディーの『渚のシンドバッド』
並んでいる。

 

(BB) 嘉門達夫「勝手にシンドバッド」
替え唄の名作が多い嘉門達夫にあって、
その中でもピカイチだと思っているのだが、
残念ながらこの曲の知名度は低いようだ。

カラオケにも
「替え唄メドレー」などは必ずあるのに、
この曲はないことが多い。

♪今何時? そうね ダイアン・レイン

♪今何時? 僧はボンサンね
と歌っているのを聞いて
思わず引き込まれてしまった。

♪胸さわぎの腰つき

♪このお鍋はフタつき

♪部屋探しの風呂つき
と歌うセンス。

1990年、シングルとして発表されたあと

アルバム
(1) リゾート計画
(2) THE BEST OF KAMON TATSUO


(3) ゴールデン☆ベスト
  ~BEST OF 替え唄&ヒットソングス
   1989-1996 ~
(4) 嘉門達夫BOX 
  怒濤のビクター・シングルス

にも収録されている。

ちょっとだけ聞いてみよう。

♪胸さわぎの腰つき
♪バカ騒ぎのモチつき
♪部屋探しのフロつき

 

(CC) 『今何時?』の意味
ツイッターのTL(タイムライン)には、
この曲を「初めて聞いた」という若い方の
「なんで何度も『今何時?』って聞くの?」
「時計がないってこと?」
なる疑問が流れていた。

それに対して、実にスマートに
解説しているつぶやきがあった。

リツイートの繰り返しゆえ
出処がわからないのだが、
内容に敬意を表して
ここに記載させていただきたい。

「今何時?」は
デート中に女性が男性に
問いかける言葉で、

 [1] 門限なので帰る。
 [2] 退屈ですよ。
 [3] 何で誘わないの?

の3つの意味があります。

男性側は、
 ♪だいたいね
 ♪ちょっと待ってて
 ♪まだ早い
などと返事をしながら
どの意味なのか探っている、
というわけか。

うまいことを言うものだ。

 

40年経っても古さを感じさせない名曲は
喚起させるものも多い。

 

 

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2019年2月 3日 (日)

幕末の志士たちの年齢

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幕末の志士たちの年齢

- 30代が新しい時代を -

 

以前、オーストリア旅行記を書く際、
同時代を生きた歴史上の人物の年齢関係を
少しでもイメージしやすくするために、
オリジナル棒年表を作ってみた。
たとえば、 こんな感じ

エクセルの表に
氏名と生没年月日を入力すると、
VBAの簡単なプログラムが走って
年表用のバーを書いてくれる。

すると、記事を読んだ方から
「幕末の人物で同じような棒年表を
 作ってみてもらえないか」
なるリクエストをいただいた。

では、作ってみよう。

 

最初に、オリジナル棒年表の見方について
簡単に説明したい。

* 棒の左端の数字は生年
* 棒の右端の数字は享年
  (死んだときの満年齢)
* 棒右欄外は氏名
* 棒の色
  60歳までは20年区切り
    0 -20歳  緑
    20-40歳  青
    40-60歳  黄
    60歳以上 紫

* 今回だけ特別に[#数字]にて、
  明治維新時の満年齢
を示す。
  なお、日にちで指定することに
  あまり意味はないが、
  年齢計算のために必要ゆえ
  今回は「1868年10月23日」を
  明治維新の日として計算した。

この仕様にて幕末の人物に関する
棒年表を作成すると次のようになる。

通常は、生年順で作成するのだが、
作って眺めてみると
かえって時代の流れが
わかりにくくなってしまったので、
今回は、没年順に並べてみた。

Bakumatsu1


読者の皆様は、この年表の
どの部分に目がいくことだろう?

1853年の黒船来航から
1868年の明治維新までわずか15年。
その短さもよくわかる。

でも、なんと言っても
一番印象的なのは、
明治維新時の年齢「#数字」。
勝海舟の45歳が最高齢で、
木戸孝允は35歳、大久保利通は38歳。

ひとり、ふたりが若かったのではない。
明治政府設立に関与したほとんどの要人は
棒年表の青い領域、つまり40歳以下だ。

こんなに若い人が中心となって
「中央官制・法制・宮廷・身分制・
 地方行政・金融・流通・産業・経済・
 文化・教育・外交・宗教・
 思想政策など」(Wikipediaから)
明治時代、
まさに信じられないほど多岐に及ぶ
改革が進んだのだ。

 

一方、明治維新を迎えられなかった
上段に目を遣ると、
30歳前後という若さで亡くなりながらも
多大なる影響を残した
吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬らが並ぶ。
それぞれが思い描く「新しい世」にむけて
まさに志士としての無念さが偲ばれる。

 

ちなみに
(本音では比較さえしたくはないが)
現(2019年2月)第4次安倍改造内閣の
平均年齢は64歳だ。

 

 

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2019年1月20日 (日)

大学が学生に与えるべきもの

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大学が学生に与えるべきもの

- 知的興奮とは体験だ -

 

57万人が受験するという
大学入試センター試験が、
昨日(2019年1月19日)から始まった。

A190120center1

蓄えた力が十分発揮できるよう
受験生の健闘を祈るばかりだ。

というわけで、その週末には
「大学入試センター試験」の文字が
一面に載ることは確実だった
2019年1月16日水曜日
朝日新聞はなぜかこんな特集記事を
掲載していた。

A190116bun

あまりにもバカバカしくて
本文を読む気にすらならないが、
見出しを見て、
人文学を大学から追放しようという
一部の動きに対する強い反論を、

『ことばと国家』岩波新書

を始め、言語に関する名著の多い
田中克彦さんが、
書評欄に寄せていたことを思い出した。

印象的ないい言葉が含まれていたので、
今日はそれを紹介したい。

田中克彦「大学と人文学の伝統」
朝日新聞書評欄(2015年5月5日)

(以下、水色部記事からの引用)

A160207_tanaka_s

 

【鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)】

 人類学がまだ土俗学と
呼ばれていた頃の、黎明期日本の
近代学問の開拓者となった鳥居龍蔵は、
小学校に1年学んだだけで
退学させられた。

学校の授業が気に入らず
欠席がちになったからである。

 しかし家では多方面にわたって
早熟な読書をし、英、独、仏など
外国語の学習にも励んだ。

やがて地元徳島の
考古学的遺跡の調査を行い、
明治19年に
東京人類学会が創立されると、
ただちにその会員になった。
16歳のとき
である。

のちに人類学者、考古学者、民族学者、
民俗学者として活躍する
鳥居龍蔵(1870-1953)のことだ。

 その後上京して、
坪井正五郎教授の手引きで
東京帝国大学の研究室の
資料整理にかかわるようになり、
生涯にわたって、樺太、シベリア、
モンゴル、旧満洲など、
ひろく極東の調査を行った


東京帝大助教授の職を得て
勤務しながらも、
意に沿わないことがあって辞職した。

このような生涯の足どりを記したのが
『ある老学徒の手記』である。

鳥居龍蔵(著)
「ある老学徒の手記」岩波文庫


 鳥居は言う。

「私は学問のために学問し、
 生活のために学問せず」 

「学校卒業証書や肩書で生活しない。
 私は私自身を作り出したので、
 私一個人は私のみである」と。

 学問の自立への
このような強い信念が形成されたのは、
その素質を見込んで、
これを読んでみろと
次々に書物を提供する市井の人たちや、
徳島の自宅まで訪れて助言を与えた
坪井教授のような大学人が、
当時の日本にはいたからである

 

続いて、鳥居とは対照的に、
生涯ほとんど学校から離れず、
独自にアラブ学の道を開いた
前嶋信次をあげている。

田中さんは、
自身が東京外国語大学の学生であった頃、
前嶋さんから直接
フランス語の手ほどきを受けたらしい。

エミール・ゾラや
シャトーブリアンの描く女たちを、
先生は飄々とした調子で
論じているうちに、いつの間にか
アラビアンナイトの女との比較に
話が流れていくという具合であった。

先生の本業が
アラブ学であると知ったのは、
ずっと後のことであった。

先生は東京外語で
フランス語を修めた後、
東京大学の東洋史に進まれ、
ヨーロッパと東洋を結ぷ研究に
沈潜された。

十字軍とレコンキスタを扱った
『イスラムとヨーロッパ』は、
いまのような時代になって
突然浮かび上がったかに見える問題には
深い背景があることを
思い知らせてくれる。

東西にわたる
深く広い学識にささえられた洞察は、
目前の実利に追われる
総ビジネス化大学からは
急速に失われつつある

前嶋信次著作選
「イスラムとヨーロッパ」
平凡社 東洋文庫

 

 大学が企業や官庁の
勤め人養成の下請け機関になりさがり、
他方で研究をますます狭い
こまぎれの専門領域へと分断する結果、
技術はあるが、全体を見渡し
考えることを放棄した人間を
製造する場
となる。

その危険を、もう150年も前に
警告しているのがJ・S・ミルの講演
『大学教育について』である。

J.S.ミル(著), 竹内一誠(翻訳)
「大学教育について」
岩波文庫


 ミルはこの講演で
「自分自身と自分の家族が
 裕福になること
 あるいは出世すること」を
「人生最高の目的」とする人たちに
大学が占領されないよう

絶えざる警戒が必要であると訴えている。

田中さんは
鳥居龍蔵、前嶋信次、J.S.ミル、をあげ
現代の社会と大学から
急速に失われつつあるものを
痛烈に指摘している。

 今の日本の政治を担う人たちは、
かつて大学生であったとしても、
大学が学生に与えるべき
最も大切な経験
-真実という鏡の前で
 自らの精神のくもりに気づくという
知的・心的経験

一度として味わわなかったのであろう。

だからこそ、もうからない人文学を
大学から追放しようという、
先人の築いた日本の伝統を
破壊へと導きかねない発想が
表れるのであろう。

 

「大学が学生に与えるべき
 最も大切な経験」

私は、理工学部で電気工学を
専攻していた学生だったためか、
個人的な経験を振り返るとき
「真実という鏡の前で
 自らの精神のくもりに気づく」
という言葉はピッタリとは
当てはまらないような気がするが、
少なくとも
高校までの「勉強」とは全く次元の違う
「学問」の大海原が見えてきたときの
知的興奮は忘れられない。

先人の驚くべき発想と努力によって
切り拓かれ、
大きく深く広がっていった学問の世界。

それは人間の精神世界の豊かさを
驚嘆と共に痛感させるものでもあったが、
一方で、その果てしもない大きな世界が、
自然を解明するという点では、
おそろしいほどにわずかな部分しか
カバーできていないという現実を
挑戦状のように
突きつけてくるものでもあった。

そういった興奮や世界観を
大学や大学で出会った仲間たちが
与えてくれたことには
いまでも感謝している。

それは
「知識を獲得する」といったものとは違う、
まさに自らの「体験」であった。

知的興奮に文系も理系もない。
あの「快楽」を
若い人にもぜひ体験してもらいたい。

もちろんそれは
「大学で」に限ったことではないけれど、
少なくとも私が
初めてそれを「体験」できたのは
「大学で」であった。

 

 

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2019年1月13日 (日)

2019 数字あそび

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2019 数字あそび

- 降順と昇順の傑作 -

 

2019年が始まった。

ここに書いた通り、
数学好きと言うか、数字好きな人は
数字を見るとまずは「素数」に
反応してしまうようだが、
一見素数のニオイがするものの
「2019」は素数ではない。

(「素数」とは中学で習った
 「1より大きい自然数で、正の約数が
  1と自分自身のみであるもののこと」
 小さいところだと
  2, 3, 5, 7, 11 ・・・)

2017 は素数だったが、
2018 = 2 x 1009 (2 x 素数)
2019 = 3 x 673  (3 x 素数)

ちなみに、次に素数となる年号は
一見素数のような気がしない
つまり約数があるような気がする
2027。

2017年に「2017」を使った
数字あそびを書いたので、
今回は「2019」を使った数字あそびを
紹介したい。

(えっ、2017の次は2019で、
 2018年ネタはないの?
 なる反応があるとも思えないが、
 2019ネタを始める前に
 ひとつだけ2018年関連ネタを。
 
 2018年10月19日。
  [  20181019 ]:素数!
  [    181019 ]:素数!
  [      81019 ]:素数!
  [        1019 ]:素数!
  [          19 ]:素数!)

 

では、2019ネタを始めたい。

(AA) 【降順(・・4, 3, 2, 1・・)で】
 ではこれが見事。

210 + 29 + 28 + 27 + 26 + 25 + 24 - 23 - 22 - 21 + 20 = 2019

10 x 9 x 8 x 7 / 6 / 5 x 4 x 3 + 2 + 1 = 2019

 

(BB) 【昇順(1, 2, 3, 4 ・・)で】
 の傑作は3乗で揃えたこれ。

13 - 23 - 33 + 43 - 53 + 63 - 73 + 83 + 93 + 103 = 2019

 

(CC) 【3つの「素数の2乗」の和】
 6通りで記述できる最小数らしい。

(1) 72 + 112 + 432 = 2019

(2) 72 + 172 + 412 = 2019

(3) 132 + 132 + 412 = 2019

(4) 112 + 232 + 372 = 2019

(5) 172 + 192 + 372 = 2019

(6) 232 + 232 + 312 = 2019

 

(DD) 【2019の数字の並びそのまま2回使って】

201 x 9 + 201 + 9 = 2019

 

(EE) 【その他べき乗を使って】

74 -63 -53 -43 +33 -22 = 2019

64 +54 +34 +24 +14 = 2019

55 -45 -34 -14 = 2019

37 -35 +34 -32 +31 = 2019

211 -24 -23 -22 -20 = 2019

 

(FF) 【こんな長いものも】

12 + 22 + 23 + 24 + 25 + 26 + 27 +
32 + 33 + 34 + 35 + 52 + 53 +
62 + 63 + 72 + 102 + 112 + 122 +
132 + 142 + 152 = 2019

 

発見した方々に敬意を表して、
記録としてここに留めておきたい。

「2017」の時と同様、
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はないのだけれど。

 

 

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2017年8月13日 (日)

鏡の中の不思議な立体

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鏡の中の不思議な立体

- 円が四角に -

 

ベーグルによるメビウスの輪でも書いた通り、
錯視・錯覚ネタは大好きだ。

錯覚を利用した世界大会
Best Illusion of the Year Contestで
2010年、世界第一位に輝いた
杉原厚吉さんのこの作品。

この作品をはじめとして、
杉原さんは実に様々な
錯覚作品の新作を発表している。

昨年(2016年)9月に
横浜で開催されていた
「エッシャー展」。

Pa105800s

その最後のコーナに展示されていた
杉原さんの作品も
新しい視点の驚くべきものだった。

そのコーナだけ
写真撮影可だったので、
その時の写真を2枚添えたい。

Pa105808s

静物を鏡で映しているだけ。

Pa105813s

でもご覧の通り、そこには
にわかには信じられないものが
映っている。

 

これらの立体オブジェを含む本(!?)が
この夏出版された。

鏡で変身!?
ふしぎ立体セット
驚きの錯覚 不可能立体の世界

監修 杉原厚吉
東京書籍

思わず購入してしまったので、
ちょっと中身をご紹介。

まずは箱の表紙にもなっている
この作品から。

Mirror1

エッシャー展では、
(壊れないように、というよりも)
展示物の位置や角度がずれないよう
ケースに入っての展示だったため、
手に取ることはできなかったが、
もちろん、今回は手に取って
いろいろな角度から
その変化を楽しむことができる。

Mirror2

鏡の前の物体は、左から
四角形、五角形、六角形なのに、
映ったもの(写真上部)はすべて円!

小さい作品だが、
これもインパクトが大きい。

Mirror3_2

矢印の向きが逆転。
しかも鋭角の矢印の先が、
鏡の中では丸いきれいな弧を描いている。

 

簡単なペーパクラフト作品も
入っている。

これは、鏡に映すと
「屋根」も「屋根のニワトリ」も
消えてしまうというもの。

Mirror4

これくらいになると、
もう写真ではとても伝えられない。

手に取って、オブジェを
違う角度から眺めてみて、
その発想に驚いてみてほしい。

仕組みを知って見ても、
何度でも楽しめる。

 

 

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2017年8月 6日 (日)

独自言語で会話を始めた人工知能

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独自言語で会話を始めた人工知能

- 今、必要なものは? -

 

最初に知ったのは
通勤途中のラジオだったのだが、
先週、衝撃的なニュースがあった。

帰って来て調べてみると、
関連記事がネットにある。
ただ、現在公開されている記事が
いつまで読めるのかわからないので、
個人的な記録のために
その一部をここで取り上げておきたい。

代表で選んだ元の記事は
2017年8月2日付のこちら
人工知能(AI)についてのニュースだ。
記事のタイトルは、
「終わりの始まり…?
 独自言語で話しはじめた人工知能、
 Facebookが強制終了させる」

(以下水色部は記事からの引用)

Facebook(フェイスブック)が行なう
人工知能の研究開発において、
近未来SF映画のような
事態が起きていました。

会話をさせていた
2つの人工知能ボブとアリスが、
独自の言語を生み出し、
話し始めたのです。

人間には理解しがたい言葉を話す
2体のAI。

Facebookの開発チームは、
これを受けて人工知能の
マシンラーニングプログラムを
強制終了させました。

人工知能(AI)が人間の能力を超える
技術的特異点、
シンギュラリティ(Singularity)なる言葉を
耳にすることも多くなっているが、
それにしてもこの記事の恐ろしさは、
表現のしようがない。

人間には理解できない独自の言語で
AI同士が会話を開始した、というのだ。
ついに、ここまで来てしまったのか。

 

私自身は、門外漢の素人ながら
一エンジニアとして
AIの進歩を楽観的かつ好意的に
見つめている。
どんどん進歩すればおもしろい、
と思っている。

それなのに、このニュースには
どこか別な部分が反応してしまった。
それはいったどこなのだろう?

個人的には、身体を持たない
知能だけのシンギュラリティの議論は
ナンセンスだと思っているので、
単純な
「もしそうなったら人類の終焉だ」
「終わりの始まりだ」
みたいな極論には全く与(くみ)しないが、
次々と新しいネタが飛び出してくる
AI関連のニュースからは目が離せない。

 

松尾 豊 (著)
人工知能は人間を超えるか
ディープラーニングの先にあるもの

(角川EPUB選書)
(以下緑色部は本からの引用)

にこんな記述がある。

言語の果たす役割とも関係があるが、
社会が概念獲得の「頑健性」を
担保している可能性がある。

複数の人間に共通して現れる概念は、
本質をとらえている可能性が高い。

つまり「ノイズを加えても」
出てくる概念と同じで、
「生きている場所や環境が
 異なるのに共通に出てくる概念」は
何らかの普遍性を持っている
可能性が高いのだ。

言語は、こうした頑健性を
高めることに
役立っているのかもしれない。

人間の社会がやっていることは、
現実世界のものごとの特徴量や
概念をとらえる作業を、
社会の中で生きる人たち全員が、
お互いにコミュニケーションを
とることによって、
共同して行っている

考えることもできる。

身体だけでなく、
社会やコミュニケーションが
裏にあってこその概念獲得。

ロジックやデータだけに基づく進化に
直感的な危うさ、怖さを感じるのは、
そういった裏の支えがないことが
原因なのかもしれない。


著者の松尾さんはこうも書いている。

いずれにしても、
まず議論すべきは、
「人工知能が将来持つべき倫理」
ではなく、
「人工知能を使う人間の倫理」や
「人工知能を
 つくる人に対する倫理」である。

最初の記事に戻ると、実際、
AI同士が意味のわからない言葉で
会話を続けることに直面したエンジニアも

米メディアの多くが
この件を報じており、
パニックでプラグを引っこ抜いたとか、
システムをシャットダウンした
などと言われています。

なる行動をとってしまったようだ。

エンジニアとしては乱暴なその行為を
反射的にとってしまった
今のFacebookのエンジニアには、
ちょっとホッとするところがある。

今、「作る人」に必要なものは
ナンなのだろう。

恐ろしくなって、
「プラグを引っこ抜いたり」、
「シャットダウンしてしまったり」、
そういう『恐ろしさ』を感じる気持ちは
持っていてもらいたいと思う。
それが倫理や論理に
基づくものかどうかはともかく。

 

 

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2017年6月25日 (日)

大岡川遡行 (4)

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大岡川遡行 (4)

- 大岡川源流域 -

 

横浜市の大岡川、河口から
(1) 中区日ノ出町まで
(2) 南区弘明寺町まで
(3) 磯子区栗木まで
と進んできた遡行も
今回で4回目。いよいよゴールだ。

 

途中、大岡川に
沿うように延びていた古道
「かねさわ道」に関する案内もあった。

「かねさわ」と書くと
どうもピンと来ないが、
漢字で書くなら「金沢八景」の
「金沢」なのだろう。

P5147439s

一部引用したい。

・・・東海道から別れ
横浜南部の丘や
大岡川、笹下川流域経由で
氷取沢・能見台・六浦に通じている
古道「かねさわ道」

・・・(中略)

江戸時代には峰護念寺のお灸、
杉田妙法寺一体の梅林、
富岡のほうそう(天然痘)に
霊験あらたかとされた芋神さまや、
鎌倉・江ノ島の名所を遊覧する人々で
この道が賑いました。

また黒船来航で騒然としたころは
江戸と三浦半島との間で
飛脚や沿岸防備の武士が
頻繁に往来
しました。

江戸と三浦半島を結ぶ幹線だったようだ。

 

それにしても、
今回ブログを書くにあたって、
各所で撮影した
案内板や石碑等の文章を
改めて読み返してみたのだが、
大いに気になることがひとつある。

上大岡の「青木神社」、
大岡川水門の所にあった「かわじまの碑」、
そして今回の「かねさわ道」、
この3箇所の説明書きには、
歴史的な事実はともかく、
日本語の文章として
明らかにおかしな部分がある。

「関東、奥州一帯に大水害」が
「関東、奥州一体に大水害」と
漢字が間違っているものもある。

原案作成時点でヘンな文章だったり、
漢字を間違えてしまったりは
ウッカリも含めてあるかもしれない。
しかし、最終的に碑になるまでには、
ナン人もの人がチェックしたのでは
ないのだろうか?

どうしてそれらすべてをスリ抜けて、
ヘンな日本語が石や鉄板に
刻まれてしまったのだろう。

発行はどれも「横浜市」。
難しいことが書いてあるわけでない。
簡単な記述だからこそ、
もう少し気を遣ってもらいたかったと思う。

 

根岸線を越えたあたりからは
さらに川沿いを歩けなくなる。

P5147443s

県立氷取沢(ひとりざわ)高校の
付近まで来た。

P5147451s

氷取沢(ひとりざわ)
難読地名のひとつとして
取り上げられることもよくあるが、
なんとも味のある地名だ。

「氷取沢神社」という神社もある。

P5147456s

源流のある円海山方面に
向きを変えたあたりから
一気に景色が変わってきた。

P5147458s

「ここは横浜?」
と言いたくなるような豊かな緑。

P5147464s

市民農園としても
開放されているようだが、

P5147468s

丁寧な農作業のあとが
あちこちに見られる。

P5147466s

横浜横須賀道路の高架の先には
「氷取沢市民の森」が広がっている。
いよいよ源流が近づいてきた。

P5147472s

大岡川はもうこんな感じだ。

P5147480s

森の奥へ入っていく。

P5147494s

途中、「マムシに注意」も。

P5147499s

流れとして追うのはそろそろ限界か、
と思ったころ

P5147502s

突然、こんなものが目の前に。
大岡川源流域

P5147504s

極私的イベントのゴールを
明示してくれているのもうれしいが、
それにしても、「源流域」の
「域」という文字がやさしい

実際に行って目を凝らすと、
地面から水がしみだしている箇所が
ところどころにあり、
小さな流れを作っている。

P5147511s

「最初の一滴はここだ!」という
「一点」があるわけではない。

「このあたりですよ」の「域」。
気分的には大満足。

しみだしている水を目に焼きつけた後は、
最後、森林の中を歩いて、
「いっしんどう広場」を目指した。

P5147522s

 

目的地にまで到達できたので、
今回の遡行全行程を
大きく地図で振り返ってみたい。
青い点線。
実際に歩いたのは15km程度だろうか。
北から南方向に歩いて来たことになる。
(地図はGoogle Mapから)

Map2s

 

終点にあたる円海山は名の通り
山になっているうえ、
三浦半島の背にあたるので、
横浜市方面と、鎌倉市方面を
同じ場所から見下ろすことができる。

Map1


西に相模湾・鎌倉(黄色矢印)方面

P5147527s

東に東京湾・横浜(青色矢印)方面

P5147531s

遠く横浜ランドマークタワーを見ると
「あそこから歩いて来たンだなぁ」と
感慨もひとしお。

夜は一緒に歩いた仲間と
居酒屋で乾杯。
まる一日体を動かしたあとの
ビールがうまかったことは、
言うまでもない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年6月18日 (日)

大岡川遡行 (3)

(全体の目次はこちら


大岡川遡行 (3)

- 大岡川分水路の驚き -

 

ここから始めて
ここまで来た
横浜市の大岡川遡行の3回目。

南太田駅の手前で別れた
京急本線と上大岡駅手前で再会。
今回は交差している。

P5147369s

ちょうどいい時間となっていたので
上大岡駅前で昼食をとることにした。

歩き通しだったので、
「食事+休憩」ですっかりリフレッシュ。
体力の方は回復して元気になったのだが、
このころからカメラの調子が
怪しくなる。

写真は撮れるが露出がヘン。
強制的に露出補正しながら
騙し騙し使っていく。

 

【青木神社】

P5147375s

社殿前には、掲示があり

かつて
"九十九曲り"の異名をとったように
激しく蛇行する大岡川は、
しばしば洪水氾濫を繰り返した

とある。

内容を読むと、

* 宝永4年(1707年)
  富士山噴火による降灰は、
  大岡川流域でも60cmにも達し、
  それが雨で押し流され
  川筋を埋めて
  甚大な被害をもたらした、

* 享保16年(1731年)
  蛇行の修正や河道の拡幅、

* 天明6年(1786年)
  大洪水により大岡川の流れが変り
  社地が川の両側に分断、

* 昭和30年以降もしばしば洪水に、

などなど、
洪水関連の記録が並んでいる。

小さいながらも、
ずいぶん暴れん坊の川だったようだ。

 

【大岡川と日野川の合流点】

P5147387s

左側から大岡川、右側から日野川
手前に向かって流れ合流している。

これまで通り大岡川の方を追うが、
この先、だんだん川幅も狭くなり、
同時に川沿いが歩きにくくなってくる。

P5147394s

川沿いの道がない部分は、
できるだけ川から離れないルートで。

突然ですが、ここで【問題】です。
下の写真、左手の長い長い高い塀
さてナンでしょう?

P5147396s

正解は「横浜刑務所」。

 

橋から見下ろすと
鯉をよく目にするようになる。
住宅街の中を行く。

P5147401s

河口から歩きだして初めて、
水門が見えてきた。
【大岡川水門】だ。

P5147402s

水門の向こうには取水庭が見える。

P5147405s

「大きいのは大きいけれど
 この程度の大きさで、
 洪水が迫っているとき、
 どの程度役に立つものかねぇ」

などと言いながら、
取水庭側に回ってみて驚いた。

 

「おぉ、これは!」

P5147406s


なんと直径10mにもなる
大きな穴が見える。

近くにあった
「大岡川分水路建設之碑」を見ると

P5147412

そこで、
神奈川県と横浜市は、
このような災害を防止するため、
日野川と大岡川の洪水を
直接根岸湾に放流する
大岡川分水路計画
を樹立し、
昭和44年に着工いたしました。

以来、
家屋の移転、用地の提供など
多くの市民の方々の
絶大なるご協力のもとに、
12年の歳月と
166億円余の事業費
を投じ
昭和56年3月
ここに完成したものであります。

大きな穴はトンネルとして、
そのまま根岸湾、つまり
海にまで通じているという。

これはすごい。

P5147414s

日野川の水も
大岡川の水も
大トンネルを通って、
海に注ぎ込む仕組みがあるなんて。

「大岡川分水路建設之碑」は
立派なものだったが、近くにある
地図の方は劣化がひどく
ちょっと悲しい。

P5147415s

横に走る赤いラインが分水路。

トンネルなので
詳しいルートはよくわからないが、
地図上の直線距離で見てみると、
日野川から大岡川まで約1.4km
大岡川から海まで約2.1km
合計約3.5kmの分水路ルート
(上の地図の赤いラインの総延長)のうち
約2.7km程度は
トンネルになっているようだ。

取水庭を振り返りながら先に進む。
奥に水門。大きなトンネルは
この写真の右手になる。

P5147410s

左手には、このあたりの土地が
室町時代から代々続く
北見家の居住地「川嶋」(かわじま)
であったこと、などが書かれている
石碑(かわじまの碑)もある。

 

屏風浦バイパスをくぐったあたりから
川に寄ったり離れたりの道になる。
基本的には
「笹下釜利谷道路」に沿う方向。

橋も時代を感じさせる短いものが多い。

P5147426s

橋には、
「事故や安全を考慮して、
 あとから追加でつけました」
といった感じの
まさにとってつけたような
補強された柵や手すりが
目立っている。

P5147429s_3

 

河口から10.2kmの表示があった。
もう10km以上は
歩いてきたということになる。

P5147434s

川幅がいよいよ狭くなってきた。

P5147435s

次回は、いよいよ最終回。
源流はいったいどんなところに?


 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年6月11日 (日)

大岡川遡行 (2)

(全体の目次はこちら


大岡川遡行 (2)

- 建物に面影だけを残して -

 

ここから始めた
横浜市の大岡川遡行。

今日は2回目、続きを書きたい。

日ノ出町あたりまで来ると、
湧き水が。

P5147263s

簡単な説明書きもある。
要点のみ書くと・・・

野毛山の裾野に位置する日ノ出町周辺は、
自然の湧き水に恵まれた地域で、
明治の初めごろから、
横浜港に寄港する船舶に
飲用水を提供していた
と言われています。

近年は飲むことはできない。

船舶への飲料水の提供か。
燃料、食料、飲料水、などなど
港で補給されるものは
どれほど多岐にわたっていたことだろう。

ちょっと気をつけて見てみると、
川に沿って走る
京浜急行線の高架の向こうには、
山が迫っているのがよくわかる。

P5147293s

川のほうは、ほんとうに静かで、
流れを感じさせない。

P5147269s_2

 

黄金町まで来て、
ふと交番を見上げると、
なぜか屋根の上に猛禽類が。

イセタカ君」という
マスコットキャラクターらしい。
モデルは「ハイタカ」という鷹の一種とか。

P5147274s

付近は、
現在は風俗店ではなくなっているものの、
その間取りから
かつての「ちょんの間」の面影を
強く残している。

P5147275s

ネットで検索すると、
「最盛期には250軒もあった」
という記述もある。

それこそカメラを持って、
というわけにはいかないだろうが、
その頃の夜、
このあたりはいったい
どんな雰囲気だったのだろう。

P5147278s

「バイバイ作戦」と呼ばれる
かなり過激な
風俗店一掃作戦が開始されたのは
2005年のこと。

JR福知山線の脱線事故があり、
つくばエクスプレス線が開通し、
愛知県で「愛・地球博」が開催され、
「ごくせん」「電車男」「女王の教室」
といったテレビドラマが
ヒットしていたのが2005年だ。
そのころまで、このあたりは
一大風俗街だったということになる。
ついこの間の話だ。

今は、桜の名所
「大岡川プロムナード」の一部として
整備され、
誰でもが歩きやすくなっている。

P5147281s

交番の「イセタカ君」も
地域の治安に目を光らせている、
ということか。

「大岡川プロムナード」の整備の一部か
このあたりから橋名の案内表示も
よく目にするようになる。
ここは「太田橋」。

P5147279s

相変わらず水面は静かだ。

P5147284s

道慶(どうけい)橋まで来ると、
りっぱな道慶地蔵尊が。

P5147287s

川向うに見える材木店には、
こんな看板がでていた。

さて、これらの漢字、
いくつ読めるだろうか? 
全問正解は・・・難しい。

P5147290s_2

楢(なら)、椛(もみじ)
栓(せん)、椈(ひのき)
朴(ほお)、楠(くすのき)
杉(すぎ)

一番左は、木偏に仏?
木偏に佛で「しきみ(樒)」という
植物名が出てくるので
おそらくそれを指しているのだろう。

 

京急・南太田駅の手前、
並行して走っていた
赤が印象的な京急本線とも
このあたりで一旦離れてしまう。

P5147295s

後方のランドマークタワーとも
お別れだ。

P5147300s

振り返って見ると、湧き水を提供する
野毛山方面の土地(写真左手)が
高くなっていることがよくわかる。

 

京急本線から離れると、川は
首都高速神奈川3号狩場線の下に
もぐりこむような、と言うか、
首都高が覆いかぶさるように迫ってくる。

P5147307s_2

蒔田公園の横、首都高の下が
支流中村川との分岐点になる。

P5147312s

上に大きく覆いかぶさっている
ゴッツイ構造物が、
首都高速神奈川3号狩場線。

写真左手が本流で、
右手が支流中村川
写真奥に向かって流れている。

中村川は、この先、横浜の大繁華街
元町と中華街の間を流れる堀川となって
横浜港に注ぐ。

 

高速出口は川に沿った
緩やかな曲線になっていた。

P5147313s

 

通称Y校、横浜商業高校脇には、
なぞの構造が。

明らかに川へのアクセスを
意識したものだが、
これはいったいナンなのだろう。

ボートの出し入れでもするのだろうか?

P5147318s

P5147319s

 

川沿いの桜はかなり大きく茂っている。
桜の季節は
それはそれはみごとなことだろう。

P5147327s

環状1号線の鶴巻橋あたりまで来ると、
川に鯉をみかけるようになる。

P5147332s

となりの大井橋、
親柱横のお地蔵様に
地域の方々の心遣いを感じながら、

P5147333s

さらに遡って行くと、
だんだん川の様子が変わってきた。

P5147336s

弘明寺駅付近では、
「水辺の遊歩道」ということで、
川まで下りて歩くことができる。

P5147349s

川辺を歩くので
弘明寺商店街のアーケード、
観音橋も同時にくぐる。

P5147354s

遊歩道も整備されており、
釣りを楽しんでいる人もいる。
聞くと釣れるのは
「ハゼ」や「ボラ」とか。

汽水域というべきなのか、
まだこのあたりでも海の魚が
釣れるらしい。

P5147359s

「出世魚でね、
 成長に合わせて名前がね・・・」と
ごっつい指を折りながら
丁寧に名前の変化を教えてくれたのだが、
今、書こうとしても
ひとつも思い出せない。

そのうえ、
まだまだ詳しい話をしたそうだったのに、
「友人が先に行ってしまったので」と
半ば強引に、親切な説明を
途中で振り払ってしまった。

知識豊富で柔和な太公望には
ずいぶん失礼してしまった。

 

京急・上大岡駅の手前、
離れていた京急本線との
再会も近い。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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