日記・コラム・つぶやき

2023年11月 5日 (日)

トラクターのブレーキとアワーメーター

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トラクターのブレーキとアワーメーター

- 生涯平均時速が使えたら -

 

自分のことを「修行中の農業者」
と言っている鎌田さんが書いた

鎌田裕樹
野良の暦 10
トラクター初心者
雑誌群像 2023年8月号

(以下水色部、本からの引用)

を読んでいたら、小さなことながら
初めて知ったことがあったので、
今日はそのことを紹介したい。
農業用トラクターのブレーキと
アワーメーターについてだ。

まず、トラクターだが、

修業中の農業者であるぼくは、
まだ自分のトラクターを
持っていないので
師匠のトラクターを借りている。

クボタの24馬力。全長3060mm。
機体重量1250kg。
これだけ巨大な鉄の塊が、
普通自動車免許で運転できるなんて、
農家になるまで知らなかった。

とあるように、この程度のものであれば
普通自動車免許で運転してもいいようだ。

で、ひとつめ、ブレーキについて。

トラクターのなにがすごいって、
左右のブレーキが
独立している
ところである。

なるほど。そうだったのか。
これなら小回りがきくはずだ。

トラクターのブレーキは
後輪に備わっており、しかも、
ふたつあるブレーキペダルを
踏み分けることで、

左右どちらか一方のタイヤを
停止させることができる。

つまり、四本のタイヤのうち、
ひとつを固定し、
その点を回転の軸にすることで、
小さな半径での旋回が可能になるので、
畑を塗り潰すような動きができる。

もうひとつは、アワーメーター。

自動車のメーターパネルに走行距離が
「km」で表示されるのと同じように、
トラクターにはアワーメーター
というものがついていて、
「h(hour)」の単位で、
稼働時間が積算されていく。

トラクターなどの重機の類は
移動を目的としないので、
距離ではなく、
時間で表すようにできている

新車のトラクターは
びっくりするくらい高いので、
独立に向けて
中古のトラクターを探している。

調べてみると、
稼働時間1000時間で、
自動車でいう走行距離十万キロの
イメージなんだという。

トラクターにはアワーメーターか。

考えてみると、自動車に
アワーメーターがついていないのは
どうしてなのだろう。
足廻りのヘタリ具合はともかく、
エンジンの消耗度を見るためには、
使える指標のような気がするが。

ご存知の通り、
自動車にはODOメーターがあり
これまでいったいどれだけ走ったか、
「総走行距離」がわかる。

もしそこに「アワーメーター」もあれば、
「ODOメーター」と「アワーメーター」の
組み合わせで、その車の
「生涯平均時速」
計算できることになる。

たとえば、
「7.5万km」「3000h(時間)」
なら
「生涯平均時速25km/h」
というように。

この数値を集めて、統計的に処理すれば
 * 首都圏と地方都市
 * 日本と外国
などの走行環境の違いを比較できる
走行環境指標」としても
使えるのではないだろうか。

 

 

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2023年7月 2日 (日)

野川遡行(2) 人工地盤の上の公園

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野川遡行(2) 人工地盤の上の公園

- 2日かけて野川制覇 -

 

前回に引き続き、
多摩川との合流点から、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」までを
ぶらぶらと歩きながら目指す
(下記Google Map上の赤矢印)
「野川」遡行記を続けたい。

Nogawaa2


前回の最後、
次大夫(じだゆう)堀公園の寄り道は、
係の方の説明も丁寧でわかりやすく
収穫の多い楽しい時間だった。
さて、川沿いに戻って先に進もう。

次太夫堀公演から1kmほど上流に進むと
小田急線が見えてきた。
喜多見駅と成城学園前駅の間。
下から見上げて、成城学園方面を見ると、
少し先で線路が崖に突き刺さっている感じ。
まさに国分寺崖線。

P4162528s

川で遊ぶ子どもたちもいる。

P4162532s


「きたみふれあい広場」にちょっと寄る。

P4162534s

川沿いの道から階段をあがると、
緑豊かな公園が広がっている。

なにも知らずに見れば、
ごくごく普通の公園だが、
上の地図を見ると分かる通り
実はこの公園、
小田急線の電車車庫の上にある。

P4162536s

つまり人工地盤の上に
これらの植物が生えているわけだ。

階段を降りて、なんとか「電車車庫」が
見られないものかと思ったが、
残念ながらコンクリートの箱、
にまでしか到達できなかった。

P4162538s

それにしても、大きな木々を始め
あの緑が人工地盤の上なんて
再度説明を読んでも信じられない。

しばらく緑豊かな川沿いを進む。

P4162540s
P4162545s

調布市神代団地のあたりに来ると
河床整備工事が行われていた。

P4162556s

川は堰き止められ、
水は工事期間中、迂回ホースによって
流されているようだった。

近くにあった工事の説明を読むと
河床への「不透水層」の設置
法面の侵食を防ぐための
「自然石固着金網」の設置など、
耳慣れない単語が並んでいる。

近くには、入間川分水路工事による
合流地点もある。

P4162564s


河原に降りて歩ける部分もある。
緑が目にも足にもやさしい。

P4162567s


「潺湲亭」なる表札のある
不思議な小さな建物に遭遇。
全く読めない。
調べると「せんかんてい」と読むようだ。
これは一体なに?

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この日は一時的に雨に降られたが、
おかげでぼんやりと、ではあるものの、
久しぶりに虹を見ることができた。

P4162580s


三鷹通りの橋には

P4162585s

「NOGAWA 14 GRIDGES」の文字が。

P4162584s

歩きながらも、また帰ってきてからも
ネットで検索してみたのだが、
この「NOGAWA 14 GRIDGES」については
正確なところはわからなかった。

一緒に歩いた友人からは
「野川にかかる調布市内の橋を数えたら、
 だいたい14でした」との情報も。
おそらくこのことで間違いないだろう。

京王線をくぐり、
中央自動車道をくぐると、
ゴール地点となる御塔坂(おとざか)橋は
もうすぐだ。

P4162592s


無事、御塔坂(おとざか)橋に到着。

ここからの行程と合わせて
2日かけて野川を制覇したことになる。
距離も長すぎず、
川沿いの道も整備されているので
実に歩きやすい。

景色を楽しみながらのんびり歩いて、
肺の中の空気がすっかり入れ替わる、
そんなリフレッシュのできるコースだった。

 

 

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2023年6月25日 (日)

野川遡行(1) 次大夫堀公園まで

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野川遡行(1) 次大夫堀公園まで

- 58歳から73歳までの大工事 -

 

東京都国分寺市に水源があり、
東京都世田谷区の二子玉川で
多摩川に合流する
全長約20kmの「野川」を、
水源近くの西国分寺あたりから、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」まで、
友人たちとのんびりと歩いた様子を、
ここから5回に分けて書いたが、
出発地と御塔坂橋を
Google Map上、直線で結ぶと
下記地図の青い矢印になる。

野川全体で見ると半分弱、
上流側のみを歩いたことになる。

Nogawaa2

というわけで(?)、
歩けなかった残り半分を
今度は合流地点の多摩川側から
遡行してみようということになった。

野川・多摩川合流地点(二子玉川)から
御塔坂橋までを直線で結ぶと
上記地図の赤い矢印になる。

2日分の行程を合わせて
野川制覇(!?)ということになる。

 

歩いたのは2023年4月。東急田園都市線
二子玉川駅で友人と待ち合わせて出発。

川に出ようと歩き始めると、
さっそくコレが。

P4162413s

ちょっと見にくいが左側、
「玉川西陸閘」とある。

陸閘(りっこう)とは
通常時は生活のために通行出来るよう
途切れているが、増水時には塞いで
住宅地への水の侵入を防ごうというもの。

多摩川の河口近くでも
古く小さなものを目にしたが、
ここのものは高さも大人の身長以上あり
かなり大きい。

P4162415s

河原に出た。
東急田園都市線の鉄橋が見える。
さぁ、合流地点をさがそう。

P4162416s

と歩き始めたのだが、
野川、多摩川の合流地点では
ちょうど大規模な工事が行われていた。

P4162417s

工事の看板の中には
「週休2日実施中」の文字が。
工事作業者の労働環境が
改善されるのはいいことだが、
それをあえて看板で
アピールしなければならない事情には
複雑なものがある気がする。

工事の作業現場に「野川」を探すと
ここ。

P4162421s

パイプの中を通った水が、
右から左に流れ出ており、
多摩川に合流している。

パイプに流れ込むところはこんな感じ。
手前から奥に向かって流れている。

P4162429s

上に見えるのは、
田園都市線「二子玉川駅」。
橋の上にホームがはみ出している。

 

多摩川と野川に囲まれた
ハの字(左を上にしてのハ)の部分は
「兵庫島公園」と呼ばれている。

P4162428s

兵庫とは?と思うが、
公園内にあった説明によると
新田義貞の子義興(よしおき)の従者
由良兵庫助に由来するらしい。

1358年 多摩川稲城矢口の渡しでの戦いで、
と紹介されているから
660年以上も前のこと。
当時はこの付近、
どんな様子だったのだろう?

P4162430s


上に貼った公演案内図にもある通り、
兵庫島公園内には池や水路(川)もある。

P4162437s

「多摩川の河原の中に、わざわざ
 人工の川が作られている」感じで
どうも落ち着かない。

少し歩くと、多摩川から離れ、野川が
川らしい姿を見せてくれるようになった。

P4162442s

4月のみどりが美しい。

P4162445s

多摩川の河原には、
天然芝のサッカー場が何面も広がっている。

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日曜日だったこともあり、
子どもたちの元気な声が響いている。

野川の河原には
「セイヨウアブラナ」と思われる
黄色い花が沢山咲いている。

P4162451s


途中、ちょっと寄り道をして、
「砧本村」のバス停留所に寄ってみた。

P4162465s

ここは玉川電気鉄道(通称「玉電」)
東急砧(きぬた)線
「砧本村(きぬたほんむら)」駅の跡地で、
1969年の東急砧線廃止後に
東急バスのバス折り返し所および
「砧本村」バス停になった。

バスが折り返せるよう
ちょっと広場になっており、
赤い「ON DEMAND BUS」も停まっていた。

P4162467s

予約によって運行が決まる
オンデマンドバスは、
公共交通不便地域の解消を目的に、
地方だけでなく
都市部でも導入が進んでいるようだ。

 

「砧本村」駅跡地のすぐ横には、
東京都水道局砧下浄水所がある。
多摩川で取水した水を浄化し、
東京に送り込むために1923年に竣工。

そこから渋谷方面への水道管が、
野川の上を跨いでいた時期がある。
1960年から2006年までの46年間。

水道管を支えていた「野川水道橋」は
今はレリーフで残されている。

P4162473s

現在の橋には水道管は通っていない。
2006年以降、
水道本管は川底を通るようになったようだ。

 

途中、「仙川」が「野川」に流れ込む
合流地点も通る。
仙川遡行も魅力的だが、誘惑を振り払って
今日は野川沿いを進む。

東名高速道路の下を流れるところまで来た。

工事用の大きな柵で覆われていて
中や地下までは見えないが、このあたり、
かなり大規模な工事が行われている。

P4162480s

地下工事が原因で調布市の住宅街が陥没、
で話題になった東京外郭環状道路(外環)を、
将来的にはここで
東名高速につなげる計画になっている。

2023年現在、
関越道の大泉JCTまでが開通している外環。
大泉JCTからここまで約16km、
地下がメインとはいえ、
工事は着々と進んでいるようだ。

 

外環合流地点の少し上流、
川沿いからそのまま緑道を歩いて、
世田谷区立次大夫堀公園」に
寄ってみることにした。
「じだゆうぼり」とふりがながある。

P4162496s

次大夫堀とは、六郷用水の別名で、
江戸時代に多摩川から引水した農業用水路
徳川家康の命により、
小泉次大夫の指揮によって開削された。

公園内のパンフレットによると、
今の東京都側だけでなく、
神奈川県側も合わせた
稲毛・川崎、世田谷・六郷 計四ヶ領で
開削された用水は、
1597年から作業が始まり、
測量から小堀の開削終了まで
実に15年の歳月がかけられたという。

驚くのは、指揮をした小泉次大夫の年齢。
「58歳から73歳までの晩年の大工事」

とのこと。

伊能忠敬が
「大日本沿海輿地全図」製作のために
歩き出したのが1800年、55歳のときで、
それから17年かけて全国を歩いた。
の話を知ったときの驚きを思い出す。

どちらも「平均寿命が40歳以下」
と言われている時代の話だ。

園内には、
昭和4年の地図が掲示されていた。
多摩川とその周辺の川と用水。
なんだか川が、のびのびというか
いきいきしている。
窮屈な感じがしないのはなぜだろう。

P4162499s

公園全体としては、
名主屋敷、民家2棟などが移築されており、
次大夫堀や水田とあわせて、
江戸時代後期から明治時代初期にかけての
農村風景に触れることが
できるようになっている。

P4162510s


野川の遡行、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」を目指して
次回も続けたい。

 

 

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2023年6月11日 (日)

多摩川 河口部10km散歩

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多摩川 河口部10km散歩

- レンガ堤防と川沿いの道の区境 -

 

前回、「旧穴守稲荷神社大鳥居」
(下のGoogle Map上の赤い星印)
について書いたが、そのすぐ東側
(下の地図の青い楕円部)には
赤レンガの堤防が残っている。

Ootoriimap1


2023年5月の撮影でこんな感じ。

P5212653s

レンガ堤防は、洪水対策として
大正から昭和初期にかけて行なわれた
多摩川改修工事で建設された。

自然堤防上、道路面から
腰高ほどのレンガ堤防を建設したのは、
堤内外を日常的に往来する
羽田漁師町の
土地柄への配慮であったという。

P5212655s

よく見ると、
通常時は生活のために通行出来るよう
途切れているが、増水時には塞ぐ
陸閘(りっこう)のような構造も見られる。

P5212656s

さて、このあたり、
地図をみれば明らかなように
多摩川のほぼ河口に位置している。

そこからぶらぶらと
少し川を上ってみることにした。
東京都側(左岸)の川岸を歩く。

少し行くと、
「たまリバー50キロ」と呼ばれる
ウォーキング、ランニング、自転車のための
川岸の道の起点にでた。

P5212659s


地面をよく見るとこんな数字が。
手前左「0.0」は
まさに起点の意味だろうが、
右上反対側から読んでの「10.5」は
さてさて?

P5212660s


起点から1kmほど歩くと
川崎駅方面のビル群が
よく見えるようになってくる。

P5212662s


数字がやってきた。
手前左「2.2」は起点からの距離(km)で
間違いなさそうだ。
右上反対側から読んでの「8.3」は
最初の10.5からちょうど2.2減っているので
こちらもどこかを始点とする距離で
そこから8.3kmということだろう。

P5212664s


対岸、
川崎市側(右岸)のリヴァリエと呼ばれる
3棟からなる高層マンションの
存在感がすごい。
3棟合計で1394戸にもなるという。

P5212666s


風景の変化を楽しみながら、
河口の起点から9.0kmのところまで来た。
舗装されていて走りやすいので
自転車も多く走っているが、
専用のサイクリングロード
というわけではないので
ランナーや歩行者含めて、
双方注意が必要だ。

P5212668s

「右上数字の始点」までもあと1.5km。
さてさて1.5km先は何?

武蔵小杉の超高層ビル群がよく見える。

P5212669s


同じ超高層ビル群も
少し上流に移動して見るとこんな感じに。
見る角度が変わるだけで
ずいぶん印象が変わるものだ。

P5212670s


「右上数字の始点」はこのあたりに
なるはずだが・・・
奥に見えている水色の橋は丸子橋。

P5212671s


明確に書いてあったわけではないが
「右上数字の始点」は
どうもこれのようだ。
「大田区占用境界」
ここから奥は「世田谷区」となる。

P5212672s

河口からここまでの約10km、
自動車やバイクが禁止されている
自転車、ランナー、歩行者のための
舗装された道が整備されていたわけだが、
そこは全部大田区。
その道の両端からの距離が
双方向から書かれていたわけだ。

世田谷区に入った途端、砂利道となる。

P5212675s


しかも道幅も急に狭くなる。
丸子橋から見下ろすとよくわかる。
中央の狭い道だ。

P5212676s


丸子橋やひとつ下流のガス橋で、
川崎側に渡る自転車が多いのは、
きっと世田谷区区間の道が舗装道として
整備されていないからなのだろう。

川崎側に渡れば、
大田区区間と同様にランナーも自転車も
快適に走ることができる。

「たまリバー50キロ」と言っても
一本の同じ道ではなく、市区によって、
ずいぶん整備状況は違うようだ。
区境で、突然ここまでくっきり
路面の状況が変化するなんて。

そういえば以前、
目黒川沿いを歩いたときの写真に、
「注意してみると、さすが(!?)区境。
 手すりからコンクリート、
 緑道の舗装材まで違う。
 左側が世田谷区で右側が目黒区」
なるコメントを書いたこともあった。
行政区分が目に見える
ある意味不思議な空間だ。

世田谷区になった途端、
急に寂しくなる川沿いの道。
大田区の数字が「どうだ!」と
自慢しているように見えてくる。

 

 

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2023年5月 7日 (日)

若いときの仕事を見て

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若いときの仕事を見て

- 松岡昌宏さんの言葉 -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを紹介したい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2023年1月29日放送
松岡昌宏×中村獅童×伊藤英明

(以下水色部は放送からの文字起こし)

テレビや映画、舞台で活躍してきた3人。
40代後半から50代という年齢、
それぞれに長い芸歴、
そんな共通点を持つ3人が、
過去の出演作品について、の話になった。

松岡さんは、
自分が出た古い作品を
偶然目にしたときの感想を
こんなふうに言葉にしていた。

そのたとえば10代のときにやっていた
時代劇の芝居とかを見たときに
愕然とするのがふたつあって、

めちゃめちゃひどいなっていう
自分の芝居、のひとつと
あと、
じゃぁ、いまオレこんなにピュアに
芝居できているのかな
、っていう。

あぁ、オレ
なんか変なテク使ってねぇかな今、

みたいなのを見ると、
ちょっと落ちますね。

経験と歳を重ねた今から見る
若いときの仕事。

未熟さゆえの「ひどい」ことは、
自分の仕事を振り返ってみても
いろいろある。

でも、未熟ではあっても
懸命にやった仕事には
ある種の「ピュア」な衝動が
確かにあった。

「オレ、
 なんか変なテク使ってねぇかな、今」

ちょっとドキリとして
この言葉をこうやってメモっているのは、
自分にも思い当たることが
あるからなのだろう。

ピュアかどうかはともかくも
「変なテク」には染まりたくない。

自戒の意味を込めて
ここに文字で残しておきたい。

 

 

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2023年3月26日 (日)

「折々のことば」との偶然

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「折々のことば」との偶然

- 民話は複数の声 -

 

『50年にわたり東北の村々を訪ね、
 民話を乞うてきた民話採訪者・小野和子が、
 採訪の旅日記を軸に、
 聞かせてもらった民話、手紙、文献など
 さまざまな性質のテキストを、
 旅で得た実感とともに編んだ全18話を収録』
と紹介されている

小野和子(著)
あいたくてききたくて旅にでる
PUMPQUAKES

(以下水色部、本からの引用)

は、単なる民話集ではない。
とにかく、民話に対する小野さんの姿勢に
胸を打たれる。

と始めて本書最後にある
映画監督 濱口竜介さんの言葉を
紹介したのが前回の記事で、
公開したのは2023年3月19日。

そのわずか数日後、
朝日新聞一面に連載されている
鷲田清一さんの「折々のことば」で
同じ本からの引用が続いた。

「折々のことば」

2023年3月23日
 生きるために「息を抜く」ことが
 許される場が、
 そこにあったのである。
      小野和子

2023年3月24日
 聞くことが声をつくる
      濱口竜介

こんな偶然があるだろうか。
濱口竜介さんについては
まさに同じ一行を引用している。

世の中に数多くある本の中の
全く同じ一行
ふたりの人間がほんの数日違いで
発信するなんて。

話題の新刊ならともかく、
3年以上も前に出版された本だ。

でも、
スピードを競っているわけでもないのに、
鷲田さんよりも先に紹介できたことは
悪い気はしない。
ほんとに不思議な偶然だ。

というわけで(?)
今日は、小野さん自身の言葉から
その「姿勢」の魅力を感じてみたい。
鷲田さんとは違う言葉のセレクションで。

小野さんは最初にこう書いている。

民話を語ってくださる方を
訪ねて聞くという営みを、
民話の「採集」や「採話」と
言ったりする場合があります。

ただ、わたしは、
「語ってくださった方」と
「語ってもらった民話」は、
切り離せないもの
と考えています。

だから、「採集」や「採話」という
言葉は使いません


そのかわりに「採訪」と言っています。
この「採訪」という言葉には、
「《聞く》ということは、
 全身で語ってくださる方のもとへ
 《訪(おとな)う》こと」
という思いが込められています。
そこで語ってくださる方と聞く者が、
ときには火花を散らしながら、
もう一つの物語の世界へ
入ってゆく
ことにより、
深くつながってゆくのです。

「民話」を単独の独立した話としてではなく
訪問先の人や土地、歴史のなかで
捉えようとしている。

民話を語る人は、必ずそれを
語ってくれた人「死者」を語る


死者への思いがあるから、
「言葉」は命を持ち、
「むかし」と「いま」をつないで
無限の未来を
生きる
のではないだろうか。

「死者への思いがあるから、
 無限の未来を生きる」とは
小野さんらしい言葉だ。 


…語りとは個人ではなく、
背後に一種共同体のような、
いや、人と人が集まった
複声のようなものが、
語る〈私〉を差し出しているのである。
語りとは単声ではない

複声が、語る私を差し出している、
繋がりの中にこそ民話の力があるのだ。

民話を語ってもらうとき、
わたしはいつもその人の背後に、
それを語った先祖の面影を見るし、
その声を聞く。

わたしのところまで、いま、
語り手を通して
きてくれている「物語」は、
語る人の「単声」としては
聞こえてこない。

時代を経た無数の先祖の声であり、
それは共同体とでも言うべきものの
複数の声として聞こえるのである

小野さんは、語る方に対してはもちろん、
先祖や土地に対する心からの敬意を
どんなときも大事にしている。

単に「お話を記録する」ではない
民話採訪者小野和子さんの魅力は、
まさにこの複数の声に耳を澄ましている
その姿勢にこそある。

 

 

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2022年11月20日 (日)

柴咲コウさんの言葉

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柴咲コウさんの言葉

- 真の豊かさとはなんぞや -

 

録画したTV番組を見ていたら
いい言葉に出会ったので
今日はそれを残しておきたい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2022年9月11日放送
柴咲コウ:福山雅治:北村一輝

(以下水色部は放送からの文字起こし)

柴咲さんは、俳優業を続けながら
東京と北海道での2拠点生活を
続けているらしい。

北海道に家を構えた理由を聞かれて
柴咲さんは以下のように答えている。

真の豊かさとはなんぞや、
となったときに
やっぱりなんかその
もともとあるものだったりとか、

自分では作りだせないものが、
自然だったりとか 
そういう
木々、森だったりとか 
ほかの動植物たちだったりで、

それを感じられる機会が少ない人生って
豊かなのかな
、って思って

できることならやっぱりそういうのに
触れられる時間を持ちたいし
それが自分の豊かさに繋がるな、
と思ったンで・・・

「もともとあるもの」
「自分では作り出せないもの」
そういうものを感じられる人生。

表現が実にいい。

都会での暮らしは、たしかに
「もともとはないもの」と
「人間が作り出したもの」ばかりに
囲まれている。

 

自分がやること全部、
なんかしら役に立って循環すればいいな
みたいな、
ただ自分の満足度だけで
終える人生じゃなくて

それが巡り巡ればいいなぁ、
みたいな感じ。

自らの事業やアクションについても
一方的な流れではなく
「自分の満足度だけで
 終える人生じゃなくて」
と「循環」の中で考えようとしているのも
自然を愛すればこその言葉として
素敵だ。

 

 

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2022年8月28日 (日)

実戦でまだ指されていないものが定跡!?

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実戦でまだ指されていないものが定跡!?

- 人類最高峰の頭脳の戦いが、 -

 

2022年8月19日の朝日新聞に
「女性初の棋士誕生なるか」
なる見出しで女流棋士の里見香奈さんが
8月18日から棋士編入試験に挑むことが
記事になっていた。

12歳で女流棋士となり、その後、
史上最多の通算49期のタイトルを重ね、
現在8つあるタイトルのうち5つを保持する
「最強の女流棋士」の里見さんでさえも、
年齢制限の26歳までに
奨励会を突破し「棋士」になることは
できなかった。

これまで奨励会を突破した女性は
ひとりもいないという。

ちなみに、2022年8月19日時点で
棋士は169人。全員男性。

里見さんが棋士編入試験に合格すれば、
まさに
 「女性棋士第一号」
となる。

将棋の強さ、だけでみる限り
「女流棋士」と「棋士」の世界は
少なくとも現時点では
全く別次元の世界のようだ。

 

では、その先、
棋士の世界のそのまた頂点では
今いったい
どんなことが起こっているのか?

すこし覗いてみたい。

 

2022年5月22日の朝日新聞に
「あっさり駒損 AI時代の定跡」
なる見出しで
今年2022年の第80期名人戦第4局について
大きな記事があった。
(以下水色部、記事からの引用)

A220522sai

勝った渡辺名人は、
これまで
「過去の実戦例から学ぶもの」
とされていた「定跡」は
誰もがAIを使うようになった現在においては
違うのだ、と明言している。

実戦では指されていなくても
 『AIで研究して、
  みんな知っているよね』
 というのが、今の定跡です」

副立会人の小林七段が思わず「ウソやん!」
と声を上げたほどの第4局の展開は
まさにこんな研究から
生まれたものだったようだ。

「実戦でまだ指されていないものが定跡」
って、我々はいったいどの時間を
生きているのだろう?

 

加えて、ご存知の方も多いと思うが
最近の対戦では、
テレビにしろネット中継にしろ
AIによる最善手とそのときの勝率が
リアルタイムで表示されるように
なってきている。

たとえば王位戦、
藤井聡太五冠対豊島将之九段の第一局
101手目、豊島の手番。

AbemaTVのAIは、34歩の一択、
あとは全部大逆転との御見解。

こうなると、テレビの前で
豊島ファンは
 「豊島、34歩だ、間違えないでくれー」
藤井ファンは
 「間違えろ、53桂成も美味しそうだぞー」
と声援を送ることになる。

AIによる候補手表示が登場する前までは、
まさにだれも近づけない
「ある意味、人類最高峰の頭脳の戦い」
を見ていたはずなのに、いまや、
視聴者全員に正解がわかっている当て物を、
対戦者が当てられるかどうかを見るだけの
安っぽいクイズ番組を見ているような中継と
なってしまった。

誤解をおそれずに言えば、
「志村、うしろ、うしろ!」と
叫びながらドリフのコントを見ている
子どもとおんなじ気分だ。
(ザ・ドリフターズのコントを知らない方、
 意味不明の表現をお許しあれ)

「人類最高峰の頭脳」が苦しみながらも
まさにフル回転して生み出してくる
渾身の一手、
そこにある驚き敬意畏怖
そして思いもしなかった世界を
見せてくれた喜び
それらは、いったい
どこに行ってしまったのだろう。

 

もちろんAI研究の面から見れば
すばらしい進歩と言えるだろう。

でも、その成果や今の利用方法って、
将棋愛好家が望んでいたものなのだろうか?

この記事に書いたように、
哲学者の森岡正博さんは
「無痛文明論」というぶ厚い本の中で

現代文明は
欲望が生命のよろこびを奪っている


と書いていた。

欲望を満たすことに夢中になり、
本来そこにあったよろこびが
奪われているのかもしれない。

 

 

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2022年8月21日 (日)

野川に沿って深大寺まで

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野川に沿って深大寺まで

- ふかふかの緑を踏みしめながら -

 

西国分寺駅から歩き始めた
今回の「ぶらぶら歩き」だが、
前回お伝えした通り、
国分寺駅の南側、一里塚橋のところで
ようやく野川に合流することができた。

ここからは
できるだけ野川に沿って歩いて行きたい。

P6112042s


川幅はまだまだ狭いが、
草刈り等も丁寧になされており、
整備された川が、
住宅地の中を流れて行く。

P6112045s


野川に限らず、水路で時々目にする
上部のこの梁のような構造は
いったい何のためのものなのだろう?
そもそも名称がわからないので
調べようがない。

P6112049s

P6112050s


丸山通りの長谷戸橋には
「この橋は
 溢水のおそれがある場合には
 通行止となります
のでご注意下さい」
の掲示がある。

P6112053s


東京経済大学のそば
鞍尾根(くらおね)橋のところで
再びカワセミに会うことができた。

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気がついたのは
朝イチ、姿見の池
カワセミを教えてくれた
おじさんのおかげだ。

P6111050s

この、鞍尾根(くらおね)橋が
河川管理境界
ここまでが
東京都北多摩北部建設事務所、
ここから下流方向が
東京都北多摩南部建設事務所
の管理となるようだ。

P6112055s

ここから下流は
堤防内、高水敷の部分を
歩くことができる。

P6112056s

P6112060s


堤防は一見、
石を組んだように見えるが
よく見るといくつかのパターンの繰り返し。

P6112062s

意図的とも思える隙間もあり
水はけを考慮したコンクリートブロック、
というところだろうか。

P6112066s


犬の散歩にも何度もすれ違う。
とにかく、緑豊かなうえ
ふかふかとした部分が多く、
高水敷部は、足腰にやさしい。

P6112068s

P6112071s

小金井市立前原小学校
のところまでくると
川は校庭の下に潜り込んでしまう。

P6112073s

もちろん学校内には入れないので
学校の柵に沿って歩くと
そこには細い堀がありこんな掲示が。

「ここは昔の野川です。
 雨が降ると川の水が増えて
 危険ですので、
 中に入らないで下さい」

P6112074s

水は流れていないが、
こんな水路が続いている。
増水時には活躍することだろう。

P6112075s

P6112079s

昔の野川
河川工事され今は前原小学校の
校庭の下を流れている新しい野川
一旦分かれて、
またこの先で合流するようだ。

P6112078rs

合流地点はこんな感じ。
左の橋下が昔の野川
右の橋下が新しい野川
増水時にはどちらからも水が
手前方向に流れてくる。

P6112083s


このあたりは市としては小金井市となるが、
「小金井」の地名は、
「黄金のように価値ある水が
 湧き出る井戸」が多くあることから
黄金井 = 小金井
が起源と言われているらしい。

引き続き緑の中を歩く。
流れてはいるが、草が茂っており
川面はほとんど見えない。

P6112087s

子どもたちの声が聞こえてきた。
都立武蔵野公園」に出た。

P6112095s

川の横、この広い野原は、
野川第二調整池

P6112096s

野川の水位が上昇した際には、
洪水は越流堤を超えて調節池へ流入し、
川の水位が低下すると排水ゲートから
自然排水される仕組み。
貯留量はここだけで2万8千m3。
25mプール50杯分以上を貯められる。
野川の治水安全度向上を目的として、
約30年前、
1989年度に整備されたものらしい。

すぐとなりにはほぼ同じ規模の
野川第一調整池」もある。

川を少し逸れた
崖線部分を登る階段には
ムジナ坂」の名がついている。

P6112097s

中学校の英語の教科書に
ラフカディオ・ハーンの
「Mujina」があったなぁ、という
古い思い出話で盛り上がる。
教科書の教材、恐るべし。
ウン十年前の内容を
思い出させる力があるのだから。

都立武蔵野公園を歩いていると、
西武多摩川線の下をくぐることになる。

P6112107s

そこから先は
都立野川公園

P6112111s

ひろびろとしていて緑が美しい。
崖線の上には
国際基督教大学(ICU)のキャンパスが
広がっている位置になる。

P6112115s


何を捕まえようとしているのだろう?
水の中を歩く網を持った親子にすれ違う。

P6112117s

崖線の上の「国立天文台」と
崖線の下の「調布飛行場」に
挟まれたような位置を流れる野川。
間には「野川大沢調整池」がある。

P6112124s

ここは、
野球場+サッカー場
規模の面積があり、
野川第二調整池の2.6倍もの水を
貯留できる。
ここも地下ではなく越流堤を超えて
調節池へ水が流入する「掘込式」
見渡せるので規模を実感できる。
越流堤はこんな感じ。

P6112126s


堤防と堤防の間、
堤外地の幅は広くなってきたが、
水が流れている低水路の幅は
それほど広くなっていない。

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御塔坂(おとざか)橋まで歩いたところで、
時間的にもいい時間となっていたので
「今日はここまでにしよう」
ということになった。

最後、近くの深大寺にお参りをして

P6112136s

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吉祥寺駅前まではバスで移動。
お待ちかねの夜の部に。
一日の行程を思い出しながら
ビールで乾杯。
鞍尾根(くらおね)橋以降、
ふかふかの緑の上を歩いたせいか
足の疲労感も
どこかやさしくてここちいい。

今回の野川に沿っての川歩き、
振り返ってみると
鳥とその鳴き声が印象に残る
「鳥ととともに」の一日だった。
カワセミ、うぐいす、ムクドリ、カモ・・・
(写真に収めるのが難しかったため、
 写真ではカワセミだけの
 紹介になってしまったが)
記憶に生き物の姿や声が
貼り付いているのはいいものだ。

 

 

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2022年5月29日 (日)

九州・佐世保 一日観光

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九州・佐世保 一日観光

- もう少し近くに寄らせて -

 

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の
広がりにより
旅行できない期間が長く続いていたが、
この5月、久しぶりに出かけられたので、
メモと写真を残しておきたい。

訪問先は、初訪問となる九州・佐世保と唐津。
唐津では知らなかった歴史との出会いがあり、
旅を機会にまた世界が広がったのだが、
まずは佐世保から書き始めたい。

(1) 九十九島

佐世保観光の目玉のひとつ、
九十九島はいろいろな場所から
楽しむことができる。
全景を、ということであれば
石岳展望台からの眺めは特にお薦めだ。

P4301661s

ハリウッド映画「ラスト・サムライ」の
ロケ地になった、という案内も出ているが、
島々の景色はほんとうに美しい。

P4301672s

遊覧船に乗って海から眺めるのもいい。

P4301622s

200人も乗れる規模の遊覧船ながら、
かなり狭い島の間にグングン入っていく。

P4301624s

船上では
「九十九島と言いますが、
島の数は99ではなく、208もあるのです」
とのアナウンスが流れている。

海面を眺めていると
明らかに島と呼べるものもあるが、
海中の岩山のようなものもある。
はて?
何をもって「島」と呼べるのだろう?
そう思いながら船を降りると、
観光案内所には
ちゃんと「ここでの島の定義」が出ていた。

 1年中で一番潮位が高い時に
 水面から出ていて、
 陸生の植物が生えている陸地を
 「島」と定めて数えると、
 九十九島には208の島があります。


なるほど。
陸生の植物が生えていることが
条件のひとつなンだ。

 

(2) 旧佐世保海軍工廠 修理艦船繋留場
   (立神係船池)


弓張岳(ゆみはりだけ)展望台まで登ると
九十九島方面とともに
佐世保の街を一望できる。

P4301607s

その中でも特に印象的なのは
中央右に見えている
旧佐世保海軍工廠 修理艦船繋留場
(立神係船池)。

工廠は「こうしょう」と読む。
軍需工場のことで、
武器・弾薬をはじめとする軍需品を
開発・製造・修理・貯蔵・支給するための
施設。

P4301606s

「凹字状の構造物が工廠の中核施設だった
 修理艦船繋留場(立神係船池)」
との説明案内板が設置されているが、
ご覧の通り、まさに図面のままの形の施設を
眼下に望むことができる。

凹字状の岸壁は総延長1,699m。
常時海水に触れる面に
大規模にコンクリートが用いられた
初めての岸壁だ。

驚くのはその製造年。
明治39年(1906)からの11年

今から100年以上も前に、
耐海水コンクリート技術が
確立していたわけだ。

コンクリート構造物の本格的な海洋進出の
画期となった建造物ということになる。

 

(3) 佐世保重工業(株)佐世保造船所
   (旧佐世保海軍工廠) 施設群


思わず足が止まってしまう
第七船渠(現第四ドック)。

P4301643s

昭和15年(1940)に完成。
全長343.8m、全幅51.3m。
この写真でその大きさが伝わるだろうか。
写真中央の小さな白い点が一台の自動車。

昭和16年7月には
三菱長崎造船所で建造中だった
戦艦武蔵が入渠し、
スクリューや舵、水中聴音器など
艤装の一部を行っている。

クレーンを始め、
なにもかもが巨大で興奮してしまうが、
その圧倒的な迫力は
写真や言葉ではなかなか伝えられない。
全身で体感するしかない、感じ。

P4301660s

いずれにせよ、
これら佐世保重工業の巨大施設は
観光客向けには公開されておらず、
近くを走る道路の歩道から
柵ごしに眺めるしかない。
まさに覗き見だ。

 

(4) 佐世保バーガー

市内の
一直線の長~いアーケード商店街も
シャッター商店街にはなっておらず、
人通りも多く賑わっている。

P4301684s

お昼には、
「佐世保バーガー」を選んでみた。
1950年ごろに米軍関係者から持ち込まれた
ハンバーガーらしいが
特に変わった点があるわけではない。

作り置きしていないので、
待たされるものの、できたてを
美味しくいただくことができる。

店内には
「Where Are You From?
 Plz put the Pin」
(どこから来たの?ピンをさして)
のメッセージとともに
世界地図が貼ってあった。

P4301686s

ピンひとつひとつに
ここ佐世保のハンバーガー屋さんに
立ち寄ったことの物語があるかと思うと
打った人にいろいろ話を聞いてみたくなる。

 

一日観光を楽しんだ佐世保。
九十九島の自然はほんとうに美しかったが、
欲求不満なのは佐世保重工業の巨大施設。

観光客がもっとそばで見られるような
観光資源化はしてもらえないものだろうか?
工場としての実作業を邪魔することなく
だれもが見られるようにすることは
可能だと思うのだが。
もちろんガイド付きツアーでもいい。

柵の外からの覗き見しか手段がないなんて
あまりにももったいない。
その巨大さにも、歴史にも
ワクワクさせる要素があるので
多くの観光客を惹きつけることができると
思うのだが。

 

 

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