日記・コラム・つぶやき

2023年5月 7日 (日)

若いときの仕事を見て

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若いときの仕事を見て

- 松岡昌宏さんの言葉 -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを紹介したい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2023年1月29日放送
松岡昌宏×中村獅童×伊藤英明

(以下水色部は放送からの文字起こし)

テレビや映画、舞台で活躍してきた3人。
40代後半から50代という年齢、
それぞれに長い芸歴、
そんな共通点を持つ3人が、
過去の出演作品について、の話になった。

松岡さんは、
自分が出た古い作品を
偶然目にしたときの感想を
こんなふうに言葉にしていた。

そのたとえば10代のときにやっていた
時代劇の芝居とかを見たときに
愕然とするのがふたつあって、

めちゃめちゃひどいなっていう
自分の芝居、のひとつと
あと、
じゃぁ、いまオレこんなにピュアに
芝居できているのかな
、っていう。

あぁ、オレ
なんか変なテク使ってねぇかな今、

みたいなのを見ると、
ちょっと落ちますね。

経験と歳を重ねた今から見る
若いときの仕事。

未熟さゆえの「ひどい」ことは、
自分の仕事を振り返ってみても
いろいろある。

でも、未熟ではあっても
懸命にやった仕事には
ある種の「ピュア」な衝動が
確かにあった。

「オレ、
 なんか変なテク使ってねぇかな、今」

ちょっとドキリとして
この言葉をこうやってメモっているのは、
自分にも思い当たることが
あるからなのだろう。

ピュアかどうかはともかくも
「変なテク」には染まりたくない。

自戒の意味を込めて
ここに文字で残しておきたい。

 

 

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2023年3月26日 (日)

「折々のことば」との偶然

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「折々のことば」との偶然

- 民話は複数の声 -

 

『50年にわたり東北の村々を訪ね、
 民話を乞うてきた民話採訪者・小野和子が、
 採訪の旅日記を軸に、
 聞かせてもらった民話、手紙、文献など
 さまざまな性質のテキストを、
 旅で得た実感とともに編んだ全18話を収録』
と紹介されている

小野和子(著)
あいたくてききたくて旅にでる
PUMPQUAKES

(以下水色部、本からの引用)

は、単なる民話集ではない。
とにかく、民話に対する小野さんの姿勢に
胸を打たれる。

と始めて本書最後にある
映画監督 濱口竜介さんの言葉を
紹介したのが前回の記事で、
公開したのは2023年3月19日。

そのわずか数日後、
朝日新聞一面に連載されている
鷲田清一さんの「折々のことば」で
同じ本からの引用が続いた。

「折々のことば」

2023年3月23日
 生きるために「息を抜く」ことが
 許される場が、
 そこにあったのである。
      小野和子

2023年3月24日
 聞くことが声をつくる
      濱口竜介

こんな偶然があるだろうか。
濱口竜介さんについては
まさに同じ一行を引用している。

世の中に数多くある本の中の
全く同じ一行
ふたりの人間がほんの数日違いで
発信するなんて。

話題の新刊ならともかく、
3年以上も前に出版された本だ。

でも、
スピードを競っているわけでもないのに、
鷲田さんよりも先に紹介できたことは
悪い気はしない。
ほんとに不思議な偶然だ。

というわけで(?)
今日は、小野さん自身の言葉から
その「姿勢」の魅力を感じてみたい。
鷲田さんとは違う言葉のセレクションで。

小野さんは最初にこう書いている。

民話を語ってくださる方を
訪ねて聞くという営みを、
民話の「採集」や「採話」と
言ったりする場合があります。

ただ、わたしは、
「語ってくださった方」と
「語ってもらった民話」は、
切り離せないもの
と考えています。

だから、「採集」や「採話」という
言葉は使いません


そのかわりに「採訪」と言っています。
この「採訪」という言葉には、
「《聞く》ということは、
 全身で語ってくださる方のもとへ
 《訪(おとな)う》こと」
という思いが込められています。
そこで語ってくださる方と聞く者が、
ときには火花を散らしながら、
もう一つの物語の世界へ
入ってゆく
ことにより、
深くつながってゆくのです。

「民話」を単独の独立した話としてではなく
訪問先の人や土地、歴史のなかで
捉えようとしている。

民話を語る人は、必ずそれを
語ってくれた人「死者」を語る


死者への思いがあるから、
「言葉」は命を持ち、
「むかし」と「いま」をつないで
無限の未来を
生きる
のではないだろうか。

「死者への思いがあるから、
 無限の未来を生きる」とは
小野さんらしい言葉だ。 


…語りとは個人ではなく、
背後に一種共同体のような、
いや、人と人が集まった
複声のようなものが、
語る〈私〉を差し出しているのである。
語りとは単声ではない

複声が、語る私を差し出している、
繋がりの中にこそ民話の力があるのだ。

民話を語ってもらうとき、
わたしはいつもその人の背後に、
それを語った先祖の面影を見るし、
その声を聞く。

わたしのところまで、いま、
語り手を通して
きてくれている「物語」は、
語る人の「単声」としては
聞こえてこない。

時代を経た無数の先祖の声であり、
それは共同体とでも言うべきものの
複数の声として聞こえるのである

小野さんは、語る方に対してはもちろん、
先祖や土地に対する心からの敬意を
どんなときも大事にしている。

単に「お話を記録する」ではない
民話採訪者小野和子さんの魅力は、
まさにこの複数の声に耳を澄ましている
その姿勢にこそある。

 

 

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2022年11月20日 (日)

柴咲コウさんの言葉

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柴咲コウさんの言葉

- 真の豊かさとはなんぞや -

 

録画したTV番組を見ていたら
いい言葉に出会ったので
今日はそれを残しておきたい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2022年9月11日放送
柴咲コウ:福山雅治:北村一輝

(以下水色部は放送からの文字起こし)

柴咲さんは、俳優業を続けながら
東京と北海道での2拠点生活を
続けているらしい。

北海道に家を構えた理由を聞かれて
柴咲さんは以下のように答えている。

真の豊かさとはなんぞや、
となったときに
やっぱりなんかその
もともとあるものだったりとか、

自分では作りだせないものが、
自然だったりとか 
そういう
木々、森だったりとか 
ほかの動植物たちだったりで、

それを感じられる機会が少ない人生って
豊かなのかな
、って思って

できることならやっぱりそういうのに
触れられる時間を持ちたいし
それが自分の豊かさに繋がるな、
と思ったンで・・・

「もともとあるもの」
「自分では作り出せないもの」
そういうものを感じられる人生。

表現が実にいい。

都会での暮らしは、たしかに
「もともとはないもの」と
「人間が作り出したもの」ばかりに
囲まれている。

 

自分がやること全部、
なんかしら役に立って循環すればいいな
みたいな、
ただ自分の満足度だけで
終える人生じゃなくて

それが巡り巡ればいいなぁ、
みたいな感じ。

自らの事業やアクションについても
一方的な流れではなく
「自分の満足度だけで
 終える人生じゃなくて」
と「循環」の中で考えようとしているのも
自然を愛すればこその言葉として
素敵だ。

 

 

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2022年8月28日 (日)

実戦でまだ指されていないものが定跡!?

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実戦でまだ指されていないものが定跡!?

- 人類最高峰の頭脳の戦いが、 -

 

2022年8月19日の朝日新聞に
「女性初の棋士誕生なるか」
なる見出しで女流棋士の里見香奈さんが
8月18日から棋士編入試験に挑むことが
記事になっていた。

12歳で女流棋士となり、その後、
史上最多の通算49期のタイトルを重ね、
現在8つあるタイトルのうち5つを保持する
「最強の女流棋士」の里見さんでさえも、
年齢制限の26歳までに
奨励会を突破し「棋士」になることは
できなかった。

これまで奨励会を突破した女性は
ひとりもいないという。

ちなみに、2022年8月19日時点で
棋士は169人。全員男性。

里見さんが棋士編入試験に合格すれば、
まさに
 「女性棋士第一号」
となる。

将棋の強さ、だけでみる限り
「女流棋士」と「棋士」の世界は
少なくとも現時点では
全く別次元の世界のようだ。

 

では、その先、
棋士の世界のそのまた頂点では
今いったい
どんなことが起こっているのか?

すこし覗いてみたい。

 

2022年5月22日の朝日新聞に
「あっさり駒損 AI時代の定跡」
なる見出しで
今年2022年の第80期名人戦第4局について
大きな記事があった。
(以下水色部、記事からの引用)

A220522sai

勝った渡辺名人は、
これまで
「過去の実戦例から学ぶもの」
とされていた「定跡」は
誰もがAIを使うようになった現在においては
違うのだ、と明言している。

実戦では指されていなくても
 『AIで研究して、
  みんな知っているよね』
 というのが、今の定跡です」

副立会人の小林七段が思わず「ウソやん!」
と声を上げたほどの第4局の展開は
まさにこんな研究から
生まれたものだったようだ。

「実戦でまだ指されていないものが定跡」
って、我々はいったいどの時間を
生きているのだろう?

 

加えて、ご存知の方も多いと思うが
最近の対戦では、
テレビにしろネット中継にしろ
AIによる最善手とそのときの勝率が
リアルタイムで表示されるように
なってきている。

たとえば王位戦、
藤井聡太五冠対豊島将之九段の第一局
101手目、豊島の手番。

AbemaTVのAIは、34歩の一択、
あとは全部大逆転との御見解。

こうなると、テレビの前で
豊島ファンは
 「豊島、34歩だ、間違えないでくれー」
藤井ファンは
 「間違えろ、53桂成も美味しそうだぞー」
と声援を送ることになる。

AIによる候補手表示が登場する前までは、
まさにだれも近づけない
「ある意味、人類最高峰の頭脳の戦い」
を見ていたはずなのに、いまや、
視聴者全員に正解がわかっている当て物を、
対戦者が当てられるかどうかを見るだけの
安っぽいクイズ番組を見ているような中継と
なってしまった。

誤解をおそれずに言えば、
「志村、うしろ、うしろ!」と
叫びながらドリフのコントを見ている
子どもとおんなじ気分だ。
(ザ・ドリフターズのコントを知らない方、
 意味不明の表現をお許しあれ)

「人類最高峰の頭脳」が苦しみながらも
まさにフル回転して生み出してくる
渾身の一手、
そこにある驚き敬意畏怖
そして思いもしなかった世界を
見せてくれた喜び
それらは、いったい
どこに行ってしまったのだろう。

 

もちろんAI研究の面から見れば
すばらしい進歩と言えるだろう。

でも、その成果や今の利用方法って、
将棋愛好家が望んでいたものなのだろうか?

この記事に書いたように、
哲学者の森岡正博さんは
「無痛文明論」というぶ厚い本の中で

現代文明は
欲望が生命のよろこびを奪っている


と書いていた。

欲望を満たすことに夢中になり、
本来そこにあったよろこびが
奪われているのかもしれない。

 

 

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2022年8月21日 (日)

野川に沿って深大寺まで

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野川に沿って深大寺まで

- ふかふかの緑を踏みしめながら -

 

西国分寺駅から歩き始めた
今回の「ぶらぶら歩き」だが、
前回お伝えした通り、
国分寺駅の南側、一里塚橋のところで
ようやく野川に合流することができた。

ここからは
できるだけ野川に沿って歩いて行きたい。

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川幅はまだまだ狭いが、
草刈り等も丁寧になされており、
整備された川が、
住宅地の中を流れて行く。

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野川に限らず、水路で時々目にする
上部のこの梁のような構造は
いったい何のためのものなのだろう?
そもそも名称がわからないので
調べようがない。

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丸山通りの長谷戸橋には
「この橋は
 溢水のおそれがある場合には
 通行止となります
のでご注意下さい」
の掲示がある。

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東京経済大学のそば
鞍尾根(くらおね)橋のところで
再びカワセミに会うことができた。

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気がついたのは
朝イチ、姿見の池
カワセミを教えてくれた
おじさんのおかげだ。

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この、鞍尾根(くらおね)橋が
河川管理境界
ここまでが
東京都北多摩北部建設事務所、
ここから下流方向が
東京都北多摩南部建設事務所
の管理となるようだ。

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ここから下流は
堤防内、高水敷の部分を
歩くことができる。

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堤防は一見、
石を組んだように見えるが
よく見るといくつかのパターンの繰り返し。

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意図的とも思える隙間もあり
水はけを考慮したコンクリートブロック、
というところだろうか。

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犬の散歩にも何度もすれ違う。
とにかく、緑豊かなうえ
ふかふかとした部分が多く、
高水敷部は、足腰にやさしい。

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小金井市立前原小学校
のところまでくると
川は校庭の下に潜り込んでしまう。

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もちろん学校内には入れないので
学校の柵に沿って歩くと
そこには細い堀がありこんな掲示が。

「ここは昔の野川です。
 雨が降ると川の水が増えて
 危険ですので、
 中に入らないで下さい」

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水は流れていないが、
こんな水路が続いている。
増水時には活躍することだろう。

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昔の野川
河川工事され今は前原小学校の
校庭の下を流れている新しい野川
一旦分かれて、
またこの先で合流するようだ。

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合流地点はこんな感じ。
左の橋下が昔の野川
右の橋下が新しい野川
増水時にはどちらからも水が
手前方向に流れてくる。

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このあたりは市としては小金井市となるが、
「小金井」の地名は、
「黄金のように価値ある水が
 湧き出る井戸」が多くあることから
黄金井 = 小金井
が起源と言われているらしい。

引き続き緑の中を歩く。
流れてはいるが、草が茂っており
川面はほとんど見えない。

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子どもたちの声が聞こえてきた。
都立武蔵野公園」に出た。

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川の横、この広い野原は、
野川第二調整池

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野川の水位が上昇した際には、
洪水は越流堤を超えて調節池へ流入し、
川の水位が低下すると排水ゲートから
自然排水される仕組み。
貯留量はここだけで2万8千m3。
25mプール50杯分以上を貯められる。
野川の治水安全度向上を目的として、
約30年前、
1989年度に整備されたものらしい。

すぐとなりにはほぼ同じ規模の
野川第一調整池」もある。

川を少し逸れた
崖線部分を登る階段には
ムジナ坂」の名がついている。

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中学校の英語の教科書に
ラフカディオ・ハーンの
「Mujina」があったなぁ、という
古い思い出話で盛り上がる。
教科書の教材、恐るべし。
ウン十年前の内容を
思い出させる力があるのだから。

都立武蔵野公園を歩いていると、
西武多摩川線の下をくぐることになる。

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そこから先は
都立野川公園

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ひろびろとしていて緑が美しい。
崖線の上には
国際基督教大学(ICU)のキャンパスが
広がっている位置になる。

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何を捕まえようとしているのだろう?
水の中を歩く網を持った親子にすれ違う。

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崖線の上の「国立天文台」と
崖線の下の「調布飛行場」に
挟まれたような位置を流れる野川。
間には「野川大沢調整池」がある。

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ここは、
野球場+サッカー場
規模の面積があり、
野川第二調整池の2.6倍もの水を
貯留できる。
ここも地下ではなく越流堤を超えて
調節池へ水が流入する「掘込式」
見渡せるので規模を実感できる。
越流堤はこんな感じ。

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堤防と堤防の間、
堤外地の幅は広くなってきたが、
水が流れている低水路の幅は
それほど広くなっていない。

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御塔坂(おとざか)橋まで歩いたところで、
時間的にもいい時間となっていたので
「今日はここまでにしよう」
ということになった。

最後、近くの深大寺にお参りをして

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吉祥寺駅前まではバスで移動。
お待ちかねの夜の部に。
一日の行程を思い出しながら
ビールで乾杯。
鞍尾根(くらおね)橋以降、
ふかふかの緑の上を歩いたせいか
足の疲労感も
どこかやさしくてここちいい。

今回の野川に沿っての川歩き、
振り返ってみると
鳥とその鳴き声が印象に残る
「鳥ととともに」の一日だった。
カワセミ、うぐいす、ムクドリ、カモ・・・
(写真に収めるのが難しかったため、
 写真ではカワセミだけの
 紹介になってしまったが)
記憶に生き物の姿や声が
貼り付いているのはいいものだ。

 

 

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2022年5月29日 (日)

九州・佐世保 一日観光

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九州・佐世保 一日観光

- もう少し近くに寄らせて -

 

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の
広がりにより
旅行できない期間が長く続いていたが、
この5月、久しぶりに出かけられたので、
メモと写真を残しておきたい。

訪問先は、初訪問となる九州・佐世保と唐津。
唐津では知らなかった歴史との出会いがあり、
旅を機会にまた世界が広がったのだが、
まずは佐世保から書き始めたい。

(1) 九十九島

佐世保観光の目玉のひとつ、
九十九島はいろいろな場所から
楽しむことができる。
全景を、ということであれば
石岳展望台からの眺めは特にお薦めだ。

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ハリウッド映画「ラスト・サムライ」の
ロケ地になった、という案内も出ているが、
島々の景色はほんとうに美しい。

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遊覧船に乗って海から眺めるのもいい。

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200人も乗れる規模の遊覧船ながら、
かなり狭い島の間にグングン入っていく。

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船上では
「九十九島と言いますが、
島の数は99ではなく、208もあるのです」
とのアナウンスが流れている。

海面を眺めていると
明らかに島と呼べるものもあるが、
海中の岩山のようなものもある。
はて?
何をもって「島」と呼べるのだろう?
そう思いながら船を降りると、
観光案内所には
ちゃんと「ここでの島の定義」が出ていた。

 1年中で一番潮位が高い時に
 水面から出ていて、
 陸生の植物が生えている陸地を
 「島」と定めて数えると、
 九十九島には208の島があります。


なるほど。
陸生の植物が生えていることが
条件のひとつなンだ。

 

(2) 旧佐世保海軍工廠 修理艦船繋留場
   (立神係船池)


弓張岳(ゆみはりだけ)展望台まで登ると
九十九島方面とともに
佐世保の街を一望できる。

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その中でも特に印象的なのは
中央右に見えている
旧佐世保海軍工廠 修理艦船繋留場
(立神係船池)。

工廠は「こうしょう」と読む。
軍需工場のことで、
武器・弾薬をはじめとする軍需品を
開発・製造・修理・貯蔵・支給するための
施設。

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「凹字状の構造物が工廠の中核施設だった
 修理艦船繋留場(立神係船池)」
との説明案内板が設置されているが、
ご覧の通り、まさに図面のままの形の施設を
眼下に望むことができる。

凹字状の岸壁は総延長1,699m。
常時海水に触れる面に
大規模にコンクリートが用いられた
初めての岸壁だ。

驚くのはその製造年。
明治39年(1906)からの11年

今から100年以上も前に、
耐海水コンクリート技術が
確立していたわけだ。

コンクリート構造物の本格的な海洋進出の
画期となった建造物ということになる。

 

(3) 佐世保重工業(株)佐世保造船所
   (旧佐世保海軍工廠) 施設群


思わず足が止まってしまう
第七船渠(現第四ドック)。

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昭和15年(1940)に完成。
全長343.8m、全幅51.3m。
この写真でその大きさが伝わるだろうか。
写真中央の小さな白い点が一台の自動車。

昭和16年7月には
三菱長崎造船所で建造中だった
戦艦武蔵が入渠し、
スクリューや舵、水中聴音器など
艤装の一部を行っている。

クレーンを始め、
なにもかもが巨大で興奮してしまうが、
その圧倒的な迫力は
写真や言葉ではなかなか伝えられない。
全身で体感するしかない、感じ。

P4301660s

いずれにせよ、
これら佐世保重工業の巨大施設は
観光客向けには公開されておらず、
近くを走る道路の歩道から
柵ごしに眺めるしかない。
まさに覗き見だ。

 

(4) 佐世保バーガー

市内の
一直線の長~いアーケード商店街も
シャッター商店街にはなっておらず、
人通りも多く賑わっている。

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お昼には、
「佐世保バーガー」を選んでみた。
1950年ごろに米軍関係者から持ち込まれた
ハンバーガーらしいが
特に変わった点があるわけではない。

作り置きしていないので、
待たされるものの、できたてを
美味しくいただくことができる。

店内には
「Where Are You From?
 Plz put the Pin」
(どこから来たの?ピンをさして)
のメッセージとともに
世界地図が貼ってあった。

P4301686s

ピンひとつひとつに
ここ佐世保のハンバーガー屋さんに
立ち寄ったことの物語があるかと思うと
打った人にいろいろ話を聞いてみたくなる。

 

一日観光を楽しんだ佐世保。
九十九島の自然はほんとうに美しかったが、
欲求不満なのは佐世保重工業の巨大施設。

観光客がもっとそばで見られるような
観光資源化はしてもらえないものだろうか?
工場としての実作業を邪魔することなく
だれもが見られるようにすることは
可能だと思うのだが。
もちろんガイド付きツアーでもいい。

柵の外からの覗き見しか手段がないなんて
あまりにももったいない。
その巨大さにも、歴史にも
ワクワクさせる要素があるので
多くの観光客を惹きつけることができると
思うのだが。

 

 

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2022年5月22日 (日)

あの世とこの世が近くなる

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あの世とこの世が近くなる

- 都会の生活には影がない -

 

法事で佐賀県のお寺に行ってきた。

本堂でお経を聞き、
住職さんとゆっくり話をし、
墓参りをしていたら
普段宗教のことなんて
ほとんど考えていないのに、
独特な世界観というか空気感に包まれて、
不思議な気分になった。

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佐賀の静かな田舎の景色の中、という
お寺の立地条件も
大きかったかもしれない。

私自身は宗教に浅いので、
宗教的なものとはちょっと違うと思うが、
それでも
数珠を手に何度も合掌を繰り返していると
「死んだ人とともにある」
ということを
ごく自然に感じることができる。

子のいない人はいても
先祖のいない人はいない。
「死んだ人」と無関係に存在している人は
ひとりもいないのだ。

都会での生活は、
「死んだ人を切り離してしまっている」
というか、
「生きている人だけで
 回している気になっている」。

でも、それは、
ものすごく不完全で
不安定なことなのではないか、
そんなふうに思えてきた。

死んだ人は、
今生きている人の影みたいなもので、
常に一対となって存在している。
そのことが生きている人を
まさに立体的に
してくれているのではないだろうか。

都会の生活にはその影がない。
突然感じた不完全さとは、
そういう感覚に
起因しているのかもしれない。

 

佐賀で感じたそんな思いを友人に話したら、
おもしろいコメントを返してくれた。

「田舎に行くと
 あの世がこの世とずいぶん近い感じで、
 それはいいことだと思うんだけど、
 その田舎に行くのが遠すぎて・・・」

「田舎に行くとあの世とこの世が近くなる」
名言だ。
記録を兼ねてここに残しておきたい。

 

 

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2022年5月 8日 (日)

「私はきれいなゴミを作っている」

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「私はきれいなゴミを作っている」

- 生産者も消費者も双方が変わることで -

 

スクラップブックをめくっていたら

朝日新聞の2021年12月3日「ひと」欄
で紹介されていた
エチオピアで人と環境にやさしい
 バッグをつくる起業家
 鮫島弘子さん

の記事が目に留まった。
(以下水色部、記事からの引用)

鮫島さんは、
羊の革を使ったバッグブランド
「anduamet(アンドゥ・アメット)」
を設立し、
代表兼デザイナーとして
活躍しているという。

使うのは食肉の副産物で、
環境対策をした工場でなめされた皮だけ。

元ストリートチルドレンや
読み書きできない人を雇い、
忍耐強く20人の職人を育ててきた。

原点は、
デザイナーとして働いた
化粧品会社で感じた疑問だという。

美術専門学校を出たばかりで
仕事は面白かったが、
新製品を出すたびに
大量の商品が廃棄された。

私はきれいなゴミを作っている

そう思った鮫島さんは、
化粧品会社を3年で辞め、
青年海外協力隊に応募。
派遣先のエチオピアで羊革と
出会い、その後、エチオピアに渡って
起業することになったという。

「私はきれいなゴミを作っている」
なんとも悲しい、虚しい言葉ではないか。

化粧品に限らない。
衣料品も食料品も
大量廃棄の問題はほんとうによく耳にする。

もちろん、たとえば
新商品ブランドの確立と
拡販を目的にした旧商品の廃棄と
食料品の廃棄は
そもそもその理由が全く違うものだが
結果として
「きれいなゴミ」を
大量に発生させていることは同じだ。

どんな理由であれ
「私はきれいなゴミを作っている」では
働く側のモチベーションが
上がるはずはない。

以前「売り切れ」程度は我慢しようなる副題で
食料品廃棄の話を書いたが、
ゴミを出さないためには
生産者側もそして消費者側も
大きく意識を変えていく必要がある。

価値観の変換と同時に
双方ちょっとの「我慢」が
キーワードだろう。

誰だって、あるときは生産者であり、
またあるときは消費者なのだから。

作る人も使う人も
みんなが幸せになるブランド目指す。

ことは可能なはずだ。

 

 

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2022年3月 6日 (日)

恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

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恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

- マスク生活があと2年続いたら -

 

東京、神奈川、埼玉、千葉、
大阪、兵庫、福岡の7都府県に対して、
最初の「緊急事態宣言」が発出されたのが、
2020年4月7日。

不要不急、お前だったのか
という記事をアップしたのが、
2020年4月12日。

まもなく、
マスク生活も2年になろうとしている。

最初のころは
「あっ、マスク」
と忘れて出かけそうになることも多かったが、
いまや
「外出時はマスクをして」が
すっかり習慣となっている。

私自身は、「在宅勤務」が多くなったため、
出社日数も大幅に少なくなっているのだが、
先日出社した際、小さな発見があった。
きょうはそのことを書いてみたい。

 

昼休み、久しぶりに同僚と2人で
会社近くのレストランに昼食に出かけた。

外食はほんとうに久しぶりだ。
お昼休みの時間帯、
ビジネス街のレストランの賑わいも
一時期に比べてずいぶん戻ってきており、
そのときも昼食の会社員で溢れていた。

当然のことながら、
食事中は男女を問わずマスクを外している。

「マスクをしていない人を
 こんなに大勢見るのは
 なんて久しぶりだろう」
そんなことを考えながら
ぼんやり店内を眺めていたら、急に、
普段マスクに隠されている
鼻と口って、なんてエロいのだろう、と
見てはいけないものを
見てしまったような、
不思議な気分に襲われた。

若い女性の口元だけではない。
女性も男性も、
会話をしたり、食べたりしているときの
裸の鼻と口ってなんてエロいのだろう

考えてみると
「恥部だから隠すのか、
 隠すから恥部になるのか」

ほんとうはどちらなのだろう?

「恥部だから隠す」に決まっている、と
漠然と思い込んでいたが
その確信が明らかに揺らいでいた。

よし、大胆にも
ここに自信をもって予測してしまおう。

「マスク生活があと2年続いたら、
 鼻と口は恥部となり、
 正視できないのはもちろんのこと
 恥ずかしくて人前で出せなくなる」


あと2年続いたら・・・

 

 

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2022年2月27日 (日)

体が、成功はイヤだと言った

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体が、成功はイヤだと言った

- 「体にとっていいこと」があるはず -

 

2022年2月20日、
北京オリンピックが終わった。
3月4日からはパラリンピックが始まる。

アスリートたちの超絶としか
言いようのない技の数々は、
もうそれだけでほんとうに魅力的だ。

一方で、
オリンピックがかかえる様々な問題や疑惑、
マスコミの報道姿勢、
そこに群がる、経済的効果にしか
興味がない人たちの姿を見ていると
オリンピックという形そのものを
根本的に見直す時期に来ていることは
間違いない。

究極をめざす競技者の姿を
「アスリートファースト」の競技会で
見られることを待ち望んでいる。

さて、大きなスポーツの大会を目にすると
いつも思うことがあるので
今日はそのことを書きたいと思う。

 

スポーツに限らないが、
「練習のときはできていたのに、
 本番では失敗した」

という言葉をよく耳にする。

その理由については
「緊張してしまって・・・」
「あがってしまって・・・」
「オリピックの悪魔が・・・」
といったお決まりの言葉で
わかったように語られることが多い。

しかし、冷静に考えると

(a) 練習のときはできていた。
(b) 本番で成功すれば報酬も大きい。
 (この場合の報酬は、
  本人の達成感といった
  精神的な喜びはもちろん、
  関係世界における名誉や
  賞金等の金品など、
  かなり広い意味で使っている)
(c) 本人も関係者も本番での成功に向けて
  万全の体制を整えている。

の条件が揃っていながら
理由はともかく結果として
 「体が成功するように動かなかった」
ということが発生したことになる。

つまり、体以外は成功を目指しているのに
最終的に
 「体が、成功はイヤだと言った」
わけだ。

本人の強い強い意志や、
成功によって得られるであろう多くの報酬を
すべて捨ててでも、
「普段はできることを
 今はできないほうがいい」
と体が判断した
ということになる。

どうしてそんな判断をしたのか? 
ふつうに考えれば
「できないほうが、
 体にとっていいことがあるから」

と考えるのが一番自然だ。

成功だって、勝敗だって、
名誉だって、報酬だって、
すべて我々が作ってきた価値感にすぎない。

そこにおける不成功は
「失敗」とか「オリピックの悪魔が」
といった言葉とともに
「負けた」のひと言で簡単に
片付けられてしまうことが多いけれど、
実はその不成功の裏には
成功で得られる価値以上の
「体にとっていいこと」

あったのではないだろうか。

自分たちが勝手に作った「成功」という
価値観に囚われすぎて、
だれもそれを見ようとしていない。

なので未だにだれも
言葉で表現できていないけれど、
「不成功」によってもたらされる
「体にとっていいこと」の価値は
実はすごく大きいのではないか
と思っている。

生物として
「体が反応したこと・判断したこと」

頭で考えたりすることよりもずっとずっと
生きることの根幹に関わることが多いから。

 

 

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