日記・コラム・つぶやき

2017年5月14日 (日)

脳は体が作る

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脳は体が作る

- 「進化しすぎた脳」から -

 

以前、 ブルーバックス2000タイトルの
記念小冊子

について書いたが、
そこで知った未読のブルーバックスから
何冊かを購入し、久しぶりに
ブルーバックスの世界を楽しんでいる。

そんな中から、今日は
この本について紹介したい。

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
ブルーバックス
(以下水色部本からの引用)

「ブルー」バックスの名に
挑戦するかのような真っ赤な表紙だが、
内容は極めてわかりやすく、
題名通り、中高生と語る、という
形式で話が進められていく。

基本的な脳の話から始まり、その後
心や記憶といった大胆なテーマにも
どんどん踏み込んでいく
かなりエキサイティングな展開と
なっているのだが、
一番最初の章で、
「脳」について
非常に大事な事実が
「ふたつ」提示されている。

今日はその部分についてのみ書きたい。

 

脳は、部位によって
担当する機能が違っている。

ある部分は視覚を、ある部分は聴覚を、
といった具合に機能が分かれており、
その研究と調査の歴史は
100年以上にもなる。

そしてその調査結果は、
脳における担当部分を表現する
「脳地図」という形でまとめられている。

さて、この脳地図を
体に障碍のある人の場合で見てみよう。

生まれながらにして
指がつながったままの人、
たとえば人差し指と中指が
つながったまま生まれる人が、
たまにいる。指が4本

そういう人の脳を調べてみると、
5本目に対応する場所がないんだ。

これは、たいへん重要なことを
意味している。

つまり、人間の体には
指が5本備わっていることを
脳が
あらかじめ知っているわけじゃなくて
生まれてみて指が5本あったから
5本に対応する脳地図ができたってことだ。

つまり、
脳には最初から「人差し指担当」
という場所があるわけでなく、
生れた時に人差し指があったから
その後、人差し指担当ができる
ということらしい。

つまり「後天的なもの」。

言ってみれば、脳の地図は
脳が決めているのではなくて
体が決めている
、というわけだ。

「体が決めている」は
何度も思い出したい言葉だ。

 

では、くっついていた
人差し指と中指を分離したら
どうなるだろう。

さらに訊くけど、指が4本の人が
生まれた後に分離手術して、
その結果、5本の指が自由になった。

さて、どうなるだろう?
司令塔である脳は、それまで
一本の指として認識していたわけだから
分離されても二本の指は
同じように動いてしまうのだろうか。

分離されてもその2本の指は、
同じ動きをする。
そう、多くの人がそう思ったんだ。

でも、ちゃんと
5本の指が別々に使えるようになった。

そして脳を調べてみたら、
わずか1週間後にはもう
5本目の指に
対応する場所ができてた
んだ。

この事実は
さきの後天性に加えて、
さらに重要な事実を提示している。

脳というのは一回地図ができ上がったら、
それでもう一切変わらないという
堅い構造ではなくて、
入ってくる情報に応じて
臨機応変に
ダイナミックに進化しうる
んだ。

 

シンプルながら、
事実からの強いメッセージだ。
上記二点、まとめておきたい。

(1) 脳地図は脳が決めているのではなく、
  体が決めている。

  体をコントロールする脳が
  最初にあるわけでなく、
  体のほうが、それらを
  「コントロールできる脳」を作る。
  
(2) 一度完成した脳地図も
  体が変化するとそれに応じて
  変化する。
  固定しているわけではない。

脳の柔軟性と拡張性の秘密は
こんな基本機能に
支えられているようだ。

この脳を舞台に、
話はどんどん面白くなっていく。
この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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2017年4月23日 (日)

謎のお店の異空間

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謎のお店の異空間

- 一見さんお断り -

 

知人の厚意により、「一見さんお断り」の
紹介制のお店に連れて行ってもらった。

このお店、
「料理の写真を撮ることも、
 店が特定できるような紹介を
 ネットですることも遠慮してほしい」
とのことで、「食べログ」等の
飲食店案内サイトにも出ていない。

 

都内の某駅で待合せた。
私のグループは紹介者を含めて5名。
時間通りに全員揃った。

「さぁ、行きましょうか」
「はい」

とは言うものの、
どちらに歩けばいいのかわからない。
私を始め、初めての人は店の場所さえ
事前に調べようがなかったもので。

紹介者の背中を追う。

良い噂しか耳に入ってこない
私にとっては、まさに幻のお店ゆえ、
期待値の方は相当に高かったのだが、
気持ちの方のワクワク感に反し、
足取りがどこか「おそるおそる」
といった感じになってしまうのは、
なぜなのだろう。

駅前の繁華街を抜けて、
ひと気のない静かな道を歩く。

場所くらいは覚えてしまおう、
と思いながら歩いていたのだが、
考えてみると、私自身は某条件により
基本的に「紹介者」にはなれない。

つまり今後も、ひとりで来たり、
誰かを連れてきたりすることはない。

だったら謎のままでもいいかな、
という気がしてくる。
「場所もよくわからない」
のままにしておこう。

 

【全員一斉入店】

しばらく歩くと、
全く人通りのない道に面した
民家のような家の前で列が止まった。

「ここ?」と改めて見ると
看板も表札もなにもない家の軒の下に
杉玉だけが下がっている。
それが唯一の目印、という感じ。
そう、この店は日本酒のお店なのだ。

開店は夜7時半。

10分ほど早く着いた私たちは
道の脇に並んで開店を待った。

少しすると、別に2名と3名の組が来て、
合計10名が建物の前に並んだ。
男性6名、女性4名。
年齢層も幅広い。

ぴったり7時半。
板戸が開いて、和服姿の女将が出てきた。

紹介制ゆえ各グループに
最低ひとりは知人がいるせいか、
アイコンタクトでの
静かな挨拶はあるものの、
いちいち名前を聞いたり、
客から名乗ったりはしない。

導かれるまま、
靴を脱いで薄暗い店に入った。

 

【着席】

店内は小さく、真ん中に、
正方形の大きなテーブルが
ひとつあるだけ。

そのテーブルの三辺に、3人、4人、3人と
テーブルを囲むように座るよう促された。
各席には正座補助椅子と
膝掛けが用意されている。

空いた一辺の真ん中に女将が立ち、
ぐるりと客を見回しながら、暗い中、
着席に戸惑っている客に声をかけている。

ようやく全員が席についた。

さて、なにがどう始まるのか?

全員が座ったのを見届けると、女将は
テーブル中央に下がっていた
照明のスイッチを入れた。
3つの小さなダウンライトが
テーブルを照らす。
まぶしくはないが、
一瞬で幕が上がったようになる。

テーブルからの反射光で、
客の顔もぼんやり浮かび上がっている。

客同士もお互いを
ちょっと横目で気にしているが、
全体の雰囲気はまだまだ硬い。

各自の目の前には
5種類のタイプの違う盃が並べられていた。
もちろんどれも中身はカラ。
「切子」から「うすはり」まで、
色も形も違っていて区別しやすい。

 

【店のコンセプト】

最初に女将の丁寧な挨拶があった。

* ここでは料理と日本酒の組合せを
 じっくり味わって、楽しんでもらいたい。

* 日本酒は選んだ「ひとつの蔵」からのみ
 提供する。
 同じ蔵でも米や製法が違うと、
 どんなふうに味や香りが変わってくるのかを
 ぜひ体験してもらいたい。

* 残念ながら戦後、日本では
 日本酒がどんどん飲まれなくなっている。
 仕事帰りにビールを買って帰るように
 「日本酒を買って帰る」
 そんな習慣が広まることに
 少しでも貢献できたら、と思っている。

* 感想や質問はいつでもどうぞ遠慮なく。
 お客様の中には
 料理やお酒にものすごく詳しい人もいるし、
 逆に初心者、という方もいる。
 私がなんでも知っているわけではないので、
 質問があるときは、全員に聞こえるような
 大きな声でしてほしい。
 質問をきっかけに、お客様間での意外な
 コミュニケーションが始まる場合もある。
 そういうやりとりも大事にしたい。

店のコンセプトも趣旨もきわめて明快。
ヘンに偉ぶっても、高級ぶってもおらず、
fairに日本酒の美味しさを共有しましょう、
の精神が溢れていて気持ちがいい。

お店側は
女将と隣の調理場にいる女性の二人のみで
切り盛りしているとのこと。

 

【最初の一杯】

いよいよ、最初の一杯が登場。

ガラスの徳利に入ったお酒を
指定された色の盃に入れるよう案内された。

女将は両脇の人の盃に酌。
注がれた客は隣の人に酌。
2本の徳利がゆっくり客の間を回る。

全員の用意ができたころ
「では、最初のお酒。きいてみて下さい」

(「きき酒」は「利き酒」と書いたりするので
 この場合は「利く」と書くのかもしれないが、
 どうもしっくりこないので「ひらがな」で
 失礼させていただく)

色を見て、香りをかいで、味を確かめる。
視覚、嗅覚、味覚は動員するものの
聴覚は使わない。なのに「きく」。
改めて考えてみるとおもしろい表現だ。

一口目。
香りも味も透明感があってうまい。
料理を口にする前のまさに乾杯の一杯。

「今から、お料理をお出ししますが、
 食べる前と食べた後で、お酒の味が
 どんなふうに変化するのかも
 ぜひお楽しみ下さい」

「ウド、熟成牛タンのスープ」から
料理が始まった。

 

【マリアージュ】

酒も、料理に合わせて違ったものが
順番に登場するが、三種類目までは、
その正体が一切明かされず、
付加情報なしで、ただ香りと味だけを頼りに
その違いを楽しんでいく。

名称は不明でも、
各自、同じ盃に同じ酒が入っているので、
会話で迷うことも混乱することもない。

「切子の盃の酒は、香りはあまりないけれど
 マイルドな柔らかさがあっておいしい」
などと感想が飛び交う。

料理も一皿づつにサプライズがある。
女将の演出もうまく、
「写真を撮りたい」
の思いが何度こみあげてきたことか。

ワインならまさに「マリアージュ」と
呼ぶべき組合せを、
日本酒との組合せとしてはちょっと意外な
肉料理で繋いでいく。

牛、馬、鹿と肉を変え、
バルサミコ酢、ポン酢と酸味を変えて、
組合せも千変万化。

料理や酒の細かい蘊蓄を伝えることが
本報告の趣旨ではないので、
その細かい内容は端折りたいが、
やはり「知る」ということはおもしろい。

蔵が展開している、蔵の地下水、
仕込み水の水脈までを考慮した
「同じ水で作られた田んぼの米」に
限定した酒造りの話。

水に貫かれた栽培、醸造、瓶詰。
ワインの「ドメーヌ」に倣って、
ドメーヌ化と呼んでいるようだが、
この徹底した一貫性を表現する
いい日本語はないものだろうか。

 

【会話も味のうち】

女将は、もちろん給仕もするものの、
料理の演出、酒の詳細な解説、
客の会話のコントロールで
テーブルにつきっきり。

選んだ蔵の歴史や方針、特徴を
細かいことまでよく掴んでいるし、
どんな質問にも
ポンポンと歯切れよく答えてくれる。

客のほうも、
自己紹介をしたわけでもないのに、
会話の端々から少しずつキャラクタが
滲みでてくる。
年齢も性別も全く違うふたりが
「えっ、私もそのお酒大好きです」
と意気投合したり、
「これについては
 あの方に決めてもらいましょう」と
自然に役割分担ができたり、と
客の間の空気もどんどん緩んでくる。

最後8皿目のデザート
「酒粕のムースとヨーグルト、 
 塩漬けの桜と一緒に...」
まで、ほんとうにあっという間だった。

すべてが終了したあと、
「お酒の写真だけはOKです」
とのことで、ゆっくり「きき比べた」
 栃木県さくら市
 株式会社せんきん
の5種の日本酒の写真を一枚。

P4127075s

それにしても
「山田錦」や「雄町」ではなく
「亀ノ尾」の味が
あんなに印象的だったとは。
米の違いも新たな発見とともに
目一杯楽しめた夜だった。

2時間強、様々な情報を得たせいか、
いつのまにか「せんきん」は
私にとって、特別な蔵になってしまった。
こういうキッカケのある繋がりはいい。

夜10時前、名残惜しいもののお開きに。

女将に丁寧に見送られて、
一斉に入った客は、
一斉に帰ることになった。

最初に書いた通り、
外見は一切お店に見えないし、
営業時間中の人の出入りもゼロ。
これでは、断るまでもなく
「一見」では入りようがない。

日本酒のお店ながら
女将も言っていた通り、
お酒をガブガブと飲みたい人には
向いていない。

でも、
料理を、お酒を、
女将との会話を、客同士の会話を、
「へぇ」とか、「ほぉ」とか、
「ほんとだ!」とか、
「知らなかったなぁ」とか言いながら、
ゆっくり丁寧に楽しむ。

そういう時間や経験が
愛おしく思える方には最高のお店だ。

こういうお店が
もっともっと増えるといいのに、
と改めて思う。

もちろん料理も美味しかったけれど、
「料理の味」だけが
「料理店の価値」を決めるわけではない。

 

最後に記録を兼ねて
お酒と料理のメモだけ残しておきたい。

酒(蔵)
栃木県さくら市 株式会社せんきん

(n1) 仙禽一聲(せんきんいっせい)
    35%まで磨き上げた山田錦
(n2) モダン仙禽   無垢
(n3) モダン仙禽   雄町
(n4) モダン仙禽   亀ノ尾
(n5) クラシカル仙禽 亀ノ尾 

料理
(d1) ウド、熟成タンのスープ
(d2) 牛ホホ肉の日本酒煮込み
      里芋のマッシュポテト
      柚子胡椒ソース
(d3) 内モモ肉のローストビーフ
      桃ベースのソース
      わさび
(d4) 牛のハツ刺し ダシ醤油
   馬肉の漬け寿司
   ホルモン(ミノ)の軍艦
(d5) 鹿肉のロースト 
      バルサミコ酢ソース
(d6) 牛肩肉のホイル焼き 
      えのき茸とポン酢
(d7) 稲庭中華ソバ 
      鰹とコブの出汁
      肉味噌には生姜と豆板醤
(d8) 酒粕のムース 
   ヨーグルト 塩漬けの桜

 

誘ってくれたTさん、どうもありがとう。

 

 

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2017年4月 9日 (日)

深谷の煉瓦(レンガ)

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深谷の煉瓦(レンガ)

- 東京駅から迎賓館まで -

 

埼玉県深谷市というと、
深谷ネギというネギが有名だが、
ここは明治の大実業家
「渋沢栄一」の出身地でもある。

第一国立銀行(現みずほ銀行)や地方銀行、
東京瓦斯(ガス)や王子製紙、
帝国ホテルやキリンビール、
一橋大学、同志社大学、日本女子大学校
東京海上火災保険や東京証券取引所、
などなど
渋沢栄一が設立に関わった企業や学校は
多種多様でその数、実に500以上。

まさに「日本資本主義の父」
と呼ばれるにふさわしい輝かしい実績。

どの会社も組織も、その後の発展と
日本社会への影響度、貢献度を思うと、
一生の間にこれほど多様な仕事が
できるものだろうかと、
にわかには信じられないほどだ。

そんな渋沢が
設立に関わった会社のひとつに
日本煉瓦製造株式会社」がある。
1887年(明治20年)に設立。

明治になって、急速に増え始めた
欧米に倣った近代建造物のための
赤レンガを製造、販売していた。

会社は2006年に廃業してしまうが、
レンガを焼いていた窯(かま)は、
重要文化財として今でも深谷に残っている。

実際に窯を見に行ってみた。

【ホフマン輪窯(わがま)】
ドイツ人ホフマンが考案した
煉瓦の連続焼成が可能な輪窯(わがま)。

Fukaya2_2

明治40年の建造で、
長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの
煉瓦造り。
陸上のトラックのような形状の
輪になっており、一周約120メートル。

見学は無料だが、
丁寧にも説明員がついてくれる。

Fukaya1

ヘルメットを被り、
窯の中に入って説明を聞くことができる。

Fukaya3

今は仕切りはないが、
内部を18の部屋に分け、
窯詰め・予熱・焼成・冷却・窯出しの
工程を順次行いながら移動し、
およそ半月かけて窯を一周したとのこと。

燃料の石炭は、粉にして上の穴から
15分おきに投入していたらしいが、
実際に窯に入ると、
その穴を下から見上げることができる。

Fukaya4

生産能力は月産65万個。
1968年(昭和43年)まで
約60年間煉瓦を焼き続けた。

木造平屋の会社の旧事務所も
輪窯と一緒に
国の重要文化財となっているが、
内部は今は史料館となっている。

Fukaya5

あんな大きな窯が、
最盛期には6基もあったらしい。

Fukaya6

各窯建屋の内部はこんな感じ。
一番下に窯。
煙突の途中にあるハの字にご注目。
窯の上にあった建屋の屋根の跡。

Fukaya7

この屋根の跡は今も煙突に残る。
あの高さにまで建屋があったわけだ。

Fukaya8

さて、この大規模な工場で作られた煉瓦は、
いったいどこに使われていたのか。

史料館で100円で購入した
「深谷の煉瓦物語」という小冊子から
代表的な建造物を紹介したい。

(1) 東京駅 丸ノ内本屋
明治41年に着工し、大正3年に完成。
辰野金吾の設計による
国内最大級の煉瓦建築。
深谷の煉瓦が約833万個使われた。

(2) 旧信越本線碓氷第三橋梁
  (碓氷峠鉄道施設〉
横川~軽井沢間の碓氷峠鉄道敷設工事は
明治24年に開始。
けわしい峠を縫う11.2km余りの区間には
26ものトンネルと18の橋が必要で
そのほとんどが煉瓦で作られた。
使った煉瓦1800万個
500人以上の尊い犠牲を出しながら
明治26年初めに開通。

(3) 法務省旧本館 明治28年完成
(4) 日本銀行本店本館 明治23-29年
(5) 表慶館 明治41年完成
(6) 旧横浜正金銀行本店本館
  明治37年完成
  (現・神奈川県立歴史博物館)
(7) 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
  明治41年

(1)-(6)はすべて重要文化財、
(7)は国宝。

(4)-(7)は、外見だけを見ると
石造建築のように見えるが、
実はいすれも深谷の煉瓦を使って建設され、
表面に石材を張って仕上げたものらしい。

鉄筋コンクリート建築に
とって代わられるまで、
本格的な西洋建築の多くは
煉瓦造だったとのこと。

建築・建造物に限らないが、
開国後、短期間でよくここまで
新技術・新文化を取り込んだものだ。

欧米列強に追いつこうとしていた
日本の勢いを、強く強く実感できる。

 

 

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2017年4月 2日 (日)

生きることは「出会うこと」

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生きることは「出会うこと」

- 寺山修司さんの言葉 -

 

4月、
進学、就職を始め門出の季節だ。

 

以前、米国ボストンで
ステューディオ(Studio)と呼ばれる
ワンルームタイプの部屋を借りて、
6月から10月までを過ごしたことがある。

ハーバード大学や
マサチューセッツ工科大学(MIT)など
多くの名門校をかかえる
学園都市ボストンだけでなく、
9月が新学年となる米国では、
8月後半になると
Back to School Saleと呼ばれる
新学期前のセールを
町のあちこちで見かけるようになる。

そして9月、
長い夏休みも終わり、
一斉に新学年が始まる。

一斉に始まるのだが、ボストンでは
新学年が始まった途端に
ドンドン寒くなっていく。
10月になると息が白くなる日もある。

新しいことが始まったのに
ドンドン寒くなっていく。
これはどうもよくない。
「寒かったり」
「雲が多くて暗かったり」の日々が続くと
どうも気分が上向きにならない。

逆に、日本では、新学年開始以降
ドンドン暖かくなっていく。
日本の「4月始まり」っていいものだなぁ、
と改めて思った記憶がある。

地域によって時期の前後があるとは言え、
4月5月は、満開の桜が
始まりの季節を祝ってくれる所も多いし。

 

さて4月、
「若い人に送る」と言うとジジくさいが、
歳をとっても、
なぜかこの季節になると思い出す
ある言葉がある。

寺山修司さんが
「ぼくが狼だった頃」に書いていた言葉。

生きることは「出会うこと」です。
それをおそれて一体何が
はじまるというのでしょう、


旅をしてみる、
新しい歌をおぼえてみる、
ちょっと風変わりなドレスを着てみる、
気に入った男の子とキスしてみる、
寝てみる、失恋もしてみる、
詩を書いてみる-

一つ一つを大げさに考えすぎず、
しかし一つ一つを
粗末にしすぎないことです

若い人に出会いを推奨する言葉は
いろいろな形で耳にするが、
この言葉が特に気に入っているのは、
最後の一行。

「一つ一つを大げさに考えすぎず、
 しかし一つ一つを
 粗末にしすぎないことです」

春、
「人」でも「モノ」でも「コト」でも
いろいろな出会いがあることだろう。
「大げさに考えすぎず」
でも、どれも「粗末にしすぎない」、
そんな姿勢で臨みたい。

生きることは出会うこと。
新年度、
いい出会いがありますように。

 

 

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2017年3月19日 (日)

2017 数字あそび

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2017 数字あそび

- 降順と昇順の傑作 -

 

唐突だが、下記の写真をご覧あれ。

よく見かける道路の案内図。
特に謎が隠れているわけではない。

この図に
なにか感じるものがあるだろうか?

Sosu

地理に詳しい方は
撮ったのは??あたりかな、と
場所が浮かんでいるかもしれない。

ほかに何か・・・


これを見て、あっ、と思った方は、
かなりの数学、というか数字好きだろう。
3月14日と聞いたとき、
「ホワイトデー」よりも
「Π(円周率パイ:3.1415...)の日」や
「数学の日」が
浮かぶような人かもしれない。


そう、並んでいる
国道「157」県道「193」は
どちらも3桁の素数なのだ。

素数とは中学で習った
「1とその数自身以外に
 約数をもたない1以上の整数」
つまり、
 1とその数以外では割り切れない数。

小さいところだと
 2, 3, 5, 7, 11 ...

(素数そのものは無限にあって、
 その証明は意外に簡単だが、
 今日は省略)

素数番の道が並んでいる。
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はないけれど。

 

そう言えば、

 森田真生 著
「数学する身体」
  新潮社

にもこんな記述があった。

数学科に入りたての頃、
飲み会に参加して居酒屋の下駄箱が
素数番から埋まっていく
のに
驚いたことがある。

素数に反応してしまうのは、
数学好きに共通の性質(?)
なのかもしれない。

 

前回、 ブルーバックス2000タイトルの
記念小冊子

について書いたが、
その中にはこんな記述があった。

同年11月には、日付に使われる
すべての数字が奇数
という、
数論好きにはたまらない一日が訪れている
(1999年11月19日)。

ちなみに、この次に
奇数だけで日付が構成されるのは、
実に32世紀のことで、
3111年1月1日まで待たねばならない。

そのとき、ブルーバックスはいったい、
通巻何番に到達していることだろう。

こんなことを書くのは、
ブルーバックスの読者を想定した
この小冊子くらいだろう。

西暦で書いて
全部の数字が奇数になる日付

1999年11月19日の次は、
3111年1月1日つまり、1112年後

こちらも
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はない。

でも今日は、ちょっと開き直って
もう少しタダの数字ネタを続けたい。

 

今年は西暦2017年で平成29年。
2017も29も素数

しかもどちらも
「2つの平方の和」で表現できる
ピタゴラス素数だ。

【2つの平方の和(ピタゴラス素数)】
 2017   = 92+442
 (平成) 29 = 22+ 52

【3つの立方の和でも】
 2017   = 73+73+113
 (平成) 29 = 13+13+ 33

 

以下は、今年(2017)の年明け
数学というか数字好きの人たちが
やりとりしていた
2017と29に関する数字遊びの中から、
これは面白い!とメモっていたものだ。

【異なる32の素数の和で】
 2017=
    2+   3+   5+   7+  11+  13+  17+
   19+  23+  29+  37+  41+  43+  47+
   53+  59+  61+  67+  71+  73+  83+
   89+  97+ 101+ 103+ 107+ 109+
   113+ 127+ 131+ 137+ 139

【2017を29で】
 2017 =
  29 x 29 x 2 + 9 x 2 x 9 x 2 + 9 + 2

【降順(・・4, 3, 2, 1・・)で】ではこれが見事。
 2017 =
  210+29+28+27+26+25+24-23-22-21-20

 2017 =
  (9! x 8! / 7! / 6! + 5! / 4! - 3! / 2!) / (1! + 0!)
     <補足:4!は階乗、4! = 4 x 3 x 2 x 1
      0!は0でなくて1。なぜ?は
      数学の教科書に譲ります>

 2017 = 74 - 73 - 72 + 71 + 70

【昇順(1, 2, 3, 4 ・・)で】の傑作はこの2つ。
 2017 = 122 - 342 - 562 + 782 + 92
     <一見、平方の組合せだが、底(abのa)に
      1から9が見事に並んでいる>

 2017+29 =
    21 + 22 + 23 + 24 + 25 +
    26 + 27 + 28 + 29 + 210

発見した方々に敬意を表して、
記録として留めておきたい。

もちろんこれらも全部
「だからナンだ」と聞かれても
返す言葉はないのだけれど。

 

 

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2017年1月22日 (日)

偶然五七五

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偶然五七五

- 大阪府/四條畷市/北出町 -

 

2017年1月15日に行われた
大阪府四條畷市の市長選で
28歳の新人東修平氏が当選し、
全国最年少市長が誕生した、
とのニュースがあった。

四條畷市(しじょうなわてし)
の名前を見たらあることを思い出した。

(1) 住所篇
四條畷市には、
北出町(きたでちょう)という町がある。

住所をそのまま音読してみよう。

大阪府 / 四條畷市 / 北出町
(おおさかふ 
 しじょうなわてし きたでちょう)


そう、俳句とは言えないが
五七五のリズムになっている。

しかもおもしろいことに
この住所の郵便番号
現在は「575-0043」だが
1998年に7桁になる前までは、
これまた偶然にも
575」だったのだ。

私が読み難いこの市の名前を覚えたのは、
この五七五がきっかけだった。

 

「偶然五七五」のリズムを刻む日本語は
気をつけて探すとあちこちにある。

(2) 法律条文篇
法律の条文関連では、

日本国憲法第23条
学問の/自由は、これを/保障する

民法882条
相続は/死亡によって/開始する

軽犯罪法第1条22号
こじきをし、/又はこじきを/させた者

などがよく知られている。

 

(3) 駅名篇
数年前、
「連続した駅名で五七五七七」
つまり短歌調になる区間が
ネットで話題になっていた。

次々と挙がってくる作品(?)に
「みんなよく探しだすなぁ」と
当時は感心させられるばかりだった。
単なる駅名の組合せではなく、
「連続した駅名で」だ。

JR京浜東北線(8駅)
浜松町 = 田町 = 品川 = 大井町 =
大森 = 蒲田 = 川崎 = 鶴見(つるみ)


西武新宿線(6駅)
本川越 = 南大塚 = 新狭山 =
狭山市 = 入曽(いりそ) = 新所沢


富山地方鉄道本線(5駅)
新魚津 = 電鉄魚津 = 西魚津 =
越中中村 = 早月加積(はやつきかづみ)


JR飯田線(7駅)
上市場(かみいちば) =  
浦川 = 早瀬 = 下川合(しもかわい)
中部天竜 = 佐久間 = 相月(あいづき)

 

(4) Wikipedia日本語版篇
この五七五七七探し、
もともとは「偶然の発見」を
楽しんだものだったと思うが、
五七五七七検索プログラムを作り
フリーのオンライン百科事典
Wikipediaの本文をまるまる
検索にかけてしまった人がいる。

しかも、その結果は
こんな本にまでなっている。

いなにわ, せきしろ著
「偶然短歌」飛鳥新社

本からいくつか紹介したい。
(以下水色部、本からの引用
 五七五七七のあとの「」は、
 Wikipedia日本語版の見出し語)

 

アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、
中央アジア、およびシベリア
     「モロカン派」

柔道部・バレーボール部・卓球部
ハンドボール部・吹奏楽部
     「一宮市立北部中学校」

文学部・経済学部・法学部
経営学部・医療健康
     「日東駒専」

単なる名詞の羅列なのに、
音やリズムに特徴があって、
思わず声に出して読みたくなる。

 

空洞になっているため、大きさを
支えきれずに壊れてしまう
     「マリモ」

研究で、ネコが砂糖に関心を
持たないことは示されていた
     「ネコ」

たいていは家屋の中で日当たりの
よい場所にあり、窓が大きく
     「居間」

説明臭いものは、
リズム的にはあてはまっても
おもしろさには欠ける。

 

「立ち乗り」を行っている最中に
車のドアが閉まってしまい
     「ペター・ソルベルグ」

楽団の首席指揮者の就任も
決まっていたが、果たせなかった
     「イシュトヴァン・ケルテス」

大好きで毎日苺成分を
摂取しないと生きていけない
     「鈴木まりえ」

同じ説明調でも、
なぜか背景の物語を感じさせる。

 

艦長が自分好みの制服を
艦の資金で誂(あつら)えていた
     「セーラー服」

そんな中、白いくじらが出現し、
歓喜の声を上げる船長
     「白いくじら」

こうなると物語のほうが
前面に出てくる感じ。

 

泣き言や空想ばかりを書いている
ジャーナリストの連中が何
     「リシャルト・カプシチンスキ」

念仏で救済される喜びに
衣服もはだけ激しく踊り
     「盆踊り」

照らされて雨露(うろ)が輝く半分の
クモの巣だけが残されていた
     「くもとちゅうりっぷ」

このくらいになると、
説明文の一部、ということを忘れてしまう。

 

言葉遊びはいつでもどこでも楽しめる。

 

 

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2017年1月 8日 (日)

「消化する」とは

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「消化する」とは

- 小学生男の子の質問 -

 

年末年始の新聞を読み返していたら、
こんな記事が目に留まった。

生物学者の福岡伸一さんが
書いていたコラム。

旧年からの記事で恐縮だが、
紹介させていただきたい。

 福岡伸一の動的平衡
 他の生物を「消化する」とは

A161229fukuoka

(以下水色部、2016年12月29日の
 朝日新聞の記事から引用)

 お正月のおせち料理やお雑煮は
しっかりかんで食べましょう。
消化がよくなるように。

消化とは、食べ物を細かくして栄養を
取り込みやすくする作業だと
思っていませんか。

実は、消化のほんとうの意味
もっと別のところにあるんです。

「消化のほんとうに意味」とは
いったい何だろう。

 食べ物は、動物性でも植物性でも
そもそもは他の生物の一部。

そこには元の持ち主の遺伝情報が
しっかりと書き込まれている。

遺伝情報はたんばく質の
アミノ酸配列として表現される。

アミノ酸はアルファベット、
たんばく質は文章にあたる


他人の文章が
いきなり私の身体に入ってくると、
情報が衝突し、干渉を起こす。
これがアレルギー反応や拒絶反応。

 それゆえ、
元の持ち主の文章をいったん
バラバラのアルファベットに分解
し、
意味を消すことが必要となる。

福岡さんらしい、
実にわかりやすいたとえだ。

 他人(他の生物)の
 文章(たんぱく質)は、
 アルファベット(アミノ酸)に
 分解する必要がある。

その上でアルファベットをつむぎ直して
自分の身体の文章を再構築
する。
これが生きているということ。

つまり消化の本質は
情報の解体
にある。

他人の文章をアルファベットに分解し、
そのアルファベットを使って、
自分の文章を作ることが、
生きるということ。

 

 食用のコラーゲンは魚や牛のたんばく質。
食べれば消化されてアミノ酸になる。

一方、体内で必要なコラーゲンは
どんな食材由来のアミノ酸からでも
合成できる


だからコラーゲンを食べれば、
お肌がつやつやになると思っている人は、
ちょっとご注意あれ。

それは、他人の毛を食べれば、
髪が増えると思うに等しい

どんなにいいたんぱく質でも
食物として摂取する限り
それがそのまま自分の体の一部、
つまり自分の体を構成するたんぱく質に
なるわけではない。

一度はアミノ酸にまで分解し、
それを原料に、
自分自身のたんぱく質を作らないと
自分の体の一部にはならないわけだ。

消化は「良く噛む」といった程度の
小ささではなく、
まさに食物をアミノ酸レベルにまで
「小さく小さくする分解作業」なのだ。

 

この記事を読んでいたら学生時代の
ある景色が急に甦ってきた。

私は、理系学部の学生だったこともあり、
学生時代、
数学や理科の家庭教師をよくしていた。
小学生から高校生まで、
ずいぶんいろいろな生徒さんに
巡り合った。

ある時期、
小学校高学年の男の子ばかり5人、
グループ学習という形で、
理科を教えていたことがある。

ちょうど「消化」について
教えている時だった。

福岡さんのような
上手なたとえはできなかったし、
小学生にアミノ酸についてまでは
教えなかったと思うが、
とにかく、「消化とは」
口から胃、腸に移動する過程における
食物を小さく小さくする分解作業
だということは強調した。

たしか「唾液」の作用くらいまでは、
教科書でも触れられていた気がする。

ひととおりの説明を終えたあと、
最後に「ハイ、質問は?」と聞くと、
ひとりが手を挙げた。

「先生! 食物は、
 小さくしないと体に吸収できない。

 だから、消化は
 小さく小さくする作業だ、は
 よくわかりました。

 でもぉ・・・

 だったら、最後はどうして
 あんなにデカいのですか?


小学生の男の子5人、
爆笑の渦はよく覚えているが、
どう回答したかは全く覚えていない。

 

 

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2016年11月20日 (日)

「人生、宇宙、すべての答え」

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「人生、宇宙、すべての答え」

- 映画「銀河ヒッチハイク・ガイド」 -

 

「宇宙」という言葉関連で
音楽に関するコレと、
小説に関するコレを書いたが、
映画についてもひとつ書いておきたい。

「宇宙」と聞くと最初に浮かぶ
「2001年宇宙の旅」についても
書きたいことはいろいろあるのだが、
今日紹介するのは、

「銀河ヒッチハイク・ガイド」

ガース・ジェニングス監督による
2005年の映画だ。

とにかく奇想天外なSFコメディで、
内容を要領よく紹介すること自体むつかしいのだが、
イギリス的な笑いが好きな人には絶対にお薦めだ。

(以下水色部、DVD版 日本語字幕から)

イルカは昔から地球の破滅を知っていた
彼らは人間に警告したが-
いつも誤解された

ボールを突くのはエサのためだと・・・

で映画は始まる。

イルカが宙返りやジャンプをしていたのは、
実は芸ではなく、
人間に対してある警告を発するためだった。

おろかな人間はそれを理解できず、
芸と勘違いしてえさをやっていた、
というのだ。

その後も、宇宙を舞台に
壮大なテーマが次々と飛び出すのだが、
どれもシュールな笑いをともなっていて
目が離せない。

 

例えば「拷問」のシーン。

縛り付けられて、
「下手な詩の朗読を聞かされる」が
この映画での「拷問」。
イギリス人には、
日本人以上にウケていることだろう。

 

そんな中、特に有名なのが、
ある「問い」とその「答え」。

究極の問い 

”生命 宇宙 そのすべて”

答えが知りたいのです
明快な答えが

問われたスーパーコンピュータ、
ディープ・ソートは750万年かけて計算し
答えを導きだす。

究極の問いに答えます

”生命 宇宙 そのすべて”の答え

それは・・・
”42”です

この部分、原文では
 the Answer to the Ultimate Question of
 Life, the Universe, and Everything
となっている。
「生命、宇宙、そして万物についての」
 究極の疑問への解答。

それがただの42?
いったいどういう意味なのだろう。

ちなみに、Googleに
「人生、宇宙、すべての答え」と問いかけてみよう。

スーパーコンピュータで750万年かかった計算を、
Googleならあっと言う間にしてくれる(!?)。

答えはもちろん・・。

さすがGoogle。よくわかっていらっしゃる。

 

痛烈な文明批判とパロディを交えて
話はテンポよく展開していく。

なんという発想力。なんという構成力。

宇宙にバイパスを作るのに地球が邪魔だの、
地球全体のバックアップだの、
話は大きいのに、笑いは細かいし、
とにかく突っ込みどころ満載。

キャラクタの着ぐるみの暖かさも
CGとは違って味があってすごくいい。

だれにでもお薦め、というわけではないが、
個人的には、繰り返し観て
見落としていた部分をいろいろ発見したくなる
傑作だと思っている。

ドタバタコメディとは違った
笑いながら頭が疲れる快感、を楽しめる一本だ。

 

 

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2016年11月13日 (日)

学ぶことの美しさと強さ

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学ぶことの美しさと強さ

- 「蒼穹の昴」の名シーン -

 

前々回、「宇宙」のことを少し紹介した。

『淮南子(えなんじ)』には
「往古来今これを宙といい、
 四方上下これを宇という」
とある。

つまり、
「宇」は空間を、
「宙」は時間を 意味しており、

宇宙ということばには、
空間と時間という
ふたつの概念が含まれている
、という話だった。

「宇宙」の文字を見て、
ある小説の一シーンを思い出した。

 

浅田次郎著「蒼穹の昴」講談社
(文庫版の第一巻と、単行本の上巻へのリンク)

「語ったものが物語になるのではない,
 ものを語るから物語なのだ」

と言っていたのは、
確か作家の池澤夏樹さんだったと思うが、
この小説、フィクションながら
まさにすでにあったものを語っているような
「これぞ物語!」と呼びたくなる傑作だ。

清末期の中国を舞台に
目の離せない物語が展開していく。

単行本で二段組上下巻、
その後文庫になっても4巻組という長編だが、
読み始めたら長さは全く感じない。

ほんとうにすばらしい小説だ。

もちろん、大きなテーマもおもしろいのだが、
小さなエピソードも光っている。

その中に、
「宇宙」が登場する印象深いエピソードがある。
今日はその部分を紹介したい。
(以下水色部、本からの引用)

 

謀反を企てた超エリート「王逸」は
失敗して囚われの身となっていた。

財産も地位もすべてを失い、
独房でただ処刑だけを待つ日々。

そんな絶望的な虜囚(りょしゅう)の
食事や身の回りの世話をしてくれたのは、
「小梅」という
耳の不自由な12,3歳の村娘だった。

 何日かに一度、小梅は
鍵束を持った老頭児の憲兵とともにやって来て、
房内の掃除をしてくれた。
日なたの匂いのする清潔な衣服に着替えさせ、
糞瓶も洗ってくれるのだった。

 与える物の何もないことが申しわけなくて
王逸は小さな掌を握った。

すると小梅は、
まったくもったいないというふうに
体を硬くするのだった。

 与える物があることに気付いたのは、
いつのことだったろう。

すべてを奪われた王逸には、
たったひとつだけ、
誰にも奪うことのできぬ財産があったのだ

科挙合格を目指して、
まさに死にもの狂いで勉強をしてきた日々。
自分には学問がある。

そう気づいた彼は、
小梅にこっそり文字や詩を教え始めるのだった。

 食事をおえると、
二人は檻を挟んで箸を一本ずつ分かち合う

「さあ、書いてごらん」

 ゆっくりと噛んで含めるように言うと、
小梅はカいっぱい肯いて箸を動かした。

湿った土に「可」「知」「礼」「也」と、
たどたどしい文字を書く。

・・・(略)

「よろしい。じゃあ、
 今までのおさらいを、しよう。
 いいかね、初めから、書いてごらん」

 聞き終らぬうちに小梅は、
食事のたびにひとつずつ覚えた
二十五字の簡単な文字を、
箸の先で書き始めた。

筆順を違(たが)えているものは多いが、
王逸はとがめたりはしない。

わずかな日々のうちに、
音を知らぬ少女は
正確な二十五の文字を覚えた

鉄格子を挟んでの、
土間をノートにした小さな小さな授業。

  土間に書きつらねた
最後の一行を箸の先で示して、
王逸はゆっくりと唇を動かした。

「意味は、わかるかね。

  よ じん な      べ なり
 『佳く仁を 作せ、礼を知る可き也 』」

小梅は何度も肯いた。
両手を胸にあてておそらく「仁」を表現し、
片膝を立てて「礼」を尽くすそぶりをした。

 どうしてわかるのだろう。

音もなく、文字も知らずに育った小梅は
「仁」を知っている。

 掌で土間の文字をあわただしく消すと、
小梅は小さな獣のようにうめきながら、
王逸の手にした箸を指さした。

続きをせがんでいる

学ぶことの楽しさとすばらしさに目覚めた小梅。
この二人の、
勉強のシーンの美しいこと、美しいこと。

学びたくてしょうがないという小梅の衝動が痛い。

あぁ、勉強するって、学ぶことって、
本来はこんなにすばらしいことなんだ、
と思わず声に出してしまいたくなるほど。

 

「可知礼也」を覚えた小梅が次に覚えるもの。
それが・・・

 初めて筆を執った子供は、
まず「上大人」に始まり、
「可知礼也」を以て終る二十五字の
単純な文字を習得する。

科挙のきわみに通じる文字の洪水の中に、
そうして舟を漕ぎ出して行く。

次に与えられる手本は、
四字二百五十句からなる「千字文」である。

子供らは長い時間をかけて、
ひとつの重複もないその壮大な韻文を覚える。

「天」と冒頭の一字を書いて、
王逸は少しためらった。

小梅に千字文を教えるだけの命は、
自分に残されてはいまい


 王逸と小梅は鉄格子を挟んで、
まるで手習いをする教師と生徒のように
膝を並べた。

 天地玄黄
   天は玄(くろ)く  地は黄いろ

 宇宙洪荒
   宇宙は洪(ひろ)く 荒(はて)しない


 小梅は目を輝かせて、
急に難しくなった文字を懸命に真似た。

王逸は、小梅の黒髪などを指しながら、
身振り、手振りで、
天地玄(黒)黄を必死で説明していく。

ところが・・・

 しかし- 
「宇宙」を説明することは
どうしてもできなかった

それは「空」でも「天」でもなかった。

自分たちを今、包摂する巨大な空間。
無限の概念。

身ぶり手ぶりで王逸がどう説明しようと、
小梅か考えつくものは、
広漠たる河北の大地でしかなかった。

 どうすればこの貧しい少女に
宇宙のありようを、曠野の地平の先に
豊饒な海や草原や都市のあることを、
悟らせることができるのだろう。

小梅は世界が、
泥濘(でいねい)と黄砂と氷とででき上がった、
不毛の大地でしかないと思いこんでいる。

 虚しい努力を繰り返しながら、
結局この娘は神の与え給うた
美しい自然のありようすら知らぬのだと
思いついたとき、王逸の胸は
やり場のない悲しみでいっぱいになった。

 

宇宙の説明はできなかったが、
王逸は最大限のメッセージを小梅に送った。

「対不起・・・すまない、小梅。
 この字はとても難しいんだ。
 君に、伝えることは、できない」

 小梅は悲しい瞳で、
意味不明の「宇宙」を見つめ続けていた。

・・・(略)

「わからなくてもいい。
 帰って、おさらいをしなさい。

 宇宙は洪(ひろ)く、荒(はて)しない。

 君は希望に満ちた宇宙の中に
 生きているんだ


 いいかね、小梅 - 」

 王逸は立ち上がって、両手を広げ、
大気を胸いっぱいに呼吸するそぶりをした


うちひしがれた小梅の肩を抱く。

夢。希望。永遠。
 君の不幸は、洪荒たる大宇宙の中の、
 ほんのささいな、
 とるに足らぬ悲しみにすぎない

 わかってくれ、小梅」

 小海は目に涙すらうかべて顎を横に振り、
声もなくうなだれて去って行った。

 天地玄黄 宇宙洪荒

 王逸はその夜、
祈るように千字文の冒頭の句を、
土間になぞり続けた。

 

充分な説明ができなったにもかかわらず、
翌日、小梅はこんな言葉を口にした。

牢の外に屈(かが)みこみ、
王逸を手招いて土に字を書く。

「宇宙」と、
おそらく読み方も知らぬ字を、
小梅は正確に書いてにこりと笑った。

「先生・・・我・知・道・了。
 あたし、これ、わかったよ

 荷物を鉄格子の中に押しこむと、
小梅は立ち上がって、
きのう王逸がそうしたように
両手を天に向かって上げ、
大気を胸いっぱいに呼吸するそぶりをした。

「全部のことね。ずうっと、ずうっと」


 王逸は肯いて、
まさしく宇宙の一点に立ち上がった
少女の体を見上げた。

小梅はまる一晩、
「宇宙」の文字を書き続けたに違いなかった。
表情は希望に溢れていた。

「そうだよ、小梅
 ・・・宇宙は広く果てしない。
 君は、無限の宇宙の中にいる」

「宇宙がわかった」と言った小梅は、
このあと、思ってもみなかったような、
とんでもない行動に出る。

・・・ここにいたら君は殺される」

(略)・・・をしたことが知れれば、
家族まで皆殺しになる。

いきり立つ兵士たちにとって、
農民の命など虫けらと同じだ。

賢い小梅がこの先、
自分と自分の家族にふりかかる
確実な運命を知らぬはずはなかった。

戸惑い、驚きながらも、
その行動を止めきれぬ王逸。

自分の命を、一族の命を賭して、
小梅は叫ぶ。

「宇・宙! あたしのもの! 
 ずうっと、ずうっと!」

 いま生れ落ちた赤児のように、
小梅ははろばろと瞳をめぐらせた。

小梅の行動により、
「独房でただ処刑だけを待つ日々」が
大きく動き出す。

浅田さんは、節の最後を
こんな疑問文で締めている。

少女が命とひきかえたもの、
それは何だろう -。

ところが、
そこまでを読んでいる読者のほうには、
「それは何か」が痛いほど伝わってくる。

命を賭けて、一族の命を賭けて
なぜ彼女がそんなことをしたのか、
美しい勉強のシーンと共に、
ぜひ原文で味わっていただきたい。

 

 

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2016年10月16日 (日)

ゲレンデがとけるほど

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ゲレンデがとけるほど

- 誤変換の笑い -

 

前回
「大隅良典氏 ノーベル賞!」の朗報を受けて、
新聞6紙の読み比べをしてみたが、
読売新聞のコラム「編集手帳」は
こんな書き出しでノーベル賞の話に繋げていた。

以下水色部、
読売新聞 2016年10月4日「編集手帳」からの引用

パソコンで、
「うまくいかない画像サイズになった」
と書いたつもりが、画面には
馬食い家内が象サイズになった」。

以前、日本漢字能力検定協会が募った
漢字変換ミスで年間賞に選ばれている

◆食欲の秋を迎えるたび、
わが太鼓腹をなでてはこの″珍文″を思い出す。

不要な肉である。
人間は細胞のかたまりなのに、
細胞ほどは賢くないらしい。

朗報に万歳をしたあとで、
およそ学術的でない感慨に浸っている

◆東京工業大学の
大隅良典栄誉教授(71)が、
「オートファジー」という生命現象の研究で
今年のノーベル生理学・医学贅に選ばれた

(ずいぶん無理やりな話の展開だなぁ、はともかく)
「馬食い家内」が年間賞に選ばれたのは2008年。
久しぶりに聞いた「誤変換」の話題に、
いろいろな思い出が蘇ってきた。

インターネットが登場するよりもずっと前、
ワープロが元気だったころ、
「披露宴の新郎新婦」と書こうとして
「疲労宴の心労神父」が出てきたときは、
おもわず映画の一シーンを見ているような
気分になったし。

 

変換ミスについては、いまから20年ほど前
まさに誤変換を集めた「誤変換の宴」なる
楽しいテキストのページがあった。

最近の「かな漢字変換」は
ほんとうに優秀になったので
突拍子もない変換に「えっ!」と思うことは
ずいぶん減ってしまったが、
当時はまだまだ「誤変換」は
よく笑い話のネタになっていた。

ピーヒョロヒョロのモデムで
インターネットに接続していたころの話だ。

古いメモをひっくり返して
傑作誤変換をいくつか紹介したい。

 

情報誌捨て無学   <情報システム学>

とちり養成策    <土地利用政策>

金が新年      <謹賀新年>

などは、ちょっと理屈っぽくて
よくできてはいる(!?)けれど笑えない。

 

ホームページ行進  <ホームページ更新>

死後塗料      <仕事量>

最近平気      <細菌兵器>

ゴキブリ胎児    <ゴキブリ退治>

猫を解体!     <猫を飼いたい!>

歯医者は猿のみ   <敗者は去るのみ>

あびせ下痢     <あびせ蹴り>

妻子アルミですから <妻子ある身ですから>

蕎麦に入れ歯    <そばにいれば>

アメリカ製カツ   <アメリカ生活>

などは、ストレートでかつシンプルで、
ギャップがあって私好み。

まぁ、〇〇ネタがらみもはずせない(!?)でしょう。

お口恥部     <奥秩父>

女子行為室    <女子更衣室>

今夜俺求めてくれる?
         <今夜俺も泊めてくれる?>

こんな子としてて良いのか 
         <こんな事してていいのか>

 

いろいろあっても、個人的誤変換No.1はやはりコレ!

ゲレンデがとけるほど濃い死体 
         <ゲレンデがとけるほど恋したい>

失礼しました。

 

 

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