旅行・地域

2019年9月15日 (日)

伊勢神宮 外宮と内宮

(全体の目次はこちら



伊勢神宮 外宮と内宮

- なにごとのおはしますかは知らねども -

 

以前
2019年5月にお参りした
出雲大社のことをブログに書いたが、
それからわずか2ヶ月半後の7月、
縁あって伊勢神宮のほうにも
お参りに行ってきた。

同じ年に、出雲大社と伊勢神宮。

今年は最強の年(!?)になるかもしれない。

 

2013年、
60年に一度の大遷宮を迎えた出雲大社。
同じ2013年に
20年に一度の式年遷宮を迎えた伊勢神宮。

伊勢神宮の20年毎の式年遷宮は
62回、1300年も続いているという。

宮地(みやどころ)を改め、
社殿や神宝をはじめ全てを新しくして、
大御神に新宮(にいみや)へ
お遷(うつ)りいただく
式年遷宮を6年前に終えた外宮と内宮、
その両方に参拝してきた。

なお、通称「伊勢神宮」と呼ばれる
「神宮」は、正確に言うと
外宮、内宮を中心とした
14所の別宮(べつぐう)
43所の摂社(せっしゃ)
24所の末社(まっしゃ)
42所の所管社(しょかんしゃ)
これら125の宮社の総称らしい。

今回お参りしたのは外宮と内宮。
様子を少しお伝えしたい。

まずは外宮から。

【外宮(げくう)】

P7143606s

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)

天照大神(あまてらすおおみかみ)の
食事を司る神
豊受大神(とようけのおおかみ)を
祀っている。

内宮創建から500年後に
山田原(やまだのはら)に迎えられた。
衣食住をはじめ
あらゆる産業の守り神

P7143607s

これからお参りに行く人も、
お参りして出てくる人も、
多くの人が各鳥居で立ち止まり
丁寧に頭を下げて通過していく。

そういう些細な所作が、
境内の、つまり神宮の内と外とを
分ける空気を作り出している。

P7143609s

外宮に入ると、と言うか
外宮の森に包まれると、
ちょっと不思議な
あえて言葉で言うと「気」みたいなものを
明らかに感じる。

P7143611s

それは神宮のパワーというよりも
神宮によって守られた
森が持つパワーと言う方が
個人的にはぴったりする。

P7143613s

とにかく森が豊かだ。

神宮の社殿は、それぞれ東と西に
同じ広さの御敷地(みしきち)を持ち
式年遷宮に備えている。

正宮(しょうぐう)は写真が撮れないので、
式年遷宮後の
となりの古殿地(こでんち)のみ。

P7143616s

 

パワースポットとして
知られている「三ツ石」

P7143617s

正式には
「川原祓所」(かわらはらいしょ)
と呼ばれる場所。

しめ縄が張られていて
直接触れることはできないが、
しめ縄の外から、
ストーブにあたるがごとく
みな手をかざしている。

「温かくなる気がする」
とか
「パワーを感じる」
とか
皆いろいろ言い合っていたが、
私自身は、最初に書いた通り
外宮全体の森の気みたいなものを
すでに強く感じていたので、
小さな石のパワーには
あまり興味が持てなかった。

 

正宮だけでなく、各社殿それぞれに、
式年遷宮のための御敷地(みしきち)が
隣に並んで確保されているのは
興味深い。

風宮(かぜのみや)と御敷地

P7143627s

 

土宮(つちのみや)と御敷地

P7143626s

 

多賀宮(たがのみや)と御敷地

P7143631s

 

多賀宮(たがのみや)へ上る階段も
緑豊かだ。

P7143629s

 

森の気(!?)に引き込まれるように
少しゆっくり奥へと歩いたが、
観光のメインコースから外れると、
人もまばらになり、
さらに深く森を楽しむことができる。

P7143655s

 

奥の小さなお社にも、遷宮用の御敷地は
ちゃんと確保されている。
空いている側は、東西というか左右で
揃っているわけでなく、
お社によりバラバラだ。

P7143647s
P7143642s

外宮の参拝を終え、内宮に向かった。
路線バスで20分強の移動。

 

【内宮(ないくう)】
皇大神宮(こうたいじんぐう)
皇室のご祖神
天照大神(あまてらすおおみかみ)を
おまつりしている。

五十鈴川(いすずがわ)に架かる
宇治橋(うじばし:長さ102m)を渡り
内宮に向かう。
両端の鳥居は、両正宮の旧正殿
棟持柱(むなもちばしら)を
リサイクルしているという。

P7153709s



神苑(しんえん)を歩く。

P7153710s



手水舎(てみずしゃ)にて
参拝前に心身を清め、
正宮(しょうぐう)に向かう。

こちらも写真が撮れるのはこの位置まで。

P7153713s

 

平安末期の歌人・西行は
伊勢神宮にお参りして、

 なにごとのおはしますかは知らねども
 かたじけなさに涙こぼるる


と詠んだという。

何度も書いた通り、外宮も内宮も
とにかくお社を包む森がすばらしい。

華美な部分はないが、
繰り返される日々の営みに支えられた
圧倒的とも言える時の流れ、歴史、
それらを静かに包み込んでいる
深い深い森の生命力、
そういうものを
「なにごと」かはわからなくても
まさに全身で感じることできるのが、
お伊勢参りの魅力なのかもしれない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年9月 8日 (日)

「ウィーン・モダン」展

(全体の目次はこちら


「ウィーン・モダン」展

- 作品とその時代を同時に体験 -

 

日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン
クリムト、シーレ 世紀末への道


という企画展が、
東京六本木の国立新美術館で
開催されていた。
(2019年4月24日~8月5日)

Viennamodern1

工夫を凝らしたいい企画展だったため
本ブログで紹介できれば、
と思っていたのだが、
モタモタしているうちに気がつくと
閉幕日を過ぎてしまっていた。

ありゃ、ありゃ、これから書いても
単なる日記にしかならないか。

そう思っていたら、偶然
ラジオから
「8月末から大阪にて公開中」
なる情報が流れてきた。

慌てて調べてみると、東京に続いて

【大阪展】
2019年8月27日~12月8日 
国立国際美術館


が開催されているらしい。

だったら、日記のようなメモでも
「これから行こうか?」と
迷っている人に
多少は参考になるかもしれない。

 

本企画展、
会場を事実上一方通行にすることで
18世紀から20世紀までのウィーンを
時間順に、文化とともに歩めるような
演出になっている。

単に絵画を並べた展覧会ではなく、
作品をその時代の社会的背景とともに
体験できる点に大きな特徴がある。

なお、大阪展は、
若干出展数が減ってしまっているようで、
「東京展と全く同じ」
というわけではないようだ。
本記事は、あくまでも
東京展を観ての感想なので、
その点はご承知おき下さい。

 

まず、全体構成。
(1)「啓蒙主義時代のウィーン」
(2)「ビーダーマイアー時代のウィーン」

(3)「リンク通りとウィーン」
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」
の4部構成となっており、
時代の流れに沿って
各文化を楽しめるようになっている。


18世紀の女帝マリア・テレジアの
肖像画から展示は始まっているが、
マリア・テレジアの時代に始まった
啓蒙思想が
 フランス革命 (1789-1799)
 ウィーン会議 (1814-1815)
を通して
ビーダーマイアー時代へと
繋がっていく様子が前半。

(3)「リンク通りとウィーン」
のセクションでは、
ここに書いた話を
ショートフィルムも交えて
写真と絵画で
より詳しく知ることができる。

1857年に長い間ウィーンを囲っていた
市壁の取り壊しが決定。
その跡地がリンク通りとなり
沿道には国会議事堂、歌劇場など
特徴ある建物が次々と造られていく。
一気に都市部が広がり始めるウィーン。

 ウィーン万国博覧会 (1873)
 皇帝の銀婚式祝賀パレード (1879)

といった大きなイベントを
ハンス・マカルトをはじめ
多くの画家が作品に残している。

そういった、歴史の流れを
十分実感させた上で、
最後のセクション
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」へと
繋がっていく。

19世紀末から20世紀にかけて、
都市機能がさらに充実していくウィーン。

鉄道を始め、都市デザインに貢献した
建築家オットー・ヴァーグナーの業績も
いくつもの模型を交えて展示してある。
ウィーン旅行記で記事にした
カールスプラッツ駅舎も彼の作品だ。

芸術の分野では、
画家グスタフ・クリムトらが中心となって
ウィーン分離派」が結成される。

多くの絵画の展示がある中、
どういう理由かよくわからないが
クリムトが最愛の女性を描いたとされる
1902年の作品
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
のみ写真撮影が許可されていた。

Viennamodern4

フレーゲの姉とクリムトの弟が
結婚したこと、
つまり義理の兄妹の関係になったことが
ふたりが知り合った
きっかけだったようだが、
ふたりは結婚はしなかったものの、
まさに死ぬまで生涯のパートナーとして
すごしたらしい。

とにかく色が美しく、
まさに本物を観る価値がある。

Viennamodern5

 

展覧会パンフレットの
裏表紙に使われている
エゴン・シーレ の「自画像」

Viennamodern2

は、ほぼ等身大の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
とは対照的に、30cm四方程度の
思ったより小さな作品だった。
エロティックなデッサンも含め、
多くの分離派の作品を堪能できる。

 

魅力的な絵画が並ぶ中
個人的に特に強く印象に残ったのは
ウィーン分離派が
分離派の展覧会のために作った
ポスター群だった。

展覧会ごとに
作家が順番に担当したらしいが、
どれも全体のデザインはもちろん
文字、つまり字体も美しく
一枚、一枚、実にユニーク。

新しいものを生み出していこうという
ある種の勢いみたいなものが
ヒシヒシと伝わってくる。

残念ながら写真は撮れなかったので
パンフレットの中の写真を
2枚だけ貼っておきたい。

Viennamodern3

ポスターなので
素材はもちろん紙なのだが、
どれも保存状態がよく
ほとんどシミがないのにも驚いた。
どうやって保存していたのだろう?

 

ここから42回にも渡って
旅行記を書き続けたように、
ウィーンは2年前の旅行で
個人的に満喫した都市のひとつだ。

なので、「行ったからこそ」、
「その後、詳しく調べたからこそ」、
楽しめた部分は確かにある。
一緒に行った妻も同意見だ。

しかし、仮にウィーンに
一度も行ったことがなかったとしても、
時代の流れを感じながら
作品を楽しむことは十分にできたと思う。

作品とその背景となる歴史や社会を
じょうずに結びつけた
工夫に満ちた展覧会だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年8月18日 (日)

古代出雲 歴史博物館

(全体の目次はこちら


古代出雲 歴史博物館

- 高さ48mの本殿は? -

 

出雲大社にお参りしたあとは
島根県立 古代出雲 歴史博物館
に寄ってみた。

入って最初に出迎えてくれたのは、
直径1mを越える巨大なスギが
3本一組となったコレ。
宇豆柱(うずばしら)

Img_4355s

これは出雲大社の八足門前、
下記写真の右下足元、赤丸の位置から
平成12年(2000年)に発掘された
巨大な柱の一部だ。
鎌倉時代のものと推定されている。

Img_4325s

 

出雲大社の本殿の高さは、
現在8丈(24m)だが、
「古代は16丈(48m)あった」という
言い伝えが残されている。

しかし、そんな巨大な建物を
当時の技術で建てることができたのか、
疑問の声も多かった。

そんな中、こんな巨大な柱の跡が
3箇所でみつかった。
しかもそれは古い平面図に描かれていた
位置通りの場所だったのだ。

この柱の発見により、
高さ48mの本殿の現実味
が一気に高まった。
巨大柱が支えた
鎌倉時代前半(1248年造営)の神殿は
どのような姿だったのだろうか?

博物館には、6種類の
復元案に基づく模型が展示してある。

本殿 復元案1

Img_4358s_1

一番インパクトがある巨大模型。
階段を歩く二人(白い点)にご注目。

高さ16丈の言い伝えは古くからあるため、
出雲大社本殿建築の復元研究と
その高さをめぐる論争は
すでに100年にもおよぶという。

復元案2, 復元案3, 復元案4

Img_4362s

発掘成果をもとに
限られた文献や絵画史料を駆使し、
上屋(うわや)構造を推定したもの。

学者によって
ずいぶん違う案が提示されていて
おもしろい。

復元案5, 復元案6

Img_4361s

図面や文書ではなく、
こうして模型で展示してくれると
だれにでもわかりやすいうえ
あれやこれや勝手な想像も
スケール感を伴ってしやすいので
形にする意味は大きい。

6つの案の中にほんとうの姿が
あるかどうかはわからないが、
柱の跡と現存の資料から考える範囲では
どの可能性も否定はできない。

 

館内では出雲大社のほか、
「出雲国風土記の世界」と
「青銅器」
がテーマ別の常設展になっていた。

【出雲国風土記の世界】
風土記は奈良時代に
全国六十余国で作成されたが
現在残っているものは5つのみ

そのうち
「常陸国風土記」「播磨国風土記」
は一部が欠落。
「豊後国風土記」「肥前国風土記」
は元の形から文章が省略されている、と
考えられているらしい。

つまり、現存する5つの風土記の中で、
ほぼ完全な形で伝わっているのは
「出雲国風土記」だけ


その風土記に基づいて
古代の地域の様子を
「くらし」の様子を
様々な角度から展示している。

 

【青銅器と大刀】
荒神谷(こうじんだに)遺跡から
358本の銅剣、
16本の銅矛、
6個の銅鐸が出土。

加茂岩倉遺跡から
39個の銅鐸が出土。

大量に出土した弥生時代の青銅器、
古墳時代の金銀の大刀
などが見やすく展示してある。

特に銅鐸。
こんなに多くの銅鐸は初めて見た。

Img_4380s

整然と並べられた銅剣、銅矛も圧巻だ。

Img_4379s

 

他にも
島根の歴史と文化を特徴づける
「四隅突出型墳丘墓」
「出雲の玉作」
「石見銀山」
「たたら製鉄」
を中心に、古代から現代に至る
島根の人々の生活と交流の歴史を
紹介している総合展示室もある。
どの展示・説明もわかりやすく、
見やすく、見どころ満載。

出雲大社にお参りした折には、
ぜひ立ち寄ってみてほしい。
お薦めだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年8月11日 (日)

出雲大社

(全体の目次はこちら


出雲大社

- ぜんざいは神在(じんざい)? -

 

島根・鳥取方面への旅行、
最終日は、出雲大社にお参りした。

勢溜(せいだまり)の大鳥居から
松の参道と呼ばれる参道を
ゆるやかに上っていく。

Img_4306s

(写真はすべてiPadにて撮影)

ふと前方の鳥居を見ると、
そこから先、参道から人が消えている。
どうして?

Img_4308s

ここまで真ん中を歩いて来た人たちは
この鳥居から先、鳥居の両脇の道に
進路を変えているのだ。

神様の集まる出雲大社のこと、
「真ん中は神様の通る道で
 人はその両脇を歩く」
なる話も聞いたことがあったので、
「もしかしたら、このこと?」
と思いながら近づいていった。

鳥居の下まで来ると、
何か書いてある。
いったい、何が書いてあるのだろう?

Img_4309s

「松の根の保護のため
 参道左右をお進み下さい」

なんだ、松の養生のためか。
なぜかガッカリ。

脇の参道を歩くことになったが、
参道からちょっと右に目を遣ると
山の緑がほんとうに美しい。

Img_4311s

 

「ムスビの御神像」と呼ばれる像。

Img_4312s

立派な像ではあるが、
なぜか「気恥ずかしい」。

Img_4314s

 

「御自愛の御神像」

Img_4315s

因幡の白ウサギの話って、
子どものころ絵本で読んだ記憶しかない。

絵本で語られる物語というのは、
多くの子どもに知ってもらえるという
大きなメリットがある反面、
それだけで知った気になってしまう
そういう子どもを大量に生産してしまう
ある種の不幸を背負っている気がする。

「大人になってからちゃんと知ろう」
をサボっている自分の怠惰を棚に上げての
勝手な思い込みではあるが、
小学生のころ読んだ
「こども**全集」に入っていた話を
大人になってから「原作」で読んでみると、
その印象のあまりの落差に
驚くことはよくある。

絵本で知った、ならなおさらだ。

 

「拝殿」まで来た。

Img_4319s

出雲大社独特の
「2礼4拍手1礼」でお参りする。

左奥に本殿、右に拝殿

Img_4322s

 

境内を右回りに、大きく歩く。

左に八足門、右に観祭楼

Img_4324s

八足門

Img_4325s

右下の足元、赤い丸については
のちほど見学する歴史博物館で
驚きの事実を知ることになる。

 

御本殿西側

Img_4326s

西側から臨む御本殿

Img_4328s

 

素鵞社(そがのやしろ)
Img_4330s

境内の一番うしろ、
もっとも奥まったところにある。
大国主大神の父神とされる
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る社
御本殿を背後から見守るかのような
位置にある。

Img_4331s

 

真後ろから見る御本殿

Img_4333s

物理的な距離という意味では、
この真後ろが一番近いかもしれない。

東側から臨む、右が御本殿

Img_4338s

左から御本殿、御向社、天前社

Img_4342s

東十九社

Img_4344s

旧暦10月の神在月(かみありづき)の際
全国から訪れる神々の宿舎
西十九社として西側にもある。

御本殿を一周、拝殿に戻ってきた。

Img_4345s

 

お参りした後は、名物のコレを。

出雲割子そば

Img_4346s

蕎麦の実を皮つきのまま製粉するため
色は黒っぽくいが、香りもよく、
お参りで歩いて
ちょっとすいたお腹にピッタリ。

食事のあとはデザート代わりに
別なお店で「ぜんざい」を。

Img_4349s

このぜんざい、「縁結び」にからめて
なんと結んだ「蕎麦」が入っている。

Img_4352s

そもそも
「ぜんざい」の発祥はこの地だとか。

出雲では神在祭の時に
神在餅(じんざいもち)をふるまっていた。
「祇園物語」には
「赤豆を煮て汁を多くし、
 少し餅を入れ」とある。

この「じんざい」が
出雲弁でなまって「ぜんざい」となり、
京都に伝わったとのこと。

元は、神在(じんざい)か。

旅行最後に立ち寄った
島根県立古代出雲歴史博物館
の話は次回に。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

2019年8月 4日 (日)

国宝「松江城」

(全体の目次はこちら


国宝「松江城」

- 2階ごとの通し柱と包板(つつみいた) -

 

前回に引き続き、
松江旅行記を続けたい。

「カラコロ広場乗船場」から
堀川めぐりの船に乗り込んだ我々は
橋や石垣を船から楽しみながら、
「大手前広場乗船場」まで来た。

Img_4211s

(写真はすべてiPadで撮影)

ここで降りて、
松江城を見学することにする。
松江城は、現存する12天守のひとつ。
1935年に国宝に指定されたものの
1950年に重要文化財に。
2015年に国宝に再指定
というちょっとかわった経歴を持つ。

【松江城】
入るとまず、
大手門跡からの石垣に圧倒される。

Img_4214s

子どもではあるが
人と一緒に写真を撮ると、
石垣の高さがよく分かる。

Img_4215s

石垣積は、築城工事にあたって、
全体の半分以上の労力を要した大事業。

築成には遠く大津市坂本町穴太の
穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる
優れた技能を持った
石垣築成集団が招かれて
その任にあたったという。

Img_4221s

自然石や割石を積む「野面積」や
石切り場で切り出した石の、
平坦な面の角を加工し、
合わせやすくした「打ち込み接(はぎ)
といった様々な積み方を
実際に目にすることができる。

Img_4237s

 

訪問は5月4日、城内ではちょうど
ヒトツバタゴ(一つ葉田子)
通称ナンジャモンジャの木の花が満開で
多くの人がカメラを向けていた。

Img_4218s

ナンジャモンジャという名前には
きっとおもしろい由来があるに違いない、と
ちょっとググってみたのだが、
諸説出てくるものの
改めてここに書くようなネタは
見つからなかった。残念。

 

城の前まで来ると、
鎧を纏った武士の格好をした人が。

Img_4222s

城を背景に、
武士を囲んで写真撮影をする観光客、
特に外国人の方が多く、
各グループにひっぱりダコ。
忙しくても笑顔を絶やさない
にこやかな対応はさすが。

それにしても、この城、
堂々たる風格だ。

Img_4224s

さっそく中に入ってみることにした。

入って最初に目に飛び込んできたのは
「井戸」。
まさに城の中に井戸。
深さは24mもあるらしいが、
城から出ずに飲料水が得られたことは
籠城対策としても有効だったことだろう。

他にも、2015年の
国宝再指定を決定づけた「釘のあと」
木造では国内最大の鯱鉾(しゃちほこ)など
見どころはいろいろあるが、
一通り見学して、素人ながら
特に強く印象に残ったのは次の二点だった。

(1) 2階ごとの通し柱
松江城には、下から最上階までを貫く
「通し柱」がない。
1階と2階、2階と3階、というように、
「2階ごとの通し柱」を組合せて
天守を構成している。

iPadは暗いところに弱いので
写真ではちょっとわかりにくいが
写真を撮ったので貼っておきたい。

柱は、通常、こんなふうに
下の階から上の階に貫かれているのが
ふつうだ。(写真中央の柱)

Img_4226s


ところが、松江城では、
2階分の通し柱が使われているので
こんな部分がある。
中央の柱は、上の階にだけあって
下に伸びていない。

Img_4225s

ちょっと不思議な感じ。
全体の構造図で示すとこうなっている。

Toshihashira2

(登閣券を買ったときにもらった
 松江城のパンフレット掲載図。
 より詳細な資料は、松江市が
 通し柱配置図として公開している)

ちなみに、姫路城の天守には
地階から6階までを貫く柱が2本あり、
それらがまさに中心となって、
全体を支えているらしい。

なお、これら
各階の階段に「桐」の板
使っていることも、
松江城ならではの特徴のひとつ。

防火・防腐に効果があるだけでなく、
緊急時に
防衛のために階段を引き上げるとき、
軽くて引き上げやすい、
というメリットもあるのだとか。

 

(2) 包板(つつみいた)
天守を支える柱には、一面だけ、
あるいは二面、三面、四面に板を張って、
鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で
留められているものがある。

Tsutsumiita4s

これは「包板(つつみいた)」と呼ばれ、
天守にある総数308本の柱のうち
103本に施してあるという。
割れ隠しなど不良材の体裁を
整えることを目的としながらも、
補強効果も期待したものと考えられる、
との説明が出ている。

Img_4236s

現存天守では
松江城だけに見られる技法
らしいが、
数本ならともかく100本以上、
30%以上の柱が不良材ベースとは。

権威や体裁を気にする天守において
良材が調達できなかったこと、
そしてその不良材を工夫はしたにせよ
実際に使ってしまったこと、
それらにはどんな意味があるのだろうか?

 

天守閣からの眺めは抜群。
遠く、登山した大山も見える。

Img_4231s


南側には宍道湖が広がっている。

Img_4235s

明治の初め、全国の城はほとんど
取り壊される運命にあった。
ところが、松江城天守は
地元の豪農 勝部本右衛門、
旧松江藩士 高城権八ら
有志の奔走によって
山陰で唯一保存され、守られた。

今後も継続的なメンテナンスが
必須であることは間違いないが、
なんとかその姿を後世に残してもらいたい、
そう思える見応え十分の天守だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年7月28日 (日)

松江城「堀川めぐり」

(全体の目次はこちら


松江城「堀川めぐり」

- 堀から見る、橋、石垣、そして町並み -

 

島根県訪問時には松江市内に
宿をとった。

今日は、松江城の堀川めぐりを
楽しみたい。

【堀川めぐり】
松江城を囲む堀は、
一部築城(1611年)と同時に造られ、
今もそのままの姿を残している。

400年もの歴史がある。

その堀を小舟でめぐるのが
「堀川めぐり」。
一周「約3.7km」のコースを
約50分で一回りする。

途中3箇所、乗船場があるが、
一日券1500円を購入すると
丸一日、3箇所での乗り降りが自由。
まさに乗り放題で楽しめる。

Img_4205s

(写真はすべてiPadで撮影)

船は全長約8m、幅約2mの小さなもので
乗客は全員、靴を脱いで乗りこむ。

屋根の下に屈(かが)みながら進んで
直接床に座るスタイルだが、
全員が腰を下ろすと、船頭さんから
さらなる説明があった。

「堀川めぐりは、一周する間に
 17の橋をくぐります
 ところが、その内4つの橋は、
 橋げたが低く
 そのままでは、船の屋根が
 ぶつかってしまい通れない
のです。

 なので、そういった低い橋をくぐる時は、
 船の屋根を下げて通過します。

 ちょっとやってみましょう」

船頭さんがスイッチを入れると
屋根がゆっくり下がってきた。

「これでもまだ半分ですよ、
 もうひと息、頑張って下さい」

予行演習を和やかに進める
話術も巧みだ。

予習を済ませると、船は加速しながら
堀の真ん中に出ていった。

 

「カラコロ広場乗船場」を出発してから
ほどなくすると、
実際に低い橋が迫ってきた。

Img_4199s

「はい、屋根を下げますよぉ。
 気をつけて下さい」
の船頭さんの声のもと
まさに全員前屈体勢に。

Img_4200s

ごらんの通り、かなり屈(かが)む。

無事通過すると、
「困難を乗り越えた」というほど
大袈裟なことでもないのに、
乗客間にちょっとした一体感というか
なごやかな空気が
流れるような感じがするから
不思議なものだ。

ちなみに、屋根を上下に動かす
油圧シリンダーはこんな感じのもの。

Img_4204s

忘れがちだが、
屋根を下げて通過するということは、
「適正な水位が維持されている」
ということが前提になっている。

水位が上がりすぎると屋根がぶつかって
通り抜けられなくなるし、
逆に、水位が下がりすぎると
船底をこすってしまうことになるからだ。

この細かいコントロールは、
宍道湖のほとりにあるポンプ場
「松江堀川浄化ポンプ場」にて
実施されているらしい。

ポンプによる制御があってこそ、
安心して船を運航できるわけだ。

 

天守閣に一番近い、
「大手前広場乗船場」まで来た。

Img_4211s

城の石垣も
堀から眺められるのはいい。

このあと、松江城の見学に出かけたのが、
その話は次回、
回を分けて書きたいと思う。

城見学の後、残りのコースに乗るために
「大手前広場乗船場」から再度乗船。

城の北側
【塩見縄手(しおみなわて)】
と呼ばれるエリアの前をゆく。
Img_4238s

江戸の町並みが残っている。

Img_4241s

船からの眺めもいいが、
降りてちょっと歩いてみることにした。
3番目の乗船場「ふれあい広場乗船場」
で降りて塩見縄手の方へ向かう。

Img_4242s

 

小泉八雲記念館

Img_4244s

 

小泉八雲旧居

Img_4247s

八雲が家のたたずまいを
どんな言葉で書いたのかが、
掲示してある。

「自分の今度の家は
 或る高位のサムライの昔の住宅で、
 カチュウヤシキ(家中屋敷)である。

 城のお濠の縁にある街路、
 いなむしろ道路とは、上を瓦が蔽うて居る
 長い高い壁で仕切られている」

 

武家屋敷

Img_4248s

 

堀にかかる松も
長い時間を感じさせる。

Img_4250s

 

長い塀も絵になる。

Img_4251s

 

堀を挟んで右側が城内。
このあたりは石垣がない。

Img_4252s

 

「ふれあい広場乗船場」の前には、
観光客が自分で記念撮影ができるよう
写真撮影用のカメラスタンドがあった。

Img_4254s

「カメラを置く」
だけでなく、
「スマホを挟んで立てる」
ためのブロックが
台の左側に設置してある。

いつのまにか、
セルフタイマーによる記念撮影も
スマホが主流になっているのだろうか?

 

「ふれあい広場乗船場」から
「カラコロ広場乗船場」までは
外堀に相当するので
城からは離れることになるが、

Img_4255s

京橋川を通り、
また違った景色を楽しむことができる。
私が乗った船では
船頭さんが歌まで歌ってくれた。

冬には「こたつ船」になるらしいが
この堀川めぐり、石垣はもちろん
景色も船頭さんの話も、
そして場合によっては歌までも楽しめる。

松江観光の際はぜひ。お薦めだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年7月21日 (日)

足立美術館(2)

(全体の目次はこちら


足立美術館(2)

- 借景の庭を上空から見ると -

 

米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の
「日本庭園ランキング」で
16年連続日本一に選ばれている足立美術館。

前回に続いて、
今日は庭師の方の言葉を紹介したい。

これほど完璧な庭、
いったいどんな人が
どんな思いで日々の世話を
しているのであろうか?

Img_4181s

(写真はすべてiPadで撮影)

 

この庭の責任者、
庭園部長・小林伸彦さんに取材した記事が、
2017年4月22日
朝日新聞フロントランナーに
あった。

「一幅の絵画」を守る庭師
の見出しで紹介されている。
(以下、薄緑部記事からの引用)

 春のツツジ、夏の万緑、
秋の紅葉、冬の雪景色……。
四季の移ろいに合わせながら、
カンバスとなる庭園の細かな輪郭や、
庭木、白砂の質感を維持するため、
専属の庭師6人を率いる。

「生い茂ろうとする
 木と名石のバランス、
 そして庭園全体の調和を
 いつも考えて仕事をしています」

庭と借景の山々の一体感も演出する。
手前のマツの葉を薄くし、
奥に向かって濃くなるように
枝葉を残す


奥を淡くすると山が遠のき、
庭と引き離されたような印象を
与えてしまう。

絵画の遠近法とは逆の論理になる。
この濃淡の調整で庭園の均衡を保つ。

この記事の通り
「庭と借景の山々の一体感」が
ひとつの見もので、
実際庭を目の前にしても
まさに揺るぎない一つの作品として
迫ってくる。

Img_4183s

 

小林さん自身、
初めてこの庭に出会ったときのことを
次のように述べている。

--足立美術館との出会いは?

26歳の時、転職先の造園会社から
応援で派遣され、驚きました。

庭と借景の山は
県道や田んぼで
隔てられている
んですが、
それが連なっているように
見えるんです。

そんな庭は
京都でもお目にかかれません。

さらに来館者から
「きれいな庭ですね」
と声をかけられる。

京都での修業の時は、
お客さんとの会話が
ほとんどなかったので新鮮でした。

毎年応援に行くうちに、
ここで自分の人生を賭けてみようと
決めました。

この借景の庭、実は
県道と田んぼで分断されている!?

Img_4182s

現地での解説でもそう言っていた。
でも、実際に庭を目の前にすると
にわかには信じられない。

帰ってから地図で確認してみて
さらに驚いた。

Googleマップの衛星写真を拝借して
空から眺めてみよう。

Adachimap

写真の中央下、
緑色破線の矩形で囲まれた部分が
いわゆる美術館の敷地で、
近景を構成している庭があるところだ。

その先に、まさに県道、
県道に沿って川、
そのうえ広く田んぼまである。

遠景を構成している山は
さらにその先。

美術館からメインとなる
枯山水庭や白砂青松庭
を眺めている角度を
黄色い扇型で重ねてみた


うーん、この角度の景色を
借景含めてこの作品にしてしまうとは。
窓ガラス越しに眺めてもこの美しさ、
この統一感。

Img_4166s

 

お客さんは
気づかないかもしれませんが、
開館時間までに
必ず枯れた葉を取り除き、
コケを補充しています。

「ツグミがミミズを食べるために
 ほじくり返したコケも見逃しません」
と言い切るような
きめ細やかな手入れだけでなく
長期視点での準備も万全だ。

--それでも庭木は高くなり、
 太りますね。

美術館の近くの
仮植場(かしょくば)で、
様々な大きさの
400本のアカマツや
40本のクロマツ
を手入れしています。

幹が太くなってくると、
すぐに元の大きさ、
形のものと植え替えられるように
するためです。

役目を終えた木は捨てず、
山に植えます。

大きめのマツが必要になる将来に備え、
仮植場に移すこともあります。

現地の解説では、
「庭に重機が入れられないので
 大きな木の植え替えも
 すべて人力による手作業で行われる」
と言っていた。

毎朝の手入れから長期視点での準備まで
美しさ維持への心配りが
16年連続日本一を支えている。

Img_4187s

 

この記事の中で、もう一箇所
響いたところがある。

--将来にわたり
 技をどう引き継いでいきますか?

庭園部は50代から20代までと
世代のバランスが良く

心配していません。

庭師は体が資本。
年を取って木に登れなくなれば
潮時かもしれません。
木の下から部下にあれこれ言うと、
煙たがられるだけですから。

 

(1) 日々のきめ細やかで丁寧な
  庭園のメンテンス

(2) 距離のある借景を活かすセンス

(3) 400本のアカマツをはじめ、
  仮植場(かしょくば)に中長期視点で
  用意されている植替用の木々たち

(4) 7人の部署ながら
  技の継承を意識した年齢構成

庭園だけでなく、
庭園「部」自体の成長も視野に入っている
強力なリーダに支えられてこその
「16年連続日本一」だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

2019年7月14日 (日)

足立美術館(1)

(全体の目次はこちら


足立美術館(1)

- 16年連続日本一の庭園 -

 

足立美術館は、実業家の
足立全康(ぜんこう1899-1990)さんが
生まれ故郷の島根県安来市
1970年、71歳のときに開館した美術館だ。

島根県松江市から車で約30分。

横山大観をはじめ近代日本画を
メインに蒐集している美術館だが、
この美術館の名を
内外に轟(とどろ)かせているのは、
なんといってもその庭だ。

枯山水庭、苔(こけ)庭、池庭など
複数の「庭」を目当てに
訪問する観光客が多い。

丁寧に手入れされた庭は、
米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の、
「2018年日本庭園ランキング」で
第一位に選ばれている。

しかも、
全国の日本庭園900か所以上を対象にした
同誌のランキングにおいて
今回の選出により
「16年連続日本一」をも達成しているのだ。

ちなみに
2018年日本庭園ランキング
ベスト5は

 1位 足立美術館(島根県)
 2位 桂離宮  (京都府)
 3位 皆美館  (島根県)
 4位 山本亭  (東京都)
 5位 京都平安ホテル(京都府)

となっている。

日々変化し続ける庭において
16年連続日本一とは。

 

いったいどんな庭なのだろう?
我々夫婦も期待いっぱいで
入館の列に並んだ。

おもしろいのは
美術館なのに入館した人は皆、
まずは庭の眺めを探して
キョロキョロしていること。

実は慌てずとも、入り口から
巡回コースが作られており、
館内を順に歩くだけで、
各所から庭を眺められる構造に
なっている。

Img_4145s

(写真はすべてiPadで撮影)

私が訪問したのは
改元に伴う連休中だったため
バスでやってくるような団体客も含めて
まさに多くの訪問者で賑わっており、
「ゆっくり愛でる」
という雰囲気ではなかったが
それでも庭の美しさには
たちまち目を奪われた。

Img_4153s

「ゆき届いている」
この言葉が最初に浮かんだ。

 

Img_4154s

全体のレイアウトだけでなく、
ゴミはもちろん、枯れ枝や落ち葉さえ
一本一枚も落ちていないほど、
手入れが行き届いている。


Img_4159s

そのうえ、
借景も含めた遠近感の設定が絶妙で、
空間がどこまでも広がっていくような
不思議な開放感がある。

Img_4172s

この美しさ、どう表現すればいいのだろう。

 

歩くに従い少しずつ角度を変えて
違った顔を見せてくれる。

Img_4174s

 

パノラマ写真を使って
広角的に池の周りを写すとこんな感じ。

Img_4176s

 

館内には窓枠を額縁に見立て、
庭園を絵画のように
眺められる仕掛けもある。

Img_4177s

 

縦長に切り取ればまさに掛け軸だ。

Img_4178s

この「生の掛け軸」となる
「壁の穴」は、
足立さんが師と仰ぐ、
「米子商工会議所の名誉会頭だった
 故坂口平兵衛さんの発想を
 頂戴したもの」
と足立さん自身が自伝
庭園日本一
 足立美術館をつくった男
』に
書いている。

本によると
「床の間に穴を開けるなんて」と
猛反対する職員や大工を前に、
足立さん自らがカナヅチを持って
壁をぶち抜いてしまったらしい。

 

それにしても、これほど完璧な庭、
いったいどんな人が、どんな思いで
日々の世話をしているのであろうか?

ここの庭師の方の話が
以前少し詳しく新聞に出ていたことがある。

次回、その話を紹介したい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年7月 7日 (日)

島根県の民藝めぐり(2)

(全体の目次はこちら


島根県の民藝めぐり(2)

- 出西窯とobjects -

 

島根県の民芸めぐりの2回目。
今日は、
島根民芸の代表選手のひとり、
出西(しゅっさい)窯から訪問したい。

参考図書は今回も

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出西(しゅっさい)窯】

Img_4270s

(写真はすべてiPadで撮影)

この大きな建物は
くらしの陶・無自性館」。
窯元に隣接している販売展示館だ。

吹き抜けを備えた2階建てで
多くの作品を一覧できる。

Img_4272s

この出西窯、
戦後間もない昭和22年(1947年)に
農家の5人が始めたものらしい。

開窯して間もなく、
河井寛次郎や濱田庄司に会い、
民芸運動に参加することを一同決心。

民芸の巨匠らの指導を受けつつ、
手仕事による、
実用的で美しい器作りを目指します。

以来70年、
郷土の土や釉薬の原料にこだわり、
土作りから一貫して工房内で生産

Img_4273s

縁に鉄砂引きを施した
呉須釉(ごすゆう)の器
は、
出西窯を代表する製品で、
深みのある青は
「出西ブルー」と呼ばれている。

Syussaiblue

焼くことで浮かび上がる
まさに焼き物ならではのブルーだ。

いくつかお目当ての作品があったのだが、
鳥取の岩井窯同様
希望するサイズのものは
残念ながら
連休前半で売れてしまっていた。

Img_4274s

 

工房では「登り窯」も公開されている。

Img_4275s

50年以上も使っているという
歴史のあるものだが、
今でも年に数回、
火を入れられるらしい。

Img_4277s

この棚いっぱいとなれば
相当な数が焼けることだろう。

Img_4278s

また開窯から現在に至るまで
共同体の形をとり、
器を共同製作しているのも
この窯の特徽です。

「分業ではなく、陶工の各人が
 決められた種類の器を、
 成形から釉掛けまで
 受け持っています

 効率的かどうかは別として、
 分業だとつまらないでしょう」

とは、出西窯代表多々納さんの言葉。

 

Img_4279s

現在は研修生を含め
13名が陶器の製造に携わっているという。

Img_4281s

 

販売展示館には
次々と客がやってきていて、
観光地並に大賑わい。

Img_4282s

 

工房と販売展示館の裏には、
出西窯の器を使ったBakery&Cafe
「ル コションドール出西」
があり
焼き立ての美味しそうなパンの匂いが
駐車場にまで流れてきていた。

Img_4285s

客の動きを見ていると、駐車場から直行、
このパン屋さんだけが目当ての客も
結構いるようだ。

 

もう一箇所、
出雲松江藩の城下町として栄えた
松江市内で寄ったのは

【objects:オブジェクツ】
ここも倉吉のCOCOROSTOREと同様
古い建物をリノベーションして
店舗にしている。

Img_4190s

もとはテーラーだったらしく
レジを兼ねたカウンタは
テーラーの時のものを
そのまま利用している。

Img_4191s

「東西に長い島根には
 窯元が点々とあって、
 各々の風土に合ったものを
 作ってきました。

 例えば石見(いわみ)は、
 採れる土がきめ細かく
 よく伸びることから、
 水甕(みずがめ)などの大物を。

 一方、出雲は
 藩主の松平不昧(ふまい)公が
 茶人だったので、
 茶陶の伝統があります。

 それぞれ特徴は異なりますが、
 全般に道具として
 しっかりしたものが多いのは、
 民芸運動が与えた影響が
 大きい
からだと思うんです」。

とは店主の佐々木さんの弁。

Img_4197s

扱っているのは
湯町窯や出西窯、森山窯、岩井窯といった
山陰の窯元をはじめとする焼き物のほか、
岡山の漆器やガラス器、
真鍮のカトラリー
など。

Img_4194s

トーンの違う様々な焼き物を
上手に展示してあり、見ていて楽しい。

Img_4192s

温泉津町の森山窯
素敵な皿との出合いがあって一枚購入。

 

objectsのあるエリア、
他にも古いレトロな建物が多い。

Img_4198s

 

ちょっと怪しい店も含めて
散策するといろいろおもしろいことが
発見できそうな味のあるエリアだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年6月30日 (日)

島根県の民藝めぐり(1)

(全体の目次はこちら


島根県の民藝めぐり(1)

- 出雲民藝館 -

 

鳥取県の民藝めぐりに続いて、
お隣、島根県の民藝も見てみたい。

今日も参考図書は

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出雲民藝館】

Img_4286s

(写真はすべてiPadで撮影)

なんとも立派な門が出迎えてくれる。

昭和49年(1974年)に開館した
出雲民藝館の建物は、
出雲地方きっての豪農だった
山本家の寄付によるものだという。

民芸運動に賛同したのは
職人たちだけではなかったのだ。
民芸の趣旨に感銘を受けて、
さまざまな形で協力した人々がいた。

Img_4288s

民藝館入り口の長屋門は
まさに堂々たる構え。
江戸時代、延享3年(1746年)の建造で、
出雲大社造営の棟梁が手がけたという。

入場料を払うと、
正面の母屋には
 今も人が住んでいます
ので
 公開されている
 本館と西館だけを
 見学するようにして下さい」
と注意された。

Izumomingei1

まずは本館を見学。

本館は、3千俵もの米俵を収蔵していた
米蔵を改修したもの。

入ると最初にこんな額が。

Img_4290s

「民芸の性質」とある。

民芸の性質
 * 庶民的なもの
 * 実用的なもの
 * 数多く作られるもの
 * 安価を旨とするもの
 * 健康なもの
 * 簡素なもの
 * 協力的なもの
 * 伝統に立つもの

もちろん「民芸」に
かっちりとした定義があるわけではないが、
個人的にはこれに
 * 自分の暮しにフィットするもの
 * その土地の素材を大事にしたもの
などを勝手に足しながら
楽しんでいるかもしれない。

Img_4292s

壁にかかっているのは、
出雲地方で婚礼の際に使われた
嫁入り風呂敷
筒描染という伝統技法で、
家紋や吉祥文を染め抜いている。

風呂敷の下に並んでいる大きな壺は、
石見焼の大野壺。

「石見焼の巨大な野壺は、
 廃棄されそうになっていたものを
 協力者が見つけて、わざわざここに
 運んできてくれたそうです。
 その情熱に頭が下がります」
と事務局の方。

江戸末期から昭和初期にかけての
ものを中心に、布志名焼、石見焼
はじめとする陶磁器や、
かつてこの地方で盛んだった藍染、
木綿絣(もめんかすり)、
木工品などが展示されている。

Img_4293s

出雲民藝館事務局の方によると、

「展示品は、
 出雲民藝協会の会員や、
 県内外の協力者が寄付してくれた
 コレクションがもとになっています。

 すべて暮らしの中で
 使われてきたもの
で、
 その健康的な美しさとともに、
 そのような品を使う
 暮らしの美しさをも
 伝えたいというのが、
 この民藝館の趣旨です」。

 

西館は材木蔵を展示館として改修。
山陰の作り手による民芸品のほか、
農耕具なども並ぶ。

藍染の絵柄のデザインがすばらしい。

Img_4298s

昔の農工具なども
そのまま保存・展示されている。

私自身、農家が多い地域で育ったせいか、
子どものころに、近所の農家で
見た記憶のあるものもある。

Img_4300s

 

入り口となっていた長屋門の一角に
小さな売店もある。

Img_4304s

靴を脱いで上がる畳敷きの部屋で、
大きくはないが、
出西窯、湯町窯、森山窯、
袖師(そでし)窯、白磁工房

といった地元の陶磁器や、
木工品、和紙、染織など、
島根の手仕事を幅広く集めている。

Img_4305s

訪問日は2019年5月5日。
連休中の一日にもかかわらず
我々夫婦が訪問したとき、
他の訪問者はゼロ。

館内をゆっくり静かに見られたし、
売店では
他のお客様に気兼ねすることなく
事務局の方と
自由に話をすることができたが、
完全な貸し切り状態というのは
それはそれで寂しいものだ。

多くの民芸品を見た中では、
藍染の様々な絵柄が
妙に強く印象に残った民藝館だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ