旅行・地域

2018年6月17日 (日)

オーストリア旅行記 (43) 銀器コレクション

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (43) 銀器コレクション

- 33mのセンターピース -

 

旧王宮の中、

* 「宮廷銀器コレクション」
* 「シシィ博物館」
* 「皇帝の部屋」&「皇妃シシィの住居」

の3つのエリアは
見学順路として繋がっており、
続けてみることができる。

このうち、写真撮影OKなのは
「宮廷銀器コレクション」のみ。

【宮廷銀器コレクション】

P7158867s

行ってみて驚くのは、
新王宮内の「古楽器博物館
などと違って、こちらは人、人、人。
ツアーや団体客も含めて、
観光客の大メインルートとなっている。

チケットを購入すると、
日本語も選べるオーディオガイドを
全員に貸し出してくれるので、
時間に余裕があれば、
一点一点ガイドを聞きながら
丁寧に回ることができる。

もちろん「銀」だけではない。

P7158869s

そう言えば、
ここのオーディオガイドは
いわゆる受話器タイプ
本体を片手に持ち、
耳に当てながら音を聞く、
電話しているときのスタイル。

本体には首から下げて持ち歩けるよう
ネック・ストラップがついているが、
音を聞くときは、耳に当てるしかない。

ところが、このスタイルでは、
片耳、片手がふさがってしまうため、
メモを取ったり、
写真を撮ったりが
きわめてやりにくい。

なんとかならないものだろうか?

本体をよく見ると
3.5mmのイヤホンジャックがある。
思わず
いつも持ち歩いているWalkmanの
イヤホンを抜いて挿してみた。

完璧だ!
首からぶら下がっている本体から
イヤホンを通じて音が聞こえる。
このとき、両手は完全にフリー!

写真もメモも音を聞きながら
自由自在にできる。

ここでは、
Myイヤホンの機内持ち込みを推奨したが、
Myイヤホンは、
博物館のオーディオガイドでも役に立つ


見学の際は、お薦め。
写真を撮ったりメモを取ったりしたい方
ぜひお忘れなく。

 

P7158867s

さて、展示の内容。

ハプスブルク家歴代の銀器と
金器(?)の量はすさまじく
最初はその量に驚くものの
途中からある種の感覚が
完全に麻痺してくる。


P7158866s

銀器・金器だけでなく
陶磁器ももちろん大量にあり
ヨーロッパの名窯で作られたものが並ぶ。

銀器にも陶磁器にも
双頭の鷲の紋章が。

P7158865s

P7158873s

P7158865ss

クリスタルガラスは、
ロブマイヤーのものが多い。

P7158862s

P7158864s

数ある食器・調度品の中でも、
食卓を飾る豪華なセンターピースは
ひときわ目をひく。

【古いフランス風センターピース】

P7158876s

ブロンズに金メッキされている。
1838年くらいのもの。

P7158874s

いったいどれほどの金が
使われているのだろう。

P7158878s

帰るときに寄った
ミュージアムショップには
日本語のこんなガイドブックが
あったので購入してみた。

Ginnki1

この中に、
シェーンブルン宮殿大広間の祝宴で
センターピースが
実際に使われている時の絵がある。

Ginnki2

なるほど、これほど大きなテーブルを
飾る必要があるわけだ。

19世紀前半にミラノで作られた
センターピースは33mにもおよぶ。

P7158870s

そう言えば、
上のガイドブックに、
「磁器」と「貴金属食器」の関係について
こんな興味深い記述があった。
ちょっと引用したい。(水色部)

18世紀当時、
ウィーン磁器工房にとって
皇帝の宮廷は
決して重要な顧客ではなかった。

磁器はまだ装飾品であり、
高価なばかりでなく
壊れやすかったので、
皇帝家の食卓には
金、金メッキした銀、銀など、
貴金属の食器が使われていたからである。

磁器は主にデザート、スープ、
朝食セットに利用され、
あるいは神話のシーンなどを示す
群像としてテーブルに飾られた。

壊れやすいのは確かにそうだが、
18世紀ごろ、基本的に
磁器はまだ装飾品だったのだ。

メインは貴金属の食器。

 

ところが、
ハプスブルク家といえども
いつでも潤沢に
金銀を使えたわけではない。

戦費調達のために、宮廷の食器まで
貨幣鋳造に回されたこともあるのだ。

そのとき、磁器が活躍している。

ナポレオン戦争の戦費調達に、
窮余の策として食器類の金銀も
貨幣鋳造に転用された
ため、
宮廷における磁器の需要が
飛躍的に増大した。

宮廷の部局でも皇帝家の食卓にも、
ますます多くの磁器製品が
調達されるようになった。

1814年の春になって
戦後処理を論議する国際会議のため
ウィーンが候補地になった時、
ハブスブルク家の宮廷には貴金属の食器が
殆ど残っていなかった


再び窮余の策としてウィーン磁器工房に
公式のディナーに使う
金色のディナー・セットが注文された。

貴金属の食器が
ほとんど残っていなかったので、
「磁器工房」に「金色」の
ディナー・セットを注文、
そんなこともあったのだ。

 

磁器と言えば、
日本の伊万里コレクションもあった。

P7158882s

「宮廷銀器コレクション」の
エリアを抜けると、外に出ることなく
そのまま「シシィ博物館」へと
導かれていく。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年6月10日 (日)

オーストリア旅行記 (42) ベートーヴェンの家と譜面屋

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (42) ベートーヴェンの家と譜面屋

- 楽譜は共通語 -

 

ここに 書いた通り、
ウィーン市街を守っていた市壁は
約150年前に取り壊され、
新しい都市計画が動き出したのだが、
市内には、当時の市壁の一部が
残っているところがある。

P7169443s

このアパートの土台部分、
古い市壁がそのまま残っている。
稜堡(バスタイ)と呼ばれる、
突き出した角の部分にあたるところだ。

P7169445s

積み上げられたレンガを味わいながら
上ってみることにした。

P7169447s

実はこの上のアパートには、
ベートーヴェンが住んでいた家がある。

【ベートーヴェンの家】
今はこんなプレートが埋め込まれている。

P7169453s

ベートーヴェンは、
生涯に80回以上も引越をした

そのベートーヴェンが、
ここには約10年間(1804-1815)も
住んでいたという。

P7169454s

生涯でもっとも長く住んでいた家
このアパートの5階。

いまは記念館になっているが、
他の部屋には、普通に人が暮らしている。
なので、記念館の呼び鈴も
他の住人と同じもので特殊なものではない。
(左列、上から三番目のボタン)

P7169452s

「運命」の名で知られる交響曲第5番、
テレビドラマ「のだめカンタービレ」で
一躍知名度の上がった交響曲第7番、
大戦後の1955年、国立歌劇場の
修復完成記念の演目に選ばれた
オペラ「フィデリオ」、そのほか
ピアノソナタ「告別」、
ピアノ曲「エリーゼのために」、
など多くの曲がここの部屋で作曲された。

 

【Musikhaus DOBLINGER】
音楽の都ウィーン。
夫婦ともに多少なりとも楽器を嗜むので、
ウィーンの訪問記念に
楽譜を買って帰ることにした。

事前に楽器仲間に教えてもらっていた
「譜面屋:DOBLINGER」を訪問。
「MUSIKHAUS」の字面がなんとも誘惑的だ。

P7148771s

旧市街のど真ん中。

ドイツ語はぜんぜん読めないが、
五線譜はいい。
まさに言葉の壁がない。

P7179599s

品揃えといい、在庫の量といい、
さすがウィーン。
楽器を肩に掛けたお客さんも
何人かいる。
しかも店内、楽器、編成ごとに
譜面がよく整理されているので、
初めて訪問する外国人でも、
迷わずターゲットに辿り着くことができる。

そのうえ、各譜面がオープンで、
実に見やすい。
(日本で輸入譜面を買いに行くと、
 ひとつひとつが袋に入っており
 かなり選びにくいことが多い)

引き出しを開け
パラパラとページをめくり
次々に内容を見ることができる。

P7179602s

ただ、楽譜としては読めても
自分が演奏できない譜面が多いのは
なんとも悲しい。

まぁ、実力の低さをこの時点で
嘆いてみてもしかたがないので、
「これならできそう」の譜面を探す。

P7179603s

このお店、広い店内が
大きくふたつに分かれている。
ひとつは譜面エリアで
もう片方は音楽関連グッズエリア。

夫婦それぞれ小品の譜面と
譜面用クリップなどの小物を購入。

音楽の都ウィーンで買った音楽グッズ。
だれでもない自分自身への
いい土産になった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年6月 3日 (日)

オーストリア旅行記 (41) エフェソス博物館

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (41) エフェソス博物館

- 極私的興奮の時間 -

 

本旅行記は、観光名所の紹介を
目的としているわけではなく、
あくまでも私自身の
「私的」好奇心の記録として
書いているので、
改めて言うのもヘンな感じだが、
今日は特に「私的」に興奮してしまった
訪問先について書きたいと思う。

見どころの多いウィーンにあって
一般的には「ぜひ訪問すべき場所」、
というわけではないと思うが、
ご興味があればお付き合い下さい。

 

新王宮の中にある博物館のひとつに
これがある。

【エフェソス博物館】

P7159034s

エフェソスは
トルコにある古代ローマの壮大な遺跡。
そこで発掘された
出土品が並んでいる。

P7159037s

トルコの遺跡の出土品がなぜここに?
の疑問はさておき、
意外なところでの意外な出遭いに
驚くやら嬉しいやらで
すっかり気分は高まってしまった。

何がそんなに嬉しいのか。

P7159046s

 

本ブログ「はまのおと」を
始めたきっかけは、
2012年のトルコ旅行だった。
今回のオーストリア旅行と同様
夫婦ふたりでの個人旅行。

トルコは鉄道網が弱いので、
深夜バスも含め
主にバスを乗り継いでの
旅行だったのだが、
その訪問先のひとつ
「エフェソス」の遺跡は
私達に強烈な印象を残している。

ここ
そのときの訪問記を書いている。

いまや300を越えるエントリとなった
当ブログの、
生まれたばかり3つ目のエントリ。

写真の大きさもバラバラだし、
PCのブラウザで見ることしか
考えていない6年前の記事だが、
今読み返してみても、あのときの興奮を
ありありと思い出すことができる。

とにかく壮大。

その中に有名な
「ケルスス図書館」がある。

トルコ旅行時の
エフェソス遺跡の写真も
交えながら話を進めたい。

実際の図書館の遺跡はこんな感じ。

120709122220_img_2260s

ご覧の通り、
見事なファサードが残っている。

120709124903_img_2299s

注目すべきは一階部分。
彫刻が見えるだろうか。

120709125736_r0010051s

大きすぎて
一度に撮ることはできなかったが、
一階部分に4体の女性像が立っている。

120709125744_r0010052s

トルコ旅行記で私はこう書いた。
ちょっと引用したい(水色部)。

2世紀。エフェソスを代表する遺跡。
ケルススの息子が
父の墓の上に築いた図書館。

近くで見るとその壮麗さに圧倒される。

一階部分には、
英知、徳性、思慮、学術を意味する
4つの女性像が立っているが、
オリジナルはウィーンの博物館にあり
ここにあるのはコピー。

だからと言って
ウィーンに行って像だけを見ても、
それらが存在していた
ここの空気感を想像することは
できないだろう。

つまり、上の写真の図書館一階部にある
4体の女性像は実はレプリカ。

そして、ここに書いた
「オリジナルのあるウィーンの博物館」が
まさに今回訪問した
「エフェソス博物館」だったのだ。

「トルコ」と「オーストリア」
私的な旅行が
「エフェソス遺跡」を介して
目の前で繋がった。
この嬉しさ、
どう表現すればいいのだろう。

 

とはいえ、見事な遺跡の図書館も
この博物館では小さな小さな
模型のみの展示になってしまっている。

P7159033s

遺跡の実物を見ているだけに、
模型感が悲しい。

一方で、遺跡にはレプリカが置いてあった
英知、徳性、思慮、学術を意味する
4つの女性像のオリジナルは
確かにこちらにあった。

P7159032ss

P7159032s

あの壮麗なケルスス図書館の
ファサードを思い出すと
4体の像だけが
ポツンと並べられている様は
なんとも寂しい。

しかも、思ったよりも小さい。

「手に取るな
 やはり野に置け蓮華草」
とはよく言ったものだ。

 

なお、この博物館には出土品の他に、
エフェソス遺跡全体の模型がある。

図書館の模型は悲しかったが
この全体模型は出色だ。

P7159048s

たとえば、2万人収容の
こんな巨大な観客席を持つ円形劇場。

120709130449_img_2312s

規模感が伝わるだろうか。

右奥に広がる大きな観客席。

120709131032_img_2323s

それが模型の中では、
下の写真の左下のすり鉢部分。
全体の中ではこんなに小さい。
遺跡全体がどれほど大きいかが
よくわかる。

P7159035s

地形の起伏の再現も完璧で
エフェソス遺跡を歩いたことを
思い出しながら見ると、
いくら見ていても飽きない。

図書館は、下の写真の
左上の小さな箱。

P7159042s

 

右下から左上の図書館に
まっすぐ伸びている通りが、
クレテス通り。

右下の通り入り口に立って
実際に図書館方面を見ると
こんな景色を見ることができる。

120709120658_img_2237s

女性像をトルコから持ち込まず、
逆に、この模型を
エフェソス遺跡訪問者が
実物と見比べながら見られるように
トルコに置いておいてもらいたいくらい。

P7159038s

 

トルコの記事に書いた通り
「だからと言って
 ウィーンに行って像だけを見ても、
 それらが存在していた
 ここの空気感を想像することは
 できないだろう」
は、まさに当たっていた。

出土品だけを眺めて
想像力を働かせても、残念ながら、
あそこの「空気感」を思い描くことは
難しい。

でも、遺跡で一番重要なのは
あの空気感なのだ。

アレキサンダー大王、
クレオパトラとアントニウス、
そんな人たちが実際にここを
歩いていたかもしれない、
そう思いながら歩く時の高揚感は
やはり行ってみないとわからない。

それを引き起こす力が
あの遺跡の空気にはある。

P7159037ss

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年5月27日 (日)

オーストリア旅行記 (40) 喧騒のなかの音楽

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (40) 喧騒のなかの音楽

- ウィーンで聞く日本のあの曲 -

 

音楽の都ウィーン、
街を歩くと、あちらこちらで
小さな生演奏に遭遇する。

今日は、ウィーンで触れた
喧騒の中の音楽の話を少し。

 

【路上での音楽】

P7148774s

バイオリンとチェロの二人組み。

ちょっと音も添えて
雰囲気をお伝えしたい。

 

バイオリンのソロという方も。

P7179629s

 

生演奏は、もちろん
「路上」だけではない。

【カフェ DIGLAS】

P7159130ss

夕食をとるために立ち寄ったこのお店では、
ピアノの生演奏が。
しかも運良く
かなりそばの席で楽しむことができた。

P7159116s

なんとも力の抜けた
リラックスした「ゆるい」演奏だが、
それはそれでいいものだ。

賑やかな店内に
溶け込んでいる音楽を、
30秒ほど貼っておきたい。

 

次々と曲は続いたが、そのうちの一曲は
なんとあの歌だった。

「スキヤキ」などと言われて
海外でも知られている話はよく聞くが
まさかウィーンのカフェで
「上を向いて歩こう」の
生演奏を聞くことになろうとは。

ここで食べたのは、
ウィーンの名物料理のひとつ
「ターフェルシュピッツ」

P7159124s

長時間煮込んで柔らかくなった
牛肉の大きなスライスが
スープと一緒に鍋ごと運ばれてくる。

付け合わせの
ハーブの効いたタルタルソース、
リンゴに西洋わさびの入ったソース、
ポテト、
ほうれん草のソース
などをつけて食べる。

特にリンゴのソースが印象的。
鍋の中のスープまで含めて
どれもうまい。

P7159121s

 

もうひとつは
「ツヴィーベルロストブラーデン」

P7159122s

牛肉のローストに、
香ばしく炒めたたっぷりの玉ねぎソースが
かかっている。こちらも◎!

もちろん、ビールも一緒に、だ。

P7159117s

 

そう言えば、このカフェのお手洗いには
見たことのない仕掛けがあった。

男性用の中とはいえ、場所が場所なので
シャッター音にはかなり気を遣ったが、
コラエきれずに写真を撮ってしまった。
ご覧あれ。

P7159128s

ドアノブを見ていただければわかる通り
これで扉が閉まっている状態。
そう、扉がなんと透明ガラス!!

思わず目を疑ってしまうが、
実はこの扉、鍵をかけた途端
一瞬で真っ白に曇って
中が見えなくなる。

帰ってから調べてみると
「瞬間調光ガラス」とか
「液晶調光ガラス」とか
呼ばれているもののようだ。

「こんなガラスがあるけれど
 どこに使ったらいいと思う?」
そんな会話がどこかでなされた
結果なのだろう。
なかなかインパクトのある使い方だ。

ただ、いざ用をたそうとすると
なんとなく落ち着かない気がする。
「透明」と「すりガラス」を
まさに一瞬で行き来するわけだから。

 

シュテファン大聖堂のそばのこのカフェ。

回りに多くある小さな脇道も
ほんとうに魅力的で
覗き込んでいるとキリがない。

P7159115s

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年5月20日 (日)

オーストリア旅行記 (39) ザッハ・トルテ

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (39) ザッハ・トルテ

- ○と△ -

 

前回、カフェの話を少し書いたが、
ウィーンのカフェと言えば
この話題にも触れておきたい。

ウィーンを代表する
チョコレートケーキのひとつ
ザッハ・トルテ

国立歌劇場のすぐ裏手にある
「ホテル・ザッハー」の一階に
カフェがあり、そこで供されている。

P7179530s

このお店、とにかく観光客に大人気で
いつ覗いても行列ができていた。

本場で食べる、というか
本家のザッハ・トルテの味や如何に、
と興味はあるものの
貴重なウィーンでの滞在時間を
ケーキの行列のためだけに
潰してしまう気にはなれず、
何度か前を通るものの、
なかなか立ち寄れないでいた。

P7179531s

というわけで、
「ここなら」と選んだ訪問時間は
夕食後!

夕食後にケーキを食べに行く輩は
ゼロとは言わないが多くはないだろう。

訪問したのは夜9時。
「寝る前に...」の声が
どこからか聞こえてきたが、
「ひと晩のこと」と
夫婦共々しばし無視することにした。

さすがに行列はできていなかったが、
それでも次から次に客は来ており
その時間でも店内は満員状態だった。

 

【カフェ ザッハー】

P7159183s

ここは、とにかく
店の雰囲気からしておしゃれ。

P7159174s

ふたりで寄ったので、
二種類のケーキを選び、
半分ずつ味見してみることにした。

P7159172s

もちろん、ひとつは
本家「ザッハ・トルテ」だ。

P7159179s

ホイップした生クリームが添えてある。
「ザッハー」の刻印のある「丸い」形の
チョコレートプレートが乗っている。

外側は見ての通りのチョコレートだが
スポンジ部分に
アンズのジャムが塗ってあるので、
食べると軽くアンズの香りが広がる。

店の雰囲気とケーキの味と、
両方をゆっくり楽しんだあと、
午後10時過ぎに店を出ようとすると、
なんと並んでいる方が数名いた。

P7159182s

 

もう一箇所、ウィーン旧市街に
ザッハ・トルテが
食べられるところがある。

【カフェ デーメル】
歌劇場のすぐ裏手の「ザッハー」と
対比して言うならば、
王宮のすぐそばの「デーメル」。

P7179614s

左奥ドームは王宮、
右側、白いテラス席がデーメル。

皇妃エリーザベトは
毎日のように使いを出して
デーメルのケーキを届けさせた、
と言われているが、まさに
「宮中御用達菓子商」。

P7179613s

こちらのザッハ・トルテはこんな感じ。

P7179620s

上に乗ったチョコレートプレートは
三角形だ。

 

一緒に食べたケーキも
おしゃれで美味。

P7179618s

今はどちらも
正真正銘の「ザッハ・トルテ」が
食べられる二軒だが、
名前を見れば明らかなように
そもそもは「ザッハー」のもの。

この二軒、「ザッハ・トルテ」を巡って
争っていた時期がある


どんな顛末だったのか、
少し覗いてみよう。

 

1930年代、
「ザッハー」の経営難を助けた
「デーメル」は
「ザッハー」から
ザッハ・トルテの販売権を得、
販売を始める。

順調に売上を伸ばすデーメルだったが、
その後、ザッハーから
「オリジナル・ザッハ・トルテ」と
標示するのは権利の侵害だ、として
その差し止めを求める裁判を
起こされてしまう。

多くの証言者が立った長い裁判の結果、
デーメルのものは
「デーメル・ザッハ・トルテ」
ザッハーのものは
「オリジナル・ザッハ・トルテ」
として売られることになった。

ケーキの上に乗っている
チョコレートのネームプレート。
ザッハーは〇(丸く)、
デーメルは△(三角)。
どちらがどちらかはひと目でわかる。


Img_0241s

ちなみに、お店の入り口近くの
ガラスケースを見てケーキを注文できる
デーメルのようなお店は、
コンディトライ(菓子店)と呼ばれ、
専門店としてカフェとは区別して
呼ばれることもあるようだ。

Img_0242s

肝心な味のほうは、
ザッハーもデーメルも
申し分なく美味しかったが、
「最高にうまいケーキだったか?」
と問われれば、
「もっとうまいザッハ・トルテは
 (そう呼ぶのがマズければ
  ザッハ・トルテのような
  チョコレートケーキは)
 日本にあるぜ」
と思ったのが正直な感想。

繊細さ、滑らかさ、甘さの深み、
日本のおいしいケーキが誇るべき
圧倒的な優位点は食べ比べても揺るがない。
それは単に「私が日本人だから」
そう思うだけなのだろうか?

いつの日か、
日本のおいしいケーキと食べ比べた
ウィーンの方の率直な感想を
ぜひ伺ってみたいものだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年5月13日 (日)

オーストリア旅行記 (38) カフェ文化

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (38) カフェ文化

- ひとりでいたい、でも仲間が必要だ -

 

ウィーンの文化と言えば、
やはりこれに触れないわけには
いかないだろう。

カフェ文化。

【カフェ フラウエンフーバー】

P7148790s

Café Frauenhuber
ウィーン最古のカフェ

P7148793s

夕日を背に外のテラスで食事をしたが、
食事のあと、
店内の写真を撮らせてもらった。

P7148795s

女帝マリア・テレジアの料理人
フランツ・ヤーン(Franz Jahn)が
1788年に開業。

1788年にはモーツァルト
「ヘンデルのパストラーレ」を

1797年にはベートーヴェン
「4本の金管楽器とピアノのための5重奏」

をここで演奏。

特に、モーツァルトが公衆の面前で
ピアノ演奏を行ったのは、
ここが最後になったらしい。

P7148801s

モーツァルトとベートーヴェンが
演奏したことのあるカフェ
というだけで、
もう寄らずにはいられない。

P7148802s

落ち着いた店内の雰囲気に
まさにピッタリといった感じの正装で、
丁寧な接客をする
ケルナー(ウェイター)さんが
ほんとうに印象的。

かなりなご高齢と思われるが、
所作と言うか身のこなしが美しく、
まさにプロフェッショナル。

ワイワイと
各国からの観光客が多くても、
店の独特な空気感が
キッチリ守られていることが、
なんとも気持ちがいい。

 

【カフェ ブロイナーホーフ】

P7158948s

カフェ「Café Bräunerhof」

ここにも、多くの芸術家が
集(つど)っていたと言う。

ところで、
「ウィーンといえばカフェ」
と言われるほどにウィーン文化を
代表しているもののひとつがカフェ。

「文化」と呼ばれるまでの
その独特な存在意義を
下記の本を参照しながら
覗いてみたい。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

まずは起源から。

 ウィーンといえば、
即座にコーヒーやカフェを
思い浮かべる人も少なくないだろう。

確かに、ウィーンは、
東方に起源をもつ
この「黒いスープ」を、
ヨーロッパで最も早く
普及させた都市
であった。

P7158947s

 

ウィーン風コーヒーや
カフェの起源については、
数多くの伝説が
まことしやかに語り伝えられている。

たとえば-

1683年、
トルコ軍によるウィーン包囲の際、
トルコ語の才能を買われて伝令となり、
敵陣に潜入して
皇帝軍を勝利に導いた
コルチスキーが、戦後、
トルコの野営地に放置された
コーヒー豆を得て、
ウィーン初のカフェ・ハウスを
開店したというエピソードは、
あまりにも有名である。

しかし実際には、
このコルチスキーより以前に、
都市在住の東方商人らを相手に
コーヒーを出す店が、
すでに存在していたようだ。

P7158950s

すでに18世紀には、
カフェはウィーンの名物、
見どころのひとつに
数えられていた。

1720年に開業し、
国内はもちろん、全ヨーロッパの
主要な新聞・雑誌を常備していた

「クラーマー・カフェハウス」は、
やがて首都の知識人の結集地となった。

P7158954s

こんな感じで、どこのカフェでも
新聞や雑誌が読み放題になっている。
特に新聞のフォルダが印象的。

P7169197s

ただ、

 薄暗く狭い店の中、
大テーブルに相席で押し込まれた
大勢の客が、
騒がしくひしめき合う。

多くの風刺画や銅版画が
今日に伝えるように、
これが、18世紀前半までの
カフェの日常風景であった。

それが大きく変化を始めるきっかけが
18世紀、後半に起こる。

 こうした状況が
変化を見せはじめたのは、
1780年代のことである。

P7158952s

 

皇帝ヨーゼフ2世による
飲食店営業規制穏和の結果、
カフェの数がさらに増大すると、
多くの店主たちは、
生き残りを賭けて大改装に着手
した。

内装は上流階級のサロンに擬せられ、
採光が不具合な立地でも、
クリスタル製の
豪華なシャンデリアが
明るく照らすようになった。

目抜き通りに面した店では、
軒先に植木鉢を並べた
「シャニ・ガルテン」、
今でいう
オープン・エアが創案された

オープン・エアのテラス席は
このころの発明だったわけだ。

P7158953s

 

公共の場において追求される
個人の孤独


これこそ、その後、
19世紀から現在まで
人々を魅了し続けた、
ウィーンのカフェの
最大の特色にほかならない。

たとえば、20世紀前半に
活躍した文筆家で、
「カフェ・ツェントラール」をはじめ、
名だたる文学カフェの
常連としても知られる
アルフレート・ポルガーは、
カフェの魅力についてこう語った。

「一人でいたい、
 けれど、
 同時に仲間が必要だ。
 こういう人々が、
 カフェに通うのである」

P7158955s

 

ちなみに、上の引用に出てきた文学カフェ
【カフェ ツェントラール】
は、こんな感じ。

P7179684s

P7179686s

興味深いのは、歴史ある
「ツェントラール」のすぐそばに
これを発見したこと。

P7179688s

ウィーンの人には
どんな風に見えているのだろう?

2001年末、ケルントナー通りに
第一号店をオープンさせたとき、
多くのウィーンっ子から、

コーヒーを
 紙コップで飲むなんて、
 あり得ない
」と、

猛反発を受けた
スターバックス・コーヒーが、
その後、若い世代を中心に
広く受け入れられ、現在、
市内に9店舗を展開している事実もまた、
ウィーンにおけるカフェ文化の変遷の、
その一面を象徴しているのかもしれない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年5月 6日 (日)

オーストリア旅行記 (37) オーストリア国立図書館

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (37) オーストリア国立図書館

- 圧倒的な迫力と美しさ -

 

ハプスブルク家・旧王宮の中の
見どころのひとつが
オーストリア国立図書館だ。

 

【ヨーゼフ広場】

P7158858s

ちょっとわかりにくいのだが、
国立図書館の入り口は
ヨーゼフ2世の騎馬像のある
この広場に面している。

地味な階段を上ると
いきなりこの光景が眼に飛び込んでくる。

【オーストリア国立図書館】

P7158959s

世界で最も美しい図書館と
称されることもあるらしいが、
一歩足を踏み入れただけで、
その迫力と美しさには圧倒される。

P7158986s

「Prunksaal:プルンクザール」
(豪華なホール)と呼ばれる空間は、
とても図書館とは思えない雰囲気。

P7158969s

古い本がビッシリと並ぶさまは
タイプスリップした映画の世界。

P7158966s

P7158961s

ここは
マリア・テレジアの父、
カール6世が作らせたもの。
中央の像がカール6世。

P7158970s

オーストリアバロックの巨匠
シェーンブルン宮殿も手がけた
フィッシャー・フォン・エルラッハの設計
その息子のヨーゼフ・エマヌエル・
フィッシャー・フォン・エルラッハが
1723~1737年にかけて建築。

「息をのむ」という表現しか浮かばない。

P7158972s

中央の丸天井のフレスコ画は、
宮廷画家ダニエル・グランによるもの。
この部分は高さが約29mもある。
8つの楕円窓からの光で
みごとに絵が浮かび上がっている。

Libdome

 

広間の大きさは、全体で
幅約14m・奥行き約80m・高さ約20m。

宗教改革者マルティン・ルターの
著作コレクション
でも知られている。

P7158979s

とにかくこの迫力と美しさは、
一見の価値がある。
ウィーン観光時の訪問先として
強くお薦めしたい。

 

旧王宮、国立図書館を出ると
「スイス宮」を通って
フランツ2世像のある広場に出るが
スイス宮と広場を結ぶ門は、
スイス門と呼ばれている。

【スイス門】

P7158994s

フェルディナント1世が
ウィーンを統治した
1552年に建設された。

マリア・テレジアの時代、
スイス傭兵が警備していたことから
スイス門と名付けられたとのこと。

バチカンに残るスイス衛兵のような
派手な制服というか服装で
警備していたのであろうか?
ってそんなことはないか。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年4月29日 (日)

オーストリア旅行記 (36) シュテファン大聖堂

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (36) シュテファン大聖堂

- 聖堂内での夜のコンサート -

 

 

【シュテファン大聖堂】

P7179700s

市壁に守られていた旧市街にある
ゴシック様式の大聖堂。


P7179712s

旧市街の
まさにど真ん中にあるこの聖堂は、
自然史博物館や歌劇場のような
リンク通り建設に伴った
都市拡張開発によって
建てられたものではない。

完成は古く、1356年。
136メートルにおよぶ塔の建設には
65年もかかったという。

P7148785s

ハプスブルク家歴代君主の墓所でもある。

特徴あるモザイク屋根。

P7179713s

北側に回って見上げると
ちょっと見えにくいものの、
こんなところにも鷲の紋章が。

P7179716s

モーツァルトの結婚式、
そして葬儀
が行われた場所としても
知られている。

P7148786s

 

旧市街の中心地ということもあって
ひっきりなしに観光客が訪れるせいか、
聖堂前には
「観光客向けコンサート」の客引き
妙に多い。

P7148809s

皆、
モーツァルトを思わせる衣装を身に纏い、
次々と観光客に声をかけている。

何人かの客引きの話を
興味本位で聞いてみた。
私が聞いた範囲ではこんな特徴がある。

【曲目】
 夜のコンサートのプログラムは、
 モーツァルトやヨハン・シュトラウスを
 中心に超有名曲ばかり。
 クラシックファンでなくとも
 気軽に楽しめる選曲になっている。

【パフォーマンス】
 楽器による演奏だけでなく、バレエや
 オペラのアリアを一部組合せたりして
 エンターテイメント性に
 めいっぱい傾いた
 プログラムになっている。

【会場】
 どこも100-200名程度の
 小規模な公演ながら、
 会場はかなり魅力的。
 王宮の中の一部屋であったり、
 シェーンブルン宮殿の一室であったり、
 楽友協会内の小ホールであったり、
 ウィーン市内の魅力ある場所を
 フル活用している感じ。

【ドレスコード】
 会場は宮殿の一室であったりしても、
 ドレスコードはゆるゆる。
 ジーパン、スニーカでもOKと言っている。

【料金】
 定価(?)はあってないようなもの。
 「通常はコレだが、夫婦2枚なら」とか
 「同じ値段でワンランク上の席に」とか
 「お得感」を強調した提案を
 次々としてくる。
 本気で買う気ならかなり交渉できそう。

というわけで、
これはこれでエンターテイメントとして
十分楽しめそうではあった。
実際に行ったわけではないので、
肝心な演奏の質まではわからないが。

 

我々夫婦はと言えば、
こういった客引きとは全く関係のない
別な演奏会を聴きに行くことにした。

目の前、
シュテファン大聖堂内で開催される
室内楽。

【夜の演奏会前の大聖堂内】

P7148813s

ちょうどこちらの都合にハマった
一晩だけの演奏会だったとは言え、
メインの曲が
ヴィバルディの「四季」となっていたので
これもまた観光客向けのプログラムの
ひとつだったのだろう。

それでも、気分としては
「いい演奏を」というよりも、
大聖堂内で音楽がどう響くのか、
その響きの中に身を置いてみることを
最優先にしてみたかった。

音響的に言えば
残響がありすぎであろうことは
容易に想像できたが、
そういったことも承知のうえで、
現地ならではの空気感に
浸ってみたかったのだ。

【リラックスした気分で集まる聴衆】

P7148814s

実際の演奏を聴いてみて、
その思いは充分満たされた。

残響が多いとはいえ、
頭のずーっと高いところに
響きが浮遊するように残る感じは、
天井の高い大聖堂ならでは、だ。

モーツァルトの結婚式の時は
どんな響きで満ちていたのだろう、
と考えるだけでも楽しい。

ちなみに演奏のほうは、
ビオラの方がほんとうにうまかった。

小さな合いの手的旋律を
実に丁寧に演奏していて、
彼が弾くと、音楽がそこで
キュッと引き締まると同時に
グッと深まる感じもして
なんともいえず心地よかった。

やはりプロはすごい。
そしてどんな環境であれ、
生の演奏はいい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年4月22日 (日)

オーストリア旅行記 (35) カール教会と分離派

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (35) カール教会と分離派

- 「土地の雰囲気」がもつ許容力 -

 

今日は、リンク通り周辺の
2つの建物をきっかけに
「ウィーン分離派」と
その運動について少し紹介したい。

【カール教会 Karlskirche】

P7158836s

建築家エルラッハの
バロック的理念が具現化された
彼の代表作「カール教会」。

大きなドームをいただく
楕円形の空間と
精緻な装飾が刻まれた二本の円柱が特徴。

岩崎周一 著
ハプスブルク帝国
講談社現代新書

(以下薄緑部、本からの引用)

にはこんな記述がある。

バロック文化は、
第二次ウィーン包囲以降に
ハプスブルク諸邦にあまねく行き渡り、
カール6世の時代に全盛期を迎えた。

とくに大きな成果が上がったのは
建築の分野で、
ヨハン・ベルンハルト・
フィッシャー・フォン・エルラッハ、
ルーカス・ヒルデブラント、
ヤーコプ・プランタウアーといった
優れた建築家たちが腕を振るい、
宮廷図書館、ベルヴェデーレ宮殿、
メルク修道院など、
「皇帝様式」の傑作を
あまた世に送り出した。

なかでも、
カールの発案に応えた
諸身分の献金により建立された
カール教会(1737年落成)は、
王権・カトリック教会・諸身分の
「三位一体」により成立していた
近世のハプスブルク君主国を
象徴とする
意味でも、
意義深い建造物である。

 

【カールスプラッツ駅】

P7179511s

オットー・ワーグナー設計による駅舎。
路線のカラーである薄緑色を基調とし、
金装飾に特徴のある2つの駅舎が
向かい合って建っている。
黄金のヒマワリや緑の骨組みが印象的だ。
完成は1899年。

 

このオットー・ワーグナーこそ
「ウィーン分離派」と呼ばれる
芸術革新運動の中心人物のひとりだった。

「ウィーン分離派」とはいったい何?

参考図書
広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

の「分離派」についての章は、
山之内克子さん
書いている。
(以下水色部、本からの引用)

まずは分離派の簡単な説明から。

【ウィーン分離派】

1897年、
画家グスタフ・クリムトを中心とする
19人の芸術家たちは、
保守的・正統的画壇に反発し、
新しい芸術グループを結成した。

腐敗政治に抗議する若者たちが
都市を離れて山に籠もったという、
古代ローマの「民衆離反」
の故事に因んで
「分離派(ゼツェッシオン)」
と称した新グループは、
過去の様式を模倣することが
芸術の目的であった時代が過ぎ去った今、
芸術は自分自身のスタイルを
もたなければならない

宣言したのである。

「時代にはその芸術を、
 芸術にはその自由を」

の標語が掲げられていたという。


【画家クリムトと建築家ワーグナー】

クリムトが
「裸の真理」で描いたものは、
時代の真実を反映するという、
社会における芸術の
本質的な課題にほかならない。

そして、これこそ、
分離派の芸術家たちが
生涯保ち続けた制作目標であった。

画家クリムトが、
理想化された人体ではなく、
時には醜悪な姿を晒す裸体を通じて、
近代人の潜在意識を
呼び覚まそうとしたように、

建築の分野では、
オットー・ワーグナーが、
実用性と結びついた
美の形を追求した


建物における「真実」とは
「使いやすさ」であり、
芸術の使命は、
人間の実利的な要求を
満たすことである。

過去の歴史様式から「分離」して
新しい創造に向かおうとする
芸術革新運動。
当時、どんな勢いがあったことだろう。


【でも、実りの秋は・・・】

だが、分離流がウィーンにもたらした
芸術の「春」は、決して実りの秋を
迎えることはなかった


クリムトをはじめとする
多くの芸術家が、
表現主義や抽象絵画への一歩を
決して踏み出そうとは
しなかったからである。

歴史主義の装飾性を批判しつつ
彼ら自身、
ここから完全に離れることはなかった


(中略)

後にアメリカの現代建築にも
多大な影響を与えたワーグナーですら、
晩年に至るまで、
バロック建築のアプリケを連想させる、
花綵模様(ギルランデ)や
天使の装飾モチーフに固執し続けた。

ワーグナーは機能主義の見地から
「芸術は必要にのみ従う」
と主張していたが、
駅舎の写真を見ればわかる通り、
装飾そのものを
否定しているわけではない。

 

【土地の精神(ゲニウス・ロチ)】

だが、こうした装飾へのこだわりと、
純粋に抽象的なものに対する
関心の欠如は、
あるいは、
ウィーンの精神風土に関わる
特質
なのかもしれない。

ウィーン分離派の作品が、
フランスのアール・ヌーヴオ、
ドイツのユーゲント・シュティールとは
一線を画した、独特の魅力でわれわれを
惹きつけてやまない理由のひとつは、
土地の精神(ゲニウス・ロチ)」との、
この強固な結びつきのように思われる。

ワーグナーの代表作、
カールスプラッツ駅舎が、
18世紀初頭のバロック建築の傑作、
カール教会をバックに、
何の違和感もなくたたずむさま
は、
分離派芸術のこうした特質を、
ひときわ鮮やかに印象づける景観と
いえるだろう。

駅舎とカール教会、
実際の位置関係を見てみよう。
山之内さんが書く通り、
こんな位置関係でたたずんでいる。

P7158838s

ちなみに、そのまま左に目を遣ると、
駅舎左奥には、
ウィーンフィルの本拠地
楽友協会も見える。

P7158835s

ゲニウス・ロキ(genius loci)は
ローマ神話における
「土地の守護精霊」が原義だが、
「土地の雰囲気」「土地柄」といった
意味で使うことが多いようだ。

多彩な様式の建物が並ぶ
リンク通り周辺では、
どんな組合せをも許容してしまう
まさに「土地の雰囲気」がある。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年4月15日 (日)

オーストリア旅行記 (34) 古楽器博物館(3)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (34) 古楽器博物館(3)

- ヤマハが得たもの -

 

前回に引き続き
新王宮の中の古楽器博物館での
写真を挟みながら

ウィーン国立歌劇場管弦楽団と
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
楽器のエピソードを続けたい。

今回も、引用の文章は
挿入している写真の説明
というわけではない

その部分は承知のうえ
お付き合いいただければと思う。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

前回からの続き)
ようやく完成した
「日本製」ウィーンモデル。

その完成度と実績は
前評判を大きく覆していく。

 

【ヤマハ製 ウィーン式
 ホルン、オーボエ、クラリネット】

以前はプライドの高い
ウィーンの音楽家のなかで
日本人にコピーを器用に
 作る能力はあっても、
 心を表現する伝統ある本物は
 作れるわけがない

という意見が主流だった。

しかし今日では現実の結果を前に
「日本人だからこそ、
 このように優れた楽器を
 完成させられたのだ
」と、
まったく異なる評価が
語られるようになった。

 2010年現在、
ウィーン方式の管楽器のうち
ヤマハで作られているのは
ホルン、オーボエ、
そしてクラリネット
(中級クラスのモデルのみ)
だ。

ホルンは日本国内では
特注品となっている。

P7159092s

「採算性がない」と、
多くの工房から見捨てられてしまった
ウィーンモデル。

ヤマハがやったからと言って
急に採算性があがるわけではない。

それでもあえて挑戦したヤマハ。

その過程と結果は、
採算以外の大きな価値を
ヤマハにもたらした。

 

【ヤマハが得たもの】

企業の収益だけを考えれば
成立しないプロジェクト
だが、

楽器メーカーとしての夢を追い、
音楽文化への貢献という
使命を果たし、
これらを通じて得られる
世界最高峰の音楽家との交流は、
ヤマハに単なる採算を超越した
価値とステータスを
もたらす
結果となった。

ウィーンモデルと呼ばれる楽器と
日本の楽器メーカ「ヤマハ」との物語を、
楽器博物館の写真を交えながら
3回に分けて続けてきた。

耳の肥えたウィーンの音楽家に
その価値をちゃんと認めてもらえた、
というのがなにより誇らしい、
いい話だ。

 

適当にペタペタと写真を並べながら
話を続けてきたが、
最後に楽器の写真だけ
もう何枚か貼っておきたい。

P7159083s

P7159086s

こういった、「多」弦楽器は
ほんとうに多種多様。

演奏も難しいだろうが、
それよりもなによりも、
演奏前の音合わせ、つまり
調弦(チューニング)に、いったい
どれほどの時間がかかることだろう?

P7159088s

どこで聞いたのかは覚えていないが
「リュート奏者が50年生きていると、
 45年はチューニングしている」
なんていう冗談交じりの話を
おもわず思い出してしまう。

そう言えば、似たようなものに
「オーボエ奏者が50年生きていると、
 45年はリードを削っている」
というのもあったかも。

いったい何が出典やら。
試しにググってみたが、
なにも引っかからないし。

いずれにせよ、
並べられた多くの弦楽器を
歩きながらゆっくり眺めていると、
「弦の本数」と「低音の取り込み」に
さまざまな挑戦のあとが見て取れる。

P7159097s

通奏低音に特徴のあるバロック音楽が
低音を要求していたのかもしれない。
この共鳴箱は形も大きさも強烈だ。

P7159098s

実物の展示とはいえ、残念ながら
生の音を聴くことはできない。
でも、どんな響きを奏でるのか
想像するだけでもたのしい。

一方で、
「今も演奏会で眼にすることがあるか」
を問いかけながら見てみると、
多くが淘汰されてしまっている。

普及し残る楽器と
博物館の展示品になってしまう楽器。

何がその運命を分けるキーなのだろう?

 

ちなみに、楽器以外の
関連小物も楽しめる。

たとえばコレ。
クラリネットのリードケース

P7159057s

樹脂やグラスファイバー、
カーボンファイバーが登場する前の
チェロのハードケース。
正真正銘の木製。
こりゃ、重かったことだろう。

P7159058s

最初に書いた通り、
この博物館は訪問者も少なく、
静かにゆっくり観られるので
楽器好きにはお薦め。

とにかくコレクションが膨大なので
時間には余裕をもって
お出かけ下さい。

帰るときも来る時同様
宮殿の大理石の空間を
夫婦で独占。

静かに歩くことができる。

P7159101s

なお、各楽器の説明書きは
ドイツ語のみなので
リアルタイムで詳しく知りたい方は、
グーグル先生にお供してもらって下さい。

もちろん「ドイツ語習得ののち」が
理想ではありますが。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ