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2020年7月12日 (日)

音符は『おたまじゃくし』?

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音符は『おたまじゃくし』?

- 他国の別称を探して -

 

前回
ヨコ書き、タテ書きの話を取り上げた際、
日本語学者の屋名池(やないけ)誠さんの
指摘、
「タテ書きが未来も生き残るかどうか、
 カギを選っているのは、
 漫画なのかもしれません」
を紹介した。

いまや日本の輸出文化を代表する漫画。
セリフは翻訳するにしても
構図と流れの関係から
右から左へ読んでいくスタイルは
変えようがないらしい。
ページ構成も右から左。

左から右への本しか目にしていない人たちに
そのあたり、違和感はないのだろうか?
機会があれば、ぜひ現地の人に
感想を聞いてみたい


と締めくくった。

今日は、「機会があれば、
ぜひ現地の人に聞いてみたい」に
実際にトライした例をひとつ紹介したい。

 

以前、友人と街を歩いている際、
「tadpole(タッドポール)」という名前の
音楽スタジオの看板が目に留まった。

「音楽スタジオだから
 『おたまじゃくし』でtadpoleか」

と何気なく流したつもりだったが
「音符のことを『おたまじゃくし』って
 外国の人も言うのだろうか?」
という素朴な疑問を友人がぶつけてきた。

「形からおたまじゃくしを連想するので
 日本では音符のことを
 『おたまじゃくし』って言うんだよ」
と説明すれば、どこの国の人にも
理解はしてもらえる気はする。

ただ、そのことと実際に『おたまじゃくし』と
現地の言葉で言うことがある、は別の話だ。

おもしろい。聞いてみよう。

 

実はそのことがあった直後、
仕事ではあるが、
世界各国の人が集まる会議に
出席することになっていた。

会議は3日間の予定。
初日の夜、receptionとして
立食のパーティが企画されている。

立食ならば聞いて回りやすいし
いいチャンスだ。

私のカタコト英語を通しての
コミュニケーションゆえ
細かい部分まで正確に
伝えられていなかったであろうことは
ご容赦いただくとして、
簡単にその内容を紹介したい。

最初に話をしたのは
米国、カナダ、オーストラリア
からの3人。

日本では「おたまじゃくし」と呼ぶ、
という話にたいそう興味を持ってくれて
協力的に話を聞いてくれたが、結果として
いわゆる音符を示す単語
[note]または[music note]
以外での呼び方は聞き出せなかった。

続いて話をしたのは、
スウェーデン、オランダ、英国
からの3人。
こちらもnoteだけ。

収穫がなく
ちょっと残念な気持ちになっていたころ、

「『あそこでおもしろいことを
  聞いて回っている人がいるから、
  おまえも協力してやれよ』
 って言われたので来たよ」

とこちらから声をかける前に
向こうから逆に声をかけてくれる
うれしい動きが始まっていた。

聞くと、
すでに話をした米国人やオランダ人が、
各国の人に声をかけてくれていたようだ。

いい歳をしたオッサンが
小さなネタに申し訳ない。

というわけで、
一気に聞きやすくなったのだが
次に聞いたスイスも
「残念ながらnoteだけ」だと言う。

フランスも基本はnoteだけ、
とのことだったが、話をしているうちに
ようやくそれ以外の単語が出てきた。

8分音符に関しては[crochet]と
呼ぶことがあるらしい。
意味は「かぎ針」
とか。
なるほど、かぎ針の先端によく似ている。

いずれせよ、すでに8カ国の人に聞いたのに
意外に音符の「別称」は出てこない。

ところが、アジア圏の人と話を始めたら
一気に動いた。
シンガポール、マレーシア、中国では、
日本語での「もやし」
で呼ぶことがある
ようだ。

こちらも形からよくわかる。

というわけで、ヒアリングの結果だけを
整理するとこんな感じ。

 

「音符」の
「音符(英語:note)」以外の呼び方。

(1) 別称なし:[英語での(music) note]のみ
  米国
  カナダ
  オーストラリア
  スウェーデン
  オランダ
  英国
  スイス

(2) 8分音符を「現地語:crochet」
  「日本語:かぎ針」で呼ぶことがある。
  フランス

(3) 「日本語:もやし」で呼ぶ。
  シンガポール 「現地語:Tauge」
  マレーシア  「現地語:Tauge」
  中国     「現地語:豆芽」

結局、
「おたまじゃくし」と呼んでいる国は
見つからなかった。

アジア圏に形からの別称があるのは
象形文字の要素も含む漢字の影響が
多少はあるのだろうか?

「現地の人に聞いてみた」の
ひとつの報告まで。

 

 

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2020年1月 5日 (日)

初詣はどこに行こうか?

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初詣はどこに行こうか?

- 秀吉と家康との交差点 -

 

あけましておめでとうございます。

新年、「初詣はどこに行こうか?」
そう迷っているようであれば、
下記の磯田さんの本をお薦めしたい。

磯田道史 (著)
日本史の内幕
- 戦国女性の素顔から幕末・
 近代の謎まで
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

本は雑誌への連載をまとめたものだが、
その中の一篇
「浜松に史上最強の霊地」に
こんな話がある。

 

浜松市内の
今は小さな神社となっている地に、
460年前、
「サキ」という少女が住んでいた。

キサは浜松城の前身
引間(ひくま)城の城主
飯尾豊前守(いのおぶぜんのかみ)の娘。

ある日、配下の「松下」が
浜松の町はずれ
「曳馬(ひくま)ノ川辺」で
拾ったという少年を連れてきた。

白い木綿の着物は垢だらけ。
異形な者で
「猿かと思えば人。人かと思えば猿」
といった感じ。

「国はどこ。何者か」と訊くと
「尾張から来た」と猿はいい、

「幼少の者が遠路なにしに来た」
と問うと
「奉公望み(武家に就職希望)」
と答えたという。

松下はこの猿顔の少年を
宴会の見世物にしようと考え、
飯尾家の一同に披露した。

「皮の付いた栗を取り出して与え、
 ロで皮をむき喰う口元が
 猿にそっくり
」と、
みな大笑いしたと
『太閤素生記』 にはある。

 

父親の遺産
永楽銭一貫文(1000枚)の一部を貰い、
尾張清洲で木綿着を作り針を仕入れて、
それを売りながら浜松まで来たという
16歳の少年
は、それから愛され、
草履取となる。それどころか

側近に抜擢(ばってき)してみると
「なに一つ
 主人の心にかなわぬことがない」
完璧な勤めぷり。

それで納戸の出納管理を命じた。

ところが他の小姓が妬(ねた)んだ。

たびたび物が無くなり
「猥が盗んだ」といってイジメた。

松下は慈悲ある人で
「おまえはよそ者だから
 無実の罪を言いかけられるのだ。
 不憫(ふびん)だが本国に帰れ」
と路銀に永楽銭30疋(300枚)を与えて
暇を出した。

この猿がすなわち秀吉で
16歳から18歳まで3年間、
浜松にいたことになる

キサは80歳近くまで長生きして
豊臣滅亡後まで生き延び、
秀吉の真実を遠慮なく語り、孫が
『太閤素生記(たいこうすじょうき)』
という記録に残した


これで闇に消えるはずであった
秀吉の無名時代の様子が
後世に伝わった。

秀吉の、のちの出世の第一歩は
引間城本丸だったわけだ。

 

それからしばらくして
引間城は落城する。
キサはかろうじて逃げおおせた。

かわってこの50メートル四方の
引間城本丸に入ってきたのは、
徳川家康であった。

家康はこの狭苦しい空間に
一年ほど寝起きして城を拡張。
城の名前を変え、浜松城とした。

家康はこの城を根城にして
遠江(とおとうみ)一帯を侵略した。

天正10(1582)年に武田氏が滅亡、
同じ年に、信長が京都本能寺で殺されると、
ここから出陣して
一挙に甲斐・信濃と領土を拡大。

天下を狙えるポジションに躍り出て、
秀吉の天下を奪った

秀吉が引間城に居たのが
1553年~1555年頃。
家康の入城は1570年。
わずか50メートル四方の地で
そんな偶然があったなんて。

秀吉と家康。
二人の天下人の人生の転機となった
交差地点の所番地は
浜松市中区元城(もとしろ)町111の2
である。
今の浜松東照宮

全く流行(はや)っておらず
初詣客は少ない。
しかし、ここに
こっそり参って成功した
浜松の社長を私は何人も知っている。

これは確かに
かなり強力なパワースポットかも。

初詣で迷っているようであれば、
参考にしてみてはいかがでしょう?
「浜松東照宮」です。

 

 

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2019年12月22日 (日)

目黒川遡行 (3)

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目黒川遡行 (3)

- 鍵のかかったベンチの中は -

 

目黒川に沿って
ぶらぶらと歩きながら遡行する3回目。
前回からの続き。

目黒川をGoogle Map上に描いてみると
下の太い青い線になる。、
河口から歩き始めて中目黒まで来た。

Meguror1_64

 

2回目までの行程を終えたあたりでちょうどお昼。
東横線中目黒駅付近で昼食をとり、
リフレッシュして元気になって歩きだす。

歩き始めるとすぐ「現耀寺」という文字が
目に飛び込んできた。
お地蔵様の横には「目黒川地蔵尊」とも。
「えっ! ここって、お寺?」

P6023330s

完全に集合住宅の入り口。
入り口横の郵便受けを覗くと
301のところに「現耀寺」とある。

どんな事情があって
こうなってしまったのかはわからないが、
集合住宅の一室がお寺になっているようだ。
他に同じようなお寺をひとつも知らないが、
大都会のお寺の一形式なのだろうか?

P6023332s

 

桜の名所としてその季節には
多くの人でごった返すエリア。

P6023334s

 

川沿いを歩いていると、ところどころに
休憩用のベンチが用意されている。
このベンチ、
よく見ると、座面の下に錠があり
しかもどれも施錠されている。

P6023337s

川沿いの椅子の下に、
いったい何が隠されているのだろう?

非常用の「食料」ってことはないだろうから
非常用の「救命用具」あたりだろうか?
でも、だとしたら
鍵がかかっていたのでは
肝心な時に使えないではないか。

あれやこれや、考えながら歩き続ける。

と同時に、
中が覗けるようなベンチはないか、
鍵のかかっていないベンチはないか、を
ついつい探してしまっている。

P6023339s

 

しばらく歩いたところで、
ついに見つけてしまった。
鍵のかかっていないベンチを。

おそるおそる開けてみると
中身はコレ!

P6023343s

いったい何に使うための
ホースなのだろうか?

何が入っているかはわかったものの、
どうもすっきりしない。

鍵のかかるベンチに、
(しかも川沿いに多数)
ホースが確保してある理由
ご存知の方がいらっしゃれば
ぜひ教えて下さい。

 

屋根の上の [★/R] のマークが
目立っている建物は
2019年2月にオープンしたばかりの
「スターバックス
 リザーブ ロースタリー 東京」
STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYO

P6023340s

全世界で見ても5店目の開業となる
スタバでも特別な店舗らしい。
地下1階から地上4階にまで展開されている
プレミアムなコーヒー体験とは
いったいどんなものなのだろう?

 

池尻大橋が近くなってきた。

P6023344s

 

玉川通り近くには「水車跡」として、
こんな掲示があった。

 『水車跡』
 この地域は、
 近くを大山道(現在の玉川通り)が通り、
 物資の輸送に便利であり、
 また、三田用水、目黒川の水力にも
 恵まれていたので、
 江戸時代から明治にかけて
 水車が多くつくられました。

 これらの水車は、
 精米・製粉・脱穀加工から、
 薬種の精製やガラス磨き、
 煙草のきざみ
など、
 水車動力をりようした小工場へと
 変わっていきました。
 しかし、これらの水車も、
 現在はどこにも残っていません

 目黒区教育委員会

事実とは言え、さらりと書いている
「現在はどこにも残っていません」が
あまりにも冷めていてなんとも味気ない。

 

玉川通りまで来た。
実はこの川幅で目黒川が見られるのも
ここが最後。

P6023348s_20191126233901

川下から見ると上の写真のように
単に玉川通りが川の上を通っているだけ
のように見えるが、
通りを渡って、
道の反対側で川を探すと
あの大きな流れはどこへやら。

突然
こんな小さな流れと整備された緑道に
出会うことになる。

P6023352s_20191126233901

この変化、主たる流れは
暗渠になっているということか?

 

そう言えば、
玉川通りを渡る信号の近くには、
こんな注意書が。

P6023350s_20191126233901

 『強風に注意』

 信号待ちの皆様へ
 風の強い日は車道の近くに
 立たないでください。

 強風により
 車道へ押し出される可能性があります。
 ご注意をお願いいたします。

 東京都再開発事務所

「強風により車道へ押し出される」!?
どうしてここだけ?
ビル風の類なのだろうか?

 

玉川通りを渡って、
人工的な小川に沿った
緑道を歩く。

P6023359s

 

緑道になってすぐ、行政区分としては
目黒区から世田谷区に変わる。
(地図上、右端赤丸)

P6023355ss_20191126233901

注意してみると、さすが(!?)区境。
手すりからコンクリート、
緑道の舗装材まで違う。
左側が世田谷区で右側が目黒区。

P6023354s_20191126233901

 

緑道は、草花の種類が豊富なだけでなく、
世話をする人がいるのか
手入れが行き届いていて美しい。

P6023357s

 

水も細く流れている。
暗渠の上に人工的に作られたせせらぎ、
といったところだろうか。

P6023358s

 

玉川通りから650mほど歩くと、
この合流地点に到着。
烏山川と北沢川の合流地点。
暗渠化されているので、
直接水を見ることはできないが
ここが事実上「目黒川の起点」となる。

P6023366s

上の写真は下流から上流方向に
撮っているが
右方向が北沢川(緑道)
左方向が烏山川(緑道)
ということになる。

P6023363s

 

北沢川も烏山川もここで合流して
目黒川になるわけだから、
流れで見ると最も川下になるが、
案内には、

 烏山川緑道
 北沢川緑道
 起点

と「起点」の表示になっている。

P6023364s

天王洲の河口から
ここ目黒川の起点まで約8km。

合流が見られないのは
なんとも残念だがしかたがない。
ともあれ、これにて目黒川は制覇。

このあと、烏山川緑道と
北沢川緑道をアレコレ迷いながら
1.5日かけて歩くことになるのだが、
その報告はまた日を改めてしたい。

 

 

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2019年12月15日 (日)

目黒川遡行 (2)

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目黒川遡行 (2)

- 伝説のホテルの今は -

 

目黒川に沿って
ぶらぶらと歩きながら遡行する2回目。
前回の続きから始めたい。

目黒川をGoogle Map上に描いてみると
下の太い青い線になるが、
河口から歩き始めて
まだ山手線のところまでしか来ていない。

Meguror1_64



山手線をくぐる直前、
対岸(西岸)を見るとこんなものが。

P6023265s

(フタはされているものの)
おおきなパイプが
スパッと切り取られている。
「もしや」と思って反対側、つまり
こちら岸を見ると、
思った通りこちら側にもこんなものが。

P6023267s

おそらく以前は大きな太いパイプが
両岸を繋いでいたのであろう。
それにしても太い!
何のパイプなのだろうか?

 

大崎駅付近のオフィスビル群。

P6023268s

 

桜の枝のアーチが
桜の季節の絶景を彷彿させる。

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五反田駅付近では、
オフィスビルだけでなく
高層マンションも目につく。

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五反田駅近く、ちょっと見慣れない形で
構造的に補強された橋があった。

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「ふれあいK字橋」とある。
なるほど、
上から眺めればKに見えなくはない。

P6023275s

 

五反田を過ぎて
川沿いの整備された道を歩く。

P6023278s

 

途中、
清流の復活」と題した
こんな地図があった。

P6023280s

目黒川に流れている清流は
 新宿区上落合にある
 落合水再生センターで
 高度処理した再生水を利用しています。
      東京都環境局」

遠く(?)山手線、高田馬場駅近くの
落合水再生センターで再生された水が
目黒川の清流を作っている
ようだ。
まさに大都会の川だ。

 

ゆるやかなカーブがいい。

P6023281s

 

マンション脇、
進入禁止」と
侵入禁止」が
並んでいる。
気持ちはわかる。

P6023283s

 

目黒駅手前、再び桜のアーチが美しい。

P6023288s

 

ふと見ると、対岸にお城のような建物が。
もしやあれは・・・

「おぉ、あれがあの目黒エンペラーか!」

P6023292s

名前だけはそれこそ
40年以上も前から知っているのに
実物を見たのは初めてだ。
「伝説のラ ブ ホテル」
と言っていいだろう。

40年以上も経ってしまっているせいか
今見ると、
とても魅力ある建物には見えないが
建てられた当時は
「怪しい魅力あるお城」のオーラを
放っていたのだろうか?

今やちょっと離れると
他のビルに溶け込んで
まったく目立たないし。

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JR目黒駅近く、目黒通りの橋の上から一枚。
目黒通りがいかに高い位置を
確保しているのかが、よくわかる。
万が一、川が氾濫しても
これだけ高さに差があると
目黒通り自体は冠水しないですむ。

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このあたり、「清流」とはほど遠く、
どういうわけか水がかなり濁っている。
というか真っ白だ。

 

大都会の真ん中を
大きくまっすぐに貫いている。

P6023300s

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少し上ると、水もきれいになり
「コサギ」か、
鳥も見かけるようになる。

P6023306s

 

田楽橋付近まで来た。

P6023308s

 

そこにちょっとおもしろいものが。

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「ここに設置しております橋名板は、
 「ふるさとの川モデル河川事業」
 の記念として、
 架替前の田楽橋、田道橋
 および太鼓橋の橋名板を
 埋め込んだもの
です。

 新橋および中里橋につきましては、
 現在の橋名板を写し撮ったものです」

の説明がある。
橋名阪を並べて見られるなんて。
字体もスタイルも全く統一感がないけれど
古いものをこうしてそのまま保存するのは
なかなかいいアイデアだ。

 

「目黒川船入場」まで来た。


P6023316s

イベントが開催されていて
多くの人が集まっていた。

P6023314s

 

右手「駒沢通り」を
川は下をくぐり、人は歩道橋で渡る。
中目黒駅までもうすぐだ。

P6023319s

 

中目黒駅直前、
蛇崩川(じゃくずれがわ)との
合流点がある。

P6023326s

合流点は小さな公園となっているが
そこからは、目黒川を跨いでいる
東横線・中目黒駅のホームが見える。

P6023324s

 

目黒川歩きの記録、
川の起点までもう一回続けたい。

 

 

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2019年12月 8日 (日)

目黒川遡行 (1)

(全体の目次はこちら



目黒川遡行 (1)

- 東海道五十三次 一の宿を通って -

 

妙正寺川
大岡川を歩いた友人たちと
今度は目黒川を歩いてみよう、
ということになった。

目黒川は、全部歩いても8kmほどしかない
都会を流れる短い川だが、その起点は
妙正寺川の場合とも
大岡川の場合とも違う
「2本の川の合流点」となっている。

Google Map上に川のルートを描いてみた。
青い太い線が目黒川だ。

Meguror1_64

北沢川(左上緑の線)と
烏山川(左上赤の線)とが
合流した地点が
目黒川(左上から右下への斜めの青い線)の
起点となっている。
ただ、合流地点付近は暗渠となっているため
水が落ち合う場所を
直接見ることはできない。

また「2本の川が合流して」と書くと
「じゃぁ合流する北沢川烏山川
 上っていくとどうなっているの?」
の疑問も当然浮かぶ。

実は、日を分けたものの、
北沢川と烏山川についても
下の緑と赤のルートで歩いている。

Meguro3a_1k

どちらも暗渠が多く、いまやその流れを
正確には追いきれない部分も多いため
「川に沿って遡行した」というよりも
「川だったと思われる部分を
 できるかぎり追いながら歩いてみた」
の軌跡としてのルートではあるが。

いずれにせよ、
北沢川や烏山川については
目黒川とは分けて報告したい。

まずは、川面を見失うことなく
水を追ってのんびり歩くことができた
「目黒川歩き」から、写真の整理を兼ねて
振り返ってみたいと思う。

 

今回の出発地点、
東京都品川区の臨海部、天王洲アイル付近。
2019年6月の土曜日の朝。天気は曇り。

P6023195s

東京湾の京浜運河に流れ込む
まさに川の終着点。目黒川の河口だ。

河口を眺めながら、
ふと振り返って海側を見たら、
新幹線の車両が走っていたので
びっくりしてしまった。

品川駅よりもずっと海側で
もちろん東海道新幹線のルートではない。
どうも、東京駅から
「JR東海 新幹線大井車両基地」
に向かっている車両のようだ。

P6023198s



天王洲アイル方向は近代的なビルが並ぶ。
左側は羽田空港と浜松町を結ぶ
東京モノレール。

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京浜運河に流れ込む直前の目黒川。

P6023208s

 

河口付近にはいくつかの公園がある。

P6023213s

その中には、野球場もあり、
少年野球の元気な声が響いていたが、
そのすぐ横には、屋外にもかかわらず
こんな無料WiFiの案内板が。
さすが大都会の公園だ。

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天王洲南運河との間には大きな水門がある。

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河口の公園のひとつ、東品川海上公園。

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「ミッフィー公園」の愛称で
親しまれているらしく、
ミッフィーのイラストの遊具や人形、
花壇などが並んでいた。

 

さぁ、いよいよ目黒川に沿っての遡行開始。

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歩き始めてすぐ、新品川橋の横の
赤い鳥居は「浜北三社稲荷」

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御神木か見事な大イチョウに
まさに守られているような構図がいい。

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品川橋まで来た。

 この辺りは江戸の昔、
 「東海道五十三次 一の宿」として、
 上り、下りの旅人でにぎわいました。

の説明書きがあるように、
まさに東海道品川宿があったあたり。
「品川宿場散歩」の地図がある。

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旧東海道、東方向を見て一枚。

P6023236s

 

旧東海道、西方向を見て一枚。

P6023237s

もう一度言わせていただこう。
この付近、あの東海道五十三次の一の宿だ。

 

品川橋を越えて、
赤く見えてきたのは「鎮守橋」。

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その東岸には「荏原神社」

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第一京浜道路をくぐって
川沿いを上っていく。

P6023251s

 

途中でこんな駐輪場を見かけた。

コミュニティサイクル
「東海橋防災船着場」

P6023254s

品川区のシェアサイクルらしく、
スマホやカード、暗証番号を使うことで
人手を介することなく
簡単に借りられたり、
乗り捨てたりできるようだ。
150円/30分から。

上海で見たレンタサイクル
思い出す。

P6023256s

 

西岸には「本光寺」の三重塔が
美しく見える。

P6023259s

 

「ようじんほどうきょう」と書かれた橋が。
「要人」?
「桁下2.0m」の文字があるので「用心」?
そんなはずないか。
帰って調べてみたら漢字では
「要津」と書くらしい。
漢字で書かれたらこりゃ読めん。

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東側に東海道線と京浜東北線、
西側に山手線と横須賀線と東海道新幹線、
南側に山手通りと目黒川、
という場所に、
近代硝子工業発祥之地
の碑が立っていた。

P6023263s

1873(明治6)年、東海寺の境内に
日本初の洋式の板ガラス工場が
創設されたとのこと。
なぜ、お寺の境内に?
の疑問は残るが、その工場を
翌年、今度は政府が買い上げ
官営の「品川硝子製造所」にしたらしい。

明治のはじめ、今から150年近くも前の話だ。

 

河口から歩き始めて、
ようやく山手線を
くぐるところまで来た。

次回につづく。

 

 

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2019年10月27日 (日)

家畜はわずか14種、の謎 (2)

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家畜はわずか14種、の謎 (2)

- 飼育状態では発情しない!? -

 

ジャレド・ダイアモンド(著)
倉骨彰(翻訳)
銃・病原菌・鉄
1万3000年にわたる人類史の謎
草思社文庫

(以下水色部、本からの引用)

を読んで、
家畜となっている大型哺乳類が
世界にわずか14種しかいない謎を
考えていく2回目。

家畜の種類が少ない6つの理由、
つまり、家畜となるために
クリアしなければならない
6つの問題のうち前回

(1) 【餌の問題】
(2) 【成長速度の問題】

までを書いた。
今日は残りの4つについて
引き続き考えていきたい。

 

(3) 【繁殖上の問題】

われわれ人間は、
衆人環視下でのセックスは好まない。
家畜化すれば
価値がありそうな動物のなかにも、
人間の目の前でセックスするのを
好まないものもいる

動物に羞恥心がないとは思わないが、
これだけ読むと「なんのこっちゃ?」
という気がする。
実はコレ、
飼育状態では発情しない種もいる
という意味だ。

チータとビクーニャの例を挙げている。

古代においてはエジプト人やアッシリア人、
近代になってからはインド人が、
野生のチータを飼いならし、
猟犬より優れた狩猟用動物として
珍重していた。

なのに、常時1000頭のチータを飼っていた
ムガール帝国の王族でも
チータの繁殖には成功していない。

現代の生物学者たちでさえ、
動物園でチータの赤ん坊を
誕生させることには、
なんと1960年になるまで
成功していなかったらしい。

野生のチータは、何頭かの雄が
一頭の雌を何日間も追い回す

そういった壮大かつ荒っぽい
求愛行動があってはじめて雌は排卵し、
発情する
ことになるようだ。

つまり、檻の中で飼われていては
求愛行動自体も発情も難しい、
ということのようだ。

 

動物のなかでもっとも上質で軽い
贅沢な毛を提供してくれる
アンデスの野生のラクダ、ビクーニャも

うまく成功すれば
金と名誉の両方が手に入るという
強烈な動機があるにもかかわらず、

捕獲状態で繁殖させる試みは、
これまでのところ
すべて失敗に終わっている、という。

「檻の中」が発情や繁殖に
こんなに大きな影響を与える種も
存在することを知ると、
檻の中でもちゃんと繁殖できる種が
むしろ特別なものなのかも、
とさえ思えてくる。

 

(4) 【気性の問題】

当然ながら、
ある程度以上の大きさの哺乳類は
人を殺す
ことができる。

豚に殺された人もいる。
牛や馬、ラクダに殺された人もいる。
大型動物のなかには、
豚、牛、馬、ラクダよりも気性が荒く、
もっと危険なものもいる。

家畜として理想的と思える動物でも、
たとえば
グリズリー(アメリカヒグマ)のように、
気性が荒く、人間を殺しかねないので
家畜化されなかったものも多い。

これはイメージしやすい理由だ。
クマ、アフリカ水牛、カバなどを
攻撃的で危険な動物の例に挙げている。

(1)餌の問題のところで、
肉食大型哺乳類が家畜にならない理由を
餌の観点から書いたが、
そもそも、気性の荒い肉食獣では、
飼育している人間の方が
食べられてしまう可能性すらあって、
安心して育てられない。

 

(5) 【パニックになりやすい性格の問題】

大型の草食性哺乳類は、
捕食者や人間に対して
それぞれに異なる反応を示す。

動きは素早いのだが、
神経質でびくびくしていて、
危険を感じるや
一目散に駆けはじめるものもいれば、

さほど神経質でなく、
動きものんびりしていて、
危険を感じたら群れを作り、
それが去るまでじっとしていて、
最後の最後になるまで息せき切って
逃げだすようなことを
しない
ものもいる。

<神経質な前者のタイプ>
 シカやレイヨウの仲間の
 草食性哺乳類の大半
 (例外:トナカイ)

<さほど神経質ではない後者のタイプ>
 羊や山羊

と例を挙げている。

神経質なタイプの動物の飼育は、
当然のことながらむずかしい。

彼らは囲いの中に入れられると
パニック状態におちいり、
ショック死してしまうか、
逃げたい一心で死ぬまで柵に
体当たりを繰り返すような
ところがある。

「囲いや檻のなかでも
 平穏に過ごせる性格」も
どの種にも備わっているわけではない。

 

そして最後の6つめ、社会性。
実際に家畜化された大型哺乳類には、
つぎのような社会性がある。

(6) 【序列性のある集団を形成しない問題】

群れをつくって集団で暮らす。

集団内の個体の序列が
はっきりしている。

群れごとのなわばりを持たず、
複数の群れが生活環境を
一部重複しながら共有している
(この種の群れは、
たんなる個体の寄せ集めではなく、
社会組織として機能する)。

そういった集団としての社会性を持つと
人間にとって、
どんなメリットがあるのだろうか?

このように、馬の集団は、
集団内の個体がお互いの序列を
わきまえて行動するので、
同一集団内に複数の成馬が
存在していても、
いざこざを起こさず共存できる。

序列性のある集団を形成する動物は、
人間が頂点に立つことで
集団の序列を引き継ぎ、
動物たちを効率よく支配できるので、
家畜化にはうってつけの動物である 
(こういう動物は、人間が群れに
所属してしまうことで家畜化できる)。

たとえば
家畜として飼われている馬の集団は、
群れを先導する
牝馬に従うのと同じように
人間のあとについて移動する

集団内に存在する序列の上位に
人間が立てるのであれば
それは確かに人間にとって都合がいい。

しかも、
集団間で、なわばり意識が緩ければ
特定サイズの飼育野で、より多くの集団を
飼うことができる。

そういう動物が家畜化され、
人間によって育てられると、
人間を群れの構成員として
記憶するので、
人間が群れの頂点に立つ
ことができるのである。

このような群れをつくって
集団で暮らす動物は
互いの存在に寛容なので、
まとめて飼うことができる。

本能的に集団のリーダーに従って行動し、
人間をリーダーとして記憶するので、
羊飼い(Shepherd:シェパード)や
牧羊犬が御すことも容易である。

また、身を寄せあった
野生での暮らしに慣れているので、
混み合った状態で飼育しても
うまくやっていける。

集団内で、集団間で、
家畜に求める社会性への要求を
家畜になった動物たちはよく満たしている。
単に「群れを作ればいい」といった
単純なものではない。

 

家畜の種類が少ない6つの理由、
つまり、家畜となるために
クリアしなければならない
6つの問題を再度復習してみよう。

 (1) 【餌の問題】
 (2) 【成長速度の問題】
 (3) 【繁殖上の問題】
 (4) 【気性の問題】
 (5) 【パニックになりやすい性格の問題】
 (6) 【序列性のある集団を形成しない問題】

動物を家畜化するためのハードルは
けっこう高いことがよくわかる。

選ばれし14種は、
確かに(1)-(6)をクリアしている。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

 

2019年10月20日 (日)

家畜はわずか14種、の謎 (1)

(全体の目次はこちら



家畜はわずか14種、の謎 (1)

- 餌の量と成長速度 -

 

世界の富や権力は、
なぜ現在あるような形で
分配されてしまったのか?


なぜほかの形で分配されなかったのか?

たとえば、南北アメリカ大陸の先住民、
アフリカ大陸の人びと、そして
オーストラリア大陸のアポリジニが、
ヨーロッパ系やアジア系の人びとを
殺戮したり、征服したり、
絶滅させるようなことが、
なぜ起こらなかったのだろうか。

こんな壮大なテーマに
真正面からかつ
多角的に取り組んでいる

ジャレド・ダイアモンド(著)
倉骨彰(翻訳)
銃・病原菌・鉄
1万3000年にわたる人類史の謎
草思社文庫

(記事中、水色部は本からの引用)

から、
ここでは
考察の対象となる「1万3000年」について
考えてみたし、
ここでは
年代測定の基礎となる
炭素14による年代測定法について
その問題点とその背景を紹介した。

今日は、人間社会において
欠くべからざるものになっている家畜を、
「野生種の家畜化」の視点から
眺めてみたい。

 

最初に、家畜の有用性を再確認しておこう。

【家畜の有用性】

家畜は、肉や乳製品といった
食料を提供してくれるし、

農業に必要な肥料や、
陸上での輸送運搬手段
物作りに使える皮類
軍事的な動力なども提供してくれる。

また、農耕動物として働き、
鋤をひいてくれるし、
織物のための毛も提供してくれる。

ほかにも、細菌に対する免疫
人びとに植え付けるなど、
本の題名にもなっている
人間社会における「病原菌」の
地域格差を生む背景にもなっており、
その役割と影響力はたいへん大きい。

まさに人間は、さまざまな面で
助けてもらっているわけだが、
この家畜、全世界レベルで眺めてみても
その種類は驚くほど少ない。

詳しくは本に譲るが、
体重45kg以上の大型哺乳類で見てみると
わずか14種しかいないと言う。
種類のみを書くと、

「メジャーな5種」
   1.羊
   2.山羊
   3.牛
   4.豚
   5.馬

「マイナーなな9種」
   6.ヒトコブラクダ
   7.フタコブラクダ
   8.ラマおよびアルパカ
   9.ロバ
  10.トナカイ
  11.水牛
  12.ヤク
  13.パリ牛
  14.ガヤル

全世界で見ても、たったこれだけ。

家畜化の候補となりうる
陸生の大型草食動物は
全世界に147種もいるのに、
どうしてわずか14種だけなのだろう?

たとえば、シマウマについて見ると、
これまでどの民族も
家畜化には成功していない。
どうしてシマウマは
家畜にならないのだろうか?

本では、
「少なくともつぎの6つの理由
 認められる」
と書かれているが、
この理由というのがなかなか興味深い。

「野生種を家畜化する」ためには
どんな問題をクリアする必要があるのか?

家畜化にむけてのキーワードを通して
動物やその生態について考えてみたい。

 

まずは、この問題から。

(1) 【餌の問題】

動物は餌として食べる動植物を
100パーセント
消化吸収するわけではない。

動物の血となり肉となるのは、
通常、動物が消費する餌の
10パーセント
である。
つまり
体重1000ポンド(450キロ)の牛を
育てるには
1万ポンド(4.5トン)の
トウモロコシが必要である。

体重1000ポンドの
肉食動物を育てるには、
10万ポンド(45トン)の
トウモロコシで育てた草食動物が
1万ポンド必要になる
(したがって、大型肉食獣は
 家畜化に向いていない
)。

また、
草食動物や雑食動物であっても、
コアラのように
餌の好き嫌いが偏りすぎていて
牧場での飼育に不向きなものも多い。

 このように肉食哺乳類は、
餌の経済効率が悪いので、
食用目的で家畜化されたものは
皆無である。

これは実にわかりやすい。
草食獣の肉1kgを得るためには、
10kgの草が必要
というわけだ。

肉食獣の肉1kgを得るためには、
10kgの草食獣が必要になり、
10kgの草食獣を育てるためには
100kgの草が必要になる。
つまり
肉食獣の肉1Kgを得るためには、
100kgの草が必要
になってしまう。

このことだけでも、大型肉食獣が
家畜化に向いていない理由はよくわかる。

 

(2) 【成長速度の問題】

成長に時間がかかりすぎる動物は、
家畜化し、育てる意味があまりない。
家畜は速く成長しなければ価値がない

草食性で、
比較的何でも食べ、
肉をたくさんとれるのに、
ゴリラやゾウが家畜化されないのは、
まさに
成長に時間がかかりすぎるから
である。

一人前の大きさになるまで
15年も待たなくてはならない動物を
飼育しようと考える牧場主が
いるだろうか。

アジアには
ゾウを力仕事に使っている人びとが
いるが、彼らは成長した
野生のゾウを捕まえてきて
飼いならして使っている、
ということらしい。

 

家畜の種類が少ない6つの理由、
つまり、家畜化するために
クリアしなければならない6つの問題。
今日は2つ

(1) 【餌の問題】
(2) 【成長速度の問題】

までを挙げた。
残りの4つについては次回、
引き続き考えていきたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年9月15日 (日)

伊勢神宮 外宮と内宮

(全体の目次はこちら



伊勢神宮 外宮と内宮

- なにごとのおはしますかは知らねども -

 

以前
2019年5月にお参りした
出雲大社のことをブログに書いたが、
それからわずか2ヶ月半後の7月、
縁あって伊勢神宮のほうにも
お参りに行ってきた。

同じ年に、出雲大社と伊勢神宮。

今年は最強の年(!?)になるかもしれない。

 

2013年、
60年に一度の大遷宮を迎えた出雲大社。
同じ2013年に
20年に一度の式年遷宮を迎えた伊勢神宮。

伊勢神宮の20年毎の式年遷宮は
62回、1300年も続いているという。

宮地(みやどころ)を改め、
社殿や神宝をはじめ全てを新しくして、
大御神に新宮(にいみや)へ
お遷(うつ)りいただく
式年遷宮を6年前に終えた外宮と内宮、
その両方に参拝してきた。

なお、通称「伊勢神宮」と呼ばれる
「神宮」は、正確に言うと
外宮、内宮を中心とした
14所の別宮(べつぐう)
43所の摂社(せっしゃ)
24所の末社(まっしゃ)
42所の所管社(しょかんしゃ)
これら125の宮社の総称らしい。

今回お参りしたのは外宮と内宮。
様子を少しお伝えしたい。

まずは外宮から。

【外宮(げくう)】

P7143606s

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)

天照大神(あまてらすおおみかみ)の
食事を司る神
豊受大神(とようけのおおかみ)を
祀っている。

内宮創建から500年後に
山田原(やまだのはら)に迎えられた。
衣食住をはじめ
あらゆる産業の守り神

P7143607s

これからお参りに行く人も、
お参りして出てくる人も、
多くの人が各鳥居で立ち止まり
丁寧に頭を下げて通過していく。

そういう些細な所作が、
境内の、つまり神宮の内と外とを
分ける空気を作り出している。

P7143609s

外宮に入ると、と言うか
外宮の森に包まれると、
ちょっと不思議な
あえて言葉で言うと「気」みたいなものを
明らかに感じる。

P7143611s

それは神宮のパワーというよりも
神宮によって守られた
森が持つパワーと言う方が
個人的にはぴったりする。

P7143613s

とにかく森が豊かだ。

神宮の社殿は、それぞれ東と西に
同じ広さの御敷地(みしきち)を持ち
式年遷宮に備えている。

正宮(しょうぐう)は写真が撮れないので、
式年遷宮後の
となりの古殿地(こでんち)のみ。

P7143616s

 

パワースポットとして
知られている「三ツ石」

P7143617s

正式には
「川原祓所」(かわらはらいしょ)
と呼ばれる場所。

しめ縄が張られていて
直接触れることはできないが、
しめ縄の外から、
ストーブにあたるがごとく
みな手をかざしている。

「温かくなる気がする」
とか
「パワーを感じる」
とか
皆いろいろ言い合っていたが、
私自身は、最初に書いた通り
外宮全体の森の気みたいなものを
すでに強く感じていたので、
小さな石のパワーには
あまり興味が持てなかった。

 

正宮だけでなく、各社殿それぞれに、
式年遷宮のための御敷地(みしきち)が
隣に並んで確保されているのは
興味深い。

風宮(かぜのみや)と御敷地

P7143627s

 

土宮(つちのみや)と御敷地

P7143626s

 

多賀宮(たがのみや)と御敷地

P7143631s

 

多賀宮(たがのみや)へ上る階段も
緑豊かだ。

P7143629s

 

森の気(!?)に引き込まれるように
少しゆっくり奥へと歩いたが、
観光のメインコースから外れると、
人もまばらになり、
さらに深く森を楽しむことができる。

P7143655s

 

奥の小さなお社にも、遷宮用の御敷地は
ちゃんと確保されている。
空いている側は、東西というか左右で
揃っているわけでなく、
お社によりバラバラだ。

P7143647s
P7143642s

外宮の参拝を終え、内宮に向かった。
路線バスで20分強の移動。

 

【内宮(ないくう)】
皇大神宮(こうたいじんぐう)
皇室のご祖神
天照大神(あまてらすおおみかみ)を
おまつりしている。

五十鈴川(いすずがわ)に架かる
宇治橋(うじばし:長さ102m)を渡り
内宮に向かう。
両端の鳥居は、両正宮の旧正殿
棟持柱(むなもちばしら)を
リサイクルしているという。

P7153709s



神苑(しんえん)を歩く。

P7153710s



手水舎(てみずしゃ)にて
参拝前に心身を清め、
正宮(しょうぐう)に向かう。

こちらも写真が撮れるのはこの位置まで。

P7153713s

 

平安末期の歌人・西行は
伊勢神宮にお参りして、

 なにごとのおはしますかは知らねども
 かたじけなさに涙こぼるる


と詠んだという。

何度も書いた通り、外宮も内宮も
とにかくお社を包む森がすばらしい。

華美な部分はないが、
繰り返される日々の営みに支えられた
圧倒的とも言える時の流れ、歴史、
それらを静かに包み込んでいる
深い深い森の生命力、
そういうものを
「なにごと」かはわからなくても
まさに全身で感じることできるのが、
お伊勢参りの魅力なのかもしれない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年9月 8日 (日)

「ウィーン・モダン」展

(全体の目次はこちら


「ウィーン・モダン」展

- 作品とその時代を同時に体験 -

 

日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン
クリムト、シーレ 世紀末への道


という企画展が、
東京六本木の国立新美術館で
開催されていた。
(2019年4月24日~8月5日)

Viennamodern1

工夫を凝らしたいい企画展だったため
本ブログで紹介できれば、
と思っていたのだが、
モタモタしているうちに気がつくと
閉幕日を過ぎてしまっていた。

ありゃ、ありゃ、これから書いても
単なる日記にしかならないか。

そう思っていたら、偶然
ラジオから
「8月末から大阪にて公開中」
なる情報が流れてきた。

慌てて調べてみると、東京に続いて

【大阪展】
2019年8月27日~12月8日 
国立国際美術館


が開催されているらしい。

だったら、日記のようなメモでも
「これから行こうか?」と
迷っている人に
多少は参考になるかもしれない。

 

本企画展、
会場を事実上一方通行にすることで
18世紀から20世紀までのウィーンを
時間順に、文化とともに歩めるような
演出になっている。

単に絵画を並べた展覧会ではなく、
作品をその時代の社会的背景とともに
体験できる点に大きな特徴がある。

なお、大阪展は、
若干出展数が減ってしまっているようで、
「東京展と全く同じ」
というわけではないようだ。
本記事は、あくまでも
東京展を観ての感想なので、
その点はご承知おき下さい。

 

まず、全体構成。
(1)「啓蒙主義時代のウィーン」
(2)「ビーダーマイアー時代のウィーン」

(3)「リンク通りとウィーン」
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」
の4部構成となっており、
時代の流れに沿って
各文化を楽しめるようになっている。


18世紀の女帝マリア・テレジアの
肖像画から展示は始まっているが、
マリア・テレジアの時代に始まった
啓蒙思想が
 フランス革命 (1789-1799)
 ウィーン会議 (1814-1815)
を通して
ビーダーマイアー時代へと
繋がっていく様子が前半。

(3)「リンク通りとウィーン」
のセクションでは、
ここに書いた話を
ショートフィルムも交えて
写真と絵画で
より詳しく知ることができる。

1857年に長い間ウィーンを囲っていた
市壁の取り壊しが決定。
その跡地がリンク通りとなり
沿道には国会議事堂、歌劇場など
特徴ある建物が次々と造られていく。
一気に都市部が広がり始めるウィーン。

 ウィーン万国博覧会 (1873)
 皇帝の銀婚式祝賀パレード (1879)

といった大きなイベントを
ハンス・マカルトをはじめ
多くの画家が作品に残している。

そういった、歴史の流れを
十分実感させた上で、
最後のセクション
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」へと
繋がっていく。

19世紀末から20世紀にかけて、
都市機能がさらに充実していくウィーン。

鉄道を始め、都市デザインに貢献した
建築家オットー・ヴァーグナーの業績も
いくつもの模型を交えて展示してある。
ウィーン旅行記で記事にした
カールスプラッツ駅舎も彼の作品だ。

芸術の分野では、
画家グスタフ・クリムトらが中心となって
ウィーン分離派」が結成される。

多くの絵画の展示がある中、
どういう理由かよくわからないが
クリムトが最愛の女性を描いたとされる
1902年の作品
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
のみ写真撮影が許可されていた。

Viennamodern4

フレーゲの姉とクリムトの弟が
結婚したこと、
つまり義理の兄妹の関係になったことが
ふたりが知り合った
きっかけだったようだが、
ふたりは結婚はしなかったものの、
まさに死ぬまで生涯のパートナーとして
すごしたらしい。

とにかく色が美しく、
まさに本物を観る価値がある。

Viennamodern5

 

展覧会パンフレットの
裏表紙に使われている
エゴン・シーレ の「自画像」

Viennamodern2

は、ほぼ等身大の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
とは対照的に、30cm四方程度の
思ったより小さな作品だった。
エロティックなデッサンも含め、
多くの分離派の作品を堪能できる。

 

魅力的な絵画が並ぶ中
個人的に特に強く印象に残ったのは
ウィーン分離派が
分離派の展覧会のために作った
ポスター群だった。

展覧会ごとに
作家が順番に担当したらしいが、
どれも全体のデザインはもちろん
文字、つまり字体も美しく
一枚、一枚、実にユニーク。

新しいものを生み出していこうという
ある種の勢いみたいなものが
ヒシヒシと伝わってくる。

残念ながら写真は撮れなかったので
パンフレットの中の写真を
2枚だけ貼っておきたい。

Viennamodern3

ポスターなので
素材はもちろん紙なのだが、
どれも保存状態がよく
ほとんどシミがないのにも驚いた。
どうやって保存していたのだろう?

 

ここから42回にも渡って
旅行記を書き続けたように、
ウィーンは2年前の旅行で
個人的に満喫した都市のひとつだ。

なので、「行ったからこそ」、
「その後、詳しく調べたからこそ」、
楽しめた部分は確かにある。
一緒に行った妻も同意見だ。

しかし、仮にウィーンに
一度も行ったことがなかったとしても、
時代の流れを感じながら
作品を楽しむことは十分にできたと思う。

作品とその背景となる歴史や社会を
じょうずに結びつけた
工夫に満ちた展覧会だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年8月18日 (日)

古代出雲 歴史博物館

(全体の目次はこちら


古代出雲 歴史博物館

- 高さ48mの本殿は? -

 

出雲大社にお参りしたあとは
島根県立 古代出雲 歴史博物館
に寄ってみた。

入って最初に出迎えてくれたのは、
直径1mを越える巨大なスギが
3本一組となったコレ。
宇豆柱(うずばしら)

Img_4355s

これは出雲大社の八足門前、
下記写真の右下足元、赤丸の位置から
平成12年(2000年)に発掘された
巨大な柱の一部だ。
鎌倉時代のものと推定されている。

Img_4325s

 

出雲大社の本殿の高さは、
現在8丈(24m)だが、
「古代は16丈(48m)あった」という
言い伝えが残されている。

しかし、そんな巨大な建物を
当時の技術で建てることができたのか、
疑問の声も多かった。

そんな中、こんな巨大な柱の跡が
3箇所でみつかった。
しかもそれは古い平面図に描かれていた
位置通りの場所だったのだ。

この柱の発見により、
高さ48mの本殿の現実味
が一気に高まった。
巨大柱が支えた
鎌倉時代前半(1248年造営)の神殿は
どのような姿だったのだろうか?

博物館には、6種類の
復元案に基づく模型が展示してある。

本殿 復元案1

Img_4358s_1

一番インパクトがある巨大模型。
階段を歩く二人(白い点)にご注目。

高さ16丈の言い伝えは古くからあるため、
出雲大社本殿建築の復元研究と
その高さをめぐる論争は
すでに100年にもおよぶという。

復元案2, 復元案3, 復元案4

Img_4362s

発掘成果をもとに
限られた文献や絵画史料を駆使し、
上屋(うわや)構造を推定したもの。

学者によって
ずいぶん違う案が提示されていて
おもしろい。

復元案5, 復元案6

Img_4361s

図面や文書ではなく、
こうして模型で展示してくれると
だれにでもわかりやすいうえ
あれやこれや勝手な想像も
スケール感を伴ってしやすいので
形にする意味は大きい。

6つの案の中にほんとうの姿が
あるかどうかはわからないが、
柱の跡と現存の資料から考える範囲では
どの可能性も否定はできない。

 

館内では出雲大社のほか、
「出雲国風土記の世界」と
「青銅器」
がテーマ別の常設展になっていた。

【出雲国風土記の世界】
風土記は奈良時代に
全国六十余国で作成されたが
現在残っているものは5つのみ

そのうち
「常陸国風土記」「播磨国風土記」
は一部が欠落。
「豊後国風土記」「肥前国風土記」
は元の形から文章が省略されている、と
考えられているらしい。

つまり、現存する5つの風土記の中で、
ほぼ完全な形で伝わっているのは
「出雲国風土記」だけ


その風土記に基づいて
古代の地域の様子を
「くらし」の様子を
様々な角度から展示している。

 

【青銅器と大刀】
荒神谷(こうじんだに)遺跡から
358本の銅剣、
16本の銅矛、
6個の銅鐸が出土。

加茂岩倉遺跡から
39個の銅鐸が出土。

大量に出土した弥生時代の青銅器、
古墳時代の金銀の大刀
などが見やすく展示してある。

特に銅鐸。
こんなに多くの銅鐸は初めて見た。

Img_4380s

整然と並べられた銅剣、銅矛も圧巻だ。

Img_4379s

 

他にも
島根の歴史と文化を特徴づける
「四隅突出型墳丘墓」
「出雲の玉作」
「石見銀山」
「たたら製鉄」
を中心に、古代から現代に至る
島根の人々の生活と交流の歴史を
紹介している総合展示室もある。
どの展示・説明もわかりやすく、
見やすく、見どころ満載。

出雲大社にお参りした折には、
ぜひ立ち寄ってみてほしい。
お薦めだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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