旅行・地域

2018年2月11日 (日)

オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

- 高校世界史の授業の思い出 -

 

【ウィーン自然史博物館】

P7148731s

で、見たかったもののひとつが、
ヴィレンドルフのヴィーナス」。

写真は撮れなかったので、
ミュージアムショップで買った
絵葉書の写真を添えておきたい。

Venus_s

名前は知らなくても、
教科書等どこかで目にしたことが
あるのではないだろうか。

なんと2万4千年も前のものと
推定されているらしいが、
実物は11cm程度しかなく、
目の当たりにすると
その小ささに驚いてしまう。
片手に収まってしまうサイズだ。

今このブログをiPhoneで
ご覧になっているとすれば、
そのiPhoneよりも小さい。

発見は1908年。
こんな小さなものを壊さずに
よく見つけ出したものだ。

 

では、どうして
実物を見てみたかったのか。

それは、
高校の世界史の授業の
小さな記憶と繋がっているから。

寄り道が多くて
ちっとも前に進まない旅行記だが、
今回も観光を離れて
しばし私の高校時代の
世界史の授業の思い出話に
お付き合い願いたい。

 

工学部をめざしていた私は
世界史の授業がある高校3年時、
いわゆる理系クラスにいた。

主力の理系科目でもないうえに、
私も含めクラスメイトの多くは、
当時の共通一次試験、
今のセンター試験の社会に
「世界史」を選んでおらず、
まさに受験に関係ない、
ということもあって
世界史の授業には
全く熱が入っていなかった。
と言うか
サボることばかり考えていた。

そんなクラスの世界史を任されていたのは
大ベテランのK先生。

やりにくかったであろう空気の中、
じつに淡々と授業を進めていた。

私は、と言えば、そういうわけで
数学や物理の内職(?)を
コソコソしながら聞いていた
不誠実な生徒だったのだが、
あれからウン十年、
「ながら」で聞いていたK先生の言葉が
自分でも意外なほど記憶に残っている。

 

「ヴィレンドルフのヴィーナス」の
写真が教科書に出てきたとき、
先生はこうおっしゃった。

「君たちはこの写真をみてどう思う?
 君たちが期待している女性の体型とは
 全然違っているだろう」

男子校での授業、
「女性の体型」という言葉に
内職をしていた生徒も皆
おもわず顔をあげた。

「大きな乳房とお尻、
 太ったからだは、
 子孫繁栄と豊かさの象徴。

 人々の願いが込められた像は、
 そういった部分が強調され、
 女性の体型がデフォルメされている、
 そう説明されることが多い」

ここで一呼吸おいて、
先生はこう続けた。

でもね、それは違うンだ

 どう違うかって?

 今の、私の妻を見てみなさい。

 まさにこのままの体型だ。
 デフォルメもなにもない。

 若い時は細くて美しくても
 女性はみんな歳をとると
 こういう体型になるンだぞ、という
 覚悟をも教えてくれているンだ」

軽い冗談に笑いながらも、
「覚悟」という言葉が妙に印象に残った。

男子高校生に
「女性」への「覚悟」を
初めて意識させてくれたヴィーナス。
今回、ようやくその実物に
会うことができた。

こんな目で見ている人は
他にいないだろうけれど。

 

この世界史のK先生、
他にもいくつもの印象的な言葉を
私に残している。

「為政者を動かす力は4つある。
 権力、暴力、金(かね)、それに女だ。
 
 歴史はこれらの力で動いていく。
 この史実にはどの力が働いたのか?
 そう思いながら歴史を見ると面白い」

こんな乱暴な説を、
聞いた方の生徒は
一生忘れないのだから、
先生という職業は恐ろしい。

 

そんな中、
最も強く残っているのはコレ。

当時はまだ「世界遺産」という言葉は
たぶんなかったと思うが、ずいぶん昔、
NHKがかなり力を入れて
世界各国の遺産を紹介する
「未来への遺産」という番組を
放送していたことがあった。

その番組に言及したあと、
先生はこう投げかけた。

「数年前『未来への遺産』という
 NHKの番組があったけれど、
 あそこで紹介されていた遺産は、
 ピラミッドだって
 万里の長城だって
 すべて
 『過去から未来への遺産』だ。
 
 じゃぁ、
 『今から未来への遺産』は何だ?

 君たちは未来に何を残せるンだ?

強烈な問いだ。

先生の熱いメッセージとは裏腹に
悲しいかな最近は
「未来への負の遺産」という言葉さえ
耳にするようになってしまった。

高校の時に一度聞いたきりなのに
それから数十年消えることのない
『今から未来への遺産』は何だ?
の問い。

それを私に残してくれたK先生には
今でも感謝している。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年2月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (24) ウィーン自然史博物館

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (24) ウィーン自然史博物館

- 向かい合って建つ双子博物館のひとつ -

 

前回書いた
リンク通りの整備と共に建てられた
建築物のひとつが「ウィーン自然史博物館」
完成は1889年8月。
日本でいえば明治22年。

右下を歩く人の大きさから
その規模が想像できるだろうか。

P7148731s

博物館まで行くと、
マリア・テレジア広場と呼ばれる
マリア・テレジアの像のある広場を挟んで、
ほぼ同じ外観の大きな大きな建物が
向かい合って建っている

まさに双子博物館。

【マリア・テレジア広場】

P7148750s

こちらが
【ウィーン自然史博物館】

P7148748s

そしてこちらが
【ウィーン美術史博物館】

P7148747s

ちょっと見では区別がつかない。

マリア・テレジアの像は
この2つの建物の真ん中にあって
こんな感じ。
奥に見えているのは美術史博物館。

P7148746s

どちらの博物館も
オーストリアはもちろん、
世界的に見ても主要な博物館の
ひとつと言われている。

美術史の方は後日改めて訪問、と
計画していたので、
今日は自然史博物館のみ。

ここの蒐集品は、
マリア・テレジアの夫
フランツ・ヨーゼフ1世のコレクションが
その起源になっているが、
その数は現在
3千万点にもなっているという。

ちなみに、
このフランツ・ヨーゼフ1世と
マリア・テレジアとの間に生まれた
16人の子どものひとりが
マリー・アントワネットだ。

 

この博物館、
内部のコレクションもすごいが
入るとまず建物自体に圧倒される。

P7148737s

ミュージアムショップの絵葉書には
中央階段からホールを見上げた写真も。

Natur2s

中央階段回りも宮殿のよう。

P7148743s_2

カフェテリアも

P7148735s

カフェテリアから見上げる丸天井も

P7148740s

どこを見ても風格があり美しい。

以前は宮殿だったものを転用、
というわけではない。
リンク通りの整備の一環で
博物館のために、
博物館用に建てられたもの、
というのだからもっと驚く。

 

館内は写真撮影が禁止されていたので、
写真で紹介することはできないが、
生物、地学関連の蒐集品を中心に、
さまざまな展示が続く。

重さ117kgもあるトパーズやら、
マリア・テレジアが夫に贈ったという
2800個もの宝石がちりばめられている
高さ50cm、重さ2.8kgの
「宝石のブーケ」
などもある。

とガイドブックにはあったのだが、
残念ながら我々が訪問したときには、
「宝石のブーケ」は貸出し中で、
実物を見ることはできなかった。

ミュージアムショップの絵葉書だと
こんな感じ。
夫から「もらった」ではなく、
夫に「贈った」もの。

Natur1s

上に貼った
中央階段の写真中央下にも写っているが、
フランツ・ヨーゼフ1世が、
鉱物コレクションを観察している絵もある。
これもミュージアムショップの絵葉書。

Natur3s

この時点で、彼の回りの棚は
コレクションですでに
埋め尽くされていることがわかる。

 

鉱石、化石、
動物の剥製、昆虫の標本、
巨大な恐竜の骨格、
さらには、地球や宇宙に関する展示も。
隕石だけでも相当な数がある。

多くの展示品の中、
今回実物を見たかったもののひとつが
「ヴィレンドルフのヴィーナス」

写真は撮れなかったので、またまた
ミュージアムショップで買った
絵葉書の写真を添えておきたい。

Venus_s

世界史の教科書等で目にしたことが
あるのではないだろうか。

なぜこれを見たかったのか。
高校時代の
小さな思い出と繋がっているから。

次回はその話から始めたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年1月28日 (日)

オーストリア旅行記 (23) ウィーン リンク通り

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (23) ウィーン リンク通り

- 道幅の広い環状線はむかし -

 

ウィーン観光を始めるにあたって、
一番最初に
「リンク通り」に触れておきたい。

ドイツ語で
リンクシュトラーセ(Ringstraße)と
呼ばれるこの通りは、その名の通り
一周約5kmの環状線となっており、
ウィーン旧市街を取り囲んでいる。

Google mapを借りて
黄色の線で書き込んでみた。

Rings1

この環状線、道幅が
たいへん広いことも特徴のひとつ。

P7179523s

自動車用の車線数が多いだけでなく、
トラムの線路や
広い歩道なども確保されている。

P7179630s

さらにこの道、
道沿いに並ぶ建築物がすごい!

P7179662s

何が並んでいて、どうすごいのかは、
この旅行記の中で
順次紹介して行きたいと思うが、
今お伝えしたいのは、
幅の広い広い道路が
旧市街をリング状に取り囲んでおり
その道路沿いに、見事な建築物が
数多く並んでいるという事実


どうしてそんな道路があるのか?
なぜ環状なのか?

ちょっと時代を遡(さかのぼ)って
話をスタートしたい。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

【堅固な市壁で守られていたウィーン】

中世の市壁はここで本格的な
稜堡(バスタイ)として整備され、
さらにその周囲には、
外部からの砲撃に備えて、
斜堤(グラシ)と呼ばれる
広大な空閑地が巡らされたのである。

 周囲を強固な防壁で固めた
このウィーンの都市形態は、
ハプスブルク帝国の
特殊な政治的・軍事的事情によって、
異民族侵入の危機が去った18世紀から、
さらに19世紀に入っても、
ほとんど変化をみなかった。

中世、
堅固な市壁に守られていたウィーン。

突き出した角(稜堡)を持つ市壁と、
その先に広がる広大な空閑地(斜堤)は、
この古い図を見るとよくわかる。

Ringsor

古い都市構造のままのウィーン。
近代化に向けて動き出した他の首都に
19世紀初頭、完全に遅れを取っていた。

【遅れていた都市改革】

ロンドンやパリなど、
他のヨーロッパ列強国の首都が、
19世紀初頭にはすでに都市近代化の
第一段階を通過していたのに対し、
ウィーンではいまだに
中世以来の都市構造が
保持されたのである。

外敵防備のための堅固な市壁は、
重火器の発達によって防壁としては
もはや役に立たなくなっていた。
なので、残ってはいたものの
18世紀には
すでに姿を変えていたようだ。

【公園となっていた市壁】

もはや
実際的な機能を果たさなくなっていた
稜堡(バスタイ)や斜堤(グラシ)は、
18世紀、ヨーゼフ2世によって
植樹が施され、
遊歩道や公園施設として開放された


こうして、
北イタリアからポーランドに至る
広大な領土を誇った帝国の首都は、
(中略)
19世紀前半には、緑地に囲まれた
のどかな田園牧歌的雰囲気で
人々を魅了していた。

しかし、この田園都市の
アナクロニズム(時代錯誤)は、
多くの弊害を生み出していた。

【都市の成長を妨害する市壁】

18世紀には市内の人口が25万から
30万人に達していたのに対し、
市壁と斜堤がこの人口増大に
見合った都市の面積拡大を妨げていた。

市壁内では
建蔽(けんぺい)率が90%を超え、
住環境が次第に悪化するなかで、
政府の指導で商工業者などを
防御施設の外側に移住させる施策が
とられたため、
都市は、幅約500メートルの斜堤を
ドーナツ状に残したまま
その外側に拡大する
という、
きわめて不自然な形態を
とるようになった。

たった8つの門のみで
外の世界と繋がっている
分厚い市壁に囲まれた
都市ウィーンは、しばしば、
石の衣をまとった女神の姿に
たとえられていた。

 

その女神が、
重く古めかしい装束を
一挙に脱ぎ捨てる時が
19世紀半ば、ようやく到来する。

【石の衣を脱ぎ捨てる女神】

1848年、3月革命を抑えて即位した皇帝、
フランツ・ヨーゼフは、
自由主義的な方向を打ち出す
若手官僚グループが取り上げた
都市拡張計画に対して、
深い理解と関心を示していた。

2度にわたるナポレオン軍の侵攻や
3月革命における都市騒乱の体験から
市壁撤去に猛反対する軍幹部を、
最後には減俸をもって脅しつけ、
皇帝は、1857年のクリスマスの朝、
新聞の官報欄に、
都市計画導入を命じる
親書の全文を掲載
させた。

25日付の「ウィーン新聞」の
一面に掲載された皇帝の言葉。
外壁を取り壊してそこを道路とし、
壁の内と外を融合していく
という
ウィーン市の拡張計画が公になった瞬間だ。

【1857年のクリスマス・プレセント】

都心部の住環境悪化に
悩んだ住民たちは、
これを、皇帝からの
「素晴らしい
 クリスマス・プレゼント」として、
狂喜したという。

 ここに開始された
都市拡張計画の概要は、
かつての斜堤の中央部に、
都市をぐるりと囲む形で
全長約4キロメートルの現状道路
(リンクシュトラーセ)を敷設
し、
その両側に構築される
新市街区によって、
旧市街と郊外部を
効果的に連結するというものであった。

18歳の若さで即位した皇帝が、
27歳の時にした決断。
今から約160年前のこと。

日本史で言うと明治維新の約10年前。
まさに幕末。

 

この日から、約半世紀にわたる
リンク通りの整備が本格的に開始される。

と言うわけで
道路が環状なのは市壁の跡地だから

その跡地に建設された道路と建築物は、
都市計画の観点からも、
見逃せない成果を生み出していく。

ルネッサンス様式、バロック様式、
ギリシャ様式、ネオゴシック様式
などの建築物が次々と登場。

市壁で分断されていた
旧市街部と郊外部が
道路と魅力的な新しい建築物によって
統合
されていく。

今のウィーンを見るときに、
ぜひ知っておきたい歴史のひとつだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年1月21日 (日)

オーストリア旅行記 (22) 鉄道を通しての深い関係

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (22) 鉄道を通しての深い関係

- 日本の鉄道の守護神? -

 

ウィーンへの電車の乗り換え時、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅で
特急列車railjetの車両を見ると、
妙にいろいろな数字が書かれている。

P7148715s

意味を表すと思われる
簡単なアイコンや文字も添えてあるので、
こういう意味なのかなぁ、と
想像できるものもあるが
正確なところはわからない。

文字と数字の部分だけを切り取って
並べてみた。
ある「一両」に、これらの文字列が
ズラーっと一列に並んでいる。

P7148716_5all_s

帰ってから検索すれば記述内容を
解説してくれているページくらいは
簡単に見つかるだろう、と
気軽に考えていたのだが、
そもそも鉄道マニアでもなんでもない
ズブの素人が、いざ探そうとすると
どういう言葉で検索すればいいのか、が
さっぱりわからない。

エイヤ、のいいかげんな検索では
全くヒットしない。

ドイツ語かつ
適切な単語で検索すれば、きっと
いいページはあると思うのだけれど。

R150mというのは最小曲線半径だろうか?
重量(t)であったり、長さ(m)であったり、
車両の仕様に関連する数字であることは
間違いないと思うのだが。

日本でも車両に
文字や数字を見かけることはある。
でも、「クハ」や「モハ」などの
短い文字列と数桁の数字、
重量(t:トン)や定員など、
簡単な記述しか見た覚えがない。
情報量がぜんぜん違う気がする。

 

上記数字の意味の回答ではないが、
そう言えば、
オーストリアの鉄道関連で
下記の本に、
ちょっと興味深いことが書いてあった。

あまり知られていない
オーストリアと日本の関係。

少し紹介したい。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

ここで、オーストリアから
日本が輸入している商品および
将来的に期待される
品目の具体例を述べる。

意外と知られていないが、
日本が長年輸入している
鉄道用保線車”がある。

日本の新幹線は、
1964(昭和39)年運転開始以来、
技術的欠陥による人身事故を
一度も引き起こさずに
走り続けているが、

その軌道や架線を監視する
保線車のほとんどが
オーストリア製である


JRのみならず、
日本の多くの私鉄にも
この保線車が納入されている。

この保線車は、
ドイツ・インターシティ、
フランス・TGV、
スペイン・AVEなど
世界的に有名な高速鉄道の
補修を引き受けているのである。

納入実績からみると、
ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで
日本は4番目であるが、
数億円もする保線車が
すでに約600台以上納入されている。


このオーストリアの保線車こそ、
乗客がいなくなった
真夜中にこっそりと、
翌日の来客の安全を守るために
線路をみてまわる、
まさに日本の鉄道の
守護神ともいえる存在

(略)

日本の鉄道を守る保線車が、
600台以上もオーストリアから
輸入されていたとは。

保線車を目にする機会はあまりないが、
車両を見れば
オーストリアから来たことは
簡単にわかるのだろうか?
今度目にする機会があれば、
ちょっと注意して見てみよう。

 

アットナング・プッハイム駅から
特急列車railjetに乗換えて一本、
ついにウィーン中央駅に到着した。

P7148717s

正確には、旅行の初日、
空港からザルツブルクに行くときに
通過しているので、
4泊して戻ってきた、とも言える。

ここも、近代的できれいな駅だ。

軽くお昼を食べようと、
様々な種類のパンが並んでいる
ANKERというチェーン店のパン屋さんで
こんなサンドを食べてみた。

P7148719s

パンもハムも野菜もチーズも
どれもおいしくて大満足。

ここでは、
「Detox Wasser」という
未経験の飲み物を目にしたので、
それにトライしてみることにした。
写真中央にあるボトル。
Detox水?「解毒水」ってこと?

「新鮮なキュウリとレモンと共に」
と書いてある。

味のほうは、見た目通り、
キュウリとレモンの入ったただの水。
甘くはない。
キュウリとレモンの香りがあるので、
さわやかで飲みやすいが、
それでDetoxとはちょっと大袈裟かも?

食後、
中央駅のインフォメーションセンタで
ウィーンの情報を得て、
その後、地下鉄に二駅だけ乗って、
予約していたホテルを目指した。

地下鉄にあった優先席表示はこんな感じ。

P7148727s

妊婦、子連れ、体の不自由な人、老人
やはり絵はわかりやすい。
ドイツ語が読めなくても理解できる。

ホテルにチェックイン。
荷物を置いて身軽になって、
さぁて、
いよいよウィーン観光のスタートだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年1月14日 (日)

オーストリア旅行記 (21) 森林先進国オーストリア

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (21) 森林先進国オーストリア

- 林業を「かっこいい仕事」にした秘密 -

 

ウィーン行の電車を待っていた
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅。

P7148713s

ホームからはこんな列車が見える。
日本では見ることが少なくなった、
貨物列車かつ裸の材木。

P7148714s

そう言えば、旅行の初日、
ウィーンからザルツブルクに
向かう電車の窓からも
こんな景色を見ていた。

P7107645s

ハルシュタットのハイキングで
偶然目にしたのも、住宅街の中に
大量にストックされた薪(まき)だった。

P7138499s

生の材木や薪を見て
思い出した本はコレ。

藻谷浩介、NHK広島取材班(著)
里山資本主義
角川oneテーマ21新書

(以下水色部は本からの引用)

 

オーストリアの林業について
興味深い記述があったのだ。

引用が長くなってしまいそうだが
文字ばかりではつまらないので
花の写真を挿入しながら書いていきたい。

写真はすべて、ハルシュタットで
ハイキングをしながら撮ったもの。

P7138533s


マネーの嵐が吹きすさぶ
ヨーロッパのど真ん中に、その影響を
最小限に食い止めている国がある。

それがオーストリアだ。

オーストリアと言われて
何を思い浮かべるだろうか。

モーツァルトやシューベルを生んだ
音楽の国?
ザッハトルテに代表される
チョコレートの国?

いやいや、実は
それだけではないのである。

経済の世界でも、オーストリアは
実に安定した健康優良国
なのだ。

それは数々の指標が物語っている。

ジェトロが公表している
データ(2011)によれば、

失業率は、EU加盟国中最低の4.2%、
一人当たりの名目GDP(国内総生産)は
4万9688米ドルで世界11位(日本は17位)

対内直接投資額は、2011年に
前年比3.2倍の101億6300万ユーロ、
対外直接投資額も
3.8倍の219億500万ユーロと、

対内・対外ともに
リーマンショック直前の水準まで回復した。

では、なぜ人口1000万に満たない
小さな国・オーストリアの経済が
これほどまでに安定しているのか?

その秘密こそ、里山資本主義なのだ。

オーストリアは、
前章にみた岡山県真庭市のように、
木を徹底活用して
経済の自立を目指す取り組みを、
国をあげて行っているのである

ひとりあたりの名目GDPは
オーストリアが世界11位で、
日本は17位。
日本の方が下位なのだ。

P7138535s


国土はちょうど北海道と
同じくらいの大きさで、
森林面積でいうと、
日本の約15%
にすぎないが、
日本全国で一年間に生産する量よりも
多少多いぐらいの丸太を生産している


知られざる森林先進国
オーストリアの秘密を探っていこう。

 オーストリアの人々は、
最も身近な資源である木を
大切にして暮らしている。

 

まずは、森林先進国の基盤をなす、
山林所有者への教育を見てみてよう。

P7138536s<


【山林所有者への教育】

山の中で行われる授業に同行した。

授業中、
先生たちが口を酸っぱくするのが、
林業は短期の利益を追求するのではなく、
持続可能な豊かさを
追求しなければならないという理念
だ。

この研修所では、
50年間手入れせず放置し続けた区画と、
そのすぐ隣に間伐などによって
人の手を入れ続けた区画を用意。

生徒たちに見比べさせ、
健康な森林がいかに美しく、
木もまっすぐ立派に育つのかを
実感させる。

そして、どの木を切っていいのか、
どの木はまだ切るべきでないのか、
先生と生徒が議論しながら学んでいく。

「森を持つなら、手入れを
 しっかり行わなければならない。
 手入れされることによって、
 森は健康であり続ける。

 それによって、
 これからもずっと守られるんだ。
 これがオーストリアの
 林業の哲学なんだ」

 日本では、
お金にならない多くの山林が、
間伐されることもなく
放置されている。

これに対し、オーストリアでは、
山林所有者に森を
すみずみまで管理することを
義務づけている。

P7138537s


【林業従事者は3K?】

 それにしても、
日本では林業従事者というと、
危険、きつい、汚いといった、
いわゆる3Kのイメージがあるが、
オーストリアではどうなのだろうか


 実はオーストリアでも、
20~30年前くらいまでは、
林業はきついのにお金にならないと
認識されていたらしい。

しかし今は、
この認識は大きく改善された
という。

その理由を、森林研修所の所長、
ヨハン・ツェッシャーさんは三点
挙げている。

P7138541s


【3K改善の理由 その1】

第一に、なにより林業従事者の
作業環境が安全になった。

林業に従事する者は
みんな教育を受けることが
義務づけられたため、
学ぶ機会が増え、安全に対する意識が
飛躍的に高まった

P7138544s


【3K改善の理由 その2】

二点目は、
山を所有する森林農家が、
森林および林業というものが、
ちゃんとお金になる産業である
認識するようになった。

そして、それは、
きちんとした林業教育を
受ければ受けるほど、
経済的に成功できるということも。

そうした状況を
後押ししているのが
バイオマス利用の爆発的な発展だ。

これによって、
森林に新たな経済的な
付加価値ができたのだ。

逆に言えば、森林所有者が
森林に関わる動機付けが、
大きくなった。

P7138546s


【3K改善の理由 その3】

三点目として、
「これはとても重要なことだが」と
前置きして所長が強調したのは、
林業という仕事の中身が
大きく変わった
ことだという。

”高度で専門的な知識が求められる
 かっこいい仕事”
になった。

今のご時世、
ただ山の木を切っていればいいという
時代ではない。
林業に従事する以上、
経済に関することも
知っていなければいけないし、
生態系に関する知識も
なければいけない。

さらには、
最新のテクノロジーも
知る必要がある。

その一方で、林業という仕事が
体系化されるにつれて、
同僚や会社と協力しながら
仕事をする必要も高まってきた。

社会的能力も
必要とされるようにもなったのだ。

そういう風に、高度な専門性を持つ
職業に対する金銭的な対価が、
昔に比べて上昇するのは当然だろう。

林業という職業は
とてもエキサイティングな
ものになった。

P7138551s


誤解を恐れずにまとめてしまうと
林業を
(1) 安全な作業環境に
(2) 経済的に成功できる産業に
(3) 社会的に「かっこいい仕事」に
変化させることを
教育で実現しているわけだ。

税金を投入し、経済的に援助することが
産業を「保護」することではない。
我が国の林業再生に向けても
学ぶところは多い。

P7148688s


完全に話が横道に逸れてしまった。
次回はまた、
旅行記の方に戻って続けていきたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2018年1月 7日 (日)

オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (20) さようならハルシュタット

- 観光地は独英中韓の四言語 -

 

2018年も明けてもう一週間。
今年最初のアップです。
本年もよろしくお願いします。

前回の続きから始めたいと思います。

 

ハルシュタット、最後の朝。
気持ち良い朝日が
朝食のレストランに降り注いでいる。

P7148622s

湖の向こう岸には
赤い車両の電車が走っている。

渡し船も小さく見えるが、
湖面が静かで反射が美しい。

P7148635s

朝食を食べてチェックアウト。

いよいよ
ハルシュタットともお別れだ。

P7148653s

名残惜しさゆえ、最後に
世界遺産「ハルシュタット」で
撮った写真から二枚だけ選んで
もう一度貼っておきたい。
(次の2枚のみ、
 クリックすると通常よりも
 大きなサイズで表示されます)

P7128218as

PCからの方は、ぜひクリックしてご覧あれ。

P7148639as

 

ところでここに2泊する間、
出遭った日本人は
遊覧船での母娘ふたりだけだった。

ザルツブルクでも、
見かけるには見かけたが、
気がついた範囲では数人レベル。

サウンド・オブ・ミュージックツアーの
約60人のバスの中にも、
我々夫婦以外にはひとりもいなかった。

個人旅行で気ままに動いているせいか、
ツアーの団体さんとは出遭っていないし、
もちろん実数もわからないが、
それにしたって
ハルシュタットもザルツブルクも
どちらも世界遺産になっている
大観光地だ。

バブリーなころ
「どこに行っても必ずいる日本人」と
やや揶揄されるように言われていたことは
「今は昔」なのだろうか。

そう言えば、
ハルシュタットの町中にある掲示板も
ドイツ語、英語、中国語、韓国語
の4言語で書いてあり
そこに日本語はなかった。

P7148629s

今回、
「あっ、東洋系の人だ」と思っても
家族連れなら中国人、
若いカップルなら韓国人、
ということが圧倒的に多い。

観光地の掲示板は、
そのあたりの訪問者数を
敏感に反映しているのかもしれない。
(ごみ捨てに関する注意よりも前、
 一番最初に
 ドローンに関する注意書きがあるのも、
 反映の感度を表している気がする)

 

もうひとつ、
町で目にして気になったものを。

一般車両を規制しているほどの
狭い町中、
清掃車も実にコンパクトで、
小回りのきくものだった。

P7148640s

 

閑話休題。

そう、ハルシュタットとのお別れだ。

来たときと同様、渡し船に乗って

P7148658s

美しい景色との別れを惜しみながら

P7148671s

対岸の駅下を目指した。

P7148685s

船を下りてから、駅まではすぐ。
まさに直結

P7148689s

本数が多いわけではないせいか、
無人駅にわりと多くの人が待つ。

P7148693s

ほぼ定刻に電車がやってきた。

P7148695s

乗車した直後、幸か不幸か天気が急転。
一気に雨になってしまった。

来る時には、帰りの途中下車も考えていた
バート・イシュルやトラウン湖は、
雨のためそのまま通過。
残念だが、次回のお楽しみとしよう。

ザルツブルクから来た時に乗換えた、
アットナング・プッハイム
(Attnang-Puchheim)駅に到着。

今度はウィーン方面に向けて乗換えだ。

P7148710s

ウィーン行の電車を待っている際、
アットナング・プッハイム駅には
こんな列車が停まっていた。

P7148713s

日本では見かけることが少なくなった
貨物列車かつ裸の材木。

それを見ていたら
急に前に読んだ本のことが蘇ってきた。

次回は、その話から始めたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年12月31日 (日)

オーストリア旅行記 (19) 集落を通り抜けてミニハイキング

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (19) 集落を通り抜けてミニハイキング

- 大量の薪の備蓄 -

 

遊覧船を降りた後は、
観光客で賑わう通りを
お店を見ながらブラブラ。

P7138483s


世界遺産となっている湖畔の景色は
カメラの向け甲斐がある。

P7138478s

町歩きをしている際、
某個人住宅のポストが目に留まった。

木目の美しい板で覆われた素敵な家で、
ポストにも
品のよいリースが飾ってあって、
ハルシュタットの町に
完全に溶け込んでいる。

ところが
ポストの僅かな隙間から、
見覚えのあるロゴが見えている。

P7138374s

Amazonの箱だ。
世界遺産の町で、別世界へのトリップ感に
とっぷりと浸っていたのに、
ロゴをちらっと目にしただけで
なぜか急に現実に
引き戻されてしまったような残念な感覚。

もちろんAmazonには何の罪もないのだが。

 

最初に書いた通り、
町への車の乗り入れは規制されているので、
町の入り口には大きな駐車場がある。

大型バスも、観光客の乗用車も
皆そこに駐車。
その駐車場のそばに、観光客向けの
インフォメーションセンタがある。

湖畔の道をのんびりと歩きながら、
インフォメーションセンタを目指した。

P7138477s

インフォメーションセンタでは、
広域な地図を入手すると同時に、
手頃なハイキングコースを教えてもらった。

 

どんな感じのコースなのだろう。
少し歩いてみることにした。
コース入口はこんな感じ。

P7138495s

民家の集落の中を
通り抜ける感じでスタートする。

P7138496s

塀のそばには山羊だろうか、
放し飼いにされて
のんびり草を食(は)んでいる動物がいる。

P7138497s

観光客が集中している湖畔から、
まだ10分も歩いていないのに、
もうこのあたりまで来ると
観光客はひとりもいない。

しかも商店でもホテルでもない、
ごく普通の民家と思われる家が
こんなにきれいに花を飾っている。

P7138498s

人気(ひとけ)がなく、
カメラを向けるのも民家だと思うと
ちょっと言い訳を考えてしまう。

P7138511s

歩いていて目についたのは、
これらの薪(まき)のストック。

P7138499s

家のすぐ横はもちろん、

P7138557s

少し離れたところには
かなり広い集積場もある。

P7138504s

新旧、木の乾燥具合も様々だが
数字やマークには
どんな意味があるのだろう?

P7138506s

ビッチリ積み上げられた集積場の回りには、
自然の花々が咲き乱れている。

P7138502s

 

歩いていてもうひとつ目に留まったのは、
キリスト教に関するこんな施設(?)。

大きな岩に
なぜ階段が掛けられているのか。
勝手には登れないようになっていたが、
上に登るとなにかあるのだろうか。

P7138507s

別な場所にあったこれなど、日本で言う
まさにお地蔵さんのごとく
道の脇にポツンと立っていた。

花が添えられているところをみると
地元でちゃんとお世話しているのだろう。

P7138547s

途中、流れの激しい川があったり、

P7138514s

激しい風の流れを感じさせる
木々が立っていたり

P7138532s

山も緑も美しく、
とにかく空気がうまい。

道が険しいわけでもなく、
まさに素人向けの
気軽なハイキングコース。

コースに不満はなかったのだが、
恐ろしいくらいに人に会わない。

特に危険を感じるようなことが
あったわけではないが、
放し飼いにされた山羊がのんびり過ごしている
この滝

P7138521s

を見たあとは、湖のほうに戻ることにした。

戻ってきてみると
青空がかなり広がっており、
風も静かになっていて、
ますます景色に吸い込まれてしまった。

P7138563s

近景も

P7138568s

遠景も

P7138571s

新たな色を見せてくれている。

まだ日没までには時間があったが、
屋外のテラス席で風に吹かれながら
早めの夕食をとった。
もちろん
ハルシュタットビールも。

P7138588s

夕食後、
風はさらに静かになったようなので
もう一度ビューポイントに
行ってみることにした。

P7138602s

ポスターやカレンダーで目にする
まさにそのままの景色。

 

いよいよ日も傾いてきた。
山頂付近が赤く染まり美しい。

P7138610s

根っからの貧乏性からか、
駆け足が多い我々夫婦にしては、
わりとゆっくりのんびり過ごした
ハルシュタット2日目だった。

さて、
翌日はいよいよウィーンへの移動だ。

 

オーストリア旅行記も
今回、19回を終えたところで、
2017年も大晦日を迎えてしまった。

なんらかのご縁で
「はまのおと」を読んでくださった皆様、
ほんとうにありがとうございました。

ぼちぼちと更新を続けていきたいと
思っておりますので、
来年もどうぞよろしくお願いします。

新年も、オーストリア旅行記を
今日の続きからスタートしたいと
思っています。

皆様もどうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年12月24日 (日)

オーストリア旅行記 (18) 頭蓋骨の教会と遊覧船

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (18) 頭蓋骨の教会と遊覧船

- 遊覧船のデッキで -

 

少し高いところに登って
ハルシュタットの小さな町を
見下ろしてみるとこんな感じ。

P7138335s

下の写真左側、鍾塔の見える
カトリック教会に行ってみた。

P7138383s

ここの墓碑は、
木製のものが多い。

P7138354s

鉄細工の墓碑が印象的だった
ザルツブルクの
ザンクト・ペーター教会の墓地とは対照的。

P7138352s

墓地に植えられた草木が
ちょうど花をつけており
墓碑との組合せが美しい。

P7138340s

教会そのものは
大きくはないが、中に入ると
信者でなくても神聖な気持ちになる。

P7138349s

墓地の奥には、バインハウスと呼ばれる
建物が建っている。

P7138353s

ここは入場料が必要だが
中に入ってビックリ!

P7138356s

すべてほんものの頭蓋骨。
しかも、生没年や花や葉などなど、
様々なものが丁寧に描き込まれている。


P7138358s

頭蓋骨の下には、大腿骨か(?)
大きな棒状の骨が
薪のように積み重ねられている。


P7138361s

土地が狭く、
墓地が十分確保できなかった
ハルシュタットでは、
埋葬後10-20年を経たら、遺骨を取り出し、
そこに次の遺体を埋めるという風習が
あったらしい。
その、掘り出した遺骨を納めたのが
バインハウスだ。

それぞれの絵には
どんな思いが込められているのだろう。

 

教会から湖畔に戻ってきた。

湖側から町や山を見てみたくなり、
1時間程度で一周する
遊覧船に乗ってみることにした。

出発直後の景色がコレ。

P7138385s

近くの黄色い建物は
ゼーホテル グリューナー バウム
(Seehotel Grüner Baum)というホテル。
皇妃エリザベートも
滞在したことがあるという。

P7138384s

家並みのかわいらしさと対照的な
迫るような山の迫力が、
湖からだとよくわかる。

P7138388s

湖畔沿いの道には人が小さく見える。

P7138391s

振り返ると教会の塔も小さくなっている。

P7138392s

町から少しはずれると
建物の雰囲気も少し変わってくる。

P7138396s

世界最古の塩抗
「ハルシュタット塩抗」
に向かうための
ケーブルカーもよく見える。

P7138402s

風が気持ちいい外のテーブル席、
たまたま相席となったのは、
新婚旅行中のカップルだった。

P7138407s

オマーンから来たと言う。
「オマーン」を知っているか?
と聞かれたので、
「yes」と答えたが、
知っているのはサウジアラビアの近く
アラビア半島の先の方、という
だいたいの国の位置くらい。

そう言えばサッカーの
ワールドカップのとき、
日本と深く関わるエピソードが
あったような、とぼんやり浮かんだのだが、
記憶があやふやで
話題にできるほどはっきりしない。

P7138410s

一週間、
ヨーロッパを新婚旅行で回るという。

新婦、奥様の手の甲には、
紺色の細い線で、
細かく美しいレース模様が
丁寧に描かれている。
ヘナタトゥーと呼ばれる
「消える」入れ墨の話を聞いたことがあるが
このことだろうか?

単なるおしゃれのひとつなのか、
宗教的な意味があるのか、
そのあたりのことが
全くわからなかったので、
「きれいだな」とは思いつつ、
「写真を撮ってもいいですか」
とはとても聞けなかった。

雰囲気のいい、おふたり。
どうぞ末永くお幸せに。


P7138452s

写真と言えば、この遊覧船上に、
我々夫婦以外に日本人がふたりいた。

30代の娘さんとお母さんの二人組み。
カメラを持ってウロウロしているとき、
「写真を撮っていただけませんか?」
と日本語で声をかけられた。

母娘並んでの写真を撮りたかったようで、
もちろん喜んでシャッターを押したが、
その際、少し話をした。

P7138458s

ウィーンにツアーで来ており、
オプショナルツアーで
ハルシュタットに来たとのこと。
もちろん日帰り。
その自由時間に遊覧船を選んだのだとか。

「海外に母と来るのは
 初めてではないのですが、
 これまでもツアーばっかりで。

 今回も
 ウィーンから電車に乗って
 自力で来ることも考えたのですが、
 途中にどうしても一度乗換えがあり、
 その乗換えがうまくできるか自信がなくて、
 結局バスで連れてきてくれる
 オプショナルツアーにしちゃいました」

あちこち連れて行ってくれるツアーから
自力で動く個人旅行に
挑戦したい、踏み出したいという意欲が
会話の端々から感じられる。

あと一歩、ほんの少しの勇気。

「大丈夫。
 ぜひ挑戦してみて下さい。
 その思いさえあれば、
 きっとうまくいきますよ」

口に出しては言わなかったが、
そんな思いをたっぷり込めて
「どうぞ、よいご旅行を」
と笑顔で別れた。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年12月17日 (日)

オーストリア旅行記 (17) 朝の小鳥の大合唱

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (17) 朝の小鳥の大合唱

- ビューポイントでは・・・ -

 

ハルシュタットは小さな町で、
「マルクト広場」と呼ばれる
町の中心の広場でさえも
この程度のかわいらしさ。

P7128244s

広場を囲む店やレストランも
花できれいに飾られている。

P7128243s

 

夕食は、湖畔のレストランで、
鱒(ます)の一種か?
魚料理にした。

P7128252s

味は申し分なかったが、
この写真、サーブされたままを
席から写したもの。

日本人からするとかなり違和感あり。
やはり、尾頭付きの場合
頭は左でしょ。

もちろんそれを
オーストリア人に強いるつもりは
全くないけれど。


P7138265s

小さな町の夜は早く、そして静かだ。
ハルシュタットでの一泊目は、
早めに床についた。

 

翌朝、ホテルの部屋の窓からの景色。

P7138254s1

雲は多いが、山の空気が気持ちいい。

いろいろな鳥の鳴き声が聞こえてくる。
まさに朝の大合唱。

思わず持っていたPCMレコーダで
録音してみた。
一般車両の入町が規制されているせいか、
早朝、車が一台も走っていないのも
録音にとってはありがたい。

近くに小さな滝があるので、
滝の音がバックに流れている。
朝の山の空気感が伝わるだろうか。

【朝の鳥の鳴き声】


録音していたら、
今度は教会の鐘の音まで。
小鳥の鳴き声と教会の鐘の音。
なんて気持ちのいい朝なんだ。

【鳥の鳴き声と教会の鐘の音】

 

鳥の声を聞きながら、
さわやかな気分で朝食に向かう。

朝食は、 シリアルの種類も

P7138270s

チーズの種類も

P7138281s

ヨーグルトやジャムの種類も

P7138272s

(ドライ)フルーツ、ナッツの種類も

P7138271s

パンの種類も

P7138273s

さらに魚の種類も

P7138280s

豊富で、何を取るか迷ってしまう。
味のほうもどれもおいしい。
「いっぱい歩くからいいか」
と誰に聞かれたわけでもないのに
言い訳しつつ、ついつい食べ過ぎてしまう。

 

朝食後の散歩は、
観光客が必ず向かうという
ハルシュタットで一番のビューポイントへ
行ってみることにした。

途中の道沿い、
斜面に建つ家々の様子もよくわかる。

P7138282s

で、到着したのがここ。

P7138284s

風があって、
湖面が波立ってしまっているが、
ポスターやカレンダーにもよく使われる
ハルシュタットの代表的なアングルだ。

「山」と「湖」と「教会」と
「湖畔の家並み」と
ほんとうにバランスが美しい。

ちなみにここ、
多くの人が集まるのに、
ビューポイントとして
特に広場になっているわけでもなく、
まさに狭い道路沿い。

しかも、民家もすぐ横に建ち並んでいる。

次々と来る観光客は、
歓声をあげたり、写真を撮ったり
かなり賑やかだ。

そのせいか、
こんな掲示まで。

P7138293s

「Quiet Please!」
「お静かに」

 

急斜面に建つ家は
一軒一軒特徴があり

P7138315s

日本建築でいう「懸魚(げぎょ)」の部分に、
湖にいる白鳥を彫り込んだ妻飾りを持つ
おしゃれな破風(はふ)の家もある。

P7138320s

ほぼ木と同化してしまったこんな家も。

P7138319s

各家の
花の手入れは手間がかかることだろう。

P7138324s

でも、なんともやさしい気持ちになれる。

P7128222s

朝のおいしい空気を
たっぷり吸い込みながらの散歩は、
肺の中までリフレッシュされる。

景色と空気だけで体が浄化されていく、
そんな快感がある。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年12月10日 (日)

オーストリア旅行記 (16) ハルシュタット遺跡の発見

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (16) ハルシュタット遺跡の発見

- ヨーロッパの源流のひとつ -

 

「世界一美しい湖畔の町」と呼ばれ
世界遺産にもなっているハルシュタット。

ホテルにチェックインし、
身軽になったので
さっそく町歩きにでかけたのだが、
景色を楽しむ前に、
少し歴史を振り返っておきたい。

前回の最後にこう書いた。
繰り返しになってしまうが、
もう一度書きたい。

ザルツブルク(Salzburg)は、
salzが「塩」
burgが「城、要塞、砦」
つまり「塩の城」という意味だった。

ハルシュタット(Hallstatt)も、
ハルはケルト語で「塩」
シュタットはドイツ語で「町」
つまり「塩の町」
を意味している。

どちらも「塩の町」。

なぜケルト語なのか?
なぜ塩なのか?

参考図書として、

鶴岡真弓, 松村一男 (著)
図説 ケルトの歴史:
歴史・美術・神話をよむ
(ふくろうの本/世界の歴史)
河出書房新社

を読みながら、
背景となる歴史を眺めてみたい。
(以下水色部、本からの引用。
 2017年11月に新版が出たばかりだが、
 引用は旧版から)

 

ハルシュタットは、

「豊かな塩山を背景に、
 ハプスブルグ家の『塩』の御料地として
 栄えてきた」

のように紹介されることも多いため、
時代的にハプスブルグ家と
同期して考えてしまいがちだが、
実はその起源は恐ろしく古い

そもそもハルシュタット文化とは、
考古学上A期からD期に別れているものの、
なんと
紀元前1200年から紀元前475年ごろ
のことを指す。

つまり今から見れば、
3200年前から2500年前!


岩塩の採掘も、
紀元前8世紀ごろには盛んだったようだ。

参考図書にもこうある。

ハルシュタット時代には、
東方にスキタイ人、
南東にイリュリア人、ギリシア人、
アルプスの真南にエトルリア人がいたが、
ケルト人は地中海と北方を結ぶ
「塩の道」の交易路を支配していた


前700-500年頃まで
ヨ-ロッパにおける岩塩採掘の
センターとして栄えていた
のである。

今も一部は現役ながら、
「世界最古の岩塩坑」として
観光客に公開されている
「ハルシュタットの岩塩坑」の歴史は、
2500年以上ということになる。

 

というわけで驚くほど古くから
塩によって栄えていたハルシュタットだが、
その名を広く世界に知らしめたのは、
「ハルシュタット遺跡の発見」だった。

ハルシュタット遺跡の発見は
1846年

塩山の管理官ゲオルグ・ラムザウアーが
ハルシュタットC期(前750-600年)
とD期(前650-450/400年)
に当たる墓を発掘、

リンツやウィーンの発掘隊が加わって、
1863年までの17年間に
980の墓、
1万9497点の出土物が発見
された。

(中略)

シュリーマンによるトロイア発掘より
四半世紀も早い、
もうひとつのヨーロッパ源流の
大発見となった
のである。

「ヨーロッパ源流のひとつ」とは。

ここからの多くの出土品、
(装身具や武具、馬具、什器など)に
チェコ、スロバキア、オーストリア、
ドイツ南西部に展開された
この時期の鉄器の特殊性が認められたため
同地の名称で呼ばれるようになった。

参考図書の言葉を借りれば

ハルシュタット文化は
この遺跡を名祖(なおや)として、
東西に広がっている

 

なお、
このハルシュタット遺跡の発掘時には、

56年に皇帝フランツ・ヨーゼフと
皇后エリザベートが
第507号墓発掘に立ち会っている。

このお二人、56年以外にも
ここハルシュタットに立ち寄っているようだ。
湖畔にはこんな記念碑

P7138565s

も建っていた。

P7138566s

 

さて、
ずいぶん前置きが長くなってしまった。

町の散歩に出かけることとしよう。

険しい山肌に張り付くように
木造の家々が並んでいる。

P7128239s

それぞれの家には、
花が工夫して飾られており

P7128223s

見上げながら歩くだけでも気持ちがいい。

P7138266s

山と湖に挟まれた町は狭いので

P7128241s

町に入る車を制限している。

つまり、一般車両は
自由に町には入ってこられない。

P7128224s

大型バスはもちろん、
通常の観光客は、
町の入り口にある
大きな駐車場に車を停めて
基本的には皆、徒歩で町に入ってくる。

湖畔に出ると、
その独特な雰囲気に
思わず足が止まってしまう。

P7128235s

山と湖と
山肌に張り付く木造の建物の
バランスがなんとも言えず、
言葉にならない。

P7128218s

湖畔のレストランも
この景色の中で食事ができるなら、と
大盛況だ。

P7128221s

対岸の山々も美しい。

P7128229s

家から直接船にアクセスできる
京都、伊根町の舟屋のような家々も
湖畔に並んでいる。

P7128226s

まだ明るいが時間としては
もう午後7時。

P7128228s

湖畔を歩きながら、
夕食に向かうことにした。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2018年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
無料ブログはココログ