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2017年4月 9日 (日)

深谷の煉瓦(レンガ)

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深谷の煉瓦(レンガ)

- 東京駅から迎賓館まで -

 

埼玉県深谷市というと、
深谷ネギというネギが有名だが、
ここは明治の大実業家
「渋沢栄一」の出身地でもある。

第一国立銀行(現みずほ銀行)や地方銀行、
東京瓦斯(ガス)や王子製紙、
帝国ホテルやキリンビール、
一橋大学、同志社大学、日本女子大学校
東京海上火災保険や東京証券取引所、
などなど
渋沢栄一が設立に関わった企業や学校は
多種多様でその数、実に500以上。

まさに「日本資本主義の父」
と呼ばれるにふさわしい輝かしい実績。

どの会社も組織も、その後の発展と
日本社会への影響度、貢献度を思うと、
一生の間にこれほど多様な仕事が
できるものだろうかと、
にわかには信じられないほどだ。

そんな渋沢が
設立に関わった会社のひとつに
日本煉瓦製造株式会社」がある。
1887年(明治20年)に設立。

明治になって、急速に増え始めた
欧米に倣った近代建造物のための
赤レンガを製造、販売していた。

会社は2006年に廃業してしまうが、
レンガを焼いていた窯(かま)は、
重要文化財として今でも深谷に残っている。

実際に窯を見に行ってみた。

【ホフマン輪窯(わがま)】
ドイツ人ホフマンが考案した
煉瓦の連続焼成が可能な輪窯(わがま)。

Fukaya2_2

明治40年の建造で、
長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの
煉瓦造り。
陸上のトラックのような形状の
輪になっており、一周約120メートル。

見学は無料だが、
丁寧にも説明員がついてくれる。

Fukaya1

ヘルメットを被り、
窯の中に入って説明を聞くことができる。

Fukaya3

今は仕切りはないが、
内部を18の部屋に分け、
窯詰め・予熱・焼成・冷却・窯出しの
工程を順次行いながら移動し、
およそ半月かけて窯を一周したとのこと。

燃料の石炭は、粉にして上の穴から
15分おきに投入していたらしいが、
実際に窯に入ると、
その穴を下から見上げることができる。

Fukaya4

生産能力は月産65万個。
1968年(昭和43年)まで
約60年間煉瓦を焼き続けた。

木造平屋の会社の旧事務所も
輪窯と一緒に
国の重要文化財となっているが、
内部は今は史料館となっている。

Fukaya5

あんな大きな窯が、
最盛期には6基もあったらしい。

Fukaya6

各窯建屋の内部はこんな感じ。
一番下に窯。
煙突の途中にあるハの字にご注目。
窯の上にあった建屋の屋根の跡。

Fukaya7

この屋根の跡は今も煙突に残る。
あの高さにまで建屋があったわけだ。

Fukaya8

さて、この大規模な工場で作られた煉瓦は、
いったいどこに使われていたのか。

史料館で100円で購入した
「深谷の煉瓦物語」という小冊子から
代表的な建造物を紹介したい。

(1) 東京駅 丸ノ内本屋
明治41年に着工し、大正3年に完成。
辰野金吾の設計による
国内最大級の煉瓦建築。
深谷の煉瓦が約833万個使われた。

(2) 旧信越本線碓氷第三橋梁
  (碓氷峠鉄道施設〉
横川~軽井沢間の碓氷峠鉄道敷設工事は
明治24年に開始。
けわしい峠を縫う11.2km余りの区間には
26ものトンネルと18の橋が必要で
そのほとんどが煉瓦で作られた。
使った煉瓦1800万個
500人以上の尊い犠牲を出しながら
明治26年初めに開通。

(3) 法務省旧本館 明治28年完成
(4) 日本銀行本店本館 明治23-29年
(5) 表慶館 明治41年完成
(6) 旧横浜正金銀行本店本館
  明治37年完成
  (現・神奈川県立歴史博物館)
(7) 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
  明治41年

(1)-(6)はすべて重要文化財、
(7)は国宝。

(4)-(7)は、外見だけを見ると
石造建築のように見えるが、
実はいすれも深谷の煉瓦を使って建設され、
表面に石材を張って仕上げたものらしい。

鉄筋コンクリート建築に
とって代わられるまで、
本格的な西洋建築の多くは
煉瓦造だったとのこと。

建築・建造物に限らないが、
開国後、短期間でよくここまで
新技術・新文化を取り込んだものだ。

欧米列強に追いつこうとしていた
日本の勢いを、強く強く実感できる。

 

 

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2017年2月 5日 (日)

オランダ政府からのメッセージ

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オランダ政府からのメッセージ

- America Firstなら -

 

すでに1700万回も再生されているから、
ご存知の方も多いと思うが、
オランダが作った
「歓迎、米トランプ大統領」のビデオが
あまりにもよくできているので、
記録も兼ねて、ここに紹介しておきたい。

オランダ語の最初のコメントも含めて
全編英語字幕付き。
<再生>したらそのまま読めるよう
サイズをちょっと大きめに。

字幕があっても英語はちょっと、
という方も心配ご無用。
映像だけでもぜひ一度ご覧あれ。
作りがいいので、日本語訳はなくても
メッセージは伝わるはず。

 

このビデオ、タイトルにも

 The Netherlands welcomes Trump
 in his own words

とあるように、まさに「自分の言葉」で
歓迎の意を表している3分半の作品だが、
自慢あり、皮肉あり、批判あり、で
ほんとうに楽しめる。

まずはともあれ作品をどうぞ。

最初から大袈裟かつ大まじめ。

 This is a message from
 the government of the Netherlands.

 これはオランダ政府からのメッセージです。

でもそのまじめさが、
すでにおかしさを予感させる。
いきなりトランプ口調だし。

(1) William of Orange
オランダ建国の歴史から話が始まるのは
いかにも欧州の国らしい。
80年も争った戦争相手のスペイン人のことを
さんざんひどく言っておきながら、

 They're all dead now by the way.

 今は全員死んでいるけれどね。

とサラリとかわしている。

(2) オランダ語
「オランダ語は欧州で最高の言語だ」を
オランダ自身が言うのはいいとしても、
total disaster(大失敗)だとか、
fake(偽物)だとか、
トランプ氏が使った言葉を、
デンマーク語やドイツ語に向けて
もう言いたい放題。

欧州内では互いの言語を
この程度のジョークでなら
言い合うことがあるのだろうか。

(3) Pony Park
最後の部分

 you can grab 'em by the pony

で笑い声が入っているのは、
この文そのものの意味ではなく、
大統領選挙期間中に暴露された
トランプ氏の超下品な会話

 Grab them by the p***y

をイメージさせるからだろう。

(4) Afsluitdijk(アフシュライトダイク)
  締め切り大堤防

オランダが世界に誇る世界最大の堤防を
メキシコとの壁にたとえてのこの話。

「月からも見える」大西洋を挟みながらも、

 from all the water from Mexico.

 メキシコからの
 すべての水から我々を守るために、

と、奔放なセリフのスケール感に
頭がついていかない。
実際、長さ32km、幅90m、もある
堤防としては本当に巨大なもののようだが。

(5) Lee Towers
「トランプ・タワー」と「リー・タワー」
Leeさんのほうは
1946年生まれのオランダの歌手。
YouTubeでちょっと聞いてみよう。

確かにいい声だ。

(6) ミニチュア・タウン
Madurodamという
ミニチュアタウンを紹介しておいて、

 The squares are so small

 広場はとっても狭いので

それを埋めるのに
たくさんの人は必要ないよ、と。

(7) Black Pete
12月、聖二コラウスの日に行われる
伝統行事らしい。

伝統行事ながら、
英語版のWikipediaによると、
ニコラウスの仲間Black Peteについての
黒い顔に赤い口紅といった化粧は、
近年オランダでも人種差別的な側面から
論争の対象にもなっているようだ。

(8) 足が不自由な政治家
これまた、
大統領選挙期間中に問題となった
トランプ氏の障碍者の真似を
皮肉ったもの。

選挙期間中に報道されていた
見るに堪えない
トランプ氏の真似映像を思い出すと、
Klijnsma氏の、穏やかな笑顔と
議場での毅然とした姿が、
対照的に気高く、美しく見える。

(9) 脱税システム
脱税の仕組みがあるよ、と言ったうえで、

 You should tell your sons
 to put all your...
 sorry, their businesses here.

 あなたの息子さんたちにあなたの
 失礼、彼らのビジネスをここに

とのわざとらしい言い間違いで、
「あなたの」を強く印象付けている。

(10) そして最後はコレ!
America Firstなら

 The Netherlands second?

やられた!という決め台詞。
噴出さずにはいられない。

 

それにしても、全編
It's great. It's true.
を繰り返しながら
トランプ氏の口調自体を
完全におちょくっている。

オランダのことを
ちゃんと紹介しながらも
笑いあり、批判ありで
メッセージ性もバッチリ。

しかも、
全体が安っぽい作りになっておらず、
仕上がりは極めて上質。


くやしいけれど、残念だけれど、
日本がほんとうに不得意な分野だと思う。

 

 

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2017年1月15日 (日)

日本海、浅い海峡と小さな遭遇

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日本海、浅い海峡と小さな遭遇

- 230年前のスケッチ -

 

以前、ちょっと回転しただけなのに
日本列島が見慣れない形で現れるこの地図

Easia

(地図の購入はこちら
と、日本海について
この本を紹介した。

蒲生俊敬著
「日本海 その深層で起こっていること」
講談社ブルーバックス


(日本海についての過去の記事は
 こちらこちら

この本から、もう2点
興味深い話を紹介したい。
(以下水色部と図は本からの引用)

まずは1点目。
本では、日本海の特徴を
下記3点にまとめている。

① 外部の海とつながる海峡が浅く、
  地形的な閉鎖性が強い
こと。

② 対馬暖流がつねに流れ込んでいること。
③ 冬季に北西季節風が吹き抜けること。

この①について、
ちょっと驚く数字がある。

地図で見れば明らかなように、
日本海は、間宮、宗谷、津軽、対馬の
4つの海峡で外部の海と繋がっている。
この4つの海峡は、幅が狭いだけでなく、
とにかく浅い


どれほど浅いか。
本文から数字を集めて並べてみた。
(「約10メートル」の「約」は省略して引用)

  日本海の深さ
  平均水深 1,667メートル
  最大水深 3,800メートル

  4つの海峡の深さ
  間宮海峡   10メートル
  宗谷海峡   50メートル
  津軽海峡  130メートル
  対馬海峡  130メートル

もう少しイメージしやすくするため
日本海を
平均深さ50cmのバスタブとしてみよう。
海峡は、外部の海と繋がる
「縁の窪み」ということになる。

  間宮海峡   0.3cm
  宗谷海峡   1.5cm
  津軽海峡   3.9cm
  対馬海峡   3.9cm

一番深い対馬海峡でもわずか4cm
いかに「閉鎖性が強い」かがよくわかる。

このことが、②③との組合せで
海水の対流(熱塩対流)や付近の天候に
大きな特徴をもたらすのだが、
その詳細は本のほうにゆずりたい。

いずれにせよ、この閉鎖性が、

ある大潮の時期に、
同じ青森県でも
太平洋に面した八戸では干満の差が
130センチメートルもあるのに、
日本海に面した深浦では、
わずか20センチメートル程度しか
海面が変化しません。

の原因。

若狭湾に面する京都府与謝郡伊根町
 「舟屋」のような、
 1階が船のガレージ、
 2階が居間となった
海辺ぎりぎりの独特な建物が成立するのも、
日本海だからこそと言える。

 

日本海についての話、2点目は
歴史的エピソード。

フランスのJ・F・ラペルーズが、
1787年に日本海を探検したときのこと。

 ラペルーズ率いるフリゲート艦2隻は、
1787年5月25日に
対馬海峡から日本海に入ります。

1797年に出版された
「ラペルーズ世界周航記」の付図には、
日本海を東へ進んだあと、
能登半島沖で北西に向きを変えて、
ロシア沿岸を北上した航跡が
記されています。
Nihonkai1

 

このラペルーズ率いる2隻のフリゲート艦が、
日本海でふしぎな和船と遭遇しています。

遭遇場所は、

Nihonkai2

の、"MER DU JAPON"と表記されている
"MER"と"DU"の中間あたり。

1787年6月2日のこと。

対馬海峡から日本海に入った
ラペルーズ隊の前方から、
2隻の日本船(北前船)が近づいてきた。

 2隻のうち1隻は、通常の弁才船

Nihonkai3

だったが、もう1隻は
いっぷう変わった形状をしていた。

230年近くも前、フランスの軍艦が
日本海で偶然見かけた日本の船の形状、
なぜそんなことがわかるのか。

まだ写真のない時代でしたが、
ラペルーズ隊のブロンドラ海軍中尉が
これらの和船を巧みにスケッチしました。

その絵が現存しており、
『ラペルーズ世界周航記・日本近海編』
(小林忠雄編訳)に添付されています。

なんとその船のスケッチが残っているのだ!
しかも精緻で美しい。

Nihonkai4

 

 和船研究の権威である
石井謙治や安達裕之によれば、
この船は「三国丸(さんごくまる)」といい、
江戸幕府が1786年10月に
就航させたばかりの1500石積み廻船でした。

「三国」という名称は、
この船が
 和船、
 中国船、および
 西洋船(オランダ船)
の3種の船の長所を
組み合わせた折衷(せっちゅう)船
であることに由来しています。

 唐船づくりの船体に
和式の総矢倉を設け、
船体の中央には和式の本帆、
船首と船尾には洋式の補助帆(三角帆など)
を備え・・・、といったぐあいです。

しかも、三国丸のような和洋折衷船は、
当時の日本でこの一隻だけだったという。
なんという偶然。

『世界周航記』(小林忠雄編訳)には、
そのときのようすが
興味深く記載されています。

「我々は日本人の顔が
 観察できるほど近くを通過したが、
 その表情には恐怖も、驚きも
 表われていなかった」

「すれ違いながら呼びかけたが、
 我々の問いは彼らの理解をえられず、
 彼らの答弁も我々にはわからなかった。
 日本船は南方に航海をつづけた」

コミュニケーションは
取れなかったかもしれないが、
そこまで近づいてきた
異国の船(しかも軍艦)に
三国丸の人々は、
どれほど驚いたことだろう。

三国丸はその一年後、
1788年9月、暴風に見舞われ
出羽国赤石浜に漂着。
そこで破船。

 実働わずか2年たらず。
同型船が再建されることは
なかったという。

 

日本にわずか一隻、しかも
たった2年しか存在していなかった船が、
はるかフランスからやってきた軍艦と
230年前の日本海上でたまたま遭遇。
その時のフランス人の正確なスケッチが
ちゃんと残っているなんて。

貴重なスケッチは、
たった一枚でも物語を運んでくれる。

 

 

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2016年10月23日 (日)

ソングライン

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ソングライン

- 歌は地図、大地は楽譜 -

 

2016年10月5日の朝日新聞夕刊。
池澤夏樹さんが
コラム「終わりと始まり」に
「アポリジニの芸術
 人と土地をつなぐ神話」
なる文章を書いているが、
その中に、
「ソングライン」という言葉が出てくる。
(以下緑色部、記事からの引用)

 数万年前から文明に依らずに
生きてきた人たちがいる。
オーストラリアのアポリジニ(先住民)。

 彼らは速い昔にあの大陸に渡り、
その後は地殻変動で他の地域から隔離されたまま、
延々と世代を重ねてきた。

 雨が少ない土地なので農耕はむずかしい。
狩猟採集で生きることになるけれども、
密度が薄いので移動を続けなければ
充分な食料が得られない。

オーストラリアには馬やラクダやリャマのような
駄獣がいなかったので、
人は持てるだけのものを持って旅を続けた。
都市とも文明とも無縁な歴史

 その代わりにかどうか、
彼らはとても精緻で壮大な神話体系を作り上げた。
世界解釈としての神話である。

世界は遠い過去に創造されたのではなく、
人間の動きと共に今も創造されつつあり、
それは未来へも続く


 大事なのは人間と土地との絆だ。
すべての土地に固有の神話があって、
人間はいわばそれを鋤(す)き返しながら旅をする。

そのルートは歌で記憶されるから
ソングラインと呼ばれる

「ソングライン」、歌の道、
なんとも惹きつけられる言葉だ。

この言葉を初めて知ったのは、
ブルース・チャトウィンが書いた、
「ソングライン」
という本だった。

(今は、北田絵里子訳で復刊されているようだが、
 以下水色部は、右側の芹沢真理子訳からの引用)

「ソングライン」
単語の訳は簡単だが、
そもそも歌の道とは何なのだろう?

オーストラリア全土に延びる
迷路のような目に見えない道のことを知ったのは、
アルカディが教師になってからのことだった。

ヨーロッパ人はそれを"夢の道"
あるいは"ソングライン"と呼んだ


アポリジニにとって、
それは"先祖の足跡"であり"法の道"であった。

 アポリジニの天地創造の神話には
さまざまな伝説のトーテム
(未開の部族集団が
 血縁関係が有る祖先として信仰する自然物、
 あるいは記号
。動植物が多い。)
が登場する。

彼らは旅の途中に出会ったあらゆるもの、
鳥やけものや植物や岩や温泉の名前を歌いながら

そしてそうすることで
世界の存在を歌に歌いながら、
"夢の時代"、この大陸をさまよったのである。

その「ソングライン」を探しに行っている。

 私がオーストラリアにやってきたのは、
ソングラインとはいかなるものなのかを、
そしてそれがどのように機能しているのかを、
他人の書物からではなく、
自分のカで知るためだった


明らかに、私はソングラインというものの核心に
近づいていなかったし、
またそうしようともしていなかった。

私はアデレードで、その筋の専門家を知らないかと
女友だちに声をかけた。
彼女はアルカディの電話番号を教えてくれた。

さて、見えてくるだろうか、ソングライン。
もう少し先を読んでみよう。

 つづいて彼は、
各トーテムの先祖がこの国を旅しながら、
どのようにして
その足跡に沿って歌詞と旋律の道を残し、
どのようにしてそれら"夢の道"が
遠く離れた部族との
コミュニケーションの"方法"として
大地に広がっていったのかを、説明した。

歌が地図であり、方向探知器でもあった

と彼は言った。

「歌を知っていれば、
 いつでも道を見つけ出すことができた」

「それで"放浪生活"に出た人は
 いつもそうしたソングラインの上を
 歩いていたのかい?」

「昔はそうだった」彼は同意した。

「いまはみんな汽車や車で行く」

「もし、ソングラインをはずれたら?」

「他人の土地に侵入することになる。
 そのために槍を持っていたのかもしれない」

「でもその道からはずれさえしなければ、
 いつでも自分と同じ"夢"を共有する
 仲間を見つけられたわけだね? 
 それは、つまり、兄弟かい?」

「そう」

「その人たちからは
 もてなしを期待することができたのかい?」

「その逆もね」

「ということは歌はパスポートとか
 食事券のようなものだな?」

「もう一度言うが、もっと複雑なものなんだ」

 少なくとも理論上は、オーストラリア全土を
 楽譜として読み取ることができた。

 この国では歌に歌うことのできない、
 あるいは歌われることのなかった
 岩や小川はほとんどないのだ

歌が地図であり、方向探知器。
歌うことと、
存在することの深い関係は、
考え方自体が新鮮だ。

 アポリジニは、すべての"生きもの"が
大地の皮の下でひそかにつくられた
と信じていた。

それと同様に、白人の持ち込んだ道具 
-航空機、銃、トヨタのランドクルーザー-
のすべて、
将来発明されるであろう品物のすべても、
そうだと信じていた。

それらは地面の下で眠っており、
呼び出されるのを待っている
のだ。

「ひょっとしたら」私はふと思いついた。

歌うことで、彼らは神が創造した世界に
 鉄道を呼び戻す
のかもしれないね」

「そのとおり」アルカディが言った。

地下で眠っていたものが、
歌によって呼び出され、存在することになる。

「で、取り引きルートは
 かならずソングラインに沿っている、
 そうおっしゃるのですね?」

「取り引きルートがソングラインなのです」

フリンが言った。

「というのは、物ではなく歌が、
 交換の主要媒体だからです


 物のやりとりは歌のやりとりに
 付随して起こる結果なのです」

 彼はつづけた。

白人が来る前は、
オーストラリアで土地をもたない者はいなかった。

誰もが、私有財産として一連の先祖の歌と、
その歌が通過する土地を受け継いだからだ。

歌の文句は土地の権利書だった。
それは他人に貸すこともできた。
そのお返しに歌の文句を借りることもできた。

やってはいけないことは、
それら歌の文句を売ったり捨てたりすることだった。

 

この本、紀行文のように読めるが、
訳者はあとがきで
「一見ノンフィクションの観を呈している」

と言っているので、ちょっと注意が必要だ。
紀行小説と言えば正しいのだろうか。

アポリジニの考え方に触れながら、
「ソングライン」をはじめ、
「遊牧民」「放浪」「定住」などについて
自由に思いを巡らしながら読むのがいい。

 次に理解しなければならない大事な点は、
あらゆる歌が、部族や境界線に関係なく、
言語の壁を飛び越えることだ。

ある"夢の道"が北西部のブルーム付近から始まり、
20以上もの言語地域を通り抜け、
アデレード近くの海に達する
ということもあるのだ。

「それでもなお」と私は言った。

「それは同じ歌なのですね」

「われわれは」フリンは言った。
「歌を"味"や"匂い"で識別する、と言います。
 もちろん、それは"旋律"という意味です。
 最初の小節から最後の小節まで、
 旋律はずっと同じなのです」

「歌詞は変わるが、メロディーはそのままなんだ」
とアルカディがふたたび口をはさんだ。

「ということは」私はたずねた。

正しい旋律を口ずさむことができれば、
 若者でも放浪生活に出て、
 オーストラリアを横切る
 自分の歌の道をたどることができた

 そういうことですか?」

「理論的には、そうです」フリンは同意した。

言葉は単純ながら、
簡単には理解しにくいソングライン。

別な本の記述も借りてしまおう。

浦久俊彦著「138億年の音楽史」
講談社現代新書

(以下薄紫部、本からの引用)

・・・
ひとつの大陸を歌によって
描こうとした民族
にふれておきたい。

オーストラリアの先住民族アポリジニである。
彼らは、自分たちの世界で出会った
あらゆるものを歌にして歌ってきた。

ひとつの岩、川のせせらぎ、森の樹木など、
ひとつひとつに歌がある。
・・・
それはまるで、
大地そのものが楽譜であるかのようだ
・・・
大地に存在するあらゆるものはランドマークとなり、
そのひとつひとつが歌として記憶され、
それを線のようにつないで歩めば、
必ず目的地にたどり着くことができたというのだ。

「ソングライン」と名付けられた、
オーストラリア大陸に
無数に張り巡らされた目にみえない歌の道。

この世界観のユニークなところは、
アポリジニの人々にとっては、
彼らによって歌われるまで世界は存在していなかった、
というところにある。

つまり、これは音楽による天地創造の物語なのだ。

命は歌によってかたちを与えられ、世界が創られる。

存在するとは知覚すること。
その知覚が、彼らにとっては歌うということだったのだ。

上記、チャトウィンの
「ソングライン」もこんな風に紹介されている。

 イギリスの作家ブルース・チャトウィンは、
語り部とともに旅をしながら、
オーストラリア全土に張り巡らされた
迷路のような歌の道の伝統が、
いまも人々に継承され、語り継がれていることを、
紀行小説『ソングライン』に描いた。

「先祖たちは歌いながら世界じゅうの道を歩いた。
 川を、山脈を、塩湖を、砂丘を歌った。
 狩り、食べ、愛を交わし、踊り、殺した。
 歩いた跡には、音楽が残された」
 (北田絵里子訳)。

 ソングラインとは? という質問を繰り返しながら、
彼は、現代に受け継がれた
この伝説と生きる人々とともに、
アポリジニの先祖たちが刻んだ詩と旋律の
道の足跡をたどり続ける。

ここまで読んでも、
すっきりと「わかった」とは言い難い。

それでも、ソングラインの記述を通して見えてくる
アポリジニの世界観は、
歌によって世界を創造するというその世界観は、
音楽好きの私にとってはなんとも魅力的だ。

 

 

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2016年10月 2日 (日)

文字の博覧会 (4)

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文字の博覧会 (4)

- 布教のために文字考案 -

 

「文字の博覧会」
からの報告の4回目。

(1):ビルマ文字が丸くなったのは
(2):上下左右なし、鏡文字もOK
(3):現役の象形文字
と書いてきたが、文字の話は
今日で一旦一区切りとしたい。

前回に引き続き、
ちょっと形の変わった文字を見てみよう。

参照するのは、これまで同様、当日のメモと
パンフレットとして売られていた

(以下、水色部と文字の写真は
 上記の本からの引用)

 

(4-1) 中国:規範彝(い)文字

Roro

彝(イ)族が奇怪な文字を用いていることは、
18世紀、フランス人ドローヌの
報告書によって明らかになった。

象形文字を音節文字にした文字で、
7~8世紀頃に作られた。
四川のみならず、貴州省、雲南省でも
同様の文字を用いており、
さん文、ロロ文字とも呼ばれる。

時を経て、1980年、
四川省は旧来の文字をまとめ、
規範彝(イ)文として公布した。

文字は819字あり、
字形は相互に関連性を持たない

写真は、1991年の凉山日報という新聞の一部。
この文字で、
ちゃんと日刊の新聞が発行されている。

 

(4-2) エスキモー文字

Esukimo2

この写真は、中西コレクションデータベースから

イギリス人宣教師の
ジェームズ・エヴァンスが1840年頃、
布教のためにカナダ先住民の言語を
表記するために考案した。

クリー語、
イヌクティトゥット語、
チペワイヤン語、
などでも使用されていた。

一瞬、数式の一部かと思ってしまうような文字列。

それにしても「布教のために」
文字まで作ってしまうなんて。

展示会では、ほかにも
モルモン教布教のために考案された
デザレットアルファベットなども展示されていた。

 

(4-3) アフリカ:マンドンベ文字

Mandombe1s

この写真は、アフリカ固有の文字から

ブログを書くために
いろいろ調べているうちに出遭った文字。
文字の博覧会で見かけたわけではないのだが、
どうしても紹介しておきたかったのでお許しあれ。

詳しい説明は引用した
アフリカ固有の文字
ご覧いただきたいが、
この形、インパクトが強すぎる。

 

4回にわたって
主に「文字の博覧会」から
特徴ある世界の文字を紹介させていただいた。

第一回目に書いた通り、
これらの文字を集めたのは中西亮さん。
実は、中西さんの、まさに唯一無二の
文字収集活動については、
ずいぶん前から知っていた。

なのでいくつか関連記事もスクラップしてある。
そんな中から、亡くなった後の
新聞記事を添えておきたい。
今から22年も前の古い記事だが。

朝日新聞 1994年6月4日の記事

A940604_s

以下 緑色部はこの記事からの引用。

文字の美しさと多様性に魅せられた
京都市の元印刷会社社長が120カ国を歩き回り、
400種類といわれる世界の文字の
ほぼすべてを収集した。

 

朝日新聞 1994年6月11日の天声人語

A940611_nakanishi_s

以下 茶色部はこの記事からの引用。

漢字も面白い。
字体をみだりに変える者は斬首(ざんしゅ)せよ
と厳命した王のおかげかどうか、
と中西さんは書いているが、
とにかく漢字は二千年間その姿を変えず、
私たちは漢代の文書をそのまま読むことができる

 

6月4日の記事にはこんな記述もある。

経口の抗がん剤を持ち
アフリカのサハラ砂漠へ旅立った。
トゥアレグ族の人たちが守り続けたという
ティフナグ文字を探した。

腰や背中の痛みに耐えて、ついに念願を果たした。

最後に辿り着いた「ティフナグ文字」とは
どんな文字なのだろう。
ちょっと見てみよう。

Thifunagu

この写真は、中西印刷株式会社「世界の文字」から

 

国立民族学博物館顧問の梅棹忠夫さんの話 

中西さんの研究は極めて有意義なものです。
これほどの研究は外国にもないのではないか。
言語学的にきちんと調べて
資料を集められている。

この資料が散逸するのを心配しています
ご遺族のご了解があれば、
整理したうえで永久保存し、
研究に役立てられるような方法
を探したい。

その後、資料は梅棹さんの希望通り、
国立民族学博物館に寄贈され、
中西コレクションとして保管、公開されている。

まさに、

ひとりの人間の情熱が、
何とすばらしい文化的財産を残したことか。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2016年9月25日 (日)

文字の博覧会 (3)

(全体の目次はこちら


文字の博覧会 (3)

- 現役の象形文字 -

 

「文字の博覧会」
からの報告の3回目。

前回までで
特に文字種の多い、
東南アジアとインドから
特徴的な文字を紹介した。

今日は違う視点で文字を選んでみたい。

参照するのは、これまで同様、当日のメモと
パンフレットとして売られていた

(以下、水色部と文字の写真は
 上記の本からの引用)

まずは、「歴史」観点でこの文字から。

 

(3-1) ヘブライ文字

Heburai

漢字は漢の時代に
漢字として成立してから今までほとんど
その姿を変えていない。
その古さは2100年といえる。

しかし、
現在のイスラエルの国語であるヘブライ語を記す
ヘブライ文字は、
紀元前5世紀に聖者エズラが形を定めてから、
すでに2400年以上経っている


その間、国は滅び、
民族は世界中に離散したにもかかわらず、
紀元前の「死海文書」と現在の新聞の文字が
ほとんど変わっていないのはまさに驚異である。

古代ヘブライ語とヘブライ文字は国と共に滅びたのに、
1948年にイスラエル共和国が成立すると
公用語として復活


その文字が、
紀元前1世紀に書かれた手写本「死海文書」の文字と
ほとんど変わっていないというのだから、確かに驚く。

アラム系文字は子音字のみなので、
読むときは文脈に応じて母音を補う。

ヘブライ文字には漢字のように書道がある
手写本はいずれも美しく書かれ、
一字一句の書き誤りもない。

この文字もまた第一回のラオ文字同様
子音字のみで、
読むときに母音を補うパターン。

それにしても書道があるなんて。

以前、米国人に英語で書道を説明しようとして
たいへん苦労したことを思い出した。

もちろん私自身の貧弱な英語力のせいだが、
英文書体を美しく書く
「calligraphyとどう違うのか?」の質問に
うまく答えられなかった。

まだ、スマホやタブレットもなかった時代で
書道の例さえ見せられなかったつらさはあるが、
仮に見せられたとしても、
どう表現すればよかったのだろう?

今でもすっきりした説明が思いつかないままだ。

 

イスラエルのエルサレム
聖書が今に生きている町で、
ユダヤ人街、イスラーム教街、
キリスト教街、アルメニア人街に4分され、
それぞれが宗教の最高の聖地となっているが、
互いに無干渉に暮らしている。

イスラーム教街ではヘブライ文字は
ほとんど見られず、
全てアラビア文字なのも面白い。

では、そのアラビア文字を見てみよう。

 

(3-2) アラビア文字

Arabia1

アラム文字系の文字で母音がなく、
大文字、小文字の区別のない28文字を
右から左へ、英語の筆記体のように連続して綴る。

文字は
独立形、語頭形、語中形、語未形と
4つの形があり、
同じ文字でも位置によって形は変わる


イスラーム教の文字で
『コーラン』は常に
アラビア語で書かれる

IS関連のニュースが多い昨今、
イスラム教の聖典「コーラン」を
よく耳にするようになったが、
「コーラン」は「アラビア語」のみ、
というのが大きな特徴。

キリスト教が、
聖書の各「言語」訳どころか、
文字のない民族には新しい文字まで作って
布教しようとしていた歴史とは対照的だ。

私にはもちろん読めないが、
見ているだけで一種のリズムを感じる。

 

見ているだけで、と言えば、
アラビア文字を基にしたペルシャ文字も外せない。

(3-3) ペルシャ文字

Perusya

ナスタアリーク体で書かれた、
ペルシャの詩人の自筆書。

ペルシャ文字は32文字の文字体系から成る。
アラビア文字を受け入れたぺルシャ人は、
これに若干の改良を加えた上、
ナスタアリーク体という優雅な書体を作り出した。

「炎がたなびくような書体で、
 美しいリズムが紙面から伝わってくるが、
 優雅すぎて活字にはならない」 

と中西さんは指摘する。
新聞は他のアラビア文字と同じ
ナスヒー体で印刷されている。

「炎がたなびくよう」とはうまい表現だ。

 

ここからは
ちょっと形の変わった文字を見てみよう。

(3-4) ナシ象形文字

Tompa

中国のチベットや雲南省に住む
少数民族のナシ(納西)族の司祭である
トンパの間のみで継承されてきた文字で、
トンパ文字ともいう。

口語ではなく、解読は難しいとされている。
2003年ユネスコの世界の記憶遺産に登録された。

象形文字というと古代エジプトで使われていた
ヒエログリフがすぐに浮かぶが、
これは利用が限定的とはいえ、
まさに「現役」の象形文字だ。

 

こういった絵のような象形文字は、
なんと沖縄県にもあったらしい。

(3-5) カイダー文字

Kaida

沖縄県八重山列島で用いられた文字。
税金や米の収穫量などを記録するための文字で、
一部で昭和前期まで用いられた

現役とは言えないまでも、
「昭和前期まで」使われていたとは。
全く知らなかった。

 

(3-6) ベルベル文字

Beruberu

アラビア語が主流の
北西アフリカで生き続ける文字で、
貴族階級の女性たちが守り伝えたとされる。

国民の3割がベルベル人のモロッコでは
2011年にこのベルベル語も公用語になったらしい。

 

世界の文字の話、もう少し続けたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2016年9月18日 (日)

文字の博覧会 (2)

(全体の目次はこちら


文字の博覧会 (2)

- 上下左右なし、鏡文字もOK -

 

「文字の博覧会」
からの報告の2回目。

前回、多彩な文字を持つ
東南アジアの文字から紹介を始めたら、
実際にタイに住んでいた方から、
近隣諸国訪問時の印象も含めて、
丁寧なコメントをいただいた。

実感を伴ったコメントは、
ほんとうにうれしい。

というわけで、
もう少し東南アジアの文字を見てみたい。

参照するのは、当日のメモと前回に引き続き
パンフレットとして売られていた

(以下、水色部と文字の写真は
 上記の本からの引用)

今日は、タイ文字から見てみよう。

 

(2-1) タイ文字

Tai

タイ語はシナ・チベット語族に属し、
一語が一音節から成り、
声調(中国の四声のような上下アクセント)を
持っている。

古いクメール文字を基にした
インドのブラーフミー系の文字。

声調記号なども導入して工夫されている。

「これは読みません」
「この後は余りに長いので略します」

といった記号もある

なんという記号だろう。
「読みません」をわざわざ書くなんて。

文字のページではなく、
タイ語のページで調べてみると、
これは、タイ語にインド系の語が多いことと
深く関係があるようだ。

インド由来の単語が
 「発音」はタイ語っぽく変化、
 とろこが「綴り」はもとのまま。
その結果、音と綴りに乖離が生じ、
英語knife(ナイフ)のkのようなサイレント文字や
「読みません」をわざわざ書く「黙示符号」が
登場してきたらしい。

他にも、Wikipediaで「タイ文字」を見ると、
「詩の節のはじまり」を表す文字、
「詩の節や章の終わり」を表す文字、
「文書や物語の終わり」を表す文字、
なども「文字」として存在している。

「音」以外の視点の違いは新鮮だ。

 

(2-2) マンヤン文字

Manyan

フィリピンの公用語であるタガログ語は
ラテン文字で記すが、
ミンドロ島のハヌノオ・マンヤンは、
独自の言葉と文字を守り続け、
竹片に小刀で文字を刻んでいる。

上下左右に決まった向きはなく、
左利きは左右反転した文字を書く

上下左右の向きもなく、
左利きの鏡文字もOKとは。

本を上下左右4人ではさんで、
四人同時に読めるということだろうか?

そういえば、
フィリピンについては、
こんなエピソードも添えてある。

 マゼランは
1521年にフィリピンに上陸し
まもなく殺されるが、
彼に随行した宣教師はフィリピンでは
各島それぞれに文字があると
驚きを持って書き記している


その後のスペイン支配下で
このことは全く忘れ去られたが、
19世紀に、独特の文字を持つ
山岳少数民族が発見された。

その文字がなんと
マゼラン一行が記録した文字と似ているという。

私は、古代文字を
守り続ける人たちに会いたくなった。

しかし、
フィリピン平地人からは
尻尾があると信じられているくらい、
隔絶された山岳民であった。

 

(2-3) シャン文字

Syan

ミャンマー東部のシャン族の文字。
仏教説話の一部。
この資料、ご覧の通りとにかく筆跡が美しい。

 

インド方面に目を移してみよう。
まずは公用語のこの文字から。

(2-4) デーヴァナーガリー文字

Deva

「都会の文字」を意味するナーガリーに
デーヴァ(神)を冠して呼ばれるようになり、
サンスクリット語の写本に用いられて
広域に伝播した。

現在、インド連邦の公用語は
デーヴァナーガリー文字で表記された
ヒンディー語
と定められている。

デーヴァ・ナーガリー文字と読むと読みやすい。

ヒンディー語だけでなく、
ネパール語もこの文字を使っている。

 

(2-5) グルムキー文字

Gurumuki

16世紀、インド北西部の
パンジャーブ地方にシク教が興り、
第2代グル・アンガドは、
初代グル・ナーナクの教えを正確に
民に伝えるためにグルムキー文字を創製した


グルムキーは
「グル(最高指導者)の口」の意である。

それまでこの地方のパンジャーブ語を
表記していたランダー文字は

「書いた人以外には絶対読めないのが唯一の欠点」

といわれた不完全な文字
で、
グル・アンガドはランダー文字や
デーヴァナーガリー文字を改変して
文字を作ったとされる。

前身のランダー文字とはどんな文字だったのだろう。
「書いた人以外には絶対読めない」って
そもそも文字と言えるのだろうか?

「唯一の欠点」という表現が笑える。

 

(2-6) オリヤ文字

Oriya

インド東部のオリッサ州で話される
オリヤ語を表すオリヤ文字は、
北方系のデーヴァナーガリー文字と
同系列に属する。

しかしその形状は中西さんが

「坊主頭が並んだようで一度見たら忘れられない」
 
と言う通り、上部がすべて丸く、
文字に水平の直線は一つも現れない。

「坊主頭が並んだよう」の表現はぴったりだ。

そしてその理由として、
この地域が熱帯雨林地帯でヤシが多く、
貝葉(ヤシの葉)に鉄筆で刻み、
墨を入れて文字を記したため、
横線を引くと葉が裂けたのであろう、
と推測している。

前回のビルマ文字同様、
葉に書くことが、文字の形に影響しているようだ。

 

世界の文字の話、もう少し続けたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2016年9月11日 (日)

文字の博覧会 (1)

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文字の博覧会 (1)

- ビルマ文字が丸くなったのは -

 

文字の博覧会
- 旅して集めた
 “みんぱく”
 中西コレクション - 展

P8275602s

を8月下旬、
東京京橋のLIXILギャラリーで観てきた。
(ちなみに、"みんぱく"とは
 国立民族学博物館のこと)

まさに世界の文字だけを並べた博覧会。
「中西コレクション」とあるように
文字を集めたのは
中西亮(あきら)<1928-94>さん。

中西さんは、
25年の間に100を超える国々を自らの足で回って
95種類の文字を集めた
世界でも稀有な文字ハンター。

その収集資料は、現在
「中西コレクション」として、
国立民族学博物館に収められている。

今回の博覧会は、
3,000点近くのコレクションから
約80点が選ばれて展示されていた。
規模は小さかったが、見応えは十分!

見る方も、集中力が持続できるので、
このくらいの規模のほうがかえって見やすい。

 

世界中には数千の言語があると言われているが、
使われている文字の種類は驚くほど少ない。

パンフレットとして売られていたこの本

によると、わずか「約40種」

中西さんが社長をつとめていた
中西印刷のページでは、

ひとくちに現用といっても、
「実際に使われている」かどうかを判別するのは
なかなか困難です。

文字というのは案外簡単に創作できてしまいますし、
民族的な理由や宗教的な理由から
特殊な文字がわざと使われる場合もあります。

ここでいう現用とは
「日刊の新聞が発行されている」

という基準をとりました。

と述べて、現用文字は28種と言っている。

現用文字だけでなく、
歴史的に滅びてしまった、
使われなくなってしまった文字を入れても
300種程度しかないと言う。

そのうち95種を集めたというのだから、
中西さんのコレクションがいかにすごいものかは
それだけでもよくわかる。

今日は、この博覧会から、
目に留まったものを幾つか紹介したい。

(以下水色部と文字の写真は上記の本
 「文字の博覧会」からの引用。
 展示の説明書きにも同じ文章が
 使われたりもしていた)

現在、地球上で使われている
ほぼ全ての文字が
アジアに集まっている。

と書かれているほど、アジアの文字は多彩だ。
まずは、これをご覧あれ。

 

(1-1) ビルマ文字

Birumaa

特徴的なのは文字の形。
どうしてこんなに丸いのだろう。

ビルマ文字に限らず、
文字は、書く媒体や筆記具に
かなり依存する。

つまり、何に何で書くか、にヒントがある。

多羅樹(たらじゅ)という
ヤシの葉に文字を書くため、
直線的な文字では葉が裂けやすいことから
変形していき、独特の丸い文字になったと
考えられる。

 

一文字一文字については、
こんなおもしろいエピソードもある。

ビルマ文字は
○の上下左右の切れ目で発音が変わる。

(〇の上空き)∪が「パ」、
(〇の下空き)∩が「ガ」、
(〇の右空き)Cが「ンガ」、
(〇の左空き)が数字の1。

ミャンマーからの留学生が
日本で目の検査を受けた時、
ついこれを読んでしまったという話がある。

 

ところでこのほんとうによく似た文字の列、
すらすらと読めるなんてちょっと不思議だ。

その文字を使わない外国人には、
「同じ字に見えてしまう」ことについて、
日本語でのたいへんわかりやすい例

挙げてあったので、それを添えておきたい。

ビルマ文字は活字をもってしても見極めが難しく、
日本人の目には全て同じ字に見えてしまう。

外国の人に
街頭の「ガソリン」という看板を見て、
あれがどうして読めるのだと聞かれたことがある。
彼らにしたらソリンは同じ文字に見える
というのだから、それと一緒なのだろう。

 

この文字は、仏教経典でよく使われる
パーリ語という専用言語にも使われているらしい。

 

(1-2) ラオ文字

Raoa

ラオスで使われているラオ文字。

この文字の前で思わずメモってしまったのは、

文字はすべて子音字
母音、声調は付加記号で示す。

という説明書き。

「すべて子音字ってどう読むの?」
と思ってしまうが、
ヘブライ文字のところにも、
アラム系文字は子音字のみなので、
 読むときは文脈に応じて母音を補う」
とあった。

 

(1-3) クメール文字

Kumerub

中西さんが、世界の文字の魅力にとりつかれる
きっかけとなったカンボジアの文字。

アンコール時代より
文字の上に波型の飾りを付けて
荘厳味を持たせるようになり

これが現代のクメール文字の鉤形として残り、
外見上の特徴となっている。

 

まだまだおもしろい文字はいっぱいある。
世界の文字の話、もう少し続けたい。

 

最後に、
文字の博覧会とは全く関係ない話をひとつ。

先日、こんな写真がtwitterで回ってきた。
「ニューヨークで見かけたツ」と紹介されていた。

Newyorktsu

日本人が見ると
どうしても「ツ」が先行してしまうが、
「ツ」を忘れるようにして見ると、
なるほど、コメディアンのドヤ顔というか、
顔文字の笑顔が見えてくる。

アメリカ人には「ツ」が見えない分、
笑顔が見えているのだろう。

上に書いた「ガソリン」の話で思い出した
おまけの一枚。

 

 

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2016年9月 4日 (日)

箱根関所

(全体の目次はこちら


箱根関所

- 大工の棟梁が原文を読んだ理由 -

 

今年の夏休みは「箱根」を楽しんできた。

P8115367s

小田急の箱根フリーパスを使ったので、
3日間、エリア内の乗り物が乗り放題。
車の運転ゼロでの箱根は初めてだ。

登山鉄道、バス、ケーブルカー、

P8105271s

ロープーウェイ、芦ノ湖海賊船、

P8115310s

行ったり来たり自由自在。
乗り放題なのは気軽でうれしい。

今回は中年夫婦ふたりでの小旅行だったが、
小学生くらいの男の子を連れて行ったら、
それはそれは喜ぶことだろう。
(ロープーウェイにはしゃぐ私に、
 「ここに大きな小学生がいる」
 と妻は笑っていたが)

P8115305s

火山活動により
一時運休していたロープーウェイも全線再開。

P8115303s

ただ、火山活動はまだまだ活発で
ロープーウェイから見下ろす大涌谷は、
硫黄(というか正確には硫化物)の臭いが
ものすごく、
乗客には厚手の濡れおしぼりが
「マスク代わりに使って」と配られていた。

P8125435s

 

さて、今回訪問した中で、
予想外に(?)たのしめたのは、
「箱根関所」と「資料館」。

P8115393s

思わずメモってしまったネタを
パンフレットや公式ホームページの情報で
補強しながら、
整理を兼ねて記しておきたい。

 

【入鉄砲はどこ?】
関所と言うと、
学校で習ったこの言葉が最初に浮かぶ。
「入り鉄砲と出女」

「入り鉄砲と出女」は、
どんな風に監視されていたのだろう。

正徳元年(1711)に幕府道中奉行が
箱根関所に出した5項目の取調べ内容を
見てみよう。
「御制札場」に掲げられている。

1. 関所を通る旅人は、
  笠・頭巾を取り、顔かたちを確認する。

2. 乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、
  中を確認する。

3. 関より外へ出る女(江戸方面から
  関西方面へ向かう女性:出女)は
  詳細に証文と照合する検査を行う。
 
4. 傷ついた人、死人、不審者は、
  証文を持っていなければ通さない。

5. 公家の通行や、大名行列に際しては、
  事前に関所に通達があった場合は、
  通関の検査は行わない。ただし、
  一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、
  検査を行う。

あれ? 何度読んでも
「鉄砲」についての記述が
どこにもないじゃないか


資料館の解説によると
全国にあった53の関所のすべてが
入鉄砲と出女に
目を光らせていたわけではなく、
関所によって取締まり項目が違っていたらしい。

そうだったンだ。
そんなことすらここで初めて知った次第。

 

【関所の復元】
今、関所跡に行くと、
江戸時代の関所が見事に復元されている。

P8115381s

柿渋と松木を焼いた煤(すす)を混ぜた
「渋墨(しぶずみ)」で黒く塗られた建物群は、
一見の価値がある。

この復元は、
江戸時代末期に行われた
箱根関所の解体修理の詳細な報告書である

  相州御関所 御修復出来形帳
  (慶応元年:1865) 

が、静岡県韮山町(現伊豆の国市)の江川文庫から、
1983年に発見されたことが、きっかけだったらしい。

この「出来形帳」、
とにかく記述が詳細だった。

 たとえば、材料の寸法については
「六尺三寸弐分」などと
細かく「分」の単位(1分=3mm)まで
記されているだけでなく、
金物の寸法、使用される釘の本数、
石垣の高さや長さ・位置などが
広範囲にかつ、こと細かに記されていた。

 それを、大工の棟梁は、
古文書解読に長けた研究者によって
現代の漢字に直された
「読み下し文」で読むのではなく、
常に、原文の複写を
直接読むようにしていたと言う


なぜなら、こうすると

「出来形帳」を記した
人の気持ちや時代背景が
古文書を通してよく伝わってきて、
復元工事にも力が入った


からだという。
いい話だなぁ。

こんな話を聞くと、
復元された建物を見る方も
おもわず力が入ってしまう。

 

【土台の光付け(ひかりつけ)】
礎石の上に、木材の土台や柱がのるのが、
日本の建造物の基本形だが、
礎石は石ゆえ、表面はデコボコしている。
このデコボコの石に
木材をピッタリと取付ける加工技術が
光付け(ひかりつけ)


厩(うまや)の土台は、こんな感じになっていた。
礎石の凸凹具合と、土台の木材の凸凹具合が
ピッタリと一致していることにご注目あれ。

P8115398s

石の上部に石灰を撒き、
木材と石との密着具合を確認しながら
石にピッタリと合う面を削りだしていく。

型を取っての加工ではなく、
石灰の付着を見ながらの加工は
3,4日かかるとのことだが、
それだけでここまでピッタリ密着できるなんて。

資料館では、柱の例がビデオで流されていた。
ちゃんと加工が終わると、
長い柱も一切の支えなしで
デコボコの礎石の上にまっすぐに立つと言う。

P8115377s

 

【栩葺(とちぶき)屋根】
土台部分の光付け(ひかりつけ)と同様、
ぜひ見ておきたいのは
屋根の栩葺(とちぶき)。

一枚一枚、職人が丸太から
木材の繊維の方向に沿って割った板は、
杉の赤身で、
幅が4~5寸(12cm~15cm)、
長さが1尺4寸(42cm)。

2寸4分(7.3cm)ずつずらしながら
腐食に強い竹釘で打ち付けていく。

P8115391s

 

一坪(1.8m×1.8m)で使用される
屋根板は370枚ほどにもなるらしいが、
重ねにより生成される段々の形状は
ほんとうに美しい。

P8115410s

 

小さな資料館だが、
教科書的説明や復元話のほかにも、
関所破りの話やら、
享保13年(1728)に、
将軍に献上された象が通った話やら
(あんな重いものを
 どうして陸路で運んだのだろう?)
小ネタもいろいろ楽しめる。

光付け(ひかりつけ)や栩葺(とちぶき)などなど、
予備知識ありで見ると
復元建物をより細かく見られるので、
訪問時には、

「資料館」⇒「関所」の順

で見ることをお薦めする。

 

 

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2016年7月10日 (日)

さっと手の挙がる英語社会

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さっと手の挙がる英語社会

- 内容よりも優先順位の高いこと -

 

英語とわたし (岩波新書)
岩波新書編集部 (編集)

から、筑紫哲也さんが書いた エピソード
紹介したことをきっかけに、
いくつか英語に関するネタを
思い出すままに書かせていただいた。

ここで、
同じ本に収められている
鴻上尚史さんの
「海外で生き残るための英語」
一部を紹介して、英語ネタの一区切りとしたい。
(以後水色部は本からの引用)

鴻上さんは、
日本で教育を受けた人が、
英語圏の人と接するようになったとき、
だれもが戸惑うあるポイントを、
実に要領よく、かつわかりやすく
書いてくれている。

そして、そのことを、
「海外で生き残るためのヒント」
とまで言っている。

 

 最後にもうひとつ、
海外で生き残るためのヒントを
書いておきます。

 僕が日本でワークショップや講演会をした後、
「なにか質問はありますか?」と聞くと、
たいてい、参加者の人は下を向いて黙り込みます。

海外で講演会をした時、
「質問はありますか?」と聞くと、
何本もの手がさっと上がります。

一般的には、
「だから、日本人はだめなんだ」
と言われたりしますが、
これには理由があると思っています。

「質問は?」に
下を向く日本人、
さっと手が挙がる欧米人。

まさに多くの場面が思い浮かぶ。
さて、「理由」とはナンだろう。

 

 

僕達は、
「質問がありますか?」と聞かれると、
内心、
ちゃんとした質問をしないといけない
と思っています。

質問は質問でも、
「ちゃんとした」質問をしないといけないんだ、
と刷り込まれているのです。

欧米では、何かを見たり経験したりしたら、
「あなたは他の誰でもないあなたなんだから、
 あなたなりの感想があるはずだ」
という刷り込みがあります。

だから
「質問はありますか?」と聞いても、
感想を語る人が後を絶ちません


日本で言えば、
「それは質問じゃなくて、感想じゃん」
という一番、突っ込まれることを、
みんな平気でします。

自分が自分であるためには、
 思った事を言うこと

が求められているからです。

「ちゃんとした質問をしないといけない」
というプレッシャー、
一方で、
(内容がなんであれ)
「発言すること」に意味がある、という価値観。

私自身の体験に照らし合わせても
おもわず「そうそう」と声に出したくなるような
首肯できる話だ。

 

 

質問があっても、鋭い質問はマレです。
きわめて平均的な質問です。

ただ、平均的な質問をして、他の人達が
「あ、私も同じ質問をしようと
 思っていたのよ」
とうなずくのです。

で、なにが言いたいのかというと、だから、
「欧米で、英語が下手な結果、
 トンチンカンな事を言っても、
 大した問題じゃない」ということです。

大変なのは、日本に来ている外国人なのです。
日本語を勉強しようとして来ている外国人が、
日本語で変な質問をしたら、日本社会は、
「質問するなら、ちゃんとした質問しろよ。
 そんなことは、みんな分かってるんだよ」
と突っ込まれる可能性が大きいのです。

が、欧米社会では、質問にならず、
感想をえんえん語っても
(それが凡庸な感想でも)
全然、オーケーなのです


だって、その本人がそう感じたことは、
必ず、尊重されるからです。
内容ではありません。
語るということが尊重されるのです

「内容ではありません。
 語るということが尊重されるのです」
と言い切っているが、ここがポイントだろう。

 

 

 なので、英語をしゃべる時には、
日本社会にいる感覚とは違う感覚を持つことです。

それは、
「あなたがしゃべることが尊重される」社会
ということです。

もちろん、その結果、
アメリカやイギリスの大学の授業では、
他の生徒がうんざりしているのに、
自分の質問だけをえんえん語る生徒、
なんてのが頻出します。
しかし、それもアリなのです。

 恥ずかしがることはありません。
あなたが英語でしゃべることは尊重されるのです。
勇気をもって、英語をしゃべって下さい。

「黙っている」よりも「語る」ことが
尊重される社会。

「外国語ができる」とは、
単に「翻訳」ができる、できないの能力だけを
指しているのではない。

特に「会話」においては、
そういった相手の「価値観」に気づくことこそが
「言葉」以上に重要な気がする。

「会話」が成立してはじめて
「コミュニケーション」
できたことになるのだから。

 

でも、これ
ちょっと冷静に考えると、
外国語に限った話ではない。

「日本人同士だから通じているはず」が
通用しないときも、多くの場合、
「日本語」ではなく
「価値観」がわかっていないことが
原因だったりするので。

 

 

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