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2025年1月19日 (日)

黒目川 (2) 遡行

(全体の目次はこちら


黒目川 (2) 遡行

- 崖線と急流 -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の機能をフル活用し、
低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりに注目し
Kuromegawakousei
に見られる大きく削られた二本のノの字、
左側が柳瀬川 で、右側が黒目川。

右側の黒目川
新河岸川の合流地点から
遡行を始めたのが 前回
赤矢印から茶矢印まで来たので、
Kuromeday2j
第2回目の今日は、
茶矢印から紫矢印までの遡行について
記録しておきたい。

ちなみに、黒目川全体の始点終点を示すと
最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印
となり、全長で約17kmとなる。

というわけで、
前回の続き、茶矢印の位置、
黒目川が東武東上線と交わる直前、
浜崎黒目橋あたりから始めたい。
Pa273898s

東武東上線をくぐると
並木に沿った道が続く。
桜の季節には賑わうことだろう。
Pa273901s

【崖線】
ところで、本ページ最初の高低図を
少し拡大して、
現黒目川の流域を赤の線で描くと、
こんな感じ。
Kuromegawakoutei1j
今は赤線の部分を流れているが、
過去、川が大きく暴れていたことが
削られた幅を見るとよくわかる。
川から見ると、崖が左側に現れたり、
場所によっては右側に現れたり、
今の流域からは少し離れていたり、
ほんとうに変化に富んでいる。

こんな感じで
Pa273913s
西側の川岸が続いているが、
よく見ると、崖線として
川から少し離れた部分が
かなり高くなっていることがよくわかる。
Pa273915s

下の写真、ちょっと見にくいが
正面中央の真っ直ぐに伸びる
長い階段がまさにその高さを物語っている。
Pa273914s

川岸から少し離れた建物が
どこから建っているのか、
つまり一階部分がどの高さにあるのか、に
注目しながらの川歩きが続く。
Pa273910s
崖線見学、といった感じの川歩きだ。
Pa273919s

【急流】
崖線と共に、歩いていて目に付くのは
「音を立てて流れる」急な流れだ。
それだけ急勾配ということなのだろう。

白く波を立てて流れている部分もある。
Pa273903s
Pa273918s
これらの音、どんな日本語で表現するのが
適切なのだろう?
語彙が貧弱で、いい言葉が浮かばない。
「せせらぐ」「せせらぎ」は
どうもfitしない気がするのだが。
Pa273920s
Pa273922s

【新高橋】
「Shintaka Brdg.」との表記がある新高橋。
高橋姓がポピュラーなせいか
「新=高橋」が最初に浮かんでしまうが、
もちろん正しくは「新高=橋」。
この橋、車道の両側に歩道用の橋が2本、
計3本の独立した橋が、
同じ位置に掛かっている。
(加えて水道橋も)

地上からの写真ではわかりにくいので、
Googleマップの航空写真に
助けてもらおう。
Shintakahashi
左から歩道、車道、水道、歩道。

地上から写真を撮るとこんな感じ。
Pa273909s
Pa273908s
なぜこんな贅沢な構成になったのだろう?

【アユを増やそう】
「年ねん減少する天然アユの増殖のため、
 アユが産卵した卵が、
 ふ化しやすいしやすい環境づくりです」
なる説明があり、アユを増やすための活動が
予告されているが、
最終的には 「無料アユの塩焼き 200尾」が
振る舞われるようだ。

ブラックジョークか、とツッコみたくなる。
Pa273917s

【河川敷占用許可標識】
川歩きをしているとよくみかける
河川敷占用許可標識だが、
Pa273905s
よく見ると「許可の目的」が
垂れ桜2本・藤4本・つつじ・・・」
になっている。
2本、4本と、なんとも細かい。
形式の堅苦しさと中身のアンバランスが
妙におもしろい。

茶矢印から歩いて、
紫矢印まで来た。
Kuromeday2j

黒目川遡行、次回も続けたい。

 

 

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2025年1月12日 (日)

黒目川 (1) 遡行

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黒目川 (1) 遡行

- 古墳に寄り道してからのスタート -

 

国土地理院のページ
「好きな色で標高を色分けした地図が作れる」
の案内に従うと、標高を色分けした地図を
誰でも簡単に作ることができる。

色ごとに標高値の細かい設定が
自由にできるので、設定を変えるたびに
地形の様々な姿が色で浮かび上がり、
何時間でも遊べてしまう。

低いところに集中してみようと
標高0mから5mおきに60mまで色を変えて
高低差地図を作ってみたら
こんな感じになった。

この図で、埼玉県と東京都の境、
埼玉県の新座市、朝霞市あたりを
中心に見てみると、
大きく削られている二筋がはっきりわかる。

武蔵野台地の東端になるが、
まさに河岸段丘による崖線だ。
Kuromegawakousei
二本見えるノの字、
左側が柳瀬川によるもの、そして
右側が黒目川によるものだ。

というわけで、今回はこの黒目川の方を
歩いてみよう、ということになった。

黒目川は、東京都の
小平霊園内「さいかち窪」を水源とし、
埼玉県朝霞市で新河岸川に合流する
約17kmの川。
Kuromeday1j
最上流:水源「さいかち窪」 :黄矢印
最下流:新河岸川との合流地点:赤矢印

第1回目の今日は、
赤矢印から茶矢印の遡行について
記録しておきたい。

まずは最下流、
新河岸川との合流地点を目指す。

いつもの川歩きメンバで集まり、
JR武蔵野線 北朝霞駅より、
朝霞市コミュニティバスわくわく号に乗った。

今回は、合流地点に行く前に、
ちょっと寄り道をすることにした。
「宮台・柊塚古墳前」で下車。

【一夜塚古墳】
現在の朝霞第二小学校の
敷地内に位置するため
校内までは入れないが、
「一夜塚古跡保存会」による掲示板が
校外からも読める位置に立っている。

「朝霞第二小学校児童の皆さん、
 この小学校は今から1500年程前に
 この地方を治めていた
 豪族のお墓だったといわれる
 一夜塚古墳跡に建っています
・・・」

「この小学校は元お墓」、小学生なら
それだけでかなり盛り上がれそうだ。

そこから歩いて2分ほどのところには、
こんな案内図があり
Pa273847s
【柊塚(ひいらぎづか)古墳】
がある。
案内図の左下丸くなっている緑の部分は、
前方後円墳の円墳の部分だ。

後円部の径48m。
この円墳部分を含め今は整備された
歴史広場という公園になっている。
Pa273849s
中には、古墳の復元模型とともに
朝霞市教育委員会による
Pa273851s
「柊塚古墳は、黒目川を臨む
 武蔵野台地の東端に位置し、
 今から約1500年前に造られた
 有力者の墓
です。

 古墳の形は前方後円墳で、
 前方部の墳丘は
 後世の耕作などにより削られていますが、
 後円部の墳丘は、
 よく保存されています」

という丁寧な説明もある。

かつては、周辺に一夜塚古墳をはじめ、
多くの古墳が造られ、柊塚古墳を中心に
根岸古墳群を形成していたらしい。

まさに武蔵野台地の東端、
ここから川に向かって一気に下るが
古墳は高台にあり、
埼玉の大宮、浦和方面を臨むと
さいたま新都心の高層ビル群も小さく見える。
Pa273854s

古墳への寄り道はここまで。

そこから黒目川と新河岸川の
合流地点までは歩いて10分ほどだ。

途中、川岸を見ると、
二ヶ領用水の時も見た
蛇籠が護岸に使われている。
Pa273861s

川沿いの一部は、2024年10月27日時点で、
キバナコスモスをはじめコスモス満開で
ほんとうに美しい。
Pa273870s

合流点までやってきた。
Pa273874s
左側が新河岸川で、右側が黒目川。
手前から奥に流れている。
ちょっとわかりにくいので、
Googleマップの衛星写真に助けてもらおう。
Kuromegoryuu
川は左から右(⇒)に流れており、
上が新河岸川、下が黒目川、
合流点の写真は、Y字の股の先端から
下流方向を撮ったものだ。
上流方向にV字に見える細い道と
黒目川を見ると
Pa273873s
こんな感じだし、
まさにV字の道をセンターから見ると
Pa273872s
こんな感じ。
ここを黒目川最下流のスタート地点として、
ゆっくり遡行することにした。

黒目川の最も下流、
最初に出合う橋が東(あずま)橋
Pa273878s
ここには大きな水道管(水色)が
並行して走っており、
水道橋にもなっている。
これは荒川で取水した水を
都内の浄水場に送る導水管らしく、
そう聞くと、立ったまま人が歩けるほどの
巨大とも思える太さも頷ける。
Pa273880s
帰ってから調べてみると
(1) 埼玉県朝霞市にある
  東京都水道局の朝霞浄水場 から
(2) 東京都板橋区にある
  東京都水道局の三園浄水場 まで
の導水管らしい。

試しに(1)と(2)の浄水場間を
直線で結んでみると
まさに東橋の部分を通過している。
Kuromejousuis
水道橋以外の管の敷設位置はわからないが、
最短経路の一部であることは
間違いなさそうだ。
それにしても(1)、
東京都水道局の浄水場が埼玉にあるなんて。

途中、コサギかダイサギか
白い鳥をよく目にする。
Pa273886s

黒目川には付近の多くの水が流れ込むのか
こういった樋管(ひかん)
両側の土手に数多くある。
Pa273889s
よく見ると、
「きけん・ひなん」
「ちゅうい」「たいき」と
水位を測るゲージまでついている。

もちろん、黒目川の水位上昇時
逆流しないよう樋管として仕組みも
ガッチリ万全だ。
Pa273890s

水位のゲージはあちこちにある。
Pa273887s

下の地図、赤矢印から茶矢印まで、
Kuromeday1j
まだ河口から2km程度しか来ていないが、
黒目川遡行、次回も続けたい。

 

 

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2024年10月27日 (日)

新東名高速道路 中津川橋 工事中

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新東名高速道路 中津川橋 工事中

- トンネル口径の大きな違い -

 

前回、建設中の新東名高速道路

E1A 新東名高速道路(新秦野IC-新御殿場IC)の進捗状況
Icicb
 3️⃣「河内川(こうちがわ)橋」を見学した話を
山北事業PR館で聞いた説明を添えて書いた。

今日はその続き。

山北事業PR館で詳しい説明を聞いたあとは、
1️⃣「中津川橋」を目指した。

それぞれの位置をもう少し詳しく
地図上に示すと
Shintomei2409b
JR御殿場線谷峨(やが)駅から
松田駅へは電車で移動。

松田駅からはバス。「寄」行のバスに乗り、
「萱沼入口」で降りる。
ちなみに、「寄」は「やどりき」と読む。

バス停「萱沼入口」は
バスがグイグイと山を登る坂道の途中にある。
バスを降りるとすぐに
中津川橋の工事現場が目に飛び込んできた。
大きく見上げた河内川橋とは違って、
中津川橋は見下ろす形。
P9133653s
手前左側が中津川橋。
2つの口が見える奥のトンネルが
高松トンネル東側口。
2024年9月13日の様子だ。

高松トンネルは、地質がもろく、
掘削面の崩落や大量の湧水の発生などで
特に工事が難航しているトンネルだ。

注目してほしいのは、
ふたつある坑口の大きさの違い。
左の下り線の方が右の上り線よりも
かなり大きくなっている。

ちょっとズームしてみよう。
P9133653ss
なぜこんなに左口が大きいのか?

実はこれ、手前の中津川橋の構造が
大きく関係している。

中日本高速道路会社が公開している図面
B
現場は中津川に沿って
断層破砕帯(図の濃い茶色部分)
があるため、
主塔を立てようとすると
断層破砕帯を避けて
高松トンネル側に寄せるしかない。

その結果、バランスを取るために
橋桁の一部を
トンネル内に延伸する必要
が生じ、
図にあるように
トンネル口を大きくせざるをえなくなった、
との説明を
午前中に見学した山北事業PR館で聞いた。

当初の計画では、
もっと大きな口にする必要があったようだが、
図にある「バタフライウエブ構造」を
採用することで軽量化を図り、
今の径にまで縮小できたとのこと。

ちなみに、中津川橋近くには、
「松田事業PR館」もあるのだが、
当日は閉まっていたため、
中の展示を見ることはできなかった。
(スタッフが重なっているのか?
 午前中に見学した山北事業PR館と
 松田事業PR館が
 同時に開いている日はないようなので、
 1日で両地を回ろうとすると
 どちらかを選ぶことになる)

近くには民家もないため、
湯触トンネル西側口のそばにあった
「防音ハウス」もない。

なので
P9133659s
発破の時は大きな音が響くことだろう。

爆音も気になるが、
5分前、1分前に流れる(音楽)も
ちょっと聞いてみたい。

そうそう、山北事業PR館の説明を聞いて
すっかり関心の度合いが高くなった
「資材を運び込むためのルートの確保」
はどうなっているだろう?
P9133655sb
詳しいことはわからないが、
大型ダンプが通れるような
工事専用ルートもよく見える。

下の公式動画、4:00を見ると


トンネルの反対側(西側口)には
Takamatsunishi
こんな作業用道路まで造られているようだ。
いかに急坂の現場なのかがよくわかる。

上の動画 4:31では
工事用道路や仮橋の設置などの
 準備工事に5年をかける

とまで言っている。

 

2回に渡って書いた
新東名高速道路の河内川橋と中津川橋の
建設現場見学記。
大きな土木工事は
実物を前にすると独特な興奮がある。
「あの迫力」は生でないと伝わらない。

また、
その技術やプラニングについては
土木素人に向けて、
もっともっとアピールしても
いいのではないだろうか。
「PR館」での10名程度を定員にした
小さな説明会だけでは
あまりにももったいない。

 

 

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2024年10月20日 (日)

新東名高速道路 河内川橋 工事中

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新東名高速道路 河内川橋 工事中

- 資材を運び込むためのルートの確保 -

 

東名高速道路にほぼ平行する形で建設中の
新東名高速道路は、
 神奈川県の海老名南JCTから
 愛知県の豊田東JCTを結ぶ
 全長約253kmの高速道路だが、

2024年9月時点で未開通なのは
神奈川県の新秦野ICから
静岡県の新御殿場ICまでの
約25kmだけとなっている。

この部分、急峻な山岳ルートゆえ
トンネルや橋梁といった構造物比率が高く
工事に多くの時間がかかっている。
(秦野工事事務所が担当する神奈川県側
 14kmにおける構造物比率は約8割。
 並行する現東名高速道路においては約3割)

全線開通は2027年度の予定とか。

NEXCO中日本の
E1A 新東名高速道路(新秦野IC-新御殿場IC)の進捗状況
にある地図を借りると、
Icicb
の赤い部分が未開通工事中の区間。

今回、この記事をはじめ、
これまで何本もの川を一緒に歩いてきた
川歩き仲間と、
「建設中の橋を見に行ってみよう」、
ということになった。

具体的なターゲットは、上記地図
1️⃣の「中津川橋」 と
3️⃣の「河内川(こうちがわ)橋」。

それぞれの位置をもう少し詳しく
地図上に示すと
Shintomei2409b
最寄り駅は、それぞれJR御殿場線の
松田駅と谷峨(やが)駅となる。
3️⃣→1️⃣の順で回ることにした。

2024年9月13日
まずは、JR御殿場線、谷峨駅から
歩いて河内川橋を目指す。約2km弱。
今回は橋のすぐ下にある
 NEXCO中日本 秦野工事事務所
 新東名高速道路 山北事業PR館
で開催されている「見学コース」という
説明会への参加を予約していたので、
その時間に合わせて到着をめざした。

この見学コース、ここで事前予約できる。
約1時間のコースになっており、
PR館内のパネルを中心に
工事中の橋やトンネルごとに
規模や工法の話を聞くことができる。

ジオラマやタッチパネル、
VRゴーグルを使った説明も含まれており、
土木工事の素人でも
楽しめる工夫がいっぱいだ。

「館内の写真撮影は自由ですが、
 ネットへのUpはご遠慮下さい」
とのことだったので、
残念ながら説明パネルの画像を
貼ることはできないが、
説明を聞いて記憶に残ったことを
いくつかメモしておきたい。

なお、写真は、PR館の説明を聞いた後、
実際の現場を訪問して撮影したものだ。
つまり、
2024年9月13日時点での記録でもある。

(1) 新東名高速道路 谷ヶ山トンネル 2.8km
(1-a) 県境による工事の分担

静岡県と神奈川県をまたぐトンネル。
 * 静岡県 側を沼津工事事務所
 * 神奈川県側を秦野工事事務所
と県境を境にトンネル工事を
ふたつの工事事務所が分担している
とのこと。
地図上確かに県境が通っているとはいえ、
ひとつのトンネルの工事なのだから
分担しないほうがいいような気がするが、
まぁ、いろいろ事情があるのだろう。

(2) 新東名高速道路 河内川(こうちがわ) 橋
(2-a) 日本最大のバランスドアーチ橋

PR館の目の前に広がる長さ770mの橋。
川面からの高さは120m。
近くで実物を見るとすごい迫力だ。
(北側から撮影した写真)
P9133621srb
最大支間220m。
つまり橋脚と橋脚の間が220mもある。
この長い支間を支えるために
鋼コンクリート複合連続バランスドアーチ橋
を採用。

バランスドアーチ橋とは
アーチリブと呼ばれる円弧の腕を
橋脚から左右にバランスを取りながら
伸ばしていって造られる橋のこと。

2024年9月13日時点で、
220m離れた2本の橋脚から伸びた腕は
あと10mでくっつく、というところまで
来ていた。(南側から撮影した写真)
P9133643sb
が、実際にくっつくのは
年末か年始、になるらしい。
とにかく全体の規模が大きいので
10mが「ほんのわずかの隙間」に見える。

(2-b) 東側橋脚にあるインクライン
下の写真、東側橋脚下にある、
斜面に沿って登る急角度のレールに
ご注目あれ。
P9133628s
大型ダンプ4台を一度に運べる
日本最大のインクライン

工事資材を運び込むために使われる
「ダンプごと運ぶ斜めエレベータ」
といった感じか。

イメージできない、という方は
下記動画の3:08あたりをご覧ください。

映像は河内川橋ではなく、
皆瀬川橋工事で使われている
インクラインだが、
「ダンプごと運ぶ斜めエレベータ」は
理解いただけると思う。
河内川橋のものはこれよりも大型で、
大型ダンプ4台が乗る

(2-c) 西側橋脚の奥にあるトンネル
P9133638sb
上の写真ではわからないが、
この橋脚の奥には
「資材を運び込むためのトンネル」
が掘られている。

東側はインクライン、
西側はトンネル、
とにかく現場は急な山の斜面の途中ゆえ、
資材を運び込むためのルートの確保」が
いかに重要な課題か、が
説明を聞くとよくわかる。

(3) トンネル工事の工法
出水や断層等、トンネル工事でも
苦労が続いているようだが
工法についても説明があった。

(3-a) 山岳トンネルには発破
山岳トンネルでは今でも発破が主流。
費用対効果で選ばれている。

「シールド工法は使わないのか?」と
よく質問されるらしいが、
「大きなシールドマシンを山の上まで
 持ってこられないので
 山岳トンネルには向かない」
とのこと。なるほど。

河内川橋に連結する
湯触トンネル西側口のそばには
人の住む集落があるため、
民家への音の軽減を目的に
トンネル口には「防音ハウス」
造られている。

(3-b) NATM(新オーストリアトンネル工法)
ナトム(NATM)とは、
New Austrian Tunneling Method
(新オーストリアトンネル工法)のこと。
ロックボルトという鉄の棒を打ち込むことで
トンネルの崩壊を防ぐ、
山岳トンネルでよく使われる工法が
使われている。

たくさん打ち込まれるとはいえ、
ロックボルトの直径は25mm程度。
小さな模型を使って、
ロックボルトの効果を説明してくれたが、
トンネルの規模から見ると、
針のようにしか見えない25mmの鉄棒が、
あの大きなトンネルの
崩落防止に効果がある、
というのは不思議な感じだ。

(4) VRゴーグル
PR館では、
「VRゴーグルを使って、
 あの巨大な河内川橋を、
 上から下から、まさに自由な視点で
 眺め回すことができる」
そんな展示も用意されていた。

人数分用意されていたVRゴーグル。
両眼で覗くので立体的に見え、
ちょっと慣れると
まさに空を自由に飛び回っているような
錯覚に陥る。

気分が悪くなったり酔ったりする人もいる、
との注意があったが、
それも頷けるレベル。
仮想現実で遊び回れるこのVRゴーグル、
パカッと開けると
装置としては
中にスマホが一台入っているだけ。

スマホの画面を、ゴーグルについた
両眼視用のレンズで覗く、
たったそれだけの簡単な機構で
酔ってしまうほどの映像世界が
作り出せるなんて。

帰ってきてから
「スマホ VRゴーグル」で検索すると、
山のように商品が出てきて驚いた。
しかも、ゴーグル自体はわずか数千円。
再生画像をどう作るかの問題は別とはいえ、
スマホにはこんな利用例もあるようだ。

 

山北事業PR館で詳しい説明を聞いたあとは、
中津川橋を目指すことにした。

次回に続く。

 

 

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2024年9月 8日 (日)

漱石の神経衰弱と狂気がもたらしたもの

(全体の目次はこちら



漱石の神経衰弱と狂気がもたらしたもの

- 『文学論』序 から -

 

名著なので
ぜひ詳しく紹介したいと思いながら
その内容の豊かさに圧倒されて
いまだに本ブログで記事にできていない

下西風澄 (著)
生成と消滅の精神史

終わらない心を生きる
文藝春秋

だが、
その第6章
「夏目漱石の苦悩とユートピア」
を読んで以来、
漱石の苦悩に思いを馳せながら
漱石作品を読むようになった。

下西さんが指摘している苦悩については
今日は触れないが、
その苦悩の大きな背景のひとつである
英国留学の体験については

夏目漱石 (著), 磯田光一 (編)
漱石文芸論集

岩波文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

の 『文学論』序 に、
漱石自身のかなり生々しい言葉が並んでいる。

愚痴のオンパレードとも言える
赤裸々な思いの吐露は、
初めて読むとちょっと衝撃的だ。
今日はそれについてメモを残しておきたい。

イギリスに約2年間留学した漱石が
精神を病んでしまったことは
よく知られているが、
実際にどんな時間を過ごしたのか、
『文学論』序を読むと
詳しく知ることができる。

まず留学。

当時余は特に洋行の希望を抱かず、
かつ他に余よりも適当なる人
あるべきを信じたれば、

と、そもそも全く行く気がない。
それでもけっきょく、
推薦を断りきれず行くこととなる。
明治33年9月日本出発、11月にイギリス着。

ケンブリッジで2,3の日本人に逢う。

彼らは紳商の弟子にして
いはゆる
ゼントルマンたるの資格を作るため、
年々数千金を費やす

一方で、自分が政府から受ける学費は
年に1800円しかなく、
彼らと同様に振る舞うなんて
とてもできない、と愚痴が続く。

ちなみに、紳商(しんしょう)とは、
教養があり、品位を備えた一流の商人。
と小学館の国語辞典にある。

財力のある紳商の弟子たちは

午前に一、二時間の講義に出席し、
昼食後は戸外の運動に二、三時を消し、
茶の刻限には相互を訪問し、
夕食にはコレヂに行きて大衆と会食す

なる生活を送っており、
なので

余は費用の点において、
時間の点において、
また性格の点において
到底これら紳士の挙動を学ぶ
能はざるを知って
彼地に留まるの念を永久に断てり

と、いきなりもう投げやりだ。

結局、
「大学の聴講は三、四カ月にしてやめたり」
となるが、それでいじけて
遊び呆けていたわけではない。

「英文学に関する書籍を
 手に任せて読破せり」
の生活を通して、ある思いにたどり着く。

余が英語における知識は
無論深しといふべからざるも、
漢籍におけるそれに劣れりとは思はず。

学力は同程度として
好悪(こうお)のかくまでに
岐(わ)かるるは
両者の性質のそれほどに
異なるがためならずんばあらず、

換言すれば
漢学にいはゆる文学と
英語にいはゆる文学とは
到底同定義の下に
一括し得べからざる
異種類のものたらざるべからず。

大学を卒業して数年の後、
遠き倫敦(ろんどん)の
孤燈(ことう)の下に、
余が思想は始めてこの局所に
出会(しゅっかい)せり

そして、この決心に繋がっていく。

余はここにおいて
根本的に文学とは如何なるものぞ
といへる問題を解釈せんと
決心したり


同時に余る一年を挙げて
この問題の研究の第一期に
利用せんとの念を生じたり。

 

大きな課題が明確になり
突き進み始める漱石。

この一念を起してより六、七カ月の間は
余が生涯のうちにおいて
尤も鋭意に尤も誠実に
研究を持続せる時期なり

書いたノートの量も

留学中に余が蒐(あつ)めたるノートは
蠅頭(ようとう)の細字にて
五、六寸の高さに達したり。

一寸は約3cm。
蠅の頭ほどの小さな字で、だ。

それでも、振り返ると留学生活は

倫敦に住み暮らしたる二年は
尤も不愉快の二年なり

余は英国紳士の間にあって
狼群(ろうぐん)に伍する
一匹のむく犬の如く、
あはれなる生活を営みたり

だったようで、
「尤も不愉快の二年なり」
「あはれなる生活を営みたり」
と、つらかった思いを繰り返している。

なので外見(そとみ)には

英国人は余を目して神経衰弱といへり
ある日本人は書を本国に致して
余を狂気なりといへる由(よし)。

賢明なる人々の言ふ所には
偽りなかるペし。

それは帰国後も続き
「帰朝後の余も依然として
 神経衰弱にして兼狂人のよしなり」
でも

ただ神経衰弱にして狂人なるがため、
『猫』を草し
『漾虚集(ようきょしゅう)』を出し、
また『鶉籠(うずらかご)』を
公けにするを得たりと思へば、
余はこの神経衰弱と狂気とに対して
深く感謝の意を表するの至当なるを信ず

神経衰弱と狂気が
漱石を創作の方向に駆り立てた。
本人がそう語っている。
「深く感謝」とまで。

何が何につながるか、
ほんとうに人生はわからない。

 

 

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2024年7月14日 (日)

二ヶ領用水(7) 鹿島田で地下に消えるまで

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二ヶ領用水(7) 鹿島田で地下に消えるまで

- くねくねと細かく曲がりくねって -

 

二ヶ領用水歩き
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
* 二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに
* 二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停
* 二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートの両方を
JR武蔵中原駅付近まで歩いたので、
残りのルートを歩いてみよう。

いつもの川歩き仲間と
実際に歩いたのは2024年5月の日曜日。
Nikaryogmap3

地図(Google Map) ①付近
武蔵小杉の超高層マンション群が
塊になって見える。
P5123418s

用水わき、
「ブラシの木」に花が咲いている。
その形状はまさにブラシそのものだ。
P5123423s

相変わらずきれいに整備された
親水護岸が続いている。
P5123428s

いよいよ武蔵小杉の
超高層マンションが迫ってきた。
P5123429s

JR南武線と交差した少し先、
地図②付近で渋川と分岐。
P5123435s
二ヶ領用水が
奥から手前に向かって流れており、
左側に曲がっているのが渋川。
ご覧の通り、渋川のほうが太い。

近くに立つ歴史ガイドには
「明治中頃まで、このあたりでは
 用水を利用したいくつかの水車が回り、
 精米が行われていた

 他に麦を使った製粉も行われ、
 木月村や井田村、今井村の冬の副業である
 素麺(そうめん)業に使われた」
とある。

渋川と分岐したあとは
川幅が一気に狭くなる。
P5123437s

東急東横線をくぐって交差する。
P5123442s

細く続くが,
P5123446s
県立住吉高校のそばでは、
公園内を流れる一直線が美しい。
P5123453s
県立住吉高校横の公園を過ぎると
地図③あたりから
ほんとうによく曲がるようになる。
P5123456s
右に左にまさにくねくね。
P5123459s

振り返ると、いつのまにか
武蔵小杉の超高層マンション群が
ずいぶん遠い。
P5123463s

JRの線路が近づいてきた。
くぐって下に流れこんでいく。
P5123466s

人は一緒に潜れないので
線路をまたぐ自動車道を行く。

湘南新宿ライン、横須賀線などが走る
線路を見下ろすことに。
左後方が武蔵小杉の超高層ビル群。
P5123471s

その後もくねくねと曲がりながら
流れるが、ここは橋が妙に低い。
P5123479s

JR南武線をくぐった直後、
地図④付近でここに辿り着く。
P5123489s
写真左に説明板がある。
 我が国初の公営工業用水道水源
 =稲毛・川崎二ヶ領用水余剰水取水口跡
    平間浄水場
   (現 川崎市上下水道局平間配水所)
竣工1939年7月。
工業用水道専用の施設として、
臨海部の京浜工業地帯にも
工業用水を安定的に供給し続け
我が国工業の発展に寄与してきたらしい。
1974年にその役割を終える。

現在は、上流の稲田取水所で取り入れ、
生田浄水場で工業用水に浄水、
地下の送水管で平間配水場へ、
のルートになっているようだ。

ここから先は、
二ヶ領用水というよりも
せせらぎ遊歩道という感じで、
細い水の流れが続いていく。
P5123492s
JR鹿島田駅付近では、
道路脇のこんな流れに。
P5123499s

そして、地図⑤付近
川崎市立塚越中学校の交差点
ここで小さな穴を通して地下に潜り、
その先はついに
追うことができなくなってしまった。
P5123502s
二ヶ領用水歩きの終点
と言っていいだろう。

上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートが合流した
JR南武線久地駅付近では
こんなに大きな流れだった二ヶ領用水も
P3313169s
そこからわずか十数km先の下流では、
バスケットボール程度の大きさの
穴に消えてしまった。

2日間に分けて歩いた二ヶ領用水。
全体のルートを青い線で書くと
こんな感じ。
Nikaryouall

用水沿いに歩いてみると、全流域に対して
川崎市が力を入れて整備していることが
よくわかる。
歩きやすいうえに、
思ったよりも変化があって
手頃な楽しいコースだ。


 

 

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2024年7月 7日 (日)

二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

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二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

- 大山街道と元本流 -

 

二ヶ領用水歩き
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
* 二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに
* 二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停
で、
上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートの両方を
JR武蔵中原駅付近まで歩いたことになるが
その先を歩く前に、
JR溝の口駅付近で寄り道をしてみよう、
ということになった。

いつもの川歩き仲間と
実際に歩いたのは2024年5月の日曜日。

Nikaryomizonokuchis
上記地図(Google Map)、
左上から右下への青い線が
二ヶ領用水(3) にて既に歩いたルート。

今回の寄り道は、
緑色のルート(大山街道)①から④ と
黄色のルート(元本流)⑤から⑥


【庚申塔】:大山街道①
P5123379s

横に立つ説明文には
 「見ざる・聞かざる・言わざる」
 で知られた庚申信仰
は、
 平安時代に始まる。
 特に盛んになった江戸期、
 この地に作られた庚申塔は、
 大山街道をゆく旅人の
 道標をかねていた。
とある。
P6153508s
二ヶ領用水(2) でも
庚申信仰についての
詳しい説明を目にしたが、
60日ごとに巡ってくる庚申の夜の話と
庚申塔でよく目にする
「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は
どうして結びつくのだろう?
庚申の申がさるだから?
この庚申塔では、
おそらく以前あったであろう
「見ざる・聞かざる・言わざる」が
風化してほとんど見えなくなっている。

JR溝の口駅すぐ横には
昭和の飲み屋街が残っている。
P6153507s
上の写真、右上奥は
JR溝の口駅のホーム。

P6153506s
夜は独特な雰囲気になりそうだ。

【さかえ橋の親柱石】:大山街道②
P6153512s
平瀬川と二ヶ領用水の根方堀が交差する
この地にあった「さかえ橋」の
親柱石だけが説明文とともに
残されている。

今は大山街道の一交差点となっており、
川の面影はない。
P6153513s
ここには、「大山街道」の
丁寧な説明板もある。
江戸赤坂御門を起点として
 雨乞いで有名な
 大山阿夫利神社
 (神奈川県伊勢原市)までの道

P6153514s
<江戸時代中期には
 庶民のブームとなった
 「大山詣」の道として
 盛んに利用されるようになり、
 この頃から「大山道」「大山街道」
 として有名になった>

<参詣の際には
 納太刀(おさめだち)をする習慣があり、
 自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる
 参詣者の姿が
 多くの浮世絵などに描かれている>

などの記述がある。

【溝口神社】:大山街道③
P5123386s

赤城社と呼ばれた溝口の総鎮守

P5123387s

このあたりは飲み水に不自由し、
親井戸から簡易水道を引いていたらしい。
「参道わきの水神社や水道組合碑が
 当時の苦労を物語る」
との説明文が近くにあるが、
どんな苦労かまではわからない。
P6153516s
上の写真、左側が水道組合碑

碑の前を塞ぐように別な碑が立っている。
いったいどうしたことか?
P5123390s

【大山小径】:大山街道④
P5123394s
100メートルにも満たない
公園までの短い道に、
大山街道の様子が描かれた
十数枚の絵タイルが埋め込まれている。

大山街道の起点から終点までの
主な町を網羅しているので、
数十メートルを歩くだけで、
全行程を歩いた気分になれる。
P6153519s

起点「赤坂御門」がこんな感じ。
P5123395s

長津田や厚木のタイルもある。
埋め込まれたタイルとしては
「大山不動へ二里」と書かれた
粕谷まで。

終点には全景を描いた大きなコレが。
右上3枚、補修されるといいのだが。
P6153522s

大山街道全体の超縮小版ではあるが、
富士塚のように講と関係した小径
というわけではないようだ。

P6153524s
「溝口村、二子村が大いに発展したのは、
 江戸時代に大山街道の
 宿駅となってからである」
の説明もある。

それにしても全景図の右隣
大きな石の台座だけが残っているが、
さてその上には何が立っていたのだろう?
P6153523s

 

大山小径の次は、
二ヶ領用水の「元本流」を
見に行ってみよう。

二ヶ領用水(4)

「石橋供養塔」という
小さな供養塔のそばには、
この緑道が、
 かつて二ヶ領用水の本流だった

 昭和16年、用水は今の流路に
 つけ替えられた」
なる説明が。

と書いたが、その説明を読んで以来、
川歩きのメンバ間には、
「元の本流」部分も歩いてみたいね、の声が。
その思いを果たすべく⑤へ移動した。
Nikaryomizonokuchis

【元の本流】:元本流⑤
P5123401s
橋だけ残っているものの、
今は水は全く流れていない。
P5123403s
水は流れていないが、
緑の草の道が続いていて
P5123405s
元用水だったところはよくわかる。
P5123409s
⑥に向かってくねくねと
曲がりくねっており、
一部は細く舗装されて遊歩道になっている。
P5123413s
P5123415s

現在の二ヶ領用水の流路との
合流地点⑥まで来た。

そういえばそこには
片面に  「南無阿弥陀仏」
もう片面に「南無妙法蓮華経」
と書かれた【石橋供養塔】があった。
P5123416s
P5123417s

寄り道はここでおしまい。

次回は二ヶ領用水に戻り、
残っている部分を一気に歩いてしまおう。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2024年6月30日 (日)

二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停

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二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停

- 安全に待つ場所の確保 -

 

二ヶ領用水歩き
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
* 二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに
で、ルート上スキップしてしまった部分と
時間切れで歩けなかった残りの部分を
日を改めて歩いてみよう、
ということになった。

2024年5月の日曜日、
いつもの川歩き仲間と
下のGoogle Mapの図
青丸(小田急線の向ヶ丘遊園駅そば)の位置で
再度待ち合わせた。
Nikaryogmap31
青い線のルートはすでに歩いたので、
まだ歩いていない
青丸 (小田急線の向ヶ丘遊園駅そば)から
赤丸 (JR南武線久地駅そば)までの
未踏部分(黄色線)をまずは歩いてしまおう、
というわけだ。

上河原堰取水口からの用水の
向ヶ丘遊園駅そばからスタートし、
宿河原堰取水口からの用水と合流する
赤丸を目指すことにする。

スタート地点は、
二ヶ領用水(2) の最後に書いたここ。
P3313118s
右上高架が府中街道で、
用水はその下を流れている。

P5123325s
高架のすぐ横には、昭和を感じさせる
錆びたトタンに覆われた建物。
ここまで錆びたものは最近あまり目にしない。
「Modern JAZZ ガロ」の看板が残っている。

P5123328s
府中街道の高架下から出てきた二ヶ領用水。

P5123329s
府中街道に沿って幅広く流れている。

まもなく、用水沿いがいっきに華やいできた。
【生田緑地ばら苑】と呼ばれるエリア。
P5123330s
この先には、かつて
向ヶ丘遊園という遊園地があった。
1927年から2002年までの営業。

その向ヶ丘遊園まで、
小田急線の向ヶ丘遊園駅から
向ヶ丘遊園モノレール線」と呼ばれる
モノレールが走っていた時期がある。
1966年開業、2001年廃止。

そのモノレール線の跡地が
今は「ばら苑」になっている。
P5123334s
狙ったわけでもない単なる偶然ながら、
ちょうど時期がよかったのか、
まさに満開。
P5123339s
バラの種類も多く、
「ボランティアの会」が
短い説明を添えた名札を立ててくれている。

有名チェリストと同じ名前
ジャクリーヌ・デュ・プレ
というバラがあることも初めて知った。
白い花に赤い雄しべが印象的だ。
P5123340s
「市民のみなさまとの協働のもと、
 ボランティアの方々によって
 手入れが行われており」
との説明があったが、
ほんとうによく手入れされている。
当日も何人もの方が黙々と作業をしていた。
P5123344s

幅の広い用水からは
さらに支流もある。
P5123337s
一部残っている錆びついた水門の装置が
活用されていた歴史を感じさせる。
P5123338s

このあたりが、
向ヶ丘遊園モノレール線の終点。
向ヶ丘遊園の入口跡。
閉園から20年以上も経っているのに
「遊園地入口跡地」を感じさせる。
斜面右側はエスカレータの跡地だろう。
P5123353s

「遊園地入口跡地」のすぐ横には、
ドラえもんで知られる
【藤子・F・不二雄ミュージアム】
まさに二ヶ領用水のすぐ横に建つ。
P5123354s

【府中街道沿いのバス停】
今回のルートでは、二ヶ領用水が
府中街道のすぐ横を流れているのだが、
その間に歩道がないため、
バス停の設置には苦労しているようだ。

普通に設置すると下の写真のように
なってしまうが、車の交通量も多いので
この隙間で待たされる人は、
かなりヒヤヒヤの思いをするはずだ。
P5123366s
そこで?か、どうかわからないが、
二ヶ領用水に架かる橋を
バス停に活用(?)している例を
いくつも見かけた。
たとえば、こんな感じ。
P5123346s
上のバス停、バスはもちろん
橋を渡るわけではない。
バス停の奥、左右に走る府中街道の
右から左に走るルートのバス停だ。

ここにも
P5123368s
ここにも
P5123378s

そしてここにも。
実際に待っている人がいる。
橋の上なら安心して待っていられる。
P5123374s
バスの運転手は、
待っている人がいるかどうかを
確認するのがたいへんだろうけれど。

 

用水にある
* 氾濫危険 水位
* 避難判断 水位
* 氾濫注意 水位
* 水防団待機水位
の表示が氾濫の可能性を感じさせる。
P5123364s

途中、「長尾橋」手間左側に
水門が見えてきた。
P5123358s
寄って見るとかなり大きな水門だ。
P5123360s
しかも、水門のすぐ奥には
一般住宅が密集して建っている。
P5123361s
流れ込んだ水は
いったいどこに流れていくのだろう。
地図を見ただけではわからない。
調整池でもあるのだろうか。
それにしても一般住宅が近すぎる。

歩いていたら、
こんな自動販売機を発見。
「もつ煮込み」冷蔵パック
3人前600gで1,100円。
P5123367s

東名高速道路が見えてきた。
P5123369s

高速道路下は、
テニスコートになっていたが、
橋桁含め妙にきれいで明るく
高架下感がない。
P5123371s

奥の水色の橋がJR南武線の鉄橋。
宿河原堰取水口からの用水と合流地点が
見えてきた。
P5123376s

下の地図(Google Map)、青丸から歩いて
赤丸 (JR南武線久地駅そば)まで
来たことになる(黄色線)。
Nikaryogmap31
ようやく、
宿河原堰取水口からの前回のコース
つながった。

続けて
二ヶ領用水のその先を歩くその前に、
ちょっと寄り道をしてみよう、
ということになった。

次回に続く。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2024年6月23日 (日)

長野県軽井沢 野鳥の森を中心に

(全体の目次はこちら


長野県軽井沢 野鳥の森を中心に

- 写真は撮れなかったけれど -

 

写真の整理をさぼっていたら
もう6月も後半になってしまったので、
実際の訪問時から
ずいぶん時間が経ってしまったが、
当時のメモを読んで思い出せるうちに、
小旅行の一部を記録として残しておきたい。

 

2024年のゴールデンウィーク(GW)は
長野県軽井沢に行ってきた。

早朝の雲場(くもば)池
散歩コースにお薦めだ。
P4293249ss
早朝なら、狭い遊歩道で
すれ違う人もまだ少ない。
P4293256s
ゆっくり歩いても20分もあれば一周できる。
P4293262s
よく見ると、まだまだ小さい新緑の葉は、
朝日を反射してまさに輝く光の粒。

 

昼は、野鳥の森ピッキオで開催される
ネイチャーウォッチングツアー
参加してみることにした。
駐車場付近の桜が美しい。
P4293296ss
野鳥の森までの道も
若い緑がなんともやさしい。
P4293265ss

途中こんな標識が。
P4293267s
「カエル横断注意」
これは、
【ヤマアカガエル】というカエルが
道路を横断することに対する注意なんです、
と、のちのツアーで
ガイドさんから教えてもらった。

ネイチャーウォッチングツアーの
スタート地点まで来た。
P4293268s
ここから先は小グループに分かれて
ガイドさんと一緒に森の中を歩く。
「この池には
 【シュレーゲル アオガエル】という
 カエルがいるんです」
との説明からツアーがスタートした。

P4293271s
とにかく、森の緑が気持ちいい。

ガイドさんによると、
* まだ葉が小さく、
 森の中が透けて見えること。

* 「キビタキ」に代表されるような夏鳥が
 渡来してきた時期であること。
などから、GWはバードウォッチングに
最適の季節だという。
なるほど、注意してよく見ると
「森が透けている」の感じがよくわかる。
P4293269s
森の中では、本格的な双眼鏡や
大きな望遠レンズをつけたカメラを抱えて、
個人でじっくり鳥を待つ人を
何人も見かけた。

たまたま話を聞いたひとりの方は、
1200mmにもなるズームレンズで
「オオルリ」「キビタキ」を
狙っているとのこと。
撮れた写真を見せてくれたが、
オオルリの青、キビタキの黄色を見ると、
魅了される理由がわかる気がする。

【コクサギ:小臭木】
P4293270s
途中、ガイドさんが「ニオってみて」と
皆に実体験を促していたのがこの葉。
枝や葉に独特なニオイがある。

ミカン科らしい。
柑橘系の爽やかなニオイではないが、
クサい、というほどのニオイではない。
なのに「小臭(こクサ)木」とは
あまりにものネーミングだ。

ニオイは一般的には防虫効果があるらしいが、
逆に
「他が食べないなら」の生物はいるわけで
カラスアゲハはこの葉を独占的に食べる、
という。

【オニゼンマイ(オシダ)】
P4293272s
30cm以上もあるちょっとグロテスクな形。

ツアーに参加すると、
森歩きの間、この本を貸してもらえる。
P4293282s
ガイドさんは、
鳴き声が聞こえると、立ち止まって、
「この鳴き声は**で」と
鳥の名前や特徴(大きさ、飛び方、色)を
わかりやすく説明してくれる。

もちろん、説明を聞きながら
鳴き声の方向に鳥を探すのだが、
発見はかなりむつかしい。

ツルルルル・・スピスピスピと
張りつめた大きな声を響かせていた
【ミソサザイ】という鳥が
実は体長が10cmほどしかない
日本でも1,2を争うほどの小さい鳥、
と聞いた時は、その声量とのギャップに
ちょっと驚いた。
スズメより小さな身体からあの声が
発せられているなんて。

それでも、鳥に関して言うと
【ミソサザイ】の他、
黄色いくちばしの【イカル】
胸の黄色が美しい【キビタキ】
などは実際に肉眼や双眼鏡にて
確認することができた。
【オオルリ】も「あれ!」と
教えてもらったのだが、
見る角度の問題か、残念ながら
美しい青色までは確認できなかった。

 

森の奥の「どんぐり池」には
本記事の最初に書いた
「カエル横断注意」の
【ヤマアカガエル】
オタマジャクシが
黒い塊のようになって泳いでいた。

「これだけいるオタマジャクシのうち、
 カエルになれるのはたった・・・」
とガイドさんが説明を始めたそのとき、
そのすぐ横で、
ザザッと何かが動いた。

見るとヘビ【ヤマカガシ】
まさにカエルとなった
貴重な(?)【ヤマアカガエル】を
食べている最中だった。
片足は完全に飲み込まれているのに
残りの体で必死に逃げようと
もがくカエル。

ツアーの名前通りの
「ネイチャーウォッチング」だ。

ガイドさんも、ヘビもカエルも
よく見かける生き物ではあるものの、
捕食の瞬間はめずらしいと興奮気味。

しかもこのあと、少し森を下ったところで
再度、
ヤマカガシがカエルを食べている瞬間を
目撃することになる。

わずか2時間程度のうちに
ヘビがカエルを、のその瞬間を
二度も目撃。印象深いツアーとなった。

 

川のそばにはこんな窪地も。
P4293285s
これは【ぬた場】と呼ばれる。
【イノシシ】
身体に付いているダニ等の寄生虫を
体に泥をなすりつけて落とす場所らしい。

キビタキを始めとする美しい鳥たちも、
2度も目撃できたヘビの捕食の瞬間も、
私の小さなカメラでは
Upできるほどの写真を撮ることは
できなかった。

でも、実際に見られたので満足だ。

ネイチャーウォッチングツアーのあとは、
新緑の軽井沢の散歩を気ままに楽しんだ。
P4303312s

こちらも小さくて写真では伝えきれないが、
さまざまな野草に花が咲いていて
ほんとうに美しい。
P4303313s

2024年4月末 軽井沢にて。
まさにリフレッシュできた小旅行だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2024年5月19日 (日)

二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに

(全体の目次はこちら


二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに

- 円弧の比率で分水 -

 

二ヶ領用水歩き、
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
と、
JR南武線久地駅のそば、
下の地図の赤丸地点まで来た。
Nikaryogmap123kuji
向ヶ丘遊園の方から流れてきた
二ヶ領用水(上図黄色線:下写真左)と
歩いてきた二ヶ領用水(青線:下写真右)が
合流している。
P3313168s
今日は、この合流地点から
スタートしたい。
Nikaryogmap4a
合流した二ヶ領用水は
こんな大きな流れとなって
JR南武線久地駅から先、流れていく。
P3313169s

久地(くじ)の横土手
P3313172s
「多摩川に対し直角につくられた横土手。
 江戸時代、洪水の水勢を弱める目的で
 つくられた。
 この土手を挟んで利害の対立が激しく
 工事は約300m進んだところで中断した」
との説明が添えてあるが、はて? 
水勢を弱める目的で多摩川に直角、は
いいとしても、300mで中断、の
300mがどこの長さなのか、
図がないと全くイメージできない。

そのすぐ先には、
久地分量樋(ぶんりょうひ)】跡の碑が。
P3313175s
「久地で合流した二ヶ領用水の水を
 4つの幅に分け、
 各堀ごとの水量比率を保つための施設で、
 江戸時代中期に田中休愚(丘隅)によって
 作られました。そして、
 昭和16(1941)年、久地円筒分水
 完成により役目を終えました」
と説明がある。
円筒分水までは、歩いてもう数分だ。

この碑の横には、
高層マンションが二ヶ領用水(右下)に
覆いかぶさるように建っている。
P3313174s

平瀬川(左側)と二ヶ領用水(右側)の
との合流地点。
P3313179s
そのすぐ横に
久地円筒分水】がある。
P3313183s
中央の円筒部だけでも直径8m。
外側の円は直径16m。
送水されてくる流量が変わっても、
分水比が変わらない
定比分水装置の一種で
昭和16(1941)年に造られた。
完成から80年を越えている。

近くの案内板にある構造図を
拡大して載せておこう。
P3313181s
左側の二ヶ領用水から流れて来た水は
平瀬川の下を通って、
円筒から吹き上げる。

円筒は完全な水平に施工されており、
放射状にあふれ出た水は、
円弧にそって配置された
 * 川崎堀
 * 根方堀
 * 六ヶ村堀
 * 久地堀
の4つの堀に分水されることになる。
P3313185s
そのとき、各堀に流れる水は
上の写真にあるように、
垂直に造られた壁がなす
円弧の長さによって、
その比率が決まってくることになる。

円弧の長さに比例して
一定の比率で4つの堀に
分水するしくみ、というわけだ。

当時の最先端をいく装置で、
平成10(1998)年に、
国登録有形文化財となっている。

2枚上の写真の平面図を見ればわかる通り、
平瀬川の下をくぐって
円筒分水に流れ込む水は、
二ヶ領用水のごく一部だ。

二ヶ領用水の円筒分水への取水口は
こんな感じ。写真右の水門部。
P3313188s

今でも円筒の縁の水平度は美しく、
まさに均一に流れ落ちている。
P3313191s

ここから先は、
円筒分水で一番多くの水をわけてもらえた
「川崎堀」に沿って歩く。
P3313193s

国道246号との交差部は
二ヶ領用水は国道の下、
人間は歩道橋で国道の上を通る。
P3314000s
JR武蔵溝ノ口駅に近くなると、
民藝運動で知られる
第1回人間国宝の陶芸家、濱田庄司が
溝の口で生まれ、
溝の口の宗隆寺に眠っていることから
それを顕彰しての「浜田橋」という
小さな橋もかかっている。
P3313197s

少し先、「石橋供養塔」という
小さな供養塔のそばには、
この緑道が、
 かつて二ヶ領用水の本流
だった。
 昭和16年、用水は今の流路に
 つけ替えられた」
なる説明が。
その緑道がこれ。
P3313207s

ちょっとわかりにくいが
緑道が左、
今の二ヶ領用水が右、
真ん中は用水沿いの道。
P3313210s
かつての本流、今緑道、も時間があれば
追ってみたいものだが・・・

その後も静かな流れが続く。
P3313213s
農業用水として使っていたころは、
こういった簡単に流れの制御ができる
小さな堰が活躍したことだろう。
P3313214s

数は多くないが、水門もある。
P3313219s

JR武蔵中原駅の近くまで来ると、
武蔵小杉の超高層ビル群が
大きな塊で見えてきた。
P3313222s
と、この地点まででは、
二ヶ領用水歩きとしては
かなり中途半端なのだが、
日もかなり傾いてきたため
日没タイムアウト、ということになった。

JR武蔵中原駅前の居酒屋で
一緒に歩いた仲間と乾杯。
中途半端な地点での切り上げでも
丸一日歩いた後のビールはうまい。

 

 

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