文化・芸術

2017年11月19日 (日)

オーストリア旅行記 (13) 鉄細工の看板の賑やかさ

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オーストリア旅行記 (13) 鉄細工の看板の賑やかさ

- 「ボスナ」とビール -

 

今日は、歴史や年号を忘れて、
お店を眺めながら
気軽にザルツブルクの町を
散策してみたい。

【ゲトライデ通り】

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旧市街で最も賑やかな通り。


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狭い通りの両側に
商店がギッシリ並んでいる。

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ここの特徴は、何といっても
鉄細工の看板。

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アイデアと美しさを
競っているのかと思うほど、
看板だけを見ていても飽きない。

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大小さまざまなタイプがあるが

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右側に見えるような大型のものだけでなく、
左側に並ぶようなシンプルで
小型のものにすてきなものもある。

わずか数百メートルの短い通りなので、
さっさと歩けば
あっけないくらい簡単に通り抜けられるが、
ドイツ語が読めない分(?)
看板からどんな商店かを類推する
自己クイズをやりながら歩くと
逆にちっとも前に進めなくなる。

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突き当りにはブラジウス教会がある。

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この通りで、
ちょっとおもしろいものを見つけた。
さて、これは何でしょう?

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建物の入り口横、
写真の中央下に並んでいる。

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上に向かって伸びているワイヤーを
見ればわかる通り、どうも呼び鈴のようだ。

2階から5階まで、
各階にそれぞれのワイヤーが届いている。
見上げるとこんな感じ。

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「I」を引けば、「I階(日本での2階)」に
繋がっているワイヤーが動き、
物理的に「I階」の呼び鈴が鳴る。

ちなみにワイヤーを追って見上げると、
上の写真のように庇(ひさし)の下に、
[1407]と[1987]の数字が見える。
年号だと思うがどういう意味なのだろう?

 

【塩専門店】
にも書いた通り
ザルツブルク(Salzburg)は
salzが「塩」で
burgが「城、要塞、砦」、
つまり「塩の城」という意味。

そこにある、その名もズバリ[Salz]。

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ショーウィンドウも塩のみ。

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店内も塩のみ。

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食用はもちろん、
バスソルトやソープなど、
お風呂用や美容関連製品も並ぶ。

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色も多彩できれいだし、
パッケージングもおしゃれ。

でも、これらは全部「塩」!

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量も多種用意されているので
おみやげにも買いやすい。

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塩そのものの多彩さに圧倒されながら、
おしゃれなミルがないかと探したのだが、
残念ながらいいものが見つからなかった。

なので塩だけ少し購入。

「岩塩」のまま、というスタイルでも
様々な大きさのものが並んでいる。
さすがにこちらは
おみやげ、というわけにはいかないが。

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町を歩くと、通りだけでなく、
建物を通り抜ける路地が
あちこちにあって、
独特な雰囲気を醸し出している。

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路地幅は狭く、天井も低いが、
ショーウィンドウはおしゃれ。

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そんな狭い中、
行列のできているお店が。

【バルカングリル】

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「ボスナ」と呼ばれる
ホットドッグを売っている。

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いいにおいに釣られて、
並んで買ってみることにした。

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焼き色をつけたパリパリのパンに、
細めのグリルソーセージが2本
サンドしてある。
玉ねぎ、パセリの他
黄色い独特な香辛料が振ってある。

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ソーセージを焼いて、
出来立てを手渡してくれるので
ほんとうにおいしい。
お昼にちょっと食べるのにはピッタリ。
行列ができているのも頷ける。

辛いわけではないが、
「やっぱりコレがなきゃ」と
別なお店でDIE WEISSE HELLという
ビールを買ってしまった。

昼間っから、おいしいホットドッグと
ビールの組合せ。最高だ!

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ザルツブルク観光も
いよいよ終盤になってきた。

 

 

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2017年10月29日 (日)

オーストリア旅行記 (10) サウンド・オブ・ミュージック(その6)

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オーストリア旅行記 (10) サウンド・オブ・ミュージック(その6)

- 岸壁馬術学校 -

 

オーストリアのザルツブルクを、
映画「サウンド・オブ・ミュージック」を
キーに巡っていく六回目。

これまで同様、
映画のDVD/Blu-ray

で補足・確認しながら、
振り返ってみたい。
(以降、映画からのシーンは黄色枠で)

 

【祝祭劇場】
世界的な音楽祭のひとつとして
知られている「ザルツブルク音楽祭」
メイン会場となっているのが
この祝祭劇場。

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ご覧の通り
大きなというか「長い」建物だが、
その起源はなんと
1607年に建てられた
大司教の「厩舎」だとか。
つまり馬小屋。

岩山に沿う細長い形状をしており、
その長さは225mにもなる。

現在、「祝祭劇場」には
大小2つのホールと、
岩山を削ってつくられた
「フェルゼンライトシューレ」の
合計3つの劇場がある。

訪問したときは
音楽祭のちょうど10日前だったので、
スケジュールが大きく張り出されていたが、
まさに3つの劇場フル回転のプロブラムが
組まれていた。

道を挟んだ対面に、
同じように「長く」広がっているのは
大学の図書館だ。

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正面入口前に広がる
マックス・ラインハルト広場と呼ばれる
広場からは、
左手にフランティスカーナ教会
右手にザンクト・ペーター教会
の塔が見える。

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ザンクト・ペーター教会の塔の後ろには、
ホーエンザルツブルク城塞が。
城塞の威容もかなり見慣れてきた。

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さて、この祝祭劇場。
内部を案内してくれる
ガイドツアーがあるという。

ツアーの時間がわからなかったので、
ツアーオフィスを兼ねた
劇場のギフトショップに行って
事前に時間を尋ねてみた。

ザルツブルク音楽祭が
10日後に迫っていたので、
公開エリアに制限があるようだったが、
まぁ、準備の様子も含めて、
雰囲気が感じられればそれもうれしい。

妻と相談のうえ、
翌朝9時のツアーに参加することにした。

「予約はできないので、
 予定時間の15分前に来て下さい」

 

翌朝、集合場所に行くと、
12人が集まっていた。

ガイドさんは、

*ザルツブルク音楽祭が
 10日後に迫っているので、
 劇場内では様々な準備が進められており、
 いつもは案内している大ホールに
 今日は案内できないこと。

*小ホールである
 モーツァルトホールは案内できるが、
 こちらも今日はリハーサル中ゆえ、
 ホール内での写真は禁止されていること。

などなど、丁寧に音楽祭前の
特殊な状況を説明し、
理解と了解を求めていた。

 

【フェルゼンライトシューレ】
ガイドツアーで最初に案内されたのは、
最も見たかった
「フェルゼンライトシューレ」だった。

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「サウンド・オブ・ミュージック」の終盤、
一家がコンクールで歌声を披露する、
実に印象的な劇場だ。

岩山の山肌を掘った岩むき出しの面が、
そのまま劇場の奥の壁となっている。

つまり、岩山に張り付くように
劇場が作られている。

フェルゼンライトシューレの意味は
 Felsen(岩壁)、
 Reitschule(馬術学校)


1693年、
ヨハン・エルンスト・フォン・トゥン大司教
(Johann Ernst von Thun)は、
大聖堂建築のための採石場跡に、
馬術学校を設立
した。

そこでは、乗馬のトーナメントも
行われていたという。

舞台を取り囲んでいる三層に重なった
96のアーチからなる岩盤は、
馬術学校当時の観客席
である。

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ガイドツアーの説明は
「ドイツ語」と「英語」で進んでいく。
二人のガイドさんがいるわけではなく、
ひとりで二言語を担当。

ちなみに、その時の我々12人のグループは
8人がドイツ語、4人が英語、を希望。

ドイツ語での説明の後、
英語組4人が集められて英語で説明を聞く、
を繰り返す感じでツアーが続く。

ただ、ドイツ語がわからないので
これは単なる想像だが、
明らかにドイツ語の説明の方が
詳しいことまで触れている気がする。

もちろん、説明というのは
ただ詳しければいいというわけではなく、
こちらの英語力からすると
要点のみの短い説明の方が
かえって親切、とも言えなくはないが、
長いドイツ語の説明のあと、
英語の説明が妙に短かったりすると
ソフィア・コッポラ監督の映画
「ロスト・イン・トランスレーション」

を思い出してしまう。

(ソフィア・コッポラ監督の
 東京を舞台にしたこの映画、
 好き嫌いの別れる映画のひとつだが、
 私は大好きだ。踏み込むと
 話がどんどん横道に逸れそうなので
 この映画の話はまた改めて)
題名の[lost in translation]とは
あえて訳せばまさに
「翻訳で失われるもの」という感じだ。

閑話休題

音楽祭が近いので、舞台上では
人と物が慌ただしく動いており、
リハーサルというかテストが続いていた。

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映画ではこんなふうに使われている。
全体がよく見える
コンクールに向けての昼間の練習風景から。

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空が見えていることにご注目。

50年以上も前のロケ時点では、
このようなオープンエアの
構造だったようだが、
現在は、開閉式の屋根がついている。

映画でのコンクールの本番は「夜」で
スポットライトが当たってこんな感じ。

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それにしても、馬術学校の観客席を
逆に舞台にしてしまおうという発想には
ほんとうに驚かされる。

ちなみに、岩山そのままが
舞台となっているため、
「舞台裏」というものがない。
なので上演にあたっては大道具を含め
いろいろな工夫が必要だ、と説明していた。

劇場としていろいろ不自由な部分が
あるにも関わらず、
フルトヴェングラーやカラヤンといった
往年の名指揮者が、今も語り継がれる
伝説的なオペラを残した舞台でもある。

 

個人的には
「ここさえちゃんと見られれば」の
フェルゼンライトシューレが見られたので
それだけで大満足だったが、
フェルゼンライトシューレを出たあとは
モーツァルトホールに案内された。

ただ、最初に言われた通り、
こちらの撮影は許可されていなかったので、
残念ながら写真はなし。

公開のオペラに向けて、大道具も含め
舞台上の準備はかなり進んでいた。

モーツァルトホールを出たところには
横板の隙間の先に、こんなオブジェも。

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小さな白い光の列はすべてビーズ。
地元オーストリアに本社がある、
ビーズで有名な
スワロフスキー社が作成したもの。

「モーツァルトの髪型」を表現したもの、
と言われているようだが、
オブジェ前の空間が狭く、物理的に
遠くに離れて見ることができないので、
ガイドさん自身も「確認のしようがない」
と説明して笑いをとっていた。

なお、劇場は幕間を過ごすロビーも
一見の価値がある。

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広さや床の美しさにも目を惹かれるが、
他にはない大きな特徴が2点ある。

ひとつは、岩山の山肌が岩盤むき出しで
直接奥の壁となっている点。
フェルゼンライトシューレと同様、
ロビーは岩山に直接張り付いており、
奥の壁は、岩山の岩盤そのままだ。

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近くに寄ってみると、
粗い岩肌の感じがよくわかる。

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もうひとつの特徴は、
『テュルケンシュテッヘン』
(Türkenstechen)
と呼ばれる
天井の巨大なフレスコ画。

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しかもこのフレスコ画、
この大きさを活かした
トリックアートまで仕込まれている。

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ちょうど岩盤ギリギリの
一番奥の部分。
見上げながら寄っていくと
描かれた柱がグゥーっと空に向かって
立ち上がっていく。

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全体はまさに馬を中心に描かれた
巨大なものだが、

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奥の一角だけ
仕掛けで遊んでいる感じ。

 

なお、入ってすぐのロビーは、
テュルケンシュテッヘンとは全く違う
こんな雰囲気の画で囲まれているが、
これは第二次世界大戦の時に焼けてしまい、
その後以前のように修復されたもので
特に古いものというわけではないようだ。

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映画のほうも
「コーラスコンクール」まで来た(?)ので、
サウンド・オブ・ミュージック関連の
ネタは、
あともう一回書いて一区切りとしたい。

 

 

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2017年2月12日 (日)

NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」

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NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」

- 肉体の芸術ってつらいね -

 

NODA・MAP 第21回公演「足跡姫」
~時代錯誤冬幽霊~
(じだいあやまってふゆのゆうれい)
を観てきた。

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主演は、同じNODA・MAPの作品
「透明人間の蒸気」の演技を観て以来、
私の中では別格扱いになっている
一番楽しみな女優・宮沢りえさん。

他にも、妻夫木聡さん、古田新太さん、
鈴木杏さん、池谷のぶえさん、
佐藤隆太さん、中村扇雀さんら、
ワクワクする役者さんがいっぱい。

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」
でも書いた通り、
事前情報の流出に
いつもは厳しい野田さんが、
今回の公演については、自ら自筆の文章で、
こんなメッセージを発信している。
(以下水色部、公演パンフレットの
 野田さん自筆部分からの引用)

舞台は江戸時代です。
作品は、中村勘三郎へのオマージュです。

彼から、最後の病床で
「俺が治ったら、この姿
 (医療器具でかんじからめの彼の姿)を
 舞台にしてよ」と言われた。

それを、彼の遺言とも思っていないし、
彼は冗談半分のつもりだったように
思うのだけれども、ずっと気になっていた。

今年の十二月五日で、
彼が逝ってから、四年になります。

「あの姿」を書こうとは思わないけれども、
彼の葬式の時に、
坂東三津五郎が弔事で語ったコトバ、

「肉体の芸術ってつらいね、
 死んだら何も残らないんだものな」


が私の脳裏に残り続けています。

同じ歌舞伎の世界で生きる
三津五郎さんのコトバだからこそ
力がある。

その三津五郎も、
後を追うように他界してしまいました。
あれから

肉体を使う芸術、
 残ることのない形態の芸術


について、いつか書いてみたいと
思い続けていました。

もちろん作品の中に、
勘三郎や三津五郎が
出てくるわけではありませんが、

「肉体の芸術にささげた彼ら」のそばに、
わずかな間ですが、
いることができた人間として、
その「思い」を
作品にしてみようと思っています。

劇場の情報誌
「芸劇BUZZ」vol.18 2017にも
インタビュー記事が出ていて
三津五郎さんのコトバについて聞かれ
野田さんは、
以下のようなコメントをしている。

「なるほど、上手いこと言うな」と。
自分は書くという仕事があるから
まだ残るけれど、
彼らはそういう仕事なんだなあと
改めて感じました。

 今は(舞台も)映像で残せますが、
それが余計にいやなんです


映像に上手く残せる人と
本当に上手い人はまったく違うんですよ。
そして、上手く残せることに
長けている人が上手いふうに
残るじゃないですか。

こっちがいくら

「そんなんじゃないよ、
 ビデオでは良く残っていないけど、
 この人のほうが全然すごいんだよ

と言っても、
当のすごい人が死んでしまっていたら、
そのままになってしまう。

「基本的に、映像は別物」
とよく言っている野田さんの映像感だ。

勘三郎の、こういう言い方は
誤解を生むかもしれないけれど、
下品なアドリブをビデオで撮っても
つまらないと思うんですよ。

落語家の先代の林家三平さんが
持っていたようなサービス精神に近い、
目の前にいる人たちの
空気を温めさえすれば、
まずはいいんだという迫力


芸術家ではなく
芸能人(げいのうびと)の精神を持っていて、
そこから発せられる言葉ですよね。

あれをビデオに撮って残してねと言っても、
その場に生まれた温かみ
-ばかばかしさも含めて-や
客席とのやり取りの空気は
映るはずがない


そういうことをはじめとして、
不満なんです。

その人たちが生でやったものが
映っていない映像が
本物だと思われることは・・・


「足跡姫」は
そういう話ではありませんけど、
舞台をやり続ける限りは
そのことは常に
言っていきたい
と思っています。

NODA・MAP 第18回公演「MIWA」にも書いたが、
野田さんの舞台を観ると、
「生」でこそ、の魅力が溢れていて、
「映像では残せない」を
ほんとうに実感できる。

なので、直接舞台を観た人には
野田さんの思いは
通じていると思うのだが。

 

で、「足跡姫」。
三、四代目出雲阿国が宮沢りえ。
彼女とその弟サルワカ(妻夫木聡)を
中心とする女歌舞伎一座の顛末と
由井正雪をからめた
江戸時代を舞台にした物語。

大岡越前戯の守忠相兵衛
(おおおかえっちぜんぎのかみ
 ただすけべえ)
なんていう
ふざけた名前の登場人物がいたり、

 あの一座は脱いでいるのではなくて、
 偶々(たまたま)はだけている、
 裸じゃない、ハダケです。

とか、

 そう思うと、あたし近頃、
 股に、手で、ブルーになっちゃう。
 『股に手でブルー!』

とか、例によって
台詞の言葉遊びも健在だ。

一方で、

 三、四代目出雲阿国:
  でも、声がなくなってからも、
  病の床で母さんは唇を動かした。

  母のコトバは、
  やがて母の音になった。

  母音という母の音
  おえあええ、あえっえいあ。
  それだけで喋っていた。

 サルワカ:
  母の音は、最後になんて言った?

 三、四代目出雲阿国:
  い、い、あ、い。

 サルワカ:
  い、い、あ、い?

 三、四代目出雲阿国:
  その母の音は子供の耳に入ると、
  子供の音、子音になって聞こえた


 サルワカ:
  姉さんの耳には、母の音は、
  どんな子供の音になって
  聞こえたんだ?

 三、四代目出雲阿国:
  い、い、あ、いは、
  『死、に、た、い』
  そう聞こえた。

それが弟のサルワカには
『生きたい』に聞こえた、
というエピソードなど、
深みのあるネタには
姉弟を実にうまく使っている。

最後、
芝居と幕、肉体と筋を絡めて、
サルワカの長台詞がみごとに
混乱した物語を締めている。

「その場に生まれた温かみ
 -ばかばかしさも含めて-」
を、ぜひ、生の舞台で。
お薦め。

 

 

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2016年12月25日 (日)

渤海からのカレンダー

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渤海からのカレンダー

- 宣明暦(せんみょうれき)の渡来 -

 

前回、「日本海」について
この本を紹介させていただいた。

 蒲生俊敬著
 「日本海 その深層で起こっていること」
 講談社ブルーバックス

この本、ブルーバックスなので、
海水の「熱塩循環」を始め
科学的な視点での解説が多いのだが、
日本海に関する歴史的なエピソードも
数多く盛り込まれている。

その中からひとつご紹介。
(以下水色部、本からの引用)

 8世紀から10世紀にかけては、
高句麗の後継として698年に建国された
渤海(ぼっかい)
(当初の国名は振で、926年に滅亡)
とのあいだで実施された国際交流
(遺渤海使)がよく知られています。

今から1300年も前の話だ。

 

727年に渤海からの使節が
蝦夷(えぞ)地に来着したのをきっかけに、
翌728年には、わが国から初めての
遣渤海使が日本海を渡ります。

遣渤海使は811年の15回めで終了しますが、
渤海はその後も熱心に使節を派遣し続け、
929年の34回めまで継続されました。

727年-929年この間だけで約200年。

渤海使の推定交易ルートが下図。
なお、参考にしているのは、
 高瀬重雄(1984)
 「日本海文化の形成」名著出版

Nihonkai

秋田県能代から島根県松江(千酌)、
そして平城京まで、
なんと多くのところと繋がりがあったことか。

 

渤海からの使節は、
秋から冬にかけての北西季節風を利用して
日本海を横断し、対馬暖流に乗って
日本海沿岸の港に到着しました。

一方、帰路は4~8月に日本海を北上し、
リマン寒流を利用して渤海沿岸に
到着していたと思われます。

彼らは航海術に長(た)けていたようで、
海路図からは日本海の海流を経験的に
うまく利用していた
ようすが見てとれます。

古い話とはいえ、
航海術はこの時点ですでに長い歴史があり、
風や海流をうまく利用していたようだ。

 

 交流が始まった当初の渤海は
新羅と対立しており、同国を牽制するために、
やはり新羅と敵対していた
わが国との連係を求めました。

しかし、まもなく
新羅との緊張状態が緩和したことによって
軍事同盟的な色彩は薄れ、渤海との関係は
交易を中心とする文化的なものへ
変わっていきます。

軍事目的から文化交流へ。

では、実際にはどんなものが
やりとりされていたのだろう?

 渤海からは、
貂(てん)・熊・豹・虎などの毛皮や、
人参、蜂蜜、陶器類、仏具、経典などが
わが国にもたらされました。

一方わが国からは、
絹などの高級な繊維加工品、黄金や水銀、
工芸品、つばき油、金漆(こしあぶら)などが
輸出されました。

養蚕のあまりできない渤海で、
絹製品はとりわけ珍重されたといいます。

そして、このルートで輸入された
もっと大きなもの。

それは、その後800年以上に渡って
日本で使われることになる「カレンダー」だ。

 この時代に、渤海を経由して
唐から伝えられた貴重な文物があります。

859年の渤海使によってもたらされた
宣明暦(せんみょうれき)」です。

当時の唐で使用されていた
高精度の太陰太陽暦であるこの暦は、
862年から
江戸時代中期にあたる1684年まで、
実に822年間もの長きにわたって使用され、
年月日に基づく人々の
日常的生活の拠りどころとなりました。

800年間も使われた宣明歴。
その入国のルートとなったのが、
日本海だったようだ。

宣明歴も1685年には、
輸入物ではなく、日本人
渋川春海の手によって編纂された和暦、
貞享暦(じょうきょうれき)
改暦される。

渋川春海については、
冲方丁著『天地明察(てんちめいさつ)』
で広く知られるようになった。

貞享暦のほうは、
70年の寿命だったようだが。

 

2016年も年の瀬。
さてさて、来年は
どんなカレンダーになることでしょう。

今年もご訪問ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎え下さい。

 

 

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2016年10月30日 (日)

宇宙が音楽か、音楽が宇宙か

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宇宙が音楽か、音楽が宇宙か

- 音楽は世界の調和を語るもの -

 

前回
オーストラリアの先住民アポリジニの
「ソングライン」という言葉について
少し書いた。

その際、引用した一冊が

浦久俊彦著「138億年の音楽史」
講談社現代新書

この本、世界中の音楽を
独自に選んだいくつかの観点から
大きく眺め直してみようという意欲作だ。

壮大なテーマを
小さな新書一冊に詰め込もうというのだから、
膨大な参考文献に支えられているとはいえ、
粗削りな面があることは否めない。

それでも、音楽を考える「視点」を
与えてくれている点は重要だ。

というわけで、その中から一部紹介したい。
(以下水色部、本からの引用)

東洋の音楽観に関する記述から。

漢字で書く「宇宙」の
「宇」は空間を、
「宙」は時間を
 意味している。

「宇宙」という語は、
中国の古典『淮南子(えなんじ)』の

「往古来今これを宙といい、
 四方上下これを宇という」(斉俗訓)

という部分に由来するといわれるが、
宇宙ということばには、時間と空間という
ふたつの概念が含まれている

時間と空間、
それはまさに音楽と結びついている。

 姿もかたちもない音でできた音楽が、
人の心を震わせ、目に見えるものを共鳴させる。

古代から人々は、
この不思議な音楽というもののなかに、
天と地と人の生きる空間すべてを把握できる
鍵が隠されている
と考えた。

宇宙が音楽か、音楽が宇宙か。

宇宙そのものが音楽であるという考えは、
東洋思想のなかにも深く浸透している。

 古代中国では、老子が、

人間の音楽を「人籟(じんらい)」、
自然の無数の音響が奏でる音楽を「地籟(ちらい)」、
天球の音楽を「天籟(てんらい)

と称し、
なかでも「天籟」を最高の地位においたことや、
紀元前四世紀の思想書『荘子』には、
音楽は世界の調和を語るものであるという記述がある。

『詩』は人の心を語るもの、
 『書』は昔の事蹟を語るもの、
 『礼』は人の実践を語るもの、
 『楽』は世界の調和を語るもの


というくだりだ。
このなかの「楽」が、音楽である。

その「楽」を奏でる合奏団は、古代においてすでに
数百人にも及ぶ巨大なものだった可能性もあるという。

 古代の神話的宇宙観の音楽的な実践ともいえる
古代中国に実在した合奏団が、
古典雅楽というイメージで
想像されていたよりもはるかに壮大な、
じつに数百人に及ぶ演奏者による
巨大オーケストラ
だったことも、
近年の考古学的調査でわかってきた。

 

インドでも宇宙と音楽は結びついている。

 インド音楽は旋律の音楽である。

西洋音楽のように
異なった音を同時に響かせるという
和音(ハーモニー)の発想はない。

と書くと、まるでインド音楽には
ハーモニーの概念がないと思われるかもしれないが、
そうではない。

インドでは、
音楽は全宇宙のハーモニーの縮図
だと考えられているのだ。

ここでいうハーモニーとは、
和音というよりも調和を意味する


宇宙の縮図である人間は、
脈拍、心臓の鼓動、波動、リズム、音調のなかに
和音や不協和音を表し、

健康、病気、喜びや苦痛は、
どれも生命における音楽や、
その欠如を示すという。

これが、インド音楽の基本的な考え方である。

音楽は宇宙のハーモニーの縮図?

 インドの音楽家
ハズラト・イナーヤト・ハーンいわく、

ふつう音楽と呼ばれているものは
あらゆるものごとの背後で動いている、
自然界の根源である宇宙の調和、
すなわち宇宙の音楽から、
知性がつかみとった小さな縮図
にほかならない。

いつの時代の賢者も、
音楽を神聖なものと考えていたのはそのためだ。

賢者は音楽のなかに全宇宙の像を見ることができ、
音楽のなかに、全宇宙の働きの秘密を
明らかにすることができたという。

「宇宙の音楽から知性がつかみとった小さな縮図」

創造するとか、自己を表現するとか、
そういった創作としての作曲、という考え方は
そこにはまだ一切ない。

 

 

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2016年2月14日 (日)

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」

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NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」

- 作品の予習ってなんだ -

 

NODA・MAP 第20回公演「逆鱗」
を観てきた。

Gekirin1

主演松たか子さんは、
09年の「パイパー」以来7年ぶり。

瑛太さん、井上真央さんは
13年の「MIWA」以来3年ぶり。

そして、そして
04年の「透明人間の蒸気」で
宮沢りえさんとともに
圧倒的な存在感を放っていた阿部サダヲさんが、
12年ぶりにNODA・MAPに帰ってきた。

Gekirin2

それに、池田成志さん、
満島真之介さん、銀粉蝶さん、らも加わり、
まさに贅沢なキャスティング。

3年ぶりの新作に
期待が高まらないわけはない。

 

物語は、
NINGYO役の松たか子さんの
こんな美しいセリフから始まる。

NINGYO:
・・・
  それがたぶん、あなた方にとって
  「泣く」ということだ。

  鳥も鳴く。
  虫も鳴く。
  でも魚は泣けない。

  泣くためには空気がいる。

  あなたたちが
  生きるために空気が必要なように、
  泣こうと思った人魚は気がついた。

  海面に顔を出して
  初めて泣き声を出すことができる。

  けれども海の底から、
  海の面(おもて)までは、
  塩で柱ができるくらい遠かった。

  だからやっと海面(うみづら)に出て、
  泣き声を出せたその時は、
  嬉しさのあまり、
  人魚の泣き声は甘く清(さや)かな
  歌声に変わった。

・・・

  なんで私は歌っていたの?
  なんで私は泣こうとしたの?

この最初のモノローグに、
物語のすべてが詰まっている。

主な舞台は、水族館と海底。
人魚ショー実現にむけた
やり取りから始まった話は、
後半、
思いもしなかった方向に展開していく。

とはいえ、前半は例によって
言葉遊びも健在で、
チクリとした皮肉とともに、
笑えるシーンも多い。

サキモリ:
  はい。

  「人魚ショー」でも
  「イルカショー」でもない、
  それでいて人魚は実在するのか、
  その根源を問う
  「人魚はいるか?ショー」というのは。

イルカ君:
  なんですかそれ。

サキモリ:
  だからイルカ君、
  いきなりイルカショーをなくすわけじゃない。

  むしろ、あれ?
  人魚はいるか?ショーって、
  人魚はいるの?
  それとも本当はイルカショーなの?
  どっちなのって、

  もやもやっとしているうちに
  人魚ショーに変わっていく。

  きわめて日本的でしょう?

で、このあと話は・・・
と書こうとしていたところ、

2016年2月11日
TBS系「NEWS23」で、
作者の野田秀樹さんが
膳場貴子さんのインタビューに応じている、
という情報が入ってきたので
ちょっと見てみた。

ついていたタイトルは
「説明過多」な時代に…

下記HTML5のaudioタグによるMP3 Player
(ブラウザによって表示形式は違うようです)

野田秀樹:
  説明してもらわないとつらい、とか
  いうことになってきて、

  まぁ、特に今度の芝居なんかも、
  わざと内容を伏せていたンですね。

  観に来た人が何の話が始まるのか、
  全くわからない。

  その衝撃って、やっぱりぜんぜん違って。

  やはり、作るっていうのは、
  それを観た人との
  瞬間の出会いのはずなんで。

  よく、お客さんの中で、
  今回、予習をしないで来てしまいました、
  みたいな言葉を言う人がいるのね。

  予習ってなんだよ。

  作品の予習ってなんだ

  今、これから見せるのに、
  とか思うんですよね。

膳場貴子:
  あ、でも言っちゃうかもしれない。

野田秀樹:
  多いですよね。

膳場貴子:
  もう、そういう姿勢に
  なっているかもしれないですね。

野田秀樹:
  ものを先にガードしておかないと
  怖いみたいな。

なるほど。

もともと野田さんは、
ここでも紹介した通り、

観た時には完璧に理解されず、
 『あれはなんだったんだろう』
 ということがあっても、
 それをため込んで
 持っていてくれればいい


と言っているくらいで、
自分の作品をわかりやすく解説する
なんてことはしないけれど、
今回、
事前情報が少なかったのも、
まさに、意図的だったということか。

というわけで、作者の意図を尊重し、
まだ公演中ということもあり、
これ以上、
物語の内容について書くことは
控えておこうと思う。

興味のある方は、ぜひ劇場で体験下さい。
劇場のみでのトリップ感、お薦めです。
まさに、一席の空きもない、
超満員状態でしたが、
全公演、当日券があるのも
NODA・MAPのありがたいところですので。

 

最後に、当日券、
または何らかの方法で、
これからチケットを
ゲットしようとしている方に
ひとつだけアドバイスを。

メインキャストだけでなく、
アンサンブルがすばらしいのも
NODA・MAPの魅力のひとつですが、
今回も期待を裏切りません。

ただ、演出の関係もあって、
できるだけセンタ、
つまり正面で観たほうが、
その効果がわかりやすいかも。

舞台から遠くても、
中心に近い方を優先、
をお薦めします。

 

 

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2016年1月 3日 (日)

噺家の顔が消える

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噺家の顔が消える

- 消えたあとに見えてきたもの -

 

関東地方は天気にも恵まれ、
おだやかな正月三が日になった。

「はまのおと」
本年もよろしくお願いします。

 

年末の夜は、大晦日と言えば、の定番「芝浜」を
志ん朝のCDで聴き直したりしていたが、
初笑にももちろん落語は欠かせない。

たったひとりの噺家による落語の世界。
志ん朝の名人芸に浸っていたら、
ふと、ある言葉を思い出した。

スクラップブックをめくって
正確に確認しておきたい。

「真打ち昇進を一度拒否した真打ち 
 柳家禽太夫(やなぎや きんだゆう)」

 以下水色部分は、
 2001年11月11日朝日新聞の記事から。

A011111s

二つ目時代、
お客さんを笑わせるぞ、と
奮闘していた禽太夫さん。

「二つ目時代の高座は汗だくでした。
 笑わしてやるぞと肩に力が入るばかりで、
 奇声を発したり、大げさな表情をしたり。
 お客さんは気を使って笑ってくれるんです。

 一生懸命、笑いを押しつけていました」

2008年
禽太夫さんは、真打ち昇進を
「下手だから」と自ら断っている。

「オレの力でおもしろくできるんだ」
のオレ流に悩みだしたころ、
師匠の柳家小三治さんはこんな言葉を
禽太夫さんにかける。

「お前が押しかけるんじゃなくて、
 お客さんに自分が話す世界を
 のぞき込んでもらうんだ

さすが師匠!
まさにそれこそが落語の、
いや、舞台芸術すべてに通じる
ほんとうの魅力だ。

記事は、その世界を
こんな言葉で表現している。

しゃべっている噺家の顔が高座から消える。

客の頭の中で八つぁん、熊さん、
ご隠居たちが自由に動き回り、
彼らの表情や、
周囲の状況が目に浮かぶ。

落語の世界はおもしろい。

最初はのぞき込んでいたはずなのに、
気がつくと、中に入り、
その先の広い世界に自分が遊んでいる。

登場人物には表情があり、
場合によっては
匂いや日差しや風まで感じられる。

描かれてもいないのに、振り返れば
その方向の景色さえ見える気がする。

最新の3DやARなんて
それに比べればずいぶん表面的なものだ。

うまい落語は噺家の顔が消える!

消えたあとに見えてきたものの魅力は
見たことのある人だけの、
ある意味「宝」だ。

芸には、それを与えうる力がある。

今年はどんな「宝」に出逢えることだろう。

 

 

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2015年12月20日 (日)

Holiday Season

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Holiday Season

- 気軽に口にできない「メリー・クリスマス」 -

 

11月の中旬、出張で米国に行ってきた。
羽田発の深夜便。

月曜日、まるまる一日働いて夜、羽田空港に。

それから約10時間飛行機に乗り、
南カリフォルニアのホテルに着いたのが
現地時間でなぜか月曜日の夜。
そのままホテルで寝て、目覚めると火曜日の朝。

途中10時間ものフライトがあるのに、
月曜日から火曜日にかけて、
なめらかに繋がっている。
不思議な感じだ。

 

出張中のある夜、夕食のあと、
近くのドラッグストアに寄った。

米国はGreeting Cardがどこに行っても豊富だ。

11月中旬だったこともあり、
Thanksgiving(感謝祭)のカードも多く並んでいた。

見るとその横には「Hanukkah」のエリアが。

Img_9915a

ご存知だろうか。ハヌカ。

さすがに日本のカード売り場では見た記憶がない。

ハヌカは、ユダヤ教のお祭りで、
ユダヤ暦キスレブ月の25日から、8日間祝われる。

今年(2015年)は、カード売り場の表示によると
12月7日から14日の8日間のようだ。

Img_9917ss

ハヌカは、ユダヤ人がギリシヤ軍に勝利し、
エルサレム神殿を奪回した
紀元前164年の出来事に由来する。

その際、神殿内に残されていた油は、
一日分程度の量しかなかったにもかかわらず、
灯してみると奇跡的に8日間も燃え続けたという。

それにちなんで、
「ハヌキア」と呼ばれる9本の燭台に
一日に一本づつ、ろうそくを灯していく。

真ん中の一本は種火。よって
8日目には、全部のろうそくに火が灯ることなる。

ちなみに、ハヌカ用の燭台「ハヌキア」は9本、
よく目にする7本の燭台は「メノラ」と呼ばれて
ハヌカ用のものとは区別されている。

ハヌキアは、カードにも
いろいろな形にデザインされて使われている。

Img_9917s

左のカード、9本のローソクには
どんな言葉が選ばれているのか
ちょっと覗いてみよう。

右から
 * Smiles:笑顔
 * Traditions:伝統
 * Sharing:共有
 * Laughter:笑い

 * Togetherness:連帯感

 * Memories:思い出
 * Love:愛
 * Gratitude:感謝
 * Family:家族

ユダヤ教のことは何も知らないが、
ユダヤ教の人がやりとりするカードの中に
違和感のある言葉はひとつもない。

 

日本ではこの季節
相手の宗教を気にすることなく
気軽に「メリー・クリスマス」と
口にしてしまうことが多いが、
米国含め、
相手の宗教を気にしないといけないところでは、
ちょっと面倒だ。

しかも、年末、
ハヌカのように、似たような時期に
宗教的な行事が重なっていたりする。

安直だが、宗教を気にせず
誰にでも安心して使えるのはやっぱりコレ。

 「Happy Holidays!

 

 

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2015年11月 1日 (日)

「日本数寄」のフィルター

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「日本数寄」のフィルター

- 「かさねの作法」の理解に向けて -

 

雑誌としては半年ほど前の号になってしまうが、
雑誌「pen」の2015年4月15日号 No.380

「世界に誇るべきニッポンの100人」という
特集をしていた。

そこに、

「日本数寄」のフィルターこそが、いま必要だ。
という題で編集工学研究所所長の
松岡正剛さんが文章を寄せていた。
   (以下水色部、そこからの引用)

松岡さんらしいキーワードが詰まった、
示唆に富む内容だったので少し紹介したい。

どのキーワードも
ひと言で説明できるような簡単なものではないが、
忘れたくない言葉が多いので、
自分自身への備忘録代わりに。

【キーワード 「土発的」

 誰もがどこかで「世界に誇りたい日本人」を
待ち望んでいる。それは、そうだろう。

それはよくよくわかるのだが、この気持ちを
誰をも納得させる人選で満足させることは、
いまや相当、難しくなっているとも言わざるをえない。

(中略)

 なぜ、こんなふうになったのか。
世界と日本の関係を
グローバルスタンダードの基準ばかりで見たり、
外からの評判ばかりを
気にしているせいではないかと思う。


ノーベル賞や売上げや金メダリストや
国際コンペの入賞者を自慢するのはかまわない。

しかし、日本人が日本人を誇るにはそれとは別の、
普段からの価値観が
土発(どはつ)的に充実している必要
もある。

土発(どはつ)的とはどういうことだろう?
ここには、こんな説明があった。

土発的アプローチ

  「土発」とは、土着のように
その土地に根を張ることを目的とするのではなく、
いまいる場所を軸足とし母胎としながらも、
ヨコにもソトにも事業を展開し飛躍する
こと。

定住的でありつつ越境的なのである。
いまいる場所は本来、他の土地にはない
固有性または特異性をもっている。

土発的アプローチは、
遠くに憧れる前に、近場を冒険し、
そこにひそむ特異性を
新鮮に発見するところから始まる。

 

【ジャズもビザも土発的】

 日本は日本人が誇る価値観や職人の面目を、
もっともち出していいはずである。
その価値と面目に世界を巻きこんでいい。

仮に無名でもかまわない。
それが世界に知られていない藍染や截金(きりかね)や
尺八でもかまわない。
日本語だけの文楽や落語や演歌歌手でもかまわない。

アメリカのジャズやイタリアのピザや
スコットランドのカーリングは、
土発的なものでありながら、
それでも世界を席巻したのだ。

 

【キーワード 「産土(うぶすな)」

 ところが、日本人はいつしか
ソトヅラを気にするようになった。
私は経済大国を
標榜(ひょうぼう)するようになってから、
特にそうなってしまったと見ている。

これで産土(うぶすな)のカを見失った。

産土とは、生まれた土地の守護神。
Wikipediaには、こんな説明がある。

産土神は、神道において、
その者が生まれた土地の守護神を指す。

その者を生まれる前から
死んだ後まで守護する神とされており、
他所に移住しても
一生を通じ守護してくれると信じられている。

 

「カワイイ」だけではない】

また、何であれ
「カワイイ」としか褒めなくなってから、
こんなふうになってしまったとも見ている。

かつての庶民には
「粋」も「通」も「お侠(きゃん)」も
「いさみ」も「婀娜(あだ)」もあった
のだ。
なんでもがカワイイだけではなかったのだ。

 

では、われわれの自信を取り戻すには、
どうしたらいいのだろうか。

【キーワード カサネ、アワセ、キソイ
       見立て、本歌取り
       もてなし、ふるまい、しつらい

・・・
「日本という方法」を
時代をまたいで徹底的に列挙して、
その中から輝きのあるものや
考え方を見極める作業に
取り組むべきだろう。

そこにはカサネやアワセやキソイの技法、
見立てや本歌取りの方法、
「もてなし」と「ふるまい」と「しつらい」を
合致させてきた秘密がいっぱい待っている


この見方を取り戻すべきだ。

「かさねの作法」については、松岡さん自身が、
ここに詳しく書いている。

 

【クリエイティビティと
 オリジナリティの魔法? 呪縛?】

これらが見えにくくなったのは、
われわれがうっかり
クリエイティビティとオリジナリティの魔法に
かかりすぎたから
だろう。

 しかしグレン・グールドが言ったように、
クリエイティビティとは「熟考された逸脱」にしかなく
ジャン・コクトーが言ったように、
オリジナリティとは業界評価にすぎないことも
少なくなかったのである。

 

【キーワード 「うつし」

 日本にはもともと「うつし」という方法が貫いていた。

これはたんなる模倣なのではない。
それは「写し」でも「映し」でも「移し」でもあって、
一見するとクリエイティビティや
オリジナリティに背いたもののように見えるけれど、
そうなのではない。

伊勢の式年遷宮がそうであるように、
利休茶碗に多くの「うつし」があり、
和菓子や日本料理に多くの「見立て」があるように、
そこには独特の技能や芸能の継承があった
のである。

 

【そして最後のキーワード 「数寄」

 これはまとめれば「数寄」のセンスというものだ。

数奇とは何かを透いて漉いて、鋤いて梳いて、
好きの極みに達していくことをいう。


何を数奇するのかといえば、日本の本来と将来を貫いて
「日本数奇」にする。

いま、われわれが誇りたいのは、
この日本数奇のすぐれ者たちなのである。

日本が世界に誇りたい日本人は、
日本人が互いに誇りうる日本人を選ぶ
「数寄のマルチフィルター」
によってこそ、見えてくる。

    (はま注:数寄と数奇の混在は原文のまま)
     

 

もう一度、書いてしまおう。

土発(どはつ)的、産土(うぶすな)、
カサネ、アワセ、キソイ、
見立て、本歌取り、
もてなし、ふるまい、しつらい、
そして、数寄。

ときどき見直したいキーワードばかりだ。

 

 

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2015年10月 4日 (日)

第62回 日本伝統工芸展

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第62回 日本伝統工芸展

- 魂がしおれないように -

 

日本伝統工芸展を観に行った。
今年でもう「第62回」にもなると言う。

Dentokogei15_1

親に連れられて初めて観に行った小学生のときから
すでに40年以上、もちろん見逃している年もあるが、
毎年たのしみにしている大好きな工芸展のひとつだ。

陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸
の7部門の入選作品約600点を観ることができる。

似たような名前の工芸展は他にもあり、
いくつか観に行ったこともあるのだが、
ここの入選作がもつ
真正面から訴えてくる美と技の迫力は
他を圧倒している気がする。

もちろん工芸については素人なので、
「自分にとってヒット率の高い工芸展」
が、正確なコメントなのかもしれないが。

Dentokogei15_2

簡単には真似のできない、
確固たる技(わざ)に支えられて
初めて姿を現す美の世界。

効率とか生産性とかとは無縁の、
気の遠くなるような工数と修練と工夫。

逆に、効率や生産性にばかり
日々追われているエンジニアの私としては、
ときどきはこういうモノを見ないと、
魂がしおれてしまう。

 

これまでは、自分の好みもあり、7部門の中では
陶芸と木竹工に惹かれる作品が多かった。

ところが、今回はこれまであまり興味のなかった
金工と人形にすばらしい作品があった。

「日本工芸会」の写真を借りて
特に印象に残った作品を数点紹介したい。
(写真はすべて「日本工芸会」のページから。
 写真をクリックするとその作品を紹介した
 元データのある「日本工芸会」のページに
 直接飛びます
)

 

 

まずは、金工の作品。

家出隆浩(いえでたかひろ)さんの
編込接合器「ひびき」
(あみこみせつごうき「ひびき」)

Dentokogei15_as

赤銅と四分一(しぶいち)の
二種の薄い金属板を編んだあと叩いて成形、
その後、銀ろうを流し込んで接合するという、
竹工の網代編みの技法を金工に応用した鍛金作品だ。

成形された薄い一枚の板は
凸凹しているわけではないが、
文様自体は、細い金属板を編みあげて作ったもの、
ということになる。
作者は「あやおりがね」と呼んでいるらしい。
見たこともない技法だ。

でも、だからと言って技法だけでは作品にはならない。
規則正しい文様をもった板が、
大きく口を広げたやわらかみのある形に打ち出され、
美しい器となっている。
寄ってみると、
金属ならではの薄さからくるシャープ感に気づいて、
ちょっとはっとするような驚きもある。

 

続いて、人形。

井上楊彩(いのうえようさい)さんの
桐塑彩色「目覚めの刻」
(とうそさいしき「めざめのとき」)

Dentokogei15_cs

これまであまり人形という分野に
魅力を感じていなかったのだが、
これにはまいった。

桐塑彩色とは、
桐の木粉(おが屑)と生麸糊(しょうふのり)を
練りあげた粘土状の素材に彩色したもの。
柔らかい質感が若い女性の表現にまさにぴったり。

とにかく形がいい。
手の指先からつま先まで、
伸びをしたときの生命感が
すみずみにまで宿っている。
品のある顔もいい。

人形そのものだけでなく、
人形を包みこむ朝の空気まで感じさせるような
そんな魅力がある。

 

陶器の中では、これが印象的。

井戸川豊(いどがわゆたか)さんの
銀泥彩磁鉢
(ぎんでいさいじはち)

Dentokogei15_bs

井戸川さんは昨年(第61回)も
カイワレ大根の作品で入選していたと思うが、
同じカイワレ大根の作品ながら、
今年の作品のほうがずっといい。

形も色も上絵も側面の質感も、
カイワレ大根をモチーフに、
ここまで統一感があり、
かつ美しい作品を作れるものだろうか。

陶器の絵柄としてではなく、
カイワレ大根そのものが
陶器になって生まれ変わったような、
そんな気にすらさせる一体感がある。

 

他にも、
一見単純な幾何学模様のように見えるのに、
実物を見ると、なんとも不思議な世界に
幅の狭い帯ながら引き込まれてしまう

細見巧(ほそみたくみ)さんの
綴帯「晨」
(つづれおび「しん」)

Dentokogei15_ds

など、魅力的な作品がたくさんある。

技はもちろん必要だけれど、
技の競技大会ではない。
そこから美にどうつなげていくか。
全体の絶妙なバランスの中、作品となって
まとまった姿はほんとうにすばらしい。

工芸品を通して
見えない「なにか」に惹きつけられる。
この快感は、この展示会の大きな魅力のひとつだ。

 

そう言えば、東日本大震災のあとは、
不安定な形の作品が倒れないよう、
テグスで作品を固定する品数が一気に増え、
一時は、特に陶芸エリアは、
蜘蛛の巣で覆われたようになっていた。

その比率も余震の減少とともに
ずいぶん元に戻ってきた。

もちろん壊れやすい作品もあるので
地震や転倒は心配だろう。

しかし、細い透明な糸であっても、
あの蜘蛛の巣は、観る側の視界を
「細さ」以上に塞いでしまう。

背の高い作品等、
ぜひ必要、というものだけにしてくれたのは、
観る側にとってはありがたい。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

この日本伝統工芸展、
今年の東京は終わってしまいましたが、
このあと来年3月まで、全国の主要都市を回ります。
もし、ご興味があれば足を運んでみて下さい。
工芸の好きな方にはお薦めです。

他の開催地はよくわかりませんが、東京は
ずーっと一貫して日本橋三越で開催されており、
入場も無料。
今年見逃した方はぜひ来年。

毎年9月中頃、NHKの日曜美術館で
入賞作品の紹介もしていますので、
観てから行くと、技法の背景までわかって、
より深く楽しめるかもしれません。

工芸品に限りませんが、
やはり実物を観てみないと、細部はもちろん、
質感とか透明感とか色とか角度による変化とかは
わかりません。

20回拭漆を重ねる、50万回叩く、
そんな言葉が飛び交っています。

美しいものを作るために、
美しいものと出逢うために、
なぜそこまでするのでしょう。

その先に初めて現れた美しさは
どんなものなのでしょう。

美と技の世界は、
まだまだ未知の魅力にあふれています。

 

 

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