文化・芸術

2019年9月 8日 (日)

「ウィーン・モダン」展

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「ウィーン・モダン」展

- 作品とその時代を同時に体験 -

 

日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン
クリムト、シーレ 世紀末への道


という企画展が、
東京六本木の国立新美術館で
開催されていた。
(2019年4月24日~8月5日)

Viennamodern1

工夫を凝らしたいい企画展だったため
本ブログで紹介できれば、
と思っていたのだが、
モタモタしているうちに気がつくと
閉幕日を過ぎてしまっていた。

ありゃ、ありゃ、これから書いても
単なる日記にしかならないか。

そう思っていたら、偶然
ラジオから
「8月末から大阪にて公開中」
なる情報が流れてきた。

慌てて調べてみると、東京に続いて

【大阪展】
2019年8月27日~12月8日 
国立国際美術館


が開催されているらしい。

だったら、日記のようなメモでも
「これから行こうか?」と
迷っている人に
多少は参考になるかもしれない。

 

本企画展、
会場を事実上一方通行にすることで
18世紀から20世紀までのウィーンを
時間順に、文化とともに歩めるような
演出になっている。

単に絵画を並べた展覧会ではなく、
作品をその時代の社会的背景とともに
体験できる点に大きな特徴がある。

なお、大阪展は、
若干出展数が減ってしまっているようで、
「東京展と全く同じ」
というわけではないようだ。
本記事は、あくまでも
東京展を観ての感想なので、
その点はご承知おき下さい。

 

まず、全体構成。
(1)「啓蒙主義時代のウィーン」
(2)「ビーダーマイアー時代のウィーン」

(3)「リンク通りとウィーン」
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」
の4部構成となっており、
時代の流れに沿って
各文化を楽しめるようになっている。


18世紀の女帝マリア・テレジアの
肖像画から展示は始まっているが、
マリア・テレジアの時代に始まった
啓蒙思想が
 フランス革命 (1789-1799)
 ウィーン会議 (1814-1815)
を通して
ビーダーマイアー時代へと
繋がっていく様子が前半。

(3)「リンク通りとウィーン」
のセクションでは、
ここに書いた話を
ショートフィルムも交えて
写真と絵画で
より詳しく知ることができる。

1857年に長い間ウィーンを囲っていた
市壁の取り壊しが決定。
その跡地がリンク通りとなり
沿道には国会議事堂、歌劇場など
特徴ある建物が次々と造られていく。
一気に都市部が広がり始めるウィーン。

 ウィーン万国博覧会 (1873)
 皇帝の銀婚式祝賀パレード (1879)

といった大きなイベントを
ハンス・マカルトをはじめ
多くの画家が作品に残している。

そういった、歴史の流れを
十分実感させた上で、
最後のセクション
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」へと
繋がっていく。

19世紀末から20世紀にかけて、
都市機能がさらに充実していくウィーン。

鉄道を始め、都市デザインに貢献した
建築家オットー・ヴァーグナーの業績も
いくつもの模型を交えて展示してある。
ウィーン旅行記で記事にした
カールスプラッツ駅舎も彼の作品だ。

芸術の分野では、
画家グスタフ・クリムトらが中心となって
ウィーン分離派」が結成される。

多くの絵画の展示がある中、
どういう理由かよくわからないが
クリムトが最愛の女性を描いたとされる
1902年の作品
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
のみ写真撮影が許可されていた。

Viennamodern4

フレーゲの姉とクリムトの弟が
結婚したこと、
つまり義理の兄妹の関係になったことが
ふたりが知り合った
きっかけだったようだが、
ふたりは結婚はしなかったものの、
まさに死ぬまで生涯のパートナーとして
すごしたらしい。

とにかく色が美しく、
まさに本物を観る価値がある。

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展覧会パンフレットの
裏表紙に使われている
エゴン・シーレ の「自画像」

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は、ほぼ等身大の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
とは対照的に、30cm四方程度の
思ったより小さな作品だった。
エロティックなデッサンも含め、
多くの分離派の作品を堪能できる。

 

魅力的な絵画が並ぶ中
個人的に特に強く印象に残ったのは
ウィーン分離派が
分離派の展覧会のために作った
ポスター群だった。

展覧会ごとに
作家が順番に担当したらしいが、
どれも全体のデザインはもちろん
文字、つまり字体も美しく
一枚、一枚、実にユニーク。

新しいものを生み出していこうという
ある種の勢いみたいなものが
ヒシヒシと伝わってくる。

残念ながら写真は撮れなかったので
パンフレットの中の写真を
2枚だけ貼っておきたい。

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ポスターなので
素材はもちろん紙なのだが、
どれも保存状態がよく
ほとんどシミがないのにも驚いた。
どうやって保存していたのだろう?

 

ここから42回にも渡って
旅行記を書き続けたように、
ウィーンは2年前の旅行で
個人的に満喫した都市のひとつだ。

なので、「行ったからこそ」、
「その後、詳しく調べたからこそ」、
楽しめた部分は確かにある。
一緒に行った妻も同意見だ。

しかし、仮にウィーンに
一度も行ったことがなかったとしても、
時代の流れを感じながら
作品を楽しむことは十分にできたと思う。

作品とその背景となる歴史や社会を
じょうずに結びつけた
工夫に満ちた展覧会だった。

 

 

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2019年7月21日 (日)

足立美術館(2)

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足立美術館(2)

- 借景の庭を上空から見ると -

 

米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の
「日本庭園ランキング」で
16年連続日本一に選ばれている足立美術館。

前回に続いて、
今日は庭師の方の言葉を紹介したい。

これほど完璧な庭、
いったいどんな人が
どんな思いで日々の世話を
しているのであろうか?

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(写真はすべてiPadで撮影)

 

この庭の責任者、
庭園部長・小林伸彦さんに取材した記事が、
2017年4月22日
朝日新聞フロントランナーに
あった。

「一幅の絵画」を守る庭師
の見出しで紹介されている。
(以下、薄緑部記事からの引用)

 春のツツジ、夏の万緑、
秋の紅葉、冬の雪景色……。
四季の移ろいに合わせながら、
カンバスとなる庭園の細かな輪郭や、
庭木、白砂の質感を維持するため、
専属の庭師6人を率いる。

「生い茂ろうとする
 木と名石のバランス、
 そして庭園全体の調和を
 いつも考えて仕事をしています」

庭と借景の山々の一体感も演出する。
手前のマツの葉を薄くし、
奥に向かって濃くなるように
枝葉を残す


奥を淡くすると山が遠のき、
庭と引き離されたような印象を
与えてしまう。

絵画の遠近法とは逆の論理になる。
この濃淡の調整で庭園の均衡を保つ。

この記事の通り
「庭と借景の山々の一体感」が
ひとつの見もので、
実際庭を目の前にしても
まさに揺るぎない一つの作品として
迫ってくる。

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小林さん自身、
初めてこの庭に出会ったときのことを
次のように述べている。

--足立美術館との出会いは?

26歳の時、転職先の造園会社から
応援で派遣され、驚きました。

庭と借景の山は
県道や田んぼで
隔てられている
んですが、
それが連なっているように
見えるんです。

そんな庭は
京都でもお目にかかれません。

さらに来館者から
「きれいな庭ですね」
と声をかけられる。

京都での修業の時は、
お客さんとの会話が
ほとんどなかったので新鮮でした。

毎年応援に行くうちに、
ここで自分の人生を賭けてみようと
決めました。

この借景の庭、実は
県道と田んぼで分断されている!?

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現地での解説でもそう言っていた。
でも、実際に庭を目の前にすると
にわかには信じられない。

帰ってから地図で確認してみて
さらに驚いた。

Googleマップの衛星写真を拝借して
空から眺めてみよう。

Adachimap

写真の中央下、
緑色破線の矩形で囲まれた部分が
いわゆる美術館の敷地で、
近景を構成している庭があるところだ。

その先に、まさに県道、
県道に沿って川、
そのうえ広く田んぼまである。

遠景を構成している山は
さらにその先。

美術館からメインとなる
枯山水庭や白砂青松庭
を眺めている角度を
黄色い扇型で重ねてみた


うーん、この角度の景色を
借景含めてこの作品にしてしまうとは。
窓ガラス越しに眺めてもこの美しさ、
この統一感。

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お客さんは
気づかないかもしれませんが、
開館時間までに
必ず枯れた葉を取り除き、
コケを補充しています。

「ツグミがミミズを食べるために
 ほじくり返したコケも見逃しません」
と言い切るような
きめ細やかな手入れだけでなく
長期視点での準備も万全だ。

--それでも庭木は高くなり、
 太りますね。

美術館の近くの
仮植場(かしょくば)で、
様々な大きさの
400本のアカマツや
40本のクロマツ
を手入れしています。

幹が太くなってくると、
すぐに元の大きさ、
形のものと植え替えられるように
するためです。

役目を終えた木は捨てず、
山に植えます。

大きめのマツが必要になる将来に備え、
仮植場に移すこともあります。

現地の解説では、
「庭に重機が入れられないので
 大きな木の植え替えも
 すべて人力による手作業で行われる」
と言っていた。

毎朝の手入れから長期視点での準備まで
美しさ維持への心配りが
16年連続日本一を支えている。

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この記事の中で、もう一箇所
響いたところがある。

--将来にわたり
 技をどう引き継いでいきますか?

庭園部は50代から20代までと
世代のバランスが良く

心配していません。

庭師は体が資本。
年を取って木に登れなくなれば
潮時かもしれません。
木の下から部下にあれこれ言うと、
煙たがられるだけですから。

 

(1) 日々のきめ細やかで丁寧な
  庭園のメンテンス

(2) 距離のある借景を活かすセンス

(3) 400本のアカマツをはじめ、
  仮植場(かしょくば)に中長期視点で
  用意されている植替用の木々たち

(4) 7人の部署ながら
  技の継承を意識した年齢構成

庭園だけでなく、
庭園「部」自体の成長も視野に入っている
強力なリーダに支えられてこその
「16年連続日本一」だ。

 

 

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2019年7月14日 (日)

足立美術館(1)

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足立美術館(1)

- 16年連続日本一の庭園 -

 

足立美術館は、実業家の
足立全康(ぜんこう1899-1990)さんが
生まれ故郷の島根県安来市
1970年、71歳のときに開館した美術館だ。

島根県松江市から車で約30分。

横山大観をはじめ近代日本画を
メインに蒐集している美術館だが、
この美術館の名を
内外に轟(とどろ)かせているのは、
なんといってもその庭だ。

枯山水庭、苔(こけ)庭、池庭など
複数の「庭」を目当てに
訪問する観光客が多い。

丁寧に手入れされた庭は、
米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の、
「2018年日本庭園ランキング」で
第一位に選ばれている。

しかも、
全国の日本庭園900か所以上を対象にした
同誌のランキングにおいて
今回の選出により
「16年連続日本一」をも達成しているのだ。

ちなみに
2018年日本庭園ランキング
ベスト5は

 1位 足立美術館(島根県)
 2位 桂離宮  (京都府)
 3位 皆美館  (島根県)
 4位 山本亭  (東京都)
 5位 京都平安ホテル(京都府)

となっている。

日々変化し続ける庭において
16年連続日本一とは。

 

いったいどんな庭なのだろう?
我々夫婦も期待いっぱいで
入館の列に並んだ。

おもしろいのは
美術館なのに入館した人は皆、
まずは庭の眺めを探して
キョロキョロしていること。

実は慌てずとも、入り口から
巡回コースが作られており、
館内を順に歩くだけで、
各所から庭を眺められる構造に
なっている。

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(写真はすべてiPadで撮影)

私が訪問したのは
改元に伴う連休中だったため
バスでやってくるような団体客も含めて
まさに多くの訪問者で賑わっており、
「ゆっくり愛でる」
という雰囲気ではなかったが
それでも庭の美しさには
たちまち目を奪われた。

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「ゆき届いている」
この言葉が最初に浮かんだ。

 

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全体のレイアウトだけでなく、
ゴミはもちろん、枯れ枝や落ち葉さえ
一本一枚も落ちていないほど、
手入れが行き届いている。


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そのうえ、
借景も含めた遠近感の設定が絶妙で、
空間がどこまでも広がっていくような
不思議な開放感がある。

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この美しさ、どう表現すればいいのだろう。

 

歩くに従い少しずつ角度を変えて
違った顔を見せてくれる。

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パノラマ写真を使って
広角的に池の周りを写すとこんな感じ。

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館内には窓枠を額縁に見立て、
庭園を絵画のように
眺められる仕掛けもある。

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縦長に切り取ればまさに掛け軸だ。

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この「生の掛け軸」となる
「壁の穴」は、
足立さんが師と仰ぐ、
「米子商工会議所の名誉会頭だった
 故坂口平兵衛さんの発想を
 頂戴したもの」
と足立さん自身が自伝
庭園日本一
 足立美術館をつくった男
』に
書いている。

本によると
「床の間に穴を開けるなんて」と
猛反対する職員や大工を前に、
足立さん自らがカナヅチを持って
壁をぶち抜いてしまったらしい。

 

それにしても、これほど完璧な庭、
いったいどんな人が、どんな思いで
日々の世話をしているのであろうか?

ここの庭師の方の話が
以前少し詳しく新聞に出ていたことがある。

次回、その話を紹介したい。

 

 

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2019年7月 7日 (日)

島根県の民藝めぐり(2)

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島根県の民藝めぐり(2)

- 出西窯とobjects -

 

島根県の民芸めぐりの2回目。
今日は、
島根民芸の代表選手のひとり、
出西(しゅっさい)窯から訪問したい。

参考図書は今回も

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出西(しゅっさい)窯】

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(写真はすべてiPadで撮影)

この大きな建物は
くらしの陶・無自性館」。
窯元に隣接している販売展示館だ。

吹き抜けを備えた2階建てで
多くの作品を一覧できる。

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この出西窯、
戦後間もない昭和22年(1947年)に
農家の5人が始めたものらしい。

開窯して間もなく、
河井寛次郎や濱田庄司に会い、
民芸運動に参加することを一同決心。

民芸の巨匠らの指導を受けつつ、
手仕事による、
実用的で美しい器作りを目指します。

以来70年、
郷土の土や釉薬の原料にこだわり、
土作りから一貫して工房内で生産

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縁に鉄砂引きを施した
呉須釉(ごすゆう)の器
は、
出西窯を代表する製品で、
深みのある青は
「出西ブルー」と呼ばれている。

Syussaiblue

焼くことで浮かび上がる
まさに焼き物ならではのブルーだ。

いくつかお目当ての作品があったのだが、
鳥取の岩井窯同様
希望するサイズのものは
残念ながら
連休前半で売れてしまっていた。

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工房では「登り窯」も公開されている。

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50年以上も使っているという
歴史のあるものだが、
今でも年に数回、
火を入れられるらしい。

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この棚いっぱいとなれば
相当な数が焼けることだろう。

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また開窯から現在に至るまで
共同体の形をとり、
器を共同製作しているのも
この窯の特徽です。

「分業ではなく、陶工の各人が
 決められた種類の器を、
 成形から釉掛けまで
 受け持っています

 効率的かどうかは別として、
 分業だとつまらないでしょう」

とは、出西窯代表多々納さんの言葉。

 

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現在は研修生を含め
13名が陶器の製造に携わっているという。

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販売展示館には
次々と客がやってきていて、
観光地並に大賑わい。

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工房と販売展示館の裏には、
出西窯の器を使ったBakery&Cafe
「ル コションドール出西」
があり
焼き立ての美味しそうなパンの匂いが
駐車場にまで流れてきていた。

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客の動きを見ていると、駐車場から直行、
このパン屋さんだけが目当ての客も
結構いるようだ。

 

もう一箇所、
出雲松江藩の城下町として栄えた
松江市内で寄ったのは

【objects:オブジェクツ】
ここも倉吉のCOCOROSTOREと同様
古い建物をリノベーションして
店舗にしている。

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もとはテーラーだったらしく
レジを兼ねたカウンタは
テーラーの時のものを
そのまま利用している。

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「東西に長い島根には
 窯元が点々とあって、
 各々の風土に合ったものを
 作ってきました。

 例えば石見(いわみ)は、
 採れる土がきめ細かく
 よく伸びることから、
 水甕(みずがめ)などの大物を。

 一方、出雲は
 藩主の松平不昧(ふまい)公が
 茶人だったので、
 茶陶の伝統があります。

 それぞれ特徴は異なりますが、
 全般に道具として
 しっかりしたものが多いのは、
 民芸運動が与えた影響が
 大きい
からだと思うんです」。

とは店主の佐々木さんの弁。

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扱っているのは
湯町窯や出西窯、森山窯、岩井窯といった
山陰の窯元をはじめとする焼き物のほか、
岡山の漆器やガラス器、
真鍮のカトラリー
など。

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トーンの違う様々な焼き物を
上手に展示してあり、見ていて楽しい。

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温泉津町の森山窯
素敵な皿との出合いがあって一枚購入。

 

objectsのあるエリア、
他にも古いレトロな建物が多い。

Img_4198s

 

ちょっと怪しい店も含めて
散策するといろいろおもしろいことが
発見できそうな味のあるエリアだ。

 

 

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2019年6月30日 (日)

島根県の民藝めぐり(1)

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島根県の民藝めぐり(1)

- 出雲民藝館 -

 

鳥取県の民藝めぐりに続いて、
お隣、島根県の民藝も見てみたい。

今日も参考図書は

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出雲民藝館】

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(写真はすべてiPadで撮影)

なんとも立派な門が出迎えてくれる。

昭和49年(1974年)に開館した
出雲民藝館の建物は、
出雲地方きっての豪農だった
山本家の寄付によるものだという。

民芸運動に賛同したのは
職人たちだけではなかったのだ。
民芸の趣旨に感銘を受けて、
さまざまな形で協力した人々がいた。

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民藝館入り口の長屋門は
まさに堂々たる構え。
江戸時代、延享3年(1746年)の建造で、
出雲大社造営の棟梁が手がけたという。

入場料を払うと、
正面の母屋には
 今も人が住んでいます
ので
 公開されている
 本館と西館だけを
 見学するようにして下さい」
と注意された。

Izumomingei1

まずは本館を見学。

本館は、3千俵もの米俵を収蔵していた
米蔵を改修したもの。

入ると最初にこんな額が。

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「民芸の性質」とある。

民芸の性質
 * 庶民的なもの
 * 実用的なもの
 * 数多く作られるもの
 * 安価を旨とするもの
 * 健康なもの
 * 簡素なもの
 * 協力的なもの
 * 伝統に立つもの

もちろん「民芸」に
かっちりとした定義があるわけではないが、
個人的にはこれに
 * 自分の暮しにフィットするもの
 * その土地の素材を大事にしたもの
などを勝手に足しながら
楽しんでいるかもしれない。

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壁にかかっているのは、
出雲地方で婚礼の際に使われた
嫁入り風呂敷
筒描染という伝統技法で、
家紋や吉祥文を染め抜いている。

風呂敷の下に並んでいる大きな壺は、
石見焼の大野壺。

「石見焼の巨大な野壺は、
 廃棄されそうになっていたものを
 協力者が見つけて、わざわざここに
 運んできてくれたそうです。
 その情熱に頭が下がります」
と事務局の方。

江戸末期から昭和初期にかけての
ものを中心に、布志名焼、石見焼
はじめとする陶磁器や、
かつてこの地方で盛んだった藍染、
木綿絣(もめんかすり)、
木工品などが展示されている。

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出雲民藝館事務局の方によると、

「展示品は、
 出雲民藝協会の会員や、
 県内外の協力者が寄付してくれた
 コレクションがもとになっています。

 すべて暮らしの中で
 使われてきたもの
で、
 その健康的な美しさとともに、
 そのような品を使う
 暮らしの美しさをも
 伝えたいというのが、
 この民藝館の趣旨です」。

 

西館は材木蔵を展示館として改修。
山陰の作り手による民芸品のほか、
農耕具なども並ぶ。

藍染の絵柄のデザインがすばらしい。

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昔の農工具なども
そのまま保存・展示されている。

私自身、農家が多い地域で育ったせいか、
子どものころに、近所の農家で
見た記憶のあるものもある。

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入り口となっていた長屋門の一角に
小さな売店もある。

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靴を脱いで上がる畳敷きの部屋で、
大きくはないが、
出西窯、湯町窯、森山窯、
袖師(そでし)窯、白磁工房

といった地元の陶磁器や、
木工品、和紙、染織など、
島根の手仕事を幅広く集めている。

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訪問日は2019年5月5日。
連休中の一日にもかかわらず
我々夫婦が訪問したとき、
他の訪問者はゼロ。

館内をゆっくり静かに見られたし、
売店では
他のお客様に気兼ねすることなく
事務局の方と
自由に話をすることができたが、
完全な貸し切り状態というのは
それはそれで寂しいものだ。

多くの民芸品を見た中では、
藍染の様々な絵柄が
妙に強く印象に残った民藝館だった。

 

 

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2019年6月23日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(2)

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鳥取県の民藝めぐり(2)

- 陶芸家・山本教行さんの言葉 -

 

前回、山陰の民芸における
吉田璋也の貢献について書いたが、
彼の影響を受けた人の作品も含めて
鳥取県内でもう二箇所、
民芸関連の場所を訪問したので
今日はそこを紹介したい。

 

【岩井窯】
鳥取市内から車で30分ほど離れた
緑豊かな山の中にある。

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(写真はすべてiPadで撮影)

作品展示室のほか、
岩井窯の器や土鍋で
お茶や食事ができる喫茶室、
創作資料のために自ら蒐集した
国内外の手工芸品を展示する
参考館も併設されている。

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作品展示室のものは
購入もできる。

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気に入ったものがあったので
「サイズ」や「枚数」等、
在庫についていくつか聞いてみたが、
残念ながら連休の前半で
ずいぶん売れてしまったようだ。

象嵌(ぞうがん)技法の結び模様や、
人気の高い掻き落としの牡丹柄等、
特徴のある作品が並ぶ。

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この窯の当主、山本教行さんと
吉田璋也との出会いについては
この本から一部引用したい。

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

クラフト館岩井窯と名づけられた
この工房の当主、山本教行さんも、
吉田璋也の薫陶を受けた一人。

16歳のときに璋也に出会い、
よく自宅に遊びに行ったり、
美術館の展示替えを
手伝ったりしたそうです。

「そこでもの作りに対する以上に、
 吉田先生の
 生活スタイルに憧れました

と山本さん。

璋也自身のデザインによる
家具や器に囲まれた
美しい暮らしに感動、

陶芸家になりたいというより前に、
 こういう暮らしがしたいと
 強く思わされました
」。

そのときの思いの延長線上にあるのが、
こちらの工房です。

 

工房が紹介された多くの本や雑誌、
作品展のちらし等も並んでいたが、
窯紹介のパンフレットを見ていたら
山本教行さんが、
こんな素敵な言葉を載せていた。

日常生活の中であたりまえすぎて
それほど気にならないのに
それでいて
常に大切に思えるものがある。
そういう物が焼けないかと思う。

私が作ったというより
生まれてきたと思えるものが
焼けないか
と念じてやまない。

「生まれてきたと思えるもの」か。

そんな精神が反映されたような
素敵な皿に出会えたので
2枚購入。

お手洗いの
「手洗い器」にも作品を使っている
気の遣いよう。おしゃれだ。

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外には大量の薪が積んである。
その前で眠っている犬も
じつに気持ちよさそうで
なんとも穏やかな空気感がいい。

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【倉吉】
鳥取市内から車で約1時間。
国の重要伝統的建造物群保存地区
に選定された
玉川周辺の白壁土蔵群が有名な倉吉。

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多くの観光客が訪れている。

江戸後期から昭和初期の建物が多い街並みも

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歩いていて楽しいが、
地図好きの私は、
街のど真ん中でこんなものを見つけて
ちょっと興奮してしまった。

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一等水準点。
一等水準点自体が珍しいわけではないが
街中でここまで大きく明示してあるものは
見た記憶がない。水準点は
国土地理院の地図には明記してあるので
場所はすぐにわかるのだが、行ってみると
忘れ去られたような標石が
寂しくしていることが多い。
ここの標石は幸せ者(?)だ。

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さて、この街並みの中にある
【COCOROSTORE】
民芸品を集めた素敵な店だ。

福光(ふくみつ)焼
国造(こくぞう)焼
上神(かづわ)焼といった
地元・倉吉の陶器のほか、
大塚刃物鍛冶(かじ)の包丁など
鳥取の手仕事を揃えている。

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古い建物をリノベーション

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目立つ看板は出ていないが
立ち寄る人は絶えない。

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自然栽培のごまや、
無農薬大豆で作るみそなど、
地元産の食材も扱っている。

ここでは、無地茶色の
国造(こくぞう)焼の皿を1枚購入した。

今回、時間的に町の散策は
ほとんどできなかったのだが、
ちょっと時間をとってぶらぶらしてみたい
そう思わせる小さな、素敵な町だった。

 

 

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2019年6月16日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(1)

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鳥取県の民藝めぐり(1)

- 吉田璋也(しょうや)の功績 -

 

大山登山で嬉しい達成感を味わえたうえ、
皆生(かいけ)温泉の恩恵にも浴したものの、
登山ド素人の我々夫婦は、予想通り、
足の筋肉痛を避けることはできなかった。

というわけで、登山の翌日は
「あまり歩かなくてもいいコース」
で動くことにした。

今回の旅行では、大山登山のほかに
もうひとつ、
ぜひやりたいと思っていることがあった。
それは、
「民藝の焼き物を見て回ること」。

というわけで、登山の翌日は、
「鳥取県の民藝に触れる一日」
とすることにした。

 

鳥取県の民藝を語るうえで欠かせないのが
吉田璋也(1898-1972)」だ。
まずは、彼が作った
「民藝美術館」から話を始めたい。

なお、参考図書は、
 鞍田崇 他著
 私の好きな民藝
 NHK出版

(以下、水色部は本からの引用)

 

【鳥取民藝美術館】

Tottorimingei1

吉田璋也さん、
どんな人だったのだろう?

山陰の民芸の発展に
大きく貢献した吉田璋也(しょうや)


開業医だった璋也は、
「民芸のプロデューサー」を自任。
地元の手仕事の伝統をもとに、
職人たちを指導して、
新しいデザインの民芸品を作らせ、
また職人の集団「鳥取民藝協団」も
組織しました。

こうした「新作民芸運動」を背景に、
璋也は昭和24年(1949年)、
自分が蒐集した民芸品を展示する
鳥取民藝美術館を開設した。

JR鳥取駅からすぐのところにある。

Img_4092s

(写真はすべてiPadで撮影)

 

1階には、璋也がデザイン
もしくはプロデュースした民芸品を
メインに展示してある。

Img_4080s

焼き物に限らず、家具や障子の桟や

Img_4090s

コンセントカバーのような小物まで、

Img_4082s

吉田璋也のセンスが感じられる。

2階には、蒐集した民芸品。
コレクションは鳥取地方に
限定されたものではなく、
日本はもとより中国等海外からのものもある。

Img_4086s

この美術館の目的は

来館者に民芸品の美しさを
伝えることだけでなく、
職人たちに民芸の美の基準を
示すこと
にありました。

ここにあるものを手本に、
新しい民芸品を
作ってもらおうと考えたのです。

 

民藝美術館のとなりには、
昭和7年(1932年)に吉田璋也が開いた、
日本初の民芸店「たくみ工芸店」がある。

Img_4093s

この民芸店、開店の理由が感動的だ。

「すごいと思うことですが、
 璋也は職人たちの生活のため、
 自分が作らせたものを
 すべて買い取ったんです


 それを売るための場所が
 必要だったんですね」

と美術館の理事が語っている。

さらにその隣には、
昭和37年(1962年)
民芸の器で郷土料理を提供する、
「たくみ割烹(かっぽう)店」
オープンする。

こちらは実際に
民芸品を使っている姿を見せ、
その使い勝手を知ってもらう場所、
と位置づけられている。

写真左から
「美術館」「たくみ工芸店」「たくみ割烹」
の3棟が並んで建っている。

Img_4096s

今回訪問した時には、
割烹店の前(写真右下)には
入店のための行列ができていた。

 

ちなみに美術館の人の話によると、
通りを挟んだ反対側ある
吉田歯科医院は
吉田璋也のお孫さんがやっている
歯医者さんらしい。

Img_4091s

 

美の実例・基準を提示するだけでなく、
職人に作らせたものをすべて買い取って
それを売る場、使う場を設けながら
新しい作品を作る機会を与えていく。

「民芸のプロデューサー」として
なんという実行力だろう。
エピソードと共に話を聞くと
忘れられない名前になる、吉田璋也。

最後に、人柄を偲ぶため
民藝館の入館パンフレットの写真を
添えておきたい。

Yoshidasyoya

 

 

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2019年3月24日 (日)

卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

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卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

- 時代がみずからを表現するときの<器>として -

 

3月も終盤、
今年も全国各地の卒業式では、
さまざまな言葉が送られたことだろう。

ちょうど一年前になるが、
美術系と音楽系の卒業生、修了生を
送り出している
京都市立芸術大学の卒業式時
学長の鷲田清一さんが
卒業生に送った言葉は
興味深い指摘に富んでいる。

大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に全文が公開されているが、
今年の卒業式以降、
万が一消えてしまうと
あまりにももったいないので
公開されている間に、
印象的な部分だけでも
紹介させていただきたい。
(以降水色部、式辞からの引用)

 

鷲田さんは
美術系の卒業制作、
音楽系の演奏への賛辞のあと
こう繋いでいる。

 ただ,その才能は,あなたがた
一人ひとりのものではありません。

才能(talent)という語には
よくgifted
(「恵まれた」とか「天賦の」)という
形容がなされるように,
それはあなたがたに
贈られたものでもある
のです。

「原石」は,それを磨いてくれる人,
磨かせてくれる環境,
さらにはそれを磨くことに
専念させてくれる人びとの支えが
あってはじめて輝きを得ます。
そういう意味で,
贈られたものなのです。

そして、「贈られた」ということには
もう一つ,別の意味も 含まれていると言う。

贈られたものは
贈り返されねばならない
という,
言ってみれば
「義務」ないしは「責任」のことです。

「義務」や「責任」というと,
日本語では
とても堅苦しい感じがしますが,
「義務」は英語ではobligation。
興味深いことにこの語には
「恩義」や「感謝」という意味も
あります。

(中略)

そして次に「責任」。
日本語では責めを負うといった
厳しい意味でありますが,
英語ではこれはresponsibilityです。

この語を分解すると
respondとability。

つまり誰かの訴えや促しに
応じることができる,

あるいは応える用意がある
ということです。

もういちど言いますが,
才能を贈られた人には,
この贈り返すということが
「義務」ないしは「責任」としてある

ということです。

 

そして、「私」とは
決して独立しているものではなく、
時代や歴史と深く繋がりながら
存在していることを
改めて指摘している。

じぶんの個人的な傷や不安も,
表現行為も,
このようにことごとく
時代のなかにあるということを,
しかと見つめてほしいのです。

 「わたし」というのは,
銘々がそう思っているほど
確固としたものではありません。

「わたし」の表現とは,じつは
「わたし」の存在が負っているもの
すべての表現でもあります。

その意味で
いかにプライベートに見える表現も,
同時に「時代」の表現
なのです。

 そう考えると,
制作する「わたし」,
演奏する「わたし」とは,
じつは時代が
みずからを表現するときの
<器>
のようなものだ
ということになります。

そういう<器>として
「わたし」に何ができるのか

みなさんにはそういう視点を,
いつも持っていてほしいと思います。

 

<器>に繋がる話として、
鷲田さんは、
歴史社会学者の山内明美さんの
エピソードを続けている。
山内さんは
『こども東北学』という本のなかに
こう書いているという。

放射能汚染の不安が
日本社会を覆いはじめたとき,
わたしがいちばんはじめに
感じた違和感
は,
いま起きている土と海の汚染が,
自分のからだの一部で
起こっている
ということを
誰も語らないことだった。

遠くの災いみたいに話をしている。

なぜなら、山内さんは、
震災をきっかけに東北の歴史を
あらためて辿り、
「衝撃をもって」
以下のことに気づいていたから。

かつて冷害や干ばつで
たえず飢饉の不安に苛まれてきた
この地方にあって,
土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと感じる,

そうした土や海と人とのつながりを,
魚や野菜や穀物と人とのつらなりを,
この地の人びとがもっていた

ということです。

そういう人たちであれば,
土や海の汚染も「遠くの災い」ではなく,
わが身の痛みとして感じたはずだ
というのです。

かつてはあった、雨を、
じぶんの体が「福々しく」
膨らむことと感じる
「感受性」。

それもまた重要な<器>だ。

 ここから,
<器>という考え方の持つ,
さらにもう一つの重要な意味が
浮かび上がってきます。

<器>はつねに
何かによって充たされるのを
待っているということです。

芸術についていえば,
先ほども少しふれましたが,
絵画であれ,彫刻であれ,
デザインであれ,演奏であれ,
つねに「表現」ということが
問題にされます。

「表現」とはexpression,
この語を分解すれば,
内にある何かを「外へ」と
「押し出す」ということです。

「表現」行為に
取り組んできたみなさんは,
だから何を「表現」というかたちで
外へ押し出すかを
ずっと考えてこられた
ことと思います。

けれども<器>という考え方は,
これとは違います。
<器>は何か別のものに
充たされるのを待つからこそ,
<器>なのです

先の山内さんは

土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと
感じられるような感受性を
なんとか回復したい
と言っていました。

鷲田さんは強調する。

芸術的な資質とは,
まさにそうしたものでは
ないでしょうか。

詩人がしばしば,
言葉を探すのではなく,
言葉が降りてくるのを待つ
という言い方をするのも,
きっと同じことを
さしているのだと思います。

「外へ押し出す」expressionこそが、
まさに芸術であり、表現だ、
と考えて、悩んできた学生は多いであろう。

その学生への最後のメッセージに、
「充たされるのを待つ<器>」を
説く学長。

問題提起の価値は大きいと思う。

でも,みなさんにはどうか,
芸術を人生の軸として生きるとは,
独創的な表現の
<主体>になることではなくて,
社会の<器>になることだ
ということを
心に留めておいてほしいと思い,
あえて長々しい話をしました。

繰り返しになるが、
鷲田さんの式辞全文は
大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に公開されている。

詳しく読んでみたい方は、
全文を参照下さい。

 

 

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2019年3月17日 (日)

大塚国際美術館 (4)

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大塚国際美術館 (4)

- 本物を観るということ -

 

前回に引き続き、
徳島の大塚国際美術館の魅力について
もう少し話を続けたい。

 

これまで3回にわたって
他に類のない「大塚国際美術館」
訪問時の驚きを紹介してきた。

 

この美術館、
常設展示スペースも日本最大級
(延床面積 29,412m2
 参考までに
 国立西洋美術館で 17,369m2
 京都国立近代美術館で 9,983m2 だ)
でゆったりしていて、いい。

ただ、広大なうえに、
見どころ満載の作品が多いので
結局、休まず3時間かけて歩いても
一通り回り切ることすらできなかった。

「これはすごい!」
「絶対、観る価値あり!」
「行ってよかった!」
と小学生のような言葉しか浮かばないのは
なんとも情けない限りだが、
初回に書いた
知人の言葉にウソや誇張がなかったことは
確かだ。

一方で、陶板作品に引きこまれながら、
本物を観る、とは
 いったいどういうことなのだろう?

をずーっと考えながら歩いていた。

 

ひとつ目は「劣化」をどう捉えるか、
という点。

たとえば「モナ・リザ」の場合、
現在の我々が「本物」という時、
それはすでに描かれてから
約500年が経過したものを指している。

当然描かれたときとは、特に色は
大きく変化してしまっているはずだ。

500年後の本物を観ていることは事実だが、
少なくとも描かれた時点の絵とは
ずいぶん違っているはずだ。

逆にこれから先、
つまり将来を考えると
ここで陶板上に再現された作品は
多くの場合、本物より劣化の進行が遅い。

「2,000年もつ」と館長も言う通り、
これから先は、劣化において
本物が陶板名画を追い抜いてしまう。

本物は劣化していくのに
陶板名画はそのままでほぼ変化なし。
つまり
「今はそっくり」でも
100年後はズレてしまう、とも言える。

入館時にもらった「観覧ガイド」には
初代館長大塚正士さんが
こんなことを書いている。
(以下水色部、大塚さんの言葉の引用)

・・・ 実際には学生の時に
此処の絵を鑑賞していただいて、
将来新婚旅行先の海外で
実物の絵を見ていただければ
我々は幸いと思っております。

なにしろ、この絵は陶器ですから
全然変化しません


本物の絵は次第に変化しますから、
実物の色と、陶板名画の色とでは
今から50年・100年経っていきますと、
色や姿が
おのずと違ってくると思います。

「将来新婚旅行先の海外で」の言葉に
時代を感じるが、それはさておき
このズレをどう考えればいいのだろう。

もちろん、作品のある瞬間の姿を
克明に保存することの価値に
なんの疑いもないけれど。

 

もうひとつ考えていたことは、
本物を観た「過去の体験」を
思い出した時に浮かぶ、
絵画そのものの魅力以外
様々な要因だ。

歩いていると
まさに「本物を観た」
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂、
イタリアのサンタ・マリア・
デッレ・グラツィエ教会、
トルコのアヤソフィア、
フランスのルーヴル美術館、
オーストリアの美術史博物館、
フィレンツェのウフィツィ美術館、
などなどでの印象が
次々と蘇ってくる。

それらの体験と、眼の前の陶板名画を
比べようと意識すると
絵画以外の部分、
たとえば、建物であったり、
建物自体の老朽化具合であったり、
光の加減であったり、
あるいは建物の廻り、
つまり建物のある街の環境であったり、
空気であったり、
そういういったものが深く結びついて
「本物を観た」と思っていることに
改めて気づかされる。

 

たとえば、
私が、サンタ・マリア・
デッレ・グラツィエ教会を訪問して、
「最後の晩餐」を観たときには、
教会付近の車の通行さえ制限されていた。
自動車通行時の、
振動による壁面の劣化を防ぐためだ。

元は修道院の食堂だった館内も
光による壁画の劣化を防ぐため
最低限の照明となっており
とにかく薄暗い中での鑑賞となった。

そこだけ車の音が抜けている
静かな空間。
そこを照らす薄暗い光に浮かぶ
キリストを中心とした構図の
傷んだ古い大きな壁画、
それが私が観た「最後の晩餐」だった。

そういったことのすべてが
再現できていないではないか、
と文句を言いたいわけでは
もちろんない。

自分にとっての「最後の晩餐」は、
「壁画だけ」を
指していたわけではない、
というだけだ。

それは、パリのルーヴル美術館や
フィレンツェのウフィツィ美術館で観た
(壁画に比べればずっと小さな)
美術品についても言えるような気がする。

私的には、美術品単独ではなく、
それに伴う空気とともに味わった、
それが「本物を観た」体験なのだ。

なので、それらと単純に比較して
どうこう言うのはナンセンス。

名画と向き合った
徳島での新たな体験としたい

そう思いながら歩いていた。

 

作品自体を味わう名画は、
そして精巧なその複製の完成度は
そのことだけで
大きな興奮をもたらしてくれる。

美術館を出てきたときの
昂ぶった気持ちは忘れられない。

未見の方、
お時間と体力に充分余裕をもって
ぜひお出かけ下さい。

原寸大の美術全集の中に身を置いて
一日をすごすことができます。

ほかのどの美術館でも体験できない
新たな美術体験をぜひお楽しみ下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年3月10日 (日)

大塚国際美術館 (3)

(全体の目次はこちら


大塚国際美術館 (3)

- 「複製だからこそ」の展示 -

 

前回に引き続き、
徳島の大塚国際美術館の魅力について
もう少し話を続けたい。

 

「複製だからこそ」できる展示
その代表例が

(AA)
「日本に実物を持ってくることが
 絶対にできないもの」の展示


たとえば、紅白歌合戦で
米津玄師さんが歌った会場ともなった
美術館の目玉のひとつ、ヴァティカンの
システィーナ礼拝堂の天井画と壁画
ミケランジェロの作だ。

P5191931s

写真では大きさが伝わりにくいと思うが、
[13m x 41m, 高さ20m]もの礼拝堂が
その大きさのまま再現されている。

P5191887s

P5191890s

見上げた天井にはコレ。

P5191889s

天井画は下ろして描くことができないため
ミケランジェロは、四年間、ひたすら天井
つまり上を見上げながら描き続けた。
いったい、どんな四年間だったのだろう
と思いながら
システィーナ礼拝堂の中に立って
天井を見上げていた個人的な思い出が蘇る。

 

環境を含めての再現は
システィーナ礼拝堂以外にも
いくつもあるが

イタリアのスクロヴェーニ礼拝堂も
すばらしい。

P5191896s

システィーナ礼拝堂の天井画と壁画
イタリアのスクロヴェーニ礼拝堂
のような大掛かりな環境構築だけでなく、
建物の壁画となっているものも、
通常は「持ってこられない」ので
複製ならでは展示だ。

トルコ、イスタンブールのアヤソフィアの
壁面にあるモザイク画の複製。

P5191906s

モザイクの感じもよく出ている。

P5191907s

これも、2012年に
実際にトルコに行って観ているので、
そのときの写真も
参考に下に貼っておきたい。

Img_3614s

Img_3610s

こういった壁画も
「原寸大」で再現。

「実物を持ってくることが
 絶対にできないもの」
「現地では近くに寄って
 見ることができないもの」
を間近で観ることができる。

壁画ではないが、門外不出と言われる
ピカソの「ゲルニカ」もある。

 

(BB)
 修復前と修復後の姿を並べて展示


大規模な補修がなされたものの
補修「前」と補修「後」の姿を
比べてみることもできる。

代表例は、レオナルド・ダ・ヴィンチの
「最後の晩餐」

修復前がコレ

P5191928s

修復後がコレ

P5191927s

4.2mx9.1mと大きいので、
並べてというわけにはいかないが、
この2枚を同じ部屋で観ることができる。

 

(CC)
 棺の内面、四面を、四枚並べて展示


おもしろいところでは、
棺の内面、四面を、
四枚並べて展示したものもある。
こんな見せ方があるなんて。

P5191905s

 

(DD)
 壺の回りを展開図にして展示

P5191904s 

一見、一枚の絵のように見えるが、
壺まわりの絵を展開図のように
一枚に展開して展示している。
正面だけでなく、まさに横もウラも、
すべての絵柄が一目瞭然。

絵を観る、だけでなく
まさに体で感じることができる
美術館だ。

次回につづく。

 

 

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