文化・芸術

2022年3月 6日 (日)

恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

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恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

- マスク生活があと2年続いたら -

 

東京、神奈川、埼玉、千葉、
大阪、兵庫、福岡の7都府県に対して、
最初の「緊急事態宣言」が発出されたのが、
2020年4月7日。

不要不急、お前だったのか
という記事をアップしたのが、
2020年4月12日。

まもなく、
マスク生活も2年になろうとしている。

最初のころは
「あっ、マスク」
と忘れて出かけそうになることも多かったが、
いまや
「外出時はマスクをして」が
すっかり習慣となっている。

私自身は、「在宅勤務」が多くなったため、
出社日数も大幅に少なくなっているのだが、
先日出社した際、小さな発見があった。
きょうはそのことを書いてみたい。

 

昼休み、久しぶりに同僚と2人で
会社近くのレストランに昼食に出かけた。

外食はほんとうに久しぶりだ。
お昼休みの時間帯、
ビジネス街のレストランの賑わいも
一時期に比べてずいぶん戻ってきており、
そのときも昼食の会社員で溢れていた。

当然のことながら、
食事中は男女を問わずマスクを外している。

「マスクをしていない人を
 こんなに大勢見るのは
 なんて久しぶりだろう」
そんなことを考えながら
ぼんやり店内を眺めていたら、急に、
普段マスクに隠されている
鼻と口って、なんてエロいのだろう、と
見てはいけないものを
見てしまったような、
不思議な気分に襲われた。

若い女性の口元だけではない。
女性も男性も、
会話をしたり、食べたりしているときの
裸の鼻と口ってなんてエロいのだろう

考えてみると
「恥部だから隠すのか、
 隠すから恥部になるのか」

ほんとうはどちらなのだろう?

「恥部だから隠す」に決まっている、と
漠然と思い込んでいたが
その確信が明らかに揺らいでいた。

よし、大胆にも
ここに自信をもって予測してしまおう。

「マスク生活があと2年続いたら、
 鼻と口は恥部となり、
 正視できないのはもちろんのこと
 恥ずかしくて人前で出せなくなる」


あと2年続いたら・・・

 

 

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2022年1月 2日 (日)

CD売上げ1/3でも著作権料総額は増加

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CD売上げ1/3でも著作権料総額は増加

- 音楽需要の変化はどこに -

 

明けましておめでとうございます。

備忘録を兼ねた
まさに気ままなブログではありますが、
今年もボチボチ続けていこうと
思っていますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

昨年末2021年12月18日の朝日新聞beに
「進化続けるルパンサウンド」
の見出しで、
アニメ「ルパン三世」の音楽を
作曲、編曲している大野雄二さんの
話が出ていた。

記事ではその件には触れられていないが
大野さんの名前を見て
あるトピックスを思い出したので
今年はその話から始めたい。

驚きのトピックスが載っていたのは

 烏賀陽弘道 (著)
 「Jポップ」は死んだ
 扶桑社新書

(以下水色部、本からの引用)

この本の中に、
日本音楽著作権協会(JASRAC)が
毎年度発表している
著作権使用料の分配金額ベスト3
の話が出てくる。

著作権使用料を稼ぎ出している曲
というわけだ。

実は大野さんが作曲した
「ルパン三世のテーマ'78」は
2015年のなんと3位に位置している

77年に作曲された曲が
38年後の2015年に
著作権使用料で第3位とは!

もちろん曲は
アニメを見ないような人でも知っている
よく知られた名曲だが、
それにしても数ある曲の中で第3位とは。
ちなみに2015年の第1位はAKB48の
「恋するフォーチュンクッキー」だ。

著作権使用料、
どうも単なるヒットチャートだけでは
説明できないようだ。

というわけで、
まずは、前提となる音楽市場の動向から
見ていきたい。

 

CDを中心としたディスク市場は
ここ20年で大きく変化した。

日本のオーディオレコード
(CDなど音楽を記録したディスク、
 テープなどの総称)市場の縮小は
深刻である。

過去最高を記録した
1998年には6075億円あった。

それがほほ毎年減り続け、
2016年には3分の1を切る1777億円である
(日本レコード協会)。

20年足らずで
市場の3分の2が消えてしまった

上記引用を含め、
本には数字がいくつも出てくるので、
本の数字を元に簡単な表とグラフを作成、
それらを挟みながら話を進めたい。
(元となる数字も用語も本からの引用)

  <表1 オーディオレコード市場>

Jpop1a

グラフにすると

Jpop1ga

1/3以下になってしまった
CD関連の減り具合はたしかに凄まじいが、
ネット配信等は増えているので
当然ながらこの数字の変化が、
直接音楽産業の衰退を
意味しているわけではない。

こういうとき、私が調べるのは
日本音楽著作権協会(JASRAC)の
統計
である。

同協会はテレビやCM、コンサート、
カラオケ、細かいところでは、
カフェや美容室のBGMで音楽を流せば、
その著作権使用料を徴収する。

そしてそのお金を著作権保持者
(作詞・作曲家だけではなく企業が
 著作権を持っていることもある)
に支払う。

そのための組織である。
その執行が厳格なことで知られる。

その「著作権使用料徴収額」の総額を
同じ1998年と2016年の比較で見てみよう。

  <表2 著作権使用料徴収額>

Jpop2a
Jpop2ga

グラフを見るとわかる通り
オーディオレコード市場に連動して
オーディオレコードの著作権使用料も
ほぼ1/3に減っている。

ところが、総額はむしろ増えているのだ。

何が増えているのだろう?

1998年当時はなかった
インタラクティブ配信、
つまりインターネット配信による
著作権使用料の約100億円は
もちろん今後も伸びるであろうが、
全体の伸びはこれだけでは説明できない。

JASRACの統計から、
1998年-2016年の期間に
2~3倍の伸びを示している項目を
書き出してみた。

テレビ、ラジオなど「放送等」やCATV、
「有線放送」あるいは「映画上映」などは
2.5~2.9倍の増加を示しているが、
これは需要が伸びたからというより
「料率を値上げしたから」というのが
同協会の説明である。

需要の伸び、で気になるのは
表2にある
「通信カラオケ」と「ビデオグラム」
である。

カラオケって増えているの?
ビデオグラムって何?

どちらについても
私の全く知らない事実が背景にあった。

到達できなかった大野さんの
「ルパン三世のテーマ'78」の話も含めて
次回、そのあたりについて紹介したい。

 

 

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2019年12月29日 (日)

CDの収録時間はどう決めた?

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CDの収録時間はどう決めた?

- ソニー大賀氏へのインタビュー -

 

令和元年もいよいよ年の瀬。

年末の風物詩
ベートーヴェン「第九」の演奏会は
今年もあちこちで開催されていたようだが、
「第九」で思い出した記事があるので
今日はその記事のことを紹介したい。

雑誌「レコード芸術」の
2017年12月号
に、
日本経済新聞社・文化事業担当の
小松潔さんが書いていた

伝説の検証
カラヤン《第九》説を
大賀氏は2度否定した
CDの収録時間は誰が決めたのか


という記事。

いわゆる「俗説」を検証した記事だが、
信頼できる相手に取材しているので
雑誌の一記事として埋もれてしまう前に
「記録」としてここに残しておきたい。
(以下水色部、記事からの引用)

「今から10年前」
で本文が始まっている通り、
まずは2007年のインタビューから
記事は始まっている。

 今から10年前、
ソニーのトップを長年務めた
大賀典雄さん(1930~2011)に
カラヤンの思い出話を開いた。

マエストロ生誕100年(2008年)を前に
『カラヤンと日本人』
(日経プレミアシリーズ)と題した本を
書こうと思い立ったからだった。

当時、コンパクトディスク(CD)の
規格として直径12センチとなったのは、
カラヤンがCD開発で先行していた
ソニー、フィリップスの2社に対し
「ベートーヴェンの《第九》が
 1枚に入るように」
と発言したことが
決定的な影響を与えた
という説が
一般に伝わっており、
その真偽を確かめたい
という思いもあった。

 カラヤンと大賀さんの交友関係は
すでに有名で、
カラヤンの最期(1989年7月16日)を
ザルツブルク郊外アニフの
マエストロ自宅で看取ったことは
クラシック・ファンならずとも
知っている。

 めったにメディアと
会わなくなっていた大賀さんだが、
カラヤンのこととなると、
すぐに時間を作ってくれ、
品川・御殿山のオフィスにあった
大賀さん専用の応接室で
懐かしそうにエピソードを語った。

さて、巷で広く語られていた
「カラヤン-第九」説に
大賀さんはどう答えたのだろう。

ほほ期待通りの内容だったが、
CD開発について、
カラヤンがその長さを
決める役割を果たしたのか
という質問だけは否定


予想外の返事だっただけに
そのバリトンの低い声は
鮮明に覚えている。


小松さんは、
「ソニー社史」も参照しながら
検証を進める。

 ネットで公開している
「ソニー社史」によると、
1978年6月、
大賀さんはオランダの
アイントホーフェンにある
フィリップス本社を訪ね、
オーディオ専用の
光ディスクを見せられた。

1982年に発売となるCDの原型である。
当時、
ソニーの副社長だった大賀さんは
フィリップスとの交渉の
先頭に立っていた。

新方式であるデジタル録音の媒体として、
ソニーは「まずはテープという形」
での普及を考えており、
フィリップスは
「光ディスクの実用化」を進めていた。

大賀さんも大量生産などを考えると
光ディスクのほうがいいと判断。

フィリップス側が想定するディスクは
11.5センチで
1時間の音楽が入ると説明を受けた。

 この11.5センチは
カセットテープの
対角線の長さと同じであり、
フィリップスは
持ち運びを考慮し
この大きさを提案したという。

これに対し、大賀さんは
「カセットの対角線に
 こだわる必要があるのか、
 そんなことに何の意味もない。
 中に入れる音楽が問題
と主張した。

1時間収録できれば
当時のLPレコードの代替にはなる。
しかし、一部のクラシックファンは
LPレコードに大きな不満を感じていた。

クラシック・ファンが
LPで不便に感じているのは《第九》や
長大なワーグナーのオペラなど
1幕の途中で盤面を
ひっくり返さなくてはいけないこと。

筆者が
「有名な話でカラヤンが
 《第九》が入るようにと
 言ったそうですが」
と水を向けると、
《第九》もそうだが、
オペラも1幕が入ることが大事
と強調
した。

カラヤン《第九》説を
否定する
とともに、
歌手出身の経営者らしく、
オペラのことが
強く念頭にあったという印象だ。

結果的に第九だけでなく、
オペラも考慮にいれた
大賀さんの提案が通る。

「直径12センチにすれば
 (収録時間は74分)、
 ワーグナー(のオペラの1幕)でも
 大概1枚に入る。

 フィリップスの会議室で
 白板を使い
 それを説明したわけです」

 インタビューで感じたのは、
ユーザー本位の発想だ。

音楽ファンがどうすれば
長大な交響曲やオペラを
最高の状態で楽しめるかを
第一に考える姿勢が、
大賀さんには備わっているようだった。


 結局、ソニー側の言い分が通り、
CDの直径は12センチと決まった


大賀さんはそのプロセスを語るなかで
カラヤンの名前には一切触れなかった。

 

その後、
「もう一度確かめたいという気持ちが
 強くなった」小松さんは、
大賀さんへの二度目のインタビューも
実現している。

そこでもう一度、
カラヤン《第九》説を聞くと、
以下の返事だった。

「フィリップスとの会議で、
 (CD親格の)いよいよ仕上げ段階で、
 だれにも
 ケチをつけられないようにするには、
 77、78分は必要と主張した。

 カラヤンは長さについて
 一切口出ししなかった。

 まあ、カラヤンが関与した方が
 話がおもしろいでしょう。

 でも、(カラヤンは)そんな
 長さを気にするような人ではなかった」

 大賀さんは終始一貫、
カラヤン《第九》説を否定した

「カラヤン-第九」説は、
やはり単なる噂だったようだ。

 カラヤンのCDに対する思い入れは
尋常ではなかった。

レコード産業の大勢が
CD開発に反発するなか、
ソニー・フィリップスの
記者会見に自ら出たり、
故郷ザルツブルクにCD工場を誘致したりした。

そういうマエストロとCDとの
強い結びつきが
「CDカラヤン《第九》主張説」を
生んだのかもしれない。

私自身はなぜか、同じ第九でも
伝説的名盤、1951年の
フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団の演奏
が基準になった、という説(? 噂)を
ずーっと信じていた。
演奏がちょうど74分ぐらいだったし。

どこで最初に聞いたのか
全く覚えていないのだけれど。

 

CD誕生の背景をまとめると、
《第九》の存在がその大きさを決め、
20世紀を代表する指揮者が
開発や普及を後押しした


筆者はそれで十分と感じる。
決定的な役割は
ソニーとフィリップス技術陣、
それに何より技術と音楽を知る
大賀さんが果たした。

 

小松さんはこんな言葉で
記事を結んでいる。

 インタビューでは
カラヤンに対する敬愛の念とともに、
ライバル心もしばしば感じた


飛行機操縦など共通の趣味のほか、
2011年4月、カラヤンと同じ
81歳でこの世を去った
ことも
二人の共通点として引き合いに出される。

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2019年11月17日 (日)

ブリュッセル・レクイエム

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ブリュッセル・レクイエム

- 壁をつくってかぎをかけなければ -

 

初めてベスト8にまで進出した
日本代表の活躍もあって
ラグビーワールドカップ2019が
おおいに盛り上がっていた
ちょうどそのころ、
第67回全日本吹奏楽コンクール
全国大会も開催されていた。

 中学校   2019年10月19日
 高等学校  2019年10月20日
 大学    2019年10月26日
 職場・一般 2019年10月27日

全国大会の出場校と結果、
自由曲のリストはここにある。

全国大会 中学の部
全国大会 高校の部

このリストでの注目すべきは自由曲。
コンクールの自由曲なんて
それこそ数多(あまた)ある中から
自由に選べるのに、
中学の30校中なんと7校がこの曲。

B.アッペルモント作曲
「ブリュッセル・レクイエム」


全国大会は、
吹奏楽の甲子園、とも呼ばれるように
支部の予選を勝ち抜いた
強豪校ばかりによる戦いの場だが、
そこまで勝ち上がってきた学校が
選んでいたのが
なぜか7校も揃ってこの曲、
ということになる。

 

結果を報じる新聞も「自由曲で大人気」
の見出しをつけて
以下のような記事を掲載していた。

2019年10月20日の朝日新聞の記事。
(以下水色部は記事からの引用)

A1910202bs

「ブリュッセル・レクイエム」が、
一大旋風を巻き起こしている。

初出場3団体を含む、
中学校から大学までの計11団体が選択。

自由曲としては過去最高だ。
なかでも中学校の部では
7校がこの曲を選び、
19日の晴れ舞台への切符を勝ち取った。

 

この曲、1973年生まれのベルギーの作曲家
ベルト・アッペルモント(Bert Appermont)
によって2016年に作曲された
新しい楽曲らしい。

曲は、
ベルギーの作曲家アッペルモントが、
2016年に母国で発生したテロを題材に、
犠牲者の鎮魂歌として作曲した。

フランス民謡の美しい旋律が象徴する
穏やかな日常を、テロが切り裂く。
逃げ惑う人々。
愛する人を奪われた慟哭(どうこく)。
再び平和を目指して歩き出す人々-。
そんな場面が昔でつづられる。

 

そんな新しい曲が、2018年
一気にブレークするきっかけは、
まさに吹奏楽コンクール全国大会だった。

全国大会では
昨年「初演」されたばかり。
北斗市立上磯中(北海道)や
精華女子高(福岡)など
演奏した3団体すべてが金賞という
鮮烈デビューを飾り、
一気にブレークした。

 

そもそもどんな曲なのだろう?
昨年の演奏がYouTubeにあったので
ちょっと聴いてみたい。

イチオシはこれ!
(吹奏楽に興味のある方はもちろん
 興味のない方も約8分半、
 全国大会レベルの演奏に
 ぜひ耳を傾けてみて下さい)

【演奏:精華女子高校吹奏楽部(2018年)】

正直言って、
ほんとうにびっくりしてしまった。
「ナンなんだ、この曲!」
「ナンなんだ、この演奏!」
進化しているのはラグビーだけではない。

コンクールでは演奏時間の制約があるため、
制限時間内に入るよう
各校原曲を編曲のうえ参加してきている。
なので、学校によって曲のつなぎ方と
演奏部分がすこし違う。
中学生の演奏でも聴いてみよう。

【演奏:北斗市立上磯中学吹奏楽部(2018年)】

中学校でこのレベルの演奏をされたら
いったいどんな学校が
ここに勝てるというのだろう?

「難所」の練習の回数は4桁に達した。と
記事にもあるが、どちらの演奏も、
このレベルになるまでの
練習過程を想像すると
まさに気が遠くなる。

もちろん達成できたときの
到達感も一入(ひとしお)だろうけれど。

 

曲や演奏に驚くと同時に、
この新聞記事には
すごくいい言葉がふたつあったので、
ここに残しておきたい。

ひとつ目は、北上市立上野中(岩手)教諭の
柿沢香織さんの言葉。

こちらが限界という
 壁をつくってかぎをかけなければ、
 今の中学生は
 どこまでも伸びていきます

中学生だからこの程度、
と勝手に壁を作ってしまうのは
まさに大人のほう。
チャンスと動機さえ与えれば
そしてその可能性を信じて
グングン引き上げてくれる
すぐれた指導者に恵まれれば
実は「どこまでも伸びる」のだ。

 

ふたつ目は、高岡市立芳野中(富山)教諭の
大門尚(なお)さんの言葉。

この曲を好きだからこそ
 よく練習したし、
 吹けたのだと思います。
 曲に育てていただきました

今回記事を書くために、
多くの演奏を繰り返し聴いてみたが、
知れば知るほど
単に難曲、というだけでなく
「好き」になるような
魅力に溢れている作品であることが
よくわかる。

そもそも「好き」になれなければ、
4桁回もの練習には耐えられない。

一方で「好き」になれば
まさに世界はどんどん広がっていく。
「好き」はまさに「育てて」くれるのだ。

 

最後に「ブリュッセル・レクイエム」の
ノーカット版、原曲演奏を貼っておきたい。
この曲、
原曲は金管バンドのための曲らしい。
英国の名門「The Cory Band」の演奏。

コンクール自由曲の
演奏時間内に収めるために、
曲の魅力を失うことなく
各校いかに上手にカットしているか、も
よくわかる。

ここのところ、個人的に
ヘビーローテーションとなっている
各演奏だ。
何度聴いてもそれぞれに新しい発見があり、
飽きることがない。

 

 

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2019年9月 8日 (日)

「ウィーン・モダン」展

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「ウィーン・モダン」展

- 作品とその時代を同時に体験 -

 

日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン
クリムト、シーレ 世紀末への道


という企画展が、
東京六本木の国立新美術館で
開催されていた。
(2019年4月24日~8月5日)

Viennamodern1

工夫を凝らしたいい企画展だったため
本ブログで紹介できれば、
と思っていたのだが、
モタモタしているうちに気がつくと
閉幕日を過ぎてしまっていた。

ありゃ、ありゃ、これから書いても
単なる日記にしかならないか。

そう思っていたら、偶然
ラジオから
「8月末から大阪にて公開中」
なる情報が流れてきた。

慌てて調べてみると、東京に続いて

【大阪展】
2019年8月27日~12月8日 
国立国際美術館


が開催されているらしい。

だったら、日記のようなメモでも
「これから行こうか?」と
迷っている人に
多少は参考になるかもしれない。

 

本企画展、
会場を事実上一方通行にすることで
18世紀から20世紀までのウィーンを
時間順に、文化とともに歩めるような
演出になっている。

単に絵画を並べた展覧会ではなく、
作品をその時代の社会的背景とともに
体験できる点に大きな特徴がある。

なお、大阪展は、
若干出展数が減ってしまっているようで、
「東京展と全く同じ」
というわけではないようだ。
本記事は、あくまでも
東京展を観ての感想なので、
その点はご承知おき下さい。

 

まず、全体構成。
(1)「啓蒙主義時代のウィーン」
(2)「ビーダーマイアー時代のウィーン」

(3)「リンク通りとウィーン」
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」
の4部構成となっており、
時代の流れに沿って
各文化を楽しめるようになっている。


18世紀の女帝マリア・テレジアの
肖像画から展示は始まっているが、
マリア・テレジアの時代に始まった
啓蒙思想が
 フランス革命 (1789-1799)
 ウィーン会議 (1814-1815)
を通して
ビーダーマイアー時代へと
繋がっていく様子が前半。

(3)「リンク通りとウィーン」
のセクションでは、
ここに書いた話を
ショートフィルムも交えて
写真と絵画で
より詳しく知ることができる。

1857年に長い間ウィーンを囲っていた
市壁の取り壊しが決定。
その跡地がリンク通りとなり
沿道には国会議事堂、歌劇場など
特徴ある建物が次々と造られていく。
一気に都市部が広がり始めるウィーン。

 ウィーン万国博覧会 (1873)
 皇帝の銀婚式祝賀パレード (1879)

といった大きなイベントを
ハンス・マカルトをはじめ
多くの画家が作品に残している。

そういった、歴史の流れを
十分実感させた上で、
最後のセクション
(4)「1900年 ― 世紀末のウィーン」へと
繋がっていく。

19世紀末から20世紀にかけて、
都市機能がさらに充実していくウィーン。

鉄道を始め、都市デザインに貢献した
建築家オットー・ヴァーグナーの業績も
いくつもの模型を交えて展示してある。
ウィーン旅行記で記事にした
カールスプラッツ駅舎も彼の作品だ。

芸術の分野では、
画家グスタフ・クリムトらが中心となって
ウィーン分離派」が結成される。

多くの絵画の展示がある中、
どういう理由かよくわからないが
クリムトが最愛の女性を描いたとされる
1902年の作品
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
のみ写真撮影が許可されていた。

Viennamodern4

フレーゲの姉とクリムトの弟が
結婚したこと、
つまり義理の兄妹の関係になったことが
ふたりが知り合った
きっかけだったようだが、
ふたりは結婚はしなかったものの、
まさに死ぬまで生涯のパートナーとして
すごしたらしい。

とにかく色が美しく、
まさに本物を観る価値がある。

Viennamodern5

 

展覧会パンフレットの
裏表紙に使われている
エゴン・シーレ の「自画像」

Viennamodern2

は、ほぼ等身大の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
とは対照的に、30cm四方程度の
思ったより小さな作品だった。
エロティックなデッサンも含め、
多くの分離派の作品を堪能できる。

 

魅力的な絵画が並ぶ中
個人的に特に強く印象に残ったのは
ウィーン分離派が
分離派の展覧会のために作った
ポスター群だった。

展覧会ごとに
作家が順番に担当したらしいが、
どれも全体のデザインはもちろん
文字、つまり字体も美しく
一枚、一枚、実にユニーク。

新しいものを生み出していこうという
ある種の勢いみたいなものが
ヒシヒシと伝わってくる。

残念ながら写真は撮れなかったので
パンフレットの中の写真を
2枚だけ貼っておきたい。

Viennamodern3

ポスターなので
素材はもちろん紙なのだが、
どれも保存状態がよく
ほとんどシミがないのにも驚いた。
どうやって保存していたのだろう?

 

ここから42回にも渡って
旅行記を書き続けたように、
ウィーンは2年前の旅行で
個人的に満喫した都市のひとつだ。

なので、「行ったからこそ」、
「その後、詳しく調べたからこそ」、
楽しめた部分は確かにある。
一緒に行った妻も同意見だ。

しかし、仮にウィーンに
一度も行ったことがなかったとしても、
時代の流れを感じながら
作品を楽しむことは十分にできたと思う。

作品とその背景となる歴史や社会を
じょうずに結びつけた
工夫に満ちた展覧会だった。

 

 

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2019年7月21日 (日)

足立美術館(2)

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足立美術館(2)

- 借景の庭を上空から見ると -

 

米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の
「日本庭園ランキング」で
16年連続日本一に選ばれている足立美術館。

前回に続いて、
今日は庭師の方の言葉を紹介したい。

これほど完璧な庭、
いったいどんな人が
どんな思いで日々の世話を
しているのであろうか?

Img_4181s

(写真はすべてiPadで撮影)

 

この庭の責任者、
庭園部長・小林伸彦さんに取材した記事が、
2017年4月22日
朝日新聞フロントランナーに
あった。

「一幅の絵画」を守る庭師
の見出しで紹介されている。
(以下、薄緑部記事からの引用)

 春のツツジ、夏の万緑、
秋の紅葉、冬の雪景色……。
四季の移ろいに合わせながら、
カンバスとなる庭園の細かな輪郭や、
庭木、白砂の質感を維持するため、
専属の庭師6人を率いる。

「生い茂ろうとする
 木と名石のバランス、
 そして庭園全体の調和を
 いつも考えて仕事をしています」

庭と借景の山々の一体感も演出する。
手前のマツの葉を薄くし、
奥に向かって濃くなるように
枝葉を残す


奥を淡くすると山が遠のき、
庭と引き離されたような印象を
与えてしまう。

絵画の遠近法とは逆の論理になる。
この濃淡の調整で庭園の均衡を保つ。

この記事の通り
「庭と借景の山々の一体感」が
ひとつの見もので、
実際庭を目の前にしても
まさに揺るぎない一つの作品として
迫ってくる。

Img_4183s

 

小林さん自身、
初めてこの庭に出会ったときのことを
次のように述べている。

--足立美術館との出会いは?

26歳の時、転職先の造園会社から
応援で派遣され、驚きました。

庭と借景の山は
県道や田んぼで
隔てられている
んですが、
それが連なっているように
見えるんです。

そんな庭は
京都でもお目にかかれません。

さらに来館者から
「きれいな庭ですね」
と声をかけられる。

京都での修業の時は、
お客さんとの会話が
ほとんどなかったので新鮮でした。

毎年応援に行くうちに、
ここで自分の人生を賭けてみようと
決めました。

この借景の庭、実は
県道と田んぼで分断されている!?

Img_4182s

現地での解説でもそう言っていた。
でも、実際に庭を目の前にすると
にわかには信じられない。

帰ってから地図で確認してみて
さらに驚いた。

Googleマップの衛星写真を拝借して
空から眺めてみよう。

Adachimap

写真の中央下、
緑色破線の矩形で囲まれた部分が
いわゆる美術館の敷地で、
近景を構成している庭があるところだ。

その先に、まさに県道、
県道に沿って川、
そのうえ広く田んぼまである。

遠景を構成している山は
さらにその先。

美術館からメインとなる
枯山水庭や白砂青松庭
を眺めている角度を
黄色い扇型で重ねてみた


うーん、この角度の景色を
借景含めてこの作品にしてしまうとは。
窓ガラス越しに眺めてもこの美しさ、
この統一感。

Img_4166s

 

お客さんは
気づかないかもしれませんが、
開館時間までに
必ず枯れた葉を取り除き、
コケを補充しています。

「ツグミがミミズを食べるために
 ほじくり返したコケも見逃しません」
と言い切るような
きめ細やかな手入れだけでなく
長期視点での準備も万全だ。

--それでも庭木は高くなり、
 太りますね。

美術館の近くの
仮植場(かしょくば)で、
様々な大きさの
400本のアカマツや
40本のクロマツ
を手入れしています。

幹が太くなってくると、
すぐに元の大きさ、
形のものと植え替えられるように
するためです。

役目を終えた木は捨てず、
山に植えます。

大きめのマツが必要になる将来に備え、
仮植場に移すこともあります。

現地の解説では、
「庭に重機が入れられないので
 大きな木の植え替えも
 すべて人力による手作業で行われる」
と言っていた。

毎朝の手入れから長期視点での準備まで
美しさ維持への心配りが
16年連続日本一を支えている。

Img_4187s

 

この記事の中で、もう一箇所
響いたところがある。

--将来にわたり
 技をどう引き継いでいきますか?

庭園部は50代から20代までと
世代のバランスが良く

心配していません。

庭師は体が資本。
年を取って木に登れなくなれば
潮時かもしれません。
木の下から部下にあれこれ言うと、
煙たがられるだけですから。

 

(1) 日々のきめ細やかで丁寧な
  庭園のメンテンス

(2) 距離のある借景を活かすセンス

(3) 400本のアカマツをはじめ、
  仮植場(かしょくば)に中長期視点で
  用意されている植替用の木々たち

(4) 7人の部署ながら
  技の継承を意識した年齢構成

庭園だけでなく、
庭園「部」自体の成長も視野に入っている
強力なリーダに支えられてこその
「16年連続日本一」だ。

 

 

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2019年7月14日 (日)

足立美術館(1)

(全体の目次はこちら


足立美術館(1)

- 16年連続日本一の庭園 -

 

足立美術館は、実業家の
足立全康(ぜんこう1899-1990)さんが
生まれ故郷の島根県安来市
1970年、71歳のときに開館した美術館だ。

島根県松江市から車で約30分。

横山大観をはじめ近代日本画を
メインに蒐集している美術館だが、
この美術館の名を
内外に轟(とどろ)かせているのは、
なんといってもその庭だ。

枯山水庭、苔(こけ)庭、池庭など
複数の「庭」を目当てに
訪問する観光客が多い。

丁寧に手入れされた庭は、
米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の、
「2018年日本庭園ランキング」で
第一位に選ばれている。

しかも、
全国の日本庭園900か所以上を対象にした
同誌のランキングにおいて
今回の選出により
「16年連続日本一」をも達成しているのだ。

ちなみに
2018年日本庭園ランキング
ベスト5は

 1位 足立美術館(島根県)
 2位 桂離宮  (京都府)
 3位 皆美館  (島根県)
 4位 山本亭  (東京都)
 5位 京都平安ホテル(京都府)

となっている。

日々変化し続ける庭において
16年連続日本一とは。

 

いったいどんな庭なのだろう?
我々夫婦も期待いっぱいで
入館の列に並んだ。

おもしろいのは
美術館なのに入館した人は皆、
まずは庭の眺めを探して
キョロキョロしていること。

実は慌てずとも、入り口から
巡回コースが作られており、
館内を順に歩くだけで、
各所から庭を眺められる構造に
なっている。

Img_4145s

(写真はすべてiPadで撮影)

私が訪問したのは
改元に伴う連休中だったため
バスでやってくるような団体客も含めて
まさに多くの訪問者で賑わっており、
「ゆっくり愛でる」
という雰囲気ではなかったが
それでも庭の美しさには
たちまち目を奪われた。

Img_4153s

「ゆき届いている」
この言葉が最初に浮かんだ。

 

Img_4154s

全体のレイアウトだけでなく、
ゴミはもちろん、枯れ枝や落ち葉さえ
一本一枚も落ちていないほど、
手入れが行き届いている。


Img_4159s

そのうえ、
借景も含めた遠近感の設定が絶妙で、
空間がどこまでも広がっていくような
不思議な開放感がある。

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この美しさ、どう表現すればいいのだろう。

 

歩くに従い少しずつ角度を変えて
違った顔を見せてくれる。

Img_4174s

 

パノラマ写真を使って
広角的に池の周りを写すとこんな感じ。

Img_4176s

 

館内には窓枠を額縁に見立て、
庭園を絵画のように
眺められる仕掛けもある。

Img_4177s

 

縦長に切り取ればまさに掛け軸だ。

Img_4178s

この「生の掛け軸」となる
「壁の穴」は、
足立さんが師と仰ぐ、
「米子商工会議所の名誉会頭だった
 故坂口平兵衛さんの発想を
 頂戴したもの」
と足立さん自身が自伝
庭園日本一
 足立美術館をつくった男
』に
書いている。

本によると
「床の間に穴を開けるなんて」と
猛反対する職員や大工を前に、
足立さん自らがカナヅチを持って
壁をぶち抜いてしまったらしい。

 

それにしても、これほど完璧な庭、
いったいどんな人が、どんな思いで
日々の世話をしているのであろうか?

ここの庭師の方の話が
以前少し詳しく新聞に出ていたことがある。

次回、その話を紹介したい。

 

 

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2019年7月 7日 (日)

島根県の民藝めぐり(2)

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島根県の民藝めぐり(2)

- 出西窯とobjects -

 

島根県の民芸めぐりの2回目。
今日は、
島根民芸の代表選手のひとり、
出西(しゅっさい)窯から訪問したい。

参考図書は今回も

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出西(しゅっさい)窯】

Img_4270s

(写真はすべてiPadで撮影)

この大きな建物は
くらしの陶・無自性館」。
窯元に隣接している販売展示館だ。

吹き抜けを備えた2階建てで
多くの作品を一覧できる。

Img_4272s

この出西窯、
戦後間もない昭和22年(1947年)に
農家の5人が始めたものらしい。

開窯して間もなく、
河井寛次郎や濱田庄司に会い、
民芸運動に参加することを一同決心。

民芸の巨匠らの指導を受けつつ、
手仕事による、
実用的で美しい器作りを目指します。

以来70年、
郷土の土や釉薬の原料にこだわり、
土作りから一貫して工房内で生産

Img_4273s

縁に鉄砂引きを施した
呉須釉(ごすゆう)の器
は、
出西窯を代表する製品で、
深みのある青は
「出西ブルー」と呼ばれている。

Syussaiblue

焼くことで浮かび上がる
まさに焼き物ならではのブルーだ。

いくつかお目当ての作品があったのだが、
鳥取の岩井窯同様
希望するサイズのものは
残念ながら
連休前半で売れてしまっていた。

Img_4274s

 

工房では「登り窯」も公開されている。

Img_4275s

50年以上も使っているという
歴史のあるものだが、
今でも年に数回、
火を入れられるらしい。

Img_4277s

この棚いっぱいとなれば
相当な数が焼けることだろう。

Img_4278s

また開窯から現在に至るまで
共同体の形をとり、
器を共同製作しているのも
この窯の特徽です。

「分業ではなく、陶工の各人が
 決められた種類の器を、
 成形から釉掛けまで
 受け持っています

 効率的かどうかは別として、
 分業だとつまらないでしょう」

とは、出西窯代表多々納さんの言葉。

 

Img_4279s

現在は研修生を含め
13名が陶器の製造に携わっているという。

Img_4281s

 

販売展示館には
次々と客がやってきていて、
観光地並に大賑わい。

Img_4282s

 

工房と販売展示館の裏には、
出西窯の器を使ったBakery&Cafe
「ル コションドール出西」
があり
焼き立ての美味しそうなパンの匂いが
駐車場にまで流れてきていた。

Img_4285s

客の動きを見ていると、駐車場から直行、
このパン屋さんだけが目当ての客も
結構いるようだ。

 

もう一箇所、
出雲松江藩の城下町として栄えた
松江市内で寄ったのは

【objects:オブジェクツ】
ここも倉吉のCOCOROSTOREと同様
古い建物をリノベーションして
店舗にしている。

Img_4190s

もとはテーラーだったらしく
レジを兼ねたカウンタは
テーラーの時のものを
そのまま利用している。

Img_4191s

「東西に長い島根には
 窯元が点々とあって、
 各々の風土に合ったものを
 作ってきました。

 例えば石見(いわみ)は、
 採れる土がきめ細かく
 よく伸びることから、
 水甕(みずがめ)などの大物を。

 一方、出雲は
 藩主の松平不昧(ふまい)公が
 茶人だったので、
 茶陶の伝統があります。

 それぞれ特徴は異なりますが、
 全般に道具として
 しっかりしたものが多いのは、
 民芸運動が与えた影響が
 大きい
からだと思うんです」。

とは店主の佐々木さんの弁。

Img_4197s

扱っているのは
湯町窯や出西窯、森山窯、岩井窯といった
山陰の窯元をはじめとする焼き物のほか、
岡山の漆器やガラス器、
真鍮のカトラリー
など。

Img_4194s

トーンの違う様々な焼き物を
上手に展示してあり、見ていて楽しい。

Img_4192s

温泉津町の森山窯
素敵な皿との出合いがあって一枚購入。

 

objectsのあるエリア、
他にも古いレトロな建物が多い。

Img_4198s

 

ちょっと怪しい店も含めて
散策するといろいろおもしろいことが
発見できそうな味のあるエリアだ。

 

 

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2019年6月30日 (日)

島根県の民藝めぐり(1)

(全体の目次はこちら


島根県の民藝めぐり(1)

- 出雲民藝館 -

 

鳥取県の民藝めぐりに続いて、
お隣、島根県の民藝も見てみたい。

今日も参考図書は

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出雲民藝館】

Img_4286s

(写真はすべてiPadで撮影)

なんとも立派な門が出迎えてくれる。

昭和49年(1974年)に開館した
出雲民藝館の建物は、
出雲地方きっての豪農だった
山本家の寄付によるものだという。

民芸運動に賛同したのは
職人たちだけではなかったのだ。
民芸の趣旨に感銘を受けて、
さまざまな形で協力した人々がいた。

Img_4288s

民藝館入り口の長屋門は
まさに堂々たる構え。
江戸時代、延享3年(1746年)の建造で、
出雲大社造営の棟梁が手がけたという。

入場料を払うと、
正面の母屋には
 今も人が住んでいます
ので
 公開されている
 本館と西館だけを
 見学するようにして下さい」
と注意された。

Izumomingei1

まずは本館を見学。

本館は、3千俵もの米俵を収蔵していた
米蔵を改修したもの。

入ると最初にこんな額が。

Img_4290s

「民芸の性質」とある。

民芸の性質
 * 庶民的なもの
 * 実用的なもの
 * 数多く作られるもの
 * 安価を旨とするもの
 * 健康なもの
 * 簡素なもの
 * 協力的なもの
 * 伝統に立つもの

もちろん「民芸」に
かっちりとした定義があるわけではないが、
個人的にはこれに
 * 自分の暮しにフィットするもの
 * その土地の素材を大事にしたもの
などを勝手に足しながら
楽しんでいるかもしれない。

Img_4292s

壁にかかっているのは、
出雲地方で婚礼の際に使われた
嫁入り風呂敷
筒描染という伝統技法で、
家紋や吉祥文を染め抜いている。

風呂敷の下に並んでいる大きな壺は、
石見焼の大野壺。

「石見焼の巨大な野壺は、
 廃棄されそうになっていたものを
 協力者が見つけて、わざわざここに
 運んできてくれたそうです。
 その情熱に頭が下がります」
と事務局の方。

江戸末期から昭和初期にかけての
ものを中心に、布志名焼、石見焼
はじめとする陶磁器や、
かつてこの地方で盛んだった藍染、
木綿絣(もめんかすり)、
木工品などが展示されている。

Img_4293s

出雲民藝館事務局の方によると、

「展示品は、
 出雲民藝協会の会員や、
 県内外の協力者が寄付してくれた
 コレクションがもとになっています。

 すべて暮らしの中で
 使われてきたもの
で、
 その健康的な美しさとともに、
 そのような品を使う
 暮らしの美しさをも
 伝えたいというのが、
 この民藝館の趣旨です」。

 

西館は材木蔵を展示館として改修。
山陰の作り手による民芸品のほか、
農耕具なども並ぶ。

藍染の絵柄のデザインがすばらしい。

Img_4298s

昔の農工具なども
そのまま保存・展示されている。

私自身、農家が多い地域で育ったせいか、
子どものころに、近所の農家で
見た記憶のあるものもある。

Img_4300s

 

入り口となっていた長屋門の一角に
小さな売店もある。

Img_4304s

靴を脱いで上がる畳敷きの部屋で、
大きくはないが、
出西窯、湯町窯、森山窯、
袖師(そでし)窯、白磁工房

といった地元の陶磁器や、
木工品、和紙、染織など、
島根の手仕事を幅広く集めている。

Img_4305s

訪問日は2019年5月5日。
連休中の一日にもかかわらず
我々夫婦が訪問したとき、
他の訪問者はゼロ。

館内をゆっくり静かに見られたし、
売店では
他のお客様に気兼ねすることなく
事務局の方と
自由に話をすることができたが、
完全な貸し切り状態というのは
それはそれで寂しいものだ。

多くの民芸品を見た中では、
藍染の様々な絵柄が
妙に強く印象に残った民藝館だった。

 

 

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2019年6月23日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(2)

(全体の目次はこちら


鳥取県の民藝めぐり(2)

- 陶芸家・山本教行さんの言葉 -

 

前回、山陰の民芸における
吉田璋也の貢献について書いたが、
彼の影響を受けた人の作品も含めて
鳥取県内でもう二箇所、
民芸関連の場所を訪問したので
今日はそこを紹介したい。

 

【岩井窯】
鳥取市内から車で30分ほど離れた
緑豊かな山の中にある。

Img_4076s

(写真はすべてiPadで撮影)

作品展示室のほか、
岩井窯の器や土鍋で
お茶や食事ができる喫茶室、
創作資料のために自ら蒐集した
国内外の手工芸品を展示する
参考館も併設されている。

Img_4072s

作品展示室のものは
購入もできる。

Img_4070s

気に入ったものがあったので
「サイズ」や「枚数」等、
在庫についていくつか聞いてみたが、
残念ながら連休の前半で
ずいぶん売れてしまったようだ。

象嵌(ぞうがん)技法の結び模様や、
人気の高い掻き落としの牡丹柄等、
特徴のある作品が並ぶ。

Img_4071s

この窯の当主、山本教行さんと
吉田璋也との出会いについては
この本から一部引用したい。

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

クラフト館岩井窯と名づけられた
この工房の当主、山本教行さんも、
吉田璋也の薫陶を受けた一人。

16歳のときに璋也に出会い、
よく自宅に遊びに行ったり、
美術館の展示替えを
手伝ったりしたそうです。

「そこでもの作りに対する以上に、
 吉田先生の
 生活スタイルに憧れました

と山本さん。

璋也自身のデザインによる
家具や器に囲まれた
美しい暮らしに感動、

陶芸家になりたいというより前に、
 こういう暮らしがしたいと
 強く思わされました
」。

そのときの思いの延長線上にあるのが、
こちらの工房です。

 

工房が紹介された多くの本や雑誌、
作品展のちらし等も並んでいたが、
窯紹介のパンフレットを見ていたら
山本教行さんが、
こんな素敵な言葉を載せていた。

日常生活の中であたりまえすぎて
それほど気にならないのに
それでいて
常に大切に思えるものがある。
そういう物が焼けないかと思う。

私が作ったというより
生まれてきたと思えるものが
焼けないか
と念じてやまない。

「生まれてきたと思えるもの」か。

そんな精神が反映されたような
素敵な皿に出会えたので
2枚購入。

お手洗いの
「手洗い器」にも作品を使っている
気の遣いよう。おしゃれだ。

Img_4074s

外には大量の薪が積んである。
その前で眠っている犬も
じつに気持ちよさそうで
なんとも穏やかな空気感がいい。

Img_4073s

 

【倉吉】
鳥取市内から車で約1時間。
国の重要伝統的建造物群保存地区
に選定された
玉川周辺の白壁土蔵群が有名な倉吉。

Img_4098s

多くの観光客が訪れている。

江戸後期から昭和初期の建物が多い街並みも

Img_4112s

歩いていて楽しいが、
地図好きの私は、
街のど真ん中でこんなものを見つけて
ちょっと興奮してしまった。

Img_4099s

一等水準点。
一等水準点自体が珍しいわけではないが
街中でここまで大きく明示してあるものは
見た記憶がない。水準点は
国土地理院の地図には明記してあるので
場所はすぐにわかるのだが、行ってみると
忘れ去られたような標石が
寂しくしていることが多い。
ここの標石は幸せ者(?)だ。

Img_4101s

 

さて、この街並みの中にある
【COCOROSTORE】
民芸品を集めた素敵な店だ。

福光(ふくみつ)焼
国造(こくぞう)焼
上神(かづわ)焼といった
地元・倉吉の陶器のほか、
大塚刃物鍛冶(かじ)の包丁など
鳥取の手仕事を揃えている。

Img_4107s

古い建物をリノベーション

Img_4109s

目立つ看板は出ていないが
立ち寄る人は絶えない。

Img_4110s

自然栽培のごまや、
無農薬大豆で作るみそなど、
地元産の食材も扱っている。

ここでは、無地茶色の
国造(こくぞう)焼の皿を1枚購入した。

今回、時間的に町の散策は
ほとんどできなかったのだが、
ちょっと時間をとってぶらぶらしてみたい
そう思わせる小さな、素敵な町だった。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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