文化・芸術

2018年6月10日 (日)

オーストリア旅行記 (42) ベートーヴェンの家と譜面屋

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オーストリア旅行記 (42) ベートーヴェンの家と譜面屋

- 楽譜は共通語 -

 

ここに 書いた通り、
ウィーン市街を守っていた市壁は
約150年前に取り壊され、
新しい都市計画が動き出したのだが、
市内には、当時の市壁の一部が
残っているところがある。

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このアパートの土台部分、
古い市壁がそのまま残っている。
稜堡(バスタイ)と呼ばれる、
突き出した角の部分にあたるところだ。

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積み上げられたレンガを味わいながら
上ってみることにした。

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実はこの上のアパートには、
ベートーヴェンが住んでいた家がある。

【ベートーヴェンの家】
今はこんなプレートが埋め込まれている。

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ベートーヴェンは、
生涯に80回以上も引越をした

そのベートーヴェンが、
ここには約10年間(1804-1815)も
住んでいたという。

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生涯でもっとも長く住んでいた家
このアパートの5階。

いまは記念館になっているが、
他の部屋には、普通に人が暮らしている。
なので、記念館の呼び鈴も
他の住人と同じもので特殊なものではない。
(左列、上から三番目のボタン)

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「運命」の名で知られる交響曲第5番、
テレビドラマ「のだめカンタービレ」で
一躍知名度の上がった交響曲第7番、
大戦後の1955年、国立歌劇場の
修復完成記念の演目に選ばれた
オペラ「フィデリオ」、そのほか
ピアノソナタ「告別」、
ピアノ曲「エリーゼのために」、
など多くの曲がここの部屋で作曲された。

 

【Musikhaus DOBLINGER】
音楽の都ウィーン。
夫婦ともに多少なりとも楽器を嗜むので、
ウィーンの訪問記念に
楽譜を買って帰ることにした。

事前に楽器仲間に教えてもらっていた
「譜面屋:DOBLINGER」を訪問。
「MUSIKHAUS」の字面がなんとも誘惑的だ。

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旧市街のど真ん中。

ドイツ語はぜんぜん読めないが、
五線譜はいい。
まさに言葉の壁がない。

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品揃えといい、在庫の量といい、
さすがウィーン。
楽器を肩に掛けたお客さんも
何人かいる。
しかも店内、楽器、編成ごとに
譜面がよく整理されているので、
初めて訪問する外国人でも、
迷わずターゲットに辿り着くことができる。

そのうえ、各譜面がオープンで、
実に見やすい。
(日本で輸入譜面を買いに行くと、
 ひとつひとつが袋に入っており
 かなり選びにくいことが多い)

引き出しを開け
パラパラとページをめくり
次々に内容を見ることができる。

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ただ、楽譜としては読めても
自分が演奏できない譜面が多いのは
なんとも悲しい。

まぁ、実力の低さをこの時点で
嘆いてみてもしかたがないので、
「これならできそう」の譜面を探す。

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このお店、広い店内が
大きくふたつに分かれている。
ひとつは譜面エリアで
もう片方は音楽関連グッズエリア。

夫婦それぞれ小品の譜面と
譜面用クリップなどの小物を購入。

音楽の都ウィーンで買った音楽グッズ。
だれでもない自分自身への
いい土産になった。

 

 

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2018年5月13日 (日)

オーストリア旅行記 (38) カフェ文化

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オーストリア旅行記 (38) カフェ文化

- ひとりでいたい、でも仲間が必要だ -

 

ウィーンの文化と言えば、
やはりこれに触れないわけには
いかないだろう。

カフェ文化。

【カフェ フラウエンフーバー】

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Café Frauenhuber
ウィーン最古のカフェ

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夕日を背に外のテラスで食事をしたが、
食事のあと、
店内の写真を撮らせてもらった。

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女帝マリア・テレジアの料理人
フランツ・ヤーン(Franz Jahn)が
1788年に開業。

1788年にはモーツァルト
「ヘンデルのパストラーレ」を

1797年にはベートーヴェン
「4本の金管楽器とピアノのための5重奏」

をここで演奏。

特に、モーツァルトが公衆の面前で
ピアノ演奏を行ったのは、
ここが最後になったらしい。

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モーツァルトとベートーヴェンが
演奏したことのあるカフェ
というだけで、
もう寄らずにはいられない。

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落ち着いた店内の雰囲気に
まさにピッタリといった感じの正装で、
丁寧な接客をする
ケルナー(ウェイター)さんが
ほんとうに印象的。

かなりなご高齢と思われるが、
所作と言うか身のこなしが美しく、
まさにプロフェッショナル。

ワイワイと
各国からの観光客が多くても、
店の独特な空気感が
キッチリ守られていることが、
なんとも気持ちがいい。

 

【カフェ ブロイナーホーフ】

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カフェ「Café Bräunerhof」

ここにも、多くの芸術家が
集(つど)っていたと言う。

ところで、
「ウィーンといえばカフェ」
と言われるほどにウィーン文化を
代表しているもののひとつがカフェ。

「文化」と呼ばれるまでの
その独特な存在意義を
下記の本を参照しながら
覗いてみたい。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

まずは起源から。

 ウィーンといえば、
即座にコーヒーやカフェを
思い浮かべる人も少なくないだろう。

確かに、ウィーンは、
東方に起源をもつ
この「黒いスープ」を、
ヨーロッパで最も早く
普及させた都市
であった。

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ウィーン風コーヒーや
カフェの起源については、
数多くの伝説が
まことしやかに語り伝えられている。

たとえば-

1683年、
トルコ軍によるウィーン包囲の際、
トルコ語の才能を買われて伝令となり、
敵陣に潜入して
皇帝軍を勝利に導いた
コルチスキーが、戦後、
トルコの野営地に放置された
コーヒー豆を得て、
ウィーン初のカフェ・ハウスを
開店したというエピソードは、
あまりにも有名である。

しかし実際には、
このコルチスキーより以前に、
都市在住の東方商人らを相手に
コーヒーを出す店が、
すでに存在していたようだ。

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すでに18世紀には、
カフェはウィーンの名物、
見どころのひとつに
数えられていた。

1720年に開業し、
国内はもちろん、全ヨーロッパの
主要な新聞・雑誌を常備していた

「クラーマー・カフェハウス」は、
やがて首都の知識人の結集地となった。

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こんな感じで、どこのカフェでも
新聞や雑誌が読み放題になっている。
特に新聞のフォルダが印象的。

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ただ、

 薄暗く狭い店の中、
大テーブルに相席で押し込まれた
大勢の客が、
騒がしくひしめき合う。

多くの風刺画や銅版画が
今日に伝えるように、
これが、18世紀前半までの
カフェの日常風景であった。

それが大きく変化を始めるきっかけが
18世紀、後半に起こる。

 こうした状況が
変化を見せはじめたのは、
1780年代のことである。

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皇帝ヨーゼフ2世による
飲食店営業規制穏和の結果、
カフェの数がさらに増大すると、
多くの店主たちは、
生き残りを賭けて大改装に着手
した。

内装は上流階級のサロンに擬せられ、
採光が不具合な立地でも、
クリスタル製の
豪華なシャンデリアが
明るく照らすようになった。

目抜き通りに面した店では、
軒先に植木鉢を並べた
「シャニ・ガルテン」、
今でいう
オープン・エアが創案された

オープン・エアのテラス席は
このころの発明だったわけだ。

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公共の場において追求される
個人の孤独


これこそ、その後、
19世紀から現在まで
人々を魅了し続けた、
ウィーンのカフェの
最大の特色にほかならない。

たとえば、20世紀前半に
活躍した文筆家で、
「カフェ・ツェントラール」をはじめ、
名だたる文学カフェの
常連としても知られる
アルフレート・ポルガーは、
カフェの魅力についてこう語った。

「一人でいたい、
 けれど、
 同時に仲間が必要だ。
 こういう人々が、
 カフェに通うのである」

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ちなみに、上の引用に出てきた文学カフェ
【カフェ ツェントラール】
は、こんな感じ。

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興味深いのは、歴史ある
「ツェントラール」のすぐそばに
これを発見したこと。

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ウィーンの人には
どんな風に見えているのだろう?

2001年末、ケルントナー通りに
第一号店をオープンさせたとき、
多くのウィーンっ子から、

コーヒーを
 紙コップで飲むなんて、
 あり得ない
」と、

猛反発を受けた
スターバックス・コーヒーが、
その後、若い世代を中心に
広く受け入れられ、現在、
市内に9店舗を展開している事実もまた、
ウィーンにおけるカフェ文化の変遷の、
その一面を象徴しているのかもしれない。

 

 

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2018年5月 6日 (日)

オーストリア旅行記 (37) オーストリア国立図書館

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オーストリア旅行記 (37) オーストリア国立図書館

- 圧倒的な迫力と美しさ -

 

ハプスブルク家・旧王宮の中の
見どころのひとつが
オーストリア国立図書館だ。

 

【ヨーゼフ広場】

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ちょっとわかりにくいのだが、
国立図書館の入り口は
ヨーゼフ2世の騎馬像のある
この広場に面している。

地味な階段を上ると
いきなりこの光景が眼に飛び込んでくる。

【オーストリア国立図書館】

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世界で最も美しい図書館と
称されることもあるらしいが、
一歩足を踏み入れただけで、
その迫力と美しさには圧倒される。

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「Prunksaal:プルンクザール」
(豪華なホール)と呼ばれる空間は、
とても図書館とは思えない雰囲気。

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古い本がビッシリと並ぶさまは
タイプスリップした映画の世界。

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ここは
マリア・テレジアの父、
カール6世が作らせたもの。
中央の像がカール6世。

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オーストリアバロックの巨匠
シェーンブルン宮殿も手がけた
フィッシャー・フォン・エルラッハの設計
その息子のヨーゼフ・エマヌエル・
フィッシャー・フォン・エルラッハが
1723~1737年にかけて建築。

「息をのむ」という表現しか浮かばない。

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中央の丸天井のフレスコ画は、
宮廷画家ダニエル・グランによるもの。
この部分は高さが約29mもある。
8つの楕円窓からの光で
みごとに絵が浮かび上がっている。

Libdome

 

広間の大きさは、全体で
幅約14m・奥行き約80m・高さ約20m。

宗教改革者マルティン・ルターの
著作コレクション
でも知られている。

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とにかくこの迫力と美しさは、
一見の価値がある。
ウィーン観光時の訪問先として
強くお薦めしたい。

 

旧王宮、国立図書館を出ると
「スイス宮」を通って
フランツ2世像のある広場に出るが
スイス宮と広場を結ぶ門は、
スイス門と呼ばれている。

【スイス門】

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フェルディナント1世が
ウィーンを統治した
1552年に建設された。

マリア・テレジアの時代、
スイス傭兵が警備していたことから
スイス門と名付けられたとのこと。

バチカンに残るスイス衛兵のような
派手な制服というか服装で
警備していたのであろうか?
ってそんなことはないか。

 

 

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2018年4月29日 (日)

オーストリア旅行記 (36) シュテファン大聖堂

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オーストリア旅行記 (36) シュテファン大聖堂

- 聖堂内での夜のコンサート -

 

 

【シュテファン大聖堂】

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市壁に守られていた旧市街にある
ゴシック様式の大聖堂。


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旧市街の
まさにど真ん中にあるこの聖堂は、
自然史博物館や歌劇場のような
リンク通り建設に伴った
都市拡張開発によって
建てられたものではない。

完成は古く、1356年。
136メートルにおよぶ塔の建設には
65年もかかったという。

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ハプスブルク家歴代君主の墓所でもある。

特徴あるモザイク屋根。

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北側に回って見上げると
ちょっと見えにくいものの、
こんなところにも鷲の紋章が。

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モーツァルトの結婚式、
そして葬儀
が行われた場所としても
知られている。

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旧市街の中心地ということもあって
ひっきりなしに観光客が訪れるせいか、
聖堂前には
「観光客向けコンサート」の客引き
妙に多い。

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皆、
モーツァルトを思わせる衣装を身に纏い、
次々と観光客に声をかけている。

何人かの客引きの話を
興味本位で聞いてみた。
私が聞いた範囲ではこんな特徴がある。

【曲目】
 夜のコンサートのプログラムは、
 モーツァルトやヨハン・シュトラウスを
 中心に超有名曲ばかり。
 クラシックファンでなくとも
 気軽に楽しめる選曲になっている。

【パフォーマンス】
 楽器による演奏だけでなく、バレエや
 オペラのアリアを一部組合せたりして
 エンターテイメント性に
 めいっぱい傾いた
 プログラムになっている。

【会場】
 どこも100-200名程度の
 小規模な公演ながら、
 会場はかなり魅力的。
 王宮の中の一部屋であったり、
 シェーンブルン宮殿の一室であったり、
 楽友協会内の小ホールであったり、
 ウィーン市内の魅力ある場所を
 フル活用している感じ。

【ドレスコード】
 会場は宮殿の一室であったりしても、
 ドレスコードはゆるゆる。
 ジーパン、スニーカでもOKと言っている。

【料金】
 定価(?)はあってないようなもの。
 「通常はコレだが、夫婦2枚なら」とか
 「同じ値段でワンランク上の席に」とか
 「お得感」を強調した提案を
 次々としてくる。
 本気で買う気ならかなり交渉できそう。

というわけで、
これはこれでエンターテイメントとして
十分楽しめそうではあった。
実際に行ったわけではないので、
肝心な演奏の質まではわからないが。

 

我々夫婦はと言えば、
こういった客引きとは全く関係のない
別な演奏会を聴きに行くことにした。

目の前、
シュテファン大聖堂内で開催される
室内楽。

【夜の演奏会前の大聖堂内】

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ちょうどこちらの都合にハマった
一晩だけの演奏会だったとは言え、
メインの曲が
ヴィバルディの「四季」となっていたので
これもまた観光客向けのプログラムの
ひとつだったのだろう。

それでも、気分としては
「いい演奏を」というよりも、
大聖堂内で音楽がどう響くのか、
その響きの中に身を置いてみることを
最優先にしてみたかった。

音響的に言えば
残響がありすぎであろうことは
容易に想像できたが、
そういったことも承知のうえで、
現地ならではの空気感に
浸ってみたかったのだ。

【リラックスした気分で集まる聴衆】

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実際の演奏を聴いてみて、
その思いは充分満たされた。

残響が多いとはいえ、
頭のずーっと高いところに
響きが浮遊するように残る感じは、
天井の高い大聖堂ならでは、だ。

モーツァルトの結婚式の時は
どんな響きで満ちていたのだろう、
と考えるだけでも楽しい。

ちなみに演奏のほうは、
ビオラの方がほんとうにうまかった。

小さな合いの手的旋律を
実に丁寧に演奏していて、
彼が弾くと、音楽がそこで
キュッと引き締まると同時に
グッと深まる感じもして
なんともいえず心地よかった。

やはりプロはすごい。
そしてどんな環境であれ、
生の演奏はいい。

 

 

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2018年4月22日 (日)

オーストリア旅行記 (35) カール教会と分離派

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オーストリア旅行記 (35) カール教会と分離派

- 「土地の雰囲気」がもつ許容力 -

 

今日は、リンク通り周辺の
2つの建物をきっかけに
「ウィーン分離派」と
その運動について少し紹介したい。

【カール教会 Karlskirche】

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建築家エルラッハの
バロック的理念が具現化された
彼の代表作「カール教会」。

大きなドームをいただく
楕円形の空間と
精緻な装飾が刻まれた二本の円柱が特徴。

岩崎周一 著
ハプスブルク帝国
講談社現代新書

(以下薄緑部、本からの引用)

にはこんな記述がある。

バロック文化は、
第二次ウィーン包囲以降に
ハプスブルク諸邦にあまねく行き渡り、
カール6世の時代に全盛期を迎えた。

とくに大きな成果が上がったのは
建築の分野で、
ヨハン・ベルンハルト・
フィッシャー・フォン・エルラッハ、
ルーカス・ヒルデブラント、
ヤーコプ・プランタウアーといった
優れた建築家たちが腕を振るい、
宮廷図書館、ベルヴェデーレ宮殿、
メルク修道院など、
「皇帝様式」の傑作を
あまた世に送り出した。

なかでも、
カールの発案に応えた
諸身分の献金により建立された
カール教会(1737年落成)は、
王権・カトリック教会・諸身分の
「三位一体」により成立していた
近世のハプスブルク君主国を
象徴とする
意味でも、
意義深い建造物である。

 

【カールスプラッツ駅】

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オットー・ワーグナー設計による駅舎。
路線のカラーである薄緑色を基調とし、
金装飾に特徴のある2つの駅舎が
向かい合って建っている。
黄金のヒマワリや緑の骨組みが印象的だ。
完成は1899年。

 

このオットー・ワーグナーこそ
「ウィーン分離派」と呼ばれる
芸術革新運動の中心人物のひとりだった。

「ウィーン分離派」とはいったい何?

参考図書
広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

の「分離派」についての章は、
山之内克子さん
書いている。
(以下水色部、本からの引用)

まずは分離派の簡単な説明から。

【ウィーン分離派】

1897年、
画家グスタフ・クリムトを中心とする
19人の芸術家たちは、
保守的・正統的画壇に反発し、
新しい芸術グループを結成した。

腐敗政治に抗議する若者たちが
都市を離れて山に籠もったという、
古代ローマの「民衆離反」
の故事に因んで
「分離派(ゼツェッシオン)」
と称した新グループは、
過去の様式を模倣することが
芸術の目的であった時代が過ぎ去った今、
芸術は自分自身のスタイルを
もたなければならない

宣言したのである。

「時代にはその芸術を、
 芸術にはその自由を」

の標語が掲げられていたという。


【画家クリムトと建築家ワーグナー】

クリムトが
「裸の真理」で描いたものは、
時代の真実を反映するという、
社会における芸術の
本質的な課題にほかならない。

そして、これこそ、
分離派の芸術家たちが
生涯保ち続けた制作目標であった。

画家クリムトが、
理想化された人体ではなく、
時には醜悪な姿を晒す裸体を通じて、
近代人の潜在意識を
呼び覚まそうとしたように、

建築の分野では、
オットー・ワーグナーが、
実用性と結びついた
美の形を追求した


建物における「真実」とは
「使いやすさ」であり、
芸術の使命は、
人間の実利的な要求を
満たすことである。

過去の歴史様式から「分離」して
新しい創造に向かおうとする
芸術革新運動。
当時、どんな勢いがあったことだろう。


【でも、実りの秋は・・・】

だが、分離流がウィーンにもたらした
芸術の「春」は、決して実りの秋を
迎えることはなかった


クリムトをはじめとする
多くの芸術家が、
表現主義や抽象絵画への一歩を
決して踏み出そうとは
しなかったからである。

歴史主義の装飾性を批判しつつ
彼ら自身、
ここから完全に離れることはなかった


(中略)

後にアメリカの現代建築にも
多大な影響を与えたワーグナーですら、
晩年に至るまで、
バロック建築のアプリケを連想させる、
花綵模様(ギルランデ)や
天使の装飾モチーフに固執し続けた。

ワーグナーは機能主義の見地から
「芸術は必要にのみ従う」
と主張していたが、
駅舎の写真を見ればわかる通り、
装飾そのものを
否定しているわけではない。

 

【土地の精神(ゲニウス・ロチ)】

だが、こうした装飾へのこだわりと、
純粋に抽象的なものに対する
関心の欠如は、
あるいは、
ウィーンの精神風土に関わる
特質
なのかもしれない。

ウィーン分離派の作品が、
フランスのアール・ヌーヴオ、
ドイツのユーゲント・シュティールとは
一線を画した、独特の魅力でわれわれを
惹きつけてやまない理由のひとつは、
土地の精神(ゲニウス・ロチ)」との、
この強固な結びつきのように思われる。

ワーグナーの代表作、
カールスプラッツ駅舎が、
18世紀初頭のバロック建築の傑作、
カール教会をバックに、
何の違和感もなくたたずむさま
は、
分離派芸術のこうした特質を、
ひときわ鮮やかに印象づける景観と
いえるだろう。

駅舎とカール教会、
実際の位置関係を見てみよう。
山之内さんが書く通り、
こんな位置関係でたたずんでいる。

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ちなみに、そのまま左に目を遣ると、
駅舎左奥には、
ウィーンフィルの本拠地
楽友協会も見える。

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ゲニウス・ロキ(genius loci)は
ローマ神話における
「土地の守護精霊」が原義だが、
「土地の雰囲気」「土地柄」といった
意味で使うことが多いようだ。

多彩な様式の建物が並ぶ
リンク通り周辺では、
どんな組合せをも許容してしまう
まさに「土地の雰囲気」がある。

 

 

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2018年4月15日 (日)

オーストリア旅行記 (34) 古楽器博物館(3)

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オーストリア旅行記 (34) 古楽器博物館(3)

- ヤマハが得たもの -

 

前回に引き続き
新王宮の中の古楽器博物館での
写真を挟みながら

ウィーン国立歌劇場管弦楽団と
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
楽器のエピソードを続けたい。

今回も、引用の文章は
挿入している写真の説明
というわけではない

その部分は承知のうえ
お付き合いいただければと思う。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

前回からの続き)
ようやく完成した
「日本製」ウィーンモデル。

その完成度と実績は
前評判を大きく覆していく。

 

【ヤマハ製 ウィーン式
 ホルン、オーボエ、クラリネット】

以前はプライドの高い
ウィーンの音楽家のなかで
日本人にコピーを器用に
 作る能力はあっても、
 心を表現する伝統ある本物は
 作れるわけがない

という意見が主流だった。

しかし今日では現実の結果を前に
「日本人だからこそ、
 このように優れた楽器を
 完成させられたのだ
」と、
まったく異なる評価が
語られるようになった。

 2010年現在、
ウィーン方式の管楽器のうち
ヤマハで作られているのは
ホルン、オーボエ、
そしてクラリネット
(中級クラスのモデルのみ)
だ。

ホルンは日本国内では
特注品となっている。

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「採算性がない」と、
多くの工房から見捨てられてしまった
ウィーンモデル。

ヤマハがやったからと言って
急に採算性があがるわけではない。

それでもあえて挑戦したヤマハ。

その過程と結果は、
採算以外の大きな価値を
ヤマハにもたらした。

 

【ヤマハが得たもの】

企業の収益だけを考えれば
成立しないプロジェクト
だが、

楽器メーカーとしての夢を追い、
音楽文化への貢献という
使命を果たし、
これらを通じて得られる
世界最高峰の音楽家との交流は、
ヤマハに単なる採算を超越した
価値とステータスを
もたらす
結果となった。

ウィーンモデルと呼ばれる楽器と
日本の楽器メーカ「ヤマハ」との物語を、
楽器博物館の写真を交えながら
3回に分けて続けてきた。

耳の肥えたウィーンの音楽家に
その価値をちゃんと認めてもらえた、
というのがなにより誇らしい、
いい話だ。

 

適当にペタペタと写真を並べながら
話を続けてきたが、
最後に楽器の写真だけ
もう何枚か貼っておきたい。

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こういった、「多」弦楽器は
ほんとうに多種多様。

演奏も難しいだろうが、
それよりもなによりも、
演奏前の音合わせ、つまり
調弦(チューニング)に、いったい
どれほどの時間がかかることだろう?

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どこで聞いたのかは覚えていないが
「リュート奏者が50年生きていると、
 45年はチューニングしている」
なんていう冗談交じりの話を
おもわず思い出してしまう。

そう言えば、似たようなものに
「オーボエ奏者が50年生きていると、
 45年はリードを削っている」
というのもあったかも。

いったい何が出典やら。
試しにググってみたが、
なにも引っかからないし。

いずれにせよ、
並べられた多くの弦楽器を
歩きながらゆっくり眺めていると、
「弦の本数」と「低音の取り込み」に
さまざまな挑戦のあとが見て取れる。

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通奏低音に特徴のあるバロック音楽が
低音を要求していたのかもしれない。
この共鳴箱は形も大きさも強烈だ。

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実物の展示とはいえ、残念ながら
生の音を聴くことはできない。
でも、どんな響きを奏でるのか
想像するだけでもたのしい。

一方で、
「今も演奏会で眼にすることがあるか」
を問いかけながら見てみると、
多くが淘汰されてしまっている。

普及し残る楽器と
博物館の展示品になってしまう楽器。

何がその運命を分けるキーなのだろう?

 

ちなみに、楽器以外の
関連小物も楽しめる。

たとえばコレ。
クラリネットのリードケース

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樹脂やグラスファイバー、
カーボンファイバーが登場する前の
チェロのハードケース。
正真正銘の木製。
こりゃ、重かったことだろう。

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最初に書いた通り、
この博物館は訪問者も少なく、
静かにゆっくり観られるので
楽器好きにはお薦め。

とにかくコレクションが膨大なので
時間には余裕をもって
お出かけ下さい。

帰るときも来る時同様
宮殿の大理石の空間を
夫婦で独占。

静かに歩くことができる。

P7159101s

なお、各楽器の説明書きは
ドイツ語のみなので
リアルタイムで詳しく知りたい方は、
グーグル先生にお供してもらって下さい。

もちろん「ドイツ語習得ののち」が
理想ではありますが。

 

 

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2018年4月 8日 (日)

オーストリア旅行記 (33) 古楽器博物館(2)

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オーストリア旅行記 (33) 古楽器博物館(2)

- 立ち上がった日本のあの楽器メーカ -

 

前回に引き続き
新王宮の中の古楽器博物館での
写真を挟みながら

ウィーン国立歌劇場管弦楽団と
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
楽器のエピソードを続けたい。

今回も引用の文章は
挿入している写真の説明
というわけではない

その部分は承知のうえ
お付き合いいただければと思う。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

前回は、
ウィーンフィルの弦楽器の特徴について
紹介したが、管楽器のほうも見てみよう。

【ウィーン仕様の管楽器】

ここでは昔ながらの
ウィーン仕様の楽器が
いまだに現役の楽器として
使用されている


現在も健在な
ウィーン方式の楽器は、
オーボエ
ホルンである。

トランペットトロンボーン
2010年現在まだわずかながら
使われているものの、
近い将来これら2楽器の生の音は
聞けなくなってしまいそうだ。

どれも昔からドイツ語圏の
オーケストラで愛用されていた
古いタイプのもので
演奏時のコントロールが難しいが、
捨てがたい独特の音色を持っている

P7159054s

 

【存亡の危機に直面する管楽器】

管楽器には寿命があり、
金管楽器などは30年程度使用すると
金属疲労のためステージでの使用に
耐えなくなる。

音そのものは出ても、
大ホールをすみずみまで満たせる
艶とパワーがなくなってしまう
のだ。

 戦後数十年を経て、
ウィーンのプレイヤーのみならず、
オーストリアの音楽文化の
存亡にも関わりかねない問題が
生じたのである。

もちろん誰もが手をこまねいて
傍観していたわけではなく、
ヨーロッパのめぼしい楽器メーカーに
打診が行われた。

しかし開発費がかさみ、
それを回収できる数は
どう見積もっても
売れるはずがない楽器を作ろう、
という会社は皆無だった


P7159082s

 ウィーンにも優秀な職人はいたが、
売れないものを作る気にもなれず、
楽器の品質は低下した。

そして時の流れとともに
職人の数も減り、
修理さえも思うにまかせないような
状況になってしまう

存亡の危機に瀕するウィーンの楽器たち。
劣化は誰にも止められない。

台数が期待できないというその採算性から
ヨーロッパの楽器メーカが躊躇するなか、
立ち上がったのは
日本のあの楽器メーカだった

 

【立ちあがるヤマハ】

最後に白羽の矢が立ったのが
ヤマハである。

ヤマハではこのために
新しい研究室を設置し、
1973年頃から
ウィーンフィル首席奏者の
アドバイスのもと、
トランペットホルンの開発を
スタートさせた。

その後1977年からは
オーボエの開発も追加される。

こうして完成された
ヴィーナーオーボエは
モデルとなったオリジナル楽器を
しのぐ優れた性能をもったもの
で、
愛用者も数多い。

P7159077s

ウィーン式の楽器を作ったことのない
日本のメーカが、繊細な楽器の世界に
いったいどうやって
アプローチしていったのだろう。

【既存楽器の徹底調査】

 楽器の開発は、
まず既存楽器の複製からはじまった。
だが数少ない貴重なオリジナル楽器を
分解するわけにはいかない


レントゲンを撮ったり、
その他さまざまな方法で
楽器の外径や内径を計測し、
それをもとに楽器の設計が行われる。

その数値をもとに製作した試作品を
プレイヤーの手にゆだね、
彼らの感想や助言を参考にしながら
細部の設計をミクロン単位で
変更した試作品を作り、
さらにその改良型を…という作業が
辛抱強く続けられた。

P7159070s

そしてついに、
日本製ウィーンモデルの完成を
迎えることになる。

 

【誕生!日本製ウィーンモデル】

金管楽器の場合は
素材となる金属の成分が長らく不明で、
先の見えない状況が続いていた


そんなある日ヨーロッパの工房で
修理の際に切り取られた
わずか数センチ角の破片が
ヤマハの研究室に届けられ、
ようやくその秘密を
解明することができた。

そこで明らかになったのは
想像していたよりも
 ずっと不純物が多い

という意外な結果であり、
この不純物こそが
楽器の豊かな音色にとって
必要な成分だったのだ。

不屈の努力のかいあって、
今日では
ヨーロッパ製オリジナル楽器の
短所までをもクリアした
日本製ウィーンモデルを
入手できるようになった

P7159081s

いったいどれほどの試作が
繰り返されたことだろう。

その後、
日本製の楽器は確固たる評価を
築いていくことになる。

 

 

 

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2018年4月 1日 (日)

オーストリア旅行記 (32) 古楽器博物館(1)

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オーストリア旅行記 (32) 古楽器博物館(1)

- 楽器を持たずにリハーサル!? -

 

ここに書いた通り
新王宮の中にある博物館のひとつに
古楽器博物館がある。

音楽の都ウィーンならではの
楽器コレクションで
楽器好きにはたまらない空間だ。

しかも写真撮影もOK。

場所も新王宮の中という
ウィーンの中ではある意味一等地。

ところがところが
行ってみると中はガラガラ。
訪問者がほとんどいない。

王宮の中なので、
展示室に向かう階段からして
大理石のこんな豪華な空間なのに、
ご覧の通り、歩いているのは
我々夫婦ふたりだけという
まさに独占状態。

P7159049s

楽器に興味のある方、というのは
全体から見れば
「少数派」ということなのだろうか。

おかげで
王宮の中を、楽器を眺めながら
ゆっくり静かに過ごす、という
贅沢な時間を満喫できので
個人的にはなんの不満もないのだが。

 

館内には、
シューベルトが愛用したピアノ(写真左側)

P7159073s

をはじめ、
ベートーヴェン、モーツァルト、
ブラームス、シューマン、リスト、
マーラーなどなど
歴史的な作曲家が使用していた楽器が
多数並んでいる。

ただ、それ以上に興味深いのは
図鑑や音楽の教科書でしか
目にしたことがないような
めずらしい楽器の実物が
数多く展示されている点だ。

P7159087s

以前見た、米国ニューヨークの
メトロポリタン美術館の
楽器コレクションも素晴らしかったが、
それをはるかに凌ぐ質と量。

 

とはいえ、珍しい楽器の解説を
一台一台できるほどの知識もないゆえ
今日は、
ウィーン国立歌劇場管弦楽団と
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
「楽器」についてのエピソードを
参考図書から引用しながら、
その間に
古楽器博物館で撮った写真を挟んで、
のスタイルで書き進めていきたいと思う。


P7159075s

つまり、引用の文章は
挿入している写真の説明
というわけではない

その部分は承知のうえ
お付き合いいただければと思う。

写真へのコメントは
[]で記していきたい。

 

[鍵盤楽器は鍵盤の多彩さだけでも
 おおいに楽しめる]

P7159079s

 

以前
ウィーン国立歌劇場管弦楽団と
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
関係について書いたが、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

を読むと、
この両楽団の「楽器」について
さらに興味深いことが書いてある。

【楽器は楽団所有】

ウィーンフィルならではの
美しい音は、
演奏に使用される楽器に
大きく依存している。

日本のオーケストラでは、
打楽器など
持ち運びができないもの以外は
演奏者各自が
自分の楽器を持ち寄って
演奏するのが当たり前だが、
欧米のオーケストラでは
「楽団所有の楽器」が
常にストック・管理され、
日常の活動ではそれらが使用される

P7159051s

[当然のことながら、
 今のピアノのような白黒の鍵盤が、
 最初から確定していたわけではない]

P7159052s

[多くの試行錯誤の歴史がある]

 

【会場に用意されている楽器】

ウィーン国立歌劇場には
歌劇場専用の楽器
が、

ウィーンフィルとしての
活動のためには
ウィーン楽友協会に
ウィーンフィル専用の別の楽器
準備されているのだ。

極端な話、団員は
手ぶらでリハーサルに現れても
まったく困ることはない

歌劇場用の楽器と
ウィーンフィル用の楽器が
それぞれの会場にいつも置いてある。
そんな運用になっていたなんて!

P7159060s

 

【楽友協会にある専用工房】

弦楽器に関しては
ウィーンフィルの事務局がある
ウィーン楽友協会
(ムジークフェライン)のなかに
工房があり、
1870年に建物本体とともに開設された
この工房で製作された楽器が
現在も年間数台のペースで
補充されている


今日のウィーンフィルの
弦楽器の核となっているのは
1870年から90年頃にかけて
ここで製作されたものだが、
弦楽器としては
まだ比較的新しいものと言えよう。

楽器が各会場に確保されているだけでなく、
楽友協会の中には、
楽器を製造する工房までもがあるらしい。
それなら、
調整や修理ももちろん御手の物だろう。

P7159063s

 

【弦楽器の特徴】

ウィーンタイプの弦楽器は、
楽器の胴体のもつふくらみが大きい。
横板にもたっぷりとした幅があり、
楽器の厚みが厚くなっている。
最大の長所は
アンサンブルに適していること
だ。

コンサートホールの最後列まで
明瞭に音が届くソロ楽器というよりは、
合奏した時にお互いの音が
よく調和し合うのである。

楽器に塗られるワニスの質も
イタリア製のものと少し異なっている。

ウィーンフィルのあの美しい弦の響きには、
こんな楽器の特徴も
大きく寄与しているようだ。

P7159069s

弦楽器だけでなく、
管楽器にもウィーン方式と呼ばれる
特徴ある楽器がある。

その独特な美しい音色は
まさに魅力のひとつだが、
その特徴ゆえに
難しい問題にも直面していた。

次回はこの話から始めたい。

 

 

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2018年3月18日 (日)

オーストリア旅行記 (30) ウィーン楽友協会

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オーストリア旅行記 (30) ウィーン楽友協会

- ウィーンフィルの本業は? -

 

国立歌劇場の話が続いたので、
関連して今日は
「ウィーン楽友協会」
を取り上げたい。

ここもリンク通りの建設に際して
作られた建物のひとつだ。
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の
本拠地として知られる大ホールがある。

P7179515s

竣工は1870年。
国立歌劇場のほうは1869年だから、
ほぼ同時期に完成している。

国立歌劇場は、
オペラとバレエのためだけの
劇場だが、
こちらはコンサートがメイン。
大小7つのホールがある。

P7179520s

ここで書いた通り、
歌劇場では作曲家マーラーが総監督を
務めていたこともあるが、
こちら楽友協会では、
1872年から1875年までの3年間
作曲家ブラームスが
指揮をしていたこともある。

そう言えば、先日
NHK Eテレの「らららクラシック」という
番組の中で

「世界一の楽団とも呼ばれる
 ウィーンフィルですが、
 なぜそう呼ばれると思われますか?」

という質問に、
ウィーンフィルの楽団長
ダニエル・フロシャウアーさんは

「世界一かどうかはわからないけれど、
 ブラームス、ブルックナー、マーラー、
 ワーグナー、ヴェルディが
 自分の作品を指揮したオーケストラは
 他にはありません


と答えていた。

確かにすごい面々だ。

この面々で棒年表を書いてみよう。
(数字は生年と享年。
 色は60歳までは20年区切り)

Gakuyu1

(ワーグナーとヴェルディって
 同じ年の生まれだったンだ。
 ブラームスの誕生はその20年後)

 

国立歌劇場と同様、
こちらもシーズンオフだったため
コンサートの聴衆のひとりとして
中を味わうことはできなかった。
(観光客向けのコンサート会場として
 使われているようではあったが)

というわけで、
残念ながら、外観のみの写真で。

P7179522s

黄金のホールとも呼ばれる大ホールは、
CDのジャケット写真ではお馴染みだし、
映画「のだめカンタービレ」でも
ロケ地として使われていたし、
ニューイヤー・コンサートの会場として
テレビに映ることも多いので、
ぜひ実際に入ってみたかったのだが、
というか、
ウィーンフィルのコンサートを
聴いてみたかったのだが、
まぁ、訪問に「真夏」を選んだ時点で、
このあたりは諦めざるをえない。

 

さて、世界的に有名なこの
ウィーンフィル
歌劇場でオペラの演奏をしている
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
との関係をご存知だろうか。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

に教えてもらおう。
(以下水色部、本からの引用)

オーストリアの文化使節とも
いわれるウィーンフィルは、
ベルリンフィルとともにドイツ文化圏の
名門オーケストラの双璧として、
その名を世界にとどろかせている。

 創立は1842年で、
楽団の歴史はもう少しで2世紀に
届こうとしている。

(中略)

見た目は普通のオーケストラと
何ら相違ないウィーンフィルだが、
内部はかなり特殊な形態となっている。

どんな事情があるのだろう?

一番の根本は、

ウィーンフィルといえども、
 その本業はあくまでも
 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 としての活動である


 しかし、明けても暮れても
 オペラやバレエの伴奏だけでは
 飽き足らない団員が
 コンサート活動を行うために
 任意に構成する、
 いわばサークルのような
 ものである


という点だ。

つまり、
いかに演奏の技量が優れていようとも、
またいかなる人物の
強力な紹介や推薦があろうとも、
外部からウィーンフィルヘ
直接入団する道は存在しない
のだ。

誰もが平等に
国立歌劇場のオーケストラに入団し、
オーケストラピットにおける
最低3年間の経験を積んだ後、
初めてウィーンフィルヘの
参加の是非が仲間たちによって
審議される。

本業はあくまでも
ウィーン国立歌劇場管弦楽団としての演奏。

自主運営としてのウィーンフィル。

常任指揮者を置かないことや、
コンサートの演目をメンバで決めることや
メンバがチケットオフィスで
直接お客様にチケットを売ることもある、
などなど、他のオーケストラでは
ちょっと聞かないような話が
ウィーンフィルにはいろいろあるが、
自主運営の精神がこのあたりに
関係しているのかもしれない。

 

 

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2018年3月11日 (日)

オーストリア旅行記 (29) ウィーン国立歌劇場(4)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (29) ウィーン国立歌劇場(4)

- 国が支え続けているオペラ -

 

国立歌劇場のガイドツアー報告の4回目。

【ロイヤルボックスと応接間】

P7158924s

皇帝も使っていた
ロイヤルボックスの応接間。

「今は記者会見の会場として
 使われたりもしています」
とガイドさん。

「この部屋は豪華ですが、
 時間貸しもしているんです」

「夜の二時間で約15万円」

「今度のお誕生会を
 ここでやってはいかがでしょう?」

 

部屋はドアの取手も象牙。

P7158925s

 

ロイヤルボックスのほうに移ってみよう。
さすがに眺めはいい。

P7158931s

P7158929s

P7158930s

 

【マーラーの間】

P7158933s

グスタフ・マーラーは
1897年から1907年まで
歌劇場の総監督を務めた作曲家。

個人的には作曲家としてしか知らないが、
指揮者としても活躍していたようだ。

この広間は、音響もいいので、
演奏会やリハーサルに使われることも
あるとのこと。

ここで、こんな写真を目にした。
年に一度開催されるという大舞踏会の様子。

P7158935s

舞台裏を案内された時、
舞台裏が50mもあるということに
驚いたが、この舞踏会では、
この50mをフル活用。

舞台と客席側を同じ高さにして
一体化

舞台裏、舞台、客席を繋げて
縦長の大きな一枚の床にし、
これだけの床面積を確保している。

夜10時からオープンニングセレモニー。
5500人が参加、朝5時まで続く
大イベントらしい。

 

【歌劇場正面2階のロビー】

P7158936s

ここには、
ヘルベルト・フォン・カラヤン

P7158939s

カール・ベーム

P7158942s

といった、
歴代総監督の像も置かれている。

日本語でのガイドさんは、
小澤征爾さんが2002年から2010年まで
音楽監督を務めていたことも
忘れずにちゃんと添えてくれていた。

P7158941s

ここで、歌劇場の総監督
音楽監督の代表的な方々と
劇場の大イベントを並べて
棒年表を作ってみよう。
(数字は生年と享年。
 色は60歳までは20年区切り)

Opera2

空襲で大破した歌劇場の
修復完成記念演奏会の指揮をしたのは
カール・ベーム。
この表を見ると、その時彼は
60歳くらいだったことがわかる。

マーラー、ワルター、
ベーム、カラヤン、マゼールと
10数年から20数年程度の差で並んでおり、
世代間の引継ぎが
順調に続いていることもわかる。

マゼール、アバド、小澤征爾は
ほぼ同世代で、
カラヤンと約20歳違いの
グループだということも。

それにしても、読者の皆様は
これをご覧になって
なにを思うだろう。

私が一番眼を奪われたのは
年齢差よりもなによりも
よく言われる
「指揮者は長生き」はほんとうだ
ということ。

棒を振る、というのは
よっぽど体にいいのだろう。

 

公演にはアーティストの他、
いわゆる裏方が約380人いて、
合計約1000人の人が関わっている。

ちなみに、年300回の公演をこなす
この歌劇場の年間予算は130億円。

チケットの売上でカバーできるのは
その約半分。

約半分は国家の税金から補助されている

なお、現在
ジェネラルスポンサーは、
トヨタのレクサス。
こんなりっぱなスポンサー表示が
劇場内通路にあった。

P7158943s

国家からの補助については、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

にもこんな記述があった。
(以下水色部、本からの引用)

長年にわたる浪費の末に
国庫が潤渇し、
帝国の周囲は敵ばかり、
という状態にあった
マリア・テレジア女帝の時代でさえ
「オペラなしでは
 このような街に住めはしない」と、
年間15万グールデンという
多額な補助金が
国庫より支給されていた。

音楽芸術を手厚く庇護する伝統は
今日に至るまで続き、
1930年代の世界大恐慌の際でさえ、
オペラに対する
国庫補助金がとだえることはなかった

日本企業がスポンサーとして
一部を支えていることは嬉しい事実だが、
伝統的に国家がオペラを
 しっかりと支えているんです

という話には感嘆の声があがっていた。

 

以上で
ウィーン国立歌劇場ガイドツアーは終了。

実際のツアーは
トータルで40分ほどのものだったが
盛りだくさんで
おおいに楽しむことができた。

「次に来る時は、
 オペラを観に来なければ」
との強い思いと共に
ガイドさんに礼を言い、
劇場をあとにした。

 

 

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