文化・芸術

2023年2月12日 (日)

平野啓一郎さんの言葉

(全体の目次はこちら



平野啓一郎さんの言葉

- 小説の映画化について -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを残しておきたい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2022年11月6日放送
平野啓一郎:妻夫木聡:窪田正孝

(以下水色部は放送からの文字起こし)

「映画の原作者」としての思いを
妻夫木さんが平野さんに質問する。

原作のものが映像化するということは
多々あると思うンですよ。

平野さんの立場から見て、
自分が生み出した
子どもみたいなものが
映像化する
っていうのは
どういう思いがあるンですか?

このあたり原作者によって
きっと感じていることは様々だろう。

僕はね、やっぱり同時代の
映画とか音楽とか
いろいろなジャンルのものから
影響を受けているンですけど、

自分の小説もそれと同じように
同時代のミュージシャンとか
映画監督とか
ものを作っている人が
僕の作品に反応してくれるってことは
やっぱりすごく嬉しいンですよね


だから
監督さんとかキャスティングとか
いろんなことには
口出しをしないことに
してるンですよね

映像化にあたっては、基本的に
「口出しをしない」タイプのようだ。

クリエイターに任せる。
そこには次のような思いが
ベースにあるようだ。

平野さん自身の声で聞いてみたい。

映画は
映画の作る人たちの作品なんで

僕はこうだと思って
映画もその通りなってたら
原作者としては
満足かもしれないけれど


ちょっとやっぱりなんか
映画としてはそれはうまくいってない
ってことなんじゃないかな、
って気もするンですよね。

関わった人たちの
クリエイティブなものが
反映される余地が
あんまりないってことなんで。

「原作者としては満足かもしれないけれど、
 映画としてはうまくいっていないのでは」
こう言える原作者って
どのくらいいるのだろう?

映画による新たな表現を、
クリエイターを信じて期待している原作者、
それは、映画を観る側にも要求される
ひとつの価値観だ。

クリエイティブなものに接するとき
ちょっと思い返したい言葉だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月15日 (日)

「作らす人」「育てる人」吉田璋也

(全体の目次はこちら


「作らす人」「育てる人」吉田璋也

- 民芸は事から生まれなければならない -

 

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

では、
柳宗悦、浜田庄司、棟方志功
バーナード・リーチといった人たちと
河井さんとのまさに「生きた」交流が
描かれている。

当たり前と言えば当たり前なのだが、
昭和初期、皆さんご存命だったわけだ。

もちろん民藝についても触れられている。

「吉田璋也さん」
と題された一節を読んでみたい。
昭和13年10月に書かれたものだ。

吉田璋也さんに関しては、このブログでも
「鳥取民藝美術館」の訪問記として
その業績について触れている。

日本初の民芸店「たくみ工芸店」を
昭和7年に開いた吉田さん。

吉田さんの「物の美」についての
関心の強い事は今更言うまでもなく、
これあればこそ吉田さんが立ち上って
来られたのだと思うが、

その後に頭をもたげた
「物の社会性」についての開眼は、
美についての関心の基礎の上に
更に大きな問題を建てることになり、
これが強く深く吉田さんを
動かして来たように思う。

この社会的任務の自覚が
吉田さんをいよいよ堅め
特徴づけて来たように思う。

美と社会性、
どういうことを言っているのだろう。
もう少し読んでみたい。 

この事は民芸がややもすると
美術の穴に落ち込もうとする
危険を防ぐ大きな力になっている事に
気が附いてよいと思う。

物で吉田さんは止っていられない。
物が美しいならば
それだけその物は
吉田さんに喰い入って
何かの仕事へ推進さす
打撃に変形する。

受取った物で止っていられない。

受けたならば何かの形にして
投げ返さずにはいられない。

吉田さんは誰によりも
それを社会に投げ返そうとされる

「社会に投げ返す」
吉田さんはまさにそれを
実行できる人だったわけだ。 

これはこれからの民芸にとって
非常に仕合せな事だと思う。

美術は物から出発し、民芸は事から
生れなければならないからだ


事実民芸は物よりも事に
重きを置かなければ育たない。

だから吉田さんは作る人のように
物が最後的ではない。

流布しない、
また流布させられない物は
民芸にならないからだ。

「美術は物から、民芸は事から」か。
なるほど。おもしろい表現だ。

吉田さんは作る人のように
物を慴(おそ)れられない。

物の上での少々の間違いは
気に懸けられない。

是正は民芸の道だからだ。

作り損ったら作り直さす。

出来そうもないと思っても
作らして見る。

作って見たい物は
一刻も猶予しない。

こういう冒険家であり、
実行家であり、企画者
なのである。

これが民芸の母としての
吉田さんを体格づけている
骨組なのである。

ここに「作らす人」としての
吉田さんの面目がある

ここに書いた通り、
鳥取民藝美術館の理事は
「すごいと思うことですが、
 璋也は職人たちの生活のため、
 自分が作らせたものを
 すべて買い取ったんです


 それを売るための場所が
 必要だったんですね」
とたくみ工芸店のことを語っている。

吉田さん位堅固に
自分を仕立てていられる人は珍しい。

たくみ工芸店は
その意志を代表している。

今時利益を立前としないで
店を作るなどといったなら
笑われるであろう。

それを作って到頭今日迄
育て上げて来られたのが
吉田さんである。

これは全く生優しい事ではない。
ここに「育てる人」としての
吉田さんの面目がある

「作らす人」であり
「育てる人」であった吉田璋也。
たくみ工芸店は、
90年を越えて今も生き続けている。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月 8日 (日)

「陶器が見たピカソの陶器」

(全体の目次はこちら


「陶器が見たピカソの陶器」

- 未だ招かれざる客なのか -

 

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

には、
「陶器が見たピカソの陶器」
というたいへん興味深い文章がある。
昭和25年1月に書かれたものだ。

河井さんは、ピカソが焼いた
「楕円皿の色写真十幾枚ばかり」
を見て、その印象を語っている。

何れも見応えのあるものばかり、
そのあるものは
何という絵の生ま生ましさだ。
確かさだ。自由さだ

やはり絵の力を大きく感じている。

ある皿に対しては、

何という素晴らしい
これは新鮮な生命
なのであろう。
よくも使いこなせた
あの不自由な土や釉薬。

と賛辞を送っている。

でも、別なある皿に対しては、

だがピカソが性格を持っているように、
楕円皿もまた性格を持っていることを
誰も見逃さないであろう。

そうだ、陶器だって一つの生物なのだ

一見誰もピカソがいきなり皿の中に
踏み込んでいる素晴らしさに驚く


そうだ、ピカソ程全身をあげて
陶器へ踏み込んだ画人を
自分は知らない。

と書き出して

しかしよく見ると
皿は彼を許してはいない

ピカソは歌ってはいるが
皿は和してはいない

この協和しない性格の二重奏は
どうしたことなのであろう。
陶器の方からすればピカソは明らかに
未だ招かれざる客なのは遺憾である。

と続いている。
「彼を許してはいない」
「皿は和してはいない」
「招かれざる客」
と厳しい言葉が並ぶ。

陶器は
彼が陶器の中に待たれている自分を
はっきり見付けてくれるのを
待っている。

ピカソは権利を行使はしているが、
当然負うべき義務を
忘れている
ようである。

一見彼に征服されたように見えても、
よく見ると陶器は服従はしていない

なんとも表現がおもしろい。
どんな皿なのか。
想像してみるだけで楽しくなる。

別な皿の感想も見てみよう。

輝く釉薬の微光の中に
呼吸しているあの静物 -

知っていながら
形を無視したあの意気込。
その意気込はよく解る。-

しかしこれは
形を無視したこと自体のために
皿もまた絵をはね返すより
他に仕方がない


いって見れば皿もまた
絵を無視しているのだ。

これはこれ皿の敗北であると同時に
絵の敗北でなくて何であろう


こういう皿は
未だ他にも沢山あった。
二つが一つになりきれない
相互の失望。

「皿の敗北であると同時に絵の敗北」
こちらにもまた厳しい言葉が並ぶ。

そもそも陶器に絵を描くこと自体、
「陥し穴」とまで言っている。

大体陶器に絵を描くなどということは、
絵を殺しこそすれ
決して生かしはしない


これは陥し穴なのだ。

流石にピカソは落ち込んでも
生きている
。が、それも
紙やカンバスの上以上に
生かされてはいない。

と感想を率直に綴ってきた河井さんだが、
ピカソのこれから、にも
思いを馳せている。

ピカソはしかし今に
形を借りなくなるであろう。

それと新しく形を生み出すであろう。
少くとも陶器はそれを待っている。

具体的には
「形という性格を持たない陶板」

「彼の生命を焼き付けておくのに
 これ以上の相手はない」
と提案している。

厳しい言葉が並びながらも
陶芸に挑戦している作家への目は
ほんとうにあたたかい。 

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月 1日 (日)

美しい物はどこから生れるか

(全体の目次はこちら



美しい物はどこから生れるか

- 河井寛次郎の本の「序」 -

 

2023年が明けた。新年、
新たな気分で背筋を伸ばしたいときは
名文を読む、というのもいいものだ。

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

は、河井寛次郎が
昭和6年から28年くらいにかけて
書いた文章を集めたものだが、
その「序」がほんとうにカッコいい。

新年、まさに「声に出して読みたい」
日本語だ。短いので紹介したい。

昭和28年秋に書かれたもののようだが
約70年前を感じせない勢いがある。

ここに集めた一連の章句は、
色々な作物の裡に隠されている
背後のものを求めての
私の歩みの一部である。

と同時に、
美しい物はどこから生れるか
という事を見せられてきたこれらは
その内の僅かであるが
その実例でもある。

材料と技術とさえあれば、
どこでも美しい物が出来る
とでも思うならば、
それは間違い
であると思う。

焼き物を中心に、
作品に出会い、人と出会い、
各地の窯場を訪問した河井さんが
見たもの、聞いたものを
丁寧に綴った本文を読むと
河井さんが何に「美しさ」を見ているのか、
感じているのか、が
読者にじんわりと伝わってくる。 

人は物の最後の効果にだけ
熱心になりがちである


そして物からは
最後の結果に打たれるものだと
錯誤しがちである。

しかし実は、直接に物とは縁遠い
背後のものに
一番打たれているのだ
という事の
これは報告でもある。

「よい物を作りたいならば、
 それに相応する暮しに帰るのが
 近道ではないか」
という浜田庄司の言葉も
本文にでてくる。

材料と技術とさえあれば、
美しい物ができるわけではない。
美しいものを作り出す「背後のもの」とは
なんだろう。

もちろんそれは作者の暮しに
おおきく関係するものだけれど、
ひと言で表現することは難しい。

「最後の効果だけ」でなく、
「背後のもの」を感じる豊かさ。

勢いのある「序」は、たった1ページで
読者を本文に引き込んでしまう。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

2022年12月11日 (日)

経(たて)糸は理知、緯(よこ)糸は感情

(全体の目次はこちら



経(たて)糸は理知、緯(よこ)糸は感情

- 手を返す瞬間に見える色がある -

 

♪ たての糸はあなた
  よこの糸は私
  織りなす布は
  いつか誰かを
  暖めうるかもしれない ♪

「糸」中島みゆき作詞作曲

は、30人以上の歌手に
カバーされているだけでなく、
もはや平成時代のスタンダード
という感じだが、
たての糸、よこの糸ということでは、
染織家の築城(ついき)則子さん
印象的な言葉を残している。

ちょっと紹介したい。

 

2022年11月29日朝日新聞の「ひと」欄に

 「小倉織」を復元し
 特産工芸品に育てた染色作家
 築城則子(ついきのりこ)さん(69)

の記事があった。
(以下水色部記事からの引用)

かつて帯やはかまとして
全国で珍重された木綿布の小倉織だが、
昭和の初期、
戦争や工業化の波を受けて消失した。

骨董店で偶然に小布に出合い、
工業試験場の電子顕微鏡で
分析したデータを手がかりに

築城さんは小倉織の復元に挑戦する。

織機や模様の表現に改良を重ねて
1984年に完成。
極細の糸が幅1センチに60本も詰まり、
鮮やかなグラデーションを生み出す。

 

築城さんは、11年前
2011年10月3日朝日新聞「be」でも
取材されており、小倉織と染織の魅力を
もう少し詳しく語っている。
(以下緑色部記事からの引用)

伝統あるものは、その時代において
アバンギャルドな試みをしていたはず。
同じことを繰り返していたら、
次につながらない。
今の感覚を注ぎ込むことが創造であり、
伝統
だと思うのです

そんな築城さんと染織との出合いは
能の装束。

文学部で近世演劇を勉強しようと思い、
歌舞伎や浄瑠璃、狂言、能に
のめり込みました。
能楽堂には
能装束が展示してあるんです。

静かな舞に、
装束の果たす役割はすごく大きい。

いろんな色を詰め込んであるのに
ゴチャゴチャせず、
一筋の色が見えてくる。

手を返す瞬間に見える色がある

私も、そんな色の世界を表現したい、
色を染めて織りたい、と思いました。

能の舞の中に一瞬見える色、
「手を返す瞬間」とはなんとも美しい。

普通の織物は
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の
ミックスした味わいがあるけれど、
小倉織は経糸だけの純粋培養というか、
明確でシャープ


色の魅力を100%引き出してくれる。
それが私の好みとピッタリ合って。
ヨコシマな気はありません(笑)。

「織りの工程」を考えると
最初に確定されるたて糸と
順に織り込まれていくよこ糸とでは
その役割も表現できるものもずいぶん違う。

「経糸は理知、緯糸は感情」って、
よく言います。

緯糸は
思うままに織り進められるけれど、
経糸は
最初からデザインを完結させ、
ねらいを定めないと織れない。

なるほど。
「たて」と「よこ」を表現する
そんな言葉もあるンだ。

♪ たての糸はあなた
  よこの糸は私 ♪

ここで歌詞を重ねることに
ナンの意味もないけれど、
一度知ってしまうと
織物の向きが妙に気になってくる。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2022年9月25日 (日)

私のなかの何かが健康になった

(全体の目次はこちら


私のなかの何かが健康になった

- ミヒャエル・エンデの言葉 -

 

「モモ」「はてしない物語」
などの作品で知られる作家
ミヒャエル・エンデに
子安美知子・子安文の母娘が
インタビューをしている

子安 美知子 (著)
エンデと語る―作品・半生・世界観
朝日選書 朝日新聞社

(以下水色部、本からの引用)


で、エンデはこんな話をしている。

私が音楽を聴いて、
理解すべきことがありますか?

(中略)

音楽に理解はいらない。
そこには体験しかない
私がコンサートに出かける、
そこですばらしい音楽を聴く。

帰り道、私は、
ああ今夜はある体験をした、という
思いにみたされている。

でも、私は、コンサートに行く前と
あととを比べて、
自分がいくらかりこうなった、
なんて思うことはありませんよ

そうでしょう?

りこうになったわけでもないのに
体験によって満たされるもの。

それはもちろん音楽に限らない。

シェークスピアの芝居
見にいったとする、そのときもです。

私はけっして、りこうになって
帰るわけではありません


なにごとかを体験したんです。

すべての芸術において言えることです

本物の芸術では、
人は教訓など受けないものです。

前よりりこうになったわけではない、
よりゆたかになったのです。

心がゆたかに - 
そう、もっといえば、
私のなかの何かが健康になったのだ、
秩序をもたらされたのだ。

およそ現代文学で
まったく見おとされてしまったのは、
芸術が何よりも治癒の課題を負っている
というこの点です。

前回書いた「芸術と医療は同じ?」
とまさに同じ視点だ。

「心が豊かになった」はよく使う表現だが
「何かが健康になった」
という表現はおもしろい。

でも、心満たされたとき
「元気になった」とはよく言う。
たしかに「健康」になっている。

薬でもないのに
免疫力を高め、元気にする。
芸術にはそういう力がある。

なのでエンデは、文学作品は、啓蒙や
何かを教えるために書くわけではない、と
はっきり言い切っている。

啓蒙ではなくて-啓蒙は、
最も非本質的な課題です。

啓蒙をねらうのだったら、
私はエッセイや、評論を書きます

あるいは
こうしたインタビューの形式とか。
人に何かを教える意図があったら、
小説や物語のオブラートに包んで
お渡しするより、
そのほうが適しています。

正しい知識を与えたいなら
エッセイや評論を書くよ、か。

一冊の本は、何かの思想の
お説教であってはならない、
と私はいいましたが、
それは著者がかかわった
思想の成果ではあるはずなのです。

一篇の詩は、知恵を
しのばせておく必要はないのですが、
知恵から生まれた
結果ではなければなりません。
が、
知恵そのもの、思想そのものが
顔出しするようであってはならない。

絵画でもおなじではありませんか。

あるいは音楽でも、彫刻でも-。

それらはすべて、
なにかの世界観に根ざした産物で
なければならない

作者の世界観が
文学や絵画や音楽や彫刻といった
形になり、そしてそれは
触れた人を広く「健康にする」作用がある。

芸術は、生物が本来持つべき「調和」を
取り戻すのに大きく貢献する
不思議な力を持っている。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2022年8月28日 (日)

実戦でまだ指されていないものが定跡!?

(全体の目次はこちら


実戦でまだ指されていないものが定跡!?

- 人類最高峰の頭脳の戦いが、 -

 

2022年8月19日の朝日新聞に
「女性初の棋士誕生なるか」
なる見出しで女流棋士の里見香奈さんが
8月18日から棋士編入試験に挑むことが
記事になっていた。

12歳で女流棋士となり、その後、
史上最多の通算49期のタイトルを重ね、
現在8つあるタイトルのうち5つを保持する
「最強の女流棋士」の里見さんでさえも、
年齢制限の26歳までに
奨励会を突破し「棋士」になることは
できなかった。

これまで奨励会を突破した女性は
ひとりもいないという。

ちなみに、2022年8月19日時点で
棋士は169人。全員男性。

里見さんが棋士編入試験に合格すれば、
まさに
 「女性棋士第一号」
となる。

将棋の強さ、だけでみる限り
「女流棋士」と「棋士」の世界は
少なくとも現時点では
全く別次元の世界のようだ。

 

では、その先、
棋士の世界のそのまた頂点では
今いったい
どんなことが起こっているのか?

すこし覗いてみたい。

 

2022年5月22日の朝日新聞に
「あっさり駒損 AI時代の定跡」
なる見出しで
今年2022年の第80期名人戦第4局について
大きな記事があった。
(以下水色部、記事からの引用)

A220522sai

勝った渡辺名人は、
これまで
「過去の実戦例から学ぶもの」
とされていた「定跡」は
誰もがAIを使うようになった現在においては
違うのだ、と明言している。

実戦では指されていなくても
 『AIで研究して、
  みんな知っているよね』
 というのが、今の定跡です」

副立会人の小林七段が思わず「ウソやん!」
と声を上げたほどの第4局の展開は
まさにこんな研究から
生まれたものだったようだ。

「実戦でまだ指されていないものが定跡」
って、我々はいったいどの時間を
生きているのだろう?

 

加えて、ご存知の方も多いと思うが
最近の対戦では、
テレビにしろネット中継にしろ
AIによる最善手とそのときの勝率が
リアルタイムで表示されるように
なってきている。

たとえば王位戦、
藤井聡太五冠対豊島将之九段の第一局
101手目、豊島の手番。

AbemaTVのAIは、34歩の一択、
あとは全部大逆転との御見解。

こうなると、テレビの前で
豊島ファンは
 「豊島、34歩だ、間違えないでくれー」
藤井ファンは
 「間違えろ、53桂成も美味しそうだぞー」
と声援を送ることになる。

AIによる候補手表示が登場する前までは、
まさにだれも近づけない
「ある意味、人類最高峰の頭脳の戦い」
を見ていたはずなのに、いまや、
視聴者全員に正解がわかっている当て物を、
対戦者が当てられるかどうかを見るだけの
安っぽいクイズ番組を見ているような中継と
なってしまった。

誤解をおそれずに言えば、
「志村、うしろ、うしろ!」と
叫びながらドリフのコントを見ている
子どもとおんなじ気分だ。
(ザ・ドリフターズのコントを知らない方、
 意味不明の表現をお許しあれ)

「人類最高峰の頭脳」が苦しみながらも
まさにフル回転して生み出してくる
渾身の一手、
そこにある驚き敬意畏怖
そして思いもしなかった世界を
見せてくれた喜び
それらは、いったい
どこに行ってしまったのだろう。

 

もちろんAI研究の面から見れば
すばらしい進歩と言えるだろう。

でも、その成果や今の利用方法って、
将棋愛好家が望んでいたものなのだろうか?

この記事に書いたように、
哲学者の森岡正博さんは
「無痛文明論」というぶ厚い本の中で

現代文明は
欲望が生命のよろこびを奪っている


と書いていた。

欲望を満たすことに夢中になり、
本来そこにあったよろこびが
奪われているのかもしれない。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2022年3月 6日 (日)

恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

(全体の目次はこちら



恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

- マスク生活があと2年続いたら -

 

東京、神奈川、埼玉、千葉、
大阪、兵庫、福岡の7都府県に対して、
最初の「緊急事態宣言」が発出されたのが、
2020年4月7日。

不要不急、お前だったのか
という記事をアップしたのが、
2020年4月12日。

まもなく、
マスク生活も2年になろうとしている。

最初のころは
「あっ、マスク」
と忘れて出かけそうになることも多かったが、
いまや
「外出時はマスクをして」が
すっかり習慣となっている。

私自身は、「在宅勤務」が多くなったため、
出社日数も大幅に少なくなっているのだが、
先日出社した際、小さな発見があった。
きょうはそのことを書いてみたい。

 

昼休み、久しぶりに同僚と2人で
会社近くのレストランに昼食に出かけた。

外食はほんとうに久しぶりだ。
お昼休みの時間帯、
ビジネス街のレストランの賑わいも
一時期に比べてずいぶん戻ってきており、
そのときも昼食の会社員で溢れていた。

当然のことながら、
食事中は男女を問わずマスクを外している。

「マスクをしていない人を
 こんなに大勢見るのは
 なんて久しぶりだろう」
そんなことを考えながら
ぼんやり店内を眺めていたら、急に、
普段マスクに隠されている
鼻と口って、なんてエロいのだろう、と
見てはいけないものを
見てしまったような、
不思議な気分に襲われた。

若い女性の口元だけではない。
女性も男性も、
会話をしたり、食べたりしているときの
裸の鼻と口ってなんてエロいのだろう

考えてみると
「恥部だから隠すのか、
 隠すから恥部になるのか」

ほんとうはどちらなのだろう?

「恥部だから隠す」に決まっている、と
漠然と思い込んでいたが
その確信が明らかに揺らいでいた。

よし、大胆にも
ここに自信をもって予測してしまおう。

「マスク生活があと2年続いたら、
 鼻と口は恥部となり、
 正視できないのはもちろんのこと
 恥ずかしくて人前で出せなくなる」


あと2年続いたら・・・

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2022年1月 2日 (日)

CD売上げ1/3でも著作権料総額は増加

(全体の目次はこちら



CD売上げ1/3でも著作権料総額は増加

- 音楽需要の変化はどこに -

 

明けましておめでとうございます。

備忘録を兼ねた
まさに気ままなブログではありますが、
今年もボチボチ続けていこうと
思っていますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

昨年末2021年12月18日の朝日新聞beに
「進化続けるルパンサウンド」
の見出しで、
アニメ「ルパン三世」の音楽を
作曲、編曲している大野雄二さんの
話が出ていた。

記事ではその件には触れられていないが
大野さんの名前を見て
あるトピックスを思い出したので
今年はその話から始めたい。

驚きのトピックスが載っていたのは

 烏賀陽弘道 (著)
 「Jポップ」は死んだ
 扶桑社新書

(以下水色部、本からの引用)

この本の中に、
日本音楽著作権協会(JASRAC)が
毎年度発表している
著作権使用料の分配金額ベスト3
の話が出てくる。

著作権使用料を稼ぎ出している曲
というわけだ。

実は大野さんが作曲した
「ルパン三世のテーマ'78」は
2015年のなんと3位に位置している

77年に作曲された曲が
38年後の2015年に
著作権使用料で第3位とは!

もちろん曲は
アニメを見ないような人でも知っている
よく知られた名曲だが、
それにしても数ある曲の中で第3位とは。
ちなみに2015年の第1位はAKB48の
「恋するフォーチュンクッキー」だ。

著作権使用料、
どうも単なるヒットチャートだけでは
説明できないようだ。

というわけで、
まずは、前提となる音楽市場の動向から
見ていきたい。

 

CDを中心としたディスク市場は
ここ20年で大きく変化した。

日本のオーディオレコード
(CDなど音楽を記録したディスク、
 テープなどの総称)市場の縮小は
深刻である。

過去最高を記録した
1998年には6075億円あった。

それがほほ毎年減り続け、
2016年には3分の1を切る1777億円である
(日本レコード協会)。

20年足らずで
市場の3分の2が消えてしまった

上記引用を含め、
本には数字がいくつも出てくるので、
本の数字を元に簡単な表とグラフを作成、
それらを挟みながら話を進めたい。
(元となる数字も用語も本からの引用)

  <表1 オーディオレコード市場>

Jpop1a

グラフにすると

Jpop1ga

1/3以下になってしまった
CD関連の減り具合はたしかに凄まじいが、
ネット配信等は増えているので
当然ながらこの数字の変化が、
直接音楽産業の衰退を
意味しているわけではない。

こういうとき、私が調べるのは
日本音楽著作権協会(JASRAC)の
統計
である。

同協会はテレビやCM、コンサート、
カラオケ、細かいところでは、
カフェや美容室のBGMで音楽を流せば、
その著作権使用料を徴収する。

そしてそのお金を著作権保持者
(作詞・作曲家だけではなく企業が
 著作権を持っていることもある)
に支払う。

そのための組織である。
その執行が厳格なことで知られる。

その「著作権使用料徴収額」の総額を
同じ1998年と2016年の比較で見てみよう。

  <表2 著作権使用料徴収額>

Jpop2a
Jpop2ga

グラフを見るとわかる通り
オーディオレコード市場に連動して
オーディオレコードの著作権使用料も
ほぼ1/3に減っている。

ところが、総額はむしろ増えているのだ。

何が増えているのだろう?

1998年当時はなかった
インタラクティブ配信、
つまりインターネット配信による
著作権使用料の約100億円は
もちろん今後も伸びるであろうが、
全体の伸びはこれだけでは説明できない。

JASRACの統計から、
1998年-2016年の期間に
2~3倍の伸びを示している項目を
書き出してみた。

テレビ、ラジオなど「放送等」やCATV、
「有線放送」あるいは「映画上映」などは
2.5~2.9倍の増加を示しているが、
これは需要が伸びたからというより
「料率を値上げしたから」というのが
同協会の説明である。

需要の伸び、で気になるのは
表2にある
「通信カラオケ」と「ビデオグラム」
である。

カラオケって増えているの?
ビデオグラムって何?

どちらについても
私の全く知らない事実が背景にあった。

到達できなかった大野さんの
「ルパン三世のテーマ'78」の話も含めて
次回、そのあたりについて紹介したい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年12月29日 (日)

CDの収録時間はどう決めた?

(全体の目次はこちら



CDの収録時間はどう決めた?

- ソニー大賀氏へのインタビュー -

 

令和元年もいよいよ年の瀬。

年末の風物詩
ベートーヴェン「第九」の演奏会は
今年もあちこちで開催されていたようだが、
「第九」で思い出した記事があるので
今日はその記事のことを紹介したい。

雑誌「レコード芸術」の
2017年12月号
に、
日本経済新聞社・文化事業担当の
小松潔さんが書いていた

伝説の検証
カラヤン《第九》説を
大賀氏は2度否定した
CDの収録時間は誰が決めたのか


という記事。

いわゆる「俗説」を検証した記事だが、
信頼できる相手に取材しているので
雑誌の一記事として埋もれてしまう前に
「記録」としてここに残しておきたい。
(以下水色部、記事からの引用)

「今から10年前」
で本文が始まっている通り、
まずは2007年のインタビューから
記事は始まっている。

 今から10年前、
ソニーのトップを長年務めた
大賀典雄さん(1930~2011)に
カラヤンの思い出話を開いた。

マエストロ生誕100年(2008年)を前に
『カラヤンと日本人』
(日経プレミアシリーズ)と題した本を
書こうと思い立ったからだった。

当時、コンパクトディスク(CD)の
規格として直径12センチとなったのは、
カラヤンがCD開発で先行していた
ソニー、フィリップスの2社に対し
「ベートーヴェンの《第九》が
 1枚に入るように」
と発言したことが
決定的な影響を与えた
という説が
一般に伝わっており、
その真偽を確かめたい
という思いもあった。

 カラヤンと大賀さんの交友関係は
すでに有名で、
カラヤンの最期(1989年7月16日)を
ザルツブルク郊外アニフの
マエストロ自宅で看取ったことは
クラシック・ファンならずとも
知っている。

 めったにメディアと
会わなくなっていた大賀さんだが、
カラヤンのこととなると、
すぐに時間を作ってくれ、
品川・御殿山のオフィスにあった
大賀さん専用の応接室で
懐かしそうにエピソードを語った。

さて、巷で広く語られていた
「カラヤン-第九」説に
大賀さんはどう答えたのだろう。

ほほ期待通りの内容だったが、
CD開発について、
カラヤンがその長さを
決める役割を果たしたのか
という質問だけは否定


予想外の返事だっただけに
そのバリトンの低い声は
鮮明に覚えている。


小松さんは、
「ソニー社史」も参照しながら
検証を進める。

 ネットで公開している
「ソニー社史」によると、
1978年6月、
大賀さんはオランダの
アイントホーフェンにある
フィリップス本社を訪ね、
オーディオ専用の
光ディスクを見せられた。

1982年に発売となるCDの原型である。
当時、
ソニーの副社長だった大賀さんは
フィリップスとの交渉の
先頭に立っていた。

新方式であるデジタル録音の媒体として、
ソニーは「まずはテープという形」
での普及を考えており、
フィリップスは
「光ディスクの実用化」を進めていた。

大賀さんも大量生産などを考えると
光ディスクのほうがいいと判断。

フィリップス側が想定するディスクは
11.5センチで
1時間の音楽が入ると説明を受けた。

 この11.5センチは
カセットテープの
対角線の長さと同じであり、
フィリップスは
持ち運びを考慮し
この大きさを提案したという。

これに対し、大賀さんは
「カセットの対角線に
 こだわる必要があるのか、
 そんなことに何の意味もない。
 中に入れる音楽が問題
と主張した。

1時間収録できれば
当時のLPレコードの代替にはなる。
しかし、一部のクラシックファンは
LPレコードに大きな不満を感じていた。

クラシック・ファンが
LPで不便に感じているのは《第九》や
長大なワーグナーのオペラなど
1幕の途中で盤面を
ひっくり返さなくてはいけないこと。

筆者が
「有名な話でカラヤンが
 《第九》が入るようにと
 言ったそうですが」
と水を向けると、
《第九》もそうだが、
オペラも1幕が入ることが大事
と強調
した。

カラヤン《第九》説を
否定する
とともに、
歌手出身の経営者らしく、
オペラのことが
強く念頭にあったという印象だ。

結果的に第九だけでなく、
オペラも考慮にいれた
大賀さんの提案が通る。

「直径12センチにすれば
 (収録時間は74分)、
 ワーグナー(のオペラの1幕)でも
 大概1枚に入る。

 フィリップスの会議室で
 白板を使い
 それを説明したわけです」

 インタビューで感じたのは、
ユーザー本位の発想だ。

音楽ファンがどうすれば
長大な交響曲やオペラを
最高の状態で楽しめるかを
第一に考える姿勢が、
大賀さんには備わっているようだった。


 結局、ソニー側の言い分が通り、
CDの直径は12センチと決まった


大賀さんはそのプロセスを語るなかで
カラヤンの名前には一切触れなかった。

 

その後、
「もう一度確かめたいという気持ちが
 強くなった」小松さんは、
大賀さんへの二度目のインタビューも
実現している。

そこでもう一度、
カラヤン《第九》説を聞くと、
以下の返事だった。

「フィリップスとの会議で、
 (CD親格の)いよいよ仕上げ段階で、
 だれにも
 ケチをつけられないようにするには、
 77、78分は必要と主張した。

 カラヤンは長さについて
 一切口出ししなかった。

 まあ、カラヤンが関与した方が
 話がおもしろいでしょう。

 でも、(カラヤンは)そんな
 長さを気にするような人ではなかった」

 大賀さんは終始一貫、
カラヤン《第九》説を否定した

「カラヤン-第九」説は、
やはり単なる噂だったようだ。

 カラヤンのCDに対する思い入れは
尋常ではなかった。

レコード産業の大勢が
CD開発に反発するなか、
ソニー・フィリップスの
記者会見に自ら出たり、
故郷ザルツブルクにCD工場を誘致したりした。

そういうマエストロとCDとの
強い結びつきが
「CDカラヤン《第九》主張説」を
生んだのかもしれない。

私自身はなぜか、同じ第九でも
伝説的名盤、1951年の
フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団の演奏
が基準になった、という説(? 噂)を
ずーっと信じていた。
演奏がちょうど74分ぐらいだったし。

どこで最初に聞いたのか
全く覚えていないのだけれど。

 

CD誕生の背景をまとめると、
《第九》の存在がその大きさを決め、
20世紀を代表する指揮者が
開発や普及を後押しした


筆者はそれで十分と感じる。
決定的な役割は
ソニーとフィリップス技術陣、
それに何より技術と音楽を知る
大賀さんが果たした。

 

小松さんはこんな言葉で
記事を結んでいる。

 インタビューでは
カラヤンに対する敬愛の念とともに、
ライバル心もしばしば感じた


飛行機操縦など共通の趣味のほか、
2011年4月、カラヤンと同じ
81歳でこの世を去った
ことも
二人の共通点として引き合いに出される。

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ