文化・芸術

2019年3月24日 (日)

卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

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卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

- 時代がみずからを表現するときの<器>として -

 

3月も終盤、
今年も全国各地の卒業式では、
さまざまな言葉が送られたことだろう。

ちょうど一年前になるが、
美術系と音楽系の卒業生、修了生を
送り出している
京都市立芸術大学の卒業式時
学長の鷲田清一さんが
卒業生に送った言葉は
興味深い指摘に富んでいる。

大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に全文が公開されているが、
今年の卒業式以降、
万が一消えてしまうと
あまりにももったいないので
公開されている間に、
印象的な部分だけでも
紹介させていただきたい。
(以降水色部、式辞からの引用)

 

鷲田さんは
美術系の卒業制作、
音楽系の演奏への賛辞のあと
こう繋いでいる。

 ただ,その才能は,あなたがた
一人ひとりのものではありません。

才能(talent)という語には
よくgifted
(「恵まれた」とか「天賦の」)という
形容がなされるように,
それはあなたがたに
贈られたものでもある
のです。

「原石」は,それを磨いてくれる人,
磨かせてくれる環境,
さらにはそれを磨くことに
専念させてくれる人びとの支えが
あってはじめて輝きを得ます。
そういう意味で,
贈られたものなのです。

そして、「贈られた」ということには
もう一つ,別の意味も 含まれていると言う。

贈られたものは
贈り返されねばならない
という,
言ってみれば
「義務」ないしは「責任」のことです。

「義務」や「責任」というと,
日本語では
とても堅苦しい感じがしますが,
「義務」は英語ではobligation。
興味深いことにこの語には
「恩義」や「感謝」という意味も
あります。

(中略)

そして次に「責任」。
日本語では責めを負うといった
厳しい意味でありますが,
英語ではこれはresponsibilityです。

この語を分解すると
respondとability。

つまり誰かの訴えや促しに
応じることができる,

あるいは応える用意がある
ということです。

もういちど言いますが,
才能を贈られた人には,
この贈り返すということが
「義務」ないしは「責任」としてある

ということです。

 

そして、「私」とは
決して独立しているものではなく、
時代や歴史と深く繋がりながら
存在していることを
改めて指摘している。

じぶんの個人的な傷や不安も,
表現行為も,
このようにことごとく
時代のなかにあるということを,
しかと見つめてほしいのです。

 「わたし」というのは,
銘々がそう思っているほど
確固としたものではありません。

「わたし」の表現とは,じつは
「わたし」の存在が負っているもの
すべての表現でもあります。

その意味で
いかにプライベートに見える表現も,
同時に「時代」の表現
なのです。

 そう考えると,
制作する「わたし」,
演奏する「わたし」とは,
じつは時代が
みずからを表現するときの
<器>
のようなものだ
ということになります。

そういう<器>として
「わたし」に何ができるのか

みなさんにはそういう視点を,
いつも持っていてほしいと思います。

 

<器>に繋がる話として、
鷲田さんは、
歴史社会学者の山内明美さんの
エピソードを続けている。
山内さんは
『こども東北学』という本のなかに
こう書いているという。

放射能汚染の不安が
日本社会を覆いはじめたとき,
わたしがいちばんはじめに
感じた違和感
は,
いま起きている土と海の汚染が,
自分のからだの一部で
起こっている
ということを
誰も語らないことだった。

遠くの災いみたいに話をしている。

なぜなら、山内さんは、
震災をきっかけに東北の歴史を
あらためて辿り、
「衝撃をもって」
以下のことに気づいていたから。

かつて冷害や干ばつで
たえず飢饉の不安に苛まれてきた
この地方にあって,
土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと感じる,

そうした土や海と人とのつながりを,
魚や野菜や穀物と人とのつらなりを,
この地の人びとがもっていた

ということです。

そういう人たちであれば,
土や海の汚染も「遠くの災い」ではなく,
わが身の痛みとして感じたはずだ
というのです。

かつてはあった、雨を、
じぶんの体が「福々しく」
膨らむことと感じる
「感受性」。

それもまた重要な<器>だ。

 ここから,
<器>という考え方の持つ,
さらにもう一つの重要な意味が
浮かび上がってきます。

<器>はつねに
何かによって充たされるのを
待っているということです。

芸術についていえば,
先ほども少しふれましたが,
絵画であれ,彫刻であれ,
デザインであれ,演奏であれ,
つねに「表現」ということが
問題にされます。

「表現」とはexpression,
この語を分解すれば,
内にある何かを「外へ」と
「押し出す」ということです。

「表現」行為に
取り組んできたみなさんは,
だから何を「表現」というかたちで
外へ押し出すかを
ずっと考えてこられた
ことと思います。

けれども<器>という考え方は,
これとは違います。
<器>は何か別のものに
充たされるのを待つからこそ,
<器>なのです

先の山内さんは

土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと
感じられるような感受性を
なんとか回復したい
と言っていました。

鷲田さんは強調する。

芸術的な資質とは,
まさにそうしたものでは
ないでしょうか。

詩人がしばしば,
言葉を探すのではなく,
言葉が降りてくるのを待つ
という言い方をするのも,
きっと同じことを
さしているのだと思います。

「外へ押し出す」expressionこそが、
まさに芸術であり、表現だ、
と考えて、悩んできた学生は多いであろう。

その学生への最後のメッセージに、
「充たされるのを待つ<器>」を
説く学長。

問題提起の価値は大きいと思う。

でも,みなさんにはどうか,
芸術を人生の軸として生きるとは,
独創的な表現の
<主体>になることではなくて,
社会の<器>になることだ
ということを
心に留めておいてほしいと思い,
あえて長々しい話をしました。

繰り返しになるが、
鷲田さんの式辞全文は
大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に公開されている。

詳しく読んでみたい方は、
全文を参照下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年3月17日 (日)

大塚国際美術館 (4)

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大塚国際美術館 (4)

- 本物を観るということ -

 

前回に引き続き、
徳島の大塚国際美術館の魅力について
もう少し話を続けたい。

 

これまで3回にわたって
他に類のない「大塚国際美術館」
訪問時の驚きを紹介してきた。

 

この美術館、
常設展示スペースも日本最大級
(延床面積 29,412m2
 参考までに
 国立西洋美術館で 17,369m2
 京都国立近代美術館で 9,983m2 だ)
でゆったりしていて、いい。

ただ、広大なうえに、
見どころ満載の作品が多いので
結局、休まず3時間かけて歩いても
一通り回り切ることすらできなかった。

「これはすごい!」
「絶対、観る価値あり!」
「行ってよかった!」
と小学生のような言葉しか浮かばないのは
なんとも情けない限りだが、
初回に書いた
知人の言葉にウソや誇張がなかったことは
確かだ。

一方で、陶板作品に引きこまれながら、
本物を観る、とは
 いったいどういうことなのだろう?

をずーっと考えながら歩いていた。

 

ひとつ目は「劣化」をどう捉えるか、
という点。

たとえば「モナ・リザ」の場合、
現在の我々が「本物」という時、
それはすでに描かれてから
約500年が経過したものを指している。

当然描かれたときとは、特に色は
大きく変化してしまっているはずだ。

500年後の本物を観ていることは事実だが、
少なくとも描かれた時点の絵とは
ずいぶん違っているはずだ。

逆にこれから先、
つまり将来を考えると
ここで陶板上に再現された作品は
多くの場合、本物より劣化の進行が遅い。

「2,000年もつ」と館長も言う通り、
これから先は、劣化において
本物が陶板名画を追い抜いてしまう。

本物は劣化していくのに
陶板名画はそのままでほぼ変化なし。
つまり
「今はそっくり」でも
100年後はズレてしまう、とも言える。

入館時にもらった「観覧ガイド」には
初代館長大塚正士さんが
こんなことを書いている。
(以下水色部、大塚さんの言葉の引用)

・・・ 実際には学生の時に
此処の絵を鑑賞していただいて、
将来新婚旅行先の海外で
実物の絵を見ていただければ
我々は幸いと思っております。

なにしろ、この絵は陶器ですから
全然変化しません


本物の絵は次第に変化しますから、
実物の色と、陶板名画の色とでは
今から50年・100年経っていきますと、
色や姿が
おのずと違ってくると思います。

「将来新婚旅行先の海外で」の言葉に
時代を感じるが、それはさておき
このズレをどう考えればいいのだろう。

もちろん、作品のある瞬間の姿を
克明に保存することの価値に
なんの疑いもないけれど。

 

もうひとつ考えていたことは、
本物を観た「過去の体験」を
思い出した時に浮かぶ、
絵画そのものの魅力以外
様々な要因だ。

歩いていると
まさに「本物を観た」
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂、
イタリアのサンタ・マリア・
デッレ・グラツィエ教会、
トルコのアヤソフィア、
フランスのルーヴル美術館、
オーストリアの美術史博物館、
フィレンツェのウフィツィ美術館、
などなどでの印象が
次々と蘇ってくる。

それらの体験と、眼の前の陶板名画を
比べようと意識すると
絵画以外の部分、
たとえば、建物であったり、
建物自体の老朽化具合であったり、
光の加減であったり、
あるいは建物の廻り、
つまり建物のある街の環境であったり、
空気であったり、
そういういったものが深く結びついて
「本物を観た」と思っていることに
改めて気づかされる。

 

たとえば、
私が、サンタ・マリア・
デッレ・グラツィエ教会を訪問して、
「最後の晩餐」を観たときには、
教会付近の車の通行さえ制限されていた。
自動車通行時の、
振動による壁面の劣化を防ぐためだ。

元は修道院の食堂だった館内も
光による壁画の劣化を防ぐため
最低限の照明となっており
とにかく薄暗い中での鑑賞となった。

そこだけ車の音が抜けている
静かな空間。
そこを照らす薄暗い光に浮かぶ
キリストを中心とした構図の
傷んだ古い大きな壁画、
それが私が観た「最後の晩餐」だった。

そういったことのすべてが
再現できていないではないか、
と文句を言いたいわけでは
もちろんない。

自分にとっての「最後の晩餐」は、
「壁画だけ」を
指していたわけではない、
というだけだ。

それは、パリのルーヴル美術館や
フィレンツェのウフィツィ美術館で観た
(壁画に比べればずっと小さな)
美術品についても言えるような気がする。

私的には、美術品単独ではなく、
それに伴う空気とともに味わった、
それが「本物を観た」体験なのだ。

なので、それらと単純に比較して
どうこう言うのはナンセンス。

名画と向き合った
徳島での新たな体験としたい

そう思いながら歩いていた。

 

作品自体を味わう名画は、
そして精巧なその複製の完成度は
そのことだけで
大きな興奮をもたらしてくれる。

美術館を出てきたときの
昂ぶった気持ちは忘れられない。

未見の方、
お時間と体力に充分余裕をもって
ぜひお出かけ下さい。

原寸大の美術全集の中に身を置いて
一日をすごすことができます。

ほかのどの美術館でも体験できない
新たな美術体験をぜひお楽しみ下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年3月10日 (日)

大塚国際美術館 (3)

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大塚国際美術館 (3)

- 「複製だからこそ」の展示 -

 

前回に引き続き、
徳島の大塚国際美術館の魅力について
もう少し話を続けたい。

 

「複製だからこそ」できる展示
その代表例が

(AA)
「日本に実物を持ってくることが
 絶対にできないもの」の展示


たとえば、紅白歌合戦で
米津玄師さんが歌った会場ともなった
美術館の目玉のひとつ、ヴァティカンの
システィーナ礼拝堂の天井画と壁画
ミケランジェロの作だ。

P5191931s

写真では大きさが伝わりにくいと思うが、
[13m x 41m, 高さ20m]もの礼拝堂が
その大きさのまま再現されている。

P5191887s

P5191890s

見上げた天井にはコレ。

P5191889s

天井画は下ろして描くことができないため
ミケランジェロは、四年間、ひたすら天井
つまり上を見上げながら描き続けた。
いったい、どんな四年間だったのだろう
と思いながら
システィーナ礼拝堂の中に立って
天井を見上げていた個人的な思い出が蘇る。

 

環境を含めての再現は
システィーナ礼拝堂以外にも
いくつもあるが

イタリアのスクロヴェーニ礼拝堂も
すばらしい。

P5191896s

システィーナ礼拝堂の天井画と壁画
イタリアのスクロヴェーニ礼拝堂
のような大掛かりな環境構築だけでなく、
建物の壁画となっているものも、
通常は「持ってこられない」ので
複製ならでは展示だ。

トルコ、イスタンブールのアヤソフィアの
壁面にあるモザイク画の複製。

P5191906s

モザイクの感じもよく出ている。

P5191907s

これも、2012年に
実際にトルコに行って観ているので、
そのときの写真も
参考に下に貼っておきたい。

Img_3614s

Img_3610s

こういった壁画も
「原寸大」で再現。

「実物を持ってくることが
 絶対にできないもの」
「現地では近くに寄って
 見ることができないもの」
を間近で観ることができる。

壁画ではないが、門外不出と言われる
ピカソの「ゲルニカ」もある。

 

(BB)
 修復前と修復後の姿を並べて展示


大規模な補修がなされたものの
補修「前」と補修「後」の姿を
比べてみることもできる。

代表例は、レオナルド・ダ・ヴィンチの
「最後の晩餐」

修復前がコレ

P5191928s

修復後がコレ

P5191927s

4.2mx9.1mと大きいので、
並べてというわけにはいかないが、
この2枚を同じ部屋で観ることができる。

 

(CC)
 棺の内面、四面を、四枚並べて展示


おもしろいところでは、
棺の内面、四面を、
四枚並べて展示したものもある。
こんな見せ方があるなんて。

P5191905s

 

(DD)
 壺の回りを展開図にして展示

P5191904s 

一見、一枚の絵のように見えるが、
壺まわりの絵を展開図のように
一枚に展開して展示している。
正面だけでなく、まさに横もウラも、
すべての絵柄が一目瞭然。

絵を観る、だけでなく
まさに体で感じることができる
美術館だ。

次回につづく。

 

 

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2019年3月 3日 (日)

大塚国際美術館 (2)

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大塚国際美術館 (2)

- 陶板名画の驚くべきクオリティ -

 

前回に引き続き、
徳島の大塚国際美術館の魅力について
もう少し詳しく紹介したい。

 

まずは、肝心な
陶板の再現クオリティについて。

素人写真ではお伝えできることも
限られてはいるが、
少し写真を貼ってみたい。

 

P5191913s

寄ってみても

P5191917s

P5191916s

繰り返しになるが、すべて陶板だ。


P5191923s

P5191924s

 

別な作品を、
近くから引きながらみても

P5191939s

どの写真もクリックすると
二回りほど大きく表示されるので、
ご興味があればご確認あれ。

P5191940s

作品は、
アルチンボルド作「四季-夏」

P5191941s

この作品、2017年に
ウィーン美術史博物館で
まさに本物を観ているので
その時に撮った写真も参考に下に添えたい。

P7169423s

写真の色は、照明と
カメラの設定に依るため
ここで比較することに意味はないが、
よく見ると大塚美術館は
額縁まで揃えていることがわかる。

 

他に似たようなもの、というか
たとえるべきものが全く浮かばないので
実物を目にしたときの
あの「驚き」を知っていただくためには、
はやり現物を観てもらうしかないのだか、
大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術は、

(1) 驚くべき繊細さと正確さで、
  微妙な色あいを陶板上に再現している。

(2) 「原寸大」という大原則
  忠実に守っているので、
  サイズの大きな作品は
  複数の陶板を並べて再現している。
  なのでもちろん繋ぎ目はある。
  ところが、陶板間での
  色やサイズの不揃い感がないので、
  繋ぎ目が全く気にならない。

この2点を満たすことで、
「複製だから」という一種の残念感を
見事に吹き飛ばしている。

いったい、どうやって作るのだろう?
詳しくはわからないが、「観覧ガイド」の
説明の図だけ参考に載せておきたい。

Otsukakokusai

工程部分を順に書くと

[原画]
  [色の分解]
  [転写紙に印刷]
  [陶板に転写]
  [焼成]
  [レタッチ]
  [焼成]
  [検品]
[陶板名画]

の流れ。
焼成工程がレタッチを挟んで2回ある。

 

こんな完璧な陶板名画が
「世界25ケ国、190余の美術館」からとあるように、
まさに画集をめくるように、つぎからつぎへと
目の前に「原寸大」で現れてくるのだ。

P5191930s

大きな作品については
観覧者が一部写っている写真を選ぶと
その大きさを多少は
イメージしていただけるかもしれない。

ラファエロ作「アテネの学堂」

P5191910s 

リュベンス作「キリスト昇架」

P5191935s

エル・グレコ作「祭壇衝立復元」

P5191892s

 

こうした巨大な作品は
日本に持ってくること自体が
通常は叶わないであろう。

そう、次回は、この
「複製だからこそできる」
に焦点をあてて
その角度から紹介を進めたい。

次回につづく。

 

 

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2019年2月24日 (日)

大塚国際美術館 (1)

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大塚国際美術館 (1)

- 本物が一枚もなくても -

 

前々回、季節外れの
2018年紅白歌合戦の話を書いたが、
2月になってから、ニュースサイトでも
紅白関連の小さなニュースを目にした。

発信は、徳島の大塚国際美術館
紅白で米津玄師さんが
生中継で「Lemon」を歌った、
あの会場となった美術館だ。

美術館の広報担当者によると
紅白の影響か、
2019年元日の美術館Webページへの
アクセス数は過去最高、
1月の来館者数は前年1月の約1.5倍に
なったという。

多くのろうそくを並べた
バチカンのシスティーナ礼拝堂を模した
ホールからの美しい映像だったが、
「空間」が持つ独特な空気感は
TV画面を通してでも
充分に伝わってきていた。

大型ディスプレイや
プロジェクションマッピングを使った
演出ばかりになってしまっている中、
だからこそ
逆にリアルな「空間」の持つ力が
際立っていた気がする。

ところで、この
徳島県鳴門市にある
「大塚国際美術館」

ご存知だろうか。

私も一度しか行ったことはないが、
これを機会にぜひ紹介したい。

 

この美術館、
「日本一高い入館料なのに、
 本物は一枚もない」
と揶揄されることもある
ちょっと変わった美術館だ。

ところが、美術に明るい知人も含めて
行った人からは

「たしかに本物はない。
 でも、とにかく一度は観てみて!

「半信半疑だったけれど、
 実際に行ってみたら驚いた

と、いくつもの強いお薦めコメントを
いただいていた。

いったいどうなっているの?

 

まずは、館長自らの言葉で、
他に類を見ない
この美術館を紹介してもらおう。
入館時にもらったパンプレットから。

世界初の陶板名画美術館

「大塚国際美術館」は大塚グループが、
創立75周年記念事業として
徳島県鳴門市に設立した
日本最大級の常設展示スペース
(延床面積29,412m2)を有する
「陶板名画美術館」
です。

館内には、
6名の選定委員によって厳選された
古代壁画から、世界25ケ国、
190余の美術館が所蔵する現代絵画まで
至宝の西洋名画1,000余点
大塚オーミ陶業株式会社の
特殊技術によってオリジナル作品と
同じ大きさに複製
しています。

それらは美術書や教科書と違い、
原画が持つ本来の美術的価値を
真に味わうことができ、
日本に居ながらにして
世界の美術館が体験できます。

また、元来オリジナル作品は
近年の環境汚染や
地震、火災などからの退色劣化
免れないものですが、
陶板名画は約2,000年以上にわたって
そのままの色と姿で残る
ので、
これからの文化財の記録保存のあり方に
大いに貢献するものです。

門外不出の『ゲルニカ』をはじめ
戦争で散逸していた工ル・グレコの
祭壇画の衝立復元など
画期的な試みもなされ、
1,000余点の検品のために、
ピカソの子息や各国の美術館館長、
館員の方々が来日されたおりには、
美術館や作品に対して
大きな賛同、賛辞を頂きました。

このように「大塚国際美術館」は、
技術はもとより構想においても
世界初の
そして唯-の美術館
といえます。

  大塚国際美術館館長 大塚一郎

簡潔に言うと、

厳選した世界の名画を
 原寸大で陶板に複製。
 その数、実に1,000余点。
 その陶板名画を並べた美術館


というわけだ。

 

すべてが陶板、
つまり焼き物なので保存性が極めて高い。
「陶板名画は約2,000年以上にわたって
 そのままの色と姿で残る」
とは館長の言葉だが、
展示作品には触ることすらできる。

と、ここまでの説明を聞いても、
肝心な画質、つまり絵のクオリティが
イメージできないと
「再現って言えるの?」の疑問は
拭えないであろう。
まさに訪問前の私がそうであった。

陶磁器の絵皿、の延長線しか
浮かばないのでどうしても名画とは
結びつかない。

というわけで、
まずは、実物を観てみよう。
(館内は写真撮影も自由にできる)

P5191929s

これが陶板、つまり焼き物なのだ。

 

P5191914s


もちろん写真だけでその「凄さ」を
伝えることがむつかしいことは
よくわかっているが、
次回、もう少し詳しく観てみたい。

加えて、陶板による複製は
単なる複製以上の価値も生み出している。
複製だからこそ、
本物にはできないこともできる。

そのあたりも含めて、次回へと続けたい。

 

 

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2019年1月27日 (日)

エレキギターが担うもの

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エレキギターが担うもの

- 椎名林檎さんの言葉 -

 

おくればせながら
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を
観てきた。

映画自体は、
ロックバンド「クイーン」のメンバ、
フレディ・マーキュリー
個人に焦点をあてた物語だったが、
後半にたっぷり流れた
「アフリカ難民救済」を目的とした
大規模なチャリティーコンサート
「ライブ・エイド」での
演奏シーンを観ていたら
ロックやライブについて
いろいろな思いが喚起された。

 

「ライブ・エイド」が
実際に開催されたのは1985年。
いまから34年も前だ。

CDプレーヤが世に出たのが
そのわずか3年前の1982年。
レコードからCDへの移行期の
大イベントだったことになる。

その後、隆盛を極めたCDだったが、
そのCDも
いまや殲滅の危機に瀕している。

ロック音楽そのものも、
ロックを取り巻く環境も
この34年で大きく変化した。

 

そう言えば、昨年(2018年)は、
米の老舗ギターブランドだった
「ギブソン」が経営破綻したことも
音楽雑誌では大きな話題になっていた。
若者のロック離れが、
その背景にあるのだろうか?

ニュースを受けて
多くのミュージシャンや音楽関係者が、
ギターへの思いを熱く語っていたが、
そんな中、椎名林檎さんの言葉
抜群によかった。

すてきな言葉が溢れていたので、
今日はそれを紹介したい。
(2018年5月15日の朝日新聞の記事
 以下、水色部記事からの引用)

A180515_eguitar

椎名さんがエレキギターに
最初に触れたのは中学3年生のとき。
高校では同時に8つほどのバンドを
掛け持ちしていたという。

私がエレキギターに
担ってほしい役割というのは、
当時からはっきりしていました。

「いらだち」とか「怒り」「憎しみ」…。
「やり場のない悲しみ」とか、
そんな「負の感情」の表現をするときに
登場するのがエレキギター。
ひずんだ音色、ノイズが必須です


そうすると声も共鳴して、
「エレキ声」になる。
そこに気づいていたので、
曲づくりでも「負の感情」を書くんだと
認識していました。

いまでもエレキギターはそういう役割、
もしくは「軋轢(あつれき)」役でしか
登場させていません。

もちろん近年の音楽シーンにおける
ギターそのものの存在感の変容も
椎名さんの目には入っているが、
それを認めつつも、こう言葉を繋いでいる。

でも私は、
時代が移り変わろうと廃れない、
エレキギターそのものの本来の美点を
いつも第一に考えています


それは音符に書けない表現、
あるいは楽譜に記す理屈以前の、
初期衝動」です。

エレキのプレーは
音符に表した途端に面白みを失います

音色一発の魅力ありきだから。
実際にはあらゆるタイミングが合致して、
授かりもののような音が生まれます


録音で珍しいテイクがとれて、
写譜屋さんに預けると、
肝心の箇所が「XX」と記されて
返ってきたりします。

口でいうと「ヴヲア!」みたいな
感じ
かもしれないけど、
カタカナで書くわけにもいかない。

そこにこそエレキの本質が
宿る
と思います。

であるからこそ、

生々しいボーカル
エレキギターのプレーだけは、
今後もコンピュータでは
再現できないでしょう。

 

「型」と「型破り」についても、
簡潔にポイントを突いて触れている。

幼いころからピアノや
クラシックバレエを習っており、
「型」に背中を押されてきました。
時に縛られたりしながらも、
やっていてよかった。

一方、エレキギターには、
それ以前のただの情動がある。

型を学べば学ぶほど、
「型破り」の尊さ、難しさを
思い知ります


そのはざまが面白いからこそ、
私としてのエレキギターの「型」を
提示し続ける
のかも知れません。

 

日本のバンド「SEKAI NO OWARI」の
ボーカル深瀬さんが
今時、まだギター使ってんの?
と言い放って話題になっていたのは
もう数年前だが、私個人としては、
「ロックはギターだ」と思っている。

椎名さんはその真髄を
うまく言葉にしてくれていたと思う。

打ち込みの隆盛は止めようがないし、
いわゆるヒット曲においては
ギターよりもキーボードが
活躍しているものが多い、
という現実は確かにあるが、まさに
「楽譜に書けぬ情動」の表現には
ギターがなければ・・・。

そして
「あらゆるタイミングが合致して、
 授かりもののような音が生まれ」る。

ロックに限らず、生演奏つまりライブの
再現できない魅力はまさにこの点にある。

 

 

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2019年1月 6日 (日)

初めての中国・上海 (6)

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初めての中国・上海 (6)

- 見下ろす景色と豫園と -

 

すでに6日も経ってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。

=========
安倍首相、
新元号は「4月1日公表」と正式発表
=========
なる見出しが「産経ニュース」で流れ、
それに対して
「えっ! 新元号って
 『4月1日公表』っていう名前に
 なったっていうこと?」
と白々しい誤解のコメントで
ツイッターが盛り上がるのは
そんなにきらいじゃぁないのですが
その中に、
「読み方は、
 『わたぬききみひら』でしょ」
なるコメントがあって
さらに気に入りました。

四月一日になると
綿の入っている着物を脱いで
あわせの着物になる事から
四月一日(四月朔日)を
『わたぬき』と読むのだとか。

世界はいろいろなところから
広がるものです。

とまぁ、
自分自身への備忘録を兼ねた
ブログではありますが、
気ままに続けていきたいと
思っていますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆様にとって素敵な一年となりますよう。

***************

というわけで(?)
前回に引き続き、
2018年11月、出張で行った
中国・上海で印象に残ったことを
写真を添えて紹介したい。
今日はその最終回。

 

仕事が終わって日本に帰る土曜日。
飛行機の出発時間までの半日、
上海観光をしようと思っていた。

すると、私が「上海は初めて」、
と言っていたせいか、
訪問先の会社の方のおひとりが
気を遣って下さり、
休日にもかかわらず、
「案内しますよ」
と言って来て下さった。

初めての国であっても、
自分であれやこれや悩みながら
観光することはちっとも苦ではなかったし、
自分ペースで回れるほうが
気が楽だと思っていたし、
なにより相手のお休みの日を
私のために使わせてしまうのは
申し訳なかったので、
一旦は丁寧にお断りした。

ところが、金曜日
私の固辞を忘れたかのように
「明日はどこに行きたい?」
とかなり積極的。
熱意におされて
今回は厚意に甘えることにした。

現地中国人による英語のガイド付き
半日ツアー、贅沢な時間だ。
こうなれば、逆に任せてしまおう。

土曜日の朝、
ホテルまで来てくれた彼が
最初に「行こう!」と
連れて行ってくれたのは、
黄浦江という川の東側「浦東エリア」。

高層ビルが多い地域の中でも、
特に目立っているビルのひとつ。
ここに上って、まずは上から眺めよう、
ということになった。

Pb032369s

展望台があるような高い塔やビルは
他にいくつもあるのに、
「ここは日本の森ビルが作ったンですよ。
 エレベータも東芝のもので
 すごく静かで速いンです」
と日本人が少しでも喜びそうな
日本に関連の深いビルを選んでくれる
その心遣いがうれしい。

91階のレストランを目指す。

Pb032334s

「上海環球金融中心」
2008年に日本の森ビルが
15年の歳月をかけて完成させた。
高さは494mもある。
日本一の「あべのハルカス」でも300mだ。

91階からの眺め。
正面の赤い玉を持つ塔は、
上海のシンボルタワー
「東方明珠塔」高さ462m。

Pb032340s

下の写真右側の高層ビルは
「金茂大厦88層観光庁」
高さ420.5m、88階建ての高層ビル

Pb032348s

前夜、金曜日の夜
こんなふうにライトアップされていた

Pb022267ss

対岸のバンドエリアも
全景がよく見渡せる。

Pb032363s

川沿いのビルをライトアップすることは、
regulationで決まっているらしい。
照明の電気代も
税金で払われているのだとか。

79階から94階には5つ星のホテル
「パークハイアット上海」が入っている。
なんて高いところにあるホテルなんだ。
(値段も高いらしいけれど)

ここは、ホテルの朝食にも
使われているレストランゆえ
景色だけでなく雰囲気もいい。

Pb032364s

 

降りてくると、すぐとなりには
2016年に完成したばかりの
「上海中心(上海タワー)」。
高さはなんと632m!!
もう一度書く、
日本一の「あべのハルカス」でも300mだ。

Pb032367s

 

91階から頭部が見えていた
金茂大厦88層観光庁も
下から見るとこんな感じ。
竹をモチーフにした外観らしいが、
言われてみるとわからなくもない。

Pb032368s

 

近代的な超高層ビル群を
見たあとは、
川の対岸、
「豫園(よえん)」に向かった。

Pb032380s

豫園は
江南古典庭園の名園と称されるところだが、
まわりは豫園商城と呼ばれる
土産物屋が並ぶ
一大観光スポットとなっている。

Pb032384s

Pb032388s

 

まずはチケットを買って
豫園(よえん)見学。

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入り口の門は小さいが、
見上げると石の彫刻がすごい。

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漸入佳境と呼ばれる遊廊。

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仰山堂からの庭の眺め。

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仰山堂は1866年に創建された。

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足元を見ると、
敷き詰められた石の模様が
エリアによって違っていておもしろい。

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くり抜き門が随所に見られる。

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石の配置に特徴のある庭園

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瓦にも細部まで手の込んだ施しが。

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屋根も独特な形状をしている。

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「龍壁」と呼ばれる塀。

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思わず写真を撮りたくなるが、
同行の中国人によると
再建時に観光用に作られたもので
もともと古くからあったものではない、
とのこと。


ガジュマルで作られた家具や彫刻のある
建物もある。

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池や遊廊との組合せも絶妙。

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内園と呼ばれる
7m四方の舞台を囲む空間。

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窓の格子も細かくて美しい。

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豫園を出ると、
同じトーンで作られた
巨大な土産物屋が目の前に迫ってくる。

Pb032491s

 

豫園の外ながら、隣接して建つ
「上海緑波廊酒楼」。
中国十大レストランの1つに名を連ねる
上海料理の名店だ。

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ちょうど季節ということもあり、
ここで有名な「上海蟹」を
食べることにした。

昼食時は予約ができないらしく、
受付で名前を登録して順番を待つ。
もちろんお知らせはスマホに来る。
なので、入り口付近でじっと待たずに
近くの土産物店をウロウロしながら
待つことができるのだが、
土曜日の昼時、園周辺は観光客で大混雑。
呼ばれてもサクサクと移動できないので、
ついつい入口付近で待つ人が多くなる。

ここで待っているとき、同行の中国人が
おもしろいことを言った。

「このお店は、
 観光地のベストロケーションにあるので
 観光客でいつも溢れかえっている。

 レストランの名店としても
 よく知られていて、
 大統領や王様級のお客様も来る。

 つまり商売としては大繁盛なのだが、
 お店はgovernmentがやっている。
 なので、お客様で大賑わいなのに、
 店員にはお客への笑顔がないンだ。
 見ててみて。
 笑わないから」

思わずその視点で店員を見てしまう。
なるほど、キビキビと動き、
事務的に忙しそうに働いてはいるが、
愛想笑いも含めて笑顔がない。

忙しくて機嫌が悪い、
というわけではないようだ。

笑顔がなくても、
対応自体が悪いわけではない。

上海蟹を頼むと、調理前の
数杯の蟹をザルに入れて持ってきて
「選べ」と言う。

もちろん私には選べないので、
同行の中国人に頼んでしまった。

「どこを見て選ぶの?」

会話が弾む。
2杯決定!

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しばらく待つと、
この状態で目の前に再登場。

Pb032514s

食べ方(解体の仕方)を
教わりながら初上海蟹。

Pb032516s

蟹を食べると皆静かになってしまうのは
洋の東西、というか国を問わないようだ。
手も汚れてしまったので
以降写真なし。
独特な甘みもあって
ほんとうにおいしい蟹だった。

 

Pb032519s

半日ではあったが、
ガイド付きの贅沢な観光終了。

丁寧に礼を言い、空港に向かった。

もし、彼が日本に来た時は、
ぜひともこの御礼をしたいと思うのだが、
さて、半日あったとして、
東京ならどこに案内しよう?

 

 

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2018年11月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (63) リンク通りに沿って

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オーストリア旅行記 (63) リンク通りに沿って

- 印象的な建造物の数々 -

 

ここ で書いた通り
ウィーン市街を囲むリンク通りは
ウィーンを取り囲んでいた市壁を
取り壊したあとに造られたもの。

1857年に宣言された
市の拡張計画で本格的に動き出している。

リンク通り回りの建造物については
これまで
「自然史博物館」
「美術史博物館」
「国立歌劇場」
「楽友協会」
などを採りあげてきた。

旅行記の最後に、
これまでの記事で紹介できなかった
特徴あるリンク通り回りの建造物を
まとめて紹介したい。

 

【ヴォティーフ教会】

P7179636s

1853年2月18日、
この場所でフランツ・ヨーゼフ皇帝の
暗殺未遂事件が起こった。
皇帝の上着の金属ボタンが凶器を防ぎ、
無傷で生還。

神の加護に感謝を込めて、
皇帝の弟マクシミリアン3世の呼びかけで
1856-1879年に建設。
塔の高さは99m

フランスの大聖堂を手本にした、
ネオ・ゴシック様式の美しい姿は、
ウィーン大学を設計した
フェルステルが手がけた。

夕暮時の写真も一枚。

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【ウィーン大学】

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1365年にルドルフ4世によって創立された
ドイツ語圏最古の大学

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リンクに面した本館は、
人文科学が花開いた時代の様式である
ルネッサンス様式で、
19世紀後半に建てられた。

9人のノーベル賞受賞者を輩出した名門で、
約9万1000人の学生を抱えている。

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【ブルク劇場】

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ドイツ語圏はもちろん、
ヨーロッパの演劇界でも
最高レベル権威を誇る劇場。

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ハーゼナウアーがゼンパーと共に建てた
ネオ・バロック様式の装飾的な建物は、
1888年に完成。

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正面が弧を描いてリングヘ迫り出し、
左右に広がる翼は大階投となって
2階ロビーへ通じている。

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内部の華麗な階段の間には、
グスタフ・クリムトが
若い頃1888年に描いた天井画
『タオルミナの劇場』と
『ディオニソスの祭壇』があり、
後年の作風とはかなり異なる
擬古典派の作風が見られるようだが、
今回は残念ながら
中に入って見ることはできなかった。

劇場内部の
ガイドツアーもあるらしい。

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【市庁舎】

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ネオ・ゴシック建築の名手
フリードリヒ・フォン・シュミットの
傑作で、その後ドイツの市庁舎建築に
多くの影響を与えた。
1883年に完成。

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中央の塔の高さは98m。

近くのヴォティーフ教会の塔が
99mであることから、
この高さを超える建物は
皇帝の命で許されなかった。

そこで建築家シュミットは
市庁舎の塔の上に
高さ約5mの
市庁舎の男Rathausmannという
騎士像を載せて、
こっそり反抗したという逸話が残る。

 

広い前庭の市庁舎広場Rathausplatzでは、
夏には フィルムコンサート・フェスティバル、
11月中旬~12月には クリスマスマーケット、
1月下旬~3月上旬には 広いアイスリンクが登場する
ウィーン・アイストラウムなどが 開催される。

今回7月の訪問時には、
まさに映画関連のイベントが
開催されていた。

P7179650s

 

【国会議事堂】

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ギリシャ風の壮大な建物に注目!

建物をも含めたリングの建設は
1860年代から70年代へと進むにつれ、
ますます装飾的になってくる。

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19世紀後半、折衷主義の代表者である
アテネ育ちの
テオフィル・フォン・ハンセンの代表作。

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民主主義発祥の地である
ギリシャの古典様式が
国会議事堂にふさわしいと採用され、
1883年に完成。

P7179668s

8本の大列柱が並ぶ入り口の上には
ギリシャ・ローマの学者と
政治家たちの彫像が、
屋根の上にはギリシャの戦車が
飾られている。

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奥には市庁舎の塔も見える。

神殿のような列柱の前に立つのは、
英知をつかさどるアテナ女神像。

その足元の4人の像は、
当時ハブスブルク家の領土を流れていた
ドナウ、イン、エルベ、
モルダウの川を象徴している。

議会開催中以外は、内部をガイドツアーで
見学できるらしい。

P7179675s

今日紹介した5つの大きな建造物は、
事実上リンク通りに沿って
「並んで」建っている。

なので、ひとつひとつは大きいものの、
順番に迷わず歩いてみることができる。

それぞれの様式があり、このエリア、
まさに生きた建造物の博物館のようだ。

 

あちこちに寄り道しながら、
63回にもわたって
気ままに書き続けてきた
オーストリア旅行記だったが
あともう一回書いて一区切りとしたい。

というわけで(?)、次回はいよいよ
オーストリア旅行記の最終回。

もう一回だけお付き合い下さい。

 

 

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2018年10月28日 (日)

オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

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オーストリア旅行記 (62) ホイリゲ(新酒ワイン居酒屋)

- ベートーヴェンの散歩道もいっしょに -

 

Heurige(ホイリゲ)とは、
今年の」という意味。
今年できた新しいワインを指すと同時に
ホイリゲを飲ませる酒場
ホイリゲと呼ばれているようだ。

ウィーン郊外の
Grinzing(グリツィング)
Heiligenstadt(ハイリゲンシュタット)
とよばれるエリアに
ホイリゲが多いというので
路面電車でグリツィングに行ってみた。

ウィーン市街から30分弱。
バスのように細かく停車しながら行くので
決して速くはないし、
移動距離自体もたいしたことはないと
思うのだが、それでも車窓の景色は、
どんどん変化していく。

P7169467s

終点となっているグリツィングは
落ち着いた静かな街だった。

居酒屋が並ぶ賑やかな通り、
といった雰囲気は全くない。
ウィーン市街地の喧騒から
そう遠くない位置にいるのが
ウソのよう。

P7169470s

石畳の小さな脇道も
ちょっと物語を感じさせる。

P7169468s

 

ホイリゲつまり
「新酒ワイン居酒屋」の
一軒に入ってみた。
バッハヘングル(Bach-Hengl)

P7169474s

外が気持ちよさそうだったので
緑の多い屋外席に。

子連れの家族もいる。

P7169475s

頼んだのはいろいろ味わえる
「肉料理の組合せプレート」。
例によってすごいボリュームだ。

P7169484s

酒のほうは、
ホイリゲの名前の通り
今年の(?)白ワイン。
飲んでみると
確かに味が「若い」。

P7169476s

ガイドブック等には、
「ジョッキで出てくる」と
書かれていることが多いのだが、
注文の仕方が間違っていたのか、
ここのお店がそうなのか
ワイングラスで出てきた。

なお、ホイリゲでは、
Gespritzter(ゲシュプリツター)と呼ばれる
なんとワインを炭酸水で、
しかも1対1の割合で割った飲み方

あるというので頼んでみた。

すると
ワインと一緒にこんな炭酸水がでてきた。

P7169477s

沸騰しているお湯でも
見たことがないほどの泡、泡、泡。
いったいどうすればこんな強烈な
炭酸水を作ることができるのだろう。

それでなくても「若い」ワインを
炭酸水で割ってしまうので、
まさにガブガブ飲めてしまう。

 

しばらくすると、
バイオリンとアコーディオンの
陽気な生演奏が始まった。

P7169478s

ホイリゲで奏でられる昔ながらの曲は、
「シュランメル」と呼ばれている。
19世紀末にシュランメル兄弟が演奏して
ウィーン中に広まった大衆音楽。

民謡風であったり、
ワルツ(舞曲)風であったり、
ハンガリー風であったり、と
酒場に合う曲が多いが、
ちょっとメランコリックな部分もあって
そこに独特な味がある。

P7169480s

演奏は各テーブルを回り
リクエストにも応えている。

雰囲気だけ貼っておこう。

 

大人の会話(?)で盛り上がっている
テーブルもある。
なんともいい雰囲気だ。

P7169485s

なお、このお店、
有名店なのか
各国著名人が訪問した際の写真で
店内の壁一面が埋め尽くされていた。

P7169488s

ブッシュやらプーチンやら
大統領級もゴロゴロいる。

P7169490s

 

食事のあとは、
お屋敷と呼びたくなるような

P7169495s

大きな家が並んでいる
高級住宅地(?)を通りを抜けて

P7169496s

「ベートーヴェンがよく散歩した」
という道まで行ってみた。

道に沿って
今は小さな公園もあり
緑豊かな中、子どもたちは
バスケットボールを楽しんでいた。
「ベートーヴェンパーク」!?

P7169500s

公園内には銅像もある。

P7169501s

付近には、
ベートーヴェンが第九を書いたり
遺書を書いたことで知られる家まであり
ベートーヴェンゆかりの地として
小さな案内板も出ている。

P7169503s

この道を散歩しながら
交響曲第6番「田園」を書いたと聞くと
後ろに手を回して、うつむき加減に
ゆっくり歩いてみたくなる。

P7169504s

訪問した時間が遅かったため
暗くなってきてしまい
「日没タイムアウト」という
感じになってしまったが、
緑豊かな雰囲気だけは
十分感じ取ることができた。

楽しい居酒屋と豊かな緑、
そういう空気の中で、
「田園」が生まれ、
「合唱付き」が生まれたのだ。

 

十月革命から逃れるために
家族とともに米国に亡命した
ロシアの作曲家ラフマニノフは
その後5年以上にもわたって
作曲することができなかった。

その理由を聞かれて
こう言ったという。

「どうやって作曲するのですか?
 私はもう何年ものあいだ、
 (懐かしい故国ロシアの)
 ライ麦畑のささやきも
 白樺のざわめきも
 聞いていないのですから…」

(詳しくはここを参照下さい)
作曲には「環境」が必要なのだ。

ベートーヴェンが感じた風と緑が
そのままここにある。

 

 

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2018年10月21日 (日)

オーストリア旅行記 (61) ウィーン美術史博物館(3)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (61) ウィーン美術史博物館(3)

- ブリューゲル「バベルの塔」 -

 

美術史博物館の目玉のひとつが
ブリューゲルの「バベルの塔」だ。

ただ、日本を出発する少し前、
首都圏の電車では、
この吊り広告をよく目にしていた。

Babel2017s

なので、
「バベルの塔は、今、日本にあって、
 ここウィーンにはないンだよな」と
運の悪さに残念な気持ちでいた。

ところがところが、
展示室に入ってみたら、
正面のこれが目に飛び込んできた。

P7169405s

「ない」と思っていたものが
眼の前にある!

どうして!?

その場で疑問は解決しなかったのだが、
日本に帰ってきて、
改めてポスターを観て納得。

はっきりと「ボイマンス美術館所蔵」の
と書いてあるじゃないか。

「ウィーン美術史博物館」の
「バベルの塔」ではなかったのだ。
日本に行っていたのは。

ブリューゲルの「バベルの塔」は
何作かあると聞いていたので、
そのうちの一作なのだろう。

改めて並べて見てみよう。
上がボイマンス美術館のもので
下がウィーン美術史博物館のもの。

Bruegelp2s

Bruegelb2

ただ、そう思ってみると
中学だったかの美術の教科書に
載っていたのは、
「美術史博物館」のものだった気がする。
この左下の部分、教科書で見た記憶がある。

 

この「バベルの塔」についても

中野孝次 著
ブリューゲルへの旅
文春文庫

(以下水色部、本からの引用)

で触れられている。
前回の「雪中の狩人」に続いて
中野さんにはどんなふうに見えていたのか
ちょっと覗いてみよう。

 

 ウィーンの美術館に一点だけ、
いくら見ていても納得できず、
なにかわけのわからぬ
奇怪なグロテスクなものを見たという、
ほとんど不快な印象を
残したままになっている絵
があった。

P7169422s

彼は身構えて絵の前に立った。

画面中央に巨大な
赤茶けた無気味な姿を
でんと据えているバベルの塔は、
現代人の生半可な感情移入なぞ
にべもなく拒んで、
依然としてただそこに立っていた。

まったくこれは現代人の感性を
嘲笑するために
描かれたような絵である。

まるで地殻の底からふき出た
奇怪なできものだな、と
わたしは思う。

画面中央に居据った
この化物さえなければ、
これは実にすはらしい
海浜都市の描写なのに、と。

「奇怪なできもの」とは
すいぶんな言われようだ。

「できもの」以外の
都市俯瞰図とも言える部分については
「すばらしい海浜都市」の描写とまで
言っているのに。

 

Bruegelb1

われわれは純技術的に見て、
画家が当時の土木建築術の各工程、
道具、建造物の外観、材料、
労働形態、運搬器具、石工、大工、
煉瓦工、船の各態、等々に、
いかに広く正確な知識を持っていたかに、
驚嘆するほかはない。

ブリューゲルは彼がこの途方もない
建造物の総監督
ででもあるかのように、
それらの全部を
認知していたに違いないのである。

では彼はここに、ルネサンスとともに始った
近代科学の進歩のすはらしさを顕賞しようと
したのだろうか?

「まったくなんという途方もない
 巨人的な絶望的な企てだろう」
と嘆きながらも
「わたしは細部の驚くべき緻密さ正確さに
 感心するのをやめ、また退いて」
絵を全体として捉えようとする。

それでも、

わたしはこの十年間に、
さまざまな研究者の解説を読み、
知識はそれなりにあったが、
実際に絵をまた前にしてみれば、
知識は
知覚の養いになってくれなかったこと

あらためてわかるだけである。

 

そしてこの絵の不気味な感じを
こんな言葉で表現している。

悪夢。
たしかにそうだ、とわたしは思った、
あの天に聳立(ショウリツ)する
巨大な建造物が、
人間の理性と労働の勝利という
はればれしい印象よりは、
むしろ無気味な、悪魔的な企て、
あるべからざるなにかのように
印象されるのは、

すでにそれが建造の過程において
崩壊の予感を孕んでいる


感じられるからに違いない。

「すでにそれが建造の過程において
崩壊の予感を孕んでいる」とは
なんとも絶望的な言葉だ。

 

悪夢、と言いながら
丁寧に鑑賞を続ける中野さん。
最後はこんな言葉で結んでいる。
お気に入りの「雪中の狩人」に比べると
同じ画家ながら
ずいぶん対照的な印象を残したようだ。

しかし結局
本当のところはまだわからないな、と
わたしはふたたび呟くしかなかった。

赤茶けた塔のイメージが
また浮かんで、消えた。

それは「雪中の狩人」のような
幸福な印象を残さなかった

実際に絵を目の前にすると、
全体のバランス以上に、
細部の書き込みのすごさに
引き込まれてしまう。

人もモノも動いており止まっていない。

絵はある瞬間を凍らせて
焼き付けてしまうものではない。
ブリューゲルに限らず「いい絵」は、
前後の時間をちゃんと感じさせてくれる

 

P7169413s

 

おまけ:
美術館の展示物の目玉のひとつに
コレがある。いったいこれは何か?

P7169383s

なんとこれは
食卓用塩入れ(イタリア語でサリエラ)。
16世紀のイタリアの金細工師であり
彫刻家でもあった
ベンヴェヌート・チェッリーニの作品。

驚くべきことに、一枚の金板から
型なしで打ち出されたもの
らしい。
まさにルネサンス期の傑作。

これを模して美術館の外にはコレがある。

P7169437s

流行りの「インスタ映え」という言葉が
ふさわしいのかどうかよくわからないが、
美術品の一部になりきって
写真を撮りたくなる気持ちが
よくわかる。

次々と順番を待つようにして、
皆、楽しそうにポーズをとっていた。

 

 

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