SNSの写真が表現するもの
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SNSの写真が表現するもの
- 事実よりも情動を引き出すことを -
食べ物の色が
どのように作り出されてきたのかを、
*着色料や農産物の生産過程の調整など、
実際の食べ物の色を作り出す
技術や方法といった物理的な側面
と、
*料理本や宣伝広告の影響を受けながら、
その色をどのようにして「当たり前」と
思うようになったかという認識的側面
の、ふたつの面から探っている
久野 愛 (著)
視覚化する味覚-食を彩る資本主義
岩波新書
(以下水色部、本からの引用)
だが、
最後の章では現代社会における
食べ物の色や見た目について
SNS上での写真を通して考えている。
他の本も参照しながらの
写真の考察がおもしろい。
料理を作る主体のみならず、
写真撮影と鑑賞に関わる行為も
大きく変わった。
大山顕が、
写真は「見る」ものから
「処理」するものになった
と述べているように、
写真は、
撮る・見るものであるだけでなく、
SNSの写真においては
「加工」「シェア(共有)」「いいね」
することが重要となったのだ。
ここで参照されている
大山顕さんの本はこれ。
大山顕 (著)
新写真論 スマホと顔
ゲンロン叢書
「シェア(共有)」や「いいね」はもちろん、
簡単な「加工」であれば、
ワンクリックまたは数秒で可能だ。
それでもかなり多彩な加工ができる。
確かに
「見る」だけでなくなっている。
日常の記録や思い出の保存
というだけではなく、
むしろそれ以上に、
ユニークな見た目であることが
求められる。
よって映える被写体というのは、
単に綺麗な色をしているとか、
撮影者が
おいしそうと思うものというよりは、
多くの人の目にとって
「面白い」ものということになる。
それはSNS写真独特の美学である。
佐藤卓己が論じるように、
こうした写真は、
見栄えを優先させる一方、
被写体・素材の事実性は
軽視されがちである。
つまり、
「データ素材として
どのような加工もできる
デジタル写真は、
記録のメディアというより
表現のメディア」
となったのである。
ここで参照されている
佐藤卓己さんの本はこれ。
佐藤 卓己 (著)
現代メディア史 新版
岩波テキストブックス:岩波書店
「素材の事実性は軽視されがち」
「記録のメディアというより表現のメディア」
色も含めて、
事実を伝える、事実を記録する、
という写真の役目は今、
大きく変わってきている。
見る者の情動を
引き出すため(affective)のもの
ではないだろうか。
大盛りの料理や
見た目が派手な食べ物などは、
いわゆる「映える」ための写真として、
色・見た目が作り出されている。
自作料理の写真はどちらかというと
「エモさ」を追求したものが
多いといえるかもしれない。
手作りのケーキや
食卓に並べられた数々の料理は、
派手さや斬新さというよりも、
「おいしそう」とか
「こんな料理を作れるなんてすごい」、
「自分も作ってみたい」といった、
賞賛や羨望・憧れ、共感といった感情を
見る者に与える。
少なくとも、
そうした感情を与えることを
意図して投稿されることが多い。
つまり
主目的になったことで、
SNSでは写真に写った食べ物の色を
「自然な」色に寄せる必要がなくなった。
本の主題であった
食べ物の「自然な」色、の話からは
ずいぶん離れてしまったが、
食の写真が溢れているSNSを考えるとき
「SNS上の写真」論は
人々の別な欲望も見えてきておもしろい。
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