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2022年8月28日 (日)

実戦でまだ指されていないものが定跡!?

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実戦でまだ指されていないものが定跡!?

- 人類最高峰の頭脳の戦いが、 -

 

2022年8月19日の朝日新聞に
「女性初の棋士誕生なるか」
なる見出しで女流棋士の里見香奈さんが
8月18日から棋士編入試験に挑むことが
記事になっていた。

12歳で女流棋士となり、その後、
史上最多の通算49期のタイトルを重ね、
現在8つあるタイトルのうち5つを保持する
「最強の女流棋士」の里見さんでさえも、
年齢制限の26歳までに
奨励会を突破し「棋士」になることは
できなかった。

これまで奨励会を突破した女性は
ひとりもいないという。

ちなみに、2022年8月19日時点で
棋士は169人。全員男性。

里見さんが棋士編入試験に合格すれば、
まさに
 「女性棋士第一号」
となる。

将棋の強さ、だけでみる限り
「女流棋士」と「棋士」の世界は
少なくとも現時点では
全く別次元の世界のようだ。

 

では、その先、
棋士の世界のそのまた頂点では
今いったい
どんなことが起こっているのか?

すこし覗いてみたい。

 

2022年5月22日の朝日新聞に
「あっさり駒損 AI時代の定跡」
なる見出しで
今年2022年の第80期名人戦第4局について
大きな記事があった。
(以下水色部、記事からの引用)

A220522sai

勝った渡辺名人は、
これまで
「過去の実戦例から学ぶもの」
とされていた「定跡」は
誰もがAIを使うようになった現在においては
違うのだ、と明言している。

実戦では指されていなくても
 『AIで研究して、
  みんな知っているよね』
 というのが、今の定跡です」

副立会人の小林七段が思わず「ウソやん!」
と声を上げたほどの第4局の展開は
まさにこんな研究から
生まれたものだったようだ。

「実戦でまだ指されていないものが定跡」
って、我々はいったいどの時間を
生きているのだろう?

 

加えて、ご存知の方も多いと思うが
最近の対戦では、
テレビにしろネット中継にしろ
AIによる最善手とそのときの勝率が
リアルタイムで表示されるように
なってきている。

たとえば王位戦、
藤井聡太五冠対豊島将之九段の第一局
101手目、豊島の手番。

AbemaTVのAIは、34歩の一択、
あとは全部大逆転との御見解。

こうなると、テレビの前で
豊島ファンは
 「豊島、34歩だ、間違えないでくれー」
藤井ファンは
 「間違えろ、53桂成も美味しそうだぞー」
と声援を送ることになる。

AIによる候補手表示が登場する前までは、
まさにだれも近づけない
「ある意味、人類最高峰の頭脳の戦い」
を見ていたはずなのに、いまや、
視聴者全員に正解がわかっている当て物を、
対戦者が当てられるかどうかを見るだけの
安っぽいクイズ番組を見ているような中継と
なってしまった。

誤解をおそれずに言えば、
「志村、うしろ、うしろ!」と
叫びながらドリフのコントを見ている
子どもとおんなじ気分だ。
(ザ・ドリフターズのコントを知らない方、
 意味不明の表現をお許しあれ)

「人類最高峰の頭脳」が苦しみながらも
まさにフル回転して生み出してくる
渾身の一手、
そこにある驚き敬意畏怖
そして思いもしなかった世界を
見せてくれた喜び
それらは、いったい
どこに行ってしまったのだろう。

 

もちろんAI研究の面から見れば
すばらしい進歩と言えるだろう。

でも、その成果や今の利用方法って、
将棋愛好家が望んでいたものなのだろうか?

この記事に書いたように、
哲学者の森岡正博さんは
「無痛文明論」というぶ厚い本の中で

現代文明は
欲望が生命のよろこびを奪っている


と書いていた。

欲望を満たすことに夢中になり、
本来そこにあったよろこびが
奪われているのかもしれない。

 

 

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2022年5月15日 (日)

『違和感ワンダーランド』の読後感

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『違和感ワンダーランド』の読後感

- 意外なところに歴史書が -

 

毎日新聞「日曜くらぶ」に連載されていた
松尾貴史さんのコラムは、
2020年7月19日から2021年11月7日までの
掲載分が纏められて

 松尾貴史 (著)
 違和感ワンダーランド
 毎日新聞出版
(以下水色部、本からの引用)

という一冊の本になっている。

この本、松尾さんが日々のニュースに触れて

「何かおかしい」と感じたことを、
表明したり、可視化したり

した本だが、
単なる疑問点やグチやツッコミを
並べただけの本ではない。

かと言って、
専門的な知識や特別なウラ情報が
公開されている、というわけでもない。

そんな本が独特な読後感を生み出している。
それはいったいどこから来るのだろう?

 

例として東京五輪開催の件を
扱った記事を見てみたい。

下記、箇条書き(*)の項目の選択は
私の編集だが、(*)に続く各一文は、
松尾さんのセンテンスのままなので
引用の水色を使って書くと、

*東京オリンピック・パラリンピックの
 開会式で楽曲を担当することに
 なっていたミュージシャンが、
 小学生から高校生にかけての時代に
 障害を持つ同級生たちを
 虐待していたことが
 広く大きな反発を呼ぶことになり、
 7月19日に辞任した。

*安倍晋三前首相による
 「アンダーコントロール」という
 虚偽の招致演説。

*「復興五輪」という
 虚飾によるミスリード。

*「世界一カネのかからない五輪」
 (当時の猪瀬直樹・東京都知事)と
 言いながら一時は3兆円の声も
 上がったインチキな予算。

*故ザハ・ハディド氏による
 新国立競技場の
 設計変更に至るもめ事。
 設計者の変更もさらに予算が
 かかる結果に。

*長時間労働による作業員の過労自殺。
 その方も含め五輪の建設現場で
 作業員が4人死亡。

*エンブレムのデザイン盗作疑惑問題。

*招致活動での買収疑惑と
 フランス当局からの事情聴取。

*不正はないと言いながらの
 日本オリンピック委員会(JOC)会長
 退任表明。

*マラソンなどのコース変更

*トライアスロン会場の水質汚染問題。

*開幕まで半年を切ったタイミングでの
 大会組織委員会の森喜朗会長の
 女性蔑視発言とそれによる辞任。

*その不透明な後継者選びでの
 川淵三郎氏の辞退。

*野村萬斎氏ら7人の
 開会式・閉会式の演出チーム解散。

*募集した大会ボランティアの
 待遇の劣悪さ。

*開閉会式の総合統括を務める
 クリエーティブディレクターの
 女性タレントの容姿を侮辱するような
 演出案問題。

*一般人と分けるはずの
 動線が交わっているなど、
 ずさんなバブル方式の数々の問題点。

*自殺とみられるJOC経理部長の
 電車事故死。

*新型コロナウイルス感染拡大で
 開催地東京での4回もの
 緊急事態宣言発出。

*行動制限されていたはずの
 ウガンダの選手の失踪事件。

*緊急事態言下での迎賓館を使っての
 国際オリンピック委員会(IOC)
 バッハ会長をもてなす
 非公開パーティーの開催。

*コロナ禍で交通量が減っていて、
 さらに無観客なのに
 首都高速道路が料金上乗せで
 一般道大渋滞。

*茨城県の子供たちを
 サッカースタジアムに動員して
 観戦させようとする
 意味不明な対応に、
 「持ち込む飲み物は
 スポンサー企業のものにせよ」と
 通知する忖度。

*で挙げたものだけでも20項目以上。
どれも記憶に新しい今(2022年5月)時点で
読めば
「そうそう、そんなことあったよね」
というよく知られた案件ばかりだ。

でも、もし、数年後、または数十年後、
「東京五輪開催にあたって
 どんな問題があったのか?」
を調べたようとしたとき、
これらの問題をこうした簡潔な羅列で
知る方法がなにかあるだろうか?


もちろん、数年分の新聞を読み返せば、
または検索をかければ、
各項目自体をピックアップすることは
可能だろう。
しかし
「東京五輪」や「オリンピック」といった
検索ワードで見つかる記事の数は
膨大なはずで、その整理と全体像の把握は
容易ではないはずだ。

松尾さんの記事は、
ニュースとしての事実部分と
「何かおかしい」と思う松尾さんの
感情部分とを
ちゃんと分けて記述している。

そして、事実部分については、
簡潔にかつ正確に記そうという
松尾さんの気遣いがよく伝わってくる。

上はオリンピックに関する部分だが
たとえば、政治家が口にした言葉なども
印象ではなく、実際の発言にもとづいて
正確に記述、引用している。

ちょっと大げさに言えばニュースに関しては
2020年7月から2021年11月までの
歴史書的要素があるのだ。

独特な読後感は
どうもこのあたりに起因する気がする。

期せずして現代史のテキストを
発見したような不思議な気分だ。

 

 

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2022年3月 6日 (日)

恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

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恥ずかしいから隠すのか、隠すから恥ずかしくなるのか

- マスク生活があと2年続いたら -

 

東京、神奈川、埼玉、千葉、
大阪、兵庫、福岡の7都府県に対して、
最初の「緊急事態宣言」が発出されたのが、
2020年4月7日。

不要不急、お前だったのか
という記事をアップしたのが、
2020年4月12日。

まもなく、
マスク生活も2年になろうとしている。

最初のころは
「あっ、マスク」
と忘れて出かけそうになることも多かったが、
いまや
「外出時はマスクをして」が
すっかり習慣となっている。

私自身は、「在宅勤務」が多くなったため、
出社日数も大幅に少なくなっているのだが、
先日出社した際、小さな発見があった。
きょうはそのことを書いてみたい。

 

昼休み、久しぶりに同僚と2人で
会社近くのレストランに昼食に出かけた。

外食はほんとうに久しぶりだ。
お昼休みの時間帯、
ビジネス街のレストランの賑わいも
一時期に比べてずいぶん戻ってきており、
そのときも昼食の会社員で溢れていた。

当然のことながら、
食事中は男女を問わずマスクを外している。

「マスクをしていない人を
 こんなに大勢見るのは
 なんて久しぶりだろう」
そんなことを考えながら
ぼんやり店内を眺めていたら、急に、
普段マスクに隠されている
鼻と口って、なんてエロいのだろう、と
見てはいけないものを
見てしまったような、
不思議な気分に襲われた。

若い女性の口元だけではない。
女性も男性も、
会話をしたり、食べたりしているときの
裸の鼻と口ってなんてエロいのだろう

考えてみると
「恥部だから隠すのか、
 隠すから恥部になるのか」

ほんとうはどちらなのだろう?

「恥部だから隠す」に決まっている、と
漠然と思い込んでいたが
その確信が明らかに揺らいでいた。

よし、大胆にも
ここに自信をもって予測してしまおう。

「マスク生活があと2年続いたら、
 鼻と口は恥部となり、
 正視できないのはもちろんのこと
 恥ずかしくて人前で出せなくなる」


あと2年続いたら・・・

 

 

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2021年5月 9日 (日)

あの政権の画期的な動物・自然保護政策

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あの政権の画期的な動物・自然保護政策

- なぜ両立するのか、という問い -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、
 * 人類が他の動物に食べられていたころ
 * トキの「復活」?
 * 侵略的外来種「ネコ」
 * 称賛されるペットの特徴は、
について紹介したが、今日は
寡聞にして全く知らなかった
ある驚きの事実について
紹介したい。

ナチス政権の動物保護、
自然保護についてだ。

ヒトラーは
1933年1月に政権を獲得しますが、
その年の8月、ナチスのナンバー2の
ヘルマン・ゲーリングが
ラジオでこのような演説をしています。

「現在まで動物は法律において
 生命のない物であると
 考えられてきた。
 (…) 
 このことは
 ドイツの精神に適合しないし、
 何にもまして、ナチズムの理念とは
 完全にかけ離れている
」。

ヒトラー政権は同年11月に
「動物保護法」を制定します。

そこでは、動物は人間のためではなく
「それ自体のために」保護される
とし、
「動物を不必要にさいなみ、
 または、粗暴に虐待すること」を
禁じました。

先入観がじゃまをしてか、
ナチスと動物保護の法律というのが
どうも結びつかないが、
法律では動物実験にも
厳しいい制限を課していたようだ。

さらに、動物実験も

「これまで証明されていない
 特定の結果が
 予想される場合に限られること」

「動物を事前に気絶させること」など、

現在の日本より厳しい制限を課しました

ヒトラー自身は
動物実験の全面的禁止を考えており、
動物実験と動物虐待の禁止が
「動物保護法」の重要な目的

と主張していました 

しかも単に法律を定めるだけでなく

1934年、科学・訓練・公共教育省は
すべての学生は動物保護法について
 学ばなければならない

と通達し、
1938年には
 獣医の認可に動物保護の項目が必須要件
とされます。

と、その精神の普及にも施策を打っている。

もちろんそのこと自体は
他の国からも評価されている。

こうしたナチスの動物保護法は
世界で高く評価され、
ヒトラーは
ドイツ民族に
 動物保護のために有効な法律を授けた
 人類と動物の友

と評され、アメリカの基金は
「動物保護法」の功績を称えて
ヒトラーに金メダルを贈っています。

しかも、
保護したのは動物ばかりではない。
自然保護にも実に積極的なのだ。

ナチス政権は自然保護にも積極的で、
「帝国森林荒廃防止法」
「森林の種に関する法律」
(1934年)、

そして
「景観に大きな変更を及ぼすような
 計画の許認可は、
 事前に所轄の自然保護監督機関に
 意見を求めなければならない」とし、

行政が自然保護区を指定するさいに
土地所有者が
金銭的な保障を請求することを禁ずる
「帝国自然保護法」(1935年)
などを制定し、
それらは自然保護活動家から
「革命的な法律」と絶賛されました。

画期的とも言える
動物保護運動や自然保護活動が
ナチス・ドイツにおける
人種差別や障がい者差別と
なぜ両立するのだろうか?

そのあたりを考えると
「保護とはなにか?」
「その背景の思想とはなにか?」
にじっくり向き合わざるを得なくなる。

歴史は、
「保護の本質」に迫る重要な問いを
投げかけてくれる。

 

 

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2021年5月 2日 (日)

称賛されるペットの特徴は、

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称賛されるペットの特徴は、

- 「殺処分」だけがペット問題ではない -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、
 * 人類が他の動物に食べられていたころ
 * トキの「復活」?
 * 侵略的外来種「ネコ」
について紹介したが、今日は
もう少し身近なペットについて
考えてみたい。

チワワ、ダックスフント、ブルドッグ、
ドーベルマンなどの「犬種」は、
生物学的には(オオカミの亜種である)
イエイヌの「変種」です。

こうした犬種は、
手近な図鑑にあるものだけでも
500種近くあります
が、
それらは自然に発生したのではなく、
近親交配など人為的方法によって
作り出されてきました。

 

もとは「牛(ブル)いじめ」という
見世物用に開発されたブルドッグも
1835年の動物虐待防止法で
「牛いじめ」が禁止されると
番犬、愛玩犬として飼われるようになり
身体的特徴が
ますます強調されるようになる。

しかし、この独特の外観は、
ブルドッグの健康に大きな問題
もたらすことになりました。

まず、ブルドッグは
あまりに頭が大きいため
母親の産道を通ることができず、
出産はふつう、
人の手による帝王切開になります。

また、鼻先が短すぎるので
うまく呼吸ができず、
生涯にわたって睡眠時無呼吸など
酸素不足に悩まされます


このため体温調節も難しく、
呼吸不全や心不全で
若死にしやすくなっています

これらに対し、
ペンシルベニア大学
「動物と社会の相互作用に関するセンター」
所長のジェームズ・サーペル氏の
こんな言葉も紹介されている。

「もしもブルドッグが
 遺伝子組み換えの産物だったなら、
 西欧世界全域で抗議デモが
 巻き起こっていたことだろう。
 まちがいない。

 ところが実際には
 人の都合に合わせた交配によって
 作られたので、
 その障害は
 見過ごされているばかりか、
 場所によっては
 称賛されてさえいる

 

こういった生体改造は、もちろん
ブルドッグだけではないし、
犬に対してだけではない。

関節疾患や外耳炎になりやすい構造を
持たせてしまったダックスフント

頭蓋骨が小さすぎて脊髄や
脳の障害に苦しむことが多い
キャバリア・キング・チャールズ・
スパニエル


猫に関しても、

短頭のため呼吸困難、眼病、
涙管奇形になりやすい上に
死産の確率が高いヒマラヤン

軟骨に奇形があり、
若い時から重い関節痛を発症しがちな
スコティッシュ・フォールド

などなどいつもの例を挙げている。

ペットの問題というと、
人間の身勝手な振舞いが原因となっている
「殺処分」が話題になることが多いが、
こうしてみると、
かわいいペットが欲しい、という
「人の都合に合わせた」生体改造が
生物としての種そのものに
様々な問題を引き起こしている
ことが
よくわかる。

しかも、
そういった強調された身体的特徴は、
まさに
「場所によっては
 称賛されてさえいる」
わけだ。

称賛されるペットの特徴には、
生物として健全に生きる権利を
奪っている側面もあるのだ。

「殺処分」だけがペットの問題ではない。

 

 

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2021年4月25日 (日)

侵略的外来種「ネコ」

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侵略的外来種「ネコ」

- 生態系にとっての悪の枢軸!? -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、
 * 人類が他の動物に食べられていたころ
 * トキの「復活」?
について紹介したが、今日は
「ネコ」についての
ちょっと意外な数字を紹介したい。

まずは侵略的外来種の説明から。

人間による環境破壊の一つに
「外来種問題」があります。

外来種とは、
もともとその地域にいなかったのに、
特に人間によって
他の地域から移入させられた生物で、

その中でも、
地域の自然環境や生物多様性を
脅かすおそれのあるものを
「侵略的外来種」(侵略的外来生物)
と呼んでいます。

現在の生物多様性減少の最大の原因は
生息地の減少・破壊
(特に熱帯林の破壊)ですが、

外来種問題は二番目の原因とも言われ、
過去400年間の種の絶滅の半分は
外来種によるとされています

(Courchamp, Franck.(2006)
 「世界の島嶼地域における
  侵略的外来種問題」
 『哺乳類科学』vol.46(1)85-88.)

では、侵略的外来種と言えば
具体的にはどんな生物だろう。

なんと
代表的な侵略的外来種の一つはネコ
だという。

ネコという動物の問題は、
たとえ飼い猫のように
食べ物が充分にあっても
「おやつ」や
「娯楽」のために狩りをし

多くの動物を殺すことです。
(「過剰捕食」[hyperpredation]と
 呼ばれます)。
この点、ネコはわたしたち
ホモ・サピエンスとよく似ています。

 

仮に過剰捕食があったにせよ、
ネコと「侵略的」という言葉が
どうも結びつかない。

オーストラリアを例に
少し具体的な数字で見てみよう。

オーストラリアには現在
2000万匹とされる野良猫がいますが、
このネコたちは今までに
 100種以上の鳥類、
  50種以上の哺乳類、
  50種の爬虫類、
 多くの両生類や無脊椎動物を
絶滅させました
(Courchamp, Franck.(2006)
 「世界の島嶼地域における
  侵略的外来種問題」
 『哺乳類科学』vol.46(1)85-88)。

過去だけではない。今後も...

オーストラリア環境省によれば、
ネコは一日に
 7500万の固有種の動物を殺し、
  35種の鳥類、
  36種の哺乳類、
   7種の爬虫類、
   3種の両生類を
絶滅させようとしています

にわかには信じられないような数字だが、
ネコのことを

オーストラリア環境大臣はネコを
「暴力と死の津波」

オーストラリア野生動物
管理委員会委員長は
「生態系にとっての悪の枢軸」

と呼んでいる関係者の言葉は
まさに数字を裏付けるようだ。

なのでこの現実に対して

2006年にオーストラリア政府は
1800万匹の野良猫の根絶」を宣言し、
金属製のトンネルに猫をおびき寄せて
毒ガスを噴射するわなや
毒入りのソーセージなどを開発して
駆除を進めてきました。

2015年には、環境大臣があらためて
「2020年までに200万匹の
 野良猫を殺処分する」計画を
発表しています。

 

もちろんネコの問題は
オーストラリアだけではない。

* ニュージーランドのラウル島で
  数十万羽いたセグロアジサシが絶滅、

* 亜南極のケルゲレン諸島で
  年間約125万羽の海鳥が殺される、

などなど

ネコは世界のほとんどの島に
持ち込まれており、
島の動物相を破壊するスピードでは、
 ネコの右に出るものはいない

(ソウルゼンバーグ ウィリアム.(2010)
『捕食者なき世界』野中香方子訳,
 文藝春秋)

と言われる例を並べている。

「個としての動物」たちの
命や苦しみよりも
「生態系」の保護が優先されるという
大義名分のもと、
外来種を駆除してしまっていいのか、は
簡単な問題ではないが、

ネコに対して
かわいいペットのイメージしか
なかったせいか
上記「破壊力」の数字には
ほんとうに驚いてしまった。

備忘録代わりにメモっておきたい。

 

 

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2021年4月18日 (日)

トキの「復活」?

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トキの「復活」?

- 対象だけでなく環境も含めて -

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

から、その一節を紹介する2回目。

今日は、
トキの「復活」について触れたい。

日本を象徴する鳥と言われるトキ
学名ニッポニア・ニッポン)は、
明治末以降、食用や羽根を取る乱獲で
1930年代までに
数十羽にまで減りました。

1952(昭和27)年にトキは
特別天然記念物に指定され、
佐渡や石川県で
禁猟区が設定されましたが、

おそらくは農薬散布による餌の減少、
開発による水田の減少などのため、
2003(平成15)年に絶滅しました。

学名が
Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)
というのは初めて知った。

すごい学名だ。
国鳥のキジの立場はどうなるのだろう?
は、よけいな心配か。

それはともかく、
日本種の絶滅に瀕して
中国からの輸入が始まっていた。

1999年以降、
中国から贈られたトキ5羽を元に
人工繁殖させる試みが始まり、
2008年から佐渡で放鳥が始まり、
2019年には350羽が生息しています

なお、中国のトキと日本のトキは
遺伝子の違いがごく僅かな同一種で、
「例えて言うなら、
 日本人と中国人の違いみたいなもの」
(石居進『早稲田ウィークリー』919号)
とされています。
いわば、日本人が絶滅したので、
「同一種」である中国人を連れてきて
「復活」させたようなものです。

これを「復活」と
言っていいかどうかはともかく、
トキが生息するようになったのは
事実だ。

トキの場合は、その絶滅が
生態系の破壊を引き起こしたというより、
「日本には美しいトキがいてほしい」
という日本人の「願望」で
計画されたと言えます。

しかし、トキは1952年に
特別天然記念物に指定されて以来、
50年間保護されたにもかかわらず
絶滅しているので、
日本ではトキが生息しにくい環境が
広がっていると考えられます

この指摘は、
すごく大事なことを含んでいると思う。

トキの保護政策や技術については
何も知らないので、
トキのことに関して
その是非を論じる力は一切ない。

ただ、

「50年も保護してきたのに
 絶滅したということは
 すでに環境のほうが
 合わなくなっているのではないか


の視点は、
トキの場合に限らず、
また生物の場合に限らず、
あるものの生存戦略を考える上で
大事な視点のひとつだろう。

特に、「願望」で無理やり
存続させようとするとき
って、
存続のために「対象への対応」ばかりに
議論が偏る傾向が強い気がする。
対象をどう保護するか、とか
対象をどう強くするか、とか。

 

地元では、かつての
トキが生息していたころの環境を
復活させる取り組みも
行われているらしいが、

そうでなければ、
そのような環境に無理やり
導入させられた中国産のトキは
「いい迷惑」かもしれません。

 

 

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2021年4月11日 (日)

人類が他の動物に食べられていたころ

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人類が他の動物に食べられていたころ

- 生得の武器がない -

 

今週は、2つの驚く記事を目にした。

(1) 人類は「肉を食べ尽くしたあと」雑食に移行したと判明
  人はもともと肉食動物だったが、
  過剰狩猟のため、その後、
  植物性の栄養源を取り入れるようになり
  次第に雑食化していったとのこと。

  詳しい内容は、
   American Journal of Physical Anthropology
  に。

(2) 素粒子物理学の根幹崩れた? 磁気の測定値に未知のずれ
  素粒子物理学の基礎である
  「標準理論」で説明できない現象
  捉えたと、
  米フェルミ国立加速器研究所が
  2021年4月7日、発表した。
  素粒子ミューオンの磁気的な性質が、
  理論で想定される値から
  大きくずれていたという。

  理論が想定していない力が働いていたり、
  未知の素粒子が影響
したりしている
  可能性がある。

  元となる発表はこちら。
   First results from Fermilab’s Muon g-2 experiment strengthen evidence of new physics

どちらもこれから精査が必要だろうが、
長く広く信じられていたことが
書き換えられるかもしれない発表には
ドキリとさせられる。

仮に100%の新発見でなかったとしても、
そこにはこれまで見落としていたような
大事な視点や事実が
含まれていることも多々あるし。

今後の検証報告等に気をつけていきたい。

 

これらのニュース、特に(1)を耳にして
思い出した本があるので、
今日はその本について触れたい。

 

動物と人間の関係を
200冊以上の引用文献を駆使し、
 *ペット
 *動物虐待
 *屠畜と肉食
 *動物実験
 *動物の福祉・解放
などの視点から見つめ直している

生田武志 (著)
いのちへの礼儀
筑摩書房

(以下水色部、本からの引用)

は、

「いのちへの礼儀」という書名が
ある意味「救い」とも言える
実に重い本だった。

特に、畜産業(本では工業畜産とか
動物工場とかの言葉を使っているが)
における動物の扱いの実態は
読むことさえ辛い。

もちろん、肉も卵も食べているのだから
その恩恵は目一杯受けているし、
逆に、本来は知らなくてはいけないこと
なのかもしれないが、
やはり「残酷」と思える現実からは
どうしても目をそむけたくなる。

ただ、この本の価値は
そういった現実を
単に読者に知らせることにはない。

動物と人間との関係を
広く、冷静に見つめ直すことで
読者に「いのちへの礼儀」を
改めて真摯に考える
きっかけを与えてくれていることにある。

なので、客観的な事実がどうか、
という情報の問題だけでなく、
新たに気付かされることも多い。

450ページほどの内容豊かな本から、
そんな点に絞って
いくつか言葉を紹介したい。

最初はやはりこれ。

肉食しなくても生きていけるのに、
なぜわたしたちは
わざわざ動物を殺すのでしょうか

明確な解があるわけではないのだが、
まさに通奏低音のように
本を読んでいる間じゅう
静かに流れ続ける問いだ。

まずは歴史を振り返ってみよう。

ジャングルに住む
初期の人類は草食でしたが、
サバンナに進出した後、
250万年ほど前から
少量の肉を食べ始め、
200万年前には
肉食が定着したようです。

そんな古い食性がどうしてわかるのか?
化石骨から読み取れるようだ。

250万年前から200万年前の
オーストラロピテクスの
化石骨の分析では、
食性の70%が植物性、
30%以下が動物性となっています。

動物性は、昆虫や
トカゲなどの小型の脊椎動物を
食べていたことに由来するらしい。

そもそも、人類の
大きく平たい切歯と臼歯という特徴は、
「肉食」動物でも「草食」動物でも
「雑食」動物でもなく
「果実食」であることを示しています
(三浦慎悟(2018)
 『動物と人間 関係史の生物学』
 東京大学出版会)

 

さて、ここで話を次の段階の
「狩猟」に発展させようとすると
あることに気づく。

一般に、体重が150キログラムより
軽い動物は捕食されやすく

それ以上の体重の動物
(スイギュウ、サイ、カバなど)は
ほとんど捕食されないことが
知られています
(タンザニアの
 セレンゲティ国立公園での
 40年間の調査による)

そう、人間自体が
大きな動物の獲物だったのだ。

人類はほとんど生得の
武器のない生き物です。

ライオンやヒョウのように
時速70キロメートルで走れず、
鋭い牙もかぎ爪もありません。

チンパンジーは鋭い犬歯があり、
握力も約300キログラムあり、
ゴリラも150キログラムの体重で
握力は500キログラム程度ある
とされますが、それでも
現在の野生の霊長類は
年間「4匹中1匹」が
捕食されている
のですから
人類もそれに近い程度
食べられていたと考えられます
(事実、動物に食べられた
 跡の残るホモ・サピエンスの骨格

 各地で発掘されています)

まさに

人類は「狩人」であると同時に
他の動物たちの「食べもの」

だった時期があるわけだ。

ホモ・サピエンスが
「出アフリカ」を果たすのが
約6万年前、
船、弓矢、針などを発明するのが
約7万年前から3万年前、
狩猟具を身に着け
食物連鎖の頂点に立つようになるのには
かなり時間がかかったことになる。

「食べられていた」ころの記憶が
体のどこかに残っているのであれば
他の動物に対してもう少し
優しくなれるような気がするのだが。
残念ながらそこからも時間が経ちすぎた
ということなのだろうか。

 

 

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2021年1月 3日 (日)

「クーデター本部に顔パス」の外交官

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「クーデター本部に顔パス」の外交官

- プロがプロを取材して -

 

明けましておめでとうございます。

備忘録を兼ねた
まさに気ままなブログではありますが、
今年もボチボチ続けていこうと
思っていますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

昨年末2020年12月27日の朝日新聞
「Reライフ 輝く人」に
作家 佐藤優(さとうまさる)さん
記事が出ていた。

佐藤さんが、自らの逮捕、勾留の体験を
感情的にならず冷静に記述している
(おそらく最初の著書)

はたいへんおもしろい本だったが、
あれから15年、
記事には
「これまでに出版した著書は
 900冊を超える」

とある。
 900 / 15 = 60
共著でお名前を拝見することも
多いとはいえ、年間60冊で15年、
900冊はなにかの間違いではないだろうか?

ともあれ精力的な活動の一方、
「心からつきあえる人は、
 5人もいれば十分」

先が見えてくる50代以降は
「消極主義」で生きるべきだ
と話している。

 

佐藤優さんというと
忘れられない新聞記事がある。

産経新聞
2002年3月1日第一面

020301sankeisato

彼の力量 誰が認めたか
前主任分析官「佐藤優」を考える

との見出しの記事。
(以下水色部、
 産経新聞の記事からの引用)

記事はこう始まっている。

ソ連の要人の家に連日、
 夜討ち・朝駆けを続けている
 日本大使館員がいる
」。

モスクワでこんなうわさを
耳にしたのは、
ゴルバチョフ政権下の
ペレストロイカ(再編)が
軌道に乗り始めた
1987年秋のことだった。

この外交官が当時まだ27歳で
いわゆる「ノン・キャリア」の
三等書記官「佐藤優」

なる人物であることはすぐに知れた。

ソ連の要人に夜討ち・朝駆けという
古典的手法でアプローチを試みる
若き外交官。

その対象は驚くべき広範囲に渡っていた。

佐藤に会い、度肝を抜かれた。

夜討ち・朝駆けの対象は
ソ連の政界、経済界、学会、
マスメディア、ロシア正教会、
国家保安委員会(KGB)関係者、
果てはマフィアの親分
・・・と、
表と裏世界の隅々にまでおよび、
しかもその手法は
新聞記者の私も全く顔負けだった。

早朝、出勤前に平均二人、
真冬の凍てついた夜でも
ウオツカを手に深更まで
昼間仕込んだ住所を探しあて、
二人、三人、四人と
相手のアパートの扉をたたき続けた。

佐藤のこの粉骨砕身の
地道な努力が培った
幅広い人脈は数年後、
赫々たる成果を生んでいく

たとえば、どんな成果か?
ちょっと見てみよう。

1991年1月、
リトアニアのテレビ塔を死守する
独立派民衆に
ソ連軍の戦車が襲いかかり、
13人の犠牲者を出す
「血の日曜日事件」が発生。

戦車は「独立運動の砦」
・リトアニア最高会議に
次の攻撃の照準を定めていた。

現地入りした佐藤は人脈をフル利用し
攻撃側の
リトアニア共産党・ソ連派幹部と
独立派幹部の間を
何度も行き来して説得工作を繰り返し、
ついに戦車の進軍を阻止したのである。

最高会議には数百人の民衆が立てこもり、
武力衝突は大流血を意味していた。

「バルト三国の民族衝突拡大は
 ソ連全体の行方を一段と不透明にし、
 これを阻止することは
 日本の国益に合致すると必死でした」。
佐藤はのちに記者にこう述懐した。

ソ連派幹部と独立派幹部の間を
何度も行き来して、
戦車の進軍を阻止したなんて。

 

同年8月、当時のソ連大統領、
ゴルバチョフを
クリミア半島に一時軟禁した
ソ連共産党守旧派(左翼強硬派)による
クーデター未遂事件が起きるや、
佐藤はモスクワ・スターラヤ広場の
ソ連共産党中央委員会に陣取る
「クーデター本部」に
顔パスで潜入した


ゴルバチョフの生死が
世界中の関心を呼んでいたときに、
佐藤は
「ゴルバチョフは生きて
 クリミアにいる。
 表向きの病名はぎっくり腰だ」
との情報を世界に先駆けてキャッチ、
至急報の公電を東京に送った。

クーデター本部に顔パス!とは。
いったい、どんな人脈を
築いていたのであろう。

スパイ小説のようなことが
ほんとうにあるのだ。

 

佐藤さんの異国での驚くべき行動力には
ほんとうに頭が下がるが
この記事は別な意味でも
強く印象に残っている。

最後に(モスクワ 斎藤勉)とある通り、
斎藤記者の署名記事となっているが、
斎藤さんが佐藤さんのことを
実に丁寧に取材していることがよくわかる
記事だったからだ。

記者が取材して書くなんて当たり前、
と言いたいところだが、
最近の(と言っても
この記事自体20年近くも前のものだが)
新聞記事で
「ちゃんと取材して書いているなぁ」
と思えるものは
残念ながら驚くほど少ない。

プロの記者さん、
まさにプロの仕事をお願いします。

今年はそんな記事が
一本でも多く読めますように。

 

 

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2020年12月27日 (日)

水一滴もこぼさずに廻る地球を

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水一滴もこぼさずに廻る地球を

- こういうところに棲んでいましたか -

 

世界の感染マップによると、
新型コロナウイルスの世界の感染者は
2020年12月27日時点で
累計で8022万人を超えた。
死者は175万人を上回っている

そんな2020年が暮れようとしている。

 

ナショナル・ジオグラフィックが
2年前の年末にこんな記事を公開している。

「月から昇る地球」
世界を変えた撮影から50年

NASAが撮影した
有名なこの写真についての記事だ。
(以下水色部、記事からの引用)

1968earth

(PHOTOGRAPH BY NASA)

1968年の

クリスマスイブ、月を周回する
アポロ8号に乗った3人の宇宙飛行士は、
月の向こう側に浮かぶ地球を
写真に収めた。

NASAはこれを、
アポロ8号が地球に帰還してから
3日後の1968年12月30日に公開した。

手前には荒涼とした月面が広がり、
宇宙の暗闇の中に
美しいマーブル模様の地球が
輝いている。

 

この写真を見た
詩人の茨城のり子さんは
「水の星」という詩を発表している。
その中の一節。

生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真

こういうところに棲んでいましたか


これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの
意識の差が出る筈なのに
みんなわりあいぼんやりとしている

太陽からの距離がほどほどで
それで水がたっぷりと
渦まくのであるらしい

中は火の玉だっていうのに
ありえない不思議 蒼い星

 

新型コロナウイルスが人間世界に
どんな事態を引き起こしていようと
地球は来年も、水一滴こぼすことなく
廻り続けることだろう。

ここに書いた通り
年月日を8桁で表わした
今年の大晦日:20201231

明けて元日 :20210101
はどちらも素数だ。
(双子素数ではないけれど、
 名前を付けたくなる連続(?)素数だ)

慌ただしい年末、
人間世界のゴタゴタから離れたところで
いっとき遊んでみたくなる。

宇宙から地球を眺めるような気持ちで
来年のことを考えてみるのもいい。

皆様、どうぞ穏やかに
すてきな新年をお迎え下さい。

 

 

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