足立美術館(2)

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足立美術館(2)

- 借景の庭を上空から見ると -

 

米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の
「日本庭園ランキング」で
16年連続日本一に選ばれている足立美術館。

前回に続いて、
今日は庭師の方の言葉を紹介したい。

これほど完璧な庭、
いったいどんな人が
どんな思いで日々の世話を
しているのであろうか?

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(写真はすべてiPadで撮影)

 

この庭の責任者、
庭園部長・小林伸彦さんに取材した記事が、
2017年4月22日
朝日新聞フロントランナーに
あった。

「一幅の絵画」を守る庭師
の見出しで紹介されている。
(以下、薄緑部記事からの引用)

 春のツツジ、夏の万緑、
秋の紅葉、冬の雪景色……。
四季の移ろいに合わせながら、
カンバスとなる庭園の細かな輪郭や、
庭木、白砂の質感を維持するため、
専属の庭師6人を率いる。

「生い茂ろうとする
 木と名石のバランス、
 そして庭園全体の調和を
 いつも考えて仕事をしています」

庭と借景の山々の一体感も演出する。
手前のマツの葉を薄くし、
奥に向かって濃くなるように
枝葉を残す


奥を淡くすると山が遠のき、
庭と引き離されたような印象を
与えてしまう。

絵画の遠近法とは逆の論理になる。
この濃淡の調整で庭園の均衡を保つ。

この記事の通り
「庭と借景の山々の一体感」が
ひとつの見もので、
実際庭を目の前にしても
まさに揺るぎない一つの作品として
迫ってくる。

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小林さん自身、
初めてこの庭に出会ったときのことを
次のように述べている。

--足立美術館との出会いは?

26歳の時、転職先の造園会社から
応援で派遣され、驚きました。

庭と借景の山は
県道や田んぼで
隔てられている
んですが、
それが連なっているように
見えるんです。

そんな庭は
京都でもお目にかかれません。

さらに来館者から
「きれいな庭ですね」
と声をかけられる。

京都での修業の時は、
お客さんとの会話が
ほとんどなかったので新鮮でした。

毎年応援に行くうちに、
ここで自分の人生を賭けてみようと
決めました。

この借景の庭、実は
県道と田んぼで分断されている!?

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現地での解説でもそう言っていた。
でも、実際に庭を目の前にすると
にわかには信じられない。

帰ってから地図で確認してみて
さらに驚いた。

Googleマップの衛星写真を拝借して
空から眺めてみよう。

Adachimap

写真の中央下、
緑色破線の矩形で囲まれた部分が
いわゆる美術館の敷地で、
近景を構成している庭があるところだ。

その先に、まさに県道、
県道に沿って川、
そのうえ広く田んぼまである。

遠景を構成している山は
さらにその先。

美術館からメインとなる
枯山水庭や白砂青松庭
を眺めている角度を
黄色い扇型で重ねてみた


うーん、この角度の景色を
借景含めてこの作品にしてしまうとは。
窓ガラス越しに眺めてもこの美しさ、
この統一感。

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お客さんは
気づかないかもしれませんが、
開館時間までに
必ず枯れた葉を取り除き、
コケを補充しています。

「ツグミがミミズを食べるために
 ほじくり返したコケも見逃しません」
と言い切るような
きめ細やかな手入れだけでなく
長期視点での準備も万全だ。

--それでも庭木は高くなり、
 太りますね。

美術館の近くの
仮植場(かしょくば)で、
様々な大きさの
400本のアカマツや
40本のクロマツ
を手入れしています。

幹が太くなってくると、
すぐに元の大きさ、
形のものと植え替えられるように
するためです。

役目を終えた木は捨てず、
山に植えます。

大きめのマツが必要になる将来に備え、
仮植場に移すこともあります。

現地の解説では、
「庭に重機が入れられないので
 大きな木の植え替えも
 すべて人力による手作業で行われる」
と言っていた。

毎朝の手入れから長期視点での準備まで
美しさ維持への心配りが
16年連続日本一を支えている。

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この記事の中で、もう一箇所
響いたところがある。

--将来にわたり
 技をどう引き継いでいきますか?

庭園部は50代から20代までと
世代のバランスが良く

心配していません。

庭師は体が資本。
年を取って木に登れなくなれば
潮時かもしれません。
木の下から部下にあれこれ言うと、
煙たがられるだけですから。

 

(1) 日々のきめ細やかで丁寧な
  庭園のメンテンス

(2) 距離のある借景を活かすセンス

(3) 400本のアカマツをはじめ、
  仮植場(かしょくば)に中長期視点で
  用意されている植替用の木々たち

(4) 7人の部署ながら
  技の継承を意識した年齢構成

庭園だけでなく、
庭園「部」自体の成長も視野に入っている
強力なリーダに支えられてこその
「16年連続日本一」だ。

 

 

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2019年7月14日 (日)

足立美術館(1)

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足立美術館(1)

- 16年連続日本一の庭園 -

 

足立美術館は、実業家の
足立全康(ぜんこう1899-1990)さんが
生まれ故郷の島根県安来市
1970年、71歳のときに開館した美術館だ。

島根県松江市から車で約30分。

横山大観をはじめ近代日本画を
メインに蒐集している美術館だが、
この美術館の名を
内外に轟(とどろ)かせているのは、
なんといってもその庭だ。

枯山水庭、苔(こけ)庭、池庭など
複数の「庭」を目当てに
訪問する観光客が多い。

丁寧に手入れされた庭は、
米国の日本庭園専門誌
『The Journal of Japanese Gardening』の、
「2018年日本庭園ランキング」で
第一位に選ばれている。

しかも、
全国の日本庭園900か所以上を対象にした
同誌のランキングにおいて
今回の選出により
「16年連続日本一」をも達成しているのだ。

ちなみに
2018年日本庭園ランキング
ベスト5は

 1位 足立美術館(島根県)
 2位 桂離宮  (京都府)
 3位 皆美館  (島根県)
 4位 山本亭  (東京都)
 5位 京都平安ホテル(京都府)

となっている。

日々変化し続ける庭において
16年連続日本一とは。

 

いったいどんな庭なのだろう?
我々夫婦も期待いっぱいで
入館の列に並んだ。

おもしろいのは
美術館なのに入館した人は皆、
まずは庭の眺めを探して
キョロキョロしていること。

実は慌てずとも、入り口から
巡回コースが作られており、
館内を順に歩くだけで、
各所から庭を眺められる構造に
なっている。

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(写真はすべてiPadで撮影)

私が訪問したのは
改元に伴う連休中だったため
バスでやってくるような団体客も含めて
まさに多くの訪問者で賑わっており、
「ゆっくり愛でる」
という雰囲気ではなかったが
それでも庭の美しさには
たちまち目を奪われた。

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「ゆき届いている」
この言葉が最初に浮かんだ。

 

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全体のレイアウトだけでなく、
ゴミはもちろん、枯れ枝や落ち葉さえ
一本一枚も落ちていないほど、
手入れが行き届いている。


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そのうえ、
借景も含めた遠近感の設定が絶妙で、
空間がどこまでも広がっていくような
不思議な開放感がある。

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この美しさ、どう表現すればいいのだろう。

 

歩くに従い少しずつ角度を変えて
違った顔を見せてくれる。

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パノラマ写真を使って
広角的に池の周りを写すとこんな感じ。

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館内には窓枠を額縁に見立て、
庭園を絵画のように
眺められる仕掛けもある。

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縦長に切り取ればまさに掛け軸だ。

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この「生の掛け軸」となる
「壁の穴」は、
足立さんが師と仰ぐ、
「米子商工会議所の名誉会頭だった
 故坂口平兵衛さんの発想を
 頂戴したもの」
と足立さん自身が自伝
庭園日本一
 足立美術館をつくった男
』に
書いている。

本によると
「床の間に穴を開けるなんて」と
猛反対する職員や大工を前に、
足立さん自らがカナヅチを持って
壁をぶち抜いてしまったらしい。

 

それにしても、これほど完璧な庭、
いったいどんな人が、どんな思いで
日々の世話をしているのであろうか?

ここの庭師の方の話が
以前少し詳しく新聞に出ていたことがある。

次回、その話を紹介したい。

 

 

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2019年7月 7日 (日)

島根県の民藝めぐり(2)

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島根県の民藝めぐり(2)

- 出西窯とobjects -

 

島根県の民芸めぐりの2回目。
今日は、
島根民芸の代表選手のひとり、
出西(しゅっさい)窯から訪問したい。

参考図書は今回も

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出西(しゅっさい)窯】

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(写真はすべてiPadで撮影)

この大きな建物は
くらしの陶・無自性館」。
窯元に隣接している販売展示館だ。

吹き抜けを備えた2階建てで
多くの作品を一覧できる。

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この出西窯、
戦後間もない昭和22年(1947年)に
農家の5人が始めたものらしい。

開窯して間もなく、
河井寛次郎や濱田庄司に会い、
民芸運動に参加することを一同決心。

民芸の巨匠らの指導を受けつつ、
手仕事による、
実用的で美しい器作りを目指します。

以来70年、
郷土の土や釉薬の原料にこだわり、
土作りから一貫して工房内で生産

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縁に鉄砂引きを施した
呉須釉(ごすゆう)の器
は、
出西窯を代表する製品で、
深みのある青は
「出西ブルー」と呼ばれている。

Syussaiblue

焼くことで浮かび上がる
まさに焼き物ならではのブルーだ。

いくつかお目当ての作品があったのだが、
鳥取の岩井窯同様
希望するサイズのものは
残念ながら
連休前半で売れてしまっていた。

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工房では「登り窯」も公開されている。

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50年以上も使っているという
歴史のあるものだが、
今でも年に数回、
火を入れられるらしい。

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この棚いっぱいとなれば
相当な数が焼けることだろう。

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また開窯から現在に至るまで
共同体の形をとり、
器を共同製作しているのも
この窯の特徽です。

「分業ではなく、陶工の各人が
 決められた種類の器を、
 成形から釉掛けまで
 受け持っています

 効率的かどうかは別として、
 分業だとつまらないでしょう」

とは、出西窯代表多々納さんの言葉。

 

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現在は研修生を含め
13名が陶器の製造に携わっているという。

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販売展示館には
次々と客がやってきていて、
観光地並に大賑わい。

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工房と販売展示館の裏には、
出西窯の器を使ったBakery&Cafe
「ル コションドール出西」
があり
焼き立ての美味しそうなパンの匂いが
駐車場にまで流れてきていた。

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客の動きを見ていると、駐車場から直行、
このパン屋さんだけが目当ての客も
結構いるようだ。

 

もう一箇所、
出雲松江藩の城下町として栄えた
松江市内で寄ったのは

【objects:オブジェクツ】
ここも倉吉のCOCOROSTOREと同様
古い建物をリノベーションして
店舗にしている。

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もとはテーラーだったらしく
レジを兼ねたカウンタは
テーラーの時のものを
そのまま利用している。

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「東西に長い島根には
 窯元が点々とあって、
 各々の風土に合ったものを
 作ってきました。

 例えば石見(いわみ)は、
 採れる土がきめ細かく
 よく伸びることから、
 水甕(みずがめ)などの大物を。

 一方、出雲は
 藩主の松平不昧(ふまい)公が
 茶人だったので、
 茶陶の伝統があります。

 それぞれ特徴は異なりますが、
 全般に道具として
 しっかりしたものが多いのは、
 民芸運動が与えた影響が
 大きい
からだと思うんです」。

とは店主の佐々木さんの弁。

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扱っているのは
湯町窯や出西窯、森山窯、岩井窯といった
山陰の窯元をはじめとする焼き物のほか、
岡山の漆器やガラス器、
真鍮のカトラリー
など。

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トーンの違う様々な焼き物を
上手に展示してあり、見ていて楽しい。

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温泉津町の森山窯
素敵な皿との出合いがあって一枚購入。

 

objectsのあるエリア、
他にも古いレトロな建物が多い。

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ちょっと怪しい店も含めて
散策するといろいろおもしろいことが
発見できそうな味のあるエリアだ。

 

 

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2019年6月30日 (日)

島根県の民藝めぐり(1)

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島根県の民藝めぐり(1)

- 出雲民藝館 -

 

鳥取県の民藝めぐりに続いて、
お隣、島根県の民藝も見てみたい。

今日も参考図書は

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

 

【出雲民藝館】

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(写真はすべてiPadで撮影)

なんとも立派な門が出迎えてくれる。

昭和49年(1974年)に開館した
出雲民藝館の建物は、
出雲地方きっての豪農だった
山本家の寄付によるものだという。

民芸運動に賛同したのは
職人たちだけではなかったのだ。
民芸の趣旨に感銘を受けて、
さまざまな形で協力した人々がいた。

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民藝館入り口の長屋門は
まさに堂々たる構え。
江戸時代、延享3年(1746年)の建造で、
出雲大社造営の棟梁が手がけたという。

入場料を払うと、
正面の母屋には
 今も人が住んでいます
ので
 公開されている
 本館と西館だけを
 見学するようにして下さい」
と注意された。

Izumomingei1

まずは本館を見学。

本館は、3千俵もの米俵を収蔵していた
米蔵を改修したもの。

入ると最初にこんな額が。

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「民芸の性質」とある。

民芸の性質
 * 庶民的なもの
 * 実用的なもの
 * 数多く作られるもの
 * 安価を旨とするもの
 * 健康なもの
 * 簡素なもの
 * 協力的なもの
 * 伝統に立つもの

もちろん「民芸」に
かっちりとした定義があるわけではないが、
個人的にはこれに
 * 自分の暮しにフィットするもの
 * その土地の素材を大事にしたもの
などを勝手に足しながら
楽しんでいるかもしれない。

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壁にかかっているのは、
出雲地方で婚礼の際に使われた
嫁入り風呂敷
筒描染という伝統技法で、
家紋や吉祥文を染め抜いている。

風呂敷の下に並んでいる大きな壺は、
石見焼の大野壺。

「石見焼の巨大な野壺は、
 廃棄されそうになっていたものを
 協力者が見つけて、わざわざここに
 運んできてくれたそうです。
 その情熱に頭が下がります」
と事務局の方。

江戸末期から昭和初期にかけての
ものを中心に、布志名焼、石見焼
はじめとする陶磁器や、
かつてこの地方で盛んだった藍染、
木綿絣(もめんかすり)、
木工品などが展示されている。

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出雲民藝館事務局の方によると、

「展示品は、
 出雲民藝協会の会員や、
 県内外の協力者が寄付してくれた
 コレクションがもとになっています。

 すべて暮らしの中で
 使われてきたもの
で、
 その健康的な美しさとともに、
 そのような品を使う
 暮らしの美しさをも
 伝えたいというのが、
 この民藝館の趣旨です」。

 

西館は材木蔵を展示館として改修。
山陰の作り手による民芸品のほか、
農耕具なども並ぶ。

藍染の絵柄のデザインがすばらしい。

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昔の農工具なども
そのまま保存・展示されている。

私自身、農家が多い地域で育ったせいか、
子どものころに、近所の農家で
見た記憶のあるものもある。

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入り口となっていた長屋門の一角に
小さな売店もある。

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靴を脱いで上がる畳敷きの部屋で、
大きくはないが、
出西窯、湯町窯、森山窯、
袖師(そでし)窯、白磁工房

といった地元の陶磁器や、
木工品、和紙、染織など、
島根の手仕事を幅広く集めている。

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訪問日は2019年5月5日。
連休中の一日にもかかわらず
我々夫婦が訪問したとき、
他の訪問者はゼロ。

館内をゆっくり静かに見られたし、
売店では
他のお客様に気兼ねすることなく
事務局の方と
自由に話をすることができたが、
完全な貸し切り状態というのは
それはそれで寂しいものだ。

多くの民芸品を見た中では、
藍染の様々な絵柄が
妙に強く印象に残った民藝館だった。

 

 

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2019年6月23日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(2)

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鳥取県の民藝めぐり(2)

- 陶芸家・山本教行さんの言葉 -

 

前回、山陰の民芸における
吉田璋也の貢献について書いたが、
彼の影響を受けた人の作品も含めて
鳥取県内でもう二箇所、
民芸関連の場所を訪問したので
今日はそこを紹介したい。

 

【岩井窯】
鳥取市内から車で30分ほど離れた
緑豊かな山の中にある。

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(写真はすべてiPadで撮影)

作品展示室のほか、
岩井窯の器や土鍋で
お茶や食事ができる喫茶室、
創作資料のために自ら蒐集した
国内外の手工芸品を展示する
参考館も併設されている。

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作品展示室のものは
購入もできる。

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気に入ったものがあったので
「サイズ」や「枚数」等、
在庫についていくつか聞いてみたが、
残念ながら連休の前半で
ずいぶん売れてしまったようだ。

象嵌(ぞうがん)技法の結び模様や、
人気の高い掻き落としの牡丹柄等、
特徴のある作品が並ぶ。

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この窯の当主、山本教行さんと
吉田璋也との出会いについては
この本から一部引用したい。

 私の好きな民藝
 鞍田崇 他著
 NHK出版

(以下水色部は本からの引用)

クラフト館岩井窯と名づけられた
この工房の当主、山本教行さんも、
吉田璋也の薫陶を受けた一人。

16歳のときに璋也に出会い、
よく自宅に遊びに行ったり、
美術館の展示替えを
手伝ったりしたそうです。

「そこでもの作りに対する以上に、
 吉田先生の
 生活スタイルに憧れました

と山本さん。

璋也自身のデザインによる
家具や器に囲まれた
美しい暮らしに感動、

陶芸家になりたいというより前に、
 こういう暮らしがしたいと
 強く思わされました
」。

そのときの思いの延長線上にあるのが、
こちらの工房です。

 

工房が紹介された多くの本や雑誌、
作品展のちらし等も並んでいたが、
窯紹介のパンフレットを見ていたら
山本教行さんが、
こんな素敵な言葉を載せていた。

日常生活の中であたりまえすぎて
それほど気にならないのに
それでいて
常に大切に思えるものがある。
そういう物が焼けないかと思う。

私が作ったというより
生まれてきたと思えるものが
焼けないか
と念じてやまない。

「生まれてきたと思えるもの」か。

そんな精神が反映されたような
素敵な皿に出会えたので
2枚購入。

お手洗いの
「手洗い器」にも作品を使っている
気の遣いよう。おしゃれだ。

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外には大量の薪が積んである。
その前で眠っている犬も
じつに気持ちよさそうで
なんとも穏やかな空気感がいい。

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【倉吉】
鳥取市内から車で約1時間。
国の重要伝統的建造物群保存地区
に選定された
玉川周辺の白壁土蔵群が有名な倉吉。

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多くの観光客が訪れている。

江戸後期から昭和初期の建物が多い街並みも

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歩いていて楽しいが、
地図好きの私は、
街のど真ん中でこんなものを見つけて
ちょっと興奮してしまった。

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一等水準点。
一等水準点自体が珍しいわけではないが
街中でここまで大きく明示してあるものは
見た記憶がない。水準点は
国土地理院の地図には明記してあるので
場所はすぐにわかるのだが、行ってみると
忘れ去られたような標石が
寂しくしていることが多い。
ここの標石は幸せ者(?)だ。

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さて、この街並みの中にある
【COCOROSTORE】
民芸品を集めた素敵な店だ。

福光(ふくみつ)焼
国造(こくぞう)焼
上神(かづわ)焼といった
地元・倉吉の陶器のほか、
大塚刃物鍛冶(かじ)の包丁など
鳥取の手仕事を揃えている。

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古い建物をリノベーション

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目立つ看板は出ていないが
立ち寄る人は絶えない。

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自然栽培のごまや、
無農薬大豆で作るみそなど、
地元産の食材も扱っている。

ここでは、無地茶色の
国造(こくぞう)焼の皿を1枚購入した。

今回、時間的に町の散策は
ほとんどできなかったのだが、
ちょっと時間をとってぶらぶらしてみたい
そう思わせる小さな、素敵な町だった。

 

 

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2019年6月16日 (日)

鳥取県の民藝めぐり(1)

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鳥取県の民藝めぐり(1)

- 吉田璋也(しょうや)の功績 -

 

大山登山で嬉しい達成感を味わえたうえ、
皆生(かいけ)温泉の恩恵にも浴したものの、
登山ド素人の我々夫婦は、予想通り、
足の筋肉痛を避けることはできなかった。

というわけで、登山の翌日は
「あまり歩かなくてもいいコース」
で動くことにした。

今回の旅行では、大山登山のほかに
もうひとつ、
ぜひやりたいと思っていることがあった。
それは、
「民藝の焼き物を見て回ること」。

というわけで、登山の翌日は、
「鳥取県の民藝に触れる一日」
とすることにした。

 

鳥取県の民藝を語るうえで欠かせないのが
吉田璋也(1898-1972)」だ。
まずは、彼が作った
「民藝美術館」から話を始めたい。

なお、参考図書は、
 鞍田崇 他著
 私の好きな民藝
 NHK出版

(以下、水色部は本からの引用)

 

【鳥取民藝美術館】

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吉田璋也さん、
どんな人だったのだろう?

山陰の民芸の発展に
大きく貢献した吉田璋也(しょうや)


開業医だった璋也は、
「民芸のプロデューサー」を自任。
地元の手仕事の伝統をもとに、
職人たちを指導して、
新しいデザインの民芸品を作らせ、
また職人の集団「鳥取民藝協団」も
組織しました。

こうした「新作民芸運動」を背景に、
璋也は昭和24年(1949年)、
自分が蒐集した民芸品を展示する
鳥取民藝美術館を開設した。

JR鳥取駅からすぐのところにある。

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(写真はすべてiPadで撮影)

 

1階には、璋也がデザイン
もしくはプロデュースした民芸品を
メインに展示してある。

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焼き物に限らず、家具や障子の桟や

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コンセントカバーのような小物まで、

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吉田璋也のセンスが感じられる。

2階には、蒐集した民芸品。
コレクションは鳥取地方に
限定されたものではなく、
日本はもとより中国等海外からのものもある。

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この美術館の目的は

来館者に民芸品の美しさを
伝えることだけでなく、
職人たちに民芸の美の基準を
示すこと
にありました。

ここにあるものを手本に、
新しい民芸品を
作ってもらおうと考えたのです。

 

民藝美術館のとなりには、
昭和7年(1932年)に吉田璋也が開いた、
日本初の民芸店「たくみ工芸店」がある。

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この民芸店、開店の理由が感動的だ。

「すごいと思うことですが、
 璋也は職人たちの生活のため、
 自分が作らせたものを
 すべて買い取ったんです


 それを売るための場所が
 必要だったんですね」

と美術館の理事が語っている。

さらにその隣には、
昭和37年(1962年)
民芸の器で郷土料理を提供する、
「たくみ割烹(かっぽう)店」
オープンする。

こちらは実際に
民芸品を使っている姿を見せ、
その使い勝手を知ってもらう場所、
と位置づけられている。

写真左から
「美術館」「たくみ工芸店」「たくみ割烹」
の3棟が並んで建っている。

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今回訪問した時には、
割烹店の前(写真右下)には
入店のための行列ができていた。

 

ちなみに美術館の人の話によると、
通りを挟んだ反対側ある
吉田歯科医院は
吉田璋也のお孫さんがやっている
歯医者さんらしい。

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美の実例・基準を提示するだけでなく、
職人に作らせたものをすべて買い取って
それを売る場、使う場を設けながら
新しい作品を作る機会を与えていく。

「民芸のプロデューサー」として
なんという実行力だろう。
エピソードと共に話を聞くと
忘れられない名前になる、吉田璋也。

最後に、人柄を偲ぶため
民藝館の入館パンフレットの写真を
添えておきたい。

Yoshidasyoya

 

 

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2019年6月 9日 (日)

伯耆富士「大山」一日登山

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伯耆富士「大山」一日登山

- 海抜ゼロメートルが見える山頂 -

 

今回の旅行では、知人の薦めもあり、
鳥取県大山(だいせん)の登山に
トライしてみることにした。

我々夫婦は登山に関しては
完全にド素人。

でも、大山観光局のHP
鳥取大山(だいせん)観光ガイド
を見てみると、
「お子さま~初心者ならコチラ」
と、夏山登山のルートを示している。
時間も往復約6時間。

「なら、大丈夫か」と
天気予報をこまめにチェックし、
旅行期間中のベストな天候の日を
「登山日」とすることにした。

「初心者用」と案内が出ていて、
「6時間」と書いてあるのだから、
我々夫婦のようなド素人でも
6時間あれば往復できるのだろう、と
出発前は疑いもなく信じていた。

なので朝食もゆっくりとって、
その日、
登山口近くの駐車場に到着したのは
午前9時すぎ。

連休中、かつ天気も上々だったので、
駐車場では、リュックを整えたり、
靴を履き替えたり、
準備をしている人たちが何組もあった。

 

いよいよ出発。
大山の頂のひとつ
弥山(みせん)山頂1710mまで
標高差約950mの登山開始だ

 

登り始めてまもなくすると、
登山道右手奥に阿弥陀堂の案内が。

知らなければ
そのまま通り過ぎたと思うが、
出発前、宿の人が妙に強く立ち寄ることを
薦めてくれていたこともあり、
ちょっと寄り道してみることにした。

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(写真はすべてiPadで撮影)

いやぁ、これ
独特な風格と品があり、
確かに一見の価値がある。
建物も中の仏像も
共に国の重要文化財に
指定されているらしいが、
教えて下さった宿の方に感謝。

 

登山道に戻って登山を続ける。

この基本ルート、
ほとんど平坦部がなく
ただひたすら上り坂が続く。

連休中のせいか、登る人も多いが
我々のような素人グループは
歩く速度も休憩の間隔も似ているので、
抜いたり抜かれたりが何度も続く。
なので、
そのたびに同じ人たちと同じ挨拶を。
双方
「あれ、さっきもしましたね」
と苦笑い。

登山道はよく整備されているが、
岩がゴロゴロしていて、
階段状ながらじつに歩きにくい。

5合目あたりまでは、
ブナやミズナラ、ケヤキなどの
林の中を進む。

5合目を過ぎたあたりから
ようやく視界が開けて来た。

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雪の残る北壁が美しい。

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岩ゴロゴロの道が続くので、
「底の硬いトラッキングシューズに
 履き替えておいて
 ほんとうによかったなぁ」
を実感する。
スニーカや運動靴では足への負担が
かなり増していたことだろう。

 

歩いていると山の中腹で
なぜか小さく音楽が聞こえてきた。
「こんなところでどうして?」

見ると、
腰に小さなスピーカをぶら下げて
そこから音楽を流しながら
登っている人がいる。

うーん、これはイカン。

同じ「音を出しながら」でも、
熊よけのベルの音を
響かせながら登る人はなぜか許せるのに
こっちはダメ。

止めろ、とも言えないので、
まずは先に行ってもらい、
音が聞こえなくなってからまた歩きだす。

今回の登山では一日往復する間に
そんな「スピーカさん」に
3人も遭ってしまった。

Bluetoothスピーカの登場が
きっかけだろうが、
どうか、流行(はや)りませんように。

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7合目を過ぎたあたりからは、
登山道の一部に雪が残っており、
さらに慣れない動きをすることに。

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大人たちはへっぴり腰だが、
子どもたちはスイスイ行く。

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ケガには要注意だ。

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こまめに休憩をとりながら、
ようやく8合目あたりまで来た。
このあたりまで来ると
見事な景色が眼の前に広がってくる。

疲れた体を励ましてくれる、
とはまさにこのこと。

海抜ゼロメートルとなる
日本海と海岸線が遠くに見える。
日本海まで含めて全景色を独り占め、
そんな気分になる。

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8合目から山頂までは
国の天然記念物
ダイセンキャラボク群落
の中を抜けていく木道が続く。
残雪とのコントラストもいい。

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いよいよ山頂が見えてきた。

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山頂に到着すると、
南側への展望が一気に開け
まさに360度の大パノラマ!

大山の他の頂(いただき)、
剣ヶ峰、天狗ヶ峰方向へと
連なる峰々、そして
これまで見ることができなかった
南側斜面が一望できる。

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雄大な景色と
ひんやりとした風を楽しみながら
なんとか登れた達成感と共に、
遅めの昼食をゆっくりとった。
山頂でのおにぎりの味は格別だ。

「大山頂上1710.6m」の碑と共に
記念写真を一枚。

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ガイドでは4時間になっていた上りに
結局5時間かかってしまった。
我々登山ド素人夫婦の実力としては
こんなもの、ということだろう。

山頂には山小屋があり
500mlのペットボトルのお茶が
500円で売っていた。
買ったわけではないが、
「自分で運んで売る」で考えると
あの坂を運んで来て500円は安い。
私にはとても500円では売れない。

 

さぁて、いよいよ下りのスタートだ。

そのまま空に飛び立てるのではないか、
と思えるような木道が
吸い込まれるように景色の中に延びてゆく。

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山頂付近は残雪も多い。

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残雪と雄大な北方向の景色。
左上小さな点は登山者だ。

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下りも険しい岩の道が続く。

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山頂山小屋の人が薦めてくれたこともあり
下りは途中から
「行者コース」を採ることにした。

5合目あたりから下、
長い長い階段が続く。

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木々がまっすぐ上に伸びることができず、
こんな状態になってしまうのは、
雪のせいなのだろうか。

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以前、
志賀高原でも同じような光景を見た。

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「行者谷」と呼ばれるあたりにくると
行者コースならではの景色
出会うことができる。

もちろん山の新緑も美しいが、

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なんと言っても、ここでは
ドーンと目の前に広がる
大山北壁の大パノラマ」がすばらしい。

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雪の残る雄大な北壁を前に、
「あの右側の頂まで登ったンだ」
と思えると、十分、達成感というか
自己満足に浸れる。

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行者コースは、
大神山神社のところにある
「登山口」に下りてくる。

奥宮が美しい。

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奥宮前の石垣が崩れかかっており、
付近は、立ち入り禁止になっていた。

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「崩れかかった石垣」を見る機会は
ありそうで意外にないが、
実際に眼の前で見るとちょっと怖い。

「登山口」まで戻ってきても
駐車場まではまだ20分ほど、
坂を下らなければならない。

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大山神社、大神山神社奥宮
への参道ともなっている、
これまた石の道が続く。

今日はもう8時間も歩いているのに
一番の希望は
「土の上を歩きたい」

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ようやく駐車場に戻ってきた。
午後5時半。

思わず夫婦ふたりで
登った頂を仰ぎ見てしまう。

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山頂で昼食タイムを取ったとはいえ、
結局往復に8時間かかってしまった。

スピードを競うものではないけれど、
大山観光局HPにある
「6時間」で往復することは
少なくとも今の我々夫婦には絶対にムリ。

正直言って、そうとうバテた。
ド素人が登るとは、こういうことか。

 

素人ながら、装備について感じたことを
忘れないうちに
備忘録代わりにメモっておきたい。

(1) トレッキングシューズ
やはり足は基本。
今回は8時間も山を歩いていながら
途中で「土の上を歩きたい」と思うほど
岩の道が続いたせいもあるが、
だからこそトレッキングシューズ等
底の厚くて硬い靴の有効性は高かった。

(2) 手袋
岩場だったり、雪が残っていたり、
寒さ対策というよりもケガ防止の意味で
手袋はかなり役に立つ。
登るときに踏ん張るために岩を掴んだり、
滑りそうになったときに、
岩なり木なり枝なりを
身を守るために掴んだり、
「安心して掴める手」は身を守るために
重要だ。

(3) サングラス
紫外線から目を守るだけでなく、
眩しさ低減は
疲労低減にもつながる。
若いときはそれほど気にならなかったが、
中年オヤジになると
その有効性をより強く感じる。

 

その夜は、登山口の駐車場から
車で30分ほどの、日本海に面した
皆生(かいけ)温泉に泊まった。

大浴場に向かうわずか数段の階段で
夫婦ともに足を引き摺るさまに
お互い笑いあう夜。

まさに温泉とビールが
「くぅーっ」と沁みた夜だった。

ちなみに本記事のタイトル「伯耆富士」は
「ほうきふじ」と読む。
伯耆とは伯耆国(ほうきのくに)、
旧国名のひとつだ。

 

 

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2019年6月 2日 (日)

世界遺産「石見銀山」銀山地区

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世界遺産「石見銀山」銀山地区

- ノミの跡と鉱脈枯渇のタイミング -

 

世界遺産「石見(いわみ)銀山」のうち
古い町並みが残る大森地区の話を
前回書いたが、
今日は銀山地区について。

まさにメイン、鉱山と坑道部分だ。

 

まずは銀山について
その概要を簡単にまとめておきたい。

石見(いわみ)銀山は、
1526年に九州博多の豪商
神屋寿禎(かみやじゅてい)によって
発見されて以来、
1923年の休山まで、
約400年にわたって採掘が続いた
世界有数の鉱山遺跡だ


1595年のヨーロッパで作られた
日本図(ティセラ日本図)にも記述があり、
大航海時代の16世紀、
ヨーロッパ人に知られた
唯一の日本の銀鉱山だった。

16世紀半ばから17世紀はじめ
日本の銀は
世界の産銀量の約1/3を占めていた
が、
そのかなりの分は石見銀山のものと
考えられている。

高品質で信用が高かった石見の銀は、
アジア諸国とヨーロッパ諸国を
交易で繋ぐ重要な役割を果たした。

2007年、
環境に配慮し、
自然と共生した鉱山運営
行っていたことが特に評価され
「石見銀山遺跡とその文化的景観」
として、世界遺産に登録
された。

 

さて、観光に戻ろう。

予約なしでも入れる
龍源寺間歩(りゅうげんじ まぶ)
と呼ばれる坑道は、
大森地区から約2km緩やかな坂を
上っていった先にある。

間歩(まぶ)というのは、
寡聞にして初めて知った言葉だったが、
銀鉱石を採掘するための坑道のことらしい。

さて、龍源寺間歩の入り口まで来ると
訪問時、新元号「令和」の
まさに記念すべき初日だったこともあり、
こんな特別企画をやっていた。

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「平」「成」「令」「和」の漢字が
名前に含まれる人はタダでどうぞ、と。

我々夫婦には
どの文字も含まれていなかったので
通常通りの入場料を払って
入り口に向かった。

 

入り口周辺は、シダに覆われている。

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この鉱山周辺に見られるシダは、
ヘビノネゴザというオシダ科のシダで、
貴金属を好む性質を持ち

金銀山発見の手がかりになったと
言われている。
ちなみに、ヘビノネゴザは
漢字で書くと「蛇の寝御座」だとか。

いよいよ中に入る。

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狭い。
人ひとりがやっと通れる大きさ。

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壁面には、
ノミのあとが粗々しく残る

 

途中には、
岩石の隙間に板のように固まっている
鉱物の層(鉱脈)を追って掘り進んだ
「ひおい坑(こう)」と呼ばれる
さらに小さな坑道がある。

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もちろん
水対策も重要で、
「竪坑(たてこう)」と呼ばれる
垂直に掘られた排水用の
坑道もある。

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なんと、さらに約100mも下にある
別の坑道へ排水していたらしい。

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とにかく狭く、閉所恐怖症でなくても
独特な恐怖感が背中についてくるのを
振り払えない。

トルコで見た
デリンクユ地下都市でもそうだったが、
もしここで閉じ込められたらどうしよう、
の思いが一瞬でもよぎると、
地下が持つ、
まさに逃げ場のない岩の壁の圧迫感が
胸に迫ってくる。

もちろん実際に掘り進んでいた鉱夫は
単なる「狭さ」だけでなく、
「息もできないほどの粉塵」や
「わずかな明かり」や
「送風により確保される空気(酸素)」や
「いつ襲われるかもしれない水」や
「崩れるかもしれない岩盤」などなど
そういった不安や恐怖とも
常に戦っていたわけで
整備された観光用の坑道を歩いて
「追体験した」とはとても言えないけれど
それでもそれらを想像するうえでの
「息苦しさ」は十分に感じられる。

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龍源寺間歩は、江戸時代前期からのもので、
昭和18年(1943年)まで稼働していた。

「横幅2尺高さ4尺を、1日5交代で、
 10日で10尺掘ったと伝えられている」

尺貫法をメートル法に変換して書くと、

「横幅60cm高さ120cmを、
 1日5交代で、10日で3m掘った
 と伝えられている」

ここの間歩は全体で約600mあるが、
その約1/4、157mのところから
新しく坑道が設けられ
平成元年に観光用に公開された。

新坑道には、
「石見銀山絵巻二巻」が
十数枚の電照板で展示されている。

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伝統技術による銀生産は
江戸時代から綿々と続けられていたが、
明治維新を迎えた19世紀後半から、
ヨーロッパの産業革命で発展を遂げた
新技術が導入されるようになる。

ところが、ちょうどそのころから
銀鉱石が枯渇。
鉱山活動は停止に向かっていく。

そのことが、伝統技術による銀生産の跡を
良好に残すことに貢献
した。

銀鉱石が枯渇していなければ
ノミの跡が残る坑道も、
拡張のために大きく削り取られて
何も残らなかったかもしれない。

そうなれば、「遺跡」としても
保存されることはなかったであろう。

「枯渇のタイミング」も
「遺跡」となるためには重要だ

という点もおもしろい。

 

ようやく間歩から出てきた。
まさに、ホッとする。

 

間歩の出口から少し歩いたところの
小さな小屋で「匂い袋」を売っていた。

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前回も書いた通り、
石見の世界遺産エリアには、
土産物屋がぜんぜんなく、
「**饅頭」やら「**キーホルダ」やらを
目にしないで済むのは実に気分がいい。

この小屋では「匂い袋」が
土産物として売られていたものの、
工場で作られるような量産品ではない。
作った「香木師」の署名付きで売っている。

中身は、付近に自生しているクロモジ

爪楊枝としてよく使われる素材だ。

このクロモジ、
木(枝)のままではほとんど香りはしない。

ところが木槌や瓶のようなもので
叩いて潰すと、独特な香りがでてくる。
実演付きで、その場で香りを
確認させてもらったのだが、
まさに自然のままの素朴で実にいい香り。

ナン年たっても叩けば香る、とのこと。

素朴な香りが気に入ったのでひとつ購入。
誰かへの土産にするか、
クローゼット等にかけておくか、
用途は決まっていないけれど、
人工的でない香りはどこか落ち着く。

そう言えば、シロモジのほうは
山梨県の山中湖畔で見たなぁ、と
ぼんやりと思い出す。

 

間歩出口からゆっくり歩く。

振り返っても山は豊かな緑で覆われており、
その岩の下に間歩が蟻の巣のように
広く広がっていることは
まったく想像できない。

 

 

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2019年5月26日 (日)

世界遺産「石見銀山」大森地区

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世界遺産「石見銀山」大森地区

- 「おだやかな暮らしを守る」という合意 -

 

改元に合わせた連休を利用して、
夫婦で国内旅行を楽しんできた。

選んだのは島根と鳥取。
ふたりとも行ったことがない
初訪問の地だ。

旅行記として、
訪問地をいくつか紹介したい。

最初は、
世界遺産「石見(いわみ)銀山」。

江戸時代の町並みの雰囲気を残す
大森地区と呼ばれるエリアと、
坑道跡を残す銀山エリアとが
主な見学地となっているが、
環境保全のため
どちらも一般車の乗り入れが
制限されている。

なので、車で向かった観光客は
両エリアから少し離れた
「世界遺産センター」の駐車場に
車を停めて、そこからバスで
目的地に向かうことになる。

我々夫婦が「世界遺産センター」に
到着したのは11時半ごろ。
ところが、連休中のせいか
大きな駐車場はすでに「満車」。
入り口に車の列ができていた。

山の中で、他に駐車場の選択肢が
あるわけではないため
しかたなく並んで待つことにした。

道路左側に寄って並んでいると
その横を、
観光地との間を往復しているバスが
通り抜けていく。

当然ながら
バスは帰る客も運んでくるので、
バスが通過するたびに
待機している車の列が動く。

思ったよりも回転がはやく、
長く待たずに駐車することができた。

まずは「世界遺産センター」で
地区全体の説明を聞き、地図をもらって
バスで大森地区に向かった。

【大森地区】
江戸時代の武家屋敷や代官所跡、
銀山で栄えた豪商の住宅などが並ぶ通りを
ゆっくりと散策。

【石見銀山資料館(大森代官所跡)】

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この通りの雰囲気だけでも十分楽しめる。

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【西性寺】

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町並みも緑も美しい。

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観世音寺はちょっと高くなっているので、
登ると町を見下ろすことができる。

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石州瓦と呼ばれる赤瓦が印象的だ。

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【町並み交流センター(旧大森区裁判所)】

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「ベッカライ コンディトライ ヒダカ」
という美味しいパン屋さんがある、
と聞いていたので、
そこのパンを楽しみにしていたのだが、
お店の前まで行ってみると運悪くお休み。

「残念だったね」と
夫婦で言い合っていたころ
かなり怪しかった雲から
ポツポツと雨が舞い始めた。

「ヒダカさんのパンも食べられないし、
 雨宿りを兼ねてお昼でも食べようか」と
近くのイタリアン「ぎんざん」に入った。

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メニューを見ると
ランチセットにはなんと
「ヒダカさんのバゲット」
が含まれているではないか。
まさに地元のお店の連携だ。

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単なる偶然とはいえ、こちらの気持ちを
汲みとってもらえたようで、
妙に嬉しい。

チャンスは意外なところに
ころがっているものだ。
一切れだけではあったものの、
希望を叶えることができた。

ランチのパスタも、
ヒダカさんのバゲットも、
どちらも美味しく◎。

お店に入る前の気分は「江戸」だったのに
舌はイタリアンやバゲットを
楽しんでいるという
組合せのギャップもまた楽しい。

 

昼食をすませて外に出ても
残念ながら雨は上がっていなかった。
でも、ウィンドブレーカのフードで
しのげる程度なので散策続行。

【菓子屋:有馬光栄堂】

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雰囲気のある町並みが続く。

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取ってつけたような
ケバケバしい看板の土産物屋も
一軒もない。

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小雨が舞う天気だったとはいえ
「世界遺産センター」の駐車場が満車でも
通りの人出はこの程度。

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雰囲気をのんびり楽しむことを
邪魔しない「静かさ」がいい。

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飲み物の自動販売機にも
街の景観を意識した工夫が。

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懐かしいポストも現役だ。

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なんとも味のある看板に引き寄せられた。

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築170年の古民家を最大限に活かし、
およそ300坪の敷地を舞台に、
衣・食・住にまつわるライフスタイルを
おしゃれに提案している
「群言堂 石見銀山本店」だ。

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中庭を眺めるカフェのほか、

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魅力ある雑貨、衣類を並べた店舗は

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かなりゆっくり回っても飽きることはない。

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古いチーク材を大胆に使った
写真立てが妙に気に入ったので、
思わず購入。

 

二階は読書スペースとして開放されている。

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読書向けの空間ながら、
椅子にすわったり、寝転んだり、
自由なスタイルで本を読める
なんともゆるい空間だ。

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この群言堂を展開しているのが、
「石見銀山生活文化研究所」という会社。

人口わずか400人の島根県大田市大森町に
根を張りながら、
アパレルの企画・製造・販売、
飲食店経営、古民家再生などを手掛け、
全国に30店舗を展開、
という規模にまでなっているという。

人口400人の町に日本の未来をみた。
「群言堂」で知られる
「石見銀山生活文化研究所」
との新連載がキックオフ!


という記事がグリーンズにあった。

この記事の中で、
石見銀山生活文化研究所の
広報担当・三浦類さんが、
たいへん興味深いことを言っている。
(以下水色部は上記記事からの引用)

ピークのときは、
年間80万人以上が訪れたんです。
何十台も観光バスが来て。

世界遺産登録直後、
自治会協議会が中心になって
住民憲章をつくりました。

その一文には
「私たちはこのまちでおだやかさと
 賑わいを両立していきます」
とありますが、

世界遺産になったからといって
これまでの暮らしを変えるのではなく、
おだやかな暮らしがある
ということこそをこの町の魅力として
お客様に発信していこうと
宣言
しています。

いま観光客数は半分以下になって
40万人を切っていますが、
暮らしている身としては
落ち着いていて、
休みの日も適度な賑わいで
暮らしやすい、いいまちです。

極端に観光地化されなかったのは、
このまちにとってよかった

思っています。

派手派手しい看板や
土産物屋さんもつくらず
有料駐車場もない


田畑や古民家をつぶして
駐車場にするのは簡単ですが、
誰もそうはしないというモラルが
共有されています


景観を守り、
暮らしが息づいているまち、
観光地としては珍しい形で
存続していると思います。

住民の合意で、派手派手しい看板や
土産物屋がつくられていないのならば
すばらしいではないか。

その合意には「まちのサイズ」も
意味があるようだ。

「400人というまちのサイズは
 どうですか?」

の質問に対して、三浦さんは、

人の顔が覚えられる、
お互いの顔が見える安心感が
ありますね。

意識の共有や合意形成が
しやすいとも言えます


(中略)

世界遺産登録されたタイミングのときに、
もし人口が1000人なら
合意形成できずに観光地化してしまう
可能性はあったのかもしれませんね

小さな町ゆえ、
景観と暮らしが守られている。

ほんとうに
キーホルダや饅頭を売っているような
土産物屋には一軒も出会わなかった。

世界遺産に認定された町ではあるけれど
ひとりでも多くの観光客が来ればいい、
土産物がたくさん売れればいい、
そんなことを目指してはいない
別の価値観が流れている、
静かな観光地だ。

 

 

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2019年5月19日 (日)

サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

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サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

- 異文化への興味と理解 -

 

以前、川端康成の小説「雪国」の
英語への翻訳について
ここに書いたが、
そこに登場した
サイデンステッカーさんについて
雑誌「文藝春秋」から
ふたつの記事を紹介したい。

ひとつ目は、
昭和25年、東大の
麻生磯次教授『おくのほそ道』の講義で
彼に出会って以来
50年以上に渡って交流を続けていた
作家の髙橋治さんが寄せたもの。

高橋さんは、
エドワード・ジョージ・
サイデンステッカーの名前から
彼を「エド」と呼んでいた。

昭和20年代、出会ったころのこと。
(2007年11月号 雑誌「文藝春秋」
 「エドと吉原」
 以降、水色部記事からの引用)

私がシナリオ集をテキストにして
エドから英語を習い、
エドが私から落語を教材にして
江戸時代以降の口語を
勉強し始めたからである。

エドは落語を教材にして
日本語を学んでいった。

落語を通じて「日本語」だけでなく
「吉原」を知ったエド。
「人間への興味」はどんどん広がっていく。

なん時頃に吉原名物の馬肉の鍋、
いわゆる蹴飛ばし屋に行って
お銚子を四、五本並べれば、
町は盛りにさしかかって、
女性たちの気分も盛り上がっているか。

(中略)

 だから、エドにとって
吉原が盛りになる時間は、
やり手婆が多弁になる時間であり、
女どもが陽気さを
隠さなくなる時間だったのだ。

エドはそんな時間の吉原が
来るまで待っていて、
人間と人間の触れ合いを求める。

落語に、吉原に、日本文化に
積極的に飛び込んでいったエドは
2007年8月、
永住を決意して移り住んだ東京の地で、
86歳の生涯を終えている。

没後、
コロンビア大学教授のハルオ・シラネさんが
「サイデンステッカーと
 『源氏物語』の自然観」

なる題で、同じ「文藝春秋」に
記事を寄せている。
(2008年5月号 雑誌「文藝春秋」
 以降、緑色部記事からの引用)
これが今日、ふたつ目の記事。

 サイデンステッカーといえば
『源氏物語』の優れた英訳で
その名を知らない人はいない。

一歳のとき日本人の両親と
アメリカに移住した私は、
コロンビア大学の大学院生として
氏に師事して以来、
親交を深めてきた。

現在はその後任として教鞭をとっているが、
源氏の世界をあれほど深く理解し、
英語の世界に蘇らせた
サイヂンステッカーの翻訳には
感動を覚えざるを得ない。

氏の翻訳は、
日米間の文化的および言語的な相違への、
興味深い洞察に満ちている

サイデンステッカーさんは、
『源氏物語』における
自然や季節の果たす役割に
深く心を配りながら翻訳を進めたようだ。

光源氏に愛される
薄幸の女性「夕顔」の名を訳す際には、
white-flowered gourdまたは
moonflowerという
植物学的翻訳をあてはめず、
Evening Facesと
字義を活かした名前を付けた。

夕顔が夕方(evening)に
息絶えることとの
関連性を示唆したのである。

他にも、
神道の儀式に使われる榊を
sacred tree(神聖な木)と
訳すことによって、
漢字が示す宗教的含意を伝えることに
成功した例もある。

(中略)

たとえば、
日本語では春に「霞」とよばれる現象が、
秋には「霧」とよばれる。

だが、英語にはmist, haze, fogといった、
特定の季節とは無関係の単語しかない。

また日本語には、雨を表すのに、
春雨、五月雨、時雨など、
季節によって複数の言葉があり、
それぞれが静寂、憂鬱、無常など、
特定の文化的含意を持つ
のに対して、
英語にはrainやshowerなど、
季節的、文化的な
意味のない言葉しかないのである。

『源氏物語』における時間は、
早朝、夕暮れ、黄昏に
焦点が置かれるところに特徴があり、
そして、
季節の焦点も、
春の訪れ、春の終わり、
夏の訪れなど
過渡的な時節に置かれる傾向がある。

天象と深く関わるなかで
言葉が意味を持つ。

そのうえ

季節の移り変わりへの興味は、
日本人の生と死のサイクルへの注視と
密接な関係があるだろう。

という面もある。

そういった背景を理解したうえで
英語に訳せるなんて。

ここに書いたことの
繰り返しになってしまうが、
Wikipediaにこんな記述まであることも
ふたつの記事を読むと妙に納得できる。

『雪国』の英訳では、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に貢献した。

実際、川端康成自身、
ノーベル賞の半分は、
 サイデンステッカー教授のものだ」
と言い、賞金も半分渡している

 

 

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«算術から崩れた身分制度

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