サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

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サイデンステッカーさんに関するふたつの記事

- 異文化への興味と理解 -

 

以前、川端康成の小説「雪国」の
英語への翻訳について
ここに書いたが、
そこに登場した
サイデンステッカーさんについて
雑誌「文藝春秋」から
ふたつの記事を紹介したい。

ひとつ目は、
昭和25年、東大の
麻生磯次教授『おくのほそ道』の講義で
彼に出会って以来
50年以上に渡って交流を続けていた
作家の髙橋治さんが寄せたもの。

高橋さんは、
エドワード・ジョージ・
サイデンステッカーの名前から
彼を「エド」と呼んでいた。

昭和20年代、出会ったころのこと。
(2007年11月号 雑誌「文藝春秋」
 「エドと吉原」
 以降、水色部記事からの引用)

私がシナリオ集をテキストにして
エドから英語を習い、
エドが私から落語を教材にして
江戸時代以降の口語を
勉強し始めたからである。

エドは落語を教材にして
日本語を学んでいった。

落語を通じて「日本語」だけでなく
「吉原」を知ったエド。
「人間への興味」はどんどん広がっていく。

なん時頃に吉原名物の馬肉の鍋、
いわゆる蹴飛ばし屋に行って
お銚子を四、五本並べれば、
町は盛りにさしかかって、
女性たちの気分も盛り上がっているか。

(中略)

 だから、エドにとって
吉原が盛りになる時間は、
やり手婆が多弁になる時間であり、
女どもが陽気さを
隠さなくなる時間だったのだ。

エドはそんな時間の吉原が
来るまで待っていて、
人間と人間の触れ合いを求める。

落語に、吉原に、日本文化に
積極的に飛び込んでいったエドは
2007年8月、
永住を決意して移り住んだ東京の地で、
86歳の生涯を終えている。

没後、
コロンビア大学教授のハルオ・シラネさんが
「サイデンステッカーと
 『源氏物語』の自然観」

なる題で、同じ「文藝春秋」に
記事を寄せている。
(2008年5月号 雑誌「文藝春秋」
 以降、緑色部記事からの引用)
これが今日、ふたつ目の記事。

 サイデンステッカーといえば
『源氏物語』の優れた英訳で
その名を知らない人はいない。

一歳のとき日本人の両親と
アメリカに移住した私は、
コロンビア大学の大学院生として
氏に師事して以来、
親交を深めてきた。

現在はその後任として教鞭をとっているが、
源氏の世界をあれほど深く理解し、
英語の世界に蘇らせた
サイヂンステッカーの翻訳には
感動を覚えざるを得ない。

氏の翻訳は、
日米間の文化的および言語的な相違への、
興味深い洞察に満ちている

サイデンステッカーさんは、
『源氏物語』における
自然や季節の果たす役割に
深く心を配りながら翻訳を進めたようだ。

光源氏に愛される
薄幸の女性「夕顔」の名を訳す際には、
white-flowered gourdまたは
moonflowerという
植物学的翻訳をあてはめず、
Evening Facesと
字義を活かした名前を付けた。

夕顔が夕方(evening)に
息絶えることとの
関連性を示唆したのである。

他にも、
神道の儀式に使われる榊を
sacred tree(神聖な木)と
訳すことによって、
漢字が示す宗教的含意を伝えることに
成功した例もある。

(中略)

たとえば、
日本語では春に「霞」とよばれる現象が、
秋には「霧」とよばれる。

だが、英語にはmist, haze, fogといった、
特定の季節とは無関係の単語しかない。

また日本語には、雨を表すのに、
春雨、五月雨、時雨など、
季節によって複数の言葉があり、
それぞれが静寂、憂鬱、無常など、
特定の文化的含意を持つ
のに対して、
英語にはrainやshowerなど、
季節的、文化的な
意味のない言葉しかないのである。

『源氏物語』における時間は、
早朝、夕暮れ、黄昏に
焦点が置かれるところに特徴があり、
そして、
季節の焦点も、
春の訪れ、春の終わり、
夏の訪れなど
過渡的な時節に置かれる傾向がある。

天象と深く関わるなかで
言葉が意味を持つ。

そのうえ

季節の移り変わりへの興味は、
日本人の生と死のサイクルへの注視と
密接な関係があるだろう。

という面もある。

そういった背景を理解したうえで
英語に訳せるなんて。

ここに書いたことの
繰り返しになってしまうが、
Wikipediaにこんな記述まであることも
ふたつの記事を読むと妙に納得できる。

『雪国』の英訳では、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に貢献した。

実際、川端康成自身、
ノーベル賞の半分は、
 サイデンステッカー教授のものだ」
と言い、賞金も半分渡している

 

 

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2019年5月12日 (日)

算術から崩れた身分制度

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算術から崩れた身分制度

- 数学的能力がもつ力 -

 

幕末から明治にかけての
金沢藩猪山家の家計簿を読み解く、
この本

磯田道史(著)
武士の家計簿 ―
「加賀藩御算用者」の幕末維新
新潮新書

(以後、水色部は本からの引用)

は、映画の原作にもなった
おもしろい本だが、
家計の詳細に入る前に
「算術」と「身分制度」の関係について
たいへん興味深い話を
提供してくれている。

今日は、その部分を紹介したい。

 

 猪山家に転機が訪れたのは、
五代目の猪山市進のときである。

享保16(1731)年に、はじめて
前田家の直参に加わったのである。

「御算用者」
としての採用
であった。
栄転といってよい。
御算用者になるには
「筆算」の才が要る。

つまり、筆とソロバン
優れていなければならない。

猪山家は菊池家の家政を担うなかで、
ソロバンをはじき帳簿をつける
「およそ武士らしからぬ技術」
を磨いており、
これが栄転につながったのである。

猪山家は「算術」ができたために
「栄転」できた。

ところが江戸時代、
武士社会で「算術」は
次のように考えられていたらしい。

武士とくに上級武士は、
算術を賤しいものと
考える傾向があり

算術に熱心ではなかった。

熱心でないどころか
「学ばないほうがよい」
とさえ考えていた。

上級武士の子弟には
藩校で算術を学ばせないように
していた藩がかなりある。

鳥取藩などは、その例であり、
下級武士にだけ算術が教えられた

ソロバン勘定などは
「徳」を失わせる小人の技
であると
考えられていたからである。

「徳」を失わせる小人の技、か。
それでは熱も入らなかったであろう。

また、必要な技能ながら、
当時の世襲制度になじまない面もあった。

加賀藩は数学の盛んな藩であったが、
それでも算術の人材は不足していた。

近世武士の世界は世襲の世界である。

算術は世襲に向かない
個人の出来・不出来が如実に
あらわれるからである。

親は算術が得意でも、
その子が得意とは限らない。

したがって、藩の行政機関は、
どこもかしこも厳しい身分制と
世襲制であったが、
ソロバンがかかわる職種だけは
例外になっており、
御算用者は比較的身分にとらわれない
人材登用がなされていた

なるほど。

親が得意でも子が得意とは限らない。
身分にとらわれない登用を
せざるを得なくなっていくわけだ。

このことは、もちろん
藩だけではなく幕府においても
同じ状況だったようだ。

幕府の勘定方も同様であったことは、
笠谷和比古氏
(国際日本文化研究センター教授) 
の指摘するところである。

御算用者も世襲ではあったが、
家中の内外から
たえず人材をリクルートしていたし、
算術に優れた者が
「養子」のかたちで入ってきていた。

そうしなければ
役所が機能しない
からである。

ちょうどソロバン関係職が
「身分制の風穴」になっており、
猪山家はうまく
その風穴に入りこんだといえる。

ソロバン関係職が「身分制の風穴」に
なっていたとは。

 

この流れ、日本だけでなく、
18世紀における
世界的な流れでもあったようだ。

実は
「算術から身分制度がくずれる」
という現象は、
18世紀における
世界史的な流れであった。

それまで、ヨーロッパでも日本でも、
国家や軍隊をつくる原理は
「身分による世襲」であった。

ところが、
近世社会が成熟するにつれて、
この身分制はくずれはじめ、
国家や軍隊に新しいシステムが
導入されてくる。

近代官僚制というものである。

官吏や軍人は
「生まれによる世襲」ではなく
「個人能力による試験選抜」によって
任用
されるようになる。

とは言え、いきなり
すべてを変えられるわけではない。

 最初に、この変化がおきたのは、
ヨーロッパ・日本ともに
「算術」がかかわる職種であった


18世紀には、数学が、
国家と軍隊を
管理統御するための技術として、
かつてなく重要な意味をもつように
なっており、まずそこから
「貴族の世襲」がくずれた
軍隊でいえば、
「大砲と地図」がかかわる部署である。

フランスでもドイツでも、
軍の将校といえば
貴族出身と相場がきまっていたが、
砲兵将校や工兵、
地図作成の幕僚に関しては、
そうではなかったという。

弾道計算や測量で
数学的能力が必要なこれらの部署は
身分にかかわらず、
平民出身者も登用
されたのである。

このあたりは『文明の衝突』で有名な
S・ハンチントンの著作
『軍人と国家』や

中村好寿
『二十一世紀への軍隊と社会』
に詳しい。

「大砲と地図」がかかわる部署には
平民出身者も登用
か。

確かに、武力における数学的能力の価値が
近代になって
飛躍的に高くなっていたことは間違いない。

 

 日本でも、同じことがいえる。
十八世紀後半以降、幕府や藩は、
もともと百姓町人であった人々を登用し、
彼らの実務手腕に依存して
行政をすすめるようになる


百姓や町人の出身者に
扶持・苗字帯刀・袴着用などの
特権をあたえて、
武士の格好をさせ、
行政をゆだねる傾向が強まった。

武士と百姓町人の中間身分の存在が
政治に大きな影響を
あたえるようになったのである。

 京都大学名誉教授朝尾直弘氏
によって提唱されたこの学説を、
歴史学界では「身分的中間層論
とよんでいる。

江戸時代は士農工商の
厳しい身分制社会のように言われるが、
文字通りそうであったら、
社会はまわっていかない。

近世も終わりに近づくにつれ、
元来、百姓であったはずの庄屋は
幕府や藩の役人のようになっていく


彼らはソロバンも帳簿付けも
得意であり実務にたけていた。

猪山家のような陪臣身分や
上層農民が実務能力を武器にして
藩の行政機構に入り込み、
間接的ながら、
次第に政策決定にまで
影響をおよぼすようになるのである。

猪山家は、
その典型例であったといってよい。

さらにいえば、
明治国家になってからも、
このような実務系の下士が、
官僚・軍人として重要な
役割を果たすことになるのである。

算術から崩れた身分制度。

そう言えば、
近年インドで技術者熱が高まって、
優秀な技術者が多く輩出されているのも、
背景に
技術には身分制度を超える力があったから、
と聞いたことがある。
コンピュータエンジニアなんて
ちょっと前までなかった職業なのだから。

「数学的能力」が歴史や社会制度の中で、
どんな力を持っていたのか。
単なる計算や解法のノウハウに留まらない
「社会的側面における価値」
が見えてきておもしろい。

 

 

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2019年5月 5日 (日)

技術との共生、歩み寄り

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技術との共生、歩み寄り

- 「はさみの法則」と英国の自販機 -

 

ラジオを聞いていたら
VoiceTra(ボイストラ)
という
翻訳アプリケーションの話をしていた。

ボイストラは、
個人の旅行者の試用を想定して作られた
研究用の音声翻訳アプリで、
無料ながら
なんと31言語に翻訳できるらしい。

音声翻訳なので、
スマホにインストールして
あとは話しかけるだけ。
31言語に翻訳してくれる。

すごい時代になったものだ。

で、その利用方法の説明の際、
より正確な翻訳となるよう、
「はさみの法則」を意識してほしい、
なるコメントがあった。

はさみの法則」とは、
 * っきり言う、
 * いごまで言う、
 * じかく言う
の最初の文字を繋いだものとのこと。
法則、という言葉の違和感はともかく、
アプリケーションが話者の意図を
より正確に理解するために、
話者にこんなポイントで
歩み寄ってほしい、と言っているわけだ。

アプリケーションや新規機器の開発に
長年携わって、というか苦労してきた
エンジニアのひとりとして、
この「利用者からの歩み寄り」は
大きなテーマのひとつだ。

「勝手にやってほしい」
「自動でやってほしい」
は、新製品開発のきっかけとなる
要望のひとつではあるが、
どんなもの(アプリケーションや機器)でも
利用する際には必ず
「利用者からの歩み寄り」を
必要としている。

ここのところ実現度が
急速に高まっている自動運転も
実現された暁には、
「昔は自動車があっても、
 目的地に行くためには
 自分で運転をしなければ
 ならなかった
らしいよ」
なんて会話がなされるのかもしれない。

「はさみの法則」も「運転」も
技術との共生に必要な歩み寄りのひとつだ。

共生への歩み寄りと言えば、
ずいぶん前に読んだ、
英国の自販機のエピソードが
なかなかおもしろかった。

古い文章だが、「共生」を
ちょっと違う角度から考えさせるネタを
含んでいたのでここで紹介したい。

翻訳家の永井淳さんの
「イギリスという国」
という題のエッセイの一部。
(雑誌「現代」1992年1月号
 以下水色部、本からの引用)

 イギリスは
煙草の値段が高いうえに、
街を歩いていても
日本のように煙草屋が多くない。
ヘヴィ・スモーカーには
不便なところだが、
さいわいホテルにはたいてい
自動販売機が置いてある。

そこでは
一箱二ポンドなにがしかする煙草が
どの銘柄もきっかり二ポンドで買える。

 これなら街で買うより
安あがりだと喜んだのは早計だった。

しばらくして気がついたのだが、
20本あるべき中身がすかすかで、
かぞえてみると17本しか入っていない。

 しかもよく見るとその旨ちゃんと
断わり書きしたテープが
箱に巻いてある。

つまり自動販売機が
銘柄による値段の違いを区別したり、
釣銭を出したりするほど
賢くないために、
煙草会社に自販機専用のパックを
わざわざ製造させている
のだった。

 こういう物の考え方が
合理的かどうかを問題にする前に、
日本だったらそんな旧式の機械は
さっさと追放して、頭のよい機械と
入れ替えてしまうだろう。

既定サイズの2ポンドのものだけ扱える、
そんな自販機に合う、
そんな自販機で売れる「商品」を
メーカ(この場合は煙草会社)に
作ってもらう。

商品に合う自販機を作る、のではなく
自販機に合う商品を作る。
なんとも強烈な歩み寄りを
メーカ側に求めていて興味深い。
(さすがに開発時は違ったと思うが、
 値上げ等により
 機器の仕様が現物に
 fitしなくなったのであろう)

 

 同じことが
地下鉄切符の発券機にもいえる。

そこではちゃんと
釣銭の出る新式の機械と並行して、
釣銭は出ませんと断わった
旧式の機械も依然として
使われている
のだ。

 小銭をきっかり
持ち合わせている人は
古い機械でも不自由はない
わけで、
たんに古くなったからというだけで
あっさりお払い箱にしてしまう習性は、
かの国にはないらしい。

技術部分への歩み寄り以上に、
「多少不便でも
 作ったものは長く使おう
という価値観が
大きく働いている結果なのかもしれない。

いずれによせ、
技術との共生は、共生感の変化は、
単なる便利なものの登場以上に
興味深い分野だ。

純粋な、技術的な課題であっても
国ごとの、あるいは民族ごとの
文化的価値観のなかで
最適解を模索していく感じが
またおもしろい。

 

 

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2019年4月28日 (日)

元号とエ列音

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元号とエ列音

- エ列音は格が低い? -

 

「平成」もいよいよあと2日。

ここ数か月の
マスコミをはじめとした
「平成最後の」の連発からも
ようやく開放されることになる。

なにせNHKは、4月19日
「平成最後の満月です」とまで言っていた。
もう救いようがない。

このままでは4月30日には
紅白歌合戦をやってしまうかもしれない。


さて、この4月1日に
次の元号「令和」の発表を聞いたとき、
最初に思い出したのは

丸谷才一さんが、
「元号そして改元」と題して
2004年5月4日の朝日新聞
に寄せていた文章
だ。

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丸谷さんは残念ながら
2012年に亡くなってしまったので
もちろん「令和」のことは
何もご存知ないわけだが、
「れいわ」という音を聞いて、
きっとどこかで苦笑いしていることだろう。

丸谷さんらしく
言いたい放題書いている文章だが、
すこし紹介したい。
(以下水色部、記事からの引用)

まず、丸谷さん、
「平成」という元号が
ずいぶん気に入らなかったようだ。

 しかしこの数十年間で
最悪の名づけは平成という年号だった。

不景気、大地震、戦争と
ろくなことがないのはこのせいかも、
と思いたくなる。

とまで書いている。
その理由を「音」から説明している。

日本語ではエ列音は格が低い

八世紀をさかのぼる
原始日本語の母音体系は、
a, i, u, öという
四つの母音から
成っていたと推定される
(大野普『日本語の形成』)。

このため後来のエ列音には、
概して、侮蔑(ぶべつ)的な、
悪意のこもった、
マイナス方向の言葉
はいることになった。

いくつか例を並べている。

アハハと笑うのは朗らかである。
イヒヒとは普通は笑わない。
ウフフは明るいし、
オホホは色っぽい。

しかしエヘヘは追従笑いだ。

エセとかケチとかセコイとか、
例はいくらでも。

なかんずくひどいのがで、
例のガスを筆頭に、
押されてくぼむのはヘコム
疲れるのはヘコタレル
言いなりになるのはヘーコラ
上手の反対はヘタ
御機嫌(ごきげん)とりはヘツラウ
力がないのはヘナヘナ
厭らしい動物はヘビ
と切りがない。

ヘビが厭(いや)らしい動物とは
いったいどういう意味か?
の疑問はさておき、
そして、いよいよ「平成」だ。

ヘイセイ(実際の発音はへエセエ)は
このエ列音が四つ並ぶ

明るく開く趣ではなく、
狭苦しくて気が晴れない。

で、「平成」の次は
「令和(れいわ)」だ。「れ(re)」、
またまたエ列(エ段)になってしまった。

存命であれば
どんなコメントをしたことだろう。

それにしても、
「エ列音は格が低い」なんて
初めて聞いた。
まじめに聞いていいのだろうか?
だからこそ、
心のどこかに引っかかっていて
「れいわ」を聞いた瞬間、
15年も前の記事なのに
ふと蘇ってきてしまったわけだが。

で、最後にひとつオマケ。

 本当のことを言えば、
これを機会に年号を廃止し、
西暦でゆくのが一番いい。

尺貫法からメートル法に
移ったと同じように、
普遍的な制度にするのだ。

たとえば
岩波書店、講談社、新潮社などの
本の奥付はみな西暦で書いてあって、
まことに機能的である。     

ほぉ、と思って
手元の本で確かめてみると、
ちょっとおもしろいことに気がついた。

挙げられたどの出版社も
単行本の奥付は確かに西暦なのだが、
文庫本については
ちょっと事情が違っていた。

岩波と講談社は西暦、
新潮社は和暦。

新潮社が単行本の奥付には西暦、
文庫本の奥付には和暦と
使い分けているのには
なにかわけがあるのだろうか?

どうでもいいことなのに
またまた心のどこかに
小さく引っかかってしまった。

 

 

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2019年4月21日 (日)

言霊思想と大山古墳

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言霊思想と大山古墳

- 文字で記録することの意味 -

 

先日、同僚と話をしている際、
我々中年世代が学生時代、
「仁徳天皇陵」として覚えたその名前が
今や教科書から消えている、
ということが話題になった。

今は、
「大山/大仙(だいせん)古墳」
と呼ばれているようだ。
大阪府堺市堺区大仙町という
地名からの呼称のようだが、
それは、被葬者が不明であることの
証でもある。

そう言えば、昨年(2018年)
宮内庁が地元自治体と
初の共同調査を始めることが
ニュースになっていた。
ついに発掘が許されるのであろうか。

「あんなに巨大な墓なのに、
 誰の墓かわからないなんてね」
の言葉を聞いて、以前読んだ
この本のことを思い出した。

加藤徹 (著)
漢文の素養
誰が日本文化をつくったのか?
光文社新書

(以下、水色部本からの引用)

 

この本、
新書ながら内容の濃い本で、
「なぜ被葬者がわからないのか」
に関する話は、導入部の
エピソードのひとつに過ぎないのだが
今日は、その部分にのみ
焦点をあてて話を進めたい。

 

「被葬者がわからない」ということは
「被葬者の名前がどこにも書かれていない」
または
「名前が書かれたものが見つからない」
という意味だ。

それには「言霊(ことだま)思想」が
深く関係しているのではないか、
というのが加藤さんの見解だ。

 そもそも、和語では、
「言(こと)」と「事(こと)」を
区別せず、ともにコトと言った。

すべての言葉には霊力があり、
ある言葉を口にすると、
実際にそういう事件が起きる、と
古代人は信じた。

例えば
「死ぬ」という言葉を口にすると
本当に「死」という事実が起きるし、
自分の本名を他人に知られると
霊的に支配されてしまう、
と恐れられていた。

こういった言葉の霊力を信じる気持ちが
言霊思想だ。

 そんな言霊思想をもつ
古代ヤマト民族にとって、
異国から伝来した文字は、
まるで、言霊を封じ込める
魔法のように見えたにちがいない。

幕末に
西洋から写真技術が入ってきたときも、
「写真に撮られると魂を抜かれる」
という迷信を信じた日本人は、
多かった。

何千里も遠く離れた人や、
数百年も前に死んだ人のメッセージも
正確に伝える文字
というものに対して、
古代ヤマト民族が
警戒心を懐(いだ)いたとしても、
不思議はない。

文字に対する警戒心は、
ほかの民族にもあったようだ。

 文字記録に対する抑制、
という現象は、どの民族にもあった。

 例えば、古代インドでも、
崇高(すうこう)な教えは
文字として記録してはいけない、という
社会的習慣があった。

釈迦の教えも、
弟子たちはこれを文字に記録せず、
口から口へと伝えた。

釈迦の教えを文字にした
成文経典ができあがるのは、
釈迦の入滅後、
数百年もたってからのことである。

現存する仏教の経典の多くが、
梵語(ぼんご)で
「エーヴァム・マヤー・シュルタム」
(このように私は聞いた。
 漢訳仏典では
 「如是我聞(にょぜがもん)」
という言葉で始まるのは、
こういうわけである。

「如是我聞」つまり
「このように私は聞いた」と
始まっているわけだ。

 西洋でも、
崇高なものは文字に写してはいけない、
という発想があった。

例えば、『旧約聖書』の神の名前も、
その正確な発音を
文字に写すことを禁じられたため、

YHWHという「聖四文字」
(ラテン語でテトラグラマトン)の
子音しか伝わらず、
どう母音をつけて読むか、
不明になってしまった。

13世紀以降、キリスト教では
「エホバ」と読む習慣ができたが、
現在ではヤハウェと読む学説が
有力である。

加藤さんは、
中島敦の短編小説『文字禍』を引用し、
古代ヤマト民族も、
「文字の精霊にこき使われる
 下僕(しもべ)」になる危険性

本能的に嗅ぎとり、
漢字文化の摂取を
躊躇したのかもしれない、
と言っている。

この思想は墓誌銘の扱いにも
影響を与えていたはずだ。

古代ヤマト民族は、墓誌銘を嫌った。
弥生時代の甕棺から
漢字を鋳込んだ鏡は出土しても、
被葬者の名前を漢字で書いた甕棺は
出てこない。

3世紀半ばから
古墳が造営されるようになったが、
古墳の墓室内に被葬者の名前や事跡を
文字で書き記すことはなかった

 

文字そのものが全く入ってきていなかった、
というわけではない。

 5世紀の日本
(当時はまだ「倭国」と呼ばれていた)
には、すでに
高度な漢文を書く能力をもつ書記官が
存在していた。

例えば、いわゆる「倭の五王」が
中国の南朝に派遣した使者は、
中国の皇帝に、堂々たる純正漢文の
上奏文を渡している


5世紀当時の倭国の大王は、
その気になれば、
古墳の被葬者の名前を、
墓誌銘なり石碑なりで
明示することは簡単だった
はずだ。

古代の天皇陵の大半は
過去に盗掘に遭い、
副葬品がもち出されたが、
墓誌銘が見つかったという記録は
残っていない。

 日本では、
たった1500年前の古墳でさえ、
その被葬者を確定できない

 

日本の古墳よりもさらに2000年以上も古い
エジプトのピラミッドはどうだろう。

対照的に、エジプトでは、
4000年前の陵でも、
ちゃんと被葬者の名前がわかる


墓のなかにびっしりと、
ヒエログリフ(エジプトの象形文字)で
文字が書いてあるからである。

 

もちろんその影響は、
墓誌銘に留まらない。
加藤さんはこうまで言い切っている。

 3世紀の邪馬台国の所在が
今日も不明なのも、
その場所が示されていないからだ。

すでにその候補地となる遺跡は
いくつも発見されているのだが、
「ここが邪馬台国です」とか
「ここが卑弥呼の墓です」と
文字で書いた遺物なり碑文が
出土する可能性は、
今後も期待できない

 

漢字が日本に入ってきて、受容され、
そして一般的に使われるようになるまで
時間がかかっているのには、
背景にこういった言霊思想が
あったこともひとつの理由なのだろう。

 もし、単に漢字の字形を
まねることをもって漢字の受容と
見なすのであれば、日本人は、
弥生時代から文字時代に入った、
と言うことができる。

ただ、日本人自身が、
自分たちの事跡を
漢字で記録することはなかった。

その意味で、真の漢字文化は、
4世紀ごろまでの日本には
存在しなかった。

文字がまだ威信材だったころ
「事跡(ことと)を文字で記録する」
ことの意味は、
今とは全く違っていた。

言霊や文字の力を
改めて想像してみるのはおもしろい。

 

 

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2019年4月14日 (日)

「保存」と「変革」の矛盾の解決

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「保存」と「変革」の矛盾の解決

- 「岡崎フラグメント」の妙 -

 

中屋敷均 (著)
生命のからくり
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

は、たいへん内容の濃い本で、
まさに「生命のからくり」に
興味のある方には、
自信をもってお薦めしたい一冊だが、
その中でも
「岡崎フラグメント」の話が
特に印象的だったので、
今日はその部分を紹介したい。

 

本では、遺伝子やDNAについても
丁寧に説明しているが、
今日の紹介では、
そのあたりは全部前提知識として
省略したい。

DNAの複製について、
詳しいことはともかく

「二本鎖のDNAがほどけて
 一本鎖が2本できる。
 それらが各々鋳型になることで
 新生鎖を1本ずつ合成していき、
 最終的には、
 2本の二本鎖DNAになっていく」

ということは理解している、
を前提に話を進めていきたい。

さて注目すべきは
2本に別れた一本鎖が、
鋳型となって、新生鎖を合成する
その瞬間の合成の仕方
だ。

なんとこの2本、同じ方法で
新生鎖を合成するわけではない。

その部分、ちょっと引用したい。
子鎖とは、ほどけた一本鎖を指している。
ヘリカーゼとは二重螺旋のDNAを
部分的にほどいていくタンパク質のこと。

右側の子鎖は、DNAの二本鎖が
ほどけると同時に合成が
連続的に進んでいくが、

左側の子鎖では合成が
へリカーゼの進行方向と
逆向きに行われ、
不連続な短いDNA断片を
次々と合成しては、
それをつなげていくという形で
DNA複製が起こる。

イメージとしては、
前向きに押しながら
どんどん雑巾がけをしていく
作業と、

後ろ向きに
ちょっと下がっては前を拭き、
またちょっと下がっては前を拭く
という行為を繰り返すことで
雑巾がけをしていく
作業との
違いのようなものである。

明らかに後者は、作業効率が悪く、
また作業ステップも
複雑になってしまう。

上手な喩えを思いついたものだと思うが、
「雑巾がけ」はイメージがしやすい。

一気に直線的に
前向きに押しながら拭いていくか、
後ろ向きに下がっては前を拭き、
下がっては前を拭き、を繰り返しながら
全体を拭いていくか。

この「拭く」時に、
新生鎖が合成されると思えばよい。

ちなみに後者のような
DNA複製様式が起こっていることを
証明したのは、
名古屋大学の岡崎令治であり、
その業績を称えて、
これらの短いDNA断片は
「岡崎フラグメント」
と呼ばれている。

このような複雑な
DNAの複製様式が存在することは、
発見当時、
非常な驚きをもって受け止められ、
夭逝した岡崎が生きていれば、
ノーベル賞は確実だったと言われている。

日本の分子生物学の歴史に
輝く業績である。

生物のDNAの複製が、このような
複雑な様式になってしまうのには
理由がある。

DNAの複製を担う酵素の特性上、
シンプルに両側で連続的に複製することが
困難なのだ。

炭素の連結が絡む説明の詳細は
本に譲りたいが、
DNA開鎖の進行方向に背を向けて、
短いDNAをいくつも作って
後でつなげる
という
複雑な複製様式になっている現実は、
もう一方の
連続的な複製との対比で考えたとき
たいへん興味深い。

44歳という若さで世を去ってしまった
岡崎令治氏。

このふたつの複製様式の存在は
古澤満氏らが1992年に発表した
「不均衡進化論」に繋がっていく。

連続鎖と不連続鎖を生む合成様式の差は、
遺伝子の突然変異率に差を生むからだ。

連続してスムーズに合成が進む
連続鎖と比べて、
合成の過程が複雑な不連続鎖は
ステップが多くミスが生じる確率、
つまり突然変異率が高い。

つまりこのことにより、
これまでに書いてきた
生物の根源的な矛盾、
「情報の保存」と
「情報の変革」の共存が
実にスマートに解決される


すなわち子孫DNAのうち

変異の多いものが
「情報の変革」を担当し、

変異が少ないものが
「情報の保存」を担当すれば良い。

シンプルだが、なんと画期的な
アイディアなのだろう。

古澤はこれを
「元本保証された多様性の創出」
と称しているが、

子孫の中に

親の形質をよく保存したものと、

親の形質から
大きく離れたものを作り出す仕組みを
持つことで、

常に
継続した生命の存続を担保しながら、
変異によってできた
新たな遺伝子型を
次々と試すことが可能になる


変異したものの中に
親より環境に適応したものが現れれば、
今度はそれを出発点として
この過程を繰り返すことで、
さらなる発展が可能となる。

これはまさに元本を2倍にして、
一方のみをギャンブルに使う
『ふしぎなポケット』戦略である。

種の「保存」と「変革」という
生命の持つ相反する要求を
どう共存させているのか?
そのひとつの解が
ここにあるのかもしれない。

この不均衡進化論では、
DNAの複製という
生物の最も根源的な機構に、
生物の持つ
二つの対立する根源的な性質を
うまく織り込んでいることが、
実に象徴的である。

DNAの2本の鎖は、その1本から
「自己の保存」を担う、
言うなれば「静」の子孫が、

そしてもう1本からは
「自己の変革」を担う
「動」の子孫が生まれてくる。

その2本の鎖が、
しっかりと手をつなぎ、
螺旋の姿で絡まり合い、
私たちの細胞に収められている。

「情報の保存」と「情報の変革」という
矛盾を解決するために、生物が生み出した
元本保証された多様性の創出」という
優れた戦略を支える機構は、
ここまでに紹介して来た
非対称牲による
不均衡な変異の創出だけではない

実に興味深い
生物が持つ「生命のからくり」だ。

 

 

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2019年4月 7日 (日)

恒温動物とは恒時間動物

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恒温動物とは恒時間動物

- 右と左の同期、人間と社会の同期 -

 

東京地方は、桜が咲いたあと
肌寒い気温が続いたせいか
満開をいつもよりながく楽しめる
4月第一週となった。

4月、新社会人の皆さんはどんな思いで
スタートをきったことだろう。

「ビジネスにはスピードが求められる」的な
新社会人へのメッセージを
耳にする機会が多い年度始め、
「スピード」で思い出した話があるので
今日はそれを紹介したい。

 

参考図書はコレ。

本川達雄 (著)
生物学的文明論
新潮新書

(以下水色部、本からの引用)

 車とコンピュータ。
20世紀前半の
技術を代表するのが車で、
後半から今を代表しているのが
コンピュータでしょう。

そのどちらもが、エネルギーを使って
時間を速めるものなのです。

 これらだけではありません。
身のまわりのほとんどの機械が、
エネルギーを使って
時間を速めるものばかりです。

飛行機、携帯、工場の生産ライン、
家庭内では全自動洗濯機や電子レンジ。
これら文明の利器と言われるものは、
便利なものです。

「便利」とは速くできること
言い替えられますから、
結局、エネルギーを使って
時間を速めるのが
文明の利器なのですね。

一見、速度には影響がないような
クーラーやコンビニエンスストアも
言うまでもなく
間接的には速度向上に役立っている。

 

あらゆる面で高速化が進む我々の社会。

ここで、ちょっと我々自身の体のことを
生物の視点で考えてみよう。

動物には、外部の温度に応じて
体温が変化する変温動物
外部の温度の影響を受けず
自らの体温を維持できる恒温動物がいる。

 変温動物は体温が下がっている時には
動けません。
動くためには、まず体を温めて、
それから、やおら動く。

車にたとえれば、
普段はエンジンを切っておいて、
走るときにスイッチを入れ、
エンジンを暖めて、
そうしてはじめて走り出せるのです。

一方、恒温動物は...

それに対し恒温動物は、
エンジンをかけっぱなしにしておき、
いつでもダッシュできるよう
準備しています。

「いつでもどこでもすぐに」
を目指しているのが恒温動物なのです。

 

言うまでもなく、人間は恒温動物。
体温が一定になると、
どんな良い点があるだろう?

 

筋肉の収縮も、
もちろん化学反応が
基礎になっていますから、
温度が高ければ速く縮むし
遅ければゆっくりと縮みます。

つまり体温が下がっていれば、
さっきと同じタイミングで
餌を捕まえようとしても
体の動きはゆっくりになり、
餌を逃してしまうおそれも
出てくるのです。

それに対して体温が一定ならば、
すべての事象が
いつも同じ速度で繰り返せるので、
予測もたてやすくなりますし、
体内の統制もとりやすくなるでしょう。

(中略)

結局、恒温動物とは
恒時間動物
なのですね。

体温を一定にして、
時間の速度を
常に一定に保っているのが
恒温動物です。

しかも人間の場合、
体温は約37度もあるので、
外気温との比較で考えると
高温動物であるとも言える。

高温は「体内の反応が速い」
ことにも繋がるが、
この「速い」を活かすためには
もうひとつ重要な要素がある。

高い体温にして、
体の中のさまざまな反応が
速くなればなるほど、
各反応間のタイミングを合わせるには、
時間がぴったりそろう必要があります。

つまり、各反応がぴったり揃って初めて
「速い」動きが実現されることになる。
単純な例だが、速く走れることだって
左右の足の動きの同期があってこそだ。

足をいくら速く動かせても
左右がバラバラでは、
速く走ることはできない。

各反応が速いだけでは速くならない

この同期の問題は、
体内だけでなく、社会においても同じ。

現代人は社会の時間を
超高速度にしています。

超高速だからこそ、
少しでも遅い部分があると、
たちどころに渋滞が起こる

だから皆、時間をキッチリと守る
必要があるのですね。

社会も恒環境にして、
高速化とその同期が進んでいる、と
本川さんは言う。

気温という環境は、
クーラーと暖房で、
いつも快適な温度に一定。

冬でも
ハウス栽培の果物が食べられる。

 いつも働けるように
夜も明々とライトで照らす。
明るさという環境も一定。

このように環境そのものを一定にして
何でも即座にできるようにして、
時間の速度を速めています。

さて、こうなると
人間と社会の同期が問題になってくる。

「少しでも遅い部分があると、
 たちどころに渋滞が起こ」って
しまうからだ。

ところが、
社会の高速性が先行してしまい、
その同期のために、
「人間の速度」が
無理を強いられるようになってしまった。

結局、夜もおちおち寝ていられない
社会になってしまったのです。

安眠できない世界など、
地獄以外の何ものでもないと
私は思うのですけれど。

社会・環境のスピードと
人間(つまり体)のスピード。

「体」が幸せと感じられる環境
自ら破壊して、
いったい何を目指そうというのだろう。

 

 

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2019年3月31日 (日)

仕事のほうがリクエストしてくる

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仕事のほうがリクエストしてくる

- 与えられた条件のもとで -

 

今日は3月31日。明日から、新学年、
新社会人という方も多いことだろう。

新しい環境での活躍を考えたとき、
いつも思い出すエピソードがあるので、
今日はそれを紹介したい。

参照する本はコレ。

内田樹(著)
街場のメディア論
光文社新書

(以下水色部、本からの引用)

 

内田さんはこんな
「入れ歯」の話から始めている。

これは歯科医の人に
聞いた話ですけれど、
世の中には
「入れ歯が合う人」と
「合わない人」がいる。

合う人は作った入れ歯が一発で合う。

合わない人は
いくら作り直しても合わない。
別に口蓋(こうがい)の形状に
違いがあるからではないんです。

マインドセットの問題なんです。

入れ歯が合う・合わないが
「マインドセットの問題」とは
いったいどういうことだろう。

 

自分のもともとの歯が
あったときの感覚が「自然」で、
それと違うのは全部「不自然」だから
厭だと思っている人と、

歯が抜けちゃった以上、
歯があったときのことは忘れて、
とりあえずご飯を食べられれば、
多少の違和感は許容範囲内、
という人の違いです。

自分の口に合うように
入れ歯を作り替えようとする人間は
たぶん永遠に
「ジャストフィットする入れ歯」に
会うことができないで、
歯科医を転々とする。

それに対して、
「与えられた入れ歯」を
とりあえずの与件として受け容れ、
与えられた条件のもとで
最高のパフォーマンスを発揮するように

自分の口腔中の筋肉や
関節の使い方を工夫する人は、
そこそこの入れ歯を入れてもらったら、
「ああ、これでいいです。
 あとは自分でなんとかしますから」
ということになる。

そして、ほんとうにそれで
なんとかなっちゃうんです。

示唆に富む話だが、
内田さんは、このことは
結婚でも、就職でも、
どんな場合でも同じだと言う。

 このマインドセットは
結婚でも、就職でも、どんな場合でも
同じだと僕は思います。

最高のパートナーを求めて
終わりなき「愛の狩人」になる人と、

天職を求めて
「自分探しの旅人」になる人と、

装着感ゼロの理想の入れ歯を求めて
歯科医をさまよう人は、
実は同類なんです。

能力を発揮するための
「100点の条件を探す」に走ったら
能力を開発するチャンス自体を
自ら失っていることになるのだ。

与えられた条件のもとで
最高のパフォーマンスを
発揮するように、
自分自身の潜在能力を
選択的に開花させる
こと。

それがキャリア教育のめざす目標だと
僕は考えています。

この「選択的」というところが
味噌なんです。

「あなたの中に眠っている
 これこれの能力を掘り起こして、
 開発してください」

というふうに仕事のほうが
リクエストしてくる
んです。

自分のほうから
「私にはこれこれができます」
とアピールするんじゃない。

今しなければならない仕事に合わせて、
自分の能力を選択的に開発するんです。

「仕事のほうがリクエストしてくる」とは
まさに傾聴に値する指摘だ。

与えられた環境、条件からのリクエストに
自分がどう応えながら前に進んでいくのか。
条件と自分自身との共同作業。

「仕事のほうがリクエストしてくる」ことを
聞き逃さない感性と対応力、
そこにこそ、
自分でも意識したことがなかったような
能力開花のチャンスが潜んでいる。

 

 

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2019年3月24日 (日)

卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

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卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉

- 時代がみずからを表現するときの<器>として -

 

3月も終盤、
今年も全国各地の卒業式では、
さまざまな言葉が送られたことだろう。

ちょうど一年前になるが、
美術系と音楽系の卒業生、修了生を
送り出している
京都市立芸術大学の卒業式時
学長の鷲田清一さんが
卒業生に送った言葉は
興味深い指摘に富んでいる。

大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に全文が公開されているが、
今年の卒業式以降、
万が一消えてしまうと
あまりにももったいないので
公開されている間に、
印象的な部分だけでも
紹介させていただきたい。
(以降水色部、式辞からの引用)

 

鷲田さんは
美術系の卒業制作、
音楽系の演奏への賛辞のあと
こう繋いでいる。

 ただ,その才能は,あなたがた
一人ひとりのものではありません。

才能(talent)という語には
よくgifted
(「恵まれた」とか「天賦の」)という
形容がなされるように,
それはあなたがたに
贈られたものでもある
のです。

「原石」は,それを磨いてくれる人,
磨かせてくれる環境,
さらにはそれを磨くことに
専念させてくれる人びとの支えが
あってはじめて輝きを得ます。
そういう意味で,
贈られたものなのです。

そして、「贈られた」ということには
もう一つ,別の意味も 含まれていると言う。

贈られたものは
贈り返されねばならない
という,
言ってみれば
「義務」ないしは「責任」のことです。

「義務」や「責任」というと,
日本語では
とても堅苦しい感じがしますが,
「義務」は英語ではobligation。
興味深いことにこの語には
「恩義」や「感謝」という意味も
あります。

(中略)

そして次に「責任」。
日本語では責めを負うといった
厳しい意味でありますが,
英語ではこれはresponsibilityです。

この語を分解すると
respondとability。

つまり誰かの訴えや促しに
応じることができる,

あるいは応える用意がある
ということです。

もういちど言いますが,
才能を贈られた人には,
この贈り返すということが
「義務」ないしは「責任」としてある

ということです。

 

そして、「私」とは
決して独立しているものではなく、
時代や歴史と深く繋がりながら
存在していることを
改めて指摘している。

じぶんの個人的な傷や不安も,
表現行為も,
このようにことごとく
時代のなかにあるということを,
しかと見つめてほしいのです。

 「わたし」というのは,
銘々がそう思っているほど
確固としたものではありません。

「わたし」の表現とは,じつは
「わたし」の存在が負っているもの
すべての表現でもあります。

その意味で
いかにプライベートに見える表現も,
同時に「時代」の表現
なのです。

 そう考えると,
制作する「わたし」,
演奏する「わたし」とは,
じつは時代が
みずからを表現するときの
<器>
のようなものだ
ということになります。

そういう<器>として
「わたし」に何ができるのか

みなさんにはそういう視点を,
いつも持っていてほしいと思います。

 

<器>に繋がる話として、
鷲田さんは、
歴史社会学者の山内明美さんの
エピソードを続けている。
山内さんは
『こども東北学』という本のなかに
こう書いているという。

放射能汚染の不安が
日本社会を覆いはじめたとき,
わたしがいちばんはじめに
感じた違和感
は,
いま起きている土と海の汚染が,
自分のからだの一部で
起こっている
ということを
誰も語らないことだった。

遠くの災いみたいに話をしている。

なぜなら、山内さんは、
震災をきっかけに東北の歴史を
あらためて辿り、
「衝撃をもって」
以下のことに気づいていたから。

かつて冷害や干ばつで
たえず飢饉の不安に苛まれてきた
この地方にあって,
土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと感じる,

そうした土や海と人とのつながりを,
魚や野菜や穀物と人とのつらなりを,
この地の人びとがもっていた

ということです。

そういう人たちであれば,
土や海の汚染も「遠くの災い」ではなく,
わが身の痛みとして感じたはずだ
というのです。

かつてはあった、雨を、
じぶんの体が「福々しく」
膨らむことと感じる
「感受性」。

それもまた重要な<器>だ。

 ここから,
<器>という考え方の持つ,
さらにもう一つの重要な意味が
浮かび上がってきます。

<器>はつねに
何かによって充たされるのを
待っているということです。

芸術についていえば,
先ほども少しふれましたが,
絵画であれ,彫刻であれ,
デザインであれ,演奏であれ,
つねに「表現」ということが
問題にされます。

「表現」とはexpression,
この語を分解すれば,
内にある何かを「外へ」と
「押し出す」ということです。

「表現」行為に
取り組んできたみなさんは,
だから何を「表現」というかたちで
外へ押し出すかを
ずっと考えてこられた
ことと思います。

けれども<器>という考え方は,
これとは違います。
<器>は何か別のものに
充たされるのを待つからこそ,
<器>なのです

先の山内さんは

土に雨水がしみ込むことを
じぶんの体が
「福々しく」膨らむことと
感じられるような感受性を
なんとか回復したい
と言っていました。

鷲田さんは強調する。

芸術的な資質とは,
まさにそうしたものでは
ないでしょうか。

詩人がしばしば,
言葉を探すのではなく,
言葉が降りてくるのを待つ
という言い方をするのも,
きっと同じことを
さしているのだと思います。

「外へ押し出す」expressionこそが、
まさに芸術であり、表現だ、
と考えて、悩んできた学生は多いであろう。

その学生への最後のメッセージに、
「充たされるのを待つ<器>」を
説く学長。

問題提起の価値は大きいと思う。

でも,みなさんにはどうか,
芸術を人生の軸として生きるとは,
独創的な表現の
<主体>になることではなくて,
社会の<器>になることだ
ということを
心に留めておいてほしいと思い,
あえて長々しい話をしました。

繰り返しになるが、
鷲田さんの式辞全文は
大学のホームページの
平成29年度卒業式式辞
に公開されている。

詳しく読んでみたい方は、
全文を参照下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2019年3月17日 (日)

大塚国際美術館 (4)

(全体の目次はこちら


大塚国際美術館 (4)

- 本物を観るということ -

 

前回に引き続き、
徳島の大塚国際美術館の魅力について
もう少し話を続けたい。

 

これまで3回にわたって
他に類のない「大塚国際美術館」
訪問時の驚きを紹介してきた。

 

この美術館、
常設展示スペースも日本最大級
(延床面積 29,412m2
 参考までに
 国立西洋美術館で 17,369m2
 京都国立近代美術館で 9,983m2 だ)
でゆったりしていて、いい。

ただ、広大なうえに、
見どころ満載の作品が多いので
結局、休まず3時間かけて歩いても
一通り回り切ることすらできなかった。

「これはすごい!」
「絶対、観る価値あり!」
「行ってよかった!」
と小学生のような言葉しか浮かばないのは
なんとも情けない限りだが、
初回に書いた
知人の言葉にウソや誇張がなかったことは
確かだ。

一方で、陶板作品に引きこまれながら、
本物を観る、とは
 いったいどういうことなのだろう?

をずーっと考えながら歩いていた。

 

ひとつ目は「劣化」をどう捉えるか、
という点。

たとえば「モナ・リザ」の場合、
現在の我々が「本物」という時、
それはすでに描かれてから
約500年が経過したものを指している。

当然描かれたときとは、特に色は
大きく変化してしまっているはずだ。

500年後の本物を観ていることは事実だが、
少なくとも描かれた時点の絵とは
ずいぶん違っているはずだ。

逆にこれから先、
つまり将来を考えると
ここで陶板上に再現された作品は
多くの場合、本物より劣化の進行が遅い。

「2,000年もつ」と館長も言う通り、
これから先は、劣化において
本物が陶板名画を追い抜いてしまう。

本物は劣化していくのに
陶板名画はそのままでほぼ変化なし。
つまり
「今はそっくり」でも
100年後はズレてしまう、とも言える。

入館時にもらった「観覧ガイド」には
初代館長大塚正士さんが
こんなことを書いている。
(以下水色部、大塚さんの言葉の引用)

・・・ 実際には学生の時に
此処の絵を鑑賞していただいて、
将来新婚旅行先の海外で
実物の絵を見ていただければ
我々は幸いと思っております。

なにしろ、この絵は陶器ですから
全然変化しません


本物の絵は次第に変化しますから、
実物の色と、陶板名画の色とでは
今から50年・100年経っていきますと、
色や姿が
おのずと違ってくると思います。

「将来新婚旅行先の海外で」の言葉に
時代を感じるが、それはさておき
このズレをどう考えればいいのだろう。

もちろん、作品のある瞬間の姿を
克明に保存することの価値に
なんの疑いもないけれど。

 

もうひとつ考えていたことは、
本物を観た「過去の体験」を
思い出した時に浮かぶ、
絵画そのものの魅力以外
様々な要因だ。

歩いていると
まさに「本物を観た」
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂、
イタリアのサンタ・マリア・
デッレ・グラツィエ教会、
トルコのアヤソフィア、
フランスのルーヴル美術館、
オーストリアの美術史博物館、
フィレンツェのウフィツィ美術館、
などなどでの印象が
次々と蘇ってくる。

それらの体験と、眼の前の陶板名画を
比べようと意識すると
絵画以外の部分、
たとえば、建物であったり、
建物自体の老朽化具合であったり、
光の加減であったり、
あるいは建物の廻り、
つまり建物のある街の環境であったり、
空気であったり、
そういういったものが深く結びついて
「本物を観た」と思っていることに
改めて気づかされる。

 

たとえば、
私が、サンタ・マリア・
デッレ・グラツィエ教会を訪問して、
「最後の晩餐」を観たときには、
教会付近の車の通行さえ制限されていた。
自動車通行時の、
振動による壁面の劣化を防ぐためだ。

元は修道院の食堂だった館内も
光による壁画の劣化を防ぐため
最低限の照明となっており
とにかく薄暗い中での鑑賞となった。

そこだけ車の音が抜けている
静かな空間。
そこを照らす薄暗い光に浮かぶ
キリストを中心とした構図の
傷んだ古い大きな壁画、
それが私が観た「最後の晩餐」だった。

そういったことのすべてが
再現できていないではないか、
と文句を言いたいわけでは
もちろんない。

自分にとっての「最後の晩餐」は、
「壁画だけ」を
指していたわけではない、
というだけだ。

それは、パリのルーヴル美術館や
フィレンツェのウフィツィ美術館で観た
(壁画に比べればずっと小さな)
美術品についても言えるような気がする。

私的には、美術品単独ではなく、
それに伴う空気とともに味わった、
それが「本物を観た」体験なのだ。

なので、それらと単純に比較して
どうこう言うのはナンセンス。

名画と向き合った
徳島での新たな体験としたい

そう思いながら歩いていた。

 

作品自体を味わう名画は、
そして精巧なその複製の完成度は
そのことだけで
大きな興奮をもたらしてくれる。

美術館を出てきたときの
昂ぶった気持ちは忘れられない。

未見の方、
お時間と体力に充分余裕をもって
ぜひお出かけ下さい。

原寸大の美術全集の中に身を置いて
一日をすごすことができます。

ほかのどの美術館でも体験できない
新たな美術体験をぜひお楽しみ下さい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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