音語りx舞語り「春」日本舞踊編

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音語りx舞語り「春」日本舞踊編

- 芸は人を大きく見せる? -

 

(a) ヴィヴァルディ作曲/「四季」より「夏」
の音楽に
(b) 能 土蜘蛛
(c) オリエンタルダンス

を合わせるという大胆な企画を
2023年9月に実現した「音語りx舞語り」。

「こんな異質なものが合うの?」の
当初の疑念というか戸惑いを払拭した
驚きのパフォーマンスについては
こちらに記事として書いたが
今度は、

(c1) コラボ1
 ヴィヴァルディ x 日本舞踊

(c1-a) ヴィヴァルディ作曲/
    「四季」より「春」
(c1-b) 日本舞踊

(c2) コラボ2
 バッハ x 謡「吉野天人」x 日本舞踊

(c2-a) バッハ作曲/
    無伴奏ヴァイオリンのための
    パルティータ
(c2-b) 謡:吉野天人
(c2-c) 日本舞踊

に挑戦するという。
企画の本郷幸子さんの挑戦心、
イマジネーションには驚かされるばかりだ。

というわけで、
さっそく聴きに(観に)行ってきた。
印象的だったことを
忘れないうちに書いておきたい。
2404s

開催は、2024年4月13日。

(1) 会場
会場は東京・上野の
東京藝術大学のすぐ横にある
市田邸。

この市田邸、
築100年を越える木造建築で、
明治時代の日本橋・布問屋
市田善兵衛の私邸だったらしく
国登録有形文化財建造物になっている。

今回はここの
1階の和室8畳間を公演用ステージに、
隣接する和室6畳間を観客席にと、
まさに演者と観客の間に隔たりのない
アットホームなセッティング。

座布団または小さな丸椅子に座って
観覧する。

床の間の前の畳の間、
会場選択からして日本舞踊を活かすための
配慮が行き届いている。

 

(2) 計14畳の和室の空間
主宰の本郷幸子さんは企画のほか、
当日もヴァイオリン、お話と大活躍。

小学校5年生の時から教えているという
教え子の森永かんなさんとの共演
 ルクレール作曲
 2つのヴァイオリンのためのソナタ
で演奏会が幕を開けた。

上に書いた通り、観客含め全員が
計14畳の和室の空間の中にいるので、
2台のヴァイオリンが、
お互い聞き合って合わせようとする
視線や息遣いまで細かく伝わってくる。

絶妙な2台のバランス、
先生にとっても、教え子にとっても
感無量の時間だろう。


さてさて、コラボ企画に関しては
前回同様、それぞれの分野の演者から
曲だけではなく各分野についての
初心者向けの解説があった。
(以下は私個人の
 断片的な素人メモからの記述ゆえ、
 不明・不正確な部分があるとすれば、
 その責任はすべて私にあります。
 ご容赦下さい)

解説して下さったのは演者でもある
 ヴァイオリン:本郷幸子さん
 日本舞踊:坂東三奈慧(みなえい)さん
 謡:大金智さん


(3) 語りから音楽へ
清元、長唄の披露のあと、
 (s1) 義太夫
 (s2) 常磐津 (ときわづ)
 (s3) 清元 (きよもと)
 (s4) 長唄
の違いについて、
坂東さんはこんな説明をしてくれた。

語りの要素が一番強いのが義太夫。
(s2),(s3)と語りが洗練されていき、
音楽の要素が強くなってくる。
聞く音楽として発展したのが長唄。

厳密な定義や分類はわからなくても
「語り」と「音楽」のある種の比重で
分類や推移があることを知るだけでも
三味線音楽への関心の度合いが
かなり変わってくる。


(4) 型があるのか、ないのか
坂東さんは、クラシックバレエの
アン・ドゥ・トロワを例に、
西洋音楽にもクラシックバレエにも
型がある
が、
日本舞踊には型がない
という話をしていた。

お師匠さんをただただ真似る。
「いきなり真似て作品を覚える」
という世界らしい。

能のほうはと言うと、
「サシ込開(さしこみひらき)」の
組合せのように型はあります、と
大金さん。

型がない:日本舞踊
型がある:西洋音楽、クラシックバレエ、能



(5) 鏡の存在
理論ではなく、体が覚えるまで繰り返し
身につけるのが日本舞踊。

近年、稽古の環境が変わり、
鏡やビデオを使うこともあるけれど、
基本はご法度。

客観視しないで自分の身体感覚だけで
脳内の像を表現できるようにするのが
日本舞踊という芸。

能でも (「鏡の間」はあるけれど)、
稽古で鏡は使わない。

鏡を使う  :クラシックバレエ
鏡を使わない:日本舞踊、能


鏡を使うと鏡がないと稽古ができなくなる、
という言葉はいろいろ考えさせられる。
何も見なくても表現できる、が大事と。


(6) 扇とおもり
日本舞踊で使う「扇」と
能で使う「扇」との違いについても
実物を並べて丁寧に説明してくれた。
初めて知ったのは、
日本舞踊で使う扇には
要(かなめ)の部分に
「おもり」が埋め込まれている

ということ。

当日の舞踏の中でも
風であったり、花びらであったり、
さまざまな表現に使われていた扇。
その自然でなめらかな動きは、
単に手首の動きだけではなく、
おもりの重力をうまく活かして
作り出されたものだったようだ。


(7) 芸は人を大きく見せる
他にも、
西洋のものは舞踏と言われるように
大地を蹴って跳躍、が基本。
日本のものは下に下に、で田植えの感覚、
といった比較もおもしろい。

跳躍の気分あふれる今回の音楽「春」の
上にひっぱられないように
踊るのがむつかしいところ、と坂東さん。

上にの西洋音楽、下にの日本舞踊、能。

「対極のものをぶつけるのがおもしろい」
と企画の本郷さん。

各分野における基本事項や関連事項、
考え方の背景を教えていただいたうえで、
いよいよコラボを体験することとなった。

(c1) コラボ1
 ヴィヴァルディ x 日本舞踊

(c1-a) ヴィヴァルディ作曲/
    「四季」より「春」
(c1-b) 日本舞踊

(c2) コラボ2
 バッハ x 謡「吉野天人」x 日本舞踊

(c2-a) バッハ作曲/
    無伴奏ヴァイオリンのための
    パルティータ
(c2-b) 謡:吉野天人
(c2-c) 日本舞踊


音語り事務局が、(c1)を14秒だけ
ここで公開してくれている。

個人的に印象的だったのは、
(c1)の日本舞踊における
「春」のユニークな解釈と、
(c2)におけるバッハの選曲。

選曲のセンスには敬服しかないが、
バッハの偉大さも改めて痛感。
音楽と謡の融合により
今自分がどこにいるのか
わからなくなるような
独特なトリップ感を味わえる。


もうひとつ、今回の大きな発見は
踊っているときの坂東三奈慧さんが
すごく大きく見えたこと。

小さな空間で集中して観たから
よけいそう感じたのかもしれないが、
踊っているときと、
語りで解説してくれているときの
体格というか、纏う空気の大きさが
あまりにも違っていてびっくりした。

芸は人を大きく見せる、ということか。

もちろん私個人の感触で
物理的にはなにも変わってはいないけれど。

 

くつろいだ空気の中、
今回もほんとうに楽しい演奏会だった。
その場でのパフォーマンスはもちろん、
型の話だって、鏡の話だって、
おもりを活かした表現だって、
上にの西洋音楽、
下にの日本舞踊、能 の話だって、
その先に大きな世界が広がっている
その入口を示してもらえただけでも
大きな価値がある。

「夏」と「春」を経験できた。
本郷さんは
「四季をcompleteしたい」と
おっしゃっていたので、
ぜひまた次回にも期待したい。

 

 

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2024年4月14日 (日)

映画 ARRIVAL 邦題『メッセージ』

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映画 ARRIVAL 邦題『メッセージ』

- ハンマーしか持っていなければ -

 

2016年の米国映画
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
ARRIVAL 邦題『メッセージ』

Amazon Prime Video

は、「言葉」と「時間」に関する
深い問題が、重なるエピソードの中に
丁寧に織り込まれている
観るたびに新たな発見のある映画だ。

地球外生命体と人間との
ファーストコンタクトを描いた映画、
とストーリーを中心に語ると
肝心な部分が伝えられない。

たとえば、「過去を思い出す」
といった時間感覚の固定概念が
気がつくと揺さぶられている。
「未来を思い出す」ことになったら…。

いずれにせよ、作品全体の魅力を語るのは
難しい映画なのだが、
「言葉」についてのシーンに
たいへん印象的なセリフがあったので、
今日はその部分を紹介したい。

 

地球にやってきた
地球外生命体の巨大宇宙船。
(上記パッケージ写真の
 中央の黒い物体)

彼らはなんのためにやってきたのか?
飛来の目的を探るコンタクトチームが
結成され、女性言語学者ルイーズが
そのメンバとして選出される。

 

(1) 「顔を見せるの」

宇宙船に乗り込み、
地球外生命体となんとか
コミュニケーションをとろうとする
コンタクトチーム。

彼らに言葉あるのか?
それは音なのか文字なのか、
あるいはそれ以外なのか?

文字があるならそれはどんなものなのか?
地球人が持つような
平面的な2次元の文字なのか?
立体的な3次元、
あるいはもっと高次元のものなのか?

言葉はもちろん、
彼らについて何もかもわからない状態から
「会話」に向けての試行錯誤が始まる。

巨大宇宙船に乗り込むルイーズらは、
当初、感染や被爆を恐れ
写真のような分厚い防護服を来て
コンタクトを開始する。

語りかけ、英語の文字を見せ、
なんとか相手とのコミュニケーションを
スタートさせようとするルイーズ。
Bougofuku1s

しかし、なかなか糸口がつかめない。

行き詰まっていたルイーズは、
毒ガス検知のために連れて行った
籠に入ったカナリアが元気な様子を見て
ある決心をする。

突然、防護服を脱ぎ始めたのだ

驚く同行の仲間たち。
リモート監視のスタッフは
「危険だ」と叫ぶ。

彼らに対し、彼女はこう言う。

「顔を見せるの」

防護服を脱ぎ始めた瞬間
ほんとうにハッとさせられた。
そう、コミュニケーションとは
つまりはこういうことじゃないだろうか。
相手とわかり合いたければ
まずは自分の顔を見せることからだ。
防護服越しに真のコミュニケーションが
成立するはずはない。
Bougofuku2s

防護服を脱いで
地球外生命体に近づくルイーズ。

同行した物理学者イアンも防護服を脱ぎ、
顔を出して相手に向き合う。
Bougofuku3s

防護服を着ていないルイーズの
「私はルイーズ」という自己紹介に
未知の生命体がついに反応を始める。

彼女の勇気ある行動がきっかけとなり、
たどたどしいながらも、
コミュニケーションが加速していく。

「顔を見せる」
相互理解はここから始まるのだ。

 

(2) ハンマーしか持っていなければ

実は宇宙船、
世界各地12箇所に同時に飛来しており、
それぞれの国で、未知の生命体との
コミュニケーションが試みられている。
言葉を教えることも含めて。

でも、なにも知らない人に
対戦型のゲームを教えたら
会話の基盤が[対立・勝利・敗北]に
なるように、習得した言葉や知識は
まさに思考に影響する。

これらのことを象徴して
次のようなセリフが登場する。

「ハンマーしか持っていなければ、
 すべてクギに見える」


なんと痛烈で、かつ意味の深い言葉だろう。

考えてみると言語習得だけでなく、
勉強も遊びも、人生でのあらゆる経験は
「クギだと思っていたものが実は…」に
気づかせてくれるもの
なのかもしれない。
すでにこんなにおもしろいものに
囲まれているよ、と。

「クギだと思っていたものが実は…」に
より多く遭遇できる人生でありたいものだ。

 

 

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2024年4月 7日 (日)

脳内麻薬がでてこそ

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脳内麻薬がでてこそ

- 音楽は音だけで出来ていない -

 

1月は行ってしまう、
2月は逃げてしまう、
3月は去ってしまう、
4月は寄ってくる、
と言われるように、
今年も気がつくともう4月だ。

と、4月なのに(?)
今日は、昨年末の小さなネタから
思いがけない展開をみせた話を
書き留めておきたい。


昨年のクリスマスのころ、
「大手デパートのクリスマスケーキが
 崩れた状態で購入者に配達された」
というニュースがあった。

(1) カタログにあった美しいケーキの写真

(2) 実際に配達された崩れたケーキの写真
を並べて、
Masaruさんが
こんなコメントをXに投稿していた。

2312348

(1) に対して
楽器を弾いている時の脳内イメージ
(2) に対して
録音を聴き返した時の脳内イメージ

2枚の写真を見て、
こんな言葉が浮かぶなんて
なんて素晴らしいセンスの持ち主だろう。

私も学生時代のサークルを含め、
素人ながら長く楽器を楽しんでいるので、
奏者の体験として痛いほど同意できる。

自分で楽器を演奏している時の気持ちと
自分の演奏を録音で聞いた時の落ち込み、
奏者にしかわからないそのギャップを、
こんなに簡潔にかつ的確に
表現してもらったことがあるだろうか。

感激した私は、
高校時代、大学時代の音楽仲間に
早速URLを転送し、見てもらった。

皆、それぞれに身に覚えがあるようで、
反応は大きかった。
いくつかコメントを並べておきたい。

* しかし、なんで実際の演奏中は、
 (1)のように聴こえるんだろうねぇ。
 脳内麻薬でも出てるのかなぁ…。

* ド素人でも演奏が楽しいのは、
 脳内に(1)のイメージが
 広がるからなんだよね。

* スキーも同じです。
 滑っている時の脳内イメージと
 ビデオで見る現実。
 滑っているときは脳内麻薬がでています。

* これって、音楽に限らないよね。

そう、音楽に限らないのだ
趣味だろうと仕事だろうと
自らが心から楽しんでコトをなしているとき
客観的な事実のレベルとは関係なく
本人には(1)が見えるような
脳内麻薬(?)がでているのだ、きっと。

藤井さんのように将棋が強くなくても、
大谷さんのように野球ができなくても、
将棋や野球に夢中になれる人がいるのは
まさにそのおかげではないだろうか。

(1)を経験できた人は、
そのレベルとは関係なく、
ほんとうにソレが楽しくてしかたがないし、
その思いを励みに成長もしていける。
(1)はほんとうに貴重な経験だ。
(形だけはうまくいっても、
 脳内麻薬がでていなかった経験は
 むなしさだけが残っていたりするし)

 

最後に、
音楽仲間の言葉を残しておきたい。
「後で録音を聴くと
 たいしたことなかったりするのは、
 音楽が
 音だけで出来ているのではない
 証拠だと思います


これはこれで音楽に対する名言だ。

 

 

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2024年3月31日 (日)

交響曲「悲愴」の第4楽章、再び(2)

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交響曲「悲愴」の第4楽章、再び(2)

- 聴衆ではなく、演奏者を楽しませる目的で -

 

前回に引き続き
チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章

の冒頭に見られる「特異な書法」
(本記事内でのみ
 便宜的に「交叉奏法」と呼ぶことにする)
をきっかけに広がった世界について
書きたい。

再び(1)では、
(1) スコアの解説欄に
  何らかの詳細説明はないのか?

(2) 交叉奏法採用の理由・効果
について書いた。
今日は演奏者の視点から生まれた
興味深いコメントを紹介したい。

(3) 聴衆よりも演奏者
「ホルン吹き」の知人が、同じ
交響曲第6番「悲愴」の第2楽章に、
こんな部分があることを教えてくれた。

まずは譜面を見てみよう。
(音楽之友社のスコア
 クリックすると拡大)
Sym62hra80

注目すべきはホルンパート(黄色矩形枠)。

Aの音でオクターブの跳躍が有るのだが、
これが1st/3rdと2nd/4thで
交互に入れ替わっている。

この部分、
実際の演奏をちょっと聞いてみよう。
クルレンツィス指揮 ムジカエテルナの演奏。


わかりにくい?
では、ホルンパートだけ取り出してみよう。
譜面はこんな感じ。
(クリックすると拡大)

Sym62hr80

1st/3rd の演奏


2nd/4th の演奏

ホルンパート全体演奏

当然だが合わせて聞くと
高いAの音と低いAの音が
8分音符で刻まれているだけ。
なのに演奏者には
オクターブの跳躍を要求している。

これに対して教えてくれたホルン吹きは、
「私は、遊び心が出たのだと
 思っています。
 そもそも、
 ワルツを5/4拍子で書くのも
 変わっていますよね」
と、チャイコフスキーの「遊び心」を指摘。

そのうえで、先の第4楽章を
「2つの声部に旋律を分けて書いた」ことも
今回の第2楽章のホルンの跳躍も、
聴衆よりも、むしろ
 演奏者を楽しませる目的で
 書いたのではないかと思っています

とコメントしている。

経験豊かな上級者ならではの
まさに味のあるコメントだ。

技量不足ゆえに
譜面にかじりついて
四苦八苦していた私には、
ともて思い至らない発想だが、
ちょっと冷静に考えてみると
これは「いい曲」の
大事な要件のひとつなのかもしれない。

演奏者が楽しめる曲だからこそ
いい演奏が生まれるのだから。

 

 

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2024年3月24日 (日)

交響曲「悲愴」の第4楽章、再び(1)

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交響曲「悲愴」の第4楽章、再び(1)

- 記事から広がっていった世界 -

 

チャイコフスキー作曲
交響曲第6番「悲愴」第4楽章

の冒頭の旋律についてとりあげた、
Eテレのクラシック音楽の番組
「クラシックTV」での内容を
ここに書いたところ、
この記事をきっかけに、

* 同じような例ってほかにもあるの?
* 複数の旋律が重なって演奏されたとき
 何をメロディとして捉えるのか、
 理論的に説明できるの?
* 昔からよく知られていたことなの?
* チャイコフスキーは
 なぜそのような仕組みを採用したの?

などの疑問が、読んだ方や音楽仲間との間に
飛び交うようになり、
さらなる情報交換の輪が広がっていった。

広がったからといって
それぞれの疑問に明確な回答が得られた、
というわけではないが、ブログをきっかけに
話題が次々と展開されていくワクワク感は
ひとりでは得られないものなので、
読者や音楽仲間への感謝の思いも込めて
記録としてその内容を残しておきたい。

まずは先の記事を簡単に復習しておこう。

1stバイオリンと2ndバイオリンは
こう弾いているのに

Sym64as

聴衆は、なぜか(?)

Sym64bs

の黄色丸の音を繋げて
メロディとして認識してしまう。
まさにチャイコフスキーに
魔法をかけられたような第4楽章冒頭。
先の記事では
 演奏(音)付きで紹介している
ので、
 詳しくはそちらを参照いただきたい。
 なお、本記事の中ではこの部分を
 便宜的に「交叉奏法」と呼ぶことにする)

この記事の投稿後に得られた追加情報を
整理してみるとこんな感じ。

(1) スコアの解説欄に
  何らかの詳細説明はないのか?


(1-a) 1968年版の音楽之友社のスコア
   (以下水色部引用)

悲痛な,哀切な,嘆くような第1主題
(1から)が弦ででる。

注意すべき点は,
第1バイオリンと第2バイオリンとが
主旋律の一音符ずつを交互にひいて
(1,3)旋律からなめらかさを
奪い去っていることである

(この主題が後に90から再びでる時は,
 主旋律が第1バイオリンに
 でているから比較されたい)。

「90から再びでる時は」とあるので、
90小節目を見てみよう。

6490s

90小節で
第1バイオリンが弾いているのは、
楽章冒頭で黄色丸の音を繋げて
メロディとして認識した、
まさにそのままだ。(黄色矩形部)

それにしても
「一音符ずつを交互にひいて」
旋律からなめらかさを奪い去っている
なんて。

いずれにせよ、50年以上前のスコアに
すでにこの記述。交叉奏法は
古くから知られていた構造のようだ、
と思わず漏らしたところ
さらに古いスコアを提供してくれた方も。

奥付がなく、発行年が不明なのだが、
1957年に購入した、とのメモがある。

(1-b) 1957年以前に発行された
   日本楽譜出版社のスコア

   (以下薄緑部引用)

先づ、アダヂオ・ラメントーソ、
ロ短調四分の三拍子で、
ヴァイオリンで奏せられる
下降的な主題は、
深い思いに沈むが如き感じである。
第一と第二ヴァイオリンが
 旋律を交叉して奏する
から、
 實際の旋律は第90小節と同じになる)

Sym64s

(70年近くも前の印刷物ゆえ
 使われている漢字も含め
 時代を感じていただきたく画像も添付)

こちらにも
「第一と第二ヴァイオリンが
 旋律を交叉して奏する」
と交叉奏法の記述がある。

しかも
「實際の旋律は第90小節と同じ」
とも。

音楽之友社版、日本楽譜出版社版、
どちらのスコアの解説にも
「一音符ずつを交互にひいて」
「旋律を交叉して奏する」
との記述はあったし、
90小節目では第1バイオリンのみが主旋律、
との認識も共通だったが、
残念ながらそれ以上の解説はなかった。


(2) 交叉奏法採用の理由・効果

(2-a) 対向配置のときのステレオ効果
交叉奏法の効果について、
「ホルン吹き」の知人からは、
「当時の私のホルンの先生は、
 対向配置のときのステレオ効果を
 狙ったのかな?
 とかコメントしていました」
なるメールをもらった。
対向配置とは、
第1バイオリンと第2バイオリンが
両サイドで向き合うような配置のこと。
第1・第2バイオリン間を
一音ごとに
パタパタとメロディが動くのだから
確かにステレオ効果は期待できそうだ。

14ページからなる江田司さんの論文
(2-b) チャイコフスキー作曲
   《悲愴》交響曲をめぐる
   鑑賞指導の研究

(薄茶部は論文(2-b)からの引用)
にも

オーケストラの第1・第2バイオリンの
「対面配置」による
ステレオ音響的効果を得るため
とする考えも,2000年代に入り,
世界の著名なオーケストラが
作曲家の生きた時代の
伝統的なこの配置を採用する頃から
多く語られるようになっている

なる記述がある。

ところが、このステレオ効果、
実際には期待できないという
研究もあるようで、同じ論文内に

たとえ2つのバイオリン・パートが
対向配置であったとしても,
聴き手にはそれぞれの音進行を
ステレオ音響的には聴き取れないことを
実験結果から裏付けられている

との紹介もある。

そのうえで、江田さんは
第1楽章の出だしのファゴットの
H-Cis-D-Cis(動機X)が
曲全体を支配していて、

断定は避けなければならないが,
第2,3楽章の主題労作等から,
第4楽章のバイオリン・パートにおける
特異な書法は,
動機Xを敢えて目に付くよう配置したと
推察される
のである。

と結論づけている。

もちろん、
ほんとうの意図はチャイコフスキーに
聞いてみないとわからないが、
多くの人を惹きつける魅力が
「特異な書法」による交叉奏法にはある。

この話、もう少し続けたいが、
今日はここまで。
最後にひとつ番外のおまけを。

(XX) 番外のおまけ
記事、読みましたよ」という
知人に会った時のこと。
「交叉奏法の記事、読んでいたら
 これを思い出しちゃいました」と
おもむろにメモ用紙を取り出し、
「おわだまさこ かわしまきこ」を
二行に分けてひらがな書きをし始めた。

意味がわからずポカンとしている私に
「こうやって交叉奏法のメロディのごとく
 一文字ごとに丸をつけると・・」
Owadamasakos

赤丸でも、黄丸でも
両名の名前が成立する偶然。

チャイコフスキーから
こんな話に繋がるなんて。
思いもかけない飛躍にこそ
人との会話の醍醐味がある。

 

 

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2024年3月17日 (日)

「科学的介護」の落とし穴 (4)

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「科学的介護」の落とし穴 (4)

- 今ここの幸せをつかみとれたら -

 

前回に引き続き、
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さんへの
インタビュー記事から
印象的な言葉を紹介したい。

話しているのはもちろん介護についてだが、
介護に留まらない
考えさせられる鋭い指摘満載だ。

2023年2月7日 朝日新聞
オピニオン&フォーラム
「科学的介護」の落とし穴
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さん
へのインタビュー記事
だ。
(以下水色部、記事からの引用)

230207


だれしも避けて通れない老い。
老いへの不安には
どう向き合えばいいのだろう。

「介護現場でレクリエーションや
 リハビリのための運動をします。

 その時、健康寿命を保ち、
 自立した生活をする
 『未来への投資』という
 発想に立つとしたら、
 楽しくなりません」

「今苦しいのは、
 未来をもっと楽にしたいと
 思っているからです。

 未来にある納期に
 間に合わせる計画のため
 今を差し出す

 それよりも、
 今ここの幸せをつかみとれたら
 どれだけ楽になるか。

 今を謳歌できる人生や社会に
 作り直せるかどうかですね」

未来をもっと楽にしたいと今を差し出す、
に考えの転換を促す村瀬さん。
楽になりたい、と思いながら
その気持ち自体が、
必要以上に自分を苦しめている場合も
あるのかもしれない。

「年をとれば老眼になるとか、
 足腰が弱くなるとか機能が衰える。
 たとえ医療や技術で補完しても
 やがて限界を迎えます


「自分の体をねぎらいながら、
 その変容に応じて
 老いを堪能できる生活に変えていく

 そして生身の限界を踏まえ、
 合意を積み重ねる
 共同体になっていく。

 それが持続可能な社会の
 ありようではないでしょうか」

計4回に渡って村瀬さんの言葉を
紹介してきた。

介護の世界もテクノロジーやデータを
駆使することで改善できる、
と単純に考えてしまうことの危険性を、
タイトル通り
 「科学的介護」の落とし穴
として語ってくれた。

それは、同時に、昨今、
あらゆる分野で幅を利かせている
データ偏重、効率主義、計画管理などへの
痛烈な問題提起でもあった。

そこには、

* 『見たいもの』しか見ない現場になる

* 生活は偶然性や
 いいかげんなものに満ちていて、
 データやエビデンスで裏付けられた
 正しさがベースにあるのではない

* 介護する側の目的を遂行するために
 集められたデータで
 効率が上がるほど、
 唯一無二の人生を生きた老体は
 単純ではありません

* 人間の不完全さや弱さを排除せず、
 許容する力が失われている

* 老いを堪能できる生活に変えていく

などなど、
何度も思い返したい言葉が溢れていた。

 

 

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2024年3月10日 (日)

「科学的介護」の落とし穴 (3)

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「科学的介護」の落とし穴 (3)

- 将来のため今を犠牲にする? -

 

前回に引き続き、
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さんへの
インタビュー記事から
印象的な言葉を紹介したい。

話しているのはもちろん介護についてだが、
介護に留まらない
考えさせられる鋭い指摘満載だ。

2023年2月7日 朝日新聞
オピニオン&フォーラム
「科学的介護」の落とし穴
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さん
へのインタビュー記事
だ。
(以下水色部、記事からの引用)

230207


前回の記事の最後、
「集められたデータで
 効率が上がるほど、
 唯一無二の人生を生きた老体は
 単純ではありません」
と言っていた村瀬さん。
では、介護担当者はどうすべきなのだろう。

「生身の体が
 今ここで求めることに
 応じられる仕組みに
 シフトする必要
を感じます。

 今、食べたい。
 今、うんこしたい。
 今、眠りたい・・・。
 そうした求めには今、対応しないと、
 取り返しのつかない傷を
 心身に残しかねない」

「そうした事態を避けるなら、
 今の生活を計画で縛るのではなく
 今ここで必要なことに対応するため
 計画を手放すことができる
 現場の裁量
が大切になります」

計画に縛られない現場の裁量で、
「今」に対応する。

「一方で経済社会は、
 将来の目標を達成するために逆算し、
 いつ何をべきか
 計画することで成り立っています


 正月のおせち料理を初秋に
 予約販売するのが一例で、
 未来を先取りするほどに
 もうけが出る。

 将来のため今を犠牲にすることを
 いとわない


 今ここの対応から出発するケアとは、
 成り立つロジックが正反対なんです」

理想はあっても、施設長としては
実際に直面している問題への対応も
もちろん必要だ。

「入居者に対して
 職員数が少ないと、
 働く側の生身の限界を
 超えてしまう。

 職員が疲弊するのを
 避けるためには、
 センサーなどの最先端技術で
 人の限界を補完せざるを得ない

 現実はあります」

「ただ、人間の能力の限界を
 文明の利器で補完し
 拡張し続けることで、
 本当に幸せが得られたのか

 立ち止まって
 考える時ではないでしょうか。

 人間の不完全さや弱さを排除せず、
 許容する力が
 失われている
と思います」

これに対して
インタビュアーの浜田陽太郎さんは
「社会を維持し、経済を回すためには
 仕方がないのでは」
と投げかけている。

「この社会は経済発展と引き換えに、
 生産性がないとみなされた
 お年寄りを効率よく介護するために
 施設を用意しているように見えます。

 『認知症』であれば、
 抑制し隔離されても仕方ないという
 暗黙の了解がある」

全体の利益のために、
 一人の人間の存在を犠牲にしても
 仕方ないという考えが、
 私たちの骨の髄まで
 染みてはいないでしょうか


「足手まといな者のリストの
 1番目にいる人を犠牲にすれば、
 2番目の人が繰り上がって
 次の犠牲となります。

 それを繰り返すだけの社会は、
 ほどなく弱体化する。

 日本社会は
 その状態にあると思います。
 それが私たちの望む経済でしょうか」

* 今ここで必要なことに対応するため
 計画を手放すことができる現場の裁量

* 将来のため今を犠牲にすることを
 いとわない、ではなく
 今ここの対応から出発する

* 人間の不完全さや弱さを排除せず、
 許容する力が失われている

* 1番目にいる人を犠牲にすれば、
 2番目の人が繰り上がって
 次の犠牲となります

村瀬さんの言葉は介護の世界を越えて
深く響いてくる。

 

 

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2024年3月 3日 (日)

「科学的介護」の落とし穴 (2)

(全体の目次はこちら


「科学的介護」の落とし穴 (2)

- 唯一無二の人生を生きた老体は -

 

前回に引き続き、
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さんへの
インタビュー記事から
印象的な言葉を紹介したい。

話しているのはもちろん介護についてだが、
介護に留まらない
考えさせられる鋭い指摘満載だ。

2023年2月7日 朝日新聞
オピニオン&フォーラム
「科学的介護」の落とし穴
介護施設長 村瀬孝生(たかお)さん

へのインタビュー記事。
(以下水色部、記事からの引用)

230207


インタビュアーである浜田陽太郎さんの
「科学的に裏付けのあるデータで
 標準化された介護を実行させれば、
 質の良くないところも含めて
 全体の底上げを図れるのでは」
との質問に、村瀬さんはこう答えている。

現場は寛容さを
 失うのではないでしょうか


 標準化されたサービスを
 計画通りに提供したかどうかだけに
 重きを置いて評価される
と、
 現場は追い詰められる。

 評価の矢面に立つ管理者は、
 計画の遂行を現場に求める。

 役割を与えられた個々の職員は、
 まじめであるほど
 目的達成のために鬼になる」

計画通りに実行されたか、が
評価の重要項目となると
そのこと自体が目標になってしまい
本来の業務の目的を見失ってしまう
という経験は、
介護以外の現場で働いてきた私にも
確かにある。

「目的が先立つ介護は
 一方的な暴力をはらみやすい。
 それが組織化されるとなおさらです」

今の制度は、金銭の誘導による
 成果主義と懲罰主義の組み合わせ

 本質は出来高払いです。

 制度設計に込められた
 国の目的に沿って、
 プラン通りに
 ケアが行われたか否かで
 報酬が加算

 できなければ減算されますから」

もちろん、村瀬さんも
管理者として計画そのものを
否定しているわけではない。

「計画するのがダメとは言いません。
 でも、1日おきに入浴
 という計画が設けられたら、
 拒否されてお風呂に入れなかった時、

 『まあいいか』と
 計画を手放せるでしょうか?

 企業社会でも、
 計画を遂行できなければ、
 責任をとらされているでしょう。
 介護現場も例外ではありません」

インタビュアーである浜田さんは
「高齢者に拒否されたからといって、
 計画した介護をやらないのは
 楽をしたいだけでは」
と突っ込んだ質問をぶつけている。

お年寄りの『嫌』を受け止めて、
 いったん引くことは、
 その人の意思を
 尊重したこと
になりえます。

 ただ、介護職が
 引いたままだとネグレクトになる。
 だから、
 どうすれば入浴できるかを
 考えて実践する


「単なる入浴拒否ではなく、
 裸になった時のあばら骨や
 あざが見られたくないとか、
 拒否する理由は無限にある。

 その人にしか生じない理由に
 触れたとき、新しい発見がある」

「相手のサインを受け取り、
 介護の質向上につなげる。
 無駄に見えることにも、
 気づいていないだけで
 大切なことが潜んでいる


 介護する側の目的を遂行するために
 集められたデータで
 効率が上がるほど、
 唯一無二の人生を生きた老体は
 単純ではありません

「集められたデータで
 効率が上がるほど、
 唯一無二の人生を生きた老体は
 単純ではありません」
そう思って接してもらえたら
どれほど幸せなことだろう。

繰り返しになるが、
以下の言葉を読み返してみると
どれも、介護の世界に
限定されないものであることが
よく分かる。

*標準化されたサービスを
 計画通りに提供したかどうかだけに
 重きを置いて評価されると、
 現場は追い詰められる。

*今の制度は、金銭の誘導による
 成果主義と懲罰主義の組み合わせ。

*無駄に見えることにも、
 気づいていないだけで
 大切なことが潜んでいる。

評論家やコメンテーターの言葉でなく、
実際に日々現場に接している
実務担当者からの言葉だと思うと
いろいろな意味で救われる思いだ。

もちろん、理想通りには行かないことも
多いだろう。
しかし、行動を支える根本となる思想は、
どんな職業であれ、
特に正解がない仕事においては
より重要で価値が大きい。

 

 

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2024年2月25日 (日)

「科学的介護」の落とし穴 (1)

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「科学的介護」の落とし穴 (1)

- 生活のベースは正しさではない -

 

昨年の新聞記事になってしまうが、
介護施設長へのインタビュー記事が
たいへん内容の濃いものだったので、
印象的な言葉を紹介しながら、
ここに残しておきたい。

話しているのはもちろん介護についてだが、
介護に留まらない
考えさせられる鋭い指摘満載だ。

2023年2月7日 朝日新聞
オピニオン&フォーラム
「科学的介護」の落とし穴

介護施設長 村瀬孝生(たかお)さん

へのインタビュー記事。
(以下水色部、記事からの引用)

230207

 

より少ない介護職員で
サービスの質向上を目指すとして、
現場から集めたデータを使って
高齢者の自立支援に取り組む
「科学的介護」を国が進めている

テクノロジーを活用して
「より少ない人手でも回る現場」を
目指すことで、
介護の質は向上するのだろうか?

村瀬さんは、いきなりズバリ!
こうコメントしている。

「科学が必要な場合もあるでしょう。
 でも、データやエビデンス重視の
 ロジックが浸透すると、
 『見たいもの』しか見ない現場
 になる。
 それをおそれます」

『見たいもの』しか見ない、とは
具体的にはどういうことだろう。

たとえば、
膀胱内の尿量を測る機器がある。
尿がたまったとセンサーが知らせてきた
タイミングでトイレへ誘導できれば、
オムツを使わないで
済むようになるかもしれない。

すごく有効な方法のように思えるが、
村瀬さんはこう言う。

「でも、お年寄りは、
 尿がたまっていなくても
 トイレに行きたがることが
 よくあります。

 もし正確に尿量を感知できる
 センサーが反応しなければ、
 そのお年寄りを
 トイレに連れて行くでしょうか」

センサーが反応していなければ、
おそらく連れてはいかないだろう。

でもそれは、尿は出ないのに
トイレに連れて行く、
そんなムダな労力が省けるわけだから、
現場は楽になり生産性も上がるのでは、
とも言いたくなるが・・・

「そうでしょうか。
 僕らの現場では、
 『おしっこ』という声を聞いたなら、
 それにつきあい、なぜ本人の実感が
 そうなのか考える。

 その営みが端折られ、
 『生産性を上げるために』と
 介護職員が尿量しか見なくなると、
 老体が発するサインを
 感受する力が育たない

物理的な「尿量」と
「老体が発するサイン」は一対一ではない。
「サインを感受する力」はまさに
養う必要があるということなのだろう。

生活は偶然性や
 いいかげんなものに満ちていて、
 データやエビデンスで裏付けられた
 正しさがベースにあるのではない


 制度が定める目的や価値、
 意味が先行する介護は、
 生活から乖離すると思うのです」

「生活は偶然性や
 いいかげんなものに満ちていて、
 データやエビデンスで裏付けられた
 正しさがベースにあるのではない」
は実感に裏付けられた深い言葉だ。

「生活から乖離する」理由を
こう説明してくれている。

ケアで重要なのは
 『知る』ことよりも
 『受け止める』こと
だからです。

 『これが嫌だ』という
 お年寄りの実感を
 意味がわからなくても受け止めて、
 『かわりにこうしよう』という。

 それも拒絶されたら、
 また別のやり方を考える。
 このやりとりを繰り返して、
 信頼関係が積み上がる」

最初に聞いた、
『見たいもの』しか見ない現場
への問題意識がより具体的に伝わってくる。

介護するために相手を知るという
 知識の対象として関わるのではない


 お年寄りと介護職が2人の体で
 『今、どうしたいのか』を
 リアルにつかむ。
 そのために合意を積み重ねるんです」

たったこれだけのコメントの中に、
どれだけ考えさせられる言葉が
溢れていることか。

繰り返しになるが、
「老体」や「ケア」や「介護」を
カッコ付きにして、
再度抜き出しておきたい。

カッコ内を空白にして読むと
それに換わる身近な言葉が
自然に浮かんできてドキリとさせられる。

*データやエビデンス重視の
 ロジックが浸透すると、
 『見たいもの』しか見ない現場
 になる

*(老体)が発するサインを
 感受する力が育たない

*生活は偶然性や
 いいかげんなものに満ちていて、
 データやエビデンスで裏付けられた
 正しさがベースにあるのではない。

*(ケア)で重要なのは
 『知る』ことよりも
 『受け止める』こと

*(介護)するために相手を知るという
 知識の対象として関わるのではない。

村瀬孝生さんの言葉、
次回も続けたい。

 

 

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2024年2月18日 (日)

小澤征爾さんのリズム感

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小澤征爾さんのリズム感

- 文章のリズムと音楽のリズム -

 

指揮者の小澤征爾さんが、
2024年2月6日、88歳で亡くなった。

恩師の斎藤秀雄の名を冠する
サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)を
創設した指揮者の秋山和慶さん
「本当の兄のように」慕った
小澤さんとの日々を

2024年2月11日の朝日新聞

240211
の記事で語っているが、
その中に、こんな言葉がある。

小澤さんの音楽の特徴を一言でいえば、
やはりあのリズム感

そして瞬発力です。

どこをちょっと緩めようとか、
ぐっと持ち上げようとか、
そうしたペース配分が
すごく上手だった。

「小澤さんの音楽の特徴はリズム感」
この記事を読んで思い出した本がある。

小澤征爾, 村上春樹 (著)
小澤征爾さんと、音楽について話をする

新潮社

(書名たは表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

村上春樹さんとの対談を記録した
単行本で370ページを越える
ちょっと厚めの本だ。

その中に
リズムに関してこんなやりとりがある。

村上春樹さんが、文章を書く方法を
音楽から学んだ、と言うシーン。

で、
何から書き方を学んだかというと、
音楽から学んだんです。
それで、
いちばん何が大事かっていうと、
リズムですよね


リズムがないと、
そんなもの誰も読まないんです。

前に前にと読み手を送っていく
内在的な律動感というか……。

機械のマニュアルブックが
リズムのない文章の典型だ、
と例を挙げなら、
文章のリズムについて、
村上さんは丁寧に説明を続ける。

言葉の組み合わせ、
センテンスの組み合わせ、
パラグラフの組み合わせ、
硬軟・軽重の組み合わせ、
均衡と不均衡の組み合わせ、
句読点の組み合わせ、
トーンの組み合わせによって
リズムが出てきます。

ポリリズムと言って
いいかもしれない


音楽と同じです。
耳が良くないと、
これができないんです。

文章のリズムについての
一連の説明を聞いたあとの
小澤さんの言葉がコレ。

文章にリズムがあるというのは、
僕は知らなかったな。

どういうことなのか
まだよくわからない。

2度見、どころか3度見するくらい
びっくりしてしまった。

あれほど音楽のリズムに敏感な人が
文章にはそれを感じていないなんて。

逆に、小澤さんほどの人が
感じていないのだとすると、
私が文章に感じているものは単なる幻!?
と疑ってしまうほど。

村上さんの言う
「文章で大事なのはリズム」
にはいたく賛同できるものの、
小澤さんの言葉を聞いて以来、
音楽に感じるリズムとは
実は別なものなのかも、
とも思うようになっている。

 

 

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«「空席日誌」という散文集

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