2017年7月23日 (日)

巨大大陸「パンゲア」

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巨大大陸「パンゲア」

- 学界から消える大陸移動説 -

 

前回に引続き、

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

から、
もう少しエピソードを紹介したい。

ヴェーゲナーの「大陸移動説」
の話から始めよう。

20世紀中頃、
ナチスが台頭するまでは、
ドイツ科学の隆盛期でした。

その時代、
ドイツのマールブルク大学で
気象学を教えていた
アルフレート・ヴェーゲナー
(Alfred L. Wegener, 1880-1930)
は、

今離れている大陸は
 みんな もともと一つだった


という"おかしな"考えを、
1912年フランクフルトや
マールブルクで発表し、
1915年に
著書『大陸と海洋の起源』の第一版を
著しました。

「今、海洋で大きくへだてられている
 二つの大陸の両方に、
 同一種の生物の化石が発見される
のは、
 その生物が生きていた当時、
 両大陸は一体であって、
 その後二つに分裂したためである」 

というのです。

今からちょうど100年くらい前のこと。

ヴェーゲナー自身が
「世界地図を見て、
 大西洋の両岸の海岸線の凸凹が
 よく合致するのに気がついた」
と言うように、最初は
小学生でも気がつくような
小さな発見がスタート地点だった。

それを「気がついた」だけでなく、
ちゃんとした説として
発表できるところまで持っていくことは
誰にでもできることではない。

彼の専門は
地球物理学の中の気象学でしたが、
世界地図を見て思いついた
アイディアを証明するために、
生物学、古生物学、地質学、岩石学、
鉱物学、気象学、測地学などなど、
片端から
当時の最新の論文を読み漁って読破し、
証拠となる事実を探しました。

 そして、
南アメリカ大陸とアフリカ大陸のように、
現在は離れている両大陸間に、
海を渡ることのできない
カタツムリや淡水魚、
あるいは
植物などの同じ種がいる
ことや、
両大陸の凸凹が
ジグソーパズルのように嵌(は)まる両岸に
同じ化石や同じ岩石・鉱物が産出して、
かつて地層がつながっていたことを
見つけました。

 それらの事実を証拠として、
上記の『大陸と海洋の起源』を出版し、
現在の大陸は古生代終わりの
ペルム紀(約2.99億~2.52億年前頃)まで
みんな一つにまとまった
巨大大陸「パンゲア」であって、
中生代最初の三畳紀(約2.52億年前頃)から
徐々に分裂が進み、
白亜紀(約1.45億~0.66億年前)
に離れ離れになったと主張しました。

広い視野で研究できたものだけが
到達できた見解。
ところが、この発表は、学界では
ほとんど受け入れられなかった。

パンゲア大陸については
Wikipediaにある動画がわかりやすいので、
リンクを貼っておきたい。(こちら

ところで、「大陸は動かない」説を
支持している人たちは
離れた大陸にある共通の化石を
どう説明していたのだろう。

 しかし20世紀初頭の発表当時は、
あまりにも常識とかけ離れていたため、
学界ではほとんど理解されませんでした

「大陸が動くはずはない」とする
当時の″正当的″な考えでは、
二つの大陸に共通する化石の存在は、
かつて両大陸が細い″陸橋″で
つながっている時代があったから
であると
説明するのです。

陸橋は二つの大陸をつなぐ
細長い陸地や潮が引いて現れる
島伝いの道のことで、
それを伝って海を渡れない生物が
移動したと考えるのです。

ちなみに、この『大陸と海洋の起源』は
今読んでもおもしろい本らしい。
調べてみると、
岩波文庫にも講談社学芸文庫にもある。

まだ読んでいないが、下記を読むと
読んでみたくなる。

『大陸と海洋の起源』は
文字どおり地球科学全般にわたる
さまざまなデータを用いた、
ていねいな論理展開で、
出版から約100年も経った今読んでも
痛快な推理小説を読むようです。

もちろん、現在の知識からすれば
大陸の構造や移動の原因などの考察には
誤りもありますが、
大陸が移動したことをしめす証拠の論述は
合理的で感心するばかり
です。

専門性が進むことによって
細分化されていく学問がもつ問題点は、
彼の説に対する学界の反応を見ると、
(不幸なことではあるが)
じつにわかりやすい。

 気象学者のヴェーゲナーが
大陸移動説の根拠としたのは、
生物や化石や地質など専門の異なる
「巨大な量の文献を読破・
 渉猟(しょうりょう)した」
論文でした。

化石や生物の専門家は
個々の化石や動・植物については
通暁(つうぎょう)していても、
大陸を動かす力を論ずる
地球物理学の論文は読めません
し、
逆に、
地球物理学者は
地震・重力など全地球規模の現象を
理論的・定量的にあつかいますが、
化石や生物のしめす定性的な事実から
何億年もかかって移動する
大陸を推定する想像力に欠けていました。

 専門家は
それぞれの高い専門性のゆえに、
ヴェーゲナーの言を
どちらの側からも理解できなかったのです。

結局、彼の説は
一旦学界から消えてしまう。

常識を正面から否定したヴェーゲナーは、
米国を中心とする学者の反感を
一手に買って論争になりましたが、
むしろ
「圧倒的多数は彼の論拠を
 まじめに聞こうとしなかった」
といわれています。

論争になったのも彼の生存中だけで、
彼が大陸移動の原因を求めて
グリーンランドの探検で
1930年に遭難死すると、
大陸移動説は学界から
完全に消えてしまいました


 あれだけ物理・化学が発展して
原子や電子の「ミクロの世界」が
明らかにされた20世紀前半でも、
地球は
「海も大陸も動かない、
 冷えて固まった地球」
の見方のまま残されたわけです。

彼の説が
学界から消え去ってしまったころ、
ここ日本ではある意外な、
ほんとうに意外な分野で動きがあった。

その話は次回に。 

 

 

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2017年7月16日 (日)

「生命誕生」

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「生命誕生」

- 「海は生命の母」とは言えない? -

 

本棚にあるこの本

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

私が購入したときの本の帯には、
池谷裕二・東京大学教授の
こんなコメントが載っている

脳髄を金槌(かなづち)で
 殴られるほどの衝撃を受けた!


帯は広告・宣伝なので、
たいていの場合は大袈裟で
ミエミエの褒め言葉に
かえって冷めてしまう場合もあるが、
殊この本については
「金槌で殴られるほどの衝撃」
はまさに言葉通りだった。

ほんとうに衝撃がある。

生命はいつどこで発生したのか?

だれもが抱く疑問に、
独自の説を丁寧に展開していくのだが、
とにかく話の運び方がうまい。

最初の方のこんな書き方だけで
おもわず引き込まれてしまう。

生命の起源は海の中、
「太古の海は生命の母」と考えるのは
広く世界の常識になっています。

 確かに水がないと
生物の体は成り立ちませんし、
生きてもいられません。

化石に残る原始的な生物は
すべて海棲(かいせい)生物で、
約5・4億年前のカンブリア紀の海で
爆発的に増殖したことも確かです。

しかし、だからといって、
生物の誕生にいたる有機分子の発生と
進化の過程もすべて水の中、
海の中であったとする根拠は
何もありません

化石で見つかった古い生物が
すべて海棲生物だからと言って、
その起源となる最初の生命の誕生
「海の中」の証拠にはならない。

なるほど。

でも、いつのころからか
「アミノ酸が多く浮かぶ
 スープのような海」
が生命誕生の舞台だと
思い込んでしまっている
どうしてなのだろう?

事実、こんな記述もある。

アミノ酸に富む
”チキンスープ”のような太古の海で
生命が発生
したと、
ほとんどの人は考えて、
海を模した水溶液中の
化学反応の研究を中心にしてきました。

 

では、なぜ、
海での生命誕生が疑わしいのか?
詳しい説明の前に、
サクッとこう提示している。

 後で述べますが、化学的には
海の中でアミノ酸などの
生物有機分子どうしが結合して
大きくなると考えるのは不自然
なのです。

多量の水の中では一般に、
結合よりも大きな分子の
分解反応が卓越します。

比熱の大きな
多量の水の中はつねに温暖で、
分子が相互に反応しなければならない
環境圧力もありません


「太古の海は生命の母」と考えるのは、
世界の常識とはいえ、
化学的にはおかしな仮定なのです。

生命を構成する原子や分子が、
アミノ酸やタンパク質を構成する配列で
分子となるためには、
構成原子や分子が
そこにあるだけではもちろんダメで、
化学反応を起こし、結合させるための
ある種の「圧力」が必要になる。

その「圧力」が温暖な海にはない。
むしろ逆で、海には、
分子を分解させる方向の力がある。

との指摘も直感的にreasonable。

 

こんな導入で始まった話は、
この後、地球の歴史を大きく観ながら
本論に入っていく。

そこで提示される
生命誕生に関わる大胆な仮説については、
簡単には要約できなので
説明は本に譲りたいが、
仮説の詳細に入る前にも、
興味深いエピソードが
いくつも紹介されている。

というわけで、
この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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2017年7月 9日 (日)

駅馬車の御者の一生

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駅馬車の御者の一生

- 埋葬しようとして -

 

新聞を整理していたら、
ある本にあったエピソードを思い出した。

新聞記事の前に、
エピソードの方から紹介したい。

本は、
アイザック アシモフ (著)
星 新一 (訳)
「アシモフの雑学コレクション」 
    新潮文庫

(以下水色部本からの引用)

(アシモフが書いて
 星新一が訳している。
 もうそれだけでなにかありそうな
 予感がするが、残念ながら
 今日の話はそれとは関係ない)

さて、この本、
今で言うトリビアネタ満載。
出版は今から30年以上も前なので
今読むと、
更新の確認が必要なネタも
あったりするけれど・・・

その中の一節。

カリフォルニアの
ゴールドラッシュのころ、
チャーリー・パークハーストという
駅馬車の御者がいた。

危険のひそむ道を、
乗客や金をのせて運んだ。

葉巻を吸い、かみタバコも好み、
トランプも強く、酒も飲む。
馬車を襲った強盗を二人うち殺した。

やがて引退し、
サンタクルーズで牧場を持った。

まぁ、ここまでは
ゴールドラッシュ時代の
ひとりの成功者の話と読めば
特に驚くようなことはなにもない。

ところが最後はこう結ばれている。

1879年の大みそか、チャーリーが
自宅で死んでいるのが発見された。

埋葬しようとして、
女性だったことを、
人びとははじめて知った。

 

話は最初に戻るが、
このエピソードを思い出したのは、
この記事を目にしたから。

2017年6月19日朝日新聞一面

A170619_joshidai

「性同一性障害」の方の
女子大への入学について
議論されるところまで来た、とのこと。

「性同一性障害」や
LGBT(性的マイノリティ)への
社会的な理解は、ここ20年ほどで
ずいぶん大きく進んだ。

それでも
まだまだ不十分な点は多いのだろうが、
各国のニュースを見ていると
理解に対する追い風が吹いていることは
間違いない。

数のうえでは少数派であっても、
各人のあり方が、
そのままの形で受容される社会、
そういった多様性を認める社会が、
ほんとうの意味での
豊かさと強さを持つことになる。

金子みすゞさんの詩ではないが、
「みんなちがって、みんないい」
のだし。

ただ、社会的な認知度と
実際の存在数は、独立した事象だ。

もちろん、
「認知度」が高まれば
「カミングアウトしやすくなる」
といった点はあると思うが、
認知されたからと言って、
急に対象者が増えるような性質の
事象ではない。

同様に
社会的には全く認知されていなくても
その時代、その時代で
おそらくある一定数はいたはずだ

今から140年前。
チャーリーは、
どんな思いで一生を過ごしたのだろう?

 

 

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2017年7月 2日 (日)

5年前はホームレス

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5年前はホームレス

- 女性歌人の「住む場所」 -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
歌人の鳥居さんという方が書いた
「住む場所」という
2ページの短いエッセイが載っていた。
(以下水色部「新潮」からの引用)

 

私は二十代の女性だけれど、
 5年前はホームレスだった


というちょっと驚くような内容から
話は始まっている。

何も持たない私は、
一人で誕生日も成人式も過ごした。
一人は寂しいなあと思う。
誰かと親しくなろうと試みる。
そのたびに
「どこの馬の骨とも知れない人を
 信用できない」と疎まれる。

学歴もなく、人脈もなく、
履歴書に書ける
住所も緊急連絡先もない。

そんな私が今、
立派な文芸誌から寄稿依頼をもらい
エッセイを書いているなんて、
生きていると思わぬ未来に
辿り着くものだなあと思う。

不思議だ。

ひとりぼっちの5年前も心配だけれど、
いったい、この5年間に
鳥居さんには何があったのだろう。

いろいろなことが
あったであろうことは
想像に難くないが、意外にも
彼女自身はこのひと言で言い切っている。

ホームレスだった、あの頃と今。

たった五年の間に
私の身に何が起こったのだろうか。
そのじつ、たぶん、何もない。

きっと住む場所が
変わっただけ
なんだと思う。

題名の「住む場所」は、
ここから来ているのだろう。

「場所」とは「所」ではなく、
「世界」のこと。

世界が変わると価値観も変わる。
「本を読むこと」という
わかりやすい例で
世界の違いを述べている。

昔、住んでいた場所
(孤児院や里親家庭)では、
人とつきあわず
黙って文字ばかりの本を
読んでいることは
「あの子、何考えてるかわかんない」
「気色悪い」と言われる、
可愛げのない人物の象徴的行動だった。

今いる場所(文芸的世界)で、
私が本を読んでいても
「気色悪い」とは言われない。
それどころか、褒めてもらえる(!)。

もうひとつ、
別な例が添えてあるのだが、
こちらは対照的に過激だ。

しかし、ピストルの弾が、
どこでどのように取引されているのか、
相場価格がいくらか。
もし、そんな話を、
ここで精確に話せたとしても、
今ではもう、
誰も私を褒めてはくれない

(以前の場所なら、
 すこしは評価してもらえた
 話題だった。)

二十代の女性が
こんな例を挙げられること自体、
経験の凄まじさを感じさせる。

鳥居さんの歌は
「キリンの子 鳥居歌集」
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

という形で歌集として出版されている。

出版元のホームページを見ると、
鳥居さんについて、
以下のように紹介されている。
(以下緑色部HPからの引用)

三重県出身。年齢非公表。
2歳の時に両親が離婚、
小学5年の時には目の前で母に自殺され、
その後は養護施設での虐待、
ホームレス生活などを体験した女性歌人。

タイプすることすら、つらい。

それでも近年の
2012年 全国短歌大会 入選
2013年 路上文学賞 受賞

などがホームレス脱却の
契機になったようだ。

小中学校に
通えなかった自分と同じように、
何らかの事情で
学校に行けなかった人たちが、
再教育を受けられる社会になるように、
という願いをこめて、
セーラー服を着て活動している。

どんな歌を詠むのだろう。

上の歌集(受賞文学賞作品も含まれる)を
読んでみた。


 爪のない指を庇って耐える夜
  「私に眠りを、絵本の夢を」

凄絶ないじめの体験を詠んだ歌は
やはりつらい。

そんな中、
こんな目も持ち合わせている。

 サインペンきゅっと鳴らして母さんが
  私のなまえを書き込む四月

 目を伏せて空へのびゆくキリンの子
  月の光はかあさんのいろ

優しい、温かい歌もある。

でも、義務教育ですら
ちゃんと受けられなかった
過去の境遇を知って読むと、
やはり次のような歌が、
深く深く心に響く。

 慰めに「勉強など」と人は言う
  その勉強がしたかったのです

 

 

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2017年6月25日 (日)

大岡川遡行 (4)

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大岡川遡行 (4)

- 大岡川源流域 -

 

横浜市の大岡川、河口から
(1) 中区日ノ出町まで
(2) 南区弘明寺町まで
(3) 磯子区栗木まで
と進んできた遡行も
今回で4回目。いよいよゴールだ。

 

途中、大岡川に
沿うように延びていた古道
「かねさわ道」に関する案内もあった。

「かねさわ」と書くと
どうもピンと来ないが、
漢字で書くなら「金沢八景」の
「金沢」なのだろう。

P5147439s

一部引用したい。

・・・東海道から別れ
横浜南部の丘や
大岡川、笹下川流域経由で
氷取沢・能見台・六浦に通じている
古道「かねさわ道」

・・・(中略)

江戸時代には峰護念寺のお灸、
杉田妙法寺一体の梅林、
富岡のほうそう(天然痘)に
霊験あらたかとされた芋神さまや、
鎌倉・江ノ島の名所を遊覧する人々で
この道が賑いました。

また黒船来航で騒然としたころは
江戸と三浦半島との間で
飛脚や沿岸防備の武士が
頻繁に往来
しました。

江戸と三浦半島を結ぶ幹線だったようだ。

 

それにしても、
今回ブログを書くにあたって、
各所で撮影した
案内板や石碑等の文章を
改めて読み返してみたのだが、
大いに気になることがひとつある。

上大岡の「青木神社」、
大岡川水門の所にあった「かわじまの碑」、
そして今回の「かねさわ道」、
この3箇所の説明書きには、
歴史的な事実はともかく、
日本語の文章として
明らかにおかしな部分がある。

「関東、奥州一帯に大水害」が
「関東、奥州一体に大水害」と
漢字が間違っているものもある。

原案作成時点でヘンな文章だったり、
漢字を間違えてしまったりは
ウッカリも含めてあるかもしれない。
しかし、最終的に碑になるまでには、
ナン人もの人がチェックしたのでは
ないのだろうか?

どうしてそれらすべてをスリ抜けて、
ヘンな日本語が石や鉄板に
刻まれてしまったのだろう。

発行はどれも「横浜市」。
難しいことが書いてあるわけでない。
簡単な記述だからこそ、
もう少し気を遣ってもらいたかったと思う。

 

根岸線を越えたあたりからは
さらに川沿いを歩けなくなる。

P5147443s

県立氷取沢(ひとりざわ)高校の
付近まで来た。

P5147451s

氷取沢(ひとりざわ)
難読地名のひとつとして
取り上げられることもよくあるが、
なんとも味のある地名だ。

「氷取沢神社」という神社もある。

P5147456s

源流のある円海山方面に
向きを変えたあたりから
一気に景色が変わってきた。

P5147458s

「ここは横浜?」
と言いたくなるような豊かな緑。

P5147464s

市民農園としても
開放されているようだが、

P5147468s

丁寧な農作業のあとが
あちこちに見られる。

P5147466s

横浜横須賀道路の高架の先には
「氷取沢市民の森」が広がっている。
いよいよ源流が近づいてきた。

P5147472s

大岡川はもうこんな感じだ。

P5147480s

森の奥へ入っていく。

P5147494s

途中、「マムシに注意」も。

P5147499s

流れとして追うのはそろそろ限界か、
と思ったころ

P5147502s

突然、こんなものが目の前に。
大岡川源流域

P5147504s

極私的イベントのゴールを
明示してくれているのもうれしいが、
それにしても、「源流域」の
「域」という文字がやさしい

実際に行って目を凝らすと、
地面から水がしみだしている箇所が
ところどころにあり、
小さな流れを作っている。

P5147511s

「最初の一滴はここだ!」という
「一点」があるわけではない。

「このあたりですよ」の「域」。
気分的には大満足。

しみだしている水を目に焼きつけた後は、
最後、森林の中を歩いて、
「いっしんどう広場」を目指した。

P5147522s

 

目的地にまで到達できたので、
今回の遡行全行程を
大きく地図で振り返ってみたい。
青い点線。
実際に歩いたのは15km程度だろうか。
北から南方向に歩いて来たことになる。
(地図はGoogle Mapから)

Map2s

 

終点にあたる円海山は名の通り
山になっているうえ、
三浦半島の背にあたるので、
横浜市方面と、鎌倉市方面を
同じ場所から見下ろすことができる。

Map1


西に相模湾・鎌倉(黄色矢印)方面

P5147527s

東に東京湾・横浜(青色矢印)方面

P5147531s

遠く横浜ランドマークタワーを見ると
「あそこから歩いて来たンだなぁ」と
感慨もひとしお。

夜は一緒に歩いた仲間と
居酒屋で乾杯。
まる一日体を動かしたあとの
ビールがうまかったことは、
言うまでもない。

 

 

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2017年6月18日 (日)

大岡川遡行 (3)

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大岡川遡行 (3)

- 大岡川分水路の驚き -

 

ここから始めて
ここまで来た
横浜市の大岡川遡行の3回目。

南太田駅の手前で別れた
京急本線と上大岡駅手前で再会。
今回は交差している。

P5147369s

ちょうどいい時間となっていたので
上大岡駅前で昼食をとることにした。

歩き通しだったので、
「食事+休憩」ですっかりリフレッシュ。
体力の方は回復して元気になったのだが、
このころからカメラの調子が
怪しくなる。

写真は撮れるが露出がヘン。
強制的に露出補正しながら
騙し騙し使っていく。

 

【青木神社】

P5147375s

社殿前には、掲示があり

かつて
"九十九曲り"の異名をとったように
激しく蛇行する大岡川は、
しばしば洪水氾濫を繰り返した

とある。

内容を読むと、

* 宝永4年(1707年)
  富士山噴火による降灰は、
  大岡川流域でも60cmにも達し、
  それが雨で押し流され
  川筋を埋めて
  甚大な被害をもたらした、

* 享保16年(1731年)
  蛇行の修正や河道の拡幅、

* 天明6年(1786年)
  大洪水により大岡川の流れが変り
  社地が川の両側に分断、

* 昭和30年以降もしばしば洪水に、

などなど、
洪水関連の記録が並んでいる。

小さいながらも、
ずいぶん暴れん坊の川だったようだ。

 

【大岡川と日野川の合流点】

P5147387s

左側から大岡川、右側から日野川
手前に向かって流れ合流している。

これまで通り大岡川の方を追うが、
この先、だんだん川幅も狭くなり、
同時に川沿いが歩きにくくなってくる。

P5147394s

川沿いの道がない部分は、
できるだけ川から離れないルートで。

突然ですが、ここで【問題】です。
下の写真、左手の長い長い高い塀
さてナンでしょう?

P5147396s

正解は「横浜刑務所」。

 

橋から見下ろすと
鯉をよく目にするようになる。
住宅街の中を行く。

P5147401s

河口から歩きだして初めて、
水門が見えてきた。
【大岡川水門】だ。

P5147402s

水門の向こうには取水庭が見える。

P5147405s

「大きいのは大きいけれど
 この程度の大きさで、
 洪水が迫っているとき、
 どの程度役に立つものかねぇ」

などと言いながら、
取水庭側に回ってみて驚いた。

 

「おぉ、これは!」

P5147406s


なんと直径10mにもなる
大きな穴が見える。

近くにあった
「大岡川分水路建設之碑」を見ると

P5147412

そこで、
神奈川県と横浜市は、
このような災害を防止するため、
日野川と大岡川の洪水を
直接根岸湾に放流する
大岡川分水路計画
を樹立し、
昭和44年に着工いたしました。

以来、
家屋の移転、用地の提供など
多くの市民の方々の
絶大なるご協力のもとに、
12年の歳月と
166億円余の事業費
を投じ
昭和56年3月
ここに完成したものであります。

大きな穴はトンネルとして、
そのまま根岸湾、つまり
海にまで通じているという。

これはすごい。

P5147414s

日野川の水も
大岡川の水も
大トンネルを通って、
海に注ぎ込む仕組みがあるなんて。

「大岡川分水路建設之碑」は
立派なものだったが、近くにある
地図の方は劣化がひどく
ちょっと悲しい。

P5147415s

横に走る赤いラインが分水路。

トンネルなので
詳しいルートはよくわからないが、
地図上の直線距離で見てみると、
日野川から大岡川まで約1.4km
大岡川から海まで約2.1km
合計約3.5kmの分水路ルート
(上の地図の赤いラインの総延長)のうち
約2.7km程度は
トンネルになっているようだ。

取水庭を振り返りながら先に進む。
奥に水門。大きなトンネルは
この写真の右手になる。

P5147410s

左手には、このあたりの土地が
室町時代から代々続く
北見家の居住地「川嶋」(かわじま)
であったこと、などが書かれている
石碑(かわじまの碑)もある。

 

屏風浦バイパスをくぐったあたりから
川に寄ったり離れたりの道になる。
基本的には
「笹下釜利谷道路」に沿う方向。

橋も時代を感じさせる短いものが多い。

P5147426s

橋には、
「事故や安全を考慮して、
 あとから追加でつけました」
といった感じの
まさにとってつけたような
補強された柵や手すりが
目立っている。

P5147429s_3

 

河口から10.2kmの表示があった。
もう10km以上は
歩いてきたということになる。

P5147434s

川幅がいよいよ狭くなってきた。

P5147435s

次回は、いよいよ最終回。
源流はいったいどんなところに?


 

 

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2017年6月11日 (日)

大岡川遡行 (2)

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大岡川遡行 (2)

- 建物に面影だけを残して -

 

ここから始めた
横浜市の大岡川遡行。

今日は2回目、続きを書きたい。

日ノ出町あたりまで来ると、
湧き水が。

P5147263s

簡単な説明書きもある。
要点のみ書くと・・・

野毛山の裾野に位置する日ノ出町周辺は、
自然の湧き水に恵まれた地域で、
明治の初めごろから、
横浜港に寄港する船舶に
飲用水を提供していた
と言われています。

近年は飲むことはできない。

船舶への飲料水の提供か。
燃料、食料、飲料水、などなど
港で補給されるものは
どれほど多岐にわたっていたことだろう。

ちょっと気をつけて見てみると、
川に沿って走る
京浜急行線の高架の向こうには、
山が迫っているのがよくわかる。

P5147293s

川のほうは、ほんとうに静かで、
流れを感じさせない。

P5147269s_2

 

黄金町まで来て、
ふと交番を見上げると、
なぜか屋根の上に猛禽類が。

イセタカ君」という
マスコットキャラクターらしい。
モデルは「ハイタカ」という鷹の一種とか。

P5147274s

付近は、
現在は風俗店ではなくなっているものの、
その間取りから
かつての「ちょんの間」の面影を
強く残している。

P5147275s

ネットで検索すると、
「最盛期には250軒もあった」
という記述もある。

それこそカメラを持って、
というわけにはいかないだろうが、
その頃の夜、
このあたりはいったい
どんな雰囲気だったのだろう。

P5147278s

「バイバイ作戦」と呼ばれる
かなり過激な
風俗店一掃作戦が開始されたのは
2005年のこと。

JR福知山線の脱線事故があり、
つくばエクスプレス線が開通し、
愛知県で「愛・地球博」が開催され、
「ごくせん」「電車男」「女王の教室」
といったテレビドラマが
ヒットしていたのが2005年だ。
そのころまで、このあたりは
一大風俗街だったということになる。
ついこの間の話だ。

今は、桜の名所
「大岡川プロムナード」の一部として
整備され、
誰でもが歩きやすくなっている。

P5147281s

交番の「イセタカ君」も
地域の治安に目を光らせている、
ということか。

「大岡川プロムナード」の整備の一部か
このあたりから橋名の案内表示も
よく目にするようになる。
ここは「太田橋」。

P5147279s

相変わらず水面は静かだ。

P5147284s

道慶(どうけい)橋まで来ると、
りっぱな道慶地蔵尊が。

P5147287s

川向うに見える材木店には、
こんな看板がでていた。

さて、これらの漢字、
いくつ読めるだろうか? 
全問正解は・・・難しい。

P5147290s_2

楢(なら)、椛(もみじ)
栓(せん)、椈(ひのき)
朴(ほお)、楠(くすのき)
杉(すぎ)

一番左は、木偏に仏?
木偏に佛で「しきみ(樒)」という
植物名が出てくるので
おそらくそれを指しているのだろう。

 

京急・南太田駅の手前、
並行して走っていた
赤が印象的な京急本線とも
このあたりで一旦離れてしまう。

P5147295s

後方のランドマークタワーとも
お別れだ。

P5147300s

振り返って見ると、湧き水を提供する
野毛山方面の土地(写真左手)が
高くなっていることがよくわかる。

 

京急本線から離れると、川は
首都高速神奈川3号狩場線の下に
もぐりこむような、と言うか、
首都高が覆いかぶさるように迫ってくる。

P5147307s_2

蒔田公園の横、首都高の下が
支流中村川との分岐点になる。

P5147312s

上に大きく覆いかぶさっている
ゴッツイ構造物が、
首都高速神奈川3号狩場線。

写真左手が本流で、
右手が支流中村川
写真奥に向かって流れている。

中村川は、この先、横浜の大繁華街
元町と中華街の間を流れる堀川となって
横浜港に注ぐ。

 

高速出口は川に沿った
緩やかな曲線になっていた。

P5147313s

 

通称Y校、横浜商業高校脇には、
なぞの構造が。

明らかに川へのアクセスを
意識したものだが、
これはいったいナンなのだろう。

ボートの出し入れでもするのだろうか?

P5147318s

P5147319s

 

川沿いの桜はかなり大きく茂っている。
桜の季節は
それはそれはみごとなことだろう。

P5147327s

環状1号線の鶴巻橋あたりまで来ると、
川に鯉をみかけるようになる。

P5147332s

となりの大井橋、
親柱横のお地蔵様に
地域の方々の心遣いを感じながら、

P5147333s

さらに遡って行くと、
だんだん川の様子が変わってきた。

P5147336s

弘明寺駅付近では、
「水辺の遊歩道」ということで、
川まで下りて歩くことができる。

P5147349s

川辺を歩くので
弘明寺商店街のアーケード、
観音橋も同時にくぐる。

P5147354s

遊歩道も整備されており、
釣りを楽しんでいる人もいる。
聞くと釣れるのは
「ハゼ」や「ボラ」とか。

汽水域というべきなのか、
まだこのあたりでも海の魚が
釣れるらしい。

P5147359s

「出世魚でね、
 成長に合わせて名前がね・・・」と
ごっつい指を折りながら
丁寧に名前の変化を教えてくれたのだが、
今、書こうとしても
ひとつも思い出せない。

そのうえ、
まだまだ詳しい話をしたそうだったのに、
「友人が先に行ってしまったので」と
半ば強引に、親切な説明を
途中で振り払ってしまった。

知識豊富で柔和な太公望には
ずいぶん失礼してしまった。

 

京急・上大岡駅の手前、
離れていた京急本線との
再会も近い。

 

 

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2017年6月 4日 (日)

大岡川遡行 (1)

(全体の目次はこちら


大岡川遡行 (1)

- 新田は江戸時代前期から -

 

2年前、
ここで、妙正寺川歩きをしたメンバで、
今回は、横浜市の
「大岡川」を歩こうということになった。

河口(かこう)から歩きはじめて
源流、できることなら
最初の一滴に辿り着くまで。

まさに大岡川遡行。

全行程でも、15km程度のルートなので、
カメラ片手に、
のんびり一日かけて歩くのには
ぴったりのうれしいコースだ。
いいコースを選んでくれた友人に感謝。

今回も写真の整理を兼ねて
再度行程を思い返してみたい。

 

5月の日曜日の朝、
「河口から」と言うなら
やっぱり海からでしょ」ということで
「みなとみらい」の海にメンバが集まった。

P5147198s

雲は多いが、
長距離歩くことを考えると、
これくらい曇ってくれているほうが
かえって助かる。
強い日差しは、日焼け対策だけでも
面倒なことが多いので。

休日の、朝の風が気持ちいい。

P5147199s_2

時間も早いので、まだ観光客は少ないが、
ジョギングしているランナーには
数多くすれ違った。
海沿いのいいコースだ。

ちょっと歩き始めたところで、
こんなものが目に留まった。

P5147209s

「ドック用排水ポンプ・カバー」

横浜船渠(せんきょ)株式会社
第一号、第二号
ドック用排水ポンプ・カバー

1896年アレン社製(イギリス)。
修理を重ねながら
約85年間にわたってドックの
排水機能を担ってきた

2000年に国の重要文化財に指定。

との説明書きが添えてある。

船渠(せんきょ)とは
 船舶を建造または修繕するために
 入れる構造物、ドック。
のこと。

「渠」という字は、「暗渠(あんきょ)」
での利用くらいしか思い浮かばないが、
改めて調べてみると、
「人工の水路。掘り割り。みぞ」を
意味する漢字らしい。そのままだ。

それにしても修理を重ねながらとはいえ
85年も使われていたとは。

ポンプに限らず、
昔のものはほんとうに長生きだ。

以前、80年以上も使われている
電車車両の話も聞いたことがある。
あれほど消耗の激しそうなものでも、だ。
最近見る、あのいかにも軽そうな
アルミの車両はいったい何年くらい
使えるのだろう。

 

ポンプカバーの近くには、
大きなスクリューのようなものが
横たわっていた。

これはいったい何だろう?

P5147212s

螺旋杭(らせんぐい:スクリューパイル)
というらしい。

近くの説明書きから要点のみを
ピックアップすると・・・。

現在の大桟橋の前身である鉄桟橋は
横浜港の第一期築港工事で
1894年に完成

鉄桟橋は海底にねじり込まれた
505本の鋳鉄製の杭で支えられていた。

イギリス製で直径は約30cm、
長さは約16-20m
耐荷力を増すために
先端にスクリュー(螺旋沓(くつ))
がつけられていた


1899年から始まった第二期工事では、
鋼製194本(直径17cm,長さ20m)が、
関東大震災後、復旧工事のなかでは
鋼製579本(直径18cm,長さ20m)が
新たに使われている。

説明書きにあった図の一部も
添えよう。下図の黄色い部分、
桟橋の杭として
使われていたもので、
先端が螺旋(らせん)状になっている。

P5147211bsss

鉄桟橋は
1923年、関東大震災で大きな被害。
螺旋杭は
1994年に海中から掘り出された

23年も前に
海中から掘り出されたものらしい。

 

ここ30年ほどで
大きく変わった「みなとみらい地区」。

旧施設の再利用も
新施設の内容も
人の動線を考慮した全体の配置も
どれもよく考えられており、
特徴ある景観を作り出している。

P5147222s

 

北仲橋に到着。
ここが事実上大岡川の河口。

P5147220s

親柱部には「大岡川」と
大きく刻まれている。

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すぐ横には、
「二級河川大岡川」の
詳しい周辺地図もある。

P5147227s

いよいよ川に沿っての遡行開始だ。

ふと見ると川沿いではなく
川のど真ん中を立ったままの姿勢で
気持ちよさそうに遡っていく
小集団があった。

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スタンドアップパドル(SUP)と呼ばれる
立ち漕ぎボート。

P5147232s

静かな川面を行くのにはいいが、
波のような起伏には、いったいどの程度
耐えられるものなのだろう?

 

振り返って見るとみなとみらい地区の
全景が見える。
このあたりからこの景色ともお別れだ。

P5147231s

前方には、国道16号の大江橋と、
JR根岸線の鉄橋が重なって見える。

P5147235s

JRの鉄橋をくぐると、上流に向かって
右手に野毛、左手に吉田町
夜は賑やかな
繁華街の中を抜けて流れている。

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それにしても野毛側の川沿い、
小さなスナックの密集度がすごい。

P5147241s_2

夜、カメラを持ってもう一度来たい感じ。
お店のサインに灯がともると
それなりに雰囲気はありそうだけれど。

P5147246s

 

もう少し進むと
左手は、福富町、長者町
呼ばれるあたりになるが、
こちらのほうは、
風俗店の密集度が高い。

P5147247s

歩いていて驚いたのは、日曜日の朝、
まだ9時頃なのに営業しているお店が
結構あること。
開店のサインもキラキラと光っているし、
店の前を掃除したり、
水を撒いたりしている人もいる。

日曜日の朝、
いったいどんな客を狙っての開店なのだろう?

 

長者橋まで来た。

P5147250s

長者橋のすぐ横には
こんな宝くじ売り場が。

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「長者橋」
確かにここに作らないテはない。

ただ、地名はバッチリだとしても、
この外観では、どうも
あまり当たるような気がしない。

 

近くには、
吉田新田関連案内図」があった。

P5147249s

現在の関内駅から南側にあった入海を、
江戸の材木商人吉田勘兵衛
(よしだかんべえ)<1611-1686>
中心となって埋め立て、
吉田新田と呼ばれるようになりました。

年代を見れば分かる通り、
江戸時代といっても、
明治が迫った幕末ではなく、前期だ。

勘兵衛の功績を称えて新田名を
吉田新田と改称し、
吉田に苗字帯刀を許したのは
徳川家綱だったという。
第4代将軍だ。

私の浅い歴史感では、横浜と聞くと、
すぐに「幕末・開国後」を
イメージしてしまうのだが、
言うまでもなくその前にも
長い長い歴史があるわけだ。

 

河口では水色の根岸線と交わったが、
このあたりでは、
赤色の京浜急行線と並行して流れている。

P5147254s

途中、「川の駅」があった。
「道の駅」ならよく知っているが、
「川の駅」は初めてだ。
「川の駅 大岡川桜桟橋」

P5147257s

河口で追い抜かれた立ち漕ぎボード
スタンドアップパドル(SUP)の方々は
どうもこの駅まで来たようだ。

P5147260s

 

まだ河口から2km程度しか来ていない。
次回からはもう少しスピードアップして
書いていくこととしよう。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2017年5月28日 (日)

能力の限界を決めるのは?

(全体の目次はこちら


能力の限界を決めるのは?

- 進化しすぎた脳と薬から見る体 -

 

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
(以下水色部は本からの引用)

から、
ここで「脳の柔軟性」について書き、
ここで「記憶」について書いたが、
本は、「心」や「言葉」など
幅広いテーマをカバーしながら
どんどん話題を展開していくので、
ちょっと厚めの400ページが
読んでいてもあっという間だ。

特に神経系の話は
分子レベルで語られているのに
たいへんわかりやすく、
アルツハイマー病に関する
最新の研究内容などは
かなりエキサイティングだ。
ただ、それらを短くまとめて
紹介するのは難しい。
興味のある方は、
是非本の方を読んでいただきたい。
お薦めだ。

というわけで、この本の紹介も
今日で最後にしようと思うが、
最後はこんな2つのトピックスを
選んでみた。

(1)進化しすぎた脳
雑誌「サイエンス」に載った
「水頭症」の人のレントゲン写真を
学生に見せて話を始めている。

上の写真は健常者の脳。
下は「水頭症」といって、
小さい時に脳に水がたまってしまって、
そのせいで脳の成長が
妨げられちゃっているんだ。

見ての通り、大脳が薄っぺらになってる。
ひどい場合だと、
大脳の体積は健常な人の
20分の1
にもなっちゃうんだ。

健常な人に比べて大幅に小さい脳。
そんな病気になってしまったら、
いったいどんな症状が
出てしまうのだろう?

その答は驚くべきものだった。

んで、「水頭症」の人は
どんな症状がでるかっていうと、
驚くべきことに
多くの患者はまったく正常なの


それどころか、中にはIQが126もあって、
大学の数学科で
首席を獲るほどの人もいた。

大人になった彼は
あるとき病院でたまたま検査を受けて、
そのときはじめて自分の脳が
健常な人の10%しかないことを
知った
んだよ。

そのくらい生活面では
周囲の人と差がなかった。

なんということか。

脳って、わずか10%の大きさでも
いいということなのだろうか?

もちろん、いつ欠損してもいい、
という話ではない。

ただ、現実的な話をすると、
大人になってから
脳を90%も削ってしまったら、
あきらかに障害が出てくるよ。

でも、この患者の場合は、はじめから
小さな脳として成長している
ので、
大きな脳と同じ機能を
発揮できているんだ。

とにかく、最初からの小さな脳は、
かなりのことをカバーできるように
なるようだ。

ある統計によると、
頭蓋骨の中の95%が空洞という
重症の水頭症でも、
ひどい障害が現れる人は
わずか10%に満たなくて

50%の人はIQが100を超えているという。

つまり、人間が人間らしくあるためには、
そんなにデカい脳なんか
持っている必要はないってわけだ。

著者池谷さんは、
人間の脳は「宝の持ち腐れ」とまで
言っているが、

何が重要かというと、
人が成長していくときに、
脳そのものよりも、
脳が乗る体の構造と
その周囲の環境が重要
なんだね。

日本人だって英語圏で育てば
英語を話せるわけで。

と脳の余力の価値を
捉えようとしている。

ということは、脳というのは
進化に最小限必要な程度の進化
を遂げたのではなく、
過剰に進化してしまった
と言えるのではないか。

進化の教科書を読むと、
環境に合わせて動物は進化してきた、
と書いてあるけど、
これはあくまでも体の話。

脳に関しては、環境に適応する以上に
進化してしまっていて、それゆえに、
全能カは使いこなされていない、
と僕は考えている。

能力のリミッターは
脳ではなく体
というわけだ。

能力の限界を決めるのは
脳ではないのだ。

 

(2)4000年前から薬はあった
講義の中で、
神経の仕組みを説明したあと
薬が効く仕組みの話をしているのだが、
その直後、池谷さんは、
「今のはウソ」と
自分の説明順序を否定している。

ここでは僕は、
神経の仕組みをまず説明してから、
薬がここに効いてるんだよ、
と言ってるけど、
そんなの本当はウソ。

なぜかというと、
神経の仕組みがわかったのは
ごく最近の話
でしょ。

だけど、それよりも前から
薬は使われていた。
そう考えてもわかるよね。

薬が神経に効くことが
わかるようになる前から、
薬はずっと存在していた
んだ。

神経がどんな仕組みで機能するのかが
わかる前から薬は存在していたのだ。

薬は世の中にすでにあった。
中国だったら漢方薬。
これは4000年くらい前から
あるわけだよね。

ああいう伝統薬が
なんで効くのかというのを
科学者が調べていった。
そしたら、何と行き着いたところが、
こういう仕組みだった、
というだけのこと。

 薬が効く、ということが
まず前提としてあって、
じゃあ、この薬は何をしているのか、
というふうに科学者は考えたんだ。

それを通じて体の仕組みが
理解されるようになった


それが正しい歴史的経緯で、
僕の講義とは逆の流れだね。

つまり、薬というのは
人体の解明に一役買ってきた、
一種の「科学のツール」
だったというわけ。

薬は、人体の仕組み自体を
解明するためにも役立ってきた
という事実。

こういう「薬を通して体を知る」
というのも
薬学部の大切な研究分野の一つだ。

薬と言うと、
病気に効くかどうかばかりに
目がいってしまうが、
なるほど、
こんな側面もあるわけだ。

 

人体という、
誰もが持っていながら、
その正体はまだまだわかっていない
謎の物体の解明。

脳から、薬から、
探検ルートはあちこちにある。

 

 

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2017年5月21日 (日)

記憶は正確じゃダメ

(全体の目次はこちら


記憶は正確じゃダメ

- ゆっくり学習することの意味 -

 

前回の、
「脳は体が作る」 に引き続いて、

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
(以下水色部本からの引用)

から、脳の話をもう少し続けたい。
題名通り中高生との対話で
話は進んでいく。

今日のテーマは「記憶」

 

こんな話から始まっている。

たとえば何かを見た時、見えたものを
パシャッと写真に撮ったかのように
覚えるというのは、
コンピュータだったらできることだが、
人間はそんなことをしていない。

それはどうしてなのだろう?

著者池谷さんは、
最初にこう言い切っている。

なんでかわかる?

記憶というのは正確じゃダメで、
あいまいであることが絶対必要。

「正確じゃダメ」
「曖昧であることが絶対に必要」

とは、どういうことだろう。

いくつかの例で考えてみると
はっきりしてくる。

たとえば僕は今日
この緑色のチェック柄の服を着てるね。
そしてこんな髪型だね。

もし記憶が完璧だったら、
次に僕と会ったときに、
着てる服が違ったり、
髪に寝癖がついていたりしたら
別人になっちゃうんじゃない。

写真のように覚える、とは
絵としては完璧でも、
特徴抽出はしていない、ということ。

そのことが伝わりきれてない、というか
イメージしきれていない学生さんから
こんな質問がでた。

100%そのままではないけど、
それでもやっぱり声色(こわいろ)とか、
そこまでは変わらないんじゃないですか。
顔の形とか・・・

まさに期待した質問。
池谷さんはすかさず答える。

そう、だから脳は
そういう特徴を抽出してるんだ。

完全に覚えるのでもなく、
また、完全に忘れちゃうんでもなく、
不変の共通項を記憶しているんだ。

洋服や髪型はもちろん、
時間経過による老(ふ)けや
後ろ姿にだって対応できる
人間の脳が持つ特徴抽出能力。

写真のような記憶では、
全く応用がきかない。

そういうときに
100%完璧な記憶というのは意味がない
だって、同じ状況というのは
もう二度とはこない
んだから。

環境は絶えず変化する。

だから、人間というのは
見たものそのものを覚えるんじゃなくて、
そこに共通している何かを
無意識に選びだそうとする。

特徴抽出の最もわかりやすい例は、
そう「文字」だ。

もっと端的な例では、文字がそうだ。
僕が黒板に書いた字は汚い。
でも、みんな読めるよね。

これだって、
「文字の特徴はこうだ」という
共通したルールがあるから
読める
んだよね。

 

リンゴだって、
よく見れば同じものは2個ないのに、
ちゃんと分類できているのは、
まさに特徴抽出ができているから。

リンゴって一個一個形が違うけど、
どれも〈リンゴ〉ってわかるでしょ


まさか、世の中に存在する
すべての〈リンゴ〉のパターンが
脳の中に完璧に準備されていて、
そのつど目の前にある現実の〈リンゴ〉と
照合しながら判新しているわけじゃない。

世の中のリンゴは多すぎる。

むしろ、脳の中にはきっと
リンゴのモデル〈理想のリンゴ〉があって、
ある最低の条件を満たせば、
いま見ているものをリンゴだと
判断できるようになっているんだと思う。

人間以外の動物はどうだろう。
写真のようにそのまま正確に覚えるのか、
特徴抽出して覚えるのか。

動物相手に実験していると
わかるんだけど、
下等な動物ほど記憶が正確でね
つまり融通が利かない。

しかも一回覚えた記憶は
なかなか消えない。

「雀百まで踊り忘れず」
という言葉もあって、
うわぁ、すごい記憶力だな・・・と、
一瞬尊敬に近い気持ちも
生まれるかもしれないけど、
そういう記憶は
基本的に役に立たない

思ってもらったほうがいい。
だって、応用が利かないんだから。

 

さて、特徴抽出しようとすると、
当然時間がかかることになる。

違う時間、違う環境での様子を
関連付ける必要があるからだ。

記憶があいまいであることは
応用という観点から重要なポイント。

人間の脳では記憶は
ほかの動物に例を見ないほど
あいまいでいい加減
なんだけど、
それこそが人間の臨機応変な
適応力の源にもなっているわけだ。

そのあいまい性を確保するために、
脳は何をしているかというと、
ものごとをゆっくり学習するように
している
んだよね。

学習の速度がある程度遅いというのが
重要なの、特徴を抽出するために。

(中略)

そのためには
学習のスピードがあまりにも速いと、
特徴を抽出できない

時間が必要な例をちょっと見てみよう。

たとえば、きみらが池谷という人間を
記憶する過程を考えてみようかな。

いま僕は正面を向いて立っているでしょ。
その姿だけを見て
「これが池谷」というのを
写真のように覚えちゃったとするでしょ。

そうすると、次に僕が右を向いたら、
その姿は別人になっちゃうよね。

そこで、
「右を向いた姿こそが池谷だ」と、
もう一回完璧に覚え直してもらったら、
こんどは右向きの姿だけが
池谷になっちゃって、正面姿は
違う人になっちゃうでしょ。
わかるかな。

ふたつの姿を結びつけるためには、
<記憶の保留>が必要なんだ。

つまり、正面姿の池谷を見ても
「これは池谷かもしれないけど、
 ここは判断を保留しておこう」。

そして、右を向いた池谷を見て
「ふ-ん、これも池谷なんだな。
 ということはさっきの正面姿との
 共通点は何だろうか」
とまたも記憶を保留する。

そうやって、ゆっくりゆっくり
脳は判断していく
んだ。
もちろん無意識にね。

もし、学習のスピードが速いと、
表面に見えている浅い情報だけに
振り回されてしまって、
その奥にひそんでいるものが
見えてこなくなっちゃうのね。

関連付けるための<記憶の保留>か。

スピードが速いと、
「表面に見えている
 浅い情報だけに振り回さ」れる。
なんだか、記憶だけの話とは
思えなくなってきた。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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