2017年9月17日 (日)

オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

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オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

- ザルツは塩、ブルクは城 -

 

最初の夜から時差ボケと無縁の
熟睡ができたおかげで、
目覚めもさわやか。

ホテルの朝食はバッフェスタイル。

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チーズ、ハム・ソーセージ、
パン、シリアルなどなど
種類が豊富で
全部味見してみたくなる。

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はちみつは、
トルコのホテルで見たものと同様
巣から直接取るスタイル。
味というよりも
見た目にインパクトがある。

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レストランの入り口には、
ややピンク色を帯びた
きれいな色の大きな岩塩が。

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そう、ここはザルツブルクなのだ。

ザルツブルク(Salzburg)

salzが「塩」
burgが「城、要塞、砦」
つまり、「塩の城」という
意味の名を持つこの町は、
周囲の岩塩鉱から産出される
塩の取引で繁栄を続けてきた。

ザルツブルクの旅行記を始めるにあたって、
まずは、その起源に関わる
古い歴史的な施設・建造物から
話を始めたいと思う。

どれもその起源は8世紀。

現在の建物は当時のものではないが、
その名は、創立時より絶えることなく
ザルツブルクの歴史を支えている。

 

【ザンクト・ペーター教会】
696年に聖ルペルトが
この地方の布教活動の拠点として
僧院を創設した。
今日、ドイツ語圏に現存する
最古の修道院のひとつとなっている。

付属のザンクト・ペーター教会は、
現在はこんな感じ。

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12世紀半ばにゴシック様式で改築された。

この教会には、
岸壁をくり抜いて作った共同墓地、
祈祷のための
洞窟「カタコンベ(Katakomben)」がある。

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岩山に張り付くような構造が印象的だ。

隣接するザンクト・ペーター墓地は、
鉄細工の墓碑と花が美しい。

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鉄柵で区切られた墓地も特徴のひとつ。
鉄柵の文様も区画ごとに違っている。
鉄細工の墓碑といい、
いい鉄工の職人がいたのだろう。

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映画
「サウンド・オブ・ミュージック」の最後、
墓地に逃げ込むシーンの
モデルになっているのもこの墓地だ。

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左上後方には
ホーエンザルツブルク城塞が見える。

 

訪問時、タイミングよく
独特な形状の鐘塔からは
町中に鐘の音が鳴り響いていた。

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今回は、カメラの他にコンパクトな
ICレコーダ

も携帯していたので
その時の鐘の音を思わず録音。

「カセットデンスケ」や「生録」
なんていう言葉が躍るカタログを
ある種の夢とともに集めていた、
そんな時代の思い出もある
オジサン世代の私からすると、
この手軽さでこの音はないだろう、
というのが正直な感想だ。

30秒ほど貼っておきたい。
小さな町の過去へと誘(いざな)う
音の雰囲気が少しでも伝わるだろうか。

 

そのまま教会にも立ち寄ってみた。
静かに扉をあけた瞬間、
その空気感に足が止まった。

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あの外見から
この身廊が想像できるだろうか。
思っていたよりもずっと大きく、
美しいだけでなく
荘厳な雰囲気に包まれている。

しかも、運がいいことに
オルガンの演奏が始まった。

この空間で聞く、この音楽。
やさしく包み込まれるような幸福感。

神聖な響きは、宗教を越えて
心にやすらぎを運んできてくれるようだ。

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696年のザンクト・ペーター教会に続いて、
714年にはノンベルク尼僧院が創設される。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」で
最初に主人公マリアがいた尼僧院だ。

 

【大聖堂】
起源の古いもののもうひとつは大聖堂。
創建は774年。
12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、
17世紀にバロック様式で建て直された。

訪問時は、ザルツブルク音楽祭のための
大掛かりな準備が進行中で、

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正面のドーム広場には入れなかったため
横からの写真になってしまうが

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こちらの方は、上に書いた
ザンクト・ペーター教会と違って、
その高さ、大きさから
ある程度内部を見る覚悟(!?)ができる。

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さぁ、内部に入ってみよう。

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身廊は長さ101m。

主祭壇のまわりに配置された
パイプオルガンに目にゆく。

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柱部に分散された配置。

モーツァルトはここで洗礼を受け、
1779年からは
オルガン奏者も務めていたという。

最後部にはオルガンの
大きなパイプが並んでいる。

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数々の壁画や

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華麗な漆喰装飾の天井も見逃せない。

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第二次世界大戦で大きく痛み
その後、修復されたものだが、
主祭壇上の丸天井も美しい。

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大理石で覆われた大ホールには、
約1万人を収容できるという。

ザルツブルク生まれの
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
葬儀もここで執り行われた。

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* ザンクト・ペーター教会
* ノンベルク尼僧院
* 大聖堂
起源はすべて8世紀。

その8世紀、当時の司教が、
バイエルン公から献上された
「塩泉からの収入」を財源にしていたことが
「塩の城」
ザルツブルクの名前の由来という。

755年
「ボニファティウスの生涯」の中に
ザルツブルクという名前が初めて登場する

その後も、塩との縁は深く、
15km南にあるバート・デュルンベルクで
採れる岩塩は「白い金」と呼ばれ、
外地に送る際の通行税が、
継続的に富をもたらし
町の繁栄を支えてきた。

ザルツブルクは長い間、
大司教を領主と仰ぐ
神聖ローマ帝国内の一独立国だった。
編入前に短期間バイエルン王国に
併合されていた歴史はあるものの、
ハプスブルクの
オーストリア支配下に入るのは、
1816年のウィーン会議のあと、
つまり19世紀に入ってから
だ。

1000年以上もの間、
大司教が治めた国であり、
オーストリア支配下に入ったのは19世紀。
この点は頭に留めて町を眺めたい。

歴史ある旧市街と歴史的建造物は、
1996年、
「ザルツブルク市街の歴史地区」として
ユネスコ世界遺産に登録
されている。

 

 

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2017年9月10日 (日)

オーストリア旅行記 (3) ザルツブルクでの最初の夜

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オーストリア旅行記 (3) ザルツブルクでの最初の夜

- 問題は傘がない -

 

インフォメーションセンタで
必要な情報を得て歩き出した我々夫婦は、
ザルツブルク中央駅から

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こんな街並みを楽しみながら、
ザンクト・アンドレー教会の前まで来た。

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2両連結のトロリーバスが走っている。
ここからミラベル宮殿の
庭園を抜けることにした。

 

美しい庭園の向こうに
ホーエンザルツブルク城塞が見える
ミラベル庭園を抜けて、

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と、この写真にピンと来た方は
かなりの
「サウンド・オブ・ミュージック」通だ。

50年以上も前の映画
「サウンド・オブ・ミュージック」
については、前回書いた通り
翌日4時間のツアーに
参加することにしたので、
その報告の時に、
まとめて書きたいと思う。

旧市街と新市街を分ける
ザルツァッハ川まで来た。

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橋の向こうが旧市街。
旧市街に向かいながら、
ミュルナー小橋から左側を見ると
この景色。

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ホーエンザルツブルク城塞と旧市街は、
ほんとうに絵になる。

川を越えて、
お目当てのレストランを目指す。

レストランに行く前に、
そのすぐ近くにある
アウグスティーナ・ブロイ
を覗いてみることにした。

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ガイドブックに
オーストリアで最大規模のビアホール
と書いてあったからだ。

ドイツのビアホールは
何箇所かで経験があるが、
オーストリアはどんな感じなのだろう?
ちょっと雰囲気に触れてみたかった。

「アウグスティーナ・ブロイ」は
1621年、アウグスティーナ派の
修道院の僧侶たちが創設した醸造所、
とのことで、
入り口はきわめてわかりにくいというか、
地味。

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看板はあるものの、この扉がほんとうに
「オーストリアで最大規模のビアホール」
の入り口なのだろうか?

半信半疑で階段を下りていく、

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が、ここまで来ても、
下が大きなビアホールに
なっているとは思えない。

階段を下りるにしたがって
賑やかな声が一歩一歩近づいてくる。

 

下まで下りると、
大きなホールが広がっていた。

屋内のテーブル席はこんな感じ。

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200人収容のホールが4つもある。

しかも建物は斜面に立っていたのか、
階段をずーっと下りてきたのに、
そのまま屋外にでることができる。

その屋外になんと1500席!
季節がいいせいか、月曜日の夜に
こんなに混み合っている。

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料理は、並んだ店に好きなものを
各自で買いに行くセルフサービス形式。

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肉屋に人気があるようだ。

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肝心のビールは
サイズを指定してまずチケットを買う。
その後、
ビアマグを自分で棚から手に取り、
なぜか各自、水で洗ってから、
チケットと一緒に
ビールカウンタに差し出す。
すると目の前で、
そのジョッキに注いでくれる、という
こちらも料理同様セルフサービス。

サイズは500mlと1リットルの2種類のみ。

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見て回るだけでも楽しい。

もちろんここで飲んでもよかったのだが、
目的のお店がすぐ近くにあったので
雰囲気だけを味わってから、
そちらの店を目指した。

ビアホールから出ると、
空は黒い雲に覆われていた。
ポツポツと大粒の雨が落ち始めている。

目的のレストランは
そこから歩いて3分程度。
「雨が降ってきたから急ごう」

1663年開業の老舗レストラン
熊のサインが目印の
ベーレンヴィルト」を目指した。

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店に到着すると
「予約はありますか?」
「いいえ」

月曜日の夜でもあり、
特に高級店というわけでもないので、
予約のことは全く気にしていなかった。

でも、席はありそうじゃないか。

ところが、タイミング悪く、
降り出した雨を避けて、
テラス席の客が
店内に移ってきている。
そのために席がないという。

しかたがない。
周りにいろいろな店が
並んでいるわけでもないので、
先程のビアホールに戻ることにした。

すでに夕立の雨脚は
強くなり始めており、
雷鳴も響いている。

濡れながら駆け足でビアホールに戻ると
事情は当然のことながらこちらも同じ。
屋外にいた客が
次々に中のホールに移ってきているので、
さきほどまでは空いていた広い室内も
大混雑。

なんとか席を確保し、
ここで夕食をとりながら、
夕立が止むのを待つことにした。


定番のソーセージや

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ラタトゥイユや塩パン

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人気店の肉

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などなど、
典型的なビアホールめし。

特徴あるちょっと甘口のビールも、
名前がよくわからないので
エィヤで思い切って買ってみた食べ物も、
どれもすごくおいしくて、
味になんの不満もなかったのだが、
食べ終わっても
雨音、雷鳴ともにまだまだ元気で、
雨のやむ気配が全くないので
どうも落ち着かない。

レストランならタクシーを
呼んでもらうことも頼めそうだが、
セルフサービスのこのホールでは
そんなことを頼めそうな人もいない。

傘も小バッグがすっぽり入るビニール袋も
日本から持ってきているのに、
ふたりともホテルに置いてきてしまっていて
肝心なときに手元にない。

コンビニや売店もないので傘も買えない。

さて、雨の中、どうやってホテルに戻ろう。
歩けば30分ほどだろうか?
ずぶ濡れになって歩いて帰るか。
とにかく初日。
できれば早く帰って
ホテルのベッドで休みたい。

最短ルートを探そうと
インフォメーションセンタでもらった
観光地図を広げてみたが、
極端に短いルートがあるわけでもない。

「困ったねぇ」

 

妻も地図を眺めている。
しばらくすると、
やおら顔をあげてこう言った。

「この21番のバスに乗れば
 帰れるンじゃない?」

「ほんと?」

ふたりで小さな文字と細い線を追った。
路線別のルートが
わかりにくい地図であったが、
確かに店の近くを通り、
ホテルのそばまで行っている。

「よし、これにトライしよう!」

バス停の位置も、運転間隔も
もちろんぜんぜんわからなかったが、
もう夜も9時を過ぎているので、
少しでも早いほうがいいだろう。

雨は上がっていなかったが、
まずはバス停を探そうと
店を飛び出し、
ルート沿いに歩き始めた。

バス停はすぐに見つかった。
時刻表を見ると9時台に2本。
時間通りならあと十数分で来る。

やった!

なんとか雨を避けるために
近くの建物に寄ったが、
石造りの建造物には
いわゆる軒下というものがない。
扉部分の「へこみ」に
ふたり寄り添うように隠れて
なんとか時間が来るのを待った。

ほぼ定刻、21番のバスが来た。

念のため乗る時に地図を見せて
「ここに行くか?」
とドライバーに確認。

ドライバーの返事が
うれしかったこと、うれしかったこと。

運転席横の
妙に大きなタッチパネルのついた
発券機でチケットを発行してくれた。

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二人で5.2ユーロ。
日本円で700円くらいになるので、
日本のバスと比べると高いが、
今回のように、
困っているときに助けてもらえると
こんな安いものはない、という気がする。
チケットを見ると
夜9時38分のことだったようだ。

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バスはホテルのすぐそばにまで行ったため、
結果的にほとんど濡れずに
帰ってくることができた。

ホテル到着が夜10時過ぎ。
日本を出発してから
もう29時間くらいは経過している。
羽田発の深夜便だったので、
ベッドで寝られるのは45時間ぶりくらいか。

ようやくベッドに潜り込んだ。

時差ボケを微塵も感じることなく
翌朝まで爆睡の第一泊目。

本格的な観光は明日からだ。

 

 

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2017年9月 3日 (日)

オーストリア旅行記 (2) ザルツブルク到着

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オーストリア旅行記 (2) ザルツブルク到着

- ホームは番線だけでなく -

 

ウィーン国際空港(VIE)に到着。

ドバイからウィーンへの路線には、
ムスリムの女性も数多く搭乗していた。

ヒジャブと呼ばれる黒い布で
頭を覆うだけでなく、
ニカーブと呼ばれる布で顔も隠して
目だけを出している女性も多い。

こうなると、身体のうち
人の目に触れるのは、
わずかに目の周り数cmだけ、
ということになる。

そのせいか、目の周りだけ
かなり凝った化粧をしている人もいる。
さすがに「写真を撮らせて下さい」とは
とても頼めないが。

何かを食べるときは、ニカーブの下に
食べ物を差し入れてモグモグしている。
あれでは味も
よくわからないのではないだろうか?

ちなみにオーストリア入国の際、
パスポートコントロールでは
いったいどうするのだろう?と
ちょっと興味を持って見ていた。

目だけでは
顔の照合もなにもできないではないか。

見ていると、検査官に向けては、
ニカーブをはずして顔を見せていた。

ニカーブ部分を
片開きのドアのように開けることは
けっこう簡単にできる構造に
なっているようだ。

 

ドバイからの(総2階建て)エアバスA380は、
ほぼ満席だったので、
全部で600人くらいは
乗っていたのではないだろうか。

パスポートコントロール通過後の
荷物を受け取るターンテーブルの周りは
何重にも人が取り囲み
大集団となっていた。

前回書いた通り、
ちょっと無理はしたものの、我々夫婦は
全荷物を機内持込みにしていたので、
ターンテーブルの前で
荷物を待つ必要は一切ない。

まだ、テーブルが回りだしてさえいない
大集団の横を「するり」と通り抜け、
あっという間に
到着口に出てきた。

さぁ、まずは駅を目指そう。

 

最初の宿泊地ザルツブルクまでは
オーストリア連邦鉄道ÖBBの
「レイルジェット」という
高速長距離特急列車で約3時間。

今回は、乗り降り自由の
ユーレイルパスを買っていたので、
まずは使えるように
有効化(validation)
してもらうために、
ÖBBのチケットオフィスに寄った。

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ある程度は並ぶことを覚悟していたのに、
行ってみたら
タイミングがよかったのかガラガラ。

レイルパス購入時の手引には、
切符のカバーの所定欄に、
事前に乗る区間を書き込むように
書かれていたが、
validationするときに聞いてみたら、
「日付さえちゃんと書いてあればOK」
とのこと。

指定日乗り降り自由の切符なのに、
いちいち区間を書くのは面倒、
というよりナンセンスだ、
と思っていたので、
この回答には妙にスッキリ。

パスポート番号を記入してもらい、
日付を記入して、スタンプをもらい
いよいよ切符として使えることになった。

「ザルツブルクに行きたいのだけれど」
と時間を聞いたら、
「14:03には乗れるよ」とのこと。

事前に調べたときは、
飛行機到着が13:00頃なので、入国や
チケットのvalildationの手続きを考えると
15:03発の電車に乗れたらいいほうかも、
と思っていたのだが、
それよりも1時間も早い電車に
乗れることになった。

ずいぶん得した気分。

ホームを確認すると「1D-F」とある。
1番線?

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駅の表示を注意してみると
「1」は番線で、
「D-F」はホームでの区画、
つまり前の方とか、真ん中あたりとか、
ホームで電車が停まる位置を
示しているようだ。
(首都圏の鉄道で言う、
 乗車口番号のXX番からYY番に
 相当する感じか)

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場所まで丁寧に教える必要があるのか?
という気がするが、
コレを見てある失敗を思い出していた。

もし、あのとき、この指定があれば、
あの失敗は避けられたはずだ。

 

場所はイタリア北部、Chivassoという駅。
仕事で出張中だった私は、
同行者とふたりで
(「荒川静香さんが金メダル」の
2006年冬季オリンピックが開催された)
トリノ(Trino)を目指していた。

電車の時刻表を見ると2番線。
定刻の少し前にホームに行くと
電車がちょうど停まっていた。
迷わず乗車、まもなく電車は
時刻表通りの時間に発車した。

「うまく乗換えられたね」と
ホッとしたのもつかの間、
窓から見える夕日の向きを考えると
どうも走っている方向が
180度違う気がする。

そんなバカな。
「これからループ状に
 大きく回ってから行くんだよ。きっと」
などと呑気に構えていたのだが、
もちろんそんな大きな方向転換はない。

イヤな予感は的中しており、実際には
完全に逆方向の電車に乗ってしまっていた。

やむをえず途中で再乗換えしてUターン。
仕事のほうは事なきを得たが、
ふたりともこの間違いについては
どうしても納得がいかない。

なぜ違う電車に乗ってしまったのか?

偶然にも翌日またChivasso駅で
乗換えることになった。
我々は前日の謎を解明すべく、
ふたりで再度時刻表を見に行った。

そして、ある事実を知ってビックリした。

同じ番線に、短い電車が2本停まっており、
全く同じ時刻に、同じ番線から
東西両方向に向けて
2本の電車が発車する
のだ。
西方向がTrino行きで、
東方向がNovara行き。

つまり、同じ2番線の電車でも、
西側に停まっている電車に乗れば
西向きに出発し、
東側に停まっている電車に乗れば
東向きに出発する。

こんなにわかりにくいことがあるだろうか。
西に行きたかったのに、
同じ番線の東側の電車に乗って
発車を待っていたということなのだろう。

みんな間違えないの?

この経験以来、番線だけを信じちゃダメ、
と思うようになったので、
今回のウィーンのような
ホームのエリア表示は
丁寧だな、とは思いこそすれ
余計なお世話、という感じはしない。

 

閑話休題

空港下の駅はホームもきれいで気持ちいい。

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待っていた電車が来た。

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いわゆる二等自由席だが、
天井からの液晶パネルで
行き先と到着時刻の確認ができる。

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発車。
車両の構造のせいだろうか
びっくりするくらい音が静かで、
滑るよう動きだした。揺れも少ない。

車両の清潔感といい、案内表示といい、
ガイドブックが広げやすい
コンパクトなテーブルといい、
車内はじつに快適。

WiFi(ネット)も面倒なユーザ登録等なしで、
サクサクと繋がる。

それにしてもオーストリア連邦鉄道ÖBBを
代表する高速長距離特急列車の名前が
レイルジェット」。
速い感じは伝わるが、
遊園地の子どもの乗り物名みたいで
個人的な言葉感覚ながら
どうも実際のイメージと合わない。

 

出発後、
大都市ウィーンの南側をかすめたあとは、
あっという間に、
豊かでゆったりとした田園風景となった。

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黄色いところは「麦」で、
緑の部分は「とうもろこし」
と思われる車窓の景色が延々と続く。

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小さな集落にも
雰囲気のある教会が真ん中にあったりして
初めての国の景色はちっとも飽きない。

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予定通り3時間ほどでザルツブルクに到着。

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あとで名前を知ることになる
ザルツブルクから見える代表的な山、
ウンタースベルク(Untersberg)山や
自転車でそのまま乗車しようとする客など
特徴的なものが後方に写っているが、
この時は全く気づいていない。

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「ザルツブルク」と聞いて
理由(わけ)もなく古めかしい駅を
想像していたのだが、
これまた近代的できれいな駅だった。

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駅から歩いて7,8分のところにある
予約していたホテルにチェックイン。
まだ、午後5時半。
荷物を置いて身軽になったので、
早速下調べに出かけることにした。

まず出かけたのは、
駅構内にある観光客向けの
インフォメーションセンタ

目的は4つ。
(1) 観光地図をもらう。
(2) 映画
  「サウンド・オブ・ミュージック」の
  ツアー内容を確認する。
(3) 滞在中に予定されている
  コンサート情報を得る。
(4) ザルツブルクカードを購入する。
  
(2)と(3)については
希望に合う内容であれば予約する。

行ってみると、
駅構内にあるせいか、混乱しないよう
「電車の情報はないよ」
「電車のチケットはないよ」
との注書きあり。
「観光情報」だけの案内所だ。

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まずは、観光地図をもらう。
観光スポットだけでなく、
細かなバス路線の記載もある。

世界中どの街に行っても、
地元の地図を見るのは大好きだ。

記載するものの優先順位、
記載方法の違い、配色の違い、
地図に描き込むための
様々な工夫を見ているだけで楽しい。

ところで、もらった地図にあった
この細かなバスの路線情報が
数時間後の予想外の事態に対して、
大きく役立つことになるのだが、
この時点では、もちろん
そんなことになるとは夢にも思っていない。

 

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の
ツアー
は、
ふたりともこの映画が大好きだったので、
以前から少し興味があった。
いわゆるロケ地巡りだ。

ただ、市内の歩ける範囲に
多くのロケ地があることは
わかっていたので、
それらを回るだけなら
自力で回ればいいと思っていた。

ところが聞いてみると
郊外のロケ地がメインになっているようだ。

もちろんそれらだって、
バスを乗り継いで行けないことはないが、
点在しているため、
自力で回るときわめて効率が悪い。

というわけで、
訪問内容が希望に叶っていたこともあって
ツアーに申込むことにした。

その場でツアー会社に電話し、
予約してくれたうえ、
チケットも発券してくれた。
翌朝9時出発の4時間のツアー。
どんな時間になるのか、
たのしみ、たのしみ。

 

コンサート情報もいくつか得られた。
ちょうどザルツブルク音楽祭という
大きな音楽祭の直前で、
シーズンでないことはよくわかっていたが、
せっかくモーツァルト生誕の地に
2泊することだし、この乾いた空気の中で、
音の響きをたのしみたいと思っていた。

まだ、
街の規模も様子も全くわからないので、
コンサートについては
場所と時間と内容だけを教えてもらい、
もう少し検討することにした。

「予約やチケットの発行も
 ここでできるから、
 決めたらまた来て」

 

ザルツブルクカードは、一度購入すれば
市内の主な観光スポットと交通機関が
有効な時間内、
無料になる観光客向けのカード。

Salzcard

日付指定ではなく、
最初に使った瞬間からの時間数。
なので上記サウンド・オブ・ミュージックの
ツアーの後、
つまり翌日午後から使い始めれば
めいっぱいフル活用できそうなので
24時間有効なカードを27ユーロで購入した。

 

インフォメーションセンタでは
ずいぶん丁寧に対応してもらえた。
十分な基礎情報が得られたうえ、
準備もできたので、いよいよ観光開始だ。

 

ちなみに、
インフォメーションセンタもある
ザルツブルク中央駅の
駅舎正面はこんな感じ。

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市内を走るトロリーバスの架線が
ごちゃごちゃとしている。

 

駅の裏側は対照的にこんな感じ。
屋根の曲線が美しい。
屋根の下にビッシリ並んだ自転車にご注目。

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今後よくみかけることになるが、
オーストリアでは、
自転車の利用、活用が
社会インフラの一部として
ほんとうによく考慮されている。
ここは駅直結の自転車置場。
整然と置かれている。

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飛行機の中で寝たとは言え、
日本を出発してからすでに25時間くらい
経っている。

「今日はもう夕方だし、
 長時間フライトで疲れているし、
 サクッと街の規模と様子を掴んだら、
 夕食だけ食べてホテルに戻ろう」

そんなことを言い合いながら、
まさに軽装で歩き出した。

「夕食を食べてホテルに帰る」
そんな簡単なことなのに
まぁ、旅にはいろいろなことがある。

なかなか思った通りにはいかない。

 

 

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2017年8月27日 (日)

オーストリア旅行記 (1) ウィーン到着まで

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オーストリア旅行記 (1) ウィーン到着まで

- ドバイ空港内の祈祷室 -

 

本ブログを始めるきっかけとなった
トルコ旅行から早いものでもう5年。

5年毎に利用できる
「リフレッシュ休暇」なる名前の
会社の特別休暇をフル活用して、
今年2017年は、オーストリアに行ってきた。

 

旅行の予定がはっきりしたころ、
仕事で親しい米国人と
一緒に昼食をとる機会があった。

「今年はリフレッシュ休暇が取れるので、
 ヨーロッパに行くことにしたンだ」

「どこに行くの?」

「ウィーンと・・・」

と言いかけたところで、
相手の顔が一瞬曇った。
アレ? 私の英語、通じてない?

「ウィーンだよ。オーストリアの首都の」

「あぁ、Viennaのことね」

ウィーンって英語では
「ヴィエナ」って言うんだ。

そんなことすら知らない程度なのに
ガイドブックやハプスブルク家関連の本を
駆け足で読みながら、
初めての国への準備だけは
ワクワクしながら進めていた。

 

パックツアーも
念のためチェックしてみたが、
内容的に希望に添うものがなく、
結果的に
トルコの時と同様、
夫婦ふたりでの個人旅行に決めた。

計画時、そこまで行くなら
チェスキークルムロフやプラハもぜひ、と
近隣の街を強く薦めてくれた知人もいたが、
あれもこれもと盛り込むと
すべてが駆け足になってしまうため、
現地7泊という限られた旅行期間を考慮し
泣く泣く3つの街に絞ることにした。

ザルツブルクに2泊、
ハルシュタットに2泊、
ウィーンに3泊。

気ままな旅の様子を、写真を交えながら
少しずつ綴っていきたい。

 

というわけで、
東京・羽田空港からスタートだ。

 

(1) 手荷物
今回は、初めてエミレーツ航空を利用した。
羽田発の深夜便でドバイへ。
ドバイで乗り換えてウィーンへ、の
乗換え一回のルート。

荷物は機動性を優先させて、
機内持ち込みサイズの
スポーツバッグのみ。

夏なので着替えの容量も少ないうえ、
連泊があって洗濯もできるので、
無理をせずともなんとかなる。

荷物を預けないと
空港でのチェックイン後、
「身軽になれない」というつらさはあるが、
(荷物が同じ便で着かない場合がある)
ロストバゲッジのリスクもなくなるし、
なにより、到着後ターンテーブルの前で
出て来る荷物を延々と待たずにすむので、
すぐに空港から動けることが嬉しい。

特に今回は、ウィーンの空港到着後
ザルツブルクまで
長距離電車に乗る予定なので、
一本でも早い電車に乗れるなら、
そのメリットはかなり大きい。

妻もその意図に合意。
バッグひとつのパッキングに
協力してくれた。

というわけで、
「全てを機内持込み」にするつもりで
羽田空港到着後、
チェックインの手続きに進んだ。

すると、旅立ちのウキウキ感の
まさに出端をくじくように、
いきなりここで引っかかってしまった。

機内に持込める手荷物は
「1個、7kgまで」
と、このルールの適用に妙に厳しい。

貴重品の入った小バッグと
荷物のバッグで2個になるというのだ。

仕事の出張も含めて、
これまで国際線だけでも
100便以上の飛行機に乗ってきたと思うが、
この理由で引っかかったのは初めてだ。

持込みたいのでこのサイズにした、
と説明したため、その意図自体は
最大限尊重する方向で対応してくれたが、
「1個」の部分は
どうしても譲ってくれない。

「大きなバッグの中に、
 小バッグを入れて1個になりませんか?」

結局、この方法で無理やり1個にして
持込みの許可をもらった。
重さのほうは
どう考えても7kg以上はあったが、
その部分は目をつぶってくれたようだ。

やれ、やれ。

「帰りは預けないとダメかもね」
と妻と話しながら出発を待った。

いよいよ搭乗、出発だ。

 

(2) カップフォルダ
利用したクラスはエコノミーだが、
見ると席のテーブルの下には、
カップを水平に保つこんなフォルダが
ついていた。

P7107601s

単純ながらよくできた機構で、
多少の揺れであれば
カップの水平を保ってくれる。

P7107600s

ところが実際にカップを入れてみると、
設置位置が低いため、
常に気をつけていないと
自分の膝がカップに当たってしまう。

当たった際には、逆に簡単に揺れるので
かえってこぼれやすい。
私は、実際、それでこぼしてしまった。

いい機構も
適切な設置場所との組合せで
初めてその威力を
発揮することができる。

これはその組合せに
失敗している例のひとつと
言えるのではないだろうか。

 

(3) ヘッドフォン
機内で楽しめる映画や音楽等、最近の
機内エンタテイメントのコンテンツは、
かなり充実している。

数百のチャンネルから選べるのだから
それはそれで
機上での楽しみのひとつなのだが、
残念ながら飛行機、
特にエコノミークラスの
ヘッドフォンの質は
どの航空会社でもかなり低い。

音そのものももちろんだが、
それ以上に、
耳あてまわりの作りが悪く
長時間当てていると
耳が痛くなってきてしまう。

なので、私は飛行機に乗る際には、
自分のヘッドフォンを持ち込んでいる。
耳栓(カナル)型だと、
荷物にもならないうえ、
ノイズキャンセリング機能がなくても、
かなりエンジン音を遮断できる。

小さなセリフであっても
ボリュームを大きくせずに聞き取れるので、
耳にも優しい。

ただ、ご存知の通り、飛行機では
イヤホンジャックが
二股になっているものが多く、
多くの場合、3.5mmのステレオミニ端子が
そのままでは挿せない。
(以前乗った787で、そのまま挿せる
 ジャックだったことがあるが、
 その機会はまだまだ少ない)

そんなときのために、
こんな便利な変換プラグがある。

私が購入したのは秋葉原で
まだネットがないころの大昔の話だが、
調べてみると、
今でもAmazonなどで簡単に手に入る。

これと、使い慣れている
いつものヘッドフォンさえ持ち込めば
音周りはかなり快適になる。

数百円の投資で済むし、
荷物にもならない。

機内で映画や音楽を楽しみたいけれど
まだ持っていない、という人には
強くお薦めしたい。

 

(4) お手洗いの表示
エミレーツ航空の機内のお手洗いには
こんな表記があった。

P7107598s

Flushつまり水を流すボタンの上、
英語表記すらないので意味はわからないが、
御丁寧にも6種の文字を使って
記述してある。
いったい何が書いてあるのだろう?

P7107599sas

意味はわからないが、
こんなことにも興味があるため、
まさに生きている(!?)アラビア文字や
ペルシャ文字が見られるだけでもうれしい。

 

(5) 砂の街
ドバイ国際空港が近くなり、
高度が下がってきた。

P7107602s

初めてみるアラブ首長国連邦の景色。

P7107605s

まさに黄色い砂に覆われている。

P7107606s

 

(6) ドバイ国際空港(DXB)
広い、広いとは聞いていたが、
この空港、こんなに広かったとは。
乗換えのためにゲートを探していると
こんな案内が出ていた。
ターミナル間の移動時間の目安。

P7107608s

我々は
ターミナルBからCへの移動だったので、
幸いなことに「歩いて20分」(?!)
ですんだが
ターミナルBからFへの移動なら
「バスで40-60分」!!
ほんと?

 

(7) 空港内の祈祷室
ドバイの空港内には、こんな部屋があった。

P7107611s

男女別の祈祷室。

P7107610s

さすがイスラムの国だ。

 

(8) ドバイ版ウォシュレット
空港の男性手洗いの個室。

P7107612s

これはかなりストレート。
手元でON/OFFできるスイッチのついた
ふつうの大きさのシャワーヘッドが
そのまま便器の横についている。
もちろんきれいにはなるだろうが、
周りを濡らさずに使えるものなのだろうか?

 

(9) 総2階建てのA380
ドバイからウィーンの路線には、
エアバスのA380が使われていた。
総2階建ての大型機だ。

P7107614ss

席はエコノミーなので下の階だったが、
特に天井が低かった等の印象は全くない。

なお、ブルジュ・ハリファ等
ドバイの超高層ビル群が
ターミナルから見えないものかと
キョロキョロしたが、
遠い視界は黄色い砂埃に霞んでいる。

P7107614s

 

(10) 欧州上空
黒海を越えたあたりから、
同じような方向に飛ぶ別な飛行機を
窓から見かけることが多くなってきた。

P7107615s

写真が撮れるレベルでも
この程度。

P7107617s

やはり、欧州上空は混んでいる、
ということなのだろうか。

 

(11) オーストリア上空
いよいよウィーンが近くなり、
高度がずいぶん下がってきた。
畑の区割りがおもしろい、 と同時に美しい。

P7107618s

ウィーンのリングの真上。
まだ一度も行ったことがないのに、
何度もガイドブックを見ていたせいか、
アレが見える、コレが見える、と
妙に興奮してしまった。

P7107626s

予定通り無事、
ウィーン国際空港(VIE)に到着。

さぁ、夫婦ともに初めてのオーストリアだ。

 

 

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2017年8月20日 (日)

「数学する言葉」

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「数学する言葉」

- かむかう -

 

雑誌「新潮」の2017年2月号に、
独立研究者の森田真生さんが
寄せている
「数学する言葉」という
16ページほどの文章を読みながら、
「数学」と「言葉」について、
ちょっと考えてみたい。
(以下水色部
 「数学する言葉」からの引用)

 

・・・
紙の上に書かれた「3」は、
三そのものではない。

紙に書かれた「リンゴ」の文字が、
それ自体リンゴではないのと同じことだ。
紙に書かれた「リンゴ」を、
まさか食べようとする人はいまい。

本当のリンゴは、どこか別の所にある。
そんなことは百も承知で、
人は文字を読む。

 区別をはっきりさせるために、
記号としての「3」や「三」のことを
「数字」と呼び、
数字が指し示している対象の方を
「数」と呼ぶことにする。

「3」という数字に対応する数については、
<三>と書くことにしよう。

 このとき<三>が、食べたり、掴んだり、
香りを嗅いだりできるような、
知覚の対象でないことは明らかである。

<三>には、大きさもなければ色もなく、
形もなければ味わいもない。
数について、
人はただ純粋に考えることができるのみだ。

「図形」もそうである。

(中略)

数学とは徹頭徹尾このように、
考えることしかできない事物についての
探究
なのだ。

五感で感じられないものを
言葉で考えるのは
数学に限ったことではないでしょ、
そう思った方、
ハイ、まさにその通り。

その通りではあるが、
実は数学を支える言葉には、
ほかにはない大きな特徴がある。

もちろん、
その場にない物事について考えるのは、
数学者だけではない。

言葉を知る者ならば、
誰でも過去について、
可能性について、
死者や地球の裏側について、
考えることができる。

現にそこにあるわけではないものを、
その場に立ち上げてしまうのが
言葉の魔力である


知覚できない数や
図形を現出させる数字や図もまた、
この魔力を継承する「言葉」なのだ。

 だが、数字や図、数式など、
数学を支える言葉には、
自然言語にはない機能
もある。

両者の間には、
無視することのできない差異がある。

いったい、どんな差異があるのだろう?

<五十七>を意味するために「57」と書く。
このとき、
記号に過ぎないはずの「57」を、
人はじかに割ったり掛けたりできる

このあと詳しく見ていくが、
これは自然言語ではできないことである。

「リンゴ」という言葉で
リンゴの存在を喚起し、
「六本足の馬」という言葉で、
不可能な馬の存在を
立ち上げることはできても、
「リンゴ」という言葉を齧ったり、
「六本足の馬」という言葉の上に
跨ったりすることはできない。

そう考えると、
「57」という言葉の上で、
掛けたり割ったり、数学的に可能な
あらゆる行為を実行できることが、
あらためて不思議に
思えてきはしないだろうか。

数学の言葉は、
数や図形の存在を呼び起こすだけでなく、
そうして存在を喚起された
数や図形について、
言葉の上でじかに計算したり、
推論したりすることを可能にする
のだ。

数学の言葉は数学者にとって
「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する
のである。

 自然言語もまた
推論の足場ではないか、と
反論する人がいるかもしれない。

確かに人は、自然言語の力を借りて、
様々な推論をする。
しかし、
ある言葉を用いて推論することは、
ある言葉において推論することと
同じではない。

このあと、本文では
アメリカの哲学者ダニエル・マクベスの
「数字を用いて(on numbers)」
計算するのではなく
「数字において(in numbers)」
計算できるようになった、という

インド・アラビア式の
「算用数字」の登場についての
言葉を紹介しながら、
「数字において」
計算できるようになったことの意味を
詳しく説明していくが、

今日は、この
言葉のうえでじかに計算できる
という指摘の紹介に留めておきたい。

我々は小さなころから
あまりにも現在の算用数字に
慣れ親しんでしまっているために、
どんなに大きな数でも
「0」から「9」の組み合わせだけで
書けてしまうことに、
その革新性を感じることは難しい。

本文では算用数字が登場するよりも
前の時代の例を挙げながら、
対比によって今の算用数字の
すばらしさを説いているが、
ポイントは、もちろん単に表記できる、
という点だけではない。

どんなに大きな数も、
算用数字で書いてしまえば、
それを割ったり掛けたりできる。

そうして、
巨大な数に「触れる」ことができる。
たとえば、その数が23で割り切れること、
あるいは約数を複数持つことなどを
「体感」することができる

こうして、
割ったり掛けたりする行為を通じて、
数字に固有の「意味」が
浮かび上がってくるのだ。

 このとき、数字の意味する内容は、
もはや外部の世界を
参照することによってではなく、
数字とのダイレタトな接触によって、
数字の世界において作り出される

「図」も数学の言葉だ。

ユークリッドの『原論』
(紀元前300年頃)
を例に、
古代ギリシアの幾何学者たちが、
必ず図を描きながら推論した事実を示し、
数学者たちの言葉が、
作図行為とともに
発せられた
ことを説明している。

・・・・・
かくして直線AB上に
正三角形が作図できることの証明は、
図において遂行される。

図を描いていくうちに、
そこに正三角形が生じるのであって、
幾何学者が
「頭の中」で見出した正三角形を、
記述したり
描写したりしているのではない。

 本居宣長の説によれば、
「かんがふ」という言葉は
「かむかふ」の音便で、
もともと、
むかえるという意味の言葉だそうだ。

小林秀雄は、
この「むかふ」を
「身交(むか)う」と読んで、
考えるとは、
 物と親身に交わる事だ
」と
エッセイ「考えるという事」の中に
記している。

古代ギリシア人にとって、
図形について「考える」とは、
まさしく
図と親しく交わることであった。

図は、
脳内で思考したことの表現ではなく、
図を描く行為が即ち
「かむかふ」ことだったのである。

「行為(=計算、推論)の足場」
として機能する数学の言葉。

先人は、数や図形と「かむか」って、
様々な意味を見出して来たが、
世界はいまなお至るところで、
考えることをやめていない。

 

 

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2017年8月13日 (日)

鏡の中の不思議な立体

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鏡の中の不思議な立体

- 円が四角に -

 

ベーグルによるメビウスの輪でも書いた通り、
錯視・錯覚ネタは大好きだ。

錯覚を利用した世界大会
Best Illusion of the Year Contestで
2010年、世界第一位に輝いた
杉原厚吉さんのこの作品。

この作品をはじめとして、
杉原さんは実に様々な
錯覚作品の新作を発表している。

昨年(2016年)9月に
横浜で開催されていた
「エッシャー展」。

Pa105800s

その最後のコーナに展示されていた
杉原さんの作品も
新しい視点の驚くべきものだった。

そのコーナだけ
写真撮影可だったので、
その時の写真を2枚添えたい。

Pa105808s

静物を鏡で映しているだけ。

Pa105813s

でもご覧の通り、そこには
にわかには信じられないものが
映っている。

 

これらの立体オブジェを含む本(!?)が
この夏出版された。

鏡で変身!?
ふしぎ立体セット
驚きの錯覚 不可能立体の世界

監修 杉原厚吉
東京書籍

思わず購入してしまったので、
ちょっと中身をご紹介。

まずは箱の表紙にもなっている
この作品から。

Mirror1

エッシャー展では、
(壊れないように、というよりも)
展示物の位置や角度がずれないよう
ケースに入っての展示だったため、
手に取ることはできなかったが、
もちろん、今回は手に取って
いろいろな角度から
その変化を楽しむことができる。

Mirror2

鏡の前の物体は、左から
四角形、五角形、六角形なのに、
映ったもの(写真上部)はすべて円!

小さい作品だが、
これもインパクトが大きい。

Mirror3_2

矢印の向きが逆転。
しかも鋭角の矢印の先が、
鏡の中では丸いきれいな弧を描いている。

 

簡単なペーパクラフト作品も
入っている。

これは、鏡に映すと
「屋根」も「屋根のニワトリ」も
消えてしまうというもの。

Mirror4

これくらいになると、
もう写真ではとても伝えられない。

手に取って、オブジェを
違う角度から眺めてみて、
その発想に驚いてみてほしい。

仕組みを知って見ても、
何度でも楽しめる。

 

 

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2017年8月 6日 (日)

独自言語で会話を始めた人工知能

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独自言語で会話を始めた人工知能

- 今、必要なものは? -

 

最初に知ったのは
通勤途中のラジオだったのだが、
先週、衝撃的なニュースがあった。

帰って来て調べてみると、
関連記事がネットにある。
ただ、現在公開されている記事が
いつまで読めるのかわからないので、
個人的な記録のために
その一部をここで取り上げておきたい。

代表で選んだ元の記事は
2017年8月2日付のこちら
人工知能(AI)についてのニュースだ。
記事のタイトルは、
「終わりの始まり…?
 独自言語で話しはじめた人工知能、
 Facebookが強制終了させる」

(以下水色部は記事からの引用)

Facebook(フェイスブック)が行なう
人工知能の研究開発において、
近未来SF映画のような
事態が起きていました。

会話をさせていた
2つの人工知能ボブとアリスが、
独自の言語を生み出し、
話し始めたのです。

人間には理解しがたい言葉を話す
2体のAI。

Facebookの開発チームは、
これを受けて人工知能の
マシンラーニングプログラムを
強制終了させました。

人工知能(AI)が人間の能力を超える
技術的特異点、
シンギュラリティ(Singularity)なる言葉を
耳にすることも多くなっているが、
それにしてもこの記事の恐ろしさは、
表現のしようがない。

人間には理解できない独自の言語で
AI同士が会話を開始した、というのだ。
ついに、ここまで来てしまったのか。

 

私自身は、門外漢の素人ながら
一エンジニアとして
AIの進歩を楽観的かつ好意的に
見つめている。
どんどん進歩すればおもしろい、
と思っている。

それなのに、このニュースには
どこか別な部分が反応してしまった。
それはいったどこなのだろう?

個人的には、身体を持たない
知能だけのシンギュラリティの議論は
ナンセンスだと思っているので、
単純な
「もしそうなったら人類の終焉だ」
「終わりの始まりだ」
みたいな極論には全く与(くみ)しないが、
次々と新しいネタが飛び出してくる
AI関連のニュースからは目が離せない。

 

松尾 豊 (著)
人工知能は人間を超えるか
ディープラーニングの先にあるもの

(角川EPUB選書)
(以下緑色部は本からの引用)

にこんな記述がある。

言語の果たす役割とも関係があるが、
社会が概念獲得の「頑健性」を
担保している可能性がある。

複数の人間に共通して現れる概念は、
本質をとらえている可能性が高い。

つまり「ノイズを加えても」
出てくる概念と同じで、
「生きている場所や環境が
 異なるのに共通に出てくる概念」は
何らかの普遍性を持っている
可能性が高いのだ。

言語は、こうした頑健性を
高めることに
役立っているのかもしれない。

人間の社会がやっていることは、
現実世界のものごとの特徴量や
概念をとらえる作業を、
社会の中で生きる人たち全員が、
お互いにコミュニケーションを
とることによって、
共同して行っている

考えることもできる。

身体だけでなく、
社会やコミュニケーションが
裏にあってこその概念獲得。

ロジックやデータだけに基づく進化に
直感的な危うさ、怖さを感じるのは、
そういった裏の支えがないことが
原因なのかもしれない。


著者の松尾さんはこうも書いている。

いずれにしても、
まず議論すべきは、
「人工知能が将来持つべき倫理」
ではなく、
「人工知能を使う人間の倫理」や
「人工知能を
 つくる人に対する倫理」である。

最初の記事に戻ると、実際、
AI同士が意味のわからない言葉で
会話を続けることに直面したエンジニアも

米メディアの多くが
この件を報じており、
パニックでプラグを引っこ抜いたとか、
システムをシャットダウンした
などと言われています。

なる行動をとってしまったようだ。

エンジニアとしては乱暴なその行為を
反射的にとってしまった
今のFacebookのエンジニアには、
ちょっとホッとするところがある。

今、「作る人」に必要なものは
ナンなのだろう。

恐ろしくなって、
「プラグを引っこ抜いたり」、
「シャットダウンしてしまったり」、
そういう『恐ろしさ』を感じる気持ちは
持っていてもらいたいと思う。
それが倫理や論理に
基づくものかどうかはともかく。

 

 

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2017年7月30日 (日)

昭和初期の『小学生全集』

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昭和初期の『小学生全集』

- 児童図書を支えていた人たち -

 

前回に引続き、

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

から、
もう少しエピソードを紹介したい。

当時としては画期的な
ヴェーゲナーの「大陸移動説」が
学界ではまだ認められていなかったころ
ここ、日本ではどんな動きがあったのか。

一通の手紙で貴重な証言が寄せられた。

 大陸移動説は
大学や学界で消えていましたので、
もちろん世の中一般には
知られていないものと思っていましたが、
2006年に出版した拙著の書評として
いただいた手紙の中に、
次の一文があって驚きました。

「ヴェーゲナーについては、出会いは
 小学校の時代にさかのぼるのです。

 当時
 『小学生全集』と言うシリーズものが
 あって(昭和初期の刊行)、
 その中で、ヴェーゲナーと言う
 奇矯な学者が『大陸漂移説』を唱えた、
 と絵入りの説明がありました」

と書かれていたのです。

「その後、学校の教室でも、
 地理の時間に、世界地図を前にして
 "大陸を移動させると南米と
 アフリカ大陸の凸凹がぴったり合う、
 生息していた生物も見事に一致する"
 との話をききました」 

と続いていました。

昭和初期生まれの
著名な思想家(政治家)の手紙でした。

学界の外では
大陸移動説は消えていなかったのです。

学界でも認知されていないような説を
小学生相手に紹介してしまう
「小学生全集」とは
いったいどんな本だったのだろう?

しかも、昭和の初期の話だ。

 調べたところ、『小学生全集』は
菊池寛と芥川龍之介が指導と編集をして
文藝春秋社・興文社から、
昭和2年から昭和4年にかけて
刊行された児童図書で、
「世界の少年少女文学や童話」に加えて
「電気、動植物、物理化学、
 算数、生物学、生理衛生」など、
広い範囲の「子供にわかる本」、
88巻でした。

 少年少女文学の
菊池寛や芥川龍之介に加えて、
科学や工学は
当時の東京帝国大学の教授たちや
牧野富太郎、横山桐郎、鷹司信輔ら

植物、昆虫、鳥の権威者が
みずから筆を執っています。

大正デモクラシー当時の
学界指導者たちには、
少年少女教育を
国家百年の計とする見識
があり、
当時の世相も、
学者たちが論文や特許ではない
少年少女向けの文を書いている"ゆとり"を
むしろ好しと認めていたのです。

「小学生全集」の編集にこの面々!

そして、国家百年の計は
「少年少女教育」!!

この計は、この見識は
今、いったいどこに
行ってしまったのだろう。

 昭和4年(1929年)は、
ヴェーゲナーが遭難死する1年前ですから、
刊行されたのは論争の真っ最中です。
「大陸漂移説」は

小学生全集(上級用)
 第60巻、『海の科学・陸の科学』

 東通太郎・辻村太郎著」

にありました
(手紙の主の「70年以上も前」の記憶です)。

 辻村太郎は当時
東京帝国大学理学部地理学科の助教授で
その師の、優れた地理学者の山崎直方は、
世界のおおかたが空想として否定していた
「ヴェーゲナーの大陸漂移説」を
評価して普及に努めていましたので、
同説が記述されたものでした。

大陸移動説が世の一般には
知られていないと思っていたのは、
専門家の端にいる筆者の不見識でした。

一通の手紙をきっかけに、
ていねいな調査をしたうえで
筆者は自身の不見識を認めているが、
それにしても、
菊池寛、芥川龍之介、牧野富太郎などなど
錚々たるメンバが
児童図書に関わっていたなんて。

 

 いまだ評価の定まらない
論争中のドイツの学説が翻訳されて、
小学生でも知る機会があったのですから、
当時の日本の
少年少女教育の程度の高さは驚き
です。

そして読んだ
"少年少女たち"の知力も、です。

この小学生全集を読んだであろう
まさに知力のある少年に、
こんな人物もいた。

 調べてみると、
著名な漫画家の手塚治虫
手紙の主と同世代で、
少年時代に読んだ「大陸漂移説」を
覚えていた一人でした。

まだ"戦後"を引きずっていた
1950年から1954年にかけて連載された
『ジャングル大帝』は、
ロマンと平和と正義感にあふれる名作として
今や世界中に知られていますが、
その第1話は、
アフリカ大地溝帯の説明から始まります。

アフリカ大地溝帯は、
現在アフリカ大陸が
東西に分裂しつつある地域のことです。

 そして、大陸を分裂させる力のある
「月光石」(話の中の架空の石)を
探す学者が登場して、

「これはドイツの地質学者
 アルフレッド・ヴェーゲナー博士が
 いい出したことです」といいつつ、

大陸移動の図を示します。

最終話では、
「月光石」を探す学者に、

「大陸を分裂させた大きなカは何か? 
 最近ではマントル対流の
 せいだともいう…」といわせて、

大陸移動説の復活を暗示する
一コマもあります。

『ジャングル大帝』のストーリーの背景は
ヴェーゲナーの大陸移動説
そのものだったのです


 手塚治虫は
『ジャングル大帝』を描いた動機を

「(ヴェーゲナーの壮大な大陸移動説を)
 子どものときに読んで
 夢をふくらませ
」て描いたと、

NHK文化講演会(1982年)で述懐しています。

手塚治虫の「子どものとき」は、
手紙の主と同じ昭和初期ですから、
"読んだ"のは同じ
「小学生全集(上級用)第60巻」
だったのかもしれません。

 

著者の中沢さんは、
こんな言葉で「小学生全集」を
紹介した節を結んでいる。

 学界では消えていたにもかかわらず、
手塚治虫は「子どものときに読んだ」
ヴェーゲナーの大陸漂移説を
理解してふくらませて、
日本が世界に誇るストーリー漫画
『ジャングル大帝』に羽化させました。

しかも1950年、同説が日本はもとより
世界中の学界で
無視されて消えていたときに、です。

素直な少年期の”直観”で
納得していたのでしょう。

”大正デモクラシー”といわれる
太平洋戦争前の高い自由主義文化に
浴した少年少女たち
が、
戦争を生き延びて、戦後の
日本の新しい文化を創出したことを、
”消えなかった”大陸漂移説が
しめしているようです。

 

 

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2017年7月23日 (日)

巨大大陸「パンゲア」

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巨大大陸「パンゲア」

- 学界から消える大陸移動説 -

 

前回に引続き、

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

から、
もう少しエピソードを紹介したい。

ヴェーゲナーの「大陸移動説」
の話から始めよう。

20世紀中頃、
ナチスが台頭するまでは、
ドイツ科学の隆盛期でした。

その時代、
ドイツのマールブルク大学で
気象学を教えていた
アルフレート・ヴェーゲナー
(Alfred L. Wegener, 1880-1930)
は、

今離れている大陸は
 みんな もともと一つだった


という"おかしな"考えを、
1912年フランクフルトや
マールブルクで発表し、
1915年に
著書『大陸と海洋の起源』の第一版を
著しました。

「今、海洋で大きくへだてられている
 二つの大陸の両方に、
 同一種の生物の化石が発見される
のは、
 その生物が生きていた当時、
 両大陸は一体であって、
 その後二つに分裂したためである」 

というのです。

今からちょうど100年くらい前のこと。

ヴェーゲナー自身が
「世界地図を見て、
 大西洋の両岸の海岸線の凸凹が
 よく合致するのに気がついた」
と言うように、最初は
小学生でも気がつくような
小さな発見がスタート地点だった。

それを「気がついた」だけでなく、
ちゃんとした説として
発表できるところまで持っていくことは
誰にでもできることではない。

彼の専門は
地球物理学の中の気象学でしたが、
世界地図を見て思いついた
アイディアを証明するために、
生物学、古生物学、地質学、岩石学、
鉱物学、気象学、測地学などなど、
片端から
当時の最新の論文を読み漁って読破し、
証拠となる事実を探しました。

 そして、
南アメリカ大陸とアフリカ大陸のように、
現在は離れている両大陸間に、
海を渡ることのできない
カタツムリや淡水魚、
あるいは
植物などの同じ種がいる
ことや、
両大陸の凸凹が
ジグソーパズルのように嵌(は)まる両岸に
同じ化石や同じ岩石・鉱物が産出して、
かつて地層がつながっていたことを
見つけました。

 それらの事実を証拠として、
上記の『大陸と海洋の起源』を出版し、
現在の大陸は古生代終わりの
ペルム紀(約2.99億~2.52億年前頃)まで
みんな一つにまとまった
巨大大陸「パンゲア」であって、
中生代最初の三畳紀(約2.52億年前頃)から
徐々に分裂が進み、
白亜紀(約1.45億~0.66億年前)
に離れ離れになったと主張しました。

広い視野で研究できたものだけが
到達できた見解。
ところが、この発表は、学界では
ほとんど受け入れられなかった。

パンゲア大陸については
Wikipediaにある動画がわかりやすいので、
リンクを貼っておきたい。(こちら

ところで、「大陸は動かない」説を
支持している人たちは
離れた大陸にある共通の化石を
どう説明していたのだろう。

 しかし20世紀初頭の発表当時は、
あまりにも常識とかけ離れていたため、
学界ではほとんど理解されませんでした

「大陸が動くはずはない」とする
当時の″正当的″な考えでは、
二つの大陸に共通する化石の存在は、
かつて両大陸が細い″陸橋″で
つながっている時代があったから
であると
説明するのです。

陸橋は二つの大陸をつなぐ
細長い陸地や潮が引いて現れる
島伝いの道のことで、
それを伝って海を渡れない生物が
移動したと考えるのです。

ちなみに、この『大陸と海洋の起源』は
今読んでもおもしろい本らしい。
調べてみると、
岩波文庫にも講談社学芸文庫にもある。

まだ読んでいないが、下記を読むと
読んでみたくなる。

『大陸と海洋の起源』は
文字どおり地球科学全般にわたる
さまざまなデータを用いた、
ていねいな論理展開で、
出版から約100年も経った今読んでも
痛快な推理小説を読むようです。

もちろん、現在の知識からすれば
大陸の構造や移動の原因などの考察には
誤りもありますが、
大陸が移動したことをしめす証拠の論述は
合理的で感心するばかり
です。

専門性が進むことによって
細分化されていく学問がもつ問題点は、
彼の説に対する学界の反応を見ると、
(不幸なことではあるが)
じつにわかりやすい。

 気象学者のヴェーゲナーが
大陸移動説の根拠としたのは、
生物や化石や地質など専門の異なる
「巨大な量の文献を読破・
 渉猟(しょうりょう)した」
論文でした。

化石や生物の専門家は
個々の化石や動・植物については
通暁(つうぎょう)していても、
大陸を動かす力を論ずる
地球物理学の論文は読めません
し、
逆に、
地球物理学者は
地震・重力など全地球規模の現象を
理論的・定量的にあつかいますが、
化石や生物のしめす定性的な事実から
何億年もかかって移動する
大陸を推定する想像力に欠けていました。

 専門家は
それぞれの高い専門性のゆえに、
ヴェーゲナーの言を
どちらの側からも理解できなかったのです。

結局、彼の説は
一旦学界から消えてしまう。

常識を正面から否定したヴェーゲナーは、
米国を中心とする学者の反感を
一手に買って論争になりましたが、
むしろ
「圧倒的多数は彼の論拠を
 まじめに聞こうとしなかった」
といわれています。

論争になったのも彼の生存中だけで、
彼が大陸移動の原因を求めて
グリーンランドの探検で
1930年に遭難死すると、
大陸移動説は学界から
完全に消えてしまいました


 あれだけ物理・化学が発展して
原子や電子の「ミクロの世界」が
明らかにされた20世紀前半でも、
地球は
「海も大陸も動かない、
 冷えて固まった地球」
の見方のまま残されたわけです。

彼の説が
学界から消え去ってしまったころ、
ここ日本ではある意外な、
ほんとうに意外な分野で動きがあった。

その話は次回に。 

 

 

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2017年7月16日 (日)

「生命誕生」

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「生命誕生」

- 「海は生命の母」とは言えない? -

 

本棚にあるこの本

中沢弘基(著)
生命誕生
地球史から読み解く新しい生命像
講談社現代新書

(以下水色部、本からの引用)

私が購入したときの本の帯には、
池谷裕二・東京大学教授の
こんなコメントが載っている

脳髄を金槌(かなづち)で
 殴られるほどの衝撃を受けた!


帯は広告・宣伝なので、
たいていの場合は大袈裟で
ミエミエの褒め言葉に
かえって冷めてしまう場合もあるが、
殊この本については
「金槌で殴られるほどの衝撃」
はまさに言葉通りだった。

ほんとうに衝撃がある。

生命はいつどこで発生したのか?

だれもが抱く疑問に、
独自の説を丁寧に展開していくのだが、
とにかく話の運び方がうまい。

最初の方のこんな書き方だけで
おもわず引き込まれてしまう。

生命の起源は海の中、
「太古の海は生命の母」と考えるのは
広く世界の常識になっています。

 確かに水がないと
生物の体は成り立ちませんし、
生きてもいられません。

化石に残る原始的な生物は
すべて海棲(かいせい)生物で、
約5・4億年前のカンブリア紀の海で
爆発的に増殖したことも確かです。

しかし、だからといって、
生物の誕生にいたる有機分子の発生と
進化の過程もすべて水の中、
海の中であったとする根拠は
何もありません

化石で見つかった古い生物が
すべて海棲生物だからと言って、
その起源となる最初の生命の誕生
「海の中」の証拠にはならない。

なるほど。

でも、いつのころからか
「アミノ酸が多く浮かぶ
 スープのような海」
が生命誕生の舞台だと
思い込んでしまっている
どうしてなのだろう?

事実、こんな記述もある。

アミノ酸に富む
”チキンスープ”のような太古の海で
生命が発生
したと、
ほとんどの人は考えて、
海を模した水溶液中の
化学反応の研究を中心にしてきました。

 

では、なぜ、
海での生命誕生が疑わしいのか?
詳しい説明の前に、
サクッとこう提示している。

 後で述べますが、化学的には
海の中でアミノ酸などの
生物有機分子どうしが結合して
大きくなると考えるのは不自然
なのです。

多量の水の中では一般に、
結合よりも大きな分子の
分解反応が卓越します。

比熱の大きな
多量の水の中はつねに温暖で、
分子が相互に反応しなければならない
環境圧力もありません


「太古の海は生命の母」と考えるのは、
世界の常識とはいえ、
化学的にはおかしな仮定なのです。

生命を構成する原子や分子が、
アミノ酸やタンパク質を構成する配列で
分子となるためには、
構成原子や分子が
そこにあるだけではもちろんダメで、
化学反応を起こし、結合させるための
ある種の「圧力」が必要になる。

その「圧力」が温暖な海にはない。
むしろ逆で、海には、
分子を分解させる方向の力がある。

との指摘も直感的にreasonable。

 

こんな導入で始まった話は、
この後、地球の歴史を大きく観ながら
本論に入っていく。

そこで提示される
生命誕生に関わる大胆な仮説については、
簡単には要約できなので
説明は本に譲りたいが、
仮説の詳細に入る前にも、
興味深いエピソードが
いくつも紹介されている。

というわけで、
この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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