2017年5月28日 (日)

能力の限界を決めるのは?

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能力の限界を決めるのは?

- 進化しすぎた脳と薬から見る体 -

 

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
(以下水色部は本からの引用)

から、
ここで「脳の柔軟性」について書き、
ここで「記憶」について書いたが、
本は、「心」や「言葉」など
幅広いテーマをカバーしながら
どんどん話題を展開していくので、
ちょっと厚めの400ページが
読んでいてもあっという間だ。

特に神経系の話は
分子レベルで語られているのに
たいへんわかりやすく、
アルツハイマー病に関する
最新の研究内容などは
かなりエキサイティングだ。
ただ、それらを短くまとめて
紹介するのは難しい。
興味のある方は、
是非本の方を読んでいただきたい。
お薦めだ。

というわけで、この本の紹介も
今日で最後にしようと思うが、
最後はこんな2つのトピックスを
選んでみた。

(1)進化しすぎた脳
雑誌「サイエンス」に載った
「水頭症」の人のレントゲン写真を
学生に見せて話を始めている。

上の写真は健常者の脳。
下は「水頭症」といって、
小さい時に脳に水がたまってしまって、
そのせいで脳の成長が
妨げられちゃっているんだ。

見ての通り、大脳が薄っぺらになってる。
ひどい場合だと、
大脳の体積は健常な人の
20分の1
にもなっちゃうんだ。

健常な人に比べて大幅に小さい脳。
そんな病気になってしまったら、
いったいどんな症状が
出てしまうのだろう?

その答は驚くべきものだった。

んで、「水頭症」の人は
どんな症状がでるかっていうと、
驚くべきことに
多くの患者はまったく正常なの


それどころか、中にはIQが126もあって、
大学の数学科で
首席を獲るほどの人もいた。

大人になった彼は
あるとき病院でたまたま検査を受けて、
そのときはじめて自分の脳が
健常な人の10%しかないことを
知った
んだよ。

そのくらい生活面では
周囲の人と差がなかった。

なんということか。

脳って、わずか10%の大きさでも
いいということなのだろうか?

もちろん、いつ欠損してもいい、
という話ではない。

ただ、現実的な話をすると、
大人になってから
脳を90%も削ってしまったら、
あきらかに障害が出てくるよ。

でも、この患者の場合は、はじめから
小さな脳として成長している
ので、
大きな脳と同じ機能を
発揮できているんだ。

とにかく、最初からの小さな脳は、
かなりのことをカバーできるように
なるようだ。

ある統計によると、
頭蓋骨の中の95%が空洞という
重症の水頭症でも、
ひどい障害が現れる人は
わずか10%に満たなくて

50%の人はIQが100を超えているという。

つまり、人間が人間らしくあるためには、
そんなにデカい脳なんか
持っている必要はないってわけだ。

著者池谷さんは、
人間の脳は「宝の持ち腐れ」とまで
言っているが、

何が重要かというと、
人が成長していくときに、
脳そのものよりも、
脳が乗る体の構造と
その周囲の環境が重要
なんだね。

日本人だって英語圏で育てば
英語を話せるわけで。

と脳の余力の価値を
捉えようとしている。

ということは、脳というのは
進化に最小限必要な程度の進化
を遂げたのではなく、
過剰に進化してしまった
と言えるのではないか。

進化の教科書を読むと、
環境に合わせて動物は進化してきた、
と書いてあるけど、
これはあくまでも体の話。

脳に関しては、環境に適応する以上に
進化してしまっていて、それゆえに、
全能カは使いこなされていない、
と僕は考えている。

能力のリミッターは
脳ではなく体
というわけだ。

能力の限界を決めるのは
脳ではないのだ。

 

(2)4000年前から薬はあった
講義の中で、
神経の仕組みを説明したあと
薬が効く仕組みの話をしているのだが、
その直後、池谷さんは、
「今のはウソ」と
自分の説明順序を否定している。

ここでは僕は、
神経の仕組みをまず説明してから、
薬がここに効いてるんだよ、
と言ってるけど、
そんなの本当はウソ。

なぜかというと、
神経の仕組みがわかったのは
ごく最近の話
でしょ。

だけど、それよりも前から
薬は使われていた。
そう考えてもわかるよね。

薬が神経に効くことが
わかるようになる前から、
薬はずっと存在していた
んだ。

神経がどんな仕組みで機能するのかが
わかる前から薬は存在していたのだ。

薬は世の中にすでにあった。
中国だったら漢方薬。
これは4000年くらい前から
あるわけだよね。

ああいう伝統薬が
なんで効くのかというのを
科学者が調べていった。
そしたら、何と行き着いたところが、
こういう仕組みだった、
というだけのこと。

 薬が効く、ということが
まず前提としてあって、
じゃあ、この薬は何をしているのか、
というふうに科学者は考えたんだ。

それを通じて体の仕組みが
理解されるようになった


それが正しい歴史的経緯で、
僕の講義とは逆の流れだね。

つまり、薬というのは
人体の解明に一役買ってきた、
一種の「科学のツール」
だったというわけ。

薬は、人体の仕組み自体を
解明するためにも役立ってきた
という事実。

こういう「薬を通して体を知る」
というのも
薬学部の大切な研究分野の一つだ。

薬と言うと、
病気に効くかどうかばかりに
目がいってしまうが、
なるほど、
こんな側面もあるわけだ。

 

人体という、
誰もが持っていながら、
その正体はまだまだわかっていない
謎の物体の解明。

脳から、薬から、
探検ルートはあちこちにある。

 

 

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2017年5月21日 (日)

記憶は正確じゃダメ

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記憶は正確じゃダメ

- ゆっくり学習することの意味 -

 

前回の、
「脳は体が作る」 に引き続いて、

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
(以下水色部本からの引用)

から、脳の話をもう少し続けたい。
題名通り中高生との対話で
話は進んでいく。

今日のテーマは「記憶」

 

こんな話から始まっている。

たとえば何かを見た時、見えたものを
パシャッと写真に撮ったかのように
覚えるというのは、
コンピュータだったらできることだが、
人間はそんなことをしていない。

それはどうしてなのだろう?

著者池谷さんは、
最初にこう言い切っている。

なんでかわかる?

記憶というのは正確じゃダメで、
あいまいであることが絶対必要。

「正確じゃダメ」
「曖昧であることが絶対に必要」

とは、どういうことだろう。

いくつかの例で考えてみると
はっきりしてくる。

たとえば僕は今日
この緑色のチェック柄の服を着てるね。
そしてこんな髪型だね。

もし記憶が完璧だったら、
次に僕と会ったときに、
着てる服が違ったり、
髪に寝癖がついていたりしたら
別人になっちゃうんじゃない。

写真のように覚える、とは
絵としては完璧でも、
特徴抽出はしていない、ということ。

そのことが伝わりきれてない、というか
イメージしきれていない学生さんから
こんな質問がでた。

100%そのままではないけど、
それでもやっぱり声色(こわいろ)とか、
そこまでは変わらないんじゃないですか。
顔の形とか・・・

まさに期待した質問。
池谷さんはすかさず答える。

そう、だから脳は
そういう特徴を抽出してるんだ。

完全に覚えるのでもなく、
また、完全に忘れちゃうんでもなく、
不変の共通項を記憶しているんだ。

洋服や髪型はもちろん、
時間経過による老(ふ)けや
後ろ姿にだって対応できる
人間の脳が持つ特徴抽出能力。

写真のような記憶では、
全く応用がきかない。

そういうときに
100%完璧な記憶というのは意味がない
だって、同じ状況というのは
もう二度とはこない
んだから。

環境は絶えず変化する。

だから、人間というのは
見たものそのものを覚えるんじゃなくて、
そこに共通している何かを
無意識に選びだそうとする。

特徴抽出の最もわかりやすい例は、
そう「文字」だ。

もっと端的な例では、文字がそうだ。
僕が黒板に書いた字は汚い。
でも、みんな読めるよね。

これだって、
「文字の特徴はこうだ」という
共通したルールがあるから
読める
んだよね。

 

リンゴだって、
よく見れば同じものは2個ないのに、
ちゃんと分類できているのは、
まさに特徴抽出ができているから。

リンゴって一個一個形が違うけど、
どれも〈リンゴ〉ってわかるでしょ


まさか、世の中に存在する
すべての〈リンゴ〉のパターンが
脳の中に完璧に準備されていて、
そのつど目の前にある現実の〈リンゴ〉と
照合しながら判新しているわけじゃない。

世の中のリンゴは多すぎる。

むしろ、脳の中にはきっと
リンゴのモデル〈理想のリンゴ〉があって、
ある最低の条件を満たせば、
いま見ているものをリンゴだと
判断できるようになっているんだと思う。

人間以外の動物はどうだろう。
写真のようにそのまま正確に覚えるのか、
特徴抽出して覚えるのか。

動物相手に実験していると
わかるんだけど、
下等な動物ほど記憶が正確でね
つまり融通が利かない。

しかも一回覚えた記憶は
なかなか消えない。

「雀百まで踊り忘れず」
という言葉もあって、
うわぁ、すごい記憶力だな・・・と、
一瞬尊敬に近い気持ちも
生まれるかもしれないけど、
そういう記憶は
基本的に役に立たない

思ってもらったほうがいい。
だって、応用が利かないんだから。

 

さて、特徴抽出しようとすると、
当然時間がかかることになる。

違う時間、違う環境での様子を
関連付ける必要があるからだ。

記憶があいまいであることは
応用という観点から重要なポイント。

人間の脳では記憶は
ほかの動物に例を見ないほど
あいまいでいい加減
なんだけど、
それこそが人間の臨機応変な
適応力の源にもなっているわけだ。

そのあいまい性を確保するために、
脳は何をしているかというと、
ものごとをゆっくり学習するように
している
んだよね。

学習の速度がある程度遅いというのが
重要なの、特徴を抽出するために。

(中略)

そのためには
学習のスピードがあまりにも速いと、
特徴を抽出できない

時間が必要な例をちょっと見てみよう。

たとえば、きみらが池谷という人間を
記憶する過程を考えてみようかな。

いま僕は正面を向いて立っているでしょ。
その姿だけを見て
「これが池谷」というのを
写真のように覚えちゃったとするでしょ。

そうすると、次に僕が右を向いたら、
その姿は別人になっちゃうよね。

そこで、
「右を向いた姿こそが池谷だ」と、
もう一回完璧に覚え直してもらったら、
こんどは右向きの姿だけが
池谷になっちゃって、正面姿は
違う人になっちゃうでしょ。
わかるかな。

ふたつの姿を結びつけるためには、
<記憶の保留>が必要なんだ。

つまり、正面姿の池谷を見ても
「これは池谷かもしれないけど、
 ここは判断を保留しておこう」。

そして、右を向いた池谷を見て
「ふ-ん、これも池谷なんだな。
 ということはさっきの正面姿との
 共通点は何だろうか」
とまたも記憶を保留する。

そうやって、ゆっくりゆっくり
脳は判断していく
んだ。
もちろん無意識にね。

もし、学習のスピードが速いと、
表面に見えている浅い情報だけに
振り回されてしまって、
その奥にひそんでいるものが
見えてこなくなっちゃうのね。

関連付けるための<記憶の保留>か。

スピードが速いと、
「表面に見えている
 浅い情報だけに振り回さ」れる。
なんだか、記憶だけの話とは
思えなくなってきた。

 

 

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2017年5月14日 (日)

脳は体が作る

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脳は体が作る

- 「進化しすぎた脳」から -

 

以前、 ブルーバックス2000タイトルの
記念小冊子

について書いたが、
そこで知った未読のブルーバックスから
何冊かを購入し、久しぶりに
ブルーバックスの世界を楽しんでいる。

そんな中から、今日は
この本について紹介したい。

池谷裕二 著
進化しすぎた脳
― 中高生と語る
  「大脳生理学」の最前線
ブルーバックス
(以下水色部本からの引用)

「ブルー」バックスの名に
挑戦するかのような真っ赤な表紙だが、
内容は極めてわかりやすく、
題名通り、中高生と語る、という
形式で話が進められていく。

基本的な脳の話から始まり、その後
心や記憶といった大胆なテーマにも
どんどん踏み込んでいく
かなりエキサイティングな展開と
なっているのだが、
一番最初の章で、
「脳」について
非常に大事な事実が
「ふたつ」提示されている。

今日はその部分についてのみ書きたい。

 

脳は、部位によって
担当する機能が違っている。

ある部分は視覚を、ある部分は聴覚を、
といった具合に機能が分かれており、
その研究と調査の歴史は
100年以上にもなる。

そしてその調査結果は、
脳における担当部分を表現する
「脳地図」という形でまとめられている。

さて、この脳地図を
体に障碍のある人の場合で見てみよう。

生まれながらにして
指がつながったままの人、
たとえば人差し指と中指が
つながったまま生まれる人が、
たまにいる。指が4本

そういう人の脳を調べてみると、
5本目に対応する場所がないんだ。

これは、たいへん重要なことを
意味している。

つまり、人間の体には
指が5本備わっていることを
脳が
あらかじめ知っているわけじゃなくて
生まれてみて指が5本あったから
5本に対応する脳地図ができたってことだ。

つまり、
脳には最初から「人差し指担当」
という場所があるわけでなく、
生れた時に人差し指があったから
その後、人差し指担当ができる
ということらしい。

つまり「後天的なもの」。

言ってみれば、脳の地図は
脳が決めているのではなくて
体が決めている
、というわけだ。

「体が決めている」は
何度も思い出したい言葉だ。

 

では、くっついていた
人差し指と中指を分離したら
どうなるだろう。

さらに訊くけど、指が4本の人が
生まれた後に分離手術して、
その結果、5本の指が自由になった。

さて、どうなるだろう?
司令塔である脳は、それまで
一本の指として認識していたわけだから
分離されても二本の指は
同じように動いてしまうのだろうか。

分離されてもその2本の指は、
同じ動きをする。
そう、多くの人がそう思ったんだ。

でも、ちゃんと
5本の指が別々に使えるようになった。

そして脳を調べてみたら、
わずか1週間後にはもう
5本目の指に
対応する場所ができてた
んだ。

この事実は
さきの後天性に加えて、
さらに重要な事実を提示している。

脳というのは一回地図ができ上がったら、
それでもう一切変わらないという
堅い構造ではなくて、
入ってくる情報に応じて
臨機応変に
ダイナミックに進化しうる
んだ。

 

シンプルながら、
事実からの強いメッセージだ。
上記二点、まとめておきたい。

(1) 脳地図は脳が決めているのではなく、
  体が決めている。

  体をコントロールする脳が
  最初にあるわけでなく、
  体のほうが、それらを
  「コントロールできる脳」を作る。
  
(2) 一度完成した脳地図も
  体が変化するとそれに応じて
  変化する。
  固定しているわけではない。

脳の柔軟性と拡張性の秘密は
こんな基本機能に
支えられているようだ。

この脳を舞台に、
話はどんどん面白くなっていく。
この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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2017年5月 7日 (日)

どちらがウラか

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どちらがウラか

- 紙が貴重品だったから -

 

前回に引続き、

 大隅和雄 著
 中世の声と文字
 親鸞の手紙と『平家物語』
 シリーズ <本と日本史> 3
   集英社新書

から、もうふたつ興味深い
エピソードを紹介したい。

 

【仮名文字の始めの頃】

平安時代中期以降、文字に親しむ人々は、
心に思うことを伝えるために、
手紙を書くようになった

『源氏物語』の中に、
京に上った明石の君が母の尼とともに、
明石に残った父の入道に
近況を知らせる手紙を送る場面がある。

入道は明石の君への返事の中に、

 仮字文(かなぶみ)見たまふるは
 日の暇(いとま)いりて、
 念仏も懈怠(けだい)するやうに
 益(やく)なうてなん、
 御消息(せうそこ)も奉らぬを。
          (若菜 上)

(仮名の手紙を拝見するのは、
 時間がかかって、そのために
 念仏も怠るようになるので、
 御消息もさし上げませんよ)

と記したとある。
女性の手紙は
仮名文字で綴られているので、
読むのに時間がかかり、
念仏の行の妨げになる
という。

漢字で書かれていれば、
一見すれば何が書かれているかわかるが、
当時は仮名文字だけの文章には
句読点も濁点もなく、
音便の表記もまちまちだったので、
日々仏典に接している入道にとっては、
仮名文を読むのは大変だったに違いない。

仮名文字は読むのに時間がかかる。
漢文の方が
読みやすかった時代があった
わけだ。

 

【紙が貴重品だったから】

 平安・鎌倉時代、
公的な文書は漢文で書かれた。

太政官や摂関家から出される
さまざまな文書、
寺院の経営に関する文書、
田畑の譲渡や売買の書類など、
権利の証文として必要なものは
大切に保管され、代々受け継がれたが、
私的なこと、
日常生活のことを書いた手紙が
永く保存されることはなかった


貴族の女性は仮名文字で、
数多くの手紙を書いたと思われるが、
公的なことに関わりのない女性の手紙が
後世に伝えられることはなかった

ところが、藤原為房の妻の手紙は
43通も残っている。

それは、なぜか。

紙をめぐる時代的背景が
大きく関わっている。

ただ、当時は紙が貴重であったから、
保存の必要のない手紙を集めて、
裏に本を写すことがしばしば行われた


そのため、藤原為房の妻の手紙43通も、
比叡山の僧房で、
仏典を書写する料紙として用いられ、
青蓮院に残ったのである。

紙が貴重だったので、
手紙のウラが
仏典を書写するために使われた。

その仏典が残ったために、
偶然、
ウラの手紙が一緒に残ることになり
仏典と一緒に発見された。

こうなるとどちらがウラか
わからなくなってしまうが、
何が幸い(?)するかわからない。

紙というブツ(物)があればこその
エピソードだ。
デジタルデータではこうはいかない。

オモテがウラになり、
ウラがオモテになる。
ブツの価値はその瞬間には定まらない。

いろいろな面に光を当てて見せてくれたのは、
ブツが残った、その長い長い時間だ。

 

 

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2017年4月30日 (日)

「中世の声と文字」

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「中世の声と文字」

- 学問から宗教へ -

 

遺跡や書物は、歴史を考えるときの
大事な資料や証拠となるが、
残念ながらそこに「音」は残っていない。

文字や楽譜は残っていても音はない。

 吉松隆 著
 調性で読み解くクラシック
   ヤマハミュージックメディア

にもこんな記述があった。

世界中のあらゆる時代あらゆる地域で、
「音楽」はそれぞれの形で
豊饒な文化を築いている。

ただし、残念ながら音楽は
化石や古文書のように
発掘されることはない
ので、
音そのものは想像するしかない。

それはもちろん
「声」についても同じこと。

 

その、当時の「声」を
親鸞の手紙と
琵琶法師によって語り継がれた
「平家物語」を題材に
考えてみようという

 大隅和雄 著
 中世の声と文字
 親鸞の手紙と『平家物語』
 シリーズ <本と日本史> 3
   集英社新書

を読んだ。
(以下水色部本からの引用)

もともと親鸞についても
平家物語について、
中高の教科書以上の知識がないので
知らないこと満載で、その内容は
興味深い話の連続だったのだが、
途中から

なお、『平家物語』の引用には、
注をつけることにして、
敢(あ)えて現代語訳は省いた
中世の人々が
琵琶法師の声で聞いた文章の律動を、
そのままのかたちで味わって頂きたい。

という著者の意図のもと、
現代語訳がなくなってしまったのは、
古文オンチの私にとっては辛かった。

「文章の律動」を味わう余裕がない。

そういう意味では、読み終えても
本の趣旨というか、
肝心な部分が味わえていない
後(うしろ)めたさが残る。

とはいえ、浅い読者は浅いなりに
発見や考えさせられることもあったので、
きょうは、その一部を紹介したい。

 

まずは親鸞との語り合いと手紙の話から。

親鸞が東国にいて、門前たちと語り合い、
念仏道場でともに
念仏を唱えていたときには、
親鸞の信心と数えは、
親鸞の立ち居振る舞いを通じても、
自然に伝わっていった


しかし、その親鸞が東国を去った後、
残された人々は、
念仏を唱えて語り合うだけでは心もとなく、
心に浮かんでくる疑問に、
決着を付けることが
できないと思うようになった。

 そこで、門弟たちは、
手紙を書いて教えを乞う
ようになった。

距離が手紙を生んだわけだが、
手紙には距離を埋める以外の
大きな作用があった。

親鸞の返信を受け取った門弟は、
その手紙を道場の人々に見せ、
声を上げて読み聞かせ、
字のかける門弟の中には、
書写して
信心の拠り所とする
者も少なくなかった。

親鸞の手紙は現在43通が知られていて、
その中で11通は、真蹟とされている。

750年前の手紙が、
もとのまま11通も残っている
というのは
驚くべきことであるが、
それらの手紙は、親鸞の最晩年のもので、
京都に帰った60代前半にも
文通はあったに違いないが、
手紙は残っていない。

750年も前の手紙が11通も残っている、
という事実には確かに驚くが、
ここでの印象的なシーンは、
「声を上げて読み聞かせ」と
「書写して信心の拠り所」の部分。

手紙が、
個人対個人のやり取りに留まっていない。

東国の門弟たちは、
親鸞の手紙を大切にして、
写本を作って回読し、道場で
読み上げることもあったと思われる。

そうした中で、
手紙を集めた本が教典として
用いられることになった。

信心に関する質問に対して、
親しみ深く語りかけるような親鸞の返事は、
質問を的確に、深く理解した上で、
易しいことばで綴(つづ)られていたから、
消息集は門弟たちにとって、
かけがえのない教典となった


門弟たちは消息集を読んで、
師の面影を偲(しの)び、
師の声を聞くかのようなことばを
反芻するようになったのである。

親鸞との手紙が、
親鸞の教えの広がりに
独特な力をもっていく。

手紙を中心にした変化、だ。

 消息集が教典になったことは、
先進的な外来文化として伝来した仏教が
「漢訳仏典の学問」から、
信心を中核とする「宗教」に変じた
ことを、
何よりも的確に表わしていると思われる。

 突飛な比較と考えられるかも知れないが、
『新約聖書』は
27の資料からなっているが、
四部の福音書と
「使徒行伝」「ヨハネの黙示録」
の六篇の他は、
21通の手紙が収められており、
資料の数からいえば、
全体の4分の3は手紙である

キリスト教の教義の中核もまた、
手紙で述べられている
ということになる。

なるほど。
教典における「手紙」は
単なる表現の一形式として
採用されたものではなく、
「実績」に基づく
採用だったのかもしれない。

人々の心に届く、実手段として
大きな影響力を持ったという「実績」に。

特に識字率が高くなかった時代には、
「声を上げて読み聞かせ」るという
共有方法がその背景にあったことも
見逃せない。

「学問」から「宗教」に。

具体的な音は聞こえないけれど
確実に存在した「声」の存在が
「教典」に命を吹き込んでいるような
そんな気さえしてくる。

この本の話、もう少し続けたい。

 

 

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2017年4月23日 (日)

謎のお店の異空間

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謎のお店の異空間

- 一見さんお断り -

 

知人の厚意により、「一見さんお断り」の
紹介制のお店に連れて行ってもらった。

このお店、
「料理の写真を撮ることも、
 店が特定できるような紹介を
 ネットですることも遠慮してほしい」
とのことで、「食べログ」等の
飲食店案内サイトにも出ていない。

 

都内の某駅で待合せた。
私のグループは紹介者を含めて5名。
時間通りに全員揃った。

「さぁ、行きましょうか」
「はい」

とは言うものの、
どちらに歩けばいいのかわからない。
私を始め、初めての人は店の場所さえ
事前に調べようがなかったもので。

紹介者の背中を追う。

良い噂しか耳に入ってこない
私にとっては、まさに幻のお店ゆえ、
期待値の方は相当に高かったのだが、
気持ちの方のワクワク感に反し、
足取りがどこか「おそるおそる」
といった感じになってしまうのは、
なぜなのだろう。

駅前の繁華街を抜けて、
ひと気のない静かな道を歩く。

場所くらいは覚えてしまおう、
と思いながら歩いていたのだが、
考えてみると、私自身は某条件により
基本的に「紹介者」にはなれない。

つまり今後も、ひとりで来たり、
誰かを連れてきたりすることはない。

だったら謎のままでもいいかな、
という気がしてくる。
「場所もよくわからない」
のままにしておこう。

 

【全員一斉入店】

しばらく歩くと、
全く人通りのない道に面した
民家のような家の前で列が止まった。

「ここ?」と改めて見ると
看板も表札もなにもない家の軒の下に
杉玉だけが下がっている。
それが唯一の目印、という感じ。
そう、この店は日本酒のお店なのだ。

開店は夜7時半。

10分ほど早く着いた私たちは
道の脇に並んで開店を待った。

少しすると、別に2名と3名の組が来て、
合計10名が建物の前に並んだ。
男性6名、女性4名。
年齢層も幅広い。

ぴったり7時半。
板戸が開いて、和服姿の女将が出てきた。

紹介制ゆえ各グループに
最低ひとりは知人がいるせいか、
アイコンタクトでの
静かな挨拶はあるものの、
いちいち名前を聞いたり、
客から名乗ったりはしない。

導かれるまま、
靴を脱いで薄暗い店に入った。

 

【着席】

店内は小さく、真ん中に、
正方形の大きなテーブルが
ひとつあるだけ。

そのテーブルの三辺に、3人、4人、3人と
テーブルを囲むように座るよう促された。
各席には正座補助椅子と
膝掛けが用意されている。

空いた一辺の真ん中に女将が立ち、
ぐるりと客を見回しながら、暗い中、
着席に戸惑っている客に声をかけている。

ようやく全員が席についた。

さて、なにがどう始まるのか?

全員が座ったのを見届けると、女将は
テーブル中央に下がっていた
照明のスイッチを入れた。
3つの小さなダウンライトが
テーブルを照らす。
まぶしくはないが、
一瞬で幕が上がったようになる。

テーブルからの反射光で、
客の顔もぼんやり浮かび上がっている。

客同士もお互いを
ちょっと横目で気にしているが、
全体の雰囲気はまだまだ硬い。

各自の目の前には
5種類のタイプの違う盃が並べられていた。
もちろんどれも中身はカラ。
「切子」から「うすはり」まで、
色も形も違っていて区別しやすい。

 

【店のコンセプト】

最初に女将の丁寧な挨拶があった。

* ここでは料理と日本酒の組合せを
 じっくり味わって、楽しんでもらいたい。

* 日本酒は選んだ「ひとつの蔵」からのみ
 提供する。
 同じ蔵でも米や製法が違うと、
 どんなふうに味や香りが変わってくるのかを
 ぜひ体験してもらいたい。

* 残念ながら戦後、日本では
 日本酒がどんどん飲まれなくなっている。
 仕事帰りにビールを買って帰るように
 「日本酒を買って帰る」
 そんな習慣が広まることに
 少しでも貢献できたら、と思っている。

* 感想や質問はいつでもどうぞ遠慮なく。
 お客様の中には
 料理やお酒にものすごく詳しい人もいるし、
 逆に初心者、という方もいる。
 私がなんでも知っているわけではないので、
 質問があるときは、全員に聞こえるような
 大きな声でしてほしい。
 質問をきっかけに、お客様間での意外な
 コミュニケーションが始まる場合もある。
 そういうやりとりも大事にしたい。

店のコンセプトも趣旨もきわめて明快。
ヘンに偉ぶっても、高級ぶってもおらず、
fairに日本酒の美味しさを共有しましょう、
の精神が溢れていて気持ちがいい。

お店側は
女将と隣の調理場にいる女性の二人のみで
切り盛りしているとのこと。

 

【最初の一杯】

いよいよ、最初の一杯が登場。

ガラスの徳利に入ったお酒を
指定された色の盃に入れるよう案内された。

女将は両脇の人の盃に酌。
注がれた客は隣の人に酌。
2本の徳利がゆっくり客の間を回る。

全員の用意ができたころ
「では、最初のお酒。きいてみて下さい」

(「きき酒」は「利き酒」と書いたりするので
 この場合は「利く」と書くのかもしれないが、
 どうもしっくりこないので「ひらがな」で
 失礼させていただく)

色を見て、香りをかいで、味を確かめる。
視覚、嗅覚、味覚は動員するものの
聴覚は使わない。なのに「きく」。
改めて考えてみるとおもしろい表現だ。

一口目。
香りも味も透明感があってうまい。
料理を口にする前のまさに乾杯の一杯。

「今から、お料理をお出ししますが、
 食べる前と食べた後で、お酒の味が
 どんなふうに変化するのかも
 ぜひお楽しみ下さい」

「ウド、熟成牛タンのスープ」から
料理が始まった。

 

【マリアージュ】

酒も、料理に合わせて違ったものが
順番に登場するが、三種類目までは、
その正体が一切明かされず、
付加情報なしで、ただ香りと味だけを頼りに
その違いを楽しんでいく。

名称は不明でも、
各自、同じ盃に同じ酒が入っているので、
会話で迷うことも混乱することもない。

「切子の盃の酒は、香りはあまりないけれど
 マイルドな柔らかさがあっておいしい」
などと感想が飛び交う。

料理も一皿づつにサプライズがある。
女将の演出もうまく、
「写真を撮りたい」
の思いが何度こみあげてきたことか。

ワインならまさに「マリアージュ」と
呼ぶべき組合せを、
日本酒との組合せとしてはちょっと意外な
肉料理で繋いでいく。

牛、馬、鹿と肉を変え、
バルサミコ酢、ポン酢と酸味を変えて、
組合せも千変万化。

料理や酒の細かい蘊蓄を伝えることが
本報告の趣旨ではないので、
その細かい内容は端折りたいが、
やはり「知る」ということはおもしろい。

蔵が展開している、蔵の地下水、
仕込み水の水脈までを考慮した
「同じ水で作られた田んぼの米」に
限定した酒造りの話。

水に貫かれた栽培、醸造、瓶詰。
ワインの「ドメーヌ」に倣って、
ドメーヌ化と呼んでいるようだが、
この徹底した一貫性を表現する
いい日本語はないものだろうか。

 

【会話も味のうち】

女将は、もちろん給仕もするものの、
料理の演出、酒の詳細な解説、
客の会話のコントロールで
テーブルにつきっきり。

選んだ蔵の歴史や方針、特徴を
細かいことまでよく掴んでいるし、
どんな質問にも
ポンポンと歯切れよく答えてくれる。

客のほうも、
自己紹介をしたわけでもないのに、
会話の端々から少しずつキャラクタが
滲みでてくる。
年齢も性別も全く違うふたりが
「えっ、私もそのお酒大好きです」
と意気投合したり、
「これについては
 あの方に決めてもらいましょう」と
自然に役割分担ができたり、と
客の間の空気もどんどん緩んでくる。

最後8皿目のデザート
「酒粕のムースとヨーグルト、 
 塩漬けの桜と一緒に...」
まで、ほんとうにあっという間だった。

すべてが終了したあと、
「お酒の写真だけはOKです」
とのことで、ゆっくり「きき比べた」
 栃木県さくら市
 株式会社せんきん
の5種の日本酒の写真を一枚。

P4127075s

それにしても
「山田錦」や「雄町」ではなく
「亀ノ尾」の味が
あんなに印象的だったとは。
米の違いも新たな発見とともに
目一杯楽しめた夜だった。

2時間強、様々な情報を得たせいか、
いつのまにか「せんきん」は
私にとって、特別な蔵になってしまった。
こういうキッカケのある繋がりはいい。

夜10時前、名残惜しいもののお開きに。

女将に丁寧に見送られて、
一斉に入った客は、
一斉に帰ることになった。

最初に書いた通り、
外見は一切お店に見えないし、
営業時間中の人の出入りもゼロ。
これでは、断るまでもなく
「一見」では入りようがない。

日本酒のお店ながら
女将も言っていた通り、
お酒をガブガブと飲みたい人には
向いていない。

でも、
料理を、お酒を、
女将との会話を、客同士の会話を、
「へぇ」とか、「ほぉ」とか、
「ほんとだ!」とか、
「知らなかったなぁ」とか言いながら、
ゆっくり丁寧に楽しむ。

そういう時間や経験が
愛おしく思える方には最高のお店だ。

こういうお店が
もっともっと増えるといいのに、
と改めて思う。

もちろん料理も美味しかったけれど、
「料理の味」だけが
「料理店の価値」を決めるわけではない。

 

最後に記録を兼ねて
お酒と料理のメモだけ残しておきたい。

酒(蔵)
栃木県さくら市 株式会社せんきん

(n1) 仙禽一聲(せんきんいっせい)
    35%まで磨き上げた山田錦
(n2) モダン仙禽   無垢
(n3) モダン仙禽   雄町
(n4) モダン仙禽   亀ノ尾
(n5) クラシカル仙禽 亀ノ尾 

料理
(d1) ウド、熟成タンのスープ
(d2) 牛ホホ肉の日本酒煮込み
      里芋のマッシュポテト
      柚子胡椒ソース
(d3) 内モモ肉のローストビーフ
      桃ベースのソース
      わさび
(d4) 牛のハツ刺し ダシ醤油
   馬肉の漬け寿司
   ホルモン(ミノ)の軍艦
(d5) 鹿肉のロースト 
      バルサミコ酢ソース
(d6) 牛肩肉のホイル焼き 
      えのき茸とポン酢
(d7) 稲庭中華ソバ 
      鰹とコブの出汁
      肉味噌には生姜と豆板醤
(d8) 酒粕のムース 
   ヨーグルト 塩漬けの桜

 

誘ってくれたTさん、どうもありがとう。

 

 

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2017年4月16日 (日)

宮ザワザワ賢治

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宮ザワザワ賢治

- 擬態語の音とイメージ -

 

ロジャー・パルバース著
「英語で読み解く賢治の世界」
岩波ジュニア新書

を読んでいたら、
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節
「オロオロアルキ」の英訳の解説に
こんな部分があった。
(以下、水色部、本からの引用)

オロオロアルキ(he plods about)

オロオロ,ドシドシ,
ザワザワというように,
日本の「擬音語・擬態語」(オノマトピア)は,
音を繰り返すものが多い
です.

「オロオロ」のようなオノマトピアを使って
この詩を見事に書き上げた賢治を,
ぼくは「宮ザワザワ賢治」と名づけたいです.

 もちろん英語にも,
ticktock
   ([時計などの]カチカチという音])
hanky-panky
   (いんちき,ごまかし,
    いかがわしいこと)
namby-pamby
   (男らしくない,なよなよした)
dilly-dally
   ([決心がつかず]ぐずぐずする,
    心がぐらぐらする)
といった音を繰り返すオノマトピアが
少なからずあります.

しかし,英語においては,
ラテン語源の多音節の単語ではなく,
アングロサクソン語源の1音節の単語が
オノマトピアとして使われることが
はるかに多い
のです.

 plodはまさにそんな単語の1つです.

この語は,
「慎重に.苦労して,ゆっくり前に進む」
(to go forward slowly
 with effort or difficulty)
という意味があります.

plodderは,
「こつこつ働く人 地味な努力家」

(someone who persists, little by little,
 through effort and will power)です.
「がんばり屋」がいちばん近いと思います

「オロオロ」を直訳すれば,
to be flustered
  (このflusterもオノマトピアです)か,
to be at a loss for what to do
  (ぼうっとする,茫然自失する)
ぐらいになるかもしれません.

ここでは,to plodにaboutを付けて.
「目的もなく(aimlessly),オロオロ歩く」
という感じを出しました。

plod、
意味を知ったうえで
イメージしようと思っても、
音だけで「オロオロ」をイメージするのは
やはり私の英語力のレベルではむずかしい。

そういえば、パルバースさんご自身が
ラジオで宮沢賢治の詩と擬態語について
話をしていた記憶がある。
ちょっとPCの中を探してみよう。

発見! 2009年の録音だ。

関連するところをちょっと聞いてみたい。

(以下、薄緑色部
 2009年5月17日
 NHK「ラジオ深夜便」
の録音から。
 文字は要点のみ)

(擬態語は)
むしろ英語の方が多いのではないかと。

ただね、その同じような形をとらない。
つまり、ザワザワとかね、
音が繰り返されるような単語って
たくさんありますけれど英語にも、
もちろん日本語ほどの、百分の一くらいです。

ただ、
ひとつの単語の中に入っているのが多いンです。
それが全く擬態語だということです
ね。

たとえば

「とぼとぼと」 hobble
「よろよろと」 wobble

hobble,
wobble,
plodよりも擬態語っぽいが、
それでもまだまだむずかしい。

 

もう少し見てみよう。

賢治の「注文の多い料理店」の一節、
一文に擬態語が四つも出てくる箇所がある。

日本語はこれ。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、
 木の葉はかさかさ、
 木はごとんごとんと鳴りました


パルバースさんは以下のように訳している。
どれも一単語による擬態語とのこと。

「どうと」「ざわざわ」「かさかさ」
「ごとんごとんと」に注目して、
ご本人の英語による朗読を聞いてみてほしい。

The wind bellowed
The grass swished
The leaves rustled
And the trees rumbled low.

繰り返し聞くと、少し見えてきた...かな?

もちろん日本語の擬態語だって、
「かさかさ」のように
繰り返すものばかりではない。

「ぽっかり」とか
「ふんわり」とか
「こっそり」とか
「きょとんと」とか。

でも、どれも聞いた瞬間
「ふわっと」イメージが浮かぶ。

いったい、いつ、
どうやって身につけた感覚なのだろう。

どう考えても
「rustle」よりも「かさかさ」のほうが
木の葉の音をうまく表現しているように
思えてしまうのだが。

言葉が身につく、というのは
不思議なことだ。

逆に言うと、英語の音による感覚が
いかに身についていないか、を痛感する
エピソードのひとつでもあるけれど。

 

 

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2017年4月 9日 (日)

深谷の煉瓦(レンガ)

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深谷の煉瓦(レンガ)

- 東京駅から迎賓館まで -

 

埼玉県深谷市というと、
深谷ネギというネギが有名だが、
ここは明治の大実業家
「渋沢栄一」の出身地でもある。

第一国立銀行(現みずほ銀行)や地方銀行、
東京瓦斯(ガス)や王子製紙、
帝国ホテルやキリンビール、
一橋大学、同志社大学、日本女子大学校
東京海上火災保険や東京証券取引所、
などなど
渋沢栄一が設立に関わった企業や学校は
多種多様でその数、実に500以上。

まさに「日本資本主義の父」
と呼ばれるにふさわしい輝かしい実績。

どの会社も組織も、その後の発展と
日本社会への影響度、貢献度を思うと、
一生の間にこれほど多様な仕事が
できるものだろうかと、
にわかには信じられないほどだ。

そんな渋沢が
設立に関わった会社のひとつに
日本煉瓦製造株式会社」がある。
1887年(明治20年)に設立。

明治になって、急速に増え始めた
欧米に倣った近代建造物のための
赤レンガを製造、販売していた。

会社は2006年に廃業してしまうが、
レンガを焼いていた窯(かま)は、
重要文化財として今でも深谷に残っている。

実際に窯を見に行ってみた。

【ホフマン輪窯(わがま)】
ドイツ人ホフマンが考案した
煉瓦の連続焼成が可能な輪窯(わがま)。

Fukaya2_2

明治40年の建造で、
長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの
煉瓦造り。
陸上のトラックのような形状の
輪になっており、一周約120メートル。

見学は無料だが、
丁寧にも説明員がついてくれる。

Fukaya1

ヘルメットを被り、
窯の中に入って説明を聞くことができる。

Fukaya3

今は仕切りはないが、
内部を18の部屋に分け、
窯詰め・予熱・焼成・冷却・窯出しの
工程を順次行いながら移動し、
およそ半月かけて窯を一周したとのこと。

燃料の石炭は、粉にして上の穴から
15分おきに投入していたらしいが、
実際に窯に入ると、
その穴を下から見上げることができる。

Fukaya4

生産能力は月産65万個。
1968年(昭和43年)まで
約60年間煉瓦を焼き続けた。

木造平屋の会社の旧事務所も
輪窯と一緒に
国の重要文化財となっているが、
内部は今は史料館となっている。

Fukaya5

あんな大きな窯が、
最盛期には6基もあったらしい。

Fukaya6

各窯建屋の内部はこんな感じ。
一番下に窯。
煙突の途中にあるハの字にご注目。
窯の上にあった建屋の屋根の跡。

Fukaya7

この屋根の跡は今も煙突に残る。
あの高さにまで建屋があったわけだ。

Fukaya8

さて、この大規模な工場で作られた煉瓦は、
いったいどこに使われていたのか。

史料館で100円で購入した
「深谷の煉瓦物語」という小冊子から
代表的な建造物を紹介したい。

(1) 東京駅 丸ノ内本屋
明治41年に着工し、大正3年に完成。
辰野金吾の設計による
国内最大級の煉瓦建築。
深谷の煉瓦が約833万個使われた。

(2) 旧信越本線碓氷第三橋梁
  (碓氷峠鉄道施設〉
横川~軽井沢間の碓氷峠鉄道敷設工事は
明治24年に開始。
けわしい峠を縫う11.2km余りの区間には
26ものトンネルと18の橋が必要で
そのほとんどが煉瓦で作られた。
使った煉瓦1800万個
500人以上の尊い犠牲を出しながら
明治26年初めに開通。

(3) 法務省旧本館 明治28年完成
(4) 日本銀行本店本館 明治23-29年
(5) 表慶館 明治41年完成
(6) 旧横浜正金銀行本店本館
  明治37年完成
  (現・神奈川県立歴史博物館)
(7) 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
  明治41年

(1)-(6)はすべて重要文化財、
(7)は国宝。

(4)-(7)は、外見だけを見ると
石造建築のように見えるが、
実はいすれも深谷の煉瓦を使って建設され、
表面に石材を張って仕上げたものらしい。

鉄筋コンクリート建築に
とって代わられるまで、
本格的な西洋建築の多くは
煉瓦造だったとのこと。

建築・建造物に限らないが、
開国後、短期間でよくここまで
新技術・新文化を取り込んだものだ。

欧米列強に追いつこうとしていた
日本の勢いを、強く強く実感できる。

 

 

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2017年4月 2日 (日)

生きることは「出会うこと」

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生きることは「出会うこと」

- 寺山修司さんの言葉 -

 

4月、
進学、就職を始め門出の季節だ。

 

以前、米国ボストンで
ステューディオ(Studio)と呼ばれる
ワンルームタイプの部屋を借りて、
6月から10月までを過ごしたことがある。

ハーバード大学や
マサチューセッツ工科大学(MIT)など
多くの名門校をかかえる
学園都市ボストンだけでなく、
9月が新学年となる米国では、
8月後半になると
Back to School Saleと呼ばれる
新学期前のセールを
町のあちこちで見かけるようになる。

そして9月、
長い夏休みも終わり、
一斉に新学年が始まる。

一斉に始まるのだが、ボストンでは
新学年が始まった途端に
ドンドン寒くなっていく。
10月になると息が白くなる日もある。

新しいことが始まったのに
ドンドン寒くなっていく。
これはどうもよくない。
「寒かったり」
「雲が多くて暗かったり」の日々が続くと
どうも気分が上向きにならない。

逆に、日本では、新学年開始以降
ドンドン暖かくなっていく。
日本の「4月始まり」っていいものだなぁ、
と改めて思った記憶がある。

地域によって時期の前後があるとは言え、
4月5月は、満開の桜が
始まりの季節を祝ってくれる所も多いし。

 

さて4月、
「若い人に送る」と言うとジジくさいが、
歳をとっても、
なぜかこの季節になると思い出す
ある言葉がある。

寺山修司さんが
「ぼくが狼だった頃」に書いていた言葉。

生きることは「出会うこと」です。
それをおそれて一体何が
はじまるというのでしょう、


旅をしてみる、
新しい歌をおぼえてみる、
ちょっと風変わりなドレスを着てみる、
気に入った男の子とキスしてみる、
寝てみる、失恋もしてみる、
詩を書いてみる-

一つ一つを大げさに考えすぎず、
しかし一つ一つを
粗末にしすぎないことです

若い人に出会いを推奨する言葉は
いろいろな形で耳にするが、
この言葉が特に気に入っているのは、
最後の一行。

「一つ一つを大げさに考えすぎず、
 しかし一つ一つを
 粗末にしすぎないことです」

春、
「人」でも「モノ」でも「コト」でも
いろいろな出会いがあることだろう。
「大げさに考えすぎず」
でも、どれも「粗末にしすぎない」、
そんな姿勢で臨みたい。

生きることは出会うこと。
新年度、
いい出会いがありますように。

 

 

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2017年3月26日 (日)

Kaleidoscope (万華鏡)

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Kaleidoscope (万華鏡)

- タワーレコード渋谷店で -

 

東京渋谷の大型CD店「HMV」が
閉店したのは2010年だったが、
渋谷に限らず大型のCD店は、東京ですら
ほんとうに数が少なくなってしまった。

そんな中、
なんとか踏ん張ってくれているのが、
「タワーレコード渋谷店」
"No Music, No Life"を
キャッチコピーにしている
黄色が印象的なあのビルだ。

ビルに入ると、1階から7階まで
CDを中心に音楽関連グッズがぎっしり。
関連書籍も幅広く揃っている。

推薦盤の試聴コーナも充実しているので、
時間の余裕があるときに、
手書きのPOP広告を読みながら
試聴コーナをゆっくり回るのは
ほんとうに楽しい。

ネットの検索とは違う
意外な出遭いがあることが
(CDに限らず)
リアルな店の大きな魅力だ。

試聴コーナのヘッドフォンを通じて、
実際の演奏も思う存分
確認することができるし。

 

先日、7階のクラシック音楽のフロアで
かなり魅力的な2枚のCDに出遭ったので、
今日はそれを紹介したい。

新譜というわけではないので、
すでにご存知の方も多いと思うが、
寡聞にして私自身は、この2月に
試聴コーナにて初めて知った新録音だ。

(1) Tchaikovsky:Violin Concerto
  ヴァイオリン:コパチンスカヤ
  指揮:クルレンツィス
  オーケストラ:ムジカエテルナ

  チャイコフスキー作曲:
   ヴァイオリン協奏曲
  ストラヴィンスキー作曲:
   バレエ・カンタータ「結婚」

 

(2) カレイドスコープ(kaleidoscope)
  ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ

  ムソルグスキー作曲:展覧会の絵
  ラヴェル作曲:ラ・ヴァルス
  ストラヴィンスキー作曲:
   『ペトルーシュカ』からの3楽章


(1)は、
モルドバ出身のヴァイオリニスト
パトリツィア・コパチンスカヤ 1977年生。

(2)は、
グルジア(現ジョージア)出身のピアニスト
カティア・ブニアティシヴィリ 1987年生。

30代、20代の瑞々しい演奏だ。

おふたりとも、超有名曲を舞台に、
奔放に踊るダンサーのようで
まさに目が離せない。

初めて聴いたときは、
「ここまで自由に演奏しちゃって、
 いったいこの先、どうなるのだろう?」
と思わず試聴コーナのヘッドフォンを
外せなくなってしまった。

コパチンスカヤは、
意図的とも思える濁った音も入れて
挑戦的に迫ってくるし、
ブニアティシヴィリのテンポの取り方、
響きの作り方は、新鮮なだけでなく美しい。

とにかくどちらも
過去の演奏に縛られていない
その自由さが眩しい。

その後、家でのCDではもちろん、
持ち歩いている
ポータブルオーディオプレーヤででも
ここひと月ほどは
繰返し繰返し聞いているのだが、
何度聞いても飽きることがない。

録音も秀逸。

それにしても後者、
アルバム・タイトルに
カレイドスコープ(kaleidoscope)とは、
うまい名前をつけたものだ。

日本語で「万華鏡」。
ラヴェル、ストラヴィンスキーも含めて、
まさに、
万華鏡のような演奏が展開されている。

私が偶然一緒に知ったというだけで
直接は何のつながりもない2枚のCDだが、
どちらも「万華鏡」という言葉がピッタリだ。

ここのところクラシック音楽の世界で
活躍が目覚ましい
コパチンスカヤとブニアティシヴィリ。
YouTubeでも少し覗いてみよう。

 

(AA) パトリツィア・コパチンスカヤ
まずは、(1)を
ソニー自身がUpしている音で、どうぞ。
4分35秒のダイジェスト版。
下の図またはここをクリックすると
YouTubeで聴くことができる。

Kopatchin1

CDのライナーノーツには

「実は、私にとって
 チャイコフスキーの
 ヴァイオリン協奏曲は
 長いこと無縁の作品でした。

 私の耳には、今のこの時代と
 関連のある音楽とは
 聴こえなかったからです。

 練習熱心なピアニストによって
 必要以上にかみくだかれ、
 指の器用さの訓練用として濫用され、
 コンクールでも粗製濫造されています。

 愚鈍なヴァイオリニズム、
 というのが私の抱いた印象でした」

とのコパチンスカヤ自身の
かなり激しい言葉が載っているが、
その曲が彼女によってどうなったのか。
それに立ち会うことができる。

なお、CDの演奏は、
ガット弦を使った弦楽器と
作曲当時の管楽器によって行われている。

 

コパチンスカヤの演奏では、
これも外せない。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
彼女自身が編曲したという
驚きのカデンツァは、19:48あたりから。

最後まで見れば、
噂通り裸足で演奏していることも
確認できる。

このカデンツァを含めて
CDでちゃんと聴いてみたいという方は
2009年暮れに発売された下のCDでどうぞ。

 

たった3分の演奏ながら、
聴衆はもちろん共演者までも、
みごとなまでに彼女に引き込まれている
こんな動画もある。

 

(BB) カティア・ブニアティシヴィリ
こちらはライブ版。
曲はCDと同じ「展覧会の絵」

 

森の中で弾く
バッハのカンタータから始まる
こんな素敵な動画もある。
下の図またはここをクリックすると
YouTubeで聴くことができる。

Khatia1

この雰囲気がお気に召すようであれば
これがお薦め。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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