「生きてみると、とっても大きい」
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「生きてみると、とっても大きい」
- 4歳の言葉から -
先日、5歳から7歳くらいの
年齢の子どもたちと遊んでいたら、
公園や木々の間を走り回りながら発せられる
子どもならではの世界観に
おおいに笑い、驚かされた。
と同時に、以前読んだ
この新聞記事のことを思い出した。
2009年2月14日 朝日新聞
明治政府が琉球国を併合した「琉球処分」や
沖縄戦、基地問題等を考えてきた
知念(ちにん)ウシ(うしぃ)さんが、
沖縄での自身の子育てを書いたもの。
「歴史の積み重ね伝えたい」
との見出しがついている。
(以下水色部、記事からの引用)
10年余りを過ごした東京から
9年前に、生まれ育った場所に戻り、
世帯を構え、
8歳と6歳の子を育てている。
そこで、知念さんが気づいたのは
今、目に見える一時だけでなく、
人々の思いをのせたさまざまな時間が
折り重なって同時に流れている
ということだ。
知念さんは、
そのことを子どもたちに教えたいと
強く思いながら子育てしている。
過去は今とつながり、
その中で人は自分の今を生き、
未来ができること。
この地で連綿と生きてきた人々の
喜びや悲しみや怒りが、
自分を守り育むのだと。
そんな知念さんに育てられた子どもたち。
こんなエピソードが最後に紹介されている。
ある夏のこと。
親類と出かけたレストランに
世界地図がかかっていた。
私は子どもたちに、
これがアメリカだよ、と教えた。
6歳だった息子が聞く。
「沖縄はどこ?」。
私が指さしたのは、
印刷ミスにも見える小さな黒い点。
息子が叫ぶ。
「えー、こんなに小さいの、
沖縄って。あんなに大きいのに」。
すると4歳の娘がすまして言った。
「沖縄はね、地図で見ると小さいけど、
生きてみると、とっても大きい」
以前であれば、
「そうそう、子どもにとっては
あの小さい沖縄がとっても大きく
感じられるンだよね」
と読み飛ばしてしまっていたかもしれない。
しかし、今は少し違った感覚で捉えている。
沖縄以外も知っている大人は
「沖縄は小さい」と言う。
「世界は広い」と言う。
でも、沖縄だけをとっても
「歴史の積み重ね」を感じ、
「この地で連綿と生きてきた人々の
喜びや悲しみや怒りが、
自分を守り育むのだ」と
丁寧に感じながら生活すれば、
大人にとっても沖縄は広いはずだ。
雑に世界を捉えると
物理的な広さを求めて
「世界は広い」と言ってしまうけれど、
細かいことに気づき、
詳細に世界を感じる感性をもっていれば、
沖縄の中にだけでも
無限の世界が広がっている。
大人は雑だから広さを求めるが
子どもは繊細だから「とっても大きい」と
感じられる。
大人になってからだって
「とっても大きい」と感じられる感性を
持つことは可能なはずだし、
そこから見えてくる
無限の世界もあるはずだ。
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