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2024年11月

2024年11月24日 (日)

「隠れた活動部位」こそ「心の実体」?

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「隠れた活動部位」こそ「心の実体」?

- 観測のための方法論は -

 

「心」という捉えどころのないものを
どうやって捉えようとしているのか、
そもそも捉えられるのか、

森山 徹 (著)
ダンゴムシに心はあるのか

新しい心の科学
PHPサイエンス・ワールド新書
PHP研究所
Dangomushinis

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を読みながら、
その入口となる考え方を覗いてみよう。

科学の現場では、
心はおよそ次のように説明されます。

「私たちは通常、記憶や思考、
 判断といった認知的活動、および、
 喜怒哀楽といった感情を
 心の働きと呼んでいる。

 人間の脳には、認知的活動や
 感情を司る部位がある。
 したがって、
 脳における認知的活動、
 および、
 感情を司る特定の部位こそが
 心である
」と。

とは言うものの、
脳の特定部位の機能を失っても
通常、心を失った人とは扱わない。
「心の概念」をもう少し掘り下げみよう。

「日常的な心の概念」とは
「私の内にあるもう一人の私」 

というのはわかりやすい表現のひとつだ。
著者森山さんはこれを「内なるわたくし」と
呼んでいる。

あなたが私を目の前にしたとき、
あなたは私に心があると思うでしょう。
その理由は、
あなたは私の内に隠れている
「内なるわたくし」の気配を
感じるから
なのです。

この「内なるわたくし」を
感じさせているものは

 五感を通して推測することができない
 「隠れた活動部位」


それこそが「日常的な心の概念」の正体だ
と森山さんは述べている。

詳細に書くと長くなるので
「隠れた活動部位」の
具体的な例は本を参照いただきたいが、
あらゆる対象は、

特定の行動を発現しようとするとき、
何らかの刺激によって
さまざまな活動も
不可避的に誘発されるが、
それらに続く行動の発現を
抑制することが要求され、
それを実現している

と言っており、
この抑制、すなわち
「隠れた活動部位」こそが
「心の実体」だと。

そう考えた時、
日常生活における心の使われ方
たとえば、

*感情としての心:
  楽しかった、悲しかった
*器官としての心:
  心を鍛える、心を育む
*「裏」としての心:
  心(うら)寂しい、心悲しい

などと、かけ離れてもいないことも
本文では記述されている。

で、いよいよその働きを
現実の現象として捉えるための方法論
話は進むが、結論だけ書くと

「未知の状況」における
「予想外の行動の発現」こそが、
隠れた活動部位としての
「心の働きの現前」なのです。

と判断したようだ。
この判断に基づいて
ダンゴムシへの実験が繰り返される。

最終章にある、
まとまった記述を引用しよう。

まず、私は、
目の前の観察対象「それ」の心を、
「内なるそれ」という概念として
定義しました。

そして、その概念に合う実体として、
観察対象が、
「ある行動を発現させるとき、
 余計な行動の発現を
 自律的に抑制=潜在させる、
 隠れた活動部位」
を有することに気づきました。

その「隠れた活動部位」の存在は、
その働きを通してしか確認できません。

その働きとは、
未知の状況において、
 その観察対象が
 立ち止まってしまわないように、
 予想外の行動を発現させること」
です。

そして、心の科学とは、
この心の働きを実験的に確認する
実践的学問です。

「隠れた活動部位」
「未知の状況」
「予想外の行動」
が「心」と「心の働き」を観測するための
キーワードになっている。

以上、
心の科学のアプローチ方法のひとつとして
ここにメモを残しておきたい、と
要点のみをまとめてみた。

難しい問題に独自の方法で
取り組んでいることはよくわかったし、

ただ、未知の状況を設定するには、
その対象にとって未知でない、
日常的な状況を
先に知らなくてはなりません。

そのためには、対象と、
とことん付き合うしかありません。
その当たり前のような
流儀に従うことが、まず必要です。

とある通り、
対象への観察も丁寧に考えているようだが、
どうしても引っかかってしまうのは、
「未知」が
人間の判断に依っていることだ。

とことん付き合ったとしても
「ダンゴムシにとって未知の状況」
が人間に判断できるものだろうか?

 

 

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2024年11月17日 (日)

「こんにちは」と声をかけずに相手がわかるか

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「こんにちは」と声をかけずに相手がわかるか

- 「ダンゴムシに心はあるのか」から -

 

森山 徹 (著)
ダンゴムシに心はあるのか

新しい心の科学
PHPサイエンス・ワールド新書
PHP研究所
Dangomushinis

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

は、題名の通り、
ダンゴムシに心があるか?
の研究に挑んだ記録だが、

研究成果そのものよりも、
「心」という捉えどころのないものを
どうやってダンゴムシから
観測しようというのか、
そのアプローチ自体に興味があって
手にしてみた。

まずは、「はじめに」にある
たとえ話について考えてみよう。

皆さんの住む街に、ある日、
見知らぬ人物が現れたとします。

皆が、彼の正体を知りたいと思います。

さて、どうすれば彼のことがわかるか?

まず思いつくのは観察だ。

ある人はあらゆる角度から写真を撮り、
またある人は生活を分析します。

写真機の性能と撮影技術、
生活の分析手法は
日増しに向上するでしょう。

こうして膨大な、そして正確な
彼の記録が集まります


しかし、肝心の彼の「正体」は、
なかなか明らかになりません。

記録の方法は適切で、
その技術は進化し続けました。

しかし、技術の進化とは裏腹に、
皆さんは、その先に彼の正体を
つかめる未来がなさそう
なことを、
薄々感じ始めるでしょう。

「正体」とは何か?といった
硬い定義はともかく、
「彼ってどんな人?」の
軽い質問に答えようとしても
観察記録だけでは、
質問者の期待に応える回答が
できるような気は確かにしない。

そして、こう考えるでしょう。

彼の正体を知るには、今や、
だれかが彼の肩を直接叩き、
「こんにちは」と
声をかけることが必要
だと。

彼に気づかれないよう、
彼を記録することは、
観察者の影響を受けない
手つかずの彼
を知る最善の手段です。

しかし一方で、
最も知りたい彼の正体や本質を
知ることはできません。

観測対象に影響を与えずに
観測対象を知ることはできるのか?


量子力学の観測問題とは別次元なるも、
観測や計測を最大の拠り所として
成り立っている自然科学の
最も根本的な課題のひとつだ。

声を直接かけられることで、
彼の挙動や生活は、
観察者の影響を受け変化するでしょう。

しかし、その変化とは裏腹に、
正体は揺らぐことなく、
現前するのです。

揺らがないからこそ、現前するそれは、
正体、あるいは本質と言われるのです。

自信満々で言い切ってしまっている
この最後の段の内容はともかくも、
相手を知るために「こんにちは」と
声をかけることの価値や効用は
誰にでもイメージしやすい
わかりやすい事例と言えるだろう。

もちろん声をかけるだけで
すべてがわかるわけではないが、
仮にたったひと言の往復であったとしても
客観的な観察だけのときに比べて、
ぐっと距離が近くなるような経験は
確かにある。

どんな「こんにちは」で
ダンゴムシの心を探ろうというのか。
うまい導入だ。
次回、もう少し先を読んでみたい。

 

 

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2024年11月10日 (日)

この話、この雑誌にぴったり

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この話、この雑誌にぴったり

- 岩波書店の雑誌「図書」から -

 

岩波書店の雑誌「図書」2024年9月号
Tosho2409s

作家の原田宗典さんが
「読書ということ」
というエッセイを寄せている。
(以下水色部、エッセイからの引用)


もう20年も前の話だが、
早稲田のカルチャー講座で、
三カ月だけ講師をつとめたことがある。

当時、私は小林秀雄の講演を
CDで聴くことにハマっていて、
講座でも小林秀雄の話ばかりしていた。

すると何回目かに、生徒の一人が
講師である原田さんのところへ来て、
こんな話をしたという。

「今日、ここへ来る時、地下鉄の中で
小林秀雄の文庫本を読んでいたんです。

そしたら、
僕の目の前に座っていた老紳士が

『君、小林先生の本を読むなら、
 座って読みたまえ』
と言って、
席を譲ってくれたんです」

原田さんは、

この話に私は驚き、感心した。
さすが小林秀雄。
そういう真撃な読者を持つ作家は、
他にはそういないだろう。

と書いている。

いい話だなぁ、と思うと同時に、
雑誌「図書」にはこういうエピソードが
ほんとうにしっくりくるなぁ、と
ヘンなところに感心してしまった。
もちろん「図書」に対する
私個人の偏見というか思い込みによる
単なる感想だが、雑誌を読むときは
その雑誌特有のカラーを期待して読んでいる
部分がある気がする。

前回、出版社をひとりで設立した
島田潤一郎さんの言葉を紹介したが、
雑誌も含めて、まさに本は、
「情報をただ束ねたものではない」
のだ。

最近、
特に雑誌の衰退はほんとうに激しくて、
隆盛の時代を知っている
昭和のオヤジとしては寂しい限りだが、
その衰退は、
ネットの普及だけが原因ではないだろう。

雑誌でしか読めない記事や
魅力ある雑誌の特集、
雑誌のカラーを支える執筆陣、
そういったネットにはない
雑誌ならでは魅力を、
ある時期から、雑誌自らが
放棄し始めてしまったかのような
紙面づくりが広がってしまったことが、
その原因の一端ではないだろうか。

実際、今も生き残っている雑誌には
そういったネットにはない魅力が
維持されているものが多い気がする。

「こういうのって、
 ここでしか読めないンだよね」
があると、買って読もうという気になる。

媒体が何であれ、プロの編集力に支えられた
「情報をただ束ねたものではない」
特徴ある雑誌が残ることを切に願っている。

 

ちなみに、上記小林秀雄のCDについては
本ブログでも
「歳をとった甲斐がないじゃないか」
と題して記事にしたことがある。

(小林さんの肉声を聞いてみたい方は、
 上のリンクの記事の中で
 そのごく一部を聞くことができます)

書籍だけを読むと、その内容から
「じっくり座って読む作家」
のイメージなのだが、
小林さん自身の声・話っぷりを聞くと
記事にも書いた通り、
私は志ん生の落語を思い出してしまうせいか
イメージが大きく変わっておもしろい。

 

 

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2024年11月 3日 (日)

紙の本が持つ力

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紙の本が持つ力

- 島田潤一郎さんの言葉 -

 

全国大学生活協同組合連合会
「読書のいずみ」
通巻180号(2024年9月発行)
Dokusyonoizumi2409s
という小冊子に

夏葉社代表 島田潤一郎さん

京都大学大学院 齊藤ゆずかさん
との対談、
 座・対談
「良い作品は、豊かな時間を与えてくれる」

という記事があった。
(以下、水色部記事からの抜粋)

島田潤一郎さんは、1976年高知県生まれ。

2009年、
出版社「夏葉社」をひとりで設立
「何度も、読み返される本を。」
という理念のもと、
文学を中心とした出版活動を行う。

と紹介がある。

本への思いを熱く語る島田さんの言葉から
印象に残ったものを紹介したい。

(1) 紙という限定性

例えば「日本の歴史」という
300ページにまとまっている本が
あったら、
それはそれとして受け取るわけです。
それは本に対する信頼ですよね。

「300ページで日本の歴史なんて
 書けないよ、これは嘘だよ」とは
思わないでしょう。

300ページ読んだら、300ページ分の
日本の歴史というものがあって、
それはそれなりに完結してるわけです。

完結するのは
紙という限定性があるからこそ
だと思います。

「紙という限定性があるからこそ」
「完結する」という視点がおもしろい。

(2) 情報をただ束ねたものではない

「国」は
目に見えないひとつの概念ですが、
一冊の本として紙に残すと、
あたかも「国」というものが
実際にあるように見えますよね。

我々が作っているのは
そういうものに近いと思うんですよ。

それは何か情報を
ただ束ねたものではなくて、
ものすごく力のある、
ものすごく大切なもの

作っているような気がします。

本は、
「情報をただ束ねたものではない」は
出版社として
ぜひ言いたかったことのひとつだろう。

(3) 紙の本として残す意味

だから、
力のある人たちは印刷しますよ。
印刷して、それが多くの人に
読んでもらえるかどうかではなく、
印刷することに意味がある。

紙の本として残すことに意味がある
のです。

我々も「歴史上の誰々という人が
本当に実在したかどうか」というのは、
写真のない時代であれば、
その名前が実際にどこかに
書かれているかどうか
で、
確認していますよね。

印刷技術登場以前の時代も含めて、
残された本には意味がある。

どんな英雄であれ、
「その人が実在した」を確認する手段は
文字であること、
それは多くの場合
それが書かれた本であること
そして、それこそが
「紙の本が持つ力のひとつ」であること、は
いまやあまりにも「当然」と
思ってしまっていて意識していないせいか、
改めて言われてみると
ハッとするような不思議な驚きがある。

 

 

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