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2024年9月 8日 (日)

漱石の神経衰弱と狂気がもたらしたもの

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漱石の神経衰弱と狂気がもたらしたもの

- 『文学論』序 から -

 

名著なので
ぜひ詳しく紹介したいと思いながら
その内容の豊かさに圧倒されて
いまだに本ブログで記事にできていない

下西風澄 (著)
生成と消滅の精神史

終わらない心を生きる
文藝春秋

だが、
その第6章
「夏目漱石の苦悩とユートピア」
を読んで以来、
漱石の苦悩に思いを馳せながら
漱石作品を読むようになった。

下西さんが指摘している苦悩については
今日は触れないが、
その苦悩の大きな背景のひとつである
英国留学の体験については

夏目漱石 (著), 磯田光一 (編)
漱石文芸論集

岩波文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

の 『文学論』序 に、
漱石自身のかなり生々しい言葉が並んでいる。

愚痴のオンパレードとも言える
赤裸々な思いの吐露は、
初めて読むとちょっと衝撃的だ。
今日はそれについてメモを残しておきたい。

イギリスに約2年間留学した漱石が
精神を病んでしまったことは
よく知られているが、
実際にどんな時間を過ごしたのか、
『文学論』序を読むと
詳しく知ることができる。

まず留学。

当時余は特に洋行の希望を抱かず、
かつ他に余よりも適当なる人
あるべきを信じたれば、

と、そもそも全く行く気がない。
それでもけっきょく、
推薦を断りきれず行くこととなる。
明治33年9月日本出発、11月にイギリス着。

ケンブリッジで2,3の日本人に逢う。

彼らは紳商の弟子にして
いはゆる
ゼントルマンたるの資格を作るため、
年々数千金を費やす

一方で、自分が政府から受ける学費は
年に1800円しかなく、
彼らと同様に振る舞うなんて
とてもできない、と愚痴が続く。

ちなみに、紳商(しんしょう)とは、
教養があり、品位を備えた一流の商人。
と小学館の国語辞典にある。

財力のある紳商の弟子たちは

午前に一、二時間の講義に出席し、
昼食後は戸外の運動に二、三時を消し、
茶の刻限には相互を訪問し、
夕食にはコレヂに行きて大衆と会食す

なる生活を送っており、
なので

余は費用の点において、
時間の点において、
また性格の点において
到底これら紳士の挙動を学ぶ
能はざるを知って
彼地に留まるの念を永久に断てり

と、いきなりもう投げやりだ。

結局、
「大学の聴講は三、四カ月にしてやめたり」
となるが、それでいじけて
遊び呆けていたわけではない。

「英文学に関する書籍を
 手に任せて読破せり」
の生活を通して、ある思いにたどり着く。

余が英語における知識は
無論深しといふべからざるも、
漢籍におけるそれに劣れりとは思はず。

学力は同程度として
好悪(こうお)のかくまでに
岐(わ)かるるは
両者の性質のそれほどに
異なるがためならずんばあらず、

換言すれば
漢学にいはゆる文学と
英語にいはゆる文学とは
到底同定義の下に
一括し得べからざる
異種類のものたらざるべからず。

大学を卒業して数年の後、
遠き倫敦(ろんどん)の
孤燈(ことう)の下に、
余が思想は始めてこの局所に
出会(しゅっかい)せり

そして、この決心に繋がっていく。

余はここにおいて
根本的に文学とは如何なるものぞ
といへる問題を解釈せんと
決心したり


同時に余る一年を挙げて
この問題の研究の第一期に
利用せんとの念を生じたり。

 

大きな課題が明確になり
突き進み始める漱石。

この一念を起してより六、七カ月の間は
余が生涯のうちにおいて
尤も鋭意に尤も誠実に
研究を持続せる時期なり

書いたノートの量も

留学中に余が蒐(あつ)めたるノートは
蠅頭(ようとう)の細字にて
五、六寸の高さに達したり。

一寸は約3cm。
蠅の頭ほどの小さな字で、だ。

それでも、振り返ると留学生活は

倫敦に住み暮らしたる二年は
尤も不愉快の二年なり

余は英国紳士の間にあって
狼群(ろうぐん)に伍する
一匹のむく犬の如く、
あはれなる生活を営みたり

だったようで、
「尤も不愉快の二年なり」
「あはれなる生活を営みたり」
と、つらかった思いを繰り返している。

なので外見(そとみ)には

英国人は余を目して神経衰弱といへり
ある日本人は書を本国に致して
余を狂気なりといへる由(よし)。

賢明なる人々の言ふ所には
偽りなかるペし。

それは帰国後も続き
「帰朝後の余も依然として
 神経衰弱にして兼狂人のよしなり」
でも

ただ神経衰弱にして狂人なるがため、
『猫』を草し
『漾虚集(ようきょしゅう)』を出し、
また『鶉籠(うずらかご)』を
公けにするを得たりと思へば、
余はこの神経衰弱と狂気とに対して
深く感謝の意を表するの至当なるを信ず

神経衰弱と狂気が
漱石を創作の方向に駆り立てた。
本人がそう語っている。
「深く感謝」とまで。

何が何につながるか、
ほんとうに人生はわからない。

 

 

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