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2024年9月

2024年9月22日 (日)

翅(はね)を食い合うGの研究者

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翅(はね)を食い合うGの研究者

- お互い一生飛べなくなる -

 

著書の中で

生きている虫を見ているのが、
この世の何より面白い。時間を忘れる。

と言い切っている大崎遥花さんは
1994年生まれの若い研究者だ。

朽木(くちき)の中に棲み、
朽木を食べて生きている

クチキゴキブリを研究対象としている。

そんな大崎さんの、初の著書

大崎 遥花 (著)
ゴキブリ・マイウェイ

この生物に秘められし謎を追う
山と渓谷社

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を楽しく読んだ。

本書は、
世界で唯一のクチキゴキブリ研究者
の書いた、
世界で唯一のクチキゴキブリ研究本
である。

とあるが、その内容は、
研究本というよりも
駆け出し研究者の研究奮闘記
といった感じだ。

クチキゴキブリの生息地である
沖縄への調査旅行について

クチキゴキブリは朽木しか食べない
と思っていたが、金も食う

とか、

野外調査で一番怖い生き物
それはハチでもクマでもハブでもない。
人間である

とか、

私は研究が大好きだ。楽しいし、
研究している自分が好きだし、
自分の研究が世界で一番面白いと
本気で思っている。

しかし、だからといって
研究にまつわるすべての作業が
好きなわけではない

とか、
正直で軽妙な文体で、
研究分野との出会い、
クチキゴキブリの採集、飼育、資金、
実験環境の構築、研究、論文、学会、
などが次々に語られていく。

研究者や知見の少ない分野に
右往左往・試行錯誤を繰り返しながらも
貫かれているのは一途なゴキブリ愛だ。

そんな大崎さんが研究対象としている
クチキゴキブリの習性は、
ほんとうに面白い。

* クチキゴキブリは朽木を食べながら
 トンネルを作り、
 そこで家族生活を営んでいる。

* 交尾前後、オスとメスは
 互いの翅(はね)を付け根付近まで
 きっちり食べてしまう。
 「翅の食い合い」

* 交尾後約2カ月で子が生まれると、
 両親ともに口移しでエサを与えて
 子育てを行う。

* 父親と母親は生涯つがいを形成し、
 一切浮気しないと考えられている。

なんと言っても興味深いのは
「翅の食い合い」、
この「翅の食い合い」の瞬間を
初めて動画で捉えたのが大崎さんだ。

翅の食い合いは、
なんと全世界の全生物のうち、
タイワンクチキゴキブリでしか
見つかっていない。

付け根しか残っていないので、
翅を食われたあとは
当然飛べなくなる。

もちろん新たに生えてくることもない。
つまり、

食われたが最後、
一生飛べなくなるのである

なのになぜ食べてしまうのか?

オスとメスによる共同子育てや
オスが次のメスを探さないといった
昆虫にはめずらしい習性とも
おそらく深いつながりがあると思われるが
詳しいことはまだわかっていない。

本には、「翅の食い合い」の瞬間も含めて
みごとな点描画が挿絵として使われているが、
それらもすべて大崎さんの
筆によるものらしい。

絵を見ていると
「この世の何より面白い。時間を忘れる」
と言っている人の集中力と愛を感じる。

研究者の少ない領域での
ますますの活躍を期待したい。

 

 

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2024年9月15日 (日)

「宇宙思考」の3ステップ

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「宇宙思考」の3ステップ

- 正誤も価値も視点に依存 -

 

天文物理学者BossBさんを知ったのは
音楽が流れるクラブでサイエンスを体感する
ちょっと挑戦的なイベント
夜学/Naked Singularities04
で、だった。

低音が鳴り響くクラブの音楽をバックに
ワームホールやらブラックホールやら
マルチバースやら次元やら、
そんな話を専門の講師を招いて
大真面目にやる、という不思議な空間。
その中の講師のひとりがBossBさんだった。

天文物理学者BossB (著)
宇宙思考

宇宙を知れば、視点が増える
視点が増えれば、モノゴトの本質が見えてくる
かんき出版

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

という本も書いている。
その「はじめに」に

天文物理学者BossBが誕生したのは、
2020年秋、コロナ禍、
それまで継続してきた
社会活動ができなくなり、
TikTokを中心にSNSで、
宇宙と愛と平和のメッセージの発信を
始めた瞬間です。

とあるように、コロナ禍での
SNSでの発信がその誕生には
大きく関わっていたようだ。

上記イベントのトークでも
強烈な個性を放っていたが
信州大学工学部准教授という顔も持つ。

そんなBossBさんが
専門の天文物理学について語っているこの本、
ちょっとユニークなのは、
宇宙、量子、次元、光速、ブラックホール
などなど、そういった分野への質問に
学者として丁寧に答えながらも、
各節末に「宇宙思考」なるコラム欄を設け、
物理学の発展の歴史を絡めながら
質問している若い読者に向けて
ポジティブな思考につながるメッセージを
多数発信していることだ。

その発想のベースとなる
「宇宙思考」の3ステップは

(1) 視点に限られたことしか
  見ることができない
(2) 新しい視点、多視点で見え始める
(3) 視点を選び、未来を創る

どれもシンプルで、それ自体は
新しいことでも特異なことでもない。

でも、この3ステップを通して眺めることで
物理学発展の歴史を大きく俯瞰できること、
そしてそれは、物理学の世界に限らず、
人間社会における常識や価値観、
生き方そのものの見つめ方にも
大きく活かせることを、
改めて、まさに視点を変えながら
繰り返し説いている。


科学的知識(科学)
間違っている可能性を許容し、
反証を歓迎し、
動的に常に変化していくものです。

と述べた後、半ページ後ろでは、
主語の「科学」を「常識」に入れ替えて

常識も、
間違っている可能性を許容し、
反証を歓迎し、
動的に常に変化していくもので
あるべきです。

と述べている。
ひとつの視点からの正誤や価値を
絶対的なものとしない柔軟性が
「別な視点から見れば」のひと言で
軽やかに生まれてくる。

BossBさん自身

宇宙を知れば知るほど、
周りの人々の輝きも見えてきました。
表面からは見えない、
本質を見る努力をするようになりました。

と言っており

自分の当たり前ではない、
社会の普通ではない領域を
探検してみてください。

違いに出会い、対話してください

と読者に呼びかけている。

それらすべてのメッセージは、
ひと言で言えば、

それぞれの色で輝ける社会を
創っていきたい、

とのBossBさんの熱い思いと
若者への愛のまなざしに支えられている。

 

 

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2024年9月 8日 (日)

漱石の神経衰弱と狂気がもたらしたもの

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漱石の神経衰弱と狂気がもたらしたもの

- 『文学論』序 から -

 

名著なので
ぜひ詳しく紹介したいと思いながら
その内容の豊かさに圧倒されて
いまだに本ブログで記事にできていない

下西風澄 (著)
生成と消滅の精神史

終わらない心を生きる
文藝春秋

だが、
その第6章
「夏目漱石の苦悩とユートピア」
を読んで以来、
漱石の苦悩に思いを馳せながら
漱石作品を読むようになった。

下西さんが指摘している苦悩については
今日は触れないが、
その苦悩の大きな背景のひとつである
英国留学の体験については

夏目漱石 (著), 磯田光一 (編)
漱石文芸論集

岩波文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

の 『文学論』序 に、
漱石自身のかなり生々しい言葉が並んでいる。

愚痴のオンパレードとも言える
赤裸々な思いの吐露は、
初めて読むとちょっと衝撃的だ。
今日はそれについてメモを残しておきたい。

イギリスに約2年間留学した漱石が
精神を病んでしまったことは
よく知られているが、
実際にどんな時間を過ごしたのか、
『文学論』序を読むと
詳しく知ることができる。

まず留学。

当時余は特に洋行の希望を抱かず、
かつ他に余よりも適当なる人
あるべきを信じたれば、

と、そもそも全く行く気がない。
それでもけっきょく、
推薦を断りきれず行くこととなる。
明治33年9月日本出発、11月にイギリス着。

ケンブリッジで2,3の日本人に逢う。

彼らは紳商の弟子にして
いはゆる
ゼントルマンたるの資格を作るため、
年々数千金を費やす

一方で、自分が政府から受ける学費は
年に1800円しかなく、
彼らと同様に振る舞うなんて
とてもできない、と愚痴が続く。

ちなみに、紳商(しんしょう)とは、
教養があり、品位を備えた一流の商人。
と小学館の国語辞典にある。

財力のある紳商の弟子たちは

午前に一、二時間の講義に出席し、
昼食後は戸外の運動に二、三時を消し、
茶の刻限には相互を訪問し、
夕食にはコレヂに行きて大衆と会食す

なる生活を送っており、
なので

余は費用の点において、
時間の点において、
また性格の点において
到底これら紳士の挙動を学ぶ
能はざるを知って
彼地に留まるの念を永久に断てり

と、いきなりもう投げやりだ。

結局、
「大学の聴講は三、四カ月にしてやめたり」
となるが、それでいじけて
遊び呆けていたわけではない。

「英文学に関する書籍を
 手に任せて読破せり」
の生活を通して、ある思いにたどり着く。

余が英語における知識は
無論深しといふべからざるも、
漢籍におけるそれに劣れりとは思はず。

学力は同程度として
好悪(こうお)のかくまでに
岐(わ)かるるは
両者の性質のそれほどに
異なるがためならずんばあらず、

換言すれば
漢学にいはゆる文学と
英語にいはゆる文学とは
到底同定義の下に
一括し得べからざる
異種類のものたらざるべからず。

大学を卒業して数年の後、
遠き倫敦(ろんどん)の
孤燈(ことう)の下に、
余が思想は始めてこの局所に
出会(しゅっかい)せり

そして、この決心に繋がっていく。

余はここにおいて
根本的に文学とは如何なるものぞ
といへる問題を解釈せんと
決心したり


同時に余る一年を挙げて
この問題の研究の第一期に
利用せんとの念を生じたり。

 

大きな課題が明確になり
突き進み始める漱石。

この一念を起してより六、七カ月の間は
余が生涯のうちにおいて
尤も鋭意に尤も誠実に
研究を持続せる時期なり

書いたノートの量も

留学中に余が蒐(あつ)めたるノートは
蠅頭(ようとう)の細字にて
五、六寸の高さに達したり。

一寸は約3cm。
蠅の頭ほどの小さな字で、だ。

それでも、振り返ると留学生活は

倫敦に住み暮らしたる二年は
尤も不愉快の二年なり

余は英国紳士の間にあって
狼群(ろうぐん)に伍する
一匹のむく犬の如く、
あはれなる生活を営みたり

だったようで、
「尤も不愉快の二年なり」
「あはれなる生活を営みたり」
と、つらかった思いを繰り返している。

なので外見(そとみ)には

英国人は余を目して神経衰弱といへり
ある日本人は書を本国に致して
余を狂気なりといへる由(よし)。

賢明なる人々の言ふ所には
偽りなかるペし。

それは帰国後も続き
「帰朝後の余も依然として
 神経衰弱にして兼狂人のよしなり」
でも

ただ神経衰弱にして狂人なるがため、
『猫』を草し
『漾虚集(ようきょしゅう)』を出し、
また『鶉籠(うずらかご)』を
公けにするを得たりと思へば、
余はこの神経衰弱と狂気とに対して
深く感謝の意を表するの至当なるを信ず

神経衰弱と狂気が
漱石を創作の方向に駆り立てた。
本人がそう語っている。
「深く感謝」とまで。

何が何につながるか、
ほんとうに人生はわからない。

 

 

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2024年9月 1日 (日)

「ぼくはウンコだ」

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「ぼくはウンコだ」

- たった一音に反応してしまう耳 -

 

以前、
「はじめて考えるときのように」(1)
の記事の中で、

「考える」っていうのは、
耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと

という野矢茂樹さんの言葉を紹介した。

考えるとは、
じぃ~っと集中することではない。
なので、「考えていない」人と
同じように行動していい。

ただ違うのは一点、
「あ、これだ!」という声に
その人は耳を澄ましている。

この
「耳を澄ましている」
「あ、これだ!」
で思い出した話があるので、
今日はそれを軽く紹介したい。

高島俊男 (著)
「最後の」お言葉ですが・・・

ちくま文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

にある、「ぼくはウンコだ」という題の
一篇。

このあいだロベルトに会った時に
「おれのところへかかってくる電話の
 半分くらいは小便してる最中に
 かかってくるんで弱る」
とボヤいたら、ロベルトは即座に、
「ぼくはウンコだ」
と言った。
これには小生、いたく感服した

さすが高島さん、
この「は」を聞き逃さないとは。
まさに「耳を澄ましている」の好例だ。

この「は」は
「ぼくはウナギだ」の「は」である。

「限定・強調のは(ワ)」と言うらしい。

森田良行『基礎日本語辞典』には
「僕は教室だ」
「あしたは引っ越しだ」
「日曜日は休養だ」
「彼は釈放だ」
などの例文をあげてある。

もっともさすがの森田先生も、
説明には難渋していらっしゃる
模様である。

どう難渋していらっしゃるのか?

森田良行『基礎日本語辞典』を
覗いてみよう。
(以下薄紫部、
 『基礎日本語辞典』からの引用)

判断文における「何ハ」は、
話し手が聞き手に対して
まず主題を提示し、
これを発想の出発点として
疑問の場(または課題の揚)を
設定することである。

「何ハ」で示した題目について、
次にどのような判断を下し
解説を施すかは話し手の自由である。

その題目事物を
行為や属性の主体として扱おうと、
行為の目的や対象として扱おうと、
自由である。

そのため述語が動詞または
動詞的意図を持つ名詞のときは、
「何ハ」の「何」は
行為の対象物としても扱われ、
「〜ハ」は必ずしも主語になるとは
かぎらない
。対象語ともなる。

うーん、たしかに難渋していらっしゃる。
辞典の説明なのに、一度読んだだけでは
全く理解できない。

高島先生ですら

いやこっちのアクマが悪くて
理解に難渋するのかもしれんが、
とにかくむづかしいのだ。

とおっしゃっているので
まぁ素人の私が理解できないことも
許して(?)もらおう。


この「は」をとっさに、
かつ自然に言える西洋人が
日本にそう何人もいるとは思えない。

凡庸な西洋人なら
「ぼくのばあいはちょうどワンコが
 出始めた時に電話が鳴ります」
とか何とか冗長に言いそうである。

あらためてロベルトの日本語能力を
見なおしたことでありました。

もちろんロベルトさんの日本語能力には
感服しかないが、
たった一音を聞き逃さずに反応し、
印象的な題のエッセイに仕上げる
高島さんの耳も
言葉について「考えている人」の
まさに好例と言っていいだろう。

「あ、これだ!」という声が聞こえるのは
考えている人だけだ。

 

 

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