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2024年7月 7日 (日)

二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

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二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

- 大山街道と元本流 -

 

二ヶ領用水歩き
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
* 二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに
* 二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停
で、
上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートの両方を
JR武蔵中原駅付近まで歩いたことになるが
その先を歩く前に、
JR溝の口駅付近で寄り道をしてみよう、
ということになった。

いつもの川歩き仲間と
実際に歩いたのは2024年5月の日曜日。

Nikaryomizonokuchis
上記地図(Google Map)、
左上から右下への青い線が
二ヶ領用水(3) にて既に歩いたルート。

今回の寄り道は、
緑色のルート(大山街道)①から④ と
黄色のルート(元本流)⑤から⑥


【庚申塔】:大山街道①
P5123379s

横に立つ説明文には
 「見ざる・聞かざる・言わざる」
 で知られた庚申信仰
は、
 平安時代に始まる。
 特に盛んになった江戸期、
 この地に作られた庚申塔は、
 大山街道をゆく旅人の
 道標をかねていた。
とある。
P6153508s
二ヶ領用水(2) でも
庚申信仰についての
詳しい説明を目にしたが、
60日ごとに巡ってくる庚申の夜の話と
庚申塔でよく目にする
「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は
どうして結びつくのだろう?
庚申の申がさるだから?
この庚申塔では、
おそらく以前あったであろう
「見ざる・聞かざる・言わざる」が
風化してほとんど見えなくなっている。

JR溝の口駅すぐ横には
昭和の飲み屋街が残っている。
P6153507s
上の写真、右上奥は
JR溝の口駅のホーム。

P6153506s
夜は独特な雰囲気になりそうだ。

【さかえ橋の親柱石】:大山街道②
P6153512s
平瀬川と二ヶ領用水の根方堀が交差する
この地にあった「さかえ橋」の
親柱石だけが説明文とともに
残されている。

今は大山街道の一交差点となっており、
川の面影はない。
P6153513s
ここには、「大山街道」の
丁寧な説明板もある。
江戸赤坂御門を起点として
 雨乞いで有名な
 大山阿夫利神社
 (神奈川県伊勢原市)までの道

P6153514s
<江戸時代中期には
 庶民のブームとなった
 「大山詣」の道として
 盛んに利用されるようになり、
 この頃から「大山道」「大山街道」
 として有名になった>

<参詣の際には
 納太刀(おさめだち)をする習慣があり、
 自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる
 参詣者の姿が
 多くの浮世絵などに描かれている>

などの記述がある。

【溝口神社】:大山街道③
P5123386s

赤城社と呼ばれた溝口の総鎮守

P5123387s

このあたりは飲み水に不自由し、
親井戸から簡易水道を引いていたらしい。
「参道わきの水神社や水道組合碑が
 当時の苦労を物語る」
との説明文が近くにあるが、
どんな苦労かまではわからない。
P6153516s
上の写真、左側が水道組合碑

碑の前を塞ぐように別な碑が立っている。
いったいどうしたことか?
P5123390s

【大山小径】:大山街道④
P5123394s
100メートルにも満たない
公園までの短い道に、
大山街道の様子が描かれた
十数枚の絵タイルが埋め込まれている。

大山街道の起点から終点までの
主な町を網羅しているので、
数十メートルを歩くだけで、
全行程を歩いた気分になれる。
P6153519s

起点「赤坂御門」がこんな感じ。
P5123395s

長津田や厚木のタイルもある。
埋め込まれたタイルとしては
「大山不動へ二里」と書かれた
粕谷まで。

終点には全景を描いた大きなコレが。
右上3枚、補修されるといいのだが。
P6153522s

大山街道全体の超縮小版ではあるが、
富士塚のように講と関係した小径
というわけではないようだ。

P6153524s
「溝口村、二子村が大いに発展したのは、
 江戸時代に大山街道の
 宿駅となってからである」
の説明もある。

それにしても全景図の右隣
大きな石の台座だけが残っているが、
さてその上には何が立っていたのだろう?
P6153523s

 

大山小径の次は、
二ヶ領用水の「元本流」を
見に行ってみよう。

二ヶ領用水(4)

「石橋供養塔」という
小さな供養塔のそばには、
この緑道が、
 かつて二ヶ領用水の本流だった

 昭和16年、用水は今の流路に
 つけ替えられた」
なる説明が。

と書いたが、その説明を読んで以来、
川歩きのメンバ間には、
「元の本流」部分も歩いてみたいね、の声が。
その思いを果たすべく⑤へ移動した。
Nikaryomizonokuchis

【元の本流】:元本流⑤
P5123401s
橋だけ残っているものの、
今は水は全く流れていない。
P5123403s
水は流れていないが、
緑の草の道が続いていて
P5123405s
元用水だったところはよくわかる。
P5123409s
⑥に向かってくねくねと
曲がりくねっており、
一部は細く舗装されて遊歩道になっている。
P5123413s
P5123415s

現在の二ヶ領用水の流路との
合流地点⑥まで来た。

そういえばそこには
片面に  「南無阿弥陀仏」
もう片面に「南無妙法蓮華経」
と書かれた【石橋供養塔】があった。
P5123416s
P5123417s

寄り道はここでおしまい。

次回は二ヶ領用水に戻り、
残っている部分を一気に歩いてしまおう。

 

 

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