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2024年7月

2024年7月28日 (日)

ついにこの日が来たか

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ついにこの日が来たか

- 全国紙の配送休止 -

 

昨年のことになるが、

2023年4月3日
『レコード芸術』休刊のお知らせ

クラシック・レコード評論の
専門誌として1952年3月に創刊し、
70年を超えてご愛顧いただきました
『レコード芸術』ですが、
近年の当該雑誌を取り巻く
大きな状況変化、用紙など原材料費の
高騰等の要因により、
誠に残念ではございますが
2023年7月号(6月20日発売)を
もちまして休刊
にいたすことと
なりました。

を見たとき、
ついにこの日が来たか」と
ひとりつぶやいてしまった。

そして、今年

2024年5月24日
【山野楽器 銀座本店】
CD/映像商品取り扱い終了のお知らせ

このたびCD/映像商品につきまして、
誠に勝手ながら
2024年7月31日(水)をもちまして、
銀座本店での取り扱いを終了
させて
いただくこととなりました。

が続き、レコード(CD)/DVDの時代が
終わりを迎えていることを
まざまざと突きつけられた。

 

終わりを迎えつつあるのは
CD/DVDだけではない。
新聞についても
NHKのNEW Webにこんな記事がUpされた。

2024年7月17日
『毎日新聞 富山県内への配送を
9月末で休止へ 全国初』

毎日新聞は、印刷や輸送費の増大や
富山県内での発行部数の減少により、
富山県内での新聞の配送を
ことし9月末で休止する

発表しました。

新聞にも、ついにこの日が来たか
ブツブツと文句を言いながらも
長年、新聞というメディアを愛読し、
捨てられないスクラップを
いまだに数多く持っている身としては、
その日付を記録しておきたく
ブログの記事にして残すことにした。

富山県のみとはいえ2024年9月末、
全国紙の配送がついに休止になる。
今後、同じ事態が他の地域、
他の新聞にも広がっていくことは
もはや時間の問題だろう。

雑誌 新潮 2023年08月号

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに)

に掲載されている

対談 鈴木健x森田真生
「加速する計算と、
 言葉の奔流のなかで」


という対談の中で、
SmartNewsの代表取締役会長である
鈴木健さんがこんなことを言っている。
約1年前の記事になるが引用したい。
(以下水色部、対談記事中の
 鈴木さんの発言から引用)

たとえば具体的な話でいうと、
いまアメリカでおよそ7000万人が
「ニュース砂漠(News Desert)」、
すなわち、「地元に新聞がない地域」で
暮らしています

2005年以降、すでに2500もの
日刊紙や週刊紙が廃刊になっています。
いまではアメリカ国内の地方紙の数は
6500を下回っている。

それでもまだ
6500もの地方紙があるというのは、
さすが地方紙のアメリカ、
という気がするが、いずれにせよ
新聞の急速な減少は続いている。

インターネットの台頭によって、
新聞のビジネスモデルが
成り立たなくなっていることの
必然的な帰結と言ってしまえば
それまでですが、
民主主義の持続性を考えたときに、
これは非常に深刻な問題
です。

実際、地域紙がなくなると、
投票率が下がり、汚職が加速し、
フェイクニュースが蔓延する、
というデータもあります。

新聞社などが担ってきた役割を
今後はどうしていくのか?

特に問題となってくるのが情報の質だ。

情報は脳の栄養である、と考えると、
質の低い情報は、
ジャンクフードに似ている
と思います。
短期的には
欲求を満たしてくれるけれど、
そればかりだと気持ちが沈んだり、
心の健康を損なったりしてしまう。

一方で、質の高い情報は、
栄養バランスの優れた食事

たとえることができるでしょう。

バランスのとれた情報を
摂取することで、
狭い関心のなかに
心を追い込んでいくのではなく、
新たな対象へと
関心を広げていくことができる。

ジャンクフードとはうまいたとえだ。

鈴木さんの会社
SmartNewsが作るニュースアプリ
「スマートニュース」は
全世界で5000万件のダウンロードを
突破しているという。

そこではどんな工夫をしているのか。

米国版のスマートニュースには、
「News From All Sides」という機能が
実装されています。
これはまさに、政治的な分断の問題を、
テクノロジーの力で解決したい
と考えて
作ったものです。

この機能を使うと、
画面を左右にスワイプするだけで、
リベラルな記事と保守的な記事の
あいだで表示を切り替えることが
できるようになります。

多くのアメリカの有権者が
2020年のアメリカ大統領選挙の前に
この機能を使いました。

さてさて今年(2024年)の大統領選挙では
どんな役目を果たすことになるだろう。

特に政治的なコンテンツに関しては
イデオロギーに応じて
解釈が大きく左右されやすいので、
エコー・チェンバーが強く働いて、
どうしても視点が狭くなりがち
です。

政治的なコンテンツに関して、
ユーザに多様な視点を提供することを
目指して
このような機能を開発しました。

ほかにも
「良質なコンテンツの提供者に
 収益を還元するシステムを採用」
したり、
民主主義を維持させるための
質の高いコンテンツを提供するために
さまざまな試行錯誤を続けている。

今後、新聞に代わるものは何になるのか?

情報の質、に注意しながら
その変化に注目していきたい。

 

 

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2024年7月21日 (日)

ワイングラスにワインは 1/3 だけれど

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ワイングラスにワインは 1/3 だけれど

- 『道具のブツリ』 -

 

「長い年月をかけて
 人の英知が集まってできた道具は、
 みごとにブツリの理に
 かなっていることをお伝えしたい」
との熱い思いで物理の先生が書いた

田中幸, 結城千代子 (著)
道具のブツリ

雷鳥社

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

は、日常よく目にする道具に関わる
ブツリの話をだれにでも理解できるよう
わかりやすく解説してくれている。

単行本としては見たこともないような
変形版だし、それに合わせての製本も
凝ったものだが、
大塚文香さんのやさしいイラストが
あふれていて、本全体の印象としては
ブツリの本っぽくない(?)
ソフトなトーンでまとまっている。
著者のおふたりは大学の同級生とか。

その中での、ワイングラスの説明に
たいへん印象深い記述があったので
今日はその部分を紹介したい。

古代ローマの食卓や
キリスト教の聖餐餐式では、
ワインは銀やガラスの器に
注がれていました。

現在のレストランで見かけるような、
ふくらみのあるボウルと
足がついたワイングラスが
登場したのは、
20世紀後半になってからのこと


この形は、ブドウの品種や産地、
醸造方法により
味や香りが大きく異なるワインの特徴を
引きだせるようにと
オーストリアのリーデル社が
設計したものです。

20世紀後半、
足のついたワイングラスの歴史は
意外に浅いもののようだ。

現在のワイングラスが誕生した
20世紀ごろまで味覚はそれぞれ、
甘みは舌先、酸味は舌の両脇、
苦みは舌根で
感じられると考えられ、
ワイングラスもこれを意識して
デザインされました。

苦みが特徴の円熟した赤ワイン
大ぶりのボルドー型ワイングラスに、

酸味が特徴の赤ワイン
口のすぼまった
ブルゴーニュ型ワイングラスに、

がよいとされたのは、
グラスのふくらみで流速を変えることで
味覚を感じやすいとされていた舌の部位に
適した味がよく流れ込むように、
グラスがデザインされていたかららしい。

ところが、ところが、

ところが、21世紀になると、
舌や口内奥に分布する
「味蕾」と呼ばれる小さな器官が
五味を感じていることが判明しました。

つまり、酸味や甘味などの
それぞれの味覚は
舌の特定の部分で感じられるのではなく、
舌の全領域ですべての味を
感じていたことが分かってきた
のです。

というわけで、味覚の研究が進むにつれて
当初のグラスに込められた狙いが
十分発揮されているのか、
疑問が生じてきている部分もあるようだが、
これもまた、
道具の一歴史としておもしろい。

 

ワインで味とともに
忘れてはならないのは香り。
こちらももちろんグラスの形が
大きく関わってくる。

ボルドー型のように
ボウルのふくらみが小さければ、
先に揮発する成分と
遅れて揮発する成分で
香りに段階が生まれて、
花や果実のような香りから
アルコールの香りというように
香りの変化を楽しむことができます。

ブルゴーニュ型のように
ボウルのふくらみが大きく
口がすぼまったグラスは、
ワインの表面の揮発量に対し
グラスの口径が小さいので
先に揮発した香りが滞留しやすく、
グラス内で異なる成分が
混じり合います

これによって複雑な香りを
堪能できるのです。

で、今日紹介したかった記述は
以下の部分。

ワインを注ぐときは、
グラスの3分の1程度が
望ましい
といわれていますが、
それは残りの空間を
ワインから揮発した香りで
満たすためなのだそうです。

(中略)

目に見えないけれども、
ワイングラスには
「ワインの成分」が
グラスいっぱいに
湛えられている
のです。

ワインが 1/3 入ったグラスは、
1/3 しか入っていないのではなく、
 1/3 がワインで
 2/3 がワインの香りで
 満たされていると。

ブツリの視点は、
目には見えないこういう豊かさにも
気付かせてくれる。

 

 

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2024年7月14日 (日)

二ヶ領用水(7) 鹿島田で地下に消えるまで

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二ヶ領用水(7) 鹿島田で地下に消えるまで

- くねくねと細かく曲がりくねって -

 

二ヶ領用水歩き
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
* 二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに
* 二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停
* 二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートの両方を
JR武蔵中原駅付近まで歩いたので、
残りのルートを歩いてみよう。

いつもの川歩き仲間と
実際に歩いたのは2024年5月の日曜日。
Nikaryogmap3

地図(Google Map) ①付近
武蔵小杉の超高層マンション群が
塊になって見える。
P5123418s

用水わき、
「ブラシの木」に花が咲いている。
その形状はまさにブラシそのものだ。
P5123423s

相変わらずきれいに整備された
親水護岸が続いている。
P5123428s

いよいよ武蔵小杉の
超高層マンションが迫ってきた。
P5123429s

JR南武線と交差した少し先、
地図②付近で渋川と分岐。
P5123435s
二ヶ領用水が
奥から手前に向かって流れており、
左側に曲がっているのが渋川。
ご覧の通り、渋川のほうが太い。

近くに立つ歴史ガイドには
「明治中頃まで、このあたりでは
 用水を利用したいくつかの水車が回り、
 精米が行われていた

 他に麦を使った製粉も行われ、
 木月村や井田村、今井村の冬の副業である
 素麺(そうめん)業に使われた」
とある。

渋川と分岐したあとは
川幅が一気に狭くなる。
P5123437s

東急東横線をくぐって交差する。
P5123442s

細く続くが,
P5123446s
県立住吉高校のそばでは、
公園内を流れる一直線が美しい。
P5123453s
県立住吉高校横の公園を過ぎると
地図③あたりから
ほんとうによく曲がるようになる。
P5123456s
右に左にまさにくねくね。
P5123459s

振り返ると、いつのまにか
武蔵小杉の超高層マンション群が
ずいぶん遠い。
P5123463s

JRの線路が近づいてきた。
くぐって下に流れこんでいく。
P5123466s

人は一緒に潜れないので
線路をまたぐ自動車道を行く。

湘南新宿ライン、横須賀線などが走る
線路を見下ろすことに。
左後方が武蔵小杉の超高層ビル群。
P5123471s

その後もくねくねと曲がりながら
流れるが、ここは橋が妙に低い。
P5123479s

JR南武線をくぐった直後、
地図④付近でここに辿り着く。
P5123489s
写真左に説明板がある。
 我が国初の公営工業用水道水源
 =稲毛・川崎二ヶ領用水余剰水取水口跡
    平間浄水場
   (現 川崎市上下水道局平間配水所)
竣工1939年7月。
工業用水道専用の施設として、
臨海部の京浜工業地帯にも
工業用水を安定的に供給し続け
我が国工業の発展に寄与してきたらしい。
1974年にその役割を終える。

現在は、上流の稲田取水所で取り入れ、
生田浄水場で工業用水に浄水、
地下の送水管で平間配水場へ、
のルートになっているようだ。

ここから先は、
二ヶ領用水というよりも
せせらぎ遊歩道という感じで、
細い水の流れが続いていく。
P5123492s
JR鹿島田駅付近では、
道路脇のこんな流れに。
P5123499s

そして、地図⑤付近
川崎市立塚越中学校の交差点
ここで小さな穴を通して地下に潜り、
その先はついに
追うことができなくなってしまった。
P5123502s
二ヶ領用水歩きの終点
と言っていいだろう。

上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートが合流した
JR南武線久地駅付近では
こんなに大きな流れだった二ヶ領用水も
P3313169s
そこからわずか十数km先の下流では、
バスケットボール程度の大きさの
穴に消えてしまった。

2日間に分けて歩いた二ヶ領用水。
全体のルートを青い線で書くと
こんな感じ。
Nikaryouall

用水沿いに歩いてみると、全流域に対して
川崎市が力を入れて整備していることが
よくわかる。
歩きやすいうえに、
思ったよりも変化があって
手頃な楽しいコースだ。


 

 

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2024年7月 7日 (日)

二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

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二ヶ領用水(6) 溝の口で寄り道

- 大山街道と元本流 -

 

二ヶ領用水歩き
* 二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで
* 二ヶ領用水(2) 向ヶ丘遊園駅付近まで
* 二ヶ領用水(3) 久地の合流地点まで
* 二ヶ領用水(4) 久地円筒分水をメインに
* 二ヶ領用水(5) 橋の上のバス停
で、
上河原堰取水口からのルートと
宿河原堰取水口からのルートの両方を
JR武蔵中原駅付近まで歩いたことになるが
その先を歩く前に、
JR溝の口駅付近で寄り道をしてみよう、
ということになった。

いつもの川歩き仲間と
実際に歩いたのは2024年5月の日曜日。

Nikaryomizonokuchis
上記地図(Google Map)、
左上から右下への青い線が
二ヶ領用水(3) にて既に歩いたルート。

今回の寄り道は、
緑色のルート(大山街道)①から④ と
黄色のルート(元本流)⑤から⑥


【庚申塔】:大山街道①
P5123379s

横に立つ説明文には
 「見ざる・聞かざる・言わざる」
 で知られた庚申信仰
は、
 平安時代に始まる。
 特に盛んになった江戸期、
 この地に作られた庚申塔は、
 大山街道をゆく旅人の
 道標をかねていた。
とある。
P6153508s
二ヶ領用水(2) でも
庚申信仰についての
詳しい説明を目にしたが、
60日ごとに巡ってくる庚申の夜の話と
庚申塔でよく目にする
「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は
どうして結びつくのだろう?
庚申の申がさるだから?
この庚申塔では、
おそらく以前あったであろう
「見ざる・聞かざる・言わざる」が
風化してほとんど見えなくなっている。

JR溝の口駅すぐ横には
昭和の飲み屋街が残っている。
P6153507s
上の写真、右上奥は
JR溝の口駅のホーム。

P6153506s
夜は独特な雰囲気になりそうだ。

【さかえ橋の親柱石】:大山街道②
P6153512s
平瀬川と二ヶ領用水の根方堀が交差する
この地にあった「さかえ橋」の
親柱石だけが説明文とともに
残されている。

今は大山街道の一交差点となっており、
川の面影はない。
P6153513s
ここには、「大山街道」の
丁寧な説明板もある。
江戸赤坂御門を起点として
 雨乞いで有名な
 大山阿夫利神社
 (神奈川県伊勢原市)までの道

P6153514s
<江戸時代中期には
 庶民のブームとなった
 「大山詣」の道として
 盛んに利用されるようになり、
 この頃から「大山道」「大山街道」
 として有名になった>

<参詣の際には
 納太刀(おさめだち)をする習慣があり、
 自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる
 参詣者の姿が
 多くの浮世絵などに描かれている>

などの記述がある。

【溝口神社】:大山街道③
P5123386s

赤城社と呼ばれた溝口の総鎮守

P5123387s

このあたりは飲み水に不自由し、
親井戸から簡易水道を引いていたらしい。
「参道わきの水神社や水道組合碑が
 当時の苦労を物語る」
との説明文が近くにあるが、
どんな苦労かまではわからない。
P6153516s
上の写真、左側が水道組合碑

碑の前を塞ぐように別な碑が立っている。
いったいどうしたことか?
P5123390s

【大山小径】:大山街道④
P5123394s
100メートルにも満たない
公園までの短い道に、
大山街道の様子が描かれた
十数枚の絵タイルが埋め込まれている。

大山街道の起点から終点までの
主な町を網羅しているので、
数十メートルを歩くだけで、
全行程を歩いた気分になれる。
P6153519s

起点「赤坂御門」がこんな感じ。
P5123395s

長津田や厚木のタイルもある。
埋め込まれたタイルとしては
「大山不動へ二里」と書かれた
粕谷まで。

終点には全景を描いた大きなコレが。
右上3枚、補修されるといいのだが。
P6153522s

大山街道全体の超縮小版ではあるが、
富士塚のように講と関係した小径
というわけではないようだ。

P6153524s
「溝口村、二子村が大いに発展したのは、
 江戸時代に大山街道の
 宿駅となってからである」
の説明もある。

それにしても全景図の右隣
大きな石の台座だけが残っているが、
さてその上には何が立っていたのだろう?
P6153523s

 

大山小径の次は、
二ヶ領用水の「元本流」を
見に行ってみよう。

二ヶ領用水(4)

「石橋供養塔」という
小さな供養塔のそばには、
この緑道が、
 かつて二ヶ領用水の本流だった

 昭和16年、用水は今の流路に
 つけ替えられた」
なる説明が。

と書いたが、その説明を読んで以来、
川歩きのメンバ間には、
「元の本流」部分も歩いてみたいね、の声が。
その思いを果たすべく⑤へ移動した。
Nikaryomizonokuchis

【元の本流】:元本流⑤
P5123401s
橋だけ残っているものの、
今は水は全く流れていない。
P5123403s
水は流れていないが、
緑の草の道が続いていて
P5123405s
元用水だったところはよくわかる。
P5123409s
⑥に向かってくねくねと
曲がりくねっており、
一部は細く舗装されて遊歩道になっている。
P5123413s
P5123415s

現在の二ヶ領用水の流路との
合流地点⑥まで来た。

そういえばそこには
片面に  「南無阿弥陀仏」
もう片面に「南無妙法蓮華経」
と書かれた【石橋供養塔】があった。
P5123416s
P5123417s

寄り道はここでおしまい。

次回は二ヶ領用水に戻り、
残っている部分を一気に歩いてしまおう。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

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