« 2024年3月 | トップページ | 2024年5月 »

2024年4月

2024年4月28日 (日)

二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで

(全体の目次はこちら


二ヶ領用水(1) 三沢川との立体交差まで

- 江戸時代初期の大用水 -

 

東京都の野川を歩いたときに立ち寄った
「世田谷区立次大夫堀(じだゆうぼり)公園

そのときの記事に

次大夫堀とは、六郷用水の別名で、
江戸時代に
多摩川から引水した農業用水路
徳川家康の命により、
小泉次大夫の指揮によって開削された。

公園内のパンフレットによると、
今の東京都側だけでなく、
神奈川県側も合わせた
稲毛・川崎、世田谷・六郷 計四ヶ領で
開削された用水は、
1597年から作業が始まり、
測量から小堀の開削終了まで
実に15年の歳月がかけられたという。

驚くのは、
指揮をした小泉次大夫の年齢。
「58歳から73歳までの晩年の大工事」

とのこと。

と書いたが、
一緒に歩いた川歩き仲間と今度は、
「次大夫堀の神奈川県側を歩いてみよう」
ということになった。
実際に歩いたのは、
2024年3月の天気がいい日曜日。

神奈川県側は、
稲毛領・川崎領(現在の川崎市)の
ふたつの領地にまたがって開削されたため、
二ヶ領用水』と呼ばれている。

ちなみに東京都側は
世田谷・六郷領(現在の世田谷・大田区)で
『六郷用水』。

約400年前に
小泉次大夫が成し遂げたものは
二ヶ領用水 全長32km、
六郷用水  全長23km、
多摩川両岸の大用水路網
だ。

二ヶ領用水の多摩川からの取水口は
(A)上河原堰取水口 と (B)宿河原堰取水口の
二ケ所あるが、まずは上流の
上河原堰取水口からスタートすることにした。
Nikaryogmapab
JR中野島駅から多摩川にでて、
上流に向かって土手を歩き始めると
上河原堰堤が見えてきた。
P3313017s
写真
左側が川崎市側、
右側が東京都調布市側。

P3313024s
上河原堰堤は
昭和46年(1971)に大きな改築が行われ

* 川崎市側に
 洪水吐(こうずいばき)ゲート3門
 管理橋(163m)と魚道
* 固定堰と洪水吐ゲートの間に
 流量調整ゲート(14m)
* 調布市側に魚道つきの固定堰(248m)

が整備された。
その後、平成24年(2012)に
固定堰を切り下げて起伏ゲートを設置し、
現在の堰堤になっている。
P3313028s

堰はまさに二ヶ領用水への取水が目的だが、
堰となっているため、魚道もあって
魚も多く集まることになるのだろう。

釣りをしている人のほかに、
大きな望遠レンズをつけたカメラを
しっかりした三脚に乗せている
こんな方々が何組もいた。
P3313019s
聞くと「ハヤブサ」が飛来するという。
残念ながらその時点では、
見ることができなかったが。

取水口まで来た。
P3313027s
案内板にある
まさに「現在地」からの写真がこれ。
P3313029s
左側に流れ込んでいるのが
二ヶ領用水の上河原堰取水口だ。
取水設備をゴミや流木から防護する
ネットフェンスが設置されている。

ここからは二ヶ領用水に沿って歩く。
P3313036s
取水口付近のせいか、
ゴミと水量調節のためと思われるゲートが
3連発。
P3313039s
特に、この3基目(下の写真)は、
実際にどう動くのかを見てみたい。
P3313044s
P3313046s

カメラ片手にキョロキョロ歩く我々を
見返してくる亀もいる。
P3313040s

先に掲載した案内板にある
2本の水路のX字交点まで来た。
左上から右下の水色が二ヶ領用水。
左下から右上の水色が三沢川。
P3313027s
さて、2本の水路がどうやって
交差しているのか。
地上からでは
それがわかるような写真が撮れないので
GoogleMapの航空写真に
助けてもらおう。
Nikaryomisawa
そう、立体交差なのだ。
三沢川が上を流れ、
二ヶ領用水が下をくぐっている。

「上」を流れる三沢川がこれ。
上なのに深い堀、
川面は見下ろしたかなり低い位置に。
P3313047s
これのさらに下をくぐるわけだから
二ヶ領用水、
一旦はかなり深い位置まで
潜っていることになる。

で、三沢川をくぐって出てきたところが
ここ。
P3313052s
この付近、避難用掲示板には
 洪水   3階以上
 内水氾濫 1階以上

と記載されている。
P3313050s

内水氾濫
国立防災科学技術研究所のページには

平坦な土地に強い雨が降ると,
雨水がはけきらずに地面に溜まります
低いところには
周囲から水が流れ込んできて
浸水の規模が大きくなります.

排水用の水路や小河川は
水位を増して真っ先に溢れ出します


このようにして起きる洪水を
内水氾濫と呼び,
本川の堤防が切れたり溢れたりして
生じる外水氾濫とは区別しています.

とある。
つまり洪水ではなく、
排水が追いつかない事態のこと
雨が多いときには、
たとえ洪水の危険がなくても
このあたりでは注意が必要だ。

さて、ここから先は
整備された親水護岸。
P3313053s
流れのそばをのんびり歩いて行きたい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2024年4月21日 (日)

音語りx舞語り「春」日本舞踊編

(全体の目次はこちら


音語りx舞語り「春」日本舞踊編

- 芸は人を大きく見せる? -

 

(2024年5月6日 更新版)

(a) ヴィヴァルディ作曲/「四季」より「夏」
の音楽に
(b) 能 土蜘蛛
(c) オリエンタルダンス

を合わせるという大胆な企画を
2023年9月に実現した「音語りx舞語り」。

「こんな異質なものが合うの?」の
当初の疑念というか戸惑いを払拭した
驚きのパフォーマンスについては
こちらに記事として書いたが
今度は、

(c1) コラボ1
 ヴィヴァルディ x 日本舞踊

(c1-a) ヴィヴァルディ作曲/
    「四季」より「春」
(c1-b) 日本舞踊

(c2) コラボ2
 バッハ x 謡「吉野天人」x 日本舞踊

(c2-a) バッハ作曲/
    無伴奏ヴァイオリンのための
    パルティータ
(c2-b) 謡:吉野天人
(c2-c) 日本舞踊

に挑戦するという。
企画の本郷幸子さんの挑戦心、
イマジネーションには驚かされるばかりだ。

というわけで、
さっそく聴きに(観に)行ってきた。
印象的だったことを
忘れないうちに書いておきたい。
2404s

開催は、2024年4月13日。

(1) 会場
会場は東京・上野の
東京藝術大学のすぐ横にある
市田邸。

この市田邸、
築100年を越える木造建築で、
明治時代の日本橋・布問屋
市田善兵衛の私邸だったらしく
国登録有形文化財建造物になっている。

今回はここの
1階の和室8畳間を公演用ステージに、
隣接する和室6畳間を観客席にと、
まさに演者と観客の間に隔たりのない
アットホームなセッティング。

座布団または小さな丸椅子に座って
観覧する。

床の間の前の畳の間、
会場選択からして日本舞踊を活かすための
配慮が行き届いている。

 

(2) 計14畳の和室の空間
主宰の本郷幸子さんは企画のほか、
当日もヴァイオリン、お話と大活躍。

小学校5年生の時から教えているという
教え子の森永かんなさんとの共演
 ルクレール作曲
 2つのヴァイオリンのためのソナタ
で演奏会が幕を開けた。

上に書いた通り、観客含め全員が
(外廊下部分もあるとはいえ)
計14畳の和室の空間の中にいるので、
2台のヴァイオリンが、
お互い聞き合って合わせようとする
視線や息遣いまで細かく伝わってくる。

絶妙な2台のバランス、
先生にとっても、教え子にとっても
感無量の時間だろう。


さてさて、コラボ企画に関しては
前回同様、それぞれの分野の演者から
曲だけではなく各分野についての
初心者向けの解説があった。

解説して下さったのは演者でもある
 ヴァイオリン:本郷幸子さん
 日本舞踊:坂東三奈慧(みなえい)さん
 謡:大金智さん


(3) 語りから音楽へ
清元、長唄の披露のあと、
 (s1) 義太夫
 (s2) 常磐津 (ときわづ)
 (s3) 清元 (きよもと)
 (s4) 長唄
の違いについて、
三奈慧さんはこんな説明をしてくれた。

語りの要素が一番強いのが義太夫。
(s2),(s3)と語りが洗練されていき、
音楽の要素が強くなってくる。
聞く音楽として発展したのが長唄。

厳密な定義や分類はわからなくても
「語り」と「音楽」のある種の比重で
分類や推移があることを知るだけでも
三味線音楽への関心の度合いが
ぐっと深くなる。


(4) 型の存在
「型の存在」についても
たいへん興味深い話があった。

クラシックバレエには
1番、2番と番号がついている
足のポジジョンを始めとして、
最初に学ぶべき基本的な型がある。

能にも、
「サシ込開(さしこみひらき)」の
組合せのように型はあります、と
大金さん。

一方、日本舞踊のほうは、
型だけをくり返しお稽古したり、
型をマスターしてから
作品に入ったりはしない。

作品をお稽古しながら
型を自然に覚えていく、
という世界らしい。

とは言え、時代とともに、
お稽古の回数が少なくなってきたり、
畳がない暮らしなど
生活環境も変わってきている。
なので
日本舞踊にも型をお稽古するような
お稽古の仕方があってもよいのではないか

という意見も
昨今聞かれるようになってきた、とのこと。

芸の伝承とはどうあるべきなのだろう?

当日の内容と
のちに三奈慧さんから補足していただいた
「型」の説明とを合わせて考えると、
素人の私にもそんな疑問が浮かんでくる。

作品や技術の伝承のみが
その本質ではないとはいえ、
伝えるための工夫は
時代に合わせて必要なのかもしれない。


(5) 鏡の存在
理論ではなく、体が覚えるまで繰り返し
身につけるのが日本舞踊。

近年、稽古の環境が変わり、
鏡やビデオを使うこともあるけれど、
基本はご法度。

客観視しないで自分の身体感覚だけで
脳内の像を表現できるようにするのが
日本舞踊という芸。

能でも (「鏡の間」はあるけれど)、
稽古で鏡は使わない。

鏡を使う  :クラシックバレエ
鏡を使わない:日本舞踊、能


鏡を使うと鏡がないと稽古ができなくなる、
という言葉はいろいろ考えさせられる。
何も見なくても表現できる、が大事と。


(6) 扇とおもり
日本舞踊で使う「扇」と
能で使う「扇」との違いについても
実物を並べて丁寧に説明してくれた。
初めて知ったのは、
日本舞踊で使う扇には
要(かなめ)の部分に
「おもり」が埋め込まれている

ということ。

当日の舞踏の中でも
風であったり、花びらであったり、
さまざまな表現に使われていた扇。
その自然でなめらかな動きは、
単に手首の動きだけではなく、
おもりの重力をうまく活かして
作り出されたものだったようだ。


(7) 芸は人を大きく見せる
他にも、
西洋のものは舞踏と言われるように
大地を蹴って跳躍、が基本。
日本のものは下に下に、で田植えの感覚、
といった比較もおもしろい。

跳躍の気分あふれる今回の音楽「春」の
上にひっぱられないように
踊るのがむつかしいところ、と三奈慧さん。

上にの西洋音楽、下にの日本舞踊、能。

「対極のものをぶつけるのがおもしろい」
と企画の本郷さん。

各分野における基本事項や関連事項、
考え方の背景を教えていただいたうえで、
いよいよコラボを体験することとなった。

(c1) コラボ1
 ヴィヴァルディ x 日本舞踊

(c1-a) ヴィヴァルディ作曲/
    「四季」より「春」
(c1-b) 日本舞踊

(c2) コラボ2
 バッハ x 謡「吉野天人」x 日本舞踊

(c2-a) バッハ作曲/
    無伴奏ヴァイオリンのための
    パルティータ
(c2-b) 謡:吉野天人
(c2-c) 日本舞踊


音語り事務局が、(c1)を14秒だけ
ここで公開してくれている。

個人的に印象的だったのは、
(c1)の日本舞踊における
「春」のユニークな解釈と、
(c2)におけるバッハの選曲。

選曲のセンスには敬服しかないが、
バッハの偉大さも改めて痛感。
音楽と謡の融合により
今自分がどこにいるのか
わからなくなるような
独特なトリップ感を味わえる。


もうひとつ、今回の大きな発見は
踊っているときの坂東三奈慧さんが
すごく大きく見えたこと。

小さな空間で集中して観たから
よけいそう感じたのかもしれないが、
踊っているときと、
語りで解説してくれているときの
体格というか、纏う空気の大きさが
あまりにも違っていてびっくりした。

芸は人を大きく見せる、ということか。

もちろん私個人の感触で
物理的にはなにも変わってはいないけれど。

 

くつろいだ空気の中、
今回もほんとうに楽しい演奏会だった。
その場でのパフォーマンスはもちろん、
型の話だって、鏡の話だって、
おもりを活かした表現だって、
上にの西洋音楽、
下にの日本舞踊、能 の話だって、
その先に大きな世界が広がっている
その入口を示してもらえただけでも
大きな価値がある。

「夏」と「春」を経験できた。
本郷さんは
「四季をcompleteしたい」と
おっしゃっていたので、
ぜひまた次回にも期待したい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2024年4月14日 (日)

映画 ARRIVAL 邦題『メッセージ』

(全体の目次はこちら


映画 ARRIVAL 邦題『メッセージ』

- ハンマーしか持っていなければ -

 

2016年の米国映画
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
ARRIVAL 邦題『メッセージ』

Amazon Prime Video

は、「言葉」と「時間」に関する
深い問題が、重なるエピソードの中に
丁寧に織り込まれている
観るたびに新たな発見のある映画だ。

地球外生命体と人間との
ファーストコンタクトを描いた映画、
とストーリーを中心に語ると
肝心な部分が伝えられない。

たとえば、「過去を思い出す」
といった時間感覚の固定概念が
気がつくと揺さぶられている。
「未来を思い出す」ことになったら…。

いずれにせよ、作品全体の魅力を語るのは
難しい映画なのだが、
「言葉」についてのシーンに
たいへん印象的なセリフがあったので、
今日はその部分を紹介したい。

 

地球にやってきた
地球外生命体の巨大宇宙船。
(上記パッケージ写真の
 中央の黒い物体)

彼らはなんのためにやってきたのか?
飛来の目的を探るコンタクトチームが
結成され、女性言語学者ルイーズが
そのメンバとして選出される。

 

(1) 「顔を見せるの」

宇宙船に乗り込み、
地球外生命体となんとか
コミュニケーションをとろうとする
コンタクトチーム。

彼らに言葉あるのか?
それは音なのか文字なのか、
あるいはそれ以外なのか?

文字があるならそれはどんなものなのか?
地球人が持つような
平面的な2次元の文字なのか?
立体的な3次元、
あるいはもっと高次元のものなのか?

言葉はもちろん、
彼らについて何もかもわからない状態から
「会話」に向けての試行錯誤が始まる。

巨大宇宙船に乗り込むルイーズらは、
当初、感染や被爆を恐れ
写真のような分厚い防護服を来て
コンタクトを開始する。

語りかけ、英語の文字を見せ、
なんとか相手とのコミュニケーションを
スタートさせようとするルイーズ。
Bougofuku1s

しかし、なかなか糸口がつかめない。

行き詰まっていたルイーズは、
毒ガス検知のために連れて行った
籠に入ったカナリアが元気な様子を見て
ある決心をする。

突然、防護服を脱ぎ始めたのだ

驚く同行の仲間たち。
リモート監視のスタッフは
「危険だ」と叫ぶ。

彼らに対し、彼女はこう言う。

「顔を見せるの」

防護服を脱ぎ始めた瞬間
ほんとうにハッとさせられた。
そう、コミュニケーションとは
つまりはこういうことじゃないだろうか。
相手とわかり合いたければ
まずは自分の顔を見せることからだ。
防護服越しに真のコミュニケーションが
成立するはずはない。
Bougofuku2s

防護服を脱いで
地球外生命体に近づくルイーズ。

同行した物理学者イアンも防護服を脱ぎ、
顔を出して相手に向き合う。
Bougofuku3s

防護服を着ていないルイーズの
「私はルイーズ」という自己紹介に
未知の生命体がついに反応を始める。

彼女の勇気ある行動がきっかけとなり、
たどたどしいながらも、
コミュニケーションが加速していく。

「顔を見せる」
相互理解はここから始まるのだ。

 

(2) ハンマーしか持っていなければ

実は宇宙船、
世界各地12箇所に同時に飛来しており、
それぞれの国で、未知の生命体との
コミュニケーションが試みられている。
言葉を教えることも含めて。

でも、なにも知らない人に
対戦型のゲームを教えたら
会話の基盤が[対立・勝利・敗北]に
なるように、習得した言葉や知識は
まさに思考に影響する。

これらのことを象徴して
次のようなセリフが登場する。

「ハンマーしか持っていなければ、
 すべてクギに見える」


なんと痛烈で、かつ意味の深い言葉だろう。

考えてみると言語習得だけでなく、
勉強も遊びも、人生でのあらゆる経験は
「クギだと思っていたものが実は…」に
気づかせてくれるもの
なのかもしれない。
すでにこんなにおもしろいものに
囲まれているよ、と。

「クギだと思っていたものが実は…」に
より多く遭遇できる人生でありたいものだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2024年4月 7日 (日)

脳内麻薬がでてこそ

(全体の目次はこちら


脳内麻薬がでてこそ

- 音楽は音だけで出来ていない -

 

1月は行ってしまう、
2月は逃げてしまう、
3月は去ってしまう、
4月は寄ってくる、
と言われるように、
今年も気がつくともう4月だ。

と、4月なのに(?)
今日は、昨年末の小さなネタから
思いがけない展開をみせた話を
書き留めておきたい。


昨年のクリスマスのころ、
「大手デパートのクリスマスケーキが
 崩れた状態で購入者に配達された」
というニュースがあった。

(1) カタログにあった美しいケーキの写真

(2) 実際に配達された崩れたケーキの写真
を並べて、
Masaruさんが
こんなコメントをXに投稿していた。

2312348

(1) に対して
楽器を弾いている時の脳内イメージ
(2) に対して
録音を聴き返した時の脳内イメージ

2枚の写真を見て、
こんな言葉が浮かぶなんて
なんて素晴らしいセンスの持ち主だろう。

私も学生時代のサークルを含め、
素人ながら長く楽器を楽しんでいるので、
奏者の体験として痛いほど同意できる。

自分で楽器を演奏している時の気持ちと
自分の演奏を録音で聞いた時の落ち込み、
奏者にしかわからないそのギャップを、
こんなに簡潔にかつ的確に
表現してもらったことがあるだろうか。

感激した私は、
高校時代、大学時代の音楽仲間に
早速URLを転送し、見てもらった。

皆、それぞれに身に覚えがあるようで、
反応は大きかった。
いくつかコメントを並べておきたい。

* しかし、なんで実際の演奏中は、
 (1)のように聴こえるんだろうねぇ。
 脳内麻薬でも出てるのかなぁ…。

* ド素人でも演奏が楽しいのは、
 脳内に(1)のイメージが
 広がるからなんだよね。

* スキーも同じです。
 滑っている時の脳内イメージと
 ビデオで見る現実。
 滑っているときは脳内麻薬がでています。

* これって、音楽に限らないよね。

そう、音楽に限らないのだ
趣味だろうと仕事だろうと
自らが心から楽しんでコトをなしているとき
客観的な事実のレベルとは関係なく
本人には(1)が見えるような
脳内麻薬(?)がでているのだ、きっと。

藤井さんのように将棋が強くなくても、
大谷さんのように野球ができなくても、
将棋や野球に夢中になれる人がいるのは
まさにそのおかげではないだろうか。

(1)を経験できた人は、
そのレベルとは関係なく、
ほんとうにソレが楽しくてしかたがないし、
その思いを励みに成長もしていける。
(1)はほんとうに貴重な経験だ。
(形だけはうまくいっても、
 脳内麻薬がでていなかった経験は
 むなしさだけが残っていたりするし)

 

最後に、
音楽仲間の言葉を残しておきたい。
「後で録音を聴くと
 たいしたことなかったりするのは、
 音楽が
 音だけで出来ているのではない
 証拠だと思います


これはこれで音楽に対する名言だ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

« 2024年3月 | トップページ | 2024年5月 »

最近のトラックバック

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ