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2024年1月21日 (日)

「て形」って何?

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「て形」って何?

- 日本語教育用語との出会い -

 

フランス語、中国語、英語、日本語と
複数言語をあやつりながら
日本語の教師として活躍している
山本冴里(さえり)さんの
言葉をめぐる旅の記録

山本冴里 (著)
世界中で言葉のかけらを
 ―日本語教師の旅と記憶

筑摩選書

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

を読んでいたら、
第二章にこんな一節があった。

たとえば、「て形」と呼ばれる、
「て」をつける動詞の活用。

これは、日本語学習の最初の山だ。

「見る」「寝る」「起きる」など
一段活用の動詞は「る」を外して
「て」をつけるだけ
(「見て」「寝て」「起きて」)だが、
五段活用の動詞はそうはいかない。

「待つ」は「待って」でも、
「読む」は「読んで」だし、
「話す」は「話して」となって複雑だ。

「て形」?

第三章には、
エトヴェシュ・ロラーンド大学で
教鞭をとっており、
ハンガリー語絵本の
日本語への翻訳出版にも携わっている
内川かずみさんの言葉として

「同じ形で日本語教育に入った人は
たぶんみんな思うことですけれども、
え? 日本語ってこういうシステムが
あったんだというのが衝撃で。

「て形」にしろ、
「と・ば・たら・なら」にしろ、
自分では使えていても
違いが説明できなかった、

あるいは
どうしてこうなるのか
気にしたこともなかった、
っていうようなことを
教えなければならなくて、
教科書を読んで
まずは「ああ、なるほど」って
自分が感心して、
それを学生に伝えるのが
楽しかったですね」

も載っている。

「て形」とか「と・ば・たら・なら」って
いったいナンなのだろう?

少なくとも日本の学校で
国語の時間に教わった記憶が全くない。
なのに「て形」は
日本語学習の最初の山だという。

日本語教育のための
専門用語ということなのだろうか?

 

「て形」についてちょっと見てみよう。
まずは「て形、日本語教育」などで
ググってみた。
すると、丁寧な解説ページが
いくつも出てくる。
ところが、それらを読み始めると
さらなる未知の
「日本語教育用語」に遭遇することになる。

「動詞の3グループ」

どうも日本語教育においては、
日本語の動詞を
次の3グループに分類して教える方法が
広く使われているようだ。

グループ1(五段活用)
  - る(ru)で終わっていない動詞
     買う・書く・急ぐ・飲む など
グループ2(上一段/下一段活用)
  - る(ru)で終わる動詞
     見る・食べる・入れる など
グループ3(カ行/サ行変格活用)
  - 「する」と「来る」の2つ

これらのグループ別に
「ます」が語尾になる「ます形」を教え、
そして「て形」を教える、のステップ。
しかも説明には順番まである。
グループ2-3-1の順。

*グループ2(上一段/下一段活用)
  見る  見ます  見
  食べる 食べます 食べ
  入れる 入れます 入れ
*グループ3(カ行/サ行変格活用)
  する  します  し
  来る  来ます  来

なるほど。グループ2と3については
カ変、サ変を含みながらも
「て形」の作り方がかなり規則的だ

「ます」がわかれば、
「ます」を「て」にするだけ。

ところがグループ1について並べ始めると
とんでもないことに気づく。

*グループ1(五段活用)
  買う  買います 買って
  書く  書きます 書いて
  急ぐ  急ぎます 急いで
  飲む  飲みます 飲んで

なんなんだこの不規則性は。
無理やり整理して書くと
下記(1)-(5)にまとめられるようだが
(3)の例外に「行く(行きます)」があって
(1)-(6)を覚える必要があるらしい。

「ます」の前の字が
(1)「い」「ち」「り」の動詞は「って」
(2)「み」「び」「に」の動詞は「んで」
(3)「き」      の動詞は「いて」
(4)「ぎ」      の動詞も「いて」
(5)「し」      の動詞は「して」
(6)「行きます」   は  「行って」

「いちりって みびにんで きいて 
 ぎいて しして いきます いって」
の内容を、歌や呪文で覚えるようだ。
英語を学び始めた中学1年のとき、
「I my me, you your you...」
と呪文のように繰り返したことを思い出す。

外国人が
「いちりって みびにんで ・・・」って
モグモグ繰り返していても
それが日本語学習のためだなんて
まったくわからない不思議な呪文だ。

それにしてもおもしろいのは、
私を含めた日本語を母語とする者は、
呪文はもちろん
動詞のグループ1-3も、(1)-(6)も
一度も意識したことはないのに
迷いなく
正しく「て形」を作れることだ。

たとえそれが
初めて目にした動詞だとしても。
本書最後の注にも

日本語母語話者は、日本語教師としての
トレーニングを受けていなければ、
この「て形」について
明示的に学習する機会はない


そのため、
たとえば「ごばつ」という
新しい動詞があったとして、
「ごばってください」
活用はできるが、なぜ
「ごばいてください」
「ごばんでください」
などではないのか、
ということの説明ができない。

と興味深い例がある。

「日本語を学ぶ」「日本語を教える」
当然のことながら、
そこには日本語を母語とする者には
想像もできないような
多くの困難があることだろう。

知らなかった日本語教育用語からは
そんな困難さをなんとか体系的に教えよう、
学ばせようという、先人の苦労と工夫が
滲み出ている。

 

 

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