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2024年1月 7日 (日)

面接想定問答集にある呪文

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面接想定問答集にある呪文

- 「言葉が届く」の認識 -

 

大地震、航空機衝突・炎上、大規模火災と、
2024年は、国内だけでも
元日から大きなニュースが続いている。

被災した方々、被害にあわれた方々には
心よりお見舞い申し上げます。

 

命が危険にさらされる、とは
全く別次元の話ではあるが、
次の土曜日(2024/1/13)から始まる
大学入学共通テストに備えている受験生は
それはそれで
緊張した日々を過ごしていることだろう。
実力がうまく発揮されることを
祈るばかりだ。

受験と聞くと思い出すエッセイがあるので
今日はそれを紹介したい。
引用は、以下の本の中の
面接想定問答集にある呪文」から。

内田 樹 (著)
街場の大学論
 ウチダ式教育再生

角川文庫

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに。
 以下、水色部は本からの引用)

ご存知の方も多いと思うが
大学の先生だった内田さん、
面接試験のことをこう書いている。

面接試験のときに、うっかり
「本学志望の動機は?」とか
「高校時代での印象的な出来事は?」
というような質問をすると
大変なことになる。

らしい。
どう大変になるのか。

たちまち、高校生諸君は
『大学案内』のコピーを
そのまま暗誦してきたような
ストックフレーズ

「呪文」のように唱え出すからである

(「高校時代の出来事」で、
「文化祭で、最初はばらばらだった
 クラスがやがてまとまり、
 最後はみんなと力を合わせて
 一体となったときの感動は
 忘れられません」というのも
これまで百回くらい聞かされた

たぷん、高校の進路指導室常備の
「面接想定問答集」の
一番先に出ている例文なのであろう)。

内田さん、
「恥ずかしげもなく
 できあいのストックフレーズを
 口にしておけば、世の中どうにか
 渡って行ける、というような
 世間を舐めた態度を
 私は評価することができない」
とお怒りだが、
「一体となったときの感動は・・」
と語る高校生の口調は
目に浮かぶようで妙におかしい。

私はそのストックフレーズの
「コンテンツ」に文句を
申し上げているのではない。

みなさんが、文化祭での
クラスの団結に感動したのも
本当なのだろうし、
本学の伝統ある校舎と
緑の多いキャンパスに
惹かれたのも真実なのであろう。

しかし、問題はそれが
「伝わる言葉」で
語られているかどうか

ということである。

お芝居の稽古での台詞のやりとりや、
太宰治の「如是我聞 四」を例にあげ、
「言葉は身体というフィルターを
 通過すると、
 深みと陰影と立体感を帯びる」
と語り、「伝わる言葉」について
考えるよう導いている。

まとまりのある、
つじつまのあったことを
しゃべるのが勧奨されるのは、
その方がそうでない場合より
相手に届く確率が高いからである。

ことの順逆を間違えてはいけない

よりたいせつなのは
「言葉が届く」ということであり、
「つじつまのあったことをしゃべる」
ことではない。

順逆を間違えてはいけない、か。

「つじつまのあったこと」
を言っているのだから伝わるはずだ、
と考えてしまいがちだが、
「伝わる言葉」は別物だ。

よく考えてみれば、それは確かに
誰にでも経験があることだろう。

最後、内田さんらしい言葉で
締めくくっている。

今日の初等中等教育では
「自分の意見をはっきり口にする」
ということは推奨されているし、
技術的な訓練も
なされているようだけれど、
残念ながら、「自分の意見」は
はっきりしているだけでは、
 聴き手に届かない
」という
もっとたいせつなことは
教えられていないようである。

 

 

 

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