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2023年12月10日 (日)

「電車」を伝えるために何を保存する?

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「電車」を伝えるために何を保存する?

- 保存されたものも生きている -

 

哲学対話で知られる永井芽衣さんが
雑誌群像に書いていた

永井芽衣
世界の適切な保存
16 適切な保存
雑誌群像 2023年8月号

(以下水色部、本からの引用)

を読んでいると、
「記憶」や「保存」について
ちょっと立ち止まって考えてみよう、
という気になる。

もし電車というものが
いつかなくなってしまうのならば、
わたしたちは何を保存するだろうか

いったい何を保存すれば
電車を知らない世界の人々に
電車を伝えられるだろうか。
電車での「体験」を伝えられるだろうか。

電車を知らないどころか
今の人でも・・・

今のかたちですら、
刻一刻と変容している。
子どものころは、
広告は動画ではなかった。
アナウンスはなめらかではなかった。
監視カメラはついてはいなかった。

あのときの電車の体験が何だったのか、
もう思い出せない

永井さんは、こんな歌を挙げている。

河川敷が朝にまみれてその朝が
電車の中の僕にまで来る
岡野大嗣

日常の中の瞬間をとらえた歌だが、
同時に電車に乗るとは
どういうことなのかについての、
貴重な保存の試みとも言える。


完全に止まったはずの地下鉄が
ちょっと動いてみんなよろける
岡野大嗣

電車や地下鉄に関する
図解や技術の説明をいくら詳細に残しても、
それを知らない人が
それに乗っていた人の
こんな共通体験を知ることは
難しそうだ。

技術資料もあるだろう、
文学的表現もあるだろう、
でも、たとえ
過去のものに対してであっても
固定した完璧なパッケージを
作ることはできない。

保存しようと試みつづけることが、
消え去っていくことに
抗うことなのだ。

最初の問いをもう一度思い出してみよう。

「もし電車というものが
 いつかなくなってしまうのならば、
 わたしたちは何を保存するだろうか」

完壁さや不変さを
急いで求めなくてもいい。
保存されたものは生きているのだから、
年を重ねながら、
誰かの中で育つだろう。

保存されたものも生きている、
の感覚。
そしてそれが誰かの中で
育っていく感覚。

保存とは凍結ではないのだ。

育ってさえいれば、
もしかするとこんな思いも
伝えられるかもしれない。

そうだとは知らずに乗った地下鉄が
外へ出てゆく瞬間がすき
岡野大嗣

 

 

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